考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< May 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
Facebookの悲哀
今はやりのSNSの一つである、Facebook。

これはいろいろな機能があり、面白いらしい。
中の一つに、「友だち申請」という機能がある。

これで若い人(と言っても30代だが…)が悲哀を感じたらしい。

聞いてみると、本人はFacebookはのぞく程度というユーザー。
そんなに自分から発信して、Facebookを活用しているわけではない。
しかし、ちょっとした遊び心で、住んでいる地域を入れて、ユーザーの検索をしたらしい。

そうすると、小学校の同級生を発見し、その人とは小学校時代に好かれていたという事実があったらしい。
そこで、今までしたことのない「友だち申請」をした。

友だち申請、とは文字通り自分の友だちになってほしい、ということで、そういう内容のメールが自動発信されて、その同級生のところに届く、というシステムになっている。

その同級生にとってみれば、ある日突然「友だち申請」のメールが届き、ビックリしたことだろう。

このメールには「承認」というボタンがあり、これを押すと「友だち」として認めました、ということになり、相手に自動的にメールされる。
そうなると、その同級生が書いたことや、いろいろなコンテンツを見ることができるようになる。

というワケで、友だち申請をしたのだが、いつまで経っても返事が来ない。
返事が来ない、ということはメールを見忘れて気づいていないか、それとも拒否をされたか、どちらかということになる。

そこで、勇気を出して、その同級生のページ(誰でも見ることができる基本プロフィールだけ)に行ってみたらしい。
そうすると、友だち申請の処理はもう終わっており、要は拒否をされた、ということがわかったとのこと。

まあ、切ない話やな、と聞いていたら、本人曰く、その同級生の友だちの数が少なければまだわかるのだが、それが100人以上いる、とのこと。
どうもユーザーには種類があって、厳選された友だちの中だけでやる人と、誰でもウェルカム、という人の2種類があるとのこと。
その同級生は後者だったということだ。

誰でもウェルカムといういい加減な人なのに、その人が拒否をした、ということで二重のショックを受けたらしい。

まあ、大笑いのネタなのだが、笑った後に、切なくなる話だ。
思い出の中に静かにとっておけば、何ということもなかったのに、Facebookができたばかりに、こういうことが起こる。

だから、Facebookでは、過去を探すのはやめておいた方がよいと思う。

今、現実に友だちの人を友だちとして承認し、過去の思い出の中の人物は検索などしないことだ。

Facebookの中には、そういう怨念が渦巻いている。

そのうち、Facebook殺人、というのも起こるかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
人口論
人口が減るのは、少子高齢化のせいだ、という事になっているが、これはオカシイ。

少子化で生まれる数が減り、高齢化で長生きする人が増えたら、帳消しになって、人口は減らない。
結局少子化と、長寿化はするものの、その人たちが寿命を迎え、亡くなる人が増える、ということになるのだろう。
だから、少子高齢化というのはちょっと舌足らずな表現だ。
少子化プラス高齢者人口増、亡くなる人増、という表現が正しい。つまり、少産多死化ということになる。

今の予想によると、1億2000万人ちょっと、というのが日本の人口のピークらしい。
ぼくらは、今人口のピークのところにいるわけだ。
ここからは減る一方になる。
国立社会保障・人口問題研究所『人口問題研究』によると、2100年 総人口4108万7千人、2500年総人口7万6千人、3000年 29人、3300年 0人という予測になる。

あと1300年したら、日本の人口はゼロになる、ということか。
ほんまかいな…、という感じだが。

移民を入れるくらいしか、少子化対策は考えられないのではないか。
それも早いうちに入れないと、日本が移民しても住みたいという魅力ある国ではなくなってしまう。
主に、アジアからの移民になるのか。

しかし、留学生の動向を見ると、日本に来たいという学生が減っているという。
日本に行くくらいなら、アメリカに行くらしい。
それももっともな話で、日本でも目端の利いた高校生は東大よりもハーバードやMITという時代だから、仕方がない。

5月24日のWSJ(ウォールストリートジャーナル)の社説に、「日本では、経済成長が文字通り「財政支出か、もしくは破たんか」の問題になったようだ。そして政府はこの両方が現実になり得ることに気づき始めている。政府の資金は結局どこからか調達しなければならないからだ。つまり納税者だ。政府は何十兆円もの資金をこの20年で公共事業に投じてきた。このため公的債務はGDP比200%以上に達している。」と書かれている。

日本のGDPは500兆円。
つまり、日本の借金はGDP比200%だから、総計で1000兆円もある。
難しい事はよくわからないが、これがいい状態とは言えないのは間違いないだろう。
毎年、40兆円くらいしか入らないのに、借金を増やしてきて、毎年40兆円以上の借金をしている。

人口論では、人口は等比級数的に増えるが、食物は等差級数的にしか増えないから、どこかでピークになる、ということだ。

しかし、現代では食べ物だけでなく、借金も増えすぎて、食えなくなり、人が減るのかもしれない。


| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ニュース
このところ、CNN、ウォール・ストリート・ジャーナル、ニューズウィークなどの海外の新聞・雑誌のサイトをよく見る。

理由の一つは写真がきれいだからだ。
ウォール・ストリート・ジャーナルのスーパームーンの写真はどれもすばらしかった。
海外のいろんなメディアが撮ったものから、いいものを選んで載せている。
日食の写真もアップされている。
こちらもきれいな写真ばかりだ。

もうひとつは、国内の新聞では世界の事がわからないからだ。
ぼくが見ているのはアメリカのメディアのものだが、これらはWEBで無料で見ることができる。
そして日本語でサービスしてくれている。
海外のサイトを見ると、アラブの春や原子力のこと、ユーロ危機、イラン情勢、フランス大統領選挙などがよくわかる。

国内の新聞でも出てはいるのだが、送ってきたものを書いただけという感じで、また扱いが小さい。
時々特集をやって、初めて分かることもあるが、日本の新聞では情報量が少ない。
こういうところは、海外のメディアの方が分かりやすい。

日本の財政危機の問題も、ウォール・ストリート・ジャーナルを見ていると、だいぶ新聞とは違う。
コラムではあるが、破綻も近いと書かれている。

最近の若者は海外に出たがらない、という声を聞くが、日本の新聞も同じではないか。

アングロ・サクソンの強さには敬服する。
世界中どこにでも特派員がいる。
報道機関としての使命感か。
さすが民主主義の生まれた国だ。

報道機関が第四の権力として、行政や司法、立法をチェックしないと、民主主義は機能しない。

日本に民主主義が根づかないのは、マスコミのせいもあるのだろう。

しかし、そのうち海外メディアも日本から撤退していくかもしれないなあ…。


| | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
白と黒
若いころは、世の中は白か黒かで判断する。
そういうのが、若さの特権だ。(若気の至りとも言うが…)

正しいか、正しくないか。
合っているか、間違っているか。
好きか、嫌いか。
右か、左か。

どちらでもない、というのは許せない。
とにかくどちらかに決めないといけない。
そういう時期を経て、世の中は白と黒だけではないことがわかる。
というより、真っ白や真っ黒は存在しないのだ、ということがようやくわかる。

絶対的な悪もなければ、絶対的な善もない。
ほとんど悪というのはあるかもしれないが、完全に悪というのはない。
盗人にも三分の理、というではないか。

実際の世界はグレーの世界だ。
二項対立の世界ではない。
ただ、二項対立にしてしまうと、わかりやすくなる。
だから、子供向けのアニメなどは、常に悪者は悪い、というリクツでいく。
悪者はやっつけろ、という事になる。

しかし、そのままオトナになる人もいる。
最近は増えた。

原発の問題もそうだ。
反原発か、原発推進派か、その二つに分けて、レッテルを貼る人が多い。
しかし、そんなに簡単なものではないのだ。
エネルギー政策をどうするか、根本的な見直しが必要、ということであり、いままでいい加減にしてきたことをちゃんとしないといけない、ということだが、一方で現状に合わせて柔軟に対応しないといけないと思う。

いつまでもコドモのリクツで対立していないで、オトナになるべきだ。

もう時間がないぞ。

| | 考えたこと | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
足裏マッサージ
足裏マッサージに行ってきた。

足裏マッサージというのは、なんとも不思議なものだ。
体調によって、感じ方が変わる。
どの体調の時が、どうなるとは言えないが、毎回微妙に違う。

足の指がやたら痛く感じる時があったり、土踏まずのところを押されて痛かったり、痛いところが変わる。

施術してくれる人はプロだから、毎回同じようにやってくれている。
毎回左足から始まって、指、足裏、ふくらはぎの順にやっていく。
今日は足の裏が疲れているなあ、というのは、やり始めてからわかる。
普段は疲れに気づかないのだが、マッサージされるとわかるのだ。

疲れているときは、マッサージされると何となくけだるい感じになる。
ああ、足の裏も身体の一部なのだ、ということが意識される。

それが疲れていないときは、そんな意識はしなくていい。
決まった手順にしたがって、マッサージされるだけだ。
それはそれなりに気持ちがいい。

しかし、足の裏が疲れているときは本当に楽になる。

これは行ったものでないとわからない。

不思議なものだ。



| | 考えたこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゆとりモンスター新人
今年の新入社員は「ゆとりモンスター」というらしい。
今週の週刊文春に出ている。

新人の歓迎会を理由もなしに断るとか、新人なら当然やるべきとされていたことを、指示されないとやらないとか、指示してもできないとか、自己主張が強くて妙に自信満々とか…。

理解不能な新人という声もある。

遅刻しても平気な新人もいるらしい。

確かに唯我独尊的な若いやつもいるにはいるが、ちょっと週刊誌ネタではないか。
本当にそういう連中がたくさんいるとは思えない。
そんなヤツは試用期間なのだから、クビにすればいいと思う。
まあ、人事が選んで入れたのだから、何とかしようという気もあるだろうが…。

しかし、研修中は飲食禁止などというのは、当たり前すぎてそんなアナウンスをするのか、という感じだ。
ペットボトルは許可したら、パックの飲み物にストローというヤツがいるという。
注意したら、ぼくはこれが普通というらしい。
煎餅を食うやつもいて、これも注意したら自分はお茶と煎餅はセットだという。

本当にそんなヤツがいるのかと思う。

しかし、取材に答えているのだから、本当にいるんだろう。

きっと人事は責められているだろうなあ。

なんでこんなヤツを採ったのか、と怒る配属部署の上司が目に浮かぶ。

それに答える人事の若いヤツが、「これでもマシだったんです」と答えていたりして…。
| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
女性の進出
何年か前にスゥイングガールズという映画があって、女性のサックスが流行った。

その当時、中学や高校の吹奏楽を支えているのは、ほとんどが女性だということに気がついた。
何せ部員のほとんどが女性だ。
バスーンもスーザーホーンも女性が多い。
女子高の話ではない。男女共学の中学や高校でも女子が多い。

それから時がたって、今は大学のジャズバンドも女性が多いということがわかった。
関西の大学のジャズバンドが集まって、大阪で行うイベントがある。
そのパンフレットを見ると、メンバーの女性の多さに驚く。

ぼくらの頃は、ジャズバンドというと男性のものだった。
ジャズ喫茶というと、タバコの煙がただよい、大音量でコルトレーンやマイルスをかけている、というところで、客は男性が多かった。
もちろん、女性がいないことはなかったが、ジャズのバンドに入ってプレイをするという女性は、ほとんどいいなかったと思う。

大学生のバンドでは、ソリストも女性が多い。
サックス、トランペット、トロンボーンの過半数が女性。
ピアノはもちろん、ほとんど女性。
ギターやベースも少し女性がいる。
すごい女性の進出だ。

カウント・ベイシーも、デューク・エリントンも、グレン・ミラーもみんな男性だった。
今のビッグ・バンドはどうなっているか、知らないが…。

おまけに、このイベントを運営している実行委員会も女性がほとんど。
えらいものだ。

今やジャズの根っこを支えているのは、女性なのだ。
サックスも、トランペットも、トロンボーンも、ピアノも、…。

女性の時代だ。

バレーボールも、マラソンも、サッカーも…。

いっそのこと、フランスのように閣僚も半数は女性にしたら、今よりマシになるかもしれないなあ。

ぼくも含めて、日本の男性はダメだ。





| | 考えたこと | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
北京の空気
Beijiing Airというアカウントのツイッターがある。
文字通り、北京の空気、という意味だ。

ここでは、北京のアメリカ大使館で計測した空気の状況をツイートしている。
どんなのかというと、 05-22-2012 22:00; PM2.5; 117.0; 181; Unhealthy (at 24-hour exposure at this level) というようなものだ。

この意味は、5月22日の22時の状況は、外に出たら健康に悪い(Unhealthy)、ということである。

北京の市民は、市当局の発表よりこちらの方を信じているらしい。

大使館が、健康に悪いと言っていても、当局は大したことない、ということもよくあるという。

昔東京もこんな感じだったのだろうか。
今の北京はあまり住みたくない。

今の中国の状況は、昭和40年代の日本に似ているか。
そんな気がする。
公害も野放しで、効率重視。
日本よりひどい状況だろう。

写真を見ても、昔の東京よりひどいと思う。
前が見えない。

このまま経済成長が続くと、どうなるのだろうか。
そのうち、防毒マスクがないと外に出られない、というような状態にもなりかねない。

意外と日本の凋落は遅いかもしれないなあ。

他力本願ではあるが…。


| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
モーグ博士生誕
今日グーグルの検索画面を見ると、シンセサイザーの絵があったのでクリックするとモーグ博士生誕78年というのが出ていた。

70年代に音楽に関わった人なら、モーグ博士の名前は知っているだろう。
今の形のシンセサイザーの元を作った人だ。
当時、ミニモーグ(ミニムーグ)という単音のシンセサイザーを発売し、一世を風靡した。
富田勲が使って、交響曲を作ったりしていた時期。

元の波形を発生するオシレーターと、周波数的な音色を決めるフィルター、そして時間的な音色を決めるエンベロープフィルターと低周波オシレーターの4つを備えたものだったと思う。
元の波形はサイン波、三角波、矩形波の3つがあった。

冨田勲が作った口笛の音などは、すごくよくできていた。
当時、どういう風に音を作るかということで番組があり、富田勲が人間の口笛はまず低い音からスタートして、いったん狙いの高さを通り過ぎ、そこから下がって音程が決まるという解説があり、なるほど、と思った記憶がある。
科学的にできているんだ、と納得したのだ。

最初は壁一面の機器に配線をして、音を作っていた(ようだ)。
それから単音が複音になった。
6音や8音同時発生というと、当時はビックリしたものだ。
その時期は毎年の楽器フェアで、どんな新製品が出てくるのか…、とわくわくしたものだった。

そうこうしている間に、FMシンセサイザーが出てきた。
これはヤマハのDX-7という機種。
これこそ、一世を風靡し、海外のアーティストもたくさん使っていた。
原理はややこしいので略すが、発音のメカニズムさえ分かれば、どんなサウンドも作れるという代物だった。
ただ、音の解析をできればいいが、できない人がほとんどで、音作りが難しい、ということもあったのだろう。だんだんと売れなくなった。
でも、この楽器はシンセサイザーの博物館があれば、必ず飾らないといけない楽器だと思う。

この頃までは、シンセサイザーの音、というのが珍重された。
今まで自然界になかった音を作れるから、そう思っていたのだ。
しかし、だんだん現存する楽器の音を作る、という事の方が重要になってきた。
オリジナルの音よりも、シミュレートする方が大事になったということだ。

その時期、メモリが安くなってきて、PCMという音源が主流になった。
これは実物のピアノの音なら、それをマイクで録音して、それを再生する、という原理だ。
もちろん、強く弾いた時、弱く弾いた時、やさしく弾いた時、伸ばす時、切る時など、いろんな場合があるが、それらを全て波形のレベルで取り込んで、鍵盤を押すと再生するという仕組み。
そこに、実物らしさを味付けするために、各社いろんな方式になっているが、基本は同じだと思う。

今はそういう音源が主流になった。
モーグ博士は亡くなってしまったが、どう思っているだろうか。

自然界に存在しない音が作れる、という機械を作ったが、結局今ある楽器の音が主流という、皮肉な結果になってしまった。

もちろん、アナログからデジタルという変化もあったし、デジタルデバイスがどんどん安くなるという変化もあった。
こういう道を通れば、生産国はアジアにシフトするのは家電と同じ。
多くの楽器は労働力が安いところで作られているだろう。

いずれは、何でもそうなる運命だろうが、モーグ博士が作ったシンセサイザーはアナログの塊だった。
スイッチを入れて、しばらくしないと音程がずれたりする、という噂もあった。
今はデジタルだから、そんなことはない。

しかし、モーグ博士の機械を使えば、音の原理がわかった。

今の機械ではそんなことはブラックボックスだ。

あらゆる所でそんな事が起こっている。

話がそれてしまったが…。


| | 考えたこと | 21:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
メディアリテラシー
メディアリテラシーとは、「情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。」とWikipediaに書いてある。

要するに、テレビやラジオ、新聞などのメディアで流される情報をうのみにしないで、自分で考えて取捨選択できる能力ということだ。

ぼくは戦争前後の報道は知らないが、中国やソ連のニュースでこれを学んだ。

冷戦中は、世界は東西に分かれ、特に東の方は鉄のカーテンとか言われて、情報管制が敷かれていた。
実情がわからなかったが、中国やソ連は素晴らしい、という日本のメディアがあった。
そういう高校の先生もいた。

前にも書いたが、実際には素晴らしくなかったのだが、一部のメディアは素晴らしいと言っていたのだ。

毛沢東を礼賛する新聞があったり、ソ連の選挙は候補者が一人だけ立つというすばらしい選挙だという先生がいたり、、社会主義はすばらしいという知識人がいたり、今から考えるとワケのわからない状況だったと思う。
当時はメディアリテラシーという言葉もなく、全くそんなことも習わなかった。

情報メディアを批判的に見ることは、民主主義をやっていく上で不可欠だと思う。
そういう市民がいないと、民主主義は成り立たない。

日本のメディアは機能不全を起こしている。
ちょっと取材すれば分かることでも、お上の発表であればそのまま書く。
業界の人たちにとっては、そんなハズがないということでも、そのまま書く。
おまけに記者クラブというのがあって、主要な新聞はそこに入っており、そこにいると勝手に記事が回ってくる。
そこでろくな質問もしないのだろう。

今はインターネットがあるし、ツイッターもあるし、ブログもあるし、種々の意見をそこで見ることができる。
いい時代になったものだ。

だからこそ、メディアリテラシーの能力を上げ、自分が正しいと思える情報、事実を取捨選択しないといけない。

昭和40年代は、要らなかったメディアリテラシーだが、21世紀になって、余計に必要になった。

若い人は特に必要だろう。
これから生きていく上で、いかに正しい情報を見抜くかということは、死活問題になる。

情報があふれているからこそ、メディアリテラシーが必要になるのだ。



| | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
無限は遠くなりにけり
昨日の読売新聞に「情報爆発 ゼタ時代」という記事があった。

ゼタというのは、キロ、メガ、ギガ、テラ、ペタ、エクサ、ゼタという順に、1000倍に増えていく数の表示。
専門的にいえば、「国際単位系の接頭辞」という。

ゼタがどのくらいの数かというと、普通に書くと、1ゼタは1000000000000000000000ということになる。
これは「世界中の砂浜の砂粒の数」に相当するらしい。
どうやって計算したのかは不明だが、どこかの砂浜の単位面積あたりの砂粒の数を数え、それに世界中の砂浜の面積を掛けたのだろう。

世界は情報化社会になり、「2011年に世界で作成、取得、複製された情報」は1.8ゼタバイトという数になったらしい。
人類はWebを発明し、そこから飛躍的に手に入れられる情報量が増えた。
頭の中にあるものが、形となって残せ、それを世界中に簡単に提示できるようになったからだ。
ぼくのような者でも、ブログという形でテキストのデーターを世界中に示すことができる。
これは有史以来、今までなかったことだ。
コンピューターとネットワークの技術がそれを可能にした。
好むと好まざるとにかかわらず、ぼくらはその中で生きていかなければならない。

記事では、それぞれの単位のところに、相当するものを書いているのだが、エクサのところには、「今まで人類によって話されたすべての言葉 5エクサバイト」、「世界にあるすべての印刷物 0.2エクサバイト」と書いてある。
写真、文書の情報量を合わせて、計算したのだろう。
そんな量なのだろう、と言うしかない。

しかし、昔の人が聞いたらびっくりするデーターだ。
人類は技術の進歩で、そんな大きな数を扱えるようになった、ということになる。
1000000000000000000000というような数を扱うのだ。

大昔、手の指の数10本から始まり、人間はいろんなものを数えてきた。
21世紀の今、世界中の砂浜の砂粒の数まで数えることが可能になった。
どうやって数えるかは不明だが、とにかくその数を認識し、計算することができる、ということだ。

今まで誰が「世界中の砂浜の砂粒の数」を数えようとしただろうか。
だれが、「今まで人類によって話された言葉の数」を意識しただろうか。

それらは「無限」に近い数だと思っていた。
数えることが無意味だというより、そういう数を扱えないと思っていたから、「無限」に近い数だと思っていたのだ。

その制約がだいぶ減った。
だいぶといっても、1000000000000000000000だが…。

数は実在しないから、いくらでも作ることができる。
しかし、1の後にいくらゼロを続けても、無限にはならない。
無限という数はないのだ。

でも、無限は遠くなった。
少なくとも1000000000000000000000までは数えられるだけ、人間は賢くなった。

これはスゴイことだと思う。
| | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
らくてる
よく事務所で電話をしていて、受話器を肩で挟んで止めている人を見る。

首をかしげながら電話をすれば、自然に挟まるわけでもない。
できる人とできない人がいると思う。
何が原因かはわからないが、ぼくができないから、できない人がいるのは事実。
うまく挟まらない。
できる人は羨ましい。
両手で作業ができる。
パソコンを前にしていたら、両手で打つこともできる。

残念だと思っていたら、アメリカのドラマで、電話機の形が変わっていて、肩に挟むために耳に当てるところの反対側が厚くなっているのを見つけた。
これならいいと思って、ネットで探したら、出てきた。

受話器を変えるのではなく、取り付けるタイプのものだ。

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20110803-00020942-r25

名前を「らくてる」という。
楽にテレホンできる、というところからついているらしい。

これを、受話器の耳に当たる部分の反対側にはりつける。

そうすると、受話器をそれほど首をかしげなくても肩に挟めるようになる、というリクツ。

これはスゴイ。

今まで出ていなかったのが不思議だ。

しかし、アメリカではどうなのかと思って調べてみると、似たような製品がある。
というか、向こうが本家なのだが…。
アメリカのアマゾンでTelephone Restという名前で調べたら、いろんな会社から出ている。

テレホンレストと言っても、日本では通じない。

これも文化の違いか…。


| | 考えたこと | 20:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
計画停電3
どうも昨日の夕刊を見ていると、関西電力の地域は計画停電になりそうな感じだ。

世の中には、たくさんの我慢強い人がいるものだと思う。
今から夏の暑さを想像しただけで汗が出てくる。

原発の事故が起こったら、被害は無限大だと考えているのだろう。
もしも事故が起こったとき、被害を考えると、その結果は確率の期待値になる。
つまり、(事故が発生する確率)X(被害の大きさ)がその期待値だ。

いくら発生確率が低くても、被害の大きさが無限大なら、被害の期待値は無限大になるから、原発は止めないといけない。

しかし、原発を止めて、計画停電をしたときの被害もあるだろう。
何人かの老人は熱中症でやられるかもしれない。
工場は止まる。
暑さで能率が落ちる。
電気代が上がって、工場は出ていく。
設備投資が減る。
病院で手術ができなくなる。
そもそも、これだけ電子化しているのだから、電気が止まったらできないことがいろいろある。
そして、雇用がなくなる。

しつこいようだが、雇用は一度なくなったら、戻ってこない。
いずれなくなる雇用だ、と考えれば、時期が早まっただけとも言えるが、どうなるかはわからない。
そして、これらの確率は原発が事故を起こす確率よりも桁違いに高い。
ただ、被害の額も、無限大と比べると桁違いに低い。

ぼくは、原発は危険だと思う。
それは、あの動燃の臨界事故の時に確信した。
原子力のプロが集まっている東海村で、バケツで放射性物質を混ぜて臨海事故が起こった。
ずさん以外のなにものでもない。
あの時に安全管理の手順の徹底や、事故が起こった時の手順を決めておくべきだったのだ。
あの時に、ちゃんとネジを巻き直して、原子力行政を見なおしていたら、今回の事故はもっと軽かったはずだ。

動燃の事故で、なぜマスコミはもっと騒がなかったのか。
あの事故は人災だ。
全く人の要因で起こった事故だ。
だから、ちゃんと批判して、対策を取らせるべきだった。

しかし、今の計画停電はタイミングが悪すぎる。

そう思わないのだろうか。



| | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
Mondaine
モンディーンと読むらしい。
スイスの会社。スイスの鉄道のオフィシャル時計を作っているメーカーだ。

こないだ書いた、腕時計の日付が見えない、という問題を解決した時計を見つけた。
モンディーンのビッグデイトというシリーズ。
この時計を買った。

日付が2ケタの窓に表示される。
その窓が大きめで、とにかく見やすい。
若い時なら、こんなデザインは見向きもしなかったのだが、年をとると変わる。
この時計はちょっと面白いところがある。

この頃の時計はパーペチュアルカレンダーといって、大の月、小の月、うるう年を判定して、一切日付表示をさわらないでもいい、というのが売り物になっているのが多い。
しかし、この時計はレトロなのだ。

31日の次は32日、33日と続く。
そのまま39日までいって、次は00日になる。その次が01日だ。
つまり、月の終わりには必ず日付をいじらなければならない。

以前はそんなめんどくさいこと…、と思っていたが、この年になるとそれが月の変わりを思い出させてくれて、ちょうどいいと思う。
どんなにボケていても、32日になったら気がつく。

だいたい、ビッグデイトの時計はそんなに安くない。
メカニズムが複雑になるからだ。
しかし、それをせずに、表示はビッグデイトだが、月の切り替えは人間が手伝う。
そのかわり安い。(東急ハンズで24000円)

これに変えて一週間。
ノートに日付を書くときに、時計を見てすぐに書けるようになった。

この時計も、そのうち老眼がひどくなって、見えなくなるかもしれない。
その時は、老眼鏡が必需品になっているだろう。

しばらくはこれでOKだ。


| | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
名神集中工事
今年も名神の集中工事が始まった。

今までは通行止めにはならなかったと思うのだが、今年は夜間通行止めになる。
だからか、朝と夜の渋滞はさほどひどくない。

この時期にまとめて工事をする、というのはいい考えだ。
2週間ほど我慢すれば、終わる。
その期間は必要なら迂回するし、時間をずらして出勤すればよい。

今週はいつもより早く起きて、通勤している。
だいたい30分くらい早く出れば何とかなる。

昔に比べると、渋滞はだいぶマシになった。
交通網が整備されたし、名神高速自体も車線が増えて容量が増えた。
トラック輸送もかなり増えていると思うが、それでもマシだ。

昭和40年代は、まだまだ貨物列車が山陽本線を走っていた。
40両、50両という長い連結で、延々とコンテナ車両が続く。
前を引っ張っているのはEF何とかという電気機関車。
夜間ではなく、堂々と昼間に走っていた。
ずいぶん長いことガタンゴトンという音をたてていた。

あの時代、トラックの輸送はそんなに多くなかったと思う。
大きな工場には引き込み線があり、列車が直接いけるようになっていた。
高速道路網が整備されていなくて、列車の方が早くて便利だったのだろう。

実際、今でも輸送部門に関しては、列車で運ぶほうが燃料効率もよく、CO2の排出も少ないはずだ。
それでも、コンビニに代表される流通業では、逆に小口の輸送で、売れるものを売れるときに必要なだけ、というようなことが可能になった。
これもITのなせるわざだ。

昭和から平成に変わって、輸送はトラックが主体になった。
その過渡期は渋滞に悩まされたが、それもだいぶマシになった。

それが今だと思う。


| | 考えたこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
電子辞書の進化
電子辞書は毎春秋に新型が出ているようだ。

一番売れているのはカシオ、シャープらしい。
その後に、SII、キャノンが続く。

最新型の電子辞書はものすごいことになっている。

本棚1段に入りきらないほどの量の本が入っている。
本来の目的である、国語辞典、漢和辞典、英和辞典、和英辞典は言うにおよばず、英英辞典、英語の類義語辞典なども入っている。

さらに、第二外国語としてフランス語や中国語、ドイツ語、韓国語などもカードで増設できる。

それ以外に入っているのは、ことわざ辞典とか、名前辞典、百科事典、薬の辞典、病気の辞典、海外旅行のための会話辞典なども入っている。

また、学習タイプというものには、漢字検定のドリル、TOEIC対策などもある。
ついでに、教科ごとの参考書も入っている。日本史辞典、世界史辞典、生物辞典、化学辞典、物理辞典、歴史年表の語呂合わせ辞典、日本文学辞典、世界文学辞典、数学辞典、古語辞典などがある。

それ以外にも、冠婚葬祭とか、一般常識、就職筆記試験対策、手紙の文例集などの便利なものも入っているようだ。

ついでに、著作権が切れた作家の作品も数十冊入っていたりして、びっくりするほどの情報量だ。

また、カラー液晶で音声が入っているものもある。
うぐいすの写真がカラーで見られて、鳴き声も聞けるという。

こうなると、単なる電子辞書ではない。
一大情報源だ。

これを見ると、高校の知識があれば、すばらしく賢いということもわかる。

おそらく、これもガラパゴス仕様なのだろう。
もちろん、日本語だから当然なのだが、海外ではこんなてんこ盛りのコンテンツがないだろう。

たしかにスゴイ辞書だと思う。

しかし、入れれるものは全部入れて出した、という感じだ。
多ければ多いほどいいのも事実。ただし操作がややこしくなければ…。

日本人は本当にスゴイ国民だと思う。

本棚1段分以上の辞書を持っている人がたくさんいる。

これはスゴイ事実。


| | 考えたこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンプガチャ
「コンプガチャ」というのが違法だというので、問題になっている。
携帯ゲームの話だ。

携帯ゲームの会社は、自主的にやめるというような報道がされている。

ゲームは全くしないので、何のことかわからなかったが、土曜日の朝、NHKのニュースで特集をやっていて、だいたいのことはわかった。
要するに、球形の入れ物に入ったおもちゃが出てくるガチャガチャのコンピューター版ということだ。
レアなアイテムを手に入れるために、ゲーム内でガチャガチャをすると、1回300円とかいう仕組みになっているらしい。

それもうまくできていて、5つセットで揃えると、激レアなアイテムが手に入る仕組みで、4つまではわりと簡単に出てくるようになっているらしい。
4つまで揃えたら、もう後戻りできない。
なんとか5つめを手に入れようとコンプガチャをやってしまう。
その結果、携帯代が40万というようなことが起こる。
気の毒なのは、子供が勝手にやってしまって、請求をされた親だ。

これは昔のお菓子にカードが入っていたものと同じ、ということで違法ということになる。
カードの確率はお菓子の会社がコントロールできる。
同じように、コンプガチャもゲーム会社がレアな率を決めることができる。
過剰な射幸心を煽る、という事になる。
射幸心を煽るという意味では、携帯ゲームらしく、他のゲームユーザーとつながって、交換できたりするらしい。
要はそのアイテムを持っていると、優越感を持てるようになっている。

しかし、テレビを見ていると、いい大人が40万かかった、などと話している。
40万円である。
ただの携帯の画面に出てくる画像に40万円もかけた。
見た感じでは、月給は40万円もありそうにない若者だ。(失礼)

百歩いや、千歩譲って、子供がやってしまった、というのはまあ理解するとしよう(それでも40万円だが)。
でも、いい大人が40万円も携帯ゲームに使ってどうするのか。
40万円というと、1回300円のコンプガチャ1000回以上したことになる。
いい加減にやめようという経済感覚はないのか。
まだ、パチンコなら返ってくる可能性がある。
しかし、このコンプガチャには実質的には何もないのだ。

リアルな生活感が感じられない。
そんな気がする。
日本はそんな人間を増やしているのではないか。

そんな気がする。



| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国の事情
インターネットで面白い記事を見つけた。

http://www.j-cast.com/mono/2012/05/09131368.html?p=1

中国の運転免許試験の現状だが、ちょっとひどい。
笑ってしまうのだが、これは一体どういうことなのかと思う。

おそらく、日本語訳が間違っているのだろうと思うが、それが放置されている。
日本大使館を通じて、文句をいう人がいないのだろうか。

「高速道路で正常に走行した車両に出会った時、後をつけて近づいた時、時期を選択して速やかに真ん中から差し込むことにします」
正解:「まちがっている」

こんな問題、わかるわけがない。
意味があっているとしたら、中国語でも訳がわからない、という人が続出するはずだ。

日本大使館はクレームを出しているのか、それとも出しても無視されているのか、まだまだ日本は豊かだから、みんな中国人の運転手を雇ってほとんどの在中日本人が試験などうけていないか、どういうことなんだろうか。
それとも、中国の国民もお上には文句が言えないのだろうか。

つくづく、中国は近くて遠い国だと思う。
全くのブラックボックスだ。

写真で見る北京のスモッグは最悪だが、モータリゼーションはどんどん進んでいる。

このままいくと、中国だけでなく回りの国も被害を受ける。
というか、遅かれ早かれ地球規模で被害を受けることになる。

エライことになるぞ。


| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
ベンツのBクラス
新しいベンツのBクラスを宣伝している。

BクラスというのはベンツのFF車。もう一つ、Aクラスというのもあるが、これは小型FF。
FFというのは、Front engine Front driveの略で、前にエンジンを積んで、前輪を駆動するというもの。
日本のメーカーでは当たり前の方式だが、ベンツにとっては結構歴史が浅い。
そのためか、どうもこのBクラスという車は、ベンツらしくない。
どうせ買うのなら、もう100万出してCクラスを買う。
CクラスはFR(Front engine Rear drive)、つまり後輪駆動だ。

だいたい、BMWやベンツは後輪駆動の車だ。
舵を取る車輪と、駆動する車輪は役割が違う。
足が速い動物は、後ろ足で蹴って前に進むものだ。
だから、FRが自然の姿になる。

さらに、FFは前に荷重が集中する。
どう頑張って設計しても、前後の荷重が6:4くらいにしかならない。
理想的には5:5だ。
それを実現しようとすると、どうしてもエンジンは前で駆動輪は後ろになる。

部品の数もFRだと多くなる。
ドライブシャフトという、エンジンの回転を後ろに伝える装置が必要になる。

FFだと単に転がっているだけの後輪だが、FRだと駆動力を与えるという役割がつく。
つまり、4つの車輪を有効に使えることになる。

だから、Bクラスはどうも好かない。

ベンツの設計哲学には相反している。

ドイツでは、ベンツ車が事故を起こすと、警察よりも早くベンツ社の調査隊が来るという。
リアルワールドで起こる事故を調査し、それを製品に活かすためだ。

そのデーターベースのおかげで、日本車も助かっているという。

そういう会社だからこそ、Bクラスを出されると、ちょっと…、と思う。

ベンツにもベンツの事情があるだろうし、仕方のないことなのだが…。



| | 考えたこと | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
起立斉唱問題
橋本市長の記者会見で、MBSの記者が質問をして、問題になったらしい。

動画がインターネットにアップされていて、面白そうだから見てみた。
MBSの記者は斉唱の口元チェックを問題視して、取り上げたかったらしい。
しかし、勉強不足で取材するに値しないと言われ、質問には答えないと言われていた。

確かに質問をする側が、自分の意見を言いたいから、その意味のことを言わそうとするのはわかるが、しかし、質問をするのならもう少し勉強してから質問すべきだろう。
一応、記者ということなのだから。

他の記者への遠慮もなく、長いこと食い下がって時間を使った。
どう考えても、記者の幼稚さが情けない。

ところが、これがMBSのニュースになると、起立斉唱問題のアンケートや、弁護士の話にすりかわって報道されている。
記者の不勉強な部分は全く報道されていない。

これがインターネットの威力なんだろう。
以前なら、現場を見ることもできず、テレビ局の一方的な報道を見せられ、それで終わりだった。
しかし、今は一部始終を見て自分で判断することができる。
テレビの編集は意味がなくなった。

この現状はMBSのアナウンサーのOBである平松元市長が、選挙戦で橋下市長に負けて、MBSが敵討ちを考えているようにしか見えない。
それも、かなり旗色が悪い敵討ちだ。

MBSを擁護する声は弱いのではないか。

公務員が国歌斉唱するのは当然だという主張は、議会でも認められ、市民の支持も得たものだろう。

それがまるで悪いことのように報道される。

何かオカシイ。
MBSは番組を見て判断してほしい、ということを言っていたが、これで判断するのは不公平だろう。

橋下市長は「回答率26%のアンケートで、そのうちの半数、つまり全体の約10%ちょっとの否定的回答をもって、多くの校長は口元チェックに反対している!と堂々と論を張ったMBSボイスはテレビ番組として失格だろう。メディアの権力チェックの役割は分かるが今回は度が過ぎている。」とツイートしている。
全くもってその通りだと思う。

最後に、口元チェックの元になった中原校長が書いているブログをリンクしておく。

http://ameblo.jp/nakahara-toru/entry-11248551587.html




| | 考えたこと | 20:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
Google Drive
グーグルの新しいサービスがGoogle Drive。

無料で5GBのネット上のドライブを使える。
必要になれば、追加で購入もできるらしい。

ドライブをインストールすると、フォルダができる。
そのフォルダにファイルを入れると、ネット上に保管される。
職場にあるファイルを家でも使いたい、というときに今まではメールで自分宛に送ったりしていた。
しかし、もうそんなことはしなくていい。
グーグルドライブフォルダに入れるだけ。

しかし、何でも無料だから驚く。

グーグルメール、グーグルカレンダー、グーグルドライブ…。
便利だ。
それらはすべてスマートフォンでも同じように使える。
スケジュールの共有も簡単。
ファイルの共有も簡単。

よくできている。

しかし、こういうものを使っていると、グーグルに自動的に個人の趣味や好きなものなどがわかっていく。
そして、ネットで検索して出てくるページがカスタマイズされるらしい。
知らぬ間に、自分の好みの情報を選別して出される。
スゴイ技術だ。

その絡みで、日本語変換も使われるのだろう。
日本語で書かれたものの意味を理解しないといけない。
翻訳も同じ事だ。
まったくのボランティアで、日本語変換や翻訳してくれているわけではない。

しかし、グーグルを使い始めると、もう止まらない。

長いものには巻かれようと思う。


| | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
2015年7月14日
7月14日というと、フランスの独立記念日。パリ祭だ。

2015年のその日に、探査機ニューホライズンが冥王星の観測をするらしい。
正確には6月〜8月くらいだそうだが…。

失敗したら、百何十年か待たないといけない。
公転周期は250年もある。

水金地火木土天海冥という太陽系の惑星。
何年か前に惑星の定義が制定され、冥王星は正確には惑星ではなくなったのだが…。
この星はアメリカ人が発見したので、アメリカではブーイングだったと思う。

大きな衛星があり、それと対で回っている。(大きいといっても両方とも月より小さいのだが)

火星の写真は見たが、冥王星の写真はどんなだろうか。
今から楽しみだ。

wikipediaによると、観測データーは一旦フラッシュメモリーに入れて、数ヶ月かけて地球に送られるとのこと。
通信も冥王星となると大変だ。
ということは、2015年7月15日に最接近するとしても、画像が見られるのは9月くらいになるか。

このニューホライズンズには、この惑星を発見したアメリカ人、クライド・トンボー氏の遺灰が載せられているらしい。
なかなか粋なはからいだと思う。

来る日も来る日も星の写真を見続け、ついに動く点を発見したというトンボー氏は、アメリカのヒーローだったのだろう。

日本なら、くさばのかげで…というところだが、この場合は何というのだろうか。

自分が発見した惑星を見ながら、太陽系の外に出ていくことになっている。

スゴイなあ。


| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
カモフラージュ
カモフラージュという言葉、わりと一般的に使われる。

この言葉の響きは、フランス語かなと思って調べたら、やっぱりそうだった。
なぜ、このフランス語が使われるようになったのか。

ネットで調べると、「Camouflage [名] 語源: 仏 camoufler (隠すこと)、1917. 主に軍用の設備をペンキ、ネットや葉っぱ等で偽装すること、迷彩。」と書いてあった。
どうも、軍服の迷彩が始まりらしい。
なぜ、それがフランス語なのか。
まさか、ファッションの国だから、迷彩もフランス仕込みという理由ではないだろう。

しかし、英語でもcamouflageというらしい。
フランス語がそのまま英語になった。rouge(ルージュ)とかと同じようなものだ。

18世紀までの欧州の軍隊は、接近戦が主だったため、迷彩は必要なかったらしい。
それが銃の発達で遠くからでも狙えるようになって、迷彩が必要になった。
しかし、特にフランスが一歩先を行っていたわけではない。

いろいろ調べたが、なぜカモフラージュが使われるようになったのかは不明。

もともと、英語でもカモフラージュと言ったというのが、説得力がある。

そういえば、モンタージュとかいうのも、その類いだろう。
これは英語になっているのかな。



| | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
計画停電2
ぼちぼち暑くなってきた。

今年の夏は計画停電があるかもしれない。
関電が一番原子力にシフトしているから、原発が止まったら苦しいのは当然。

原発に関わらず、電気が止まるとエライことになる。

計画停電になると、何が動いて何が動かないのか。
信号は止まるらしい。
携帯電話は基地局に自家発電がなければ、止まる。
固定電話も止まる公算が高い。
ネットも使えない。
ノートパソコンで無線でネットにつないでいる場合はつながるかもしれないが…。
冷蔵庫は3時間くらいなら、開けなければ大丈夫らしい。
ペットボトルを凍らせて、停電の時間になったら冷蔵室に入れるという手もある。
コンビニは自家発電がないところは、シンドイだろう。
だいたい、コンロを電化してしまっていたら、加熱も無理だ。
冷房も止まるから、お年寄りはシンドイだろう。
高層ビルで窓が開かないところは、サウナのようになるのではないか。
まあ、窓があいても大して変わらないという声もあるが…。
水道も場所によっては止まる。
ガスは大丈夫。
銀行のATMも止まる。

計画停電というくらいだから、一日に何時間か止まるのだろうが、だいたい3時から5時とかになるのだろう。
地域も毎日変わる。

一番いいのは車に乗っていることか。とにかく、冷房はきく。

しかし、暑いだろう。
去年の節電で、冷房28度でも暑かった。
でもまあ、オフィスはまだマシだ。
人間が我慢すれば済む。効率はだいぶ落ちるだろうが…。

こないだも書いたが、電気を使ってモノを作っているところは、やってられないだろう。

クールビズも、今年はだいぶ派手にやらないと…。

しかし、脱原発もいいが、もうちょっとやり方があるだろう。
そう思うのは、ぼくだけか…。


| | 考えたこと | 22:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
漢字
最近の若い人は、携帯を辞書がわりに使う。

電子辞書を使わず、携帯電話を使う。
携帯電話に入っている辞書を使っていればいいのだが、携帯電話の変換機能を使ったりしているらしい。

そのために、漢字の誤用が起こる。

さらに、急いで書かないといけないときは、漢字を使わない。

漢字検定の準2級くらいをとっておいてくれればいいのだが、それもとっていないと、悲惨だ。

ぼくらの頃はそんな検定はなかったが、本を読んだりしてある程度覚えていたと思う。
それが常識というものの範囲を決めている。
「範囲」を「はんい」とひらがなで書かれると、大丈夫か、と思う。

ワープロを使う上でも、ある程度の知識が必要だ。
候補が出てくるが、そのどれを選んだらいいのかということだ。
幸い、書きたいことの意味から、漢字の意味が似ているものを選べる。
「仮定」という言葉は、「仮に何かを定める」という意味だから、候補が家庭、過程、課程、仮定、下底などと出てきても、この場合の「かてい」は「仮定」だとわかればいい。

しかし、その漢字の意味もわからなければ、どれを選んだらいいかわからない。

現代の日本には表音文字としてのひらがな、カタカナがある。
ただ、伝統的に漢字で表される言葉を使ってきた。
特に、抽象的な意味を持っているような言葉は漢語だ。
だから、漢字を使わざるをえない。

もともと中国の言葉では漢字はひとつひとつ音が違う。
だから、仮定と下底は違う発音になる。

しかし、日本語では仮定と下底は同じ音だ。
日本語には同音異義語が山ほどある。
それらはやまとことばではない。要は漢字を使った、外来語だったのだろう。
これは前後の意味から類推しないといけない。
そんな言語は珍しいのではないか。

日本語を豊かにしたのは、漢字である。
漢字があったから、抽象的な概念を表すことができた。

しかし、その弊害として、聞いているだけではわからないようになった。
だから、漢字を覚えなければいけないのだ。
やまほどある同音異義語を、類推できないといけない。

そんな特殊な言語を使っているのが、日本人。

だから、漢字の学習は大事なのだ。



| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
オトナになること
オトナになることは難しくなった。
もちろん、ぼくらの時代に比べての話である。

世の中が複雑になったということが原因だろう。
高校を、大学を出たら働くのが当たり前、という時代は、それなりに悩みはしたが、とにかくみんな就職した。
中学を出て働く人が金の卵と言われた時代。
いやも応もなかった。
それが当たり前だった。
そして働く場所があった。
外国人との競争もなく、右肩上がりの経済のなかで、とにかく働く場所があった。
働いているうちに、オトナになった。

今はそういう時代ではない。

国内の事業が人口減やエネルギー不足、高い税率などを嫌って、海外に出て行く。
IT化で少ない人数でもやっていけるようになったので、コンピューターでできるような仕事は人間は要らない。
アジアの市場に出て行くために、アジア人も雇う。
どんどん働く場所が減っていく。

そういう時代だ。
だから、今の若い人は気の毒だと思う。

オトナになる時間がない。

働く場所が減って、オトナになれない人が増えた。
そして、運よく職があっても、そこで即戦力として働かなくてはならない。
期待は大きいのだ。
そんな状態で、離職率が上がっているらしい。

オトナになる時間がないのに加えて、さらにオトナになれない。

おまけに、個性は大事だから伸ばせなどという時代。
だから、型にはまるのをいやがる。
20歳そこそこで、個性などあるわけがない。
養老先生が言っていたが、とにかく型にはめようとして何年も過ごし、それでも型にはまらないものが個性だろう。
数年で、自分の型にはまらないから、と言ってやめるのは間違っているのだが、幼い時からそういうふうに教えられてきたのだから、仕方がない。

いったい誰が責任を取るのだろうか。

オトナになれない人たちが増えている。

それは、今のオトナのせいだろう。



| | 考えたこと | 00:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
さくら
一昨日カラオケに行ったのだが、「さくら」という曲がたくさんあるのに驚いた。

Uta-Netという歌詞サイトで「さくら」という曲を検索すると、71曲もあった。
新着順で表示して、最初の20曲はどれも知らない。
カバーの曲も多いのだが、「さくら」「sakura」「桜」「櫻」などの曲名がこんなにたくさんあるとは思わなかった。
当然、Uta-Netに登録されていない歌もあるだろう。
ぼくが知っていたのは、森山直太朗、ケツメイシ、いきものがかりくらいだった。

こんなにたくさんの「さくら」という曲が作られているとは…。

そういえば、チェリーという曲もあったなあ。

やっぱり「さくら」には、特別な思い入れがあるようだ。
ちょうど入学式や卒業式のシーズンでもあるし、入社のシーズンでもある。
人生の節目には「さくら」が関わっている。

「サクラサク」「サクラチル」といえば、合格電報の決まり文句。
今はインターネットになったが、昔は学生がアルバイトで代わりに見に行って打ったりしていた。

大学のグローバル化で9月入学を、というがどうもピンとこない。
日本の大学に留学しようと思うと、半年ずれるから、ということだが…。

しかし、どうしても「さくら」がひっかかる。

ワシントンのポトマック河畔に植えられたさくらの下では、花見の宴会はやらないらしい。
やっぱり、「さくら」に反応するのは、日本の文化なのだろう。

あの、ぱっと咲いて、ぱっと散る、それが人生の無常を象徴しているのかもしれない。


| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
SSD
SSDとは、Solid State Driveの略。

ハードディスクの代わりである。
でも、ハードディスクはモーターで回るので、電気を食う。
SSDは回転したりしないので、電気を食わない。
そのうえ、読み出しや書き込みが早くなる。
そして、可動部分がないから、衝撃に強い。

いいことづくめである。
しかし、値段が高かった。

でも、値段がだんだん下がってきた。
チェックして見ると、120GBで1万5千円くらいになった。
これは一度買って、つけてみよう、ということになってアマゾンで注文した。
一緒に外したハードディスクを使うためのボックスを900円ほどで注文。
これはハードディスクのデーターをコピーするときにも必要だ。

WEBにハードディスクの交換の仕方が書いてあったので、それを見ながら作業。
インテルのホームページから、今のディスクのデーターをSSDにコピーするソフトをダウンロードして、移し替える。
SSDをボックスに入れて、USBにつないでソフトを起動すると、自動的にコピーされる。

それからハードディスクを外して、SSDと入れ替え。
いろいろと失敗したので、2時間ほどかかった。

でも無事にSSDで立ち上がった。

立ち上がりと終了はだいぶ早くなった。
何となく全体がキビキビ動く。

しかし、最初にパソコンを買った時のハードディスクが36MB。
今のSSDが120GB。
すごい進歩だ。

半導体の進歩の経験則にムーアの法則というのがある。
コンピューターで使われる半導体は、およそ18ヶ月で集積度が倍になる、というものだ。
いつかこの法則が破れる時が来る、と言われているが、まだ来ない。

えらいものだ。



| | 考えたこと | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
日付
日付がわからない。

老眼がひどくなって、時計の日付表示が見えなくなった。
日付というのは、ノートにメモを取るときに必要だ。
そのたびに、時計を見るのだが、日付が見えない。
どこに日付が書いてあるのかはわかるのだが、その数字が見えない。

これは困った。
今日は何日、というのは意外とどこにも出ていない。
カレンダーを見ても、今日が何日かはわからない。
数字が並んでいるだけだ。

昔は時計の文字は見えた。
デジタル時計を長いこと使っていたが、日付はいつも時計で確認できた。
この1年ほどギリギリのところで頑張っていたのだが、ついに限界が来た。

長いこと日付は時計で確認してきたので、その癖が抜けない。

1回目の退職記念に買った時計は、とても細かい文字盤で、ほとんど見えない。
気に入っているのだが、曜日や日付を確認しようとすると、老眼鏡が必要になる。

どうにかしたいと思っている。

日付の字の大きい時計を探しているのだが、なかなかない。
そう考えてみると、時計も若者向けにできている。
今流行のクロノグラフなど、老眼が進むとほとんど使えない。
単なるファッションだろう。
もともとそういうものだ、と割りきっていれば、それでいいのだろうが、ぼくは腕時計は実用品だと思っている。
だから、どうしても日付の見える時計が必要だ。

ダブルデイトといって、日付の文字盤が2つあり、普通の時計の倍あるものも見てみたが、今ひとつデザインが悪い。
無理があるのだろう。

というワケで今探し中である。

年をとると、いろいろと規格外になってしまう。


| | 考えたこと | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
あまりにも…
昨日仕事から帰って、晩飯を食べるときに家族がテレビを見ていた。

その番組でやっていたのは、男の芸人にいろんなシチュエーションを与え、そこにふさわしい私服を選んで実際に着てみる、ということ。
それを女性4人ほどで評価する。

評価が辛口で面白いのは面白いのだが、だいたいこんな番組を8時台に流して何の意味があるのか。

面白いからいいだろう、というのだが、あまりにも下らなすぎる。
夜中の12時過ぎにやるのなら、まだ許せるのだが、まだ世間ではみんなが起きていて、テレビを見ている時間だ。

20年前なら、間違いなくこの企画は深夜枠だった。
それが、テレビ局の残り少ない良識だった。
今や8時台のゴールデンタイムだ。

製作者はどういう意図で作っているのだろうか。
面白ければそれでいい、と思っているのだろうか。

公共の電波を使って流す番組である。
流す価値があるのか、という問いは製作者の良識であろう。

まさに、安くなり、誰もが手に入れることができるようになった材は、品質はどうでもよくなるという法則に従っている。
実際、出演者のギャラなどしれている。
みんなお笑い芸人だ。(お笑い芸人を馬鹿にしているのではないが、もうちょっと番組を選ぶべきだ)
だいたい、最近のお笑い芸人は楽屋落ちの笑いしかできない。
一発勝負の笑いはめったにない。
値段を下げて、思い切り品質を落したのだ。

あまりにもひどすぎる。
やる番組がないなら、放送をやめればいい。
民放の数は2局もあったら十分ではないか。
もう宣伝もインターネットになってきたし…。

即時性、わかりやすさというテレビの役割はもう終わった。

あまりにもひどすぎる。

もうやめてくれ。



| | 考えたこと | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
計画停電
関西電力は原発の比率が高いから、関西はこの夏計画停電になる可能性が高い。

一時はGNPが世界2位で、エネルギーのことなど心配することもなかった国が、こんなことになるとは思わなかった。

ちょうど80年代の終わりごろ、中国で一部の自動車メーカーが合弁などで車を作り始めた。
しかし、時々ラインが止まる。
それは、停電のためだ。
中国はまだまだインフラが整っていないなあ、と思った。

しかし、30年後に日本で電気が止まるとは…。

そうでなくても、電気代が上がって、企業が出ていく。
おまけに電気が止まるとなると、莫大な損害が出る。
工場が止まる、ということは大変なことだ。
止まったところから、数時間して動いても、製造途中の仕掛品は使えなかったりする。
こんなところで作ってはいられない…、と思うのは当然だ。

原発を止めようという意見が過半数なら、それも仕方がない。
日本人はエライと思う。
アメリカではどうして関係ない原発まで止めるのか、という人もいるらしい。

安全とわかるまでは動かさない、という決定もありだろう。
完全な安全はないから、何をもって安全というのか、決めてほしい。
断層があるのがわかって、やっぱり危険だという意見もありだろう。
天災はいつ起こるかわからない。
明日起こってもおかしくないのだ。

しかし、一度出ていった企業は戻らない。
一度なくなった雇用も戻らない。

ちゃんと手順を決めて、どうやったら再稼働できるのか、それを決めてほしい。
再稼働できないなら、どうやってエネルギーを確保するのか、それも役人か政府に説明してほしい。

暑くなってからでは遅い。

いったい、誰が決めるのか。
誰か、何とかしないと、本当にむちゃくちゃになるぞ。

毎年夏は我慢大会になる。
年寄りは熱中症で危ない。


昔どこかで読んだが、自然を守れ、という団体が海岸の開発に反対するということで、その浜辺に来て、テントにはいったら「蚊がいるから、泊まれない」と言ったらしい。

まさか、今回はそんなことはないだろうが…。



| | 考えたこと | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |