考えたこと2

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佐野元春2
何度か書いたが、ついに佐野元春を生で見た。
ビルボード大阪。

佐野はぼくらが就職した頃から活動している。
80年代の初頭だ。
そのころ、サムディとか、ガラスのジェネレーションなどのヒットを飛ばした。
でも、今の佐野にはそれは古い音楽になったのだろう。
その頃の曲は全くやらなかった。

やったのはここ20年くらいの曲がメイン。
それでも、声も出ていたし、何よりかっこよかった。

アコギ、エレキ、ブルースハープ、キーボードと多才なところも見せた。
同じ世代のミュージシャンが活躍するのは、やっぱり嬉しい。
大学の同級生と一緒に見に行った。

若い頃とはだいぶ音楽の感じが違う。
アコースティックな感じで、あまりシャウトするような曲はやらなかった。
そういう好みになってきたのだろう。

あまり反体制を感じさせるような曲はなかった。
それは彼にとっては必然だったのだろう。

でも、ぼくにはちょっと物足りなかったのは事実。
1曲でいいから、若い頃の曲もやってほしかった。

それをもうやらないのか、それとも、やるときがあるのか…。

今日のライブも良かったが、やっぱりなあ。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
1弦3音
1弦3音というのは、ギターの一つの弦で3音を弾く、というやり方。
主にメタルの人たちがよくやっている。
機械的に指を動かして、早く弾くのに向いている感じだ。

ぼくは手が小さいので、フレットの感覚が広い低音側で、1弦で全音違いの3音を弾くのは不得意だ。
全音違いというのは、2フレット離れているということで、ドレミ、などの音階のこと。
レミファとか、シドレとかいう音階なら、3音弾いてもフレットの感覚は3つしか違わない。
でも、全音3つだと4フレットの差になる。

つまり、人差し指、中指、小指が2フレットずつ離れるということだ。
これが低音側では厳しい、という話をこないだのレッスンのときにしていた。

別に1弦3音にこだわって弾かないといけない、というわけではないが、次のフレーズによってはそっちの方がいい、ということもある。
今まで避けてきたのだが、やっぱり弾けるほうがいいのだ。

先生に見てもらったら、ネックの裏側の親指の位置を変えてみたらどうかと言われた。
なるほど、中指の裏側あたりの位置に親指を持ってくると、人差し指は傾くが、小指が4フレット先に届くようになる。
そんなことは考えたこともなかった。

そういう弾き方で、ネックを上に上げるともっと弾きやすいという。
そのためにはストラップが常に必要だ。

先生は座って弾くときにもストラップをしている。
なるほど、そういうことがあるから、ストラップをしているのか、と今更ながら思った。

これで少し練習してみようと思う。
何十年もギターを弾いてきて、まだまだ発見がある。

面白い。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
音列が同じ
以前、オルタードスケールのことを書いたが、今日のレッスンでもまた出てきた。

キーがCのときに、G7からCという動きがドミナントモーションという。
難しそうに聞こえるが、これは小学校のときの起立、礼、着席のときにピアノで彈くC、G7、Cという和音の動きだ。
このG7のときに、Gのオルタードスケールが使える。

不協和音のかたまりのようなスケールで、ソ、ソ#、ラ#、シ、ド#、レ#、ファ、というもの。
なかなか覚えられなかったが、最初の音から、半全半全全全全という音の並びだ。

これはGの半音上のAbのメロディックマイナーと同じ音の並びだと前に書いたが、今日はさらに、Dbのリディアンセブンススケールを同じ音だと教えてもらった。
リディアンというのはファから始まるスケールで、ファソラシドレミbファという音の並び。
ファからいうと、全全全半全半全という音列。

つまり、4つ目の音から始めると、半全半全全全全になって、Gのオルタードスケールになる。

ついでに、バップ(これがよくわからない)の人が使う、ツー・ファイブのパターンを教えてもらった。
Cに落ち着くパターンとして、F#m7b5‐B7‐Em7b5‐A7‐Dm7b5‐G7‐Cというもの。
Cありきで、Cに向かっていくときは普通はDm7‐G7‐Cという感じで行くのだが、Dm7に行くためのツー・ファイブとしてEm7b5‐A7、もう一つA7にいくためのツー・ファイブとして、F#m7b5‐B7を前に前に付け足していく、といやり方。

こういうのがバップらしい。

そういう音楽を黒人のジャズマンたちが作ってきた。
理屈は後でつけたのかもしれない。

本当に天才だと思う。

| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
4度始まり
こないだのレッスンで、ヨルシカの「ただ君に晴れ」という曲をやった。
この曲も、教室に来ている中学生のリクエストでやった曲だが、どうもコードに違和感があった。

今流行りのように、別にサビから始まるわけでもない。
Bbのコードで始まるのだが、キーはBbではない。
その次に出てくるFがキーになる。
先生は、ああ、これは「4度始まり」です、と解説してくれた。

メロディのほとんどの部分はBb、F、C、Dmというコードの繰り返し。
Fをドとすると、Bbはファになって、ドとファの距離が4度ということになる。
だから、4度のコードで始まっているということで、「4度始まり」ということだ。

それでも、聞いた感じでは、Bb→C→Dm→Dm7という順次進行に聞こえるのだ。
なぜFをBbとCの間に挟んだかはわからない。
先生もあんまりFの音は聞こえてこないと言っていた。

だから、この曲の特徴はキーがFなのにFのコードがあまり聞こえないということなのだろう。
ようやく、この曲のコード譜を見て弾いたときに感じた違和感が解決した。

この曲はそういう違和感で聞く人を引き付けるのかもしれない。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
そんなことより幸せになろう
2014年に出た小田和正のアルバム、「小田日和」の中の曲。
Wikipediaによると、年齢的なものも会って「最も苦労したアルバム」ということだ。

この曲、アルバム発売された当時、なんだか違和感があった曲。
小田和正は上昇志向が強く、一時アメリカに進出しようとしたり、そういう感じがわかる曲が多い印象だった。

でも、なんとなく東北の大震災の後からは、どちらかというとこの曲のような、人の希望を与える曲が増えてきた。
この曲は題名からして違和感があった。

それまでの小田なら「幸せになるためには、そんなことを頑張ろう」と言っていたと思う。
その曲をアルバムの1曲めに持ってきたというのは、イメージチェンジを示したかったのかもしれない。

いきなり「そんなことより幸せになろう」で始まる曲。
もう年齢もそこそこになったし、野心もあったが、これからは歌を聞いてくれる人のために歌おう、という気持ちだったんだろう。

当時「あと何枚アルバムを出せるだろうか」という気持ちだったという。

若い人にはわからないかもしれない。

「誰かと比べるなんて ほんとうに馬鹿げている」という歌詞があるが、それまでの小田は「誰かを抜いて1番になること」が目標だったのではないか。
そういう呪縛から吹っ切れて、これからは変わるぞ、という感じだ。

実際、その後の曲は肩の力が抜けているように思う。

当時はこの曲は変だと思っていたが、今になるとわかる。

いい曲だ。


| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
エイリアンズ
キリンジの曲。
ぼくらの年代ではあんまり馴染みがない。
この曲は長男に教えてもらって知った。

キリンジには弓木英梨乃という女性のギタリストが一時参加していて、それがきっかけで知ったのだが、この曲は弓木は入っていない。

兄弟でやっており、ゆるいユニットという感じのバンドらしい。
この曲は初心者には難しいコードがたくさん出てくる。
何と言っても、b13thの怪しい響きが魅力。

歌い出しの前に半音上の裏コードが出てくる。
これはDr.Capitalという関西弁の外国人がYoutubeで解説しているが、ハッとするコードだ。
こういうJazzyなコードに乗って作られている。

歌詞はなんとも言えない。
「そうさぼくらはエイリアンズ」と言って、社会からの疎外感を表している。
「公団」とか、「街灯」「新世界」「ラストダンス」「僻地」というような昔の言葉も使いながら、モダンなメロディーで歌う。

兄弟のオクターブ違いのユニゾンもいい感じだ。
これはキリンジの名曲。
23年経っても、全く古びていない。

弓木英梨乃がボーカルを取っているKiller Tuneという曲も良いのだが、でもエイリアンズに軍配が上がる。

いい曲だ。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
LAUNDRY-GATEの想い出
ちょっと退屈な時間が増えたので、もう一度ユーミンの曲をいろいろ聞いた。
前回のベスト20には入れなかったのだが、やっぱり気になる曲がある。
それが「LAUNDRY-GATEの想い出」だ。
1978年のアルバム「紅雀」に入っている。

この曲はまずアレンジがいい。
松任谷正隆と結婚して最初のアルバム。
だから、彼も気合が入っていたのだろう。

イントロのエレピとブラスはダークなイメージで盛り上げて、歌に入るところで明るく変わる。
暗い曲かな、と思って聞き始めると、イントロで裏切られる。
細かく刻まれるハイハットやドラムの音はゲートがかかった感じ。
80年代の先取りだろうか。

この曲の歌詞は学生時代のユーミンの友達の歌とのこと。
元の米軍立川基地の中に洗濯の工場があり、その門がLAUNDRY-GATE。
2駅続くほどの基地の大きさだ。

歌では、この友達に男の扱いやピザの作り方を習ったり、ジミヘンのレコードを借りて、返さなかったなど、想い出が歌われる。

間奏はまたダークなブルースギターのソロに続いて、うって変わって明るいコーラスがかかったピアノ。
凝った音作りだ。

歌の中では、友達は基地のアメリカ人で、見送る約束に寝過ごして、結局会えずに彼女は滑走路から飛んでいってしまった。

「16の誕生日 私にくれた 苦い口紅つけてきたのに…」

そしてまた暗い感じのブルースギターのソロで締める。

この「ジミヘンのレコード」というフレーズがぼくには響く。
あの時代、あの雰囲気、そういう時代を過ごしていた、ということだ。

ユーミンの声でないと、この曲はダメだと思う。

やっぱりこの曲はいい。


| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 17:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
Fennec Fennec
ぼくが知らないうちに、いろんなミュージシャンがいた。
こないだの「猫戦」もそうだが、「Fennec Fennec」というグループも見つけた。
Youtube Musicが勝手にオススメしてくれたのだ。

最近の「好みの音楽を見つける」仕組みはよくできている。
こういう音楽がよく再生されているから、きっとこういうのも好きだろう、ということでオススメされる。
これがわりと正確だ。

ジャンルが同じというだけではなく、音楽自体が似た感じになっている。
どうやって分析しているのだろう。
まさかコード分析までやっているわけではないだろう。

たくさんの人で統計をとっているのだろうか。
同じミュージシャンや曲を好きな人が、別の曲を勧められて、その後再生回数が伸びたりしたら、関係度が高いみたいなことをやっているのだろうか。

きっと今流行りのAIを使っているんだろう。

ちょっと猫戦とは感じは違うが、FENNEC FENNECはいい。
猫線よりもほんわかしていないし、歌詞の意味もよく分かるが、どことなく同じ感じ。
絶妙な選択だと思う。

しかし、今のミュージシャンは大きなレコード会社と契約しなくても、曲を作って、演奏して、それをネットにあげて、宣伝すれば、とりあえず聞いてもらえる。
音楽を作るコストが下がったからだ。

宣伝のコストもSNS等があるから、無料でアイデアさえあればできる。
今まで才能はあっても、運に恵まれなかったような人たちがたくさん出てきているのだろう。

猫戦もFENNEC FENNECも、チャンネル登録者は少ない。
メンバーは、なかなか食っていけないと思う。

アルバイトなどを頑張って、音楽をやっているのだろうか。

いやはや、頑張って売れてほしいものだ。


| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 14:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
猫戦
次男がsportifyでおすすめに出てきたということで教えてもらった。
80年代のポップミュージックの香りがする。
ビートがきいていて、それでいてほんわりした音楽。

立命館大の軽音楽サークルの出身。
メンバーは4人。
ボーカル、ドラム、ギター、ベース。
ボーカルの女性が作詞作曲しているらしい。

初期はキーボードがいたのだが、CDデビューのメンバーにはいない。
Youtubeであがっている曲にはキーボードメンバーが入っているのだが…。
もったいないと思う。
このバンドはキラキラした80年代のキーボードの音がないと、物足りない。

80年代というと山下達郎の全盛期(とぼくは思っている)。
そのあたりの音楽にも影響を受けたらしい。
Lovers・・・?」という曲など、その香りがする。

ぼくはこのあたりの音楽が好きだ。

ちょうどポリフォニックのシンセサイザーが出てきて、エレキベースのチョッパー奏法が出てきて、クリーンなエレキギターがいい音を聞かせるようになった時代。

この時代の、Maj7thの音を使いまくって、サブドミナントのマイナーを要所で入れて、おしゃれな7thを使うような音楽は日本のオリジナルだと思う。
だからこそ、80年代のシティポップが海外でも評価されている。

こういう若い人たちがそれを継承するのはいいことだ。


| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
拓郎の引退
吉田拓郎がラストアルバムを出した。
彼ももう76歳。
いつの間にか、Abexに移籍していた。
昔は小室等らと作ったフォーライフレコードというレーベルだった。

「ah〜面白かった」というアルバム。
これも最後ということで、なんとなく買ってしまった。
昨日届いてDVDを見たが、年をとったとはいえ現役として活動していただけあって、年齢の割には若い。
それでも、ライブで声が出にくくなって、歌える間に辞めるという決断をした。

最後のアルバムは9曲。
今月アルバムを出した小田和正、山下達郎がすでに発表済みの曲を入れたアルバムを出したのに対して、吉田拓郎は小田和正とコラボした「雪」の1曲を除いてすべて新曲。
意地を見せたという感じ。

2003年に肺がん、2014年には咽頭がんで、大きな病気を2つも乗り越えて生きている。
大したものだ。
命のありがたみを感じたのだろう。

吉田拓郎は1970年にデビューした。
万博の年だったか…。

広島フォーク村から出てきた時は、反体制というイメージが強かった。
「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というフレーズに、ぼくらは心を動かされた世代。
「イメージの詩」だ。
この頃はまだマイナーな存在だった。

ブレイクしたのは「結婚しようよ」だったと思う。
「ぼくの髪が肩まで伸びて君と同じになったら」という歌詞。
この頃は普通の男性も、髪を伸ばしていた。

でも、ぼくが吉田拓郎をよく聞いていたのは「結婚しようよ」までだ。
持っているアルバムはLPレコードの「人間なんて」の1枚。

フォークソングの流れから拓郎のファンになった人は、たいがいこのあたりでもう終わっているのではないかと思う。
その後歌謡曲(と言ったら怒られるかもしれないが)の世界に入って、聞くのをやめた。
やっぱり、拓郎といえばメッセージソングだった。

最後のアルバムの曲はやけに「愛」が出てくる。
大きな病気をして、それを感じた場面も多かったのだろう。
DVDでも「愛」の話をしていた。

70年当時は、売れたらファンから自己批判を迫られたりした。
コマーシャリズムに走るな、というようなことだ。
そんな時代を乗り越えて、今は76歳。

聞けば、やっぱり拓郎の曲だ。
この人はあんまり変わらなかったんだと思う。

同世代のミュージシャンとはあまり関わらなかった。
自分が古くなりたくないから、常に新しいものを追いかけようということらしい。
唯一の例外は今回思い出づくりのために一緒にやった、小田和正だった。
そういえば、南こうせつなどがよくやっている、思い出のフォークみたいな番組で見たことはない。

それでも、拓郎節は健在だった。

いい終わり方をしたと思う。

お疲れさま。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
山下達郎 Softly
山下達郎の新譜を買った。
初回限定盤でアコースティックのライブのCDも付いたもの。

ぼくが達郎を知ったのは友達の下宿。
Windy Ladyを聞いて、すごい人がいるなあと思った。
単身でアメリカに渡って、レコーディングをしてきた。

その後、80年代のレコードは出たら買っていた。
Spacy、For you、Go Ahead、Moon Glow、Melodies、Ride on Time…。
あの頃の達郎は別格だった。

LPを買うたびに、すごいと思った。
どうやってこんな曲が書けるのだろうとも思った。
でも、結果的には吉田美奈子とのコンビだったから、書けたのだろう。
吉田美奈子との曲作りが化学変化を起こしたのだ。
1+1が100になったという感じ。

何度か書いたが、達郎が竹内まりやと結婚して、それまでやっていた吉田美奈子とのコンビを解消して、聞く気がなくなった。
やっぱり達郎は吉田美奈子というパートナーがいて、初めて達郎だった。

彼ももう69歳。
年を取って、声に張りがなくなった。

今回アルバムを買ったのは、長いこと離れていたが、もうぼちぼち終わりが近づいたから、初期の達郎ファンとしての義理だった。
でも、聞いてとても残念だ。

やっぱり達郎は一人では魅力がない。
歌い方も変わった。
粘っこい歌い方で、まるで演歌のようだ。
あのポップミュージック好きの達郎でも、演歌に回帰するのか。
やはり日本人。

80年代の達郎サウンドはかけらもない。
彼自身、あの頃のアルバムが海外で評価されているのをどう思っているのだろうか。
同一人物が作った音楽とは思えない。

ただただ残念だ。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハーモニックマイナー
Amのハーモニックマイナーというと、ラシドレミファソ#ラという音階。
普通のマイナー(ナチュラルマイナー)の7番目のソの音をソ#にしただけ。
でも、このソ#の音が哀愁を漂わせる。

マイナーのドミナントモーションというのがあって、AmのキーでいうとE7→Amというコード進行がそれにあたる。
このE7のときに、ハーモニックマイナーのスケールのフレーズが使える。

簡単なフレーズだ。
レドシラソ#と弾いて、1オクターブ上のファミレドを弾く。
これが何ともいえずいい感じ。
単にスケールをなぞっているだけのフレーズだが、これがハーモニックマイナーの威力。

このフレーズだが、弾くときのコードはE7なので、E7でこのフレーズの音をみると、シbラbソファミレbドシbになってしまって、何やこれ、という音階。
ところが、E7→Amの解決側のAmでスケールを考えると、単なるレドシラソ#ファミレドになる。

こういうことがよくあるのだ。
E7で考えるとややこしくなるけど、Amで考えたら簡単というようなこと。

先生も、実際に弾くときにはAmの音階で考えると言っていた。

アドリブを弾くということは、何らかの階名を考えながら弾かないと弾けない。
当然だ。
楽譜にはコードしか書いていないのだから。

実際に、何を考えながら弾くかが問題なのだ。

今になってこういうことがわかってきたのは、何とも手遅れだが、できるだけ頑張って覚えていきたいと思っている。
 
| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
Windy Lady
山下達郎の初期の曲。
NYで録音している。
ぼくはこの曲が一番達郎らしいと思うし、達郎のOne of the Bestsだとも思う。

現地のスタジオミュージシャンを指名して録音したと聞く。
このベースがいい。
当時よく見た名前のベーシスト。ウィル・リーという。

今日Youtubeで「Japaneseシティポップ」というプレイリストを聞いていたらかかった。
ぼくは密かにこのアメリカ録音の「サーカスタウン」というLPが、達郎のベスト盤だと思っているのだが、本人はどう思っているのだろうか。

ニューヨークとロスアンゼルスで片面ずつの録音。
バブルの始まりの前だ。

達郎ももう68歳。
このLPを録音したのが1977年だから、弱冠24歳の頃だ。
このアルバムがベストだと、ぼくが勝手に思っていることなのだが、なんとなく本人もきっとそう思っている、と確信的に思っている。

ソロデビューのアルバムが生涯のベストという皮肉。
達郎が愛した、アメリカのポップスや黒人のR&Bが一番現れたアルバムだ、と個人的には思っている。
アメリカで録音しているから、当然といえば当然だが…。

なんと言ってもこの若さがいい。
友人の下宿のJBLで聞いて、あっけにとられた。
まだ達郎が売れる前。
80年のRide on timeくらいでメジャーになったと思う。

なぜ彼がこのアルバムを買ったのか、聞いたような気もするが忘れた。
彼のおかげで達郎を知って、今日に至っているのだ。

あの頃が懐かしい。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポール・マッカートニー
元ビートルズのメンバー、79歳のポール・マッカートニーのアルバムが、全米チャートトップを取った。
ストリーミングを含まない、純粋なアルバム売上でもトップという。
まだ創作意欲が衰えていないというのは、すごいことだ。

ビートルズで初めて全米トップを取ったのは1964年。
そこから57年経って、また1位。
この記録を抜ける人がいるんだろうか。

1964年というと、まだまだレコード全盛期。
日本ではまだカセットテープも発売されていなかった。

ぼくがビートルズをまともに聞きだしたのは高校に入ってからだ。
赤と青のLP4枚のベスト盤が最初に買ったビートルズのレコード。
これは死ぬほど聞いた。

たしか、その前に”Let it be”、”Yellow Submarine”、”Help”を3本立ての映画館で見たはず。
どういうわけか、”White album”も持っている。

ビートルズの魅力はなんと言ってもジョンとポールのコーラス。
それに加えて、ポールのベースライン。
当初は圧倒的にポールがよかった。

その後、ジョンのカッコよさもわかったのだが、長いことぼくの中ではポールはヒーローだった。
なかでも、Something、Penny LaneやCome Togetherのベースはすごい。
ピアノもベースもギターも弾く、マルチプレイヤー。

でも、ジョンを失ってからは曲作りも変わったのだろう。
ビートルズの時代と、ソロになってからの曲はやっぱり違う。
Lennon & McCartney というクレジットは正しかったのだと思う。

まだ当分は頑張ってほしいものだ。






| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロックの終わり
70年代、80年代のロックというのは、ハードなものから、フォーク調のものまでたくさんあった。
代表的なものといえば、やっぱりハードなもの。
レッド・ツェッペリン、GFR(グランド・ファンク・レイルロード)やディープ・パープルなんかは日本でも流行った。

ぼくは1977年に初めてのエレキギターを買ったが、それはレスポールのモデルだった。
エレキの老舗といえば、ギブソンとフェンダーの2社。
レスポールはギブソン製の代表モデル。
当時は、出力の大きなハムバッカーピックアップを搭載したレスポールが人気だった。

ところが、ぼくがギターを習い始めた2005年くらいから影が薄くなった。
先生はフェンダーのテレキャスターというモデルを使っており、ぼくもそれにならって買った。
どういうわけか、レスポールモデルを使う人が減ったのだ。
それと同時に、ハードロック、というジャンルが、メタルに取って代わられたのだと思う。
音楽をジャンル分けすることにそんなに意味があるとは思わないが、ハードロックとメタルはやっぱり違う。

ハードロックには「反逆」のイメージがあるが、メタルにはない。
もともとハードな音楽は好きではなかったが、ハードロックにはそういう政治色がまとわりついているように思う。
それがベルリンの壁が崩れたあたりから変わった。
冷戦の終結が、ハードロックの終わりを招いたように思う。

その頃から、アメリカの分断が始まり、その中でラップなどの黒人音楽が出てきたのではないか。
国をまとめていた冷戦の意味は大きかったのだろう。

その盛衰とともに、ギブソンの代表であるレスポールが見られなくなった。
そして、数年前ギブソンは破産申請した。
今は再建されているが、レスポールの影は薄い。

ギブソンのエレキギターはフライングVとか、エクスプローラーとか、武骨なものも多い。
その形と出力の大きいハムバッカーというピックアップの組み合わせが良かったのだろう。

今のギブソンはどちらかというと、ボディ内に空洞があるセミアコースティックのエレキギターがよく見られる。
時代は変わったのだろう。

再建されたギブソンがこれからどんなモデルを出してくるのか、楽しみだ。

ロックが終わって、武骨なものが流行らなくなった時代。
スマートなもののほうがいいのだろう。

新しいギブソンスタンダードはまだ模索中だ。




| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
トイレの神様
植村花菜の曲。
2010年の紅白で歌った曲だ。

全部で10分ちかくに及ぶ。
短い曲の3曲分の長さ。
これを紅白で歌うのはしんどかったらしい。
1曲の目安の時間があったからだ。

普通は一部をカットして歌うのだが、この曲は切ったら成り立たないので、全部歌わしてほしいと言ったらしい。
結局はフルバージョンより2分短くなったが、それでも、8分かけて歌った。
居並ぶ大御所の歌手の前で堂々と歌った彼女は、楽屋で居場所がなかっただろうと思う。
駆け出しのシンガーが、2曲分も歌うとは何事かということだ。

そういう記事を偶然見つけて、改めて感心した。
あの曲を途中で切るなら歌わないほうがマシだ。

そういう強気な性格が災いして、所属プロダクションともうまくいかず、2019年には名前も植村花菜から「ka-na」に変えた。
アメリカに行ったり、結婚したり、いろいろと変化があったらしい。

それでも、この曲はYoutube上で2500万回再生されている。
テレビのステージのものもあるし、各地のライブのものもある。

関西出身らしい歌詞で、「新喜劇」「鴨南蛮」などが出てきて、ぼくにはすごく実感できる歌だ。

10年経って、彼女はこの曲をどう思っているのだろうか。



| | 音楽 | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐野元春
一時期ハマったのが佐野元春。
彼は日本でもラップに早く注目したアーティストだったと思う。

いちばんよく聴いたのは、1986年のYoung Bloods。
調べてみると彼は1956年の3月生まれ。
ぼくと1年違いだ。

今晩WOWOWでコンサートをやっているのを見たが、まだまだ現役のロッカーという格好で、ギターをかき鳴らしていた。
小坂忠も参加していて、ちょっと上の年代の人もいれば、若いミュージシャンも出ていて、いい感じだった。

86年のYoung Bloodsはラップ風の歌い方の走りだったと思う。
ベースのビートの刻み方も、今のヒップホップに通じるもの。
あのビートが気持ち良くて、カセットに入れて何度も聞いた。
当時はレンタルレコードが流行で、借りて録音したから、レコードは持ってない。
何となくCDも買いそびれて、ないままだ。
今日のコンサートでは、あの曲の時はエピフォンのセミアコを弾いていた。

一時期DJっぽい音楽を一人でやっていた。
Somedayが流行った後か。
みんなに知られるようになった反動だったのかもしれない。

当時よく聞いたハイファイセットはベスト盤のCDを買ったりして、揃えたものだが、今はもう音楽を所有しない時代になろうとしている。
どうも、それにはなじめないが…。

30代に入るころ。
レコードの時代の終わりで、CDの時代が始まろうとしていた。

懐かしい。




| | 音楽 | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
頬に夜の灯
コロナの報道に嫌気が差して、リアルタイムのテレビを見るのはもうやめた。
再放送の方がマシだ。
というわけで、今日は朝から「80年代のシティ・ポップス」というYoutubeのチャンネルを流していた。
杏里や山下達郎、竹内まりや、角松敏生といった懐かしい曲。

中にあっと思う曲があった。
一時よく聞いた曲。
吉田美奈子の作品。「頬に夜の灯」という曲。
82年にリリースされている。
出たときは知らなかったが、聴いて好きになった。
カセットに入れて、よく聴いたのを覚えている。

歌詞の最初の「灯ともし頃ならば」というところが、ストリングスとエレキギターのイントロと相まって最初から心を捕まえる。
いい曲だ。

「灯ともし頃」というのは、ぼくはこの曲でしか聴いたことがない言葉。

Webで意味を調べると、「明かりをともす時刻。夕暮れ。」と書いてある。
彼女がどこからこの言葉を持ってきたのかと思う。

間奏のサックスも泣かせる音。

夕暮れの寂しさと、明かりがチラホラしてはなやぎ始めた街で、足を止めて「愛をおくる」。
なんとも言えない。
82年というと彼女が山下達郎とのコンビを解消した頃。
そんなことを考えると、切なくなる。

吉田美奈子と山下達郎のコンビは曲作りといい、コーラスといい、最高だった。
コンビを解消してからの山下はあまり聞く気がしない。

この曲は吉田美奈子のそんな思いが詰まった曲だと、ぼくは勝手に思っている。

こういう曲が手軽に聴けるようになって、素直にうれしい。

 灯ともし頃ならば 街もはなやいで
 急ぐ足を止める 夜に飾られて

最初から、引き込まれる歌だ。
難しい曲だが、それをいとも簡単に歌う吉田美奈子の実力を発揮した曲。
80年代というと、ぼくの20代から30代。
いい曲多かったなあ。

彼女のベストパフォーマンスの一つだと思う。


| | 音楽 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャロル・キング
WOWOWでキャロル・キングの番組をやっていた。
ゆかりのあるミュージシャンが集って、彼女の曲を歌う。
もちろん、本人も出てきてパフォーマンスを披露した。
2014年の舞台とのこと。
当時71歳。まだまだ元気だ。

もちろん、ジェイムズ・テイラーも出てきた。
70年代の長髪の彼からは考えられない頭になったが、声は健在だ。
一緒に3曲ほど歌った。

なかでも、”Music"という1971年に出た彼女のアルバムに入っている”Sweet Seasons"という曲。
ブラスが入って、とても気持ちのいい曲だ。
この曲はホントによく聞いた。
中学の時に買ったLPレコード。

人生の”Sweet Seasons"、「素敵な季節」。
舞台のミュージシャンも、みんな年配。
キャロル・キングがピアノを弾いて歌い、ジェイムス・テイラーがコーラスをする。

本当になつかしい。
この曲を作った頃は、彼女の人生でも「素敵な季節」だったんだろう。
ソングライターとしても成功し、シンガーとしても2枚目のアルバムが出てヒット、3枚めを出した、というところ。
歌の中で、子どもを作って、田舎で暮らすつもり、と歌う。
年齢も30歳で、すでにライターとして名声を得ていたが、今度はシンガーとして脚光を浴びた頃だった。

今、70歳を過ぎて、この曲を歌う彼女に何が去来しただろうか。
まだまだ創作意欲があるんだろうか。

やっぱりぼくは、若い頃の彼女の歌が好きだ。

”Sweet Seasons”は過ぎてしまったが…。

| | 音楽 | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
クレイジーケンバンド
「香港的士」がよかったので、クレイジーケンバンドのCDを借りに1年ぶりくらいでTSUTAYAに行った。
かろうじてまだ会員証は有効だったので、ラッキー。

J-Popのところを探したがクレイジーケンバンドは見当たらない。
置いていないのかと思ったら、「あの頃」というコーナーがあって、どちらかというと中高年向けの棚にあった。
けっこうな枚数があって、その中からベスト盤の「鶴」と「亀」の2枚と「Spark Plug」というCDを借りた。
しかし、ライブツアーもやっているまだまだ現役のバンドが「あの頃」という棚にあるとはなあ。
そういえば、YouTubeでライブ映像を見たが観客はまだ若かったような気がするが、40代以上だったかもしれない。
自分を中心に若いとか年寄りだとか判断してしまうと間違う。
最近はドームや武道館でライブをしないと現役と見なされないのだろうか。

それにしても、CDの棚が減ったのに驚いた。
ネットに移行しているんだろう。
聞きたい曲だけ買うということもできるようになったから、TSUTAYAは流行らないのかもしれない。

このバンド、オフィシャルホームページに「1997年の春頃、横浜本牧の伝説的スポット「イタリアンガーデン」にてヌルッと発生。“歌うメロディー・メイカー”横山剣の脳内に鳴りまくってるゴキゲンにソウルフルな音楽をブレなく再生する事のできる東洋一のサウンド・マシーン!」と書いてある。
20年のキャリアだ。

曲を聞いていると横浜をテーマにしたものが多く、香港とアメ車が好きだというのが伝わってくる。
リーダーの横山剣というのがケンバンドのケンだろう。
このバンド、ホーンセクションやコーラスの感じはソウルミュージックを意識しているが、中には歌謡曲の感じがある。
やぼったい感じがなんともいえない魅力になっている。
時にコブシを転がして歌う横山剣は、ほとんどの曲を作詞・作曲しているが、ソウル調あり、フォーク調あり、歌謡曲調あり、中には演歌調の曲もある。
みんなのうたの曲も1曲あった。
何とも言えず、昭和なのだ。

きっとウチの息子達が聞いたら、昭和のニオイがする、というだろう。

でも、ノリはいいし、一度ライブに行ってみたいと思って11月の神戸講演を調べたらもうすでに売り切れだった。
実はこのバンド、神戸の西原商会という食品商社の社歌を作っていて、それをCDでリリースしている。
その西原商会も協賛だった。
けったいな会社だ。
いや、けったいなバンドかな。

まあ、ライブは次の機会にしよう。

このバンドは中毒性があるぞ。



| | 音楽 | 20:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
香港的士
香港的士(ホンコンタクシー)という曲にハマっている。
クレイジーケンバンドという、名前だけは聞いたことがあったバンドの曲。
別に興味はなかったのだが、偶然つけたBSの音楽番組でやっていた。
ボーカルが特徴的。ぼくはあまり好みではないがバックの演奏と何とも言えない香港の感じがいい。
このバンド、だいぶキャリアも長くて業界内のファンも多いらしい。
あのユーミンもファンだという。

香港には1980年代の終りに出張で行ったが、当時の香港は不思議なところだった。
まだイギリスが統治している時代。
でも、イギリスは統治はするが、香港の人にだいぶ任せている感じだった。
1997年に返還が予定されていたからだろう。

良くも悪くも、エキゾチックな猥雑さがあった。
すごく高いレストランがあるかと思えば、安い屋台もある。
外を歩いていると、夜にワゴンにたくさんブランド物の腕時計を入れた人に呼び止められたりした。
本物なら全部を合わせると総額で億に届こうかという値段だ。
当時はだいぶ厳しくなったようだったが、それでもそんな模造品の商売をやっている人もいた。

家庭で料理するよりも屋台で食べたほうが安い、というところ。
その当時オフィスで働く香港人の女性が言っていた。
だから、女性も働きやすいというようなことを言っていたと思う。

ちょうど日本はバブルの絶頂期。
今と違って、日本中がやたら元気だった。
その勢いで行った出張だったなあ。

この曲はこの頃の感じを出している。
何となくいい加減で、明るい所だった。
ブルース・リー、ジャッキー・チェンなど映画も盛んだ。

若い香港人は、今の体制なら一つの中国になるのを嫌がっているようだ。
それはそうだろうなあ。
自由の中で育ち、教育を受けた世代だ。

2047年には、中国の体制になることが決まっているが、どうなるんだろうか。
その時まで共産党一党独裁は続いているのだろうか。
あと30年ほど。

ぼくはその瞬間を見ることはできないと思うが、どうなるのかなあ。

まあ、香港的士でも聞いておこう。


| | 音楽 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
チューニング・メーター
ぼくは中学2年の時からギターを始めた。
人より少し早かったので、何人かぼくにギターを教えてくれという人もいた。
ちょうど世間ではサイモン&ガーファンクルや拓郎、陽水の流行っている時期でもあり、駅から降りてくるたくさんの大学生がギターを持って通っていた。
フォークソングのブームだったなあ。

ぼくが教えた人は、どこでツマヅイたかというと、チューニングだ。
最初にチューニングをやって、それから教えるのだが、そこが難しい。
当時はチューニング・メーターというような便利なものがなく、耳で音の高さを合わせるしかなかった。
ギターという楽器は毎回音合せが必要だ。
相対的には、2弦の5フレットと1弦の開放、3弦の4フレットと2弦の開放、4弦の5フレットと3弦の開放、5弦の5フレットと4弦の開放、6弦の5フレットと5弦の開放、という具合に音の高さを合わせていく。
それが一応合った時点でコードを弾いて、響きを確かめる。
狂っているようならオクターブ違いの音を弾いて、合わせていく。
絶対値を合わせるなら、音叉でラの音(440Hz)を鳴らし、それと5弦の開放を合わせる。
2台のギターなら、片方のどこかの弦を弾いて同じ音に合わす。

この、同じ音に合わせる、というのができないとギターは弾けない。
というか、チューニングが狂ったギターで平気で練習できる人は、あまり音楽が向いていないと思う。

でも、ぼくが教えた何人かはそこでツマヅイた。
この音、同じやんなあ、と言われても返事に困るような状態の人もいた。
仕方ないので、代わりに合わせて、簡単なアルペジオを練習したりしたが、やっぱりチューニングがちゃんとできないと、音楽にならない。
それは弾いている本人もわかるのだろう。
だから、面白くなくなって弾かなくなる、という感じだった。

その、狂っていたら何となく分かるのだが、合わせることが難しい、という人たちがボーダーラインにたくさんいると思う。
別に音痴でもなく、歌も歌えるのに、最初のハードルが超えられない。
それでギターを諦めた人も多かったのではないか。

しかし、それをテクノロジーが救った。
安価なチューニング・メーターが出てきたのだ。
80年代半ばくらいには、数千円で買えるようになったと思う。
ぼくもそのころ買った。
その頃のものは、マイクで音を拾うか、エレキギターならシールドでつないで合わせるというようなものだったが、最近はクリップ式でボディの振動を拾って音を合わせる。
もう1000円しない。
あのころ、チューニング・メーターがあったら、ハードルを乗り越えられたという人たちが、還暦を過ぎてもう一度挑戦しているのかもしれないなあ。
80年代後半にバンドブームが来たのは、チューニング・メーターのおかげかもしれない。

チューニングは職人芸でもあり、どこかを合わせるとどこかがずれるというようなものだ。
それほど奥が深いのだが、メーターがあればとりあえず簡単に合わせることができる。
アマチュアなら、十分なレベル。
今は当たり前のように使われているし、だからこそバンドで音が合う。

テクノロジーがユーザーの裾野を広げるという意味で、ギター人口の増加にチューニング・メーターの果たした役割は大きいと思う。


| | 音楽 | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
港町ブルース
さっき紅白が終わったところ。

今年は震災の関連が多かった。
まあ、それはそうだろう。
まだまだ復興の道は遠い。

その中で出色の選曲だったのは、森進一。
港町ブルースを歌った。
宮古、釜石、気仙沼が出てくる。

この歌は1969年に出た。
昭和44年。ぼくが小学校6年。とにかくよく聞いた。

カレッジフォークが出はじめの頃。
森山良子が「禁じられた恋」を歌った。

まだまだシンガーソングライターも、ニューミュージックも影も形もないころだ。

森進一の声は、今でこそ聞きなれたが、当時はけったいな歌手だと思っていた。
美声ではない。しかし、あのちょっと歌詞をずらして歌う唱法と相まって、耳に残った。

 背伸びしてみる海峡を 今日も汽笛が遠ざかる
 あなたにあげた夜を返して
 港 港函館 通り雨

今日聞いたのがおおかた40年ぶり。
40年経っても、歌いだしの歌詞は出てくる。
さすがミリオンセラーの曲だ。

あの声で歌手になろうと思った森進一もえらいが、それを歌手にしたナベプロもえらい。

後に襟裳岬を歌ってちょっと路線を変えるが、ド演歌の全盛期。
森進一の代表的な曲だ。

こういう曲は、ぼくらの身体に刷り込まれている。

いい曲を聞いた年越しだった。

2012年もよろしくお願いします。
| | 音楽 | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
夜汽車よジョージアへ
ついこないだやっていたアメリカのドラマで、カラオケのシーンがあった。
そこで歌っていたのは、グラディス・ナイト & ザ ピップスの「夜汽車よジョージアへ」。

この曲は1973年のヒット曲。
今は2011年だから、38年前の曲だ。

それを歌っていたのは30代、40代、50代の3人。
30代、40代はこの歌をリアルタイムで知っているとは思えない。

日本で言うと、狙いうち、他人の関係、ジョニイへの伝言、赤い風船、危険なふたり、てんとう虫のサンバ、神田川などがその頃の曲。

ぼくがこの曲を知ったのは、80年代だったと思う。
この曲の歌詞がいい。

ロスアンジェルスに行ったけれど、うまくいかず、夜汽車でジョージアに帰る恋人を歌った歌。
女性ボーカルと、男性のコーラスグループの掛け合いになっているのだが、その絶妙なコーラス。
静かに始まって、盛り上がるところで男性コーラスが「ホッホー」と歌う。
きっと夜汽車の汽笛だろう。

女性ボーカルと男性コーラスの見本みたいな歌だ。

Midnight train to Georgia.

今でもアメリカでは歌われているのだろう。
やっぱり、名曲は名曲だ。


| | 音楽 | 16:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
Slow Down
中古で山本潤子のCDを見つけて買った。

1995年のSlow Downというアルバム。
ハイファイセットで1975年から1992年まで活躍したリードボーカルがこの人。

ハイファイセットは正式には1994年に解散した。
その翌年に出したソロになって2枚目のCDだ。

まあ、長いこと続いたハイファイセットも解散したし、のんびりやろう、というようなタイトル。
最後の曲はユーミンの卒業写真。
この曲でデビューした。

最初は「いつでも夢に花束を」という曲。
この曲は山本潤子が作曲している。
ドラマの主題歌になったらしい。

この人は声がいい。歌もうまい。コーラスも抜群だ。

オフコースの「眠れぬ夜」もカバーしている。
小田和正とは仲がいい。
小田のツアーにコーラスで参加していたこともある。

Wikipediaによると、意外にも愛煙家らしい。
へー。
確かにブログを読むと、これ(煙草)だけは(やめられない)…、という記事があった。

山本潤子はとかく「翼をください」が取りざたされるが、もっといい曲がたくさんある。

どうしてもぼくらの世代は「翼をください」は赤い鳥だ。
山本もメンバーだったが、やっぱり赤い鳥の曲になる。

山本潤子といえば、ハイファイセットであり、ハイファイセットといえば…たくさんの曲がある。

ここはそれぞれの好みで…。

ぼくは、「遠くからみちびいて」かな。



| | 音楽 | 02:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
上を向いて歩こう
アメリカのヒットチャートで唯一、1位になった日本の曲が「上を向いて歩こう」。

sukiyakiという題名だったらしい。
当時は詩の意味もわからず、曲がよくて流行ったのだろう。
ぼくがまだものごころつかない頃だ。

その曲を日本語でカバーしたアメリカ人が、Ben.E.King。
何といっても有名なのは、Stand by me。
サビのSo darling, darling stand by me…というフレーズを聴いたら、あああれか、とわかるはず。
John Lennonもこの曲をやっていた。

「ラストダンスは私に」という曲もある。
ぼくは知らないが、ドリフターズというバンドのボーカルをやっていたらしい。

彼はもう78歳。
現役のソウルシンガーとしてはかなり高齢だ。

その彼が、「Dear Japan, 上を向いて歩こう」というアルバムで歌っている。
この曲は本当にいい曲だ。
永六輔が作詞、中村八大が作曲、坂本九が歌。
六、八、九と数字が並ぶようにした、と永六輔が言っていた。

このアルバム全体が、ゴスペル風にアレンジされた曲が多い。
特にコーラスが入るとそういう感じになる。
Benの日本語はたどたどしいし、Stand by meの時のような高音はもう出ないようだが、暖かい声で歌っている。

また、Stand by meは、日本語訳の歌詞でセルフカバーしている。
これもなかなかいい。

2曲目にはI will go anywhereという曲が英語で歌われる。
これが「どこまでも行こう」という曲のカバー。
見事に前半はゴスペルになっている。

もう1曲、Good night babyも英訳されて歌っている。
懐かしい曲だ。

ということで、Benのことはあまり知らないが、CDを買ってしまった。

通勤の時のお友達として…。


| | 音楽 | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
サン・トワ・マミー
越路吹雪の曲。

日本でシャンソンといえば、この曲か枯葉かな。

このサン・トワ・マミーという曲は、出だしが「二人の恋は終わったのね…」で始まる。
そして、最後が「目の前が暗くなる サン・トワ・マミー」で終わる。
どう考えても、失恋の歌。

でも、この題名を調べると、Without you, my lover という意味で、あなたなしでは(生きてはいけない)という訳になると思う。

だから、雰囲気的には、失恋の歌ではなく、失恋しそうになったのだが、やり直したい、という歌なのだろう。

ぼくはフランス語はわからないが、この曲調はどう考えても明るすぎる。
こんなに明るい失恋の歌はない。
ずっと疑問だったのだが、原語ではこの曲調のように、ほんのり明るい曲なのだと思う。

そう思って探してみると、フランス語の歌詞の訳が載っていた。

ニュアンスがちょっと違っている。

やっぱりメロディは正直だ。

万国共通の言葉なのだろう。



| | 音楽 | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和の洋楽
何度も書くが、ぼくらのティーン・エイジャーの時代は、洋楽と邦楽が混在した時代だった。

深夜放送のベストテン(ベストテンという番組ではない)では、半分が洋楽、半分が邦楽という時代。
普通の中学生が、学校で洋楽の話ができた時代。
ネットで1970年の洋楽ヒットを調べると…、

エジソン・ライトハウスの恋の炎、エンゲルベルト・フンパーディンクの太陽は燃えている、オリジナル・キャストのミスター・マンディ、カーペンターズの遙かなる影、クリスティーのイエローリバー、サイモンとガーファンクルの明日に架ける橋、シカゴの長い夜、ジャクソン・ファイブのABC、ジェリー・ウォレスの男の世界、ショッキング・ブルーのヴィーナス、シルヴィ・バルタンの悲しみの兵士、スリー・ドッグ・ナイトのママ・トールド・ミー、ディオンヌ・ワーウィックの恋よさようなら、ダニエル・ビダルのカトリーヌ、トム・ジョーンズのデライラ、パートリッジ・ファミリーの悲しき初恋、ハープ・アルパートとティファナ・ブラスのマルタ島の砂、バフィー・セントメリーのサークル・ゲーム、ピーター・ポールアンドマリーの悲しみのジェットプレイン、ビートルズのレット・イット・ビー、B.J.トーマスの雨に濡れても、ブレッドの二人の架け橋、ヘンリー・マンシーニのひまわりのテーマ、ホセ・フェリシアーノの雨のささやき、マッシュ・マッカーンの霧の中の二人、メリー・ホプキンのしあわせの扉、ルー・クリスティの魔法、レターメンのミスター・ロンリー。

これぞ、枚挙に暇がないというところ。
1970年のヒット曲、今では忘れたものもあるが、聞けば絶対に思い出せる。
アメリカあり、イギリスあり、フランスありというランナップだ。

エンゲルベルト・フンパーディンクは、きっとラスベガスで聞くといいだろうと思う。
カーペンターズはこの年が売れ始め。
サイモンとガーファンクルは言うに及ばず。
シカゴはブラスロックの始まりだった。
ジャクソン・ファイブのABCはまだマイケルが小さい頃。
ジェリー・ウォレスはマンダムの宣伝でおなじみだが、この1曲だった。シングル盤を買った。典型的なワンヒットワンダラー。
ショッキング・ブルーはEm/Aのコードが印象的。
シルヴィ・バルタンはきれいだった。
スリー・ドッグ・ナイトはいいバンドだった。
ディオンヌ・ワーウィックはバート・バカラックが売りだした女性歌手。
ダニエル・ビダルはフランス人形みたいだった。
トム・ジョーンズは円熟のシンガー。これもラスベガスで見てみたい。
バフィー・セントメリーのサークル・ゲームは映画いちご白書のサウンドトラックだった。
PPMはコーラスがきれいだった。
ビートルズはこの曲から入った。
B.J.トーマスも映画明日に向かって撃てのサウンドトラック。
ブレッドはメロディがきれいだった。
ヘンリー・マンシーニ、ハープ・アルパートというようなインスト曲もあった。
ホセ・フェリシアーノは盲目のギタリスト&シンガー。
レターメンは何人グループなのか知らないが、曲は知っている。

今の中高生を見ていると、圧倒的にJ-POPだ。
洋楽を聞いているのは、かなり少ないらしい。
それは当然だろうと思う。
今ならぼくでも洋楽は聞いていないだろう。

しかし、あの頃は違ったのだ。
それがいいか悪いかはわからない。
人は時代を選べない。

| | 音楽 | 01:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
Hall & Oates
ホール・アンド・オーツというと、Private eyesとか、Maneaterとか、Everytime you go awayなどを思い出す。
こないだ、何かの番組で年をとった二人を見て、無性に聞きたくなった。

このデュオはダリル・ホールがボーカルで、これが白人なのに、R&Bの感じがすごく出ていて、80年代当時、好きだった。
ジョン・オーツはテレキャスを持って、横で弾いている場面しか思い出さないが、きっと曲作りとかアレンジとかで、活躍していたのだろう。
もちろん、コーラスをやっているのだが…。
ギターの歌伴がうまい。時々入れるオカズがセンスの良さを感じさせる。

この二人、まだやっているのか(失礼)という感じ。
ダリル・ホールがやけに老けていた。

しかし、声は変わらない。

なんと、もうすぐ来日コンサートがある。
ぼくらと同年代かな…と思ったら、10歳ほど年上だ。

この二人ががんばっているということは、まだまだぼくらもがんばれるということか。

久しぶりに聞いたEverytime you go awayが、とても懐かしい。
でも、古くない。ぼくのエバーグリーンだ。


| | 音楽 | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
涙をふいて
三好鉄生の曲。
調べてみると、1982年にリリースされている。

この曲は、カラオケで他の人が歌っているのを聞いて覚えた。

この人の曲はこれしか知らない。

でも、一時はぼくの十八番だった。

ドレミソラドという定番のイントロから始まる。
ペンタトニックという5音階。
聞くと、誰でもああ、あれか、というようなイントロだ。

 あの日 夢を探して…

歌いだしは今でも覚えている。

この曲のサビの部分、「涙を拭いて 抱きしめあえたら…」というところは、調子がいい。

80年代、よくカラオケに行ったが、最後のリフレインのところをみんなで一緒に歌っていた。

日本人がバブルに浮かれていた時代。

サラリーマンが600万のシーマを買えた、バカバカしくて、忙しかった時代。

今の若い人に教えてあげたい。



| | 音楽 | 00:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
Tomorrow
涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように…

この曲が出たのは1995年。
バブルが崩壊して、どん底だったころ。

今日クルマの中で聞いて、やっぱりいい曲だと思った。

1995年のヒット曲を見てみたが、ほとんど知らない。
スピッツや福山雅治、Dreams come true、B'z、globe、trf…、馴染みのない名前が並んでいる。

でも、なぜかこの曲は覚えている。
曲の中に題名が出てこない歌だ。

明日は来るよ 君のために

だから、Tomorrowという題名になっているのか。

残念ながら、1995年よりも今のほうが状況は悪いと思う。

先に望みが見えない。
どうやって、今の状況を打開するのか。

バブルが崩壊したときは、自分も若かったし、なんとなくいつかはまた…という気がした。
とにかく不良債権がなくなればよい、という目標があった。

しかし、今は何をどうしたらよいのか。
先が見えないことだらけ。
高齢化は進むし、人口は減るし、歳入は減るし、医療保険は増えるし、産業は出ていくし、若い人には仕事がないし…。
環太平洋パートナーシップはどうなるのだろうか。
年金問題はどうなるのだろうか。
農業はどうなるのだろうか。

何かがおかしい。

ぼくらはまだよかった。
明日は今日より豊かだった。

これからどうなっていくのだろう。

本来なら、ここで解決策のことを書くところだが…。

残念ながら、ぼくにはわからない。

だからこそ、今Tomorrowが求められている。

| | 音楽 | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
波の数だけ抱きしめて
なかなか粋なタイトル。
これはCDの題名だ。

ぼくは知らなかったが、そういう題名の映画があったらしい。
FM76.3MHz KIWIという放送局が舞台のようだ。
まったく見たことも聞いたこともなかったので、そう思っている。

このCDはその映画のサウンドトラック。
もともと知っている曲、題名は知らないが聞いたことがある曲、初めて聞く曲が混じっている。

この映画はきっと季節は夏で、海岸が舞台だろう。
KIWIというFM局で、かけていた曲が、このCDに入っている曲だ。

カーラ・ボノフのPersonally、バーティ・ヒギンズのカサブランカ、JDサウザーのYou're only lonely、ジェイムズ・テイラーとJDサウザーのHer town tooのデュエット、そしてTOTOのロザンナ…、80年代の懐かしい曲が並ぶ。

この頃はあまり洋楽のCDは買っていないが、テレビやラジオで何気なく聞いていた曲が多い。
サビのところにきて、あ、これかとわかる。

きっとほとんどが流行った曲なんだろう。

知らない映画だが、何となくストーリーが頭に浮かぶ。

そんなサウンド・トラック。

どうして、このCDを知ったかは、…。



| | 音楽 | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
Someday
Somedayは山下達郎の曲、そして佐野元春の曲でもある。

先にリリースしたのは、1980年の山下達郎。
Ride on Timeに入っていた。
吉田美奈子の詞とコーラスが素晴らしい。
何度も書くが、山下達郎は吉田美奈子とのコンビで曲を出していた頃が一番だ。

 時々人の心の中が
 信じられない出来事がある…

この曲はベースが素晴らしい。チョッパーと当時言われていた奏法。
明るい曲だが、歌詞は結構重たい。

 Someday 一人じゃなくなり
 Someday 何かが見つかる…

というリフレインが印象に残る。
この曲をはじめとして、結婚前の山下達郎には名曲が多い。

一方、佐野元春のSomedayは1982年。
この曲でブレイクしたと言われている。

 街の唄が聞こえてきて
 真夜中に恋を抱きしめたあの頃…

間奏のサックスが泣かせる。

佐野元春は孤独なロッカーだと思う。
この人、いつ自殺してもおかしくないなあ、と思っていたが、外れた。
外れてよかったのだが、一時渡米したりして、何となく日本から遠ざかっていたという印象がある。

この人には、Young Bloodsというラップの入った曲がある。1985年の発表。
これがぼくが聞いた、日本語で初めてのラップ。
一時、リズムマシンを持って、一人でラップのライブをやっていたりした。

どちらのSomedayも素晴らしく、甲乙つけがたい。

落ち込んだ時は、佐野元春、元気な時は山下達郎というところか。

70年代の洋楽は素晴らしいと思う。
日本のポップスは80年代が好きだ。

そんな代表曲ではないか。



| | 音楽 | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビリー・ジョエル
ビリー・ジョエルのライブをテレビで見た。

頭は禿げて、白髪になっているが、ピアノに向かって座っている、あれはビリー・ジョエルだ。

ストレンジャーやアレンタウン、ジャスト・ザ・ウェイ・ユーアーなど、懐かしい曲をやっていた。
80年代を代表するミュージシャン。

年をとってもかっこいい。
紺のブレザーに黒のTシャツ、そこそこすりきれたジーンズに革靴という姿。

ピアノのイスを蹴って飛ばし、お尻や足でピアノを弾く。
ギターを持つ姿も絵になる。

1949年生まれだから、もう61歳になる。
エネルギッシュなステージ。
このライブをやったときは59歳だったらしい。

あんな59歳になれればいいなあ、と思う。

だいぶメタボリックになったし、姿はオッサンだが、それでも、かっこいい。

全く彼の若い頃を知らない人は、どう思うんだろうか。
単なるオッサンだろうか。

ジャニーズが好きな人たちには、単なるオッサンなんだろうなあ。

時間というのは残酷である。

ぼくらが若いころ、東海林太郎や藤山一郎を見て「何やこのオッサン」と思ったのと同じこと。
その人と同じ時間を過ごしていないと、その人のイメージは伝わらない。

結局、ぼくの事をわかってもらえるのは、子どもの代までだろう。

ビリー・ジョエルの世代は、ぼくらのちょっと下までか…。



| | 音楽 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
Ella and Louis
2枚組で1000円のCDを買った。

エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングのデュエット。
40年代、50年代の曲。

最近CD屋に行っていなかったが、店頭のワゴンに廉価盤が置いてある。
その中で見つけた。

ゆったりしたリズムでスゥイングしている。
バックも歌もすばらしい。
こういう曲を聴くと、今の曲がいかに忙しいかよくわかる。

リラックスして歌っている。
特にルイ・アームストロングの声がいい。
あの声で、デュエットは想像できないが、これがまたいい。

スタンダードナンバーと言っても、あまり知っている曲はない。
でも、TendaryやApril in Paris、Summertime、Autumn in New Yorkなどはおなじみ。

このCDがこんなに安いのはなぜだろう?

こんな掘り出し物があるから、時々はCD屋に行ってみるのもいい。


| | 音楽 | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
夢やぶれて
スーザン・ボイルの歌で、一躍有名になった曲。

今日、聴く機会があって、もう一度聴いた。

I Dreamed a Dreamという題。
ミュージカルのレ・ミゼラブルの中で歌われる曲らしい。

題の意味は、文字通り訳せば、私は夢を夢見た、という意味だ。
Dreamというのは、夢見るという意味だから、夢を夢見たというのは、何となくヘンな表現。

夢というのは、かなわないもの、という意味も含まれているのかな。
だから、夢やぶれて、という意味になるのか。

しかし、いい曲だ。

前半は「夢見た」、という過去形で歌われる。

後半になって、現在形になり、最後はThe dream I dreamedという、題とは逆の関係になる。

レ・ミゼラブルのどの場面で歌われるのかは知らないが、愛する人がいなくなった、という唄だ。

ミュージカルはあまり好きではないが、この曲はそのために作られた曲だし、その場面で歌われることに意味があるのだろう。

でも、そんなことは飛ばしてしまうほど、スーザン・ボイルの歌はすばらしい。
何度見ても、感激する。
会場のオーディエンスと一体になって、引き込まれる。

 But there are dreams that cannot be

 かなわない夢がある

当たり前のことだが、夢は普通はかなわない。
夢に向かって努力すればするほど、夢は遠のいていく。
若ければ若いほど、努力だけでは夢はつかめない。(そもそも努力をする人が少ない)
というか、若ければ若いほど、簡単にかなうものを夢とは言わない。
それをつかむためには、努力に加えて、巡り合わせが必要だ。

それを努力の結果と呼ぶか、運と呼ぶか、難しい…。

年をとって、夢はやっぱりかなわないと思う。
それが夢なのだ。

ほんの一部の人だけが、努力と巡り合わせの結果、夢をつかむ。

でも、ほとんどの人の夢は結果的にやぶれる。

「夢やぶれて」、名曲だ。



| | 音楽 | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
Surf & Snow
最近、夜はニュースを聞きながら帰るのだが、今日は懐かしい曲を聴いた。

「Surf & Snow」というユーミンのアルバム。
1980年のリリース。
そんなに新しいとは思っていなかった。
11枚目のアルバム。

この4曲目の、「まぶしい草野球」という曲。
たしか、不二家のCMか何かに使われていたと思うのだが、サビの部分は覚えている。

このアルバムは持っていない。
もちろん、レコードの時代だ。
この前の「時のないホテル」と、この2枚後の「昨晩お会いしましょう」は持っているのだが…。

今日初めて、「まぶしい草野球」の歌詞を全曲聞いた。
ユーミンにしては、めずらしく効果音が大きく入っている。
野球の応援の声だ。

 ちょっと高いフライ 雲に溶けてボールが消えた
 今日はじめて見た あなたがまぶしい草野球

この部分がCMに使われていたはず。

そんなに気にとめていなかった曲が、ある日、ああ、そんな歌だったのか…とわかる。

そんな体験ができた。

この曲はいい曲だ。




| | 音楽 | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
星に願いを
リンダ・ロンシュタットとネルソン・リドル・オーケストラでスタンダード曲をやっている。

「星に願いを」という曲。
この曲は心にしみるメロディー。
名曲中の名曲だ。

歌詞もいい。
When you wish upon a star…で始まる。

あなたが星に願いをかける時…というような意味。
こういうスタンダード曲は本当にイイと思う。

今日は仕事の帰りにクルマの中で聞いて、ホッとした。
こういう曲を聴くと、音楽は本当にいいなあ、と思う。

暗くなった高速を走りながら、夜空を見上げた。

残念ながら星は出ていなかったが、今度晴れた夜に見よう。

Make no difference who you are…
あなたが誰であっても、変わらない。

星は願いをきいてくれる。

願っている人はたくさんいるだろう。
こんな時代だから。

でも、この曲を聴くと、希望が持てるような気がする。


| | 音楽 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
木綿のハンカチーフ
稲垣潤一の「男と女」というCDを買った。
11の曲をそれぞれ違う女性歌手とデュエットしている。

曲はHello, my friend、悲しみが止まらない、あなたに逢いたくて、PIECE OF MY WISH、セカンド・ラブ、サイレント・イブ、あの日にかえりたい、人生の扉、木綿のハンカチーフ、秋の気配、ドラマチック・レイン。
それぞれ、高橋洋子、小柳ゆき、松浦亜弥、辛島美登里、YU-KI、大貫妙子、露崎春女、白鳥英美子&白鳥マイカ、太田裕美、山本潤子、中森明菜とのデュエット。

男女のデュエットでも、最近キーを変えない(転調しない)曲が多いが、どの曲も転調して男女で歌う。

稲垣潤一の透明な声がジャマにならず、いいデュエットだと思う。

中でも、木綿のハンカチーフは太田裕美とのデュエットだが、本当に気持ちがいい曲。
太田裕美はこの曲を何度歌っただろうか。アイドル時代を思い出しながら歌っているのかもしれない。
その曲を違うアレンジで少しゆったり歌う。

この曲は作詞:松本隆、作曲:筒美京平のコンビで本当に聞きあきるほど聞いた。
1976年だったか。20歳の頃。

 恋人よ僕は旅立つ 東へと向かう列車で
 はなやいだ街で 君への贈りもの
 探す 探すつもりだ…

歌詞は男女の立場が入れ替わって歌われる、ラブソングだ。
太田裕美がオリジナルよりもゆったり、思い入れをこめて歌う。
都会に行ってしまった男性。田舎で待つ女性。

残念ながら失恋に終わる歌。
都会に行ってしまった男性はしだいに都会に慣れ、「僕は戻れない」と最後の節で歌う。

そして、最後に女性が「涙拭く木綿のハンカチーフ下さい」と歌って終わる。

悲しい失恋の歌だが、アップテンポのメジャーコードの曲がそれを感じさせない。

稲垣潤一、太田裕美がソロパート、コーラスパート、そしてユニゾンのパートを交えて歌う。

太田裕美は年齢を経て、この歌をゆったりと歌う余裕ができた。

この曲のカバーは、やっぱり太田裕美でないといけない。



| | 音楽 | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
ちあきなおみ
土曜日にBSで特集をやっていた。

この人は、ジャンルでいえば歌謡曲だが、なぜかアイドルでもないし、演歌でもない。
当時は流行歌手というイメージで見ていたが、特集を見ているとそんな範疇には入らない人だと思った。

こういう人をホンモノの「歌い手」というのだろう。

よく覚えているのが、「四つのお願い」「X+Y=LOVE」「喝采」など。
「喝采」はレコード大賞もとった曲で、ぼくらの世代では当然知っている曲。

1969年にデビュー。
1976年あたりから、演歌離れしていったらしい。

リアルタイムで追っかけてないのでよくわからないが、当時の歌謡ポップスというものの他に、戦後の流行歌、シャンソン、ファド(ポルトガル民謡)、アメリカンジャズ、そして、1980年代のシンガー・ソングライターの曲など、多くの作品を手がけていた。
ドラマや映画にもたくさん出演しており、そんな一面もあったのか、と感心。

途中、結婚に伴って休養していた時期があったりしたが、この人は「日本の歌」を歌っていこうとしたのではないか。
とにかく、歌がうまい。
いろんな曲をカバーしているが、この人が歌うと、この人の歌になる。

1992年にご主人が亡くなってからは、一切の活動を休止して今に至っている。
年齢としては45歳。
もったいない…、と外野からは見える。

それだけ最愛の夫だったのだろう。

しかし、ここ数年どんどん昔のアルバムがCD化され、売れ続けているらしい。
ホンモノは死せずということだろうか。

ぼくよりちょうど10歳上だ。

今になって、ぼくの中では昭和を代表する歌手となった。

これから聞いてみようと思う。

| | 音楽 | 11:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドン・マクリーン
ドン・マクリーンは1曲のヒット曲で有名になった。

アメリカン・パイ。
8分以上に及ぶ曲はシングルレコードのA/B面を使ってリリースされたはずだ。
ぼくは、どうしても1曲通して聴きたかったので、LPを買った。

この曲は高校の1年か2年の時にはやった。
いまだにこの曲の歌詞はわからない。
キングやクイーン、マルクス、レノン、有名人が出てくる。
悪魔が笑っている。
何だかわからないが象徴的な歌詞。

The day the music died.
音楽が死んだあの日

これが歌われている。

ネット上ではいろいろな解釈が書かれているが、正解は「わからない」ということらしい。

部分的には、これはビートルズのことだとか、エルビスのことだとか言われているが、要はドン・マクリーンの音楽に対する思いを歌った歌らしい。

わからない歌詞だが、もともと英語で歌詞の意味などわからないので、メロディと部分的な歌詞の響きが魅力的だった。

今になって、もう一度読み直してみると、やっぱりわからない。

それでも、いまだにいい曲だと思う。




| | 音楽 | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビリー・ジョエル
ビリー・ジョエルというと、ストレンジャーというLPの写真が印象的。

髪の長い、痩せたアイリッシュ系の顔をしている。
ほりの深い、鼻と目に特徴のある顔。
ポール・マッカートニーに似た顔立ち。

それがぼくらが20歳のころだから、あれから30年以上経った。
NYのシェア・スタジアムというところが、老朽化を理由に解体されるということで、最後のコンサートを行ったのが、そのビリー・ジョエル。
2008年の7月に行われた。
そのビデオを見てビックリ。
あのビリー・ジョエルが、こうなっているとは…。

だいぶ太って貫禄のある姿。
髪の毛はほとんどなくなって、白いものがちらほらしている。
ひげを生やして、堂々としたミュージシャン。

でも、声は変わらない。
ビリー・ジョエルだ。

1949年生まれだから、今年還暦を迎える。
いい顔をしている。

ここに写真があります

当たり前といえば、当たり前だが、みんないい年齢になっていく。
年相応の顔ということか…。

"Just the way you are"が流行ったのが1977年。
この曲が、ビリー最高のヒット曲になった。

エレキピアノ、ギター、サックスのソロ…、いつ聞いてもすばらしい。

とても、32年前の曲とは思えない。

これぞ、スタンダード。エバーグリーンだ。


| | 音楽 | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
家路
遠き山に日は落ちて
星は空をちりばめぬ…

ドボルザークの「家路」だ。
この曲は、学生時代のキャンプファイアーの定番曲。
明るい曲だが、微妙なメロディでもの悲しい感じがするのが特徴。
キーがCだったら、Gdimという不思議な響きのコードがその感じを出している。

これも文語調の歌詞。
今の人は歌うのだろうか。
ボーイスカウトでは歌っていると思うのだが…。

「心軽く」という歌詞は「心かろく」と読んでいた。
「いざや楽しまどいせん」というところがクライマックスなのだが、この意味がわからないだろう。(ネットで歌詞を調べると、「楽し」が「楽しき」となっているが、ぼくは「たのし」と覚えている。)
「いざや」の「や」と「まどいせん」の「せん」が係り結びだと思う。

「まどい」も今は死語になった。
まどいは団居と書いて、輪になって座るという意味だ。
さあ、楽しく輪になって座りましょう、というのが、「いざや楽しまどいせん」になる。

ぼくらの頃は、ワケがわからなくても、何となく歌っていて、長じるにつれて意味がわかった。
古文を習うと解読できる。
同じ日本語でも、こんなに違うのか、と思った。

毎度書いているが、この文語体、響きがいさぎよくて好きだ。

遠くの山に日は落ちて
星は空をちりばめた
今日の仕事をやり終えて
心軽く休憩すれば
風は涼しい今夜
さあ、楽しく輪になって座ろう

こんな歌詞になったら、風情がない。
やっぱり文語だ。

遠き山に日は落ちて
星は空をちりばめぬ
今日のわざをなし終えて
心軽く 安らえば
風は涼しこの夕べ
いざや楽し まどいせん

この歌は、キャンプファイアーの終わりに歌う。
暗い闇の中で消えゆく炎。

そこでこの歌を歌うと、どういうわけか泣けてくる。

そんな名曲。


| | 音楽 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロックンロール
ロックとは、ロックンロールを略していうという意味と、それ以外にロックンロールから生まれた新ジャンルの音楽という意味があるらしい。

音楽のジャンルというのは難しいが、とにかく、ロックンロールというのは1950年代のアメリカが発祥の地。
そのロックンロールの定番の曲が"Johnny B.Goode”という曲。
チャック・ベリーという人がギターを弾きながら歌った。
ギターを持って片足で動く、あのステージ上でのパフォーマンスは有名だ。(何の説明にもならないが…)

この曲のサビの、"Go go Go Johnny go, go"というところがかっこよくて、いろんなバンドがカバーしている。
ここに来ると、手拍子をして、Go goと歌わざるをえない。

しかし、サビの部分しか知らなかったので、歌詞を調べてみた。
この曲は、ギターがうまいJohnny B. Goodeという少年の事をうたった歌。
一番の歌詞の最後の部分で、

 He never ever learned to read or write so well
 But he could play the guitar like ringing a bell

と歌われる。

読み書きはまるでダメだが、ギターをまるでベルが鳴るように弾ける…、そんな少年がJohnny。

ふーん、そういう歌詞だったのか…と感心した。

このチャック・ベリーという人が生み出した、ロックンロールの定番中の定番の伴奏パターン(リフという)がある。

スリーコードのブルース進行で、知っている人は知っている。(何の説明にもならないが…)

昨日はレッスンでこれをやった。

先生はよろこんで、こういうのはいいですなあ、という。

本当にこういうのはいいなあ。


| | 音楽 | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
まにあうかもしれない
まにあうかもしれない

この歌は吉田拓郎の初期の作品。

あの頃の拓郎はすごいシンガーだった。(別に今はすごくないというワケではないが…。)

拓郎をはじめて聞いたのは、中2の時だったと思う。
「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という長い題名の曲だった。

ちょっと前まで森山良子がカレッジフォークの女王で、高田渡や岡林信康が中津川で歌っていた頃。

拓郎の歌で印象に残っているのは、「まにあうかもしれない」という曲。

吉田拓郎は歌の中で

 なんだか自由になったように
 いきがっていただけかもしれないんだ
 まにあうかもしれない今なら
 今の自分を捨てるのはいまなんだ

と歌う。

この「まにあうかもしれない」というところが、FからFmというコードではっとするメロディ。
あのころ、こんなコード進行はめずらしかった。

岡本おさみの詞。拓郎の曲。

これが1000個目の記事だ。


| | 音楽 | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
弘田三枝子 その2
今日CDが届いたので、さっそく聴いてみた。

My Tapestryという2006年の録音。
60歳に近いとは思えないのは、姿かたちだけではなかった。

歌声はもっと若い。
ヴァケイションの時のようにパンチのある唄ではないが、声量も十分。
あの、「あいうえお」が「はひふへほ」になる歌い方が時々出てくる。
感激した。

このアルバムはカバーアルバム。

松田聖子の「Sweet Memories」、竹内まりやの「駅」、サザンの「いとしのエリー」、山下達郎の「クリスマス・イブ」、ミーシャの「Everything」などが入っている。
いとしのエリーは弘田三枝子の歌になっている。
Everythingのスキャットは圧巻だ。

でも、セルフカバーの「渚のうわさ」「砂に消えた涙」の2曲がいい。

「渚のうわさ」では、シャウトする唄で昔の弘田三枝子を彷彿とさせる。
間奏のギターソロとピアノのソロが終わって、「あなたのいない砂山…」と歌が始まる。
こんな唄があるんやなあ…。

「砂に消えた涙」はスローテンポのバラードとして歌われる。
ささやくような歌声で、青い月の光をあびながら…と唄う。
この歌は最高だ。

「歌がうまい」とは、こういう人の事をいうのだ。

本当に歌がうまい。

ホントにホントにうまいと思う。


| | 音楽 | 23:40 | comments(3) | trackbacks(0) |
ふたりうた
茉奈・佳奈の「ふたりうた」というCDを買った。

朝のドラマ「だんだん」で歌っていた曲が入っている。
カバーの曲ばかりだ。
「赤いスイートピー」「恋のフーガ」「渚のシンドバッド」「守ってあげたい」「白い色は恋人の色」「上を向いて歩こう」「あの素晴らしい愛をもう一度」「恋のバカンス」「待つわ」「けんかをやめて」「M」「やさしい悪魔」「secret base 〜君がくれたもの〜」、そしてボーナストラックの「シジミジルのテーマ」。

ドラマでは双子ならではのハーモニーでヒットする、という設定だった。
たしかに双子のハーモニーはイイと思う。

「赤いスイートピー」と「やさしい悪魔」が秀逸。
赤いスイートピーは松田聖子のイメージを残して、ハモリがいい。

やさしい悪魔はキャンディーズの曲だが、スゥイングでやっていて、この曲のイメージが変わった。
こんな曲だったのか、という印象。

全体にドラムが出しゃばって、レトロな感じがする。
オカズのフレーズが多いのだ。
昔の曲はそういうアレンジが多かった。

今の曲は、ビートを刻むという役割にもっと徹している、…と思う。

ただ、そんなにうまいというワケではない。
ドラマのとおり、双子だから売れる…、一人では売れないということだ。

本人たちは、どう思っているのだろう。
二人揃って、初めて魅力がある。

双子の宿命みたいな感じかな。

でも、それに満足しているような歌だ。



| | 音楽 | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
ユーミンも…
NHKのSongsという番組で松任谷由実が出ていた。

ぼくらはリアルタイムでユーミンの音楽を聞いてきた。

彼女が19歳、まだ荒井由美の時代に作った、「瞳をとじて」という曲がある。
この曲は、ある島の分校の生徒が、分校の校歌を作ってほしいと深夜放送に手紙を書いたのがきっかけでできた曲。

