考えたこと2

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コーラス
コーラスが好きだ。
アカペラでも、伴奏付きでも、シンプルなコーラスでも、複雑なコーラスでも。(複雑なコーラスはやったことがないけど)

ハモるというやつ。

ビートルズの初期のアルバムでの、ジョンとポールのコーラス。
これはシンプルな3度のものが多い。
これを聞いて、コーラスの楽しさを知った。
Please please meの出だしからのLast night〜の高音のポールの声(これは3度ではないが)。
A hard days nightの途中のコーラスや、HELP!の最初の方の won't you please please help meのところなど。
3度上の音でハモるという快感。

今でも、カラオケに行って、3度上でハモるのは大好きだ。

メロディが高い場合は、4度下でハモる。
これはむずかしい。感覚的にできないのだ。
下のパートを覚えないといけない。

ルビーの指輪は最初から最後までハモリだ。
メロディもハモリも寺尾聡の声だから、むずかしい。

オフコースはよくやった。昔の歌。僕の贈り物とか、水曜日の午後、でももう花はいらないとか…。
懐かしいなあ。

マンハッタン・トランスファーはすごかった。
これはマネができない。
あんなコーラスができたら素晴らしいと思う。

何人かのグループでユニゾンで歌っていると、何でコーラスしないんだろう?と思う。
もったいない。

最近高い声が出にくくなったが、コーラスは楽しい。



| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペプシソ
ペプシの「しそ」を売っていたので、早速買ってみた。
しその鮮やかな緑色の液体。
もうちょっとボトルを工夫したらよかったのに…、という感じ。

色からして、コーラにしそが入っているものではない。
炭酸にしその味がついているものだ。

あけて飲んでみたが、これは失敗だろう。
炭酸としそは合わないということがよく分かった。

西洋にしそはないのかな。
炭酸というと、西洋のもの。それを日本のしそと合わせようとした。
その努力は買うが、これは限定販売から販売中止だろう。

ショウガは西洋にもあって、ジンジャーという。
その飲み物がジンジャーエール。これはおいしい。
その成功があって、日本でしそを出そうということになったのではないか。

以前、ブルーハワイを限定販売していて、買って飲んだが失敗だった。
また、失敗の歴史を積み重ねたのかもしれない。

サントリーの合い言葉は「やってみなはれ」。

果敢な挑戦は続く…。




| | 考えたこと | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
歌の意味
歌の意味とはなんだろうか?

とりあえず、何か大きな声を出すというのが歌の起源のような気がする。
何かの気分の時に声を出す。

それは楽しい時だったり、悲しい時だったりしたはずだ。
感情の表出、それが歌の起源だろう。

だから、歌は本来気持ちをストレートに表すものだった。

昭和30年代から40年代にかけて、まだ歌はそういう時代だった。
だから、弘田三枝子のVACATIONというような歌が流行ったんだと思う。
当時のアメリカの気分を表していた。

ただ、楽しいだけ…、それでいいのだ。

いつからか、歌詞がややこしくなった。
時代の気分を表しているんだろう。

VACATIONを聞いて、昔の気持ちを思いだした。

 VACATION

 V-A-C-A-T-I-O-N 楽しいな

 ギラギラと輝く太陽背にうけて
 青い海 泳ぎましょ
 待ち遠しいのは 夏休み!

 山に行くこともすてきな事よ
 山びこが呼んでいる
 待ち遠しいのは 秋休み!

 冬は楽しいスキーに行きましょう
 白い雪けり
 寒さなんか忘れ すべるの
 Go Go Go Go

 マッシュポテトを水辺で
 あの人と踊ろう
 湖も呼んでいる
 待ちどおしいのは 春休み!

 待ちどおしいのは 冬休み!
 冬は楽しいスキーに行きましょう
 白い雪けり
 寒さなんか忘れ すべるの
 Go Go Go Go

 マッシュポテトをみずべで
 あの人と踊ろう
 湖も呼んでいる

 V-A-C-A-T-I-O-N 楽しいな!
 V-A-C-A-T-I-O-N 楽しいな!
 V-A-C-A-T-I-O-N 楽しいな!
 V-A-C-A-T-I-O-N 楽しいな!
| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
RIP
マイケル・ジャクソンが亡くなった。
心臓が止まったとのこと。(もちろん、こうなれば死ぬ)

アメリカでは80年代を代表する、King of Popsだったらしい。
たしかにあのスリラーのPV(プロモーション・ビデオ)はよく見た。
MTVをやり出して、少しした頃だったと思う。
他のアーティストが映画仕立てのPVをやりだしたのは、あれからだ。

日本では、そうでもない…、と思っていたが、熱心なファンがいたらしい。
さっそく在庫のCDを並べたところ、すぐに売り切れたとのこと。
ぼくも、スリラーのアルバムは持っている。
ムーン・ウォークも流行ったなあ。

しかし、整形しすぎて顔が変わってしまい、事件も起こしたりして、何となく日本では消えてしまった(と思っていた)。

海外の多くのミュージシャンがお悔やみの言葉を言っている。

最後に添えられている略語が、R.I.P.

これは何だろう?

元はラテン語でRequiescat in pace、安らかに眠れということらしい。
Rest in peaceと書かれる事もあるとのこと。

Good bye King of pops. RIP.


| | 考えたこと | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
名称未設定
名称未設定というエラー、パソコンで出ることがある。
名前を付けないと、保存できないということだ。
最近はだいぶ減った。
ワードなどは、最初から「文書1」というような適当な名前をつけてくれる。
だから、名称未設定にはならない。
もしも、何度も「文書1」で保存しようとしても、ファイルの内容を入れ替えるのか?などと聞いてくる。

No titleという英語がこれにあたる。

しかし、このNo titleという英語を「名称未設定」という日本語に訳した人はエライと思う。

これが、英語の名詞が日本語の動詞になる、ということだろう。

名称未設定は「名称未ダ設定セズ」ということ。
これを英語ではNo titleという名詞で表してしまう。

名称未設定ではなく、直訳して「名称なし」「無名称」だったら、どうだろうか。

分からないことはないが、それがどうしたの?という気になるかもしれない。
勝手につけてくれ、という気持ちになるかもしれない。

でも、これを「名称未設定」と訳したから、ああ、名前をつけないといけないんだ、とわかる。

No titleという言葉ひとつでも、英語と日本語の壁は大きい。

これは、ぼくだけが思っているのだろうか?

| | 考えたこと | 22:42 | comments(2) | trackbacks(0) |
あなたに私がわかるわけない
あなたに私がわかるわけない…。

このセリフの続きは何だろう。

あなたは私ではないんだから…、これはその通り。
他のだれにもわからないんだから…、こんな事は言わないか。
あなたには誰のこともわからないんだから…、これもあるかもしれない。
私もあなたがわからないんだから…、これはあるだろう。

正解は…

私にもわからないんだから。

このセリフがドラマの中で実際に使われていた。

こういう言い回し、面白い。ハッとさせる。

私にも私がわからない。だから、あなたにわかるわけがない。

厳密に言えば、あなたには私がわかっているかもしれない。
しかし、それが本当かどうか、私にはわからないから、結局わかるわけがないということだ。

吹き替えで見たので、原語ではどういっていたのかわからないが、きっとそういう意味だろう。

こういう発想が、できなくなってきたなあ…。

やっぱり脳が固くなっているのだろうか。

柔軟な発想、というのをしないといけないなあ。



| | 考えたこと | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
トム・クルーズ
知らなかったが、トム・クルーズは失読症だった。
失読症とは、Dyslexia(ディスレクシア)と呼ばれ、「書かれた文字を読むことができない、読めてもその意味が分からない」という症状とのこと。
ただ、ご本人は「偽った診断」だったと言っている。

本を読んでも全く理解できなかったらしい。

そんな彼が出会ったのが、サイエントロジーという新興宗教の「勉強の技術」というもの。
サイエントロジーはフランスではカルト、ドイツではビジネスとして認識されているとのこと。(以上、wikipediaより)

暗記力はすごいんだろう。
映画のセリフなどは、聞いて覚えるらしい。

歴史上の人物でそういう症状を持った人は意外と多い。
エジソンとアインシュタインは有名らしい。

天は二物を与えず、というが、天才は何かが欠けているのかもしれない。

すばらしい芸術家とか、とてつもない発見をした人とか…。

本人は苦しいのかもしれない。
誰かが、天才と言われる人は、それをやらないといられない、と言っていた。
生み出すのは苦しいけれど、それを止められない。

人と苦しさを比べることはできないが、大変だろうと思う。

現代の天才は誰だろう…。

でも、今はそんな天才を育てる余裕が世の中にないかもしれない。

LD(学習障害)というような名前までつけて、それで解決したような気になっている…ような気がする。



| | 考えたこと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
アマゾンのオススメ
この頃よくアマゾンで本を買う。
文庫本など、ほしい本がなかったり、作家の検索をして探したりして、何冊かたまったら買う。
1500円を超えると、送料が無料になるからだ。

これを何度か繰り返しているうちに、メールが来るようになる。
○○を買ったお客様にお勧め…というようなタイトル。
それを開くと、なるほど、ぼくの興味がわかっている本だ。

ある作家の本を注文すると、過去にその本を買った人が次にどんな本を買っているかを見て、勧めてくる。
誰が、何を買ったか、というのをデーターベースにしているのだ。
データーベースといっても、ユーザーが自分で打ち込んで送ってくるのだから、入力の手間はない。
コンピューターの仕組みをうまいこと使えばいいだけだ。

また、Webのページにあなたへのオススメというのが出てくる。

例えば、「実践行動経済学」という本をチェックすると(買うわけではない)、それを覚えていて、「人は勘定よりも感情で決める」「みんなの意見は案外正しい」というような本がオススメされる。
よくできたシステムだと思う。
人手もかけずに、みごとにオススメの本を出す。

もちろん、本以外のものを買うと、それもオススメするのだろう。

でも、本というのは、系統立てて分類しやすく、好みが出やすいジャンルだ。
だから、当たる確率も高いのだろう。

ある作家のシリーズを1巻から5巻まで買うと、6巻目が出たらメールでオススメしてくれる。
親切である。

こんなふうにして、ネットの通販は伸びているのだろう。

考えた人はエライ。


| | 考えたこと | 21:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
昭和の香り その2
こないだカラオケに行って、懐かしい歌を聞いた。

岩崎宏美の「思秋期」という歌。

阿久悠と三木たかしが作詞作曲。
奇しくも二人とも死んでしまった。
昭和歌謡というのにふさわしい歌だと思う。

サビの部分が、

 心ゆれる秋になって涙もろい私
 青春はこわれもの 愛しても傷つき
 青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

この歌詞をみたら思い出す人も多いと思う。
1977年の歌。今から32年前になる。

ちょっと前の歌だと思ったら、もう32年。
岩崎宏美がもう51歳なのだから、年をとるはずだ。

32年前ということは、今の30台後半の人がやっと知っているかな、というところ。

この歌はレコード大賞の歌唱賞に選ばれた。
なるほど、歌唱賞というのも、意味があるなあ、と改めて思う。

この年になって、この歌を歌うと、良くできた歌だなあと思う。

「思秋期」とは、秋を思う時という意味だろう。

歌詞の最後が

 笑いころげた あれこれ 思う秋の日

という。

阿久悠と三木たかしに合掌。


| | 考えたこと | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和の香り
車の中で弘田三枝子の歌を聴いていたら、子どもが昭和の香りがするという。
それはどういう意味か?と聞くと、昭和の歌謡曲…という答え。

Vacationとか、Sweet Sixteenとか、砂に消えた涙とか。

ミスターチルドレンと比べると、歌詞に重みがないらしい。

VACATION楽しいな…たしかに楽しいだけの歌だ。
そんな時代だった。
昭和37年の発売。

日本は豊かになる。
今日より明日が、明日より明後日が豊かだ…と思っていた。
何度も書いたが、今ふり返ってみると、いい時代だったと思う。

今はミスターチルドレンが重い歌を歌う。

 黄昏の街を背に
 抱き合えたあの頃が 胸をかすめる
 軽はずみな言葉が 時に人を傷つけた
 そして君は居ないよ

 窓に反射する 哀れな自分が
 愛しくもある この頃では
 Ah 僕は僕のままで ゆずれぬ夢を抱えて
 どこまでも歩き続けて行くよ
 いいだろう? mr.myself

今の若者の閉塞感が歌われているのか。

 知らぬ間に忘れてた笑顔など見せて…

笑顔が当たり前だったあの頃。

アメリカも日本もいい時代だった。

昭和を知っているぼくらは幸せだ。

| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜桃忌 その2
去年、たしか太宰治のイベントを桜桃忌の日に書いた…と思っていたら、今年が太宰生誕100年でたくさんの人が訪れたとのこと。

おかしいなあ…と思って見直してみると、去年は60回忌だった。
死後60年ということになる。死んだのが39歳だったから、今年は生誕100年か。

芥川賞がとれず、審査員の一人にボロクソに書いた手紙があるかと思えば、翌年懇願する手紙を書いたりする。
借金の手紙もたくさん書いている。
青森の生家がが紹介されていたが、たいへん大きな家。何でも当時青森で3位の地主だった…とのこと。
でも、その親に勘当され、見返してやろうと思っていた。

来ている人にインタビューしていたが、太宰の魅力はそのプライドと、うらはらななさけないところにある、という。
また、今読んでも古くないとか、言葉が新鮮だとか…。
あっけらかん、と語っている。

たしかに、言葉は印象に残るものがある。
当時コピーライターという職業があれば、その道で食べていけたかもしれない。

でも、インタビューを受けていた、大学院で太宰治を研究している女性を見ていると、何か違うなあと思う。

太宰が死んでから生まれたぼくですら違和感を感じるのだ。

その時代はまだ日本が貧しかった。でも、戦争から立ち上がろうとするパワーがあったと思う。
その中で、あの退廃的な部分を持って、心中を2回もしたりする…、そんな人生であの小説を書いた。
もちろん私小説もあるが、本当の小説もある。
私小説はなさけない部分であり、本当の小説、特に短編はプライドというか、天才の部分だと思う。
でも、太宰治はそんなにあっけらかんと語られる作家ではないのだ。

もちろん、読者の数だけ読み方はある。
作品は作者を越えて一人歩きするものだ。
だから、大学院生がそう思うのはかまわない。

当時のぼくは、太宰治を語るときに、なぜか屈折した気持ちを味わったものだ。
そんな、息が詰まるような気持ちを伴わないと語れない。

そういう作家だと思う。

でも、太宰治が見直されるのはいいことだと思う。


| | 考えたこと | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
Chrome
Googleのブラウザである、Chromeというのを使い始めた。
Chromeはクロームという。

無料でダウンロードできる。

今は何でもタダの時代。
ブラウザというと、エクスプローラーに始まって、ファイアフォックス、サファリときて、クロームが最後だ。
もちろん、みんなバージョンアップしているが、Googleが出したというのが気をひく。

そもそも、ブラウザというのは、インターネットにつないで、ページを表示するためのものだった。
今でもそうだが、今はそれにページを表示した時に動くべきソフトを動かしたり、履歴をとったり、いろいろとオマケがついた。
開いたとたんに動画が動くページ、最近増えたでしょう。
ああいうのを早く動かすとか、特定のページを開けるようになっているとか…、ブラウザの仕事は増えている。
だから、ブラウザの性能がどうだこうだと言うことになる。

インターネットエクスプローラーはバージョン7だが、とりあえずこれでしか動かないページもあるので必要だ。
ファイアフォックスは、いろいろと親切だ。パスワードを記憶するか?とかダウンロードするときには便利。
サファリは何といっても画面がきれい。(これは賛否両論あるだろうが、ぼくは好きだ)
このブラウザで見ると、ページの感じが違う。
その代わり、マウスのボタンが効かなかったりする。
クロームはGoogleが作っただけあって、Googleのソフトがサクサク動く。

Googleのソフトとは、ドキュメントとか、スプレッドシートとかいうもの。
これは、今はやりのクラウドコンピューティングというやつになるのかな…。
インターネットを通じて、ソフトを利用するというやつ。

ワードやエクセルは必要ない。Googleのドキュメントやスプレッドシートはブラウザの上で動くのだ。
したがって、そのデーターもインターネット上にあることになる。
だから、自分のパソコンがクラッシュしても何の影響もない。
インターネットにさえつなげれば、どのパソコンでも同じことになる。

これは、革命的なことだろう。
ただ、一方で、大切なデーターを預けるという心配もある。それも、タダで。
このあたりは、どうしようかなと思うところだ。

でも、こんなもの(今書いているもの)なら、別に秘密でも何でもない。

というわけで、このドキュメントはGoogleドキュメントで書いている。

インターネット上にある、ということは、誰かと共有できるということでもある。

これは、すごく便利だ…。



| | 考えたこと | 23:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
アイスコーヒー
昨日の続き。

やっぱりアメリカにはアイスコーヒーはないらしい。
映画やドラマで見たことがないはずだ。

コーヒーを冷やして飲むという概念がないそうだ。
アイスティーはあるのに、なぜないのだろう。
というか、なぜアイスティーがあるのか、と言うべきか。

ただ、最近スターバックスでは、冷やしたコーヒーなるものがあり、飲みだしたという話だ。

アイスコーヒーの発祥は日本だという説もある。
もともとお茶などを冷やして飲む習慣があったから…ということらしい。
それも本当かもしれない。

だから、アメリカのレストランでコーヒーと言ったら、ホットコーヒーのこと。

ホットか、アイスか?とは聞かない。

なぜだかわからないが、面白い。


| | 考えたこと | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイエット・コーク
こないだアメリカのドラマを見ていたら、オフィスで飲み物を聞かれた時に、「冷たいものを」というと、相手が"Diet coke?"と言っていた。

これを見ると、どうやらダイエット・コークという飲み物が、アメリカで市民権を得ているらしいとわかる。
ちなみに、ダイエットでないコークはどういうのだろうか?
Regularとでもいうのだろうか。

それはさておき、ダイエット・コークが市民権を得るということは、アメリカ人がよほどコーラが好きだという証だと思う。
別にアイスティーでも、アイスコーヒーでもいいのだ。(でも、アメリカやヨーロッパにはアイスコーヒーという飲み物が無いような気がする。見たことがない。これはこれで、調べる価値があるだろう。)
ただ、不思議なのは、コークというところで、ペプシが出てこないところ。

普通のコーラはともかく、ダイエット版では圧倒的にペプシのNEXだ。
コークZeroはまるで薬を飲んでいるような感じ。
後味も悪い。
その点、ペプシのNEXはおいしい。
レモン果汁が入っているとボトルに書いてあるように、レモンの味がほんのりするのだ。
これが、ゼロカロリーか、とビックリする。

そう思っていたが、コークZeroにもファンがいるから、ビックリした。
何であんな薬くさいものがいいのか…、と思うが、まあ個人の好みだからなあ。
さすが、コカコーラである。

ペプシコーラは、国内でサントリーが扱うようになって、身近になった。
ずいぶん昔(昭和40年代頃までか?)には、ペプシコーラもあったのだが、それから長いことご無沙汰になった。
サントリーが洋酒会社からビール、清涼飲料、健康食品の会社に模様替えをして、そのおかげでまた見られるようになったのかもしれない。
(今はサントリーはお酒の会社というより、清涼飲料、健康食品の会社といった方が正しい)

その昔、実家ではペプシコーラの方が主流の時期があった。
あれはいつ頃なんだろうか。
1957年に日本ペプシコーラ社が設立されてから、しばらくはまだよかったのかな。
コカコーラに遅れをとって、80年代は鳴かず飛ばず。
1998年にサントリーフーズが日本での販売・製造権を得て息を吹き返したという歴史がある。(wikipediaより)

ペプシNEXは日本人向けにサントリーが開発したとのこと。
そうだったのか…。
ペプシ本家のWorldwideのサイトには、アジアのペプシとして、日本は入っていない。
日本ペプシコーラのサイトでは、Worldwideのボタンをクリックすると、本家ペプシのページが出てくる。
いったい、どんな関係なんだろう?

この6月23日には「ペプシしそ」という新商品が発売される。
どうせなら、ペプシソにしたいところだが、勝手にペプシとしそを一つの言葉にしたら、怒られるんだろうなぁ。

話はそれたが、ペプシNEXが日本人の口に合うようになっているというのは、納得。

ペプシソも試してみたい。


| | 考えたこと | 00:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
まにあうかもしれない
まにあうかもしれない

この歌は吉田拓郎の初期の作品。

あの頃の拓郎はすごいシンガーだった。(別に今はすごくないというワケではないが…。)

拓郎をはじめて聞いたのは、中2の時だったと思う。
「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という長い題名の曲だった。

ちょっと前まで森山良子がカレッジフォークの女王で、高田渡や岡林信康が中津川で歌っていた頃。

拓郎の歌で印象に残っているのは、「まにあうかもしれない」という曲。

吉田拓郎は歌の中で

 なんだか自由になったように
 いきがっていただけかもしれないんだ
 まにあうかもしれない今なら
 今の自分を捨てるのはいまなんだ

と歌う。

この「まにあうかもしれない」というところが、FからFmというコードではっとするメロディ。
あのころ、こんなコード進行はめずらしかった。

岡本おさみの詞。拓郎の曲。

これが1000個目の記事だ。


| | 音楽 | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
いつの間にか
いつの間にか年をとった。
本当に、「いつの間にか」と言っていいと思う。

いつの間にか、ぼくが知っている曲を、周りの若い人が知らなくなった。
いつの間にか、ぼくが使う言葉が、通じなくなったり、古いと言われるようになった。
いつの間にか、若い人がわからない言葉を使うようになった。
いつの間にか、携帯電話のいろいろな機能を使うのが面倒になった。
いつの間にか、夜遅くなると、居眠りするようになった。
いつの間にか、子供の方が身長が高くなった。
いつの間にか、何でも大盛りを食べられなくなった。

そんなふうに年をとっていく。

気がついたら、老人になっているのだろう。
自分は、若い時のままだと思っているが…。

もう52歳だ。
若い頃は自分の52歳という年齢を想像することができなかった。

今でも、想像することはできない。
ただ、あるがまま、ということだ。

夢はある。
まだまだ、かなう夢もあると思っている。

そんな気持ちがあるということは、まだ頑張れるということか。



| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
The last man to tell a lie
次男が英語の問題がわからないという。

He is the last man to tell a lie.
直訳すると「彼はウソをつく最後の男だ」。
日本語にすると、「彼はウソをつくような男ではない」となる。

The last man to tell a lieがわからないらしい。
結局彼はウソをつくのだから、訳はウソをつかないというのはオカシイという。

「ウソをつく、最後の男だ」から、ウソをつかないという意味だ、と言ってもわからない。

こういうところが、文化の違いなんだろう。
日本語にはそういう言い回しがない。
”the last man” の重みがわからないのだ。
the lastというのは文字通り、最後であって、世界中の人が全部ウソをついても、彼は最後の一人だ、というニュアンス。

そういう意味だと思う。


| | 英語 | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
休み時間 その2
昨日の続き。

ぼくの小学校は、晴れていて運動場に出て遊んでもよい時には、白丸が出ていた。
雨が降って、出てはダメというときは赤丸だ。
その丸印は直径70センチくらいの木でできたもので、ペンキで塗ってあった。
それを運動場の奥の方の、はしご登りのところに、窓から見えるように立てかけてあった。

ものすごいアナログな仕組みだが、わかりやすい。
雨上がりの時などは窓からじっと見ていて、用務員のおじさんが赤をひっくり返して白にするのを楽しみにしていた。

それだけ、運動場で遊ぶのは重要な事だった。
そのために学校に来ているといっても過言ではない。

当時の小学生にとっては、当たり前のことだ。

いつの間にか昼休みが短くなって、その時間に掃除をすることになったらしい。

誰がそんなことをしたのだろうか。

掃除をみんなですることが大事だったのだろうか?
それとも、掃除当番を決めるということが、ダメだったのだろうか?

子どもが外で遊ばなくなって久しいというが、それと昼休みが短くなったのと関係あるのではないか。
いつから短くなったのだろう?

掃除は当番制でやった方がいいし、その方が責任感が生まれると思う。
何でも平等というのは、一見正しいようだが、責任感を生まない。
みんなの中から選ばれて、その責務を果たす。
掃除当番はその役割を果たしていた。

何でも平等といって、女の子も騎馬戦をやったり、タイムを計って近いもの同士でかけっこをしたり…。

学校の常識は世間の非常識。

そんな気がする。


| | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
休み時間
小学校の頃は、毎日休み時間を楽しみに行っていた。
ボール遊びをするのだ。

ドッジボールだったり、手打ち野球だったり、天町(てんちょう)だったり、ボールをぶつけられた人が鬼になるやつ(何というのか忘れた)だったりした。
天町というのは、テニスのようにコートを地面に書いて、ドッジボールを手で打って、自分の陣地でワンバウンドさせて、相手の陣地に入れるというゲームの総称。
二面のコートの場合は長方形を二つに割って書き、四面の場合は大きな正方形を均等に四つの正方形に分けるという按配。
もちろん、打ち返せなければ負けになる。
天が負ければ、町と入れ替わり、町で負ければ退場する。
代わりに並んで待っている人が入る。
そんな遊びだった。

そんなことを毎時間の休みでもやっていたのだから、えらいものだ。
たしか、45分授業で休みが10分だったと思う。
昭和37年から43年の6年間。
何時から何時までが1時間目だったか忘れたが、午前中に4時間目までやった。
昼休みは給食も入れて、1時間あったような気がする。
早く食べ終わると、それだけ長く遊べるので、給食を早く食べた。
早く食べた人から、順に遊びに出られるのだ。(給食係は別だったか…?)

とにかく休み時間は外で遊ぶものだった。

今もてっきりそうだと思っていた。
でも、今は違うらしい。

ウチの子供に聞くと、昼休みは一斉にとり、早く食べても外に出られないとのこと。
何でやねん?と言ってもムダ。とにかく、そうなっている。
ようやくわかったのは、掃除を昼休みにするということ。
だから、給食、掃除、そして昼休みという事になっている。

何で掃除を昼休みにするのか?

ぼくらの頃は放課後に掃除と決まったものだった。
掃除当番がやる。
なんだか、机を動かして掃き掃除をやった記憶がある。
高学年になると、教室の他に割り当てがあった。
だから、当番の数が増える。
日代わりだったかな。飼育室や庭や、校門のところや…、そんな分け方だったかもしれない。

ようやく謎が解けたのは、掃除当番という概念がないということだった。
要するに、みんなでやるのだ。
毎日、みんなで(場所は変わるかもしれないが)掃除をする。
みんなの教室はみんなできれいにしよう、ということらしい。

帰る時間を一緒にしたかったという事だろうか。
それとも、掃除当番がネックになったのだろうか。

どうして当番を決めてやらないのだろうか。
自分がやっていたやり方が正しい、というわけではないが、休み時間は休む時間で掃除する時間ではないはずだ。

昼休みの運動場で学んだことは多かったような気がする。

今も同じだろうが…。

一体、ゆとりとは何だったのだろうか???




| | 考えたこと | 00:05 | comments(2) | trackbacks(0) |
声が出ない
最近声の調子が悪い。
しゃべりたいのだが、毎朝声がかれている。
仕事に行っても、なんだか声が出ない。

カラオケに行って、何曲も歌ったわけでもない。
そんなに大きな声を出し続けたわけでもない。
それでも、声が枯れる。

声が出にくくなると、しばらく続く。

朝、車の中で音楽をかけて、歌を唄おうとするとよくわかる。
思った以上に声が出ない。

これでは、カラオケに行けないではないか。

弘田三枝子の歌を練習しようと思ったのに…。


| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
梅雨
今日から梅雨になった。
6月はうっとうしい。
さっそく夜になって雨が降る。

梅雨は季節風がもたらす雨らしい。
この季節風をモンスーンという。
これは東アジアに特有の風だ。

だから、北アメリカやヨーロッパには梅雨はない。

イギリスやフランスの6月は夏が始まったという感じ。
日照時間が一日に17時間くらいある。
朝早くから明るくなって、夜の9時過ぎまで日が出ている。

だから、日本から行くと、得した感じになって、いくらでも仕事ができる。
日が暮れるまで働いたら、9時まで働いていたということだ。

ジューン・ブライドというのも、この気候のせいだろう。
花嫁を迎えるのに最適な季節。
本当に明るくて、夜が長い。

日本では梅雨があり、うっとうしい季節になる。

今年の梅雨は長いのだろうか…。

でも、昔の梅雨はもっと雨が多かったような気がする。
小学校の頃は、毎日傘をもって通学していた。

6月の雨。

しとしとと降る。



| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
弘田三枝子 その2
今日CDが届いたので、さっそく聴いてみた。

My Tapestryという2006年の録音。
60歳に近いとは思えないのは、姿かたちだけではなかった。

歌声はもっと若い。
ヴァケイションの時のようにパンチのある唄ではないが、声量も十分。
あの、「あいうえお」が「はひふへほ」になる歌い方が時々出てくる。
感激した。

このアルバムはカバーアルバム。

松田聖子の「Sweet Memories」、竹内まりやの「駅」、サザンの「いとしのエリー」、山下達郎の「クリスマス・イブ」、ミーシャの「Everything」などが入っている。
いとしのエリーは弘田三枝子の歌になっている。
Everythingのスキャットは圧巻だ。

でも、セルフカバーの「渚のうわさ」「砂に消えた涙」の2曲がいい。

「渚のうわさ」では、シャウトする唄で昔の弘田三枝子を彷彿とさせる。
間奏のギターソロとピアノのソロが終わって、「あなたのいない砂山…」と歌が始まる。
こんな唄があるんやなあ…。

「砂に消えた涙」はスローテンポのバラードとして歌われる。
ささやくような歌声で、青い月の光をあびながら…と唄う。
この歌は最高だ。

「歌がうまい」とは、こういう人の事をいうのだ。

本当に歌がうまい。

ホントにホントにうまいと思う。


| | 音楽 | 23:40 | comments(3) | trackbacks(0) |
弘田三枝子
以前、「砂に消えた涙」で弘田三枝子の事を書いたが、この人はすごい人だ。

wikipediaによると…、

「1961年に東芝音楽工業から、「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピーロのカバー)でデビュー、14歳。翌年には各社競作で出された「ヴァケィション」(コニー・フランシスのカバー)が大ヒットを記録する。1964年10月に東芝音楽工業を退社し、日本コロムビアへ移籍する。

1965年7月には、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。カーメン・マクレエ、フランク・シナトラ、クインシー・ジョーンズ、カウント・ベイシーオーケストラ、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーン、ウェス・モンゴメリー、デューク・エリントンなど、当時のトップクラスのジャズミュージッシャンがは勢ぞろいした中、ビリー・テイラートリオをバックに歌い、3日目のトリという大役を務めた。一方1968年、自身初のR&Bのライブをサンケイホールにて開く。ジャズ、ポップスに続きR&Bという新たなジャンルをものにした。」

とのこと。

自らの不勉強を恥じる。
1965年というと、東京オリンピックの次の年。
その年にニューポート・ジャズ・フェスティバルに出て、トリを務めたのだ。

1961年に14歳ということは、今は62歳。
とても62歳とは思えない写真だが、かなり整形しているらしい。

ジャズのアルバムも出している。

あの頃の日本人は、海外に行くというだけですごい事だったと思うが、その時代にアメリカに行って、トリで歌を唄っているのだ。

すごい度胸だなあと思う。

思わず、アルバムを買ってしまった。

美空ひばりもうまいと思うが、弘田三枝子も相当なものではないか。

もう一度、ライブを見てみたい。


| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しくて古い歌
ウチの近所にダイエーがある。
それは、今はやりのショッピングモールというものではなく、ひと昔前の商店街とスーパーが一緒になったようなものだ。
今は空き店舗がたくさんあって、尼崎市の施設が入ったりしている。
市役所の出先機関やハローワークなど。

1番館、2番館、3番館とあって、それらをつなぐ通路が2階にある。

そこの通路の2階にスカイコムというホールがあって、そこにワライナキというグループが来た。
去年のゴールデンウィークだった。

男女のデュオで、男性がアコースティックギター、女声がキーボード。
懐かしい音だ。
若い人だが、昔のフォークソングを聴いているような気になる。

「頑張ってる君に」という歌がある。

 頑張ってる君に 頑張れなんていえないし
 頑張ってる君に ぼくはなにもできないけど
 頑張れない時は そばにおいで
 ただぼくのそばに ただ君のそばで

この詞、40年前の北山修を思い出させる。

こんな歌きっと今は流行らない(だろう)。
ワライナキは活動しているが、メジャーにはなれないだろう…。

でも、ぼくは最近また気に入っている。

こんな歌を唄う若い人がいて、たとえマイナーでも続けているというのはいいことだ。

いつかメジャーになる日を祈っている。



| | 考えたこと | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
試験のこと
一生涯で試験を何度くらい受けるんだろうか。

学校のテストは別として、ぼくは英語検定の試験を4級、3級、2級を学生時代にうけた。

準1級はたしか前に書いたが、3回目で通った記憶がある。

これは会社に入ってからだ。
いつも会社に通ってくる本屋のおじさんが、今度準1級ができた、というので話のネタにうけてみた。

1回目はとにかく、女性ばかりだった。
40人くらい入る部屋に男は2〜3人。
化粧の匂いがプンプンしているような部屋で受けた。
試験は散々だったが、これはこれで値打ちがある、とヘンな納得をして帰った覚えがある。

それに味をしめて、2回目に挑戦。
やっぱり女性ばかりだったが、前日の夜更かしがたたって、試験中に寝てしまい、時間が足りなかった。
夜更かしして、英語の字幕の映画をみて、耳を鍛えようとしたのが間違いだった。

3回目はまぐれで合格。
リスニングの問題がギターの話だった。

英検1級はとてもムリなので、通訳ガイドの試験を受けた。
かなり本気で、京田辺の同志社大学まで受けにいった。
もちろん、散々な結果。
でも、これはいつかは取りたいと思っている。

運転免許の試験もあった。
原付を18の時にとって、普通免許を22の時にとった。

それと、初級シスアドの試験。
三十代で取ったと思う。

パソコン関係の雑誌をずっと買っていて、計算したら数十万円分になる、と気づき、もったいないという気持ちで受けた。
こちらは関学で受けたが、エクセルの関数の問題がややこしくて、久しぶりに頭を使った試験だった。

それから40代になって、上級シスアドを受けた。
これは神戸の予備校であった。
問題集も買わず、ネットでどんなことをやる、ということだけで受け、落ちた。
ITを使った事例の論文には自信があったのだが、ダメだった。

今はシスアドというのは無くなって、ITパスポートという試験になった。
もう受けるつもりはない。

そんなもんかな…。

ほとんどは自己啓発ということになる。

それにしても、多くのテストがマークシートになって久しい。
知識を問う試験ならマークシートでもいいが、考え方を問う試験なら、マークシートではダメだろう。
感性を問う試験だって、そうだ。

知識と考え方、感性は違うものだ。
知識しか問わなくなって、日本の教育はダメになったのではないか。
考え方や感性はマークシートでは測れない。
それは、知性を否定し、知識偏重の世の中を作る。

だから、世界史は覚えることが多いから、勉強するのが損ということになった。
勉強に損も得もない。

早くマークシートをやめないと、日本中ダメになるぞ。

書き出しが結論と違ってしまったが、まあいいか…。


| | 考えたこと | 15:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
イギリスのドラマ
イギリスの警察のドラマを時々見る。

どういったらいいのか、俳優の顔が違うのだ。
男性も女性も、若い人も年寄りも。

アメリカのドラマと比べると、いい意味で二枚目、美女ではない。
普通に生きている人間という感じ。
でも、そこに魅力がある。
顔のしわや、ふとした表情、無造作にしている髪の毛…。
何というか、人間的なのだ。

音楽もほとんどかからない。

淡々とドラマは進む。

事務所も普通の部屋だ。
CSIのような科学捜査も出てこない。

でも、味がある。

アメリカのドラマとは違った、大人の面白さという感じ。

イギリスという国の歴史がそれを感じさせるのだろうか。

独特の重さがある。

これはこれで、なかなかいい。




| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
危ないデジタル
D-Aコンバーターとは、Digital to Analog コンバーターのこと。
デジタル信号をアナログ信号に変えるものだ。

デジタル信号はそのままでは人間には理解不能だ。
だから、アナログ信号に変えないといけない。

CDも、MDも、ipodでも音楽はデジタル化されている。
DVDでは、絵と音がデジタル化されている。

今これを書いているコンピューターでも、文字がデジタル化されている。
文字コードというやつだ。
たくさんある漢字もやっと文字コード化された。
当用漢字も、最新のパソコンなら使うことができる。

でも、このデジタルというやつは、ある一点を超えてデーターが壊れたら、全くダメになる。

アナログに比べて、ダビングしても劣化しないというメリットはあるが、データーの破損という事に関しては、危ないのではないか。

今、すごい勢いで世界中のアナログデーターがデジタル化されている。
グーグルのように、図書館の本をまるごとデジタル化するというような企業も現れた。

二重、三重のバックアップ体制はとっていると思うが、それでも、何かが起こった時には、全くなくなることもあり得る。

そのうち、ほとんどのものが、デジタル化されて保存されるようになるだろう。

でも、本やテープやビデオというアナログのメディアを置いておく方がいいと思う。

そうでないと、人類が生きた歴史が全滅するおそれがある。

人類が生きた歴史…、それに価値があるかどうかはわからないけど。



| | 考えたこと | 00:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
早起き
ここ数日、朝早く目が覚める。
また眠れればいいのだが、何となく眠れない。
つい、起きてしまう。
あと1時間くらい眠れるのに、起きる。

睡眠不足なのに、早起きだ。

おかげで、往きの車の中から眠い。
昼間もすごく眠くなる。

どう考えても、ギリギリまで眠るべきなのに、眠れない。

どうして、もう眠れないとわかるんだろうか。
朝起きて、あ、これはもう一度眠れるな、という時と、これはもう眠れないな、という時がある。
だいたい、これはもう眠れないな、という時は本当に眠れない。
すっきりしているワケでもないし、どちらかというと、疲れている。

そう、疲れているから眠れないのかもしれない。

眠るのにもエネルギーが必要だ。

そのエネルギーのなさを身体が感じるのだろう。

ちょっと、シンドイ。

休まないといけないということか…。





| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
尾崎豊
近頃、auの宣伝で尾崎豊の曲がかかっている。
80年代のシンガー。
事故死のような事だった。
そんなにカリスマ性があったのかな…、という感じ。
十代でデビューして、何となく不満を持っていた若者の心を捉えた(らしい)。

ぼくはもう就職していたが、なんだか葬式がすごい騒ぎになっている、というニュースを見た覚えがある。
へ−、そんなに人気があったのかと思った。

80年代後半の音楽を知らないわけではないのだが、尾崎豊については全く知らない。
50代で尾崎豊に思い入れのある人がどれくらいいるのだろうか?
そんなにいないと思う。

うちの弟はぼくより5歳下だが、尾崎豊を聞いていた。

ぼくらは、もう子供ではなかったということだろう。

Wikipediaには、尾崎豊は「愛や夢を追い求め、学校や社会の不条理に立ち向かう少年の心の叫びのようなその歌の世界が若者の共感を呼」んだと書いてあった。
微妙に大人になっていたぼくらは、尾崎豊には反応しなかった。
そんなに社会が居心地が悪いと思わなかったのだ。
流行りだした時期が1985年くらい。ぼくらが30歳手前の年。

学校が荒れて、どうしようもなかった時期と重なっているのかな。

昭和ヒトケタジュニアであるぼくは、働くことが当たり前だと思い、先生の言うことを聞くのは当たり前だと思っていた。
そういう価値観が親から来ているのだ。
団塊の世代が暴れ回ると、おとなしくなるのを見てきた反動もあったかもしれない。
反抗期はあったが、それは一時のものだった。

本当に、今から思えば、天国のような時代。
明日は明るく、希望があった。
きっと今日よりも明日は豊かになる、そんな空気が世間に流れていた。
30代になる前、とにかく、仕事をしていた。

何が言いたかったのか、よく分からないが…、そんな時代を過ごしてきた。

そういうことだ。


| | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
もうはや
6月になった。

早いものだ。もう蚊が出てきた。
年をとると、代謝が悪いのか、あまり刺されない。
蚊も若い人の方がいいらしい。

でも、ずいぶん減ったと思う。
ぼくが小学校の頃は、道端にミゾがあって、その中にボウフラがたくさんいた。
あれが全部蚊になったとしたら、すごい量だ。
近頃はボウフラを見ることもない。
そんな水たまりがなくなった。

6月といえば、梅雨。
まだ梅雨入りの宣言は出ないが、ぼちぼちだろう。
これも、昔に比べて雨の量が減ったと思う。
来る日も来る日も雨という感じだったが、最近は梅雨も短いような気がする。

だんだん熱帯化しているんだろう。

そういえば、北極の氷が溶けて、船が通れるようになったらしい。
日本を出て、北米やヨーロッパに行くのは、北極ルートが最短だ。
今話題のソマリアのルートは通らなくてよい。
でも、年中通れるようになったら、その時はかなり温暖化が進んで、日本の面積がだいぶ減っているだろう。
北極航路は温暖化のメリット(というのもおかしいが)だろう。

果たして温暖化を食い止めることはできるのだろうか。
そもそも温暖化が起こっているのか?という問題はあるが、それはさておいて、温暖化が起こっているとすると、産業革命以降の人間の活動が大きく影響しているはず。
そうなると、約200年の活動の影響だろうから、ものの道理でいうと、200年かけて起こしたものは、200年かけて戻さないといけない…ということになる。

そんな時間が残っているのだろうか。

自分が2200年まで生きているわけはないが、息子たちは2050年くらいまで生きて、孫は2100年くらいまで生きて、その孫の子は2150年くらいまで生きて、その孫の孫は2200年くらいまで生きる計算だ。

孫の孫の世代が死ぬ頃には、地球の温度はどうなっているだろうか。

科学の進歩がそれを止めることができるのだろうか。

そもそも、人類が生きているだろうか。

疑問はつきない。

結局、ぼくらは一番いい時代を生きているのかもしれないなあ…。



| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |