考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< July 2006 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
仕上げは?
飲みに行ったら、どうしてもご飯(お米)を食べないことが多い。
人によって、最後の仕上げというのが違う。

飲み続けの人もいるし、ラーメンを食べに行こうという人、牛丼の人、コーヒーを飲みたい人…。

僕はやっぱりご飯である。
お茶漬けがベストか。
鮭茶漬け、梅干し茶漬けなど。

漬け物でさっと食べるのもよいし、永谷園のお茶づけ海苔でもよい。

とにかく、仕上げにはご飯を食べないとダメだ。

なすびやキュウリの漬け物、塩昆布などは、すばらしい食べ物だと思う。
日本人に生まれてよかった…という思いを抱かずにはいられない。

塩分が少しくらい多くても、どうでもいいのだ。

人間、生まれて初めての食べ物というのは、ほぼ決まっている。
最初から、自分の好みは言えないし、生物の特性上、どうしようもない。

しかし、最後の食べ物というのは、バラバラである。
残念ながら、これが最後の食べ物ですよ、という指示が神さまからあるわけではないので、最後の時に、「あ、しまった。こんなことならあれを食べておけばよかった…」などと後悔することになるだろう。
そもそも、最後近くになって、それほど食欲があるのか…という問題はあるが。

そういうことを度外視して、選べるとしたら「あっさり、お茶漬けで…」といきたい。

鮭にしようか、梅干しか、それともキュウリの漬け物で…ここは迷うが、仕上げはやっぱりお茶漬けである。



| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
フロイト
会社に入ってから、通勤時間に、電車の中でフロイトの精神分析入門と夢判断を読んだ。

刺激的な本だった。
何でも性的なものと結びつけるのには辟易としたが、意識と無意識、自我と超自我、エスやリビドーというような心の中を層別するような概念は非常に興味深く、面白かった。

20世紀最大の発見の一つが、「無意識」というものであり、フロイト以降色々な人が色々な事を言ったが、この無意識の発見というものがその後の心理学の発展の最大の要因であったと思う。

それ以前は、無意識というものはなかったのだ。

今でこそ、無意識というものがあって、自分の意識の知らないところで、いろんなことを考えているというのは当たり前だが…。

もしも、無意識というものがないとしたら、人間はすごく薄っぺらなものになってしまうような気がするほど、現代の人間は「無意識」というものを意識していると思う。

何かおかしな事をしてしまったとき、ひょっとしたら、無意識ではこんなふうに思っていたのではないか…というようなことを考えたりする。
誰かが言い間違いをしたら、無意識がでたのではないか…と言ったりする。

無意識というものは、一般的には意識の下に閉じこめられたもやもやした気持ち、という感じであり、どちらかというとヨクナイもののようなイメージが強い。

しかし、いい考えを得るためには、いったん意識の上で考えるのをやめて、無意識に考えさせる時間を作らないといけない…というようなことも言われる。

結局のところ、無意識というものが本当にあるのかどうか、存在を確かめることはできないが、それがあると思えるから、心の中が豊かになっていると思う。

自分でわかっている意識の内側に、広大な無意識が広がっている…。

そんな人間観を与えてくれた、フロイトに感謝。

彼がいなかったら、心の中は狭いままだったかもしれない。



| | 考えたこと | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
新書MAP
仕事で、国立情報学研究所というところが出した本を見ていたら、面白いサイトがあった。

国立情報学研究所が、GETAという連想計算ソフトを作ったらしい。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20050930/222016/
によると、

GETA(Generic Engine for Transposable Association)は,どの文書にどの単語が何回出現するというような,文書や単語の類似度などを計算するソフトウエア。
連想検索や文書の分類などのサポートを目的とする。情報処理振興事業協会(IPA)が実施した「独創的情報技術育成事業」により開発された …らしい。


国立情報学研究所というところは、国が作った、情報・システム研究機構である。
年間240億くらい使っている。

前置きが長くなったが、国立情報学研究所が作ったそのGETAという連想計算ソフトを使って、新書の検索をするサイトがある。
もともと研究的に作られたサイトのようだが、今はNPO化して毎月新刊書のデーターが入っていくらしい。
今のところ、2006年6月末までに発行された本が対象。

http://shinshomap.info

たとえば、ここで「言葉」というキーワードで検索すると、色々なキーワードが出てくる。
その中から面白そうなキーワードをクリックすれば、本の紹介のページになる。

「名言」というキーワードをクリックすると…

日本史に刻まれた最期の言葉
日本人の遺
歴史を動かした名言
世界ことわざ名言辞典
中国名言紀行 : 中原の大地と人語
四〇〇〇年を学ぶ中国名言読本
中国古典名言事典
英語の名句・名言
聖書の名句・名言
旧約聖書名言集
新約聖書名言集
人生に効く!話芸のきまり文句
シェイクスピア劇の名台詞
日本の名句・名言
日本の名著名言事典
人生に関する439の名言
男と女に関する425の名言
シェイクスピア名言集
座右のゲーテ : 壁に突き当たったとき開く本
翼のある言葉
すごい言葉 : 実践的名句323選
失敗を恐れない人生術 : 名言で知る二〇〇の法則
危ない格言
囲碁・将棋100の金言

いきなり、24冊の新書が出てきた。
本の題名をクリックすると、内容の要約は出てくるし、本の写真も出てくる。
これは便利だ。

入力したキーワードに関連するキーワードも表示される。

キーワードをちりばめて、クルクル回るアニメーションも良くできている。

こんなサイトができると、本屋さんも困るだろう。
実際に手に取ることこそできないが、本の表紙の写真や内容の要約、目次などが次々にわかる。
おまけに、本棚に新書が並んで立っているという仮想本棚のイメージまであるのだ。
本屋に行かなくても、自分の興味のありそうな本が見つかる可能性は高い。
(僕は本屋に行く派だが…)

残念ながら新書だけで、ミステリや小説はない。
でも、税金を使って作ったものだから、こういうのを使って、自分の出した分を取り返すのはいいことだろう。

一度、お試し下さい。
| | 考えたこと | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
”いつか”はあるのか?
二十代から三十代にかけて、ずっとギターの月刊誌を買っていた。
当時、シンセサイザーにも興味があったので、時々、キーボードマガジンも買っていた。
軽い楽器オタクだったと思う。

何度か、東京で開催される楽器フェアにも行ったことがある。
当時は武道館のとなりにある科学技術館というところでやっていた。
1回目は自費で、2回目は出張の帰りに寄った。
1980年代のことだ。

毎年12冊ずつ、増えていく。
置き場所の問題もあり、何年かに一度、スクラップをして、本は捨てていた。

それらをクリアファイルに入れたものが何冊かある。

フォークギターのピッキングや、エレキギターの奏法の特集、バンドピース、ソロのピース、ギターの歴史やチューニングの方法論、楽典の入門みたいなものなど…、毎月連載のものは、まとめて入れたりしていた。

まるごと捨てるのにはしのびなく、せめて取っておきたい記事だけでも…ということで、スクラップブックを作った。

”いつか”これが役に立つ、と思っていた。

もうスクラップブックを作ってからほぼ15年たつ。

こないだ、長男がギターを弾きはじめたので、教則本代わりにスクラップした記事を持ち出したが、古びて褐色になった切り抜きではやる気にならないらしい。
そうやろなあ。今の人は今の曲で練習したいだろう。

古い記事を見ると、役に立つことが書いてあるとは思うが…。
”いつか”役に立つと思っていたが、”いつか”ははたしてあるのか…。

スクラップブックの他にも、キャグニー&レイシー、ビバリーヒルズ90210などのビデオもある。
これも、”いつか”また見ようと思っていたのだが、”いつか”が来るのかどうか、わからなくなってきた。

いつかは、”いつか”をあきらめないといけない、と思う。

そのうち、捨てるしかない。




| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
北海道のこと2
二十数年前、冬の北海道で氷盤作りをやったことがある。
スケートリンクのような、きれいな氷の面を作る、という仕事である。

地元の業者さんにお願いして、土台のところと、だいたいの氷盤面は作ってもらっていた。
僕らがやるのは、仕上げの部分だ。

50メートルプールより広い氷盤を作るのだ。
きれいな氷盤を作るためには、気温がかなり低い時に水を撒かないといけない。

したがって、仕事は夜になる。十数人のチームだったので、夜の8時頃行く班と、夜中に行く班に分かれる。

河川敷に氷盤の土台はあった。

まず、川にホースを入れて、ポンプのエンジンをかけ、水を汲み上げて、数十メートル離れたところまでホースで水を送り、そこで水を撒く。

ポンプのエンジンが水撒きをしている途中で止まってしまうと、ホースの中の水が一瞬で凍ってしまい、ホースが使えなくなる。
だから、ポンプのスタート係は重要な役目である。失敗すると、数時間かけてホースを温めて乾かさないといけなくなる。
動いている水は凍らないが、止まるとすぐに凍るのだ。

飲み屋で地元の人に、夜中に外でホースを使って水撒きをする、というと、びっくりされる。(散水車ならあり得る)
北海道では夜中に外に出て仕事などしない…と言われる。
ましてや、河川敷で水撒きをするなどというのは論外である。

氷盤作りの水撒きは、先端の放水口を持つ係と、その後ろに10人ほどホースを持つ係や、余ったホースを取り回す係などがいる。
放水口を持つ係は10分程度で交代する。
冷たくて、持っていられないのだ。
もちろん、軍手の上にスキー用の手袋をして、キッチン用のゴム手袋をはめる、という重装備でのぞむのだが、マイナス15度とかマイナス20度というような外気温で水を扱うのだからどうにもならない。

10分ほど放水口を持っていると、手のカタチが放水口を持つ形になってしまい、手を離しても、その形からしばらくは動かせない。

ホースと放水口のつなぎ目に隙間があって、チョロチョロ水が出ていたりすると、大変だ。
水がついたところがすぐに凍る。
服に水が付くと、その部分が板みたいになる。剣道の胴着をつけているようなものだ。

それでも、いいこともある。
車のヘッドライトをつけて、水撒きしているところを照らすのだが、空中で水滴が凍って、すごくきれいに見える。
ダイヤモンドダストではないが、そんなきれいな光景が見られる。

こんなこと、したことがある人はめったにいない。

済んでしまえば、よかったと思う…その代表的なものがこれだった。


| | 考えたこと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
強いと上手い
女子テニスのシャラポワのファンである。

あの強力なフォアハンドのストロークはすごい。
闘志むき出しで声を出してプレイするところもイイと思う。

しかし、テニスをやっている息子に言わせると、シャラポワは下手だという。
こんな選手が勝つと面白くないらしい。

それでも、去年のウィンブルドンで優勝したではないか、というと、あのような選手が優勝するのはヨクナイ事だという。

プロのスポーツで優勝するのは強いからであり、シャラポワはきっと筋トレなどをして身体を鍛え、あのストロークを打てるようになったから、勝てるのだ。強いものが勝つ、それがスポーツではないかというと、強いということと上手いということは違うという。

何でも、今はラケットが進化し、ネットに出たりするというような駆け引きがあまりできなくなったとのこと。
木のラケットの頃は、もっと頭脳的な作戦にのっとったテニスができたようである。
それは、古いプロのプレーヤー(マッケンロー)も言っているらしい。

それはそれ、規則の許す範囲でなら、何をやっても勝つのがプロであり、強ければいいのだ、というとそれは面白くないという。

結局は負け犬の遠吠えではないか…ということにしたのだが、気持ちはわかる。

強いと上手いは違う、というとそうかもしれない。

玄人好みというと、ちょっとニュアンスが違うが、落語でもバカ受けはしないが、よく知っている客には人気のある噺家というのはいる。
シブイ、というヤツか。

強いものが勝つ、上手いものが勝つとは限らない。

たしか、ジーコ監督が退任の挨拶でそんな意味の事を言っていた。
芸術的なサッカーを、力のサッカーが凌駕する時代が来た…。

できれば、上手いものが強いものに勝ってほしいとは思う。

それでも、素人には、シャラポワのストロークは芸術的に見えるから、それでいいのだ。


| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
北海道のこと
20代の頃は、毎年冬に北海道に行っていた。
もちろん、仕事である。

行った先では車に乗るので、北海道というと、冬、そして車、という連想になる。

現地の人があきれるのだが、一日外で仕事をする。
とにかく、寒い。

工業団地や河川敷など、だいたい吹きさらしの場所が多かった。

一度、帯広の住宅公園みたいなところで仕事をした時、あまりに寒くて、昼にファミリーレストランで食事をした後、パフェを頼んで食べたら、やたらおいしくて、ペロッと食べられた。
甘いものを食べると、昼から、寒さに耐える元気が出るのだ。
本当に身体の中から温めるという感じ。
それも、そうだろう。一日マイナス10度以下のところに立っているのだ。

「これは、効く」ということになると、十数人のオトナが、食事が終わると、パフェを食べ始めた。
中には、どうしても甘いものはダメ、という人もいたが、寒いと身体が甘いものを欲することがわかり、食べざるを得なくなる。

異様な光景だろう。
異常に厚着した団体がドヤドヤと来て、思い切り食べて、そのあとパフェを頼んでいる…。
(北海道の人は、冬は薄着である。室内が暖かいのだ。)

冬山に登る時には、板チョコを持って…というのは、本当である。
寒さに耐えるには、甘いものが一番だ。

仕事が終わって、夕方帰る時には、いつもラジオで、「ベストテン北海道」という番組を聞いた。
他にも民放があったと思うのだが、どういうわけか、北海道放送(HBC)のベストテン北海道だった。

あまり色気のない番組で、男性のアナウンサーが、「ベストテ〜ン、ほっか〜いどう」というのが、随所に入る。

今でもやっているのだろうか…。妙にあの抑揚が懐かしい。

夜は、飲みに出る。
飲み屋に行って、ビールを頼むと、冷蔵庫から出してくる。
何度か行くと、お店の人と顔なじみになる。関西弁だから、めずらしいのだろう。

「冷蔵庫に入れておかなくても、外に出しといたらええやん」というと、
「外に出したら、凍って割れてしまうから、冷蔵庫に入れて温めてる」という返事。

なるほど、温めるために、冷蔵庫を使うのか…と驚いた。

札幌のラーメンはおいしかったし、ホッケやキンキ、イカそうめん、とうもろこし、男爵いも…どれもおいしかった。
(安いものしか食べていない…)
千歳で食べた、イクラ丼もおいしかった。

ということで、冬の北海道は素晴らしい。
シンドイ仕事ばかりだったが、楽しかった。

結局、夏の北海道には行ったことがないが、北海道は冬がいい、と勝手に思っている。



| | 考えたこと | 01:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
本題に入る前に
言いにくい頼み事がある時は、事前に色々と考える。
どう言ったら、引き受けてくれるか…。
もっていき方によっては、断られるし、うまくすれば引き受けてもらえる…そんな状況はよくある。

まず、周辺のハナシから始めて、だんだんと本題に入っていくか、それとも、単刀直入に本題を言ってから周辺のハナシでフォローするか、作戦は相手によって変わる。

こういう時は、電話やメールではダメだ。直接会って話さないと。

事前に席が近い人に電話をして、機嫌が良さそうかどうか聞いたりするのも大事である。
機嫌が悪い時は、やめておくに限る。

したがって、ギリギリまで言わないのはよくない。
時間の余裕がないと、機嫌の良い時を狙う、というような芸当はできない。

ただ、こんなハナシは、せっぱ詰まって突然出てくることが多いのも事実だが…。

以前、イギリス人とそんな話をしていると、言われたことがある。

そういう時には、まず部屋に行って、関係ない話をいくつかする。

スポーツの話題とか、家族のこととか、趣味とか、共通のものがなければ、仕方ないので天気とか…。

絶対にいきなり本題のハナシをしてはいけない、とのこと。

いくつか関係ない話をして、相手との距離を詰めておいて、それから言うのが礼儀だそうだ。
これを守るのが、当たり前とのこと。

いかにもイギリス人らしい話だと思う。

どんなに忙しくても、ティータイムにお茶を飲んで、だべる。

今では日本でも、「お茶する」という動詞が生まれたが、これはお茶を飲みながら、おはなしするということであり、イギリスのティータイムみたいなものだと思う。

アメリカ人のように、コーヒーをバカでかいマグに入れて、午前中ちびちび飲みながら働くのではなく、時間を決めて、一斉に手を止めて、どこかに集まって紅茶を飲みながら話をする…。

そういう文化の中から、本題に入る前に、世間話をするという習慣が生まれたのだろう。

イギリスは、島国なのに、どうしてせせこましくないのだろうか。
いつもバタバタしている我々から見ると、余裕があるように思える。

本題に入る前に、世間話…これは見習うべき習慣だと思う。

この世間話の時に、笑いでも取れれば、交渉は半分成功したようなものだろう。

交渉ごとの時には、思い出してください。


| | 考えたこと | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
通販カタログ
時々、通販のカタログを送ってくる。
面白いグッズが載っている本だ。
半年に一回くらい来る。

こないだ来たのを見ていたら、ホントに面白いのがあった。

最初に目につくのは、氷。
南極の氷を売っている。
本当に南極の氷を取ってきたのだろうか…。
値段は結構高い。

3時間まわるコマというのもあった。
すごいとは思うが、見ているのも大変だ。

モデルガンは、少し心が動く。
精巧なのを買って、分解したり、組み立てたりできたらいいと思う。
でも、最近は競技用の実際に弾の出るものばかりになった。

喋る地球儀というのもある。
国のところをおさえると、データーを言ってくれるらしい。

一番感心したのが、宝くじ当選予想機である。
3万8千円だから、結構な値段である。
ナンバーズとか、ロトとかのクジの番号を決めるものらしい。

宣伝文句がスゴイ。

第1回からの当選データを元に分析するデータベース搭載
最新版コンピュータが可能にした圧倒的当選能力! 

高性能コンピューターによる過去当選データの精密な解析プログラムと完成度100%のソフトウェアの相乗効果によって高的中率を叩き出し、圧倒的当選能力を誇る最新版宝くじ予想マシンが遂に登場! 最新ハードによる高速データ処理能力と、開発に2年を要したソフトウェアに搭載された初回からの全当選データを元に、予想したい直前の結果データを全て入力することで、今までに類を見ない当選確率を導き出せるのです。今までのような運やカンに任せて宝くじを購入していてはまさにお金のムダ。最新鋭の技術を集結したこのスーパーマシンで、当選確率の高いくじを導き出し、大金を手に入れるのも夢ではありません。

ということらしい。

これを買えば、いくらでも当たるなあ、と息子と話していたが、さすがに世の中そんなに甘くない、と思うのは同じだった。

開発に2年かかった、ということは、過去2年の当たりのデーターを入れているのか…。

これを買って、宝くじを当てよう、という人もいるのだろう。

実際、当選番号に偏りがあるなら、妥当性のある機械だとは思う。
しかし、普通は当選番号に偏りはないだろうし、あればおかしい。

夢を買う機械、ということになるのか…。

3万8千円はちょっと高いような気がする。



| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
サングラス
20歳の時に初めてサングラスを買った。

当時、サングラスというと、たれ目のカタチのものが流行だった。

レンズは緑で、金色のフレーム…やっぱりレイバンだ。

1976年。ガロの3人組もたれ目のサングラスだった。
松田勇作や原田芳男なんかもたれ目のサングラスだったと思う。

調べてみると、あのカタチは、ティアドロップというらしい。
今でも作っているが、「クラシック」という名前がついていた。

http://store.yahoo.co.jp/meganetop/371-3214-00471.html

今でも同じだと思うが、サングラスというのは、オトナの象徴だった。
小学校の頃は、「黒メガネ」というような言い方をしていた。

黒メガネをかけているのは「悪者」と決まっていたから、サングラスをかける、というのはちょっと不良っぽい感じが心の中に残っていたと思う。
月光仮面などに出てくる悪者などは、黒いスーツに黒いネクタイ、黒メガネで、外に出たらすぐ捕まる、という格好だった。
初代の仮面ライダーあたりまでは、それがステレオタイプだったと思う。

それはさておき、ティーンエージャーからオトナになるという感覚が、少なくとも「サングラスを買う」という行為にはあった。

友人のO君と三宮に行き、センター街をうろついて、レイバンの緑のサングラスを買った。
定価の半額以下だった。

29年前の今ごろだった。
レイバンのサングラスをかけて、ぎこちなく歩いていたハズだ。

今はマトリックスの黒メガネやイチローのスポーツタイプのサングラスもあるし、必ずしも「悪者」がサングラスをかける、という時代ではなくなった。

でも、あの頃は緑のたれ目のサングラスをかけると、何となくオトナのワルになったような、ちょっと背伸びした気分になったものだ


変身願望だったかもしれない。

今、サングラスをかけている若い人が減ったと思う。
今の若い人の変身願望は、ピアスや髪の色やずらしたズボンになったのか…。

70年代の変身願望はかわいらしいものだった。

初めてサングラスをかけた時の、ちょっぴりウキウキした気持ちは今でも覚えている。

今や実用品であり、単なるオシャレの小物になった感のあるサングラスだが、僕にはまだ少し思い入れがある。

なつかしい、ちょっとビターな感覚…。

今の中年のみなさんは、サングラスというと、そんな感じではないですか?


| | 考えたこと | 11:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
帰り道に凍っている
釧路のことを書いて、思い出した。

釧路は海に面していて、釧路港は漁港としてすごく活気があった。
11月の釧路港は海からすごく冷たい風が吹いている。

市内にはブロンズ像が建っている橋があった。
調べてみると、幣舞橋(ぬさまいばし)という橋。
http://www.kushiro-kankou.or.jp/sightseeing/02.htmlここに出ています。
きれいな橋だった。

実習での寝泊まりは下宿。
おばさんが、夕食を作ってくれて、食べさせてもらうというところ。
四畳半一間だった。

とにかく、寒い。

夜は近くの銭湯に行く。
寒くて、どうしてもおしっこが近くなる。

我慢できずに、銭湯に行く時に電信柱の影でたちションをした。

冬の北海道では、すごい湯気が上がる。
それだけ外気温と体温の差が大きい、ということだ。

銭湯につかって、帰り道に電信柱の影を見ると、凍っていた。

それだけのハナシ。

冬の北海道は厳しいけど、楽しかった。

その後、毎年冬に北海道に仕事で行くことになるとは思わなかった。

また、この事は続編で…。


| | 考えたこと | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
校歌
中学一年の次男が、明日は音楽の試験だという。
一学期は何をやったのか?と聞いたら、校歌の練習をしたらしい。
そしたら、歌詞のテストがあるのではないか?というと、「そういえば、そんなことを言っていた…」とのこと。
いい加減なところは誰に似たのか…。

校歌、というと一番よく覚えているのは小学校の校歌。
中学や高校は3年間だったが、小学校は6年間だったからか、よくおぼえている。
とはいうものの、二番、三番になると思い出せない。

幸い、小学校は地震で潰れたりしたものの、まだあるので、ホームページを見てみたら、歌詞が載っていた。
歌詞のページに入ると同時に、懐かしいピアノ伴奏で、歌まで流れてきた…。

神戸市立本山第二小学校 校   歌
作詞   竹中  郁
作曲   八木 真平

1. はばたくわれらは 元気なわれら
   胸をはって    光をあびて
   世界のひびきを  聞きとるわれら
   ひらいた窓に   吹きこむ風を
   まなこそそいで  聞きとるわれら

2. 朝にあつまる    足音は
   ひとつになって   すすみゆく
   行く手の山も    行く手の海も
   手と手とつないで  こえていく

3. わきたつわれらは   元気なわれら
   清くすんで      せせらぎたてて
   世界の流れを     行き行くわれら
   うかべた雲は     すがたのままに
   こころそそいで    見つめるわれら

(昭和28年制定)

昭和28年制定か…。僕が生まれる4年前である。
これから、日本が高度成長していく、その兆しがあったんだろうか、すごく前向きな歌詞だ。

「胸をはって、光をあびて、世界のひびきを 聞きとるわれら」である。
この当時にしたら、きっとモダンな歌だったんだろう。
2番は、メロディが違うのだ。文字数が少ないから、歌詞を見てもわかる。

中学校の校歌はまったく思い出せない。
WEBで調べていたら、本山中学の校歌が出てきて、ろくろを回すとか、陶工とか、何でかな…、と思ってよく見たら瀬戸市立本山中学だった。
すぐにオカシイとわからないくらい忘れている。

小学校の頃は、まだまだ素直だったから、大きな声で歌ったことを思い出す。
小運動会、大運動会、音楽会、学芸会…。ことあるごとに歌った(当たり前か)。

6歳から12歳で歌った記憶はまだまだ消えない。
いい歌だったと思う。

こういう、韻を踏んだ歌、いいですね。

小学校の校歌、おぼえていますか?



| | 考えたこと | 23:14 | comments(2) | trackbacks(0) |
釧路
昭和54年の11月、生まれて初めて飛行機に乗った。

会社の販売応援で1ヶ月北海道に行ったのだ。
北海道も初めてで、初めてづくしだった。

新入社員で北海道に行ったのが3人。

飛行機で並んで座って、初めて浮いた時のことは今でも目に浮かぶ。
ジャンボの小さな窓から、滑走路のアスファルトが離れていって、伊丹の市街地が見えた。
飛行機に乗ると、アメやジュースがもらえる…ということにもびっくりした。

千歳に着いて、一日札幌で泊まり、次の日に函館、旭川、釧路に別れて移動した。

釧路の営業所に行って、挨拶したら、営業所のドアの横に発泡スチロールの箱いっぱいの、ゆでたカニがあった。
驚いて、これ、カニですか?と当たり前のことを聞いたら、花咲ガニという種類のカニで、お得意さんがくれたとのこと。
欲しかったら、持って帰っていいと言われ、ビニール袋に入れて下宿に持って帰った。

塩ゆでで、すごくおいしかった。
さすが、釧路やな…と感心したのが初日。

7人所帯の営業所だった。
所長、主任、営業が2人、配達が2人、庶務が1人。

営業の若手のKさんが僕のお守り役になって、行き帰りの送迎をしてくれた。
当時、新婚で、すごくきれいな奥さんを紹介されたことを思い出す。
Kさんにはお世話になった。色々連れていってもらい、楽しかった。

販売応援といっても、新入社員の研修を兼ねたもので、受け入れる営業所にとっては足手まといの部分もあったろう。

売っていたのはタイヤ。初雪が降ると急に交換が増える。そのための応援だった。

初雪に備えて、倉庫に在庫を増やしていく。
その倉庫整理が主な仕事だった。

仕事の合間に、配達の若い人と倉庫の入り口に座り込んで話したり、キャッチボールをした。

いよいよ、雪が近くなり、大量に品物が着いて、みんなで遅くまで倉庫の整理をした。
その時に、主任が「男たちの旅路」を録画しておいて…と家に電話していたのは、前に書いた。

整理が終わって、へとへとになって、差し入れのジュースを飲んでいると、みんなが、「あー、こわいなぁ」「こわい、こわい」という。
キョトンとしていたら、Kさんが、「こわい、はわからないか?」と聞いたので、「何かおそろしいものでもあるんですか?」と聞いたら、笑われた。

配達の若い人が、「こわい、は疲れたという意味だ」という。

「関西では、しんどい、と言います」というと、みんな、使いはしないが、「しんどい」という関西弁は知っていて、「しんどい」、「しんどい」と口々に言った。
アクセントのおかしいところを、なおしたりして、うす暗い倉庫の片隅で笑いあったことを思い出す。

しんどいことを、こわい、と言うんや…と本当にビックリした。

他にも、厳しいことを、「ゆるくない」と言ったり、語尾に「べ」が付いたり、生まれて初めて関西以外のところで長く過ごし、楽しかった。
「この仕事も、ゆるくないべ…」

みんな親切だった。

初雪は日曜日に降って、「行きます」と電話したら、Kさんに「おまえは休んどけ」と言われ、一番忙しい日に応援できなかった。
営業所にしたら、わけのわからないヤツがチョロチョロしたら危ない…ということが、今ならわかる。

営業所から帰る時に記念写真を撮ったはずだが、どこかにいってしまった。

Kさんとはその後ずっと年賀状のやり取りをしていて、一度だけ神戸で会った。
もう15年以上前だろう。
根室で所長になった…たしか、そんなことだったと思う。

それから数年して、喪中欠礼のハガキが届いた。
奥さんからだった。

時間軸の上を人生という曲線がミミズのようにウロウロしている。
僕の曲線とKさんの曲線は昭和54年の11月にぶつかって、重なり、そして離れていった。
片方の曲線は途切れて、もう片方はまだ動いている。

その片方の線も、いつかは切れる。

人生は、不思議なものだと思う。



| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
1枚のDVD
たしか、僕のたからものという歌があったと思うのだが…。
いや、違う。僕の贈り物だった。オフコースの1枚目のLPに入っていた。

そんなことはおいといて…2年前の12月にある宴会に出て、その後に宴会の様子をDVDに入れたものをもらった。

Nさんというマメな先輩がいて(この人は国外に行ってしまったが…)、その人が編集して、作ってくれた。
そのDVDが僕のたからものになった。

20代の後半まで、どこかに行ったら、写真を撮って、記念に残さないと…と思うタイプだったが、30代になってあまりこだわらなくなった。
絵よりも文で残そう、という気は強くなったかもしれない。

でも、このDVDは別格だ。47歳の自分とその当時の仲間が切りとられて、閉じこめられている。

小田和正の「風の坂道」がBGMで入っている。

その当時よく歌った歌だ。

パソコンの横にいつもそれは置いてあって、時々見る。
「風の坂道」が流れる。

 こうしてこの時が 続けばと願ってから
 人生はやがて たしかに終わると感じた

というフレーズが印象的な曲だ。
この部分に来ると、のどが詰まって歌いにくくなる。

仕事で疲れると、このDVDを見る。

絵は正直だ。文字にはない力がある。
文字ほどの普遍性はないが、当事者にとっては圧倒的な力で迫ってくる力だ。

そんな素晴らしいDVDを作ってくれたNさんに感謝。

これを見ると、頑張らないと…と思う。


| | 考えたこと | 02:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
プレッシャー
今まで色々なプレッシャーがあったが、印象的なものは、落研時代に初めて中トリ(仲入りの休憩前のトリ)をやった時のこと。

「口入れ屋」というネタをやった。
その前から、ぜひやりたいと思っていたネタで、40分くらいの長いネタ。

桂枝雀の得意なネタだった。

登場人物も多く、動作も難しく、長いセリフも多く、今から考えると実力以上のネタだったんだと思う。

寄席の1ヶ月くらい前から、食欲がなくなった。

自分ではすごく練習したと思う。
練習するにしたがって、プレッシャーが大きくなる。

事前の練習で、老人いこいの家というところで、落語の慰問をさせてもらうのだが、今ひとつ思うようにできない…という状態だった。

食欲不振はどんどんひどくなり、一日にうどん1杯という状況までいった。

週末に下宿から実家に帰り、寝ていると、夜中に背中が痛くなった。
朝起きて、家にあった「家庭の医学」という分厚い本を見ると、夜中に背中が痛くなるのは膵臓ガンだ、と書いてある。
膵臓ガンは治らないとも書いてあった。

がーん、という感じだったが、寄席には出ないといけないし、練習は続けないといけない。
やると言った以上、責任があるのだ。

中トリとはいえ、トリである。
客席を沸かせなければならない役目なのだ。

寄席の当日、着物を着て帯を巻いたら、10センチ以上余ってしまった。ウエストが細くなっていたのだ。

舞台は、予想通りさっぱりワヤだった。

40分のネタを30分くらいでやったと思う。
客席で師匠がジェスチャーで、ゆっくり、ゆっくり、と指示してくれていたが、わかっていても変えられない。
客席の後ろの方で、手を動かしていた師匠の姿だけは、目に焼きついている。

プレッシャーに負けて、早く終わろう、という状態になってしまっていたんだと思う。

自分がやった落語のテープは全て持っているが、これだけは未だに聞く気にならない。

こんなにひどいプレッシャーへの負け方はそれまでも、それからもなかったと思う。

結局、寄席の翌日に病院に行き、「膵臓ガンだと思う」と言ったら、医者が「その年で膵臓ガンにはならない」と言って、「そんなに心配ならバリウムでも飲め」と言って胃の検査を予約した。

げんきんなもので、病院から出たとたんお腹が空いて、食堂に行ってごはんをたらふく食べた。

その日から、すっかり元気になり、もとの生活に戻った。

プレッシャーに負けるとは、こういうことなのか、とは少し後で思ったこと。

この時得た教訓は、自分の実力を知ることと、練習だけではカバーできないものがある、ということだ。

努力さえすれば、何でもできる…とは思わない。それは不遜な考えだと思う。
努力して、自分を納得させることは可能だ。でも、自分以外の人に必ず認めてもらえるとは限らない。

それを知れたことは、大失敗の一つの教訓だった。

ちょっと、負け惜しみが入っているが…。


| | 考えたこと | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
デザイン
ギターは昔から、ボディの真ん中に丸い穴があるものだった。

ところが、学生時代に、テレビを見ていると、真ん中に穴があいていないギターが出てきた。
これにはビックリした。

ボディの上下に中くらいの穴と小さな穴がいくつか空いていて、穴の回りには木の葉のような模様がついている。
スゴイなあ、と思ってテレビを見ていた。

しばらくすると、ギターの雑誌にぼちぼち載るようになった。
アメリカのオベーションというメーカーのギターである。
オベーションはずっと普通の(真ん中に穴があるヤツ)ギターを作っていたのだが、普通でないのはボディの後ろ側だった。

もとはヘリコプターの会社で、木の代わりにグラファイトという軽量で丈夫な材質で作られている。
自由にカタチが決められるので、裏側が丸いのだ。

最新シリーズの解説のページはここです。
こんなギターです。時々見るでしょう?

http://www.ovationguitars.com/index.cfm?fa=lxfeatures

以前から、このカタチのギターが欲しかった。
音とか、弾きやすさとか、そんな問題ではなく、デザインが好きだからだ。

どうやって、この中くらいの穴と小さな穴の位置を決めたのだろうか?
どうやって、この穴に合った模様を決めたのだろうか?

人間は、対称性のあるものに美を感じやすいと思うが、この非対称さを伴った美しさはスゴイと思う。
(このタイプの左右対称のモデルもあるが、非対称の方がきれいだと思う)

少し前に、ようやくこのデザインのギターを買った。(ホンモノではないが…)

見ていて、ほれぼれする。
楽器である以上、音がよいことはもちろんであり、その基本性能があって、それからカタチや色などが決まるはずだ。
それでも、まず、このカタチとデザインありき、という気がするほど、きれいなカタチだと思う。
機能美というヤツだ。

このギターをデザインしたデザイナーはすごい。
本当にすごい人だと思う。

そんなにバカ売れするようなモノではないので、工業デザインの賞をもらうというようなことはなかったと思うが、僕はこのギターは20世紀の工業デザインの名作のひとつだと思っている。


| | 考えたこと | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
おにぎり
子供の頃から、おにぎりが好きだった。
遠足というと、お弁当におにぎりが入っているのが楽しみだった。
ウチは俵型で、少し塩味が強めだったと思う。

今はおにぎりがいつでもコンビニで買える時代になった。
おにぎりは、日本人が発明したファストフードの王様だと思う。

おにぎりの中に入っている具は、昆布、鮭、たらこ、かつお、梅干しだった。
梅干しが一番ポピュラーだったと思う。
一番好きだったのは、昆布だったが…。

時代は変わって、今のおにぎりの具はどうなっているのか…。
ツナマヨネーズとか、海老マヨネーズ、明太子マヨネーズ、豚の角煮やとんかつ、カルビ、唐揚げ、焼き肉、牛タン、いくら…。

ここにランキングが出ていた。
http://vote2.ziyu.net/html/c199018.html

このランキングによると、ツナマヨネーズが1位??だった。
何でやねん…という気がする。
おにぎりというと、塩味はともかく、脂肪が少なくて、健康的な食べ物というイメージだが、ツナマヨネーズなど食べたらコレステロールが上がりそうだ。

変わったものでは、カレー玉子おにぎり、というようなものまであるようだ。
これは、単にカレーと玉子とごはんを一緒にしただけではないのか。(そのままである)

キャベツ入りメンチカツおにぎり、照り焼きチキンマヨ、というのもあるらしい。

何でも一緒にしたらいい、というものではないだろうが…。
もともと、ごはんというものが何にでも合うものだから、おにぎりというのは無限にバリエーションがあるんだと思う。
実際にカリフォルニアでは、アボガドを載せた寿司があるというし…、ごはんの持つふところの広さが日本人の知恵なのだ。

しかし、何でも作ればいいというものでもないだろう。

カレー玉子おにぎりなどというのは、ちょっといただけない。

やっぱり、昆布、鮭、たらこ、かつお、梅干し…これがおにぎりだ。
進歩するおにぎりだが、僕は保守派にまわる。

いつか、おにぎりといえば、ツナマヨネーズだ、というような日本人が出てきてしまうと思うと、少し残念だが…。

みんな、ツナマヨが好きなんですかね?



| | 考えたこと | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
頭の中で鳴る音楽
時々、無性に聞きたくなる曲、というのがある。

今週はスターダスト・レビューのトワイライト・アヴェニューが聞きたくなった。
この曲は、昔カラオケでよく歌った曲。

出だしのベースと、根本要のボーカル、リードギターがすごくいい。

昔、録音したベスト盤を出してくる。
このバンドも長いことやっている。

1981年にデビューアルバムが出ている。25年前か…。

トワイライト・アヴェニューは1984年の夢伝説というアルバムに入っていたらしい。

1988年にStay My Blueという曲が出ているが、これもいい曲。
Starsというベスト盤から、いい曲だけ選んで録音したが、タイトルを入れていなかったので、この2曲しかタイトルがわからない。

調べてみると、リーダーの根本要は1957年生まれ。僕と一緒だった。
学年は一つ下になる。

何かのひょうしに、頭の中で曲のフレーズが鳴る。
きっかけは何なんだろう。

だいたい、音楽というのは、どういう風に脳に記憶されているんだろうか…。
妙にはっきりとフレーズが浮かびませんか?

その曲のイントロの部分やさびの部分が本当に頭の中で鳴るのだ。
パソコンのデーターにすると、結構な容量である。
単なる歌詞ならしれているが、音色やドラムのビートも思い浮かぶ。

それが、知っている曲の数だけ、脳に入っているのだろう。
喫茶店などでBGMで知っている曲がかかると、同時にその曲を思い出す。
伴奏もソロもリズムも一度に思い出す…。

脳の研究が進んでいるというが、音楽の記憶はどうなっているんだろうか。
リズムはここ、メロディはここ、歌詞はここ、というふうに分担しているんだろうか…。

でも、いくら頑張っても、脳に電極をつないだら、音楽が鳴ったりする世の中にはならないだろう。

音楽も脳も、人間が分析しきれるものではない。

ここで、やっぱり神さまの出番になるのか…。



| | 考えたこと | 18:22 | comments(0) | trackbacks(0) |