考えたこと2

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ラノベ
また、新しい言葉をひとつ。

「ラノベ」という。
今日長男と次男の会話の中で出てきた。
本の話をしていて、「それ、ラノベ?」という。

話の内容から、ラノベがライトノベルの事だとはわかったが、一応確認のために、それライトノベルのことか?と聞いた。

それで当たりだったが、「ライトノベルはあまり読まない方がいいデ」ということらしい。
理由を尋ねたが、ライトノベルはオタクの本が多く、通称オタボンと言われているものの総称として、ラノベと言われるらしい。
だから、ライトノベルを読んでいると、オタクだと思われるということになる。

でも、「ズッコケ3人組」もライトノベルと違うのか?と聞くと、たしかにそういう例外的な本もあるが、オタボンは全てラノベであって、普通はラノベと言えば、オタボンを指すらしい。

では、オタボンすなわちオタク本とはいったい何なのか?調べてみた。

wikipediaによると、

「現在のライトノベルはアニメ・ゲーム業界とはメディアミックスを通じて、事実上不可分と言えるほどに密接な関係を構築している。」

という記述がある。
結局アニメオタクやゲームオタクとつながるのかもしれない。

萌え系などもオタボンになるのだろう。

何だか、わかったような、わからないような変な感じだが、ラノベとオタボンの関係はわかった。

この年になって、あまり関係はないが、ラノベでマトモなものは気の毒な感じがする。

ズッコケ3人組なんか、大人が読んでも面白かった。

ライトノベルというのは、コミックやゲーム、アニメなどのメディアが組んで売ろうとして作ったものだろう。

それと、児童文学は全く違うものだ。

結局資本主義のなれの果ては、こんな風になるのかもしれない。



| | 考えたこと | 15:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
チャプター・イレブン
クライスラーに続いて、GMもチャプター・イレブン(米連邦破産法11条)の対象となるらしい。

あのBIG3がここまで落ちるとは思わなかった。
もし、日本のトヨタがそうなったとして、経済産業省がほっておくだろうか。
たしかに公的資金をかなり注ぎこんでいるが、実質的に潰すとは…、やっぱり自由の国だ。

ぼくらが小学校のころ、初代カローラが出たが、あの頃は外車といえば憧れの時代だった。
まだアメ車に夢があった時代。

2代目のコルベット・スティングレイは、リトラクタブル・ヘッドライトでかっこよかった。
写真で知っているだけだが…。

キャデラックは、大きな車だった。
豪華で、立派な車。超高級車だった。

エルビス・プレスリーが映画で乗っていたピンクの皮張りのオープンカー。
何の車だったか、わからないが、ベンチシートに3人座れるくらいの広さだった。

70年代くらいから始まっていたのかな。
アメ車に魅力がなくなってきた。
足回りはフワフワしていて、しまりがない。
エンジンは燃費が悪い。

…そうか、オイルショックの時から、そうなっていたのだ。
日本メーカーが燃費のよい小型車を作ったころだ。
72年のホンダの初代シビックにCVCCが積まれた。
その開発経緯はプロジェクトXでも紹介された。

あれがターニングポイントだったのかもしれない。

結局、小型低燃費というコンセプトは、アメリカ人の好みに合わないということで、BIG3はほとんど手を出さなかった。
たしかに、アメリカのような広い土地だから、大きな車がいいだろう。

でも、結局はそれが致命傷だったと思う。

アメリカが当時マスキー法を作って、大気汚染防止を始めなければ、CVCCは生まれていなかったかもしれない。
本家のアメリカのメーカーは「ムリな法律を作るな」ということで、廃案にしてしまったが、日本メーカーはそれを目標にして、その後も燃費低減を進めた。

今となっては、マスキー法の先進性に感謝しないといけない。

でも、そのためにアメリカのBIG3のうち2メーカーがチャプター・イレブンのお世話になるという結果になってしまった。

エドムンド・マスキーの名前は、日本の自動車産業史にも、米国の自動車産業史にも忘れられない名前になった。
ご本人はまさかこんな事になるとは…、と思っているかいないか、わからないが…。

でも、たしかに、今ふり返ると、あのマスキー法がターニングポイントだったと思う。



| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
さぎられる
また、新しい言葉を覚えた。

「さぎられる」という言葉だ。
意味がわからない人もいるだろうが、漢字で書くとわかる。
「詐欺られる」である。

次男の友だちが、オークションで詐欺にあったかもしれない、というのを「詐欺られたかも」という風に使っていた。
意味はわかるが、「さぎられる」というのはどうしたものか…。

詐欺をするときは、当然「詐欺る」と使うのだろう。

さぎらない、さぎります、さぎる、さぎるとき、さぎれば、さぎれという風に活用する。

詐欺は名詞であり、動詞ではない。
でも、動詞として使いたい時に、「る」や「られる」をつけて動詞化する。

前に、「お茶する」というのを書いたが、あれはまだましだ。
サ変動詞の法則に従っている。

日本語の動詞は普通「ウ段」で終わるが、無理やり動詞化したのが「詐欺る」だろう。

本来なら、「詐欺にあう」とか「詐欺をはたらく」というのだが、その「詐欺」に対する動詞がわからない時に「詐欺る」というのではないか。

どうも「詐欺する」というのは違うみたいだから、いっそのこと略してしまえ…という気持ちが働く。
そんな気がする。

「カモる」「カモられる」というのと同じパターンか。

これも、カモにするというのが、今やカモるになってしまった。

そのうち、「詐欺られる」も普通の言葉になるかもしれないなあ。



| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼロ指向
プラス指向とか、マイナス指向という言葉をよく聞く。

プラス思考、マイナス思考とも書くようだ。

指向は方向であって、プラスの方向を向いてという意味で、前向きとも言える。
マイナス指向はその逆で後向きになる。

日本人は西洋人に比べて、マイナス指向で考えることが多い…と言われている。

これはホントなのかなあ。

日本人がマイナス寄りだとは思えない。
楽観的とは言えないが、悲観的でもないだろう。
たいていの人は、ゼロ指向ではないか。

ゼロ指向とは、あまり気にしないということだ。

何かあっても、何もしないでいられる。
手をうたないとか、ほったらかし、という事だ。

え、こんな大事なこと、ほったらかしでいいの?という事がよくある。

そういう自分も、他人から見れば、え、こんなこと…と思われているのだろう。

せっぱつまって、どうにもならないという時まで、ほっておくことができるのだ。
これは一つの能力だと思う。

それが、いい方に出るか、悪い方に出るかは、わからない。

それも気にしていないから、すばらしい。



| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
小学校の算数
一昔前、分数のできない大学生という本が売れた。
世の中の人は、みんなビックリしただろう。
今は誰もビックリしない。そんな大学生が普通にいる。
(今でも、ホントかな?と思っている人はいるかもしれない。)

1/2+1/3=2/5という計算。
分子、分母同士を足す。
もちろん、そんな大学生ばかりではない。
でも、たくさんいるのは事実。

そして今はパーセントが分からない。
1000円の10%はいくらか…、わからない。
だから、セールに行っても全品20%引きなどと書いてあっても、実際にいくらになるか分からない。
店の方もそれが分かっているから、赤字で書いてあったりする。
もちろん、1割、2割もわからない。
1500円の1割引がいくらなのか、不明なのだ。
もう一度言うが、もちろんそんな大学生ばかりではない。
でも、相当数の大学生が本当にわからないのだ。

イチローの打率が3割と聞いても、それがどういう意味を持つのかわからない。
よく打つ、という事だ…と理解しているのだろう。
3割ということは、だいたい3回打ったら1回はヒットという意味はわからないのだ。

文系で、高校1年で数学を終わったから、という説明をする人がいるが、そんな高度なものではない。
小学校の算数である。

もちろん、そんなことは知らなくても、社会に出て勉強すれば、すぐにわかる。
勤め先でちょっと恥をかけばいいだけだ。
でも、そんな問題ではない。

この学生たちは小学校で算数をつまずいたまま、大きくなった。
算数は積み上げだ。
社会や理科はどこかでつまずいても、取り返しがきく。
どこかを飛ばしても、独立しているのだ。
でも、算数はリカバリーができない。

算数・数学は人類が太古の昔から、すこしずつ積み上げてきた学問だ。
新しいことを理解するためには、かならず古いことを知っている必要がある。
だから、あの学生たちは、小学校でつまずいて、そのままだったのだ。
パーセントの計算をするためには、小数や分数の知識がいる。
それがなかったのだろう。

そんなことが起こっている。
小学校で習うべき事が、中学、高校と見過ごされて、大学まで来ている。
小学校以降、数学の授業が何時間あったことだろう。
その時間、彼らはどんな気持ちで授業に向かっていたのだろう。
中学や高校の先生は何も気づかなかったのか…。
気づいてもほったらかしだったのか…。

小学校の算数は大事だ。
そんなことは先生が分かっているはずだが、本当に分かっているだろうか。

何でも相対評価をするから、分数ができなくても、ちょっと頑張っていたら、評価は3以上。
その人なりに頑張っている…、ということになる。
でも、いくらその人なりに頑張っていても、できないものはできないと評価しないと、それをやり直すことができない。
絶対値で「分数の約分と通分はできるようになる」、という評価体制が必要だ。

そんな大事なことを、中教審や教育再生会議はわかっているのだろうか。
小学校の先生ができないなら、算数は教科担当にすべきだ。

算数や数学など、できなくても日常生活でこまらない、というレベルではない。

算数、数学は抽象的な概念を操作するという知的な訓練になる。
そういう訓練をしていない人が、みんな国会議員になって、今の日本になっている。

今の日本を変えるために、小学校の先生は頑張らないといけない。
これは本当にそう思う。

何度も言うが、できないなら、教科担当を置くべきだ。

本当に算数の面白さを語れる人が教科担当になれば、日本はよくなると思う。



| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校
次男の学校はまだ一週間休みだ。

インフルエンザに最近なった生徒がいて、そこから一週間休まないといけないらしい。

最初の一週間はテストが延びて、思い切り寝られると喜んでいたが、さすがにあと一週間も休みになると退屈してきたらしい。
外を出歩くわけにもいかないし、一人でいるのも飽きてくる。

学校に行きたくなるというのも、めったにないことか。

あまりに昔の事なので、忘れたが、学生時代が懐かしい。
学校に行きたいことなど、ほとんどなかったが、友だちとは遊びたかったような気がする。

ぼくらの時代は学校に行って当たり前(今もそうか)の時代で、授業中に席を立ってウロウロするような生徒などいなかった。
45人の学級だったが、先生一人でみんな静かにしていた。

今でいう学習障害というような生徒はいなかった。
今は30人くらいの学級だが、かなりの確率で学習障害と呼ばれる生徒がいるらしい。

授業中に奇声を発したり、質問をしまくったり、じっとしていることができなかったりする。

これは、人間が変わったのだろうか。
今の子どもに学習障害が多い理由は説明がつくのだろうか。

人間は社会的な生き物だ。
だから、社会が病的になれば、人間も病気になる。

きっと今の社会が病的なんだろう。

どうして、子どもが大人の言うことを聞かないのか。
それも、学校の先生の言うことを、だ。
ぼくらが小学校の頃は、先生といえば絶対だった。

世の中、何かおかしい。

まあ、今は先生自身もおかしかったりするが…。


| | 考えたこと | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
バードランドの子守歌
今日はギターのレッスン。

バードランドの子守歌(Lullaby Of Birdland)をやった。
Aメロのベースを先週教えてもらって、その音にメロディを乗せるというわざ。

ベースの音は面白い。
レの音なら、半音上から下がったり、半音下から上がったり、その組み合わせで音をつないでいく。
レ−シ−ミ−ラというコードのルート音をレドシファミラ♯ラ〜というように。

それを弾きながら、メロディを乗せていく。

言うのは簡単だが、実際にやるのは難しい。
先生も考えながら、のせていく。

ベースは規則正しく弾かないといけないし、メロディは不規則だ。

そのかわり、うまくいくと、一つの楽器で二つの音を奏でられる。

ベースとメロディの両方を鳴らせるポジションを探しながら、フレットを上がったり下がったりする。

結局仕上がった楽譜は、魔法のようにできている。

何でもそうだろうが、ギターは奥が深い…。


| | 考えたこと | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
剣客商売
ちょっとペースは落ちたが、池波正太郎を読み続けている。
9巻目まで来た。

老剣客、秋山小兵衛と若い妻おはる、小兵衛の息子の大治郎、女剣客の佐々木三冬が江戸で田沼意次の時代に活躍する。

田沼意次というと、ぼくらは教科書で悪者として習った。
賄賂をとって、悪いことをした老中という位置づけだが、実際は田沼の時代にいろいろと発展したものもあり、一概に悪いとは言えない…と渡部昇一が「正義の時代」(たぶん)で書いていた。
その後の倹約の治世は、庶民の評判もあまり良くなかったということだ。
この作品でも、田沼意次はよく書かれている。

何冊かを取り替えながら読んでいるが、小説は「剣客商売」だけ。
面白い。

フィクションではあるが、剣客というものがよくわかる。

並はずれた感覚と運動神経、身体能力…、修行の結果だろう。
そして、いつ誰に勝負を挑まれるかわからない。
いつどこで勝負をして勝っても、その身内や友人がいる。
どこでどんな恨みをかっているか…。
だから、四六時中気をつけていなければならない。
そのために、死んだとしても、それはしかたない。
それが剣客の宿命だ。

今の時代、剣客という人はいるのか。
内田樹の本を読んでいると、一流の武道家の感覚というのはあるようだ。
合気道だったか。

とにかく、秋山小兵衛の60歳とは思えない身体能力には驚かされる。

「世の中は、みんな勘違いで成り立っているんだよ」

この言葉、この本を読んでいると、なるほどと納得させられる。

誰も彼も、みんな勘違いしているんだろう。

世の中はそれでも成り立っている。

いい加減なものだ。

でも、それが面白いのだろう。



| | 考えたこと | 11:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
エビデンス・ベースド
政府のインフルエンザ対策が見直された。

新聞では、学校の休校やコンサートなどの集会について、責任者や主催者の判断に任せるとのこと。

たしかに一律に決めることはできないが、これでいいのかと思う。

見直して、決めるのが仕事ではないか。
今はエビデンス・ベーストということで、数字や統計、証拠が重視される。
それ自体はいいことだと思うが、今はそんなことをやっている場合かということだ。

日本独自の状況を考え、免疫力の年齢による感染力の違いや、学校やコンサートに集まって感染するリスク、どこまで蔓延したらそのリスクが休校や中止という措置と相殺するのか…、そんなことについては、まだ数字が出るわけがない。
第一、検査のキャパシティの問題もあって、一体どれだけの人が感染しているかもわからないのだ。
A型とされている人で、新型インフルエンザの人もいるだろう。
そんな状態で、数字を元に正しい判断をしよう、というのは土台ムリな話。

厚労省が集めているのは、現場を知らない人ばかりではないか。
今日も「インフルエンザに詳しい○○医大の準教授」という人が出ていたが、失礼ながらその人が今現場で起こっていることを、正確に捉えているとは思えない。

「真実は細部に宿る」という。
「現場」が大事なのだ。
実際に新型インフルエンザと、その回りの状況を見ている医師の声をもっと聞くべきだ。

数字が出てから判断するのは、そこらの人にでもできる。

でも、数字が出ていないが、総合的に判断して、これだという判断ができる人こそ、プロだ。

「プロフェッショナル」という言葉は、「リクツだけでなく感覚的にも物事を捉えられるほど、それに精通している人」という意味だと思う。

はっきりしているのは、幸いにして弱毒性であること、ある地域では蔓延していること。
それを判断して、どの地区ではどうする、という判断をしなければ指針とはいえないだろう。

結局、判断するというリスクを取っていない。

「判断する」というリスクを取ってこそプロだ。
間違っていたら、すぐに修正すればいい。

間違いをしたくないから、判断のリスクを取らないという人のことを、アマチュアというのではないか。

また、こんな話題ですみません…。


| | 考えたこと | 10:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
今週は眠い
今週は眠かった。
ふだんよりも1時間早く出て、1時間遅く帰る。
名神の工事。

それがこたえた。

ようやく明日で工事は終わる。

それにしても、短期で工事ができるようになったものだ。
豊中の先のあたり、前日の夜工事しているかと思うと、翌日の朝には走行可能になっている。
このへんの技術が進んだから集中工事でできるんだろう。

どんどん進んで、工事が終わったら2時間くらいで通行可という舗装ができればいいのだ。

そうすれば、もっと工期が短くて済む。
渋滞も短くなるだろう。

そんなことができるようになる日はいつになるのか。

その頃、まだ生きているだろうか。

生きていても、勤めているだろうか。

それが問題だ。




| | 考えたこと | 00:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
稟議
稟議とかいて、「りんぎ」と読む。
サラリーマンにはおなじみの言葉。

組織で何かをしたいときに、上の人の承認をもらわないといけない。
それが稟議書とか起案書とかいうもの。

例えば…
 来年度は予算でこういうものを買いたい。
 今回の新製品の名前はこれにします。
 どこそこに出張に行きたい。
というような内容。

すっきりした組織では、この稟議が短い。
権限委譲ができている。
ハンコを押す人数が少ないのだ。

もちろん、課長なら200万円までとか、部長なら1000万円までとか、そんな風に決まっている。
例外もあって、そういうのは決裁者が上に回す。
その人が判断して、これはどうかな、と思ったら上にあげる。
そういう組織は意志決定が早い。
決定に関わる人数が少ないから、当たり前と言えば当たり前。

重たい組織では、稟議が長い。
権限委譲ができていない。
何でもかんでも、みんながハンコを押す。
なぜか? 責任を分散するためだ。
赤信号みんなで渡れば…というやつ。

結局は一番上の人が責任を取らないといけないのだが、それでも、たくさんの人がハンコを押していれば、こいつが悪い!と言える(かもしれない)。

交通費560円の出張でも、15人ほどがハンコを押し、2000万円の買い物でも15人ほどがハンコを押す。

これは組織の風土を表しているのだろう。
軽快な組織は意志決定が早く、それだけ機会損失が少ない。
重たい組織は意志決定が遅く、機会をロスする。
たまには早まった事をせず、得をすることもあるが、一方で間違っていても延々と続けてしまう。

誰が考えても、560円と2000万円は重みが違う。
それでも、そんな組織にずっといる人は意外と気づかない。
気づいても、やがて諦める。

そんな風にして、組織はダメになっていくのだろう。

組織は面白い。



| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
郵便局
この頃ニュースを見ていると、面白い。
いろんな会社が障害者団体を経由して、120円の郵送料を8円(80円ではない)で大量に送っていたらしい。
損害が何億円にもなる。

さぞかし、うまく偽装したのかと思ったら、そうではない。
局員の人たちは、みんなこれは偽装だと知っていたとのこと。
捜査の人たちは、だから利益供与があったのかと思っただろう。
でも、誰も何にも要求していなかった。
ただ、ルール違反を黙認していただけ。「よその局でもやっているし…」

法律では、利益をもらっている方が「悪い」ということになるのだろう。
でも、ぼくはそれよりも悪いことを見て、何とも思わない人がたくさんいる体質の方が問題だと思う。

これが、民営化した郵便局だ。
本当に民営化したなら、そんな職員はいないはずだ。
郵便事業はそれでなくても苦しいのに、何億円という売り上げをみすみす見逃したのだ。
こんな組織は生きてはいけない。
文字通り、「親方日の丸」の気分が抜けていないのだろう。

だから、鳩山総務大臣は信用できない。
民営化のために、民間から来た社長をおろそうとしている。
正義の味方みたいな事を言う人ほど、疑ってかかった方がいい。
郵政官僚が社長になって、ロクな事はないだろう。

民主党も、今回は郵便局の票をもらう算段をしている。
口では小さな政府、無駄遣いをなくす、と言っているが特定郵便局の局長の集まりでニコニコ顔の代表を見ていると、本当にそう思っているとは思えない。
違法で売り上げが減少するのを、見て見ぬふりをする職員がたくさんいるのだ。

そんな事を考えていると、次の選挙で入れるところがなくなる。

こんな話題で書きたくなかったが、今日はすみません…。


| | 考えたこと | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンカツ
近頃聞きなれない言葉がある。
婚活(コンカツ)。知っていますか?

就職活動を略して就活という。そこから出てきた言葉だろう。

ネットで調べたら、「2007年に雑誌「AERA」で、『「婚活」時代』の著書でも知られる家族社会学者の山田昌弘氏が、 婚活の普及活動を行っている少子化ジャーナリスト・白河桃子氏に、そんな「結婚活動」について取材をした時に「婚活」という言葉が生まれ、知られるようになりました。」とのこと。

主に女性を中心にして、結婚活動をすることをコンカツというらしい。
ぼちぼち、男でも使うようになってきた。

女性の晩婚化に伴って、生まれてきた言葉だろうか。
コンカツをしないと、なかなか結婚できないゾ…ということになる。

しかし、このコンカツという言葉、どうも音が悪い。
トンカツとか、ミンカツとか…。

何を今さらコンカツなんだろう?

wikipediaによると、

「山田が結婚活動(以下、婚活)という概念を考えるに至った背景には、日本の結婚を巡る環境の変化(以下を参照)にある。

* 年功序列制度の崩壊で男性の将来収入の見通しが不安定になったこと(低収入の男性は結婚がしづらいため。ちなみに、このことは1980年代にはすでに確認されていたが、マスコミ等が発表を嫌がりなかなか表に出なかったという)
* 男女雇用機会均等法制定、1980年代以降の恋愛の自由化と価値観の多様化に伴いお見合い結婚・職場結婚が減少、男性総合職と女性一般職という職場結婚の仕組みが崩れた

 等 こうして“特に活動を行わなくてもなんとなく結婚できたシステム”が崩れ、モテる人とモテない人が二極化。結婚のためには活動が必要になったという。」

と書いてある。

なるほど。
コンカツの裏には、いろいろな要因があるらしい。

しかし、そんな難しいことを言わなくても、「結婚したい」という思いがあれば、結婚できると思う。
要は、「結婚したい」とみんなが思わなくなったのではないだろうか。
結婚に対する夢が潰れてしまったからだ。

女性も男性も、中性化した。
どちらも、ちょっとずつ歩み寄ってしまった。

そんな気がするなあ…。


| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジタバタ
刑事ドラマなどで、犯人を捕まえる時に「もうジタバタするな」という。

このジタバタとは、goo辞書によると

(1)手足をむやみに動かして抵抗するさま。ばたばた。
o 「―(と)もがく」
o 「―すると殺してしまうぞ」

(2)(現状から逃れようとして)あわてふためくさま。
o 「いまさら―してもはじまらない」

という意味らしい。

どうも、厚労省のインフルエンザ対応を見ていると、ジタバタしているように見える。

何かを決める時には、バランスが大事だ。
正解はない。あちらとこちらの中間のどこかにあるのだろう。
それは、人によって違う。

神戸や大阪の発症者が出た地域には、出張中止という指示が出ている地方都市がある。
これは、国のガイドラインを読んで、メキシコを該当感染地にすれば、当然そうなる。

しかし、ぼくはもう蔓延していると思う。
それは、遠く東京の厚労省にはわからない。

「事件は現場で起きているんだ」という織田裕二のセリフがあった。

インフルエンザの対応で、微熱の人が入院し、本当に治療が必要な人が追い出される病院もある。

もう、ジタバタせず、冷静に対応を考えたらどうだろう…。



| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
「頑張ろう」と「気合いだ」
民主党の党首の選挙。

岡田と鳩山の一騎打ちになった。

どちらの陣営もたいして変わらないが、小沢との距離が違うんだという。

おりから、大不況の最中である。

官僚政治からの脱却は、大いにやってほしいが、一方で今の政治家を見ていると、21世紀のビジョンを語れるような人がいるとは思えない。

だからといって、自民党がいいというわけではない。

昨日から始まったエコポイントだが、今のところ決まっているのはこれをやるという事だけで、何をするのかも決まっていないし、予算措置もできていない。
こんないい加減なことをやって、不況を乗り切れると思っているのだろうか。

15兆円を注ぎこむなら、本当に必要なところを考えた方がいいのではないか。

輸出で稼いできた産業構造をどうしていくのか。
正規・非正規の労働構造をどうしていくのか。
そのビジョンが必要だ。

岡田派の今朝の集会は最後に「頑張ろう」の三唱、鳩山派の今朝の集会は「気合いだ」の三唱で終わっていた。

嬉々としてそれをやっている議員を見ていると、情けなくなった。

それ自体が悪いわけではないが…。


| | 考えたこと | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
科学と空気
新型インフルエンザが流行っている。
国内でも海外渡航経験のない人が感染したという。

これだけグローバルに人が動いていれば、そんなことも起こる。
検疫をどれだけ厳しくやっても、鎖国でもしないかぎり、感染は止められない。
アメリカから来る人の検疫をしても、来日時に潜伏期であればOKだろう。
そして、国内で発症し、誰かにうつしてちょっと微熱があるなあ、という間に帰ってしまえばそれまでだ。

アメリカではもう普通のインフルエンザ(今までの型)の感染力が強いやつ、ということで市民生活を普通に送っているという報道もある。

さっきも言ったが、これだけ往き来があって、止められるハズがないのだ。

でも、国は海外発生期と国内発生期に分けて、今は海外発生期という位置づけ。
今日の午後にも国内発生期にレベルが上がるかもしれない。

役所のいうことは、基本的には「〜した方が望ましい」というもの。

外務省としては、「渡航は十分に注意して下さい」とかいう表現。

それをおもんばかって、いろいろな組織が、いろいろな対応をする。
メキシコへの出張は禁止とか、アメリカから来た人は受け入れを遠慮するとか…。

こうなると日本人の悪いクセで、過剰反応が出てくる。
どこからが過剰かというと、それはそれで難しい。

でも、決定に関しては、組織ごとにその風土が関係する。
風土というのは、長い時間で醸成されたモノであり、それは強固なものだ。
おまけにその風土は組織の中にいる人には、「当たり前」であり、疑いがない。

「ここからだけは、感染者を出せない」と「科学的には意味がない」

こういう議論が平行線になる。

これを山本七平は「空気」と呼んだ。
この「空気」がみんなの考えを縛り、第二次大戦へと突入していったのだ。

その「空気」はまだまだ生きている。

それも、いろんなところで。

それを意識して、生きていった方がいいゾ…と思う。

二度とマチガイを起こさないために。


| | 考えたこと | 11:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
渋滞
今週は眠い。

理由がある。名神高速で通勤しているのだが、毎年この季節になるとリフレッシュ工事が始まる。
今年は豊中〜春日井間で日替わりで場所は変わる。
工事が追い越し車線になっていたり、走行車線になっていたり、毎日変わるのでどちらのレーンが得かというようなせこいことは考えられない。
5月23日まで続く予定だ。
そのおかげで、朝早く来ないといけないし、帰りは夜遅くなる。
毎日2時間弱の損だ。

一日に2時間弱の時間を無駄に使うと、やっぱりシンドイ。
どうしても削るのは睡眠時間になるからだ。

クルマに乗っていると、本が読めない。
考え事をするといっても、限界がある。
前にクルマが迫ってきたら、ブレーキは踏まないといけないし、止まったからといって、寝ることもできない。
渋滞は大変だ。

こういう時に何をしたらいいのだろう。
何か有意義なことに使うことはできないだろうか。
あいているのは耳と口。
何か聞いて学習するというのは手だ。
以前書いた、英語の通信講座のやりかけをまた始めるか。(実は一度やってみたのだが)

自分で気に入った本を読んで、録音し、それを聞くというのはどうか。
自分の声で聞いたものは、記憶に残りやすい(と思う)。
一度やってみようかな。

小説はダメだ。上手な人が朗読しないと聞けない。
やっぱり短いエッセイだろう。
池田晶子のエッセイで気に入ったものを自分で朗読するか…。

これは、いい考えだと思う。

どうして今までやらなかったのか…。

やらなかったのは、それなりの理由があるんだろうが…。


| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
数独
数字のパズルで81個のマスに1〜9の数字を埋めていくもの。
これが数独といわれるパズルだ。

縦も横も、それから3x3のマス目(これが9個ある)も、全部1〜9の数字で重ならないように埋めていく。
書くと簡単に聞こえるが、意外と難しい。

このパズル、もとになったのはスイスの数学者Leonhard Eulerのラテンスクエアというものらしい。

もちろん、最初から数字が入っているところが何カ所かあって、それで答えが一つだけになる。
その数字が少ないほど難しいのか、というと一概には言えないらしい。
ただ、少ないほど難しいという傾向があり、その限界は17個ということだ。

去年の秋に病気で入院し、そのあと何となく頭の回転が悪くなったような気がして、数独の問題集を買った。
ホントに自分の頭の回転が遅いのがよくわかる。
Level1の簡単な問題が、なかなか解けない。
単に慣れの問題なのか、それともホントに頭の回転が悪くなったのか…。

新聞に載っている数独は、毎回楽しみにしている。
できるようになってくると、なかなか面白い。
まだ、もとの調子に戻っていないとは思う。
それとも、自分のことを買いかぶっているのか…。

お医者さんは、そんなはずはないと言うが、脳が一部壊れたんだから、そんな事もあるのではないかと思っている。
まあ、事実はどうあれ、年を取って衰えていくものだから、別に文句はないのだが…。

というわけで、最近数独をやっている。

やりだすと、面白いのは事実です。



| | 考えたこと | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
続 つばさ
書くのを忘れていたが、昨日の朝のドラマでまなせさん(主人公のボス役のオジサン)がいいことを言っていた。

コミュニティFMの仕事の割り振りをしたのだが、メンバー4人が思い思いの事を言って、うまくまとまらない。
みんなこの仕事に思い入れがあるのだ。
他に行き場のない人たちが集まって、自分のこだわりを言う。
みんな、誰かが少し折れてくれたらいいのに、という状態になる。

主人公のつばさが言う。
みんなわがままを言ってたら、まとまらない。こういう時こそチームワークが必要だ。

そこで、まなせさんが言う。
チームワークには目的がある。目的のないチームワークは単なる仲良しクラブだ。目指すものがあってこそのチームワーク。俺は、うまくまとまらなければ、人を切ることも辞さない…。

この言葉、重たかった。

チームワークそのものは善でも悪でもない。
達成する目的を共有して、そこに向かって仕事をする時になされるチームワーク。
それこそが、真のチームワークだろう。

チームワークさえ良ければそれでいいのか。
そんなことはない。
何のためのチームワークなのか。
それが問題だ…。

クルマの中で聞きながら、自分を省みて、ちょっと反省した。

このまなせさん、家族と別れているらしい。
主人公よりも、このまなせさんがどうなるのか、楽しみだ。

いいことを言う。



| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
無意識の動作
最近ずっとクスリを飲むようになって、意外と忘れるものだと気づいた。
毎日飲んでいるので、習慣になって、飲み忘れると気持ちが悪い、というふうになるのかな…と思っていた。

何か普段と違う事をすると、忘れるのだ。
いつもと違う時間に起きる。
トイレに行こうと思ったら、子供が入っている。
それで、先に歯を磨いて、朝ご飯を食べる。
食べ終わったら、クスリを飲まないといけないのに、あせってトイレに駆け込む。
こんなパターンでのみ忘れがおこる。

そう思うと、人間、意識をしないで行動していることが意外と多い。
一連の動作で決まっているものは、そんなふうになる。

朝起きてから、家を出るまでの手順。
夜お風呂に入ってから、布団に入るまでの手順。
事務所について、鞄をおいて、パソコンのスイッチを入れ、仕事を始めるまでの手順。
帰ってきて、鞄をおいて、財布や定期入れを出して、着替えて、食事をとる手順。

考え事をしていたり、半ば無意識にやっていたりして、途中で何かじゃまが入る。
電話がかかってきたり、急に話しかけられたり、家族に呼ばれたり…。
そうすると、何か失敗することがある。

一連の動作を途中から始めることは難しい。意識をしていないからだ。

まあ、年を取ったということかもしれない。

若い頃はそんな事がなかった(と思う)。

それは、まだ無意識になるほどこなれてなかった、ということかもしれないし、失敗しても指摘する人がいなかっただけかもしれない。


| | 考えたこと | 21:55 | comments(2) | trackbacks(0) |
大阪の笑い
大阪の笑いと東京の笑いは少し違う。

笑いが違う、というよりも芸人が違うと言った方が正しいかな。

落語は特に大阪と東京では違った。
大阪の方が貪欲に笑いを追求する。
客へのサービス精神だ。

そして、客も貪欲に笑いを求める。
笑わないと損、という思いがある。

だいたいにおいて、大阪の方が声が高い。
絶対値ではなく、その演者の声の範囲で高めということだ。
声は高い方がテンションが高い。

大阪の落語家の方が、テンションが高いのだ。

東京の落語が面白くないというわけではない。
面白い人は、やっぱり面白い。
それなりに魅力はある。

でも、大阪の落語家の方がリクツ抜きに面白いような気がする。
これは自分のひいきも入っているが…。

漫才は、だいぶ事情が違う。

昔はもっと違ったが、今は近づいたかもしれない。
笑わす「間」が違ったのだが、今はみんな大阪の「間」になってしまった。

おそるべし、吉本興業。


| | 考えたこと | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホンモノ
今のバラエティ番組を見ていて、こんな簡単な作りでいいのかなと思う。

ぼくも一部取り込まれてしまったが、笑うためには毎週それを見ていて仲間になっている必要がある。

出演者はおなじみのメンバー。
ゲストもおなじみのメンバー。
それで世間話をして笑いあう。

プライベートをさらけ出して、それを盛り上げて笑う。
字幕もつかって、これでもかと盛り上げる。

本来なら恥ずかしいことが、笑いをとることで、正当化される。
四国に愛知県があっても、笑えればいいのだ。
それが最大の価値になる。

そんなものに価値があるのかと言われれば、ないだろう。

その場限りの刹那的な笑いだ。

本当のプロの笑いはそんなモノではないと思う。

そんな刹那的な笑いが多すぎる。
メンバーを集めて、司会者を決めて、セットを作って、それでイチ、ニのサンでできあがり。
キャスティングが全てのような番組。
いつでも取り替えが効く。

いつからこんな風になったのか。
バラエティという名の粗製濫造の番組作り。
今や政治家も混じってやりだした。

こんな事をやっていては、そのうちえらいことになるゾ…、と言うべき人はテレビなど見ていないのか。

それとも、そんな人がテレビに出ているのか…。


| | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
青か黒か
今朝、用事で外に出て、踏切を渡ろうとしたら向こう側に警官が二人立っていた。
たぶん、踏切のところが通行禁止なので、見張っていたのだろう。

制服が青になってから、どうもいけない。
昨日のニュースで、警官が犯人を取り逃がしたり、押し入れに入っている死体を確認せず、一晩ほったらかしだった、というようなことを聞くにつけ、日本の警察のレベルダウンを考える。
しょせんは役所なんだろう。
入った時は市民のためにとか、安全を守るという使命を感じているのだろうが、何年も経つとどっぷり警察に漬かってしまう。
市民よりも身内の論理が強くなる。

どこの組織も同じだ。
大学でも、社会のためというより、身内の論理がすぐに働く。
大学しか知らない人の常識は、あきれるほど非常識だ。
非営利の悪いところだろう…。

話はそれたが、あの青い制服に変わったのはいつだろうか。
どうも青になってから、威厳がなくなったような気がする。
以前の黒の制服の方がよかった。

調べてみると平成6年に変わっている。
もう15年もたつのか。

今の制服はガードマンと区別がつかない。

ガードマンの制服は警察に遠慮して、みんな青にしていたら、警察がガードマンのマネをして青にした、という感じ。
おかげで、警察官は何となく軽くなった。
これが印象だけのモノなのか、それとも本質も関わったものなのか…。

前者であることをのぞむ。



| | 考えたこと | 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
そこまで来たか…
日本自動車工業会が「2008年度 乗用車市場動向調査」の結果を発表している。

それによると、大学生が興味や関心がある製品/サービスのランキングで、自動車は17位とのこと。
もう少し上だと思っていたが、そこまで来たかという感じ。

ちなみに1位はパソコン、2位ファッション、3位携帯音楽プレーヤー、4位通信機器、5位国内旅行…と続く。

1位のパソコンはちょっと意外だが、ファッションや携帯音楽プレーヤー、通信機器(これは携帯電話のことだろう)はまあ妥当なところ。

20〜30代でも、自動車は10位になっている。
順位は大学生とちょっとしか変わらない。
1位から、パソコン、ファッション、通信機器、国内旅行、音楽…となっている。
自動車に票を投じたのは、40歳に近い人たちだろうと思われる。

40〜50代でやっと自動車が7位になる。
やっぱり50近い人が選んだんだろう。
ここでは、ちょっと順位が変わり、ファッション、国内旅行、外食・食べ歩き、書籍、音楽…と続く。
書籍が入ったのがさすが中年か。

自動車のカリスマ性がなくなって久しい…と今まで書いてきたが、ここまでとは思わなかった。

今の20代の人たちも必要にせまられれば、免許を取って乗るのだろうが、積極的に乗りたいとは思わないかもしれない。

ぼくらが大学生の頃は、自動車といえば憧れだった。
3人で共同購入した、5万円の軽自動車でもうれしかった。

コモディティ化という言葉がある。
wikipediaによると、「市場に流通している商品がメーカーごとの個性を失い、消費者にとっては何処のメーカーの品を購入しても大差ない状態のことである」とのこと。

自動車もコモディティ化がぼちぼち起こっているのだと思う。

もちろん、新車はまだまだ高いが、大学生の連中はきっと中古車を買うのだろう。
日本の中古車は高品質だ。(そのうち、落ちてくるだろうが)

これからどうなるのだろうか。

当分、自動車業界は苦しいだろうなあ。



| | 考えたこと | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネタ帳
落語研究会でやったネタのテープがある。

カセットケースに入れて置いてある。
寄席にかけたものだけだから、全部で15くらいかな。
春と秋の寄席と、自分が出た月例の寄席だ。

花色木綿、七度狐、池田の猪買い、口入屋、饅頭こわい、軒付け、湯屋番、胴乱の幸助、親子酒、向う付け、長持…、あとは忘れてしまった。

落語を覚えるために、まずネタ帳を作る。
テープを再生しては止めて書き、また少し巻き戻して再生しては止めて書き…、一行おきに書くとすぐ20ページくらいになる。
今なら、デジタルにして、ゆっくり再生して書くなどという方法もあるなあ。

ネタ帳作りをした時点で、だいぶ覚えている。
でも、まだ口をついて出るというところまではいかない。

次に、高座でネタ帳を見ながらしゃべる。
プロは口うつしで覚えるらしいが、ぼくらはネタ帳を読む。
何回か通しでしゃべって、ボチボチ覚えたかな、というところでネタ帳ナシでやってみる。
ところどころ、忘れたところはネタ帳をみて、そしてやっと暗記する。

ここからがスタート。
ネタを何度も繰る。
道を歩きながら、ブツブツ言うのだ。

それと併行して、仕草を教えてもらう。
基本は上下(かみしも)だが、噺によってはいろんな演出がある。
手拭いを使ったり、扇子を使ったり…。
目線の使い方や女性の演じ方、声の使い方など、先輩に聞く。

そして、寄席の前には高座で練習。
みんなの前でやる。
これがきつい。部員はよほどのことがないと笑わない。

やっと本番を迎える。

何度か失敗したことは書いたから、もう書かない。

年に2回の大きな寄席。春と秋にある。
その寄席ではあまりよい思い出はない。
かろうじて、最後の2回はまあまあうけたかな…。

今となってはよくわかる。
練習が足りないのだ。
覚えて、何度か舞台でやって、それからその噺が面白くなってくる。
面白くなるどころか、その手前で演じるのだから、しかたがない。
ぼくみたいに不器用な人間には、難しかった。

でも、落語をやったことは後悔していない。
あの演じている時の感覚や、客席と一体になった時のすごさ…。

もう二度とできないだろうが、あんな経験ができたのは本当によかったと思う。




| | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
続 電子辞書
電子辞書というと、英和辞典・和英辞典・国語辞典・漢和辞典…、というイメージ。
いわゆる辞書というやつ。
ある単語をいろんな辞書で引ける。
意味から和英辞典でひいて、そこで出てきた単語を和英辞典でひき、類語辞典でもひいたりできる。
これは今までの辞書ではできなかったことだ。

それだけでもすごいと思っていたが、今日電子辞書の宣伝を見ていたら、最近はもっと進化している。

タッチパネルと手書きの機能がついた。
そして、内蔵されている辞書や辞典のたぐいが100冊という。
国語、漢字、英語だけでなく、フランス語やスペイン語の旅行会話、ことわざ、四字熟語、漢字検定、TOEIC、日本史、世界史、家庭の医学、百科事典…、何でもある。
英語なら、ネイティブの発音が聞ける。

こうなると、もう辞書ではない。

ある言葉の意味から、その周辺の意味へ飛ぶことができる。

百科事典で調べることもできるのだ。

使い方によっては、知恵の宝庫になる。

電子辞書の欠点だった、わからない単語をわかっていなければ、ひけないということを、ひょっとしたら埋められるかもしれない。

知らなかったことをわかる機器になれば面白い。



| | 考えたこと | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
やるべきこと
何かやるべきことがある時、別のことをしてしまう。
よく本にも載っている。
誰でもこんな気持ちになることはある。

学生時代、宿題をやらないといけないという時に、本棚の本が気になって読んでしまう。
いつもはしないのに、ギターの練習をしたりする。
部屋の片づけをしてみたり、掃除をしたりする。

やるべきことの度合いが強いほど、その誘惑は大きい。

何度もそういうことがあった。

その度に、時間がなくなり、結局いい加減で済ませてしまった…、と少し後悔する。
少し、というところがミソだ。
結局はやりたくないのだ。

やりたくないなら、すぐにあきらめればいいのだが、ジタバタする。
そのジタバタが楽しいのかもしれない。
もちろん、その時は楽しいとは思っていないが、潜在意識では楽しんでいるのだろう。
そういう時に読んだ本で、いまだに覚えているものがある。

連休もあと一日。
仕事を持って帰ったのだが、まだやっていない。

やらないといけない…、と思いつつ、こんな事を書いている。

この場合は、明らかに楽しんでいるのだが…。




| | 考えたこと | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
大人の値打ち
人生で経験できることは、そんなに多くない。

小学校や中学校、高校、大学などは一つしか行けない。
転校はできても、同じ学年は落第しないかぎり二度とできない。
そこで知り合う友だちも限りがある。
場所だって、何ヵ所も変わる人は稀だろう。

会社も通常は一つか二つ…。
それ以外は、経験できない。
仕事の種類はそれこそ山のようにあるが、そのごく一部だけを経験する。

家族にしても、自分を生んだ母親と父親、兄弟姉妹、祖父祖母など、限定される。
それ以外の家族は持てない。

そこで得る経験は自分にとってはたくさんあるが、今は核家族化してそのバリエーションは膨大になった。
そう考えてみると、人間はみんな同じような経験をして大きくなるとはいうものの、その幅は知れている。
いうほど自分の経験の幅は広くないのだ。

それでも、今までは年寄りになると、多くの経験をした人だと世間が認めていた。
酸いも甘いもかみ分けた…というような表現もあるし。
亀の甲より年の功という言葉もある。
人生の悩みは、年寄りに相談して…、ということになっていた。

今はそんなことはない。
昔とは違うから、今の人は年寄りに聞いてもしかたないと思っている。
IT化や多様な雇用形態、そして高度成長が終わった時代。
だから聞いてもムダなのか。

そうでもあるし、そうでもないと思う。

経験の幅はそんなに広くない。
IT化されて変わった部分は、わからないかもしれない。

でも、そんなものに左右されない、根本の部分があるだろう。

それこそ、何のために生きるのかというようなものだ。
それは、変わらない。

それを考えている大人がどれだけいるか、という問題は残る。




| | 考えたこと | 18:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
霧吹き1回の水
うちの葉っぱだけの観葉植物だが、霧吹きで水をやると、しおれていた葉が上に向かって伸びた。

手入れは水をやるだけでいい、と店の人が言っていたが、どうもそうらしい。
水で元気になった。

植物に水というのは大事だと、当たり前のことを再確認した。
百聞は一見にしかず、とはこのことだ。

母なる海という言葉がある。
全ての生物は海から生まれた。

水がなければ生きられない。

人間も60〜70%は水だ。

それにしても、霧吹き1回の水であんなに変わるとは…。

長生きしてほしい。



| | 考えたこと | 02:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
復活書房
復活書房という名称、なかなかよくできている。

古本屋のこと。
コミックやゲームソフトもやっている。
ブックファーストと同じで、そこが従来の古本屋と違うところ。

ビジネス上で言えば、買い取り価格を一律にしたことか。
本の知識がなくても、アルバイトでも買い取りができる。

古本屋はネット上にもある。
著者名を入れて検索したり、本のタイトルを入れて調べれば買える。
だからといって、古本屋がいらなくなるわけではない。

今日、復活書房に行って、文庫本を物色していたら、会田雄二の本があった。
本を見つけなければ、そんな本があるとは思わない。

そこがネットの限界だ。
すでに知っているものしか対象にならない。
もちろん、「この本を買った人は、こんな本も買っています」というようなメッセージを出して、知らない本も気づかせるような工夫はしている。
でも、実物を手に取る強さにはかなわない。

結局、会田雄二の本を買った。

復活書房に行かなければ、出会わなかった本だ。

こういうことがあるから、古本屋はやめられない。



| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
立ち止まる時
人生には、猛烈に突っ走るときがある。
そして、立ち止まるときもある。

今は立ち止まるときだろうと思う。

去年の秋に入院して、それからずっとクスリのお世話になっている。
幸い、軽く済んだが、クスリは一生飲み続けるそうだ。
それ以来、どうも元気がない。

たしかに、入院する前は、猛烈に突っ走っていたと思う。
今の仕事にやりがいを感じて、何でも自分でできると思っていた。
年甲斐もなく、いくらでも働けるなどと思っていた。
休日出勤しても、平気だった。
それでバチが当たったんだろう。

帰りのクルマで眠くなったり、あくびが出たりする。
今までになかった事だ。
もう、無茶はするなというサインかもしれない。

立ち止まって、回りの景色を見る。
仕事を変わってまる5年が過ぎた。
3年でムリならやめようと思っていたが、よく続いたと思う。
シンドイときもあったし、腹が立つときもあった。
前の仕事を辞めた自分を恨んだときもあった。

いろんな事があって、5年と1ヶ月。
今日から5月だ。

ビージーズの「若葉のころ」という歌がある。
First of Mayという原題。
小さな恋のメロディという映画の歌。

Don't ask me why
The time has passed us by

時が過ぎ去ってしまったんだ…。

何となく、ぴったりくるなあ。




| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |