考えたこと2

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Windows11
Windows10の次ができる。
今回も無料でアップデートできるらしい。
6年ぶりのメジャーアップデートだ。

今回はスマホやタブレットとの連携が主体らしい。
アマゾンと組んで、アンドロイドの端末で使えるアプリストアをオープンする。
さらに、アマゾンのアンドロイドアプリがWindows11で動く。
これで、アップルやグーグルChromeと互角になる。

Windowsは事実上のビジネス用のPCのプラットフォームになって、古い資産をなかなか切り捨てるわけにもいかず、肥大化してしまった。
グーグルやアップルがクラウド化していっているのに、身動きが取れなかったのだ。
それは勝者だったからこその難しさだったのだろう。

しかし、だいぶ遅れてWindowsもスマホの連携、アプリの活用を主体にしてアップデートをすることになった。
何やかや言っても、Windowsは一番多いOSだから、まだまだ強い。
ブラウザもChromeと互換になって、強くなった。
マイクロソフトは現実路線を歩んでいる。

マイクロソフトブランドのPCであるサーフェスはわりと調子がいいようだし、GAFAに一矢報いる準備はできたのだろう。
アマゾンを味方につけたのは大きい。

問題は過去の資産をどうやって引き継ぐかだろう。

でも、大きくなりすぎたGoogleを牽制できるのはマイクロソフトだと思う。

2022年のアップデートが楽しみだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
内定率
こないだも書いたが、今年の内定率の記事。
今度はリクルートがやっている内定率の調査結果だ。

いまだに、内定率の報道で家族からプレッシャーを受けているとか、自分はダメなのだと思っている就活生がいる。
就活に関わっている人間から見ると、ほとんどフェイクニュースのたぐいだと思うのだが…。

その中でも、この調査結果は数字はともかく担当者は罪の意識を感じているのだろう。
調査結果は68.5%だが、ちゃんと調査対象の内訳が書かれている。
それによると、

【調査対象】2022年卒業予定の大学生および大学院生に対して、「リクナビ2022」にて調査モニターを募集し、モニターに登録した学生8,737人(内訳:大学生7,262人/大学院生1,475人)
【調査方法】インターネット調査
【調査期間】2021年6月1日〜2日
【集計対象】大学生1,243人、大学院生418人(文部科学省「学校基本調査」の数値を参照し、ウェイトバック集計)

となっている。

学部生だけを見ると、募集に応じてリクナビにモニター登録した学生が7262人。
その中で調査に協力した学生が1243人ということだ。
その協力者のなかでの就職内定率が68.5%という数字。
人数で言うと、1243人のうちの851人ということになる。

もともと7262人いて、調査に協力した人が1243人ということだから、調査に対する協力率が17%。
残りの83%の学生は、なぜ調査に協力しなかったのか、ということだ。
単に登録しただけという無関心層もいただろうが、多めに見積もって協力しなかった学生の半分が(不本意な)内定を得ているとすると3010人。
3010人と調査でわかった学生の851人を足して3861人。
これは母集団の7262人の53%になる。

つまり、「多めに見積もっても全体の53%」という数字が出てくる。
リクルートの担当者もそういうことがわかっているから、ちゃんと数字を載せているのだ。
分かる人は、分かってくれと思っているのかもしれない。
明らかに調査対象の集団が、母集団を表しているとは思えないからだ。

他の会社は調査の方法がわからなかったりして、非常に不親切。
だいたい、就職ナビの会社の数字が高く出るのはいつものこと。
就活が早期化している、ということを言いたいのだろうが、内定率という数字そのものが独り歩きしてしまうことはわかっているだろう。
それでどれほどの学生が無用な焦りを感じているか。

せめて、内定率の数字そのものは不正確で、前年比の動きに意味がある、くらいのことはプレスリリースに注意書きで書くべきだ。







| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
宇宙戦艦ヤマト2202
2週間かけて宇宙戦艦ヤマトの2202版を見た。
今回は滅びの美学。

結局は地球は救われるのだが、長いストーリーの中で何度も旧日本海軍を模したセンチメンタルな場面の連続だ。
これでもか、これでもかとそういう場面が続く。
このアニメでは宇宙は海なのだ。
よく考えたら、歴代のヤマトの艦長が沖田、土方という新選組からとった名前なのも、滅びの美学を表している。

今回は今まで宿敵だったガミラスと地球は同盟を結んでいる。
新たな敵は人工生命であるヒューマノイドの帝国。
ガトランティスという。

地球軍の最新鋭の戦艦はAIが動かしており、人間はほとんどいない。
AIは負ける戦いはすぐに退却する。
地球人類が生き延びることが目標。
そういう合理的な戦局判断をする。

しかし、人間は感情の生き物だし、結局はAIには従わない。
いかにも日本人という感じ。
そうやって、味方は一人も死なないという作戦を感情に任せて立て、結局はたくさんの人を死なせたのが戦時中の日本軍。

コロナの対応を見ていても、ゼロコロナとか言っていて、結局は思考形態は同じだ。
科学が嫌いなのだろう。

「引き金をひかない」という選択は、実際の戦争中にはないだろう。
ドラマの中だからできる。
そういうセンチメンタルさが昭和の人たちには受けるのだと思う。

しかし、コロナ禍の中でこれを見ると、ちょっと辟易としてしまう。
平時に見たら、それなりにいいところもあるのだろうが…。

このアニメ、いつまで続けるのだろう。
ホームページを見ると、2202のあと2205も前編は作られているようだ。

コアなファンがいるのだろう。
こういうセンチメンタルさは日本人の琴線に触れる。

しかし、どう見ても戦争賛美のアニメなのに、世にいうリベラルな人たちから、クレームはつかないのだろうか。

でも、また2205を見るんだろうなあ。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
相対的貧困
貧困というと、貧しい国を思い出し、例えばアフリカの国々はまだ衛生状況も悪く、食べ物もそんなによくないと思う。
ケーブルテレビを見ていると、しょっちゅう国連のユニセフの宣伝が出てきて、貧しい国の子供を助けてほしいと訴える。
いったい、寄付のどれだけが彼らのもとに届くのか、ということをはっきりさせてもらわないとなあ、といつも思いつつ、寄付を踏みとどまる。
これらは絶対的貧困と呼ばれ、世界銀行では「1日約200円未満で生活する人々」と定義されていて、2015年には全世界で約7.36億人いるらしい。

それに対して、相対的貧困という言葉もある。
これはある国で「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」という定義になる。
等価可処分所得とは、世帯の可処分所得(収入から税金や社会保険料を引いた実質手取り分の収入)を世帯人数の平方根で割って調整した額らしいから、国民一人あたりが使える給料や小遣いのことになる。
所得者だけでなく、世帯の子供なども含んで、割った額になる。

この定義で行くと、日本の相対的貧困率は2016年に15.7%になり、約6人に1人が「相対的貧困」。
OECD諸国では日本はアメリカに次いで2番目に相対的貧困が高い国らしい。

これは平均値ではなく中央値だから、1人でも所得の最高額が法外に高い人がいるともろに上がる。
要は相対的貧困を決めるのは、どれだけのレンジで所得がばらついているか、ということだ。
中央値の半分に満たないということは、下から1/4のところまでの人になる。
それが16%くらいの人数ということだ。

アメリカは格差が問題になっており、CEOの法外な給料などの話も聞いている。
だから、当然相対的貧困度は1位というのはわかる。
しかし、日本が2位というのはちょっと意外だった。

日本は1992年あたりから、GDPの伸びが鈍化し、今まで続いている。
とはいえ、1970年代からの高度成長時代を経て、社会は比較的豊かになっている。
ぼくらが小さい頃は確かに貧しかった。
アスファルトの舗装もなかったし、写真は白黒だったし、3種の神器と言われたカラーテレビもクーラーも車もなかった。

でも、今や一部屋に1台クーラーがあり、液晶の大型テレビもある。
見る人は激減しているが…。
車もどんどん増えて、1.4人に1台くらいだ。

そんな状況が30年ほど続いているのだ。
失われた30年で少し貧しくはなったが、他国から見るとそこそこ豊かな国だ。
インフラも老朽化したとはいえまだまだ大丈夫だし、国の制度もある。

その豊かさがあるがゆえに、相対的貧困というのが生まれる。
レンジで下位1/4から下の所得の人が、みんなが貧しければ何とも思わないが、豊かだからこそ貧困を感じる。

こういう問題はどうやって解決するのがいいのだろうか…。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
多様性の尊重
最近LGBTの問題などで「多様性の尊重」というような事が言われる。
企業の人事も「多様性」というのはキーワードだ。
要は多様な人々の中からしか。いいアイデアは生まれないということだろう。

多様性は無条件にいいことだろうか。
ぼくにはそうは思えない。
イギリスがEUを脱退したのは、移民がどんどん入ってくるということが原因の一つ。
欧州のいろんな国で、同様の問題は起こっている。

世界中のいろんな所で起こっている民族紛争も、元はといえば多様性を排除しようということだろう。
そういう日本も、移民は厳しく制限している。

だからこそ、多様性が大事というのはよくわかる。
本当はそうなのだろう。

最近は男女の境目も多様になってきた。
身体と心を分けて、男男、男女、女女、女男の4つの組み合わせがある。
それらを全て認めようということだ。

従来は男男と女女だけだったが、新しく男女、女男ができた。
よくわからないが、男女はゲイ、女男はレズということになるのだろうか。

2000年にアメリカの会社に行ったとき、Unisexのトイレがあって、どういうことなんだろうと驚いた。
そういえば、アリー・マイ・ラブというドラマのなかで、みんながプライベートに集まる場所も、Unisexのトイレだった。
ぼちぼち日本でもそういう施設ができつつある。
アメリカから20年遅れという感じだ。

だからといって、アメリカ人全員がそれを認めているわけではない。
ぼくが行った会社の人は、Unisexのトイレの使用者をHeでもSheでもなく、Itと呼んでいた。
もちろん、食堂でのひそひそ話で、表立っては言わない。

彼は元々は男だったが、ある日カミングアウトして女性になった。
女性になったから、女性用のトイレを使うと、他の女性から「嫌だ」という声が出た。
そこでUnisexのトイレができたということらしい。

もしも制服だったら、ロッカーで着替えるのも揉めるだろう。
幸い、その会社は制服ではなかったから、Unisexのロッカーは作らなくて済んだ。
元カレの子供は急にお父さんがいなくなり、お母さんが二人になったらしい。
家族が認めてくれて、良かったのだろう。

多様性を受け入れるというのは大変だ。
それなりに社会のコストも増える。
豊かになったからこそ、そういうことが言える。

ぼくにはどうしても違和感がある。
そういうことが胸を張って言える時代になったというのは、いいことだろう。

でも、本当に多様性を認めるのなら、多様性を認めない人にも寛容になるべきだとも思う。
今の風潮は、多様性を認めない人は遅れていて、ダメな人間だという感じだ。
本来なら、その多様性も認めるべきではないのか。

別にこちらは多様性を認めているけど、どうしようもない違和感があると言っているだけなのだから。

多様性は認めるけど、「多様性を認めようとしないという人間」は認めないというのは、どうもオカシイ。

それらを全部認めてこその多様性だと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
アップルカー
アップルカーというのは、アップルが開発しているという電気自動車のことだ。
それについて、立教大学ビジネススクールの田中道昭教授が書いた記事を読んだ。
この人は「アップルカーは3年以内に自動車業界を根本から変える 移動手段はライフスタイルに変わる」ということを言いたいようだが、本当にそんなことが起こるのだろうか。

ぼくは自動車業界の端っこで25年働いたが、ここに書いてあるほどクルマは単純なものではないと思う。
この人の言っている「クルマ」というのが、都市部で買い物や近くの通勤に使う程度の利用だけなら、あり得るとは思う。
でも、普通のクルマなら、3年という時間ではとても無理だろう。

この人は最終学歴がシカゴ大学のMBA。
日本の大学は上智大学で文学部。
金融畑がメインで証券会社や投資銀行のマネージングディレクターを歴任という経歴。
WBSのコメンテーターもしている。
しかし、自動車業界など関係ないし、金融以外の実業の世界も知らないと思う。

ゴルフカートに毛が生えたようなクルマなら、3年以内にアップルが作れるかもしれない。
でも、そんなものは所詮おもちゃのようなもので、ごく一部でしか使われないだろう。

もちろん、この人の言っているコンセプトは間違っていないとは思うが、ぼくはアップルはホビーマシンの会社だと思う。
あくまで趣味の世界であって、その意味ではすばらしい。
ただ、それも全部がアップルでなければ成立しないものもたくさんある。

iPhoneを使うのなら、Macを使うほうがいい。
Appleの音楽配信サービスを使い、アップルの経済圏に入れば快適だと思う。
でも、それはあくまでホビーの領域だ。

お絵かきや音楽など、プロフェッショナルなものもあるが、あくまでエンタメ系だ。
実際にビジネスに使うのなら、規模の経済も含んで、アップルには至らないところがたくさんある。
残念ながら、所詮はホビーマシンなのだと思う。

彼は、アップルカーは、CASEを実現するという。

「次世代自動車の4つの潮流である「CASE」全体を推進するものであろう、ということです。すなわち、Connected、Autonomous、Shared & Service、Electric。スマート化、自動運転、シェア化・サービス化、電動化です。」

たしかに、CASEは自動車業界にいずれ起こる事態だろう。

でも、ぼくはそのキープレイヤーは少なくともアップルではないと思う。

クルマは命を載せて走っているのだから。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 立花隆
立花隆が4月30日に亡くなった。
後半生は科学ジャーナリストという感じだったが、ぼくには若い頃の著作の影響が大きかった。
若い頃に「田中角栄研究」、「日本共産党の研究」を書いた。
これらは食うためにやった仕事だろう。

でも、入念な取材、調査をやって書いていて、その方法論を書いた本もあったはず。
どちらかというと、日本共産党の研究が印象に残っている。
彼の執拗な調査、取材によって、この本ができたのは立派。

「農協」という本もあった。
この本を読んで、日本の農家に対して農協がやってきたことがわかった。

その後、彼が科学に傾倒して書いた「宇宙からの帰還」「臨死体験」「精神と物質」なども読んだ。
「宇宙からの帰還」はアポロ宇宙船のクルーにインタビューしていたはず。
宇宙に行くと、宗教心が強くなるということだった。
なるほどと感心した。

「臨死体験」は文字通り死にそうになって、帰ってきた人へのインタビュー。
死の瞬間の体験が語られていたはず。
「精神と物質」はノーベル賞を受賞した利根川進と共著。
利根川の研究をわかりやすく解説していたと思う。

それ以外にも知的生産の方法について書いた「「知」のソフトウェア」とか、彼の読書遍歴を書いている「ぼくはこんな本を読んできた」、時事問題の解説をしている「同時代を撃つ」シリーズなどが、ぼくの本棚に並んでいる。

彼はネコ好きで、自分のビルにネコビルという名前をつけていた。
壁面にネコの絵が描いてあるらしい。

また一人、偉大なジャーナリストが亡くなった。
政治がらみの本で世に出た人。
どちらが後世まで残るかというと、きっと政治の方だと思う。

80年の彼の生涯を考えると、圧倒的に科学ジャーナリストだが…。

合掌。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロックの終わり
70年代、80年代のロックというのは、ハードなものから、フォーク調のものまでたくさんあった。
代表的なものといえば、やっぱりハードなもの。
レッド・ツェッペリン、GFR(グランド・ファンク・レイルロード)やディープ・パープルなんかは日本でも流行った。

ぼくは1977年に初めてのエレキギターを買ったが、それはレスポールのモデルだった。
エレキの老舗といえば、ギブソンとフェンダーの2社。
レスポールはギブソン製の代表モデル。
当時は、出力の大きなハムバッカーピックアップを搭載したレスポールが人気だった。