この島では、今でも高校を卒業して島を出て行く人を、この曲で送るという。

今のユーミンは、曲作りのために長野県の立科に行くという。
そこで、中学の美術部が写生をしているところに偶然立ち会い、仲良くなったとのこと。
そういえば、ユーミンは多摩美大出身だった。
自分も絵を描いていた時のことを思い出したのだ。

それがきっかけで、中学校の卒業式でユーミンの卒業写真を歌うことになり、そこにユーミンが参加する。
リハーサルにこっそり行って、中学生みんなが歌っているところを見る。
中学生の歌声に、自分も熱くなった…のだと思う。
一緒に卒業写真を歌い、そして本番。

ユーミンが卒業証書授与式に出席し、ゲストとして言葉を述べる。

自分は子どもがいないので、こんな場面に立ち会うとは思わなかった…。

そういって、「おめでとうございます」という。

ぼくらよりも年上のユーミンだが、そんな年齢に見えない。
でも、もう50歳は越えている。
中学生の子どもがいてもおかしくない年齢。

40代は自分で働く時期で、50代はそれを後輩に伝える時期だという。

Songsを見て、そんなことを思い出した。

最新アルバムのタイトルが「そしてもう一度夢見るだろう」。

買ってみようかな…。



| | 音楽 | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
This will be
ナタリー・コールの曲。

この曲、とにかく調子がいい。
女性3人で歌うスタイル。
だんだん盛り上がって、そのまま一気にエンディングだ。

こういう曲は大好きだ。

手拍子あり、転調あり、ブラスセクションありの大サービス。
ブラスの入れ方もいい。

何かの映画でかかったのだが…。

そうそう、ディズニーのFamily gameだった。
今朝ドラでやっているのと同じ、双子の出会いのパターンの映画。

離婚した両親と同じく、別れ別れになった双子の女の子が、入れ替わって…というストーリー。
コメディとしても、ファミリードラマとしてもいい映画だった。
その最後にこの曲が流れる。

 これは、永遠に続く愛
 これは、私が今まで待ち望んでいたもの…

エンディングはそうなるというお話し。

最後にlove のリフレインから、from now on のリフレインに行く。
明るく、素敵な曲だ。

こんな曲でギターを弾きたいと思う。
リズムギター。
そんなに目立たない。
でも、しっかり弾く…。

この曲とあの映画、セットでよかった。




| | 音楽 | 14:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
リズム
音楽はリズムだ…と思う。

2ビート、4ビート、8ビート…、何でもいい。

足でリズムをとる。身体が揺れる。その感覚が楽しい。

うまいとか下手ではなく、それを感じることを楽しいと思うのだろう。
音楽はリズムだ。

でも、中にはそうでない人もいる(と思う)。

そういう人は、音楽の中に絵を見ているのだと思う。
目を閉じて、何かを感じる事ができる…そんな雰囲気。
音楽が風景を表すとか、音楽が感情を表すとか、そちらの方が強いのだろう。

「音楽はリズム派」と「音楽は印象派」である。

そのどちらも持っている人もいる。
というか、どちらも強いというべきか。
そんな人は、うらやましい。

「リズム派」は結構多いと思うが、どうなんだろうか。
気に入った曲が流れると、自然と身体がビートをきざんで、足でリズムをとる。

だから、「リズム派」はリズムのない曲は弱い。
リズムがない…というか、クラシックのような曲だ。
延々とあれが続くと眠くなる。

そのかわり、ビートのきいた曲になると、すぐに目が覚める。

リズムが音楽の肝なのだ。

それが音楽は「リズム派」。

下手でもいいのだ。



| | 音楽 | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
古内東子
古内東子、コマーシャルでかかっている。

この人は明るくて、せつない歌を書く。

日本ではめずらしい人ではないか。

「逢いたいから」という曲が何かのコンピレーションCDに入っていて、知ったのがきっかけ。
この歌はテレビドラマの主題歌か何かになったらしい。

例によって、ドラマは見ていないが、片思いの男性が、そうとは気づかない女性の事をうたった歌。
もうここには来てほしくない、でも言えないよ逢いたいから…という歌だ。

メジャーコードの曲だが、何とも言えずせつない。

もう一つ、印象に残っているのは「Peach Melba」 という曲。
決まって彼女が去ったあとは甘い香りがしてた、あれはピーチメルバ…という歌詞。

この歌は逆で、片思いの男性に彼女がいて、その人がいつもしている香水?がピーチメルバだという歌。
きっと、彼女よりも好きだ…とうたう。
もちろん、私の方が…という意味だ。

この人はこういう歌を書かせたら、右に出る人はいないのではないかなあ。

しばらく聞いていなかったが、久しぶりに古内東子を聞きたくなった。
時々思い出したように聞きたくなる。

CDをさがしてみよう。




| | 音楽 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
青い月の光を浴びながら…
今日、帰りに懐かしい曲を聴いた。

「砂に消えた涙」だ。

この歌、いろんな人がうたっている。
でも、弘田三枝子の歌がベスト。
「砂の中に」というところを、「すなのーなっかにー」というふうに歌う。
「いつわりの」は「ひつわりの」だし、「あいのかたみを」は「はいのかたみを」である。
この人が歌うとイヤミがない。
そして、声量が大きい。声に力があるから、そうできるのだろう。

麻丘めぐみも、それなりにいい感じ。ビートが少し違うのかな。

竹内まりやは素直に唄っている。

名曲は出だしから違う。

ギターのイントロが、印象的だ。
1フレーズ聞いたら、この曲だとわかる。
そして、ストリングスが続く。

この曲はどの歌手が歌っても、アレンジは似たようなものだ。
あのギターのイントロと、それに続くストリングスの音は外せない。
そうすると、この曲のイメージが決まる。

「泣いたの一人きりで…」というところ、ホントに泣ける。

青い月の光を浴びながら…。


 砂に消えた涙

 青い月の光を浴びながら 私は砂の中に
 愛のかたみをみんな埋めて 泣いたの一人きりで
 Ah あなたが私にくれた 愛の手紙 恋の日記
 それのひとつひとつのものが 偽りのプレゼント

 白い波の打ち寄せる海辺で 私は砂の中に
 恋の想い出みんなうずめて 泣いたの一人きりで
 Ah あなたが私にくれた 甘いことば 熱いキッス
 それのひとつひとつのものが 偽りのプレゼント

 青い月の光を浴びながら 私は砂の中に
 愛のかたみをみんな埋めて 泣いたの一人きりで







| | 音楽 | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホメオスタシス
ホメオスタシスという言葉、聞いたことがある人もいるだろう。

「恒常性」と訳される。

身体のどこかがこわれ、修復不能になっても、それをバイパスして別のところが代替えの働きをする、というような時にも使われる。
外から見ていると、身体の一部がいったんこわれ、また治ったように思う。
でも、こわれたところが治ったわけではなく、別のところが同じような働きをする…そんな意味だ。

体温や血圧など、上がったり下がったりするものに対しても言われる。

負のフィードバックである。
上がったら、下げる方に、下がったら、上げる方にはたらく。

だから、身体はできるだけ一定に保たれる。

このホメオスタシスというもの、いいことばかりだと思うと、そうでもない。

何に対して悪いか…。

そうです。ダイエット。

ダイエットをするためにカロリーを減らし、それによって体重が減る。
でも、ある限度を超えると、ホメオスタシスが働きはじめる。
減ったはずの食物から、余計にエネルギーを貯えたりする。
または、省エネの体質になって、従来よりもエネルギーを消費しにくくなる。

すばらしい、ホメオスタシス機能。でも、問題だ。

「恒常性」を保とうとするから、こういうことになる。

痩せたい人は、一月に5%以内らしい。

一月に5%か…。
そんなにいかなくても、ホメオスタシスが働きはじめるような気がする。

気のせいかな…。



| | 音楽 | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
歌の時代
テレビを見ていたら、黒人の演歌歌手がでてきた。

たしかに、演歌と黒人の取り合わせはめずらしく、ヒップホップか…と思わせる外観であれだから、気をひくのは間違いない。
でも、曲は演歌だからなあ…。

と思ったら、本当に売れているという。
サビの部分は、作曲者の宇崎竜堂でも歌えないとのこと。
ふーん、さすがに難しそうだ。

従来の演歌層に比べて、20代の女性が多く買っているとの分析。

最近の演歌は、カラオケで歌いやすくということを考えて作っていたらしい。
なるほど。
そうなるとこれは難しいだろう。
だからこそ、歌のうまさで売れる。

去年の冬、近所の寿司屋で聞いた演歌を思い出した。

店に客はぼくらだけで、テレビでかかっている演歌が流れていた。
何の歌だったか…、冬の夜にしみる演歌だった。

あの場面では、アリスの「冬の稲妻」やハイファイセットの「暖炉でマシュマロ」は似合わない。

ひれ酒を飲みながら、冬の寒さをたのしむ。

歌のうまさが問われるところだろう。

また、演歌の時代が来るんだろうか。
そんなに甘いことは起こらないと思う。

でも、今まで過小評価されてきた、歌謡曲の逆襲だ。

本当にうまい歌を聴くという、そんな時代が来るかもしれない。

下手な歌手がたくさんいるからなあ…。




| | 音楽 | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
楽譜を読む
今日はギターの日だった。

レッスンに行く。
このところ、"On the Sunny Side of the Street"にかかっている。

この曲の途中の弾き方で、どうしてもわからないところがある。
BbやEbm7などが入り乱れて書いてある。

ここは、どうやって弾くのでしょうか…。

そうしたら、少し考えて、ここはこうでしょう、と弾きはじめた。

でも、そうは書いてない…ことはないが、はっきりとは書いてない。

それを想像でこうだろう、と弾く。

ふーん、そうなるのか。

「それは、はっきり書いてないですが…」
「うん、それは書いてなくても、オレはちゃんと読んだデ…という勢いで弾くんです」

そういうことだ。

勢いで弾く…それはいける。

でも、ちゃんと読むのは難しい。

先生のように弾くと、うまく聞こえる。

やっぱり、先生は違う。



| | 音楽 | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
コトバと音楽
-13thという音がある。

五線譜の上の、もとの音の上に三度、五度、七度、九度、十一度、十三度と6つの音を積んで、その6つめを半音下げた音。

この音が入ったコードがわからない。

教えてもらったら、「おー、これこれ」とわかるのだが、ふだんから耳にしていないし、使っていないから聞き取れない。

昨日書いた、竹内まりやの五線紙という歌のコードを書いて、先生に見てもらったら、-13thのところが違っている。
自分のつけたコードは、何かしっくりこないのだが、これかな…と書いた。
ふだん使わないから、出てこないのだ。

でも、一度覚えて、自分のストックに入ったものはわかる。

この曲のソロが始まるところは、先生と何度もやったパターン。
20年前はわからなかったが、昨日聞いたらそこはすぐにわかった。

結局、コトバと音楽は同じなのかなと思う。

自分の引き出しに入ったフレーズや熟語、単語は話せるし、聞ける。

でも、自分の引き出しに入っていないものは、話せないし、聞けない。

音楽も同じことだ。音やコードがつながって曲になるが、自分の引き出しにフレーズやコードの響きが入っていないと弾けないし聞けない。

だから、コトバを覚えるように、音の響きとその構成音の関係を、頭の中の引き出しに入れないとイケナイのだろう。

まだまだ、ちゃんとコトバが話せない状態だ。

-13thを頭の引き出しに入れないと…。



| | 音楽 | 00:30 | comments(2) | trackbacks(0) |
昔の唄
竹内まりやのExpressions、今までのベスト盤を買った。

今回はレーベルを超えての企画だったが、特に初期の曲がよかった。

最近の曲も、好きな曲がたくさんあるのだが、自分が音楽と過ごした時間の密度とでもいうか…、まだどっぷり仕事に漬かっていない時期に聞いた曲は、その頃の「気分」を呼び戻すのだろう。

デビューしてしばらくの曲はイイ。
レコードの時代だから、最近は聞いてない曲。
だから、よけいに懐かしかった。

戻っておいで私の時間、ドリーム・オブ・ユー、September、不思議なピーチパイ、象牙海岸、マージービートで唄わせて…。

「ユニバーシティストリート」は残念ながらファン投票で入らなかったのか。
あの曲の終わりには、何人かがわいわい言って、別れていく場面の会話が出てくる。

「まりや試験どうだったー?」
「落っこちたー」
「バイビー」

「東京では、バイバイのことを、バイビー言うらしいゾ…」

仲の良い友だちと別れる時には、「バイビー」とマネしたことを思い出す…。
若かったな〜。
そんな関西人はたくさんいたハズ。

今回のExpressionsの1枚目に入っている、「五線紙」という曲も好きだった。
二十年ぶりくらいに聞いたかな。
あの頃の気分がよみがえるから、音楽は不思議だ。

竹内まりやは歌だけで、安部恭弘の作曲で作詞は松本隆。
この曲の歌詞はあの時代のものだ。

 あの頃のぼくらは
 美しく愚かに
 愛とか平和を詞にすれば
 それで世界が変わると信じてた

そうそう。

そんなふうに思った過去を持って、大人になって、そして…、という時期の歌だった。

70年代の気分を思い出しながら聞いた。



| | 音楽 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
29個の音
ギターの先生がメンバーになっているスティールパンのバンドのライブに行ってきた。

前にも書いたが、スティールパンというのは、カリブ海トリニダードトバゴという国で生まれた楽器。

ドラム缶のふたを凹ませてくぼみを作り、そこを裏からたたいて変形させ、そのたたき出した部分をスティックでたたくことで音階を得るという不思議な楽器。

独特の音がする。
パゥンパゥンという倍音がたくさん入った音で、明るい響きの音だ。

先生は、テナーパン2人とベース、ドラムス、ギターという5人組のグループのメンバー。
ガットギター、フォークギター、エレキギター、バンジョーなどを持ち替えて伴奏する。

演奏の間に説明があったが、テナーパンというのは、凹面上にへこんだ部分に29個の大きさが異なるいびつな面がある。

その面の数だけ音が出るのだ。
したがって、29音しか出せない楽器。

外側に並んだ音は、時計回りに、ド・ファ・シ♭・ミ♭・ソ#・ド#・ファ#・シ・ミ・ラ・レ・ソという順序で12音。
これは、五度ずつ離れた音で、時計回りに隣の音に行くのは、すごく安定した音の動きになる。
そのまた内側にも12音が同じ配列で並んでいて、これで合計24音(内側にいくほど1オクターブ高い)。
一番内側に小さくド・ミ♭・ド#・ミ・レという5つの音が並んでいる。
これで合計29音。

これを、割り箸くらいの短いスティック(たたく部分はゴム)でたたいて音を出す。

持ち運びでどこかに当たったりすると、音が狂うらしい。
狂ったら、たたいて直すということになるようだが、大変だろうなあ。

今回はアルバムを出した記念のライブで、オリジナルの曲ばかりだったが、すごくよかった。

沖縄の海をテーマにした曲や、トリニダード・トバゴの夕焼けの中を真っ赤な鳥が森に飛んで帰るという景色を見て作った曲など…、カリブ海とはひと味違った、日本のスティールパン・ミュージックという感じだった。
バンド名がスティーリング・ビート。

よければ、聞いてみてください。

スティーリング・ビートです。

| | 音楽 | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日までそして明日から
夕刊を見ていたら、吉田拓郎の歌碑が広島にできたとのこと。

「今日までそして明日から」の碑。

広島フォーク村から出てきて、「古い船をいま動かすのは古い水夫じゃないだろう」というレコードを出した(はずだ)。
このころに、「今日までそして明日から」を聞いた(はずだ)。

その後、「イメージの詩」、「人間なんて」…これはよく聞いた。

1972年、「結婚しようよ」が出て、一気にメジャーになった。

シンガー・ソング・ライターという言葉も、日本では拓郎が最初ではないか。

キャンディーズや浅田美代子に曲を書いた。
森進一の「襟裳岬」も拓郎の曲だ。

「今日までそして明日から」は中学の時にギターの練習をした曲だった。

 私は今日まで生きてきました
 時には誰かの力を借りて
 私は今日まで生きてきました
 そして今私は思っています
 明日からもこうして生きていくだろうと

拓郎ももう62歳。

ぼくも年をとるはずだ…。


| | 音楽 | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
Ebony and Ivory
今日何気なくクルマでステレオをつけたら、この曲が流れてきた。

スティービー・ワンダーのベストアルバムに入っている曲。

"Ebony and Ivory"。
ポール・マッカートニーとのデュエットだ。
ビッグスターの共演ということで、チャートで1位になった曲。

調べると、リリースは1982年だった。
ぼくがまだ25歳の時!
そんなに昔だったのか…。

この曲は歌詞がいい。

Ebonyは黒檀、ピアノの黒鍵のことであり、Ivoryは象牙、ピアノの白鍵のこと。

"Ebony and Ivory"とはピアノの黒鍵と白鍵のことになる。

単純な歌詞だが、意味深い。

黒人と白人を黒鍵と白鍵にたとえて、「EbonyとIvoryはキーボードの上でとなりどうし。完璧なハーモニーの中で一緒にいる。ぼくらにできないはずはない(why don't we?)…」というような意味の歌だ。

これをスティービー・ワンダーとポール・マッカートニーが歌う。

1982年らしく、間奏は当時はやっていたシンセサイザーらしいポコポコした音。

この曲で、ピアノの黒鍵がエボニー、白鍵がアイボリーという色だと覚えた。

エボニーは「真っ黒の」、アイボリーは「象牙色の」という色の名前でもある。

曲も歌詞も二人の共作になっている。
演奏も二人だけでやったとのこと。

You Tubeでビデオクリップを見ることができるが、鍵盤のセットの上に座って歌うポールは若くて、まだビートルズの頃の面影が残っている。

 どんな人にも、いいところと悪いところがある。
 ぼくらは一緒に生きることを学ばないといけない…

こういうポップスを聞くと、うれしくなる。






| | 音楽 | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
バイオリンとストリングス
バイオリンは、ソロとユニゾンの両方が楽器として使われる。

ユニゾンといっても、大人数だ。
バイオリンが集まると、ストリングスという名前になる。

ギターを大人数集めても、ギターだろうと思う。

でも、バイオリンが集まると、ストリングスになる。

なぜだろう…。

バイオリンはフレットがないから、音程が人によって微妙に違うことと、弓で弾くために、持続音が出せるからだろう。
だから、何人もで弾くと、音が厚くなる。
微妙に違う音程が、うなりを生じているから、別の楽器のような音になる。
わざわざ、元の音の周波数を揺らして音を厚くする「コーラス」というエフェクターと同じことを、実際の楽器でやっているということだろう。(というより、コーラスというエフェクターは、このストリングスの効果から作られたのかもしれない)

電子キーボードには、必ずストリングスという音色がある。

ポップスにはストリングスの音色がつきものだ。

松任谷由実の「卒業写真」。

最後のコーラスのところ。

 あなたは 私の 青春そのもの…

ここでストリングスの高い音が出てくる。

バリー・ホワイトの「You're the First, the Last, My Everything」という曲。
大好きな曲だが、ビートをきかせたドラムスの裏で、ストリングスのフレーズが流れる。

Wham!の「Last Christmas」。
細かいリズムのストリングスによる伴奏が曲を引き立たせている。

挙げれば、きりがない。

バイオリンのソロもいいが、ユニゾンで弾くストリングス…これは本当に贅沢な楽器だと思う。



| | 音楽 | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
コバルト・アワー
このところ、ユーミンの古いアルバムを聴いている。

なかでも、コバルト・アワーはいい。
1975年とは思えない。

ストリングスとエレピ、鈴木茂のクリーンなギター、モータウン風のコーラス…。

「コバルト・アワー」のイントロの飛行機の音、転調の連続のメロディ。
「卒業写真」や「何もきかないで」のギターは、レス・ポールを思わせる、メロディックなソロ。
「ルージュの伝言」…最初は「ルージュ」の意味がわからなかった歌詞。街は「Ding Dong」遠ざかっていくのだ。
「少しだけ片想い」という気のきいたタイトルと、イントロのギター。
「雨のステイション」の二声のコーラス…

他にもたくさんアルバムはあるけど、ぼくはこれがベストアルバムだと思う。

これが、1975年。

吉田拓郎が、「人間なんて」を歌い、「シクラメンのかほり」がレコード大賞。

いかにユーミンが新しかったんだろう…と思わされる。

いい曲は他にもたくさんある。
でも、アルバムは、これが一番。

凝ったコードと、そうは思わせないわかりやすいメロディ、バラエティに富んだリズム…。

あのピンク色のイラストのジャケットもよかった。

1975年…まだ、LPレコードの時代だったんだから…。



| | 音楽 | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイケル松本さん
マイケル松本さん

知る人ぞ知る…というと、たいがい知らない人は知らないという意味になる。
知る人ぞ知るボーカリストが、マイケル松本さん。

ぼくが通っているギターのスクールは、ライブハウスも経営しているのだが、そこで見たのが初めてだった。

他のシンガー4人と組んで、ヒッパレーシンガーズというグループで出ていた。
その時に、ルイ・アームストロングのものまねで、「この素晴らしき世界」をソロで歌った。(この時のことはここにも書いた)
本当に胸にじーんと来る歌で、ものまねなどどうでもよいという歌だった。

髪の毛をモヒカン状に染めていて、真ん中の部分だけ金髪というスタイル。

一緒に見に行った人と、「普段はどんな仕事をしているのだろう…」と噂をしていた。
堅気の仕事は、あの髪型ではできないだろう…。

一見すると、硬派のリズム&ブルースのシンガー、という感じだが、ステージのトークになると人なつっこく、面白い。

でも、歌になると本当にパワフル。
こんなにうまい人がいるのか…とビックリする。

一度この人のコンサートを聴きたいと思って、インターネットを調べていたら、ご自身のブログがヒットした。

http://michaelvo.exblog.jp/

あまり更新されていないようだが、プロフィールを見てびっくり。
すごい活躍をしておられる、立派なプロ歌手だった。(マイケルさん、ごめんなさい)

98年にのじぎく賞をもらっているとのこと。(ちなみに、のじぎくは兵庫県の県花)
何でもらったかは、調べてもわからなかった。「のじぎく賞」というと、園田競馬のレース名でもあるらしく、そっちしか出てこない…。

本当にパワフルで、ソウル系の歌を歌うと、この人の右に出る人はいない。

書いていたら、また聞きたくなった。

世の中には、スゴイ人がいる、という見本みたいなシンガーだと思う。

これからも活躍してほしい。

また、聞きに行こう。


| | 音楽 | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
煙が目にしみる
原題は"Smoke gets in your eyes"。

プラターズという黒人のグループが昔歌っていた。
スタンダードナンバーの一つ。

どこでこの曲を覚えたのか、あまり記憶がない。
二十歳過ぎには知っていた。

ゆっくりしたバラードで、「煙が目にしみる」という邦題と、"Smoke gets in your eyes"という原題がよく合っている。
原題よりも邦題の方がいい、という名曲。何度かここにも書いたかな…。

この曲が記憶に残っているのには理由がある。

働きはじめて2年目くらいだったか…。
先輩のNさんが、三宮の「会員制クラブ」に連れていってくれた時に、リクエストした曲。

そこは、シックな扉に「当店は会員制です」というプレートがあった。
「え、こんな店に入るんですか?」と思わず聞いてしまったが、「そんなたいしたトコとちゃうネン」と言いながら扉を開けて入った。

小さな店だったが、グランドピアノが置いてあって、その回りがカウンターになっていた。
Nさんは馴染みの客らしく、お店の人と親しげに話をして、おもむろにカウンターに座った。
緊張しながら、ぼくも座って、水割りをもらった。
グランドピアノの回りのカウンターで、ウイスキーを飲みながら、弾き語りを聴く時が、自分の人生に急に訪れるとは…という驚きがあった。

ピアノを弾きながら歌っていたのは、当時ぼくよりも少し年上の女性。

Nさんは、この人とも親しげに話をしていた。

「何でも言うたら、歌ってくれるデ」と言われ、その時に頭に浮かんだのが「煙が目にしみる」だった。

「煙が目にしみるをお願いします」

とおずおずと言った、その瞬間をよく覚えている。

残念ながら、「その曲は知りません…」と言われ、聞くことはできなかったのだが、その時以来忘れられない曲になった。

その店には、その時一度だけだった。
けっこう高い店だったと思う。

後で知ったのだが、この「煙」というのは、タバコの煙かと思っていたが、それはマチガイ。

恋の炎が消えたあとの煙…という意味あい。

いい歌です。



| | 音楽 | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラジルの千の風
財布がこわれてしまったので、子どもと一緒に買い物に行った。

「つかしん」という西武が鳴り物入りで作ったモール。
今は西武も撤退し、平和堂やCOOP、ジョーシン、ユニクロ、無印良品などが入ったモールになった。

財布を買って、子どものジーンズを買って、ウロウロする。

ここの4階に、何ともいえない雑貨を売っている店がある。
去年の夏、カエルの扇風機(回すと、きれいな模様が出るスグレモノ)を見つけて以来、必ず寄るようにしている。
今日も口を開けるとニャーといいながら赤いランプが口の中で光るネコのキーホルダーや、巻き貝のように丸くなったネコ(ニャンモナイトという)など、面白いものを見つけた。

店内にはインディーズのCDが流れていて、レジのところに今流れているCDはこちら、というコーナーがある。
Sotte Bosseを見つけたのがこの店。
今日もボサノバ風のカバーのCDを見つけて、買ってしまった。

pure flavor#1というアルバム名。
美吉田月(みよしだ ルナ)という人が歌っている。
Sotte Bosseよりも、けだるい感じがなくて、夏向きかもしれない。

この人が歌う、「千の風になって」はよかった。
ボサノバ風のアレンジで、「わたしのお墓の前で…」と歌っているのが、気持ちがいい。
この歌詞、きっと国を超えた普遍性を持っているのだろう。
ブラジルの曲を日本語に訳して歌っているみたいだ。
この曲の「お墓」が西洋の「お墓」をイメージさせるからだろうか…。

ぼくはこっちの方が好きだ。

ブラジルの台地、海が見える山の上にあるお墓の上に涼しい風が吹く…そんなさわやかな風に吹かれているような気がする。

帰りにスターバックスで、期間限定のコーヒーゼリーのフラペチーノを飲んで帰る。


| | 音楽 | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
雨にぬれても
ぼちぼち梅雨入りらしい。

暑くなったり、寒くなったり、台風がきたり…、ヘンな天候だが、もう6月だから梅雨入りで、それでいいのだろう。

雨というと、こないだ「窓の外は雨…」という曲のことを書いたが、他にもいろいろな曲がある。

「12月の雨」のことも書いた覚えがある。これはユーミン。

「冷たい雨」もいい。これもユーミンだが、ハイ・ファイ・セットの方がよく聞いた。

生まれて初めて買ったシングル版が、シング・アウトというグループの「涙を越えて」。
NHKのステージ101という番組の中で歌われていた曲。
サビの頭の部分で流れるトランペットのフレーズがかっこよくて、今でも忘れられない曲。
「涙を越えてゆこう なくした過去に泣くよりは…」というリフレインだった。

その次に買ったシングル版が、「雨にぬれても」…長い前置きになった。

「サンホセへの道」とか、「Close to you」などを作曲した、バート・バカラックの曲で、B.J.トーマスという人が歌っていた。
当時流行った「明日に向かって撃て」という映画のサウンドトラック。

洋楽の曲を買ったのは、これが初めてだった。

映画も見に行った。
ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマン、キャサリン・ロス…懐かしい。
西部劇で、銀行強盗の映画だったが、とにかくラストシーンがすごかった。
ロバート・レッドフォードは、この映画が一番かっこよかったと思う。

深夜放送のヤングリクエストでも、ベストテン入りしていた曲だった。
よくはやったなあ…。

Raindrops keep falling on my head…という歌い出し。
雨粒がぼくの頭に降り続いている…。
サビでは、「雨が降ってブルーになっても、そんなことには負けない…」と歌われる。

中学2年の時、歌詞の意味もあまりよくわからなかったが、洋楽のシングル版を買うということが、何となくオトナになったような、すこし誇らしく、少し気恥ずかしいことだった。
この曲を買ったレコード店はもう潰れてしまって、今はない。

ちょうど、小降りになって、今の雨はこの曲で歌われているような雨になった。

明日は晴れるかな?


| | 音楽 | 23:03 | comments(2) | trackbacks(0) |
ミスター・ボージャングル
最近、CMを見ていたら、BGMに昔の曲がかかることが増えたような気がする。(あまり見ないのでわからない)

松田聖子の青い珊瑚礁のカバー(誰が歌っているのかわからない)。
少し古めのアメリカン・ポップス(曲名がわからない)

わからないづくしになっているが、一つ、よくわかっているのは、ビールの宣伝でBGMに使われている、ミスター・ボージャングルという曲。
ニッティー・グリッティー・ダート・バンドという長い名前のグループが歌っている。

明るい曲だが、歌詞は悲しい。

ボージャングルという白髪のおじいさんが、古い靴をはいて、人生を語り、涙を浮かべて死んでしまった犬のことを話し、踊る…という歌。

6/8のビートで、跳ねるような曲だ。

リフレインで、「ミスター・ボージャングル、お願いだから踊って」というところで、涙が出る。

調べてみると、昔からいろんな人が歌っているらしい。

ぼくは70年代に入ってから、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドのレコードで知った。

今夜久しぶりに聞いて、すごく懐かしかった。

そうか…、酒飲みのおじいさんの歌だから、ビールのCMに使われたのだろうか…。

とにかく、思い出して、よかった。


| | 音楽 | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
窓の外は雨
今日は夕方になって雨が降ってきた。

今もしとしと雨が降っている。

こんな日は決まって思い出す歌がある。
イルカの「雨の物語」。

この歌のサビの部分が、頭の中で鳴っている。

「窓の外は雨 雨が降ってる 物語の終わりに こんな雨の日 似合いすぎてる」
この、「窓の外は雨…」というフレーズとメロディがよく合っていて、すごく印象に残っている。
別にレコードを持っているわけでもなく、流行った当時によく聞いた覚えがあるだけなのだが…。

調べてみると1977年の曲。なごり雪の2年後に出たシングル。

伊勢正三が作った歌だが、彼らしい曲だと思う。
自分自身でも歌っていた。

ひょっとしたら、そっちで覚えているのかな…。

1977年というと、20歳だった。

前の年に山下達郎がソロでデビューして、下宿が近所だったI君がどういうわけかそのアルバムを買ってきて、「これはスゴイ!」と下宿仲間みんなで聞いた覚えがある。

その当時は、「雨の物語」には全く思い入れなどなかった。

それでも、今、雨がしとしと降ると、窓の外は雨…というフレーズが聞こえる。

どういう回路で、脳の中で雨とこの歌がつながっているんだろうか。

このフレーズはきっと忘れないと思う。

雷が鳴り始めた…。

こうなってくると、窓の外は雨…どころではないなあ。








| | 音楽 | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
アケイシャ2
ユーミンのアケイシャを子どもに頼んで借りてきてもらった。

ほとんどの曲は聴いたことがなかったが、前半の曲はアジアを意識したような音作り。
「アジアを意識した…」というのはぼくの感想。
いつからか、ユーミンのメロディには短調のアジア風(といっては語弊があるが)の音作りが増えた。
初期のユーミンはアメリカ風(といっては語弊があるが)の曲が多かったが、一時アジアに傾倒した時期があったように思う。

acaciaという曲、アカシアという木の名前は出てこない。
「銀の花」というフレーズがアカシアの花を表しているんだろう。
難しい歌詞だ。何となく、
まだ見ぬ恋人を思い、アカシアが散る街を一人旅する…。

最後のフレーズは…

 なつかしすぎる未来が
 たったひとつの探しもの

この歌詞はなかなか書けないと思う。

後半は、いつものユーミンに戻る。
レコードなら、A面とB面で分かれているという感じ。

後半のバラードで知っている曲があった。
「幸せになるために」という曲。

この曲はユーミンのバラードの名曲の一つだろう。

このアルバムが出た2001年のころ…、部署を変わって、一からいろいろ考えていたころだった。

電話を取っても、前の部署名が口からついて出てきて、なかなか直らず、回りから苦笑されたことを思い出す。

まだ7年しか経っていないというべきか、もう7年も経ったというべきか…。

それにしても、ユーミンはすごいなあ。



| | 音楽 | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
Georgia on my mind
「我が心のジョージア」という邦題がついている曲。

ここ数日、この曲ばかり聴いている。

この曲は、ジョージア州出身の人がよその土地に行って、ジョージア州を懐かしむ歌かと思っていたが、そうではないらしい。
ジョージアという女性のことを思って歌う歌。

でも、ジョージア州の州歌になっているらしい。

有名なのはレイ・チャールズが歌っているもの。

盲目のソウル・シンガーであり、ピアニストである彼はジョージア州の出身。
身体を揺すりながら歌う姿は、すごく印象的だ。

この曲はスタンダードナンバーとしてよく演奏されるが、マーチン・テイラーというギタリストが演奏しているのを聴いたのが2日前。

それから、耳から離れなくなった。

「我が心の…」というのも、文語的な表現だ。この曲の邦題はいい。
ブルースノートが多用される曲で、何ともいえない哀愁がただよう。

マーチン・テイラーというギタリスト、何でも、チェット・アトキンスという知る人ぞ知るギタリストが「こいつはスゴイ」というような事を言ったらしい。
おまけに、イギリス人で、王室から勲章ももらっている。

たしかに、スゴイ。
ギターの神さまがのりうつったようなプレイをする。

ベースと伴奏とソロ、どれか一つでもスゴイのに、それを1台のギターで一度にやってしまう。

ときどき、神さまが人に宿ることがある…ということを信じてしまう、そんなギタリストだ。

マーチン・テイラーの「我が心のジョージア」。
いいですよ!




| | 音楽 | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
シャンソン2
前にもシャンソンについて書いたが、時々聞きたくなる夜がある。

今夜は、ジルベール・ベコーの「詩人が死んだとき」という曲が頭の中に流れている。
一度だけ彼のコンサートに行ったが、マイクを客席に向けて、聴衆に歌わすのが定番になっている曲。
最後にハミングでリフレインするのだ。

1988年のオランピア劇場のライブのCDを持っているが、それを探してきた。

 詩人が死んだとき 友だちはみんな泣いた
 詩人が死んだとき 世界中の人たちが泣いた
 彼の星をみんなで埋めた 広々とした畑に
 だから僕たちはみつけるのさ
 この広々とした畑に 矢車菊を ラララ…

というような意味。
単純な歌詞が繰り返される。
矢車菊は星のようなカタチをしているのだろう…。

半分はベコーが歌い、半分は観客が歌う。
悲しい歌詞だが、明るい曲調で明るく歌う。

一時、寝るときに毎晩ベコーを聞いていた。

言葉はわからないが、歌の力で聞かせる。

久しぶりに今夜はベコーを聞いて寝よう。





| | 音楽 | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ふりつけからダンスへ
ひと昔前は、テレビの音楽番組で「踊る」というと、歌のオマケという感じだった。

もっとも、それは「ふりつけ」と言われていたものだが…。

麻丘めぐみの「私の彼は左きき」あたりが懐かしい。
男性ではフォーリーブスがハシリかな…。

その後、キャンディーズ、ピンクレディと続く。

ジャニーズ事務所のタレントたちがそれに続いていったようだが、数年前に様相が変わった。

エグザイルを初めて見た時はビックリした。

子どもに「あのチョロチョロしている人は?」と聞くと、「ダンサー」だという。

それまでは、歌う人が踊るのが原則だった。

エグザイルは、歌う人は歌い、踊る人は踊る。
ダンスが主役で、シンガーは脇役と言ってもいい。

CDを買うと、DVDが入っていたりする。
ダンスを見せるために歌がある。

今はダンサーではなく、パフォーマーというらしい。

世の中はどんどん変わっていく。

どんどん増えていくのだろう。

たしかに、音楽が簡単にコピーできる時代になった今、ビジュアルで売る方が儲かるのも事実。
ビジネスとしても正解かもしれない。

「ふりつけ」はもう古いのか…。

パフォーマーの時代が来つつある。



| | 音楽 | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
Yuming films
こないだNHKでやっていた、ユーミンの曲にモチーフを得て作ったショートフィルムを見た。
「リフレインが叫んでる」「青いエアメイル」「A Happy New Year」の3本。

ユーミンの曲はもともとドラマ性が高いので、曲のイメージそのままを作るんだろうと思っていたら、何となく意外な3本になっていた。

人によって、曲から受ける感じは違うだろうから、それぞれの監督が感じたそのままを作ったのか、それともわざとひねったのかはわからない。
ぼくにとっては、意外だったというべきか。

結果的に15分くらいのフィルムにしようと思うと、あんなふうになるのか…。

ユーミンの詩はたいがい間接話法だ。
もちろん、思いは語られるが、それよりも情景が先にくる。
その情景から、何を感じるかは、聞いている人の思いで変わってくるのだろう。

「リフレインが叫んでる」では、岬を走る主人公が、「青いエアメイル」ではエアメイルの代わりに友達からのカードを受け取った主人公が、「A Happy New Year」では凍る街路樹を走る主人公が、それぞれ描かれる。

どれも、せつないフィルム。

ユーミン自身が解説で「泣ける」と言っていた。

こんな企画なら、もっとやってほしい。


| | 音楽 | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマスの約束2007
昨日の深夜、毎年恒例の小田和正の番組をやっていた。

クリスマスの約束。
彼らしいネーミングである。

もう還暦。60歳とは思えないバイタリティだ。
去年はすごくマイナーな、懐かしい人が出てきたが、今年は比較的メジャーな人が出てきた。

一人はさだまさし。

ゲストとして登場して、小田和正に、「あのころ(70年代後半から80年代前半か…)は、オフコースもグレープも、軟弱だということで、あまりよく言われなかった…」と言っていた。
そうだったなあ。
ぼくはどちらも好きだったが、たしかに「めそめそして、軟弱」というイメージがあった。「帰去来」というLPは何度聞いたことか…。

オフコースも、「さよなら」を出してメジャーになってからは、「軟弱」という声は小さくなったが、まだそんなことを言われていたと思う。

メッセージ性のあるフォークの残り香があった頃。

小田和正も、さだまさしも、「世界」や「社会」、「国家」というものではなく、「ここにいる人」を歌っていた。
「君」や「友」、「わたし」「あの人」…。

それが、学生運動の世代の人たちには「軟弱」にみえたんだろう。
ぼくらの世代には、隠れファンが多かったと思う。
おおっぴらに、オフコースとさだまさしのファン…というのは言いにい時期があったのは事実。

でも、結果として彼らが二人とも、いまだに活動を続け、ツアーをやればたくさんの人を動員するのだから、彼らのやってきたことは多くの人に受け入れられたという事だろう。

ベトナム戦争が終わり、学生運動が下火になり、毛沢東が亡くなり…時代が彼らを受け入れたんだと思う。
外野の声に屈せず、自分の道を進んできたのだ。

昨日は、若い頃の自分に、今の自分が問いかける…という歌を共作して歌っていた。いい歌だった。

もう一人は、佐野元春。
80年代に出てきた、孤独なロッカーで詩人というイメージ。
ラップを早くからやっていた。
彼も、自分の道を一直線という人だと思う。

昨日はSomedayを歌った。名曲だ。
カラオケでよく歌ったなあ…。
誰にでも、その年齢なりの「いつか(Someday)がある」と言っていた。
彼ももう51歳。でも、まだまだ若い。
51歳と60歳がギターをかき鳴らして、歌うのを見ていると、うれしくなった。

若いシンガーも出てきていたが、やっぱり年長組に馴染みがある。

また、来年、クリスマスの約束を果たしてほしい。



| | 音楽 | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
季節もの
年内はあと1回でギターのレッスンも終了。

季節はクリスマス。
この季節はやはりクリスマスソングである。

今日は"Have yourself a merry little Christmas"をやった。

「ささやかなメリークリスマス」という曲(日本語の正式な曲名は知らないが…)

歌詞の中に、

 もし運命が許すのなら
 毎年集まりましょう
 輝く星を
 てっぺんに飾って

という一節がある。曲のクライマックス。

クリスマスソングには名曲が多いが、この曲は本当に素晴らしいバラード。

いい曲だが、12月にしか歌われない。
クリスマスソングは季節ものだからなあ…。

先生は、せっかくたくさんいい曲があるのに、もったいない…という。

本当にそのとおりだ。

買い物に出かけるとたくさんのクリスマスソングが聴ける季節。
温暖化でもう雪は降りそうにないが…。

来年の今ごろにも別のクリスマスソングを練習できるように、がんばろう。




| | 音楽 | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
明日に架ける橋
実家の隣がクリーニング屋さんの寮だった。

今はもう取り壊されてしまったが、若い人が入れ替わり立ち替わり入っていたと思う。
中学の頃、毎朝大きな音で音楽をかけて目覚ましの代わりにしていた人がいた。

誰だかわからないが、その人の好きなレコードはサイモン&ガーファンクル。

いつもかけていたのは、「明日に架ける橋」だ。

この曲はぼくも好きだった。すごく流行った曲だ。アート・ガーファンクルのトップテナーが素晴らしい。

友情について歌った唄。

一番に"I'm on your side"という歌詞がある。

あなたと同じ側ですよ…「あなたの味方だ」という意味。
この言葉がなぜか心に残っている。

シンプルな歌詞をピアノの伴奏とストリングスで歌い上げる。

レコードが出たのは中学2年のころ。

実際に歌詞の意味がわかったのは、高校に入ってからだった。

一つの時代を作った歌だと思う。
サウンド・オブ・サイレンスのようなポール・サイモンのギター伴奏もないし、二人のコーラスもあまり聞こえない。

その意味ではサイモン&ガーファンクルらしくない歌だが、この歌はすばらしい。

帰り道でクリーニング屋さんの寮のことから、そんなことを思い出した。

| | 音楽 | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
風をあつめて
アサヒビールの「あじわい」という新製品のCMで使われている曲。
知っている人もあるかもしれません。
「はっぴいえんど」というバンドの1971年のアルバムに入っている「風をあつめて」という曲。

時期を同じくして活躍していた小坂忠という人の声と似ているので、てっきり小坂忠の歌だと思っていた。

はっぴいえんどというバンドは、日本のロックの草分けというような位置づけで、伝説的な扱いになっている。
細野春臣、松本隆、大滝詠一、鈴木茂というメンバー。
ぼくはリアルタイムではほとんど知らない。

鈴木茂は後日ユーミンのバックなどで活躍し、大好きなギタリストである。
大滝詠一は何枚かレコードを持っている。
松本隆は作詞家になった。木綿のハンカチーフを作った人。
細野春臣は、イエロー・マジック・オーケストラでテクノをやっていた。

この曲は、ぼくがまだ中学生の頃の曲だった。

30年以上経っても、そんなに古いとは感じない(のはぼくだけか…?)。

70年代にはこんな感じの曲がたくさんあった。

アコースティックギター(当時はフォークギターと言っていたが)の指弾きでリズムを刻むという感じの曲。

当時のジェイムス・テイラーの曲にも、そういう感じの曲が多い。

この頃の音楽は、音を埋めていないということがよくわかる。
声にも、楽器にも「間」がある。

今聞くとすごくのんびりした感じがするが、リリースした当時はそれほどでもなかったのではないか。
今の音楽のテンションがすごく高いので、こんな曲を聴くと癒されるような気がする。

あじわい、というひらかなの商品名にあわせて選ばれたのかもしれない。

歌詞のなかに「路面電車」が出てくるが…もう若い人にはわからない単語になってしまった。

 風をあつめて 風をあつめて 風をあつめて
 蒼空を翔けたいんです
 蒼空を

若いころを思い出させる曲だ。


| | 音楽 | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
Sotte Bosse
Sotte Bosse…ソット・ボッセと読む。
イタリア語でヒソヒソ話の意味らしい。

最近見つけた、面白い雑貨屋の店内でかかっていた。
キーボードと女声ボーカルの2人のユニット。

聞いたことがある曲だが…、誰の曲だったかな?と思いながら聞いていたら、サビのところにきて、ようやくドリカムの曲だとわかった。
ボサノバ風にアレンジしているので、わからなかったが、歌詞がすっと頭に入ってくる。きれいな声。
レジのところに、今かけているCDを展示してあるので、それをみて買ってしまった。
Essence of Lifeというアルバムタイトル。

もともと、ジャズのグループのメンバーらしいが、Sotte Bosseの名前でカバーばかりのCDを出している。

Everything、真夏の果実、未来予想図2、ガラス越しに消えた夏など。

最近の音楽は、音でスキマを埋めつくすように作っている…らしいが、このCDは音の数も少ないし、スキマが多くて、聞いていて気持ちがいい。
緊張感が低いのかな?

サンバあり、ボサノバありで、リズムのバリエーションも多い。

この夏は、Sotte Bosseでいこう。


| | 音楽 | 01:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
スキマスイッチ
スキマスイッチの「全力少年」は前に紹介した。

子供が買ってきたスキマスイッチのグレイテスト・ヒッツというCD、これはいい。

キーボードとギターの2人組。
小田和正が去年のクリスマスにやっていた、クリスマスの約束という番組にも出ていた。
解散もしていないのに、「グレイテスト・ヒッツ」というのはすごいアルバム名だと思うが、その名前をつけただけのことはある。

「奏(かなで)」は泣かせるバラード。

「ふれて未来を」は得意のストリングスとキーボード、アコギのリズムキープが気持ちいい曲。

「冬の口笛」はサビのファルセットが印象的だ。
カタチのないものはたしかに信じるのは難しい でも君がいればきっと木枯らしにも勝てんのさ…

「全力少年」は歌詞がいい。試されてまでも ここにいることを決めたのに 呪文のようにシカタナイとつぶやいてた…
カーステレオでかけると、思わず歌ってしまう。
この曲もストリングスがいい。いいアレンジだと思う。

「飲みに来ないか」はブラスが入って、気持ちがいい曲。

「ボクノート」は、ぼくの音という意味だろう。
詩を書くことと、好きな人への思いを重ねて書かれた曲。

「スフィアの羽根」歌詞を読まないと意味がわからないが、夏の甲子園高校野球のテーマになった曲らしいさわやかな曲。

「アカツキの詩」は明るい感じの失恋の曲。散々迷ってさ 君が選んだサボテンだってそう、簡単にダメにしてしまったなぁ…

「惑星タイマー」という曲は何ともいえないメロディ。どう形容したらいいのか…。いい曲だと思う。

この2人組、聞いていると曲の感じがビートルズみたいな感じがする。
シンプルに聞こえるけど、凝ったコード進行とストレートなボーカル。

歌詞が少し複雑な日本語だが、わかると共感できる。

ストリングスの使い方は、ちょっとモータウン風だが、これも気持ちのいい音だ。

オススメのアルバムです。



| | 音楽 | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
シャンソン
こないだベコーのことを書いたが、シャンソンは文字通り「歌」である。
話すように歌う。イブ・モンタンやシャルル・アズナブールなどは本当にそんな感じだ。

アコーディオンやピアノの響きがよく似合う。
リズムよりも旋律。

歌の主題は「人生」であったり、「恋」であったり、「時間」であったり、「旅」であったり…。

日本人なら、金子由香利が好きだ。
本当に話すように歌う。

「巴里の屋根の下」は代表曲だろう。

 懐かしの思い出にさしぐむ涙
 懐かしの思い出にあふれる涙
 マロニエの花咲けど
 恋しい君いずこ

 パリの屋根の下に住みて
 楽しかりし 昔
 燃える想い 愛の言葉
 やさしかりし君よ

 鐘は鳴る 鐘は鳴る
 マロニエの並木道
 パリの空 青く晴れて
 遠き夢をゆする

 マロニエの花咲けど
 恋しい君いずこ

ミシェル・ポルナレフのようなフレンチポップスというジャンルもあるが、切々と歌うシャンソンは何ともいえず心にしみる。

時々シャンソンが聴きたくなる。

CDはどこに置いたかな…。


| | 音楽 | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジルベール・ベコー
好きな歌手だった。
フランス語はわからないが、シャンソンを聴くようになったのはベコーを知ったからだ。

30代のころ、夜テレビをつけたら、偶然コンサートをやっていた。
どこかの女子大のステージで歌っていた。

水玉模様のネクタイしかしないので有名な人だ。

「そして今は」とか「詩人が死んだ時」とかいう曲。
ライブのLPレコードとCDを2枚持っている。

渋い声で、ステージを動き回りながら、話すように歌う…いや、歌うように話すというべきか。
フランス語はわからないが、とにかくすごいパワーだった。
大きな声をはりあげて歌うわけではない。
派手なパフォーマンスをするわけでもない。
水玉のネクタイをして、ステージの上で歌っている、その姿に魅了される。
5人ほどのバンドをバックに歌っているだけだが、彼の歌には力がある。

一番好きな曲は、「バラは憧れ」。
日本では、上条恒彦が歌っていた。

 永遠の誓いに 背いたこころが
 君を捨ててゆく時も
 隠しきれない悩みを誰にも
 打ち明けられない時も
 バラはあこがれ  バラはあこがれ
 バラは僕たちの夢

ベコーが作った歌だ。
原題は、"L'IMPORTANT C'EST LA ROSE"、「大事なものは、バラなんだ」という意味だと思う。
訳した時に、バラは「あこがれ」にしてしまったのだろうが、少しニュアンスが違うような気がする。

ベコーのこの唄を聞くと、サビの部分の「大事なのは、バラなんだ」というところで泣けてしまう。

18年前、大阪の小さなホールに来た時に見に行ったが、ラストでマイクを客席に向けて、この歌のリフレインの部分をみんなで唄う。
いまだに歌詞の意味は、よくわからないが、「大事なのは、バラなんだ」という気持ちが伝わってくるのだ。

2001年に亡くなってしまったが、ベコーの水玉模様のネクタイと、この歌は忘れられない。



| | 音楽 | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
Starting over
Starting overといえば、ジョン・レノンが歌っていた、すごくレノンらしい曲。

歌詞にはあまりなじみがないのだが、CMで使われたりして、サビの部分はよく知っている。

"Starting over"というと、もう一度始めようとか、最初にもどって…という感じがする。

今月から部署が変わり、初心に戻って…と思っていたら、この曲が頭の中に出てきた。

歌詞を見てみたら、実際にはラブソングで、初心に戻って…というような感じではなく、初めて会ったときみたいに…という歌だった。

始まる、というと、カーペンターズの愛のプレリュード(We've Only Just Begun)もある。
これはまさにラブソングだ。

探してみると、初心に戻って頑張ろう…というような歌はなかなか思いつかない。

ビートルズの曲をずらっと見てみたが、それらしいものはなかった。
そういうのは、なかなか歌にならないのかもしれない。

一昨日からずっと考えていたが、思いつかないところをみると、やっぱりそうなのか。

Depapepeというアコースティックの二人組の曲に、Startというのがあったが、これは歌詞がない。
曲の感じは、いかにも、もう一度始めよう!というものだ。

そういう曲を思い出したら、また書きます。




| | 音楽 | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生の扉
23日に発売した竹内まりやの新しいアルバム。
買おうと思っていて、忘れていた。

今日、子供に頼んで買ってきてもらった。初回限定版がまだあったらしく、ボーナスCD付きだった。
時にはいいこともないと…。

いつも通り、肩の力が抜けたいいアルバムだと思う。
竹内まりやは、ぼくよりも少し歳が上のはずだ。

作る曲のパターンがいくつかあって、マイナーのバラードや軽いポップな曲もいいが、カントリー風というか、ゴスペル風というか、そういう曲もこの人によく合っている。

アルバムの最後の曲。感動してしまった。
歌詞の一部だけ紹介させてください。
年を重ねないと書けない曲。

人生の扉。

 春がまた来るたび ひとつ年を重ね
 目に映る景色も すこしずつ変わるよ
 陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
 気がつけば五十路を 越えたわたしがいる

そう。
そのとおり。

 満開の桜や 色づく山の紅葉を
 この先いったい何度 見ることになるだろう
 ひとつひとつ 人生の扉を開けては感じるその重さ
 ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

ぼくも同じことを思う。

 君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
 長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

デニム、というアルバムタイトルは、これ…。

最後の部分の英語の歌詞は、

 悲しいことだけど、身体は弱っていく
 年をとるのはつらいと言ったよね
 人生なんて意味がないという人もいる
 でも、わたしは生きていくことは価値あることだと信じてる
 そう、今でも信じてる

というような意味だと思う。

三拍子のゆっくしりたビートに乗って、歌う竹内まりやは、二十数年前にユニバーシティストリートを歌っていたあの人か。

同世代の心にしみる、いい歌だ。
涙が出てくる。

すごく素敵なクリスマス・ソングもあって、いいアルバムです。



| | 音楽 | 00:45 | comments(4) | trackbacks(0) |
ぼくらの時代
なぜかはわからないけれど、時々頭の中に流れる歌がある。
誰しもいくつかのレパートリー?があるのだろうが、最近よく頭の中で流れるのは、オフコースの「ぼくらの時代」という歌。

リフレインの部分の歌詞が、

 もうそれ以上そこに立ち止まらないで
 ぼくらの時代が少しずつ今も動いている

というもの。

あまりはやった歌ではないのだが、どういうわけかこの歌はよく覚えている。
リフレインのあと、最初はこんな歌詞だ。

 あの頃に戻ってやり直したいこと
 誰にでもそれぞれ心の中に

 時は移りゆくもの明日を見つめて
 あの頃は時々ふりむくだけにして

この歌は、小田和正が古い世代に向けて作った歌のように見える。
ずっとそう思ってきた。
こんな歌詞が続く。

 あなたの時代が終ったわけでなく
 あなたがぼくたちと歩こうとしないだけ

 ああ 心を閉じて背を向けるひとよ
 ぼくらのことばに耳を傾けて

今になって、この歌の「あなた」は同世代のことだろう…と思うようになった。
この頃、若者の「しらけ」が言われていた時代だった。
しらけてないで、頑張ろう…という意味だったのかもしれない。
作られたのは1980年だから、今から27年前。小田和正が30代の前半である。
もう学園紛争も落ち着いて、あれは一体何だったんだろう…という世相だったと思う。

いったい何をしてきたのか…という思いの中で、「あの頃」にとらわれず、明日を見つめて、自分の信じる道を行こう、という歌だったのだろう。

今になって、ようやくわかった。

まだしばらくは頭の中で流れていると思う。






| | 音楽 | 20:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
トルコ行進曲の謎
知っている曲なのに、わからないということがある。

こないだ、ギターの先生が指の訓練用に譜面を書いてくれた。
旋律自体はそんなに複雑ではない。
先生に合わせて、譜面を見ながら弾いた。
どこかで聞いたようなメロディだが、なるほど指の訓練にはいいかな、という曲だ。

何度か弾いて練習したが、何の曲かはわからなかった。

ところが、先生が最終的にはこんな感じで…と言いながら速く弾いたら、突然それがトルコ行進曲の一節であることがわかった。

「あれ、これはトルコ行進曲ですね。」

「そうそう。これは速く弾かないと、トルコ行進曲に聞こえないから、速く弾く気になる練習曲です。」

なるほど、たしかに速く弾くとちゃんとトルコ行進曲になるのに、普通に弾くと全くわからない。

家に帰って、子供に聞かせたが、全くわからなかった。
トルコ行進曲だ、と言って弾いても、ぼくの弾く速さでは全くトルコ行進曲の一節には聞こえないとのこと。

よくできた練習曲だ…と感心した。

ぼくが小学生の頃、ウチの目覚まし時計が鳴らしていたのが、トルコ行進曲だった。
毎朝、トルコ行進曲のオルゴール音が鳴っていた。
数年間、ほぼ毎日聞いていたのに、速さが変わると全くわからなくなるのだ。

曲のテンポを変えると、わからなくなる曲というのがあるのだろうが、これほどわからない曲はないと思う。

その理由はわからない。

モーツァルトはわかって作ったのだろうか…??



| | 音楽 | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
虹の彼方に
名曲…といえる曲がいくつかある。
「虹の彼方に Somewhere Over the Rainbow」はその一つ。

オズの魔法使いという映画のエンディングで使われたとのことだが、ぼくはその映画は見ていない。

ギターで先生に習ったが、いまだにうまくは弾けない。
後半が難しいのだ。

シンプルなメロディーだが、心にしみる。

今日はこの曲を聴きながら寝ることにしよう。

歌詞です…

Some where Over the Rainbow way up high.
There's a land that I heard of once in a lullaby.
Some where Over the Rainbow skies are blue.
And the dreams that you dear to dream really do come true.
Some day I'll wish upon a star and wake up when the stars are far behind me.
Where troubles melt like lemon drops away above the chimney tops.
That's where you'll find me.
Some where Over the rainbow blue birds fly.
Bird fly over the rainbow. Why then oh why can't I?

はるかに高い虹のむこうのどこかに
むかし子守歌で聞いたことがある国がある
虹のむこうには青い空が広がって
あなたが願えば、それはきっと叶う

いつか星に願いをかけて、起きると星ははるかかなた
そこでは心配事はレモンドロップのようにとろけてしまう
そこは煙突よりも上
わたしはそこにいる

虹のむこうのどこかに青い鳥がいる
鳥は虹のむこうに飛んでいく
それなら、私だって飛んでいけるはず



| | 音楽 | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
One Hit Wonders
ずっと前にFM放送をエアチェックしたカセットがある。
さすがに、ここ数年聞いていないが、以前は車で出張という時には、持っていったりしていた。

American One Hit Wondersという特集のテープだ。
深夜にやっていた番組を録音した。
One Hit Wondersというのは、一曲だけ大ヒットして、その後鳴かず飛ばずになった人たちのこと。
"One Hit Wonders"をグーグルで検索すると、たくさんのサイトが出てくる。

このテープに入っていたのは、ドン・マクリーンのAmerican Pie、リン・アンダーソンのRose Garden、カール・ダグラスのKunfu Fighting、クリスティーのYellow River、オーシャンのPut your hand in hand、ヒルサイド・シンガーズのI'd Like to Teach the World to Singなど。
60分テープにいっぱいだった。

70年代のOne Hit Wondersは本当に懐かしい。

80年代にはもう仕事が忙しくなっていた。
70年代がぼくのティーンエイジだったのだ。

もちろん、One Hit Wondersではなく、ビートルズやキャロル・キング、サイモンとガーファンクルなどのスターもいたが、One Hit Wondersは本当にその時の旬という感じで、何かの拍子で耳にすると、すごく懐かしい。
ラジオなどでその時しか聞いていないし、レコードも持っていない。当時は深夜放送でヒット曲は毎晩のようにかかっていたから、それで覚えているのだろう。
今なら、レンタルもあるし、FMを録音することなどないだろうが、当時はとにかくラジオで聞き、ギター雑誌などに載っているコード譜をみて覚えた。
音楽がデーターになる前の時代で、ラジオの録音が貴重な時代だった。

十代で聞いた唄は忘れない。

あのカセットは、貴重なカセットになったなあ。
もちろん、One Hit WondersのCDなどないし、レンタルも不可能である。今や影も形もないミュージシャンたちだ。

あのカセット、どこかにあるはずだが…。



| | 音楽 | 00:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
心が若ければ…
トニー・ベネットという歌手がいる。
もう80歳だが、現役だ。

「想い出のサンフランシスコ」という曲が有名。メロディを聴けば、知っている人がたくさんいるだろう。

昨年、80歳になって、記念のアルバムを出している。
知らなかったのだが、こないだ録音してもらって聞いた。

そうそうたる顔ぶれの人たちとのデュエットである。
どんな人たちかというと…スティービー・ワンダー、ポール・マッカートニー、バーブラ・ストレイザンド、ジェームズ・テイラー、エルトン・ジョン、スティング…本当にすごい人ばかりである。

歌を聴いても、とても80歳とは思えない。
自己管理もちゃんとして、ボーカリストとして現役を続けているんだろう。これこそベテランとしかいえない…というアルバムだ。

これを聴いていると、人は時間で歳をとるのではない、ということがわかる。
50年以上にわたって、ショー・ビジネスの世界で歌い続け、第一線で活躍しているのだ。

何が彼をそんなことができるようにさせているんだろうか。

健康であること、楽しみを持つこと、家族にめぐまれること…そんなありきたりなことなんだろうか…。

Tony Bennett.netというページに、このアルバムのことや彼の生い立ちが書かれているが、その最後にこう書いてあった。

Tony Bennett is living proof that fairy tales can indeed come true when you're young at heart.

心が若ければ…ということらしい。

素直に感動し、笑い、泣き、怒り、未知のものへの寛容さをもつ…そんなことだろうか。
年をとってもそんな心を持ち続けられる人は、多くはないと思う。

でも、そんな人ばかりになれば、高齢化社会が来ても大丈夫だ。
中年の今から、そういう心を持たないといけない。

しかし、自分をふり返ってみると…ちょっと苦しいかもしれないなあ。


| | 音楽 | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラブソング
高校生の頃にビートルズを一番よく聴いた。(もちろん、解散した後である。)
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人組。
"Beatles"はカブトムシの"Beetle"の二つめの"e"を"a"に変えるよう、神さまのお告げがあって決めたグループ名だ…というような記事を雑誌で見たことがある。そんな、まことしやかな伝説が似合うグループだった。

ほとんどの曲は、ポールとジョンの共作になっている。
解散後、どの曲はどちらが作ったとか、いろいろな噂が出たが、実際のことは知らない。
僕はポールが好きだった。

解散した後の曲をみていると、ジョンの曲はメッセージ性が強い。
イマジンやハッピー・クリスマスなど…。人類や戦争について歌っていた。
きっと、ビートルズの曲でもメッセージ性の強い曲はジョンが作ったのだろう…と思う。
それに対して、ポールの曲はシンプルできれいな曲が多い。

演奏でいうと、ポールのベースはすごいと思う。
ペニー・レインとか、カム・トゥゲザー、ドント・レット・ミー・ダウンなど、メロディックなベースラインはビートルズの大きな魅力だった。
当時のポップスとしては新鮮だった、凝ったコード進行などは、きっとポールのアイデアではないか…とずっと思っていた。

ポールの解散後の曲に、"Silly Love Songs"というのがある。
この曲は、ポールのメッセージだと思う。
「君は世の中には、バカなラブソングであふれかえっている…と思っている。でも、中にはそんなラブソングで世の中を埋めつくしたいと思う人もいる。君も恋したらわかる。それは、バカなことじゃない…」というような歌だった。

ジョンの平和へのメッセージとは違うが、楽しい歌だ。

アメリカのポップスも、イギリスのポップスも、ラブソングの宝庫である。
全体のどれくらいの曲が、ラブソングなのだろうか…。
スタンダードと呼ばれるような曲は、ほとんどがラブソングではないかと思う。
もちろん、「想い出のサンフランシスコ」や「我が心のジョージア」のように、郷愁をメインに歌ったものもあるのだが。

キリスト教徒でもないし、Loveという言葉にそんなに思い入れがあるわけではないのだが、ラブソングはいいと思う。
もちろん、失恋もアリだ。
「煙が目にしみる」は失恋の名曲である。

英語を母語としている人たちは、英語のラブソングを聴いて、どう思うのか、実際のところはわからない。
僕らは、本当の意味をわからずに、いいなあ、と思っているだけなのかもしれない。

それでも、ポールの思いには共感できる。
調べてみると、"Silly Love Songs"は、解散後ジョンからの批判に応えた曲とのこと。

平和のメッセージを発したジョン・レノンは、ホントにすごいと思う。

でも、やっぱり僕は"Silly Love Songs"を歌うポールが好きだ。
たとえ、世の中を変えなくても、ラブソングは人を救うことができるから。



| | 音楽 | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
スタンダード
十代の後半の頃、洋楽をよく聞いた。
主にアメリカのポップスである。

最初にカントリーから入って、フォークに行って、ビートルズ、サイモンとガーファンクル…と続いた。
ブラザースフォアやPPM(ピーター・ポール&マリー)は定番だった。
ここにも書いたことがあるが、キャロル・キングやフィフス・ディメンションはよく聞いたなあ…。

それ以外にも、ラジオで聞いたりした。(土曜日の昼にFMでポップス・ベストテンをやっていた。FM東京だったか…。三菱ダイヤトーンがスポンサーだったと思う。歌謡ベストテンはコーセーがスポンサーだった。)

他にも、洋楽を聴く機会は多かった。
当時はテレビでゴールデンタイムに輸入のドラマをやっていたからか…。
アメリカのドラマが圧倒的に多かった。
洋画も月曜、金曜、日曜に○曜ロードショーをやっていた。

そんな関係で、耳に親しんだ洋楽は多い。

日本には相当するものがないが、洋楽にはスタンダードとか、エバー・グリーン(いつまでも、緑…だから、ずっと生きているという意味かな)というようなジャンルがあって、よく流行った曲や長く歌い継がれる曲はそこに入っていく。
Smoke get in your eyes(煙が目にしみる)やI Left My Heart In San Francisco(想い出のサンフランシスコ)などは、スタンダードと言えるだろう。

時々、BGMなどで流れると、「あ、懐かしい」と思ってしまう。

僕らが小学校の頃は、小学唱歌だった。
今みたいに「風」や「翼をください」みたいな曲はなかったなあ。
「花」「おぼろ月夜」「虫の声」「やしの実」などを歌っていた。今はもっとハイカラになっていると思う。
音楽の教科書も入れ替わりが激しく、歌い継がれる歌というのは…少ないような気がする。

演歌の一部は、日本のスタンダードと言えるだろう。
「悲しい酒」「おふくろさん」「王将」などは僕らより上の世代では誰もが知っている歌だろうが、でも、若い世代に引き継がれてはいかないと思う。

日本に生まれていながら、懐かしい歌を聴くとなると、洋楽の方が多いというのはオカシイ話だが、生い立ちがそうなので仕方がない。

今は、長く歌い継がれる歌というのがなくなってきているように思う。
歌はデーターになり、はやる期間が短く、そして消えていくのが早いのではないか。

日本の歌のスタンダードと言える曲は何だろう?



| | 音楽 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
何が違うのか
70年代、80年代の音楽を聴いていたら、子供が「古い」という。

「中央フリーウェイ」や「地球はメリーゴーラウンド」、「愛と風のように」「水色の雨」「土曜の夜はパラダイス」…など。

昔の曲だとわかって聞いているわけではないのだが、古い感じがする…らしい。

「そんなことないやろ」というと、
「この曲と、エグザイルの曲は全然感じが違うやろ…」とのこと。

なるほど、たしかに違う。

何が違うのか…。

最近の曲は、リズムの音が大きくなった。ドラムスの音が大きい。
低音(ベースやバスドラム)が大きくて、重い感じになっている。
そして、テンポが速いというか…、テンションが高い感じがする。
声の質は高く、キーも高い。歌詞のことばかずが多い。
全体に伴奏と声のバランスが違う。昔の歌は声がハッキリしているが、今ごろの曲は、伴奏の音が大きくなっている。
一つ一つの楽器の音が、ハッキリしている…かな。

そんなこんなで、聞いた瞬間に、「古い」という言葉が出てくるようだ。

ひと言でいうと、今の演歌歌手がむりにJ-POPを歌っているような感じ…ということも言っていた。
なるほどね。何となくわかる。

レコーディングの技術や機械は進んでいるものの、80年代くらいからは音楽を作って録音する方法が、画期的に変わったわけではないと思う。

高いものが安くなったのは事実だ。デジタル化のおかげである。
30年ほど前に、スタジオにこもって録音していたような事が、今や(防音装置などは別にして)数十万円もあればもっと高いクオリティでできるようになっているのだから。

それでも古く感じるというのは、時代の音、はやりすたりがあるのか。

音楽のジャンルでいえば、僕は、70年代以降新しく出てきたものは、ラップしかないように思う。
ニューミュージックがJ-POPになったが、どこが違うのか、よくわからない。

ビートルズ、ビーチボーイズ、スティービー・ワンダー、クインシー・ジョーンズ…もちろん、その前をたどれば、まだ源流があるのだろうが、ラップをのぞけば、彼らと今の音楽はそんなに違うのだろうか…。

でも、今の若い人が聞いて、即座に「古い」というのだから、「音」は変わっているのだろう。
たしかに…。

「たいして変わらへんやん」と思っていたのは間違いだったようだ。

「音楽」はいつも「時代」をあらわしている、ということか。

本当に、決定的に何が違うのか、もうちょっと考えよう。
そのためには、もう少し今の音楽を聴かないと…。


| | 音楽 | 23:08 | comments(2) | trackbacks(0) |
ストーニー・エンド
今日は車の中で、懐かしい歌を耳にした。

中学生の頃に聞いて、すごく好きだった曲だ。
探せばきっとこの歌が入ったカセットテープがあると思う。

バーブラ・ストレイザンドが歌っていた、ストーニー・エンドという歌だ。
Stoney end…石みたいな終わり(無情な結末…という感じかな)。
題名が印象的で、歌もよかった。
あまり流行らなかったから、知っている人はいないのかな…。

この曲を作ったのは、ローラ・ニーロという人で、フィフス・ディメンションという黒人のボーカルグループの曲をたくさん書いている。いい曲が多い。

おぼろげながら歌詞は知っていたのだが、調べてみたら、こんな感じだった。

「石みたいに悲惨な終わりに…」というところで盛り上がって、繰り返しの「ゆりかごで寝かせて…」というところが泣かせる歌だと思う。

いい加減な訳詞です。

ストーニー・エンド

 愛から生まれた私
 かわいそうな母は炭坑で働いていた
 私は聖書で育った
 行間の意味がわかるまでは

 今はもう信じない
 朝なんて来てほしくない

 石みたいに悲惨な終わりに落ちていく
 そんなふうにはなりたくなかったのに

 ママ、私をやり直させて
 もう一度ゆりかごで寝かせてちょうだい

 瞳に愛を光らせた彼を
 まだ思い出すことができる
 でも光は消え去って
 日がのぼりはじめる頃には別れてしまった

 今はもう信じない
 朝なんて来てほしくない

 石みたいに悲惨な終わりに落ちていく
 そんなふうにはなりたくなかったのに

 ママ、私をやり直させて
 もう一度ゆりかごで寝かせてちょうだい

 天気予報なんか気にしない
 だって空はおかしくなっているし
 怒りとおかしな雷が
 私の怒り狂う魂にぴったりくる

 今はもう信じない
 朝なんて来てほしくない

 石みたいに悲惨な終わりに落ちていく
 そんなふうにはなりたくなかったのに

 ママ、私をやり直させて
 もう一度ゆりかごで寝かせてちょうだい


こないだ書いた、街の灯りのまだ数年前の歌だ。
あの頃好きだった歌は、ずっと忘れないのだろう。

| | 音楽 | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
街の灯り
テレビを見ていたら、懐かしい曲がかかっていた。

堺正章が歌っていた、「街の灯り」である。
関電のコマーシャルソングで流れていた。
カバーしているのは、SAKURA。

ここで聞けます。(灯の言葉篇です)
http://www.kepco.co.jp/media/cm/index_3.html

1973年の曲だった。
「そばにだれかいないと…」という歌い出し。

スパイダースを解散して、ソロになって、何枚目かのシングルだ。

まだCDになっていない(というか、ひょっとしたらCDは出ないのかも…)のが残念。

僕が高校生の頃。毎月、ギターの雑誌を買っていて(当時はギターといえば、フォークギターだった)、歌詞とコードだけが出ているページを見ながら弾いた曲の一つだった。

この頃の曲は、とにかく歌詞がわかりやすい。言葉の数が少ないので、言っていることがよくわかる。

二番の出だしの「街の灯りちらちら…」というところが、胸にぐっとくる曲だった。

CMで流れる、抑えたバックにひびく声がすごくいい。
原曲よりも、透明感があって、好きだ。

CDが出たら、買おう。

この頃の歌は、いいですね。


| | 音楽 | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
斉藤哲夫
今年の、小田和正のクリスマスの約束という番組に、斉藤哲夫が出ていた。

「悩み多きものよ」というレコードを買ったのは、もう二十数年前のこと。
LPを2枚持っている。

本当に懐かしい。
小田和正よりも少し若いのか…。
そうだろうなぁ。

「バイバイ・グッバイ・サラバイ」という歌もあった。
三拍子の歌をよく作っていた。

吉田拓郎や井上陽水とは一線を画した、シンガー・ソングライターだった。

宮崎美子が出ていた、ミノルタのCMで、「今の君はピカピカに光って…」という曲は少し売れたと思うが、それ以外の曲はあまりメジャーにならなかった人だ。

今でも歌っていたんだなあ…と感動した。

小田和正とグッド・タイム・ミュージックという曲をやったが、この歌も聞き覚えがある。

テレビでは、今紅白歌合戦をやっているが、そんなものとは全く縁がない人だったが、個性的な歌を作り、歌う人だった。

歌っていてよかったなあ…と思う。

今までどうしていたんだろう。

ここにホームページがあった。
http://tetuo0404.hp.infoseek.co.jp/profile.html

でも、番組に出てきて、歌っている顔はすごくよかった。

苦労したんだろうと思う。
でも、いい顔だった。

年の終わりにいい人に会えて、いい人の歌が聴けてよかったと思う。

みなさん、良いお年を。

来年もよろしくお願いします。

| | 音楽 | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
スウィングジャズ
ちょっと前に、スウィング・ガールズを見て、イン・ザ・ムードやムーンライト・セレナーデなどのビッグバンドの演奏が聞きたくなったので、今日CDを買ってきた。

RCA Swing! 100という6枚組のCD。
6枚で100曲入って、3000円ちょっとの値段。
すごく得したような気がする。

イン・ザ・ムード、ムーンライト・セレナーデはもちろん、茶色の小瓶、ビギン・ザ・ビギン、スターダスト、A列車で行こう、サテン・ドール、サニーサイド・オブ・ザ・ストリート、オール・オブ・ミー、セントルイス・ブルース、この素晴らしき世界、マイ・ファニー・バレンタイン、センチメンタル・ジャーニー、マンボNo.5、コーヒールンバ、時の過ぎゆくままに、ムーンリヴァー、酒とバラの日々、風のささやき…。

1930年代から1980年代くらいの曲のオンパレードである。

スゥイングというのは、1930年にデューク・エリントン楽団が出した、"It Don't Mean A Thing. If Ain't Got That Swing."という曲のタイトルが起源と言われている…と解説に書いてあった。

日本の音頭と逆で、後がはねるようなリズムである。
身体が自然に揺れる…だからスゥイングなのかもしれない。
4ビートのリズムで、はっきりしている。

サックス、トランペット、トロンボーン、クラリネットなどのブラスの華やかさも気持ちがいい。

グレン・ミラー楽団、これは小学校の頃学校の映画会で見た。グレン・ミラー物語。
ベニー・グッドマン、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、みんな名前は知っている。
五つの銅貨という映画も見たなあ。これもジャズの楽団の映画だった。

ボーカルは、ペリー・コモ、ルイ・アームストロング、フランク・シナトラ、ビング・クロスビーなど。
イイですね…。

聴く音楽が、年とともに、60年代、50年代…とさかのぼっていっているような感じだ。

若いころは、古い録音は音が悪いとか、モノラル録音だとか、そんなことにこだわっていたが、もうどうでもよくなった。
イイものはイイのだ。

酒とバラの日々が流れてきた。原題はDays of Wine and Rosesだ。

今日はワインを飲もう。



| | 音楽 | 10:38 | comments(4) | trackbacks(0) |
トランペット
昨日、ジャズのライブに行って、トランペットの演奏を聞いた。

トランペットというと、どうしてもニニ・ロッソの夜空のトランペットを思い出してしまう。

朗々と、高らかに吹く、というイメージが固定観念になっていた。

しかし、昨日聞いたトランペットは、本当に囁くようだった。
すごく哀愁があって、まるで喋っているようだ。

管楽器というと、サックスが一番に思い出される。
首からひもで吊して、さっそうと吹く。
吹いている姿も絵になるし、アルトでも、ソプラノでも格好がいい。

もともと、管楽器はリードのあるもの(サックスや木管楽器)の音が好きだった。
音に深みがある。
金管楽器は派手なブラスセクションの演奏ならいいが、ソロで聞くのはちょっと…という感じだった。

しかし、昨日のトランペットは違った。
本当に口で吹いているのがわかる。
唇で話しかけるように、演奏するのだ。

人間の口と、たった3つのピストンを操って、こすれるような音や丸い音、角の立った音…色々な音を自在に吹く。

誰が、あんな楽器を考えついたんだろうか。

トランペットの語源は「筒」だそうだが、筒をねじ曲げて、ピストンをつけて、先を広げ…素晴らしい発明だと思う。

この歳になって、そんなことに気づくとは、情けない。

トランペットが好きな人、すみませんでした。


| | 音楽 | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
日のあたる街角で
今朝のNHKの朝のドラマ(純情きらり)で、主人公の桜子が、敗戦でアメリカを恨む小学生に、戦争を始めた自分たち大人が悪かった、と謝った上で、「アメリカを恨んでいても、いいことはない…」と言ったあとに、自分が好きなジャズの曲の話を始めた。

その曲が、「日のあたる街角で」という曲。
”On the sunny side of the street”というのが原題。
知っている曲だったが、意味はよくわかっていなかった。

調べてみると、この曲はアメリカが不況のどん底であった1930年代の曲。

悪いことばかりではない、ものごとにはいい面もあるんだという、暗い気持ちを吹き飛ばそう、という曲だった。

それが、わかってみると、素晴らしい曲に思えてきた。
CDを買おう。

On the sunny side of the street

Grab your coat and get your hat
Leave your worries on the door step
Just direct your feet
To the Sunny side of the Street

Can't you hear that pit ten-pat
And the happy tune is your step
Life can be so sweet
On the Sunny side of the Street

I used to walk in the shade
With those blues on parade
But now I'm not afraid
This over, crossed over

And if I never have a cent
I'll be rich as Rockefeller
Gold dust at my feet
On the Sunny side of the Street

Words by Dorothy Fields
Music by Jimmy McHugh

曲の意味は、こんなのだと思う。

 日のあたる街角

 コートをつかみ、帽子を持って、暗い気持ちは出口で忘れよう
 日のあたる街角へまっすぐに進んでいこう

 足音が聞こえるかい?
 君の足音は、そのハッピーな足音だ
 生きてることはこんなに素晴らしい
 日のあたる街角を歩けば

 ずっと日陰を歩いてきた
 憂鬱な気持ちばかり
 でも、こんな事はもう恐くない
 通りを渡って、日のあたる街角を歩けばね

 1セントもなくても、ロックフェラーみたいに金持ちだ
 足もとには砂金がある
 日のあたる街角を歩けば

ものごとには、いい面があるという勇気を与える曲だった。
アメリカ人はそれがわかって、歌っていたのか…。


| | 音楽 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
JazzのCD
今日は宣伝です。

私のギターの先生がバックで演奏しているジャズボーカルのCDが出ました。

これです。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000G7P7VY

Jazz Coverというアルバムで、女性二人のボーカルです。

曲はジャズのスタンダード曲がメインです。
ライブの演奏を集めたもので、今どきめずらしい、しっとりしたアルバムでした。

サマータイムや枯葉などの名曲、More〜Fly me to the moon〜Moon Riverのメドレーなど、夜に一人で聞くにはいい感じです。

個人的には、6曲目に入っている、 Do You Wanna Dance? がすごく良かったです。

月の光の下で、ダンスを踊りましょう…という曲で、むかしビーチボーイズが派手にやっているのは聞いたことがありましたが、この曲をゆっくりやると、すごくいいなあ、と思わされました。

森田葉月&森川七月というボーカリストは初めて聞きましたが、なかなか上手です。

今日は、少し標準語になりましたが、よかったら、一度聞いてみて下さい。

それにしても、先生はうまい…。


| | 音楽 | 02:12 | comments(2) | trackbacks(0) |
レコード
今日、何となく思い立って、LPレコードを出してきた。

尾崎亜美が聴きたくなって、探したのだが、見ていると水越けいこのアルバムも出てくるし、竹内まりやのユニバーシティ・ストリートも出てきた。前に書いた、永尾美代子の「芦屋セーリングスポット」もついに見つけた。

ジャケットを見ると、買った当時のことを思い出す。

聴きたかったのは、尾崎亜美の「春の予感 I've been mellow」。
たしか、化粧品のCMに使われていたと思う。

いい曲だ。ギターが鈴木茂で、バックコーラスがオフコース(まだ二人の時)だった。

ユニバーシティ・ストリートも久しぶりに聴いた。曲の終わりに、「まりや、元気ぃ?」「元気!」「バイビー!」「バイビー」というやり取りが入っていた。これも、よく聴いた。カセットだったなあ。

「う〜ん、東京ではバイバイの事をバイビーというのか…。おれらもこれでいかなアカン…」などと言いあい、「バイビー」を一時使っていたが、関西弁には合わなかったようで、誰からともなく使うのをやめた。

たしかに、「ほな、帰るワ、バイビー」と言うと、浮いてしまう。

水越けいこは子供向けの番組で、歌のお姉さんをしていて、それからデビューしたハズ。

LPレコードを見ていると、ついつい時間がたつ。
場所を取るし、重たいが、30センチ四方の大きさは情報量が多い。

ふんふん、こんなの聴いたなあ…と思いつつジャケットを手に取る。

ユーミンのコバルトアワーのピンクのイラスト…かっこよかった。
オフコースのOverは、シンプルでよかった。
EPOも何枚かあった。ポップなマンガ風のジャケットが懐かしかった。

みなさん、レコード持ってます?

レコードプレーヤーは捨てられても、レコードは捨てられませんよね…。

そんなお父さんが、世の中にたくさんいるのではないかと思う。

どうですか?



| | 音楽 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
Shakatak
こないだ、TSUTAYAに行って、CDを借りた。
モーリス・ホワイト、クインシー・ジョーンズとか、懐かしいソウル系のCDを持って、カウンターに行ったら、あと1枚借りたら安くなって、1週間レンタルできます、と言われたので、もう一枚探しに行った。

何となく目にとまったのがShakatakのCD。
なつかしいグループだ。

フュージョン、というジャンルだった。
ジャズとロックの融合でフュージョン、という事だ。
デビューが1981年。今から25年前。24歳の頃か…。入社してすぐの頃。

よく聞いた曲はNight Birdsという曲。女性ボーカルが入って、テーマが透明感のあるピアノ。リズムギターがすごくかっこいい。

Shakatakのベスト盤1枚を追加して借りて帰った。
Night Birdsを聞くと、いま聞いても古くないし、さわやかな音にホッとする。

70年代から80年代にかけて、レコーディングの機器も進歩し、電子楽器も進歩し、プレイヤーの技術も進歩したと思う。

ShakatakのNight Birdsを聞くと、それから25年たった今、25年間の変化はなんだったんだろう?と思う。

べつに、変化する必要はないと思うが、60年代、70年代、80年代の10年ごとにはすごい変化があったし、それを聴いてこられて、よかったとは思う。

フュージョンとか、クロスオーバーとか言っていた、この手の音楽は最近あまり聴かなくなったが、80年代にはいい曲がたくさんあったと思う。

また探してみよう。
| | 音楽 | 01:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビートルズ
ビートルズの来日は1966年だった。
東京オリンピックと同じだと思っていたが、2年ずれていた。
小学校の4年か…。

実は、来日した時のことは全くおぼえていない。
マッシュルームカット(おかっぱ頭)の写真はおぼえているが…。
ポール・マッカートニーの顔が印象的だった。

ビートルズを聴きはじめたのは、高校に入ってから。
当時、休みの日に3本立ての映画館によく行っていたが、そこでレット・イット・ビーの映画を見てからだ。
アップルレコード本社の屋上で、ゲット・バックをやっているところがすごくかっこよかった。

赤と青の2枚組ずつのレコードを買って、これは文字通りすり切れるほど聞いた。

Please Please Me, A Hard Days Night, Help, In My Life, From Me To You, Can't Buy Me Love Ticket To Ride, Yesterday, …前半の曲はいずれもシンプルできれいな曲が多い。

後半は、Penny Lane, Lucy In The Sky With Diamonds, All You Need Is Love, Hey Jude, Get Back, Come Together, The Long and Winding Roadなど、ポールらしい凝ったベースラインの曲が目立つ。

彼ら4人がいなければ、今の音楽はどうなっていたんだろう。

この当時、エルビス・プレスリーもいたし、ビーチ・ボーイズもいた。
でも、今聞いても、ビートルズはすごいと思う。彼らは別格だ。

ほとんどの曲をジョン・レノンとポール・マッカトニーの二人で書いているが、どの曲をどちらがメインで書いたのかはわからない。

解散後、二人とも曲を書いているが、何となくビートルズ時代の曲とは違うような気がする。

あの時代、ビートルズにはオーラがあったんだろうと思う。
メンバーとプロデューサーたちの相乗効果で、あの時にしかできない曲ができた。

ジョンが撃たれ、ジョージが病に倒れ、今はポールとリンゴだけが生き残ったメンバーだ。
ジョンの死は決定的だった。(死はいつも決定的だが…)

もう二度とビートルズはできない…と思った人は多かったのではないか。
ジョンの死は、もう一度、和解して、ビートルズの4人がレコーディングできるのではないか、という一縷の望みを持っていた人たちの夢を砕いた。

今年はビートルズ来日40周年の年。
http://www.toshiba-emi.co.jp/beatles/profile/index_j.htmというページに書いてあった。

「ビートルズは解散後も世界中に多大な影響を与え続けている。
ビートルズに触発されて生まれたアーティストは数知れず、ビートルズによって音楽の世界は無限に広がった。
音楽にとどまらず、ビートルズという存在そのものが与えた影響も見逃すことはできない。
物ではなく心のありかたに真実を求め、愛を歌い、新しいことに挑戦した4人の姿は、ビートルズを知った人たちに少なからず影響を与え、その影響は音楽というジャンルをこえたさまざまな形で開花している。
そしてビートルズが送り続ける愛のメッセージは、これからもいっそうの輝きと重要な意味をもって永遠に伝えられるのだ。」

そのとおりだと思う。

20世紀で最も偉大な音楽家は、ビートルズだ。



| | 音楽 | 01:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近のいい曲
最近といっても、若い人から見ると、かなり古いんだろうが…。

この頃は、子供の影響でテレビの歌番組がついていることが多くなったので、新しい曲を聴く機会が増えた。

いいなあ、と思った曲がある。

まず、ナチュラル・ハイという女性二人組の歌う、「No Piano No Life」。
これは歌詞もいいし、題名通り、ピアノの演奏もいい。

小学校の頃の帰り道に、ランドセルを背負って歌ったら、なぜか寂しくなかった。
ピアノを始めた頃の、つたない音のメロディー、あの頃から変わらない気持ちで…。
心うらはら、すれ違いの恋、どうすることもできず終わった…。
恋が終わって、悔し涙をポロポロ流した時も、歌えば時間を忘れられた。
ピアノに想いをぶつけて、夢中でつなぐ音を愛したい…。
ゆずれない心の音を奏でたい…88鍵からから響くメロディー…。

ピアノを演奏して歌う気持ちが素直に歌われていることと、大人になる切なさみたいなものがミックスされて、聞いていて切なくなる。
明るいスイングの曲調だが、妙に悲しい。
だれか、No Guiter No Lifeという曲を作ってくれないか。

続いて、ケツメイシというラップのグループの「さくら」という曲。
これは去年流行った曲だが、あらためて子供にTSUTAYAで借りてきてもらって聞いた。
「トゥルリラ」というリフレインが印象的だ。
このグループは「涙」という曲も良かったが、この「さくら」というのもいい。
「花びら舞い散る、記憶舞い戻る…」という歌詞が「さくら」という曲の題名と合って、すごくいい。

日本語のラップというのは、以前アメリカでラップが流行り始めた頃にコピーバンドみたいなのが出てきて、何となくいまいちだと思っていたが、このケツメイシというグループを聞くと、日本語のラップもアリだなあ、と思う。

最後に、前にも書いたが、スキマスイッチの全力少年という曲。
これは、歌詞も曲もいい。

試されてまでも、ここにいることを決めたのに 呪文のようにしかたないとつぶやいてた…。
ガラクタの中に輝いていたものがいっぱいあったろう…。
よどんだ景色に答えを見つけ出すのはもうやめだ。

まぎれもなく僕らはずっと、全力で少年だった。視界はもう澄み切ってる…。

これも大人になる切なさが歌われている。
怯えてたら何も生まれない、という言い切りで、少年に戻って、世界を開くんだ、という無邪気さがいいんだろう。
世の中はそんなに甘くないが、せめて歌の世界では夢を…とおじさんは思ってしまう。

No Piano No Lifeを聞きながら、これを書いているが、才能があるアーティストが出てくるのはいいことだ。
70年代の音楽が最高、と思ってきたが、そうでもない…と思う。

そう思えるのは、いいことだ。


| | 音楽 | 02:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
変わらないモノ
今日は、久しぶりにレコードを聴いた。

20代の頃によく聴いたHI-FI-SETのQuarter Restというアルバム。残念ながらCDにはなっていない。

A面の2曲目(A面と言っても、わからない人が増えてきたが…)の「薄れゆくメロディー」という曲、これがいい曲だった。
1979年のレコーディング。でも、古いとは思わない。

薄れゆくメロディー (作詞:大川茂)

薄紅色に染まりはじめた
街角に立ちどまる
かすかに聴こえる ビリーの歌が
あの頃 私 好きだった

今も この胸は あなただけ
憶えているのね
黄昏がせまる街に
遠く流れてたメロディー

どんな通りを歩いていても
曲がり角 淋しくて
ひとりこっそり振り向いてみる
どこかで見つめる気がして

もしも 見かけたら あの歌を
くちづさんでみて
今では うらみも消えた
笑顔みせてあげられるわ


この歌に出てくる「ビリー」は、きっとビリー・ジョエルの事だと思う。この曲をよく聞いていた頃、そんなことを考えた事も思い出した。

1977年にビリー・ジョエルはストレンジャーというアルバムで、一躍有名になった。
イントロの口笛のメロディはすごく印象的。すごく流行って、いろんなところでかかっていたから、「黄昏にせまる街に 遠く流れてたメロディー」は、きっとビリージョエルの曲だろう。

カーステレオ(今はカーコンポというのか…)で、カセット・テープでよく聴いた。

今日も、思わず一緒に歌ってしまった。

49歳になった日に、20代の頃に聴いた曲を懐かしんで歌う。

でも、これは歳をとっても変わらないモノが心の中にあるという事なんだろう。

きっと、そういうことだ。
| | 音楽 | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
遠くからみちびいて
ある日、急に聞きたくなる曲が出てくることがある。
いちばん印象的な一節が、突然頭に浮かんで、口ずさんでしまう。
そんなことって、ありますよね。

今日は帰りの車の中で、昔のハイ・ファイ・セットの曲が出てきて、頭から離れない。
この曲は、ザ・ダイアリーというLPに入っていた曲。

しっとりしたバラードで、すごく好きな曲だった。
レコードしかないので、長いこと聞いてなかったし、ここ数年、こんな曲があったことすら忘れていたのに、急に最後の一節が出てきた。

 遠くからみちびいて

  淋しくて 死にたいとき
  星の光さえ うすれるとき
  わけもなく つらく悲しいときに
  遠くからみちびいてくれるのは あなただけ
  毎日が苦しいとき
  暗い人影に おびえるとき
  生きていく希望 うしなうときに
  遠くからみちびいてくれるのは あなただけ
 
  じっと 見つめてくれるだけでいい
  手を肩に置くだけで
  もう私は 優しくなれる

  誰の生きかたをみても
  心などは もう 見えないけど
  あなたを見ていると 幸せになる
  遠くからみちびいてくれるのは あなただけ

(訳詞:岩谷時子)

すいません。歌詞はコピーしないように・・・。

若い頃に聞いた音楽は、いったい心のどこに隠れているのか。
それが、ふっと浮かんでくるのは、なぜなのか・・・。

こんな事は、脳をいくら研究してもわからないだろう。
思い出すと、無性に聞きたくなる・・。
事情があって、すぐには聞けないのがもどかしい。

こないだも書いたが、レコードを取りに行こう。

いい曲です。

| | 音楽 | 02:15 | comments(2) | trackbacks(0) |
スチールパン
今日はギターの先生が出演するライブに行ってきた。
主役はスチールパンという楽器。20世紀最後のアコースティック楽器と呼ばれているらしい。

発祥の地はトリニダードトバゴという南米の国。ここで石油が取れる。その石油を入れるドラム缶をへこませて、凹面になったところに円形の凸面を作り、その大きさで音階が決まる・・・書くと難しいが、このページを見てみて下さい。

http://www1.linkclub.or.jp/~ishiguro/pan/pan.htm

今日メインで演奏したのは、一つのドラム缶に28音階が出せるようにしてあるもの。クロムメッキの銀色ですごくきれいなものだった。たたく棒は、先にゴムのついたもので、20センチくらいの長さ。
これはテナーパンといって、30センチくらいの深さである。他に60センチくらいの深さのアルトパンというのもあった。こちらは低い音なので、出せる音が少なくなる。

カリブ海生まれの楽器というのがぴったりで、すごく明るい響きがする。金属的なパゥンという音で、きれいな音色。
二人のスチールパン・プレイヤーが、見事なスティックさばきで銀色のスチールパンを叩くと、何ともいえない音の世界ができる。

ディズニーのビビディ・バビディ・ブーや、セルジオ・メンデスとブラジル66のマシュケナダ、アントニオ・カルロス・ジョビンの波や、ジャズの名曲であるテイクファイブなどの曲が、何ともいえずカリブ風になって響く。
曲によっては悲しい響きになったり、明るい響きになったりする。
ギターのF先生は相変わらずうまい。スパニッシュ、ラテン、ボサノバ・・どんな曲でも弾ける。ソロも多かった。

たまにこういう音を聞くと、俗世界から離れることができる。

予約してなかったので、開店と同時に行った。
一番前の席に陣取り、ステージをながめながらビールを飲んでいると、すぐに酔いが回る。

酔いをさます意味もあって、乗りまくって手拍子したので、目立ったのかもしれない。
最後に、スチールパンのリーダーが席の前に来て、目を見て、「今日はありがとうございました」と言ってくれた。

あー、楽しかった・・と独り言を言いながら、帰途につく。
こういう夜は、時間が経つのが早い。

「音楽はこころの贅沢」こういう言葉があるのかどうか・・・Googleではヒットしなかったが、そういう言葉がぴったり来るライブだった。

2週続いた連休も終わり。

明日からがんばって働かないと。


| | 音楽 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
忘れられない一曲
こないだ、またライブに行った。

前回は70年代のヒット曲だったが、今回はその続編で80年代の前半の曲のコーラス。
今から20年〜25年前の歌になる。

プレイヤーとの距離が近くて、すごいエネルギーを感じたし、みんなが楽しそうに歌い、演奏しているのを聴くとこちらまで楽しくなる。
Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)という曲が、このグループのテーマソングになっていて、振り付けがあるのだが、前回と同じく、客席も一緒になって踊ってしまった。この曲はすごく好きな曲になった。

20代のころは、懐メロというと、軍歌だったり、古い演歌だったりして、当然興味はなかった。
でも、10年ほど前に、NHKの思い出のメロディーみたいな番組を見ていたら、太田裕美が出てきて、「木綿のハンカチーフ」を歌い始めた。えー、これが思い出のメロディになるのか?とびっくりしたおぼえがある。その当時で、発売後15年くらいか。

だんだん、思い出のメロディになじみが出てくる自分は、確実に歳をとっているが、この頃はそんなことも気にならない。イイ音楽は古かろうが新しかろうが、イイ音楽だ。

思い入れのある曲、ありますよね。
あの頃聴いた曲、あの場面で聴いた曲、誰かと一緒に聴いた曲など・・。

今回のライブで一番感激したのは、Sir Dukeというスティービー・ワンダーの曲。

今またギターの練習を始めたが、この曲が流行ったころは仕事で遅くなったが、どういうわけかギターをよく弾いた頃だった。
子供も生まれてなかったし、甲子園球場のそばのマンション住まいだった。自分で買ってきて組んだ安物のラックにレコードプレーヤーやアンプ、カセットデッキなどを載せて、ギターをつないで、もっぱらヘッドフォンで弾いていた。
今から思うと、この時期がギターを練習した最後の時期だろう。ここから進歩が止まっている。
Sir Dukeのサビのあとの部分のリフを弾こうと思って、何度も練習した。いつも最後のところでひっかかって、うまく弾けない。

Sir Dukeは、ジャズの巨匠であるデューク・エリントンに捧げる歌ということになっているが、歌詞とメロディがよく合っていてノリがすごくいい曲だ。残念ながらデューク・エリントンさんにはあまり面識がないのだが、曲の中に出てくるグレン・ミラーやサッチモにはお世話になったおぼえがある。

歌詞は、「音楽は世界中に通じるコトバだ。だれでも同じようにわかる。レコードにグルーヴがあるだけで、だれでも歌い、踊り、手拍子できる。・・・」というようなもの。
実は難しくて、歌詞の意味が全部はわからないが、サビのところの「キミも感じれるだろう(You can feel it all over)」のリフレインのところに来ると、感動してしまう。
こないだのライブでは、このリフレインの部分を何度も繰り返した。手拍子をしながら、ステージの上のプレイヤー、ボーカルが楽しそうに演奏し、歌っている顔を見ながら、一緒になって歌った。そしたら、涙が出てきた。

別にあの頃を思い出したわけでもない。郷愁でもない。今書いていると、たしかにそんなことがあった・・と思うんだが、その時は何も考えてはいない。音楽の力なんだろうか。

今度こそ、練習して、あのリフを弾けるようになろう。
今回、ライブに行って、Sir Dukeは忘れられない一曲になった。
これから、まだまだ忘れられない曲が増えてくる・・そんなふうに暮らせたらいいと思う。



| | 音楽 | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダニエル
洋楽は中学の時から聴いているが、最近の歌は知らない。

エルトン・ジョンは、いろんな曲があるが、「ダニエル」だけは別格だ。
この曲は、ある時歌詞が突然わかって、それ以来好きになった。

漠然と聴いていた時は、兄弟の歌だということはわかっていたが、歌詞の意味を理解しているわけではなかった。
ラジオなどで聴いて、まあ、イイ曲やん、という感じだけだった。

ある時、この歌のダニエルはお兄さんで、ケガをしていて、目が見えなくなった・・ということがわかった。
何度か聴いていたが、気がついていない。ぼーっと聴いているとわからないし、歌詞もしっかり見たことがなかったので、知らなかったのだ。

どういう経緯かわからないが、ダニエルは盲目になり、スペインに旅立つ。
その兄を慕って、弟が歌う・・それがダニエルという曲だった。
今回ネットで調べてみたら、これはベトナム帰還兵の兄を慕う弟の歌、と書いてあるサイトがあった。
そうかもしれない。そういう時代だった。

Daniel (ELTON JOHN)

Daniel is travelling tonight on a plane.
I can see the red tail lights heading for Spain
Oh and I can see Daniel waving goodbye.
God, it looks like Daniel. Must be the clouds in my eyes.

They say Spain is pretty though I've never been.
Well, Daniel says it's the best place he's ever seen.
Oh and he should know, he's been there enough.
Load, I miss Daniel. Oh, I miss him so much.

Oh oh oh Daniel, my brother, you are older than me.
Do you still feel the pain of the scars that won't heal?
Your eyes have died, but you see more than I.
Daniel you're star in the face of the sky.

Oh oh oh Daniel, my brother, you are older than me.
Do you still feel the pain of the scars that won't heal?
Your eyes have died, but you see more than I.
Daniel you're star in the face of the sky.

Daniel is travelling tonight on a plane.
I can see the red tail lights heading for Spain
Oh and I can see Daniel waving goodbye.
God, it looks like Daniel. Must be the clouds in my eyes.

Oh
God, it looks like Daniel. Must be the clouds in my eyes.


きっと、こんな意味だろう。

ダニエル(作詞:エルトン・ジョン)

ダニエルは今夜のフライトで旅立つ
赤いテールライトが見える あれがスペイン行きだ
そう、僕にはダニエルがサヨナラと手をふるのが見える
ダニエルに似ているのは、きっと僕の目に映った雲なんだ

スペインには、僕は行ったことがないけど、きれいなところらしい
ダニエルは今まで見た中で一番いいところだと言ってる
そう、知っているハズだ ダニエルは何度も行ったことがあるから
神さま、ダニエルがいないと寂しいんです すごく寂しいんです

ダニエル、君は僕の兄さん
その傷跡はまだ痛いのかな、もう治らないだろうけど
君の目はもう見えないけど、僕なんかよりずっと、よく見えている
ダニエル、君はこの空にちらばった星みたいだ

ダニエルは今夜のフライトで旅立つ
赤いテールライトが見える あれがスペイン行きだ
そう、僕にはダニエルがサヨナラと手をふるのが見える
ダニエルに似ているのは、きっと僕の目に映った雲なんだ
そう、きっと僕の目に映った雲に違いない

この曲を歌うと、「君の目は見えないけど、僕なんかよりずっと、よく見えている」のところで、いつも胸がつまる思いになる。

短くて、淡々と歌われる曲だが、ある日突然自分の名曲になった。

エルトン・ジョンは、マイ・ソングやイエロー・ブリック・ロードなんかもいいけど、やっぱりダニエルだ。

| | 音楽 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
小田和正曰く
朝のニュースで、小田和正のツアーの取材をやっていた。
57歳だったんだ。完全に団塊の世代。もうちょっと若いと思っていたが・・・。
ちょっと髪は薄くなったが、あの声はそのままだ。すごい。

コンサートには、小田和正と同世代以上の人がけっこう来ている。
それらの人たちに向けて、コンサートの中で彼が話しているところが、放送されていた。

人生の価値・・というようなものについて、

「思い出をいっぱい作る方が勝ちですよ。毎日ダラダラ生きてちゃダメ。
 でも、いっぱい作りすぎるとね、死ぬのがつらくなる。その兼ね合いがむずかしい・・・。
 回りの人に助けてもらうのはいいと思うよ、でも、頼っちゃダメだ。
 自分の力でのたうちまわらないと・・・。」

この話の後「そして今は」という曲を歌っていた。今回のアルバムのラストの曲だ。

そして今は (作詞・作曲 小田和正)

遠くの 景色を 眺めるようにして
過ぎてきた ときを ふり返れば

目に浮かぶ ともたち 愚かな 日々
きらめく 笑顔と 涙と

  そして きみの中に ぼくは いるか
  空は あの日のように ただ 青いか
  愛する ひとは そこに いるか

もういちど 生きて ゆくとしても
また 同じ 人生を たどるだろう

ぼくが こうして ぼくで ある限り
ぼくは きっと 自分を 生きるだろう

  そして きみの中に ぼくは いるか
  空は あの日のように ただ 青いか
  愛する ひとは そこに いるか

何を 求めて ここまで 来たのか
まだ 見えない 多分 これからも

ただ ぼくは 何をすれば いいのか
少しだけ 分かったかも 知れない

  そして きみの中に ぼくは いるか
  空は あの日のように ただ 青いか

  ほんとうに きみを 愛せているか
  あの日々は まだ かがやいて いるか
  今も きみの中に ぼくは いるか

この曲には「僕ら」は出てこない。「ぼく」だけだ。
もう一度生きていくとしても、同じ人生をたどる、という自信。
何を求めて来たのかは分からないけど、今は、何をすればいいのか、少しだけわかったかもしれない・・・。

僕はまだ、「何」をすればいいのか、わからない。
この「何」は、自分の人生の目的、というようなものだと思う。
思い出をいっぱい作ったら、その中から見えてくるものがあるのかもしれない。
毎日ダラダラ生きていたら、見えてこないのかもしれない。

エライですね。
勝ち組の人だから・・・と言ってしまえばそれまでだが、勝つには勝つだけの理由と努力がある。
57歳でこのパワー。もっとがんばってほしい。

最近増えてきたけど、思い出をいっぱい作れるように、がんばろう。

いっぱい作りすぎると、死ぬのがつらくなる・・か。
それはそれでイイと思う。
きっと、小田和正もすでにつらくなってるんだと思う。
そうでないと、あんな言葉は言えないだろう。

| | 音楽 | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワンパターンの美学
こないだ、小田和正の「そうかな」を買った。
相変わらず、声が高く、ボーカルを生かしたアレンジで、小田節を聞かせてくれる。

高校の時から、オフコースが好きで、LPはほとんど持っている。
ホントによく聞いた。
小田和正と鈴木康博のコーラスは、当時としては、すごくきれいで魅力的だった。
赤い鳥も良かったが、小田・鈴木のコーラスはモダンな感じがしたし、メロディも斬新だったと思う。

小田和正も、鈴木康博も理科系の人間で、作る曲も、二人ともすごく計算されたコード進行の曲だと思う。何といったらいいのか・・特に小田和正の曲は、図形にたとえると、世の中にたくさんあるただの四角形やただの三角形ではなく、正四角形、正三角形のカタチをしているような気がする。意図的にそうしないとできないカタチ・・そんな気がする。明朝体ではなく、ゴシックだ。

初めて聞いたのが17歳の時だったと思う。あれから30年以上経っても、小田和正は変わらない。
さすがに年で、恋の歌が減って、「僕ら」という言葉が増えたような気がする。
小田和正の「僕ら」は僕より上の、団塊の世代の終わりのほうの事だと思うが、「僕ら」が出てくると何となく僕も入っているような気がして、共感してしまう。

若い頃に書いていた、「僕らの時代」という曲が好きだった。
あれが最初の「僕ら」だったのかな??

この人は変わらない。
いつ聞いても小田和正である。

もう一人、山下達郎も20歳の頃にデビューアルバムを聴き、びっくりしてしまった。
A面、B面をロスとニューヨークのスタジオで録っている。ミュージシャンも指定したらしい。

こんな事を言ったら悪いけど、この人は、このデビューアルバムがベストだと思う。
これを超えたものは無いのではないか。
Windy ladyとか、Last stepとか・・。

山下達郎も、LPの時代はほとんど買った。CDになって、少しごぶさたしたけど。
正統派のポップス、リズム系の曲など、パターンの引き出しの数は少ないと思う。
この人も、変わらない。聞いたら、すぐに山下だ、とわかる。

あまり表沙汰にしていないが、さだまさしも好きだ。
20代の頃はよく聞いた。最近はごぶさたしている。
吸い殻の風景とか、主人公とか、雨やどりなどもこっそりイイと思う。

この人も変わらない。
さだは、さだだ。

みんなワンパターンでやろうと思ったわけではないだろう。
勝手にワンパターンと括ったら、怒られるかもしれないが、誉め言葉としてのワンパターンだ。
自分のやりたいことをやっている、人は人、自分は自分、これが俺の、僕の、音楽という感じ。
実は、変化しているのかもしれないが、僕にはわからない。

| | 音楽 | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
この素晴らしき世界
ライブハウスに行った。
音楽はいい。

ステージよりも早めに行って、ショーの始まりを期待しながら、気のあった人たちと飲んで食べる。世間話に花が咲くが、今から音楽を聴こう、という気持ちがそうさせるのか、あまり仕事のボヤキなどの話は出ない。
ピアノがあり、ドラムスがあり、マイクが立てられたステージのそばにいるだけで、気持ちが前向きになるんだろうか?

ショーが始まって、ステージ上の歌手とバックのプレイヤーの音がライブハウスの空間を満たす。
ボーカルの気合いが伝わってきて、バックのリズムに合わせて、自然に身体が揺れる。

ああ、音楽はいいなあ、と思う。

一緒に口ずさんで、手拍子する。

このエネルギーは何なんだろう。

何が人を音楽に向かわせるんだろう。

2回のショーを見終わって、気持ちのいい充実感を胸に、ライブハウスを後にする。

印象に残ったのは、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。

WHAT A WONDERFUL WORLD
(George Weiss / Bob Thiele)

I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world

I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world

The colours of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shakin' hands, sayin' "How do you do?"
They're really saying "I love you"

I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world

Oh yeah

この素晴らしき世界

緑の木々だって、赤いバラだって
僕らのために咲いていると思う
僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・

青い空、白い雲
明るく楽しい日、暗く聖なる夜
僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・

虹の色がすごくきれいな空
通っていく人たちの顔も同じように美しい
友たちが握手をして、「初めまして」と言う
本当は「I love you」と言ってるんだ

赤ん坊の鳴き声が聞こえる、大きくなっていくのを見ている
彼らは僕が知ってることよりもたくさんのことを学ぶだろう
僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・
そう、僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・

こんな意味だろうと思うんですが。

なんという事のない歌詞だ。

でも、あのメロディで、この歌を聴くと、何とも言えず胸に迫るものがある。特に、ルイ・アームストロングの枯れた声で聞くと、よけいにそう思う。(ライブの歌手はルイ風に歌ってくれた)

これが音楽のチカラなんでしょうね。

こういう事があると、心のモヤモヤがリセットされたみたいになる。
音楽のある、この素晴らしき世界。
生きててよかった、と思える数少ない瞬間ですよね。

| | 音楽 | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
aikoはすごい
高校一年の息子に録音してもらい、aikoを聴いたが、この人はすごい!

以前、カバンという曲を聴いて感心したが、今回まとめて聴いて、この人の才能に驚いた。

詞はちょっとおいといて、曲にびっくりする。専門的にどういうのかは知らないが、メロディのキーが変わるのだ。

20代の頃に聴いた、スティービー・ワンダーの"You are the sunshine of my life 〜"で始まるあの曲がこの手のメロディの聴き始めだった。
こんな曲が作れるんや、と思って聴いたものだ。
その次は、荒井由美のコバルトアワー。これも、何かよくわからないが、荒井由美は天才や、と思った。

あれからほぼ30年経って、こんな人が出てくるのか。
「花火」とか「カブトムシ」、「アンドロメダ」、「蝶々結び」など。
不思議な節回しだが、不自然さもなく、普通に聴けてしまう。
歌う方も、普通に歌っているんだろう。

フォークギターで、コード8つくらい知っていても、到底たちうちできないメロディだ。

どうやって、こんなメロディを作るんだろうか。
音大出身とのことなので、和声学の勉強をつんだんだろうか。

最近の音楽はあまり聴かないが、すごくオリジナリティがあると思う。
宇多田ヒカルも、いいなあと思ったが、メロディの斬新さではこの人の方が上だろう。
線は細いが、ボーカルもうまい。

嘘か誠か知らないが、カラオケで歌いにくくするために(なかなか覚えられないように)、わざと転調したりする、という曲作りもあるというけど、この人の曲はそんな感じではなく、自然に作られているように聞こえる。

aikoはすごい。
こういう才能がある人が出てくるのはイイことですよね。

| | 音楽 | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
70年代と今 3 レコード大賞
今までの話がちょっと個人的すぎたので、70年代のヒット曲はどうだったのかということについて調べてみた。

僕が中学に入った1969年のレコード大賞は、「いいじゃないの幸せならば」だった。佐良直美、なつかしいですね。
すごくいい曲です。

当時、大晦日はレコード大賞を見て、紅白歌合戦を見るものと我が家では決まっていた。
(今は大晦日はドラえもんを見ているが・・・)
あまり歌謡曲には興味がなかった僕でも、レコード大賞をもらうような曲は知っていた。
ちなみに、1969年から1979年(就職した年!)の10年間のレコード大賞受賞曲を見ると、


1969年 いいじゃないの幸せならば 佐良直美
1970年 今日でお別れ       菅原洋一
1971年 また逢う日まで      尾崎紀世彦
1972年 喝采           ちあきなおみ
1973年 夜空           五木ひろし
1974年 襟裳岬          森 進一
1975年 シクラメンのかほり    布施 明
1976年 北の宿から        都はるみ
1977年 勝手にしやがれ      沢田研二
1978年 UFO          ピンクレディー
1979年 魅せられて        ジュディ・オング

というような顔ぶれ。

11曲の全部を知っているし、10曲は今でもカラオケで歌える唄だ。(恥ずかしいのは別にして)
当時の歌番組(夜のヒットスタジオやベストテン、紅白歌のベストテンなど)では、レコード大賞になるような曲は、毎週出てきて、2ヶ月くらいは同じ曲を歌っていたものだ。それは80年代になっても続いたと思う。

このころ、洋楽で流行ったもの(好きだったもの)というと、ビートルズサイモンとガーファンクルカーペンターズがメジャーなところ。
カーペンターズは神戸文化ホールに見に行った(たぶん高校1年)。
個人的には前にも書いたが、キャロル・キング、フィフス・ディメンションは外せない。

今はどうなんだろうか。
ここ10年のレコード大賞の曲は、25年後になっても、今の中学生は知っているのだろうか。
知っているかもしれないけど・・・。

レコード大賞の授賞式も紅白歌合戦も、視聴率が下がっている。
従来の歌謡曲(というか、歌謡界)の枠にはまらないミュージシャンが増えてきて、彼らが賞の価値を認めなかったりするから、レコード大賞というもの自体の魅力が薄れてきたんだと思う。

音楽のコピー文化が進み、レンタル屋ができて、今では曲のダウンロードすらできる。
価格破壊による音楽の大衆化は否応なく進んできたと思う。
さらに、色々な音楽文化が広がってきた。演歌やアイドルを中心とした従来の歌謡界というものは、大きな音楽のマーケットのほんの一部分でしかない。量の面でも、質の面でも大衆化が進んだ、と言えるだろう。
大衆化、ということは、誰もが好きな音楽のソースを手に入れるということであり、それはいいことなんだろう。

しかし、本当にいいことばかりなんだろうか。

一般的な商品は、あるところ以下まで価格が下がると、品質はどうでも良くなる(壊れたら、買い直せばよいということ)と言われている。

最近、ビデオデッキなど、安くなりましたよね。
10年近く使ってきたビデオデッキが壊れて、修理に持っていったら、修理するより新品を買う方が安いと言われた。
新しく買った安いビデオデッキが壊れても、きっと新品を買う方が安いんだろう。
これが続くと、壊れても、買い直せばよい、という気になってくる。
壊れない=品質が良い、という事の価値が相対的に下がってくるんだと思う。
さすがに、ビデオデッキが1万円ちょっとになると、そういう感じではないですか?

どんどん手に入れることのコストが安くなってきた「音楽」という商品はどうなんだろう・・。

音楽をやっている人たちは、今も昔も一生懸命やっているとは思うんですけど。
結局は個人的な話になっているような気がするけど・・何となく、そういうことを考えてきて、このシリーズを書いています。


まだ続きます。

| | 音楽 | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
70年代と今 2 ステレオのこと
70年代の音楽の事を書くなら、どうやって音楽を聴いていたか、ということについても書かないといけない。

前回書いたように、音楽といえばレコードだったから、聴くためにはレコードプレーヤーが必要だった。70年代の初めには、今のようなラジカセなどなく、音楽を聴くためにはステレオが必要だった。コンパクトで手軽なものなどなく、レコードプレーヤーとアンプ、チューナー、スピーカーがセットになったものか、各々別々に買うか、いずれかだった。

当時の国内ブランドはソニー、テクニクス、ダイヤトーン(三菱)、ローディ(日立)、オプトニカ(シャープ)、オットー(三洋)パイオニア、デンオン、トリオ、サンスイ、オンキョーなどなど。
他にもたくさんあったけど、忘れた。
今はもう無いブランドもたくさんある。
それほど、音楽を聴くための装置も変わってしまったということだろう。

ウチはサンスイのアンプとスピーカー、パイオニアのレコードプレーヤーだった。
スピーカーの大きさは幅30センチ、高さ70センチ、奥行き30センチくらいはあったと思う。
あとで、72年か73年にソニーのステレオカセットデッキが我が家に来た。
今の小さなCDラジカセの倍くらいの大きさで、単にカセットに録音できるだけ(スピーカーも付いてない)というものだったが、画期的だった。それでも、レコードに比べると、音質は明らかに悪かったけど。

とにかく、レコードを聴くためには、お手軽ではない装置が必要だった。

音楽をお手軽に聴くためには、もっぱらラジオを聴いた。
深夜放送が多かった。当然AM放送。洋楽と邦楽が半々だった。英語などわからなくても、みんな洋楽を聴いていた

FM大阪が今年開局35周年だから、開局したのが1970年。当時はFMラジオというものが出始めだった。ラジオのカタログに、FMステレオ放送とは?というような事が書いてあったっけ。
あれから35年経って、放送局が3つほど増えただけというのは寂しい。

月刊STEREOという雑誌を時々買った。今のパソコンの雑誌と同じく、ほとんど広告だった。広告を見るのが楽しかった。
雑誌売り場にはステレオ関係の雑誌があふれていた時期だった。
中学、高校の頃は、三宮の星電社に行っては、ステレオ関係のカタログを集めた。ただで、かなり読むところがあって、すごく楽しめたものだ。
70年代の神戸で、電化製品といえば、三宮の星電社だった。(少なくとも我が家では)

・・・というような思い出話にすぐ走ってしまう。

要は、レコードを聴くという事は、今よりはたいそうな事だったということだ。

その当時の「ステレオ」という言葉には、カリスマ性があったと思う。
値段も高かったし(もちろん、中学生が買えるような代物ではない)、親が興味がなければ、説得して買ってもらうのは困難だったろうと思う。
ウチの場合は、親父が会社の同僚か誰かに言われて、あった方がいい、というような事になり、僕がカタログを集めた、というラッキーなケースだった。(ウチの親父は機械オンチだったが)

ハイファイ、という言葉にすごいあこがれがあった。
ハイファイというのは、ハイ・フィデリティの略で、高忠実度、ということ。レコードが録音された状態を忠実に再生する、という意味である。

スピーカーも一つの箱に、高音用と低音用の2つ付いているものや、さらに中音用と分けて3つ付いているものなど、色々と出ていた。おまけに、それぞれのスピーカーを別々のアンプで駆動する、というようなものまで登場した。
(そのころに、やっとラジカセが登場したと思う。70年代の中頃か・・)

「ステレオ」にはそういう意味で、メカに対する夢があった。
単に音楽を聴ければいい、というものではなく、どのメーカーの、どんな技術の、どんなデザインか・・というような思い入れがあり、それが「音楽」につながっていたと思う。
(個人的にそうだ、ということだけではなく、70年代初めの頃は、多くの人たちがそうだったと思う。)

音楽を聴く、という行為にはこのような背景がぶらさがっていたのだ。

レコードをジャケットから取り出し、慎重にレコードプレーヤーに載せ、ターンテーブルが回りだし、ゆっくりとレコード針をのせる・・・という一種の儀式は、「ステレオ」という装置への思い入れと、今から聴く音楽への期待で、ある種の緊張を伴った行為だった。
これだけの儀式をしてレコードを聴いても、たった片面20分程度で必ず終わり、連続で1時間も2時間も聴けるようなものではなかった。曲の順番を変えて聴くなどできないし、気に入らないから曲をとばす、というような事も面倒なことだった。

それでも、自分のレコードを聴くという瞬間は、やはり、所有する喜び、というものにつながっており、70年代の音楽は、やはり所有されるモノだった。

所有するモノ・・・今はどうなのか?

| | 音楽 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
70年代と今
初めてシングル版のレコードを買ったのが中学の2年の時。
当時NHKでやっていたステージ101という音楽番組の中で、シングアウトというグループが歌っていた「涙をこえて」というタイトルだった。
ちょうど1970年だから、僕の音楽生活は70年代の始まりと同時だった。

実際には、中学1年の時に友達からカセットテープを貸してもらい、フォークソングを聴いたのが最初かもしれないが・・・。
ベトナム戦争をテーマにした反戦歌(佐良直美が歌っていた!)とか、岡林信康、高石ともやなどが入っていた。一緒に、トム・ドゥリーとか、グリーン・グリーンなんかも借りたかな。
ちょうどカセットが流行り始めたところだったと思う。

あの頃は、みんな洋楽も邦楽も聞いていた。ABCヤングリクエスト(深夜放送)のハガキでのリクエストでは、洋楽と邦楽が入りまじっていた。
ポール・モーリアの「恋は水色」なんかも好きだった。

森山良子はカレッジポップスのアイドルで、禁じられた恋なんかを歌っていた。ちょうど吉田拓郎がイメージの詩を歌い、広島フォーク村から出てきたところ。これは誰かに借りて聞いたような気がする。

自分で買ったLPレコードは、キャロル・キングのタペストリー、フィフス・ディメンションの2枚組(クリスマスの頃にCBSソニーがボーナスボックスとして出していたもの)、ガロ、かまやつひろしなど。

70年代は、ちょうどマルチトラックのレコーダーが出てきたところで、レコーディングというものが、みんなでせーの、で録るのではなく、まずリズムを録音し、ギターとキーボードを重ねて、最後にメインボーカル・・というようなやり方が一般的になったところだと思う。

・・というような思い出話をするのではなかった。
僕は70年代は音楽の黄金期だったと思っている。
長くなるので、何回かに分けて、それについて書いてみようと思う。

70年代は、音楽はレコード盤だった。CDやMDではなかったし、TSUTAYAのようなレンタル業者もいなかった。
だから、音楽は、なけなしのこづかいをはたいて買うものだった。
当時、30cmのLPレコードが1800円くらい。
1800円といえば、中学生にとっては大金だ。
一月に1枚買えるかどうか・・。買ったら、何度も聞いた。

コピー、ということでは、レコードをカセットに録音したりしたが、当時の技術では明らかにコピーした音はレコードの音とは全く違うものだった。
だから、いい音楽を聴きたい、ということは、レコードを買う、という事だった。それしかなかったし、レコードを持っているということは、ちょっと自慢できる事だったと思う。
好きなミュージシャンの音楽は、レコードを所有する、という形でしか自分のものにできなかった。

レコード盤は、完全なモノである。
きれいなジャケットの中に、半透明の薄い袋に入ったレコードがあり、それを指紋がつかないように取り出して、ターンテーブルの上に置き、レコード針をのせる一瞬の緊張は何ともいえない瞬間だった。
音楽と、モノを所有する、ということがつながっていた。

今や音楽はレンタルショップで借りるCDであったり、さらには、パソコンの中のデーターになってしまい、「所有」するものというより「使う」ものになったような気がする。

それが一体何をもたらしたのか、70年代と今はどう違うのか・・・。
それはモノからデーターへという変化だと思う。


| | 音楽 | 02:18 | comments(0) | trackbacks(0) |