考えたこと2

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小椋佳
小椋佳を初めて聞いたのは中学校の時だった。
FMで「この汽車は」が流れて、すごく新鮮だったのを覚えている。

その後、「潮騒の詩」というアルバムを誰かに借りて聞いた。
「さらば青春」はわりと流行ったし、よく聞いたなあ。

この人はいろんな名曲を作っているが、やっぱり最初に聞いたものが心に残る。
鳥が生まれて始めてみたものを親だと思うようなものだ。
今でも小椋佳といえば、「この汽車は」が出てくる。

この汽車は機関手がいない 終着駅まで止まらない 終着駅はないかもしれない それは明日かもしれない

「〜ない」、という韻を踏んだ歌詞と朴訥とした声がよく合っていて、忘れられない。
70年代の初めだったなあ。

最近、日経の最終面の「私の履歴書」という欄を書いていた。
別に読んでいたわけではないが、今日が最終回で、歌を紹介していた。
年をとると、理屈っぽくなる。
韻文というより、散文になってしまう。

生きていれば 誰にだって 闇に包まれたり

こんな風になる。
小椋自身も、歌を作ることが「発想力も枯渇して苦しい作業」という。
それでも、そうしないではいられない。

あまり知らなかったが、この連載で大きな病気をしているんだとわかった。
57歳で胃がんが見つかり、胃の3/4を切除。
その後食欲がわかなくなり、体重が30キロ減って糖尿病も治ってしまった。
63歳で曲った脊椎を人工骨に入れ替え、68歳で劇症肝炎に近い状況で入院。
死んでもおかしくなかった、ということらしい。

笑ったのは禁煙入院をしたことがあり、1週間で追い出されたとのこと。
自分に禁煙する気がなかった、という。
今でも一日セブンスター40本という喫煙家だったとは。

そういうことがあって、70歳で生前葬コンサートをやったのだろう。
東大の大学院哲学科に入りなおしただけのことはある。
普段は「死に装束」ということで、白い作務衣を着て過ごしているらしい。
今朝の日経にはカラーで柴犬(らしい犬)を連れた作務衣姿の写真が載っていた。
小椋佳には柴犬がよく似合う。

「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「愛燦燦」など、提供した楽曲にもいいものが多い。

もう「死」がいつ訪れても構わないと思っている、と書いてあった。
72歳で年間数十本のコンサートをこなす。

スゴイ人だと思う。



| | 考えたこと | 16:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
死に方
この年になってくると、ぼちぼち死に方を考えておかないといけないと思う。
しかし、それを考えておいても、なかなか思うようには死ねない。

死の質、Quality Of Death略してQODという言葉がある。
これが3年前初めて国の「社会保障制度改革国民会議」の報告書に載った言葉。
これらに関する記事を読んだ。

その中にスウェーデンやオーストラリア、オランダなどの記事があった。
何度か同じようなことを書いているが、彼らの考えははっきりしている。

『「スウェーデンでは、肺炎は高齢者の友達なので抗生剤を使わない。おしっこが出なくても利尿剤に手を出さない。看護師が血圧や尿量を調べることもない」と話す。行わない医療として、このほか昇圧剤、点滴、経管栄養、血液透析、人工呼吸器装着を挙げた。いずれも日本のほとんどの病院では当たり前に行われている。
 翌年訪問した豪州のナーシングホーム(特別養護老人ホーム)では「口から食べるだけ、飲むだけです。食べなくなれば約2週間で亡くなるので、寝たきり老人はいない」と報告する。
 確かに、豪州政府発行の「緩和医療ガイドライン」(2006年版)を読むと、「無理に食事をさせてはいけない」「栄養状態改善のための積極的介入は倫理的に問題」「経管栄養や点滴は有害と考える」とある。延命治療からの離脱を国が率先して指導している。
 オランダの施設で「なぜ、点滴や経管栄養をしないのか」と宮本夫妻が尋ねると「倫理です」と当然のような言葉が返ってきた。オーストリアでも「食べないのも患者の権利です」と断言された。
 さらに衝撃的な事実も報告する。米国西海岸の2つの施設では「スプーンを口元に近づけない」、つまり食事介助をしない方針を聞いたと言う。
 欧米で点滴や経管栄養をしない理由として(1)尊厳の尊重、即ち倫理であり(2)本人の意思(3)医療費の抑制の3点を宮本顕二さんは挙げる。日本では、医療保険で緩和医療がガンとエイズに限定されている制約が大きい、と指摘した。』

あまりにも死に対する考えが違うのに驚く。
これらの方針は、国民が納得して支持しているからこそ、断言できるんだろう。
日本で当たり前に行われている高齢者の治療が、行われてない事実。

QODとはただ生きているだけでいいのか、という生の質の問題とも言える。
生きているというより、施設の金儲けのために生かされているというような状態が日本にはある。
食べさせるのが大変だから、胃に穴をあけて栄養を流しこむ。
そのほうが食事介助が要らないから楽だ、ということだ。
もちろん、みんながみんなそうだと言っているのではない。
そういうところもある、ということだ。
少なくとも、そこに「食べないのも患者の権利」という考え方はない。

死の問題は誰もが避けては通れない。
それなのに、その議論がおざなりになってるのはどうしてだろうか。
それは、日本人には西洋にはあるような宗教がないからだと思う。
宗教というのは必ず死につながっている。

日本には仏教があるではないか、というなかれ。
日本の仏教は死を金儲けの道具にしてしまい、本来の死生観をなくしてしまった。
お釈迦様の開いた悟りの中には、今の葬式仏教のことなど出てこない。
ましてや、それで金儲けをするというようなことなどない。
本来なら、宗教家が死について話すべきなのに、そんな宗教家はいない。
死で金儲けをしている後ろめたさで、死の事を考えることができないのだろう。
もはやそんなものは宗教などではないと思う。

だからこそ、一人ひとりが死と向き合って答えを出さないといけない。
そういう声がぼちぼち上がってきたかなという感じだ。
国も財政的に苦しくなってきたから、ようやく重い腰を上げようとしている。
でも、動きは遅い。

国民の意識を変えることができるんだろうか…。

ここ10年くらいで変えないといけないと思う。

| | 考えたこと | 20:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
やっぱり原油が安い
円がちょっと上がり、株が大きく下がった。
株が安い原因は原油が安いことだという。

しかし、原油が安いということは、原油を輸入している日本にとってはいいことだ。
日本の企業の多くにとっては、エネルギーコストが下がり、原材料コストも下がるからだ。
だから、喜ぶべきことだと思うのだが…。

原油が安い原因は供給過剰だという。
昔習った需要と供給の法則に則っているということだ。
市場にたくさんの原油があふれれば、値段は安くなる。アタリマエのことだ。
サウジアラビアに代表される中東の産油国は、シェールオイルへの転換を防ぐために値段を下げようとしている。
サウジアラビアもイラクも増産しているし、経済制裁が解けたイランも参入してくる。

そこに、中国などの新興国経済が減速してきた。
需要が伸びないから、安くなる。
さらに、世界的に暖冬(今は寒いが)で消費が伸び悩む。
だから、よけいに原油は安くなる。

それ以外にもアメリカのドルの金利が上がったことなども、原油価格を下げる方に働くらしい。
だから、さらに下がる。
石油資源を輸入に頼っている日本にとっては、大変いいことだと思う。
一時はバレルあたり100ドルを超えていたのが、今や20ドル台に下がったのだから、大バーゲンだ。
なかなかこんなセールはない。

しかし、マスコミの記事などをみると、日本にとって有利な原油安、という書き方をしているところがない。
これは原油が安いのは日本だけではないということが原因らしい。
なるほど、日本だけが安く変えれば有利だが、みんな安く買えるということも考えないといけないのか…。
実際、これまでの原油価格と景気の関係をみると、原油が上がってるほうが景気がよくなる、という傾向らしい。
これだから、世界経済は難しい。
結局、原油が下がるということは世界的に経済活動が活発ではなく、下げないと売れないということにもなっているということだ。
それなら、何となくわかる。
だから、株安にもなるのか。

しかし、これだけは言える。
原油が安い間に、原油に依存しているエネルギーをどうするか、考えるべきだ。
それがいつになるかはわからないが、いずれ石油は上がる。
限りある資源だから、なくなったらオシマイなのだ。
それが10年先か、50年先か、100年先かはわからないが…。

| | 考えたこと | 00:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
ランド研究所
ランド研究所というのは、アメリカの軍事研究所。
そこが尖閣諸島の日中衝突をシュミレーションした結果を発表した。

その結果はショッキングなものだ。
記事によると、以下のように5日間で日本は敗れるらしい。

<1日目>
日本の極右が尖閣諸島に日本国旗を立てたことに対し、中国が艦船を派遣して日本の活動家を拘束する。

<2日目>
日本は艦船と戦闘機を尖閣諸島に派遣。日本は日米同盟の履行を求め、米国は日本本土防衛への支援と日本沿岸への潜水艦の派遣。

<3日目>
衝突発生後、中国の艦船が日本の艦船2隻を撃沈、米国潜水艦も中国の駆逐艦2隻を撃沈、死者数百名に。

<4日目>
中国のサイバー攻撃によって、カリフォルニアの送電システムが被害を受けてロサンゼルスとサンフランシスコが大停電、ナスダックのシステムが操作されて金融パニック発生。中国のミサイル攻撃で自衛隊は深刻な打撃を受ける。

<5日目>
中国は日本の海上兵力の20%を掃討し、日本の経済的な中心地に狙いを定める。米国は日本からの中国船に対する攻撃依頼を拒否、代わりに自衛隊の撤退を支援。中国は勝利宣言を実施。

これがどの程度信憑性があるのか、政治的な意図があるのか、それはわからない。
とにかく、このシュミレーションの結果から、アメリカは尖閣諸島でなにか起きても無視するべきだ、ということになっているらしい。

そういえば、共和党のトランプ候補も日本との安保条約はアメリカの義務が大きく、やめてしまえ、という意見だった。
中国がだんだんと力をつけてきて、アメリカも中国と戦うのはヤバイと思っているのだろう。
日本に対するプレッシャーでもある。

記事の最後の方に、「日本の自衛隊は専守防衛の立場を墨守してきた結果、ミサイル攻撃が主体となる現代戦では「戦えない軍隊」になっています。これは日本国憲法による制約として課されているものですが、その制約によって憲法改正時に発生可能性が高い日中開戦において敗北することがほぼ確定しています。」と書いてある。

今まではアメリカが守ってくれるから、ということもあったのだろう。

それでも、アメリカが世界の警察をやめるとなると、中国、ロシアに近接した極東の日本は地政学的にも不利だ。

いくらかは政策的な意図もあるんだろうが、気になる記事だった。

| | 考えたこと | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
農業用アシストスーツ
クボタという会社、農機具のメーカーだ。
そこが農業用のアシストスーツを開発した。
単3電池4本だけで稼働する。

ただし、単三電池はひじの固定用のバルブの開閉用で、実際にモーターで動いて力を貸すわけではない。
ひじが下がらないように、支えるためのスーツだ。
これを適当な角度にセットして作業すると、腕を持ち上げていなくても、肘の位置が高い所になるので、腕を上げる作業が楽になる。

値段が12万9600円とちょっと高いが、実際に使われている。
主には、ブドウ・ナシの農家用に開発された。
長時間腕を上げて作業することが多く、それを背中に背負ったスーツで分散して支えるので圧倒的に腕が楽になるらしい。

腕を上げて作業をするとか、そういう工場の勤務でも使われている。
阿波おどりの関係者からも引き合いがあるとのこと。
なかなか面白い。

こういうちょっとした工夫は日本の企業は得意だと思う。
今まで生産者が若い世代だったから、無理をしても作業できた。
でも、世の中高齢化社会。
年をとっても作業ができるように、ということだ。

先進国では、こういう技術はこれからどんどん必要になっていく。
こういうアシストスーツはこれからの発展分野だろう。

日本企業の強みを発揮してほしいと思う。



| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
イギリスの自動車産業
ジャガー・ランドローバーというイギリスの自動車会社がある。
2008年にインドのタタ・グループの傘下に入った。

産業革命を起こしたイギリスから、自国の自動車メーカーがなくなって久しい。
ジャガーやロータス、ロールスロイス、アストンマーチンなど、世界に名を残した会社は今や全て外国の資本。
当時、イギリス人の車好きはみんな悔しがったに違いない。
閉鎖された工場も多かったんだろう。

去年、ジャガー・ランドローバー社が日産を抜いて、英国国内生産1位になったらしい。
これはぼくにとっても、何となくうれしいニュースだ。
特に高級車が売れていて、英国の自動車産業が復活したということらしい。

別に日産が嫌いなわけではない。
ジャガー・ランドローバーという、イギリスの名車を作ってきたメーカーが、日産を抜いて1位になったということが何となくうれしいのだ。

イギリスの製造業は、「英国病」という先進国が通らなければならない道を通り、衰弱した。
ドイツや日本と違って、伝統へのこだわりが強かったのかもしれない。
でも、サッチャーが出てきて、大幅な規制緩和をして、主に金融で復活した。
今のイギリスがあるのは、サッチャーのおかげだと思う。

そして、自動車産業も外国からの資本を呼び込んで、やっと復活してきた。
1960年代ごろから始まった英国病を脱出して、ふたたびジャガーが存在感を持って走っている。
アストンマーチンも復活したし、ミニも姿を変えたが、モダンになってBMWがイギリスで生産している。
ランドローバーもSUVブームに乗って売れているんだろう。

インドのタタ・モータースは、イギリス人の意見を取り入れて経営しているように見える。
イギリス連邦の国だけあって、理解があるような気がする。

結局、別の国の資本になったかもしれないが、過去の名車たちは名前を残して、生き残った。
イギリス人は悔しい思いもしたが、今は喜んでいるのではないか。

あの、ジャガーや、ロールスロイスのエンブレムは、自動車がある限り、残ってほしいと思う。

たとえ買えなくても、それがあるというだけで、ぼくは何となくうれしいのだ。


| | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しいスマホ
年末に3年ほど使ったスマホを買い換えた。
ついでに、カケホーダイにした。

4GLTEの通信は快適だ。
OSも改善されて、Wifiをオンにしても、ちゃんと電源管理するようになったから電池が減りにくい。
だから、いちいち設定をいじらなくても、家ではWifiで使える。

3年経てばこんなに端末がよくなるのか、と実感した。
これなら早く買い換えておけばよかったと思う。

窓口の人が、4Gに変わると通信量が増す、と言ってたがそれは本当だった。
今までメールチェックくらいしか使っていなかったのだが、ツイッターもフェイスブックも快適に見ることができる。
地図もGPSの受信精度が上がり、Mapはナビとして十分に使えるレベルになった。
3年のブランクは大きい。

新しいスマホなら、パソコンをつないでも早い。
いいことだらけだ。
さらに、前のスマホが2年経っていろんな割引が終了し、値段が上がっていたので買い換えてもほとんど値段は変わらない。
どちらかというと、安いくらいだ。
データー通信は3GBのコースにしたが、それで十分。

あと2年、これを使って、その後は格安スマホに変えようと思う。
通信費が安いキャリアに変えるのだ。
去年の12月に総務省から指導が入り、スマホの通信費を下げろということになっている。
おそらく、端末の値段は上がるだろうが、毎月の支払は減る方向だ。

そういえば、今はキャリア各社は電力の小売自由化とセットにして長期の契約を計画しているという記事があった。
ソフトバンク電気というサービスが始まったが、これがそのサービスだろう。
とにかく複雑でわかりにくい。

まず、ソフトバンクの通信サービスを利用していることが前提。
とにかく、加入すると通信と電気の合算払いをすることで、いろいろとお得になる、という内容。

ホームページによると、「例えば、一戸建てにお住まいの3人世帯で、これまで従量電灯B(40A)で月間の平均でんき使用量が392kWhのご家庭が「ソフトバンクでんき」の「バリュープラン」に変えた場合、でんき料金の割引額、「おうち割」適用に伴う割引額、Tポイント付与数の合計で年間約8,920円相当おトクになります。さらに「おうち割 光セット」と併せてご加入いただいた場合、年間約8万920円相当おトクです。また、特典として、「水のトラブル」「カギのトラブル」「ガラスのトラブル」の発生時に、出張料・作業料無料でかけつける「おうちレスキュー」を提供します。」と書いてある。

要は、何だかわからないが得になるということだ。
もともと電気会社は儲けが大きかったから、その儲けを削り、小売でシェアを上げようということかと思う。
その電気はどうやって作るのかという問題はあるが…。

ソフトバンクをはじめとするキャリアは、新しいセット販売を考えているらしい。
ドコモは先日日本生命と提携した。
auでんき、というサービスもスタートした。

そういうところから、新しいセット販売を作り、長いこと契約を引き延ばそうという考えだ。

いろいろややこしい。
得になるのかもしれないが、何となく納得出来ないなあ。

つながりやすいとか、通信費が安い、というところで勝負できないんだろうか…。

| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学の高校化
最近話題の近畿大学だが、保護者が子供の出席をリアルタイムで確認できるようになったらしい。

授業が始まる前、教室に学生が入るときに学生書をかざす。
それでコンピューターに「出席」のフラグが立つ。
だいたいは、教員が出席を取るべきだと思うが、大人数の教室があったり、時間がもったいない(教員が面倒くさい)こともあって、電子化された。
学生証をICカードにして、それをかざすだけだ。
もちろん、友だちに頼んで学生証を貸せば代返はできる。
しかし、そこまでやる学生はなかなかいない。

そして、それを親にも公開した。
親は大学のポータルサイトで親のID、パスワードを入れて、リアルタイムで出席しているかどうかがわかる。
仕組み自体はそんなに難しくない。
学内に学生向けのシステムがもうあるから、あとはそれを公開するかしないか、ということだけだ。
近大としては、親からもっと情報をという要求があった、ということだが賛否はあっただろう。
しかし、この際公開してしまえ、という力のほうが勝った。

大学が高校化している、ということだ。
親の庇護のもと、勉強をするのが高校。
そこを卒業して、親の庇護下を離れ、大人へのステップが大学だった。
それがもはや高校と同じになってしまった。

ぼくらの世代の大学というのは、少なくとも大人へのモラトリアムという位置づけだった。
その後進学率が上がり、大学がたくさんできて、高校化するのはしかたないのだろう。
その高校化のトップを走っているのが近大。

そう言われると、近大の関係者はどう思うだろうか。
やっていることはそうなのだが…。

ぼくはそういう時代に生まれなくて、よかったと思うだけだ。

しかし、世界の大学を見た時、そんなことをしている大学は他にあるんだろうか…。

| | 考えたこと | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の政治家
日本の政治家のレベルはどんどん下がっているような気がする。

アメリカは2代目ブッシュはちょっと、という感じだったが、オバマはいろいろ批判はあるもののアメリカ大統領として合格レベルだと思う。
イギリスやフランス、ドイツは何やかや過去の経緯はあるが、アラブの難民を受け入れて、立派だ。

特にイギリスは保守党が多数を取って、国民に痛みを強いるような緊縮財政の政策をやっている。
そして、最近の選挙でも国民の信任を得た。国民は緊縮で苦しくても、ちゃんと保守党を選んだ。
自分たちの利権の誘導ではなく、これはやっておかないと苦しくなる、というようなことを国民もわかっている。

翻って、日本でいうと、社会保障の問題。
誰がどう見ても、もう破綻している。
高度成長下でやっていた制度を、これからも続けていくのは無理なのだ。
GDPで数%の成長をすれば成り立つが、そんなことは人口が減るこれからのステージでは無理だ。

それなのに、政治家はだれもそれを言わない。
衆議院で多数を取った自民党さえ、それをいう気配もない。
野党の民主党だって、ついこの間まで政権与党だったから、わかっているはずだがそれを言わない。
言わないどころか、共産党と共闘だという。
頭がオカシイのではないか。
どの政策が合っているのか、考えているんだろうか。

本当に日本の政治家はお粗末だと思う。
もっと真面目にやらないといけない。
国民から信任された代表なんだから、今の状況を見て、やるべきことは痛みが伴ってもやらないと。

せめて、通年国会にするべきだ。
あれだけの給料をもらっているのだから。
議員の仕事は議会に出て議論すること。そして法律を作ること。それを通年にしていないのはオカシイ。
民間並みに働くことを決めないとダメだろう。
だいたい、通年にしていないから、すぐに選挙区に帰って、利権を誘導しようとするのだ。

イギリスの国会など、野党と与党が狭いところに向かい合って座って、真剣に議論している。
あれが民主主義の姿だ。
日本の国会は会期中なのに出てない人はいるわ、寝ている人はいるわ、あれでは議論などできない。
とどのつまりが、牛歩戦術や、殴り合い。
まるで子供の喧嘩だ。

どうしてこんなに政治家のレベルが低いんだろう。
国民のレベルが低い、と言ってしまえばそれまでだが…。

小選挙区制が悪いんだろうか。
選挙区で落ちた人が比例区で復活する、という制度もいい加減になくすべきだろう。
そして、一票の価値は同じにしないといけない。
これは基本だ。
まずやらないといけないのは、選挙制度の変更かもしれない。

これはほっておけないと思う。

いろいろやることがあるぞ。

| | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
サイバー犯罪
アメリカはサイバー犯罪大国だろう。
だから、ホワイトハッカーというようないいハッカーも出てくる。

こないだテレビドラマでやっていたのは、空港のスマホ充電ステーションのハッキング。
充電しようとつないだら、マルウエア(悪意のあるソフト)を入れられ、個人情報を吸い取られるというものだった。
そのスマホを持って飛行機に乗ったら、飛行機のWifiルーターをそのスマホが攻撃し、ワイファイがつながらなくなる。
つまり、その間はスマホの情報が使えない。
その間に、飛行機に乗っている人たちのクレジットカードの情報を使って、買い物をしまくる、というような犯罪。
そのうえ、個人情報を人質に取られ、お金を払わなければインターネット上に公開する、ということも起こる。

充電しただけで、そんなことが起こる。
技術的には可能なんだろう。
もちろんドラマはフィクションだが、そういうことがあり得るという場面は恐かった。

日本では個人対象の犯罪はあまり表に出ないが、企業や自治体、役所は対象になっている。

スマホのセキュリティはあまり気にしていないが、スマホでできることが増えてくると、危ないことが起こる。
クレジットカードの情報やネットバンキングの情報などは、ややこしい。

セキュリテイをちゃんと保っておかないと、エライことになる日が来るかもしれない。

| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
若年者の自殺
よく自殺のことが記事になり、そこで若年者の死因のトップは自殺、というようなことが言われる。
でも、それ自体はそんなに驚くべきことではない。
若い人は病気になどならないし、他に死ぬ原因がないからだろう。
銃で撃たれるとか、事故で死ぬとか、病気で死ぬ率が高い社会はどうかと思う。
だからといって、自殺をする人がいてもいいとは言わないが…。

自殺率は高い一方で、他殺率は世界最低水準らしい。
他殺率が高い社会よりはマシだと思う。

フランス、ドイツ、カナダ、アメリカ、イギリス、イタリア、日本の7カ国で、15歳から34歳の若年層の死因のトップが自殺なのは日本だけらしい。
どこの国でも、自殺が1位だと思っていたら、そうでもない。
しかし、比べるのなら、どれだけの比率の人が、どんな原因で死んでいるのかを示さないと、重みがわからない。

ちなみに、死因の1位は他の6カ国では事故になっている。
アメリカでは殺人が2位で3位の自殺者の数を上回っている。
死ぬ人数でいうと、日本の若年者の自殺者はトップだが、上位3位の死因で死ぬ人を合計すると7カ国では真ん中くらいになる。

日本の自殺については、海外からは文化的な要因もある、と言われているようだ。
宗教で自殺を禁じていないというのが一つ。
さらに、恥をさらすと、もう立ち直れないということが一つ。
また、自殺によって何か(責任や自分の正当性など)を達成できるという倫理規範があることだろう。
江戸時代には切腹があったし、神風特攻隊などもそういう文化がなければあり得ないことだ。
イタリアなどはカソリックの文化で自殺は罪とされていて、不景気が続いていて、若年者の失業率も高いが、自殺は少ない。

でも、日本人に自殺が多いのは事実。
止められるものなら、止めたいと思う。
平成21年からは、就活を苦に自殺するという人が増えているという。

自殺人数のグラフと、失業率のグラフはだいたい相関がある。
中高年で失業し、家族がいるし、仕事はないしということで追いつめられて…、という話はあるが、それは今の日本の社会では中高年で職をなくすと、二度と職につけない、という絶望感からくるものだと思う。
自分は評価されていない、という恨みもあるだろう。
それが自殺に結びつくのは、さっきの文化的背景から、自殺すれば償えたり、晴らせたりする、という考えがあるからだろう。

しかし、若い人は、より好みしなければ、仕事はある。
とりあえず働けるのだ。
これから、若い人が減り、どんどん売り手市場になっていく。
人口が減少して、国内市場が縮小はするが、生産年齢人口の減少はやっぱり大問題なのだ。
だから、就活に失敗しても、リカバーのチャンスはある。
中高年とは違うのだ。

そういう広い視野を持つことが、就活自殺を防ぐためには必要なのではないか。

問題は、それをどうやって具体化するかだが…。

| | 考えたこと | 20:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
アジア進出
ベトナムに行くという人がいる。
もう55歳である。
以前も東南アジアで働いたことがあり、その活気や若さに魅力を感じて、どうしてももう一度行きたくなり、会社を変わって行くことになったということだ。

「町歩いても、年寄りなんか見まへんデ」

彼は言う。
そうだろうなあ。あのへんはまだまだ発展途上であり、若い国だ。
入った会社は小さな会社である。
従業員が30人。
えらい少ないなあ、というと、アジアに3ヶ所の工場があり、そちらに生産はほとんど移転したということだ。
きっと数百名いた従業員は、ほとんど退職を余儀なくされたということだろう。
会社が生き残るためには、それしかなかったということだ。
それでも、この会社は資金力があったんだろう。
それもない会社の多くは潰れるしかなかったのだと思う。

バブルが崩壊し、グローバル化が進んで、本当に製造業は苦しくなった。
海外から安い人件費で作った製品が入ってくるようになった。
この会社はその時期に生産移管したんだろう。

もともと小さな部品を作っているメーカーだから、業界関係者や顧客以外その存在をほとんど知らない。
それでも、その会社だけで数百人の雇用が、80年代後半から90年代にかけて失われたということだ。

これがグローバル化のインパクトだったのか、と初めて実例を見て思った。
こういう中小企業が山のようにあるんだろうなあ。

たくさんの製造業の雇用が失われ、雇用者はサービス業に転じたんだろう。
1992年に製造業の就業者は1569万人でピークを迎え、2010年には1049万人になっている。
18年間で500万人程度減った。

その原因の一つがこの会社のような状況だ。

海外に生産移管できただけ、企業の体力があったということだから、このケースはまだマシだろう。

こういう歴史を辿って、日本の今の就業構造がある。

大変だ。

| | 考えたこと | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
SMAP解散騒ぎ
昨日SMAPが会見し、活動継続ということになったらしい。

以前書いたが、この元はジャニーズ事務所のお家騒動とのこと。
社長の姉の娘とSMAPの女性マネージャーが戦っている。
今回、女性マネージャーが辞めることになり、SMAPの一部のメンバーはそれについていく、という予定だった。
そんなことをしたら、SMAPは解散だ、というのがジャニーズ事務所のやり方。
木村は一人残って、ジャニーズ事務所の側について、解散を止めたという形。

よほどジャニーズ事務所の力が強いんだろう。
まあ、嵐とかV6とか関ジャニとか、いろいろなタレントを抱えているからなあ。

女性マネージャーについていったメンバーを使うのなら、そのテレビ局にはタレントは出さない、という事務所の鶴の一声でテレビ局は黙るだろう。
よしもと興行も、会社の批判をして辞めた太平シローに対してそういう処置を取った。

エンタメ市場におけるテレビのシェアは下がっている。
インターネットにコンテンツを取られているのだ。

一方、テレビ界のエンタメ系では寡占化が進んでいる。
一部のジャニーズのタレントを使うだけで、視聴率が上がるからだ。
今や局よりも事務所の方が強い。

結局木村が事務所の意見を代弁したのだろう。

しかし、ああいう形で決着するのは気持ちが良くないだろうから、ゴタゴタの感情は残るし、いずれ解散するだろうなあ。

どうせなら、「事務所を変わったらジャニーズ事務所が解散だと騒いでいる。テレビ局に圧力をかけて、出ていった4人はもうテレビには出られなくなる」と4人の側が記者会見したらよかったのだと思う。
SMAPが国民的人気があるのなら、それを訴えるチャンスだったはずだ。
彼らが動けば、ジャニーズ事務所も黙ったかもしれない。
どこかの局が、それをサポートすると表明したら面白かったのだが…。
しかし、結局は木村が説得役に回り、残りの4人が折れた形で納得したのだろう。
それに視聴率で苦しむフジテレビが生放送で時間を空けた。
これでフジテレビはジャニーズ事務所から優遇されるだろう。

SMAPもヒーローなどではなく、ただのサラリーマンだったということだ。
国民的人気のあるグループのメンバーが、サラリーマンとは…。

テレビで街の声をインタビューしているが、解散しなくてよかった、という声ばかり。
そういう問題意識を、ファンのみんなに投げかけてくれたらよかったのに。
ホント、事務所の不当な締め付けを告発して、辞めたほうが良かったのではないか。

何となく残念。

| | 考えたこと | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
想定外の外
想定外というのは、予想していたことが外れ、予期せぬ自体になること。
年をとって、足腰が弱るとか、寝たきりになるとか、そういうことを考えていたら、もっとヒドイことになった、という状況。
想定外を避けるために、どうしたらいいか、ということを考える。

しかし、そう簡単にはいかないのが人間の老後。
生きれば生きるほど、そのリスクは高まる。

たいがいの人が、これだけはなりたくない、と思っているのがボケてしまうこと。
それなら想定内だが、そうはいかない。
これが恐いところは、想定していたことさえ覚えていないことだ。

ボケてしまえば、ボケた方は楽だ。
いや、楽かどうかはわからないが、少なくとも今心配している自分ではないのだから、想像ができない。
でも、その状態を想像すると、楽ではないかと思う。
しかし、回りは迷惑だろう。
これが、ボケたくない理由にもなる。

人間の記憶の連続性はどうなるんだろうか。
家族の顔も忘れ、徘徊したりして、どうしようもなくなった時、記憶は失われているんだろうか。
それとも封印されてしまうのだろうか。
調子のいい時は思い出すということも聞くから、封印されているのかもしれない。

まさに想定していた自分を忘れるのだから、想定外の外である。

脳のCTなどを見ると、脳が萎縮して縮んでいる。
細胞数が減るから、記憶がなくなるんだろうか。
でも、縮んでも必ず発症するわけでもないので、難しい。

人生は一つの歴史である。
死ぬときはその歴史に幕をひく、という形で死にたいものだと、普通の人は思っているのだと思う。
それが途中でわけがわからなくなって、途切れる、ということが嫌なんだろうとぼくは思う。

いずれにせよ、長く生きるとこういうことが起こる。
昔はそうなる前に寿命を迎えていたのだろう。

本当に迷惑なのは、今そういうことを考えていても、それ自体が想定外の外だということだろう。

だから、考えても仕方ない、と言ってしまえばそれまでのことなんだが…。

| | 考えたこと | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカは強い
自動運転車については、グーグルをはじめとするアメリカのIT産業が開発しているというニュースがある。
前に書いたように、規則もすぐに作るし、国や州がそれを奨励している。
さらに、アメリカのIT会社にはありあまる資金力がある。
たとえ部品は輸入であっても、コアとなる技術を持っているから、そういうことが可能になる。

グーグルは究極の自動運転車を開発している。
運転する道具(ハンドルやアクセル、ブレーキなど)がない。
人間は乗って、行き先を告げるだけ、というクルマだ。
すでに160万キロの走行試験をやっているらしい。

テスラという電気自動車専門のメーカーは、離れたクルマを呼び出仕組みを開発しているらしいし、一般のドライバーが空き時間にタクシーができるようになるという仕組みを開発したUberは、クルマを持たなくても必要なときに自動運転車を呼べるという仕組みを作っているらしい。

今回、トヨタも自動運転車の開発を表明した。
2020年の実用化を目指すらしい。
ただ、そのための人工知能の投資はシリコンバレーに使われた。
アメリカに10億ドルを使って、人工知能の研究開発会社を作るという計画。

日本はクルマで世界を席巻した。
今も日本No.1のトヨタは世界でも1位だ。
しかし、この状況なら、それも長くは続きそうにない。
世界のメーカーがアメリカを主戦場にして、新しい技術を開発している。
アメリカにはそういうものを呼びこむ土壌がある。

そこが、アメリカの強いところだと思う。

日本でもやっているが、表に出ないだけ、というわけではないと思う。
一体何が違うんだろうか。
アメリカの強さは何でもオープンにやるところかもしれない。
肝心のところは隠すが、何かが求められているとなると、社会が受け入れて進めていく。
そういう柔らかい強さがあるんだと思う。

日本では何か新しいことをやろうとすると、既存の組織が何だか分からないがとりあえず反対する。
何かを変えるのが、嫌なんだと思う。
アメリカのように、とりあえずやってみる、という強さがない。
話し合って、話し合って、すぐに変えるのかと思ったら10年後に変えよう、というような決定が多い。
いったいなにを話し合ったのか、という感じだ。
10年後なら、もう決まったことだから、やらないといけない、と言って押しきれるからやるのか、としか思えない。
今やったほうがいいに決まっていることも、先延ばしする。
そういうやり方が、産業の芽を摘んでいることもあるとは思わないんだろうか。

特に役所や非営利団体にそういうところが多いのではないかと感じる。

そういうところを変えないと、アベノミクスなど成功しないと思う。

| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
LINEの罪
日本の10〜20代はどんなコミュニケーションをしているのか、楽天リサーチが調査したらしい。
それによると、全体の70%がLINEを利用。
TwitterやFacebookはばらつきがあり、いずれにしても半分以下ということだ。
携帯やスマホのメールはどうかというと、34%しかなく、電話は32%。
ダントツで強いのがLINEなのだ。
10代〜20代のコミュニケーションはほとんどLINEでされていると思っても、当たらずとも遠からず。

大学に勤めていた2年前、もうすでにそういう感じだった。
ゼミの仲間はLINEでつながっている、ということを言っていたし、なにが便利なのかと聞くと、グループで一斉に話ができることだという。

ネット上でLINEの使い方を見てみると、いろんな事が書いてある。

「『LINE』の「グループトーク」は、グループに招待されたメンバーだけがやりとりできます。さらに、写真や動画、音声も送ることができるので、家族や友だち同士でワイワイ楽しめます。」

「しかし複数人が入り乱れるとあって、「グループトーク」はメッセージの流れが早く、大事な連絡事項もつい流れがちです…。」

「そこで使えるのが「グループボード」。大事な連絡をトーク画面とは別に配置できる、掲示板のようなものです。これは通常のトークにはない機能です。「グループボード」で知らせておけば、トークとは別に表示できるので、内容が流れる心配はありません。
大事なイベントの日時・場所・詳細などを入れておくと、みんなに周知できるので便利ですね。」

まあ、これは便利な機能なんだろう。
でも、こういうのがスクールカーストを助長するんだと思う。
仲間はずれにならないために、それをフォローし続けなければならなくなる。
こんなことをやっていたら、自分の時間がなくなる、という場合でも脅迫的にそうしないといけなくなったりしているんだろう。
ぼくらの若いころにこんなものがなくて、よかったと思う。

グループのリーダーが常にみんなが見ているという前提で話をすれば、ついていかないといけない、ということになる。
グループから追い出されてボッチになるのは避けないといけない。

みんながそうとは言わないが、そういう苦労をしている10代は多いんだろうと思う。

テクノロジーの進歩が必ずしも人の幸せにつながるとはいえない。
確かに一度にたくさんの人と話ができて、効率は上がるだろう。
しかし、上がった効率と、LINEに振り回されている10代のどっちが大事だと思うかだ。

ぼくは保守的だと思われるかもしれないが、若い人たちのSNSに対するリテラシーが上がらないと、こういうツールは害になると思う。

それは考えすぎだろうか…。


| | 考えたこと | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
上方落語
ぼくが落研に入ったのは、中学の時に笑福亭仁鶴を聞いたからだ。
仁鶴はあの当時めちゃくちゃ面白かった。
七度狐、池田の猪買い、湯屋番、代脈などぼくが落研時代にやったネタも多かった。

その後、桂小米が桂枝雀を襲名し、こちらは本格的に面白かった。
ぼくは仁鶴派だったが、そのうち枝雀に負けた。

彼らが出てこられたのも、上方落語を復興した4人の落語家がいたからだ。
松鶴、米朝、文枝、春団治の4人。
その4人が全て亡くなった。
最後まで存命だった三代目の春団治が1月13日に他界した。

米朝は持ちネタがたくさんあったが、春団治は少ない。
自分で納得した噺しかやらなかった。
十八番は野崎参り、高尾、代書屋、皿屋敷など。
踊りや歌もうまかった。

いつも羽織姿で高座に出てきて、羽織を脱ぐ姿もかっこよかった。
いい着物だから、指で袖を引っ張ったらストンと脱げる。
安物のウールの着物では、ああいうふうにはならない。

上方には粋な噺家が少ないが、三代目春団治は例外だった。

これで、上方落語の四天王が全部いなくなった。

若手と呼ばれていた落語家たちも、もう還暦を過ぎた。
三枝改め文枝が72歳になる。

上方落語も仁鶴が出てきて、枝雀が頑張っていた頃の勢いがなくなって久しい。
昭和50年代から60年代の上方落語の黄金期に生きられたぼくらは、ラッキーだった思う。

合掌。

| | 考えたこと | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校の組織改革
全国で組み体操の事故が多いということが問題になっていたが、さて去年の運動会ではどうだったのか、という記事があった。
それによると、学校の組み体操で起こった負傷事故は8500件ほど。
去年の12月10日に発表された。

残念ながら、2013年度に8489件の事故だったのが、2014年度には8516件になり、ほとんど変わらない。
この問題が取りざたされたのは、2014年度の初めであり、それを踏まえていれば減っていたはず。
事故は小中学校がメインであり、この事実から、小中学校というところがいかに社会の常識から外れているか、ということがわかる。
普通なら、ニュースにも取り上げられて問題になったのだから、組み体操の事故を減らそう、ということになるはずだ。
それが社会の常識。
そういう機能が働いていない。

いじめの問題にしても、何かオカシイ。
同じようなことが何度も起こる。
先生をちゃんと指導する機能が、今の学校にはないとしか思えない。

ぼくは、学校という所にある程度社会の常識を持ち込まないといけないと思っている。
そのためには、学校というところが先生だけで運営しているのをやめないといけない。
先生という職業は、学校という所に関わって、職業的には一生を過ごす。
だから、社会をほとんど経験していない。
そういう先生が、新しい先生を社会人として指導できるはずがない。

教育委員会も実務は教員OBがやっていて、本来の働きを果たしていないのだと思う。
学校は先生の常識で動いているから、こんなことが起こる。

ぼくは、学校の常識と社会の常識はどんどん離れていっていると感じる。

それをくい止めるためには、社会人を学校に入れないといけない。
校長、教頭という管理職に加えて、事務長というような職を追加するべきだ。
その仕事は、社会人経験を二十年以上積んだ人、というようなことにすればいい。
別に10年でもいい。
とにかく、社会の風を入れないといけない。

今学校に必要なのは、そういう組織改革だと思う。

| | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
宴会今昔
ぼくは47歳で仕事を変わった。
それまでの会社の宴会は、幹事になってもそんなに大変ではなく、宴会場を決める程度だった。
宴会が始まったら、最初にエライ人に挨拶をお願いして、その後は何もしなくてよかった。
わりと自由な雰囲気の職場だったということはあるかもしれない。
終わりに手締めでもすればそれでOKだった。

仕事を変わって、幹事というのはややこしいものになった。
最初に幹事をやった時、メンバーが揃っていなかったが、時間が来たので「乾杯の練習」をやった。
今いる人だけで、本番の乾杯の練習と称して、飲み始めるということだ。
それは、前の会社では当たり前だったのだが、後で聞くと「あんなの初めてや」ということだった。
そこでは、宴会というのは、形式張ったもので、若い人たちにとってはどちらかというと「うっとうしい」ものだったような気がする。

その原因の一つは、2度めの職場はいろんな職員がいたからだと思う。
正職員、期限付き職員、派遣、パートなど、いろんな立場の人がいた。
前の会社も今はそういう状態になりつつあるが、2度めの職場はもともとそうだった。
宴会が楽しいのは、酒を飲んで何も気にせず、無礼講で話せることだ。
だから、別に幹事がなにかアトラクションをする必要もない。
それが普通だったのだが、普通ではない職場もある。

いろんな職員がいると、「これは言ってはいけない」ということが増える。
自分が気にしないからといって、他の人も気にしないとは限らないのが難しい。
そんなことで、どうしても全体の宴会は「自由にご歓談を」というわけにはいかなくなったりする。

おまけにコンプライアンスが厳しくなって、「ここだけの話」が宴会ではできなくなったこともあるだろう。
どうしても、ギスギスすることもあると思う。
これはダメ、あれはダメ、こういことは言ってはいけない、などという制約の中で宴会などやっても面白くない、という気持ちもわかる。
だんだんとアメリカ型の社会になってきているのかもしれない。

ぼくの会社時代はもう古き良き時代に入るのだろう。
いずれ昭和の時代、そんなふうに宴会をしていた時期もあった、ということになるのかもしれない。

どんどん、組織が弱くなり、個人の比重が重くなる。
そういう働き方の時代が来る。

こういう時にこそ、老兵は去りゆくのみ、という言葉が似合う。

| | 考えたこと | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
My Way
この頃、アマゾンのプライムミュージックのプレイリストを聞くことが多いのだが、その中でフランク・シナトラの"My Way"が流れた。
あの渋い声で、"Now the end is near…"という歌い出しで始まる。

この曲、日本でも流行ったが、改めて聞くと、この最初の歌詞がすごくインパクトがある。
日本語では「今、船出が近づくそのときに」と歌っていたと思うが、この歌詞はそういう意味ではない。
ちょっと意訳しすぎだろう。

シナトラの歌はさすがに説得力がある。
耳に入ってくるのだ。

ある程度の年齢になった人が、もう終わりは近い、と歌っている。
これは「船出」という感じではない。
どちらかというと、船でいえば目的につくという感じ。
今までぼんやりと聞いていたが、こないだシナトラの歌を聞いて、これは日本のマイウェイとは違うと思った。
オリジナルは歌い出しが、すごく印象に残る。
俺はもう死ぬ、と言っているのに近い。

オリジナルの歌詞は、

And now, the end is near;
And so I face the final curtain.
My friend, I'll say it clear,
I'll state my case, of which I'm certain.
I've lived a life that's full.
I've traveled each and ev'ry highway;
But more, much more than this,
I did it my way.

もう終わりは近い
最後の幕に向かっている
友よ、これははっきり言える
確かな自分の人生を
満ち足りた人生を送ってきたし、いろんな道をすべてたどってきたけれど
そのことよりも、もっと言いたいのは、自分のやり方でやってきたということだ

というような意味だ。
シナトラは50過ぎでこの歌を歌った。
まだまだ終わりは遠かったが、こういう歌だった。

これは臨終に際して、友に告げる歌だ。

人生のほろ苦さ、後悔や失敗、そういうものをすべて飲み込んで、それでも自分の人生は捨てたものではない、ということを歌った歌だ。

日本語の歌詞もよくできているとは思うが、日本語の音節数では本当の意味は歌に盛り込めなかったんだろう。

よくよく歌詞を読んでみると、この歌はなかなか歌えない。
そういう歌だと思う。

この歳になったから、そういうことに気がつくのかもしれない。

このページに対訳が出ています。



| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
地上波の劣化
日曜日の夜の地上波の番組。
呆れたことに、ベッキーとナントカいうゲスの極み乙女のボーカルのニュースを長々とやっている。
ラインの画面を出して、やり取りの内容を出している。
バカバカしいにも程がある。

ニュースというのは、視聴者の知るべきことを選択してマスコミが流すものだ。
悪趣味極まりないと思う。
そんなことは当人と関係者でもめて決めてくれたらいいのだ。
ベッキーのCMがどうなろうが、そんなことは関係者以外にはどうでもいいことだろう。
さすがに落ち目のフジ系列のカンテレがやるだけのことはある。

こんなことを、ここまでして、知らせるべきことだと思っているのだろうか。

国内では社会保障の財源をどうしたらいいのか、若者と老人の世代間格差がどんどん大きくなり、国の借金が予算の10年分になっていて、国外では北朝鮮で水爆実験が行われ、イランとサウジの緊張が高まっているというのに、である。

こんなの、誰も真剣にテレビを見ていない昼過ぎのワイドショーで扱うべきネタではないか。
それをこともあろうにプライムタイムにやっている。
本当に地上波のマスコミの知性は地に落ちた。

大宅壮一がテレビが出てきた時に、一億総白痴化と言った。
1957年のこと。
ほんとに、そうなった。

大宅壮一が生きていて、あの番組を見たら腰を抜かして、テレビをたたき壊していただろう。

ほんとに日本は平和だ。

| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
原油が安い
ありがたいことに、原油の値段が下がっている。
ガソリンも一時はリッター200円に行こうかという勢いだったのに、今や130円を切っている感じ。
日本の経済にとっては、追い風が吹いているといえるだろう。

まあ、ハイブリッド車や小型車の売上が落ちたりする懸念はあるが、エコの意識も上がってきたからさほどでもないと思う。
アメリカの好景気も、原油が安くなったことが一因かもしれない。

プーチンのロシアは苦しいだろう。
ロシアが復活したのは、エネルギー産業が押し上げたのが大きかったんだと思う。
ちょっと前まで石油を売って、外貨を稼いでいたのだが、それが激減したからだ。
1バレル100ドルだったのが、40ドルまで下がったら苦しいのが当たり前。
年間5000億ドルの輸出のうち、半分が飛んでしまったという感じらしい。

きっかけは、シェールオイルなどの新しい石油資源の採掘がアメリカでできるようになってきた、ということだろう。
当初、採掘の技術が必要でコストが高い、と言っていたのが、バレル100ドルなら十分競争できるということで、どんどん採掘が進み、コストが下がった。

それで困ったのがサウジアラビアに代表される従来の産油国。
石油が高いとシェールオイルの開発が進むから、値段を下げようということで、採掘量を増やした。
いったいどれくらいの石油が地下に残っているのかわからないが、とにかく量を増やして値段を下げる、という戦術に出た。
それはISにとっても、収入源が減るということで、打撃になっているらしい。
まあ、従来のアラブの産油国の王族などにとっては、こちらも都合がいい。
ということで、ロシアの空爆もあって、ISの力も弱まっているんだろう。
ロシアは、早くISを潰して、石油の価格を上げたいのかもしれない。
プーチンはKGB出身だし、何でもやりそうだ。

おまけに、今回のサウジとイランの緊張。
これで紛争でも勃発すれば、一気に石油の値段は上がるかもしれない。
ひょっとしたら、KGBが絡んでいるのかも、と思いたくなる。

結局、従来からの産油国であり、採掘コストが安いサウジアラビアが体力勝負に出ている、ということだろう。
地下に眠っている石油がどれだけ残っているか、ということだ。

石油の埋蔵量については、もうピークは過ぎた、という説がある。
石油を掘り始めて、もう80年ほどになる。
限りある資源だとわかっていても、まだまだ大丈夫だと思ってきたが、いつまで持つのだろうという段階だ。

結局、脱石油はいつかはやらないといけないのだろう。
それが、原子力なのか、水素なのか、はたまた再生可能エネルギーなのか、それはわからないが…。

原油が安い間に、先のことを考えてエネルギーをどうするのか、考えておかないといけないなあ…。

| | 考えたこと | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動運転車の仮規制
カリフォルニアでは、グーグルをはじめ、もう自動運転車の販売を視野に入れている企業もある。

そのため、去年の12月に車両管理局は自動運転車の仮規則を発表した。
路上を走る車は、交通法規を守らないといけない。
それをどうするか、という仮規則。

それでは「ドライバーがハンドルを握っているかどうかに関わらず、交通ルールを順守する責任は乗車している人にある」となっている。

結局、自動運転車の問題は、事故を起こした時に誰が責任を取るのか、ということだ。
自動運転車を作った会社が取るということではないぞ、ということを仮規則は示している。
やっぱり、乗っている人に責任がある、ということでなければいけない。
ぼくもそう思う。

となると、自動運転車の最終目標である、運転できない人を車が運ぶというフェーズはまだ無理だということになる。
最初はそれでしかできないだろう。

果たして、最終的には運転免許を持っていない人だけで自動運転車に乗れるようになるだろうか。
それは今の道路状況では無理だろうと思う。
その車が追突したり、人をはねたりした時に誰も責任を取れないだろう。
だから、やっぱり免許を持っているドライバーが責任を取らないといけない。

しかし、レーンを区切って、そこには人が入れないようにして、自動運転車だけにしたら、可能性はある。
自動運転車が普及するためには、道路インフラの改変もついてまわるんだろう。

現状でグーグルが開発している自動運転車には、ハンドルもブレーキもついてないという。
スゴイ自動運転車だ。
人はいっさい運転に関われない。

さすがに、それはダメ、という仮規則。

ほんとに自動車の電子化が加速してきた。
家電のショーにも自動車が出てきて、カーエレクトロニクスがもてはやされている。

パナソニックや日立、ソニーも自動車の部品に参入している。

技術的には車を運転していて居眠りしそうになったら、人工知能が話しかけてくれて、眠気をマシにするおということも可能になった。

要は、いつやるか、ということだ。

そのために仮規則をいち早く作るところが、アメリカだ。
それが、アメリカの好景気を生んでいる。
日本の役所は様子見だろうし、国会議員もそういう立法の必要性を感じていない。

そこを変えないとダメなんだろう。

変えるのは、今でしょ、ということだ。

| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治の仕事
正月、BSでアルツハイマー病の特集をやっていた。

アルツハイマー病は今は生活習慣病と言われているらしい。
同じ生活習慣病である、糖尿病がある人はアルツハイマー病になる確率は2倍になる。
喫煙習慣がある人は3倍、運動習慣がある人は4割減という結果。
(ニコチンが認知症を予防するという話も聞いたことがあるが…。)

ケンブリッジ大学で、アルツハイマー病の研究をしている。
1990年代と2000年代で、各々7500人の高齢者を対象に行なったもの。
増えると思われている認知症が、23%減っていた、という結果。
それは国が行った、脳卒中や心臓病の予防対策がアルツハイマー病にも効いていた、ということらしい。
運動をするとか、血圧を下げるとか…、そういう活動。
医師は血圧を5年間記録すると、ポイントが付くようになった。(お金になるということ)

つまり、治療だけでなく、予防の行為にもインセンティブを与える、というものだ。
同じように、外食業界や食品メーカーとも協力して、減塩を進めたらしい。
医療に頼るのではなく、社会の仕組みを変えて、対応しようとしている。

ここに政治の力がある。
医療費を削減するには、病気を予防することであり、そのためには何をすればいいか、ということだ。
医者に予防に対するインセンティブを与え、食塩の摂取を減らすような法律を作る。
こういう改革にはあまりお金がかからない。
仕組みを作っている法律を変えればいい。

でも、日本ではそういうのはなかなか進まない。
そういう政策に反対する既得権者の扱いが難しい。
例えば、予防に力を入れると病気が減って医師の仕事がなくなるから、病院や医師会は反対する。(あからさまはやらないが)

でも、既得権者が何を言おうと、みんなの為になることをやるのが政治の仕事ではないか。
テレビの健康番組でやっていることはたくさんある。
そういうのを政策に活かすことが、政治家の仕事だろう。

安保や憲法の問題はどうでもいいとは言わないが、実際に実効性があって、確実に世の中を変えていくような政策をやっていかないといけない。
そういう地道な積み重ねが、本当の政治家の仕事だと思う。
国会の中で乱闘したり、ヤジを飛ばしている場合ではない。

2016年はそういう政治に変えていってほしいと思う。

久しぶりにいいことを書いた。



| | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
嫌われる話し方
嫌われる人の話し方、という記事があった。
身につまされるので、紹介する。

1.会話の冒頭に、「でも」「いや」を付けるのがクセになっている
 これは気分が悪い。否定から入るのは、ダメだろう。

2.他人の悪口を言う
 これは反省。

3.自分の話ばかりする、人の話を聞くことができない
 これはよくある。そういう題名の本もあった。
 こういう人は論外。聞くことが基本だ。

4.上から目線でアドバイスをする
 これもよくあるなあ。
 別にアドバイスを求めてないのに言ってしまう人がいる。

5.目をほとんど合わせない
 これはコミュニケーション障害だと思う。
 そうでなければ、よほど話したくないんだろう。

6.話を聞いているときに体を揺らす
 記事には女性に多いと書いてあるが…。
 あまりそういう人を見ないなあ。

7.笑顔がない
 まあ、これもありがちなことだ。
 意識しないといけない。

8.店員に偉そうな態度をとる
 これは人としてどうかと思う。

9.店で大きな声で話す
 これも周りに気を使うことができないということ。
 ある意味、コミュニケーション障害。

10.スマホいじり
 これも論外。話しているときは遠慮するのが常識。

ぼくがよくやるのが、「いや」というのを冒頭につけること。
これは無意識にやっているような気がする。
気をつけないといけない。

それと悪口を言うこと。
でも、これは面白おかしく言っているのでまだマシだと思う…、が言い訳かな。

あとは、ないと思う。
無意識にやっていたら仕方ないが、意識している限りは1と2の2つだけ。
でも、そういえば確かにそういう人はいる。

しかし、嫌われるか嫌われないかは、結局のところ、聞いているか聞いていないかだろう。
聞いていない人は、視線や態度でわかる。

まずはよく聞こう。
| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネット頼り
最近の学校では、宿題を出してやってきた回答に同じものがたくさんあるという。
見せてもらって、写しているのではない。
みんなインターネットで検索して、出てきたものをそのまま書くからだ。

それを先生が「ネットの結果そのままではないか」指摘したら、ある生徒が逆ギレして言ったという。
「ネットには何でも載っているし正しい。なぜ、わざわざ他の手段を使って調べなければならないのか」。
今の大人はネットがないか、まだ普及していないときに育ち、ネット以外の本や資料といったものを知っている。
でも、今の子供はパソコンが普及し、検索技術が進み、ネットのスピードが上がった時代に育っている。だから、何かを調べるとなると、検索ウィンドウにその言葉を入力し、答えを探す。
大人だって、そうするのだ。
子供がやるのは必然だと言える。

だから、「ネットには何でも載っているし正しい」と思っているのだろう。

実際にはネット上には怪しい情報があふれている。
編集者がいて、内容をチェックするというようなことがないところがほとんどだ。
逆に、それがないからこそ、個人が情報を発信できるというメリットがある。
だからこそ、グーグルがあふれるゴミのような情報のなかから、正しいものを検索する仕組みを作って、今や世界有数の企業になった。

あふれるゴミのような情報の時代を知っているか、知らないかが第一のリテラシーだと思う。
グーグルの登場前と言ってもいいだろう。
それを知っている人は、用心深くなる。

だから、複数のサイトを当たって、内容を確認したりする。
上位3つくらいのサイトが同じことを言っていれば、どうもこれは合っているんだなあとわかる。

ぼくはWikipediaをよく利用するが、一番役に立つと思うのは、歌謡曲の歴史とか昔のテレビ番組などの情報。
ポップカルチャーというやつだ。
こういうのは、本当にそれが好きな人が、まとめてくれている。
言葉は悪いが、少々間違っていても、大勢に影響がないようなもの。
いちいち一次情報に当たって調べるのは大変だし、まとめてくれているととても助かる。
だから、依頼が出ていたら毎回寄付をしている。

しかし、学校の課題に出されたものなどを、Wikipediaだけを頼りにして書くのはちょっと、と思う。
誰が書いているか、わからないからだ。(だからといって、信用していないわけではない)

勉強に関しては、本の世界をもうちょっと知らないといけないと思う。
書いた人以外の目を通っているか、ということだ。
本ならば、かならず編集者がいて、内容をチェックしている。
まあ、本でもいい加減なことを書いてあるのもあるが、ネットよりはマシだ。

そういうリテラシーも教えないといけない。
そうでないと、そのうちグーグルが神になるぞ。


| | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分と同じ考え?
本を読んで共感したことを、自分と同じ考えだというのが最近の流行なのだろうか。
そんな風にいう人が多いような気がする。

本の作者は有名な作家であったり、哲学者であったりする。

その思想を文字にする、ということが作者の功績だろう。
それを読んで、自分と同じ考えだというのは、大それた考えだとは思わないのだろうか。
確かに、昔の人がすごい考えを思いついて、それが広まって、知らず知らずに自分もそれと同じことを考えているということはあるだろう。
それでも、それを最初に文字にした人はやっぱりスゴイ人だ。

世の中に新しいことなどない、という人もいる。
何かを思いついても、人類の歴史の中で過去に同じことを思った人は必ずいる、ということだろう。
それはそうだとも思う。
それでも、それを文字にして誰もが考えられような形にして残す、というのは偉業だ。

結果的に、その本を読んだから、それが自分と同じ考えになったんだろう。
ぼんやりとカオスの状態で頭のなかにあることを、はっきりとさせたということだ。
それが書くということの一番大事なことだ。

そこらへんのHow to本なら、書いた人のオリジナルの考えなどないかもしれない。
しかし、有名な哲学者を挙げて、自分と同じ考えだから共感した、というのには驚く。
言うにことかいて、自分の考えが書いてある、という人もいる。

本の値打ちも下がったものだと思う。

なんかオカシイぞ。

これも自己チューの一つかもしれない。

| | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
政教分離
ヨーロッパやアメリカでは政教分離を原則としている。
それは日本も同じだ。
宗教は政治と関係を持たない。
キリスト教や仏教の指導者は、政治の指導者ではない。

でも、アラブの国は違う。政教一致している。
つまり、宗教の指導者が政治の指導者にもなる、ということだ。
その指導者のことを「カリフ」と呼ぶ。

そのカリフを誰にするかというところが、歴史的にシーア派とスンニ派の分かれ目らしい。
シーア派はイスラム教の開祖である、ムハンマドの子孫であるべきだ、と言う意見。
スンニ派はみんなの中から選ぶべきだ、という意見。
よくある、会社のもめ事と同じ図式だろう。
松下電器の社長は松下幸之助の子孫であるべきか、それとも社員の中から選ぶのか、ということだ。
宗教というのは、生き方の問題に関わるから、対立は根が深くなる。

今朝のBSのワールドニュースでは、サウジアラビアとイランの対立がアメリカでもイギリスやフランスでもトップニュースだった。
イランはシーア派、サウジアラビアはスンニ派の代表とされている。
その2つの国が、一人の聖職者の処刑によって、緊張が高まっているのだ。
日本の地上波は相変わらずバラエティをやっていて、つくづく平和な国だと思う。

スンニ派が支配しているサウジアラビアが、サウジにいるシーア派の指導者の死刑を執行したのが事の発端。
これに反発したイラン(シーア派)でサウジアラビア大使館が襲われ、火をつけた。
それで、サウジアラビアがイランとの外交関係を断った、というのが経緯。
サウジはイランの外交関係者に48時間以内に国外退去を求めており、イラン側は外交関係を断っても、シーア派の指導者の処刑をしたという過ちは消えない、と言っている。

ややこしいのは、アラブの国々は国ごとにどちらかの派が集まっているのではないことだ。
シーア派はイランで政権を取っているが、他の国々はスンニ派が政権を取っている。
国によってはシーア派の方が人口が多いのに、それでもスンニ派が政治的には優位になっているということらしい。
宗教の派閥の分布と、国境が一致していないのも国内、国外で問題が起きる一因。
その国境の設定には、西側の国々が絡んでいる。

こんなふうに、インターネットには調べようと思ったら、いくらでも記事がある。
これもここを見て書いた。

こういうのを見ると、政教分離というのは大事だと思う。
日本でも昔は仏教が力を持った時期があったが、織田信長あたりから、寺が政治的な勢力を持つのを徹底的に叩くようになった。
それ以降、宗教の指導者が政権に近づいたことはないと思う。(創価学会はあるが)

キリスト教の国々も、歴史的にエライ目にあって、政教分離を進めてきて今の姿になったのだろう。
近代国家というのはそういうものだ。
でも、何が近代的か、というところから問われているのだから、根は深い。
日本人にはあまり理解できないが、政教一致こそがあるべき姿だ、という理屈にも一理はあるとは思う。

この問題、21世紀中に解決するんだろうか。

| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
ストリーミングサービス
ストリーミングで音楽を聞く人が増えているという。
特に海外では多いらしい。

曲はデーターになり、クラウド上にあればそれをいつでも聞ける、というのがストリーミングサービス。
アマゾンならアマゾンプライムの会員になっていれば、それだけで利用できる。
ぼくは、いつの間にかアマゾンプライムの会員になっていたらしく、プライムストリーミングサービスが利用できる。
Prime Musicというサービスだ。
年額3900円で利用できるから、月に300円ちょっと。
もともとのプライム会員のサービスである、配達が早くなるというサービスについてくる。
曲数は100万曲。

グーグル、アップルも同様のサービスをやっているが、曲数は少ない。
それでも、100万曲はスゴイ。
1曲3.5分としても、全部聞くのに徹夜で5年以上かかる。

こうなってくると、音楽はパソコンやスマホで聞くもの、という感じになる。
従来のステレオみたいに、CDやレコードを聞くもの、というものでなくなってくるだろう。
パソコンにつなぐ、専用のオーディオが出てきている。

ストリーミングとは、ネットから流されるものを聞くわけだから、自分で所有できない。
しかし、先進国ではインフラが整い、大容量の光ケーブル等があるから、それで困らない。
聞くための機械もスマホやパソコンがある。

著作料は1曲あたりはかなり安くなる。
曲を所有するのではなく、借りて聞くという位置づけで、おのおの1回限りだから安く計算されるのだろう。
1ストリーミングあたり、0.1円〜0.4円程度の値になるらしい。
ストリーミングの総売上の何%かを分けるというような契約もあるらしい。
そのあたりは、ノウハウがあるのだろう。
でも、アルバムを売るのと同じ以上の儲けがないと、契約しないだろうと思う。
それに、聞いてCDが欲しくなるという効果もあるかもしれない。
リスナーがCDプレーヤーを持っていればの話だが。

今朝からビートルズの曲がストリーミングされ始めた。
クリスマスプレゼントだ。

音楽がデーター化していくのは世の流れだろう。
関係者にお金がちゃんと回ればいいのだが…。

しかし、これは便利。
ネットに常時つないでいないといけないという制約はあるが、これは中年には広まると思う。
懐かしい洋楽がたくさんあるからだ。

ストリーミングサービス、今年はブレイクするぞ。

| | 考えたこと | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
老若歌合戦
紅白歌合戦は女性と男性の合戦だが、もう男女はややこしい。
男や女という分け方はもう面白みもない。
仕事では性差もなくなってきたし、機会均等だ。

一方、今の一番の問題は世代間の格差。
富める高齢者と貧しい若者たち。
その合戦にしたらいいのだ。

年金をもらう年齢の人と、年金を払う年齢の人で組分けだ。
年寄り組は演歌が半分になるか。
しかし、今で言うJ-POPの大御所もたくさんいる。
宇崎竜童、小田和正、泉谷しげる、吉田拓郎、森山良子、高橋真梨子、中島みゆきなど、出てもらえばいい。
若い方はジャニーズ、エクザイル、AKBで決まり。
それに、ゲスの極み乙女やセカイノオワリなど。

きっと視聴率は上がる。
今のAKBやジャニーズのファンに加えて、年寄りも大御所のファンが見るから稼げるだろう。
何より、真剣味が増す。

年寄りは若者には負けたくないという意地があるし、若者は年寄りに勝ちたいと思うだろう。
ただでさえ、若者は高齢者からお金を取られて、苦しい生活を強いられている。(それがわかっていない若者もいるが…)

一億総活躍社会とやらも、鍵は介護と雇用だ。
雇用の仕組みを変えて、社会保障費を削るという大手術をして、若者にお金を回さないといけない。
そういう問題意識を若者に持ってもらうためにも、紅白を老若に変えるべきだと思う。

いつの世も若者は老人を越えていくべきものだ。

いい考えだと思うのだが…。

| | 考えたこと | 19:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ユニットバイアス
認知の歪を利用して商売する、というと何となく悪事をはたらくようなイメージになるが、意外と身近でそういうことが行われている。

最近、イタリア料理などでワインを頼むと、やたら大きなグラスに入って出てくることがある。
これも認知の歪みを利用している一例らしい。
ケンブリッジの人がウォール・ストリート・ジャーナルに記事を書いている。

調査の結果によると、大きなグラスで出されると、飲む量が多くなるらしい。
大きなグラスで出すと、9%販売量が増えたという結果。
確かに大きなグラスで出されると、全体のグラスの容積が大きいからちょっとしか飲んでいないような気になる。
そういうふうに脳が認識を歪めるということだ。
簡単に言うと、騙されるということになる。
これをユニットバイアスというらしい。

単位あたりの比率で考えるから、ユニットなんだろう。

このバイアスを使って、店側はたくさん売るにはどうしたらいいか、ということを考えるし、研究者の側は食品の消費を抑えるにはどうしたらいいか、ということを考えている。

長らく経済学は人間を合理的な行動をするもの、と考えてきたが、それでは説明できないことが増えてきた。
そこで、行動経済学ができて、そこで使われるのが認知バイアスという言葉。
ぼくらは合理的に行動していると思っていても、脳は簡単にだまされる。
そういうことがわかってきて、いろんなところで応用されている。

イタリアンレストランでは、知らぬ間にワインをもう一杯頼んでいるかもしれない。

この認知バイアスというのも、広まってしまえば、防ぐことができるんだろうか。
小学校で、人間の脳はこういうふうに騙されます、という事例を教え込めば、ちょっとは防げるようになるんだろうか。

ぼちぼち、そういうことを教えてもいいような気がする。
それだけ、認知の研究は進んでいる。

残念ながら、日本ではあまり進んでいないが…。

今年もよろしくお願いします。


| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |