考えたこと2

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人生は木の枝
人生はifの重なり。

数々の「もしも、あの時こうしていたら…」とか、「もしも、あの時こうしていなかったら…」とか、そんなことが連続している。

ちょうど、無限に枝分かれしている木の枝を辿っていくようなものである。

現在は、無限の枝分かれした木の枝の先の一つにある。

小学校の頃に、学校に行く道を変えていたら、交通事故に遭っていたかもしれないし、ボールに乗って転んだ時間がちょっと違っていたら、クルマに轢かれて死んでいたかもしれない。

それらは偶然の産物だが、そうではなくて、自分で選んだifもある。

もしも、あの時にこのクラブに入っていなければとか、あの時にこの会社に入っていなければとか…。

どれだけ自覚的にifを選んできたかで、その人の人生の価値が決まるのではないか。
無限にあるifの中で、自分が選んだと思えるものが多いほど、結果はどうあれ、いい人生ではないか。

なぜなら、選択には責任が伴い、自分で選択したということは、自分の人生に責任を持つということであり、結果はどうあれ、自分の責任でifを選択するという道は、シンドイけれど満足できるものであるはずだ。

それと、無限に枝分かれした木の枝の根本は一つである、ということも真実だろうと思う。
自分の誕生は選べないし、それはifではない。

もしも、そこに選択があれば、違う木になっているからだ。
それは現在の自分にはつながらない。

子は親を選べないし、親も子を選べない。

そう考えてみると、親子というのは貴重な関係なのかもしれない。
文字通り、かけがえがないのだ。

これはifではなくて、運命とでもいうべきものだろう。

そんなふうに考えると、現在の自分というものが不思議になる。

この不思議というのは、生きるということの奥深さにつながるような気がする。


| | 考えたこと | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイケル・J・フォックス
テレビでマイケル・J・フォックスのパーキンソン病との闘病のフィルムを見た。

去年、ラッキーマンという彼の本を読んだが、その中に出てくる場面の一部を実際にやっていた。
議会の公聴会でマイケルがパーキンソン病について、話をするところだ。

実際に、日本人のパーキンソン病の人の闘病の姿もあった。

本の中に書かれている病気の姿が実際にわかり、本当に大変な病気だということがわかった。
映画俳優であろうがなかろうが、大変な病気なのだ。

彼の最後のテレビシリーズである「スピンシティ」は、彼がニューヨーク市長補佐官として市政にあたる、というものだが、この番組の途中で彼は自身の病気を告白した。

実際、この番組はスタジオにお客さんを入れて、2テイク撮ると書かれていた。

彼はこの番組を、クスリを飲むことで切り抜けていたらしい。
身体が震えだすと、クスリを飲んで、震えが収まるのを待つ…。
そして、収録スタジオで、観客を前に演じていた。

病気の告白後、彼は観客が彼を哀れみ、ギャグが受けなくなることを心配していた。
しかし、予期に反して、観客は病気の彼を受け入れ、彼のギャグに笑った。
本の中では、この場面はすごくよく書けている。
思わず、涙を誘う場面だ。

番組によると、彼はまた少しずつ仕事を始めているとのことだったが、本当だろうか。
それなら、すごくうれしい。

まだ若いんだし、ぜひもう一度スクリーンに帰ってきてほしい。
憂いを含んだ喜劇俳優として、マイケル・J・フォックスは素晴らしいと思う。

番組を見て、また病気の克服と、彼の復帰を願う。



| | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい日本語
最近、広告を見ていると、新しい日本語が目につく。

小さくて、軽いものの宣伝だ。
デジカメとか、ノートパソコンとか…。

厚みが2cmあるものを、薄さ2cmという。
重さが2kgのものを、軽さ2kgという。

いつから、「厚さ」とか「重さ」を「薄さ」とか「軽さ」というようになったんだろうか。

薄さ、軽さという言葉自体は昔からあるが、普通は厚さとか重さと言っていたはずだ。

薄くて、軽いですよ、ということが言いたいのはわかるが、薄さ2cmなどと言われると、違和感をおぼえる。
厚さが2cmと違うの?という気になる。

このノートパソコンは、2kgの軽さです…というならまだわかるが、軽さ2kgと言われると、やっぱりオカシイ。
重さは2kgしかありません、と書いてほしい。

重量という言葉も、軽量という言葉に変わってしまうかもしれない…。

この調子でいくと、長さとか、大きさという言葉も変わっていくのも、時間の問題だ。
短いものには、短さ2cmとか、小さいものには、小ささ2mmとか、そういうふうになるんだろう。

日本語を変えてまで、商品の特徴を訴えようとする気持ちはわからなくはないが、やっぱりいやしいと思う。

どこかの会社がやりだしたら、みんな右へならえで変えたんだろうと推測がつく。
悪貨は良貨を駆逐するというヤツだ。

公正取引委員会にはひっかからないが、何とかしてほしいと思う。

歳を取って保守的になったからかもしれないが、どうも許せない。

やっぱり、「厚さ」と「重さ」だろう。


| | 考えたこと | 01:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
せつない理由
昨日のせつない理由を考えた。

子供が小さい頃のものを見ると、その姿を思い出すこと。
そして、小さい子供の姿に胸を打つものがあること。
それが理由だと思う。

小さい子供は、何かを必死でやる。
自転車に乗ることも、ベビーカーを押すことも必死だ。
そこに邪気がない。よけいな気持ちがない。ただ、それをやる。
それが、ただ、生きることを思い出させる。

大人になると、いろいろと余計なことを考える。
気をつかわないといけなかったり、損得を考えたり、イヤなこともやらないといけないし、好きなこともガマンしないといけない…。

そんなよけいな気持ちが、まだなかった頃を思い出させるのだろう。

邪心なく生きること、それが心の奥底に残っていて、そこに触れるような気がする。

それは、善く生きることにつながっているような気がする。

そして、生きていくことはむずかしいと思う。

だから、せつなくなるんだろう。



| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜ、せつない?
遅くまで仕事をして、夜中に家に帰ったら、何となく子供の自転車が目についた。

今年、次男が中学生になって、やっと「子育て」という状態から抜け出したなあ、と思っていた。
ここまで来たら、あとは自分でがんばってや、という感じだ。
子供が小さい時は、いろいろ大変だった…、という思いもある。

べつに、子供が、手が離れて楽になったとは思っていない。
でも、ここまで来たから…という安心感はある。

前置きが長くなったが、夜中に家の前に止まっている子供の自転車を見ると、何となくせつなくなった。
大人用の自転車ではなく、子供用の自転車だ。
最初に乗っていた頃は、自転車が大きかったが、今は身体の方が大きくなった。
時間がたったなあ、と思う。
だから、せつないのか?と言われると、そんなこともないような気がする。

以前、長男が幼稚園の頃、ようやく立って歩きはじめた頃に撮ったビデオを見て、せつなくなったことも思い出した。
どこかの公園で、ベビーカーを自分で押して歩いている姿だった。
こけては、立って、ベビーカーを押していた。

この気持ちのもとは何なんだろう?

何が、自分をせつなくさせるのか、わからない。

誰にでもそんな瞬間があるのかもわからない。

そんなことを不思議だと思う。



| | 考えたこと | 00:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
味付け海苔パン
トーストに味付け海苔をのせて食べるとおいしい。

あまり、世間の人は知らないようなので、紹介する。

といっても、食パンにマーガリン(バターでもいい)をぬって、その上に味付け海苔をのせて食べるだけだ。

焼き海苔ではいけない。
味付け海苔がよい。
味付け海苔の醤油味がトーストとよく合う。

前に、テレビドラマの「はぐれ刑事純情派」で、藤田まことがトーストに海苔の佃煮をぬって食べる、というシーンがあった。
海苔の佃煮は、ちょっと甘みがありすぎるような気がする。(やったことはない)

やっぱり、味付け海苔だろう。

以前、別のところで書いたら、何人かは、実際にやってみて、「これもありかな?」ということだった。
ちょうど、スパゲッティを明太子ソースで食べるようなもので、和洋折衷の感じがする、という声もあった。
まずくはないが、強いて食べたいというほどではない、という声もあった。

個人的には、すごくおいしいと思うのだが、どうでしょうか…。


| | 考えたこと | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
電子手帳
数年前からクリエという電子手帳を使っている。
アドレスとスケジュールとメモを記録しておくことができる。

これがいいのは、パソコンと連動できることと、グラフィティという手書き文字認識がついていることだ。

パソコンと連動というのは、パソコンで入力して、それを手帳側に送ることができるということ。
パソコンにつないで、ボタンを押すだけでデーターがやり取りされる。
もちろん、手帳側に入れたものもパソコンに入る。

グラフィティというのは、文字の一筆書きだ。
アルファベットを基礎にしていて、Eならεというような一筆書きで画面に書くと、Eが入る。
これでローマ字で日本語を入力する。
慣れると、すごく便利で、手で書くのとほとんど変わらない速さで入力できる。

ところが…クリエはソニーが作っているのだが、今回社長が替わって、事業の整理を行い、この部門は撤退することになり、生産中止になってしまった。
とりあえず、今はいいが、いつまで壊れずにもつか…。
ウィンドウズが来年新しくなるというが、その時にもパソコンとつなげるのか…。
心配はたえない。

せっかく使い慣れて、たくさんのメモやスケジュール、アドレスをこれで持ち歩いてきたのに…。

他のメーカーも同じようなものを作っているが、グラフィティ入力というのはこれしかない。
この、グラフィティがいいのだ。

慣れるまで使いにくいかもしれないが、慣れてしまうと、手書きの文字認識はこれしかないと思ってしまう。

日本語を書くよりも、ローマ字変換する方が圧倒的に認識率が上がるのは当然のことだ。
たった26文字しかないわけだから…。

アメリカでは、パームというメーカーがまだ売っているのだが、残念ながら日本語は使えない。
誰か、ソニーのクリエを引き取って、再生してほしい。
シャープさん、どうですか?

とにかく、大事に使い続けようと思う。

こんな風になくなっていったモノは世の中にたくさんあるんだろう…。

| | 考えたこと | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
Silver lining
ことわざというのは、人間が作ったもので、生活に結びついているから、どこの国の言葉でも似たようなものがある。

「百聞は一見に如かず」は、"Seeing is believing"ということになる。
同じようなことを言っている。

でも、似たようなものがないものもある。
ある本で読んで、すごく気に入った英国のことわざがそれだ。

Look for a silver lining in the dark cloud.

「雲というのは、日をさえぎる暗いものだが、その裏側は日に当たっていつも輝いているから、それを探しなさい」という事。

もうすでに英国ではあまり使われない言い回しのようだが、苦境に立たされても希望を捨てず、物事の明るい側面を見るように努めなさいという楽天的な考え方の勧めで、英国人らしいなあ、と思っている。

Silver lining のライニングは服の裏地などに使う言葉。

「銀のライニング」という言葉が、いかにも太陽の側から見た雲の面を表しているようで、すごく印象に残る。

雲の裏側は、銀色に輝いているような気がしませんか?

暗くて、どんよりした曇天の裏側は、いつも銀色に輝いている…想像すると救われるような気になる。


| | 英語 | 01:05 | comments(2) | trackbacks(0) |
尼崎インターの怪
いつも、名神の尼崎インターで乗り降りするが、僕の知っているかぎり、尼崎インターは他のインターとは違う。

高速のボードに表示されている距離が他のインターとは違うのだ。

普通は、尼崎出口まであと2kmという表示が出たら、本線から降りるところまでの距離が2kmということだ。
あと2kmが出て、1kmが出て、あと400mとかいう表示がある。
いずれも、高速から出口への側道に入るまでの距離が出ている。

しかし、どう考えても、表示されている距離よりも出口が近いのだ。

おかしいなあ、と思いクルマの距離計で調べたら、わかった。

尼崎インターだけ、料金所までの距離を表示しているのだ。
高速の側道の出口のところから料金所まで200mくらいあるので、その分だけ表示されている距離が短い。

どうして尼崎だけそうなっているのだろうか…。

たぶん、名神ができた時からずっとそうなっていると思う。

気づいていた人、おられますか?

名神高速の謎である。


| | 考えたこと | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
腱鞘炎
そんなに練習しているわけではないのに、ギターを弾くと左手の薬指が痛い。
弦を押さえると、痛くなる。
だんだんひどくなってきたので、家では湿布をしている。

押さえた時に力を入れると、第一関節のところが痛い。
これは腱鞘炎というやつなんだろうか…?

これまで長いこと弾いてきたが、こんなに痛くなったのは初めてだ。
今までは楽な指づかい(自分ができること)しかしていなかったという証しだろう。
ということは、進歩しているということか…。

しかし、痛い時は使わない方がイイというし、使わないということは、練習できないということになる。

ということで、練習は休止中である。

練習できないとなると、弾きたくなるのが人情。
人間というのはあまのじゃくにできているらしい。

それでも、弾くと薬指が痛くなる。
左手の薬指を使わずに弾こうとしてみたが、無理だ。
使わないでおこうと思っても、自然に使ってしまう。

やっぱり休むしかないか…。
こうなると、治るのかな…と不安になってくる。

人間の身体というのは、思いの外もろいものだと思う。
これを、なだめて、すかして、死ぬまで持たせないといけないのか。
だんだんほころびが出てきて、すこしずつ破れてきて、最後はどこかが致命傷になる。

気休めにビタミン剤を飲んで、景気をつけた。

みなさん、身体には気をつけましょう。


| | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰が悪い?
少し、昨日のつづきを書く。

日本人の英語力が低いから、英語力向上のために、小学校から英語をする、という。

今は、巷に英語が溢れている時代だ。
字幕の映画をいくらでもテレビで見られるし、CDやビデオ、DVDの英語教材も大量にある。
駅の前には英会話教室があるし、歩きながらでも英語の勉強ができるようなウォークマンやipodというような機器もある。
昔に比べたら、英語の勉強の環境は飛躍的に向上したと思う。
みなさん、そう思いませんか?

そもそも、英語力が低い、というのはどういう事なんだろう?

日本は、高度成長から経済大国になった。それは輸出のおかげだ。
海外で英語を使って商売してきたから、輸出産業が伸びたんだろう。

そんなことができたのは、その頃の英語教育が機能していたからではないのか。

そしたら、なんで今はそれが機能しなくなったんだろう?

僕は今ギターを習っているが、先生は本当に上手だし、レッスンのたびに感心する。
ギターを弾くということは、こういう事だったのか…という思いになって、がんばって練習しようと思う。
いい先生だ。

英語も同じだろう。
いい先生に習えば、上手になるのだと思う。
中学の時に習った、M先生はすごくいい先生だったと思うし、僕はM先生のおかげで英語がよくわかったと思っている。

だから、今の日本の英語教育がよくない、というなら、それは英語の先生が悪い(全員ではないだろうが)ということになるのではないか。
今の英語の先生の免許の与え方が悪いのだろう。
ちゃんと英語をわかって、教えられるだけの器量がある人が先生になっていないんだと思う。

日本人の英語のレベルが低いというなら、英語の先生を変えるべきだ。それが当たり前のことだと思う。
小学校から、週にたった1時間やったからといって、何の役に立つのだろうか…。

もし、自分で月謝を奮発して習っていたら、先生が悪ければ教室を変わることができるが、学校ではそれができない。
だからこそ、先生の質を上げるしかないのだと思う。

そう思いませんか?





| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
作文の時間
しばらくご無沙汰しました。
忙しくて、ちょっとサボりました。
また、がんばります。
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小学校の頃は、週に一回作文の時間があった。

原稿用紙に1枚〜2枚、何かを書かないといけない。
テーマが決まっていたり、自由に書いたり、とにかく40分ほどで作文を書き上げる、という授業だったと思う。

時間中は先生は楽だったかもしれないが、丁寧に添削してもらった覚えがある。
いくつか、小学校時代の作文を母が取っておいてくれたのがある。
赤のサインペンで、何カ所か書き込みしてくれている。

「元気でよろしい」というような書き込みが、しっかりした字で書かれているのもあった。
昔の先生は、大人として生徒と向かっていたと思う。
そういう位置から書いてくれていた。

先生と生徒は友達ではない、という事だけはハッキリしていたと思う。

今は小学校での作文の時間というようなものはなくなった。
「あのね帳」というようなものがあって、毎日少し書く機会はあるが、まとまったものを書くことはほとんど無い。
こんな事でいいのかな…。

小学校で英語をするというのも…。
どう思います?

僕は大反対。

読むこと、書くこと、計算すること…と昔の人は言っている。
まずはそれではないのかな。

あまり文句ばかり書いても暗くなるので、このへんで…。
| | 考えたこと | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0) |