考えたこと2

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夏の終わり その2
今日は8月31日。8月も今日で終わる。
今年はインフルエンザ騒動で、もう既に始まっている学校が多いが、通常は8月31日が夏休みの最後の日だった。

そういえば、ツクツクホウシ。
最近あまり声を聞かない。
高校の頃、ツクツクホウシが鳴き始めると、ぼちぼち学校が始まる…と思ったものだ。
セミの分布も温暖化で変わったのだろうか。
ちょっと前まで、この季節には鳴いていたと思うのだが…。

夏の終わりの歌というと、「夏の終わりのハーモニー」。

 今夜のお別れに
 最後の二人の歌は
 夏の夜を飾るハーモニー

井上陽水と玉置浩二の歌。むかし、コーラスを練習した。

前にも書いたが、「九月には帰らない」というユーミンの歌もいい。

トワ・エ・モワの「誰もいない海」も古いが、よいと思う。
ハイファイセットの「九月になったら」という歌もあった。

夏の終わりというのは、何となくせつなくなるものだ。
夏休みが終わる、というせつなさ。

秋には秋の良さがあるのだが、それでも、ゆく夏を惜しむ、そんな風情がいい。

軒下に忘れられた風鈴。
砂浜におきざられた浮き輪。
キャンプファイアーの跡。

夏草や つわものどもが 夢の跡

昔から、夏の終わりはせつないものと決まっていたのかな…。

明日から九月。
がんばろう。


| | 考えたこと | 22:27 | comments(2) | trackbacks(0) |
政権交代
今日は衆議院選挙だった。

今回は午前中に選挙を済ませた。
たくさんの人が来ていた。今回の投票率は50%を越えるのかな。

小泉元首相が「自民党をぶっこわす」と言って、郵政改革で総選挙をやって、ボロ勝ちした時点で自民党は本当にぶっこわれたのではないか。
小泉路線を推し進めれば評価も違っただろうが、小泉以降の3人が情けなかった。
この3人が本当に「自民党をぶっこわす」というトドメを刺した。
麻生総理にいたっては、「郵政改革には反対だった」と漏らす始末。これでは信頼を失うだろう。
良くも悪くも、小泉元首相が郵政改革を訴え、みんなが支持して大勝したことの意味をわかっていなかった。
自民党自身が、小泉改革の負の面ばかり見て、プラスの面を見なかった。
どうして、総選挙に大勝した理由をちゃんと分析しなかったのだろうか。

今のままではダメだという閉塞感を、少なくとも小泉路線は晴らしてくれたんだと思う。

今回の民主党は単に反自民の票を集めただけのようにみえる。
一番訴求したのは、むだ遣いをやめれば、増税しなくても財源はあるということと、天下りに代表される公務員の優遇を厳しくする、ということのような気がする。
どちらもバラマキだと言われるが、民主党の方がひどい。

今選挙速報をやっているが、民主党の圧勝。
こういうのを、地すべり的勝利というのだろう。
民主党には野党の利があった。
労働組合も支持基盤になっている民主党に、どんな改革ができるのか、楽しみだ。

自民党は3人の首相が戦犯だろう。
軌道修正できる人がいなかった。
よほど小泉には敵が多かったのだろうなあ。
逆にいうと、だから大勝したということだろう。

何がどう、どれだけ変わるかわからないが、政権交代したのだから、とにもかくにも期待しよう。

ぼくらは、日本で生まれ、日本で育ち、今さらどこかの国に行くことはできないのだから…。

| | 考えたこと | 21:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
アイドルストップ
アイドルストップというものがある。

テレビに出てくるアイドルをストップするということではない。

アイドリングを止めるということだ。
アイドリングというのは、クルマで停車中にエンジンが動いている状態。
クルマは止まっているのだが、エンジンは回っている。
信号待ちの時が一番多いのではないか。
そういう時に自動的にエンジンを止めて、燃費を稼ぐ仕組み。

ドイツではかなりの新車に装備されているらしい。

日本ではマツダがi-stopという技術を開発した。

エンジンをかける時には、キーを回してセルモーターというものを回す。
電気のモーターの力を借りて始動するのだ。
しかし、セルモーターを回すと電気を食う。
マツダの方式はセルモーターを回さずにエンジンを再始動させるというもの。
エンジンがかかりやすい位置にピストンを止めて、そこに燃料を噴射して始動するということらしい。

えらいものだ。

アイドルストップという技術、今まで何度も出てきては消えていったらしい。
燃費や大気汚染を止めるために有効…なハズだが、始動時に汚染物質が出やすいとか、再始動する時に不快感があるとか、どのくらい止まっていたらエンジンを止めるのかとか、いろいろな問題がある。
しかし、今回は気合いが入っているようだ。
ハンドルを切っている時はストップしないとか、いろんな細かい制御を行っている

都市部ではかなりの燃費向上にもつながるだろう。
バッテリーも2個積んであって、1個はアイドルストップ専用らしい。

ドライブ・バイ・ワイヤーといって、クルマの各部がモジュール化され、電気信号でコントロールできるようになってきたことも、一つの要因だと思う。

機は熟した。

頑張ってほしい。


| | 考えたこと | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
マズローの欲求段階説
マズローというのはアメリカの心理学者。
彼の自己実現理論によると、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」ということである。

何となく、アメリカらしい、前向きの理論ではないか。

そして、人間の欲求を5段階に分ける。
これがマズローの欲求段階説。

その5段階とは、

 1.生理的欲求
 2.安全の欲求
 3.所属と愛の欲求
 4.承認の欲求
 5.自己実現の欲求

となっている。

生理的欲求は、睡眠や食事といったもの。
安全の欲求は、安定・安全を望むもの。住むところや快適な暮らしというところか。
所属と愛の欲求は、どこかに所属したい、愛されたいという欲求。このへんからだいぶ高度になってくる。
承認の欲求、これが大事だと思う。誰か他の人に承認されたい、という欲求。これは難しい。
自己実現の欲求、これは文字通り、自分のやりたいこと、やるべきことを実現したいという欲求。これはどちらかというと、自己満足ではないかと思う。

ここでいう、「承認の欲求」が、やりがいとつながっている。

承認の欲求とは、誰かに認められること。
仕事をして、誰かに認められる、あるいはその仕事が誰かを助ける、誰かが喜んでくれる…、それがやりがいにつながるんだと思う。
でも、そう簡単に認めてくれるハズがない。
仕事でやっているのだから、当たり前だ。
でも、時にはその仕事の範囲を超えてやってしまうことがある。
それが、大事なのだろう。
ついつい残業してやってしまったり、本当はここまでなんだけど、もうちょっとやるか、というような事だ。
それがなければ、やりがいは難しい。
そういうものだと思う。
ぼくの経験だ。

誰にでも当てはまるかどうかはわからない。

でも、一緒に仕事をした何人かは、わかってくれると思う。



| | 考えたこと | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
先生
小学校から高校まで、12年。
人によって違いがあるだろうが、科目担当も入れると、40人くらいの先生に習うことになる。
今はクラスが少ないから、もっと少ないかもしれない。

その12年間で運がよければ、いい先生に出会う。
ぼくが覚えているのは、小学校5、6年担任の先生。
前に書いたと思うが、いろんなハナシをしてくれた。
一人で山に入って、寝袋に入って寝ている時に熊が出てきて、じっとしていると顔をじっと見て去っていったというハナシは何度も聞いた。
いい先生だった。

中学校の時はあまり覚えていない。
中学になると科目担当も増えて、たくさんの先生に習う。
美術の先生は変わっていた。
とにかく、色の12色を覚えろという。
赤、赤みの橙、黄みの橙、黄、黄緑、緑、青緑、緑みの青、青、青紫、紫、赤紫という12色を今でも言えるのは、この先生のおかげ。

高校では公民の先生。
公民という科目はあまり人気が無かったが、ぼくは好きだった。
全く教科書は広げず、自分の好きなことを教えた。
プリントで日本の3人の学者を取り上げ、一年間それをやった。
ほとんどみんな内職していたが、ぼくは面白かった。
この授業で「読んでわかる」という快感を体感したと思う。

よい先生に出会うのは運だ。
先生を自分で選ぶことはできない。
そして、結果的によい先生とわかるのはずっと先だ。

だからこそ、よい先生に会うのはむずかしい。



| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
オニ止まる
オニ止まるという言葉、知っていますか?
オニが泊まるという意味ではありません。

むちゃくちゃよく止まるという意味です。

以前なら、バリ止まると言っていた内容。いつの間にか、バリがオニになっている。
ひょっとしたら、バリはまだ使われていて、バリよりも上の副詞として使っているのかもしれない。

バリの代わりに、超というのはよく聞く。
超こわい、超かっこいい、超早い…など。
この超やバリが弱くなったので、オニになったのかもしれない。

調べてみると、沖縄の方言の研究をしているページで、

 「とても」の意味である言葉は沖縄方言にはたくさん存在する。
 「シニ」「デージ」「サッコー」「バリ」「オニ」「デーミ」「シャカニ」「マル」「ハティ」などがある。
 この「とても」を意味する副詞というのは比較的に方言として定着しやすい語なので全国的に見てもその種類は多い。

という記述があった。
http://tokyo.cool.ne.jp/b3959/2syou.html

ぼくらが学生時代には、そんなに「とても」という意味の副詞はなかったと思う。
「めちゃくちゃ」とか、「ごっつい」とか、そんな言葉だったと思う。

最近は、「めっちゃ」というのが多用されるようになった。

子供らは、「バリ」から「オニ」になった。

この変化はとても早い。 オニ早いというべきか…。


| | 考えたこと | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
気流
気流というのはむずかしい。
素人に予測できない動きをしているらしい。

今の事務所に古いタイプのエアコンがある。
1カ所に吹き出し口があって、方向を変えるルーバーがついている。
上下、左右に変えることができる。

ぼくは基本的に暑がりなのだが、エアコンから一番遠くにいる。
で、ぼくより近いところに寒がりの人がいる。
そのままではエアコンの風がぼくのところまで届かない。
何とかしようとやり始めたのがドロ沼になった。

まず、寒い人はエアコンの吹き出し口をボール紙で一部ふさぐ。
しかし、それでは暑いので、吹き出しているところの下にファンをつけて(パーテションの柱にくくりつけてある)動かした。
向きを調整すると、冷風が遠くまで届くようになり、これはいい、ということで一件落着。

しかし、今年席替えをして、別の寒がりの人が前に行った。
やっぱり寒いという。
仕方ないので、ファンをもう一台買って、横につけ、同じような向きにセットした。
それでも、寒いという。
いろいろ向きを変えたり、強さを変えたり、試行錯誤したが結局新しく買ったファンの手前の吹き出し口に、ボール紙を貼ってふさいでしまった。

まあ、仕方がない。

2台のファンはエアコンの下で仲良く回っているが、今ひとつ納得できない。

いったいどうなっているのか、気流を調べ、ちゃんと解析したらうまくいくと思うのだが、どうしようもない。

誰か、いい方法を教えてくれないか…。

| | 考えたこと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
デート印
デート印という言葉が一般的な言葉なのかどうかは知らない。

前の会社で入社してすぐに作ってくれた。
日付が真ん中に入っていて、上下に名前が入ったハンコのこと。
いつ見たのか、という履歴が残るハンコである。

最初に会社で作ってくれたものは、回転式のデート印だった。(買わされたような気もする)
ぼくより前の人は、ピンセットと0〜9の部品みたいなものがたくさん入ったタイプだった。
毎朝、そのデート印の日付を入れ替えることから仕事をスタートしている人も多かったと思う。

ぼくはずぼらだったので、日付が一日前だったり、二日前だったりした。
そして、何年目かにマイ・デート印にした。
今でも使っているが、年月日の部分は回転式のベルトになっていて、日は2桁、月は1〜12、年は2桁の表示になっている。
歯車を動かして、日付や月や年を変えることができるのだ。
そして、ふたの裏側に専用のインクを染みこませることで、朱肉がいらない。
ふたをとって、すぐにいくつかハンコを押せる。
これは便利だ。

今でも、回覧物は多いが、このデート印はまだ現役で使っている。
もう20年になるか…。
途中、1回買い換えたような気がするが、とにかく、寿命は長い。
シャチハタのデート印。
今はもうぼくの使っている型はないが、まだ売っている。
http://www.shachihata.co.jp/catalog/lineup/010/007/001/

ハンコの文化は、まだまだ続きそうな気がする。
別にサインでもいいのだが、ハンコの方が楽だ。

そういえば、この回覧という文化は日本では当たり前だが、西洋ではあまり見たことがない。
西洋では、一人に1部ずつ渡す。必要ない人には渡さない。
日本は、誰が必要で誰が必要でないか、決めるのは部署の人なので、回覧が必要になる。
まあ、それが責任回避になっていたりするのだが…。
「君もあれ、見たやろ」というやつ。

でも、回覧という文化は素晴らしいと思う。
必要と上司が判断したら、みんなに回す。
回されたからといって、熟読しなくてもよい。(誰かに読んでほしければ、その人を指名してペンで書く)
できるだけ、オープンに、情報はシェアしようという姿勢の表れだ。

だから、「君もあれ、見たやろ」は禁句である。
できたら、知っておいてほしいという情報を回覧で回すのが基本。
別に読んでも読まなくてもいい。

そんな文化の中で育った事に感謝。



| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
自殺率
自殺率という数字がある。
10万人あたりの自殺者の数で表すらしい。

この数字が2006年の統計数字で、23.7。
1位の国から国名を紹介すると、リトアニア、ベラルーシ、ロシア、スロベニア、ハンガリー、カザフスタン、ラトビア、日本の順。
ちなみに1位のリトアニアは2005年の統計で38.6。

上位の国は旧ソ連の国が多い。

馴染みのある国名では、韓国が11位で21.9、フランスが19位で17.6、ドイツが31位で13.0、アメリカが42位で11.0、イタリアやイギリスはずっと下でひと桁の数字だ。

さらに、男子についてのアメリカとの比較では、60代以下の自殺率が高い。
日本のピークである50代での自殺率が約70に対して、アメリカは約20という数字。
10万人あたり、50人も違うのか…。

月当たり、全国で約2500人が自殺している。
年間3万人。

原因は宗教や文化、社会状況、経済状況などにあるんだろうが、この数字は情けない。
日本は不幸な国だと言われても仕方ないだろう。

不幸の国、日本。

どうやって立ち直ったらいいのだろう。

この国を立ち直らせるのは容易ではないと思う。

 雲に隠れた小さな星は
 これが日本だ私の国だ
 若い力を身体に感じて
 みんなで歩こう長い道だが
 一つの道を力の限り
 明日の世界を探しに行こう

遠い世界に。五つの赤い風船が67年にうたった歌。

もう一度、力を合わせて、頑張っていけたらと思う。


| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
暴飲暴食
盆休みに暴飲暴食した。

暴飲暴食とは、むやみやたらに食べて飲むこと。
バイキングに行って、調子にのって、食べまくった。
翌日、実家で弟と姪が来て、母とうちの家族と一緒に中華料理屋に行って大食した。

食べている時は、これくらいなら大丈夫と思っている。

身体は正直だ。
運動もせず、食べて寝てばかりいると、太る。
盆休みが終わって1週間になるが、まだ戻らない。
ユルユルだったズボンのベルトがちょうど良くなったままだ。

むかしは、美味しいものを食べるという楽しみなど、わからなかった。
そんなことが楽しみになるのか、という感じ。
食べ物は、口に入ればよい。何でもいいから食べられれば…、と思っていた。

しかし、この年になって、美味しいものを食べることの楽しみがわかるようになった。
グルメというほどのものではない。
ちょっとした美味しさが楽しみになる。
夏のそうめんや冬のうどんすき。
朝の紅茶やコーヒー。
キュウリの浅漬け、ロールキャベツ、カレーライス、わさび漬け…。

暴飲暴食とは関係ないが、こんな楽しみも年をとればわかるようになる。

人生はうまいことできていると思う。


| | 考えたこと | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
越えられない壁
組織というものがあるが、それを構成するのはあくまでも人だ。
よくできた組織というのは、やっぱり人が作る。
構成員が少なくとも組織の目的を理解し、その達成のために努力しようというベクトルを持っている。

逆にいうと、組織の目的を明確にして、理解させるだけのリーダーが存在し、それが理解できるだけのメンバーがいる、ということだ。
もちろん、ベクトルの方向はある幅を持っている。
それでも、逆向きの人はあまりいないだろう。

「根回し」という言葉がある。
世間ではこれを重要視する人もいるが、ぼくはキライだ。
よくできた組織には、似合わない言葉だと思う。
風通しがよく、普段からコミュニケーションができていれば、根回しなどいらない。

会議では議論ができる。
当たり前のことのようだが、これが意外と難しい。

議論をするためには、共通の土台が必要だ。
そのために、日頃からコミュニケーションを図らねばならない。
それがなければ、議論すらできない。
本当にできないのだ。これは覚えておいた方がいい。

結局、組織というのは構成員のレベルを越えることはできない。
いくら工夫して組織を作ってもムダだ。

だから、人を入れ換えられればいいのだが、そう簡単にはできない。

それが、その組織の限界だろう。

越えられない壁なのだ。



| | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近のこだわり
最近のこだわりというと、ノートがあった。

持ち運ぶので、A5サイズに決めている。
ずっとA4サイズを使ってきたのだが、これは資料保存用にすることにした。
さすがにA4を使っていると持ち歩きがしんどくなる。

A5のルーズリーフを使っていたのだが、これに難点がある。
A5サイズは持ち運びには便利だし、紙の面積も良いと思うのだが、ちょうど見開きのページの真ん中に出っ張りがあると書きにくいのだ。
A4ならルーズリーフでも書けるが、A5ならちょっとシンドイ。
したがって、A5サイズのノートを使うことにした。もちろんリングタイプだ。
リングタイプなら、ノートを折り返して書くことができる。A5をいっぱいに使えるのだ。

いろいろと試行錯誤したが、今はA5のリングタイプになっている。

それとボールペン。

ずっとHI-TECの0.4を使ってきたが、それの組み合わせ自由な4色タイプが出た。
いろんな色のリフィルを買って、ペンの本体を一緒に買うというものだ。
実は2色のペンをブルーブラックとレッドのインクで使っていたのだが、このリフィル、すぐになくなる。
みるみるうちに減って、書けなくなる。
常にインクがあるかどうかを見ておかないと、困ることになる。
ところが、4色になると同じ色で2本入れられることに気づいた。
だから、ブルーブラックを2つにした。
おお、これはスバラシイと自画自賛したが、減るのを見ていると均等に減ってきている。
ランダムに使っていると、同じような頻度で使うのか…。

まあ、何か知恵を出してブルーブラック1号と2号の減り方を変えるようにしよう。

というわけで、ばかばかしいと思う人もいるかもしれませんが、ぼくのこだわりでした。




| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
マウス
昨日キーボードの事を書いたので、今日はマウスについて書く。

マウスは別にパソコンに付属のものでもいいのだが、コードがじゃまになって机の上が狭い。
仕方がないので、マイ・マウスを買うことにした。(もちろん、職場の話)

ロジクールというメーカーのマウスだ。
通常のボタンがあって、それ以外にローラー部がボタンになっていて、その後ろに一つ、横に二つまだボタンがついている。
6ボタンという構成。実際にはほとんど使わないが、ちょっとした時に「戻る」「進む」があると便利だ。
さらに、ズームというスイッチがあって、スライドさせると、文字が大きくなったり小さくなったりする。
これもほとんど使わない。
単三乾電池1本で動く無線タイプだが、これはマウス全体が右に傾いているのがスグレモノ。
当然右利き用だが、持つと自然に手に収まるようになっている。

ノートパソコンでは、IBMの赤いぼっちが出ているタイプが好きだったが、もう今はほとんどない。
タッチパッドになってしまった。

というわけで、職場ではマイ・キーボード、マイ・マウスの状態。
物好きだと思われているだろう。

いろいろといいことばかり書いたが、悪いことも書いておこう。

このキーボードとマウス、無線を使うのだが、これがブルー・トゥースというヤツである。
最初は調子よく使っていたのだが、最近ちょっとおかしくなることがある。
キーをたたいても出なかったり、マウスをクリックしても効かなかったりする。
何が原因なのかわからないが、ブルー・トゥースが悪いのではないかと思っている。
USBのところに受信機を差してあって、いつも青いランプがピカピカしているが、時々サボタージュするようだ。

まだそんなにひどくないので、使い続けているが、どうもオカシイ。

できれば、マウスとキーボードは同じメーカーのセット品を買った方がいいかもしれない。

そうは思っていても、こだわりがあるから難しいのだが…。



| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
キーボード
30代の後半になって、ブラインドタッチを覚えてからキーボードにはこだわりがある。
そんなに速いわけではないが、結局前の職場でも、今の職場でも一日中目の前にあって触っているものといえば、キーボードだからだ。

まず、ノートパソコンのようにペタペタするのは好きではない。
キーのストローク(沈み込み)がある程度ないと、打った気がしない。
キーの幅も標準程度はないと、打ちにくい。
キーピッチ(隣のキーとの距離)はある程度狭くてもいいが、狭すぎると使いにくい。
使っている間に表面の文字が消えてしまうのはダメ。

これは書いて伝えるのは難しい。
いわゆるフィーリングテスト(官能テスト)で決まるからだ。

というわけで、家のパソコンではIBMのキーボードを使っている。
これはキーを押し込んだ時の感じがすごくいい。
ちょっと反力が強いのだが、手応え感があってよいと思う。
こちらは音がしない。
前の会社でIBMのワークステーションを使った時からのファン。
IBMの黒いキーボードでもいくつか種類があるようで、IBMだから良いわけではない。

今の職場では、こないだパソコンを入れ替えた時にNECのミニキーボードがついてきた。
机の上が広く使えるヤツ。テンキーもついている。
これはそんなに悪くないのだが、実はマイ・キーボードを持ち込んで使っている。
FILCOというところの製品。無線で接続するタイプ。
梅田のヨドバシで買ったのだが、Made in Taiwanと書いてある。
これは打つとカチカチ音がする。
タッチは軽めで、適度なストロークがあって、打っていると気持ちがいい。
何でも、キートップはレーザーで文字を刻印しているらしい。
だから、使い込んでも消えないというふれこみ。

誰しもこだわりがあるものがあると思う。

ぼくは文房具全般だが、キーボードは文房具に入るのかな…。



| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
レッスン その2
2005年の8月に習い始めて、はや4年。
もう月謝のハンコをもらうカードが5枚目になった。

最近ちょっと調子が悪いが、またやる気になってきた。
ギターを持って夜道を歩いて、電車に乗って一駅。
徒歩3分で教室。

月に2回のレッスン。
今まで3回しか休んだことはない。
新しいことをいくつも習った。

スケール、コード、弾き方、練習法。

そのわりには、上達が遅いような気もするが、それは仕方がない。

レッスンの帰りは、また電車で一駅。
たいがい10時過ぎになる。
電車の中はサラリーマンがたくさんいる。
何年か前には、ぼくもその一人だった。

仕事を変わって、少し帰る時間が早くなったから、レッスンに行けるようになった。
…というのは、言い訳か。
前の職場でも、行こうと思えば行けたのだと思う。
ふんぎりがつかなかっただけだ。

少しだけのふんぎり…、それが必要な時もある。

でも、ふんぎりがつかなかった時代が、時々懐かしい。

人生はむずかしい…。


| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
スチールパン
今日またスチールパンを聞きに行ってきた。

ドラム缶をたたいて作った楽器だが、倍音が多く、ゴムでたたくときれいな音がする。
ギターの先生がメンバーのスティーリング・ビートというバンド。
スチールパン3台、ギター、ピアノ、ベース、ドラムというメンバー。

カリブ海生まれの楽器で、音も明るい。

テキーラやマンボNo.5、マシュケナダなどのおなじみの曲をやった。
先生はガットギターとエレキギターを持ち替えて弾いていた。

ああいうのを見ると、楽しいだろうなあと思う。
リズムに合わせて、目くばせし、ソロに入る。
1コーラスのソロが終わりに近くなると、手で合図して、次のソロに回す。
最初はギター、続いてピアノ、スチールパン、そしてベース、ドラム…。
みんな、その時の気分で弾いているように見える。

お互いのソロを見ている時は、リラックスして笑っている。
「おお、今日は気合い入ってるなあ…」とでも言っているようだ。

「落語をして、一度でも笑いをとったら、やみつきになる」というが、あのプレイヤーたちはその感覚を知っているのだろう。

落語で何度か味わったことはあるが、音楽で味わったことはない。

一生に一度でいいから、あの感覚を味わってみたいものだ。



| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
Blackmail
Blackmailは動詞で、恐喝する、ゆするという意味。
名詞で、恐喝、ゆすりという意味にも使う。

この言葉、刑事ドラマでよく使われる。
mailという言葉がついていることから、メールが一般的になってからの新しい言葉かと思っていた。
blackmailというと、黒いメールで、いかにも恐喝、ゆすりという感じがする。
だが、予想が外れた。
mailは郵便の意味ではなく、地代という意味らしい。

もう一つは、autopsyという言葉。
検死・解剖のことだ。
autoとは「自分で」という意味。
調べてみると、この単語はaut+opsyになる。opsyはギリシア語で「見る」という意味らしい。
「自分で見る」から解剖という意味になる。
自分で自分を解剖はできないのだが…。

blackmailとか、autopsyとか、物騒な単語ばかりだ。

たまにはハッピーな単語も覚えないと。


| | 英語 | 01:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
未来のハナシ
このところ、昔のハナシばかり書いているような気がする。
これではいけない。
未来のことも書かないと。

未来というと、アトムの世紀。
自動車は地上から浮いて走る、エアカー。
ロボットがいて、人間と共存している。
宇宙にも基地があって、人が住める。
それがぼくらの未来だった。
夢のような未来…。

手塚治虫や昭和のマンガ家たちが描いた未来は、たいがいそんな未来だった。

ぼくらは、いつかそんな未来が来るとぼんやり信じていたと思う。
生きている間に必ず来るとは思っていなかったが…。

今日よりも明日、明日よりも明後日が豊かになる。
そんな時代の雰囲気だったのだろう。

大人になって、長男がまだ小さい頃、彼らが見るのは戦隊ものだった。
赤・黄・青・緑・ピンク。毎年は名前は変わるが、基本は同じ。
なんだかわからないが、科学的な説明はなく、一人ずつ武器がある。
五つの乗り物が合体して大きなロボットになる。
何で動くのかわからない。
エネルギーは何か?
これらはみんな説明なく、不思議なチカラでそうなる。
悪者をやっつければそれでよい。

これが日本なのか。
商業主義のかたまりのようなテレビ。
そして、現実離れしたゲーム。

今の子どもたちにとって、未来とはどんなだろう?

少なくとも、ぼくらよりも暗い未来を想像しているような気がする。

また昔のハナシになってしまった。


| | 考えたこと | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜ負けたのか
亡くなった父は、ぼくがまだ小さい頃、たまに戦争の話をした。
その中で、言っていたのは、いかに日本軍が作戦を軽視したかということだった。
作戦を軽視したというか、「精神論」を重視したとも言い換えられる。

成せばなるというやつだ。

補給ラインを無視した作戦、これは南方戦線のことだ。「現地調達」というやつ。
いちいち飯盒で食事をする、これは、コンバットというテレビドラマで缶詰の食料を食べる場面ではよく言っていた。日本軍はあんな合理的な食事は考えなかった…。
米軍はパイロットを大事にしたが、ゼロ戦にはパイロットを守る仕組みはなかった。飛行機は代替えが効くが、パイロットは養成に時間がかかる。

「精神論」対「合理性」の戦いだったのかもしれない。

その最たるものがオペレーションズ・リサーチと言われるもの。この話は何度も聞いた。
これをつかって、米軍はカミカゼの体当たりの成功率を下げることに成功した。
日本軍はカミカゼの成功率が下がっても、なぜかは考えなかった。
考えていたら、少しは結果は違ったかもしれない。
何度も同じ攻撃をしたのだ。

オペレーションズ・リサーチは科学だ。
何百という攻撃パターンを分析し、艦の走行パターンを工夫した。
日本軍にはそういうものに対する敬意がなかった。

だから、父はぼくに理系を勧めたのかもしれない。

科学を軽視するものは負ける。
「精神論」だけでは勝てない。

それが第二次大戦の教訓だった。

もちろん、それだけではないが…。


| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブチる
昨日高校1年の次男が使っていた。
ブチっと切るということからできた言葉らしい。

メールのやり取りをしていて、返事を出さないことをいう。
おい、ブチるなよ…というような使い方をする。

メール関係は新語が多い。
ネットで調べると、今年の5月に大修館書店から「あふれる新語」という本が出ている。
それによると、

 【指恋】携帯メールのやりとりを重ねるうちに恋愛関係に発展すること。
 【こそアド】こっそりメールアドレスを交換すること。

などが出ている。

こそアドというのは、普通はこれ、それ、あれ、どれ、という指示語を表すのだが、違う意味に使われている。
「こそあど言葉」というのを知っていて、それと同音異義にしたことにおもしろみがあるのか。
何となくセンスを感じる。

そういえば、メアドというのもメールアドレスの短縮形で新語だろう。メルアドともいう。
ぼくはアドレスという方が好きだ。

しかし、アドレス変更した時はどういうのだろう?
アド変か、それとも変アドか…。

ネットで調べたら、アド変だった。
メールでアド変と書いてあって、新しいアドレスが書いてあったら、アドレス変更のことだとわかる。

ブチるから、アド変まで来てしまった。

でも、ブチルというと、ブチルゴムを思い出すのは、職業病か…。



| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
俳句
小学校の頃、習字を習っていた。

学校の近所で、普通の家だった。
そこで俳句もならった。
五七五のリズムは、日本語に合った響きだと思っている。
何のことはない日常の風景や思いを切り取る…それが俳句だと思う。

その頃、ウチでは「毎日小学生新聞」というのをとっていて、そこにも週に1回くらい俳句のコーナーがあった。
それくらい、俳句というのは小学生にも馴染みがあったのだ。

古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉

俳句といえばこれ。多くの小学生(といっても、半分くらいだろうか)は知っていたと思う。

習字の先生に俳句を習ったのは、今から思うとすごくよかった。
毎週か、毎月か、忘れたが、一つ作って持っていくだけのことで、それを先生がみて、これはいいとか、これはもうひとつとか、それだけのことだ。
それでも、係り結びや古文の響きを覚えた。
○○や、○○かな、という感じは今も好きだ。
わからなくても、何度も聞いている間に、何となく意味はわかるものだ。

習字を習っていたのが、2年から4年までの2年間。
でも、授業で俳句が出てきたのは5年だったか…。
忘れてしまった。

畳の部屋に小さな机が10個ほど並んでいて、そこで座って墨をすり、そして書く。

そういえば、うちの子が習字をするときに、筆の持ち方が下手でビックリした。
まるで鉛筆のように持って、ななめにして書こうとする。

筆はな、半紙に対して垂直に立てて書くネン、と教えた。

話がそれてしまった。
俳句、いいですね。

ごろ寝して 夢は昔の 夏休み

オソマツ

| | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏休み その2
今日から夏休み。

世間の人には申し訳ないが、今週1週間。

ぼくは夏休みが好きだ。
一日寝ころんでぼんやりして過ごす。
本を読んだり、寝たり、テレビを見たり、ビデオを見たり、ギターを弾いたりする。
こんな休みの過ごし方をしていると、長生きできないなあと思うが、それでもいいのだ。

人生は短い。
あの楽しかった夏休み。

7月20日過ぎが休みの始まり。
今みたいに熱帯化していないから、外で遊ぶことができた。
アブラゼミの大合唱の中で、野球帽をかぶって遊んだ。
小学校の夏休みは長い。

何を考えていたのか、もう忘れたが、無邪気なものだった。

近くの公園でボール遊びをして、帰ってきて麦茶を飲んだ。

エアコンなどない。
車などめったに通らない。
もちろん、舗装した道は幹線道路だけだった。

そんなことを思い出しながら、昼寝をする。

夏休みバンザイ。


| | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
昔は面白かった
ぼくは、昔はもっと面白い人間だった。
当然、自己評価である。

22歳の時がピークだったかもしれない。
でも、35くらいまではそんなに人間が変わったとは思わなかった。

ところが、35を過ぎて、40くらいになると、どうも勝手が変わってきた。

「しょうもないこと」に関する脳の引き出しが減ってきたような感じ。
しょうもないことには、2種類ある。
本当にしょうもないことと、しょうもないことではあるが、話すに値するしょうもないことだ。
その、いい方のしょうもないことを思いつくことが減った。(当然、ぼくの主観的判断だが)

話すに値するしょうもないこととは、風呂で身体を洗う時の順番は決まっているか?とか、おいしいものは最初に食べるか、最後に食べるか?とか、神さんは座布団に座っているか?とか…。

たしか、前にも書いたような気がするが、どんどん自分がしょうもない人間になっていく。

年をとって頭が固くなる、という事かもしれない。
限られた引き出しが、現実で一杯になってしまった…。
でも、もっと面白いことをいろいろ考えていたハズだ、と思う。

年をとって、あの考えはどこかに行ってしまったのだろうか。
頭の中から消え去って、どこかに行ったのか。
消え去っているわけではなく、どこかに隠れているのかもしれない。
脳の能力は無限、というから、どこかの引き出しに入っていて、忘れ去られているのかもしれない。

それを思い出したい…、と強く思う。

あの頃の面白かった自分、まだ世の中のことを知らなかった自分、まだ大人になりきれていない自分。

大人になるのと引き替えに、面白くない人間になるのなら、そう言っておいてほしかった。

だからどうなるものでもないが、それを聞いていれば、もう少し気をつけて大人になっただろう。


| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
おしまい
昔の映画をみていると、日本映画であれば、「終」か「完」と出ていた。

英語の映画であれば、The Endだし、フランス語の映画であれば、Finだった。

そう思って、最近の映画を考えてみると、「おしまい」の言葉を見た覚えがない。
あれ?たしかなかったような…。

とにかく、たくさんの人のクレジットが出てくる。

最近の映画はやたら人手がかかるのだろう。
SFXやCGといわれるものや、特殊メイクの人、それと俳優が使った服や時計の会社など…。
タイトルバックが画面に出ている時間が、エンディングの1曲では終わらず、たいてい2曲、長い時は3曲くらいになっている。

そんな事で最近の映画には「The End」の文字はない。

ぼくはたいがい映画が終わって、タイトルバックが流れ、それが終わって明るくなるまで座っているのだが、最近たしかに長くなった。

何で、タイトルバックを全部見るのか?
よく考えたら、「これでおしまい」という文字を期待しているのだ。
これでおしまい…、そういう文字は必要だと思う。

なぜ必要かと言われたら困るのだが、何となく映画の世界から現実に戻るきっかけが「これでおしまい」という文字なんだと思う。

個人的には、復活させてほしい。


| | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
Excuse me と I'm sorry
Excuse meはすみません、I’m sorryは失礼しますとか、ごめんなさいという訳が一般的。

日本語ではあまり意味は変わらないので、あまり気にせず使ってしまう。

でも、この二つは全く違う。

Excuse meは命令文。
主語のYouが隠れているのだ。
つまり、「あなたが私を許しなさい」という命令をしていることになる。
これは日本語ではあり得ない(許したらんかい という関西弁はあるが)表現だ。

一方、I'm sorryは「私はすまないと思う」という意味。
私が主語であり、詫びている主体は私である。

だから、I'm sorryとむやみに言ってはいけないということになる。
間違いやミスを認めたことになるからだ。

とりあえずExcuse meなら私のことは言っていない。
あなたに許しなさいと命令しているだけだ。

というのが、常識的に言われていること。

だから、I'm sorryという時は意識して言った方がいい。

でも、誰かが亡くなって、それを知らせる…という場面がドラマでよくある。

その時に、I'm deeply sorryなどという。
そういうドラマを見ていると、sorryには「残念だ」という意味の方が強いような気がする。

I'm sorryはもともと残念な気持ちを表す言葉だろう。
誰かが何かをなくした時、大切な人がいなくなった時、自分のせいで誰かが困ったことになったとき…、そんなときにI'm sorryを使う。

そう思っている方が正しいと思う。



| | 英語 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
ちゃんとする
よく子供の頃「ちゃんとしなさい」と言われた。
何かを中途半端なやり方でしたり、ぞんざいにしたり、いい加減にした時だ。

自分が大人になっても、子供に「ちゃんとしなさい」と言っている。
やっぱり同じ理由だ。

しかし、「ちゃんとする」とはどういう意味か。
「きっちりする」と言い換えてもよい。
でも、どういう状態が「ちゃんとした」状態か、それがわからなければ、ちゃんとできない。

そういう意味では、主観的な言葉だ。

親が「ちゃんとしなさい」、といった時に、子供が「ちゃんとしてる」と口答えするのは「ちゃんと」のイメージが異なっているからだろう。

一方、一応言うことを聞いて、「ちゃんとする」場合は子供自身、これはいい加減なやり方だと知っていることになる。
実際にどうしたら「ちゃんと」しているかを確認しないからだ。

まあ、そんなリクツだけで片付くような話ではないが…。
売り言葉に買い言葉で言う事もあるからなあ。

こんな主観的な言葉が多い。

こないだ聞いた、元アナウンサーの人の言葉。
「静かにしなさい、うるさい、と言われて育てられた子どもは、大きくなって何も話さない。」

言葉は恐ろしい。



| | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
呼びかけ
呼びかけ、わかりますか?

卒業式の割りゼリフのことです。
これは平成の新語だと思っていたら、昭和の末期でも使われたらしい。
ぼくは今日初めて知った。

卒業生がみんな並んで、ちょっとずつセリフを割って話す、あれです。
一人が、「がんばった〜」と言ったあと、全員で「うんどうかい〜」とかいうヤツ。

ぼくは実際には見たことがないけど、あれは何となくオカシイ。
何で、みんなでやるんだろうか。

ぼくらの頃は、卒業生の総代が一人で答辞を読んで、それを折りたたんで校長に渡していた。
そういうものだと思っていたら、いつからか変わっていた。

なぜだろう?

卒業生総代を決めて、一人だけ前に出て話すのを嫌ったのではないだろうか。
成績を絶対値でつけるというのと連動しているのかもしれない。
みんなにさせてやらなければ、かわいそうだ…ということか。

泣かせる言葉で、親も先生も卒業生も在校生も感動するものになっているらしい。
ネットで調べたら、指導方法とか、文例集ばかり出てきた。

今ごろはたくさんの人が泣くらしい。
男も女もだ。
無理やりに感動させられる。

昔と比べてばかりで申し訳ないが、ぼくらの頃はほとんど泣く人はいなかったと思う。
感動しなかったワケではないが、人前で泣くのは恥ずかしいという思いもあっただろう。
昭和ヒトケタの親たちは、静かに見守っていた。

ぼくも泣きたい時はあるが、無理やり感動させられるのはイヤだ。
何度も練習して、声を揃えて、やらせているのだ。
そんなことを何度も練習するのか…。

別に悪いと言っているわけではない。
何となく、うさんくさいと思う。

小学生でも、本当にお世話になったとか、この学校は楽しかったとか、あの先生はよくしてくれたとか、もし思えば卒業式の日に別れるのは悲しいだろう。
ぼくは、「仰げば尊し」を歌った時、「ああ、この歌はいい歌だ」と感動した。
小学校でも、中学校でも、高校でも、やっぱり「仰げば尊し」を歌った。

今は歌わないという。
先生が、自分は尊くないから、歌うのはやめようと言ったのだろうか。
君が代とセットだからやめたのだろうか。

ぼくはそれぞれの人が、それぞれの気持ちを持って、式を執り行えばイイと思う。

呼びかけもやったらいい。
でも、無理やり感動させるためにやるのは、やっぱりオカシイと思う。
だから、あまのじゃくかもしれないが、うさんくさいのだ。

ちなみに、ネットで検索すると、こんなのが出てきました。
オソマツ。

読み方のこつ
・どこに感情を入れて読むのか、文章のサビを見抜く。
・劇のようにメリハリをつけて読む。
・口形を大きくし、一つ一つの言葉をはっきりと読む。

指導方法
・読み方のこつを、まず教える。
・文章のサビはどこか、どこを劇のように読むのか、考えさせノートに書かせる。
・個別練習、個別評価を徹底しておこなう。個人練習ができた子からこさせ教師が個別評価&アドバイスをする。
・全体でやるときにはストップをかけない。時間の無駄、教師の怒鳴り声を聞いているうちに待っている子が嫌になる。
・自分の言葉がない子は、教師と同じように判定員をさせる。

教師側の押さえなど
・文章の作成前に、子どもからアンケートをとって光る言葉を探す。
・その年の社会事象を入れるとよい。
・倒置法や体言止めが、耳に残る。読んでいい文章と耳に残る言葉は違う。
・ようす(行動)が目に浮かぶ文章が、心に残る。
・呼びかけの一番の子は、声に張りがある子がよい。
・オーディションをおこない声に張りのある子を探す。
・本番では緊張して早くなるので、練習ではゆっくり目に言うようにする。


| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
Make sense
それはリクツにあっている、という時It makes sense.という。

Make senseというのは、日本語にはない表現。

sense という単語にはいろんな意味がある。
感覚とか、気持ちとか、判断能力とか、認識とか、思慮・分別・常識とか、意義・価値・合理性とか…、すごく意味が広い。

だいたい、意味の広い単語は、日本語と意味の切り分け方が異なる単語だから、難しい。
英語を話す人がいちいち、このsenseはどれだろう?と考えながら話すわけはないから、一つの概念としてsenseという単語はあるのだろう。

これらの全ての訳語を統一する概念は何だろう?

「感じたり、知覚したりして、わかることやそのスジが通っていること」というようなことだろうか。

どうもしっくりこない。

それはsenseを作るということで、リクツに合っているという意味になる。

このsenseという言葉、こういうのが、一番むずかしい。

Make senseでリクツに合うという風に覚えないと仕方がない。

でも、それを使っているネィティブは、なんか頭の中にsenseのイメージがあるんだろうなあ。

こういうのが、語学の壁になるんだと思う。


| | 英語 | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
Hound Dog
ハウンド・ドッグというと、エルヴィスの曲。

ハウンド・ドッグとはイヌ(猟犬)のことだと思っていたが、これは「女たらし」の意味。
女のお尻を追いかけるイヌ、…ということらしい。

リリースが1956年だから、ぼくが生まれる1年前。

ぼくはエルヴィスをあまり知らない…、というかエルヴィスの世代はもっと上だと思う。
黒人のリズム&ブルースを白人でも歌えるという事を示した歌手。
No1ヒットの数も多いスーパースター。
それでも、あまりなじみがない。

唯一よく覚えているのは、1970年の「この胸のときめきを」。
When I said I need you.で始まる曲。あの出だしは印象的だった。
ぼくは見なかった(と思う)が、エルヴィス・オン・ステージという映画もはやった。
あの、サングラスとリーゼント、白いヒラヒラの付いた服が思い出される。
ぼくらより若い人がよくモノマネしていたが、なんで知ったのだろう?

なんか、一時音楽から離れていて、カムバックしたような事だったと思う。
映画もたくさん撮ったようだが、1本も見ていない。

1977年に心臓発作で亡くなった。
ドーナツが好物で、そればかり食べていて、太ってしまってそれが致命傷、…というような話だったと思う。
真偽のほどは確かではない。

すごいアーティストで、後の世代に残した影響も大きいという。
ぼくがすごいアーティストだと思っている、ビートルズもエルヴィスの影響を受けたとのこと。
というか、それ以降のアーティストは何らかの形でエルヴィスの影響を受けているらしい。
きっとそれなりの理由があるのだろう。

ただ、Love me tenderやCan't help folling in loveを聞くと、普通のカントリーのような気がする。

あの時代にエルヴィスを聞いた人には、その違いがわかるはず。

残念ながら、ぼくにはわからない。



| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
年をとったから、大人になれるとは限らない
今日の朝のドラマでの斉藤由貴のセリフ。

「年をとったから、大人になれるとは限らない」

斉藤由貴の役どころは、舞台となっている甘玉堂という老舗の和菓子屋の亡くなった主人が、外で生ませた子供というもの。
主人公のお母さん(鹿の子)の異母姉妹になる。
名前はきなこ。鹿の子ときなこ、和菓子屋らしい名前だ。

一度甘玉堂を訪れ、出生を隠して働き、それがばれてしまった。
その時に祖母役の吉行和子に「あなたは決して望まれなかった子ではありません」と言われ、和解した。

そのきなこが、自分の子供を作るかどうかで迷い、主人は主人でカッとなって言ってしまった一言を苦にして離婚しようとする。

離婚寸前というところで、結局和解するのだが、その時に縁側に座って、きなこが言ったセリフ。

「年をとったから、大人になれるとは限らない。」

これは真理だと思う。
大人になるには、年をとることが必要だ。でも、それは必要条件でしかない。
では、十分条件とは何だろう?

大人になるには、覚悟が必要だ。

もう親の世話にはならない。
自立して働き、一人で暮らしていく。
自分でしたことには責任を持つ…。

でも、そんな外見的なことよりも、大切なことがある。

「自分よりも大事な何か」を見つけること。

ぼくはこれが大事だと思う。


| | 考えたこと | 20:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミッシング・リンク
これは、「失われた環」「失われたつながり」と訳される。
生物学の言葉らしい。

この言葉を何で最初にみたのか…。
推理小説かSFだったと思うのだが、定かでない。

大辞林によると、

進化において、生物の系統を鎖の環に見立て、その欠けた部分(間隙)に想定される未発見の化石生物。始祖鳥(鳥類と爬虫類との間)・アウストラロピテクス(人類と類人猿との間)の化石などの発見は、その間隙をつなぐ例。

と書かれている。
鎖の環だからといって、ミッシング・リングではない。リンクだ。

それから転じて、生物学以外でもミッシング・リンクという言葉は使われる。

AとBをつなぐもの。それがあるはず…というときに、ミッシング・リンクを探すというふうに使われる。
推理小説などでは、この使い方が多い。

この使い方が好きだ。
なぜ好きなのかわからない。
日本語にはない語感があるからかもしれない。
ミッシング・リンク…失われたつながり。

まだ見つかっていないが、必ずある。

そういう確信をもつ…、ロマンチックだ。



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