考えたこと2

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胃カメラ
今年は健康診断のバリウムの代わりに胃カメラをやった。
今朝の検査だ。

先週予約をとって、昨日の9時以降絶食。
朝の服薬もやめて、自転車で近所のクリニックに行った。

そこは鼻からカメラを入れるので、楽だと聞いた。
でも、実際にはそんなに楽ではない。
オエッとなりにくい、というメリットはあるのだろう。
それでもかなり気持ち悪い。

待合室で、胃の泡を消すという薬を水で溶いて飲む。
診察室で、鼻に麻酔薬のジェルを注射器で入れて、吸って喉まで出してくださいという。
普段意識はしないが、喉からジェル出てくる感触がわかる。
それでダミーの管を入れて、5分ほど待つ。

それから、ダミーを抜いて、先生がカメラを入れていく。
もっと細いカメラかと思っていたが、案外太い。
こんなのが通るのかと思ったが、順調に通って行って、食道から胃と十二指腸を見て終了。
長く感じたが、10分弱だったと思う。

途中で食道の出口あたりにポリープがあり、検査をするために針金のようなものを入れて採取した。
何度か水を注射器で入れて、洗浄した。

胃液が逆流して食道炎ぽくなっていたり、胃が少し荒れているらしい。
十二指腸のところもちょっと荒れている。
ストレスはだいぶ減ったと思うが、それでもなくならない。

検査結果は2週間後とのこと。
口から入れるよりは楽なのだろう。

何かで読んだが、胃カメラの日本のシェアは高いらしい。
カメラと光ファイバーが強かったからだろうか。

そのせいで、AIで学習させる素材がたくさんあるのが強みになっている。
そのうち、AIが画像診断するようになるのだろう。

フェイク画像を見ていると、AIなら診断など簡単だろうと思う。
学習の素材が多いことが決め手になる。
つまり症例が多いことだ。

国民皆保険でどんどん検査をやってきた。
CTスキャナの数など世界一らしい。
グーグルに聞いたら100万人あたり107台で、コンビニの総数の1/5にあたる数だという。

高度成長期のお金があるときの遺産みたいなものだ。
設備を入れたら稼働させないといけないから、すぐに検査をする。
儲けるために検査をする。
そんな構図もあるのだろう。

増え続ける老人医療について、考えさせられた。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナ世代
IT系の社員に聞いたら、エンジニアはだいたい2割くらいしか出社してきていないとのことだった。
出社率は入社年度に依存しているらしい。

2020年入社組はリモート率が高い。
なぜかというと、この年は春から緊急事態宣言が出て、会社に行かなくても仕事ができるようにしてきたからだ。
その生活をコロナ騒ぎの3年間続けてしまうと、出社のハードルが高くなる。
その状態が21年入社、22年入社とだんだんと低くなる傾向らしい。

厚労省の感染症対策分科会、医師会、マスコミなどが煽ってきたおかげで、日本は死亡者数は最小でもまる3年間対策を続け、マスクはするわ、高齢者施設や病院は厳戒態勢にするわで、結局今でも何らかの対策をしているところもある。
その影響で20年から22年入社までの3年間の新入社員が影響を受けている。

さすがに、今年の新入社員はもうコロナフリーになっていて、出社率は高いらしい。
彼いわく、20年から22年の新入社員は会社への帰属意識が低く、いずれ辞めていくのではないか、とのこと。
そうだろうなあ。

ITの力で物理的な距離を超えて、リモートワークは原理的にはできるが、それは個人の仕事だけで周りとの関係は別だ。
やはり出社して、仲間とダベったりしないと、その組織に対する帰属意識は生まれにくい。
いくらジョブ型といっても、会社を含めた仕事での仲間づくりも大事であり、そのためにもフルリモートはないだろう。

どんな結果になっていくのか、楽しみだ。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
イギリスの報道離れ
日経によると、「2017年に報道を避けていた英国市民は24%だったが、最近では41%に増えた。その理由として約半数が心理的な悪影響を挙げた」とのこと。
オックスフォード大学の研究所の報告結果だ。

心理的な悪影響というのは、もちろんコロナのことだ。
コロナでいろんな意見が出て、イギリスでも両極端の意見もあったのだろう。
でも、イギリスは早くから集団免疫などの真っ当な考え方を示していたとは思うのだが…。

さらにコロナだけでなく、気候変動のデマに近いニュースもあったのだろう。
ホッキョクグマがいなくなる、というBBCのニュースは有名だ。
でも、実際にはホッキョクグマは増えているという。
この本を見てみればわかる。

オーストラリアのサンゴ礁も温暖化で無くなる、ということに対して正反対の事実を示している科学者がいるし、2004年に人間が住めるのは南極大陸だけになる、と予言した科学者もいたが、南極の氷は年ごとに最高記録を更新しているというニュースもある。

特に欧州は環境原理主義者が多く、何が本当なのかややこしいから報道を避ける人が増えたのかもしれない。
だいたい、気候変動で地球が滅亡するというようなニュースが多いのだ。
そんなことばかり、聞いてられないということだろう。

気候変動はともかく、コロナに対してはそのような現実に対応するために、数値データーのみを提供するサイトができた。
日本でも東洋経済などがそういうサイトを作っていた(今年の5月にコロナが5類移行したときに更新はやめている)。

しかし、日本ではそういうデーターを見る人が少なく、高齢者についてはテレビのワイドショーの影響が大きい。
コロナを怖い怖いと煽るばかりで、未だに怖がっている人もたくさんいる。
そのせいでなかなかマスクがなくならない。

そういう意味では、イギリス人に比べて、日本人の報道に対するリテラシーは低いのだろう。

新型コロナの感染拡大のおかげで、一般市民のデータリテラシーが向上したことも研究で明らかになっているという。

ぜひ日本でも同様の調査をして、発表してほしいものだ。

日本のマスコミはいかに偏向報道しているか、わかるといいのだが…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しいギター
ギター教室の生徒の一人がギターを買い替えた。
ヤマハのFG-840というモデル。

今まで使っていたギターは、フレットが摩滅して、1から3フレットあたりはもうほとんど平らになっていた。
そのせいで音が濁ったり、ビビったりしていたのだが、新品になって当然だが良くなった。

さらに音がめちゃくちゃ大きい。
俗にいう、よく鳴るギターだ。
いくらか個体差はあるのかもしれないが、本当によく鳴る。

ぼくも入れて3人でグループレッスンしているのだが、昨日はそのギターの音しか聞こえないという感じ。
音もきれいだし、4万円とは思えない。

きっと70年代よりも加工の精度などが上がっているのだろう。
接着剤なども良くなっていると思う。
だから鳴るギターが作れるのだ。

その証拠にギターが軽い。
ぼくの70年代のモーリスよりも明らかに軽い。
サイズはほぼ同じだが…。

技術が進んだと思う。

ビンテージがいいとは限らないということだ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
記者の品格
最近のマスコミは特に品がないと思う。
まあ、元々品がある方ではなかったが…。
ツイッター等でネットの人たちが、品のない言葉で応酬しているのは仕方ない。
以前からそういうところはあったが、最近の謝罪の記者会見などの様子を見ると気分が悪い。

ジャニーズ事務所とテレビ局は関係も深かったし、過去に暴露記事もあったし、ジャニー喜多川の悪事を当然知っていたのだろう。
でも、自分たちの利益のために知らんぷりをしていたということだ。

それでなくても若い人たちはテレビ離れしているのに、若い人たちの視聴率を上げるために、番組構成上ジャニーズ事務所の言うことを聞くしかない。
結局テレビ局は全部、ジャニタレの人気に寄りかかって、利益を山分けしていたのでないかとさえ思う。
だから、そんなに偉そうなことは言えた義理ではないと思うが、そういう反省は微塵もなく、ジャニーズ事務所を叩いているようだ。
なんだかなあ、と思う。

統一教会にしたって、元首相の狙撃事件の犯人が言うまでは何のニュースにもならなかったはず。
あれは安倍元首相を嫌いな人たちが、憂さ晴らしにテロリストを擁護して騒いだ結果だろう。
自称リベラルな人たちは、全くリベラルではなく、嫌いだからという理由で死んでもそれがおさまらない。
そんな力学が働いているのだと思う。
きっと長いこと裁判して、ほとぼりが冷めた頃に法に則って?、手打ちをするのだろう。

それにしても、最近の記者たちは本当に異常だ。
自分たちが特権階級のように思っているのではないか。

前にもWorlds of Journalism Studyの2012–2016年分の調査発表について書いたが、海外に比べて日本のマスコミは事実の報道という意識が低い。

繰り返しになるが、「あなたの仕事で『事実をありのままに伝えること』はどのくらい重要ですか? 5段階で答えてください」という問いに「extremely important(至要)」「very important(とても重要)」と答えたジャーナリストの比率が世界的に見ても少なかったという。

具体的な比率では、アメリカ98.3%、フランス96.5%、イギリス93.0%で、日本はたった65.1%。

調査した68カ国で。「事実をありのままに伝えること」がトップに来ないのは、日本くらいと書いてある。
中国やロシアでさえ、それが1位になっているのだ。

この調査結果をもっと重く見るべきだと思う。

もっと事実の報道に徹し、意見表明は控え、表明するのならもっと客観的にすべきだろう。
こんなことを続けていると、誰もマスコミなど信用しなくなると思う。

とにかく、品がないのだ。

どうにかならないのだろうか。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
脱・脱成長
東京大学の准教授の斎藤幸平氏は資本主義を憎んでいるらしい。
所得の上限を設け、それを超えたら再分配すればいい、という理屈。
大谷翔平の年俸は一億円でいい(実際にはグラウンド外の活動も入れて、約80億円らしい)と発言したとのこと。

この人は努力とか才能とかいう言葉を知らないのだろうか。
経済成長ということを否定しているのだ。
自分がさほどの努力もせず、東大の准教授になったから、そう言っているのだろうか。

実際には年収1億を超えた分は100%税金で取ると決めたら、それ以上働くのをやめるか、あるいはごまかすか、外国に逃げるかするだろう。
もしも日本がそんな国だったら、松下幸之助も本田宗一郎も盛田昭夫も井深大も生まれていなかったと思う。

実際、そういう社会主義、共産主義の国々が崩壊したのが何よりの証拠。

今彼自身が日本という豊かな国で、のんべんだらりと研究三昧で暮らせるのも、結局市場原理で儲けてきたからだ。
それがわからないというのは、本当に想像力が欠如している。

おまけに、旧ソビエトでは政治的な理由で2000万人、中国では4500万人から6500万人の自国民が政府によって殺されている。
そんな国になりたいのか。

まだ大学というところには、おかしな人たちがいる、ということだろう。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
古き良き50年代
2018年に「ラバーンとシャーリー」の記事を書いた。
ビール工場で働く若い女性2人を取り巻くコメディ。
それこそ、アメリカが豊かになる、古き良き50年代の感じだった。
NAFTAのような自由貿易協定も出来ておらず、アメリカ国内で労働ができた時代。

ラバーンとシャーリーはもうとっくに終わったが、その後アメリカの労賃が高く、文字通りラバーンとシャーリーはいなくなった。
NAFTAができて、雇用がメキシコなどに移転し、アメリカのGDPは結果的に増えたが、雇用はなくなった。

そして今EV(電気自動車)シフトで、かろうじて残っている自動車産業がそういう位置に置かれている。
国外に雇用が逃げるのではなく、EVになると部品が大幅に減るので、雇用がなくなるのだ。
ラストベルト(錆びた地帯)で、白人が窮乏化しているのに輪をかけることになる。

ドイツでも同じようなことが起こり、自動車労組が反旗を翻し、エンジンも残そうという計画(その代わり、エコな燃料を使う)になった。
日本はトヨタの方針が全方位なので、完全なEV化はまだ先だと思っている。

来年のアメリカ大統領選挙では、この自動車関連の票が大事になる。
そのために、EV化は制約を受けるかもしれない。

それでなくても、EVで中国依存するのはアメリカの本意ではないだろう。

欧州の環境原理主義者たちの影響で、EV化を進めるということになってはいるが、それにはいくつかの技術のブレイクスルーが必要であり、それがないままでは100%EV化など不可能だと思う。
それは環境原理主義者たちもわかっているはずだが、何も言わない。

イギリスのスナク首相がこないだようやく方針変更を匂わせた。

アメリカでも、古き良き50年代を懐かしむ人がいる。

これが今後の政治にどう影響するか、考えないといけないぞ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
同級生
日曜日に大学の学科同窓会があって、ぼくは第九の練習日で行かなかったのだが、個別の誘いがあって昨日は飲みに行った。

O君とU君。
O君は親切なやつだった。
試験の日に下宿に起こしに来てくれたりした。
鉄鋼関係の会社に入り、プロセス制御の仕事をして、会社に泊まり込んだことも多かったという。
数年前に前立腺がんになって、勤めをやめて手術して1年半ほどは家でゆっくりしたとのこと。

それでも、何かしようということで、今はシルバー人材センター経由で学校の用務の仕事を月に10日くらいしている。
いいことだと思う。
会社でそこそこの地位までいくと、プライドが邪魔してシルバー人材センターなどに登録するのは嫌だという人が多いが、彼は違った。

U君は高校も一緒だった。
高校3年のとき、二人で鉛筆を転がして、受ける学科を決めた。
電気関係の会社に入ったが、半年で辞めて公務員を受け、奈良県庁の水道局で定年まで勤めた。
水道というとライフライン。重要な仕事だ。
一時は片道2時間かけて車で通ったらしい。

ライフラインだけに止めることができず、だから何かあったときには夜でも呼び出され、現地に向かうことも多かったという。
県庁だから、市や町から依頼が来たら対応しないといけない。
そういう力関係もややこしいらしい。

二人とも、学部を卒業して大学院に行った。
だから、学校のことはぼくよりもよく覚えている。
面白いのはみんなの記憶が微妙に違っていることだ。
共通の記憶というより、一人ずつ話をしていて「ああ、そんなこともあったかも」と思うことが多い。
みんなの記憶の中身は違っているが、間違いなく四十数年前に一緒にいた。

憎めないエゴイストでも書いたが、40年以上たっても、あの共有した時間は忘れない。
思えば、社会人として勤めていたときも多くのことがあったが、やっぱり学生時代の思い出は違う。

別れ際に「また」と言って握手をした。
O君は関東に住んでいて、こちらに帰る気はないようだ。
でも、実家に帰ったときに、会おうと話した。

この年になって、また旧交を温める機会が増える。
人生のおまけの時間に入ってきたと思う。

おまけをできるだけ楽しもう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
のり弁
「のり弁」という言葉、てっきり「のり弁当」のことだと思っていたが、他の意味もあるらしい。
小池百合子が都民ファーストの公約にしていた「のり弁をやめます」という「のり弁」だ。

ネットで調べると「政界などにおいて情報公開された文書のうち多くの箇所が黒く塗りつぶされ非公開の状態にされている文書の通称。 政治用語としての「のり弁」は、政治の不透明さを象徴する語としてしばしば取り上げられている」と書いてある。

要は、情報公開を請求しても、肝心のことは黒塗りで結局公開されていないということだ。
それがのり弁当のように、真っ黒だということで「のり弁」となった。
昔の都民ファーストの公約には、「のり弁をやめます」と2番めに書いてあったらしい。
情報公開を徹底する、という意味だろう。

この公約が書かれていたのが「https://tomin1st.jp/policy/1209/」というページ。
このURLを打ち込んでEnterすると、どういうわけか「https://tomin1st.jp/news/archives/1868/」が出てくる。
つまり、この公約は勝手に削除されたということだ。

東京都は住民監査請求でいろんなものを公開請求されている。
その一つが前に書いた「Colaboの不正請求」の問題。

匿名の一般人がクラウドファンディングでお金を集めて、東京都とグルになって悪いことをやっている「若年被害女性等支援事業」を告発したものだ。
これなど、明らかにおかしいことをやっているのに、ここでも「のり弁」の登場。
都合の悪いことは隠すという役所のやり方だ。

都民ファーストの会が都政を担当していないときには、「のり弁やめます」という公約を掲げていたが、いざ自分たちが都政を担当し、「若年被害女性等支援事業」でズブズブの関係で活動家(一般社団法人)にお金を回すという悪事を公然とやってしまうと、しれっと公約から消す。

今もそういう状態だ。

こんないい加減なことが通っていいのだろうか。
どうしてこういうことをマスコミは報道しないのか。

おそらく氷山の一角だろう。
耳に心地よい、ナントカ支援という名目で、無駄な税金が使われていく。

それを告発している人たちはネット上にたくさんいる。
試しに「都民ファースト のり弁やめます 公約消えた」で検索してみればいい。

この国のマスコミは本当に腐ってしまったのだろうか。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
憎めないエゴイスト
Iくんは大学に入って近所に下宿したときに仲良くなった。
同じ学科で、二人とも勉強熱心ではなかった。

彼は学園祭の実行委員会で活動していた。
まだヘルメットをかぶった学生がウロウロしていた頃だ。

憎めないエゴイストだった。
マージャンしよう、と言い出して4人集まって始めたら、「眠いから寝るわ」と言って勝ち逃げで自室に帰って、終わって精算する時には起きてきたり、当時できたてのディスコに凝って、ブーツを履いて「踊ろうジャン」と言っていたのを思い出す。
けっこう自己中心的なヤツだったが、何となく憎めないのだ。

卒業して、自分は理系の柄ではないと商社に入ったが、そこの子会社の情報システムを担当した。
営業がやりたかったようだが、結局情シスになった。

就職してから、2回ほど会う機会があったが、もう十数年前。
昨日は久しぶりに会って、同級生とともに旧交を温めた。

彼の会社は十数年前に名古屋の会社に吸収された。
会社を閉める責任者になったようだ。

彼の会社は個人プレーの社風で、それは吸収した会社とは反対だったという。
高度成長の時代は終わり、低成長の時代になって、もう個人プレーでできる時代ではなかったと彼は言う。
そこで単身赴任で定年まで過ごして、彼はそれまでの自分中心主義から変わったという。
もちろん、本質的には変わらないが、見かけ上は変わったと言っていた。

たしかに、あのエゴイストの彼ではなかった。
歳のせいもあるだろう。
ご丁寧にお土産まで持ってきてくれた。

40年数年前のたった4年間。
その4年間の一部分を共有した仲間の一人。

また会おう、と言って去っていった。

やっぱり本質は変わっていない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
SDGs?
最近流行りの「SDGs」の「S」というのは、サステナブルという意味。
日本語では「持続可能」ということになっている。

世界を変えるために国連が17個の目標を立てた。
それらを総称して「SDGs」と呼んでいる。
正式には「Sustainable Development Goals」ということで、「持続可能な開発目標」という。

ごくたまに、SDGsのバッジを付けて歩いている人もいる。
カラフルな丸いバッジだ。
俗にいう「意識高い系」なのだろう。
会社の方針で付けさせられているのかもしれない。
企業が当たり障りなくアピールしようと思うと、ちょうど手頃な目標だ。
一つ一つについて、何かしらやっていることがあれば挙げて、宣伝できる。

貧困をなくそう、飢餓をゼロに…、というような目標が17個。
それらが実現されたら、持続可能かどうかはわからないが、これらの目標に反対だという人はいないと思う。
できたらいいね、ということだ。

ちょっと皮肉っぽい言い方になったが、みんな自分の生活がある。
それを考えると、そういう返事になるのだ。

例えば「人や国の不平等をなくそう」という目標があるが、それは個人でいくら頑張っても無理な目標。
それこそ国連でやってくれ、という感じだ。
日本は先進国だが、不平等をなくすために、貧しい国々を補助するということで、ジャンジャンお金を出したら、国内は貧しくなるが、それは困るというのが人情。
みんな自分の生活を大きく犠牲にしてまで、それをやってくれとは言わない。

所詮は、「茶の間の正義」なのだ。
「できたらいいね」とみんながテレビを見て、菓子を食べながら話す、というレベル。

SDGsを本気で言っている人は、活動家の類だと思う。
言っているだけで、ではどうやってやるのか、という提案すらないと思う。

ネットの調査結果では「サステナブル(持続可能)な社会の実現に興味がありますか?」という質問に対して「興味がある」と回答した人の割合は4割弱に留まったとのこと。
やっぱりそんなものだろう。

年代別では「10代と20代に次いで、70歳以上の多く(38.1%)がサステナブルな社会の実現に興味がある」という結果。
働き盛りの50代が最も関心が低い。
10代、20代は学校での教育の影響が大きい。
大学の教員もSDGsは好きだ。

茶の間の正義だとわかってやっているのならいいのだが、それを崇高なものと教えられた学生が気の毒だと思う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
会社のOB会
4年ぶりに元の会社の実験のOB会に出た。
コロナでずっと開けなかった会だ。

ぼくは47歳で会社を辞めたが、どういうわけか実験担当者のOB会には誘ってもらって、ずっと参加してきた。
でも、2年前に1人、今年になって2人先輩が亡くなった。
その追悼の会だった。

1人は役員になった方で、ぼくが会社に入ったときの課長。
もう1人はその時の課長代理。
さらに1人はぼくが設計にいるときに、一番お世話になった当時の部長だった。

一番長く過ごした組織でもあり、気心のしれた人も多く、辞めて20年くらい経っていても居心地がいい。
周りの人たちも、もうすでに定年していて、ぼくが一番若い。
一番上は84歳。

知っている人が亡くなっていくのはとても寂しい。
特に仕事でお世話になった人たちが、彼岸に行ってしまうのは特にだ。

ぼくは宗教は信じないが、「あの世」というものはあると仮定したほうが楽だとは思う。
いつかは自分も行くのだ。
父母をはじめ、仲の良かった友だち、そして会社の先輩など、彼の岸に渡った人がいる。
その人たちと死んだらまた会うことができる、というストーリーが立てられる。

昨日も、一番年配の方が「いつかあっちに行って、あいつとまた話をしよう」と言っていた。
そういう、死の楽しみができる。

若い頃はそんなことは微塵も考えなかった。

でも、そういう歳になったのだろう。

コロナがなければ、もう何度かは会えていたはずだった。
それが残念だ。

でも、本当にいい会だった。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:14 | - | - |
焼きタラコ
昔はタラコは焼いて食べるものだった。
今ではタラコを生で食べるという時代になったが、昔はそんなことはなかった。
初めて生で明太子を食べたときは、なんとなく気持ち悪かったものだ。

もっと前には辛子明太子というようなものは、市場で売ってなかったと思う。
子供の頃の記憶には普通のタラコしかない。
もちろん、うちの母が買わなかっただけかもしれないが…。
冷凍の技術が発達し、生で食べられるようになったのだ。

亡くなった父は、タラコが好物だった。
当然、焼きタラコだ。
大きなタラコでも焼くと小さくなる。

最近は近くのスーパーで焼いてあるタラコをパックで売っている。
大きさの割には高い感じがあるが、ぼくは焼きタラコを買う。
父の好物だった焼きタラコが懐かしいからだ。

子供の頃に食べた味は忘れられない。
父は血管が詰まって心筋梗塞を起こした。
タラコのような食品は、血管にはあまり良くないというが、そんな知識があったかどうか…。

でも、本物の卵は控えているので、タラコは焼きタラコを食べる。
焼き明太子でもOK。

タラコは焼いて食べるものだぞ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
左膝がマシに
骨挫傷をして、ずっと痛かった左の膝がようやくマシになってきた。
先週末から、ずっと通勤時にしていたサポーターを外しても大丈夫になったのだ。

思えば5ヶ月ほど苦しめられてきた膝痛。
脊柱菅狭窄症をかばって、左足にへんな負担がかかって、くぼみで膝がグキッとなって挫傷した。
松葉杖をついた原因もこれだ。

でも、近所のリハビリ医院の先生が勧める体操をやっていたら、だんだん良くなってきた。
昨日医院に行ったら、あとは筋トレだという。
大腿四頭筋を鍛えるための体操をもう一度教えてもらって、リハビリのマシンもやらせてもらった。
残念ながら、仕事があるので週に1回しかリハビリには行けないが、あとは家で頑張るしかない。

次回の予約を11月の終わりに取って、それまで頑張ることにした。

サポーターをしなくなったので、私服のズボンは何でも履けるようになった。
左膝の部分が膨らまないからだ。
スーツのズボンは、コルセットの上から履くのでウェストが大きくないとダメだが…。

でも、痛かった膝も、いつかは良くなるということだ。
これから筋トレして、元通りしゃがんだりできるようになりたい。

明日は先日亡くなった先輩を偲ぶ会に行く。
ここも心配していたが、歩いて行けそうだ。

これは嬉しい。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
モーリス持てば…
「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」というラジオのCMは、ぼくらの世代で深夜放送を聞いていた人ならたいがい知っていると思う。

ぼくは中学2年で家にあったガットギターを弾き始め、高校に入ってフォークギターを買ってもらった。
そのギターもモーリスだった。
だいぶ弾いたが、大学に入って下宿しているときにおじさんのところに行った。

今ぼくがやっているギター教室で使っているギターは、元は弟が持っていたもの。
このギターもおじさんのところに行き、出戻って来た。
ぼくのよりも1万円ほど高かったと思う。

70年代後半で3万円。
サイドの木が希少材らしく、値打ち物と聞いた。
今はもうワシントン条約で輸出入が厳しくなっているらしい。

たしか「モーリス持てば…」は谷村本人が喋っていたはず。
このキャッチコピーにノセられた人は多く、当時のモーリスの売れ行きは良かったのではないかと思う。
今でもモーリスは健在だが、当時のフォークソングブームに乗って見事なキャッチコピーだった。

70年代半ばから後半、実家の近所の大学生を駅で見かけたが、フォークギターのケースを持っている人が多かった。
今からは想像できないだろう。
ベルボトムのGパンに、プリントのTシャツで、髪を伸ばしていた。
みんなスーパースターを目指していたのかもしれない。

そんな時代のアイコンだった谷村新司も昨日亡くなった。
ロック・キャンディーズで関西で出てきて、深夜放送のDJで人気が出て、アリズを結成。
アリスでメジャーになった。

ぼくよりも8年上の団塊の世代だ。
今の高齢者がギターに憧れを持っているのは、若い頃にそういう時代を経験してきたからだと思う。
そういう人たちに、初心者向けの弾き語りということで教室を始めた。
どういうわけか、中学生も2人生徒になったが…。

当時の関西の高校生、大学生にとって、谷村はある意味ヒーローだった。
晩年はおさまりかえって大御所扱いされたが、本当はひょうきんなキャラクター。
深夜放送できわどい話もしていた。

あの彼が、「いい日旅立ち」などの名曲を作るとは思わなかった。

冥福を祈ります。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日のレッスン
今日は手術後2回目のレッスン。
だいぶ指の感覚が戻ってきた。

Just the two of usのコード進行で、どうやってアドリブを弾くか?と先生に聞いた。
J-popでもよく使われる進行。
前に書いた、丸サ進行だ。

Just the two of usのキーはFm。
マイナーコードのアドリブの基本はラシドレミだと先生は言う。
そこを基本に組み立てる。

ダイアトニックコードから外れるEbm7のところは、ドリアン・スケールを使う。
ドリアン・スケールはFmのラシドレミがラシbドレミになるだけだ。
このㇱbがミソだ。

あとはブルーノートのミbあたり。
それで適当に弾ければ格好がつく。

先生と交代で伴奏をして、アドリブを弾く。
やっぱり先生は上手だ。

でも、長いことかかって、ようやくここまで来た。

今日のレッスンは充実したレッスンだった。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
驕れる者久しからず
このまま人口減少が続くと、2040年には社会補償制度は崩壊するとのこと。
生産年齢人口が5978万人、65歳以上の人口が3921万人になり、だいたい1.5人の若い人たちが、1人の高齢者を支えるということになる。
そんなことは無理だ。

2040年というと、あと17年。
ぼくは今66歳だから、生きていれば83歳になり、男子の平均寿命のラインになる。
そこまで生きたら、崩壊ということだ。

もちろん、年金の支給時期を遅らせ、70歳まで現役にするとか、医療も全員3割負担にするとか、それを遅らせる方法はある。
はっきり言って、今すぐにでもそれをやって、働く世代の社会保障の負担を下げるべきだろう。

国の将来を考えるべき政治家が、自らその問題を先送りした結果がこれだ。
自民党に限らず、野党のほとんどはもっとひどい。
老人の票を集めるために老人向けの政策ばかり。

驕れる者久しからずというが、この国はどうなっていくのだろう。

受益者の老人にも税金を払ってもらうには消費税しかない。
60代以上が日本の金融資産の63.5%を保有しているという。
そのストックの部分に税金をかけるのは難しいから、フローの消費に税金をかけるべきなのだ。
実際、外国では20%以上の消費税をかけている。
それが一番確実に老人からもお金を取れる方法なのだ。

その代わり、社会保障の負担は減らすのが当然。
若い人たちの手取りを増やさないと、結婚もできず、子どもも作れない。
それを早くやらないと、2040年が来る。

その効果が出生率の向上という数字になって、本当に実感するためには20年近くかかる。
そんなことは誰が考えてもわかることだ。

どこかの党が働く人たちからの社会保障費の搾取を減らして、その分を国民全員で払う消費税に転嫁するというようなことは言えないのか。

誰だって、消費税を増やすのは嫌だろう。
それでも、その分若い人たちの負担が減るのであれば、我慢せざるを得ない。

本来なら労組が主体の党が言うべき政策だ。

医療保険だって、圧倒的な受益者である高齢者からもっと取るしかないのだ。
今の医師会の回し者の厚生労働大臣には無理だろうが、これから増え続ける医療費の方が問題だと思う。

平均寿命よりも健康寿命を重視して、尊厳死を認めるようなことでもしないと、働く世代は報われない。

総選挙をするのなら、そういうアジェンダを設定してほしい。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
スマホ漬け
パソコンと違ってスマホは何をしているときでも操作できる。
もちろん、会社の仕事中などは別だが、昨今リモートワークなどもあり、そんなときは使う人も多いだろう。
スマホ側も通知機能ができて、やれメールが来ただの、ラインのメッセージが来ただの、電話があっただの、こんなニュースがあるだの、いろいろとやかましい(もちろんOffにはできる)。

今はスマホを忘れたら不安でしょうがない、というスマホ依存症の人も多いらしい。
スマホが人間にもたらしたものは、情報過多だろう。
四六時中「情報」が飛んでくる。
メールやメッセージ、SNSサイトなどだ。
スマホゲームにハマっている人は、ゲームの情報も入ってくる。

2014年に中学生2万人に調査した結果、1日のSNS利用が1時間以上になると、利用時間が増えるほど数学や国語の点数が低かったという結果もあるらしい。
大人についても、20年間物忘れ外来を担当している医師が、10年ほど前から変化が起きていて、30代〜50代の患者が増えているという。
患者の話を聞くと、そういう患者はスマホ依存度が高いという。

結局、ずっとスマホを使っていると、ぼんやりする時間が減り、脳が情報を整理する時間がなくなるらしい。
スマホ依存の人の脳の中は情報のゴミ屋敷のようになっている。
寝ているときも脳の使う酸素の量は変わらないというから、脳の情報整理は忙しいのだろう。
スマホ依存になると認知障害が起こったり、鬱になったりする。

スマホと適切な距離を取るために、スマホを持たない時間を作るとか、単純作業をするとかいう対策が必要らしい。

今の大学生を見ていると、完全にスマホ依存だ。
学校に書くものを持たずに来る人もいる。
スマホで写真を撮って、メモはアプリで書く。

一方で、世の中はスマホを持っていることが前提のサービスが増えた。
金融系のアプリは、スマホの生体認証を利用するほうが、パスワードよりも安全なのでそちらに行っている。
学校の出席もスマホを使うところもある。

世の中がスマホ依存していっているのだ。

ややこしい。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
ニュース選択
Windows11になって、マイクロソフトがグーグルみたいにニュースをやりだした。
ブラウザのEdgeを立ち上げると勝手に出てくる。
タスクバーの天気や株価のところをクリックしても同じ。

スタート画面の方はレイアウト変更で非表示にできるのだが、タスクバーの方はできない。
どうせなら、出てくるニュースを厳選しようということで、どんどん非常時にしていった。

まず、テレビ局のものは全てオミット。
新聞は朝日、毎日は即消し。
雑誌系もナントカ芸能とかいうのはやめる。
フラッシュとかAERAもダメ。

パーソナライズという画面があったので、国内、海外、政治、経済、ビジネス、サイエンスあたりに絞る。
アニメやクルマ、音楽は選ぶ。
商売柄キャリアは選択して、終了。

これでだいぶ見やすくなった。
昨今はニュースも消費されるものになっている。
こんなことがニュースになるか、というようなものも多い。

前に「ジャーナリストの意識」http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/?eid=240934というのを書いたが、本当にその通り。
原発にしても、ジャニーズにしても、マスコミは事実を知っていたはず。
知っていても、知らないふりをしていたのだろう。
記者たちにとっては、事実を報道するということよりも、自分たちの思う方向に読者を導くほうが大事だと思っているのだ。
だから、メジャーなマスコミは参考程度に見ることだ。

今や事実はネットの方だろう。

有象無象のネットのニュースの方から、事実を考える。
それが大事だろうと思う。

なんでこんなにマスコミは劣化したのだろうか…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラーメン二郎
ラーメン二郎というのは東京発のラーメンチェーン店。
太い麺に、モヤシなどの野菜と、背脂、ニンニクなどが山盛りになっており、かなり脂っこいラーメンらしい。
次男に話を聞いたが、食べたあとはもう要らんと思うのだが、ちょっと時間がたつと無性に欲しくなる、という感じらしい。

この店はいろいろとルールがあり、それを外すと恥ずかしいという。
麺の量を聞かれているときに、トッピングについて返事するとダメ(これをフライングという)というのが第一。
店の前で並んでいるときに、茹でる量を確認するために店員が聞いてくるのだが、そこで焦ってトッピングの量を答えてしまうと、周りからバカにされる(ような気がする?)。
ちなみに、麺の量は小か大かで答えるのがルールで、普通というのはダメらしい。
「小で」というのが普通盛りのことになる。

入店して「ニンニク入れますか?」と聞かれたときには、ニンニク、ヤサイ、アブラの3つの量について答えるというのがルール。
「ニンニクヤサイアブラマシマシ」などと答えるといいらしい。
それを知らずに「入れます」と答えると、もう一度「ニンニク入れますか」と聞かれるらしい。
嘘か本当か知らないが、ルールを知らずに答えていると、店員によってはキレるという。

このあたりの符丁がわかっている人は「ジロリアン」と呼ばれ、ラーメン二郎のベテランということになる。

日本のラーメンは独自の進化を遂げ、昔の寿司屋みたいになった。
通が行くところだ。
ややこしい符丁があって、それを知らない輩はバカにされたりする。

どこかで道を間違えたのだと思う。

そうではない店もあるとは思うが…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
LGBT
心理学者の岸田秀は、人間は本能が壊れているという。
元はフロイトの考えらしい。
そして本能の代わりとして、文明を作ったということだ。
ぼくはこの見方に賛成なのだが、昨今のLGBTの騒ぎを見ていてその思いを強くした。

LGBTの問題は、身体的な性と精神的な性が異なるということで、おそらく本能のままに生きている動物にはそんなものはない。

ごくごく少数の割合で、人間に身体と精神の不一致が起こり、それが問題になるというのは何となくわかる。
おそらく昔からそういう人は存在したのだろう。
でも、それは自分の中で解決してきたのだと思う。

アメリカの人種差別はよくない、という運動はその通りだが、差別が良くないということで性差別から派生してLGBTの問題がクローズアップされた。
真似好きの日本人で、既存の体制を崩したいという活動家がそれに飛びついたのだと思う。
とにかく、差別は良くないという絶対的なテーゼをふりかざす。

性的嗜好は個人の自由の範囲で追求されたらいいと思うが、一方でそれを嫌悪する人たちもいて、それが差別になるという理屈。
特に問題になるのがLGBTのうちのTだろう。

日本はもともとそういう人たちに対して寛容だったと思う。
歌舞伎の世界では男性が女性の役をするし、宝塚歌劇では女性が男性の役をしている。
それをなんの違和感もなく許容してきたのは、その現れだと思う。
ジャニー喜多川でさえ、外国から指摘されるまで問題にしなかったのだ。

でも、今はそれらの活動家は本人が自認する性にこだわり、それを社会が認めるべきだという。

ぼくは小学校の道徳の授業で、道路の立ち退きの話を取り上げて、公共の利益のためには個人の利益は制限されるべきだということを習った。
大筋ではそれは正しいと今も思っている。

だから、活動家の人たちが、自分たちの性自認にしたがって行動することを認めろというのは、社会的な不利益がない限りは正しいと思う。

でも、自分の性自認に基づいてトイレを使わせろというのは全く違う問題だ。
そんなことを認めたら、大混乱になる。

そういうことを真面目に議論するのもバカバカしいことだと思っている。

公共の場では、身体的な2種類の性だけで区別すべきだと思う。

でもそれは大きな声では言えない。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネットのパブコメ
アメリカで通信関連の法律で、パブリックコメントを募集したら、2200万件のコメントのうち、8割が偽のコメントで、実質的なコメントは400万件しかなかったという。
一人の学生が、でたらめな住所や名前を生成するWebサイトを使って、770万件のコメントを送っていたり、団体が専門業者に850万件のコメントを遅らせていたりしたらしい。

インターネットは便利だが、技術が進んでいろんなことができるようになり、ネットを使った効率化を悪用する事例だろう。
アメリカの銀行の破綻騒ぎも、危機感を煽ったツイッターの2割が悪意あるアカウントだったという。

真面目に働いている人たちは、そんなバカなことをする時間がない。
でも、それで食っている活動家はやりたい放題だ。
敵対国のサイバー工作という線もあり得る。

ネットの空間はボーダーレスの自由空間だから、アナーキーになる。
声の大きいものが勝つという感じ。
行政が効率化のために、ネットを使うのは仕方がないが、こういう悪用は怖い。

ぼくも何度かパブコメを書いたことはあるが、住所、名前などを書く欄があった。
それをでたらめなものしても、OKなのだろう。
いちいち確認してはいられない。

そうなると、物理的なマイナンバーカードというのは役立ちそうだ。
ただ、意見の匿名性がなくなるのが気持ち悪い感じは残るが…。

これからは生成AIが、もっと上手なフェイクをすると思う。

ネットで民主的な進め方をする方法を考えないといけない。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
テニスボールのリサイクル
今年の8月から9月にかけて、テニスの全米オープンが開催された。
ジョコビッチが優勝したのだが、この大会で使われたボールの数は約10万個だという。

125試合行われて、10万個だから、1試合あたり800個使われたことになる。
テニスボールの反発力がすぐに落ちるから、それだけ使わないといけないということだ。
缶に入ったテニスボールは加圧されていて、缶が開けられると周りの空気圧が下がり、ボールの空気圧も下がっていき、反発力が落ちる。
最高の状態でプレーするために、どんどん新しいボールが使われるので、10万個も必要になる。

加圧していないノンプレッシャーボールというのもあるが、大会などでは使われない。
中のゴムが多く、重いし、打球感が異なるからだ。

日経の記事によると、アメリカでは毎年1億2500万個のテニスボールが捨てられている。
普通のマッチなら、6ゲーム先取で1セット、3セットマッチもあれば5セットもある。
全米オープンの規程がどうなっているのかわからないが、10万個使うということは、かなり早めに新品に変えているのだろう。

全米オープンで使い終わったボールは売店で販売されたり、テニススクールに売ったりしているとのこと。
まあ、プロが思い切り打つのだから、ボールのヘタリも早いのだろう。

思い切って、ノンプレッシャーボールに変えたら長持ちするのではないか。
そのうち環境原理主義者たちが、そういう提案をしそうだ。

外側が消耗するのは仕方ないとして、空気が抜けるのを防ぐいい方法はないのだろうか。
加圧容器を使って、少しは復活させられるらしいが、最初の新品のレベルにはならないとのこと。

でも、緊迫感のあるテニスの試合のために、反発力の高いボールが必要ということなら、仕方ないのだろう。

一度ノンプレッシャーボールを使った試合を見てみたいと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:17 | - | - |
流行歌
中学1年生の女子にギターを教えているのだが、今どきの中1女子はほとんどテレビを見ないらしい。
音楽はどこで知るかと聞くと、ゲームやTiktokとのこと。

教えてもらったゲームはプロセカというもの。
アプリをインストールして、少しやってみた。

正式名称はプロジェクトセカイ。
初音ミクという有名なボーカロイドがいる世界が舞台。
そこで少女たちがバンドを組んで歌うというのが、どうも本筋のストーリーのようだ。

そのストーリーを進めようと思うと、音ゲーで得点を稼がないといけない。
音ゲーというのは、音楽ゲームのこと。
ボーカロイドが歌う音楽に合わせて、画面で流れてくるブロックをタッチやフリックするというもの。
途中で入院したので、そこで止まっているが、なんとなくわかった。
こういうゲームでボカロの曲を覚えるという。

プロセカのホームページを見ると、楽曲の募集やコンテストをやっている。
こういうところに、ボカロP(ボカロピー:ボーカロイドを使って曲を打ち込みで作る人)が応募しているのだろう。
曲の募集要項を見ていると、「青春の曲」というようなテーマに混じって「チルい曲」というものもある。
「チルい」というのは「語源は英語のスラング「Chill out」で、「まったりする」という表現が近い」とのこと。
ぼくらには意味も想像できない新語だ。
こんな風にボカロ曲がどんどん出来てきて、ゲームが成り立っている。

小中学生がボカロの音楽にハマるというのは、こういうことなのかと思う。

もう一方のTiktokは中国発の動画サービス。
世界中で流行っている。
基本はショート動画なので、1曲通して流すことはできない。
こちらはボーカロイドではなく、実際のアーティストの音楽のようだが、動画が短いのでサビだけを流すことが多い。
そのせいで、曲名は知らないがサビの歌だけは知っている、ということだ。

だから、次は何の曲がやりたい?と聞いても曲名が出てこない。

今の中高生がアコギをやりたいというきっかけは、あいみょんあたりだと思う。
彼女の影響は結構大きい。
ぼくらの時代の吉田拓郎や井上陽水みたいの存在。

最初は「マリーゴールド」あたりから入る。
でも、そこから先は難しい。

結局YOASOBIの「夜に駆ける」に行ったり、ヨルシカの「ただ君に晴れ」に行ったり、あいみょんに戻ったりする。

そういう状態だから、きっと「流行歌」という言葉は死語だろう。
どんどん世の中の共通価値が失われていく。

YOASOBIの「アイドル」など、若い有能なミュージシャンが、最初から世界を狙って作っている。

でも、高齢化が進む日本で「アイドル」を知っている人がどれだけいるだろうか。
昔は流行歌というと、誰もが歌いやすい歌という感じだった。
「アイドル」を歌える人はほとんどいないだろう。

「流行歌」が死語になって、テレビの歌番組も激減し、BSでやっているのは昭和の時代のアーティストばかり。

これからどうなっていくんだろう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
かがみの孤城
WOWOWで録画して見た。
原作が辻村深月。
2018年に史上最多得票数で本屋大賞を受賞した小説をアニメ化したとのこと。

全く予備知識なしで見たのだが、このアニメは今の若い人たちに支持されているのだと思う。
不登校の子どもたちの話だ。
それをかがみの世界の孤城を舞台にして、だんだんと謎解きしながら進んでいく。
今の学校が先生も含めて、彼らの助けになっていないことを描いている。

いろんなきっかけで不登校になる。
そういう仲間が集められて、かがみの孤城でだんだんと仲間になっていく。

主人公を含め、全員が中学生。
今の中学校の問題をいろんな意味で描いている。

この原作は、アニメでしか描けなかっただろうと思う。
作者もそれを予想していたのではないか。

きれいな画作りで、日本の得意な2次元アニメの秀作だ。

でも、海外では理解されるのだろうか。
今の日本の病んでいる学校がわかるのだろうか。

いい問題提起の映画だったと思う。

でも、この映画がみんなに理解される現状はあまり良いものではないと思う。


| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
不登校29万人
日経によると、全国の小中学校の児童数は2023年の速報値で小学校が605万人、中学校が318万人。
一方で、2022年度の不登校は小中学校合わせて約30万人。
21年度から22.1%増えた。
その結果、不登校の人数は約3.25%になる。

しかし、ぼくの周りで不登校の子どものことを聞く機会は多い。
知り合いの人の子どもが3人ほどが不登校。
一人はまだ居場所が定まらないが、残りの二人は学校をやめてフリースクールにお世話になっている。

文科省は不登校が増えた原因は、新型コロナウィルス禍で生活リズムが乱れやすかったことなどが影響した可能性がある、ということだ。

それはそうだろう。
いまだに、小中学生はマスクをしている。
ぼくは、空気感染にはほとんど効果がないというのに、なぜかマスクをし続けるという学校に呆れている。
もともと小中学生などは、コロナの危険性は低く、子どもから大人がうつるということでマスクをさせられているのだと思う。
それは社会の中で、大人が気をつけるべきことであって、子どもにその責任を負わせるべきではない。
ましてや、今の5類になった状態で、なぜマスクをするのか、と思う。

そういう学校の、世間からズレた対応も、子どもたちに何となく違和感を持たれているのだと思う。

記事では不登校の増加の原因として、親や世間の考え方の変化をあげている。

「新型コロナ禍による環境の変化に加えて、背景にあるとみられるのが不登校に対する捉え方の変化だ。学校以外の多様な場で学ぶことの重要性を認め、不登校の支援を進める教育機会確保法が17年に施行された。不登校への理解が広がり、無理して学校に通う必要性がないと判断する保護者が増えた可能性がある。」

不登校への理解が広がったというのは、どういうことなんだろう。
不登校になる理由は様々だと思うが、それらを「やむを得ない」ということで諦めたのか、それとも「学校以外の多様な学び」の方がいいと思ったのか、難しい。

都市部では塾に行く児童も多い。
先生によっては職員室まで生徒が来て質問しても「そんな難しいことは塾で教えてもらえ」という人もいると聞く。
教えることを放棄していると思う。

だから、学校で勉強するという価値はだいぶ下がっているのだろう。

今の大学生を見ていると、小学校で躓いたまま放置されて18歳になった学生もたくさんいる。
たとえ小学校で躓いても、中学、高校で学びなおすこともできるはずだが、そういう機能はないらしい。
先生は「これを教えること」ということしか教えない。
それらの生徒は、全くわからないことを我慢して聞いているという状態だったはずだ。
数学や英語は積み上げの科目だ。
分数や割合の意味がわからなかったり、三単現のSや動詞の過去形などを覚えていなかったら、その先には進めない。

OECDの国際教員指導環境調査によると、日本の教員の1週間の勤務時間(中学校)は、OECD平均の38.8時間に対して56時間と1位だが、教員がそのうち授業に費やした時間はOECD平均の20.6時間に対して18時間と少なく、小学校も似た傾向だという。

学校は団体生活を学ぶ場でもあるが、教育をするのが本来の目的だ。
それに立ち返って、学ぶ喜びを子どもに感じさせ、それを楽しいと思える学校にしないといけないと思う。

それが不登校をなくす第一歩だろう。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
士農工商
知らなかったが、2000年から江戸時代の身分制度を表すと言われた「士農工商」が教科書から削除されていた。

ネットの説明を引用すると、
ーーーーーーーーーーー
「士農工商」という言葉は、実は中国で古くから使われていたもので、日本で作られた言葉ではありません。漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、本来は広くあらゆる職業の人々を指す言葉で、「民衆」「みんな」といった意味で使われていたようです。かつてはこの言葉が江戸時代の身分制度と上下関係を表す用語と考えられていましたが、近年の研究成果により、江戸時代には単純に「士農工商」という言葉で身分を分類していなかったということがわかりました。江戸時代の基本的な身分としては、「武士、百姓・町人等、えた・ひにん等」が存在し、その他の身分として天皇や公家、神主や僧侶などがいたというのが実態です。

江戸時代の身分による上下関係を「士-農-工-商-えた・ひにん」という言葉で教わった方も多いと思いますが、この認識も適切ではありませんでした。武士が支配層として上位であることは間違いありませんが、他の身分については上下関係や支配・被支配といった関係はなく、対等なものだったのです。また、えた・ひにんと呼ばれていた人たちも「武士−百姓・町人等」の社会から排除された「外」の民として存在させられ、ほかの身分の下位ではなく、武士の支配下にありました。

こうした理由から、「士農工商」という言葉は教科書から削除されたのです。
ーーーーーーーーーー

つまり、武士は身分として上位にいたが、武士以外は「上下関係や支配・非支配といった関係はない」という世の中だったということになっている。
まあ、時代劇などを見ていても、武士は身分が上だが、農工商は横並びという気はする。

でも、武士以外はみんな対等だったというのは、ちょっと作りごとのような気がする。
この解説の書き方がそう思わせるのかもしれないが、今の「すべての人は法の下に平等」という憲法の精神を敷衍した感じがするのだ。

今の基準で過去を見てはいけないというのは鉄則。

教科書を作る人たちが、その鉄則を外しているような気がする。
過去は過去の人たちの視点で見ないといけないと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
フレット打ち替え
昨日、20年近く使ってきたテレキャスターをリペアに持っていった。
地元でやっている、親父さん一人の工房。
ネットで調べて、メールで予約して行った。

もともとはボリュームのノブがスイッチになっていて、それが効かなくなったので直そうと思ったのだが、ネックも見てもらおうという依頼。
ぼくと同年代くらいの親父さんが、フレットが平らになっていて、これでは音がビビったり、押さえるのに力がいったりするから、変えたほうがいいけど…、と言ってくれた。

けど…、というのは値段が高いということだ。
フレットを交換して、ネックをちょっと削って、ナットを交換して、表面塗装をして、調整するという工程を説明してくれて、総額9万ほどかかる、という。
20年使ってきたから、無理もないと思って、それでお願いしますと前金を3万円渡して帰ってきた。

工房にはたくさんの工具と塗装用の部屋があって、修理依頼されたギターやベースがたくさん置いてあった。
いい仕事してくれそうな気にさせる工房。
工期は3ヶ月ほどかかる。

ぼくがジャズギターの教室に行きはじめて、すぐに買ったエレキギター。
先生が使っているのと同じ機種。
フェンダーというアメリカの会社の、Made in USAのモデル。
ぼくが一番良く使う3弦の5,7,9フレットあたりは、指板が削れている。
見てくれは悪いが、使った歴史でもあり、ネック自体を買い替えるよりは修理を選んだ。

来年の1月くらいには、生まれ変わったテレキャスが帰ってくる。

楽しみに待つとしよう。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
画像不信
6月に画像生成AIについて書いたが、それがどんどん進化している。
「こういう画像を作ってくれ」というだけで、それなりの画像が出力されるようになったとのこと。
ディープフェイクが簡単にできるようになったということだ。

3月にロシアがゼレンスキー大統領の偽動画をアップしたが、その時よりも高度化が進んでいる。
来年のアメリカ大統領選挙では、そういうものがたくさん出るのではないか。

イギリスのスタートアップが開発したStabirity AIというのが、入力したテキストからその内容にあった画像を生成するソフト。
ディープフェイクはもちろん、写真家やモデルなどの仕事にとっては脅威だろう。
コンピューターに命令するだけで、望みの画像が得られるのだから、経費はめちゃくちゃ安くなる。

肖像権など、どうなっていくのだろう。
有名人に似た画像を作って、それを修正していけば別の人物になるが、面影は残りそうな気がする。
ややこしい問題だ。

昔は「百聞は一見に如かず」といって、写真は真実を語っていたが、昨今はそういう常識も崩れた。

ネットの画像や動画は信用するな、ということになる。

画像に何らかの認証を与える、ということも検討されているらしいが、それもイタチごっこになりそうな気がする。

結局、なんでも証明書が必要、という世の中になりそうだ。

デジタル技術がこれ以上進むと、何となくユートピアではなくディストピアが来そうに思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九2023 2回目練習
今年ももう10月。
今月が終わると、本格的に年末の雰囲気だ。
11月になると、クリスマスの音楽が流れ始める。

10月はその端境期。
まだ暑いとはいうものの、だんだん秋らしくなってきた。
これからは本格的に秋だ。

7月の終わりに亡くなった母の四十九日も終え、まだ銀行の手配が残っているが、それ以外はほぼ終わった。

今年はしんどい年だった。
脊柱菅狭窄症に悩まされ、左膝の骨挫傷に悩まされ、一時は松葉杖をついて通勤。
そのさなかに母が亡くなって、葬儀もやった。
仕事もだいぶ休んで、ようやく手術も終わり、今はコルセットをしてリハビリ。
年内にどれだけ回復するだろうか。

おそらく12月まではコルセットの生活だろうから、大変だ。

昨日は先週に続いて、2回目の練習だった。

今回の先生はドイツ語の読みも結構こだわる。
bとvの発音はちゃんと区別をすることとか、ウムラウトの発音とか、そのあたりの指導が多い。

それと、先週に続いてハンドサインの練習もやった。
もちろん、ハンドサインは臨時記号には対応していないので、移動ドでやる。
忘れかけていたが、何とかついていった。

先生ごとに指導方法が違って、面白いといえば面白いのだが、もう少し統一できないのだろうか。
最低限のラインを決める、ということだ。

つくづく、先生という商売は難しいと思う。
ものが声楽でも、大学の授業でも同じだ。
みんな個人商店で、組織的に動けない。

ぼくはやはり最初に習った、コダマ先生がよかったなあ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
フィンガードラム
DTM(デスクトップミュージック)が盛んになって、打ち込みの音楽が増えた。
ボカロもコンピューターに歌わせる打ち込みだ。

楽器の音を個別に録音してボタンを押して呼び出す、という仕組みがある。
最初に発達したのはドラム。
ドラムの音を個別に録音して、ボタンを押せばその音が出る、ということだ。
シーケンサーという、いつ、どのタイミングで、どんな強さでボタンを押したか、ということを覚える機械と合わせて、本物さながらのドラムが打ち込めるようになった。

今ではフィンガードラムというジャンルができて、打ち込みのドラムをリアルタイムでやっている。
ドラマーがいないのに、ドラムの音は聞こえている、というやつだ。

指でボタン(パッドという)を叩いて、音を出す。
最近の機械は能力が上がったので、強く叩いた音、弱く叩いた音などがちゃんと再現される。

フィンガードラムはだいたい、3本指でやるようだ。
右手、左手で6本指。
親指はだいたいバスドラム。
人差し指、中指でスネアとハイハットをやる。
色々と流儀はあるようだが、基本はそれで8ビート。

16ビートになるともう片方の手を使うらしい。
しかし、リアルのドラムなら両手両足の4本しか使えない。
でも、フィンガードラムなら最大10本の指が使える。
通常は6本だが…。

でも、6本使いでもリアルよりも音は増える。
これはもう新しい楽器だとすら思う。
Youtubeで調べても、たくさん動画が出てくる。

基本は簡単そうだ。

ドラムセットは置き場が困るが、これなら家でも簡単にできるかもしれないぞ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) |