考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< February 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
夢も希望もない
60年代の流行語。

忘れていたが、今日、ノートを見て思いだした。
誰が言ったんだったっけ…。

東京ぼん太だった。
1963年。ぼくが小学校1年の時。

それから、日本は成長した。
1964年の東京オリンピック、1970年の万国博覧会、バブルの80年代〜90年代。

そして、崩壊した。
バブル崩壊の90年代〜00年代。

2009年民主党政権が誕生し、2010年を迎えた。

税収が減り、非正規雇用が増え、本当に夢も希望もなくなった。

夢も希望もない、が流行したのは本当は夢も希望もあったからだ。
昔の枠組みが壊れようとしていた1963年ごろ。
核家族化が進もうとしていた。
交通事故も増えようとしていた。
豊かになっていく代償だったのかもしれない。
それが、夢も希望もない、という流行語を生んだ。

でも、今度は本当に夢も希望もないように見える。
だから、夢も希望もない、という人もいない。

本当にそうなのか。

ぼくらが知恵を出して、若い人の未来を作らないといけない。

夢も希望もない、と言えるように。

| | 考えたこと | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
浅田真央のチャレンジ
浅田真央は今回大会でただ一人、3回転半のジャンプができるらしい。
過去には何人かいるらしいが、それをショートやフリーのプログラムで浅田ほど飛んだのは世界初ということだ。

対するキム・ヨナは、3回転−3回転のジャンプが決まって、ミスのない演技で勝った。
個人的には007の音楽がよかったのだろうと思う。

しかし、ジャンプ一つとっても、ルッツとかフリップとかトーループとかアクセルとか…、フィギュアスケートも難しくなった。

ルールや採点が複雑でわかりにくい。

何でも、トリプルアクセル(3回転半)とダブル・トゥーループの組み合わせは、トリプル・トゥーループを2回やるのよりも、基礎点が低いらしい。
これを専門用語で書くと、3A+2Tの基礎点は、3T+3Tよりも低い、という表現になる。
しかし、難易度は3A+2Tの方が高い、というのが一般的であるようだ。
三回転半のジャンプは、今回のルールではリスクが大きく、リターンが少ない、と言える。
もちろん、それを成功させるための練習のおかげで、他の練習ができず、他の演技を犠牲にするという事も含めてだ。

こういう細かいルールがあるので、戦略が必要になってくる。

基礎点の高い技でミスするくらいなら、基礎点の低い技でも回数を重ねてやるとか、技の中で基礎点と難易度の組み合わせでポイント・パフォーマンスの高いものを選ぶとか、そういう戦略だ。
それが3T+3Tという選択になる。これがキム・ヨナがやった技。
そういう意味で、キム・ヨナの戦略勝ちだと思う。

もしも、今回のルールが3A+2Tの基礎点が難易度に応じて高い、ということになっていたら、浅田が勝っていただろう。

浅田がこだわった3Aはリスクが大きく、今の身体の大きさからしても、難しいものなのだ。
体重が500gr変わっただけで、3Aのジャンプの感触が変わる、というくらいだから、ギリギリの身体能力を使っているのだと思う。

しかし、五輪が世界一というものを決めるという事なら、浅田は三回転半のジャンプを飛ばないといけない。
なぜなら、浅田は三回転半のジャンプを飛ぶことができるからだ。
浅田がこだわった、というよりそうしないといけなかったのだろう。

池田晶子が書いていたが、天才とは自分に与えられた才能を使ってしまう人だ。
それを使わずにはいられない。
だから、浅田のチャレンジは、天がそうさせたものだ。

そして、そのチャレンジは成功した。
ショート、フリーの演技で3回のトリプルアクセルは、史上初。

細かいルールの基礎点など、どうでもいいではないか。

浅田よ、胸を張れ。
君は世界一だ。

ぼくはそう思う。

| | 考えたこと | 12:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
少年のように
ピーターパン・シンドロームというのがある。
いつまでも大人になりたくない、というヤツだ。
これはピーターパンが永遠の少年だというところから来ている。

大人になりたくない、という感傷を持ったことがある人は多いだろう。
大人の世界はきたないとか、権力があるものが勝つとか、ダーティなイメージだとか…。
具体的なイメージがなくても、何となく大人になりたくないという気持ちは、思春期にありがちなものだと思う。
当然、子供と大人の狭間で、未体験の大人ゾーンを恐がる気持ちもあるのだろう。

結構な数の大人が、そういう思いを持ったことがあると思う。
パーセンテージにして、60%くらいの人が一度はそう思ったことがあるのではないか。

しかし、実際に大人になって、そんなことは忘れてしまう。
ああ、そんなこともあったかな、という程度だ。
少なくとも、ぼくに関しては。

それはなぜか?

よく考えてみればわかる。

いつまでも少年のようでいられたら、うっとうしいからだ。
そんな大人はかなわない。
議論をしても、常に正論ばかりで、「そうできたらしてるわい」と思う。
社民党など、そんな感じではないか。

お金はきたない、清廉潔白、こうでなければならない…。

そんなきれいに生きられるはずがない。
大人が生きるということは、妥協の産物だ。
小さな妥協を積み重ねて、交渉して、それで生活が成り立っている。

人間関係はそういう妥協を、いかにするか、というようなものだと思う。

全てが妥協とは言わない。

妥協できないところ、譲れないところがあるのも大人だ。
濃淡が、強弱があるのだ。

妥協できないところを、妥協せずにいくために、妥協がある。

そういう考えを持ってこそ、大人だろう。

いつまでも少年のようなヤツはうっとうしいだけだ。

| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
明日は明日の風が吹く
この「明日は明日の風が吹く」という言葉、覚えているのだが、いったい由来はどうなっているのだろう?と思って調べた。

はてなキーワードに載っていたところによると、

マーガレット・ミッチェルの小説で映画化もされた「風邪と共に去りぬ」のヒロインであるスカーレット・オハラの最後のせりふ。原語では”Tomorrow is another day."

と書いてあった。

ふーん、そうだったのか、という感想。
あまりピンとこない。

「風邪と共に去りぬ」は1936年に出版され、1939年に映画化されている。
1938年には、日本語訳が出た。
時代は南北戦争。
宝塚歌劇でもやっていた。

どちらかというと、ぼくらより上の世代が熱中したのではないか。

それでも、スカーレット・オハラとか、レッド・バトラーとかいう登場人物の名前は知っている。

何でも、スカーレット・オハラが色々な恋愛遍歴を経て、やっぱりこの人だと思ったが、時すでに遅く、その男は去っていく、というようなストーリー。

最後にスカーレットは明日に希望を託す、というエンディング。
ここで、「明日は明日の風が吹く」という有名なせりふを言う、ということらしい。

女性は知らないが、ぼくらの世代の男性はあまり馴染みがない。(と思う)

それでも、この言葉は知っている。

すごい事だ。

明日は明日の風が吹く…、何だか小林旭の渡り鳥シリーズで出てきそうなせりふだが、出典は「風と共に去りぬ」だったのか。

いいことを知った。


| | 考えたこと | 08:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
業務計画
今年度ももうすぐ終わりで、次年度の業務計画をちゃんと立てないといけなくなってきた。

ちゃんと、というのは、12月に既に一度提出しているからだ。
まだプログラムが終わっていない段階で、正式版を提出する。
その段階ではまだ考えていないのだが…。

仕事を変わってから、年度ごとで出さないといけない。
今までは年ごとだったのだが、年度になった。
年は1月〜12月、年度は4月〜3月ということになる。

毎年、その年度をふりかえり、反省点を出し、改善点を盛り込んでいく。
基本的な考え方を変えていかないといけない。
毎年同じことをやっていては、いけないと思う。
常にベストは変わるのだ。

今年度の新しい取り組みは何だったのか。
それは成功したのか、失敗か、変わらないか。
何が足りなかったのか、それとも何が余分だったのか。
一つ一つのプログラムを検証し、見直しをかける。

この時、一番難しいのは、余分なことを見出すことだろう。
付け足し、付け足しでいくのは簡単だが、これが余分だ、という決定は難しい。
とりあえず、やっておこうという慣性が働く。
モノと同じで、一度動き出したら、止まりにくい。
だから、余分なものを削るのは勇気がいる。

付け足すより、削る方が難しい。

だいたいこれは真実。

だから、仕事ができる人はそれを削れる人だ。

残念ながら、ぼくではない。


| | 考えたこと | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネットブック
ちょっと前から非常に安いノート型パソコンが出てきている。
それらを総称して、ネットブックという。

これらの製品は安価なCPUを使っており、少し機能は落ちるが、インターネットにつなぐ程度なら問題ない、ということからそう呼ばれている。

だいたい、4万から6万くらいで販売しており、軽量で持ち運びできる。

ネットブックの販売当初は台湾製だけで、日本のメーカーは様子見だった。
それまでの半額程度で売り出したのだから、ビックリする。

処理機能が低いので、一度にできる仕事が少ないことと、値段が安すぎる事が原因。

しかし、あっという間にネットブックが浸透し、日本のメーカーも売らざるを得なくなった。

インターネットが使えれば、それでOKというユーザーが多いということだ。

実際、自分が家で使っているパソコンの使い方をふり返っても、圧倒的にインターネットの利用が多い。

どんどんインターネットが世の中を変えていくのがわかる。

電話、メール、テレビ電話、通販、ネットバンキング、証券取引…。
直接インターネットをユーザーが使うことで、実現しているものだけでも、たくさんある。

しかも、無料であったり、値段が安いものが増えている。

昔のことわざで「タダほど高いものはない」というのがあったが、今は「タダほど恐いものはない」という感じ。
ユーザーにとっては別に恐くも何ともないのだが、従来そのサービスをやっていたところにとっては、恐怖だろう。

それに加えて、直接ユーザーが見えない部分でもインターネットは利用されている。
POSシステムも、インターネットがないとできないし、宅急便も使っている。
政府の公報なども、誰でもすぐに見られるようになった。

今、強力なコンピューターウィルスを使って、静かなサイバーテロをやったら、本当に大変だろう。
それほど、生活に密着しはじめている。

数年前、韓国でコンピューターウィルスによって、街の機能が止まった、という事件があった。
タクシーは呼べないし、パトカーは来ないし、券売機は止まるし…、という状況になったとのこと。
当時、韓国の方がインターネットの利用が進んでいたことがよくわかる。

日本は幸いそこまでの被害にはならなかったが、今なら同じようなことが起こるかもしれない。

だから、ネットブックは売れたのだ。

今や、パソコンに望まれているのは、インターネット接続というのが1位だろう。

皮肉なものだ。
どんどんそれ自体の機能を上げてきたコンピューターが、ある日、ネットにつなげればそれでいい、というものになってしまう。

このままいくと、どうなるのだろう。

そのうち、人間も要らなくなって、ネットだけがお化けのように残る地球になるかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
百貨店
百貨店の売り上げがこの景気で減り続け、25年前の水準だという。
1984年の水準ということで、6兆6000億。
ピークは1991年の9兆7000億円。

この20年ほどで売り上げが2/3になった。
だからというか、いろいろ合併している。

そごうと西武、三越と伊勢丹、阪急と阪神、松坂屋と大丸…、ここまでやるか、という感じ。

それも仕方ない。

ぼくらが子どもの頃、百貨店というのは少しおめかしして行くところだった。
親が買い物している間、お小遣いをもらって、屋上で遊ぶ。
今から考えたら、バカみたいな遊びだ。

10円だったか、50円だったか忘れたが、コインを入れてクルマを運転するゲーム。
一定時間おもちゃのクルマがベルトの上を走る。
ベルトにはジグザグの絵が描いてあって、それに沿って走るのだ。
おもちゃのクルマは棒がついていて、それがハンドルに連動して動く。
うまく運転すると、東京から大阪まで行ける。
ただただ、ベルトの上を走るだけ。
それでも、楽しみにしていた。

もう一つ、ピンボールゲームもあった。
今ほど複雑なヤツではない。
ボタンを押すとフリップが動き、ボールを打ち返す。
何度も打ち返すと、いろんなところに当たって、得点が増える。
あれも楽しみだった。

それが、いつ頃からか、なくなった。
1970年代の中盤くらいか。

百貨店が完全にやられたのは、ショッピングモールができたからか。
それに、ユニクロなどのファストファッションが拍車をかけた。

結局、安くもなく、高くもないという中途半端になったのか。

これからどうやって生き残っていくか。

百貨店の今後は難しい。


| | 考えたこと | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
Clic
クリックという老眼鏡を買った。
特徴はメガネの真ん中で外れること。
マグネットでひっつくのだ。
その代わり、後ろの部分がつながっていて、首にかけられる。

CSIというドラマで検死官役の人がいつもかけている。

このクリック、アメリカ製だ。厳密にいうと、アメリカのパテントで作られている。
フレームとレンズは中国製。

このアイデアはいかにもアメリカらしくて、素晴らしい。
いつも携帯できるし、置き忘れない。

調子にのって首にかけていると、家までかけっぱなしの事がある。
置き忘れない、というのを忘れるのだ。

ただ、一つ難点がある。
少し小さい。ちょっと鼻メガネにするには短いし、横幅も少し短い。
長いことかけていると、横のところが痛くなる。

インターネットで調べたら、本国では大きなタイプを売っている。
日本では売っていないそうだ。

残念。

日本のメーカーで、ライセンスを取って、作ってくれないか。
画期的なアイデアだと思うのだが、眼鏡屋さんで聞いたら、2年ほど前に売り出した時はかなり出たが、今はあまり出ないとのこと。
それほど売れるものでもないらしい。

Clicという製品名。
カチャッとメガネをかける時にひっつく音をイメージしたのだろう。

ラージサイズがほしい。


| | 考えたこと | 02:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
厳しい先輩
人生では「厳しい先輩」が時には必要だ。

スパルタで、不可能なことでもやれ、というのが「厳しい」とは言わない。
厳しさとは、理想を見据え、そして達成可能かどうか…、という目標を与えることだ。

ちゃんと理想を語り、そして実現可能性をはかり、ポイントとなるところで進捗の方向をチェックする。

そんな厳しい先輩があらまほしい。

最悪なのは、最初の理想の位置が違っている場合。
これは普通は合っているはずだが、そこが外れていると大変だ。
やっていることが的外れになる。

「これ、やっといて」と言って後で見た時、「えー、何でこんな事になってんねん」という事がある。
それが、この場合。

ころあいを見はからって、進捗をたずねてくれない場合もある。
大きな的外れはないが、やっぱりやり方が悪かったり、取り組みの方法が悪かったりする。
そういう事を修正する。

厳しい先輩はそういう部下を育てる(自分の仕事を貫徹する)気合いがある。

ぼくはそれができない。
自分でやるタイプだ。
自分には人は育てられない、と割り切っている。
ぼくができるのは途中まで。
後は誰かに任す。

悪いとは思うが、それは仕方ない。
努力はするが、できないものはできない。

情けない…。



| | 考えたこと | 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ひこうき雲
BSでユーミンの歌をやっていた。
Master Tapeという番組。
荒井由美のアルバム、ひこうき雲のレコーディングを再現していた。

細野晴臣、松任谷正隆、林立夫、松任谷由実の4人が集まって、今はなきアルファ・スタジオを思い出しながら、曲を聴く。
ひこうき雲やベルベット・イースター。
1973年の発売。

当時の16チャンネルのレコーダーだ。
アナログのテープ。
かなり太いテープだ。

松任谷正隆がエレキピアノやオルガンを弾いている。
自分のプレイをふり返って、こんなプレイをしていたのか…、と言っていた。

当時はフォーク全盛の時代。
その中に新星として突然出てきた。
35年経って、今聞き直しても新しい。

ピアノをどっちが弾いていたっけ、という話になった。
「このアルバムは私」、とユーミン。
「こんなに弾けるんだ」、と松任谷正隆。

ひこうき雲はユーミンが弾いていた。
ミスリムからは、松任谷正隆になった。

ユーミンはアルバムの最後の歌、「雨の街を」という曲が一番思い出深いと語っていた。
何でも、2〜3日前に井の頭公園を松任谷正隆と歩き、好きな花はダリヤと話したら、レコーディングの日に牛乳瓶に1本ダリヤがさしてあったとのこと。

そういう思い出が、作り手にもあるのか…。
当然のことを改めて思う。

もう一度やりたい、という話もしていたが、やっぱりやらないだろう。

あの頃の思い出は、あの頃のまま、置いておこう。




| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゾメキトキメキ出版
NHKの朝のドラマ、今回は出版社が舞台。

ゾメキトキメキ出版というケッタイな名前の会社だ。
この会社が発心(ほっしん)という雑誌を出しているのだが、その雑誌のウリはチャレンジャー10という企画。

このページでは人間をとりあげ、その人間の面白さを描く。
なかなかうまくかけなかった主人公も、だんだんと人間の面白さを描く視点でものを見るようになり、ようやく編集部の一員となる。
今週は宣伝優先のライバル誌に大きなスポンサーを持っていかれ、ついに出版社を閉めるというストーリー。

この出版社の社長兼編集長を室井滋が好演している。

商業誌とは一線を画した路線。
あくまでも人間の面白さにスポットを当て、それを描くというのが編集方針。
気骨のある編集長。
一度雑誌を廃刊して、もう一度立ち上げている。
こんな人がいたら、ついていきたい、と思わされる。

今朝は編集部のみんなを集め、廃刊を告げる。

「すまんことです」と頭を下げる。
編集部員の再就職先や雇用保険の事とか、そういう話をするのだが…。

一方、編集部のみんなは、最後まで残ってくれたスポンサーを紹介する小冊子を作ろうとか、いろいろな最後の企画を話す。

思わず涙をこぼす編集長。

よし、それやったら、それを最後に作ろう、とみんなの企画にOKを出す。

感動の場面だった。

こういうふうに、会社はつぶれていく。
いいものが残るとは限らない。

これからのストーリーはどうなるのかわからないが、室井滋の編集長は存在感がある。

こういう人はいないだろうが、その違和感を超えた役作り。

「ゾメキ」がある。

| | 考えたこと | 01:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
冬のオリンピック
冬のオリンピックというと、札幌を一番に思い浮かべる。

トワ・エ・モアが歌った「虹と雪のバラード」。
1972年。笠屋のジャンプ。
「飛んだ、決まった」という実況中継のセリフは中学の時に流行った。
ちょうど札幌五輪の時に、日本のジャンプ陣が調子よく、1位〜3位を独占した。

それ以降、日本が表彰台を独占というのはないと思う。

こないだ何かのテレビで見たが、今の若い人は冬のオリンピックというと長野オリンピックを思い出すそうだ。
印象に残ったシーンか何かを放送していたが、札幌オリンピックは1つだけしか入っていなかった。

長野オリンピックではフクロウのキャラクターもいたらしいが、それも覚えていない。

ぼくの中では、札幌はオリンピックと結びついているが、長野はオリンピックと結びつかない。

1998年だったから、ちょうど仕事で忙しい盛りだった。
毎晩終電車で帰っていた頃。
だから覚えていないのだろうか…。

1964年の東京オリンピック。
この時は開会式の日に昼から学校が休みだった。
高度成長のまっただ中で、まだアメリカやヨーロッパの国に並ぶなんて夢みたいな話だった。
新幹線ができて、名神高速ができた。
そんな中で、東京で開催されたオリンピックには、文字通り日本中が熱狂したと思う。

そして、1972年の札幌オリンピック。
高度成長の終わりの時期。
日本はだいぶ豊かになった。
それでも、まだアメリカに追いつけ追い越せという時代。
カラーテレビがようやく家庭に普及したころ。

あの頃は日本がまだ元気だった。
ただ、若かったから覚えているだけでないと思う。
そういう時代の勢いがあった。

ぼくはそう思う。

| | 考えたこと | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
妥協
妥協という言葉、あまりよい印象がない人が多いのではないか。

妥協をする、というのはどちらかというと負けという感じだ。
妥協点を探る、というのは、仕方がないから…という事になる。

しかし、妥協というのは、高度なワザだと思う。
人と人が交渉して妥協をしないというのはほぼあり得ない。
どちらかが圧倒的な優位なら別だが、その時は交渉とは言わないだろう。

計算通りの妥協ができるというのは、素晴らしいことだ。

どこまでゆずるか、どこまで主張するか、何を取るか、何を取らないか…。

そう言うと、ずるがしこいだけみたいだが、本当に高度な妥協は相手の事も考える。

相手が何を得て、何をゆずってくれるか。
相手のメンツをどうやって立てるか。

妥協の基本はGive and Take。
相手に与え、そしてもらう。

Win-Winともいう。

妥協は人間にだけできる、友好的な解決。

しかし、島国の日本人には難しいかもしれない。


| | 考えたこと | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
引き際
丹羽宇一郎会長が退く。
伊藤忠では、新しく社長が誕生し、現社長が会長になるとともに、現会長である丹羽宇一郎会長は事実上の引退となる。

ずっと丹羽会長は70歳を超えたら、公的サービス的な仕事以外から引退すると言っていたとのこと。

丹羽会長というと、伊藤忠商事を建て直した人。
バブル崩壊後、巨額の赤字に苦しむ伊藤忠商事で社長になって、辣腕をふるった。

社長になった頃、テレビに出ていたが、社員食堂で社員と昼食を共にし、笑っていたのが印象的。

大胆な組織改革を行ったとの事だが、「社長の覚悟が会社を変える」という丹羽革命の本の紹介文によると、

「丹羽氏の改革は大胆だった。まず、会社を危機に追い込んだ過去の経営者の過ちを徹底的に調べ、総括。自らも報酬を全額返上した。さらに、土日を利用した社員集会の実施、社員からのメールすべてに自ら返信など、社員の精神改革のための地道な努力についても紹介。飾らない人柄と改革を遂行する強い精神力が全編を通して伝わってくる。」

とのこと。

その社長が会長に退き、ついに代表権もない相談役になるということだ。

だいたい、社長になったら、上の人を断罪するのは難しい。
誰が社長にしてやったのか、という輩が多いからだ。

それを実行した希有の経営者だと思う。

さすがに引き際があざやかだ。
権力の座に固執することなく、いさぎよく相談役に退いた。
もう代表権も何もない。

こんなふうに引退できる人は珍しい。

前例がないわけではないが、素晴らしい。

どこかの政治家も見習えばよいと思う。


| | 考えたこと | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
そしてコミュニケーション力しかなくなった
ぼくらが会社に入ったころ、無愛想な人がけっこういた。

色々な人がいたのだが、スペシャリストに無愛想な人が多かったのかもしれない。

図面を描く人や実験データーを整理する人、機械の強度計算が得意な人、翻訳や特許の専門家…。
そういえば、昔は人事に電話して福利厚生のことを聞いたら、愛想が悪かった事を覚えている。
後日、それは派遣の専門家になったが…。

その人たちは得意分野があるから、無愛想でもやっていけたのか、それとも元もと無愛想だったのかはわからない。

考えたら昔はそういう人が多かった。

人事で給与計算する人は、そろばんや電卓が早く打てる人だったし、経理では貸し方や借り方がわかり、計算間違いをしない人だった。
福利厚生の人はそういう法律に詳しく、年金の計算などもすぐにできただろう。
配達する人は、まじめにクルマを運転して時間通りに届ければよかった。
窓口で和文タイプをうつ人は、広い盤の上をすばやく動かして、キーをたたいていた。
昨日も書いたが、もちろんレジは早い人でないと打てず、早いことが優先で愛想は二の次だった。

無口でも、そういうことがちゃんとできれば、仕事があった。

勤勉という言葉がある。
それは、そういう仕事をちゃんと間違いなくこなす、という意味だろう。

昔の仕事はおしなべて勤勉さが求められるものが多かった。
勤勉、まじめが美徳の第一だったと思う。

しかし、いろんな事が変わってきた。
パソコン、インターネット、IT化。
それが仕事を変えてしまった。

伝票は電子化され、起票したら後はコンピューターで処理される。
経理の仕分けなどは、会計ソフトがやってしまう。
もちろん、計算などする必要もない。
全てのそういう計算が、システムの導入で済んでしまう。
和文タイプなど使わない。全てワープロだ。
納税者番号ができたら、その番号を読み取るだけで名前を入れる必要などないだろう。
ドライバーは端末を持ち、セールスドライバーになった。
レジはバーコードを読ませるだけだ。

勤勉という価値はどこかにいってしまった。

勤勉であることはそれほど評価されない。
それは無口にもつながるからだ。

人間の色々な能力のうち、まじめに何かをする、という能力はITが取って代わった。

今は働く時に何を重視されるか?
もうコミュニケーション能力しか残っていないのだ。

大多数の職業では、それ以外の能力は求められない。
それがIT化をすすめてきた結果なのだ。

どんどん住みにくい世の中になっていくぞ…。


| | 考えたこと | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学生のアルバイト
大学生のアルバイトというと、ぼくらの頃は新聞配達や家庭教師、塾、ウエイターなどがあった。

当時のアルバイトは難しかった。
新聞配達は配達する家を覚えなければならない。
他の仕事はIT化されておらず、ウエイターやウエイトレスは商品の名前を覚えなければいけなかったし、合計やお釣りの計算もできないとつとまらなかった。
6人くらい来て、それぞれに注文すると覚えるのが大変だ。
一応紙に書くが、細かいところは覚えておいて、厨房に伝えなければならない。
今は端末の操作をすれば、厨房に勝手に伝わるようになっている。
赤外線か無線を使っているのだろう。技術は進歩する。

今はコンビニ、居酒屋チェーン店、スーパーのレジ、ファミレス、ピザ屋、マクド、スタバなどの外食産業など、昔はなかった仕事や昔は大学生にはできなかった仕事が多い。

コンビニは昔はなかった。
そういうシステム自体がなかったからだ。

コンビニというシステム、うまくできていると思う。
あれがほしい、というものがたいがいある。
運動会の当日、DVテープを買いに行ったら、数個置いてある。
たくさんではない。あの店舗面積ではそんな余裕はない。
弁当もいつもより多かったりする。
必要なものを、必要な時に、必要なだけというのがコンビニというシステム。

あれは、POSシステムというものを使って、アルバイトでもできるような仕事にしている。
http://e-words.jp/w/POSE382B7E382B9E38386E383A0.html

レジをうつ必要もなく、バーコードを読み取るだけ。
お釣りはもらったお金を入力すると、計算されてレジに表示される。
むかし、アメリカ人は計算が苦手で、引き算ができないので、商品の価格に足していってお釣りを渡すという話があった。
今は洋の東西を問わず、お釣りはレジが計算する。

仕入れも、何がどれだけ売れたかがわかっているので、誰でもできる。
店舗比較での売れ筋商品の傾向も本部でできる。

運動会が近づくと、DVテープを仕入れ、当日は弁当を多めにする。
毎年の傾向がわかっているからだ。
店で考えなくても、本部で考えてくれる。

居酒屋のチェーン店などでも、IT化されている。
愛想さえよければ、つとまる。

スーパーのレジも同じ。
昔は手でテンキーを打っていた。
とても、アルバイトではできない。

ファミレス、マクド、スタバなどでも、同じようなもの。
それでも、スキルがいるような仕事はベテランのアルバイトに任せる。
何年かやらせて、要領のいいヤツを選ぶ。
そこで、時給を増やしたり、ちょっと制服が変わったりという、充実感を与える。
よくできたシステムだ。よくできたマニュアルがそれを促進する。
アルバイトがほとんどを運営しているような店舗もある。

だから、大学生のできる仕事は増えている。
高校生でもできるだろう。

ITが世の中を変えたのだ。

30年ほど前、パソコンが出てきた時、誰もそんなことは考えなかった。
パソコンが人間の仕事を奪うという心配など、杞憂だろうと思っていた。

しかし、今はどうだ。
インターネットができ、手のひらに収まるような端末で何でもできる。
人間の仕事を現実に奪っていく。

まさに、世の中を変えていく。
そのことに、みんな気づいているのか?

ものがあふれ、一見豊かになったようだが、仕事は貧しくなっている。

本当にこれでいいのか?

| | 考えたこと | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
吉田美奈子
「夢で逢えたら」という曲がある。

吉田美奈子の曲。
彼女は、山下達郎がまだ竹内まりやとつき合う前に、コンビを組んでバックコーラスをやっていた。
この吉田美奈子の兄がレコーディングエンジニアで、山下の初期のLPはほとんど彼がミックスダウン(最終のレコードに音をまとめること)をしていたはず。
もちろん、吉田美奈子自身もソロシンガーとして玄人受けしていた。

この「夢で逢えたら」は大滝詠一の作詞作曲。
あのナイアガラのサウンドではないが、いい曲だ。
いろいろな人がカバーしているが、1976年のオリジナルが一番だと思う。
彼女の声に合っている。

吉田美奈子のもう一つの顔は、作詞家である。
山下達郎のLPで、作品は聞ける。

まだLPレコードだった時代。
アルバム名でいうと、Circus Town、Spacy、Go ahead!、Moonglow、Ride on time、For youなど、山下達郎の全盛期(だと思う)の曲。

「Last step」、「素敵な午後は」、「ついておいで(Follow me along)」、「永遠のFull Moon」、「Rainy walk」、「愛を描いて-Let's kiss the sun-」、「いつか(Someday)」、「Music Book」、「Love Talkin'(Honey It's you)」など。
全て作詞は吉田美奈子。それに山下達郎が曲をつけた。
これらが、山下達郎の代表曲だと思う。

実際、これ以降の曲はあまりいいものがない。(ファンの人はごめんなさい)

山下達郎らしさは、これら70年代、80年代の中盤までの曲に表れている。
最初のLPであるCircus TownはA面はニューヨーク、B面はロスアンゼルスで録音した。

吉田美奈子の歌詞はイメージをちりばめたようなもの。
それと山下達郎の曲がよく合う。

 街はとっくに静まり
 時よもどってあの日へと
 あなたの胸に 包まれながら
 このままいたいよ ずっと

 Dancing rhythmにのり
 恋を忘れるため

この頃の曲は本当に山下達郎のルーツであり、素晴らしい。

それらは、吉田美奈子とのコンビで書かれたものだ。

竹内まりやとの結婚を境に、共作の曲はなくなった。
それとともに、山下達郎の名前は何となくなじみがなくなった。
逆に、レコードセールスは上がったのだが…。

日本のポップスを語る時、吉田美奈子と山下達郎という二人組は入るべきだと思う。


| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
馬齢を重ねる
馬齢を重ねるとは、ムダに年を取ること、という意味だ。

自分のことを謙遜して使う言葉。

「いたずらに馬齢を重ねた」というように使う。

この年になってみると、ぼちぼちそういうことを考える。

自分はいったい何をしてきたのか。
仕事をして、30年を越えて、これから何をするのか。

何をする、というよりも、何ができるのか?という方が深刻。
今までやってきたことを棚卸しして、何ならできるのか、何なら価値があるのかを考える。
そして、何をやっている自分なら、納得できるのか。

しかし、選べる仕事などない。

与えられた状況で、それを精一杯やるだけ。

馬齢を重ねたサラリーマン。

ほとんどのサラリーマンが、そんなことを考えたり、考えなかったり、諦めたりしながら年をとっていく。

今年は就職氷河期だというが、若い人もそんな事を考えているのだろうか。

日本の雇用はどうなるのか。

今の日本こそ、馬齢を重ねていると思う。


| | 考えたこと | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
フォークソングの時代
前回に続いて書く。

高石ともや、遠藤賢司、高田渡、友部正人、加川良、ガロ…。

懐かしい名前だ。
これらの人は60年代〜70年代前半に流行ったフォークソングの人たち。

高石ともやは、受験生ブルース。
遠藤賢司は、カレーライス。
高田渡は、自転車にのって。
友部正人は、一本道。
加川良は、教訓?。
ガロは、一人でゆくさ。

それぞれ、ぼくの知っている代表曲。

受験生ブルースは有名だろう。

 おいでみなさん 聞いとくれ
 おいら悲しい受験生

という歌詞だ。

カレーライスは少しマイナーだ。

 君もネコもみんな
 みんな好きだよ カレーライス

それがどないしてん、というツッコミができそうな歌詞。
何とも倦怠感のある歌い方。
ウクレレも弾いていた。

自転車にのって、は結構有名かな。

 自転車にのってベルを鳴らし
 あそこの原っぱまで

これも、今なら考えられない歌詞だろう。
でも、あの頃なら、許された。

一本道は、かっこいい歌だった。

 ふと後ろをふり返ると
 そこには夕焼けがありました

なんか、男、という感じ。

教訓?は反戦歌。

 命は一つ 人生は1回だから
 命を捨てないようにね
 あわてると ついふらふらと
 お国のためなどと言われるとね

こんな歌もありました。

ガロは好きだった。
一人でゆくさという曲は、いったいどんなギターを弾いているのだろう?と思った。
実際は特殊なコードの押さえ方をしていて、響きが独特だったのだ。

 一人でゆくさ 誰もいないさ
 もう大人だぜ 一人でゆくさ

3人のグループ。コーラスもうまかった。
後日、学生街の喫茶店がヒットするが、これは本意ではなかっただろう。
美しすぎて、という曲のB面だったのだが、流行ってしまった。
トミー、マーク、ボーカルという3人組。
トミーは自殺してしまった。

どの曲も、流行はしなかった。
でも、当時フォークソングを聴いていた人は知っているだろう。

懐かしい名前たち。

このすぐ後に、吉田拓郎が出てきて、ヒットした。
それは悪いことではないのだが、そこを境に歌が商業ベースにのってしまった。

上の曲は、もっとのんびりしていた頃。
1960年代後半〜70年初頭くらいまでだ。

今の若い人にいっても、ちんぷんかんぷんだろうなあ…。

| | 考えたこと | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) |
「友よ」と「遠い世界に」
こないだ、岡林信康のことを書いていたら、思い出した。
「友よ」という歌。
この歌もあの時代(1960年代後半)によく歌われた。

「遠い世界に」と並んで、あの時代に歌われたのではないか。

 友よ夜明け前の闇の中で
 友よたたかいの炎をもやせ
 夜明けは近い 夜明けは近い
 友よこの闇の向こうには
 友よ輝く明日がある

「たたかいの炎をもやせ」というところが、あの時代らしい。
1968年のリリース。
全共闘が盛んな頃、その空気を表している。

「遠い世界に」は1969年のリリース。
1年ちがいで、だいぶ歌の雰囲気が違う。
もちろん、作者が違うのだが、どちらもこの時代の空気を表している歌だ。

この時代、何ともいえない閉塞感があった。
ベトナム戦争の時代。
日本人のアメリカに対する相反した気持ちのあらわれのような気がする。

戦争は悪い、資本主義は悪い、帝国主義は悪い、安保は悪い…。

みんなそんな空気にのまれていた。

今よりも貧しいが、今よりもエネルギーはあった。
そのエネルギーのやり場を求めた若者が、みんなで歌ったのだろう。

ぼくらはそれを横目で見ていた。
まだ小さかったからだ。

しかし、今でも覚えている。

「友よ」と「遠い世界に」。

あんな時代があった…。


| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
探偵事務所の扇風機
なぜか、探偵事務所には天井に扇風機がついている。

ロスアンゼルスやサンフランシスコの探偵事務所。

南洋にあるようなゆっくり回るヤツ。
羽根が木でできていて、直径1メートルくらいある。

フィリップ・マーロウのドラマでもついていたと思う。

アメリカでは事務所を借りると、もともとついているのかもしれない。

今はエアコンだろうが、当時は扇風機だったのかもしれない。
今でもついているのかな。

ゆっくり回る天井扇。
あれはのんびりしていて、なかなかいい。

特に、サンフランシスコやロスアンジェルスでは、夏、暑いのだが、湿度が低い。
だから、じめじめした暑さではない。
日陰に入って、風が吹くとマシになる。

日本では天井扇がついていても、思いっきり回さないと涼しくないが、あちらでは大きいのをゆっくり回すくらいで涼しくなるのかもしれない。

テレビのドラマでは実際に動いているのを見たことはないが…。

客が来ると、最初に秘書のデスクに行く。
用件を聞いて、探偵に回す。
そこでドアを開けて探偵に会う。
そういう経路になっている。

探偵のデスクは幅が2メートルくらいはある、立派なもの。
天板の厚みは5センチくらいある。

後ろに窓があり、ブラインドがついている。

そんな感じ。

そういうところで、一度は仕事をしてみたいものだ。


| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
面白い人
面白いと評される人は、自分では面白いとは思っていないからこそ面白い。

本当の面白さは、無作為の中にある。
何気ないひと言やちょっとした会話、リアクションの中にあるのだ。
それを作為的にやっても、少し違う。

作為的にやっても、面白いものは面白いのだが、本当の面白さとはちょっと違う。
それは、人柄とか人徳とかいうものに結びつくものだ。

英語で面白いというのは、funとinterestingがあるが、このinterestingの方だ。

作為的なものはfunになる。
ただ、面白い。

無作為のものはinterestingだろう。
これは、ただ面白いだけではなく、興味深いという意味。
人間そのものが面白いという事だ。

そういう人はたくさんいる。

しかし、その面白さにアンテナを張っていないと見つからない。

えてして、アンテナに引っかかる前に、「何や、こいつは」というところで止まってしまう。
これが惜しい。
そういうタイプが多いのが事実。

もう少し突っ込むと、「あ、そうか」という瞬間があって、「この人、面白い」ということになる。

そうなってしまえば、愛せるキャラクターになるのだ。

愛せるキャラクターをたくさん見つけるのは、才能だ。
向き不向きがあるが、不向きな人は気の毒だと思う。

できるだけたくさんの愛せるキャラクターを見つけ、その人と友だちになる。

これは人生の幸せに通じるものだと思う。

面白い、は奥が深いのだ。

| | 考えたこと | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
かわいがる
「かわいがる」というと、大事にすること、愛しく思うこと、というような意味。

しかし、どうも最近は違うらしい。
反対の意味だ。
よくヤクザ映画で「かわいがってやれ」というのと同じ、反語的な意味。
痛めつけるとか、いじめるとか…。
それは一般的には使わなかった。

「あいつは、かわいがるのが好きだ」という言葉。
これは、意味不明だろう。
目的語がない。
何をかわいがるのか、それが抜けている。

しかし、こういう言い方をした場合、自動的にいじめているという意味になる。
これが普通らしい。
どの程度使うのか、それはわからないが…。

世の中かわった。

| | 考えたこと | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
美空ひばりと岡林信康
美空ひばりと岡林信康の関係については、あまり知らなかったが、今日のNHKのSongsを聞いて(見てはいない)概略がわかった。

美空ひばりが亡くなったのは、1989年。
岡林信康がフォークの神様と言われていたのを、リアルタイムで知っている世代は、今の50代がギリギリだろう。
だから、両方を知っているのはかなり年配の部類に入る。

岡林信康を初めて聞いたのは、中学1年の時。
友だちのお兄さんが持っていたテープをもらって、それを聞いた時だった。

今でも歌詞の一部を覚えている。

 何とでも言うがいいさ
 いい子でいたいおりこうさん 
 あんたにゃわかるまい
 今日乗り越えて
 明日に生きることなんか

題名は「今日を越えて」というらしい。

その後、あまり興味がなくなり、洋楽を聞きはじめてフォークにうとくなった頃、岡林信康は姿を消した。
山村で田畑を耕して、自給自足の生活をしていたらしい。

そこで、美空ひばりと出会う。

山村で暮らす岡林信康は、演歌の良さに気づき、美空ひばりのために演歌を作る。
その演歌を作っている時に、美空は岡林が作った歌詞を紙に書いて、それに矢印などを書き込んでいたらしい。
「それはなにか?」と岡林が聞くと、「私は譜面が読めないから、こんなふうに書いているの」という。
「俺も譜面は読めないけど、それでも歌は作れる」というと、美空がすごくうれしそうな顔をしたらしい。
それが二人がうち解けた瞬間だとのこと。

番組は、美空ひばりが歌手としての自分と、本名の自分との間に葛藤を感じていたこと、そしてそれを岡林にあてて書いた手紙に歌詞として書いていたこと、それを今回岡林がレコーディングしたことを告げ、その曲が流れて終わる。

いい番組だった。

岡林信康はだいぶやわらかくなった。

年のせいだろう。

歳月は人生をいろどるスパイスだ。
それ次第で、いい顔になったり、悪い顔になったりする。

岡林信康にとっては、苦しんだ時もあったが、歳月はいい年月だったのだろうと思う。

| | 考えたこと | 01:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
So life goes on
そして、人生は続く。So life goes on.

何かのイベントが終わって、また人生に戻っていく時に使う言葉。
ドラマでも、あるエピソードが終わった主人公が、立ち去る時にナレーションで言っていた。

なかなか粋な言葉。

これには英語の諦観があると思う。
何かをあきらめて悟るという感覚。

何があっても、時間は流れていく。
これだけは止められない。
So life goes on.

昨日書いたことだが、人生は選択の連続。
いつも何かを選ぶということは、何か選ばなかったものがある。
その選ばなかったものは永遠に戻らない。
同じ時、同じ場所で、違うことをやり直すことはできない。

そんな気持ちが、この言葉には入っているような気がする。


| | 英語 | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
退職とは
ぼくらの年代では会社勤めを25年続けて、それで辞める人は少ないだろう。

だから、普通の人は、60歳になるまで会社を辞める、ということがわからない。
でも、ぼくは47歳で一度辞めたので、少しは会社を辞めるということがわかる。
少し、というのは、会社を辞めてまた別のところに勤めたので、ずっと属していた組織を去る、ということだけわかる、ということ。

答えを言うと、最後の最後まで会社を辞めるということはわからないと思う。

ぼくの場合はそうだった。

3月の31日で辞めると決めた。
その日が刻々と迫ってくる。
それでも、全く感覚はわからない。
1ヶ月、1週間、あと1日、そして当日。
当日がきてもわからないのだ。

実際に辞める2日前に書いたメールにはこんな事が書いてある。

 いざ辞めるときが近づいても、おそらく全く気持ちとしてわからないと思います。
 本当に、31日、ロッカーで着替えて、会社を出て、初めて、あ〜おわったんやと
 思うような気がします。
 2日前でもまだわからないのです。
 そういうものですよ。辞めるときが近づいたら、この言葉を思い出してください。

本当にそういうものなのだ。
実際、ロッカーで着替えて、空を見て、帰り道になっても、まだ辞めたという感覚はない。

4月1日に朝起きて新しい職場に行って、初めてわかる。

それほど25年の月日は重い。

実際、辞めて6年目の今も時々自分がわからなくなる。

辞めなかった自分はいないので、どちらがよかったか、比べることはできない。
人生とは、時間とは、そういうものだ。

つねに選択していて、その総和が世界を作っている。

こたえは自分が出すもので、そのこたえは、この世を去る時にわかるようになっているのだろう。


| | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
I cross the boundary
一線を越えるという表現は英語にもあるらしい。

I cross the boundary とドラマで言っていた。

罪を犯したのを見逃してほしい、と頼む医者。
それはできない、という看護婦。
もう二度としないから…、と懇願する。

しばらく後で、もう一度部屋の外で会う。
その時の医者のセリフ。

悪かった。私はしてはならないことをした。
これが、"I cross the boundary"

boundaryとは境界のこと。
「私は境界を横切った」ということだ。
これが頼んではいけないことを頼んでしまった、という意味になる。

結局私は言うことができなかった、という看護婦。

ドラマでよくあるシーン。

こういう場面で、I cross the boundary が使われるのか。

覚えておこう。




| | 英語 | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |