考えたこと2

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なじみの科学者は?
内閣というところは、いろんなことをしているらしい。
2004年に内閣府が「科学技術と社会に関する世論調査」というのを行っている。

http://www8.cao.go.jp/survey/h15/h15-kagaku/3.html 参照下さい。

18歳以上2000人の回答があった、というこの調査結果をみると、けっこう面白いのだが、一つ興味深い結果があったので、ご紹介します。

「科学者や技術者は,身近な存在であり,親しみを感じるという意見について,あなたはどう思いますか」という質問に対して、

( 5.7) (ア) そう思う
( 9.8) (イ) どちらかというとそう思う
(38.6) (ウ) あまりそう思わない
(35.7) (エ) そう思わない
( 8.2) (オ) どちらともいえない
( 2.1)     わからない

というのが答えだそうだ。
科学者や技術者に親しみを感じる、という事について肯定的な人は約15%しかいない。10人に1人か2人という結果である。
8割以上の人が否定的なのだ。

僕らが小学校の頃は、科学者にすごくなじみがあった。
アトムのお茶の水博士、天馬博士、エイトマンの谷博士、鉄人28号の敷島博士、サイボーグ009のギルモア博士・・・。
小学校時代のSF系のマンガには、必ず博士が出てきた。
だから、科学者とか博士とかに対しては、その頃からすごく親近感がある。

科学者=エライ人=正義の味方=僕らの仲間

という図式になる。

夢をかなえ、不可能を可能にする・・それが科学技術であり、世の中をよくするものだ、というのがおそらく手塚治虫をはじめとする、戦前生まれのマンガ家の人たちの見方であったと思う。

それをストレートに受けて育ってきたのが今の40代後半くらいまでか。
確かに、最近のテレビアニメを見ていても、博士が出てきたことがない。

それにしても、15%は低い。
実際、世の中に出たら、科学者や技術者となじみになる人の方が少ないのだろうが、30%くらいはあってもいいのではないか。

こういうのも、理科離れの原因の一つなのだろう。

科学に夢がなくなったのか・・・。


| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
休みの日の楽しみ 6
もうだいぶネタ切れしたが、休みの日の楽しみといえばやっぱり「寝ること」は外せない。
昔はいくらでも・・とは言わないが、一日なら寝て過ごせたが、最近はあまり寝られなくなった。
これも老いの始まりなのかもしれない。

寝るのはゼッタイ布団派である。
ベッドなどではダメ。畳の上の布団に限る。
若い頃に腰を痛めたので、出張などでビジネスホテルの柔らかいベッドに寝ると、朝は腰が痛い。

堅い、柔らかいはおいといても、布団であれば、色々なものを回りに置ける、という便利さがある。

だいたい、寝つきが悪い方なので、布団に入ってすぐに眠れる、という事はない。
横になったとたん眠れる人がいるが、あれは信じられない。どうしてそんな事ができるんだろうか・・と思ってしまう。
だから、眠るまでに色々と手続きがいるのだ。
眠るためのグッズと、朝起きるためのグッズが布団の回りに必要だ。

まずは本。寝る前に読む。
以前は読みながら眠ってしまう、ということはなかったが、最近は疲れて、本を持ったまま眠る、という芸当ができるようになってしまった。
何冊か置いてある。
パソコンの雑誌、短編小説、読む予定の本など。

面白いところに線を引くためのシャープペン(0.4mm)もある。
本を読むための老眼鏡。これは既製品。かけたまま眠ってしまうことがあるので、安いヤツ。度もきつめ。

MDとCDとカセットが聴けるラジカセ。
中学の頃から、眠るときには落語を聞いていたので、これは欠かせない。
最近は漫才も聞く。上方漫才祭りなどを録音する。
落語では枝雀、米朝がメイン。漫才は、今はカウス・ボタンがいい。いとし・こいしもオススメ。
古いカセットも時には聴く。昔のWヤングは面白い。
一時、英単語を寝ながら覚えようとCDを聞いたが、これは失敗。イライラして眠れなくなる。

昼寝の時などは音楽の方が良い。
昔のものが多い。こないだから、古内東子を聞いている。切ない曲がイイ。
オールディズのジャズボーカルやポップスの懐メロなど。

最近、アロマオイルも始めた。
ラベンダーなどの花から取れたものは、ちょっと香りがきつく、眠るときには向いていない。
一度数滴落とすつもりが、たくさん出てしまい、においがしすぎて眠れなくなった。落とすときには気をつけないといけない。

眠るときは、柑橘系がいいと思う。
最近はオレンジオイルをティッシュに数滴落として枕元に置いている。
気分が落ち着くので気に入っている。

それと、目覚まし時計。これは必要。

休みの日に一日寝ると、やっぱり月曜日はしんどい。
ちょっとは運動しないといけないんだが、何も考えず、布団の上に横になる・・あの解放感は捨てがたいものがある。

考え事をするでもなく、ぼーっと天井を見る・・ちょっと眠って、目が覚めたときの感覚が楽しみ。
起きて何かをしないといけない・・・という事がない起床。
これはやはり休みの日の楽しみだろう。
きっと賛否はあると思うけど・・・。


| | 考えたこと | 23:57 | comments(5) | trackbacks(0) |
オーシャンズ11 Oceans Eleven
ジョージ・クルーニー主演。

泥棒のおはなし。
11人のプロが集まって、大きなヤマをやっつける、というストーリー。
それに絡めて、主人公の元妻(ジュリア・ロバーツ)との関係が横糸になる。

共演しているブラッド・ピットがいい感じ。
11人のプロが個性的で面白い。

脚本もよくできていて、途中、手に汗を握る場面も十分だし、トリックにも感心。
この手の映画は、映画を見ている側が泥棒の動きをわかっているが、最後の最後には観客も泥棒にだまされる、というパターン。だまされ方が心地よければ成功、という事だろう。その意味で、よくできたおはなし。

借りても損はないと思います。

| | 映画・舞台 | 02:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
トーストはトースター?
いつの頃からだろうか。オーブントースターというものが出てきたのは・・。

調べてみると、昭和39年に東芝から出た、と書いてあるページがあった。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/okyan/s37s39.htm

昭和39年というと、1964年・・東京オリンピックの年。小学校2年か。
我が家にオーブントースターが来たのは、もうちょっと後だったが、小学校の高学年くらいだったかもしれない。
それ以来、パンを焼くのはオーブントースターの仕事になってしまった。

つい最近、引き出物にギフトカタログをもらい、それでトースターを頼んだ。
銀色のヤツだ。パンを入れて、レバーを下げて、しばらくするとポップアップで出てくるという昔ながらのもの。

小学校の頃は、朝はトースターでパンを焼いて食べていた。
パシャ、という音がして、パンが焼けて上がってくる、その音を久しぶりに聞いた。
トーストの表面が焦げて、香ばしいにおいがすることを思い出した。においの記憶というのは消えないものなんだろう。
小学校低学年の頃の記憶だと思う。40年経っても覚えている。

ぼくらよりちょっと下の年齢の人たちは、ポップアップのトースター自体を知らない人の方が多いのかな・・。

トースターをもらったおかげで、パンがおいしくなった。
近火の強火で焼く、というヤツだ。
トースターではパンの表面から数ミリの所に熱源があって、パンのすぐ近くで高温で焼く。だから表面は焼けるけれど、中はフワフワに近い。これがいいのだ!これがトーストだ、と思う。やっぱり近火の強火ですよね。

ところが、このトースターが中国製(さすが、ギフトカタログ!)なもので、日本のパン事情に合っていない。最近のパンは厚くて、背が高く、トースターに入らない。イングリッシュ・トーストみたいに、10センチ程度の真四角の小さいヤツはないのか。せっかくおいしく食べられるのに、普通に買うと、厚すぎて引っかかって出てこなくて煙を吹いたり、上がトースターからはみ出して焼けなかったり・・。

ポップアップトースター向けのパンをもっと売ってほしいものだ。

日本製のトースターはもう少し日本のパン事情に合っていそうなので、いずれ日本製に買い換えないといけないか・・・。

ポップアップ・トースターでパンを焼いて食べた事がない人、一度試す価値はあると思いますよ。

ただ、誰もがそう思っているわけではない、ということも付記しておきます。
ウチではせっかくトースターをもらっても、私以外はオーブントースターを使っています。
こっちの方がおいしいと思うんですけどね。

| | 考えたこと | 22:08 | comments(2) | trackbacks(0) |
休みの日の楽しみ 5
22歳で社会人になった。もうだいぶ前の話。
社会人というのは、税金を納める人、という意味だ。
サラリーマンになれば、否応なく税金を納めることになる。

最初に配属された部署が実験部署で、朝から晩まで実験室だった。
5時頃に実験を終え、それからデーター整理(と言っても手でグラフを描く、という今ではあまり考えられない仕事)で、配属されてすぐに5時で帰れる日々は終わった。
実験室にはいろんな機器があり、なかには日本でもいくつかしかないというような、盤面にスイッチが何十個と並んでいるような機械もあった。

実験室につきものなのが、掃除である。

毎週掃除の日があった。その日以外でも、社外からお客さんが見学に来るというと、掃除をした。新製品のプロモーションビデオを撮るから、というような事になると、大掃除だった。
ややこしいものを隠したり、右のものを左へ、左のものは右へという感じであっちこっちに動かした。

掃き掃除、拭き掃除、モップをかける・・・部屋のすみも余さずやった。
ほこりがたまった機械もきれいにした。

学生時代は、あまり掃除には興味がなかった・・ちょっと言い方が悪いけど・・とにかく熱心ではなかった。
クラブの部室など、4年間掃除した覚えがない。

年末には大掃除。初日は床、壁、機械類などきれいに掃除し、2日目は床の保護のためのペイントを塗ったりした。
その後、事務所の掃除。机の上、蛍光灯、窓ふき、何でもやった。
鍋奉行よろしく掃除奉行がいて、大掃除の日はみんなを率先し、指示を出していた。

年末の恒例行事で、しんどいけど、来るべき正月休みを思いつつ、一年の垢を落とし、きれいにして、終わったあと部屋にはいると、洗剤のにおいがして、それが心のどこかをうきうきさせるような一日だった。
学生時代の自分からは考えられない働きだったと思う。

その後、部署を変わったり新しい事務所に移ったりして、コンピューターが普及し、床がカーペットになり・・休みの間に外部の掃除の業者を頼むようになって、年末の掃除も、毎週の掃除も楽になって、仕事だけはきつくなっていき、掃除に時間をかけていたのも、古き良き時代になっていった。

でも、実験室の仕事をして以来、機械ものにほこりがたまっていると気になるようになった。
こういうのをしつけと言うのだろうか。
雑巾を使う事にも全く抵抗がなくなり、汚れていたものがきれいになるのを見るのが楽しい、という回路が脳のシナプスにできた。

前置きが長くなったが、休みの日にうろうろするもうひとつの売り場は掃除関係の雑貨。

サッサはよく使う。これはバッタものではダメ。やっぱり金鳥だ。ブランドものを買うのだ。

花王のクイックルもすぐれもの。普通のクイックルワイパーだけでなく、ハンドワイパーもよかった。これは、最近売ってないようだ。

クイックルハンドワイパーが過去形になったのは、強力な超すぐれものが出たから。ユニチャームのウェーブハンドワイパー。これはイイ!まず、本体が薄く、狭い隙間に入ることと、綿状の繊維と短冊状のヒラヒラがうまくミックスされていて、ほこりが取れること。クイックルハンドワイパーの買い置きがあるのだが、使えない。ウェーブハンドワイパーがあんまりイイので、クルマの中用にも一つ買った。
かたちを見ると、半信半疑なのだが、これはクイックルよりいい。

ふき掃除は、かんたんマイペットを愛用している。拭いたあとベタベタしないし、汚れも落ちる。
テレビショッピングでやっていたオレンジクリーナーも買ったが、今ひとつ。確かにオレンジのにおいはするけど・・。
最近のオススメはツムラのキッチンアクアショット(スプレー)。これはアルカリ電解水ということになっているが、所詮は水なので、どこでも使える。けっこう汚れも落ちるのでびっくりした。ホントにただの水なんだろうか。(・・・アルカリ電解水だ。)
クルマに積んでおいて、窓などを拭くのにもよいらしい。

同じアルカリ電解水系のOAクリーナー(ウェットティッシュ)もよく使う。パソコンのOA用品売り場で売っているもの。アルコール系のものは拭きあとがついたり、何となく気持ちがよくないが、これはイイ。テレビの画面を拭くと、ティッシュが真っ黒になるくらい汚れが落ちる。

クルマの中の汚れ落とし、というウェットティッシュも以前よりはだいぶよくなった。前は数枚使っただけで、乾いてしまって捨てないとしかたなくなったが、最近のはシールがきっちりしていて、乾かない。

昔は、卓上の電池式クリーナーを買ったりしたが、今は使っていない。電池もモーターも進歩したから、良くなったかもしれない。

通販で一時宣伝していた、コロコロというカーペットクリーナーもなかなかイイと思う。
ちょうど黒板消しくらいの大きさで、黒板を拭くようにカーペットの上で動かすと、底面のエチケットブラシ部が細かいゴミをとり、回転するブラシが大きなゴミをとって、内部に入れる、というもの。書くと複雑な感じだが、見ると単純なもので、作った人はえらいなあ、と思う。

一時、ローラーの粘着テープのも使ったが、最近は使ってない。あれはあれで、よかったけど。

雑巾の方はよく分からない。使い古したシャツやタオル以外でイイものがあるのでしょうか?

網戸クリーナーというキワモノも買った。磁石のついた小型の黒板消しのようなもの2つを、網戸を挟んで磁力でひっつけて、前面と背面を一度に拭く事ができる、というもの。確かにきれいになるが、本体の汚れもすごくて、2回目に使うのはちょっと躊躇してしまい、一度きりの使用になった。(替えの部品があるのだとは思うが・・)

窓は、外側なら水を流して、クルマのワイパーのゴムがついたような手持ちのもので拭くのが一番。
内側はむずかしい。普通のガラス磨きのスプレーでやるしかないのか・・。

掃除用品売り場をうろうろして、何かよいすぐれものはないか・・と思っている。
これも隠れた楽しみの一つ。
当たりの製品を見つけたときの喜びはひとしお。

これも、会社で実験室の担当になったおかげなのか・・。感謝しないといけない。

ぼちぼち、休みの日の楽しみもネタ切れか・・・。

| | 考えたこと | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
休みの日の楽しみ 4
平日は買い物できる時間がないので、休みの日しかお店をうろうろできない。
高いものではないが、文房具が好きである。

都合良く、本屋のとなりが文房具屋で、ここも行きつけの店。

そんなによく買い物をするわけではないが、文房具屋の中をうろうろして、色々なものを見るのは楽しい。

ファイルは2穴のもの、30穴のもの、圧着式で穴を開けないもの、クリアファイルなど、新製品がないかどうか見る。

消しゴムはスティック型のものが好きだ。

シャープペンはここ数年0.4mmに決めている。0.5mmはちょっと太いし、0.3mmは細すぎる。パイロットしか出してないのが残念。

ボールペンも0.4mm。Hi-Tecというヤツ。

手帳用の小さなシャープペン、これは0.5mmしかない。
誰か、きれいな0.5mmの赤色の芯を出してくれないか、と前から思っているが、まだ出ない。

肩がこらない、という太いシャープペン、あれはホントに効くのだろうか?どうもブサイクだから買わない。
Hi-Tecの3色ボールペンは無理か。

ポストイット。これは大発明!スコッチはエライ。メモを書いて、どこにでも貼れて、はがせる。最近はたくさんのメーカーから出ているが、やっぱり元祖ポストイットだ。薄い黄色がスタンダードだろう。正方形のヤツがメモにはいい。

ホッチキスは綴じたときに裏側が出っ張らず、押さえるヤツ。最初は大きかったが、だいぶ小さくなった。でも、最初のは重厚で好きだった。どこのメーカーだったか・・。もうあのタイプはない。

パンチも色々あって、最近のは収納しやすいようになっている。(手で押すところが、ロックできる)

メモ帳はリングタイプで、めくっていけるのが良い。罫線のあるものが好み。(海外の刑事ドラマに出てくる刑事はたいがいリングタイプだ)

カード類はバースディ、結婚、転居、出産など、いろいろあって、めったに買わないが見ているだけで楽しい。

インク消しはやっぱりシールタイプ。コロコロと転がすヤツがいい。最初に出たのは、ドイツのペリカン製だと思う。最近いろいろ増えた。しかし、ワープロを使うようになって、あまり使わなくなったのが残念。
昔は液体のタイプで、よく振って、中が固まらないようにしないといけなかったし、時々水を足さないといけなかった。水を入れすぎて失敗したこともある。塗っても、下の文字が出てくるのだ。

ラインマーカーはやっぱり蛍光色の黄色。オレンジ色もちょっと使って薄くなるといいのだが、最初は濃すぎてダメ。これも最近種類が増えて、迷う。こないだ専用消しゴムで消えるタイプを使ったが、失敗だった。きれいに引けない。

写真のフレームは最近デジカメで撮って、気に入ったものだけプリントしてフレームにいれることが多くなった。縦型、横型、木製、金属製など、いろいろあって面白い。

ちょっと高いが、きれいなボールペンや万年筆を見るのも楽しみ。

使わないが、システム手帳のリフィルなども、いろいろある。何度か買いかけたが、踏みとどまった。

ユニポスカなどのポスターカラーのペンも面白い色があったりする。いろんな所に塗れて便利だそうだ。

学生用のパスケースやマジックテープでとめているような財布、家庭用のホワイトボードなどもある。

便箋と封筒のセットも、けっこう面白いデザインのものがあったりする。そういえば、自分の字をもとにして、自分用の字をワープロなどで印刷できるフォントを売っていたので、それを買って、手紙を書けば・・と思ったこともある。でも、メールで済むから買わなかった。今でも少し未練はある。

よく、ワゴンセールをやっていて、B5サイズのノートが安かったり、セロテープやクレヨンなどが安売りで出ている。でも、なかなか気に入ったものはワゴンには乗らない。

文房具は好きだが、書類の整理は全くダメ。これは好きとは関係ないようだ。
ああいうのがちゃんとできる人がうらやましい。
書類整理用のタグは色や大きさやタイプがいろいろあって、見るのは好きだが・・・。
性格なんでしょうね。

ソニープラザや海外雑貨などを置いているところで、ファイルやノートなどを見るのも楽しみ。
気に入ったものがあると買いかけるが、たいがい理性が勝つ。
使いもしないのに、買うと、文房具に悪いですからね。

これも、安い楽しみ。お金はほとんどかからない。
衝動買いしても、500円程度。

ギフトショップで、ほとんどの客が女子中高生みたいな店にも、面白そうな文具がありそうだが、ここはちょっと入りにくい。

文房具屋、これも休みの日の楽しみ。

もう一つ、よくのぞきに行く売り場があるが、これは次回に。


| | 考えたこと | 00:40 | comments(2) | trackbacks(0) |
aikoはすごい
高校一年の息子に録音してもらい、aikoを聴いたが、この人はすごい!

以前、カバンという曲を聴いて感心したが、今回まとめて聴いて、この人の才能に驚いた。

詞はちょっとおいといて、曲にびっくりする。専門的にどういうのかは知らないが、メロディのキーが変わるのだ。

20代の頃に聴いた、スティービー・ワンダーの"You are the sunshine of my life 〜"で始まるあの曲がこの手のメロディの聴き始めだった。
こんな曲が作れるんや、と思って聴いたものだ。
その次は、荒井由美のコバルトアワー。これも、何かよくわからないが、荒井由美は天才や、と思った。

あれからほぼ30年経って、こんな人が出てくるのか。
「花火」とか「カブトムシ」、「アンドロメダ」、「蝶々結び」など。
不思議な節回しだが、不自然さもなく、普通に聴けてしまう。
歌う方も、普通に歌っているんだろう。

フォークギターで、コード8つくらい知っていても、到底たちうちできないメロディだ。

どうやって、こんなメロディを作るんだろうか。
音大出身とのことなので、和声学の勉強をつんだんだろうか。

最近の音楽はあまり聴かないが、すごくオリジナリティがあると思う。
宇多田ヒカルも、いいなあと思ったが、メロディの斬新さではこの人の方が上だろう。
線は細いが、ボーカルもうまい。

嘘か誠か知らないが、カラオケで歌いにくくするために(なかなか覚えられないように)、わざと転調したりする、という曲作りもあるというけど、この人の曲はそんな感じではなく、自然に作られているように聞こえる。

aikoはすごい。
こういう才能がある人が出てくるのはイイことですよね。

| | 音楽 | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミリオン・ダラー・ベイビー Million dollar baby
映画というのは、もしも主人公が自分だったら・・とか、自分ならこうする・・とかいうことを想像しながら見るのが楽しかったりするが、この映画はそういうタラレバはできないと思う。

あまりにも重いテーマで、見ていて息苦しくなるが、見る意味はある。
特に今のような時代には・・・。

ヒラリー・スワンク、ビバリーヒルズ青春白書に出ていたが、すごい女優になりましたね。

クリント・イーストウッドは75歳。
こんな75歳になれればいいなあ、と思った。

| | 映画・舞台 | 20:37 | comments(2) | trackbacks(0) |
70年代と今 3 レコード大賞
今までの話がちょっと個人的すぎたので、70年代のヒット曲はどうだったのかということについて調べてみた。

僕が中学に入った1969年のレコード大賞は、「いいじゃないの幸せならば」だった。佐良直美、なつかしいですね。
すごくいい曲です。

当時、大晦日はレコード大賞を見て、紅白歌合戦を見るものと我が家では決まっていた。
(今は大晦日はドラえもんを見ているが・・・)
あまり歌謡曲には興味がなかった僕でも、レコード大賞をもらうような曲は知っていた。
ちなみに、1969年から1979年(就職した年!)の10年間のレコード大賞受賞曲を見ると、


1969年 いいじゃないの幸せならば 佐良直美
1970年 今日でお別れ       菅原洋一
1971年 また逢う日まで      尾崎紀世彦
1972年 喝采           ちあきなおみ
1973年 夜空           五木ひろし
1974年 襟裳岬          森 進一
1975年 シクラメンのかほり    布施 明
1976年 北の宿から        都はるみ
1977年 勝手にしやがれ      沢田研二
1978年 UFO          ピンクレディー
1979年 魅せられて        ジュディ・オング

というような顔ぶれ。

11曲の全部を知っているし、10曲は今でもカラオケで歌える唄だ。(恥ずかしいのは別にして)
当時の歌番組(夜のヒットスタジオやベストテン、紅白歌のベストテンなど)では、レコード大賞になるような曲は、毎週出てきて、2ヶ月くらいは同じ曲を歌っていたものだ。それは80年代になっても続いたと思う。

このころ、洋楽で流行ったもの(好きだったもの)というと、ビートルズサイモンとガーファンクルカーペンターズがメジャーなところ。
カーペンターズは神戸文化ホールに見に行った(たぶん高校1年)。
個人的には前にも書いたが、キャロル・キング、フィフス・ディメンションは外せない。

今はどうなんだろうか。
ここ10年のレコード大賞の曲は、25年後になっても、今の中学生は知っているのだろうか。
知っているかもしれないけど・・・。

レコード大賞の授賞式も紅白歌合戦も、視聴率が下がっている。
従来の歌謡曲(というか、歌謡界)の枠にはまらないミュージシャンが増えてきて、彼らが賞の価値を認めなかったりするから、レコード大賞というもの自体の魅力が薄れてきたんだと思う。

音楽のコピー文化が進み、レンタル屋ができて、今では曲のダウンロードすらできる。
価格破壊による音楽の大衆化は否応なく進んできたと思う。
さらに、色々な音楽文化が広がってきた。演歌やアイドルを中心とした従来の歌謡界というものは、大きな音楽のマーケットのほんの一部分でしかない。量の面でも、質の面でも大衆化が進んだ、と言えるだろう。
大衆化、ということは、誰もが好きな音楽のソースを手に入れるということであり、それはいいことなんだろう。

しかし、本当にいいことばかりなんだろうか。

一般的な商品は、あるところ以下まで価格が下がると、品質はどうでも良くなる(壊れたら、買い直せばよいということ)と言われている。

最近、ビデオデッキなど、安くなりましたよね。
10年近く使ってきたビデオデッキが壊れて、修理に持っていったら、修理するより新品を買う方が安いと言われた。
新しく買った安いビデオデッキが壊れても、きっと新品を買う方が安いんだろう。
これが続くと、壊れても、買い直せばよい、という気になってくる。
壊れない=品質が良い、という事の価値が相対的に下がってくるんだと思う。
さすがに、ビデオデッキが1万円ちょっとになると、そういう感じではないですか?

どんどん手に入れることのコストが安くなってきた「音楽」という商品はどうなんだろう・・。

音楽をやっている人たちは、今も昔も一生懸命やっているとは思うんですけど。
結局は個人的な話になっているような気がするけど・・何となく、そういうことを考えてきて、このシリーズを書いています。


まだ続きます。

| | 音楽 | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
休みの日の楽しみ 3
最近、老眼で目が見えなくなってきた。特に文庫本はかなり離さないと読めない。眼鏡店でみてもらうと、老眼だけでなく近視もあるとのこと。

そんなわけで、最近、老眼鏡と遠近両用のメガネを買った。

普段は老眼鏡は家に置いてあり、遠近両用の方はカバンに入れて持ち歩いている。
遠近両用のメガネは、レンズの下の方を使わないと本が読めず、ずっと本を読むには向いていない。
やはり読書には老眼鏡である。

最近、休みの日は、読みかけの本と老眼鏡を小さなショルダーバッグに入れて、近所の喫茶店に行くというのを楽しみにしている。

地下1階にある喫茶店は、あまり混んでおらず、紅茶を頼めばポットで出てきてティーカップ3杯分くらい飲めるので、長い時間いることができる。

そこで本を広げて老眼鏡をかけ、本を読む。
老眼鏡をかけると、少しかしこく見えるのではないか、とウィンドウを見る。

どういうわけか、よく70〜80年代のアメリカのソウル系のバラードがBGMで流れていて、それもうれしい。(いい曲が多い)
英語の歌詞だと、意味がわからないので、読書のじゃまにならないというのもいい。

だいたい、読み始めて、すぐの本を持っていくことが多い。
家よりも喫茶店の方が集中できるので、導入部から面白くなるところまで読めれば、ラッキーだ。
あとは勢いで読める。

時々、回りの人の会話にも耳を澄ますが、だいたいは一人で来ている人が多い。
今までは電車の中以外に、外で本を読む機会などなかったのだが、最近喫茶店での読書を覚え、楽しみの一つになった。

学生時代は喫茶店はしゃべるところで、こんなところに一人で来る気がしれない、と思っていたが、それがわかる年齢になったということか。

読書するのに500円くらいかかる、というのは贅沢かもしれない。

プチ贅沢と考えよう。どっかにクルマや電車で行ったら、500円ではすまないのだから。

喫茶店で1時間少し本を読んで、帰り道を歩くと、満たされた気分になることができる。これは休みの日でなければ味わえない気分だ。

| | 考えたこと | 00:34 | comments(4) | trackbacks(0) |
休みの日の楽しみ2
休みの日のもうひとつの楽しみといえば、本屋に行くことである。

近所に行きつけの本屋がある。
単行本は売れ筋がメインだが、文庫・新書は大手書店のものは揃っている。

特に買いたい本がある時は、すぐに目当ての書棚に行くが、だいたいはぶらぶらと中を徘徊する。
書棚の前に並んでいる文庫・新書の新刊本を見て、それから書棚をぐるぐると回る。
その日の気分で新書のところで立ち止まったり、文庫のところで立ち止まったりする。題名などで、何となく気になる本があっても、たいがいは通り過ぎるが、何回かの後には立ち読みしてみて、買ったりする。

ミステリのところは、表紙を見ているだけでも楽しい。早川文庫も扶桑社ミステリも、表紙のイラストがきれいなのものが多く、手にとって見てみることが多い。(その割には、あまり買わないが)
PHP文庫や日経文庫、講談社学術文庫など、かたい本が多いが、中に楽しそうなものもあり、ときどき立ち止まる。

最近は翻訳ものを買うことが増えた。自分の中で、はやりすたりがあり、今はちょっと翻訳ブームである。

何度か通り過ぎても、何となく題名や著者名が気になり、手にとって著者紹介を見たりすると、ぼちぼち買いムードになる。
そんな感じで買った本で、すごく面白く、その作者の本を買い集める、ということになった事も多い。
なんとなく、本がオーラを出して手招きしているという感じだ。

そんなこんなで、いったん馴染みになると、その人の新刊が出ていると、すぐに目に止まるようになる。

文庫、新書のあとは、新刊の単行本を見て、パソコン関係の書棚をのぞき、ビジネス本もおさえておく。

気がつくと1時間くらいは本屋にいる。
これは休みの日に、手ぶらでふらふらと行くという楽しみである。
平日の勤め帰りなどでは、気分がゆったりせず、本が出しているオーラも見えない。

何も買わなければ、ただで1時間つぶせるのだから、いい暇つぶしになる。
時には文庫や新書を何冊かまとめ買いしてしまうが・・・。

本屋をうろうろすることは、休みの日の楽しみの一つ。
題名や著者を見ているだけでも、知らず知らずに脳にインプットされる知識もあると思う。
最近はインターネットで注文することも増えたが、やっぱり本屋は必要。
手にとって、読んでみて、当たり!という出会いは本屋でなければ得られない。

安くて、ためになる楽しみだと思う。

| | 考えたこと | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
メラニーは行く! Sweet home Alabama
リース・ウィザースプーン主演。

2002年の作品らしい。
アラバマからNYに出てきた主人公が成功して、市長の息子と結婚することになるが、彼女にはアラバマに残してきた秘密があった、というおはなし。
今でも南北アメリカはかなり文化が違うということがよくわかる。
ニューヨークとアラバマの違いを、恋愛のストーリーをからめて、うまく見せてくれる映画。
これを見ると、南部の泥臭さもいいなあ、と思わされる。

洗練されたNYの生活になじんでいるが、やっぱり故郷の幼なじみが・・・というパターンだが、色々と細かいギャグもあり、楽しめる。

南部の英語はもっとわかりにくいと思うが、映画の中では少し手加減してくれていると思う。
きっと、標準語でなまった関西弁をテレビで聞いて気持ち悪い思いをする関西人のように、バリバリのアメリカ南部の人たちはこの映画を見て、北部なまりの英語や、と言っているんだろう。

一度見ても損はないと思います。

| | 映画・舞台 | 10:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
70年代と今 2 ステレオのこと
70年代の音楽の事を書くなら、どうやって音楽を聴いていたか、ということについても書かないといけない。

前回書いたように、音楽といえばレコードだったから、聴くためにはレコードプレーヤーが必要だった。70年代の初めには、今のようなラジカセなどなく、音楽を聴くためにはステレオが必要だった。コンパクトで手軽なものなどなく、レコードプレーヤーとアンプ、チューナー、スピーカーがセットになったものか、各々別々に買うか、いずれかだった。

当時の国内ブランドはソニー、テクニクス、ダイヤトーン(三菱)、ローディ(日立)、オプトニカ(シャープ)、オットー(三洋)パイオニア、デンオン、トリオ、サンスイ、オンキョーなどなど。
他にもたくさんあったけど、忘れた。
今はもう無いブランドもたくさんある。
それほど、音楽を聴くための装置も変わってしまったということだろう。

ウチはサンスイのアンプとスピーカー、パイオニアのレコードプレーヤーだった。
スピーカーの大きさは幅30センチ、高さ70センチ、奥行き30センチくらいはあったと思う。
あとで、72年か73年にソニーのステレオカセットデッキが我が家に来た。
今の小さなCDラジカセの倍くらいの大きさで、単にカセットに録音できるだけ(スピーカーも付いてない)というものだったが、画期的だった。それでも、レコードに比べると、音質は明らかに悪かったけど。

とにかく、レコードを聴くためには、お手軽ではない装置が必要だった。

音楽をお手軽に聴くためには、もっぱらラジオを聴いた。
深夜放送が多かった。当然AM放送。洋楽と邦楽が半々だった。英語などわからなくても、みんな洋楽を聴いていた

FM大阪が今年開局35周年だから、開局したのが1970年。当時はFMラジオというものが出始めだった。ラジオのカタログに、FMステレオ放送とは?というような事が書いてあったっけ。
あれから35年経って、放送局が3つほど増えただけというのは寂しい。

月刊STEREOという雑誌を時々買った。今のパソコンの雑誌と同じく、ほとんど広告だった。広告を見るのが楽しかった。
雑誌売り場にはステレオ関係の雑誌があふれていた時期だった。
中学、高校の頃は、三宮の星電社に行っては、ステレオ関係のカタログを集めた。ただで、かなり読むところがあって、すごく楽しめたものだ。
70年代の神戸で、電化製品といえば、三宮の星電社だった。(少なくとも我が家では)

・・・というような思い出話にすぐ走ってしまう。

要は、レコードを聴くという事は、今よりはたいそうな事だったということだ。

その当時の「ステレオ」という言葉には、カリスマ性があったと思う。
値段も高かったし(もちろん、中学生が買えるような代物ではない)、親が興味がなければ、説得して買ってもらうのは困難だったろうと思う。
ウチの場合は、親父が会社の同僚か誰かに言われて、あった方がいい、というような事になり、僕がカタログを集めた、というラッキーなケースだった。(ウチの親父は機械オンチだったが)

ハイファイ、という言葉にすごいあこがれがあった。
ハイファイというのは、ハイ・フィデリティの略で、高忠実度、ということ。レコードが録音された状態を忠実に再生する、という意味である。

スピーカーも一つの箱に、高音用と低音用の2つ付いているものや、さらに中音用と分けて3つ付いているものなど、色々と出ていた。おまけに、それぞれのスピーカーを別々のアンプで駆動する、というようなものまで登場した。
(そのころに、やっとラジカセが登場したと思う。70年代の中頃か・・)

「ステレオ」にはそういう意味で、メカに対する夢があった。
単に音楽を聴ければいい、というものではなく、どのメーカーの、どんな技術の、どんなデザインか・・というような思い入れがあり、それが「音楽」につながっていたと思う。
(個人的にそうだ、ということだけではなく、70年代初めの頃は、多くの人たちがそうだったと思う。)

音楽を聴く、という行為にはこのような背景がぶらさがっていたのだ。

レコードをジャケットから取り出し、慎重にレコードプレーヤーに載せ、ターンテーブルが回りだし、ゆっくりとレコード針をのせる・・・という一種の儀式は、「ステレオ」という装置への思い入れと、今から聴く音楽への期待で、ある種の緊張を伴った行為だった。
これだけの儀式をしてレコードを聴いても、たった片面20分程度で必ず終わり、連続で1時間も2時間も聴けるようなものではなかった。曲の順番を変えて聴くなどできないし、気に入らないから曲をとばす、というような事も面倒なことだった。

それでも、自分のレコードを聴くという瞬間は、やはり、所有する喜び、というものにつながっており、70年代の音楽は、やはり所有されるモノだった。

所有するモノ・・・今はどうなのか?

| | 音楽 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
休みの日の楽しみ
誰でも朝起きてからの決まった手順というものがあると思う。

僕の場合は、起きる−着替える−新聞を取る−トイレで読む−ひげそり−歯磨き−顔を洗う−髪の毛が立ってたらドライヤーを使う−朝食を食べながらNHKのニュースを見つつ新聞のつづきを読む−時間になると出る という手順。

たまにボケてひげそりと歯磨きの順番を間違えたりするが、ほぼこの手順である。

休みの日の一番の楽しみは、この手順を狂わすことができることだ。
起きて、パジャマのまま紅茶をいれて、パンを焼きながら、先に新聞を読む事ができる!
着替えも、歯磨きも、どうでもいいのだ

新聞も、いつもはとばし読みだが、ゆっくり読む
チラシが入っていれば、それもざっと見る。

ゆっくりパンを食べて、テレビのチャンネルを行ったり来たりする。
面白そうなものがなければ、消す。

もう一度寝ようが、思い立って洗面所に行こうが、どうでもいい。

これが休日の一番の楽しみです。

朝、時間を気にせず、パンを食べたり、新聞を読んだりできることが、幸せとまでは言わないが、ささやかな充足を味わう瞬間といってもいいと思う。

以前は休日の楽しみは、起きずに眠り続ける事だったが、年をとって朝目が覚めてしまうようになったので、楽しみも変わってきた。

しかし、定年したりして、朝差し迫った用事がなくなると、毎日この状態になるのか。
そうなると、この楽しみが楽しみでなくなってしまう。
たまにあるから、楽しみという事だから。

こういう事が、定年の危機なのかもしれない。
ささやかな充足の瞬間は大事ですからね。
| | 考えたこと | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
70年代と今
初めてシングル版のレコードを買ったのが中学の2年の時。
当時NHKでやっていたステージ101という音楽番組の中で、シングアウトというグループが歌っていた「涙をこえて」というタイトルだった。
ちょうど1970年だから、僕の音楽生活は70年代の始まりと同時だった。

実際には、中学1年の時に友達からカセットテープを貸してもらい、フォークソングを聴いたのが最初かもしれないが・・・。
ベトナム戦争をテーマにした反戦歌(佐良直美が歌っていた!)とか、岡林信康、高石ともやなどが入っていた。一緒に、トム・ドゥリーとか、グリーン・グリーンなんかも借りたかな。
ちょうどカセットが流行り始めたところだったと思う。

あの頃は、みんな洋楽も邦楽も聞いていた。ABCヤングリクエスト(深夜放送)のハガキでのリクエストでは、洋楽と邦楽が入りまじっていた。
ポール・モーリアの「恋は水色」なんかも好きだった。

森山良子はカレッジポップスのアイドルで、禁じられた恋なんかを歌っていた。ちょうど吉田拓郎がイメージの詩を歌い、広島フォーク村から出てきたところ。これは誰かに借りて聞いたような気がする。

自分で買ったLPレコードは、キャロル・キングのタペストリー、フィフス・ディメンションの2枚組(クリスマスの頃にCBSソニーがボーナスボックスとして出していたもの)、ガロ、かまやつひろしなど。

70年代は、ちょうどマルチトラックのレコーダーが出てきたところで、レコーディングというものが、みんなでせーの、で録るのではなく、まずリズムを録音し、ギターとキーボードを重ねて、最後にメインボーカル・・というようなやり方が一般的になったところだと思う。

・・というような思い出話をするのではなかった。
僕は70年代は音楽の黄金期だったと思っている。
長くなるので、何回かに分けて、それについて書いてみようと思う。

70年代は、音楽はレコード盤だった。CDやMDではなかったし、TSUTAYAのようなレンタル業者もいなかった。
だから、音楽は、なけなしのこづかいをはたいて買うものだった。
当時、30cmのLPレコードが1800円くらい。
1800円といえば、中学生にとっては大金だ。
一月に1枚買えるかどうか・・。買ったら、何度も聞いた。

コピー、ということでは、レコードをカセットに録音したりしたが、当時の技術では明らかにコピーした音はレコードの音とは全く違うものだった。
だから、いい音楽を聴きたい、ということは、レコードを買う、という事だった。それしかなかったし、レコードを持っているということは、ちょっと自慢できる事だったと思う。
好きなミュージシャンの音楽は、レコードを所有する、という形でしか自分のものにできなかった。

レコード盤は、完全なモノである。
きれいなジャケットの中に、半透明の薄い袋に入ったレコードがあり、それを指紋がつかないように取り出して、ターンテーブルの上に置き、レコード針をのせる一瞬の緊張は何ともいえない瞬間だった。
音楽と、モノを所有する、ということがつながっていた。

今や音楽はレンタルショップで借りるCDであったり、さらには、パソコンの中のデーターになってしまい、「所有」するものというより「使う」ものになったような気がする。

それが一体何をもたらしたのか、70年代と今はどう違うのか・・・。
それはモノからデーターへという変化だと思う。


| | 音楽 | 02:18 | comments(0) | trackbacks(0) |