考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2015 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
アメリカ議会の演説
安部首相がアメリカ議会で演説をした。

新聞を見ると、その演説の最後の部分でキャロル・キングの歌に触れている。
ぼくが中学の時に聞いた歌だ。
首相は高校の時に聞いたと言った。
“ You've got a friend”だ。

同じ歌を聞いて感動したと思うと、親近感が増す。
そういう効果を狙って、歌のエピソードで締めくくったのだと思う。

ぼくは1957年に生まれたが、60年代後半から70年代に十代を過ごしたぼくらの世代にとっては、アメリカはある種の憧れの国だったと思う。
日本のテレビは番組を作る能力が足りなくて、アメリカのドラマを輸入していた。
名犬ラッシー、フリッパー、サンセット77、ハワイアン・アイ、宇宙家族ロビンソン、じゃじゃ馬億万長者、ベン・ケーシー、コンバット、スパイ大作戦、ペリー・メイスン、ナポレオン・ソロ、鬼警部アイアンサイド、奥様は魔女、逃亡者、刑事コジャック…などなど。
ゴールデンアワーに平気で海外ドラマをやっていた。
今はその時間にバラエティ番組をやっているが、あんなものを見るくらいなら海外のドラマを輸入して見たほうがマシだと思う。
円安で輸入コストは高くなっただろうが…。

話がそれたが、そういう時代だった。
アメリカは大きなクルマがフリー・ウェイを走り回り、大きな冷蔵庫があって、広い家に住んで、自由で民主主義の国だった。
その裏で、ベトナム戦争が起こり、アメリカに対する希望もちょっと落ちた。
冷戦の中で、いいアメリカと悪いアメリカが交絡していたと思う。

1989年にベルリンの壁が崩れ、賛否両論はあるものの、アメリカはやっぱりスゴイ国だと思った。
いいアメリカがよみがえった。
その後、アメリカの一人勝ちの状況が崩れ、お金もなくなって今に至っている。

でも、戦後の混乱の中、アメリカは日本を助けてくれた。
たとえ、それがアメリカの陣営に日本をつなぎとめておくためのものだったとしてもだ。
新憲法はアメリカの若い将校たちの理想を表したものだし、日本の国民もそれでいいと思ったのだと思う。

日本はアジアの国だが、ぼくの一番近い国はアメリカだ。
そういうふうに教育されてきたんだと思う。

1999年だったか。
当時勤めていた会社が、縁あってアメリカの会社と提携し、お互いの技術を視察に行った。
それまでも何度かアメリカに行ったことはあったが、アメリカの会社の中に入ったのは初めてだった。
当時のオープンで対等な雰囲気になんとなく感激した。
数日の訪問だったが、その会社の保養所でバーベキューをやって歓迎してくれた。
短いスピーチをしたが、アメリカ人がみんな笑顔で聞いてくれたことが忘れられない。

アメリカにはいろんな意見があるだろう。
でも、アメリカがない世界より、アメリカがある世界をぼくは選ぶ。

安部首相の議会での演説を読んで、そんなことを思った。


| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイナンバー
この秋から、マイナンバーの通知が始まる。
来年の1月から、運用が始まるという。
選挙運動と同じく、静かなマイナンバーだ。

アメリカのドラマを見ていると、社会保障番号が個人の身分証明になっているのがよくわかる。
事実上、国民の個体識別に使われているのだ。

データーベースを触ったことがある人は、いかにIDが大事かということがよくわかっているだろう。
IDというのは、とにかくユニーク(重複がないこと)であることが必要だ。
そして、できれば扱いやすいことが必要。
そういう意味では、国民をデーターベース化するのなら、番号をふっていくのが一番早い。
それが今回実現したマイナンバーということになる。

国にとってはなにがやりたいかというと、徴税だろう。
日本では所得税はサラリーマンの場合、会社が代わって収めているから、企業の対応も必要になる。
よく考えたら、アルバイトやパートの人も該当するから、ややこしい。
社会保障も厚生年金とか、健康保険とか、介護保険とか、企業が天引きしているからマイナンバーが必要になるだろう。
給与関係の部署は切り替えが大変だろうなあ。

個人にとってのメリットは、行政に出す書類の簡素化や、必要書類が簡単にもらえる、ということだろう。

内閣官房のページにマイナンバーの説明があるが、そこには「国の行政機関や地方公共団体などでは、社会保障、税、災害対策の分野で保有する個人情報とマイナンバーとを紐づけて効率的に情報の管理を行い、さらにマイナンバーを活用して、同一の者に関する個人情報を他の機関との間で迅速かつ確実にやり取り(情報連携)することができるようになります。 」と書いてある。

この後半の部分の、同一の者に関する個人情報を他の機関との間で迅速かつ確実にやり取りする、というのが、データーベース的に言えば一番大きな効果になる。
そのためには、付随する情報もコンピューター上にないといけないが…。
今ならたいがいのものは電子化されているだろう。
一番遅れているのは役所だから。

これから、何年かかけて、マイナンバーを使った事務の合理化ができるはずだ。
理論的には…。

国民一人ひとり、必ず違ったマイナンバーを持つことの意味はそこにあると思う。
役所の人の数を減らし、税金をもらって生きている人の数を減らす。
そこをやらないと、働き手が減っていくのだから、困ることになる。

それがマイナンバーの真の目的だろう。

リスクもあるにはあるのだが…。




| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
労働者の未来
グーグルで自動運転の開発をやっていた人が、自分が創業した教育企業に転出したという記事があった。
セバスチャン・スランという。この人はAI(人工知能)の研究者。
元スタンフォード大学でAI研究所長をやっていた。

教育企業に転身したのは、機械の味方ではなく人間の味方をするためだという。
今のアメリカの労働者の平均在職年数は5年以下らしい。
ぼくらの時代は、たいがいの人は1社か2社で労働の人生を終えることが多かった。
アメリカでも同じような状況だったはずだが、今はどんどんスキルの要らない仕事がコンピューターに置き換えられ、仕事を得ようと思うと、スキルアップが必要になっているらしい。
だから、平均在職年数が少なくなっている。
実際に人が機械に置き換えられているということだ。

記事はこう書く。

「我々は機械が人間の仕事を代替するという、非常に根源的な変化の中にいる。歴史を振り返れば、かつての農業社会が機械の発明によって製造業中心の社会に移行し、その後のロボット技術の発達を受けて現在はサービス業中心の社会になっている。しかし、その状況も変わりつつある。今後はあらゆるサービスが自動化され、人事、金融、税務、教育、公共サービス、医療などが劇的に効率化し、人間の雇用は激減していくだろう。ごく一部の人だけが真に意味のある、満足のいく仕事に就ける一方、その他大勢の人々は機械に対する競争力を失い、仕事があるだけで御の字という底辺に沈む世界が来る。」

すごい予想だが、実際にそういうことが起こっている。

レジのブラインドタッチというスキルを必要とされたスーパーのレジ係は、時給1000円足らずの学生のアルバイトでも置き換え可能な仕事になった。
バーコード、読み取り機、レジスターというシステムでそれが可能になった。
今や銀行のコールセンター(電話での問い合わせに答えるところ)も、質問をコンピューターに入力し、それで示された答えを言うだけでよくなりつつある。
銀行の業務の知識よりも、愛想の方が大事な時代になるのかもしれない。

「テクノロジーは中間業者を淘汰し、雇用のあり方を激変させている。我々の仕事はますます不安定なものになり、何度も仕事を変えながら生きる人が増えるだろう。」

そういう事態がアメリカでは、平均在職年数5年以下という数字に影響しているのかもしれない。
もちろん、アメリカはスキルアップして、仕事をどんどん変わっていく社会だから、そうなっているという側面もあるが…。

日本の平均在職年数という数字を探してみたが、よくわからない。
でも、在職年数5年未満という人のパーセンテージは、2006年時点でアメリカが50%を超えるのに対して、34.8%になっていた。
日本はまだまだ終身雇用の国なのだと思う。

スラン氏は静かに機械が人間に置き換わる、シンギュラリティーは起きている、という。

たしかにそうかもしれない。

コンピューターができて、経理システムができ、たくさんのソロバンや電卓を使っていた経理部の人たちの仕事はなくなった。
学生アルバイトが仕事ができるのも、コンピューターの技術が発達し、「スキルが必要な仕事」が「そんなにスキルが必要とされない仕事」に変わってきたからだ。
そういう仕事がたくさんできてきた。

日本にとっては、少子化が進むので、ひょっとしたらいいことかもしれない。
労働者の数が少なくても、オペレーションはできる。

「おもてなし」は人間ができる仕事として残るだろう。
いや、機械学習でロボットの方がいい、という時代が来るだろうか…。

人類はそういう時代に生きている。

そうなのだ。
2000年代あたりから、もう始まっていたのだ。

だから、スラン氏は教育業界に転身した。
大学レベルのオンライン講座をインターネット上に開設し、登録者数は300万人を超えたという。
ここで、最新のスキルを身につけて、仕事をしていってほしい、ということだ。
大学のように4年もかけてられないからなあ。
スキルのサイクルが短くなって、一生勉強の時代になったということか。

言い古されているが、「就社」ではなく「就職」の時代なんだと思う。



| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
サービスエリア今昔
昨日の続き。
1979年に会社に入って、それから6年ちょっと毎月クルマで茨城県まで出張していた。
当時は朝吹田に集まって、クルマを10台ほど連ねて行った。
無線を積んで、連絡を取りながら行ったものだ。
当時はまだエアコンがない車や、ステレオがない車が多かった。(もちろん、予算がもったいないからである)
たしか、オートマチックのクルマは一台もなかった。
今から思うと隔世の感がある。

馴染みのあるサービスエリアは吹田、多賀、養老、牧の原、浜名湖、足柄、海老名くらいだった。
三十数年前のサービスエリアは、トイレに行って、ガソリンを入れて、ちょっと休憩し、また出て行くためのものだった。
食堂もあったが、そんなにこったメニューはなく、定番は豚汁定食、カレー、ラーメン、焼肉定食といった感じ。
高速道路公団がやっていたと思う。
当時のおっちゃん、おばちゃんが雇われて、勤務していた。

80年代に入ってから東京に行くのは新幹線になってしまって、車で行くことはなく、東名を走ったのは今回が本当に久しぶりだった。

帰りはゆっくり帰ったので、サービスエリアに寄り道をした。
一番ビックリしたのは浜名湖サービスエリア。

なんとサービスエリア内にスターバックスがある。
ローマ字で名前を書いたプレートをつけた若い女性がサービスしてくれる。
全くサービスエリアという感じがしない。
レストランは、2つある。
1つはフードコートみたいなところで、手軽に早く安く食べる。
もう一つは本格的なレストランという感じだ。
それ以外にも、うなぎの関連の店とか、軽食の店、パン屋など、いろんな店があった。

売店もたくさんの土産物があって、中もきれいで広い。
6つくらいの色違いのキティちゃんも並んでいて、やっぱり中国語で解説があった。
そう思ってみると、店のいろんなところに中国語が書いてある。
なるほど、ここにも円安のメリットを享受しようという商魂があった。

浜名湖に面したところにはきれいな公園もできており、散歩もできる。
もちろん、子供が遊ぶ遊具が置いてあるところもある。

数時間、食事をして、コーヒーを飲んで、ゆっくり散歩をして、時間を潰すことができる。
このサービスエリアを目的に来てもいいくらいだ。

養老にも、スターバックスではないが、コーヒーの店があった。
どこのサービスエリアも、浜名湖みたいになっていくのだろう。

時代は変わったなあ。


| | 考えたこと | 20:44 | comments(2) | trackbacks(0) |
東京
11年ぶりに東京に行った。
車で行くのは、20年ぶりくらいになる。

関西の名神高速も道路が拡充され、ほとんど渋滞がなくなったが、関東の東名高速の用賀のあたりもすごく道がよくなった。
土曜日のせいもあったが、それでも渋滞なく東京に入ることができた。

えらいものだ。
昔は東京に入るのが大変だった。
36年前は、朝7時に吹田を出ても、東京に入るのは5時を回っていたと思う。
今は東名の道路が広がり(4車線になった)、またいろんな迂回路ができて、交通が分散したのが大きいと思う。
ETCもできたし、物流の合理化で大型トラックが減ったのもあるだろう。

これなら、だいぶ楽にドライブできる。

そして、日曜日の東京はクルマが少ない。
都内を走っても、渋滞もなく快適だった。
また、駐車場もコインパーキングが増えて、料金の問題はあるが、駐車も楽になった。

それにしても、東京にはカネがある。
企業の投資も多い。
だから、新しい公園ができていたり、新しいショッピングセンターができていたりする。

生まれて初めて皇居にも行ったが、あんな広い公園が公開されているとは知らなかった。
お堀の回りは、ランニングしている人も多かった。
あんなに多いとは思わなかったが…。

やっぱりお金があるということはいいことだ。
人口が多いから、お金も入るのだろう。
どんどん人口が都市に集積化する。
高層マンションもたくさん建っていた。
まだまだ人が入って来られる。

このままでは東京の一人勝ちになるぞ。

大阪も頑張らないと。
いっそ、大阪都にしてみたらどうか。

現状維持がベストとは思えない…。



| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学サバイバル
2018年問題というのは、何度か書いたが、少子化で18歳人口が大きく減るという問題。
ここが大学が生き残れるかどうかの分かれ目だ。
そして、18年以降18歳人口は減り続けるのだから、大変だ。
今までは地方の大学が苦しかったのだが、これからは都市部の大学も苦しくなる。

さらに、大学は今のままでいいのかという議論も出てきた。
以前書いた、G型大学、L型大学という分類だ。
GはグローバルのG、LはローカルのL。
G型大学は研究を続けるのだが、L型大学はもっと学生のニーズに合わせた教育が必要という。

にわかに文科省がそういう分け方を採用するとは思えないが、長い目で見たらそういう棲み分けも必要になるという感じがする。
L型大学は、今までのカリキュラムを変え、どう教育していくかという見直しが必要になるかもしれない。
いずれにせよ、弱小私学はL型大学になるから、厳しくなるだろう。

生き残るためには、マジメに教育するしかないと思う。
もちろん、受験生やその親、高校教師に対するプロモーションも必要だろうが、それよりも最低限必要なのが、マジメに教育することだ。
カリキュラムをマジメに作ること、日々の授業をマジメにやること、提出物、テストの添削・評価をマジメにやること、ゼミをマジメにやること…、結局そういうことだ。

そんなに奇をてらったこととか、人目を引くようなことなどやらなくてもいい。
タレントがプロデュースする入学式など必要ない。
カタカナの学部名も必要ない。
資格取得などで気を引く必要もない。

学生の興味関心を引き出し、やる気を持たせる。

なんだ、当たり前ではないか、というなかれ。
それが出来ていない大学がたくさんあるのだ。

バイトに明け暮れる大学生がどれほどいるか。
3回生で卒論以外の単位をとってしまう学生がどれほどいるか。

実は大学の人はみんなわかっている。

あとはやるだけなんだが、それが一番難しい。
特効薬などない。

マジメにやることだ。



| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイエーのイオン化2
昨日の続き。

イオンの発表によると、プライベートブランドの商品を見直すとのこと。
日経ビジネスオンラインに出ている。

プライベートブランドである、トップバリューを4割も削減するという。
なかなか大胆な方策。
イオンは全ての商品をプライベートブランドで供給しようということを考えていたらしい。
そのために、どんどんプライベートブランドの商品が増えて、それが売れないということになっていたことに気がついた。
ちょっと遅かったが、まだ間に合う。

商売敵のセブン・アンド・アイ・ホールディングズはセブン-イレブンの購買データーを使って、どんな商品が売れるのかをフィードバックして、商品開発に活かしているとのこと。
遅まきながら、その路線に移行しようとしている。

マチガイを正すのは早いほうがいい。

昨日も書いたが、毎日使う食品は、安いだけではダメだと思う。
安いが、ほしいと思わせる商品が必要だ。
いきなりトップバリュー商品を並べても、それはダメだろう。
一度それを買ってみたいと思わせるようなことをしないと…。

いつの間にかダイエーの棚は、たくさんのトップバリューが並んでいる。

一度潰れたダイエーを二度潰すのはやめてほしい。

| | 考えたこと | 22:35 | comments(2) | trackbacks(0) |
ダイエーのイオン化
ダイエーがイオン傘下に入って4ヶ月。
食品売り場がだいぶ変わった。
とにかくイオンのプライベートブランド(PB)商品が増えた。

今まであったメーカーのものがなくなって、PB商品が取って代わる。
たしかに安くなったが、慣れ親しんだものがなくなるのは困る。
その安価路線がイオンの不調の原因だという記事を見た。

でも、この春になってちょっと以前の商品が戻ってきた。
路線を変更したのかもしれない。

どうもイオンのPB商品は安っぽくて、あまり買う気がしない。
いいものもあるにはあるのだが…。

食品スーパーはイオンのとった安価路線と違って、価値訴求型の品揃えのところが好調らしい。
それはそうだろうと思う。
昨日まであったQBBのアーモンド入りのチーズがなくなって、イオンのPBのチーズが並んでいても、消費者はなかなか買わないだろう。
10円、20円安いものを買う人もいるにはいるだろうが、結果からいうとそうではなかったということだ。
今まで買っていたのだから、それが欲しいのだ。

もちろん安くなって喜ぶ人もいる。
でも、毎日使うものだけに、こだわりのある消費者も多いんだと思う。

PB商品は宣伝費や開発費を抑えているから安いというのはわかるのだが、安価なだけ、という感じだ。
今の消費者は自分のほしいものがほしいと思う。
だから、勝手にPB商品が棚を占め、今まであった商品がなくなっていくと、買わなくなる。

この春、ちょっと変わったダイエーの売り場。

どうなるのか、楽しみだ。



| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
音楽のデーター化
WindowsがXPになって、CDがパソコンの主要メディアになって、音楽CDがいつの間にかコピーできるようになった。
CDを買わなくても、レンタルショップで借りて、自分のパソコンで同じものを作れるようにもなった。
初めてそれに気づいた時、喜んだものの、エライ時代になったなあとも思った。

なんでも、日本レコード協会(名前が古いぞ)によると、1998年には6000億円ほどあった音楽の商品市場は、2014年に2500億円ほどに落ち込んだらしい。
十数年かけて、半分以下になってしまった。

でも、みんなが音楽を聞かなくなったわけでない。
逆に、携帯音楽プレーヤーやスマートフォンに入れて、移動中に聞いている人は多い。
容量も大きくなって、若い人は何千曲というデーターを持ち歩いている。
音楽が身近になったのだ。

家で楽しむにしても、Youtubeを開けば、いろんな音楽が楽しめる。
古いジャズやポピュラー音楽なら、音質を我慢すればいくらでも見つかる。
音楽を聞きたい人にとっては、便利になった。

iTunesとかアマゾンでデーターを買うこともできる。
1曲数百円だが、まとめて買うと安くなったりする。
ジャズなど、古い名演が50曲で900円とかいう値段で売られている。
ただし、圧縮されたデーターで、音はあまり良くない。
録音が古いので、もともと音質はよくないのかもしれないが。

一方、いい音で聞きたいと思えば、それなりにお金がかかる。
スピーカーやアンプにカネをかけることになる。
でも、昔ほどお金をかけなくても、そこそこいい音で聞ける時代。

どんどんデビューするミュージシャンもいる。
ストリート出身やYoutubeから出てくる人もいるらしい。
食えるかどうかは別として、ミュージシャンの敷居はかなり下がった。
デジタル化でレコーディング機材も安くなったし、楽器の値段も下がった。
デスクトップミュージック(DTM)ソフトとパソコンがあれば、楽器がなくても作曲してカラオケが作れる。
1万円ちょっとあれば、エレキギターが買える。
チューニングができなくても、今は千円以下でチューナーがある。
習うのも、ネットで見れば、簡単だ。
スタジオも安く借りられるところが多い。
それどころか、友だちを呼べば、簡単にアマチュアでも出演できるところもある…。

要するに、音楽が希少材から消費財になってしまったのだろう。
モノはコモディティ化(消費財に近づくこと)すると、値段が下がり、品質は気にしなくなる、という性質がある。
レコードの時代から、CDの時代を経て、データーの時代を迎えた音楽は、その道をたどっているように見える。

いったんコモディティになってしまったものは、価値が上がらない。

結局、以前は限られた運と才能がある人だけがやっていた商業音楽を、誰もができるようになった、ということだろう。

音楽ビジネスは過渡期だと思う。

これから、どうなっていくのかはわからない。


| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
プールの社会学
ジムのプールに通っていて、思うことがある。
プールにはいろんな人がいる。
ゆっくり長く泳ぐ人、早く短く泳ぐ人、練習している人、初心者、そして歩く人など。

初めてのプールは気を使う。
どのレーンに入ったらいいか、悩むのだ。

レーンにはウォーキング、ロングコース、スピードコース、ショートコース、初心者コース、レッスンコースなどがある。
時間によって、プールで体操する時間などもあって、ちょっと変わる。

歩くコースは問題が少ないコース。
追い越しはダメだが、遅い人がいると途中でターンして方向を変えて歩くことが出来る。
ここで問題が起きることはまずない。

もちろん、問題といってもそんなにあからさまにもめるのではない。
みんなオトナなんだから。
ケンカや言い合いなどもしない。
でも、なんとなく不穏な空気がただよう、そんな種類の問題だ。

仲良しグループはなんとなくある。
そうでなくても、誰かを見つけて話したいという人はいる。
一応、運動のために来ているんだが、どちらかというと話すほうが主眼という人だ。
これは圧倒的にオバちゃんが多い。
プールにいるより、ジャグジーに入っている方が長い感じの人もいる。

要は、世間の縮図みたいなものなのだ。

プールでどうやって自分が思うように運動し、回りとも軋轢を起こさず、うまくやっていくか。
これは結構熟練の技を必要とする。

まずは、メンバーを見定めないといけない。
年齢、性別、その人がどういう目的で来ているか、どれくらいの水泳のスキルがあるか、どれくらいの距離を泳いだり歩いたりするか、フレンドリーか、排他的か、中立か…。
頭の中の項目にチェックを入れていく。
それが完成するのに、半年はかかる。

そして、自分にとって得意な人と不得意な人に分ける。

そういう識別をしておいて、万一話しかけられた時の対応を決めておく。

こういう事を暇だからやってしまう。

どうでもいいことなんだが…。



| | 考えたこと | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校事務
今の学校に欠けているのは、まともな事務ができる人だと思う。
事務というのは、親対応等も含めた事務だ。

今の高校以下、ほとんど先生だけで学校は運営されている。
教育委員会も、その世界の人ばかり。
それが学校が近代化しない大きな要因だと思う。

2004年当時、ぼくのいた会社ではメールが当たり前になっていた。
もちろん、Faxもまだあったが、もう圧倒的にメールだった。
2004年の春に文系の単科大学に転職したのだが、転職先では大学の事務はメールだった。
しかし、学校法人本部や先生はまだ使えていないのでビックリした。
学校は社会からだいぶ遅れているのが実情なのだ。
大学というと、世間から進んでいるというイメージがあるのだが、それは間違いだ。

そのため、コンピューターリテラシーが低い人達が多かった。
迷惑メールが来たら、それに返事をして文句をいうなどという強者がいた。
もちろん、返事を出したらもっと迷惑メールが来るのは常識だ。
まあお年寄りだったから、仕方ないのかもしれない。
系列の中高や小学校は、推して知るべしの状態。
先生を教育する人がいないのだ。

大学事務でよく言われたのが、先生ほど学ぶのが下手な人種はいない、ということだった。
どこかから講師を招いて、先生方の講習会をしても、聞いただけでその講師の言っていた実践をする人などいない。
口では、いいお話を聞かせていただいた、とお礼は言うのだが…。

授業の見学をやっても、見に行く人はほとんどいない。
この授業は学生に人気があって、とってもいいから、ぜひ見に行ってくれといっても、まず行かない。
いいやつ、悪いやつというような、序列化につながることを極端に嫌がる。
いいことは見習って、やればいいのにと思うのだが…。

もちろん、中には率先して行く先生もいるし、立派な先生もいるのだが、あまりに少ない。
ぼくのいた大学だけのことかもしれない。
でも、似たような大学はたくさんあると思う。

事務が比較的多い大学でもそうなのだ。
だから、高校以下の事務のスキルアップをするためには、事務員を増やすべきだと思う。
先生を批判する人(避難する人ではない)を学校内にもっと持つべきだ。
そうしないと、先生の質も上がらない。

先生の仕事の第一は教えること。

ちゃんと教えることができる先生をもっと増やすには、教員養成課程の見直しに加えて、学校に有能な事務仕事をやる人が必要だと思う。


| | 考えたこと | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
統一地方選挙2
先週の日曜日、静かに選挙が終わった。

結果はさておき、投票率は過去最低ということだ。
日経によると、「道府県議選で立候補者数が過去最低を記録し、知事選は与野党が事実上の相乗りで現職を推す構図が大半。候補者、政策とも選択肢の限られた有権者の多くが選挙に関心を持てないまま棄権に回ったとみられる。人口減問題や景気回復の遅れに直面する地方政治の構造問題は深刻だ。」とある。

政治に関心が持てないから投票に行かないのか、投票に行かないから政治に関心が持てないのか、ニワトリとタマゴのようなものだ。

しかし、首長の与野党相乗りというのは論外だと思う。
あれだけ中央で対立している政党が、同じ候補を推薦するというのはオカシイ。
地方の各党が結託して、地方政治を食い物にしているとしか考えられない。
ここで対立がなければ、関心が持てないのも仕方がないと思う。
そんなに仲がいいなら、中央でも仲良くやればいいのだ。

要は、無理に対立をしないといけないというわけではない。
マジメに政治をやっていれば、現首長の政治に反対や賛成のグループができるのは当たり前だということだ。
限られた予算の使い方をどうするのか、重点的に使うところはどこか、ということに賛否はないのだろうか。
地方議会がみんな与党になってしまえば、議会は単なる承認機関になってしまう。
その議会もオール与党に近い状態なら、地方政治には抵抗勢力がないことになる。

今の日本の地方政治には、本当の意味での野党がいないのだと思う。

大阪における与党、維新の党は他の党全てと対立した政治の軸があるから、ここだけは例外だ。
それでも投票率は高くはなかったが…。

今日また後半戦の公示があった。

89市長選があるが、そのうち27市長が無投票当選。
約3割が無投票である。

投票があっても、大多数は与野党相乗りに近い候補なら、無風選挙だろう。
議員も同じだ。

何らかの投票率対策をしないと、いけないと思う。

そのためには、野党がちゃんと野党の役目をしないと…。


| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
昆虫サイボーグ
石森章太郎のマンガ、「サイボーグ009」は人間に中に機械を入れて能力を上げるというものだった。
それをサイボーグという。

Wikipediaによると、サイボーグとは、「サイバネティック・オーガニズム(Cybernetic Organism)の略で、広義の意味では生命体(organ)と自動制御系の技術(cybernetic)を融合させたものを指す」とある。
だから、広くは人間に限らず、生命体であればいいということだ。

ということで、生命体として選ばれたのが昆虫。
大型のカブトムシに電極をつけて、飛んでいる時の旋回を制御するという。
2008年頃から発表が相次いでいるとのこと。
ゴキブリでも成功しているらしい。

できた昆虫サイボーグは、いずれ災害時の捜索などに使いたいいうことらしい。
まあ、生き埋めになった時など、昆虫の大きさなら小さな隙間でも入ってこれる。

小さな機械じかけのロボットを作るよりは、昆虫の方が楽なのかもしれない。
そういう意味で、昆虫サイボーグというのは使えるだろう。
羽で飛ぶとなると、余計にややこしいと思う。

しかし、昆虫の脳に電極を入れるということだが、カブトムシの脳などほんの小さなものだと思うのだが、脳のどこに入れるかわかっているのだろうか。
とりあえず、脳ならどこでもいいというわけではないと思うのだが…。

昆虫の脳は、記憶や学習、情報伝達という高次な働きをすることがわかってきている。
記憶をつかさどるのは脳の中のキノコの形をしたキノコ体というところだとわかってきており、ゴキブリ、アリ、ハチではそこが大きいとのこと。

みんなに嫌われているゴキブリだが、意外と賢い脳を持っているのか。

ゴキブリサイボーグが災害時に生き埋めになっている人を探す日が来るのか。

ちょっと遠慮したい。



| | 考えたこと | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
手術支援ロボット
ロボットが進んでいるのが医療領域らしい。
こないだ、前立腺ガンになった人の話を聞いた。
その人によると、今は前立腺ガンの治療は、ロボット手術が普通らしい。

ロボット手術というと、「ダ・ヴィンチ」。
Wikipediaによると、「da Vinci(ダ・ヴィンチ)こと、da Vinci Surgical System(ダ・ヴィンチ・サージカルシステム、ダ・ヴィンチ外科手術システム)とは、米国インテュイティヴ・サージカル社が開発したマスタースレイブ型内視鏡下手術用の医療用ロボット。」とある。

医者が離れたところでモニターを見ながら、フットペダルやコントローラーで、三次元内視鏡と手術をする鉗子をあやつり、ロボットがそれを実際にやる、ということらしい。
手で鉗子をコントロールする仕組みは、手がぶれても大丈夫なように、手ブレ防止機能がついている。
ズームして見ることもできて、かなりの精度でできるらしい。

数年前なら前立腺ガンの手術というと外科手術だったが、今はもう内視鏡でロボットでやる。
人間が実際にやるより、精度が高い。
このサイトで動画を見ることができる。
縫合するところをやっているが、本当に上手にできるようだ。

エライものだ。
でも、これはロボットと言っても自分で判断するのではなく、人間が操作するものなので、今流行りの人工知能ではない。
人間の能力に付加価値をつけるものだろう。

ここまで来たら、次は自動化になる。
摘出部分を指示したら、自動で切り取ってしまう、とかはわりと簡単にできそうだ。
いつかは人間がやるよりも、機械がやった方が精度が高くなるのだろう。
ミスも少ないかもしれない。

そこで問題になるのが、万一失敗した場合の責任の所在。
ロボットがミスした、ということになると、どうなるのだろうか。

いろいろややこしいことが起きそうだ。

でも、不器用な人間に比べたら、ロボットのほうがマシだろうなあ。
病院によっては、不器用な人間を止めることも出来ないようだし…。

ちなみに、このロボット、1台3億円もするらしい。
2014年1月現在、国内に40台導入されているとのこと。

さすが日本。
医療先進国だけのことはある。


| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
単数のThey
アメリカの英語が変わりつつあるらしい。
Wall Street Journalに記事があった。
"they"という「彼ら」表す人称代名詞のことだ。
"tyey"は複数扱いだったが、これを単数で扱うという場合が増えているということらしい。

これは主に、三人称の代名詞"he"「彼」、"she"「彼女」が性別を伴うから、どちらでもなく、一般的に三人称を受けるときに"they"を単数で使うというもの。
こう書くと難しいが、事例で見るとわかりやすい。

「Nearly everyone would find that they can catch the meaning.」という文章がある。
意味は、「ほとんどの人がその意味をつかむことができるとわかるだろう」というようなことだ。
ここで、"everyone"という単数形を受けて、"they"を使っている。
ネイティブの人たちはこれに違和感がなくなってきているということだ。

ぼくらが習った時は、"everyone"は"he"で受けるということだったと思う。
"everyone"は男かどうかはわからないが、とりあえず単数だから"he"で受けるというものだ。

今は性別にうるさくなった。
スチュワーデス(女性)とかスチュワート(男性)をやめて、フライト・アテンダントという名称にしたり、議長をあらわすチェアマンをチェアパーソンという名称にする、といった具合。
その流れにそって、意識も変わってきたのだろう。

意識が変わるのが先か、それとも言葉が変わるのが先かというところだ。

でも、ぼくらの孫のまた孫の時代には、"they"は"he"や"she"の代わりに使うことができる、ということになっているのかもしれない。

言葉は世に連れ、世は言葉に連れだ。


| | 英語 | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
ムンクの叫び
ムンクをご存知だろうか。あの「叫び」のムンクである。
他の何を知らないでも、ムンクの「叫び」というのは知っている人が多い。
あの特徴的な絵だ。
橋の上のようなところで、ガイコツみたいな顔の人が、両手をほほにあてて、叫んでいる、といった雰囲気の絵。
ぼくも、ムンクがどんな画家で、他にどんな作品を遺したかなどはまったく知らないが、あの「叫び」なら知っている。

その「叫び」という絵について、こないだストレッチのコーチから面白い話を聞いた。

何でも、若い人たちもあの「叫び」という絵を知っている人は多いのだそうだ。
美術の教科書に載っているのかもしれない。
それはいいことだと思う。
ところが、コーチによると、あの「叫び」の絵は、誰が描いたのかは知らないことが多いという。

何を言っているのか、わからなかったのだが、要はあの絵の題名は「ムンクの叫び」だと思っている人がたくさんいるらしい。

ムンクが描いたのではなく、あの絵の中で叫んでいる人が「ムンク」ということだ。
だから、「ムンクの叫び」ということになる。

なかなか楽しい間違いではある。

ムンクが描いた「叫び」という絵は、いつの間にか「ムンクの叫び」になった。
たしかに、「ゴッホのひまわり」とか言っても、人間がする行為でなければ間違わないのだが、「叫び」は人間のする行為なので、「ムンクの叫び」になってしまったらしい。

これは日本に特徴的なのか、海外でもあり得る間違いなのか、それはわからない。

でも、コーチによると、『相当数の若い人があの絵は「ムンクの叫び」だと思っている』とのこと。

誰か、試しに聞いてみて下さい。




| | 考えたこと | 00:57 | comments(1) | trackbacks(0) |
音だけの情報
ラジオが脳にいいらしい。
テレビは受け身で、何も考えなくても目と耳から情報が入っていくるから、テレビばかり見ていると脳が働かなくなるとのこと。
ネットに記事が出ていた。

その点ラジオは耳からの情報だけで、脳が想像をしないといけないから、脳が活性化する。
実際にラジオを聞いている時の脳の状況を見ることで、それがわかる。
創造性をつかさどる「前頭前野」という部位の血流が増える。
脳のこの部分は、場面想像をしているとのこと。

ぼくはラジオドラマをよく聞くが、それよりも脳が活性化するのはラジオの天気予報らしい。
地図無しで地域を想像し、情報処理しないといけないから、というリクツ。
そのリクツが正しいかどうかはわからないが…。

いずれにせよ、ラジオはテレビより脳を活性化させるのは事実らしい。

大宅壮一が、テレビばかり見ているとみんなバカになる、ということで一億総白痴化という言葉を作ったが、どうも本当にそうらしい。
認知症が増えるのも、テレビの見過ぎが原因かもしれない。

しかし、現在認知症によい、と証明されているのは運動だけとのこと。
あくまでもラジオはいいのではないか、という程度。

音だけの情報ということなら、ぼくは落語の音声を昔から聞いている。
ウォークマンが出る前からだ。
中学の頃、小さめのカセットレコーダーがあって、それで寝る時にもっぱら落語を聞いていた。
それ以来、落語が漫才になったり、講演になったり、ドラマになったりしているが、ずっと聞きながら寝るというパターンは変わらない。

自慢ではないが、ぼくは寝付きが悪い。
寝転んだらすぐに眠れる人がうらやましい。
本を読んだり、何か聞いたりして、眠れるまで待つ。
しばらくすると、自然に寝ているというのがいつものパターン。

電気をつけっぱなしで寝ることもある。
夜中に起きて、消してまた寝る。

音楽を聴くのはどうも苦手だ。
中学から落語を聞いて寝るというパターンだったからか、リズムがあるとどうしても眠れないような気がする。
クラシックならマシかもしれないが、もともと聞かないのでなんとも言えない。
でも、聞き慣れた話し声が一番いい。

落語や漫才も、完全にストーリーもギャグも覚えてしまって、聞き慣れたものがよい。
昔はイヤホンで聞いていたが、寝てしまうとジャマになるので今は小さな音で枕元で流す。

きっとこれは死ぬまで続くんだろう。

これは単なる不眠症か…。



| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
高齢化
昨日の夕方散髪に行った。

ぼくが散髪をしてもらっている時に、もう一人年配の方が来て、隣で話を始めた。
その方はどう見ても70くらいの方で、もうおじいさんという感じだった。

話を聞いていると、そのおじいさんは今日花見に行ったという。
ああ、そうですか、と散髪屋さんの奥さんが受け答えしている。
そのおじいさんは、今日は母親と一緒に行ったという。
ちょっと耳を疑ったが、たしかに母親と行ったということを話している。
父親は足が痛いから、行かんと言ったとおじいさんは話す。

ちょっと驚いた。
おじいさんのご両親は生きておられ、健在なのだ。

どう見てもおじいさんは70代だと思う。
少なくとも60代後半は間違いない。
昔でいうと、本当におじいさんだった。

でも、今はまだ息子でもある。
聞いていると、ご両親は健在だから、まだまだ息子の役割も残っている。

これが高齢化の現実。

年齢を経ると、人生の役割は減っていく。
最初は子供の役割だけだが、学校に行きだして学生の役割も出てくるし、社会人になればオトナの役割、家庭を持てば夫婦の役割、子供ができれば親の役割、そして、定年して社会奉仕などの役割、それも終えて老人の役割となる。

でも、高齢化が進んで、老年になっても、まだまだ役割が残っている。
親の役割をしながら、子供の役割も継続したりしないといけない。
忙しいのはいいことだが、大変だ。

そんな時代をどうやって生きて、死んでいくか。

ちょっと考えないとイケナイ。


| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
アベノミクスの効果
アベノミクスについてのファイナンシャルタイムズの記事があった。
英国の記事によると、アベノミクスは成功していないという。
ぼくもそう思う。

記事は言う。
アベノミクスは実体経済よりも資産価格に大きく貢献してきた。
そのとおりだ。
製品を輸出している企業や、株や外貨を持っている人は潤った。

円安で儲かったトヨタ自動車をはじめとする大企業は賃上げをして、需要を喚起しようとしている。
しかし、大手企業の儲けはほとんどが円安による為替効果によるもの、という。
実体は、「企業が中核事業の拡大のために投資する確かな理由を見いだした方がはるかに良い。だが、残念ながら、日本の人口は減少し続けている。2月の鉱工業生産指数は3.4%低下した。」という状況だ。
そして、「悲しいかな、重要な改革についてはほとんど進展がなく、日本はある意味では、例えばほぼ100年前の大正時代よりも世界とのつながりが薄い。日本は結局のところ、ある世論調査によると、高齢者が外国人に介護されるよりロボットに介護される方がいいと話している国なのだ。」とある。

どんどん日本が海外に対して閉じてきているということだろう。
実際海外の企業で、日本から撤退するところが増えている。
要は投資を増やさないといけないのに、国民は将来が不安だから貯金するし、海外からの投資を呼び込めるだけの魅力のある事業がないということだ。

記事は書く。

「自発性と個人主義より暗記や集団への忠誠心を重んじる教育制度と、年功を軸に築かれた企業文化のために、ベンチャー企業が少なく、世の中を変えるようなはみ出し者のベンチャーはもっと少ない。
 見事なビデオゲームの先駆者となった日本は、その遺産を礎にして羽ばたくパフォーマーを生み出していない。」

ボロクソである。
しかし、事実でもある。
日本ではベンチャーに投資するようなエンジェルは少ないし、任天堂もソニーコンピューターエンターテイメントも、うまくいかない。

「数少ない明るい兆しの1つは、今の日本に魅了された観光客の大量流入だ。1ドル=120円の日本は外国人にとって、1ドル=80円の頃よりはるかに魅力的だ。
 観光客の多くは、円を押し下げようとする日本政府の努力を非難するより、利用すべきだと考えた中国人だ。中国人観光客は列を成して、自国より格段に安い価格で質の高い製品を買っている。」

お隣の国の観光客が、アベノミクスの恩恵を受けている。

結局株価は上がっても、円安になっても、給料は増えても、お金の行き先がない。
みんなこの国の将来に不安なのだと思う。

なんか、明るくなることをやらないといけないぞ。


| | 考えたこと | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコの好きな音楽
ウィスコンシン大学マディソン校というところが、特定の動物が好きな音楽、というテーマで研究論文を発表している。

発表先はApplied Animal Behavioral Scienceというところ。
論文の概要の英語を読むと、動物の行動に影響を及ぼす音楽というのを理論的に開発し、ネコ向けの音楽を作った。この音楽はネコがとても好み、興味を持つ…、と書いてある。

3種類の音楽があって、試聴ができる。

・「Spook's Ditty」(猫の興味をひく鳴き声を組み込んだ。猫の興味と好奇心を高める)
・「Cozmo's Air」(喉をゴロゴロ鳴らす音がベース。共感系)
・「Rusty's Ballad」(チュパチュパいう音。安心して気持ちよくなる)

MP3の形式なので、パソコンで再生できる。
すべて、普通の楽器で演奏されたものだ。

聞いたら意図はわかるが、本当にネコが喜ぶだろうか。
論文によると、統計的に普通の音楽に比べて、ネコが聞き入ったりするらしい。

本当にそうなら、興味深い結果だが…。

人間で考えると、個人のばらつきが大きい。
クラシックが好きな人がいるかと思えば、あれを聞いたら寝るという人もいる。
オペラが好きな人もいるが、あんな金切り声のどこがいいのかという人もいる。
ヘビメタが好きな人もいれば、フォークが好きな人もいる。

だから、演繹的には、万人(ネコ)受けする音楽などないような気がする。

それでも、こういう研究をする大学がある、ということに感心する。

この大学、1849年設立であり、Wikipediaによると「ウィスコンシン大学マディソン校はウィスコンシン大学システムの中核校(本校)であり、20以上の学部を擁する総合大学である。一般的に「ウィスコンシン大学」という場合、マディソン校(本校)を指す。米国の州立大学の中では難関校として知られ、特に、工学、化学、物理学、社会学、政治学、経済学などの分野においては、Gorman Report などの専門調査機関における評価が高い。」とある。
卒業生と教員合わせて18名がノーベル賞受賞者だった。
遊び半分でやっているわけではなさそうだ。

まあ、こういうのがわかったら、いろんな応用ができそうだ。
ペットだけでなく、家畜や凶暴な動物もいるから、いろんなアイデアがありそうだ。

ムダな研究テーマはないということか…。



| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
京丹後市のムチャな戦略
京丹後市というと、京都の北の方。
今後、人口が減っていくという予測が立つ都市だ。

地方創生の一環で、京丹後市のホームページに「まち・ひと・しごと創生」に関する「総合戦略」というのがある。
それによると、現在の人口が5.9万人であるのに対して、国立社会保障・人口問題研究所では2060年には2.6万人程度まで減少すると予測しているのだが、市の計画によると、なんと7.5万人に増えるという。

もともと地方創生というのは、人口減少から端を発して計画された。
その減少をどうやって食い止めるか、というのが計画のはずだ。
それが、今よりも1万6千人増えるというのだから、よほどの大ナタを振るったのかと思って、計画書の概要を見てみた。

計画書には、次の4つの基本的視点から取り組むとある。

1.「若年層・壮年層を中心とした人口流入の促進」のために、産業の発展や新産業の創出・集積による「しごとづくり」をして、人口流出に歯止めをかけ、人口流入の増加を図り、またテレワーク形態のワークスタイルの発展を促し、大都市地域の事業所の「職場の本市への誘致」を推進する、とのこと。
要は産業を興すことと、インフラを整え、離れていても可能な仕事を誘致するということらしい。

2.若年層が出て行くのを防ぐために、大学生を市内で活動させる「地域協働大学」を作り、将来的には大学を誘致するということ。

3.1がうまくいっても、市の居住環境が悪ければ、近隣の自治体に若者が行ってしまうため、「若い世代が安心して働き、希望通り出会いや結婚・出産・子育てを 行い、快適に生活できる環境を実現・充実する」とのこと。

4.高齢者が健康で、長生きできるようにする。これによって、「介護、医療等の社会的負担の軽減、高 齢者層の一層の健康化による地域経済力も含めた社会活力の増進、健康な生 活環境を求めての市外からの交流や定住化等の促進」を図り、また高齢者が若い世代の子育てを支援する体制を作る。

総じて、言っていることはわかるが、それはどこの地方自治体でもあてはまる策であり、そんな策が通用しないから、みんな独自の案を出しましょう、というのが「地方創生」だと思う。
たしかに、一部には京丹後市独自のもの(もともと長寿など)もあるが、それが決め手になるとはとても思えない。
それらの効果で2060年に今よりも1万人以上人口が増える、というのはいくらなんでも虫が良すぎるのではないか。

今から45年後が2060年。
日本の人口が1億2千万人から、8千6百万人に減少するという予測だ。
全体が2/3に減るというのに、今より増えるというのはいかがなものか…。

こんな計画ばかり立てていると、それこそ地方がムチャクチャになるぞ。
公務員の採用計画にしても、将来の人口が半分以下になる、ということなら縮小方向で考えないといけないが、予想で人口増するなら、少なくとも現状は維持できる。
何でも現状維持でいってしまうということだ。
結局、何も変えない、考えない、ということだ。

これから地方公務員は、IT化を促進し、一人あたりの生産性を上げて、人数を減らしていかないといけないのは火を見るよりも明らかな状態だ。
日本は働き手が減るのだから、税金を使う人を減らすのは当然。
地方はコンパクトにして、民間の力を生かさないといけないと思う。
そういう企画ができる人材を増やしていかないといけないのではないか。

京丹後市のような計画がどんどん出てくるのだろうか。
そうなると、2060年には日本の人口は1億5千万くらいになるのではないか。

こんなことなら、何も地方に任せないほうがマシだと思うが…。



| | 考えたこと | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
イミテーション・ゲーム
イギリス映画。
シャーロック・ホームズの新しいイメージを作ったベネディクト・カンバーバッチが主演している。

この映画は第二次大戦中に、有名なドイツの暗号生成器エニグマの暗号を破るイギリスの暗号解読チームのリーダー、アラン・チューリングの実話だ。

アラン・チューリングはパズルが好きな数学者。
エニグマの暗号を解くために、すごい働きをする。
真空管しかなかった頃に、暗号を解くための機械を作る。
これがチューリング・マシン。
コンピューターの元になったと言われている。

歴史上の数学者は変わり者が多い。
チューリングもその例にもれない。
そして、変わり者であるがために、世の中に受け入れられないことが多い。
天才の大部分は孤独なものだろう。

チューリングは自分が普通では無いから、苦しむのだ、と言う。
でも、一番の理解者であるジョーンは「あなたが普通と違うから、世界はこんなに素晴らしい」と答える。
天才は世の中を変える発明や発見をするが、それは本人がそうしなければおれないからだ、という事がよくわかる。

この映画はそういう切ない数学者の物語。
第二次大戦を早く終わらせた功労者の物語にしては、あまりにも切ない。

天才は世間に受け入れられない。
死んでから認められる人も多い。

そういう人たちのおかげで、今の科学があるのかもしれない。

いい映画だった。





| | 映画・舞台 | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
仕事の生産性
Elite Dailyという人が「仕事の生産性が高い人の13の習慣」というのを書いていた。

01. 1日のイメージを退社前に実施する
02. 毎朝6時に起きてメールする
03. クライアントや上司にも、NOという
04. 通勤に1時間はもったいない
05. ジョブズやザッカーバーグも実践! 毎日、同じ服を着る
06. 朝の10分でいい  運動を習慣化する
07. 朝起きたらすぐに飲む レモンウォーターで 頭を起こす
08. 1時間で次にうつる  タスクごとに時間を区切る
09. 仕事のできる人のまわりは、成功者  ポジティブな仲間と一緒にいる
10. 10分前に動く 人より早く行動する
11. 先にやってしまう 重めの仕事は、朝一で
12. オンオフはキッパリ分ける  休暇を大切にする
13. 最大のモチベーション 愛する家族の元へ帰る

えてして、優秀な人は残業をしないという経験則がある。
エラくなる人は、そんな人が多い。
そういう人になるためには、何をすればいいかが上の13箇条。

ぼくはよく残業をした。
この13箇条を見ると、反省することが多い。
生産性が低いから、残業をする、という事になる。
仕事は仕事と割りきって、早く片付けようと思わないと、なかなか終わらない。
残業が習慣化すると、そういう割り切りがなくなってしまう。
そうなると、ワーカホリックの道を進んでいくことになる。

そうならないためには、これによると、とにかく朝の時間を有効に活用することが大事だ。
朝早く起きてメールするとか、通勤の1時間はもったいないとか、朝の10分を運動にあてるとか、服を選ぶのにかける時間がもったいないので、毎日同じ服を着るとか、起きたらすぐレモンウォーターを飲んで頭をスッキリさせるとか、重めの仕事は朝一でとか…、13のうち6つは朝に関することだ。

残業をすると寝るのが遅くなり、朝が苦手になる。
始業後にしかメールは出せないし、10分でも運動などする余裕もない。
結局二流の仕事の仕方なんだろうなあ。
それではダメだ。

朝を有効活用すると、夕方帰る前に翌日のイメージを描くことができる。
そういうのも大事なんだろう。
残業して、終電で帰るというような生活をしていると、そんなイメージは描けない。

クライアントや上司にもNOという、というのは難しい。
上司に言うのは簡単だが、クライアントにはなかなか言えない。
NOと言った瞬間に、じゃあもういいです、ということが起こる。
商売を落としてまでNOというのは、よほどの勇気が要る。

毎日同じ服を着る、というのは面白かった。
服を選ぶ手間を省く、ということらしい。
スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグも毎日同じ服だったとのこと。

タスクの時間を区切るというのも、いい考えだ。
会議などはだらだら続けても仕方ない。
時間を切って、いいアイデアが出なければ時間をおいてやった方がいい。

10分前に動くというのも、身につまされる。
残業が多い人は、仕事が忙しいことに酔っているのだ。
だから、いつも遅れ気味になる。

そしてオンオフはしっかり分ける。
休暇を大切にする、という。
最後は、愛する家族の元へ帰る、ということになる。

残業ばかりしていて、ぼくは家族との時間が少なかった。
今になって思えば、見そこねた家族のイベントもたくさんある。
何より、子どもと過ごす時間が短かったなあ。
自分の不徳の致すところだ。

でも、済んでしまったことは後悔しない。
あのころ、残業していて、もちろんシンドいこともあったが、楽しいこともあった。
夜遅く一人でいて、いい考えを思いついた時の快感もあった。
あれはあれで良かったのだ。

これからの若い人は、朝の時間を大事にして、スッキリした頭でやってもらえばよろしい。
ぼくもそれがいいと思う。

今はコンプライアンスも言われているし、時代の流れだ。

頑張れ、若者。


| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
地方議会
もうすぐ統一地方選挙。
しかし、地方創生という掛け声もむなしく、いっこうに盛り上がらない。

日本の政治機構でいうと、地方議会の役割は3つあるという。

1. 住民の代表としての役割
2. 自治立法をする役割
3. 行政の監視の役割

それらの機能が試されるのが議会。
住民の要望を代弁したり、新しい条例を作ったり、首長の行政をチェックしたりする。

しかし、現実はかなり寒い。
去年、野々村議員の号泣会見があったが、あれが特別ではないと思う。
調査費など、たたけばホコリの出る議員はたくさんいるのではないか。
結局みんなでウヤムヤにしてしまった。

週刊ダイヤモンドの記事があった。
それによると、住民の関心も低い。そもそも期待していないのだろう。
しかし、議員もひどい。
記事は書く。

「そんな地方議会の実態を一言で表現すれば、「怠け者の楽園」だ。皆で仲良く手抜きするというのが、いわば暗黙の了解事項となっている。議員本来の活動に真剣に取り組む人はごくごく一握りで、しかも彼らは周囲から冷たい視線を浴びている。圧倒的多数の仕事をしない議員にすれば、迷惑で目障りな存在でしかないからだ。」

議会で質問をするという行為が、地方自治体の議員にとって、冒頭の3つの役割を果たすための手段である、ということだ。
住民の代表として意見を言ったり、自治立法をするために問題を提起したり、行政の管理のために問いただしたりする。
これが行政に対する議員の役割になる。

ところが、この質問を行政側が制限している議会があったり、あろうことか議会自体が質問を制限しているところもあるという。
マジメにやっている議員の足をひっぱったり、ぬるま湯体質に慣れきったりしているからだ。

そもそも、首長と議会が慣れ合っているから、選挙の争点も出てこない。
首長選挙が、自公民相乗り、というところがある。
あれだけ国会で自公と民主はやりあっているのに、地方では自公民相乗りである。
今やオカシイと思う気持ちもなくなってきた。

行政のやり方は、全て正しいワケがない。
選挙になればその点をついて、争うべきなのだろう。
でも、そんなことはやらない。
みんな仲良しだからだ。だから相乗りする。
そうして、地方政治はダメになっていく、と記事には書かれている。

記事の最後に書いてある。

「こうした地方議会の実態をどうにかしない限り、地方創生など夢のまた夢でしかない。まずは地方議会を変えることから始めるべきだ。地域住民の役に立つ議会に、変えるのである。それには、働かずに踏ん反り返って平然と報酬を手にする議員を、真面目に働く議員に取り換えるしかない。議会改革の最善・最良・最短の道は、メンバーチェンジである。その絶好の機会である選挙をないがしろにしてはならないと考えるのだが、いかがだろうか。」

まったくその通り。
でも、変えようにも、マジメにやる人がいないように思う。
この記事の作者は、自分で調査して書いた「トンデモ地方議員の問題』(ディスカヴァー携書)を勧めているが…。

右も左も真っ暗闇、と昔誰かが歌っていたが、その通りのような気がするのはぼくだけか…。


| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
聞くこと
コミュニケーション能力というと、どうやって話すか、ということを考える人が多い。

でも、本当のコミュニケーション能力というのは、まず人の話を聞くことから始まると思う。
人の言うことをよく聞いて、内容を理解し、適切な質問をして、話を発展させることこそが本当のコミュニケーション能力だ。

ただ人の話を聞くだけではダメだ。
聞きつつ、相づちを打って、言いたいことは何かを考えながら聞く。
「それはこういうことですか?」と確認したり、「なぜそうなるんですか?」と質問したりして、相手が話しやすいように聞く。
アクティブに聞くことで、相手が話しやすくなり、会話が弾む。
そういうサービス精神あふれる「聞く姿勢」が、本来のコミュニケーション能力だと思う。

この能力を履き違えている人が多い。
コミュニケーション能力は、発言をする能力だと勘違いしている。
もちろん発言することは大事だ。
でも、発言するためには、その人の言っていることを聞かないといけない。
アタリマエのことだが、このことがわかっていないとダメだ。

なぜこんなことを書いたかというと、自分が聞けないからである。
ついつい先入観を持って聞いてしまったり、きっとこうだろうと思って誘導するような聞き方をしたりしてしまう。

思ったより、何を言っているのか、何を言いたいのかを聞くのは難しい。
ほとんど、不可能だとさえ感じる。

ちゃんと聞くことは難しいと思うことから、コミュニケーションは始まるのだろう。

いやはや、難しいなあ。


| | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
nansy-pansy
海外ドラマで聞いたことがない単語が出てきた。

ナンシーパンシーという言葉。
Web辞書で調べると、どうも"nansyーpansy”と書くようだ。
字幕は「テンパってる」と出た。

"nansy”は「めめしい」という意味。
"pansy"は「にやけた」という意味。
これらをひっつけると、「テンパる」という状態を表すらしい。
まあ、あわてるとか、焦るとか、そういうニュアンスなんだろう。

この"nansy-pansy”が比較的新しい言葉だから、翻訳も「テンパる」という新しめの言葉をつかったのだろう。

いかにも俗語という感じの言葉。

しかし、よく調べると、"nansy"という言葉は、「女性的なホモを表す」ということらしい。

ふーん、うかつに日本人が使うと、アブナイかもしれない。
ちなみに、"pansy"は花の名前のパンジーの意味もある。

"nansy-pansy"、Web辞書でもほとんど用例がなくて、あまり一般的ではないのかもしれないが、ドラマで出てくるくらいだから英語を話す人は理解するんだろう。

でも、まあちょっと危ないニュアンスがある言葉として覚えておこう。



| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコとレモン
ネコの動画をYoutubeで時々見る。

シャンプーをいやがるネコとか、小さな箱に入ろうとするネコとか、変な格好のまま寝たネコとかいろんなものがあって、飽きない。
今日見つけたのは、ネコとレモンの動画。

レモンを半分に切ったものが床の上に置いてある。
そこを通りかかったネコが、レモンの匂いに気づいて、不思議な行動に出た。
床は大理石のような白い石なのだが、レモンの回りの床を手で必死で掻く。
何をしているのかなと思ったら、レモンを埋めようとしているらしい。
よほど匂いがイヤなんだろう。

もちろん、いくら掻いても床は石だから埋まらない。
それでも、必死で掻く。
まことに不思議な光景だった。

しばらくその動作をして、またレモンに顔を近づけ、匂いを嗅いでまた遠ざかる。

最後にはその場を去るしかないということになり、どこかに行く。
ネコにも好みがあるだろうから、レモンの香りが好きなネコもいるのかもしれないが…。

レモンは香りがきつい果物だが、一般的には動物が好きだとは思えない。
すっぱすぎる。

ネコを飼っている人、一度試してみてください。

| | 考えたこと | 00:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
イヌのストレス
イギリスで飼われているイヌの80%が何らかの行動性の症状で悩まされている。
あのペットを大事にする国、イギリスで、だ。

その多くが、誰もいない家に何時間も取り残されることと関係しているらしい。
中には人間の抗うつ剤をもらったり、獣医から動物用の薬剤を処方してもらっているイヌもいる。
イヌはもともと群れで行動する動物だから、一人ぼっちで長い時間過ごすのは苦手だろう。
そういう意味ではネコのほうが強い。

調査によると、「犬の飼い主の4分の1が、平日は5時間以上彼らを家の中に置き去りにしており、散歩に連れて行ってもらえない犬が250,000匹もいる。これは深刻な行動問題を引き起こす。」という結果。

まあ、こういう調査を行うということが、動物愛護の国イギリスだろう。
イギリスに25万匹いるのなら、日本にはもっといるような気がする。

でも、昔に比べると、だいぶマシにはなったと思う。
時々川沿いに散歩に行くが、多くの人がイヌを連れて歩いている。
朝晩は家の前をイヌ連れで通る人も見かける。
少子化の影響で、ペットの面倒を見る時間ができたんだろう。

Webでみると、たしかに動物用の抗鬱剤もある。
飼い主が可愛がりすぎて、飼い主と離れるときに分離不安があり、それで問題行動を起こすという時に処方したりするらしい。
テレビで時々やっているが、家財を噛んだり、吠えまわったり、走り回ったりしているなあ。
イヌは必ず散歩に連れて行かないといけないということだ。

分離不安を起こすから、イヌをネコかわいがりしてはいけない、ということか。
ネコはネコかわいがりしても、自分勝手にやるのだろう。

ペットのページを見ると、イヌの方が分離不安が強いと書いてあった。

昔はイヌを飼っても、ずっとつないでいる家もあったと思うが…。
イヌもだんだんと文化的になって、繊細になっているのかもしれない。

そのうち動物愛護法にも盛り込まれるかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイエットカー
昨日のエイプリルフールは、なかなか面白かった。
なかでも、イギリスの日産が発表したダイエットカーは秀逸。

今のクルマについている、パワーアシストを全部ストップするというボタンを付けたとのこと。
ジム(GYM)ボタンという。スポーツジムのジムだ。

パワステをなくすと、かなりハンドルが重くなる。
回すのに一苦労だろう。
車庫入れなど、重労働だ。

ブレーキも強く踏まないと止まれない。
踏む力が必要になる。
ギアも今は軽くなっているが、昔は機械的につながっていたので、操作するのが重くなる。

そういう装置を全部オフにできると、カロリー消費が増える。
よく出来た話。
なにより、実現可能なところが本当と思わせる。

実際、70年代のクルマは運転するのが大変だった。
冬場は、エンジンをかけるのも、職人技というようなクルマもあった。
ぼくの乗っていたN360という軽自動車は、チョーク付きだった。
寒い時には混合気のガソリンの比率を上げ、点火しやすくする。
でも、チョークを入れ過ぎると、プラグが湿ってしまって、余計にエンジンがかからない。

タイヤの空気圧が下がると、ハンドルが重くなったから、空気を足す時期がわかった。
そんな人間らしいクルマだった。

日産UKのジムカー。
パワーアシストを全部オフにできる。

これはホントにいいかもしれない。

今のクルマのありがたみがわかる。

実際、長時間乗れば消費カロリーも高いだろう。

エイプリルフールにするには惜しいアイデアだったと思う。

| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
北陸と北海道の決勝
今年の選抜は北陸と北海道の代表決戦になった。

昭和の時代なら、ほぼ考えられない組み合わせ。
北陸などは雪国は練習不足になるし、高校生の数も少ないし、だいたい準決勝までで姿を消すことが多かった。
松井がいた金沢星稜でも、準決勝止まり。

でも、今年はついに北陸勢が初優勝した。
福井県代表の敦賀気比高校。
めでたいことだ。

しかし、メンバーを見てみると、ベンチ入りした選手で福井県出身は1名だけらしい。
残りは京都などの近畿勢。
甲子園を目指す中学生が、たくさん行っているのだろう。

対する北海道代表の東海大四高は、全員北海道。
よく頑張ったと思う。

前にも書いたが、今は学校法人にお金さえあれば、野球は強くなる。
室内練習場を作り、野球が強い地域からコーチを招聘し、リトルリーグに精通した人がスカウトし、全寮制で寮に入れて練習すれば、どうしたって強くなる。
それを可能にしたのが野球留学。
もちろん運は必要だが…。

野球留学の問題は結局ウヤムヤになってしまった。

高野連はこの問題にちゃんと結論を出して、宣言すべきだと思う。
朝日と毎日も後援しているのだから、新聞に載せたらいい。

ほぼ全員が県外出身者で、優勝したのだ。

知っている人は知っている。
調べたらWebですぐわかるのだから。
規定を決めて解禁するなり、何でもアリにするなり、宣言すればいいと思う。

今の状態はなんとなくオカシイぞ。

| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
2015年新入社員
まだ4月1日になっていないのに、今年の新人の記事が日経に出ている。
2015年の3月にアンケートを実施した結果、ビックリするような状況が出てきたとのこと。

今までは「ゆとり型」だけだったが、今年は「熱血型」も入ってくるという。
熱血型とはどんなのかというと、「真剣に吟味して選んだ会社ですから愛着はあります。ですが再三申し上げた通り、私には地元・名古屋で祖父の介護というもう一つの仕事もある。従っていったん入社はしますが、研修期間後、地元以外の支店への配属が判明した場合は即刻退社いたします」というようなタイプらしい。

エライコッチャなあ。
この返事を受け取った人事の人は、たぶん辞めるだろう、と諦めているとのこと。

日経の記事によると、

 『これまでにも扱いにくいトンデモ新人はいたが、その多くは一言で言えば「ゆとり型」であり「草食型」だった。確かにやや社会的常識に欠け、競争意欲も高いとは言えない。でも、本人に悪気はなく“のんびり屋”なだけで、粘り強い指導により組織に適応させることは可能だった。
 「でも2015年は違う。ゆとり型がいる一方で、こうと決めたら一直線で、権利意識と我が強く、理路整然と自分の考えを主張する『熱血型のトンデモ新人』がかなりいる。人事担当者は相当苦労すると思う」とA氏は話す。』

ということだ。
アンケートの結果を見ると、まだまだ「ゆとり型」もある。

「わからない漢字があれば、創作してごまかしている。辞書を引いたりスマホで確認したりしない。」
「メールは見ました、と答えたが、全く理解していない。再度問いただすと「見たけど読んでません」と返された。」
「営業車にカーナビが付いていないとパニックに。道がわからなくなったら誰かに聞けば良いと諭したが、「それはできません」と拒否された。」
「どんな意見に対しても、「ヤバいです」「すごいです」しか言わない。全く会話にならない。」

しかし、あらたに熱血型もでてきたらしい。

「規則違反による退職勧告に「死んでやる」と発言。報告書を役員に上げようとしたら「とおせんぼ」などの行為があった。ちなみに旧帝大院卒。」
「入社早々に金曜日は残業しないと宣言。しかし、仕事の効率は悪く、営業成績もいまいち。その割に休みだけは率先して取ろうとする。」
「プロジェクトの重要事項について進捗を確認したところ、全く手を付けていなかった。とがめると、「やろうと思えばできるが、今はあえてスルーしています」と答えた。」

こういうアクティブな?新人は新型だそうだ。

記事の中では、「とにかく子供がやりたいことを許容し、応援する。おとなしい子は奥ゆかしい。我が強い子は元気があって何より。そうやって「世界で1つだけの花」として持って生まれた個性を、そのまま真っすぐに育てられたのが2015年4月入社組。専門家に言わせれば、良くも悪くも個性豊かな面々がそろうのは当然というわけだ。」と説明される。

こんなところに、「世界に一つだけの花」の影響が出てくるのか。
そうだろうなあ。
本来教育というのは、みんなと同じように出来るようにすることが目的なのに、個性的などといって何でもOKにしたらこうなるだろう。

個性というのは、みんなと同じようにしようとしても、どうしてもそうならないところに出てくるものなのに、子供のあるがままを個性だと言ってしまう愚かさ。

困ったものだ。

みんながみんなとは思わないが、ホント、笑ってられない。




| | 考えたこと | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0) |