考えたこと2

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Kさんのこと
数年前、ふとした縁でKさんと知り合った。

きれいな大阪弁を話す、細くてやさしい人だ。
設計士で、苦労人。一度、少し離れたところにある、クラゲを見ながら酒を飲むというバーに連れて行ってくれた。
水槽の中には、無数のクラゲが漂っていて、幻想的な気分になれる。
そのお店を作るのにかかわった…と飲みながら話していた。

知り合ってから2年くらいたって、実は…と切り出したのを覚えている。
自分は胃ガンだったとのこと。

「そうだったんですか。それで、痩せているんですか?」
「いやいや、もともとですわ。」

Kさんにお願いしていた仕事もあったので、話しておこうという気になったとのこと。

もとは、大きな建築会社で働いていたが、すぐに独立し、大阪で仲間と仕事を始め、さらに、一人で神戸に事務所を開いた、という人だ。
一匹狼、というには優しすぎる人だった。

「コンピューターはやっぱり必要でしょうかね?」
「そら、今どき、コンピューターは要るでしょう。」

そんな話もした。
ちょうど会社でCAD(コンピューターを使った製図)にからんだ仕事をしていたので、僕がそのことを力説すると、若い人にそれを覚えさせたとのこと。

「ボクはやっぱり紙と鉛筆ですワ。」

夜遅く、紙に向かって、うなる。苦しい時間もあっただろう。無から有を生み出す仕事だから。

「来るときは、突然来るんですワ」

いいアイデアは苦しまないと、出てこない、と言う。
それが、本当の産みの苦しみなんだろうな、と思った。

3年ほど前に、仕事の事で、色々と話を聞いてもらった。

「思うようにやらはったら、エエのとちゃいますか…」

ちびちびと日本酒を飲みながら、ほとんど食べず、話していた。
ホントに酒好きだった。

去年、一度飲みに行こうという話になったが、仕事を併行して抱えており、大変なので落ちついたら…というメールが来た。
一度現場が始まると、1年単位で仕事が続く…そんな商売だ。
この建築関係の不景気に、よろしいなぁ、と言うと、貧乏暇無しという返事だった。
今までの苦労が報われる時が来たんだろう。

今年になってから、体調が良くないので、しばらく入院していた…とのメールがあり、治ったら行きましょう、という返事を書いた。
その時には、大したことはない、という事だった。

ついこないだ、ウチに来たのだが、僕は会えなかった。
家人によると、痩せて、しんどそうだったとのこと。

どうしたのかな…、と電話をかけても、出ない。
どうも、悪いらしいが、口止めされている…という事だった。

そして、9月28日にKさんは逝ってしまった。

見慣れたセーター姿の写真だった。
葬儀場には、Kさんの作品のスケッチや写真が飾られていた。

二度目のガンと闘って、負けたのだ。

作ったものは、人のもので、自分のものではない…とKさんは言っていた。
方丈記にあるように、日本人の住み処はこの世での仮の住まい…という諦観があったと思う。
いつまでも残るものではない、というような思いがあったような気がした。

それだからか、Kさんは、格好の良さだけではなく、使う人の身になって考える人だった。

僕といくつも違わない。
五十年ちょっとの人生だ。

「二十年早いですわ」

知り合いの電気屋さんが言っていた。

天がKさんの才能に嫉妬したのか…。

きっと、今ごろは、空の上から自分の作った建物を見て、「もうちょっと、ここ、こないしといたらよかったなあ」などと言っているに違いない。

さようなら。
いろいろ、お世話になりました。


| | 考えたこと | 01:16 | comments(2) | trackbacks(0) |
写真
最近、白髪も増えたし、自分の姿をたまに鏡で見ると、年をとったことがわかる。

でも、もっと年をとったなあと思うのは、成長した子供の写真を見たときだ。
なぜか、自分にもこんなときがあった、と思うようになった。

子供がある程度大きくなって、手を離れたからだろうか…。
小学生のときは、あまり思わなかったが、子供が中学生、高校生になると、そんなふうに思いはじめる。
そこから、逆に考えて、自分の年を感じるのだ。

たんに年をとったと感じるだけでなく、そこには何ともいえない哀愁がある。
そこには、もう戻れない…という感覚だ。

意識では、別に、中学生や高校生に戻りたいとは思わない。
苦労してこの年まで生きてきたのだ。

それでも、哀愁を感じるのはなぜだろう。

ひょっとしたら、年をとるとともに、失ってきたものを思うからだろうか。

何だかわからないエネルギーを持った気持ち。
自分とは何ものだろうという疑問や、無限と思えるような未来、わかっているようで、まったくわかっていない若さ…。

自分がそれらをなくしてきた、ということが哀愁を呼ぶのか、それとも、彼らがこれからそれらを失っていくことに哀愁を覚えるのか。

若いということは、素晴らしいことでもあるが、哀しいことでもあるのかもしれない。

失ってしまったものは、強い。失うものがなくなっているのだから。

これから大人になろうとしている子供の写真を見て、そんなことを思った。

子どもたちが大人になって良かったと思えるように、大人は頑張らないと…。



| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
一年経ったが…
ギターを習い始めて、1年以上経った。
最初はちょっと上達したなあ、と思ったものの、そこからがシンドイ。

最近、習い始めて半年くらいに習ったことの意味がようやくわかってきた。

ジャズというのは、もともとは理屈ではなく、感性の音楽だと思う。

しかし、誰もが感性にしたがってプレイすることなどできないから、後で理屈をつけた人がいるんだろう。
メロディックマイナースケールだとか、オルタードスケール、ホールトーン…いろんな用語が出てくる。

イチ・ロク・ニー・ゴーというコード進行(これはC Am Dm7 G7というポップスの定番進行)の代理コード。
これが裏のコードでは、二つの音が半音で下がっていくという不思議な事になる。

最初に聞いた時には、全くわけがわからず、はぁ〜、という感じだったが、ようやくのみこめてきた。

何度も同じ説明を聞いて、実際に弾いていると、わかってくるのだ。

最初は天才がいて、それに理屈をつけた人がいたんだろう。
天才には、理屈などなく、そう思って、そう弾いたんだろうし、そうしか弾けなかったのだ。

天才はスゴイが、しかし、後で理屈をつけた人もスゴイ。

僕ら、凡才は、ただただ理屈を聞きながら、追いかけるのみ。
追いかけても、天才の足もとはおろか、はるか離れた道の上にいる。

それでも、楽しめるのが音楽の素晴らしさだろう。

6本の弦、22個のフレット、全部で132のポジション…。
その上を縦横無尽に動いて、ある時は不思議な響きを作り出し、ある時はたった一つの音で気持ちを惹きつける。

音楽は、奥が深い…。



| | 考えたこと | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
プロの言葉
子供が名探偵コナンの単行本を買ってきたので、読ませてもらう。

中に、サッカーのエピソードがあり、ドイツの名選手であるベッケンバウアーの言葉が出てきた。

「強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ。」

プロのスポーツ選手らしい言葉である。
こないだ書いた、シャラポワの事で、ウチの長男にこれを言ったら、上手いものが強いとは限らないということだ、と言われてしまった。
口が減らないのは誰に似たのか…。

今の日本のプロスポーツの選手で、一番言葉に重みがあるのはイチローだと思う。

彼らしい言葉がある。

「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています」
「苦悩というものは、前進したいって思いがあって、それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。だから苦悩とは飛躍なんです」

これは、スゴイですね。
努力の積み重ね、前に進むからこその苦悩…さすがに大リーグで記録を作っただけの事はある。

去年、一番よかった、マイケル・J・フォックスの本の中に紹介されている言葉も好きだ。

「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分に変えられることは変える勇気と、そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。」

「そのちがいがわかるだけの知恵」これが一番難しいと思う。

スポーツでも、俳優でも、実際に現場にいる人のコトバは重みがある。



| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
昔は…
昨日書いたが、昔はよかった…と思う。
今までは、今がいい、と思っていたが、だんだん昔がいいと思うことが増えてきた。

年をとると、たいがい、昔はよかったなどと言うようになるらしい。

古い洞窟に書いてある大昔の言葉が、「今の若い者は…」というものだった、という話があるが、それは自分の若いころはよかったという事の裏返しだろう。
ということは、大昔から人間は、年をとったら昔はよかったというものなのかもしれない。

どういうことなんだろうか。

今が、総合的に昔より良ければ、昔はよかったとは思わないと思ってきたが、そうでもないのかな。

人は、年齢とともに進歩していけないものなのか。

体力は落ちるし、目は悪くなるし…でも少しずつはカシコクなっているような気がしていた。

しかし、だんだんそう思えなくなってきた。

これは避けられないことなんだろうか。

避けるためには、何が必要なんだろうか…。

本を読むこと、好奇心を持ち続けること、いい仲間を持つこと、健康であること…決め手はないのかもしれない。

花の中年と思ってきた。もちろん思い通りの好きな人生が送れるなどということはないし、そんな大それた事は考えない。
でも、今はトランジットのターミナルか…。

ちょうど、BSで「男はつらいよ」をやっている。

旅に出るという事が必要なのか。
こんなことを考えること自体、暇なのか、贅沢なのか…。

くだらない話題ですみません。


| | 考えたこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャンパスロード
仕事で、関西の有名私大に行った。

学校の名前を冠した駅で降り、10分ほど歩いて、大きなキャンパスに行く。

駅から大学までの道にどんな店があると思いますか?

まずは携帯電話ショップ。ドコモ、au、Softbank…並んでいる。
ハンバーガーや丼のファストフード店、居酒屋のチェーン店がある。
コンビニが一通りある。1軒はスーパーの小さいの、と言ってもいいような大きさだった。
ゲームセンターは高速インターネット接続を宣伝していた。ネットゲームができるようだ。
下宿を探すための不動産屋がいくつか…。
本屋はないのかと思って見ていたら、Bookoffがあった。

何だかなあ…という感じ。今の消費文化を象徴するような店が並んでいる。

雀荘がないのは、時代なんだろう。

だが、ゆっくり本が読める喫茶店らしきものもない。
溜まり場になるような、大衆食堂もない。

僕にとっての大学時代は、たくさんの時間を使って、好きなことができた時期だった。
オカネを消費するのではなく、時間を消費したのだ。

思い出の場面には、クラブの部室があり、喫茶店があり、銭湯があり、大衆食堂があり、安い飲み屋があり、友達の下宿があり…。
時間だけは思い切り自由に使ったと思う。

別にどうでもいいことだが、並んでいる店を見て、ちょっと寂しくなってしまった。

たんなる年寄りの郷愁なんだろう。

今の人には、今の楽しみがあるに違いない…。


| | 考えたこと | 00:55 | comments(4) | trackbacks(0) |
おかしなこと
消費者金融でスゴイ金利で貸し金をしているのが、問題になっている。
新聞を見ると、貸金業者のことがいろいろ書いてある。
対策は、やってもらえばいいと思うが…。

もう10年近く前になるか…。
後輩が休みの日に、朝からパチンコに行って、夕方までやって、16万円勝ったという話を聞いた。
長いこと、パチンコなど行ったことがなかったので、びっくりした。
16万円といえば、大金である。
常識的には、今の日本で、16万円が「はした金」という人はいない、と言っていいと思う。

会社に入りたての頃、出張先でみんなで夕食を食べた後、時間つぶしにパチンコをやったことはあったが、その頃はいくら頑張っても2万円勝てればへとへと…だったと思う。
もともと、ギャンブルの才能はないし、僕にとっては時間つぶし以上の目的はなく、出張中以外にパチンコをすることはなかったし、部署を変わってからは全く縁が切れた。

それにしても、16万円には驚いた。(勝った彼は、おかげで夫婦円満なひとときを取り戻した…と言っていたが。)
いつからそんなレートになったのか…。パチンコ台のデジタル化がそれを進めたことは間違いないと思うが、これはおかしいのではないだろうか。

2004年の統計では、1年を通して働いた人の平均月収は37万円程度という。
16万円といえば、その平均給与の半分近くである。

16万円(もっと高額もあるらしいが)勝つ事ができる、ということは、同額以上負ける事もあるわけで、20年ほど前に比べて、圧倒的にハイリスク・ハイリターンになっているということだ。

調べてみると、パチンコは賭博ではない、ということになっていて(遊技だそうだ)、だから、儲けを自治体に配分するというような事もない。月収を簡単にスッてしまう事ができる遊技…何かオカシイ。

平成13年の統計では、全国で1万5千軒のパチンコ屋があるとのこと。
増えているのか、減っているのか知らないが、エライ数だと思う。

正式な賭博ではないのに、簡単にサラリーマンの1ヶ月の給料が飛んでしまうような遊技場が、街のそこここにあるのである。

こんな国、世界中探しても無いと思う。
全国に1万5千軒ですよ…。

手でハンドルをはじいて、玉を自分で打っている時代はたしかに遊技だっただろうが…、今や一大ギャンブル産業である。
こないだ、バレーボールの国際試合を見ていたら、パチンコ台を作る会社がスポンサーになっていた。

アミューズメント産業などという言葉になっているが、あれはギャンブル産業だ。
それだけの売り上げと利益がある産業に成長した、ということは、それだけ負けている人がいるということでもある。

たしかに、ラスベガスのように一日で全財産を使ってしまう…というような事はあり得ないが、ラスベガスがアメリカ中に何万カ所もあるわけではない。ラスベガスはラスベガスだけだし、賭博場の儲けはみんなに還元されるようになっているハズだ。

繰り返すが、こんなハイリスク・ハイリターンのギャンブル場(遊技場)が、朝から夜までオープンしていて、街にあふれている国など世界中探してもないと思う。

貸し金を規制するのは結構だが、なぜ人がお金をどんどん借りてしまうのかという要因も潰さないといけないだろう。

自由競争に賛成だし、人の自己責任は大事だと思うが、いくらなんでも非常識だと思う。

| | 考えたこと | 18:48 | comments(2) | trackbacks(0) |
子供の文化祭2006
今日は子供の学校の文化祭の2日目。

講堂で演劇部と音楽部を見る。

演劇部は一時部員3人で潰れかかっていたが、たくさんの部員が入り、持ち直したようだ。
よかった。
3年ほど前は、先生が一緒に出て、他のクラブから応援出演をしてもらい、やっと劇が成り立つ、という状態だったが…。

今年の劇はちょっと難しかった。
マクベス風の劇で、俳優が若すぎて、セリフの意味がわからないだろうと思う。
最近の子どもたちは、プレイステーションなどで、ロールプレイングゲームをやっているから、そのノリでやるんだろうが、「人生の重み」などまだまだわかるハズがない。
ちょっと、消化不良。
マイクを使わない心意気はいいのだが、ちょっと声が小さかったのも、残念。
でも、マジメに頑張っている姿は好感が持てる。

ブラスバンドは、去年と違って、ポップス系の曲がメインになり、エレキベースも入っていい感じだった。
去年はスキマスイッチだったが、今年は平井堅のポップスターをやっていた。

図書館の古本市では、1975年初版のアメリカ古典文庫「フランクリン」を100円で買った。
厳密には、アメリカには古典と呼べるようなものはないはずだが、「フランクリン」は古典なのだろう。

毎年見に行くが、中学生や高校生が頑張っているところを見ると、元気になる。

来年も行こう。


| | 考えたこと | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
ツイてない
高校時代、ファイアラリーというイベントがあった。
全校生徒で火を囲んで、キャンプファイアーのまねごとをするのだ。

その時に、みんなで歌を歌うのだが、それを先導するのは、生徒のバンドだった。

そのオーディションに2回出たことがある。

一度は2人組で出て、オフコースの「でももう花はいらない」という曲を歌ったが、落選。

二度目はクラス全員で出て、「岬めぐり」を歌った。これは合格。
僕はフォークギターの担当で、校内のイベントでギターを弾けるのは楽しみだった。

しかし、運がなかったのだろう。
当日は雨で中止になった。
ツイてない。

今日は子供の文化祭を見に行き、長男がバンドをやっているのを見て、思い出した。

ティーンエージャー…ややこしいが、いい時代だ。




| | 考えたこと | 03:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
トランペット
昨日、ジャズのライブに行って、トランペットの演奏を聞いた。

トランペットというと、どうしてもニニ・ロッソの夜空のトランペットを思い出してしまう。

朗々と、高らかに吹く、というイメージが固定観念になっていた。

しかし、昨日聞いたトランペットは、本当に囁くようだった。
すごく哀愁があって、まるで喋っているようだ。

管楽器というと、サックスが一番に思い出される。
首からひもで吊して、さっそうと吹く。
吹いている姿も絵になるし、アルトでも、ソプラノでも格好がいい。

もともと、管楽器はリードのあるもの(サックスや木管楽器)の音が好きだった。
音に深みがある。
金管楽器は派手なブラスセクションの演奏ならいいが、ソロで聞くのはちょっと…という感じだった。

しかし、昨日のトランペットは違った。
本当に口で吹いているのがわかる。
唇で話しかけるように、演奏するのだ。

人間の口と、たった3つのピストンを操って、こすれるような音や丸い音、角の立った音…色々な音を自在に吹く。

誰が、あんな楽器を考えついたんだろうか。

トランペットの語源は「筒」だそうだが、筒をねじ曲げて、ピストンをつけて、先を広げ…素晴らしい発明だと思う。

この歳になって、そんなことに気づくとは、情けない。

トランペットが好きな人、すみませんでした。


| | 音楽 | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
先延ばしの美学
休日の楽しみの一つが本屋をうろつくこと。

見ているだけの時もあるが、面白そうな本があると、ついつい買ってしまう。

読んでない本もたまってきたが、読んでしまった本もたまってきた。
ぼちぼち、本を整理しなくてはならない。
本棚がなくなってきたのだ。

たぶん、二度と読まないという本はたくさんあるので、それを捨てればよいのだが…。

柴田連三郎の眠狂四郎シリーズや、池波正太郎の忍者もの…そういえば、鬼平犯科帳は読んでないなあ…、福地泡介の麻雀もの、吉行淳之介の短編集、阿川弘之の海軍小説、佐藤愛子のエッセイ集、豊田有恒や光瀬龍、かんべむさしのSF小説、海外作家のミステリ、渡辺昇一の新書…もう少し茶色になってきている本がたくさんある。

石川達三や太宰治、檀一夫、安岡章太郎、小林信彦、山口瞳なんかも古い。もう手に入らないものもあるだろう。

筒井康隆も、田辺聖子も、見かけない本が増えたので、捨てられない。
岸田秀の文庫もあまり見なくなった。
山本七平も、山本夏彦も、死んでしまった…。

困った話だ。

どれをとっても、自分が読んだ本となると、捨てにくい。
もちろん、読んでない本は捨てられない。

ぼちぼち、選ばないといけないか…。

本を二重に置けば、奥の本はとりにくいが、とりあえず置いておくことはできる。
(既にそうなっている本棚もある)

頭が痛い問題だが、ぼちぼち取り組まないといけないなあ。

年が明けたら、考えよう。

これを先延ばしの美学という。


| | 考えたこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
Boston Public
有名なデビッド・E・ケリーというプロデューサーが作った、アメリカの学園もののドラマがBoston Public。
ケーブルテレビでやっていた。

今では日本でもやっているようだが、学校ものといっても、このドラマは公立高校の先生たちが主人公である。
生徒は少ししか出てこない。あくまで、先生が描かれる。

頼りになる校長、厳しい教頭、心の問題を抱えた社会科教師、結婚に失敗した音楽教師、弁護士を辞めて学校に来た教師、教室で拳銃を発砲したりする熱血教師などなど。

見ていると、歴史の授業など、面白い。もともと、アメリカの歴史自体が近代しかないので、一つの出来事を詳しくやっている。
なぜ、日本と戦争を始めたのか…などのやり取りもあった。
成績に対する生徒の思い入れや、ドラッグや銃の問題など、よくなったとはいえ、アメリカの持つ問題もよくわかる。

9.11のあと、イスラム系の生徒に対するイジメを校長が止めたエピソードや、教え子がイラクで戦死するというエピソードなど…すごく考えさせられるテーマが続いた。

人種差別については、何度も繰り返し描かれている。
黒人だけでなく、ヒスパニックの人たちも出てくる。

アメリカの社会派のドラマには、鋭い問題提起がある。

よく練られた脚本、すばらしい俳優の演技…お金もかかっているのだろうが、どうしてこんないい番組をゴールデンタイムにやらないのか。
今の民放の番組は総バラエティになってしまって、全く面白くない。

こんなにいいドラマ、もったいない。

気楽で下らない番組ばかりやっていると、誰も民放を見なくなるぞ。

視聴拒否とかできないのか?
そうか、元もとタダだから、拒否の意味がないのか…。

今のテレビはほんとに何とかならないものか。



| | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
シャラポワ やった!
USオープンテニスで、シャラポワが優勝した。
うれしい!
優勝の写真はこちら。

http://www.usopen.org/en_US/news/photos/imagepages/2006-09-09/200609091157866882562.html

シャラポワは前々回のウィンブルドンで勝って以来、四大大会では勝てなかった。
準決勝まではいくのだが…。まだ若いからか、いったん弱気になると、やられてしまう…という感じだった。

豪快なフォアのストローク、力でねじ伏せるテニスだと思う。
そして、大きな声を出すファイティング・スピリットがトレードマークだった。

しかし、今回のUSオープンではかなり様子が違った。
あまり大きな声を出さなかったのだ。
ファイティング・スピリットだけではなく、クレバーなテニスを考えたのかもしれない。
今回は、静かなテニスだった。

黒いテニスウェアというのもめずらしかった。

長男によると、シャラポワみたいな選手が勝つということは、テニスというスポーツを面白くなくする、ということらしい。
テニスラケットの進化で、あのようなプレイができるようになったしまった…とのこと。

でも、かまわない。
19歳で2回目のグランドスラム優勝である。
すごいものは、すごい。

シャラポワは、いつも一生懸命で、プレイが正々堂々としている。
だから、いいのだ。

これから、もっと勝てると思う。


| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
九月
気がつけば、九月も十日を過ぎた。
今年も三分の二が終わったのだ。

まだまだ暑いが、少しは涼しい日があったりする。
もうすぐ秋…。

こないだ正月だったと思ったら、もう九月。
年をとるのが早い。
何度かこんな事を書いたような気がするが…。

どこかに、「死がなければ人生というものの意味はまったく違うものになるだろう」と書いてあった。
藤原正彦だったか…。

秋は何となく心寂しい季節なのか、こういうことを考えはじめる。
まだまだ残暑は厳しいが、暦の上では秋。

どうして、秋だけは「〜の秋」という言い方がたくさんあるんだろうか。
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、実りの秋、味覚の秋、行楽の秋、物思いの秋…。
秋という季節は、過ごしやすいし、春・夏と活動してきたことをちょっと休んで見直す、というような役割なのかもしれない。
穫り入れが終わって、ゆっくりできる時期というような農耕上の位置づけもあると思う。

今年の秋は、読書の秋、芸術の秋にしよう。

だいぶ未読の本の山を崩したが、まだまだ読んでない本がたまっている。
(レビューもためている)

ギターも習い始めて1年を過ぎたが、ちょっと頭打ち…。
頑張って練習しよう。

実りの多い秋にしましょう。


| | 考えたこと | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
機械オンチ
いろんなオンチがある。

本来の音痴は音程が取れないことだが、その他にも方向オンチ、運動オンチなどがある。
リズム音痴というのもあった。

機械オンチというのもある。

ウチの父は相当ひどい機械オンチだった。

ビデオデッキの予約はできなかったし、パソコンも何度か習いに行ったが、根本的にわかってないようだった。
写真もほとんど自分で撮ったことはなかったと思う。

昭和40年くらいに、オープンリールのテープレコーダーを買ってきたが、その時もほとんど触らなかった。
よろこんで、録音したり、再生したりしていたのは僕だった。
「あかさか」と録音して、逆向きに再生して、「あかさか」になることを確認したりして遊んだ。
ローマ字で書いて、どちらから読んでも同じになるものは、逆向きに再生しても、同じ言葉になるのだ。

向き不向きというのか、何が機械オンチを決めるのだろうか…。

機械が壊れることを心配しすぎるとダメ…とはよく言う。
とりあえず、使ってみるという姿勢が大事なのか。

リクツがわからなくても、使えればいい、という姿勢もあるだろう。

別に、使えようが、使えまいが、生きていく上でそんなに支障はないとは思う。
でも、違いはある。
そして、自分は機械オンチではないと思ってきた。

しかし、最近、機械を使うのがおっくうになってきたのだ。

特に、携帯電話など、電話とメールだけできれば、どうでもいいや、と思ってしまうようになった。

パソコンも、別に自分のやりたいことができれば、新しい機能など必要ない…と思ってしまう。

年とともに、機械オンチになるということもあるのか。
そうか、機械オンチの人は、別に機械が使えなくても、不便でないと考えているのかもしれない。

なるほど。

別に使えなくてもいいのだ。
できないのではなく、しない…それはそれでかまわないと、やっと思えるようになった。

機械オンチ、バンザイである。

| | 考えたこと | 18:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
インターネットラジオ
昔、ハムというのが流行った。
アマチュア無線というヤツだ。
中学の頃、免許を取ろうかな、と思ったが、コイルのインダクタンスか何かの公式でつまずき、断念した。
でも、無線というものにはちょっと興味があった。(無線機がかっこよかったのだ。)

そのころ、海外のラジオ局を受信して、その局に連絡をすると、その放送局から絵はがきのようなカードを送ってもらえる、という事を知った。
当時、ちょうど集積回路というものができて(ICというヤツだ)、ラジオの性能が上がったんだと思う。
ソニーも、ナショナル(パナソニックか)も、すごくメカニカルなラジオを作っていた。
興味のある人は、「ソニー ICF-5900」でインターネットで検索してみてください。
大きなダイヤルと、周波数の表示窓、たくさんのスイッチ…メカ好きの男の子の心をときめかせるものだった。
当時、時々三宮に行って、電気店でカタログを集め、家で何度も見ていたりしたものだ。
カタログには、お世話になったと思う。タダできれいな冊子を見ることができるし、電波の説明や新しい回路の説明など、わけがわからなくても読んでいるだけでその気になった。

話はそれたが、結局お金がなくてメカニカルなラジオを買うことはできなかった。
でも、世界にはたくさんの放送局があって、それを聞くことに憧れた時期があったのだ。

ところが、今はパソコンを買うと、メディアプレーヤーなるものがついてきて、そこから世界中のラジオ局にアクセスすることができる。
電波など関係なく、マウスをクリックするだけで(主にアメリカやイギリスだが)数え切れないほどのラジオ局を聞くことができる。

今、アメリカのトーク番組を聞くと、涙声で9.11の思い出話をやっていたりする。

すごい時代の変わりようだ。

これも、インターネットによる変化の一つだと思う。

きっと、そのうちにマウスをクリックすると、テレビの番組も見られるようになるんだろう。
(もう見られるのか…)
CBS、ABC、CNN、BBC…インターネットのパケットが電波を越えて世界に情報を運ぶ。

どうなっていくんだろう。

インターネットはもともとアメリカの軍隊が、核戦争でも通信がとぎれないように…という事で作られた技術だが、とっくに開発者の意図を大きく通り越して発達をとげている。

20世紀最大の発明は?と聞かれたら、間違いなくインターネットだ、と答える時代が来ているのかもしれない。



| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
Sonyは誇りだった
小学校の頃、日本はまだ今のように国際的に認められた国ではなかった。

アメリカからの輸入ドラマをゴールデンタイムにテレビで見て、大きな冷蔵庫やスポーツカー、かっこいいビルディングなどに日本人みんなが憧れていたような時代だったと思う。

海外旅行なんて、なかなか行けるものではなかった。法事で親戚一同が集まっても、一族郎党で海外旅行に行ったことのある人など、いなかった。

ウチは親父が繊維商社に勤務していたので、たまに海外の硬貨など持って帰ってくると、喜んで見ていたものだ。

吉田茂首相が「もはや戦後ではない」と言ったのが昭和31年。
でも、まだ昭和40年そこそこの時期は、今とは比べものにならないほど、貧しかった。
(このころの写真は白黒だったし、よく毛糸のセーターをほどいて、母が編み直していたことを思い出す。毛糸もリサイクルしていたのだ。)

でも、日本は欧米に追いつくんだ、という勢いがあったし、こないだ書いたが、資本主義と社会主義という軸があり、社会に緊張感があった。

そのころの話。

小学校の5年か6年の頃だったと思う。
先生が授業の中で、「アメリカ人は、ソニーを自分の国の会社だと思っている。それくらい、アメリカで有名だということだ。そして、ソニーが日本の会社だというと、びっくりするらしい。」と話した。
それを聞いて、生徒はみんな、ソニーはすごい、と思ったし、誇らしく感じた。
先生も、ちょっと誇らしげに話していた。
授業の内容は全く覚えていないが、この話だけはよく覚えている。

憧れのアメリカで、日本の会社が有名なのだ。

昭和30年代後半、「トランジスタ」と言えば、「トランジスタラジオ」の事だったし、それはソニーが一番だった。
(トランジスタという言葉ももう死語か…)

Sonyのブランドに、僕らは勇気づけられたのだ。

新聞では、ソニーの電池で発火という事で記事が出ているし、業績そのものも調子が良くない。

でも、なんとか挽回して、ソニーの意地を見せてほしいものだ。

Sonyは小学生の誇りだったのだから。



| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
イイものがなくなっていく
イイものというのは、その人にとってイイものであって、誰にとってもイイものではない。
そんなものがある。

グラフィティという手書き文字入力の方式がある。
これは、ほんとに識字率が高くて、便利だ。早く、正確に書ける。
(ただ、グラフィティ文字を覚えないといけないのが難点ではある)
しかし、もう今はこのグラフィティが使える機器はもう日本では売っていない。

僕は使ったことはないが、親指シフトというキーボードがある。
これは、日本語入力では、すごくよくできたキーボードらしい。
しかし、これも今では簡単には手に入らない。

偶然、どちらも文字入力の機械だが、使い慣れた人にとっては、イイものである。
技術者が知恵を絞って作り出したんだろう。

10年前くらいに、ヤマハが作っていたエレキギターの弦もよかった。
値段は高かったが、すごく長持ちしたし、弾きやすかった。
これも、いつの間にかなくなってしまった。

そういえば、クイックルハンドワイパーもなくなってしまった。

イイものが生き残るとは限らない。

その時のメーカーの力関係であったり、利益率だったり、あまりに斬新だったために広くは普及しなかったり…。

ヒット商品というのは、理詰めではないと思う。

誰が、ポケットモンスターが発売されたときに、数年後アメリカでディズニーを凌駕することを予測できただろうか。
作った方もびっくりしたハズだ。

でも、グラフィティは使った人には必ず便利だと思うのだが…。

イイものがなくなっていくのは、残念だ。

そんなもの、ありますよね。




| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャグニー&レイシー
もう20年くらい前になるのか…、深夜の枠でアメリカの刑事ドラマをやっていた。

女性2人のコンビ。
クリス・キャグニーはアイルランドの血を引く上昇志向の強い独身女性刑事。
メリー・ベス・レイシーはイタリア系の感じ。結婚していて、家庭的な女性という役柄。

ニューヨーク14分署が舞台。

このドラマは6年間続いた人気シリーズで、エミー賞も受賞している。

二人の刑事の会話が面白く、知的で気さくな会話ができる関係が新鮮だった。
もちろん、毎回のエピソードも面白かったが、それに加えて、出産や昇進など、放送が進むとともに二人の人生のステージが進んでいくことが横糸となってドラマを盛り上げていた。

こんな脚本が書けたら…と思った。

まだ、たくさんのVHSテープが置いてある。
このドラマは字幕スーパーではなかったので、いつも日本語で見るしかなかった。それでも、一体どんなふうに言っているのか?と気になり、時々は英語でビデオを見直したりした。

いつかは、このドラマを原語でわかるようになりたい、というのが、その頃からの野望。

とにかく、ニューヨーク訛りがきつくて、ほんとに何を言っているのかわからない。
当時は日本語で見て、英語で見て、わからないところは何度も聞き直したりした。

今日は調子どう?と聞かれて、最高!というところで、"Couldn't be better."と言っていたのだけはよく覚えている。

一度だけ、実際にそれをアメリカ人に使ってみたことがあるが、キョトンとされた。

それから10年くらいたつが、結局この野望はかなわない。

これは、もうあきらめないといけないか…。
テープの置き場所が、苦しくなってきた。

それにしても、いいドラマだったと思う。

| | 考えたこと | 22:52 | comments(2) | trackbacks(0) |
日のあたる街角で
今朝のNHKの朝のドラマ(純情きらり)で、主人公の桜子が、敗戦でアメリカを恨む小学生に、戦争を始めた自分たち大人が悪かった、と謝った上で、「アメリカを恨んでいても、いいことはない…」と言ったあとに、自分が好きなジャズの曲の話を始めた。

その曲が、「日のあたる街角で」という曲。
”On the sunny side of the street”というのが原題。
知っている曲だったが、意味はよくわかっていなかった。

調べてみると、この曲はアメリカが不況のどん底であった1930年代の曲。

悪いことばかりではない、ものごとにはいい面もあるんだという、暗い気持ちを吹き飛ばそう、という曲だった。

それが、わかってみると、素晴らしい曲に思えてきた。
CDを買おう。

On the sunny side of the street

Grab your coat and get your hat
Leave your worries on the door step
Just direct your feet
To the Sunny side of the Street

Can't you hear that pit ten-pat
And the happy tune is your step
Life can be so sweet
On the Sunny side of the Street

I used to walk in the shade
With those blues on parade
But now I'm not afraid
This over, crossed over

And if I never have a cent
I'll be rich as Rockefeller
Gold dust at my feet
On the Sunny side of the Street

Words by Dorothy Fields
Music by Jimmy McHugh

曲の意味は、こんなのだと思う。

 日のあたる街角

 コートをつかみ、帽子を持って、暗い気持ちは出口で忘れよう
 日のあたる街角へまっすぐに進んでいこう

 足音が聞こえるかい?
 君の足音は、そのハッピーな足音だ
 生きてることはこんなに素晴らしい
 日のあたる街角を歩けば

 ずっと日陰を歩いてきた
 憂鬱な気持ちばかり
 でも、こんな事はもう恐くない
 通りを渡って、日のあたる街角を歩けばね

 1セントもなくても、ロックフェラーみたいに金持ちだ
 足もとには砂金がある
 日のあたる街角を歩けば

ものごとには、いい面があるという勇気を与える曲だった。
アメリカ人はそれがわかって、歌っていたのか…。


| | 音楽 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
貸し出しカード
僕らが中学・高校の時代は、冷戦の時代だった。
中国・ソ連(もう無くなったが)は社会主義の国で、日本とは異なる陣営の国だった。

世界中が、西と東、右と左、資本主義と社会主義に分かれて、どちらも自分たちの陣営を強化しようと思っていた。
だから、世の中には軸があった。
資本主義と社会主義、つまり、日本では体制と反体制という軸だ。

ティーンエージャーの時代は、わけもなく何かに反発したい時代だから、それと結びついて、その頃(昭和40年代〜50年代)の若者の多くは反体制に走ったと思う。
全共闘、赤ヘル、安保反対、というような、今では死語になってしまった言葉が普通に使われていた。

僕らの一つ上の世代(団塊の世代)は、まさに全共闘世代であり、多くの人が安保反対のデモに参加したり、実際に参加はしなくてもそのシンパだったりしたんだろう。
アメリカは悪であり、ソ連や中華人民共和国は良い国で(もちろん、北朝鮮も良い国だった)、毛沢東は素晴らしい指導者で、マルクス主義は絶対正しかったりした。
忘れている人も多いかもしれないが、一部の新聞は意図的に反体制の記事を書いていたし、本当にそれが素晴らしいと思ったりしたのだ。
新聞に、毛沢東は素晴らしいというような意味のことは書いてあったし、ソ連は素晴らしい国というような意味のことも書いてあった。
本当ですよね。
(余談になるが、後日ワイルドスワンという小説で、文化大革命という毛沢東の政治がいかにひどいものだったかを知って、それ以降、新聞は信用しないことにした。大体、署名のない記事ばかり書いている日本の新聞はオカシイのだ。)

中学の社会の先生は、アメリカがバカスカ爆弾を落とした、という非難を授業でしたし、高校の政治経済の先生は、ソ連の選挙は素晴らしい選挙だ(共産党一党支配だから…)と授業で話していた。(ちょうど中学の頃は、ベトナム戦争の最中だったという事情はあるが、アメリカを非難するなら、そんんな戦争を始めた日本も問題にしないといけないだろう)

前置きが長くなったが、そんなこんなで、僕は左翼シンパだった。
「革命」という言葉に惹かれたし、わけもなく反体制という言葉が好きだった。

石川達三や太宰治、坂口安吾、亀井勝一郎、武者小路実篤などを読んでいた。
そのうち、社会主義を通り過ぎて、無政府主義という考えがあることを知った。
なるほど、政府が無くなれば、体制もクソもない…これだ、ということになった(何がこれなのかわからないが…)
カタカナではアナキズムと言って、ロシアのクロポトキンという人が有名だということもわかった。

日本のアナキストというと、大杉栄という人がいる。
最期は憲兵に殺された人だ。
読んでみようと思っても、安い文庫本がなかった。
仕方なく、高校の図書館に行って探したら、見つかった。
きれいな単行本だった。貸し出しカードを見ると、誰も借りていない。
いざ借りるとなると、何となく恐ろしくなったが、まあいいや、という思いで借りて帰って読んだ。(高校時代に図書館で借りた本は、この1冊だけだ)

全部を読んだ覚えはない。
とばし読みして、何となく恐ろしいことが書いてあるような気がした。
言葉の力というヤツだ。それを読んだからといって、何かを起こすことはできないのに、読むだけで力を得るような気がした。

結局、腰が引けてしまって、無政府主義というものが恐くなってしまった。

早々に本を返しに行った。
返した後、しばらくして図書館に行き、本を見たが、やっぱり誰も借りてはいない…。

もう時効だから許してもらえると思うので、書いておく。

何となく、この本を僕が借りたという証拠を残しておくのが恐くなり、貸し出しカードを抜いて、こっそり持って帰って、捨てたのだ。

その後、あの本を誰かが借りたかどうか…。

それから、少し左翼熱が冷めた。
相変わらず、反体制だったし、今のままではダメだと漠然と思っていたが、革命などという言葉からは遠ざかった。

読む本も、司馬遼太郎や吉行淳之介、柴田錬三郎、筒井康隆、光瀬龍などの作家に鞍替えしていった。

こっそり日和見したのだ。

1978年だったと思う。その後、誰かがあの本を借りようとしたら、カードがないことに気づいただろう。
司書の人の手を煩わせたハズだ。

でも、きっと僕の後にあの本を借りようとする人はいなかっただろう…と自分では思っている。
もう、そういう時代ではなかったのだ。

そして、きっとあの本は文化祭か何かのイベントで、古本として処分され、今はもうなくなっているに違いない。




| | 考えたこと | 01:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
円と正方形
ある直径の円があるときに、それと同じ面積の正方形を作図することはできない、ということがわかるのに人類が何年かかったか、知ってます?(知るわけない)

なんと、2000年以上かかっている。

できない、ということが証明されたのが1882年とのこと。

アルキメデスが円周率を求めようとしたのが、紀元前200年ちょっとだから、2000年以上ということになる。

スゴイですね。

そんなこと、大体のところがわかったら、良しとしよう、という風に考える人ばかりなら、いまだにこの事はわかっていなかったかもしれない。

地道に考え続けた人たちがいた、ということが、スゴイことだと思ってしまう。

この事に関係した人たちがどれくらいいたのかは知らないが、多くの人たちが、人生のかなりの時間を割いて、この事を考えたのは間違いないだろう。

最終的な証明は、「円周率は超越数である」ということから導かれるとのこと。何のこっちゃわからないが、ここに行きつくまでに、大変な紆余曲折があったことと思う。超越数、というものを発見した人がいなければ、答えは出なかっただろうし…。

最近、こんなことにやたらと感心するようになった。

円と同じ面積の正方形が作図できない…、そんなことに2000年以上。

円と同じ面積の正方形を描くという問題は、小学生でも意味がわかる。
しかし、それが「できない」ことを証明するのに2000年以上かかっている。

人間の知恵というのは、素晴らしいものだと思う。

そういうことに感動を覚えるような人を育てるためにはどうしたらいいのか?

それを考えることが、理科離れをくい止める方法だと思う。



| | 考えたこと | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0) |