考えたこと2

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Fender Japan
ニューズウィークの記事に「ギター人気復活を導く「スーパークール」な和製ギター」という見出しの記事があった。
MIYABIというギタリストが今世界中で人気らしいが、その写真が出ている。

ライブ映像を見てみたが、ちょうどベースのスラップ(昔で言うチョッパー)の激しいやつ、という感じのギターが特徴。
親指を反らせて低い音を弾き、残りの指を使って高い音を出す。
ああいう弾き方はピックを使ってはできないだろう。
音の数が多く、ビートを刻みながら、高い音をアクセントに出すという感じ。
ライブを見ていると、ギターを弾くというより叩いている。

テレキャスターというフェンダーのモデルにセンターピックアップをつけたものを使っていた。
なんと世界ツアーもやっているらしい。
すごいギタリストが日本にいたのだ。

2年前にフェンダーのCEOがギター不振に危機感を持って、いろんなことを始めた。
ギブソンは会社更生法の適用もされた。
「ロックは死んだ」という宣告もあった。
それが今はウソみたいだという。

80年代以降、エレキギターの人気がなくなり、苦しい時期を経たが、ここにきてギター産業はようやく息を吹き返したということだ。
そういえば、フェンダーの宣伝で最近フェンダージャパンのものが増えた。
力を入れているし、値段もだんだんと上がってきた。
フェンダーの中で、日本製は格落ち、という感じだったが今やジャパンプレミアムだ。
フェンダーのCEO自身が、「市場は毎年拡大している。エレキギターは死んだなんて話、今じゃ犬も食わないぞ」と記事の中で言っている。

2018年はちょうど底だったということか。
それでも、ギター業界が努力したから復活したという面もあるだろう。

2019年に4億5000万ドルだった市場規模は25年には5億4690万ドルに達する見込みだという。
めでたい話だ。
ギターは持ち運びが楽で、どこでも弾けるので、一般の人たちがYoutubeでギターを弾く動画も増えているとのこと。
なかでも、アジア市場は若い人たちも多く、市場規模としても大きい。
日本はアジア市場の中でギター先進国でもある。

最初はアメリカ製のコピーから始まって、1982年にはフェンダーが日本に生産拠点を持つまでになった。
フジゲンという会社がジャパンフェンダーを作っている。
日本の丁寧なギター作りが評価されたということだ。

おまけに、横山健とかチバユウスケというギタリストがバンドのコンサートで最大10万人のファンを呼べるという。
2人はもう中年ギタリストだ。
昔ながらのロッカーという感じ。
2人ともグレッチというフェンダーの傘下のセミアコがメイン。

今や中国の通販サイトでも、日本製のギターは評判がいいらしい。
えらいものだ。

ようやくギターの売れ行きは戻っていくようだが、ぼくはそれを牽引するギタリストたちを知らない。

そこが情けない。



| | 考えたこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
生物との出会い
高校1年の時、担任の先生が生物の担当だった関係で、生物がわりと好きだったことは以前書いた。

今日の午前中散歩していたら、突然「カンパチコ」という言葉を思い出した。
担任の井上先生はいかにも関西人という感じだった。
生物は高校1年生の1年間、週1時間やってそれで終わりだったと思う。
たしか、月曜の7時間目だった。

最初に細胞の構造をやったような気がする。
なぜ「カンパチコ」という言葉が出てきたのか、思い出せないが、多分人間の身体は水でできているという話だったか。
それがなくなると、カラカラに乾く。
その状態を「カンパチコ」になる、と言ってたような気がする。

高校に入って、わりとすぐの時期だった。
すぐに先生のあだ名は「カンパチコ」になった。

それまで「新陳代謝」と言っていたものを「物質交代」と定義をした。
ちょうど学会では新しい分子生物学などが主流になってきたからだろう。
残念ながら、「物質交代」はあまり広まらなかった。
ぼくが会社に入っても、まだ新陳代謝という言葉だったと思う。
いまだに、物質交代という言葉を聞かない。

ちょうど生物学が曲がり角だったから、試行錯誤の言葉だったんだと思う。
先生は、以前は「新陳代謝」と言ってたが、これからは「物質交代」というんや、という説明をした。

ぼくはこの「物質交代」という言葉がかっこよくて好きだった。
生物は生きていくために何かを身体に入れる。
それを取り込んで、要らなくなったものを捨てる。
それが「物質交代」だ。

物質交代がなくなると、生物は死ぬ。
死んだらカンパチコになる。
黒板いっぱいを使って、汚い字で板書していた。
生物学の面白さを教えてくれた。

「カンパチコ」が懐かしい。



| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスゴミ
ニュースを見ていたら、身内がコロナにかかった人(本人は陰性)が出てきた。
いわれのない差別で勤め先を変わったとのこと。
もといた職場の人達から、「感染が怖い」という声が出て、職場に行けなかったらしい。

一応、コロナの被害者という感じで報道していたが、明らかに差別するほうが悪い。
それなのに、本人の「職場を変わらざるを得なかった」というコメントだけで終わる。
これでいいのだろうか。

マスコミがさんざんコロナは怖い、と煽ったからこういうことが起こったと言ってもいい。
毎日累積グラフを見せて、増えた増えたと騒ぐ。
当たり前だ。
累積のグラフだから増えることはあっても減るはずがない。

感染者が増えたことは言うが、ほとんどが無症状か軽症だとは言わない。
年代別にみて、高齢者がハイリスクで、10代、20代がローリスクなんて言わない。
医療崩壊というけれど、感染症法のせいで軽症や無症状で入院している人が多いことも言わない。
死んでいるのは70代、80代の人が多いことも言わない。

おまけにイタリア、スペイン、イギリス、アメリカなど、死者が多い国の悲惨な状況を紹介するが、死者の数の比較をして、日本が2桁違うことなど報道しない。
アジアの国々についての報道も同じだ。
アジアの国々は日本よりもさらに死者が少なかったりする。

今頃になって欧米とは2桁違う死者数のことを、彼ら自身が言い始めると、ようやくなぜ少ないのかということをちょっと言う。
そうかと思ったら、またクラスター、第二波、ということになった。
今頃クラスターなど追いかけても…と思う。

マスコミは事実を報道するのではなく、気分を報道する。
センセーショナルなことを言ったほうが視聴率が稼げる。
危ない、怖い、検査しろということばかり。
だいたい、治療法も確立しておらず、薬もないのに、なんで検査をしないといけないのか。
検査をして、どうなるというのか。
不安を消すためだけに検査をしても仕方がない。

いわれのない差別を受けたのなら、それこそマスコミが「そんなことは馬鹿げている」「差別はしてはいけない」というコメントくらい出せばいい。
どうせ自分たちに都合のいいコメントを切り取ってストーリーを作っているのだから、簡単なことだ。

スウェーデンではずっと義務教育を開けているらしい。
それでも、10代未満で1人死んだだけで、10代は1人も死んでいない。
そういうことは報道しない。

ある一定数コロナに感染しないと、流行は終わらない。
それがどういう比率かはわからないが、感染が増えないと終わらないのだ。
ローリスクの人たちは活動を続けるという方針で、初期こそ死者は多かったが今は欧州他国と変わらない。

日本は桁違いに死者が少なく、10代以下は死者ゼロでかかっても軽症か無症状。
それでも、学校は密を避けて分散登校したりしている。

専門家はもっと事実に基づいて発言すべきだろう。
そんな馬鹿なことはやめよう、ということだ。

インフルエンザと比較してみればいい。
昨シーズンは3000人が死んでいる。
感染症としてはこちらの方が規模が大きいのだ。
でも、そんなことは専門家もマスコミも言わない。
会見で質問もしない。

一体どうなっているのかと思う。

| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
対面授業
ツイッターを見ていたら、大学の対面授業をやる上での標準的な指標みたいなものがあった。
どこから取ってきたかは定かではないが、概ねこういう感じになるだろうという。

1.対面による授業以外の方法で実施することが困難な科目であること

2.教室の収容定員に対して実際の教室で受講する学生の割合を60%以下にできること、かつ、登録者数100人超の科目については、教室で受講する学生数を60人以下にできること。

3.30分に1回程度、換気が実施できること。

4.前後ならびに隣の人との距離を確保し、座席を1つ以上空けた上で、指定した座席に着席させることができること。

5.近距離での会話や発声および機器の共有がほとんど生じないこと。

6.教室で受講する学生へのマスク着用の義務付けや教室入室前後の手洗い・消毒の指示など教室で受講する学生の衛生管理を十分に行うことができること。

7.対面による授業を実施する際に、教室で受講できない学生に対して、これに代わる対応ができること。

8.対面による授業の実施後でも、再度対面授業が禁止される事態になった場合には、特例授業へ転換することができること。

この8項目。

全ての大学関係者が認めているものでもないし、公式なものでもないが、まあそういうことだろうと思う。
大学は感染者を出すことが怖いのだ。

ぼくは大学で働いている時に、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の話を聞いた。
彼らは自分たちの大学の価値はなんだろう、という議論をしたらしい。
そして、その価値は授業の内容そのものではなく、優秀な学生がこの大学に集まり(全寮制らしい)、そこで授業を通して、教員とのつながりができ、そこで化学変化が起きていろんな研究ができるようになる、ということだった。
それ故、MITの授業内容をインターネットで公開し、それを無料で使ってもいいということにした。
オープンコースウェアという名称で、いまでは大きく広がっている。
授業そのものを公開している大学もあるという。

MITのスタッフは、MITが一つの共同体であることに価値があるのだ、と結論したのだと思う。
この話を聞いたのが、2005年くらいだったが、このオープンコースウェアは2003年に立ち上がっている。

この8項目の内容を見て、MITの人たちは何と言うだろうか。
2番め以降はついでの項目だと思う。
1番目を見て、彼らはどう言うのだろうか、とぼくは思う。

こんな標準を作って、大学の価値はあるのだろうか。

情けないことだと思う。

| | 考えたこと | 20:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラウザの改善
ぼくが使っているブラウザはChromeだ。
Googleと心中すると決めた以上、Chromeを使うのがベスト。
今ではシェアも一位になって、マイクロソフトとも連携した。

最近、ページを表示し終わるまでに時間がかかることが増えた。
見ていると、ページの見たい部分は表示し終わっているのに、まだダウンロードが続いている。
どうも、重い広告が増えて、その表示に時間がかかっているのだ。

以前のように、簡単に表示できる広告が減って、動画だったり、自分が過去に見たものに従って表示されるターゲッティング広告も複雑になってきたと思う。
テレビでいえば、CMの時間がどんどん増えている、ということだ。

この状況を改善するために、Chromeが改善されるらしい。
8月の後半から導入されるという。

Googleによると、ネットワーク上で4MB、あるいはCPUを60秒間使用する広告が、ブロックされるようになる。
これに該当する広告は全体の0.3%しかないにもかかわらず、27%ものネットワークリソースと28%ものCPU使用率になるらしい。

これはさすがに公共の利益を損ねている。
今やインターネットは公共のインフラだ。

こういう改善をちゃんとやるから、Googleは信頼されるのだと思う。
広告で儲けていても、かまわない。
そのおかげで、ぼくらは便利なツールを使うことができる。

早く改善版が出てほしい。


| | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい生活様式
こないだ近所の信用金庫に行ったら、ビックリした。
1階はATMと受付だけなのだが、その受付のおばちゃんがフルフェイスのシールドを付けて、マスクをしての対応。
おまけに、まずここで伝票を書いてから2階の窓口に行ってくださいとのこと。
そこで用向きを言って、伝票を書く。

2階に行って、窓口の人たちもみんなフルフェイスの状態で、唖然とする。
これが日本か、と目を疑う光景。
信金だから、顧客が年寄りが多くて、要望があったのかもしれないがあんな体制の会社があるとはビックリだ。

思わず写真を撮りたくなったが、さすがに控えた。
もう解除の宣言が出ようとしているのに、あんな格好でやっているとは…。
あの格好を評価する人もいるから、やってるんだろうか。
これが、新しい生活様式、というやつだと思ってるんだろうか。

しかし、逆に文句を言う人はいないんだろうか。
あのものものしさに引いてしまう。

銀行といい、食堂といい、人が寄る場所はだいたい空いているが、いつまで続くんだろう。
まあ、世の中に不要不急と言われたら、そうでないことの方が少ない、ということがよくわかった。
これも新しい生活様式なのか。

病院も閑古鳥が鳴いて、経営難のところもありそうだとのこと。
やはり、病院の待合室は老人サロンになっていたのかと思う。
大幅に医療費も削減できそうだ。
この新しい生活様式は良いことだ。

学校だって、本当に行きたくない学生がたくさんいるんだなあと思う。
Twitterとかで「学校に行きたい」というトレンドなど全くない。
これをどう捉えたらいいのか…。

ぼくが学生だったら、これだけ休みが続くと、友達に会いたいとか思うけどなあ。
今の学校がよほど児童生徒にとって行きたくない場所なのかとも思う。
まあ、今はSNSがあるから、それで繋がっているのかもしれない。
これは新しい生活様式だ。

政治家も、票がたくさん入る高齢者を大事にしたいのだろう。
子供を家にいさせるよりは、ハイリスクの老人を家にいさせて、経済を回すためにローリスクの若い人たちは外で自由にする方がいいのは明らかだと思う。
実際、70代、80代の老人の死亡者が圧倒的に多いのだから。

そもそも、ロックダウンした国の感染者数も、何もしないスウェーデンの感染者数もそれほど変わらない。
なのに、なぜ生活様式まで変えないといけないのか。
ちゃんとデーターで示してほしいものだ。

それができないのは、政治家がバカなのだろうか。

昔の政治家はもうちょっと賢かったと思うのだが…。



| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
Go Mixer Pro
ギターのレッスンに使おうと思って、Go Mixer Proという映像と音を扱えるミキサーを買った。
ヨドバシに注文してから、1ヶ月以上かかって着いた。
これはスマホで絵と音を撮って、重ねることができるもの。
みんな家にいるから、注文が増えたのか、それともサプライチェーンが切れたのか…。

仕事で使っているiPadを使うと、4つの音入りの画像を1画面の画像に結合することができる。
これを使えば、ギターの練習をして、歌を入れて、さらに追加でベースを入れたり、伴奏を入れたりすることができる。

コロナの影響で敬老会のコンサートも中止になって、なかなか発表の場がない昨今。
身内の人たち限定で、Youtubeの動画を見せてあげたらいい発表の場になる。
このサービスを売りにして、口コミで生徒が増えるかもしれないという算段もある。

さらに、趣味として多重録音をしたい。
4つの音を重ねて、コーラスをしたり、ベースを入れたりできる。

昨日届いたのでやってみたが、こんなに簡単にできるのか、とびっくりした。
おまけに動画まで撮ることができる。
スマホやタブレットというのはすごいデバイスだ。
あんなに小さいのに、カメラもきれいに撮れる。

若い頃、ミュージシャンが一人多重演奏をしているのを見て、こんなのができたらなあと思っていた。
どんどん機材がよくなって、カセットテープがデジタルになって小さくなってきた。
それでも、専用の機材を揃えて、実際に録るのは面倒になって遠ざかっていた。

しかし、教室も始めたことだし、もう一度やってみようと思って買った。

アマゾンでマイクスタンドも買ったし、マイクは前から持っている。
これで役者は揃った。

あとは練習して実際に録るのみ。

やってみよう。



| | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
偲ぶ会
毎年やっている会合がいくつかコロナ自粛でなくなった。
数年続いていた、実験の同窓会や亡くなったSさんを偲ぶ会。

Sさんを偲ぶ会は長いこと続いていたが、今年はさすがに会社の持っている宴会場が閉鎖になって、できなかった。
毎年5月になると思い出す。

ちょうど、福知山線の事故の時だった。
実際にはいつ亡くなったのか、ぼくは知らないが、あの追悼のニュースが出るたびに思い出す。

Sさんが生きていれば、今のぼくの仕事を聞いて、どういうだろうと思う。
朝は11時に行けばいいし、夕方は6時までだが、じっと机に座って学生が来るのを待って、相談に乗る、という楽チンな仕事だから、いい仕事を見つけたなあ、と言ってくれるだろうか。

ぼくは三十数年前に英検の準1級を取ったが、大学に行ってからは英語を使うこともなく、もうほとんど錆び付いてしまった。
もう1回英会話教室に通って勉強してみようかとも思うが、やったところで今ではGoogle翻訳もあるし、あんまり役に立たない。
外国人の友達がいるわけでもないし。

でも、Sさんはすごかった。
分厚い辞書を買って、英語の表現を趣味として勉強していた。
ぼくも1冊、形見でいただいた。

一番仕事で英語を使っていた頃、ぼくは英語のドラマを録音して聴いていた。
吹替で見て、その言語の方を録音して聴く、というやり方。
1週間ごとに新しいエピソードに変わるのだが、1週間聴いていると、突然わかる言葉もあった。
ニューヨークが舞台で、すごく滑らかな英語だった。
子音がはっきりしない英語で、Sさんの得意な米語だったと思う。
米語では、“t“の発音が“l”になる、というのはSさんから聞いて知った知識。

Sさんが生きていたら、という「たら」の思いにかられる。

仕事に「たられば」は禁物なのだが…。



| | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
死生観
以前、インフォームド・コンセントのことについて書いた。
生死を扱う医師が持っている死生観がわからない。
持っていても、それを表明しない。

死生観というものは、当然個人個人で違うものだが、スウェーデンのように80歳を超えたら延命治療はしない、ということが国民のコンセンサスになっているところもある。

今の風潮は、命は何が何でも助けるもの、ということだと思う。
命は地球より重い、とかいう言葉もある。
何より命は大事だ、というものだ。

コロナで経済が停滞し、不景気になったら人が死ぬからというと、それは何とかなるけど、コロナはなんともならないから、自粛を続ける方がいいという人もいる。
ヨーロッパもアメリカも、それに気づいて早めに解除をしているが、日本はどう考えても基準を下回っているのに自粛継続したりする。
今回のコロナ不況は人災だと思うが、仕事が減り、収入がなくなり、首をくくる人も出てくるだろう。
言い方は悪いが、そんなにコロナから命を守ることが大事なんだろうか。

哲学者の池田晶子は「単に長生きすることはいいことではない、善く生きることに意味があるのだ」と言った。
チューブにつながれて、食事もできない状態は虐待だという意見もある。

ある医師は、死んだら年金が入らないから、なんとしても生かしてくれと家族から言われると断れない、という。
もちろん、本人は意識はなかったり、植物人間状態だったりする。
こういうことを放置していいのだろうか。

今回のコロナでも、人工呼吸器につないだところで、3日とか1週間とかの延命になるような高齢者も多いと聞く。
まだ平均寿命に30年もある人が、高齢者の3日の延命のために人工呼吸器を使えずに、死んでもいいのだろうか。
残念ながら、そういうことを議論する雰囲気もない。

こないだ同調圧力でも書いたが、日本のマスコミは生死に関して何かを決めるのを嫌がる。
テレビは高齢者しか見ていないからだろうか。

もう日本に健全なジャーナリズムというものがなくなった、と友人が言っていたが、そのとおりだと思う。

もっと国民が賢くならないといけないと思うが、教育は軽視されている。
未だに学校は従来通り開けない。
10代以下、10代の感染率や症状を考えたら、なんの問題もないはず。
こういうことだけ、ヨーロッパに見習わない。
何度も書くが、もっと死者も多い国でも学校はやっているのだ。

ただ生きるためではなく、善く生きるために必要なのが、学ぶことだと思う。
本当に何とかならないのか。


| | 考えたこと | 21:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
スウェーデンの路線
スウェーデンは欧州で都市封鎖をせず、コロナの流行のさなかでも学校を開き、店の営業も続けている。
他の国とは違って、50人以上の集会は禁止され、不要不急の移動や高齢者との接触を避けるように、という勧告はあるが、レストランやバーは着席スタイルならOK。
買い物は普段どおりにできるし、経済は普通に回っている。
高校、大学はオンラインでの授業だが、16歳未満の子供は学校や保育園に通っている。
ちゃんと年代別の感染者数や重症化率を見ているのだろう。

しかし、感染者や死亡者はやはり多い。
死者が3600人ほどで、隣国のノルウェーと比べると感染者が2倍、死者が8倍、死亡率も約4倍とのこと。

もともとスウェーデンでは老人の延命治療は虐待だと言われていて、無理に生かすようなことはしない。
それが国民のコンセンサスだという。
そういうことも相まって、死者数が増えているのだろう。

現状は知らないが、スウェーデン在住の日本人が見たスウェーデン政府の対応の記事を見た。
それによると、まずは記者会見で語られる情報の透明性が高いということ。
感染者数、死者の推移、リスクのある人たちの分析など、感染自体の情報や空きベッド数などの情報を毎日公開したということだ。
それをYoutubeで流し、後でも見ることができるということ。
そして、それに出席する記者も的を射た質問をするということだ。日本の記者のように、恐怖を煽るばかりのような質問はしない。
記者のリテラシーも高いのだ。

次に、科学的根拠に終始するということ。
記者会見の質疑応答で、政策批判の質問も出るが、それに対して科学的根拠と国が把握している情報に基づいて質問に答えるという。
国家主席疫学者が顔色変えずに説明するらしい。
日本とエライ違いだ。

さらに、失敗は認め、すぐに対処するということ。
当初高齢者施設で集団感染が発生し、死亡者の1/3がそのために亡くなったらしい。
そういう問題が起こっても、すぐに発表し、対処する、という姿勢を貫いている。

次に、ファクトチェックの精神だという。
これは「正しい情報を見極めて、情報に躍らされないように」ということが、国レベルで教育も含めて共有されているということ。
特にマスコミやインターネット上の何が正しいのか、ということを各人がちゃんと自分の頭で考える、という習慣ができているということらしい。

この原則でいくと、日本の専門家会議やマスコミなど総崩れだろう。
ファクトでは日本の死者数は圧倒的に低くても、海外との比較の話などせず、そういう問題意識も提起しない。
コロナに対する恐怖心を煽れば視聴率が取れる、ということでその方向で突っ走った。
最初は安全サイドで仕方なかったとしても、明らかにやりすぎだろう。

そして、記事もあったが、なにより国民が政府を信頼しているということ。
これが日本では難しい。

優れた国民は優れた指導者を選び、そうでない国民は…。




| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
水戸黄門
最近、ニュースを見るとバカバカしいので見ないようにしている。
そうすると、夕食の時間に寂しいので、テレビをつけるのに選んだのが、BSでやっている再放送の「水戸黄門」。

ワイドサイズでない放送なので、かなり昔のものだ。
水戸黄門をやっているのは佐野浅夫。
あおい輝彦が助さんをやっている。
調べてみると、90年代の番組らしい。
20年以上前の番組だ。

若い頃は、ワンパターンで決まり切った展開がバカらしくて、全く見なかった。
友人でこの番組のファンがいて、あの印籠を出す場面が最高だ、と言っていたのを思い出す。
どこが面白いねん、と思っていたが、今見るとよくできた番組だ。

偉大なるワンパターン。
完璧な勧善懲悪。
無駄の美学。

当たり前だが、今見ても全く古さを感じない。
元々古いからだ。

黄門が「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」というのがきっかけ。
そこからが大団円だ。
助さん、格さんに加えて風車の弥七などが悪役連中を相手に大活躍。
いいかげんやったところで、また黄門が「助さん、格さん、もういいでしょう」という。
そこでお決まりの音楽が流れ、葵の紋の印籠を出し、「静まれ、静まれ、このお方をどなたと心得る、先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ。皆のもの頭が高い」という決め台詞。
そこで、散々悪事をやってきた悪者たちが、へへー、と平伏する。
このカタルシスが中毒になる。

どこからみてもストーリーはわかる。

なんで最初から印籠を出して収めないのかとか、どこらへんが「もういいでしょう」なのかとか、ツッコミどころは満載だ。
それでも、そんな不合理や無駄は吹っ飛ばして、見る気にさせるのだ。

日本人の琴線に触れる部分があるから、あれだけ長く続いたのだろう。

一体どこがその「琴線」なのか、それはよくわからないが…。


| | 考えたこと | 20:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校閉鎖?
今回のコロナウィルスは欧米で被害が大きいというのは、ぼちぼち新聞等に載りだした。
さすがに日本は人口あたりで2桁少ない死者数を継続していることが、不思議だということだ。
何が原因かという記事もぼちぼち新聞や雑誌に載り始めた。
ネットの4ヶ月遅れくらいか。

死者数の実数で見ると、イギリスが3万4000人。
5月19日のデーターによると、イタリアが3万1908人、スペインが2万7563人、フランスが2万8111人、ドイツは7962人という状況。
アメリカは8万9562人ということだ。
すごい被害の人数になる。

対する日本はクルーズ船を入れても762人。
昨シーズンのインフルエンザの死者数が3000人ということだから、その1/4だ。

おまけに10代以下、10代は感染者も年代別で最も少ない。
10万人あたりで、1人か2人。
甲子園球場が満員になって、その中の2人以下という数。
ファウルボールが飛んでくる確率よりもかなり低い。

おまけに、感染しても軽症か無症状などの人しかいない。
これで小中高等学校を閉鎖しているのはオカシイのではないか。
よほど文科省は子供に勉強させたくないらしい。

ドイツは死者数が3000人でも、1ヶ月前に学校を含めて国境も開放らしい。
どうしてこんな差がでるのか。
日本では「命が大事」だからだ、という意見はあるが、それはドイツでも同じだろう。
面と向かって「命より大事なものがある」などという政治家はいない。

それでも、ドイツで開放しているのは、それが大事だからという指導者の強い意志があるからだろう。
日本でも大阪では吉村知事が学校を開放したいという意向がある。
国が解除すれば、という条件付きで6月1日から開放ということだ。

結局は国が解除を決めないと、解除できないらしい。
これはどう考えてもおかしい。
吉村知事が文句を言うのもわかる。
自粛要請等の汚れ仕事は県知事がやって、解除は国がするなど、おかしな話。

結局は指導者のレベルの問題なのだろう。
ドイツのメルケル首相は科学者だから、ちゃんと数字を見て、何が安全か自分で判断できる。
対して日本の首相は…。

子供を学校にやりたくない親は、義務教育を放棄したことになるが、それは仕方ない。
勝手にされる子供は気の毒だが…。

でも、どう考えても、学校はすぐにでも開くべきだと思う。

数字を見れば、バカでもわかることだ。



| | 考えたこと | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
いい声
最近、Webを通じた仕事が増えて、自分の声がエコーバックしてヘッドセットから聞こえることが増えた。
誰しも思うことだろうが、自分の声を聞くと、自分で普段聞いている声と違いすぎてびっくりする。
歌手の人たちは、普段自分の聞いている声と違う声を聞いて、どう思うのだろうか。

普段聞き慣れている声は、骨格を通って内耳に至る音が入っているから、みんなに聞こえている声とは違う。
中学校の時、家に初めてテープレコーダーが来て、録音して家族一同驚いたことを思い出す。
みんな自分の声は違うが、家族の声は普通だったので、自分の声はこういう声だと納得した。
ぼくは弟の声と全く違うと思っていたが、よく似ていると言われるのはわかった。

エントリーシートの添削などを頼まれたとき、ぼくは必ずその文章を声に出して読む。
相手に書いたことをもう一度考えてもらうということもあるが、音読することによってより文章が頭に入るし、読んでいる途中に気づくことも多いからだ。
相手も、自分の書いたものを聞いて、気づくこともあるはず。
そういうこともあって、できるだけ「いい声」を出したいのだが、これが難しい。

面接でも、声で元気さややる気をアピールできる。
意外とみんな気をつけていないが、声のトーンは影響が大きい。
面接時の諸注意をすると、声のところでみんなの顔が変わる。

歌の練習をするのに、ボイストレーニング〔ボイトレ〕というのがある。
一度行ってみたいと思う。
あれをやって、いい声になるのだろうか。

と思っていたら、「1日1分朗読」を続けるだけで、話し方も声もよくなる、という記事を見つけた。
そういう本が出ている。
朗読には5つの効果があるという。

1.腹式呼吸になってつやのある声になる。
 朗読は腹式呼吸でやるので、横隔膜を押し下げて肺のスペースを確保するので、自然と「ツヤのあるいい声」になるらしい。

2.喉を傷めず「声がれ」もなくなる。
 よくカラオケで歌いすぎて、次の日に声が出ないということがあるが、それがなくなる。

3.声量をコントロールでき、「伝わる力」が上がる。
 声量がないと、何を言ってるかわからない、という事になりがち。それがなくなる。

4.「声のトーン」を使い分けられる。
 朗読では声のトーンを変えて話すので、トーンを使い分けられるようになる。

5.「自分の最高の声」を見つけられる。 
 そういうことをして、自分の一番いい声を見つけられる。

ということだ。
音読は確かにいいことだと思う。

朗読とどう違うのか、そのへんは本を買わないとわからない。




| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
車のセキュリティ
欧州では2022年に車両の認証時にサイバーセキュリティ対策を盛り込む方針とのこと。
いよいよ、車もネットに繋がる存在になってきた。
すでに、ISOの規格ができていて、それに準拠することが要件になる。

ウィンドウズのアップデートのように、クルマもネットに繋がり、ソフトウェアを更新できるようにしておかなければならない、ということだ。
自動運転になれば、もしもクルマがハッキングされたら、人的、物理的な被害はパソコンの比ではない。
最悪の場合、殺人兵器にもなる。
そういう事態を避けるために、最初からアップデートの仕組みを組み込んでおかないといけない。

日本も自動運転のステップ3を実現しそうだが、このあたりのセキュリティはどうなっているのだろう。
たいがい、欧州やアメリカの規格の後追いだから、同等の規格ができるんだろうなあ。

となると、2022年以降の新車にはもれなく通信機能が付くことになる。
トラックも例外ではないから、長い目で見ると、数千万台分の電波が必要になる。
スゴイ時代になったものだ。
こうなると、自動車メーカーがキャリアになることもあり得るだろう。
クルマのソフトウェアの更新だけなら、夜中にやってもいいだろうが、付加的にいろんなサービスをやり始めるのだろう。
スマホがクルマになれば、また若い人にも訴求することができる。

最新鋭のテスラ(アメリカのEVメーカー)のクルマなどは、部品点数を減らすために、一つのコンピューターでいろんな制御を行っているらしい。
まさにパソコンがクルマになったようなものだ。

関連する部品メーカーは大変だろう。
今まで考えていなかったような不連続の変化になる。
だいたい、その規格に対応するために、何をしたらいいかわからないだろう。
どんな部品がどのように関わるか、わからないからだ。
最近はヘッドランプにも電子制御ユニットが組み込まれているそうだから、範囲は広くなる。

こういうのは欧米が強い。
ISO/SAE21434という規格だが、ISOは国際標準化機構、SAEはアメリカ自動車技術会だから、欧州とアメリカのメーカーが主になって作っている。
今は日本のメーカーも欧米で生産しているから、作成の段階から参加はしていると思うのだが…。

自動車は今の日本の基幹産業だから、なんとかついていかないといけない。
そのためには、サイバーセキュリティ分野に力を入れないといけないのだ。
大学で、そういう分野の研究や教育をやっているところは少ない。
急いで拡充しないと、間に合わないぞ。


| | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
若者の購買行動
今の若い人たちは何かを買う時に、ネットでググって評判を調べたり、価格を調べたりするのだと思っていた。
美容系に関して言えば、それがそうでもないらしい。
彼女らが何を買うかを決める時に見るのは、Instagramだという。

調査会社によると、2018年のデーターではSNSの情報に影響を受けて買い物をする人が半数。
それが15歳から24歳だと64%、25歳から38歳では51%に上がるという。
購買力がある若者を25歳から38歳とすると、その年代がInstagramの影響が大きいということだ。

ぼくは、Instagramは時々見るだけだが、若い人たちは企業の公式アカウントをフォローしているらしい。
楽器メーカーやソニーなどをフォローしてみたが、いろんな動画が出てきた。
要するに、宣伝を見せるということなのだろう。
短いCMを作ったら、まずInstagramにアップすることがフォロアーにとっては宣伝になる。
もともと、気に入ってフォローしているのだから、買ってくれる確率は高い。
文字は見る気がない人たちがメインだから、動画は有効だ。

化粧品などは、文字情報では説得力が低いので、動画はぴったりだ。
ハッシュタグを使えば、化粧品全般をフォローすることができる。

最近の若い女性はYoutubeで化粧を覚えるらしい。
すっぴんからのメークがたくさん投稿されていて、それが参考になるらしい。

要するに、ググるという行為は面倒なのだろう。
出てきた結果は文字だし(最近はYoutubeのリンクが出てきたりするが)、そこからもう一度クリックして表示させるという段階が必要だ。

パラパラとスクロールさせて選んだ動画を再生してみる、ということがやりたいのなら、スマホでInstagramが早い。

企業はどうやって自分を気に入っているユーザーを見つけ、できるだけ効果的な宣伝を打とうとする。
テレビのCMというのはもう時代遅れだろう。
おそらく、どんどん単価が下がっている。

だいいち、若い女性向けの化粧品の宣伝など、ほとんど地上波ではやっていないようだ。
中高年向けの化粧品の宣伝はよく見るが、ちゃんと使い分けているのだろう。

広告媒体のネット化によって、売る方はいろんな戦略を立てているのだ。
Instagramを見ていたら、それがよくわかった。

だからこそ、民放の番組がくだらない番組ばかりになる。
手間がかからず、安い芸人を並べてワチャワチャ言う番組ばかり。
これは仕方がない。

若者の購買行動は今から変わらないだろうなあ。




| | 考えたこと | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
日経BPの仕事
日経BPという会社がある。
日本経済新聞のビジネスパブリケーションという意味で、ホームページを見るとこんなことが書いてある。

「日経BPの強みは、専門分野で役立つ深い情報を発信するターゲットメディアを数多く運営していることです。経営・技術・生活を全方位的にカバーしています。
主要ネットメディア数は24で、合計の月間ページビュー(PV)は1億1300万、来訪者数は2170万MAUに達します。国内の出版社の中ではトップクラスの規模で推移しています。
主要雑誌メディアとしては現在、31の雑誌・ニューズレターを発行。総発行部数は年間2000万部を数えます。
専門性の高い分野をカバーすると共に、読者の属性を正確に把握して読者ニーズにマッチしたコンテンツや広告、セミナーのお知らせなども提供しています。」

日本の新聞社がWebに消極的で遅れているのはその通りだが、日経は別で早くからWebに積極的だった。
若い頃、日経パソコンを一時購読していたが、ああいう雑誌を発刊したのが、IT分野に強い人たちを集めるきっかけになって、早くからWebに積極的に出ていくことができたのだろうと思う。

そういえば、日経なんたらという雑誌が増えた。
ジャンルは、ビジネス・経済・キャリア、企業経営、コンピュータ・インターネット、建築・建設・土木・デザイン、電子・機械・デバイス・自動車、医療・介護・薬局・バイオ、パソコン、趣味・旅行・ライフスタイルという広い範囲。
雑誌、ネットメディアを合わせると、40以上のものを出している。

日経トレンディや日経PC21とかいうのは、本屋でも目に入る雑誌だ。
日経産業新聞などもあるので、専門分野にも強くて、日経エレクトロニクスとか日経ロボティクス、日経クロステック、日経モノづくり、日経メディカルなどもある。
雑誌に掲載するためにインタビューなどをして、常に記者がトレンドをつかんで、勉強もしているのだろう。
普通に売っている文春とか、新潮とかとはだいぶ違う。
日本のメディア界では異色の存在だ。

その日系BPが電気自動車のテスラ「モデル3/モデルS」という最新モデルの「徹底分解シリーズ」をやっている。
責任者の宣伝文句がこれ。

「日経BPは、テスラの電気自動車の最新版である「モデル3」と高級車種である「モデルS」を分解調査しました。テスラは従来の自動車メーカーとは違い、電気自動車専用として車体からパワートレーン、内装品に至るまで独自設計しています。その独特なプラットフォームやパワートレーン、電池パック、ECUなどの詳細をあますところなく調査しました。また、モデルSは高級車として少量生産されてきましたが、モデル3は低価格版の普及車として大量生産されています。モデル3がモデルSからどのように進化したのか、コストダウンや設計思想の変更などが分かるように徹底比較しました。車体構造やパワートレーン、電池パックをはじめ、電装品やECUについても解析しています。自動車部品メーカーや材料メーカーの専門家を交えて世界最先端の電気自動車の詳細を解説した教科書です。300点以上の画像を掲載していますので、ぜひご活用ください。」

日経BPのすごいところは、トレンドを見て、先手をとってやっていることだ。
テスラはEVのパイオニアであり、自動車業界では新型が出れば必ず分解調査をしているはず。
でも、それができるのは資金力のあるところだけだ。
それを日経BPが代わりにやって、切り売りする、という手法。
部品メーカーであれば、喜んで買うだろう。
これはエライと思う。

自動車は家電が倒れた今となっては、日本の基幹産業。
そこが生き残るためにはどうしたらいいかという「ベンチマーク」の必要性をわかっているのだ。

さすがに値段は高いから、見ることはできないが、多くの会社が購入しているはず。

マスゴミが多い中で、こういう事ができるマスメディアがあることに感謝しないといけない。


| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
レナウン民事再生
レナウンといえば、ワンサカ娘。
ドライブウェイに春が来りゃ〜、という歌詞。
調子のいい歌だった。
弘田三枝子をはじめ、いろんな人が歌っていた。

レナウンは淀川長治の出ていた、日曜洋画劇場のスポンサーだった。
当時はフランスの映画もハリウッドと並んで輸入されていて、アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドが2大俳優だった。
日本ではアラン・ドロンの人気が上だったと思う。

ダーバンというスーツのブランドは、アラン・ドロンが宣伝して「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.」と言っていた。
ダーバンは現代の男のエレガンスだ、と言う意味。
わけも分からず、かっこよかった。

ずっとアパレルの上位だったと思うが、だんだんと調子が悪くなった。
外国の高級ブランドが上から降りてきて、高級路線が苦しくなり、安い方はスーツ専門の会社などが出てきて、居場所がなくなったのだろう。
いつの間にか、ワンサカ娘も見ることがなくなり、レナウンの名前も見なくなった。

2010年についに自力ではどうしようもなくなり、中国の繊維メーカーの傘下に入ってしまった。

シンプルライフとかインターメッツオとかいうブランドもあった。
百貨店で見るくらいだったが…。

今日ついに民事再生手続きの適用になった。
創業から118年。
コロナウィルスの緊急事態対応で店が閉まり、販売ができなかったのだろう。

残念だ。

無事に民事再生できることを祈る。



| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
書店改革
書店が減ってだいぶ経つ。
ここでいう書店は、コンビニで扱う雑誌類を除く「本」を売っている書店だ。
コンビニで雑誌類を扱うようになって、本屋はとどめを刺されたように思う。
今は逆にコンビニが本格的に書籍を扱うというところまで出てきているようだ。
紙の出版販売額がこの20年で半分になっているという今、どれだけニーズが有るのかわからないが…。

ところが、入場料を取る書店があるという。
新しい書店の形だ。
「文喫」という名前で、東京でオープンしている。
入場料は税抜で1500円。
読んで字の如く、喫茶店みたいな店らしい。

本は読み放題で、読んだ後戻さなくても所定の場所に置いておけばいい。
コーヒーは無料で、飲み放題。食事もできる。
中はソファーもあったりして、くつろいで本が読める。Wifiのサービスもある。
もちろん、気に入った本は買うことができる。
蔵書は3万冊。店員が目利きして置いてある。

こういう本屋なら行ってみたいと思う。
一日に200人くらいが入って、4割が本を買って帰る。
収支は入場料、飲食料、本の売上で大丈夫とのこと。

これだけ通販が浸透すると、買う本が決まっている人は、なかなか本屋には来ない。
こういう分野に興味があるとか、調べたいとかいう人がターゲットになるのだろう。
単に、本好きとか、自己啓発したいとかいう人も狙い目だ。

ぼくも若い頃はよく本屋に行って時間つぶしをした。
何度かここにも書いたことがあるが、時間つぶしをしたおかげで出会った本や著者もある。
本棚にある本のうち、1割位はそれと決めて買いに行ったものではない。
そういう出会いは本屋で見つけたものだ。

アマゾンを使いだして、そういう本は減った。
そこに商機はあると思う。

こういう新しいカタチのリアル書店が増えていくことを望む。


| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学改革を邪魔する教員
日経ビジネスに、沖縄科学技術大学院大学の記事があった。
イギリスで発表された「質の高い大学」で日本で最高の評価を受けたとのこと。

開学10年足らずの沖縄科学技術大学院大学(OIST)がなぜその快挙を成し遂げたのか、ということについて、開学当初から関わったという元東大総長に聞いている。
元東大総長というのは有馬氏で、物理学者。1953年に卒業して、原子核研究所の助手を経て海外で学び、75年に東大の教授、89年から4年間総長をやったという経歴。小渕内閣で文部大臣も経験している。

彼は東大の総長になった時に、大学改革をしようと思ったが、大変だったらしい。
当時は教授会の力が強かったからだ。
今はだいぶ弱まったが、教授陣の改革に反対する力は強い。
これは文科省も気がついていて、大学のガバナンスで教授会の権力が強すぎるということで、私学についてはだいぶ弱めるように指導された。
彼は言う。

「私は、東大総長に就任して、「大学の国際化」を推進しようとしましたが、まったく駄目でした。教員に占める外国人の割合を増やしたり、理学部の一部の学科で外部評価委員に外国人を入れようとしたりしましたが、反発を受けました。欧米の一流大学を見ると、教員の3割は外国人なんですね。少なくとも2割を外国人にしようとしましたが、自らを守ることを重視しがちな教授たちの抵抗を受け、結局、私が総長を退くころになっても外国人の割合は数%程度にしかなりませんでした。」

だいぶ言葉を選んでいるが、「自らを守ることを重視しがち」という言葉は重い。
同業の人でも思うくらいだから、事務から見たら、本当にそう思う。
こちらは攻撃する意図などなくても、そう思って攻撃してくる人が多かったのは事実。

自分がつける成績は絶対だが、自分が評価されるとなるとすごく抵抗する人は多かった。
FD(教育改善)の講演会をやっても、その場では「ぜひ取り入れたい」等話すが、実際に取り入れる人はほとんどいなかった。

またアメリカでは授業さえしっかりやっていれば、若いから、日本人だからといって差別なく、研究費はふんだんに出るという。
日本の文系では、過平等主義になっていて、どんなに頑張っても、サボっていても一律に出していたりする。
以前、研究計画を立てて、研究費を配分するということを却下されたという記事を書いたが、そういう具合なのだ。

その分、授業に対する評価は厳しい。
これも日米で違うところ。

「40歳を過ぎて初めて教授になった最初の講義には、大先輩の教授が私の教室にやってきて授業の中身を聞いていました。米国では、大学教員は研究だけでなく、教える力も問われるためです。授業が終わると、先輩の教授から「講義の声は大きい方がいい」「板書の文字は分かりやすく」といったアドバイスをくれます。日本で同じことをしたら、「講義の権利がある」と反発されましたね。」

これは、アメリカの学部長の役割、という研修を聞いたときにも言っていた。
その研修では、実際にアメリカ人の学部長経験者が話してくれた。
学長の役割は金をとってくることで、学部長の役割はその学部の将来像を描き、所属教員の研究分野まで口を出し、その教員を先生として育てる、ということだった。

ぼくのいた大学ではそんなことはあり得なかった。
だから、学部改組のときに困ったのだ。
学部名を変えるのなら、教育内容を変えないといけない。
教員は自分の研究分野は変えたくない。それが、学生のニーズがなくても、変えないのだ。
そうなると、新学部のカリキュラムはどうしてもウソになる。
日本の学部改組は、そういうウソの上に成り立っていることが多い。

OISTでは、アメリカの良いところを取り入れているという。
そのおかげで、ドイツのマックス・プランク学術振興協会の会長が学長で来てくれたという。
ドイツで、マックス・プランク学術振興協会会長というのは、大臣よりも位が高いらしい。
結局、日本の大学改革を邪魔しているのは、教員のギルドなのだ。
そうは書いていないが、きっとそう言いたかったのだと思う。

ぼくが10年間の大学職員の仕事で思ったのは、学校の価値は先生で決まる、ということ。
設備でも、規模でも、入試の成績でもない。
学校の価値はそこにどれだけの「いい先生」がいるかだけだ。

そうすれば、良い学生も集まってくるし、良い研究もできる。

それをOISTは証明しているのだと思う。




| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
テレワークは週2日
フランス人は「テレワークは週2日まで」と言うらしい。
アンケートをとると、週2日を希望する人が最も多いとのこと。

実際、ぼくもやってみて、毎日テレワークというのは疲れる。
外に出て、誰かと話すというのは刺激にもなるし、いいことだと思う。
じっと家にいると、どうも気が滅入る。
もっとテレワークの工夫ができれば、よくなるのかもしれないが。

フランス人はおしゃべりが好きだ。
夏は日の長い夜になっても、カフェやレストランでずっとペチャクチャやっている。
フランスに滞在したとき、1日付き合ったが、ぼくが見ていてこれといった目的もなく、ずっとペチャクチャ喋り続けていた。

彼らのバカンスというのは、なにもせずに一日座ってボーっとしながらペチャクチャやることだ。
どこか名所に行って、忙しく見て回るということはしない。
経済的なこともあるのかもしれないが、何もない海辺とか、山に行って、ボーっとする。

そういうフランス人だから、仕事は仕事として割り切って、テレワークで自分の自由な時間を謳歌するのかと思っていたが、以外な結果だった。
週2日以外の3日間は仕事に行ったほうがいい、ということだ。
フランス人でも仕事仲間と会う方がいいということなのだろう。

報告ではこう結論づけている。

1 テレワークが「週1日未満」の場合、テレワーク態勢を整えるための手間が増えるだけで、テレワークのメリット(ストレス減、ライフワークバランス、意欲向上)を引き出すに至らない。

2. 「週1日」「週2日」の場合、効率が上がって生産性が向上する。

3. 「週2.5日以上」の場合、社員は企業との接触感を失い(孤立化)、生産性はピーク時より落ちる。

やはり、週2日を超えると孤立化が起こり、逆に生産性は落ちる。

大々的に家で仕事をするということは、日本ではまだ始まったばかりだが、フランスでは2018年にテレワークで働くことを従業員の権利として位置づけているらしい。
さらに、労働者は時間外や休日には上司や同僚、取引先とのメール対応を拒否する権利も認められている。
さすが、フランスだ。

日本でもそのうち、こういう法律ができるんだろう。

しかし、ネットが進化してバーチャルオフィスみたいなのができると、週5日でも生産性は落ちないということになるかもしれない。

さあ、これからどうなるんだろう。

| | 考えたこと | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
最後に会った時
こないだ、母と話をしていて、歳をとったら葬式でしか久しぶりの人には会えない、という話になった。
そういえば、あの人も、あの人も、葬式で会ったのが最後や、ということになって気がついた。
おそらく、その人たちと生きて会うことはないように思う。
その人の葬式か、ぼくの葬式かで会うことになるだろう。

そういうことなのかもしれない。
最後に会ったのは、誰それの葬式だったなあ、という事例は増えるだろう。
共通の友人が亡くなると、その葬式で会う。
どないしてんねん、とか話する。
ああ、そうか、元気でな、と別れる。
その次は自分か、相手の葬式になる。そんな関係の人がたくさんいる。

というか、この年になるとそういう人が増える。

母も仲のいい友達が近所にいたのだが、いくら近くてもなかなか会えなくなって、数年経つ。
だんだんと電話もかけなくなって、疎遠になる。

思えば、何度かの卒業式をやったが、その時限りで会わない人がほとんど。
記憶の中では知っていても、会ってもわからないだろう。
結局たくさんの友達がいても、死ぬときは一人。

人生の終わりはそういうものだ。


| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動車産業の行末
トヨタでさえ、自動車産業の未来が明るくないと思っているようだが、部品メーカーはもっと明るくないと思う。
ここ数年、暗い話ばかりだ。

エンジンの部品のメーカーなど、どうしようという感じだろう。
ピュアEVが増えてくると、どんどん需要は減る。
普及のネックは電池の性能、値段と量産が難しいことだろう。
原料のリチウムがボトルネックだと思う。

それにシェアリングが追い打ちをかける。
日本の都市部みたいなところは、自家用車はシェアリングで済むところも多い。
自家用車の稼働率を考えると、車の需要はシェアリングで激減することになる。

それらを総合して、MaaS(Mobility as a Service)というものがある。
車という移動手段を、サービスとして付加価値を上げる、というようなものだ。
まだこれといったビジネスにはなっていない。
トヨタがモーターショーで展示していた、eパレットという車みたいに、窓が全面ディスプレイになっている移動式のお店などが検討されているが、どうなるかわからない。
おまけにこの面で主導権を持っているのは、グーグルなどに代表されるIT企業。
よけいのこと、どうなるかわからないのだ。

そこに、SDGsという追い打ちがかかる。
持続可能な成長ということで、化石燃料は目の敵にされる。
当分のあいだ車は化石燃料で走るが、そこもつらいところ。

ところが、LCAという言葉がある。Life Cycle Assessmentの頭文字。
その製品を作る段階からのCO2の量をトータルで見る、という考え方。
そうなると、単に電気自動車を作ればいいというわけではなくなる。
LCAが小さければ、ガソリンを使ってもいいのだ。
そういう評価もしていかないといけない。

自動車産業の裾野は広い。
家電がコケた今、日本を支えていると言っていい。
自動車部品のメーカーには、ぜひとも頑張ってほしいと思う。
革新的な部品を作り出すとか、新しい分野に進出するとか…。

ぜひモノづくりの火を絶やさないでほしい。

古いかもしれないが…。

| | 考えたこと | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドクターのつぶやき
地域の病院では、コロナ対策で発熱外来をやっているところがある。
あるドクターが、ツイッターでつぶやいていた。

「今日の発熱外来。電話パンク、外来数およそ10倍(150人超え)、発熱なしでなんとなくだるいからPCR希望、一ヶ月前の熱がコロナだったか調べてほしい、平熱低めなのでCTだけ撮って欲しくて受診。
これが、なんと90%。完全に今日は破綻しました。ちょっとだけ休憩です。」

土曜日にこれだけの仕事をしているのは、本当にご苦労さまだと思う。
国がコロナの診断基準を下げたこともあるのだろう。

しかし、「発熱無しでなんとなくだるい」とか「以前の発熱がコロナかどうか」とか「平熱低めだがCTだけ撮ってほしい」とか、受診者はどうなってるんだろうか。
自分たちが医療崩壊をさせていると思わないのだろうか。

そんな人達が出てくるのも、マスコミの影響だとは思う。
この期に及んでも、コロナ怖い、と煽りまくっているからだ。

しかし、こんなことをやっていたら、いつまで経っても騒動は終わらない。
国民皆保険が悪いとも言えるが、人々の情報リテラシーが低すぎる。

おまけに、日本は欧米に比べて死者が2桁も少なく、すでに再生産数も1を切って十分感染は収束しているのにも関わらず、緊急事態対応を続けている。

ボストン・コンサルティングの調査では「新型コロナによる最悪の状況を脱していない」という消費者の比率は、日本よりもはるかに死者の多いイギリスやフランス、イタリア、アメリカを抜いて世界で1位。
何人インタビューしたか知らないが、80%を越える人がそう思っているらしい。
不況になるはずだ。

また10代以下、10代の人達は10万人あたりの感染者数が多くても2.2人という状況。
要するにコロナにかかりにくく、かかってもウィルスを撒き散らかさない。
そんな状態でも学校は再開しない。

義務教育というのは、子供が教育を受ける義務があるというのではない。
親に対して、子供に教育を受けさせる義務があるのだ。
こどもは教育を受ける権利があるということ。
それでも、こんな状態。
いかに日本の指導者が教育を軽視しているか、よくわかる。

専門家委員会は何をやっているのかはわからないが、こんな状態でも日本は十分安全なのだ。

どうなっているんだろう。




| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
隣組と自粛警察
よくアメリカのドラマに出てくる自警団というのがある。
それに似ているのが、今のコロナ騒ぎで出てきている自粛を呼びかける輩。
単に呼びかけるだけなら、別に害にならないのだが、他府県ナンバーの車をボコったり、営業しているお店に張り紙をしたりするらしい。
これを自粛警察と呼ぶ人もいる。

一度書いたが、大阪の大学に通っている学生に「コロナ持って帰らんとって」という和歌山のパートのおばさんも、その軽いヤツだろう。
本気で言っているのだから、始末に負えない。

感染症学会の人たちが、ちゃんと10代、20代の人たちはほとんどコロナにかからないし、かかってもウィルスをまき散らかさない、ともっとはっきり言えばいいのだ。
かかりやすくて、まき散らかすのは高齢者。
ちゃんと正しい知識を広げてほしいものだ。

しかし、自粛警察は警察というより暴力団だ。
本当に自粛しているかどうかも怪しい。

昭和40年代にはまだ戦時中を描いたドラマが多かった。
その中でコロナの「自粛警察」の役割をしていたのが「隣組」というやつだ。
向こう3軒両隣、という近所の人たちがお互いに見張っていて、危険思想の持ち主を告発したりする。
政府が金属が足りないから金物を出せというと、集めて回る。
ぼくは実際は知らないが、そういうものだったらしい。

もちろん、そんな全体主義的な人ばかりではなかったと思うが、ドラマの中ではあまりいい描き方をされなかった。
結局、お上の言うことを聞いて、自主的に行動するというのが日本人の特性なのかもしれない。
これが戦時中の「自粛警察」。
戦争が終わったあと、あまり良く言われなかったのも、当時の国家権力と結びついてしまったからだろう。

コロナの場合は、国というよりもマスコミの影響が大きと思う。
偏った放送で、視聴者に恐怖心を植え付け、極端な行動に走らせる。

戦争中は情報統制されていたから仕方ない面もあるが、ネットの時代、全てのデーターがオープンになっている。
ご丁寧にまとめてくれているサイトもあるし、調べようと思えばすぐに調べられる。
マスコミの中にもちゃんとした人がいて、数字を見てるのだろうとは思うが、実際に放送されるのは「コロナ怖い、検査しろ、感染者がわからないから怖い」などの煽りばかり。
視聴率を取るためには仕方ない。
また、それによって不況になり、広告が減っているから、余計にマッチポンプになる。
もっと視聴率を取ろうとすると、より過激な番組になるのだろう。
それがワイドショーというやつだ。

今回のコロナ不況は、マスコミが招いた不況でもあると思う。

バカげた自粛はもうやめよう。


| | 考えたこと | 20:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
キオークマン
キオークマンという器具を持っている。
文字通り記憶するためのマシンだ。

商標はKiohkumanという。
城下工業株式会社というところがずっと作っている。
初代は1990年に出されたらしい。
ここのページに宣伝が出ている。
調べてみたが、城下工業は大正の創立で、従業員30人。2013年に7億円の売上があった。
エライ会社だ。

ぼくが持っているのは96年に出たもの。
どういう器具かというと、声をマイクで拾ってヘッドフォンで聞くというもの。
頭につけるヘッドセットのコードがないやつだと思ってくれたらいい。

ぼくは右脳が弱い。
パターン認識ができないから、文字で覚える。
左脳の言語野の方が得意なのだろう。
方向音痴だし、神経衰弱などのゲームは極端に苦手だ。

だから、中学の頃から暗記するときには小さな声で音読していた。
目で見て読みながら、時には実際に書いて、自分の声を自分で聴いて覚える。
この方法が一番しっくり来る。

だから、96年に発売されたときに何かで宣伝を見て、これだと思って買った。
目と口と耳を同時に使って脳にインプットする、という方法は説得力がある。
その当時、何に使ったのか覚えていない。

でも、2014年にキャリアの資格を取るときは活躍した。
自分でも驚くほど記憶力が衰えている。
テキストを読んで、キーワードを書いて、覚えて、5分たったら忘れていた。
テキストが6刷くらいあって、合計の厚みが6センチくらいあったから、大変だと思った。
その時に思い出したのがキオークマン。
イヤーパッドがボロボロになっていたが、そんなことは言っていられない。
本を読んで、耳で聞きながらそれを録音して、泳ぎながら聞いたりした。

おかげで、筆記試験は合格した。

もうイヤーパッドが使い物にならないくらいボロボロだったが、こないだアマゾンで交換用のイヤーパッドを見つけて、980円で買って修理したら、新品同様になった。

残り少ない人生、これを使う機会がこれから先、どれだけあるのだろうとは思うが…。

何が起こるかわからないからなあ。




| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロングスケール
エレキベースの練習をしている。
音程と押さえるべきところはギターと同じだからわかるのだが、スケール長が20センチほど違うのは大きい。
右手と左手の位置が広くなる。
そうなると、今までギターで覚えた身体記憶が全く通用しない。
おまけに、スケールが長くなっているので、フレットの間隔が広いし、弦の太さも相当違う。
当たり前のことだが、違う楽器を弾くのはとても難しい。

ぼくの買った中古のSR500は前のオーナーが大事に使っていたようで、ちょっとした傷はあるものの、全体にキレイで金属パーツなども錆びていない。
いい中古品を買えたと思う。
B+という評価だったが、十分だ。

基本的にベースは単音楽器だから、簡単だという意識はあった。
でも、そんなことは全くない。
とにかく、ベースを弾くと自分のリズム感が悪いことがわかった。
ベースはビート感を作る楽器なので、ビートを感じながら引かないといけない。
もちろんギターもそうなのだが、ベースはその比ではない。
常にノって弾かないといけない。

弦を弾くのは、基本は指だ。
右手の中指と人差し指を交互に動かして弾くのが一般的。
ギターのアルペジオみたいなものだが、弾くタイミングが難しい。
慣れてないと、リズムに遅れてしまう。
カラオケを流しながら弾くのだが、遅れると音楽にならない。
ギターなら、ちょっとくらいモタっても格好はつくのだが、ベースがモタると全く聞けない。
本当に下手くそなのだ。
ベースという名前の如く、音楽の一番基本を支えている、ということがよくわかる。

というわけで、この年になってベースの本来の難しさを知った。

いつになっても、人間謙虚さが大切だ。




| | 考えたこと | 18:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョブ型志向と大学
この50年で学部の数が8倍に増えたという。
「新卒採用もはや制度疲労」という記事にこう書いてあった。

「1966年にわずか63しかなかった学部の種類が、2018年には526へと増えたというのです。 実はこれは、企業の動きに呼応するように、大学も「ジョブ型」を念頭に専門性を意識した教育を打ち出しているということでしょう。」

学部が増えたのは事実だが、「専門性を意識した教育を打ち出している」というのは間違っている。

少なくともぼくが関わった大学の学部改組については、「教員構成で組めるカリキュラム内容から可能な学部名で、どんな名前にしたら志願者が集まるか」ということだけが考慮した点で、「ジョブ型」の雇用を意識した教育など全く考えていない。
そもそも、今も十数年前も文系の求人は「学部学科不問」という求人票しか見たことがない。
そういう意味では、企業はまだまだ文系については、大学で身につけた専門性などちゃんちゃらおかしい、と思っている。

最近になって、経団連が終身雇用制度はもう限界だと言い出して、初めて大学は「ジョブ型」という言葉を知ったというのが、本当のところだろうと思う。
もしも本当に専門性を高めようと思っていたのなら、大学のホームページの「卒業後の進路」に資格に関係ない、専門性をうたったサラリーマンの道も載せるはずだ。
たぶん、どこを探してもそんなページはないと思うが…。

要は下位の文系の大学では、こういう専門性をつけよう、などという授業は資格関係だけであって、サラリーマンの世界でどんな専門性が必要かも考えていないと思う。

ぼくの勤めていた大学には臨床心理があったが、そこでは専門科目というのは、先生方が自分が研究している分野を教えていた。
深層心理とか、夢の分析とか、青年期の心理とかいうものだ。

キャリアをやっている時に、営業では駆け引きが必要だから、そういう時に心理学が役に立つのではないか、と学生に言っても「そんな役には立たん」と一蹴された。
実際、そんなことに役立ちそうな科目名は見当たらない。
そんな分野を研究する先生は皆無。
まあ「臨床」という名前がついているから、難しいとは思うのだが、この記事で筆者が言いたいことはそういうことだろうと思う。

文系の求人はほとんどが営業、販売なのだが、そういうものに役立つものはなかった。
だから、エントリーシートでアピールできない。
企業の方も、研究内容を書かせるのは、「その人がどんなことに興味を持っているか」という程度のことだろう。

もちろん、法、経、経営、商学、社会あたりは企業側も「何を学んだのか」に興味を持つだろうが、それ以外の学部は役に立たないと思っている(と思う)。
また、そういう学部名がこの50年でどんどん増えていったのだ。
だから、この記事の言っていることとは真逆の方向に大学は進んでいるのだと思う。

ぼくが大学にいるとき、一人の先生が「営業学」を教えたい、と言ってキャリアサポートに来た。
この先生は本当に偉い先生で、ぼくは尊敬していたが、結局構想だけで終わってしまった。
定年が近づいていたこともあるし、他の先生の協力が得られなかったりしたのだろう。
本当に残念だった。

その先生は「うちの学生たちは卒業したら、ほとんどが営業の仕事に就く。だから大学にいる間に営業学を教えたい」と言って相談に来たのだ。
自分の専門は政治学だが、この大学に来て(2年目だったと思う)、そういう思いを強く持った。
こういう先生は本当に少ない。
みんな自分のやりたいことを教えようとする。
上位校はそれでいいのだが、下位の大学はそれではいけないのは学生を見ていると明らかだ。
また、そういう授業をすれば、学生は授業にも身が入るのだと思う。
そこから始めないと、大学は変わらない。

「ジョブ型」志向が強まって、文系でも大学で学んだことが実社会でどう役に立つのか、ということが本当に問われるようになってほしい。

そうしないと、今の硬直化した大学は変われないと思う。


| | 考えたこと | 21:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
政府はオカシイ
ツイッターやフェイスブックのタイムラインは一人ひとり違う。
フォローしている人や媒体が違うからだ。

最近、ぼくのタイムラインはだいぶ政府批判が増えた。
なぜ再生産数が1を切っているのに、緊急事態を続けるのか、ということだ。
緊急事態を続けるメリットは海外の例からあまり期待できないし、一方でデメリットはどんどん大きくなっている。
サービス業や運輸業は壊滅状態だ。
4月に入社して自宅待機の人もたくさんいる。
海外ではルフトハンザが危ないということもあるし、いつもは大丈夫な鉄道会社なども大幅な減益だろう。
西浦教授が簡単に人と人との接触を8割減と言ったが、そんなことは社会生活をしていたらまともにできないし、あんな根拠のないシミュレーションでよく専門家がみんな納得したものだ。
本来ならまともな専門家会議のメンバーが止めないといけないのに、政権が緊急事態を出す方針になってしまって、何も言えなくなった。
専門家が首相に忖度したのだ。

ナントカ学園の問題のときに、忖度はよくない、と言っていた野党も何も言わない。
だいたい、国会議員でウィルスの感染症について勉強した人はいるのだろうか。
ちょっと勉強して、数字が読めれば、緊急事態対応などやらなくていいという結論になるはず。
まあ、諸外国の手前、1回はやるにしても、それをあと1ヶ月続けるということについては全くわからない。

本来は政権のやることに批判の立場であるはずのマスコミは、集団洗脳状態。
怖い怖い、検査をやれやれ、の一点張り。
朝から晩までこんなニュースやワイドショーを見ていたら、おかしくなるはず。
だいたい、わけのわかっていない芸能人がコメントすることに、なんの意味があるのだろうか。
テレビは井戸端会議状態で、あんなの放送をやめるべきだと思う。

アジアは欧米に比べて人口あたりの死亡率が2桁も小さいのに、それについて言及する人はテレビやマスコミでは皆無。
海外の状況を報道して、怖い怖いの連呼をする。
おかげで、うちは地上波を見るのはやめた。

でも、最近はだいぶ今の状態で緊急事態はオカシイ、という人も増えてきて、さすがに延長はないと思っていたのだが、政府の公式見解は特定警戒都道府県は継続ということらしい。
本当に中小企業やサービス業のお店の人たちのことを考えているのだろうか。
1ヶ月でも一部潰れるところが出てきているのに、まだ継続するとは…。
海外ではかなりの死者を出しながらも、スウェーデンのように、「三密」などほとんど効果がないから、普通に生活を続けて集団免疫を狙っているところもあるのに。

吉村知事は、大阪は空き病床数を見て、緩和をしていくという方針を出した。
誠にエライと思う。

それに比べて、政府は本当にダメだと思う。

何度も同じようなことを書いてすいません。

4日23:30追記
いよいよ「コロナの時代の新たな日常を」ということらしい。
そんな新たな日常が必要なら、食堂や小売店など成り立たないところも出てくるだろう。
本当にみんなの生活を考えているとは思えない。
海外でやっていたロックダウンすら、効果がないという人もいるのに、何を考えているんだろう。
本当に日本の指導者は…。



| | 考えたこと | 14:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国製化粧品
中国製の化粧品がだんだんとシェアを伸ばしているという記事を見た。
今まで化粧品といえば海外の有名ブランドを思い出していた。
以前、海外出張のお土産でドコソコのファンデーションなど、お願いされたりしたが、たいがいフランス製とかだった。
白人の女性には合うのだろうが、彫りが深い外国人の顔と日本人の顔とはだいぶ違う。
だから、最適な化粧品も変わるんだろう。
いつまでも欧米の真似をしていてはいけない。

そういう意味では、中国製の化粧品がだんだんとシェアを伸ばしてきているのかもしれない。
日本よりも、中国の方が欧米に対する思い入れは小さいような気がする。
ぼくらは小さい頃欧米のドラマを見て、大きな冷蔵庫や、芝生の庭、馬鹿でかい牛乳瓶などの存在を知り、ああすごいなあ、と思ってきた。
でも、今の中国の若い人たちは、そんなものは見ていないのではないか。

中国の都市部に住んでいた人に聞くと、自国製品の品質が当てにならないから、外国製品を使うという以外に積極的な憧れなどは、ぼくらの時代に比べて少ないように思う。
まあそれは都市部の若い人については、どんどん日中の差が小さくなってきたということだろう。
いずれも、団塊の世代以降が持っていた欧米への憧れとはだいぶ違うのだ。

ぼくらは「戦争を知らない子供たち」と言われたが、少なくとも戦争を知っている先生から習っている。
でも、今は日中とも「「戦争を知らない子供たち」を知らない子どもたち」」だから、もうそんなに戦争の思いをひきずっていない。
良くも悪くもだが…。

というわけで、化粧品のユーザーの意識が変わったことがシェアを伸ばしている原因ではないかと思う。
昔ほど、欧州の化粧品を神格化しない。
あくまで、自分にあったものを選ぶんだろう。
ブランド信仰が薄れているのだ。

モデルは中国人女性。
華やかな色使いらしい。
口コミサイトでは、もう中国メイクの特集をやっているらしい。
早い人は、中国のインフルエンサーの化粧方法をまねして解説しているとのこと。
中国風のメークを「チャイボーグ」というような造語もできている。

家電と同じく、中国製がそのうち日本にもどんどん入ってくるんだろう。
同じアジア人であり、顔つきも似ているから、必然とはいえる。

そうなると、日本の化粧品会社も、日本人らしいキレイさを追求し始めるのかもしれない。

これもアジアの復権か。



| | 考えたこと | 17:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しいスマホ
スマホを買い替えた。
前回からYモバイルにしたので、SimフリーのPixel3a XLとい機種がグーグルでセールをやっていて、かなり安くなるので乗り換えたのだ。
どこが作っているのか、知らないがよくできたスマホだ。

ホントにSimを入れ替えるだけで、あとはLineのデーターを移行するくらい。
あっという間に乗り換えは終わった。

さっきも書いたが、Simフリーのスマホはスッキリしている。
キャリアの余分なものがなく、グーグルの仕組みだけ。

おまけに、スイッチの押し具合や、画面のタッチの感度、スクロールについてくる感じなど、細かいところがよくできている。
軽いし、ちょっと大きいかなと思ったが、持った感じは問題ない。

Android10にすぐにアップデートして、いろんな使い勝手がよくなった。
履歴からいつも使うアプリに行く画面など、よくできている。
いちいち下のボタンを触る必要がない(というか、ボタンはない)。

OKグーグルと言わなくても、ぐっと握ったら反応するし、何かを調べるときの手間が一つ減った。
ジェスチャーを調べているのだが、これを覚えるともっと便利に使えそうな気がする。

買い替えたのを機に、Google Payにも登録した。
ぼくはコンビニでの支払いはカードでやっていたのだが、スマホ決済に変えようと思う。
次男に聞いたら、カードは落としたら使われるが、スマホは指紋認証があるから、拾った人も使えないとのこと。
なるほど。カードより安全だ。

PayPayなどは、画面を読んでもらわないといけないが、Google Payは指紋認証しながらかざすだけ。
これはいい。

スマホは80年代のスーパーコンピューターの性能だというが、本当にそうだなあと思う。
音楽は聴けるし、住所録は入るし、目覚ましにもなるし、おまけに聞いたら何でも教えてくれる。
エライ時代になったものだ。

さっそくコンビニに行って試そう。


| | 考えたこと | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
エレキベース
エレキベースの中古で通販で買った。
新品なら7万円弱のものが、中古で3万5千円。
Ibanezという会社のSR500という製品。

早速今日届いた。
自宅での録音と、いまお休み中の先輩とのセッションに使いたいので、思い切って買った。
一時安いのを持っていたことがあるのだが、友人に譲ってしまったという過去がある。
残り少ない人生、もう一度始めることがあっても楽しいと思う。

ぼくらの世代でベースといえば。ポール・マッカートニーだろう。
彼のメロディックなベースには惹かれる。
Penny Laneなんか、イントロのベースが流れた瞬間に曲がわかるくらい。
レコード時代に低音を効かせた、Come toghtherもよかった。

それはともかく、自宅での録音が絡むので、アクティブタイプのベースにした。
9Vの006P電池が必要だ。
ベースにプリアンプが入っていて、増幅してアウトプットする。
自宅録音には便利。

三密でお休みしている会社の先輩とのセッションの方は、メンバーが4人になって、ギター4台という構成になった。
いくらなんでもギターばかり4台は多いので、ベースがあれば格好がつく、ということになる。
次回はベースで参加しよう。

最近のベースは5弦のものも多いのだが、ぼくはオーソドックスに4弦にした。
コードのルートが弾ければ、とりあえずよしとしよう。
ボディが重いのはもうしんどいので、軽いものを選んだ。
アクティブベースは一般的に軽めで、ボディも小さいから良い。

ここ数日、ネットで調べまくって、決めた。

明日から練習しよう。


| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |