考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< May 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
21世紀の価値観
1995年に考えていたことの第二弾。
21世紀の価値観、ということを問われて書いたもの。
この頃はまだ日本の景気がよかった。
少なくともぼくの回りは仕事、仕事で忙しかった。
そんな時代。
懐かしいなあ。

21世紀の価値観とは何か。
常日頃そんなことを考えていないので、突然聞かれると答えるのがむずかしいですが・・・。
まず、21世紀の価値観を考えるために、20世紀、といっても我々が知っている戦後の日本の現状について考えましょう。
今の日本を見ていると、夢がない、というのが素直な感触です。
それは何故か、というと、みんな一緒だからではないでしょうか?
みんな平等、というスタートに立って、いち・に・の・さんで走り出すという建て前になっています。
望む道も、いい学校を出ていい会社に就職する、という決まったルートを目指して行きます。
何か、漠然としていて、本当にそういう道を歩んで幸せになるのか、あるいはそういう道が自分に向いているのか、といったことは考えず、みんなが行くから僕も、私も、といった状況です。
この平等、という奴がくせ者で、平等、という事は、みんな生まれながらにして、同じ能力を持っている、という事が前提になっているのです。
従って、できない奴は、さぼっている、という事になってしまいます。
でも、本当は、人それぞれ、向き・不向きがあって、やりたいことも出来ることも、違っていて当たり前だし、絶対に同じ人間はいないのですからもっと、自由に考えればいいと思います。
しかし、今の一般的な価値、というものは、いい会社に入る・いい学校に入る、という一元的なものになっています。
価値観が、一つになってしまっているのです。(本当は、いろんな事に価値を見いだすべきなのに)それがまた、外から与えられる物で、みんな真剣に考えないで進んでいるという感じがします。
また、一方で、偉いとか、りっぱだ、とかいう価値はどんどん崩壊していっています。
大学教授や大臣、先生等は昔は偉かったのです。
だから、大臣になる、というと、すごい!という事になっていたのでしょう。
末は博士か大臣か、という言葉があったでしょう。
そういう社会的な価値、という物はつぶれていっています。
今のように、いい学校にはいっていい企業に行く、というよりも博士や、大臣になる、という方がいくらかましです。
目的がはっきりしていますから。
これらは、金儲けではなく、世のため人のために尽くす、というのが当時の目的だったと思います。
ところが、いい学校やいい企業といってもそれは目的ではなく、安定して生きてゆくための手段でしかありません。
最終的には、金をたくさん、安定してもらう、というのが今の価値をぶっちゃけて言った物になるのではないでしょうか?
したがって、物(金)に重点がおかれていて、人ではないというのは、すごく当たっていると思います。
つまり、戦後の我々が生きてきた時代に、一方で従来の価値観をつぶし(これは平等、といういきすぎた考えによるもの)、一方では金をもらうことに重点を置いて、とにかくいい会社にはいる、という倫理のない価値に走っているというのが現状だと思います。
だから、夢がないのではないでしょうか?
夢には、意義とか、倫理とかがいるのではないでしょうか?
そしたら、21世紀はどうなるのでしょうか?
それはよくわかりません。
希望的観測で言えば、日本人もアホではないので、何らかの意味のある価値を持った、価値観(金をもうけて楽な暮らしをするというだけでは無い物)を見つけていくかもしれません。
でも、今の状況を見ていると、どんどん既成の価値観は古い物として、捨てられていっていると思います。
例えば、自分を犠牲にして、友達のために尽くすとか、みんなの幸せのために政治家になろうとするとか。
そこには、新しい物はいい物で、古い物は良くない物だという無意識の先入観があるような気がします。
誰かがそれは進化論の悪影響だ、と言っていました。
エントロピーは、増大する、と言う法則があって、結局価値観も同じようにどんどん無秩序の状態に向かっているのかもしれません。
やっぱり、何かまたは誰かのために、頑張る者をバカにしないで尊敬する、という今では古風な考えが復活しなければ、21世紀に向かって結局今の風潮が続いていくのではないでしょうか。(また、暗い結論になってしまいました。)


2016年、大阪の小学校で、将来なりたい職業を聞いたら、Youtuberという答えが上位だったらしい。
なぜかというと、勉強しなくていいから、ということだ。

どうも、95年の風潮がその後も続いていったみたいだ。


| | 考えたこと | 20:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
1995年のアメリカの印象
コンピューターのファイルを整理していたら、1995年にアメリカの印象を書いた文章が出てきた。
銃規制や犯罪など、アメリカには病める部分が大きいということに関してちょっと反論している。
この年は出張でアメリカに行った年。
だからだいぶアメリカびいきになっているのかもしれない。
でも、ぼくは今でも親米だ。

以下1995年の文書。

確かにアメリカには病める部分も多いように思う。
色々な人種が集まって、民族を越えて、自由と平等と言う理念のもとに集まり、アメリカの国旗に宣誓をして国民になれる国だから。
もともと理念なんて信じるものこそ救われる世界のものだから、民族という血のつながりには勝てない。
それでも一生懸命国家として頑張ろうとするところに、無理が出てくるのだろう。

貧富の差が激しい事、人種差別、麻薬、治安、銃の問題など、いくらでも悪いところはあげられる。
それでも、そんな理想を掲げて、無理を承知で頑張っているところが、何となく憎めないところになる。実際にはいろんな民族がいても、WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)の人々が治めているのが現状だと思うが…。

アメリカの独立宣言に、ぶっちゃけて言うと、”みんなの役に立たない政府なら捨ててしまって、新しい政府を作るのが、みんなの未来の安全のための、義務だ”という一節があり、この言葉に感心する。
アメリカを作った奴等は偉かったんだなあ、と思う。

でも、今のアメリカは悪いヤツがたくさん居て、自分の利益しか考えてないし、言いたいことだけ言う奴がたくさんいる。
それでも、アメリカが偉いなあと思うのは、たいていの場合、反対の意見が出てくることだ。
貿易の問題にしても、ワシントンの言うことに対して、それはおかしい、という、ジャーナリストが必ず出てくる。
そういうところは、健全な国かなと思う。

日本はすぐ一色に染まってしまって、違うことを言うヤツを排斥したがる。
日本の米がいかに高いか、と言うことを教えてくれたのもアメリカだったし。(だからといって輸入に100%賛成ではないが。)
何やかや言っても、アメリカには馴染みがあって、住みたいとは思わないが、やはり、どちらかと言えば、親米だ。

白人に対して、劣等感はある。
なんとなく、勝てないと言うか、ついていけないというか。
でも、それは、一つには彼らが僕らと違う価値観を持っているということもあるからだと思う。
やっぱり、キリスト教ではないかなあ。

あの頃から、そんなに変わらない。
もう20年以上前だが…。

若かったなあ。


| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
たそがれ清兵衛
たそがれ清兵衛 藤沢周平 新潮文庫

久しぶりに本の記事。

今まで藤沢周平の作品をあまり読んだことがなかったが、先輩に勧められて読んだ。
これは短編集。
8人の侍が描かれる。
いずれも剣については一流の使い手だ。
でも、太平の江戸の世で、剣ができることはもはや出世の道具にならない。
8人が8人とも下流の藩士。
何か外観上の不具合があったり(不細工ということだ)、何か自分の家の事情を抱えていたりする。

そういう侍だから、お家騒動を画策する仲間に入ったりはしない。
でも、武道の覚えがめでたいとわかり、どちらか一方に力を貸すように頼まれる。
仕方なく巻き込まれる運命なのだろう。
そんな彼らが活躍するのだが、あくまで裏での活躍になる。
それがために取り立てられるということもない。
目先の問題が解決するという程度だ。

それでまた普通の藩勤めの侍に戻っていく。
ほとんどの人は彼の強さも知らず、元のままだ。
それでも文句も言わずに元の生活に戻っていくのだ。

そんな侍を描いた短編集。
わざの強さをひけらかすでもなく日常を淡々と生きる。
彼らにとっては、淡々と過ぎる日常が大事なのだろう。

読んでいて、そんな彼らの強さに痛快さを感じる。
そんな短編集だった。

池波正太郎ほど痛快ではないし、柴田錬三郎のように粘りがあるわけでもない。
侍の日常を描く。
時代劇が面白いと思うようになってきたのは、歳をとった証拠なんだろうか。
それも、ぼくらの世代くらいまでかもしれない。
筋立てがシンプルで、わかりやすい。
でも、いい時代劇には深みがある。

なかなか面白かった。

| | | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
お金が余っている
こないだテレビで見たが、2010年の日銀平均マネタリーベースが98兆円、それが2016年4月で381兆円にも膨れ上がった。
市場に4倍のお金が出回っている。

そして、2010年度の予算(一般会計+特別会計)が464.7兆円、2016年が500.6兆円。
それに伴う政府債務が20010年924兆円、2015年度末で1049兆円。
債務がついに1000兆円を超えた。
さらにマイナス金利にまでしてお金を動かそうとしている。
しかし、それほど劇的に景気が良くなったという実感はない。

伊勢志摩サミットで、安倍総理は金融緩和を訴えたようだが、欧州の諸国は財政規律を重視すべきというような意見だったらしい。
もっともだと思う。
そういう国では、国民が痛みを伴っても、収支を均衡させようというコンセンサスがあるのだと思う。

これで消費税増税を延期するということは、ぼくらの子や孫の世代に借金のツケを回すことになる。
お金を刷れば、とりあえずは何とかなる。
でも、それは麻薬のようなもので、ずっとそんなことはできない。
そんなことができるのは、日本の国が信用されている間だけだろう。
増税を延期すると、日本国債の格付けが下がる可能性もある。
さすがに、債務が大きくなりすぎるからだ。

増税を延期するのなら、是が非でも経済成長する必要がある。
そうしないと、財政規律が保てない。
10%以下の消費税率で済んできたのは、日本経済が成長していたからだ。
もうそうはいかないと思うが…。

少なくとも、よけいな国の規制を取っ払って、新しい産業を起こせるようにしないといけない。

そうしないと、いつまで経っても第三の矢は放たれないぞ。


| | 考えたこと | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
オバマ大統領
オバマ大統領が広島を訪問した。
現職のアメリカ大統領が広島を訪問するというのはたいしたものだ。
国内に反対も根強いのに、よく決断したと思う。
国内での世論も戦後生まれの人たちが増えてきて、原爆投下を良しとしないジェネレーションの人たちが増えたことや、自身がノーベル平和賞を取ったこと、もう任期が迫っていることなどが背中を押したんだろう。
それでも、被爆者の方々と握手をして、手を握ったまま話を聞いているところなどが映されると、なんか感動してしまった。
亡くなった親父は広島生まれだったが、生きていたらどう言っただろうか。

91歳の被団協の方が、「原爆投下は人類の過ちだ」と言っていた。
アメリカが悪いとか、そういうことではなく、人類の過ちだとテレビで伝えていた。
それぞれ、いろんな意見があるだろうが、日本には「水に流す」という表現がある。
過去のいきさつは忘れて前を向いて行こうということだ。

そんなに簡単に国と国との関係や歴史の問題は解決しないことはわかっているが、今日の中継を見て、そんなことを思った。

戦争責任というのは難しい。
勝てば官軍というところがある。
ぼくは個人的には、アメリカに対する責任追及は、もうええやん、と思っている。
アジアに対して、本当にやったことはごめんなさい、というのは認めなければならないと思う。
でも、ウソは間違っている、と主張すべきだと思う。

でも、それより日本人として、あの戦争をなぜ始めたのか、そしてなぜ拡大に走ったのか、なぜやめるのに原爆を落とされなければならないところまでひっぱったのか、それをちゃんと分析して国民がちゃんと納得しないといけないと思っている。
そういう日本人の中での責任は明らかにすべきだと思う。
もう70年も経ったんだから、本当のことを明らかにしても傷つく人はいないだろう。
そんな近代史を教えるべきだ。

そういうことを明らかにしないと、また同じことをやってしまうと思う。

そこが一番大事なところだろう思うのだが…。



| | 考えたこと | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコ動画
ネコ動画が流行っているという。
Youtubeの人気動画の再生数の比較を見ても、ネコの動画の方がイヌの1.6倍ほどらしい。
書籍の数もイヌの本の倍以上だ。
ぼくも2冊ほど買った。
高齢化に伴って、手がかからず、経費も安いネコの人気が上がっているのだろう。

動画もやっぱりネコだ。
イヌもかわいいが、ネコには負ける。
イヌはある程度行動が予測できるが、ネコは予測できない。
自由な意思で行動しているという感じ。
わがままな時もあるし、茶目っ気がある時もある。
人なつっこい時もあるし、面倒くさいという顔をする時もある。
時にはこちらを意識して演技しているような時さえある。

たいがいのイヌ・ネコが同時に写っている動画は、ネコが支配的だ。
小さくてもネコは強い。
強いからいいというわけではないが、自分の意思を通すところが気持ちいいのだ。

また、子ネコは文句なくかわいい。
子イヌもかわいいが、子ネコは格別だ。
ずっと子どものままのネコがいたら、いいだろうと思うくらいだ。

掃除ロボットのルンバに乗っているのも、たいがいネコだ。
そのうち、ネコを飼っている家用に、乗るところがついた掃除ロボットが出るかもしれない。

扉も器用に開けるし、けっこう賢いんだなあと感心する動画もある。
飼い主の靴下の匂いを嗅いで悶絶するネコの動画は、何度見ても面白い。
飼い主が食べているものをもらおうとして、口のところに手を持って行って「ほしい」という意思表示をするネコも、うまいことやるなあ、と思う。

ぼくはネコを飼ったことがないが、ネコのいる暮らしはどんなものだろうと思う。
シリーズでずっと飼っているネコの動画を上げている人もいるが、あれはネコと会話しているような感じだ。
飼い猫が鳴く時は人間に話しかけているのだ、という記事もあったが、飼い主が動画につけている説明書きなどを見ると、本当にそう言っているような気がする。
「シャンプーがいかに嫌だったかという文句を言っているネコ」というような動画は顔つきを見ても「ひどいことをされた」とホントに言っているように見える。
あれはロボットでは無理だろうなあ。
ペットを飼うとボケ予防に効果があるというが、それは本当だろうと思う。

そう考えると、ペット産業の未来は明るい。

| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビットコイン
一時流行ったビットコインという仮想通貨だが、よくわからないうちに取引所が潰れて、何か危ないものだ、という印象がある。
しかし、今金融業界をITに走らせている技術である、ブロックチェーンというものが使われているのがビットコインであり、今の相場を調べてみた。
今の1ビットコインは約49600円。
結構な変動があるようだ。
でも、日本で使えるところは1000店ほど。
だから、円をビットコインに変えてお店で使えるという状態ではない。
じゃあ、なぜビットコインなのかというと、解説のサイトには以下の3つのメリットが書かれている。

1.個人間で文字通り「直接」送金できる
2.手数料が無料か格安
3.監視や制限が存在しない

ビットコインは無国籍であり、国や銀行が関与しないから、手数料などが発生しないということだ。
また国家の規制がある場合は、それをくぐり抜けることができる(と思う)。

いろんなサイトをみると、どうもビットコインは中国で大量に使われている。
世界のビットコインの8割が中国、という状況らしい。
なるほど、ここで国が関与しないというところがメリットになるのか。
中国の富裕層が、お金を海外に送金するのに使っているのだろう。
もちろん、国は取引所の規制をすることはできるが、中国は電子通貨を認めているようだ。
パナマ文書に中国の要人たちも出てきたが、この資産形成にも一役買っているのかもしれない。

貯金の一部をビットコインにしておく、というのもアリかもしれない。
円がこのまま安定していたらいいが、どんどん積み上がる借金で、どこかでインフレに歯止めが効かなくなるかもしれない。
そんな時には、ビットコインはいいだろう。

しかし、世界中がビットコインになったらどうなるんだろうか。
いくらでも発行できるのだろうか。
その辺の疑問に答えているサイトがあった。

結局、理屈はよくわからないが、ビットコインの発行数は有限(2100万ビットコイン)で、世界経済が不調になったりすると価値が上がるというもののようだ。
そりゃそうだろうなあ。
誰かが調整しないと、いくらでも発行していたら価値は落ちていくはずだ。
取引量などを見ながら発行量をプログラムされているということか。

日経にも記事が出ていたが、まだまだ普及途上ということだろう。

でも、これは面白いかもしれない。

| | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
JAXAの失敗
日本が打ち上げた、X線で高温の天体を観測するための「ひとみ」という衛星が再起不能になった。
JAXAのホームページで「ひとみ」の説明を見ると、以下のように書いてある。

「X線天文学は約50年前に始まった若い学問分野です。今では、宇宙で我々が観測できる物質の80パーセントは、ほとんどX線でしか検出できない高温状態にあると考えられています。そのため宇宙の全貌を知る上で、X線観測は不可欠の手段です。そして,これまでのX線観測により、可視光では見ることのできない、熱く激しい宇宙の姿が徐々に見えてきました。それにつれ、より根源的ないくつもの問いが姿を現してきました。それが上に述べた「ひとみ」の科学目標です。」

今まで宇宙では可視光ばかり見ていたが、X線を使って観測するといろんなものが見えるということで、期待を持って打ち上げられたということだ。
しかし、その衛星が観測に入る前に壊れてしまったという。
なぜ壊れたのか、詳細はわからないが、衛星が宇宙空間でバラバラになったらしい。
これについて、JAXAは「X線天文衛星ASTRO-H「ひとみ」の今後の運用について」という発表を行った。

それに関連したサイトを見ていると、どうもJAXAのお粗末な対応が原因だったというサイトが多い。
24時間体制で監視していたら、こんなことにはならなかった、という意見もある。
実際、文科省の有識者部会ではそういう指摘もされているようだ。
税金300億をかけたプロジェクトがこんな失敗に終わったのは残念。

ぼくがニュースを見ていても、人為的なミスというニュアンスだった。
それがプログラムのミスなのか、監視体制のミスなのか、その両方なのか、それは明確にされなかったが…。
はやぶさの成功が華々しかっただけに、この失敗は痛い。

ミスは起こるものだが、宇宙空間で動作するプログラムは「あ、ミスった」と気づいた時にはもう手遅れなんだから、何度もチェックすることが必要だ。
その体制は十分だったのかと思う。
もともとが、必ず動くプログラムではなく、非常時に動くプログラムだったので、チェックが甘くなったりしたのだろうか。
ぼくらが仕事でやっていたプロジェクトなどどは比べものにならないが、そういう問題が起こる組織には、問題が起こる風土があるものだと思う。
いわゆる、風通しの悪い組織というものだ。

今回のミスに本気でメスを入れないと、また失敗が起こる。
どうやって、メスを入れるかが問題だが…。
直感では人事を変えないと、だめだろうなあ。
もちろん、組織体制も変えないといけない。
アドラー心理学ではないが、「人間関係」のところからやっていかないとムリだ。

宇宙開発にお金をかけるのは、いいことだと思うが、実際に使うほうがもっと「ちゃんと」やってもらわないと。
そうでなければ、もったいない。

300億あれば、救われる人がたくさんいるのだから。

| | 考えたこと | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
人間を休憩したい
こないだジムに行ったら、ずっと来ているおっちゃんがロッカーで隣の人と話していた。
聞いていると「何で腹減るんやろか」ということに始まり、「ちょっと人間を休憩したいわ」という話で終わった。
もう70近いとは思うが、ぼくなどよりよほど健康的に見える。
ウェイトトレーニングもこなし、ウォーキングをして、時々スタジオにも行っているような人だ。
そこそこ健康だから、腹が減るんだろう。

ぼくはなかなか腹が減らなくて困っている。
運動不足なんだろう。
腹が減る、ということはいいことだと思うのだが、減る人にとっては鬱陶しいことなのかもしれない。
ご飯もおいしいだろうし、第一健康的だと思うのが…。

しかし、「ちょっと人間を休憩したいわ」という一言は重い。
元気で仕事をしたいというのが本音だろう。
その人は、年齢的には仕事を定年になり、もう何年かたった、という感じ。

たしかに平日の午前中のジムはそういう人であふれている。
中には身体のどこかを悪くした、というような人もいるが、大半は元気な人だ。

こないだも書いたが、そういう人たちにもっと働く場を与えないと、GDP600兆という目標など達成できるわけがない。
たぶん、おっちゃんたちも働けるものなら働きたいと思っているはずだ。

人生がいつの間にか80年ちょっとになった。
ぼくらが20代の頃は65年ちょっとだったのに、15年も伸びた。
それによって、年金をもらう人が増え、少子化と相まって払う人が減った。
医療も進み、平均寿命を上げるのに貢献したが、医療費は上がった。
これで収支が合うはずがない。
おっちゃんたちはそれを肌で感じているんだろう。
「人間を休憩したい」というのは、その表れでもあると思う。

曽野綾子が「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」と発言してネットで炎上したが、その気持ちは年金や医療費の収支を考えれば理解できる。
そのおっちゃんも薄々理解しているに違いない。

だからこそ、「人間を休憩したい」と話していたんだろう。

一億層活躍というのなら、高齢者も活躍しないといけない。
そうしないと政府債務はどうにもならなくなるぞ。

| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
嫌いな県
週刊ダイヤモンドで都道府県のイメージ調査を行っている。
平均年齢53.6歳、平均年収848.1万円、総計1124人の読者の回答から、ということだから、高齢、高収入の人たちと言えるが、その結果は関西に厳しい。

好き嫌いの番付を見ると、嫌いな県の1位が大阪、2位が東京、3位が京都となっている。
しかし、東京は好きな方でも2位に入っており、いい方でも名前が上がっているが、大阪、京都は好きな方のベスト3には入っていない。
どちらも5位以下だ。

大阪は「とにかくずうずうしくてせこい」、京都は「プライドが高くて裏表が多すぎる」というコメント。
まあ、言えている、と思う。

大阪のイメージダウンは吉本の東京進出と無関係ではないだろう。
吉本=大阪と捉えられていて、そういう意味では大阪は気の毒でもある。
実際に東京に行っている芸人は関西弁を話しているが、みんながみんな大阪ではない。
関西弁=大阪というイメージがそういう順位にしているんだと思う。
関西人はどこに行っても関西弁を喋る。
それが「ずうずうしくてせこい」というイメージを持たせるんだろう。
それは単に標準語を話せないだけだったりもするのだが…。

京都は学生のイメージはいい。
ぼくは学生時代4年間を京都で過ごし、47歳から57歳まで10年間京都で仕事をしたが全く印象は違う。
学生はあくまで学生で、学校を出たらいなくなる存在だと京都人は思っている(とぼくは思っている)。
だから、京都に住んでいても、学生はあまり関係ないのだ。
しかし、仕事をするとなると、どうも違う。
実際京都に住んでいる人たちと関わると、アンケートで言われているようなことも感じる。

しかし、関西はイメージが悪くなったと思う。
認知度が上がって、イメージが悪くなるというのも皮肉な話だ。

きっとアンケートに答えたのは関東の人が多かったのだろう。

大阪の良さは、なかなかわからないのだ。


| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
経済成長すること
安倍首相はデフレ脱却というキャッチフレーズで、アベノミクスの金融緩和をやった。
一時は効果があったが、それももう賞味期限が切れてまたデフレになった。
デフレ自体はそんなに悪いことではないと思う。
デフレ経済下で貧富の差は縮まったという人もいる。
円高も通貨の価値が上がるということだから、輸入品は安くなるし、悪いことばかりではない。
適正なレベルがある、ということだろう。

最近は安倍総理も金融政策のことは言わなくなって、一億総活躍一辺倒だ。
待機児童を減らすとか、介護離職ゼロとか、出生率を上げるとか、産業政策よりも働く人を増やそうというようなことを考えているらしい。
省益の壁がない無難な対策だ。
規制緩和しようとすると、省益が絡んでなかなかできないのだろう。
だから、税金が増える、働く人対策をやっている。
ここは一歩踏み込んで、もっと規制改革をしてほしい。

気になるのはGDPを600兆にする、と言っているところ。
今500兆だというが、本当に5年ほどで100兆も増えるんだろうか。
600兆という仮定ありきで、対策を働き手を増やすということに持ってきたという感じだ。
それはたしかに間違ってはいないが、人さえ増えればGDPが増えるというものでもないだろう。

GDPの成長は、そうしないと今の社会保障や医療の体勢を維持できないから、600兆にする、と言っているのではないだろうか。
今はできていないけど、この制度を続けるのは、将来歳入が増える計画になっているから・・・という官僚の作文のような気がする。
アメリカは人口が増えて、国としては景気が良いと思うが、欧州などは苦しんでいる。
BRICSも一時の勢いはない。
そんな状態で日本だけが今後5年でGDPを増やすことができるとは思わない。
結局選挙対策なんだろう。
官邸や官僚が本気でそう思っているとしたら、オカシイと思う。

今やるべきなのは、本気で少ない税金をどこに回すのかを考える事だろう。
年金の問題をどうするのか、医療の問題をどうするのか。
若者にツケを回して、ずっと年寄りが積み立てた以上の年金をもらうのは不公平だろう。
そういう対策をちゃんとまじめに考えないとダメだと思う。

平均寿命が80歳を超えているのだ。
その事実だけでも想定外になっているはず。
年金については、制度設計をやり直すことが必要だ。

高度成長の時代は、日本人の努力もあったが、他にいろんな要因が重なり例外的に豊かになった時期だったんだろう。
そのおかげで税収はいくらでも入ったから、官僚は大盤振る舞いできたし、ムダなものもたくさん作った。
その再来を望むのはやめないといけない。
もう高度成長の時代は来ないのだ。
今必要なのは、成長することの意味を問うことだと思う。
その上で、成長しないことをどう乗り越えていくか。
それが政治の仕事だろう。

そういう政党は出てこないのか。

| | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
あいづちの妙
商売柄、あいづちの打ち方について、考えることが多い。
話をしていて、相手に対して無言では積極的に聞いている感じが出ない。
もちろん、目線とか表情で分かる部分もあるのだが、やっぱり音の情報は大きい。
だから、あいづちを打つ。
資格試験のロールプレイの時も、あいづちは大事だった。

ロールプレイを練習するための対策塾にも行ったが、そこの講師は本当にあいづちが上手だった。
書いたら同じ「はぁ」でも、何種類も使い分ける。
はぁ↑と語尾を上げる場合もあるし、はぁ↓と下げる場合もある。
はぁ〜と伸ばす場合もあるし、はぁと短い場合もある。
七色の「はぁ」を発する人だった。
同じように、「へぇ」や「ほぉ」も上手だった。

相手の話を促すときに、「は〜」と言って語尾を残す感じにする。
すると、「それでどうしたんですか?」などと話さなくても、あいづちで促すことができる。
もちろん、それにふさわしい表情やうなづきも合わせてだ。
声のトーンや高さ、間合いも測らないといけない。
そうすると、相手は話しやすい。
これらは純粋に技術だろう。

間の合わない人とは話しにくい。
落語や漫才なら練習できるが、会話となると即興芸だ。
相手の心地良い間に合わせないといけない。
「ふんふん」というあいづちの間のとり方次第で、相手にもっと話させたりすることができる。

というようなことを考えていたら、「ロボットと自然に対話する新技術」という見出しを発見した。
ヤマハが開発している。
何かを話しかけて、スマホなどが「うん」という答えを返すのだが、その時にかけられた人間の韻律を解析することが大事らしい。
記事によると、

「対話を自然だと感じるのは、スピード、抑揚、声の強弱、長短、間などから構成される「韻律(いんりつ)」を合わせているため。機械は、韻律を合わせることなく対話するため、相手が嬉しそうに話しているのに、暗い印象を与える抑揚のない声で返答したり、悲しそうな話をしているのに高く強い声で返答したりと、不自然さが生じてしまうという。」

本当にそうだと思う。
この技術を用いて、自然なあいづちを発声するらしい。

これを機に、話し方の上手さを解析してくれるマシンができたらいいと思う。
問いかけの方を機械がやって、人間のあいづちの韻律を評価するのだ。
カラオケの採点と同じだ。

いや待てよ、それなら機械に相談したらいいのかもしれないなあ。
そういう時代も迫っているぞ。



| | 考えたこと | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
電子の目
人工知能が人間の脳の「考える」領域に攻め込んできたが、それを物理的なところまで可能にするためには、「目」が必要になる。
いくらネコ顔のファイルを読ませて、ネコが識別できるようになっても、リアルワールドでネコを見るための目がなければ、物理的には人工知能を活躍させられない。
だから、電子の目の需要は高い。

最近ソニーが復活してきたが、ソニーの強みの一つはデジタルカメラやビデオで培ったセンサーにある。
C-MOSセンサーというのだが、そのデバイスはいろんなところで応用できる。
今脚光を浴びているのは自動運転のクルマだろう。
それ以外にも産業用ロボットでも、人間が目で見てやっていた仕事を代替するようなものは、絶対に正確な目が必要だ。
そんなところで、これからも需要はある。

しかし、人間が見るのと機械が見るのではだいぶ違う。
人間の目で見るための情報と、機械が見るための情報はだいぶ違うからだ。
耳に比べると、目はだいぶいい加減だ。
情報量が多いから、そんなに細かいところまで見られない。
だから、アナログテレビなどは1/60秒程度で画像を変えていても人間の目にはスムースに見えた。
逆に言うと、人間の目で見るための絵を撮るのなら、そんなに早い変化についていかなくもかまわない。
でも、機械の目ならもっと早くてもいい。
というか、人間の代わりに見るような車載カメラなら、人間よりも性能が高ければ高いほど事故が減るということになる。
前のクルマのブレーキランプに反応する時間が短いほど、追突の可能性は減る。
暗いところでも見られるように光の波長の対応を広げるということもある。
暗いところに飛び出してきたモノを見る能力が高ければ、避ける可能性が大きくなる。
その代わり、微妙な色の再現性などは低くてもいいだろう。

もうぼちぼち新しい機械用のセンサーが開発されているらしい。
今はこの分野で世界の半分のシェアを持っているソニーだが、ここは技術の見せ所だ。
機械の目になっても、日本の技術を示してほしいと思う。

ついでに、株価も上がってほしいのだが…。


| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
働き過ぎて忘れてた
映画のワンシーン。
幸せを求める旅に出た医師が、旅先でビジネスマンと会って「幸せか?」と尋ねる。
そのビジネスマンは、「働き過ぎて忘れてた」と答える。
そういうものなんだろう、と思う。
幸せかどうか、考えているヒマがあるのは、幸せではないのかもしれない。

忙しいことが幸せかどうかはわからない。
働き過ぎて過労死したら幸せではないだろう。
でも、適度に忙しくて、自らやりがいを感じて仕事ができて、回りに少なくても認めてくれる仲間がいるような状態なら、幸せだろうと思う。
一生にそんな時期が何年かあれば、ラッキーだと思う。

ぼくは前の会社で最後にやった仕事がそうだった。
たくさんの紙をコンピューターに入れて、いつでも、どこでもそれが出せるようにする、ということだ。
準備期間が1年、実際に導入するのに1年、システムを立ち上げて普及するのに1年くらいかかった。
最後に何十年かかかって貯めた、たくさんの紙を捨てに産業廃棄物処理場にトラックで行った時は、なんとも言えない気持ちだったのを思い出す。

立ち上げが1月だったので、その前の年のクリスマスは遅くまで働いた。
最後のデーターのチェックをやっていたからだ。
それでも、システムの立ち上げを控えて、嬉しかった。
自分たちがやったものが、ついに形になる、ということだ。

そして、立ち上がった後、関連部署に説明に行き、紙の送付をなくしてそこでいる時に、いる分だけ印刷してもらえるようにした。
立ち上がるまでは苦労したが、他部署の理解は意外と早かった。
そして、どんどん紙は減った。
コピー機はスキャナに変わり、倉庫のようになっていた書類のストックヤードはなくなった。

お金もかかったが、それに見合う効果は十分に出た。
信頼できる仲間も、少ないながらいた。
そんな仕事をやっている時は、たしかに今ほど余計なことは考えなかったような気がする。
まさに、「働き過ぎて忘れてた」という状態だ。
サラリーマンとして、そんな仕事が出来たことは望外の幸せだと思う。

実はもう一つあるのだが、それはまだまだ生々しいから書けない。
でも、そっちは場所も違うし、環境も違って、だいぶシンドかったなあ。

小人閑居して不善を為す、ということだろう。
小人は忙しい方がいい。

| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
教員の病気離職
いずこの職場もそうだが、教員も病気離職が増えているという。
小・中・高とも過去最多だそうだ。
公立学校教員の精神疾患休職者の数は、1990年度に1017人だったのが、2014年度に5054人。
5倍になっている。
産業界全体でいえば、90年代に20万人程度いたうつ病が、現在70万人ということだから、5倍は多い。

原因はいろいろあるらしい。
多い年代は50代と20代。
50代はいろいろと体制が変わり、昔の対応ではダメだと言われ、それに適応出来ないというようなこと。
20代は理想に燃えて入ったが、実際はそんなにうまくいかず燃え尽きたというようなことか。

知り合いの中学生の話を聞いていると、学校の問題はクラスの閉鎖性にあるような気がする。
担任と副担任がいるらしいのだが、若い担任の先生が困った状態になっても、副担任はなんら手助けをしない状態らしい。
それでクラスは崩壊の道をたどっているという。
生徒もこまっしゃくれていて良くないとは思うのだが、その生徒をどう扱うかは副担任のアドバイスが必要な状況だ。
そのための2人担任制になっているはず。
組合に入っているとか、入っていないとか、何かあるのかもしれないが、そこは仕事なんだからちゃんとやらないといけない。

それもこれも、問題を見つけ、解決の方向に持っていくような役割の人がいないからだと思う。
もちろん、管理職の仕事だろう。
会社時代、管理職研修で問題を解決可能にするために、問題点にしないといけない、と言われたことを思い出す。
教頭や校長の管理職研修がどうなっているのか、わからないが…。

そんなことを考えるにつけ、ちゃんと教員組織を管理する事務組織が必要だと思わざるをえない。
教員とは違うラインで作り、独立しているほうがいいと思う。
そもそも、学校が教員だけで運営されているのが間違いだと思う。
世の中、多様性が大事だということになっているのに、学校に多様性がない。

多様性を持たさないと、病気離職は止まらないと思う。



| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
同一労働同一賃金
最近、大学生のアルバイトの話を聞くことがあるが、彼らの言うことを聞いていると、3年程度継続したアルバイトのやっている仕事にはスゴイものもあると感心する。
実質的に店長をやっている学生もいるし、バイトリーダーという役割で新人の教育をやっている学生もいる。
中には正社員に働きかけて、業務の改善をやる学生もいる。
その企業の存在理由から、こういうことをやるべきだ、という学生もいる。
いくらなんでも時給はちょっとは上がるんだろうが、正社員は何をしているんだろうか、とも思う。

最近、同一労働同一賃金ということが言われている。
そうなると、こんな場合はどうなるんだろう、ということだ。
アルバイトのベテランは正社員の人が慣れてないからとか、頼りないとか言う。
学生は自分の方が仕事に慣れているから仕方ない、と思うんだろう。
ベテランバイトの処遇にはいろんな問題があると思う。
ある意味、学生たちの使命感と無知に救われている、ということだ。
まあ、大学生でありながら、どうしてそんなにベテランになるのか、という問題はあるが…。

同一労働同一賃金なら、実質的なアルバイト店長には正社員の店長に近い給料が必要になる。
売上の現金まで扱っているような仕事内容なら、なおさらだ。
かといって、大学の学生課で「アルバイトでありながら、こんな業務内容なら時給は正社員並みにしてもらえ」、などという指導はしにくいだろうなあ。
でも、そのうちそんな指導もやらないといけないかもしれない。

パート、派遣も同様の問題はあるだろう。
仕事というものは、自然とできる人のところに集まるから、できる人の給料は上げないといけない。
しかし、それでは人件費抑制というパートや派遣を雇う意味がないから、仕事の内容を変えるしかないだろう。

今でも転勤の有無とか、仕事の可能性とか会議に出席するか否かなど、差がついている場合が多いが、現実の仕事ではパートや派遣と変わりないことも多いと思う。
名目上会議に出たり、転勤があったりするが、仕事のほとんどは変わらないということだ。
どうせ会議に出ても、黙っているなら出ても出なくても同じだし、地域限定なら転勤してもしれている。

実際、ぼくが勤めていたところでも、パートや派遣の人のほうが正社員より仕事がよくできるということがあった。
人事はなにをやっているのか、という感じだ。
しかし、そういう職場はたくさんあるだろう。

本当に同一労働同一賃金などできるんだろうか、ということだ。
まず、人件費を増やせるのか、ということだ。
国内市場が細っていく中で、これは増えないだろう。
そうなると、限られたパイをどう分けるのかという問題になる。
今言われているのは、正社員と非正規社員の差が大きすぎるということだ。
それを縮めよう、ということになる。
しかし、パイが同じだから、正社員の取り分を削るしかない。
それが本当にできるのか。

それは結局、長らく続いた年功序列、終身雇用、企業内組合という仕組みの終わりを意味するのではないか。

80年代に、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、これらの仕組みがあるからこそ、日本は一番になれた、と言われた。
しかし、それから30年経って、これが具合悪いということになっている。

結局、変わらないと生き残れないということだ。
強いものが生き残るのではなく、変わり続けるものが生き残る。
痛みは伴っても、変わらないといけない。


| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
バッテリー改革
ながらく乗用車のバッテリーといえば12V(ボルト)だった。
でも、欧州では48Vに変わろうとしているらしい。
2016年中に48V仕様のクルマが出るということだ。

48V化の理由はクルマに載っている発電機をモーター兼用にして、エンジンの駆動力をアシストするため、ということだ。
日本ではハイブリッド車のモーターというと、プリウスを筆頭としてモーターだけでもクルマを動かせる、というほどのパワーを持っている。
そのため、200V程度の電源を載せている。
欧州勢はそれに対抗して、48Vのマイルドハイブリッドで一致団結して攻めようとしている。

部品メーカーがある程度主導しているのだろう。
去年までに自動車産業が一体となって、標準化の策定まで終わっているとのこと。
なんといっても、特別なクルマに仕立てなくても、どんなクルマでも適用可能なものになり、それなりの効果が見込めるという強みがある。
欧州の燃費規制が2021年に厳しくなるので、それを達成しようという動きにもマッチした。
発電機はどんなクルマでも載せているし、もちろんエンジンにもつながっている。
それでアシストできれば、話が早い。

こういうのを見ると、欧州共同体、という感じがする。
コストを上げず、燃費をよくするにはどうしたらいいか、ということを業界で考えた結果だろう。

日本はどうするんだろうか。
48Vの部品対応ができれば、発電機をモーター代わりに使えるということだから、オイシイ話だ。
もちろん、少しはコストアップするだろうが…。
48V化で加熱触媒も使えるようになって、排ガス規制にも有利になる、という話もあるらしい。
メリットとデメリットを秤にかけて、やるのなら日本の自動車産業界で考えてほしいと思う。

マツダなどは欧州を見ているから、すぐにやりそうな気がする。
ハイブリッドも自社ではやってないし。
軽自動車もスズキはマイルドハイブリッドをやっているが、どうなんだろうか。

なんといっても、安いのが魅力だろうなあ。
部品メーカーはもう対応の可能性など検討しているだろう。
でも、ネットで調べるとアメリカの動向がすぐには出てこない。
48V化の動きは当面はなさそうだが…。

昨日日経ビジネスの記事で、マツダがエンジンブレーキを制御して前後輪の荷重を制御するというシステムを発表していたが、まだまだクルマでできることはある。

どうなっていくのか、楽しみだ。

| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
プログラミング教育
日本には小さい頃からやっているとうまくなる、という信仰がある。
三つ子の魂百まで、ということわざもある。
実際、大きくなって頭が固くなる前にやれば、覚えられることは多いと思う。

しかし、だからといって何でも小さい頃からやったほうがいい、ということで詰め込み過ぎると、良くないだろう。
虻蜂取らず、ということわざもあるからだ。

今の小学校は忙しい。
英語はやらないといけないし、生活という科目も増えた。
さらに、プログラミングを教えよう、ということの検討が始まったらしい。
今の文科相が、産業競争力会議で2020年度から小学校で必修化する方針を示している。

ぼくは大学でプログラミングを実習したのが初めてだった。
あれは20歳になっていたか。
その当時から比べると、たしかにIT化が進んだ。
小学生でもIT機器を使うし、生活の上でもインターネットが当たり前の世代になっている。
今の小学生が就職する時には、65%の人は現在無い名前の職業につく、という研究結果もある。
だからこそ、教育も変えていかないといけないということだ。
それは納得するのだが…。

プログラミングを教える、といっても何を教えるのか難しい。
言語を教えるといっても、それはどんどん変わるだろう。
ぼくが習った時は、科学技術計算が主体で、Fortranという言語だった。
その後、コンピューターでやれることも増え、それに伴なっていろんな言語ができてきて、それぞれに得手不得手がある。
時代の要請によって、増えてきたということだろう。
だから、特定の言語を教えても、あまり意味がないと思う。

何が一番大事なのかということだ。
プログラミング、というものの考え方みたいなものを教えるのは、意味があると思う。
フローチャートの考え方とか、論理的に物事を分析するとか、そんなことだろう。

しかし、そこで大事なのは物事を考える力だろう。
それは、国語の力だったり、算数の力だったりする。
逆にいうと、それらの能力が充分になければ、教えてもその場限りになるだろう。

さらに、それを教えるのなら、何かを削らないといけない。
この際、もっと国語と算数の時間を増やしてはどうか。
そこができないと、他のことを教えても仕方ないような気がする。
プログラミングも然り。

有識者会議で検討が始まったということだが、やることを増やすのもいいが、何を減らすべきかを考えてからにしてほしい。


| | 考えたこと | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治不信
アメリカの大統領選は、トランプが共和党の大統領候補になるという、おそらく選挙前にはあまり多くの人が予想していなかった結果になりそうだ。
欧米や日本も含めて、先進国では政治不信が起こっているような気がする。

トランプの躍進の要因は、彼が自前のお金で選挙を運営しており、いずれの企業や団体からもお金をもらっていないから、思っていることをそのまま言えるのだ、というところにあると思う。
その歯に衣着せぬ物言いが、民衆に受けたということだろう。
いろんなところに記事が出ているが、トランプ支持の中心は低学歴の高齢白人男性、ということだ。
彼らがグローバル化によって、古き好きアメリカが貧しくなった、という意識を持っている。

実際にはアメリカは外から見れば景気はいいと思う。
でも、その恩恵を受けていない人たちがいるんだろう。
その人たちの不満を吸い上げたのが、トランプだ。

こないだ書いたが、アメリカの南部のダイナーでお年寄りが言っていた。
その人は、メリークリスマスと書いた紙をかぶっているキャップに貼っている。
その理由を訊くと、「クリスマスをマジカルホリデーと呼ぼうという動きがあるが、クリスマスはクリスマスだ」という。
キリスト教以外の宗教の人が増えたということだ。
だから、12月25日をクリスマスと呼ばず、マジカルホリデーと呼んで、みんなで祝おうというような動きがある。
移民が増えたことによる政治的配慮だろう。

昔からの共和党員には、白人が多いだろう。
古き好きアメリカを知る高齢の白人が、今のアメリカを嘆いている。
その人たちの声をバックに出てきたのが、トランプ。

共和党の本部がどう対応するのかわからないが、トランプの支持層は今の政治体制に不満を持っている。
その体制が今のアメリカを全体的に見て豊かにしたのは確かだ。
でも、その豊かさに大きな偏りと犠牲があった。
1980年に2億2000万人だったアメリカの人口は、今や1億人増えて3億2000万人。
元々多かった欧州からの移民は減って、メキシコ、アジア、アフリカ、オセアニアなどが増えている。
その人たちに仕事を取られたのが白人。
でも、それが結果的にアメリカを豊かにもしたんだと思う。

アメリカは移民の国だ。
それは壮大な人類の実験でもある。
民族と関係なく国家を作るという、理念と理想の国だ。

その国がどうもオカシクなっている。
政治家が信頼されておらず、国民が怒っている。

これらを正して、理想の国に戻ってくれればと思う。
それはヒラリーか、それともトランプか、どっちなんだろうか。

| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
Line6
Line6というアメリカの会社がある。
ギターのアンプやエフェクターを作っている会社だ。
この会社、2014年の1月にヤマハの完全子会社になった。

ギターのエフェクターやアンプというと、ローランド(Boss)、コルグ、ヤマハという日本の3大楽器メーカーが頑張っていたのだが、ヤマハは作るのをやめ、関連会社のコルグに任せたのかと思っていた。
コルグはVOXという、これまたアメリカの会社の輸入代理店であり、そこの製品を扱っている。
コルグはデジタル機器の開発が遅れ、ヤマハの関連会社になることで生き残り、頑張っているという感じ。
コルグ本体も、いつの間にかギターの周辺機器を作るのをやめている。
結局ヤマハグループとしては、ギターやアンプの開発をLine6という会社にやらせよう、ということになったみたいだ。

Line6は先進的なアンプやエフェクターを作っており、タブレットやスマホとの連携も強い。
去年あたりから、タブレットやスマホでコントロールでき、音楽をBluetoothで流すこともできる、というギターアンプを発売していた。
その一番小型のものが5月に発売になる。
Amplifi30という名前で、これはだいぶ小さくて家でも使えるという感じだ。

また、ギターとアンプをつなぐシールドケーブルは、いちいちつなぐのが面倒だし、何かとトラブルの元になる。
無線の技術が進み、簡単にワイヤレスできないのかな、と思っていたらそれができたらしい。
もちろんプロがステージで使うものは受信機も大きいし、値段も高いのだが、今回発売のものは自宅練習用というような感じで、充電式になっている。
送信機、受信機は簡単で、送信機はギターに差し込むプラグと一体型。
これならややこしい線の引き回しに悩まなくてもいい。

ぼくはいつもエレキギターをそのまま弾いているので、これが出たらアンプにつないで練習できそうだ。
アンプが離れていても、タブレットで操作できるし、無線でパソコンや端末の気に入った曲を流すこともできる。

ギターを弾かない人は興味がないと思うが、これはイイ。

久しぶりに欲しいものが現れたぞ。



| | 考えたこと | 00:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
気が短い人が増える
今日病院に行って待っていたら、2人ほどお年寄り(自分もあと1年で60歳になるが)が受付で文句を言っていた。

ぼくが子供の頃、お年寄りは60歳以上くらいで、その人たちは本当にお年寄りだったと思う。
データーから見ても、昭和40年の平均寿命が67歳だから、まあ60歳位なら年寄りの仲間入りだ。
ちなみに、現在は80歳を超えているから、あれから13歳以上平均寿命が伸びたということになる。
年寄りの比率も低かったから、どちらかというとつつましやかに生きていたように思う。
世間も年寄りに優しかったかもしれない。
だから、外に出て文句を言う年寄りなど、見たことがなかった。

しかし、時代は変わった。
少子高齢化で、今や4人に一人が65歳以上。
今日病院で見たおじさんは、どう見ても70歳は超えていると思う。
どちらも、いったいいつになったら順番が来るのか、という文句だった。
だいぶ長いこと待たされているのかと思ったら、「もう30分も待っている」とのこと。
まあ、30分なら普通という感じだ。
それでも、おじさんは文句を言いたかったのだろう。

ネットで調べると、年寄りの暴力は10年前の50倍に増えたということらしい。
これらの老人を新老人と呼んでいるサイトがあった。
その解説によると、「欧米人に比べて、日本人の80%は情緒安定物質であるセロトニンが少ない。さらに40代以降、ギャバという鎮静物質が減ってきて情緒が安定化できなくなる。そこへ定年退職です。社名も肩書もなくなり、心のよりどころを失う人がいます。不安がたまっているところでプライドを傷つけるような扱いをされると、発作的にキレてしまうのです」ということらしい。

今日のケースはプライドを傷つけるというよりは、普通に扱っただけだが、それが気に障ったということだ。
受付の人の対応が悪ければ、キレていただろう。

この調子でいくと、どんどん住みにくい世の中になっていく。
新老人の人数が増えていくからだ。
2040年には36%になる予定。
病院や老人ホームで毎日だれかが怒っている。

そうならないためには、死ぬまで働くことくらいしかないだろうなあ。



| | 考えたこと | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
Death Education
死への準備教育、というのがDeath Educationという言葉の日本語訳。
アルフォンス・デーケンという日本にいるドイツ人の哲学者が以前から唱えている。

死への準備教育、というのはすなわち「生きることをどう学ぶか」ということでもあるという。
それはそうだろう。
死の準備とは、どう生を全うするか、ということになるからだ。

通常、死を迎えて、人間は6段階を経ると言われている。
否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容、期待と希望の6段階だ。
この6段階を全て経る人もいれば、途中で止まる人もいると思う。
それを助けて、5から6段階に行けるようにする仕事もある。
何とかセラピストというものだ。

幸運にもぼくはまだそういう事態には陥っていないが、もう十年以上前に亡くなったぼくの友だちがガン告知を受けた時に聞いた話を思い出す。
今は亡き彼に聞いた話だが、ちょっと胃の調子が悪いから精密検査に行ったら、何度か病院に通って胃の検査をやって、結果が出て医者のところに行った時、「あなたの胃ガンは、たちの悪いタイプで手の施しようがないから、これ以上何も出来ない。余命は3ヶ月程度」と言われたとのこと。
告知した医師は、その当時そういうふうに話すように教えられていたのか、それともそんな医師だったのか、それはわからない。
とりつく島がないような言い方だったらしい。

スキルス性の胃ガンだった。
結局、漢方などの治療を続けて、その半年後くらいに彼は亡くなった。
その医者の言ったことは概ね正しかったのだろう。

彼が亡くなった頃から比べると、だいぶ世の中は変わり、Death Educationも一般的になった。
サイコオンコロジーとか、死生学とかいろんな名前をつけて、多くの分野でやっている。

でも、日本では肝心の宗教の分野で、それが活発に行われているとは言い難い。
仏教は日本に多くの信者がいることになっているし、葬式といえば坊さんを呼ぶが、それでも日本人が仏教に基づいて死を考えているとは言えないだろう。
坊さんが来るのは、死んだ後だ。

アルフォンス・デーケンはキリスト教系の大学の名誉教授。
仏教系を名乗った大学は日本に20校くらいあるが、死について系統だった教育を唱えている人はいるんだろうか。

日本人は無宗教だとかいうけれど、人間はそんなに強くない。
死が近づいたら、何かに頼りたくなるはず。
そこに宗教が必要になる。
今の日本人がただただ生かされているような状態でも、生きることを選んでいるのは、宗教の不在が原因の一つだと思う。

欧米では、自分で食べることが生の証だという。
だから、自力で食べられなくなったらもう生きることはできない、というコンセンサスがある。
そのせいで平均寿命が短い。

そこには明確に生と死の線引きがある。
それは宗教が関係していると思う。
日本人は宗教を失って、死に向き合うのを避けてきたのではないか。

高齢化の時代を迎えて、今こそ宗教が復権しないといけないぞ。


| | 考えたこと | 12:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
推薦入学?
ぼちぼち企業側も大学入試の多様化に対応し始めたらしいという記事があった。

ある会社の人事によると、「推薦組」は入社2年目ぐらいから伸びないケースが比較的多いということだ。
会社の人事の責任者の年代なら、推薦というと成績がよく、経済的にちょっと苦しい家庭の学生ということで、どちらかというと好印象を持ったはず。
しかし、今の私立大学がやっている「推薦入試」というのはそういうものではないことが多い。

ひとことで言うと、「受験がシンドイ」という生徒の気持ちにつけこんで、学生・大学双方の利害が一致してやっている、という感じだ。
今の私立大学ではAO、推薦で多くの受験生を取っている。
早く楽になりたいという受験生と、早く入学者を集めたい、という学校側の思惑が一致してこんなことが起こる。

資料によると国公私立全体で見ても、平成12年度に合格者の66%あった一般入試が、平成24年度には56%に減っており、私立大学では今や一般入試を経て入る人が49%と約半分というのが実情。
センター入試の改革などやっているが、もともと半分以上の学生はAO、推薦入試を選択し、そんなものは受けない。
そこの制度設計をどうするか、というのが入試改革の一つの肝だろう。

なぜAO、推薦を選んだのかというアンケートでは、「早く進学先を決めたかったから」、「一般入試へ向けての受験勉強は大変だったから」という予想通りの答えが上位に並ぶ。
高校も年明けまで受験勉強に励む生徒と、秋に早々と入学を決めてしまう学生とがいては、指導しにくいと思うのだが…。

穿った見方だが、高校の先生方にとっては推薦で入学したいという生徒は平常点とか、評定平均とかいう点で生徒の日常を管理できる。
それが生徒に与えるプレッシャーというものも、ぼくにはあまりよいものとは思えない。
自由な批判精神を育てにくくする。

そんな風にして入った学生の卒後の評判がよろしくないというのは、想像に難くない。
推薦入学者の企業での評判は、「積極性がみえない(主体性が低い)」「我慢ができない(ストレス耐性が低い)」「融通が利かない(適応力が低い)」というようなものらしい。
もちろん、全部が全部というわけではないが、そういう評判が立ち始めたということだ。

記事によると、こういう実態がある。

「「あなたは一般ですか?それとも推薦ですか?」
 最近では、人事部の懸念を受けてか、就職活動でこのような質問をされた学生がたくさんいるようです。ちなみに一般とは受験組のこと。さらに推薦であることを伝えると、「採用に不利である」との噂が広まっているようです。
「『AOか推薦入学です』と答えると、その後企業から連絡がなくなる。あるいは同じ大学・学部の同級生で受験組は続々と内定を取っているので、企業が推薦組を避けているとしか思えません」と、取材した学生は主張します。ちなみにマイナビが大学生の入学方法と内定率の関係を調べたところ、一般入試で入った大学生の内定率は60.1%。ところが推薦組は51.6%と10%近く低く、AO入試組に至っては43.6%という結果になったようです。この噂に関する是非は回答しかねますが、会社が推薦組を採用して痛い目に遭ったとの声は筆者もたくさん聞いたことがあります。ただ、「そうはいっても推薦組を採用しないといったら採用できる人材が限られ過ぎる」のが実態でしょう。」

面接で入試の経路を聞く、というのはどうなんだろうか。
面接では仕事をする上での能力と関係のないことは聞いてはいけない、というルールだが、入試経路はややこしい。
この問題が大きくなると、大学側からは「本人の能力とは関係がないことだ」という意見は出るだろう。
入試を通ったということは、一般的にはその大学で学ぶことができる能力がある、ということになる。
しかし、胸に手を当ててよく考えたら、そうでもないという大学関係者は多いはず。
偏差値を上げるために、一般入試の合格者を減らしたいという気持ちもあるだろう。
早めに入学者を確保しないと、眠れないという入試関係者もいるはずだ。

この動きが大きくなったら、自然とAO、推薦入試は減るだろう。
それで入学者を取っても、出口がなくなるからだ。

それでも、AO、推薦に頼って入学者を稼がざるをえない大学は、淘汰されるんだろう。

できれば、そうなる前に、入試改革をちゃんとやってほしいと願う。

| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 冨田勲
5月5日、冨田勲が亡くなった。
84歳だった。

ぼくにとっては、冨田勲といえばシンセサイザー草分けだ。
1974年にクラシックの「月の光」を出した。
その当時、FMの番組でその曲の解説をしていたのを何気なく聞いた。

アルバムの中に口笛の音が出てくるのだが、それをどうやって作るかというようなことを話していた。
音の波形を決め、基本の口笛の音を聞いても、全く口笛らしくない。
そこに、いろんなフィルターをかけて、口笛らしくしていく。
最後に、人間は口笛を吹くとき、音を正確に出せないからちょっと低めの音程から上げていくんだ、という解説があって、ちょっと上がりすぎたところで今度は下げるというフィルターをかける。
エンベロープフィルターというやつだが、それを調整すると見事に口笛になる。

これを聞いたのがシンセサイザーに興味を持ったきっかけだった。
当時のシンセサイザーは単音で、アナログの回路のかたまりで、ムーグというアメリカの博士が作った楽器だった。
原理は簡単で、音の基本波形を発生する発振器、その周波数フィルターと、振幅のフィルター、時間で作用するフィルターを組み合わせて音を作るという仕組みだった。
1つずつそのフィルターをかけていくと、その波形が変化し、音が変わっていく。
VCO、VCF、LFO、ADSRなどという用語が面白くて、一度触ってみたいと思っていた。

その後、ローランドやコルグという日本のメーカーが単音のシンセサイザーを作りはじめ、アナログの時代が終わって、デジタルになり、80年代に花開いたと思う。
今でも80年代のポップスを聞くと、当時のシンセサウンドが出てくる。

冨田勲はそのシンセの音作りのパイオニアだった。
単音のシンセサイザーをいくつも重ねてシンフォニーを作る。

今考えると、シンセサイザーとの出会いはあのFMラジオだった。

合掌。

| | 考えたこと | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
グーグルクローム
ついに、ウィンドウズのブラウザで、グーグルのシェアがマイクロソフトを抜いたらしい。
2008年にクロームが登場した頃は、ブラウザといえばインターネットエクスプローラーだったが、だんだんと力をつけて、ついに逆転した。

ウィンドウズのパソコンを買ったら、普通はインターネットエクスプローラーが標準のブラウザになる。
しかし、シェアが逆転したということは、クロームをインストールして変更する人が増えたということだ。
クロームには、ブラウザの機能拡張のアプリというものがある。
アプリストアで無料でいろんなものをつけることができるのだ。
ワープロもあるし、表計算もあるし、プレゼンもあるし、お絵かきアプリもある。
もちろん、トランプのゲームもあれば、麻雀もある。
クロームがあれば、簡単な書類なら何でも作れる。
おまけに、多くの業務用のアプリは最初からWeb上にデーターを置き、共有することができる。
この、共有というところがマイクロソフトに勝つ要因だったのだろう。

マイクロソフトはもともとワード、エクセル、パワーポイントという単独のソフトがあり、それらはブラウザとは関係なく動く。
もちろん機能は高く、いろんな事ができるのだが、多くの人は肝の部分だけ使えればいいということだろう。
無料の壁もあった。
もともとインターネット上で動くように作られていないから、データーの共有もややこしい。
最初からデーター共有を前提に作られている、クロームのアプリの方が有利だ。

データーは共有すると送る必要がなくなるし、想像以上に便利になる。
それが認知されてきたのだと思う。
もちろん、インターネットエクスプローラーでもアプリのいくらかは使えるはずだが(ぼくは使ったことがないのでわからない)、やっぱりクロームの方が便利だということだろう。
職場ではグーグルカレンダーをみんなで使うことで、メンバーが何をしているかわかるようになる。
予定も共有できる。
それが無料でできる。

もう一つ、一人で何台もコンピューターを使う人が増えたということもあるだろう。
クロームは、ブラウザのお気に入りをどのコンピューターでも同じように使えたり、パスワードを記憶したりする機能が強い。
だから、どのパソコンを使っても、クロームにログインさえしておけば同じように使える。
これらの機能で先行したのが、逆転の原因だと思う。
それだけパソコンというものが、生活に必須のものになりつつある、ということだ。
マイクロソフトはパソコンで世界を制したが、インターネットではグーグルが勝ったということだろう。

インターネットはもはや社会のインフラになりつつある。
有線、無線の通信はどんどんインターネットに変わりつつある。
テロ以降、アメリカやイギリスの都市部で監視カメラが増えているが、あれらはインターネットを使っている。
電話もインターネットを利用するものが増えている。

グーグルクロームのシェアが上がったのは、パソコンのメインの役割が事務機器から通信機器に変わったからだろう。
今や電話の代わりであったり、FAXの代わりであったりする。
振り込みをしたり、新幹線や飛行機の予約もできる。
スマホに取って代わられつつあるが。

気づかない間に、いろんな事が変わっていく。

それがこの先、どういう事になるか、わからない…。


| | 考えたこと | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイソンのドライヤー
ドライヤーといえば、ニクロム線とファンを組み合わせて、熱い空気を送り出すというものだった。
最近はイオンが追加されて出るとかいうものが、ちょっと値段が上がるという感じだった。
それでも、そんなに高くない。
2万円も出せばお釣りが来るという感じのものだった。

そこに、掃除機でお馴染みのダイソンが4万円以上のドライヤーを出した。
温度センサーで髪の毛を傷めないようにするとか、細かく送風を調整するとか、そのあたりの機能が強化されている。
それと、送風モーターが手で持つ所に入っているので、重く感じないという効果もある。
ダイソンの扇風機と同じく、中空のところから風が出る仕組みだ。
そこは大きな見た目の特徴になる。

数千円で買えるのがほとんどだが、ダイソンは4万円は破格の値段。
もちろん高い値段に見合う性能があればいいんだろうが…。

まずはプロかもしれない。
美容院などで使って、よければファンが増えるだろう。

ダイソンの鼻息は荒い。
マイナビニュースによると、「実際、Dyson Supersonicの開発にも、毛髪を研究するための専用実験施設を新設。4年間にわたって、さまざまなタイプの毛髪でテストし、全長1,625km(距離にして東京から沖縄くらい)を超える本物の人毛を実験で使用したという。開発にあたって、総額5,000万ポンド(約95億円)を費やした。」ということで、創業者自ら日本で発表をしたくらいだ。

たしかに、日本は貧しくなったとはいえ、美容にはお金をかける人が多いらしい。
お金が余っている人もいるにはいるだろう。
市場として、期待があるからこそ日本の発表に力が入ったのだと思う。

間違いなく、一家に一台はあるだろう。

果たして、ダイソンのマーケティングは成功するか。

これは見ものだ。

| | 考えたこと | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
Udemy
ユーデミーというインターネットを使った教育システムがある。
フェイスブックに宣伝が入って、クリックしてみて知った。

世界で1100万人が学んだ、というふれこみ。
日本のサイトはベネッセがやっているようだ。
しかし、あくまでこれはC to Cのプログラム。
Customer to Customerという意味で、要は教える側も一般の人が登録する。
教えたいことがあれば、まず「講師になりたい人へ」というリンクをクリックし、そこで自分が教えたいことのタイトルに入れるところから始まる。

Udemy STUDIOというフェイスブックのページがあり、日本語版では日本語で講師になっている人のコミュニティに入って質問ができる。
さらに、サポートページで、ビデオの使い方とか、教材の作り方についての質問をすることもできる。
できた教材は品質評価を受けて、値段を決めることになる。
もちろん、無料コースもありだ。
最初は無料でやってみたい、という人もいるだろう。

やっぱりプログラミングやIT関係は多い。
英語版で作られたものを、日本人が翻訳しているものもある。
それから、英語、ビジネス、資格には簿記などもある。
インターネットなので、コンテンツを作ればあとは受講生がいるかどうか、ということになる。
数千円でいろんなプログラムが買えるから、とりあえず時間があればやってみよう、という気になる。

講師は20000人以上登録されているらしい。
コースは40000以上(もちろん英語がメインだ)。

日本でももっと注目されていいと思う。

あくまでCtoCだから、質はわからない。
でも、大勢の人たちが受けているものなら、品質は高いだろう。
みんなの意見は正しいのだ。

これはぼくもやってみようと思う。

Udemy
だ。



| | 考えたこと | 19:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治家の資質
最近の政治家を見ていると、どうも賢い人がいない。
そう思うのは、自分が年をとったからか。
若手の政治家でも、賢い人はいるんだろうが、どうもそう思えない人も多い。
言ってることとやってることがバラバラだったり、一体何を考えているのか、と思うことも増えた。

答弁を間違えたり、字が読めなかったり、ほんとにこの人達に任せていいのかと思う。
中にはクイズ番組に出て恥をかく(ご自分では恥と思っていないんだろう)国会議員もいる。
賢いことが全てではもちろんないし、知識はなくてもかまわないとは思う。

実際、選挙で通ったのだから、別にどうであろうがかまわないのは事実。
被選挙権さえ満たしていれば、誰でも立候補できる。

賢い、ということのハードルが下がったのもあるんだろう。
地上波を見ていたら、小学生のクイズというのがあって、それを大人がやっている。
国語の問題で、血と( )の結晶、という問題があって、(汗)がわかる大人が18人中12人。
そのうち6人が間違える。
18人いて、6人しか正解しない。
こんな問題、昔ならそれこそ問題にならなかったのではないか。

正解した人は、エライと思うのだろう。
それは「普通」だと思うのだが…。

昔はクイズ番組というと、視聴者を選抜してやっていたから、難しかった。
問題も難しいし、わからないことが多かったが、今は違う。
いちいち視聴者を選抜してやるのが面倒なんだろう。
ぶっつけ本番で安価なタレントを揃えてやる。
きっとそのほうが手間も少なく、結果的に安くなる。

ことほどさように、賢いことのハードルが下がった。
そうなると、感情に支配されやすくなる。
こないだの行動経済学だ。

もともと、大衆は感情に支配されやすい。
ヒトラーにアジテーションされたら、そっちに行ってしまうのだ。
だからこそ、流されないように、自分で考えることが必要だ。
それが最も求められるのが、政治家。
国の将来がかかっているのだから、感情に流されず、冷静に判断してほしい。
そういう意味の賢さが必要なんだと思う。

しかし、世の中では賢いと思われている部類の、国立大学教授が自分の給料が安い、ということでブログに上げている。
私学より安いから、もっと上げてほしいということだ。
もっと安い非常勤の教員のことなどおかまいなしである。
もともと決して安いわけではない。

どっちも人数が多すぎるのがよくないのか…。

| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
アクティブ・ラーニングその2
ケンブリッジで学んだ物理学者が、もう一度オックスフォードで教育社会学を学び、30歳で自らの経験を活かして、教育系のNPOを設立し、東洋経済に記事を書いている。
その人が、「子供たちの未来のために、自分らしく生き、自ら考え行動できるような教育を提供します」というような言葉に対して、警鐘を鳴らしている。

「聞こえはいいが具体的に何をするのかわからないこういった言葉を、マジックワードと呼ぶことにしよう。マジックワードは基本的に心地よい。合意形成のときには大きな威力を発揮するので、使い方によっては文字どおり「魔法」のような力を持つ。ちなみに、現在、行われている政策議論の中でもマジックワードはしばしば使われているのだが、具体性がないため、これが幅を利かせるほど議論自体は空転しがちになる。」

まさにその通りだと思う。
数年前に現れ、今大学で流行っている「アクティブ・ラーニング」という言葉も、マジックワードと化した。
文科省におけるアクティブ・ラーニングの定義は、「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」とある。
これだけ見ると、素晴らしい教授法だ。

しかし、これをやるためには学生側にそれなりの知識が必要であり、教員にもそれなりの知識とスキルが必要になる。
記事にも書いているが、マイケル・サンデルのハーバード白熱教室のような授業をやろうと思うと、学生も知識を詰め込むことが必要だ。

「あの放送では、授業の最も重要な部分を放送していない。それは、猛烈な議論に必要な、授業前のピースの詰め込みである。オックスフォードでは週に5コマほどしかなかったが、授業の前の膨大な読書のため、遊ぶ暇はなかった(ちなみに日本の大学は授業量が多すぎて内容が薄くなる)。ケンブリッジ時代も、バレーボール部の試合にさえ、チームメートたちが本を複数冊持参し合間に読み込んでいたのを鮮明に覚えている。「こういう授業いいな〜。こういう授業受けたい」と言うなら、本当の意味での授業の全貌を知ってほしい。たぶん、嫌になる。」

多くの大学では、この前段が不十分だったり、またはそもそもやらずに、いきなりアクティブ・ラーニングをやろうとしている。
ハーバードやオックスブリッジの授業が取り沙汰されるのは、そのレベルでないと授業が成立しないからだろう。
教員の熱意やスキルも必要だが、学生の方にも知識や問題意識が必要だ。
そこを飛ばして、アクティブ・ラーニングをやろうとしても、空回りになる。
それこそ、小学校の総合学習みたいになってしまうのだ。

この変形版がPBLと呼ばれるもの。
プロジェクト・ベースト・ラーニングというやつだ。
学生に課題をプロジェクトして与え、その解決の過程で学ぶというようなもの。
これも事前の知識の詰め込みがなければ成り立たない。
そんなことは教員はわかっているはずだが、これをいきなりやる授業が多い。
特に偏差値の下位の大学がこれをやりたがる。
補助金狙いということもあるが、それ以外にも理由がある。

下位の大学は学習習慣がない学生が大量に入る。
その学生たちに、少なくとも授業に興味を持ってもらうために、アクティブ・ラーニングやPBLというやり方は表面的にはいいのだろう。
学習習慣がついていないから、90分の授業は苦痛だ。
だから、外に行ったり、講義形式ではなくグループで何かをする。
それによって、見かけ上は(実際に受講生にアンケートを取っても)授業の質が上がったようになる。
ここに、アクティブ・ラーニングやPBLが流行る理由がある。

本当は、事前に知識の詰め込みが必要なのだ。
いや、実際にはそれ以前に、論理的に考える力や議論のスキルなども必要だ。
それを全部すっ飛ばして、アクティブ・ラーニングなどやっても仕方がない。

授業中にクリッカーという器具を学生に持たせて、教員が出した質問に対して二択の質問を出して、学生に授業に参加させる、という器具も出ている。
携帯を用いてやるようなアプリもある。
挙手させればいいのだが、手を挙げるという行為ができない学生が多いからだという。
それでアクティブ、つまり能動的な授業ということだから、本末転倒だ。
学生が能動的に取り組んでいれば、進んで手を挙げるに決まっている。
そんなバカバカしいことが、真剣にやられているのが実情。

こんなことをやっていると、下位の大学はどんどんダメになる。

今の教育学者や文科省の役人は、自分が受けてきた教育を忘れたんだろうか。
もちろん、悪いところもたくさんあったが、いいところもあったはず。

最後に記事のまとめの言葉を紹介する。

「一見、すばらしい理念は、マジックワードの魔法によって、現実的な問題点を見えなくしてしまう。マジックワードにはくれぐれも注意しなければならない。戦後、助走を始め、見事に欧米へのキャッチアップを達成した日本の教育は、1980年代に個性や想像力、主体性、生きる力という新たな学力観を求めて離陸した。しかし、いつの間にかそれは飛躍ではなくなっていた。今の教育改革論議から受けるのは、ただ、地に足がついていないという印象である。社会は過去の積み重ねを基に進化していくが、子どもたちはその積み重ねなど知らずに生まれてくる。子どもたちが受け取るのは、その時代の教育だけだということを忘れてはならない。」

本当に地に足がついていないと思う。

| | 考えたこと | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
4月26日は5月1日?
昨日の朝、次男とクルマに乗っていたら、「デモかな」というので歩道を見たら、赤い腕章を巻いた人たちが旗を持って歩いているのが見えた。
特にデモするようなことも無かろうに、と思っていたらメーデーだと思い当たった。
「今日はメーデーや」というが、もちろん次男はメーデーなどわからない。
労働者の日、ということだが、今の時代労働者が分化してどの労働者?という状態だから、わけがわからないのだろう。

ぼくらの若いころは労働者といえば正規労働者のことだった。
まあいえば全員サラリーマンだったのだ。
ぼくの会社は製造業だったので、企業内組合があった。
そこが属している上部組織(今でいう連合かな?)の神戸支部から集合がかかり、うちの会社の組合のなかの当番になっている職場に動員がかかる。
だから、何年かに一回、当番が回ってきてメーデーの集会に出た。
たくさんの組合が来ていて、応援団のように組合旗が並んでいたと思う。

ネットで調べると、神戸ではなぜか5月1日ではなく4月26日の土曜日に集会は行われていた。
何でかなと思ってさらに調べると、いつからか5月1日にやると集まりが悪いので連休前の4月にやることになったとのこと。
連合系は4月開催らしい。
これは内部でも批判している人がいるようだ。
May day、というのは5月の日ということだから、世界中の労働者が5月1日にシュプレヒコールを上げることになっているのに、ということだ。

連合兵庫のページに、メーデーの式次第が載っていたが、市長や県知事が来賓として来ているのにはびっくりした。
ぼくの常識では労働組合というのは何となく反体制というイメージだったし、昔ぼくが出た集会にもそんな人たちは来ていなかったと思う。
まあ、考えたら今は与野党相乗りで市長選などをやっているんだから、応援してくれる労組の集会に市長や知事が来るのは当たり前かもしれない。
しかし、何となく納得がいかないなあ。
連合も矛盾を感じてやっているんだろう。

今の地方自治の与野党相乗りという体制は、やっぱり野合だと思う。
議員が自分の保身に走り、市長や首長も波風立てずにやろう、ということだ。
議会と行政が癒着している。
これでは三権分立にはならない。

アメリカの大統領選などを見ていると、健全な2大政党制という感じがする。
いろいろ問題はあるが、日本の地方自治の状況は機能不全だと思わざるを得ない。

しかし、国際的にはカッコ悪いので、東京と大阪では連合系も集会をやっている。
そうだろうなあ。メーデー(May day)なんだから。
日本では集まりが悪いので、4月26日にしました、とは言えないだろう。

ということは、昨日見た腕章をつけた人たちは5月1日にメーデーをやる、正統派だと言える。
調べると伊丹の昆陽池公園に向かっていた人たちのようだ。
もちろん、非連合系ということになる。

yahoo知恵袋に、「メーデー、組合に関するQ&A」というページがあってそこにはいろんな人が今のメーデーや組合に対する疑問や不満を書いている。
こんなページができているのか、と思って今の雇用体制の複雑さを感じた。

今や非正規労働者が半分になろうとしている時代。
ぼくが会社にいた時も、90年代に派遣労働者がだいぶ増えた。
もちろん、パートも増えた。
今はもっと比率は上がっているのかもしれない。

労働組合も様変わりした。
これからの課題は、非正規労働者をどうやって取り込んでいくのかということだろう。
それとも、横断的に組合を作るかだ。

しかし、4月26日のメーデーとは…。

| | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカの不満
BSで、アメリカの大統領選挙に合わせて、今のアメリカ人の本音を聞くために、各地のダイナーを回ってアメリカ人の意見を聞くというドキュメンタリーを見た。
ダイナーというのは、アメリカに多いプレハブ式のレストランで、ハードボイルドの小説にもよく出てくる。
典型的なアメリカの料理を食べさせてくれる店。
あの、カロリーの高そうなカリカリのベーコンと目玉焼き、フライドポテト、おかわり自由なコーヒーなど、本当にうまそうだ。
庶民の食事を支えている店といえる。

今のアメリカにはいろんな不満が渦巻いている。
一つはテロや雇用など、移民に関わる不満だ。
トランプが「メキシコとの国境に壁を作る」と言っていたが、それを支持する人もいる。
特に南部のダイナーでは、そういう年寄りが多かった。
イスラム系の移民は受け入れるなという意見も多い。
黒人の暴動が起こった街では、黒人対白人というよりも、自分たちは社会システムに対して怒っている、という黒人がいた。

そこから、トランプの言う、貧しいアメリカということが出てくる。
政府債務が大きい、という事で貧しいと言っているらしいが、それなら日本のほうがよほど貧しいのだが…。
批判しているのは、海外派兵や安全保障の問題だ。
「もうアメリカは世界の警察官をやめよう」という意見もあった。
国内に貧しい人が溢れているのに、お金をかけて海外での活動などやめ、もっと国内にお金を使ってほしいということだろう。
その活動のおかげで、ドルが基軸通貨になって、アメリカを支えている面もあるのだが、それは言わない。

この点ではヒラリーも同じ批判にさらされている。
現政権下で格差は拡大し、人々は今の政治家を金持ちの味方だと思っている。
その点、ヒラリーの対抗馬のサンダースは、富裕層からお金を取って、格差を解消すると言っている。
そこが特に若い学生たちに支持された。
今のアメリカに不信を持った勢力が、トランプやサンダースに投票している。
それが北部のダイナーで若者が言っていたことだ。

トランプやサンダースの強みは、企業献金が少ないことだ。
既存の権力者からフリーだということ。
だから、きっと何かを変えてくれる、という期待感がある。

共和党の候補者はトランプになるかもしれない。
党の中央はあまり喜んでいないようだが…。

ぼくの予想ではヒラリーが女性初のアメリカ大統領になりそうな気がするが、もしそうなっても、サンダースやトランプの支持層は確実にいるわけだから、政策に影響を与えるだろう。
いや、ひょっとしたらトランプかも…。

ダイナーに行くのは、その土地の庶民層だ。
その庶民の多くが、今の体制にNoと言っている。

ぼくが生まれてから、世界では大きな変化があったが、賛否両論あるが、結局はアメリカの傘の下で平和な時代を過ごせた。
好むと好まざるに関わらず、アメリカは日本にとって、大きな存在だ。

どうなっていくのだろうか。


| | 考えたこと | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) |