ところが、ぼくがギターを習い始めた2005年くらいから影が薄くなった。
先生はフェンダーのテレキャスターというモデルを使っており、ぼくもそれにならって買った。
どういうわけか、レスポールモデルを使う人が減ったのだ。
それと同時に、ハードロック、というジャンルが、メタルに取って代わられたのだと思う。
音楽をジャンル分けすることにそんなに意味があるとは思わないが、ハードロックとメタルはやっぱり違う。

ハードロックには「反逆」のイメージがあるが、メタルにはない。
もともとハードな音楽は好きではなかったが、ハードロックにはそういう政治色がまとわりついているように思う。
それがベルリンの壁が崩れたあたりから変わった。
冷戦の終結が、ハードロックの終わりを招いたように思う。

その頃から、アメリカの分断が始まり、その中でラップなどの黒人音楽が出てきたのではないか。
国をまとめていた冷戦の意味は大きかったのだろう。

その盛衰とともに、ギブソンの代表であるレスポールが見られなくなった。
そして、数年前ギブソンは破産申請した。
今は再建されているが、レスポールの影は薄い。

ギブソンのエレキギターはフライングVとか、エクスプローラーとか、武骨なものも多い。
その形と出力の大きいハムバッカーというピックアップの組み合わせが良かったのだろう。

今のギブソンはどちらかというと、ボディ内に空洞があるセミアコースティックのエレキギターがよく見られる。
時代は変わったのだろう。

再建されたギブソンがこれからどんなモデルを出してくるのか、楽しみだ。

ロックが終わって、武骨なものが流行らなくなった時代。
スマートなもののほうがいいのだろう。

新しいギブソンスタンダードはまだ模索中だ。




| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカの航空業界
アメリカの航空業界は想定を上回るペースで旅客需要が増えているらしい。
そのため、積み上がっていたボーイングMAXの在庫が売れているとのこと。
ウォール・ストリート・ジャーナルに出ていた。

内部情報によると、在庫が100機あったMAXが今や10機程度らしい。
ワクチン接種が進み、国内線の需要が増えている。
夏の旅行需要も跳ね上がっているらしく、国内線の搭乗率は平均84%まで回復したとのこと。
空港内の保安検査を通過した乗客は1日200万人もいるらしい。
一時帰休していたスタッフも呼び戻され、新規採用もやっている。
アメリカ国内は本当に復活しているようだ。

日本は国土も狭く、別に飛行機を使わなくてもいい、という状況だから航空会社はまだまだ苦しいだろう。
旅行会社も資本金を減資したりして、中小企業並みの法人になったりしている。
まだまだ当分苦しいという感じだ。

死者数で見ると、アメリカは599472人、日本は14045人。
アメリカは日本の40倍以上。
日本は死者数は少ないが、GDPの低下率はアメリカやヨーロッパよりも低く、低下率は1位らしい。

おまけに欧米は例年比で超過死亡者は増えているが、日本は大幅にマイナスとなっている。
ワクチン接種率が低くても、もとから死者数は少ないのだ。
医療崩壊と言っているが、この現実。

日本の医療体制では欧米の5%程度の患者や死亡者で医療崩壊するという。
世界一の病床数を誇っているにも関わらずだ。
日本の医療体制は見直さないといけないと真剣に思う。
日本医師会が日本寿司会と呼ばれるだけのことはあるだろう。

そういう事実は報道されない。
アメリカの航空業界が回復基調にある、ということは、人の移動が起こっているということで、経済が動き出しているということだ。

もうヤケクソでオリンピックもやって、大騒ぎして、一気にコロナを吹き飛ばすのもありかもしれない。

マスコミは、コロナが収まるのは望んでいないだろうが…。
これも情けないことだと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
車のある風景
今やあまり購読されていないと思うが、松任谷正隆がJAFメイトというJAFの会員誌にエッセイを書いている。
「車のある風景」というA4見開きのエッセイ。

彼はカーグラフィックTVなどの番組にも出ていて、昔で言うカーキチ(くるまキチガイのこと、今は放送禁止用語だろう)だ。
音楽は仕事でやっていて、クルマが趣味、という感じ。本当にクルマが好きなんだろう。
日本自動車ジャーナリスト協会にも所属しているほど。

このエッセイが面白い。
彼は1951年生まれだから、ぼくより6つ年上。
もう70歳になる。

ネットで見てみると、トヨタのスプリンターを18歳で乗り始めて、本当にいろいろなクルマに乗っている。
時々文中に出てくる「かみさん」は、言わずとしれた松任谷由実。
「かみさん」は「由美さん」と呼ばれることもある。
そういう関係が垣間見れるのも興味深い。

いつから連載しているのかわからないが、年に10回出るJAFメイトを購読する理由になっている。
なんとなく、免許をとってからJAFに入り、そのまま継続しているのだ。
今は保険会社がレッカー処理もしてくれるので、止めてもいいのだが…。

今月は高速でヤクザにからまれた話。
よく似たクルマで、クルマ間違いだったのだが…。

世代も近いし、奥さんも知っているし(当然、向こうは知らない)、「車のある風景」は日本のモータリゼーションが右肩上がりの時期を描いている。
まとまって本にしてくれたら、買おうと思う。

彼も70歳だし、いくつか本は出しているが、あのエッセイはきっと代表作になると思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
エルサルバドルの革新
エルサルバドルの大統領がビットコインを法定通貨にする、と宣言したらしい。
まだ国会で承認されていないが、どうなるのかと思う。
39歳の若い大統領。

国の通貨を発行するというのは、主権国家としての権利であり、それをある意味別のところで流通しているもので代行する、というのはどうなんだろうか。

主たる目的は、エルサルバドルからアメリカに来ている不法入国者の出稼ぎの送金をやりやすくする、ということらしい。
不法入国者は簡単に送金できないのが実情だが、ビットコインにすればスマホで簡単に送金できてしまう。
ある意味、国家の権利を侵害しているとも言えるかもしれない。

エルサルバドルでは国民の7割が銀行口座を持っていないらしい。
となると、現金を送るしか送金の手立てはない。
それをスマホでやろう、ということだ。

すでに国の通貨はドルになっているとのことだ。
アメリカへの移民は140万人もいるらしい。
本国の人口は640万人だ。
国民の15%ほどが移民になっているということになる。
アメリカからの送金額はGDPの約2割にもなるらしい。

一方でやはりアメリカは懸念を表明している。
国家の記録に残らない海外送金は、いざという時に困るからだろう。
要は、お金に関して国境がなくなる、ということだから。

エルサルバドルのように、金融が発達していない国にとっては、もとから金融業の受ける痛手は小さく、国家収入が増えるメリットのほうが大きくなる。

インターネットを使ったフィンテックというような技術は、国家など意識していない。
このあたりが問題だ。
だからこそ、GAFAなどは国を超えて儲かるのだ。
EUや本国のアメリカすら課税を強化しようとしている。

アナーキーなビットコイン対伝統的な通貨ドル。
これを解決するには、やはり中央銀行が電子通貨を発行するしかないのだろうか…。

中国はデジタル人民元という通貨を作っているが、どの程度動いているのだろう。

エルサルバドルの実験はよく見ないといけないと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 10:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウォークマン
若い頃に「これはすごい」と思った記憶は、そう簡単に拭えない。
ぼくは2年ほど前にソニーのウォークマンを買った。
当時でも、スマホに音楽を入れて、プレーヤーで聞けたのだが、それでもウォークマンを使ってしまう。

なぜいつまでもウォークマンを使うのか?と息子たちは疑問に思っているかもしれない。
ぼくにとっては、音楽は電話機などで聞くものではない、という思い込みがある。

ウォークマンが出た当時、本当に画期的だった。
要は単なるカセットプレーヤーだが、スピーカーがなく、ヘッドフォン専用で、持ち歩きできる。
つまり、音楽をいつでもどこでも聞ける、ということだ。
今でこそ当たり前になったが、あの当時は驚いた。
あのときの感激が今でも尾を引いているのかもしれない。

何台かウォークマンを買い替えた。
長男が中学に上がったときは、カセットの時代の終わりだった。
非常に短い寿命だったが、彼もパナソニックのプレーヤーを持っていた。

そこから、MDに変わった。
これもカセットに比べると、短い寿命だった。

次に出てきたのがiPodだ。
ここらあたりから、ソニーの凋落が始まった。
それまではウォークマンが小型の音楽プレーヤーの代名詞だったが、アップルのiPodになってしまった。
ちょうど日本の電機メーカーがダメになった時期た。
その絶頂期の象徴が、ウォークマンだった。

ウォークマンはそれからも細々と作り続けられたが、もうあの名声を得ることはなかった。
今、ぼくが持っているのは、ネット接続しない型のウォークマンの最終形のものだ。
もはや音源はネットから、の時代になってしまった。

それでも、ぼくはしつこく音源を持ち歩く派だ。
本体メモリとマイクロSDカードに入れている。
なんでそういうことをするのか、と聞かれても、返事がだんだん難しくなってきた。
理屈ではスマホのプランを変えて、無制限にして、好きなものを聞く、というのが方向だろう。

今日、改めて考えたら、スマホとウォークマンを両方持って歩くのは無駄かなあと思ってしまった。

でも、おかげで安いプランでスマホは使える。
それでも、通信費が安くなったら、いよいよウォークマンは終わるかもしれない。

一つの時代が終わっていくのだろうか。

まあ、若い人たちにとってはもう終わっているのだが…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガス会社のカーボンニュートラル
こないだ模擬面接で東京ガスを受けるというので、東京ガスのホームページを見て調べていたら、びっくりした。
東京ガスがカーボンニュートラルへの取り組み、ということをうたっている。
当然だが、ガスを燃やせばCO2が出る。
どうやってゼロにするのだろうか。

ホームページを見るとこういう説明があった。

「東京ガスグループは、経営ビジョン「Compass2030」において、東京ガスグループの事業活動全体で、お客さま先を含めて排出するCO2をネット・ゼロにすることに挑戦することを掲げています。CN都市ガスをはじめさまざまなソリューションの提供により、お客さまとともに地球規模での環境負荷低減への取り組みをこれからも推進してまいります。

<CN都市ガス>
CN都市ガスは、天然ガスの採掘から燃焼に至るまでの工程で発生する温室効果ガスを、CO2クレジットで相殺(カーボン・オフセット)し、燃焼しても地球規模ではCO2が発生しないとみなすLNG(CNL)を活用したものです。東京ガスが2019年に輸入を開始し、CN都市ガスとして日本で初めてお客さまに供給を開始しました。なお、対象となるCO2クレジットは、信頼性の高い検証機関が世界各地の環境保全プロジェクトにおけるCO2削減効果をCO2クレジットとして認証したものです。」

要はガスを燃やして出るCO2の分を、吸収して相殺しておく、ということみたいだ。
これで一体ガス代はいくら上がるのだろうか。
「特集 「CO2ネット・ゼロ」への挑戦」というページもあって、CO2を回収したり貯めておく技術をいろいろと説明しているが、どこにもどれだけお金がかかるかという記載がない。

CO2を全体で相殺してゼロにする、という理屈はわかるのだが、どう考えてもコストアップだろう。
今まで単にガスを送っていただけだが、そこにCO2を回収したり、他で吸収する手間がかかる。
どう考えても、ガス代を上げないとペイしない。
エネルギーコストは一種の税金のようなもので、生きていくために必要不可欠。
それが上がるのはもろに生活を圧迫する。

それでも、カーボンニュートラルとかネットゼロとか言う状況はわかるのだが、日本が排出しているCO2は世界のたった3%。
3%だから無視してもいいとは言わないが、アメリカや中国は合計すると世界の4割近い排出量だ。
日本はもともと省エネの進んだ国だから、そこまでしてやる必要があるのだろうか。

それなら、日本の省エネ技術を輸出して、外国で減らしたCO2をカウントしてもらえばいいのではないかと思う。
調子に乗ってカーボンニュートラルとか言うのなら、どれだけ消費者が転嫁コストを払うのか、明確にしてから言うべきだろう。

それでなくても原発が止まった日本はエネルギーコストが世界で最高レベル。
産業が逃げ出すのは当然だ。

ガス会社がカーボンニュートラルを言わないといけない空気は恐ろしい。
経営者も本気で言いたくはなかっただろう。

カーボンニュートラルの議論をするのなら、一人あたりのCO2排出量を計算して、アメリカや中国のレベルを計算してからやるべきだと思う。

国はどうしてそういう交渉をしないのだろうか…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 小林亜星
5月30日に小林亜星が亡くなった。
この人、作詞も作曲もやっていた。
CMソングで有名だ。
学生時代はジャズに明け暮れていたらしい。

ぼくが今でも覚えているのは、ブリヂストンの「どこまでも行こう」とレナウンの「ワンサカ娘」。
当時の音楽にしては、とてもモダンだった。

どちらも長調の明るい曲。
「どこまでも行こう」は「口笛を吹きながら」のところで、アレンジによってはちょっと暗い感じになる。
Youtubeではゴスペル風に歌っているThe Ensemble Liberte Wind Orchestraのバージョンがあった。

原曲はコード3つのカントリー風の曲だと思うが、きっと彼はジャズの音を使いたかったんだろう。
この曲は歌詞もぴったり来る曲だ。

「ワンサカ娘」はたぶん日曜洋画劇場のときに聞いたんだと思う。
Youtubeで探したら、シルヴィー・バルタンが出てきた。
こちらはジャズのビッグバンド風だ。

この曲も「レナウン レナウン レナウン レナウン娘が」の「娘が」のところで半音下がる。
ブルージーな雰囲気になって、それがすごくモダンに感じたんだろう。

一度テレビに出た彼が「太っていると、飯を食うだけで汗だくになる」というのを聞いた。
その時は、医者に言われてダイエットしたときだったように覚えている。

日立の「この木なんの木」も彼の作。
覚えはあるが、それほど心に残っていない。
この頃は仕事で忙しかったのかもしれない。

やっぱり1曲挙げるとすると「ワンサカ娘」。
レナウンという会社はなくなってしまった。
それでも、ぼくらの世代が生きている限り、レナウンの名前は「ワンサカ娘」とセットで生き残るだろう。

合掌。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
E7のドレミファソ
オルタードスケールというのは、前にも書いたがジャズでよく使われるスケール。
テンションが多く含まれるややこしいものだ。
基本的にセブンスコードで使われる。

キーがAmの時には、E7がセブンスコードで使われることが多い。
E7の音が鳴ったら、次はAmに行きたい、という感じの和音。
実際、E7→Amというのはドミナントモーションという動きで、安定感を与えるといわれている。
この、E7からAmに行くときには、Amのドレミファソというのが使えるというのが驚きの事実。

E7というのはミソ#シレという和音だから、普通はドやファやソというのはあまり使えない。
でも、E7→Amという動きのときは、ドレミファソが使える、ということだ。

なぜこうなるのか、ということを先生にせつめいしてもらった。
E7の和音の時のオルタードスケールは、ミファソソ#ラ#ドレになる。
これを並べ替えると、ドレミファソソ#ラ#になり、文字通りドレミファソはE7のオルタードスケールの中の音になっている。

たしかに、E7→Amの動きの時にE7でドレミファソを弾いても、そんなに外れた感じはない。
不安定な感じは大きいが、それなりの音になる。

付け加えれば、E7→Amの時によく使われる音がE7のb13thの音。
これがAmのドになる。
だから、キーが変わっても、ドミナントモーションの7thコードのb13thの音さえ指板上でわかっていれば、そこをドだと思ってドレミファソを弾けばそのキーでオルタードスケールを弾いたことになるということだ。

これで、わけのわからないオルタードスケールが一気に身近なものになる。
ドレミファソは12345のことであり、これはすぐに見つかる。

なるほど、こういう風にして、オルタードスケールをみんな覚えているのか、と理解した。

先生は、自分の場合はそうだが、ほかの人はどうかわからない、と言われたが、きっとみんな多かれ少なかれそうだと思う。

また一つ賢くなった。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
スカイラインの終わり
日産のスカイラインが終わるというニュースがあった。
新型車の開発をやめるらしい。
日産にとっては、もとプリンスの車種だから、見切りができたのかもしれない。
意外とそういうことはあるんだと思う。

1957年に当時の富士精密工業(後のプリンス自動車工業)が初代のスカイラインを発売したらしい。
ぼくは日産車は買ったことがないが、スカイラインは「走る車」だったなあ。
暴走族がよく乗っていたのは事実。

箱型の四角い形はハコスカと呼ばれていた。
これは3代目らしい。

ケンとメリーのスカイラインもあった。これは4代目だ。
バズという2人組のデュオがテーマソングを歌っていた。
ケンメリ、と呼ばれていたなあ。
1972年に発売された。
記憶ではもっとあとだったように思うのだが…。

当時の若者はクルマがほしかった。
田舎の親は、都会に出ていく子供を引き止めるために、「クルマを買ってやる」と言うのが効き目があった時代だ。
そこにケンとメリーという若い男女が登場するCMのイメージは当たった。
残念ながらこの曲を歌ったバズは一発屋になってしまったが…。

今はどこの会社もSUVの時代。
スポーツ・ユーティリティー・ビークルのことだ。
大きな径のタイヤをつけて、車高は高めだが、スポーティーな形になっている。
どこのメーカーもこぞってSUVのモデルを出している。
ホンダのフィットやトヨタのヤリスもSUVモデルがあるくらいだ。
これほどセダンの人気がなくなるとは思わなかった。

クラウンも終わるし、スカイラインも終わる。
どちらもメーカーのメインの車種だ。

日産はEVの開発をしないといけないから…、ということらしい。
やはりEVになると、もうスカイラインという手垢のついた名前は使わないのだろうか。

スカイラインやセリカ、シルビア、ローレル、マーク2、ファミリア、セドリック、RX-7…、消えていった名前も多い。
昭和のクルマだ。

前を向いて生きるべきか、それとも後ろを見ながら生きるべきか。

そんなことを思う歳になった。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハイブリッド車
世界でハイブリッド車をたくさん作っている国は日本だけだろう。
それだけ技術がある、ということだ。

フォルクスワーゲンを筆頭にした欧州勢はディーゼルエンジンに賭けて失敗した。
燃費の虚偽をしてしまったからだ。
もともと大気汚染という意味ではスジが悪かったディーゼルエンジンが悪者になると、欧州勢は一気に未来をピュアEV車に乗り換えた。

アメリカにはテスラというピュアEV専門のメーカーがいる。
車という製品を電気で作り変えよう、という感じだ。
ただ、ここも影響力はあるものの、そんなに車を作れない。
フォードもGMもまだまだ従来のガソリン車がメインだ。
でも、未来はハイブリッドではなく、ピュアEVにしている。

電気自動車、と巷で言われているのはピュアEVのことが多い。
エンジンを併用している車は、未来には存在しないと言いたげな規制や、威勢のいい言葉が出てくる。
地球温暖化も見方にして、まるでピュアEVでなければならない、という感じだ。

2040年にはエンジンをなくす、という方針は多くのメーカーが言っているが、本当にできるのだろうか。
今や石油の輸出国になったアメリカも、そちらに舵を切るのだろうか。
だんだんと現実味を帯びてくるピュアEVだが、問題もたくさんある。

一つはバッテリーの問題。
リチウムという希少金属を使う限り、コストアップは避けられない。
電池だけで走るとなると、大きなバッテリーが必要になるからだ。

さらに、リチウム電池の製造時に出るCO2も考えなければならない。
もう一つ、今の日本なら原発がたくさん止まっていて、電気は火力で作っているから、その電気を使うのならあまり意味がない。
クルマに乗るときにCO2は出さなくても、充電のための電気をつくるのにCO2を出しているからだ。

もう一つはインフラの問題。
電気ステーションを作っても、1回の充電に時間がかかる。
車庫があって家庭で夜間に充電するのならいいが、遠出したり、夜間充電できないクルマはスタンドに行かないといけない。
現在ピュアEVに乗っている人たちも、次は買わないというアンケートが多いらしい。
それは主に充電に時間がかかるとか、電気スタンドが少なく混んでいるとか、家から遠いとか、遠出したら不安だとか、そういう理由になる。
要は駐車時に充電できない人はEVなどまだまだ不便だということだ。

お隣の中国は電気自動車に最も熱心。
バッテリーをたくさん作っているし、共産党が号令をかければ一気に進むという特性もある。
それでも、一気に今のガソリンエンジンを使う車並みにはできないだろう。

もちろん技術革新もあるだろうし、そもそも自家用車がそんなに要るのか、という問題もある。
ライドシェアなどが、増えてくるという面もあるだろう。
でも、そうなればなるほどインフラの問題は大きくなるのだ。

エンジンがメインのハイブリッドや、モーターがメインのハイブリッドなど、日本にはいろんなハイブリッドがある。
エンジンのサプライチェーンを活かしたやり方だ。
マツダはローターリーエンジンを発電用に使うという。
今の技術がいつまで続くのか、どこでブレイクスルーするのか、社会がどうなるのかなど、未確定の変数だらけだ。 

しかし、今は日本の強みを活かして、いろんなハイブリッド車を作るというのもアリだと思う。

今の脱炭素、カーボンゼロとか、環境保護原理主義の人たちを見ていると、効率や経済を度外視してピュアEVに代表される「グリーン」なものに走っているような気がする。
ピュアEVはグリーンのアイコンになってしまった。

でも、それはハイブリッドを作れない国が、負け惜しみで言っているようにも見える。

それに乗ってはいけないだろう。
アメリカだって、本気でやっているのではないはずだ。
石油メジャーがいるのだから。

カージャーナリストの記事でこういう締めくくりがあった。

「得意だったICE(エンジン車)や金を稼げるITで、欧州企業は惨敗が続いた。ゲームチェンジャーはもうBEV(ピュアEV)しかない。しかしLiB(リチウムバッテリー)は中国、韓国、日本のアジア勢に握られている。なりふり構わずこの3国からいろいろなものを盗もうとしているのが現在のEUである。こうした行為のすべては、「地球温暖化防止」という水戸黄門さま印籠のごときひと言で浄化できるからEUは笑いが止まらないのだ。」

ぼくもそう思う。







| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
若新雄純
若新雄純という人を見つけた。
就職支援サイトの面接のビデオがあるのだが、そこで面接官として出ていた。
この人、いろんな肩書を持っているが、組織心理学者というのもその一つ。
その関連で出ていたのだろう。
そのYoutubeのビデオがなかなか面白くて、彼に興味を持ったのがきっかけだ。

自称、中2病という。
思春期のもやもやと言うか、疑問を引きずって生きているという。
若狭のど田舎で教員の両親のもとに生まれ、子供の頃は優等生を期待されることに違和感を持っていたという。

大学を卒業して先輩と起業し、その会社が大きくなって、途中で会社は辞めたが、上場して大株主だった彼は大金持ちになったらしい。
その後歌舞伎町でバー経営をしたり、慶応の大学院に行って、今は教員の仕事もしている。
一応専門は組織心理学ということになっているようだ。
彼の興味は組織で働いていくには?、組織が活性化するには?というようなところにありそうな気もする。

彼もいろんなところで言っているが、ニートを集めて全員を役員にして会社を作ったことと、故郷の福井県鯖江市で女子高生を集めて市役所にJK課を作ったことが話題になって、彼を有名にしたのだと思う。
JK課の活動は現代社会の教科書の表紙になったり、国連で事例発表したりしたということだ。

ニート株式会社の活動は、自分も一歩間違えば彼もニートになっていただろうという思いが入っている。
活動は大変で、今も続いているのだが、なかなか面白い。
彼のいいところは世間のいろんな声を否定しないことと、それでも自分の考えを持っていることだろう。

JK課の方も最初はいろいろ批判されたらしい。
彼のすごいところは、「JKたちの意見を取り入れて活動するためには、一切教育的な関りをしてはいけない」というところだと思う。
挨拶くらいしろ、という担当職員の声にも反対し、「彼女たちがしたくなったらしますから」と言ったとのこと。
ここまで割り切れる人はなかなかいない。
でも、そうしたからこそ、JKたちと職員が「仲間」になって、鯖江市のために活動できているのだろう。
一度でも教育的な関りをしてしまえば、JKたちはその人を先生だと思って、自分たちとは違うという関りをするという。
そういうことをわかっていたのだろう。

今は朝のテレビのコメンテーターもやっているらしい。
もちろん慶応の先生もしながらだ。

興味のある人はYoutubeで彼の名前で検索してみてほしい。

ぼくは若新にハマってしまった。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
非言語コミュニケーション
リモートの会議が増えて、非言語コミュニケーションが大切だという。
それは全くそのとおりだ思う。
同じ言葉でも、言語情報だけから得る情報量は驚くほど少ない。

アメリカ企業のオフィスに2000年くらいに行ったことがあるが、彼らは文字のメールよりもボイスメールを使っていた。
もちろん、相手が一人の時だろうが…。
日本ではボイスメールなど見向きもされていないのに、どうしてだろうと思っていた。
最近、非言語コミュニケーションという話を聞いて、ああそうか、と納得した。
ボイスメールでは、口調や抑揚、言葉の調子がわかるので、それだけ情報量が多いのだ。
日本のような単一民族に近い国家ではなく、多民族国家のアメリカでは、単に文字で伝えることはリスクが大きいのだろう。
単にタイプする時間がもったいないというだけではなく、声を積極的に使うという意味もあったのか、と思い当たった次第。

「頼んでいたこの書類、あとどれくらいかかりそうですか?」というメールを例にとると、単なる文字情報だけではニュアンスを伝えきれないのは明らかだ。
ぼくはなるべくそれを伝えるように、こちらの事情を説明して、文字を増やして書くことが多いのだが、それももったいないといえば、もったいない。
それでも、相手はこちらが怒っている、と取ることもあり得る。

こういう場合に、顔文字を上手に使うと書くことが短くてすむ。
例えば、文末に笑顔とお辞儀している絵文字を追加すると、おそらくこちらで困っているから、なるはやで…、ということは伝わるだろう。
「実はこうこうこういう事情ができて、そのために無理なお願いとは思いますが…」という文字は書かなくてもよくなる。

若い人たちは顔文字を多用する。
時々大学生からのメールが来るが、顔文字が入っていることがあって、これは注意したものかどうか…と思うことがある。
文字ベースのコミュニケーションで伝えるのは、ある意味時間の無駄だということだ。
ビジネスメールは顔文字を使わないというのは、ぼくの常識だったが、それは間違っているのかと思う。

昔はそれほど通信環境が良くなかったから、通信で使うパケットは小さい方がみんなの迷惑にならないから、文字で作る顔文字((^o^)みたいなやつ)は良しとしても、画像の顔文字はビジネスで使うのは?と思っていた。
でも、今は光ファイバーで動画をやり取りする時代だから、顔文字もあってもいいのかもしれない。

ただ、セキュリティの面でテキストのメールしか受け取らないという人はいるだろう。
HTMLメール(これはかなり情報量が多い)を止めている人だ。
そういう人には顔文字の部分は伝わらない、というリスクはある。

しかし、ぼちぼち考えを変えたほうがいいのかもしれない。
無駄な文字を打つことを思えば、顔文字を使ったほうが早いからだ。
ビジネスのルールも変わっていくのだろう。
ぼくには馴染めないが…。

老兵は去りゆくのみだ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
本嫌い
こないだ国語が不得手という学生の模擬面接をやった。

この学生はピアノが趣味で、ジャズのCDを流しながら聞いてすぐに自由に弾けるというすごい学生。
ピアノの先生から、自分の生徒のピアノ学習の助手をしないかと言われて、それを頑張ったということをエントリーシートに書いている。

彼女は面接で話すことを一字一句覚えようとして、今日の練習で撃沈した。
前回の練習でも、一字一句覚えるというのはやめよう、と言ったのにそれをしたというわけだ。
なぜそうするのか?と聞くと、自分は国語が苦手で、なかなか言葉が出てこないので、普段話していても「何を言ってるのかわからない」と言われることがあり、そのために一字一句覚えたほうがマシ、ということになったらしい。
なるほど、そういうわけか…、と納得した。

でも、実際に言葉を覚えて話そうとすると、頭の中に字幕が見えて、その文字がでてこないと言葉が止まってしまう。
何度もそうなるので、やっぱり一字一句覚えるのはやめて、イメージを覚えようという話をする。
しかし、イメージが浮かんでも、それを言葉にするのが難しいと、同じことだという。
たしかに、それはその通りだ。

ピアノがそれだけ弾けるということは、右脳が発達していて、芸術方面が得意なんだろう。
その分、左脳(言語)が苦手ということになるのかもしれない。
そういう話をすると、彼女には初耳だったらしく、なるほど、自分が言葉に弱いのは当然なのかと納得しそうになった。

そうではなく、音楽が得意で優れているだけで、言語が劣っているわけではないと説明する。
その証拠に、スマホでかなりの量の活字は読んでいるはず。
単に音楽に時間をかけて、読み書きをおろそかにしていただけだろう。
それは今からでも取り返せると話す。

彼女が新聞を読んだほうがいいのか、と聞くので新聞は面白いか?と聞く。
全く面白くないという答え。
当然だ。世の中に対して問題意識があって、初めて新聞の記事が飛び込んでくるようになる。
それが全くないと、面白いわけがない。

学校のプレゼンの課題で、黒人差別について発表したというので、それなら黒人差別の記事は興味があるか?と聞くと興味があるという。
その、事前に知っている知識のことを問題意識というのだ、と説明した。

本も同じで、これを読めと言われても興味がなければ面白くないし、面白くない本を読むのは本に相当親しまないと無理だ。
もともと拒否感があると、眠くなるだけで、実際そうだという。

だから、本が読めないのではなく、面白い本にまだ出会ってないだけなのだ。
同世代の友だちに聞いて、推薦された本を何冊か読んでみたらいい。
できれば小説だ。
そうすればいつか必ず面白い本に出会えるはず。
そして、それは早ければ早いほどいいのだ、と話す。

面接の練習よりも、本の話が長くなってしまった。
とりあえず、文字で覚えるか、イメージで覚えるかは任せるが、頑張ろうと切り上げた。

できれば大学にいる間に、自分自身が面白いと思える本に出会ってほしい。

それはピアノと同じくらい、君の人生を豊かにするはずだ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
就活終盤戦?
最近の日経はひどい記事が多い。
今日の就活終盤戦というネット配信の記事はちょっとひどすぎると思う。

見出しが「就活終盤戦、内定ゼロに募る不安 燃え尽き症候群も」というもの。
この記事は日経傘下のディスコという就職支援の会社が、自社の就活サイトを使っている学生にアンケートを取って、そこから出した内定率70%という数字を使っている。
あまりにも数字に対するリテラシーがなさすぎるのだ。

前にも書いたことがあるが、就職支援のサイトの数字など本当にいい加減なものだ。
約50万人いる学年のうちのたった1000人ほどの結果。
それも、就活サイトを利用して、任意に提出させるもの。
要は対象は就活熱心層ということになる。

なかでも、熱心に就活をやって、内定をとった人にはインセンティブがあるが、内定がない人には全くインセンティブがない。
そんな統計を堂々と出すほうが間違っている。
こんなの実際の数字より高い数字が出るに決まっている。
嘘だと思うのなら、大学の就職担当に聞いてみればいいのだ。
おそらく、今の内定率が7割と言っている大学など皆無だと思う。

その数字に踊らされて、どれほどの就活生が泣いているか、わかっているのか。
この数字を出す意味は、6月が過ぎたから、次の年度の就活サイトに企業側に早く契約してくれ、ということだと思う。
せめて、この70%の数字自体に意味はなく、前年比で上下を見るもの、くらいの注釈を入れるべきだと思う。
実際、ディスコの担当者だって、この数字が間違っているということはわかっているはず。

記事の中では「持ち駒ゼロ」「燃え尽き症候群」というような言葉が並ぶ。
それを煽っているのだ。
コロナといい、今回の就活記事といい、今のマスコミは意図的か単なるバカかはわからないが、数字のリテラシーがなさすぎだ。

こないだから、そういう記事を見て、心配になったという学生の相談が何件かあった。
日本人は新聞やテレビを信じている率が世界一というが、本当にそのとおりだ。

「内定率の絶対値にはあまり意味はなくて、それが前年より上がったか、下がったかを見るためのものだから、50%や70%などあるはずがない」と答えている。
母集団をよく見ること、たった1000人ほどやろ、と続ける。
そこでやっと、そうですよね、という声が出る。

日経の電子版は就活の記事が多くて助かっているが、この記事はデスクがボツにすべき記事だ。

明らかに子会社の利益誘導のための記事なのだから。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
相談業務の相性
長いこと相談の仕事をしていると、壁にぶつかる事もある。
どうしても、相談にのって解決に近づいたという実感が持てないということだ。
自分の側もそうだし、相手の側もそうだろう。

ぼくのやっている相談は、進路や就職のことというジャンルが限られているので楽なのだが、それでも時々どうしようもないと思うこともある。
自分の力不足だと思うしかない。

2007年から始めて、1年ちょっとブランクはあったが十数年続けている。
特にここ5年ほどはそれがメインでやっているのだ。
こういう文章を書いているのも、エントリーシートの添削のために自分のスキルを上げるという目的もある。
自動車業界だけでなく、いろんな業界に目を配って情報を仕入れているのも、就職に関連するからという面もある。
それなりに勉強しているつもりだが、それでもまだまだ難しい。

今仕事をしているところで、相談者からのフィードバックをもらっているのだが、そのまとめをこないだ見せてもらった。
どうも、ぼくの言っていることは内容が理解できない、という人が全体平均より多く、そのためやる気が上がらない、という人がこれまた全体評価よりも多いという結果だ。
ちょっとこの結果を見て考えさせられた。

相談1回の時間は短く、毎回が勝負なのだが、どうも自分が相談者に与えている課題のレベルがずれているのだろう。
説明が難しく理解できなかったりする。
そのせいで、やる気がおきないということもある。

なぜこんなことが起きるのか。
それは経験の長さが災いしている部分もあると思い当たった。

長くやっているといろんな人を見ている。
そのなかで、どうしても「この人はこういうタイプだ」という決めつけが起こる。
それがたいがいの場合は合うのだが、外れた時に具合が悪くなる。
こちらもおかしいと思うし、向こうも「このおっさん、言ってることがずれている」と思うのだ。
逆に合ったときは評価が上がる。

経験が浅ければ、そういう決めつけは起こらない。
中途半端に長くなると、ダメなのだ。

きっともっと経験を積めば、もっとタイプのマッチングができるようになるのかもしれない。

そこが難しいところだ。
そうなる前に仕事ができなくなるかもしれないからなあ…。







| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
鬼平2代
うちの両親は時代劇などあまり見なかったから、小さい頃は時代劇には縁がなかった。
小さい頃に家族につられて見た番組というと、祖母には演芸番組(松竹新喜劇や落語、漫才など)、父にはコンバット、母には洋画劇場だった。
そういえば、祖母は忠臣蔵が好きで討ち入りの番組は見ていたと思う。

中学になっても、水戸黄門が大好きな友人が、「あの印籠を出す場面がたまらんなあ」などというのを聞いて初めてその存在を知った覚えがある。
かろうじて、高校の頃に平日の夕方にやっていた「遠山の金さん」の再放送を見たくらいだ。

大学に入って、柴田錬三郎を読んで、歴史小説ではない、時代劇の面白さを知った。
「眠狂四郎」や「岡っ引きどぶ」など、シバレンは面白かった。
その流れで、池波正太郎を知った。

しかし、何冊か単行本を読んだだけで、鬼平犯科帳や剣客商売などの大作は読まなかった。
またテレビの時代劇もまだほとんど見なかった。

鬼平や剣客商売にハマったのは数年前。
文庫本をブックオフで全巻揃えて読んだ。
そして、ケーブルテレビで再放送を見始めた。

鬼平犯科帳といえば中村吉右衛門だ。
89年からスタートした番組は2001年の第9シリーズまで続いた。
これで中村吉右衛門は鬼平となった。
ぼくはもう一通り見たが、中には何度見ても面白いものが多い。

ところが、ついこないだから、吉右衛門の父である松本白鴎が鬼平を演じた1969年の鬼平犯科帳がオンエアされている。
当然モノクロ画面だが、これもまた味がある。

もちろん映像が荒かったり、カメラの性能が悪かったりして、もったいない部分はあるが基本的にはよく似た作りになっている。
従来の勧善懲悪の時代劇とは違って、盗人にも「道」があり、それを認めないながらも理解している鬼平がいる。

しかし、親子だけあって、よく似ている。

1969年版の鬼平犯科帳、これから毎週楽しみだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
箱モノ
通常のエレキギターはソリッドといって、木の塊だ。
塊といっても、いろんな木を合わせて合板にしたり、ネック部分でも指板は別の木を使っていたりする。
最近の廉価版を見ると、ネック部分のヘッド(糸巻きがついている部分)側を分けて短い木を
つないだものもあるらしい。
木は結構高いから、いかに小さな部品にするかが値段に関わるのだろう。

ソリッドではなく、アコギのように中が空洞になったエレキギターもある。
空洞が大きなものはフルアコ、小さなものはセミアコと呼ばれ、俗にソリッドに対して箱モノという。
「箱」というのは空洞のことを表すのだろう。
ただし、アコギのように真ん中に穴が空いているのではなく、基本はソリッドで、ボディの片側か両側にFホールという穴が空いているものが多い。
エレキギターは大きな音を出すので、ハウリングが起こりやすくなるから、フォークギター並にはならない。

ぼくらの世代は、フォークから入った人が多い。
当時はアコースティックギターなどという言い方はなかった。
スチール弦を張っているものは、みんなフォークギターと呼んでいた。
今もエレキには行かず、アコギで頑張っている人も多い。

でも、洋楽やJ-Popが好きなら、そこからエレキにいくのがパターンだ。
荒井由実やハイ・ファイ・セット、山下達郎など、よく聞いていた。

ぼくがエレキギターを買ったのは、成人式セールだった。
当然、もっと早い人もいただろう。
ぼくの先生は高校時代にエレキでバンドを組んでいたとのこと。

当時はエレキギターというとソリッドだった。
もちろん箱モノのエレキギターはあったが、あまりメジャーではなかった。
でも、最近は箱モノのエレキギターを使う人も増えたし、わりと売れるようになってきたと思う。

箱モノのエレキギター。
人生最後の1台という感じだ。

今のテレキャスも好きなのだが、どうしよう…。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
Amのソシレ
Amはギターのコードで、エーマイナーと読む。
Aはラの音を表すから、ラの音を基にしたコードだ。
小文字のmはマイナーという意味で、マイナーというのは3度の音が全音と半音だけ離れているということ。
これを短3度という。

基音に3度、5度の音を積んで和音が構成されるのだが、3度が短3度になっているのがマイナーコードということになる。
ちなみに、メジャーコードは「A」と書いて、普通にエーと読む。
Aのコードの3度は全音2つ分離れていて、長3度だ。

前置きが長くなったが、Amという普通の3つの和音のマイナーコードに7度の音を足すとAm7になる。
これはエーマイナーセブンと読む。

普通のポップスに出てくるコードは、この7度の音を加えたAm7のような7thコード(セブンスコード)までだ。
しかし、ジャズになると7thの上の9thとか11thなどが出てくる。
Amでいうと、ラドミの上のソシレが7th、9th、11thの音。
つまり、Amにソシレの音を加えて弾くと、俗にいうテンションコードになる。
特に9th、11thは緊張感の高い音で、使いようによってはすごくいい感じになる。
前回のレッスンで先生に聞いて、なるほどと思った。

ということは、そういう音をアドリブで使うといい感じで弾けるということにもなる。
Amの時にソシレを弾くということだ。

ところが、ソシレはソを基音にした時のGというメジャーコードになる。
つまり、Amが鳴っているときには、Gのコードの音を弾いてもいいということだ。
ここらがややこしいところ。
あるコードの基本構成音がそのまま他のコードのテンションになっている。

これに気がつくと、Amの時にはGのコードの形を追いかけてもいいことになる。
これはギターの「形が音を表す」というメリットでもある。
もちろん、ソシレというテンションが曲に合うかどうかは場合による。

こういうふうにして、アドリブの引き出しを増やしていく。

道はまだまだ遠い。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
イジメは小2
コロナ禍でイジメが低年齢化しているという。
10年前はイジメが最多の学年が中1だったのが、今は小2になった。
小2のイジメは同級生から無視されるという類の陰湿なイジメらしい。

20年にわたり不登校を不在してきた、不登校新聞の編集長が「実態をお伝えする」と書いている記事があった。
そういうイジメは「コミュニケーション操作系のイジメ」と呼ばれるらしい。
この10年でイジメの低年齢化が進んだ原因は、イジメ調査の定義が変わったこともあるが、小学生低学年のストレスが増加したことだという。

たしかに、小学校低学年のころは学校の行事などがあると、嫌だなあと思っていた。
楽しみにする人もいたが、ぼくはどちらかというと嫌な方だったと思う。
でも、今のストレスはそんなことではないらしい。
その生徒を、居ないもののように扱う、ということだ。

今の小学校低学年の子どもらは、幼稚園や保育園の頃から学校に適応するための教育が盛んになって、習い事を掛け持ちするなど、余裕のない生活の子が増えているので、ストレスをため込む子が増えているからだと専門家は言っている。

チャイムが鳴る前に座らせたり、班ごとに決めたマナーやルールを守らせるなどの規範意識が年々高くなって「生きづらそう」に見えるらしい。

学校は社会の規範を覚えるところでもあるのだから、それは仕方ないと思うが、それが行き過ぎているのだろうか。
小学生が「生きづらそう」というのがよくわからない。
実際、そう思うのなら、生きづらくなくなるようにすればいいのだ。
多くの教員がそう思っているのなら、そうするのが教育者の役割だろう。
そういうことは学校では話し合わないのだろうか。

コロナ禍でイジメが増えるだろう、という現場の声もあるらしい。
学校に行かなければ増えないと思うが、行ってもまともに授業をやらなければ、退屈だからイジメは増えるだろうと思う。

去年、学校は再開しようと言った時に、近所の小学生が学校に行っても教室に入ると密になるから、外で縄跳びをして帰ってきたという話を聞いた。
きっと年配の先生がコロナが恐いと思っていたのだろう。
実際に10代や20代でコロナで死んだ人などいなかったにも関わらず、学校はまともに運営されなかった。

ぼくはこういう態勢自体がよくないと思う。
先生自体がが「生きづらさ」を感じているのではないか。

それを解消するためには、教育の世界に一般の社会人をもっと入れるべきだ。
学校教育をもっと開かれたものにしないといけない。

短期的にはそれしかないと思うのだが…。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
衣替え
6月になった。
最近は早々と環境対策でクールビズに変えているところもある。
ぼくの行っているところも、片方はネクタイなし、もう片方は上着なしになった。
早くフルスペックのクールビズにしてほしいところだが、まだそうはならないらしい。

今週の土曜日には、服の入れ替えをしないといけない。
夏服と冬服を入れ替えるのだ。
夏服にすると、タンスの中がだいぶ空く。

しかし、春が短くなった。
都会の蓄熱効果で都市部の夏は暑い。
これは都市化の影響が大きくて、巷で言われている地球温暖化とは別の要因とのこと。
そういうことはもっと啓蒙してもらわないといけない。

最近は機能性下着(ヒートテックのことだ)になっているから、下着も入れ替えないといけなかったりする。
あれのおかげで冬に薄着ができるのだから、仕方ない。

またエアコンの季節が来る。
ぼくは暑いのが苦手だから、しんどい。

去年から電車の車両の窓を開ける人が増えて、冷却効果が減るのは困ったものだ。
今年はちょっとはそういう人は減るだろうか。
ワクチン接種が進めば、エネルギーの無駄遣いを防ぐほうが大事、ということにならないだろうか。

リモートワークが進んで、都市部の排熱が減って、今年は温度がそんなに上がらないということになると大変嬉しい。

ということで、土曜日には入れ替えをしよう。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコ語研究
真剣にネコと人間のコミュニケーションを考えて、ネコの鳴き声を研究している人がいる。
スゥエーデンの音声学者だ。
自身も3匹の猫を飼っている。

この研究者はネコの鳴き声にも訛りがあるかを、国内の異なる地域で調べているらしい。
まずは地域ごとのネコの鳴き声を録音して解析する。
そして、さまざまな人の声を録音して流し、ネコの反応を見るという。
耳や頭の動き、体の態勢などをビデオに撮って観察するとのこと。

そもそも、ネコがニャーと鳴くのは、ほとんどの場合人間に話しかけているという。
他の猫に向かって、ニャーとは言わない。
このあたりは何となく納得できる。

同じ要求(と思われる)の時に、同じ旋律の鳴き声を出していれば、訛りはないということになるし、異なっていれば訛っているということになる。
まあ、難しいだろうなあ。
「旋律」と書いているが、周波数で見るのか、その変化率で見るのか、音色の評価をどうするのかなど、パラメーターは多いだろう。

高齢化が進む日本では完全に飼育頭数でネコがイヌを逆転して、ネコが首位になっている。
ネコ語を理解したいという飼い主は多いだろうなあ。

イヌは比較的表情もあるし、もともと群れや主人を意識している動物だからわかりやすいが、ネコはツンデレでわかりにくい。
そこが魅力でもあるのだが、少しでも飼いネコのことをわかりたいという思いは強いだろう。

今のペット事情を考えると、大事な研究だと思う。

よくYoutubeのネコ動画で、あたかもネコが話しているようなキャプションが入ったものがあるが、そういうのがネコ語翻訳機でわかると面白いだろう。
見ている動画では、だいたい当たっているように思うのだが…。

ぜひ、成功させて欲しいものだ。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
フルテン
フルテンというのはWikipediaによると「音楽演奏時に使用するアンプのコントロールツマミを最大値(10)にセッティングした状態を指す用語。」とある。
よく似た言葉にフルタンがあるが、これは単位をすべて取ることだ。
麻雀用語のフリテンとも違う。

何でもフルで使いたがるのが、素人の考え。
以前はぼくのエレキギターのボリュームやトーンもフルテンだった。
最近、これは間違いだとようやくわかった。

エレキギターのトーンをフルテンにすると、高い音がよく出るようになる。
ボリュームもフルテンにして、絞る時はエフェクターやアンプ側で絞っていた。
エフェクターにはボリュームペダルもあるので、簡単に絞れるのだ。

何でもフルが一番いい状態と思うのが浅はかだった。
今度買ったミニアンプはアンプ側にはボリュームがなく、ギターのボリュームで調整する。
出したい音はギター側で調整するのだ。

今まで高い音がよく出るのが好きだったが、アンプのスピーカーが小さいからか、フルテンにすると高い音が出過ぎる。
今までもそうだったのかもしれない。
アンプにトーンがあるが、そちらはフルテンではなかった。

やっぱり元を調整するのが、鉄則なのだろう。
出したい音はギターのトーンとボリュームで調整するようになった。
そうすると、必ずしもフルテンがいい音ではない。
トーンなど、半分ちょっとのところでいいのだ。

これは目からウロコだった。
まあ、年をとって好みも変わってきたのかもしれない。

ギターは面白い。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |