考えたこと2

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September
9月を英語でいうと、セプテンバー。

その9月も今日で終わる。
よく考えたら、2011年の9月30日は一度しかない。
そういう意味では、毎日が二度と来ない日だから、同じ事だが…。 

セプテンバーというと、EWF(アース・ウインド・アンド・ファイアー)の曲。
竹内まりやも同名の曲を歌っていた(もちろん、別の曲)。
セプテンバーレインという曲もあった。これは太田裕美の曲。

9月というと、夏と秋のはざまだが、秋が始まるというより夏が終わるという感じ。

 September そしてあなたは
 September 秋に変わった
 夏の日ざしが弱まるように 心に影がさした

竹内まりやの曲のサビの部分の歌詞だ。
やっぱりまだまだ夏のイメージ。

そういえば、誰もいない海という曲もあった。
あれは11月くらいのイメージ。

 いまはもう秋 誰もいない海

と思ったら、同じ事を2007年の10月1日に書いていた。

どうしてだか、9月の終わりになると、季節の音楽を思い出す。

季節の変わり目はいろいろあるが、夏の終わり、秋の初めが一番それらしい。

これから、もの思ふ秋が始まる。




| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
問題点は何か
以前研修に行った時、問題は問題点にしないといけない、という講義があった。

問題と問題点の違いは何か?
問題は漠然としていて、問題点はそれが絞り込めている状態だという。

たしかに、これが問題だ、という時には特定していない場合が多い。
「経理部が問題やなあ」というような言葉は、わりと頻繁に発せられているように思う。(経理部は例である)
ただ、「経理部の山田の仕事の遅さが問題や」「経理部長の決断が遅いのが問題や」というような言葉は、よほどの事でないと聞かない。
そういう意味で、問題が問題である間は解決できない。問題点にしないといけない、という事になる。

でも、例を見てわかるように、「問題点にする」という行為はストレスを伴うことが多い。
言うと、どうしても個人名が出る。
それでも、ある程度機動的な組織で、ある程度構成員に組織の目標が徹底されていれば、個人のストレスは軽減される。
大義名分があるからだ。
明確に組織の目的に対して反しているとか、この業務が迅速にできないと目標達成できない、というような議論ができる。
そういう組織は健全だ。

問題を問題点にするための能力は、そんなに高いものではない。
問題意識をちゃんと持っていて、ある程度その組織に長いこといればわかる。(問題意識というのがくせものだが)

だが、ホントに難しいのは、組織の機構上、問題点が明らかにならないケースだ。
どうしたら問題が解決するか、特効薬がない場合。
例えば、教育。

それぞれ、識者の言うことはもっともだ。
地域社会が、親が、先生が、教育委員会が、教員養成システムが、日教組が、監督官庁が、教育課程が、経済原理が…、原因と思われるものはいろいろある。
それぞれ、言うことを聞くと、ごもっともと思う。

だから、一般論では答えが出ない。
それぞれの組織固有の問題点を見つけるしかない。
それは、それぞれの組織で、真剣に考えるしかない。
ボトルネックはどこなのか、ということである。

こういうところは、理念があるだけに難しい。
理念はあっても、それを測るものがないのだ。
こういうのは、非営利法人に多い。
「利益」という測定項目がないからだ。

生徒の満足度はあっても、それはいつのものか?ということもある。
こんな勉強しても仕方ない、と思っていたが、中年になって、ああそうだったのか、という例もあるのだ。
何を言っても、反論できる。
したがって、問題点が明らかにならない。

だから、こういう非営利の機関の問題は根が深い。

なんの話か、わからなくなったが…。




| | 考えたこと | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
サンクコスト
サンクコストとは、日本語で埋没費用ということ。

英語ではsunk costであり、沈んだ費用というのが直訳。
埋没費用とはうまく訳したものだ。

Wikipediaによると、サンクコストとは、事業に投下した資金のうち、事業の撤退・縮小を行ったとしても回収できない費用をいう、とのこと。

すでに使ってしまったお金で、回収不能のものというと、よくあるのは公共事業。
水力発電のダムを作るために数十億円を使った。
しかし、ダムができたら生態系がむちゃくちゃになることがわかった。
生態系を守ることが必要だ。
こういう時に、使ってしまった数十億円がサンクコストということになる。

まだ生態系というようなものなら、判断がつけやすい。
数十億円使ったときに、電力が自由化されて、このまま作ってもコスト競争に負けるというような場合はちょっと難しい。
なかなか状況が明確にならないから、どうにかなるかもしれない、というような意見が出る。

こういう時に言われるのは、過去を振り返ってはいけない、ということ。

いくら数十億円使ったとしても、撤退するのが正解。
これがサンクコストの考え方。

バスを待っていてもなかなか来ないというようなケースで、せっかく10分待ったのだからもう少し待とう、というような場合もサンクコストの考え方が応用される。
徒歩で時間期限内に着ける時間なら、バス停からまっすぐ歩いて目的地に行く。
これがサンクコストの考え方。
たとえ、1分後にバスが追い越して行っても、そんなことは後悔しない。

こう書くと、簡単なようだが、世の中サンクコストを見限れないことが多い。

要は「過去に囚われるな」ということだ。

しかし、人間は過去に縛られる生き物でもある。

十分に意識しておかないと、サンクコストに囚われてしまう。

コワイ事です。




| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
筒井康隆著 新潮文庫

老人文学。
文体が変わっている。読点がない。
最初は違和感があるが、読み進むうちに慣れてくる。
筒井康隆の小説といえば、「俺」が主人公に決まっていたが、この小説は「儀助」という老人が主人公。
それぞれの章に、「朝食」とか「友人」とか題名が書かれており、8ページ程度の長さで一章が終わる。

昔の筒井康隆を期待してはいけない。
ドタバタもないし、スラップスティックもないし、ブラックユーモアもない。
むしろ、最初は一体何が始まるのか、という感じだ。
読点のない文体が妙に目につく。
そうやって、読ませていくだけの筆力がある。

もう一つ、擬態語・擬音語が漢字で書かれているということである。
雀の声は、「痴痴痴痴痴痴宙宙宙注注注」と表現されている。
なんの効果を狙ったのか。
それでも、慣れるとこれはこれで味わいがある。
カタカナで書くよりも、漢字を選んで書くほうがより意味が伴って面白い。

物語は、儀助老人の身の回りのことを描いて、それで終わる。
途中、「敵」という章があって、不思議な敵が想定される。
パソコン通信の中での話だ。

最初から最後まで、一人暮らしの老人の生活を描いて終わる。

それでいて、なぜか面白い。

不思議な味わいがある。

さすが筒井康隆。




| | | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
街場の大学論2
内田樹著 角川文庫

もう一回、街場の大学論から。
第4章の「大学が潰れてしまう」というところに、「入学定員を減らすしかない」ということが書いてある。

これは18歳人口の減少にしたがって、毎年志願者が確実に減少していく、という実情に対して、内田先生の対抗策が書かれている。

 全国の大学が人口減の比率に歩調を合わせてスライド式に学生定員を減らしていけば、大学数は変わらず、一大学当たりの学生数だけが減る。この選択肢が大学の社会的使命を考えると、日本の大学に残されたオプションの中ではベストのものだと私は思う。
 一大学あたりの学生数が減ると、とりあえず学生一人当たりの教室面積も、一人当たりの図書冊数も、一人当たりのコンピューター台数も全て増える。これで教育環境は改善される。
(中略)
 学生数は減らしてもよいが、大学の数はあまり減らさない方がいい。私はそういうふうに考える。となると、方法は一つしかない。そう、大学のダウンサイジングである。それこそ大学が生き残るための合理的な唯一の選択肢である。私はそう思っている。
(中略)
 つまりあと十八年で、いまの学生数の半分程度まで減らすというのが「理想」なのである。単に財政上の理由から、このまま六百五十人をとり続けるということは、具体的には、教育達成目標をどんどんと下方修正して、本来なら高等教育を受けるだけの知的資質を欠いた学生たちを受け容れてゆく、ということを意味している。
 それは大学の社会的使命を忘れて、最後には市場の淘汰圧に押し流されて、百二十五年の歴史の晩節を汚す様な行き方だと私は思う。
 むしろ、粛々とダウンサイジングを敢行して、「小さいけれど、クオリティの高い教育を続けている学校」という本来の女学院の教育機関としての「反時代的」ポジションを守り抜くことを私は提案しているのである。
 学生定員を段階的に減員してゆき、数年以内に、入学者数を五百十七という定員にまで引き下げる。それでも十八歳人口の減少には追いつかない。
 だから、どこの大学もいずれは定員そのものの減員が必要になる。だが、まだ定員そのものを一気に減員するという改革に踏み切っている大学は(短大を除くと)ほとんど存在しない。
 定員が減れば、当たり前だけれど、本学に入るのは難しくなる。難しくなれば、モチベーションの高い学生しか来なくなる。モチベーションの高い学生が相手なら、教育してクオリティを上げるのは簡単である。クオリティの高い卒業生を輩出すれば、大学の教育機関としての声望は高まる。
 簡単なロジックだ。
 問題は学生納付金が減るということである。インフラの整備や、教育サービスや研究のレベルは落とせない。削れるのは人件費だけである。人件費を学生納付金の減少に応じて削ってゆく他ないだろう。給与のカットも必要だろうし、人員も減らすしかないだろう。
 それは仕方がない。教職員に給料を払うために大学はあるんじゃないからだ。
 大学は学生を教育するためにある。学生の学ぶ機会をどのように確保するか、ということを何よりも優先的に考えるべきだろう。手弁当でもこの大学で優秀な学生を相手に、本気の教育をしたいという人間だけが残ればいい。
 百二十五年前に最初に神戸に来た二人のミッショナリーが「何をしようとして」この学校を作ったのか、その原点に立ち返って考える時期だと私は思う。

この内田先生の案は正解だとぼくも思う。

何のために大学が「学校法人」という非営利団体になっているのか、それを考えればわかるはず。

教えたいことがあるから、学校を開いたのではないのか。
それを達成するためには、どうしたらいいか、考えてみればいいと思う。

しかし、残念ながら内田先生のおっしゃるとおり、提案を実行した学校はない。



| | 考えたこと | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
街場の大学論
内田樹著 角川文庫

内田先生は、ついこの3月まで神戸女学院大学の教授だった人。
現役の大学教授が、自分の大学の教授会の様子や教務委員長としてのメッセージ、入試委員長としてのメッセージなどをブログに書いていたのを本にしている。

第一章「ニッポンの教育はどこへ行く」の一番最初に「国民総六歳児」への道という表題がついている。
その中に、こういうことが書いてある。

 日本の教育はどうしてこんなになってしまったのか?私たちはこの「荒廃」にどんなふうに荷担してきたのか?このままの状態が続いてゆけば、十年後に日本社会は「漢字が読めない、四則演算もできない、アルファベットも読めない、学ぶということの意味がわからない、労働するということの意味がわからない」大量の「元・子ども」を抱え込むことになるだろう。それは社会的能力を欠いた彼ら自身にとっても不幸なことであるが、それ以上に、彼らを保護するために莫大な社会的コストを要求される国民全体にとっても不幸なことである。それが弱肉強食の市場原理の要請するところならやむを得ないという「リアリスト」たちもいるだろうが、もう少し長いスパンで考えることはできないのか。
 「学ぶ」ことができない。「学ぶ」ということの意味がわからない子どもたちがいま組織的に作り出されている。家庭でも、学校でも。しかし、それは子どもたち自身の責任ではない。
子どもたちは被害者である。「学ぶ」とはどういうことか、それを誰も彼らに教えてくれなかったのだから。どうやって、彼らを再び「学び」に向けて動機付けることができるのか…という議論をしている以上、「彼らは『自分探し』の結果、社会的階層降下の道を自己決定したのだから、その社会的劣位は彼らの自己責任において引き受けなければならない」という物言いに軽々に同意するわけにはゆかない。子どもたちは「学び」への動機付けを生得的に持っているわけではないからだ。
 彼らを「学び」へ導くのは大人たちの責任である。
 その責任を放棄して、子どもたちに「自分にとって意味があると思うことだけをしなさい」といえば、子どもたちが「学び」に向かうはずがない。
(中略)
 子どもたちに自己決定したことの自己責任を問うわけにはゆかない。子どもたちを自己責任論で切り捨てるよりも、「自分探し」とか「自己決定・自己責任」とかいう有害なイデオロギーを宣布し、いまも宣布し続けている行政やメディアや評論家たちに口をつぐんでもらうことのほうが先だろうと私は思う。
(中略)
 「オレ的に面白いか、面白くないか」と「金になるかならないか」という二つの基準がいまの日本人たちの行動を決定するドミナントなモチベーションになっている。だが、これは「六歳児にもわかるモチベーション」である。
 こういう言葉を口にする人間は(たとえ実年齢が六十歳になっていても)六歳のときから少しも知的に成長していないのである。だが、本人たちはそのことがわからない(知的に六歳だから)。
 学びを忘れた日本人はこうして「国民総六歳児」への道を粛々と歩んでいる。

これを読んで、深く考えこんでしまう。

本当にその通りだと思うからだ。
今の状態が「荒廃」していると思う大人は、いったいどれくらいいるのだろう。

この文章が書かれたのが2006年。
十年後というと2016年。ちょうど半分の五年が経った。

もちろん、危機を喚起するために内田先生は少々デフォルメしていると思うが、それでも、「漢字が読めない、四則演算もできない、アルファベットも読めない、学ぶということの意味がわからない、労働するということの意味がわからない」18歳が着実に増えているのは事実。

そんな事なら、国が潰れるではないかという人もいるだろう。

昔なら潰れたと思う。
しかし、いまは潰れない。

IT化が計算が出来なくても、漢字が読めなくてもなんとかなるようにしてしまった。

ごく少数の人が意思決定をして、残りは考えなくてもいい、という時代。

そういう時代に相まって、いまの「荒廃」が起こっている。

おまけに毎年10万人以上の新卒が進路が決まらずに学校を出ていくという時代。
日本人よりもインド人やアジア人の方が優秀だ、と企業がいう時代。

そういう時代だ。
笑ってはいられない。



| | | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
ニュートリノ
今日の読売新聞の一面は、ニュートリノの速度が光速を超えている、というものだった。

スイスとイタリアの間で測定した。
ニュートリノはモノを通り抜けるので、地中で計測できる。
もともと一秒で地球を七回り半する光速を相手にするのだから、すごい精度が必要だ。
計算より1億分の7秒速いという結果らしい。

GPSを使ったとか書いてあったが、詳細はよくわからない。
長いことかけて検証し、発表したのだから、それなりに重い発表だろう。

しかし、光よりも速いものが存在するということになると、えらいことになる、と思う。

別に日常生活に差し障りがあるわけではない。
天地がひっくり返るわけでもない。

しかし、また一から始めないと世界のことはわからない。

何かの間違いかもしれないが…。


| | 考えたこと | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
現代<死語>ノート
小林信彦著 岩波新書である。

この本自体がもう古本でないと手に入らない。
1956年から1976年までの流行語を紹介して、作者がコメントしている。

1956年というとぼくが生まれる前の年。
だいたい、ぼくが生まれてから20歳になるまでの時代が書かれている。

なぜ1956年かというと、この年に「もはや戦後ではない」という流行語が出たから。
「現代につながるもろもろが顕在化するのは、みごとに、この年なのである」とのこと。

知識としては知っているが、使ったことがない言葉は、もちろん物心つくまえの言葉。
太陽族、深夜喫茶、才女時代、ゲタバキ住宅、イカす、カミナリ族、タフガイ、ファンキー族、トサカにくる…、これが1956年~1962年あたりの言葉。
もちろん、もっとたくさん載っているのだが、その中から選んだ。
太陽族というのは、フランス映画の太陽がいっぱいではなく、石原慎太郎の太陽の季節から。
今でこそ当たり前のものだが、深夜喫茶は昭和30年代の言葉。

1962年(昭和37年)くらいから、ぼちぼちぼくが使った言葉が出てくる。あたり前田のクラッカー、これはてなもんや三度笠の藤田まことの決め台詞。藤田まことが喜劇俳優だということを知らない人も増えた。
1963年、シェー。赤塚不二夫の漫画からだ。学校でシェーの格好が流行った。
1964年、インド人もびっくり。SBカレーの宣伝から。ぼくは今でも使う。
1965年、モーレツ社員、マイホーム主義、マカロニ・ウエスタン。この年は不況と公害の年で、高度成長のひずみが出た年らしい。
1966年、ミニスカート、黒い霧。この年は死語が少ない。まだ生きている言葉が多いらしい。
1967年、ヒッピー、グループサウンズ、ゲバルト。
1968年、明治百年、昭和元禄、任侠映画、ハレンチ、ノンポリ、タレント候補。この年は大学紛争の年。
1969年、エコノミック・アニマル、アッと驚くタメゴロー、やったぜベイビー。この年に大学紛争が沈静化に向かう。
1970年、どっちらけ、ハイジャック、ヘドロ、モーレツからビューティフルへ、ウーマン・リブ。ご存知、万博の年。
1971年、ニクソン・ショック、三無主義、脱サラ、フィーリング。
1972年、列島改造、あっしにはかかわりのねえことでござんす、ナウい。田中角栄が出てきて、木枯し紋次郎が出てきた。
1973年、石油危機、便乗値上げ、日本沈没。インフレと不況の年。
1974年、狂乱物価、金脈、ニューファミリー。田中角栄辞任。
1975年、自宅待機、複合汚染。ベトナム戦争終結の年。
1976年、ピーナッツ、記憶にございません、灰色高官。ロッキード事件一色の年。

1976年はぼくが19歳の年。
まだ社会人になっていない。

1997年に発行された本。
14年前の本である。

作者は時代がどんどん悪くなると書いているが、それは97年時点での話だろう。
そこから先、本当にどんどん悪くなった。

経済は成長して当たり前と思っていたが、間違いだった。

残念。



| | | 02:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
LED電灯
節電しようと思い、40Wのクリプトン球が切れたのを機に、同じサイズのLED電球を買った。

もちろん、消費電力は一桁小さい。

明るさも同じくらいはある。
それでも、今まで光が届いていたところに影ができる。

発光体がフィラメントであれば、電球の背面にも光が届くので、影ができる所が少ないという特性がある。
要は光が散乱するということだ。
だから、置き換えるときに、その電球が壁などの間接照明を使っているところは難しい。
光の量はきっと足りているのだが、光の質が違う。

LEDの電球を使った照明が増えてくると思うが、まだまだ難しいところもある。
単に白熱球から置き換えて済むかどうかということだ。

小さなLEDをたくさんつかわないと、散乱光をつくるのは難しいような気がする。

また、発光体のカバーに散乱するような特性をもたせるという工夫もあるだろう。

クルマのブレーキランプなどは小さなLEDをたくさん使っているようだ。

まだまだ、省エネとはいえLEDを使うのには工夫がいる。

単価もまだまだ高いが、光の特性も難しい。

知恵の出しどころだろう。

| | 考えたこと | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
地球科学
このところ、日本列島は災害で大変だ。

こないだ、紀伊半島を台風が襲ったと思ったら、今回は東海地区がすごい水害になっている。
偶然、ぼくの住んでいるところは、そんなにひどい雨は降っていないが、これも運のようなものだ。

台風の速度が上陸後も変わらないことが、大きな原因だろう。
ゆっくり動くと、同じ所にたくさん雨が降る。
それに、秋雨前線の影響もあるのかもしれない。

もっと地学の勉強をしておけばよかった。
三省堂の大辞林によると、地学というのは、

(1)地球を研究対象とする自然科学の総称。地質学・地球物理学・鉱物学・岩石学・気象学・海洋学・古生物学などを含む。地球科学。
(2)高等学校の理科の科目の一。(1)のほか、天文・宇宙・環境などを含む。
(3)地質学・鉱物学・地理学の総称。

となっている。

ぼくらの高校時代は、地学はあまり人気がなかった。
理科2科目なら、物理と化学、というのが普通。
生物、地学はちょっと敬遠、という空気があったのは事実。

思うに、地学という名前が悪かったのではないか。
物理、化学、生物に比べて、わかりにくい。

地球科学と言っていれば、もっと人気があったかもしれない。
天文、気象、地質などを扱う学問だ。
地球科学の方がイメージしやすいし、かっこいい。

物理学も天文学から始まったんだし、地球を知ることは大事なことだ。
あと何百年か何千年、もしくは、何万年人類が生き永らえるのか、これはわからない。
何が原因で、地球がぼくらが住めるような環境でなくなるのか。
小天体の衝突か、温暖化か、氷河期か、ウィルスか、放射能か…。

0℃程度から、40℃程度の温度で保たれている場所は、宇宙では珍しいと思う。
結果論とはいえ、全くの幸運としか言いようがない。
おそらく、地球科学を勉強すると、幸運に幸運が重なって、ぼくらが生きているということになると思う。

今は雨は小康状態だが、明日はどうなるのだろうか。

そういえば、高校の地学の先生は、いつも実験着を着ていた。

顔は思い出せるのだが、名前がわからないなあ。


| | 考えたこと | 01:14 | comments(2) | trackbacks(0) |
勘違い
昨日テレビを見ていたら、若い人が出てきて、何かコメントした。

内容は忘れたのだが、彼が言っていたのは、自分は白人だということだ。

黒人にできることを、ぼくら白人もできることを証明したい…、みたいなことだったと思う。

彼がそう思っていること自体は、別に構わないのだが、世界はそうは思っていない。

黒人と違う人種は、みんな白人と思っているのではないか。

人種としては大きく分けると、ネグロイド(黒色人種)、コーカソイド(白色人種)、モンゴロイド(黄色人種)となるはずだ。
アジアにいるぼくらは黄色人種ということになる。

彼はそれを知らないで、自分は白人という区別をしたのだろう。
知らなければ、それもありだ。

でも、本当の白人を見ると、眼の色、髪の色、そして肌の色が違う。

本当の白人を見たことがないのかもしれない。

それを知らないことで、日常生活に困るとは言わない。

でも、それは間違っている。

そういうものは、公共の電波で流してはいけない。

放送禁止用語には敏感に反応するのになあ…。



| | 考えたこと | 02:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和の洋楽
何度も書くが、ぼくらのティーン・エイジャーの時代は、洋楽と邦楽が混在した時代だった。

深夜放送のベストテン(ベストテンという番組ではない)では、半分が洋楽、半分が邦楽という時代。
普通の中学生が、学校で洋楽の話ができた時代。
ネットで1970年の洋楽ヒットを調べると…、

エジソン・ライトハウスの恋の炎、エンゲルベルト・フンパーディンクの太陽は燃えている、オリジナル・キャストのミスター・マンディ、カーペンターズの遙かなる影、クリスティーのイエローリバー、サイモンとガーファンクルの明日に架ける橋、シカゴの長い夜、ジャクソン・ファイブのABC、ジェリー・ウォレスの男の世界、ショッキング・ブルーのヴィーナス、シルヴィ・バルタンの悲しみの兵士、スリー・ドッグ・ナイトのママ・トールド・ミー、ディオンヌ・ワーウィックの恋よさようなら、ダニエル・ビダルのカトリーヌ、トム・ジョーンズのデライラ、パートリッジ・ファミリーの悲しき初恋、ハープ・アルパートとティファナ・ブラスのマルタ島の砂、バフィー・セントメリーのサークル・ゲーム、ピーター・ポールアンドマリーの悲しみのジェットプレイン、ビートルズのレット・イット・ビー、B.J.トーマスの雨に濡れても、ブレッドの二人の架け橋、ヘンリー・マンシーニのひまわりのテーマ、ホセ・フェリシアーノの雨のささやき、マッシュ・マッカーンの霧の中の二人、メリー・ホプキンのしあわせの扉、ルー・クリスティの魔法、レターメンのミスター・ロンリー。

これぞ、枚挙に暇がないというところ。
1970年のヒット曲、今では忘れたものもあるが、聞けば絶対に思い出せる。
アメリカあり、イギリスあり、フランスありというランナップだ。

エンゲルベルト・フンパーディンクは、きっとラスベガスで聞くといいだろうと思う。
カーペンターズはこの年が売れ始め。
サイモンとガーファンクルは言うに及ばず。
シカゴはブラスロックの始まりだった。
ジャクソン・ファイブのABCはまだマイケルが小さい頃。
ジェリー・ウォレスはマンダムの宣伝でおなじみだが、この1曲だった。シングル盤を買った。典型的なワンヒットワンダラー。
ショッキング・ブルーはEm/Aのコードが印象的。
シルヴィ・バルタンはきれいだった。
スリー・ドッグ・ナイトはいいバンドだった。
ディオンヌ・ワーウィックはバート・バカラックが売りだした女性歌手。
ダニエル・ビダルはフランス人形みたいだった。
トム・ジョーンズは円熟のシンガー。これもラスベガスで見てみたい。
バフィー・セントメリーのサークル・ゲームは映画いちご白書のサウンドトラックだった。
PPMはコーラスがきれいだった。
ビートルズはこの曲から入った。
B.J.トーマスも映画明日に向かって撃てのサウンドトラック。
ブレッドはメロディがきれいだった。
ヘンリー・マンシーニ、ハープ・アルパートというようなインスト曲もあった。
ホセ・フェリシアーノは盲目のギタリスト&シンガー。
レターメンは何人グループなのか知らないが、曲は知っている。

今の中高生を見ていると、圧倒的にJ-POPだ。
洋楽を聞いているのは、かなり少ないらしい。
それは当然だろうと思う。
今ならぼくでも洋楽は聞いていないだろう。

しかし、あの頃は違ったのだ。
それがいいか悪いかはわからない。
人は時代を選べない。

| | 音楽 | 01:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポール・サイモン
映画「卒業」のサウンドトラックがミセス・ロビンソンだった。
これはリバイバルで高校の時に見た。
映画の中で、スカボロー・フェアやサウンド・オブ・サイレンスも流れた。

当時はビートルズが流行っていた頃で、彼らの派手な4人組に対して、サイモンとガーファンクルは2人の静かなデュオ。
S&Gと略された。

ポール・サイモンのアコースティックギター(当時はフォークギターと言っていた)はフォークのスタイルだった。
フィンガー・ピッキングという指弾きで、「9月になれば彼女は」とか、「Kathy」、「ボクサー」など、懐かしい。
ギターの月刊誌(ヤング・ギター、GUTS、新譜ジャーナルなど)で解説されていた。

そのうち、明日に架ける橋がリリースされて、長いことラジオの深夜放送で1位だったと思う。
いい曲だ。
ピアノのイントロが印象的。

また、ポール・サイモンは詩人とも言われ、歌詞が文学的らしい。。
これはネィティブでないとわからない。
そう思って、The Sound of Silenceの最初の部分、Hello darkness my old friend. I've come to talk with you again. をながめると、何となくそんな感じがする。

その彼も今年の10月で70歳。
PaulSimon.comによると、この10月からツアーをやるらしい。
まだまだ健在のようだ。

ぼくはS&Gを解散してからのことは、あまり知らない。
解散が1970年だが、意識としてはもっと後だと思っていた。
ぼくの回りでは、1970年代前半は、サイモンとガーファンクルは生きていた。
スカボロー・フェアを、ギターを初めて弾く友達に教えたのが、いつだったか…。
たしか、高校の時だったと思う。

ソロになってからのポール・サイモンは、精力的に新しいことに取り組み、アフリカやブラジルの音楽を取り入れ、アメリカでの評価は高い。
今年、新しいアルバムを出している。
日本ではあまり取り上げられないが…。

言葉の壁があるのだろう。

僕らの世代が、サイモンとガーファンクルをリアルタイムで知っている最後の世代かもしれない。

昭和40年代後半、サイモンとガーファンクルの時代だった。


| | 考えたこと | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
172万円
ワシントン・ポストによると、アメリカの貧困者の割合が過去最高になった。
貧困者の定義は、4人家族なら、約172万円の年収とのこと。
国勢調査の結果。

それが、15.1%になったらしい。
人数で4620万人もいる。
日本の人口の1/3くらいだ。

アメリカンドリームというのは、今でもある。
起業者も多いし、出資者もたくさんいるらしい。
それでも、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのような人々はほんのひとにぎり。

やっぱり、アジア系やヒスパニック系、アフリカン・アメリカンは貧困者の率が高いらしい。

また、この最中でも、富裕層(トップ1%)は収入増となっているらしい。

当面、この傾向は続くと予想されている。
オバマ大統領も苦しいだろう。

日本は経済成長が実質的に低くなって、20年ほど右肩下がりだ。
要は、アメリカの先輩にあたる。
事情は違えど、一部の国が富を占有する時代が終わったのだろう。

世界の富の偏在が崩れた。
これは、良い事なのだろう。
昔、発展途上国と言っていた国が、どんどんものを作るようになった。
金融サービスも負けていない。

そこで、日本もアメリカも欧州も、仕事がなくなっていく。

貧困者が増える。

それでも、世界にはもっと貧困にあえぐ人がいる。

一体どこを基準にすればよいのだろう。
172万円が多いのか、少ないのか。

困ったものだ…。


| | 考えたこと | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
略語天国
こちらは、略語の研究本。
藤井青銅という人が書いている。

これはかなり学術的な意味が強く、略語をいろいろなタイプに分けている。
その一つに、犬棒略語というものがある。

これは、「犬も歩けば棒に当たる」という「文章を略す」というパターンの略語。

以下のいずれもがその略語に当たるが、いくつわかるだろうか?

泥縄
やぶへび
棚ぼた
鴨ネギ
どたキャン
なつメロ
あたぼう
あけおめ
ことよろ
メリクリ

一つ目は「泥棒を捕えて縄をなう」。
二つ目は「藪をつついて蛇を出す」。
次は、「棚からぼたもち」。
その次は「鴨がネギをしょって来る」。

これらは、古いことわざだ。
「並んだ漢字からその意味が推測できない」言葉である、と藤井氏は言う。
なるほど。
泥縄は何かが起こってから、用意をするということだが、それはこのことわざの意味だとわかっていないと、理解が難しい。

五つ目は、「土壇場でキャンセル」。
続いて、「懐かしのメロディー」。
その次は、「当たり前だべらぼうめ」

これらは比較的新しい。
あたぼう、はちょっと古いが…。
これらは、ことわざではない。
普通の言葉を略したもの。

最後の3つは更に新しい。

あけましておめでとう。
今年もよろしく。
メリークリスマス。

これらの言葉を見て、顔をしかめる人もいるだろう…、作者もそう書いている。
しかし、それらを責めることはできないのではないか、ということで、泥縄などの例をあげている。

ダメもとやピンキリ、なるはや、なども同じ仲間だとのこと。

チリツモというのは、そのうち出てくるのではないかとのことだが、実際に使っていた。
もちろん、チリも積もれば山となる、というのが意味だ。
小さな要因がたくさん集まって、一つの現象が起こっている、という実験用語だった。

昨日の本はまだ読みやすかったが、こちらはちょっと時間がかかりそうだ。

しかし、日本語は面白い。




| | | 01:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
このへんでドロンします
このへんでドロンします…、昭和へっぽこフレーズ大全。

中古でこの本を買った。
このへんでドロンします、というのは、使ったことはないが、意味はわかる。
使うシチュエーションもわかる。
1次会のあと、みんなで2次会に行こうかどうしようか…、という時に、このへんでドロンします、といって消える(帰る)。
昭和のはやり言葉。

挿し絵も面白い。
1ページ一語になっている。

最初に載っているのは、「いや〜、シャッポを脱ぎました」。
シャッポというのは帽子のこと。
もう意味が分からない人も多いだろう。
いやあ、まいった、という意味だ。

昨夜はフィーバーしちゃった、というのも若い人には通じないか。
パチンコでフィーバーしたのとは違う。
ジョン・トラボルタのサタデー・ナイト・フィーバーが元ネタ。
昨夜は騒いだ、という意味。

おととい来やがれ!、というのも、平成の人には意味がわからないだろう。
おとといに来ることはできないから、もう来るなという意味。

テクシーで行きますか。
これは何となく意味がわかるかな。
タクシーに引っ掛けて、テクシー。
つまり、テクテク歩いていくということ。

余裕のよっちゃん、も平成の人にはわからないだろう。
単に余裕ということだ。
よっちゃんには、意味がない。
単に「よ」がついているだけ。

今日は半ドンです、もわからないだろう。
半ドンとは午後から休みのこと。
土曜日が半ドンだった。

こうしてみると、なかなかへっぽこである。
へっぽこフレーズ大全というだけのことはある。

何となく、のんびりした感じになる。
時々腹を抱えて笑ったりする。
いい本だ。


| | | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
困った人々
困った人々がいる。

オトナの格好をしたコドモと言っていい。
人間はみんな分かり合えると思っている。
議論をつくせば、いい考えが出てくると思っている。
自分の考えは、みんなが分かってくれていると思っている。
逆に、分かってくれないと、逆上する。
それでいて、困った人々は、みんな直接話そうとはしない。

これでは、組織がうまくいくはずがない。

こういう人たちが団体でいる。

人間は分かり合えないものだ。
だから、分かり合えたらそれは喜ぶべきことだ。
ほとんどの場合、幾らかの妥協を強いられる。
みんなが分かり合えるのなら、紛争は起きない。

議論をつくせば、いい考えが出てくるというものではない。
建設的な人たちが集まって、ちゃんと議論すれば、いい考えも出てくるだろう。
みんなが好きな事を言って、まとまるはずがない。
だいたい、何のために集まっているかもわかっていないのだから。

自分の考えは、みんなが分かってくれているはずがない。
常に努力を払って、発信し続けていても、分かってもらえないことがある。
常に目標を掲げ、それを明確にして、分かってもらう努力をしていても、ダメなこともある。
それも、信頼できる相手であっての話で、そもそも信頼がないのに分かってもらえるはずがない。

そんなあたり前のことがわからない。

そうなると、突然、強行突破しようとしたりする。

組織というものを知らないのだろう。

それは、人間がわかっていない、ということだ。

人間がわかっていないということは…、どうしようもない。




| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
アガサ・クリスティー
9月はアガサ・クリスティーの誕生月ということで、クリスティー作品の特集がある。
誕生日は9月15日。

アガサ・クリスティーのミステリーはそこそこ読んだ。
母が好きで、文庫がたくさん実家にあったからだ。

名探偵ポワロ、ミス・マープルという2人の有名なキャラクターを生み出した。

名探偵ポワロのミステリーには、どちらかというと大金持ちが出てくる。
日常を超えたところで事件が起こる。
それが特徴だ。

ミス・マープルはどちらかというと、日常の中での事件。
人々の何気ない言動と人間観察の経験から、事件の謎を解く。

それ以外にも、トミーとタペンスというおしどり探偵もいた。

英国の小説家らしく、凝ったプロットを書く。

最初に読んだのは、「そして誰もいなくなった」だった。
これは絶対犯人がわからない、と言われて、中学の時に読んだと思う。
なるほど、これはすごいと思った。

「オリエント急行の殺人」もこの作品以外ではありえないプロットだ。
読んでいるものを驚かせる。
それに無理がない。

この人はミステリーの女王と呼ばれるにふさわしいと思う。

| | 考えたこと | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
オープンキャンパス
オープンキャンパスという言葉、昔はなかった。

知らない人のために、どういう意味かというと、学校見学みたいなものだ。
高校生が、夏休みなどに大学の見学に行く。
その大学側のイベントがオープンキャンパス。
びっくりするのは、そのために大学側がいろいろなイベントをする、ということ。
昔と比べると、完全に主客転倒した。

高校も同じようにオープンキャンパスをやっている。
中学生に見せるのだ。

オープンキャンパスというのは、要するに、学校の宣伝である。

ぼくが高校生の頃は、一度は試験場の下見に行っておくように、と先生が言っていた。
行っても、誰が出迎えてくれるわけではないし、何も特別にやっているわけではない。
だいたい、キャンパスという言葉も一般的ではなかった。
三十数年前はそんなレベル。

今は大学は必死だ。
何とかして受験生を増やそうとしている。
お土産や、福引もあったりする。
模擬授業、学部・学科の展示、進路、下宿の紹介、どんなクラブがあるか…、至れり尽くせりである。
来訪する方も、高校生だけではない。
保護者も同伴という生徒もたくさんいる。
国立もオープンキャンパスをやる時代。
そういう時代になった。

高校側も2年生の夏休みくらいから、オープンキャンパスに行くことを推奨している。
早くから志望校を決めて、行きたいところをはっきりさせるためだ。
推薦やAO入試なら、入試が早いし、誰に指定校を与えるかという選考もあるので、早めに決めてほしいという本音があるのだろう。
しかし、高校2年や3年で、自分はこれになるとか、こういう学問をやるとか、そんなことが決められるのだろうか。

三十数年前の当時は、どこの大学の学部も、文系は文学部、法学部、経済学部、社会学部、教育学部、理系は工学部、理学部、農学部、薬学部、医学部くらいしかなかったのだ。
その中のどこにするか、という選択だった。
もちろん、大学側はオープンキャンパスなどしなくても、受験生は集まったから、今のような努力はしない。

今は百以上の学部名がある。
5文字以上の学部名が一般的だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

わけのわからないものばかりなのだが、グローバル何とか、福祉何とか、国際何とかなどの学部が多い。
どんどん学部が専門化して、名称が増えた。
分ける必要もなかったのだろうが、とりあえず新しい学部名称にすると人気が出て受験生が増えるという効果もある。
ひどいところは、学部を作った年から定員割れというところも出てきた。
要は学部名称は学問と関係なくなったのだろう。

今のえらい先生は、みんな4文字以下の学部を出てきた人だ。
その人達が教えるのだから、どこも似たようなものに違いない。
それでも、百以上の学部名があるというのは、なかなか面白い現象だ。
大学の差別化を学部名でやっているのだろう。

話がそれた。

要は、高校側はどの学校のどの学部に行きたいのかということは、早めに生徒に決めてもらいたい。
大学はできるだけ早く生徒に入学希望を決めてもらいたい。

その両者の利益が一致して、オープンキャンパスがある。

教育的な価値はほとんどないと思う。



| | 考えたこと | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
刑事コロンボ
ピーター・フォークがこの6月に亡くなった。

刑事コロンボが当たり役。
これはシリーズとなって、だいぶ長いこと続いた。
たしかNHKで土曜日にずっと放映していたと思う。
まだまだ、当時は海外から面白いドラマを輸入していた。
円高だし、くだらないバラエティを流すなら、そのほうがよほどマシなのだが…。

このシリーズは、新しい刑事ドラマのパターンを作った。

何が新しかったかというと、最初に犯人が犯行を犯す。
殺人の場面を最初に見せてしまう。
謎解きの面白さではなく、どうやって犯人を追い詰めるか、というところを見せる。
これは斬新だった。

それまでは、誰が犯人か、ということが見ている側の興味だったが、このシリーズでは頭のいい犯人がどうやって追い詰められていくか、というところが見どころになった。

完全犯罪や他の他人に罪を着せようとした犯人が、コロンボの追求でしっぽを出す。

コロンボは犯行現場を見て、どうして殺人が起こったかを一瞬で見抜く。
そして、風采の上がらない刑事を装って、真犯人に話をする。
ぼろが出るのを待っているのだ。

そして、すべてを解明する。
あとは証拠だけというところまでいく。

その上で、罠をしかける。
コロンボがほのめかしをして、真犯人が何かをするようにさせる。

そして、それを行動に移したときに、コロンボがその場にいて、逮捕になる。

能ある鷹は爪をかくす、ということだ。

その後こういうパターンは増えたが、このドラマが最初だったと思う。

犯人探しより、犯人が犯す失敗、という面白さ。

一世を風靡したドラマだった。



| | 考えたこと | 02:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビッグアップル
ビッグアップルとは何のことか?

CSI NYというドラマを見ていたら、ビッグアップルというロゴの入ったトレーナーを着た人が殺されていた。
それを見た捜査官が、ビッグアップルのTシャツを着るのは、遠いところから来た人だ、という。

なるほど。
それを見て、ビッグアップルをネットで調べると、ニューヨーク・シティのことだと書いてあった。
なぜ大きなリンゴが、ニューヨーク・シティなのかというのは、諸説あるらしい。
愛称というのは、そういうものだ。
いつ、誰が言い出したかわからないが、いつの間にかみんながそう言うようになっていた、というものだろう。

そういえば、シカゴはウィンディ・シティという。
これは、サラ・パレツキーのハードボイルド小説の舞台。
ヴィクトリアという女性の探偵が主人公。
その本に書いてあった。
これは風が吹くからだろう。

ラスベガスは罪の街。
シン・シティだ。
これは聞いたことがある。

デトロイトはモータウン・レコードがある。
リズム&ブルースのメッカ。
だから、モーター・タウンだ。
もちろん、クルマのメーカーの本社があるからだろう。

アメリカの都市には、なぜか愛称がある。

ぼくの生まれた神戸は港の街。
大阪は笑いの街。
芦屋は金持ちの街…。

日本の都市も、ビッグアップルのような愛称をつければいいと思う。

市役所が募集してはどうか。

そういう決め方はダメなんだろうなあ。


| | 考えたこと | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
デジタル化
漫才のテープがたくさんある。
落語のレコードやテープもたくさんある。

ずっとテープで聞いていたが、ここしばらくは聞いていない。
再生機がなかったり、あっても不便だったりする。

いくつかはMDにダビングして、MDウォークマンで聞いていた。

やっぱりデジタルの機器は便利だ。
早送りや巻き戻しが速い(というか、ない)。

しかし、MDももうほとんどなくなってきた。
今持っている再生機が壊れたら、もう聞けなくなる。
聞けなくなっても、オリジナルの音源はあるのだが、それも心もとない。

意を決して、ついにデジタル化をすることにした。
MDプレーヤー、アナログ機器とボイスレコーダーをつないで録音し、その波形を切り分け、そしてMP3ファイルを作る。
これが結構手間だが、仕方がない。
やっぱりデジタル化すると便利だ。

うんざりするほどのカセットテープ、8mmビデオテープがあるが、ついに何とかすることにした。
持って死ねるわけでなし、いつかは処分しなければならない。
処分しやすいという意味では、デジタル化はよいことだ。
消去ボタンを押すだけで消えてなくなる。
ぼく以外が持っていても、仕方ない。

自分の落語もある。

いつ終わるか、わからないが気長にやろう。

| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
チェルノブイリ
こないだロシアのチェルノブイリ原発のドキュメンタリーを見た。

1986年に事故が起こったが、未だにその影響は続いている。
事故のあと、4号炉には人工の覆いが作られた。
鉄筋コンクリートの建物で覆ったのだ。
その建物を建てるのに関わった人たちは、多くの被曝をした。
当時20代の兵士たちだが、今は50代。

ソビエト崩壊の時に、文書が出てきたのだが、それによると当局は嘘の被曝量を発表している。
西側の会議に出て、広島・長崎の死者の数をもとに被害を伝えたのだが、それは修正されて報道されたという。

実際に当時作業した人が出て、話していた。
写真には放射能の光が写っている。

この事故はソビエト政府にも影響を与えた。
核の怖さを知ったゴルバチョフは、核軍縮へと進む。

4号炉にはまだ100kgのプルトニウムが入っているという。
今はウクライナになったが、政府は老朽化が進んだ4号炉の覆いを建て直すのには、予算がないという。

この事故を未だに人類はちゃんと受け止めていない。

結局、原発問題は、エネルギーという近代社会を維持するために必要不可欠なものを扱うことになる。
国によって、どうやってエネルギーを作り、どれだけ供給しなければならないか、というのは異なっている。
だから、政治問題にならざるを得ない。

政治問題にしないためには、どうしたらいいのか。

エネルギーをどうやって作るか、ということを真剣に考えないといけない。

エネルギー問題は難しい。



| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミッション
内田樹の最終講義という本を読んでいる。

今年の3月で、神戸女学院をやめた内田先生の最後の講義を筆頭に、いくつかの講演を収めた本。

その中に「ミッションスクールのミッション」という表題の講演がある。
これは大谷大学に呼ばれて講演を行ったもの。

神戸女学院は、明治の初めに神戸に来た宣教師の女性が建てた学校だ。
その当時は、この学校で「何が学べるのか」は生徒にとってはわからなかった。
それこそが大事だと内田先生は言う。
学生たちは「もうわかったもの」を学びに来るのではない。
わからない「何か」を学びに来る。
そういう教育の「非対称性」こそが重要だという。
未だに、亡くなった卒業生から、「自分を形作ったのはこの学校だった」と寄付が来るという。

今の大学は「これが学べます」というメッセージばかりだ。
4年間でこういう資格が取れますとか、4年間の学びの結果こういう人になれますとか…。
電車の中の吊り広告は、いつの間にか大学ばかりになった。
すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる、ということがわからないのか。

学生の方もこれを学んで「なんの役に立つのか?」というメッセージをなげかける。
教育の消費者になっている。

内田先生はそもそも大学で教えるものは、未知のものであり、それが将来どんな役に立つかなどわからないものだ、という。
先生自身が、学生にとって、それがなんの役に立つかなどわからない。
高校までの知の体系を組み替えるようなものだ。

人文社会科学系の学問にとっては、そういうものかもしれない。

自然科学で扱う「事実」と違って、人文社会系の学問が扱うのは「人間」である。
文学や哲学、倫理学、経済学、法学、社会学などの学問。

それらの学問は、「人間を知る」ことが目的である。

だから、何のために人間を知るのか、というミッション、使命が必要だ。
人文社会科学を学ぶ目的を自ら立てなければならない。

今の大学は経済原理の中で動いている。
それは資本主義のなかで、仕方がないものだが、教育の目的を逸脱して、大学が功利的なメッセージを出すようになったらおしまいだ。
それを排して、ミッションを明らかにして、それで学生が来なければ、潔く学校をたたむことだ。
そういう潔さが、大学には必要だと内田先生は言う。

そういう思いでいる学校法人がいくついるだろうか。

今の中吊り広告を見ていると、残念ながらほとんどないと思う。


| | 考えたこと | 22:43 | comments(2) | trackbacks(0) |
いろはにほへと
小学校2年から4年まで習字を習っていた。

小学校の近所のおじいさんの(おじさんではない)家に週に1日行く。
そこで6人くらいで習う。

まず、硯で墨をすって、手本を見て書く。
それを先生のところに持って行って、直してもらう。
そして何度かそれを繰り返して、時間が来たら終わり。

その習字の先生にいろはにほへとを習った。

いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうのおくやまけふこえてあさきゆめみしひもせすん

意味もわからず、これが昔のあいうえおだと習った。

その後、高校になってこれがいろは歌だと知った。
それはこんな歌だ。

色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 境越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず

最後の「ん」は先生が入りどころがないから、入れたのだろう。

これが日本の仮名が全部1回ずつ出てくるという歌だ。

これはすごい。
言われなければ、気がつかない。

日本人の知恵である。


| | 考えたこと | 11:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
台風
室戸台風、伊勢湾台風というのが、ぼくらが生まれる前か、生まれた頃に来た大きな台風。

ぼくの行っていた小学校に、高さ3メートルほどのおむすび型の大きな岩があって、それは伊勢湾台風の時に学校の門の前まで下りてきたものとのことだった。
神戸は山が近く、大雨が降ると鉄砲水が流れる。
それで、岩が流れてきたらしい。

ぼくが覚えているのは、小学校4年の時にきた集中豪雨。
この時はすごかった。
バケツをひっくり返したみたいな雨だった。
幸いうちは被害はなかったが、神戸市の被害は甚大だった。

台風というのは、太平洋北西部または南シナ海で生まれたものを言う。
それに対してハリケーンは大西洋北部、東部、太平洋北中部が発祥の地。
もう一つ、サイクロンというのは、インド洋、太平洋南部で生まれたもの。

要は台風(typhoon)もハリケーンもサイクロンも、海で生まれるということだ。

海水の温度が高いと、台風は発達する。

今回の台風はすごい雨台風のようだが、阪神間では本当に台風が来ているのか、という感じだ。
時折雨が強く降ったり、風もきつくなったりしたが、大したことはない。

普通は台風は上陸したら速度が早くなるものだが、今回は遅いままだ。
実際は上陸と台風の速さは関係なく、ちょうど日本の上空にジェット気流があって、その影響で速くなるらしい。
今回は日本の上空にジェット気流がなかったのだ。

自転車の速度で四国を縦断した。
岡山あたりに再上陸だが、このあたりは何ともない。
すごい雨が降ったところもあるし、まだまだこれから猛威をふるう。

こういうのをきつねにつままれたような気分というのだろう。

| | 考えたこと | 18:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和25年
朝のドラマで昭和25年当時の日本をやっている。

昭和20年が終戦。それから5年後。
ドラマによると、戦争が終わり、不足していた物資も徐々に満ちて、景気がよくなってきて世の中が明るくなってきたころらしい。
ぼくが生まれる7年前は、そんな時代だったのか。

ものごころついた頃というと、生まれてから5年くらいだから、ぼくが覚えている日本は今のテレビの12年後になる。
まだまだ貧しかったと思うが、それでも戦争は跡形もなかった。
神戸だから、空襲があったところだが…。

電話が一般的になったのは小学校の高学年。
それまでは「呼び出し」の家も多かった。
呼び出しというのは、近所の人に電話をかけて、その家の人を呼び出してもらう、という仕組み。
当時は個人情報など問題にならなかったから、頼んで電話番号を公開してもらっていた。

幼稚園の頃はまだラジオの時代。
だから当然、昭和25年もラジオの時代。

ドラマを見ていて、電話機に番号がないのには驚いた。
受話器を取ると、交換につながって、それで番号を言っていたらしい。
さすがにそんな電話機は見たことがない。

たぬきそばが18円と言っていた。

ぼくは覚えていないが、おそらくものごころがついた時には、倍にはなっていたような気がする。
景気がよくなって、物価も上昇したということだろう。

ドラマでは、世の中明るくて、楽しそうだ。
テレビもないし、冷蔵庫もないし、クルマやクーラーもまだない。
それでも、みんなもっと豊かになると信じて生きていっている。

あの頃の人が、今の日本を見たら、羨むだろうか…、まあ羨むと思う。
色々便利になった。

しかし話をずっと聞いていたら、えらい時代だ、とあきれるかもしれない。



| | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
つくつく法師
昨日初めてツクツクホウシの声を聞いた。

今年は9月にならないと、聞けないなあと思っていたら、8月の終わりに聞く事ができた。

ツクツクホウシは小形の蝉で、とにかく鳴き声が特徴がある。
名前の通り、ツクツクホーシツクツクホーシと鳴く。

ツクツクホウシはつくつく法師であり、法師は当て字らしい。
Wikiで見たら、ツクツクボウシと濁るのが正式だった。

この蝉の声を聞くと、晩夏を感じるのが通例。
最近は温暖化で声を聞ける期間が短くなった。
昔はもっと早く鳴いていたのだが…。

しかし、ミンミンとか、シャーシャーとか、カナカナとか、ジージーとかいう鳴き声が普通なのに、どうしてツクツクホウシはツクツクホウシと鳴くのだろうか。
この蝉はその鳴き声だけで、存在が分かる。

この鳴き声は進化の過程で得たのだろうか。
どういう意味があるのだろうか。
何らかの必然性があったのだろうか。
これだけ複雑な鳴き方をする蝉だから、きっと何か理由があるのだと思う。
自然は理由なくこんな生き物を作らない。

ネットで色々と調べてみたが、このツクツクボウシの鳴き声の複雑さの理由らしきものを書いたページはなかった。

ということは、まだ分かっていない(分かろうとした人がいない)のかもしれない。

これは、昆虫学者にとって、一生をかけて調べるべき問題だと思うのだが…。

いかがでしょうか。

| | 考えたこと | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |