考えたこと2

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セッション3
セッション2で書いたが、その続き。
2ヶ月半ぶりに2回めの練習をした。
一人メンバーが増えて、4人になった。
一番上のリーダーは完全定年済みで、あと二人は再雇用で働いているが、3月で完全定年するとのこと。

今回参加の61歳の後輩は、やりたいことがある、ということで完全定年するらしい。
何がしたいのか尋ねたら、車で日本1周がやりたいとのこと。
車の後ろを倒して、そこで寝る計画だ。
予定では1ヶ月かかるという。

写真教室にも通っていて、そこで日本の風景を撮り歩きたいということだ。
まあ、それも悪くないが、今やめなくても…とは思う。

彼はレコードコレクターでもあり、30cmのLPレコードをなんと5万枚も集めている。
自分の家、実家と奥さんの実家までレコードがあふれているらしい。

たしか、ぼくが2004年に会社をやめる頃には2万枚くらいだったと思うが、5万枚にふくれあがっていたとはビックリ。
奥さんの実家からも文句を言われているとのこと。
ぼくも、義理の妹が持っていた西城秀樹のレコードは要らないというので、彼に引き取ってもらった。
社員の要らなくなったレコードもだいぶもらっていると思う。
そうでなければ、なかなか5万枚にはならないだろう。

でも、君が死んだらどうなるのか、と聞いたら、息子二人は興味がなく、値段だけ付けておいてくれ、と言われたと笑っていた。
いくら集めても、持って死ねないのだ。

一方練習の方は高齢者4人が集まって、ボケまくった。
イントロを弾くと、歌うのを忘れたり、歌詞のラインを間違えて、違うところを歌ったり、持ってきたはずのものを探し回ったり、ピックを途中でなくしたり、自動ガラスドアの開かない方で待っていたり…。
現役の頃はみんな敏腕のエンジニアという感じだったのに、情けない。
でも、ここまでボケると面白くなる。

相変わらず、ギター4台。
ほとんど英語の歌。
これは一番年上の軽音出身のリーダーの好み。
前に書いた課題曲を順にやっていった。

ぼくは大体の曲でメロディの上のコーラス。
ギターを弾いてハモると本当に楽しい。

次回はみんなおすすめの曲を事前に交換して、その曲は責任を持ってメロディを歌うということにした。

やはりビートルズあたりがいいだろうか…。

どんな曲が出てくるか楽しみだ。


| | 考えたこと | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
オリンピック中止?
昨日のウォール・ストリート・ジャーナルに、オリンピック中止の懸念が高まっているという記事があった。
ぼちぼち出るかなというタイミング。
IOCが「大会を開催することで、公衆衛生にどのような影響が生じるのかについて懸念を抱き始めた」ということだ。

東京に数十万人が集まって、2週間を過ごし、その後200カ国以上に戻っていく、ということをやっていいのか?ということだ。
数十万人も集まるとは思わなかった。

オリンピックの開催時期に、まだ日本でコロナウィルス肺炎が流行っているなら、それは当然に思える。
いくら症状は風邪みたいなもので、重症化率は低いといっても、世界中に広めることは止めないといけない。
もちろん、感染を持ち込まれることもある。
中止を決めるのなら、早いほうがいい。

問題はいつ終息するか、その終息をどう判断するのかということだろう。
熱帯の国にも感染者がいる、ということで、暑くなったら終息するということでもないらしい。
現時点ではPCR検査の精度も高くないから、感染の確認も難しいという。
これでは用心するしかないという状況。

SNSで「ウィルスは熱に弱いから湯を飲んだらいい」「ニンニクやショウガを食べるといい」などというフェイクニュースも出だした。
今朝のニュースでも「根も葉もないウソ」と言っていた。

本来マスクは予防の効果は薄いのに、マスクをしていないと犯罪者のように扱う人もいる。
どうかと思う。
コロナウィルスよりもインフルエンザの方がよほどアブナイと思う。
日本人の科学リテラシーは本当に低いと実感する。
メディアは、その特性として危険を煽るバイアスがあるが、ぼくはちょっと行き過ぎではないかと思う。

話がそれた。

7月24日まであと5ヶ月。
一応、5月末の時点で判断するということになったらしい。
IOCはWHOとも連絡を取り合っている。
どうなるのか…。
今朝のワールドニュースで、IOCはやめるのなら延期でなく中止という見解を示していた。
世界の状況を見ていると、まだまだ感染が増えそうだ。

結局はWHOが決めることになるのだろう。

どうなるのか…。


| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
オープンカー
今時のオープンカーを買うのは高齢者らしい。

こないだ、車で夕方走っていたら、後ろから最新モデルのマツダのロードスターがオープンで追い抜いていった。
ドライバーは白いあごひげを伸ばした高齢者。
おそらく還暦は過ぎているだろう。
流行りの丸いサングラスをしていた。
白のきれいな車だった。

若い人たちは2シーターの車など買わないだろう。
カーシェアを使う人も多い世の中、若者にとっての車の価値は動くことと、たくさん荷物が積めることくらいになった。
2シーターのオープンカーはもう時代遅れなのかもしれない。

この寒い中、屋根を開けてオープンで走るやせ我慢は、若い人から見ればバカバカしいことだと思う。
でも、クルマのカリスマ性を感じている高齢者ドライバーにとっては美学なのだ。
ぼくも、その気持ちはわかる。

日本ではそういうクルマ文化は消え去る運命だ。

それに似たようなものは他にもある。
野球の文化もそうだし、新聞の文化もそうだろう。
固定電話の文化もそうだ。
オーディオの文化もそうだと思う。
手紙の文化など、もうなくなっている。

マツダのロードスターは世界的に成功した車種。
ニッチな所で生き残った。
各地にオーナーズクラブもある。
メーカーも修理体制を整えて、それらをサポートしている。

ぼくはそういうクルマの文化を知っているが、それは若い人たちには伝わらない。
貧しくなったし、他の楽しみも増えた。
世界的にはどうなのか、わからないが、販売するクルマの4割が軽自動車の時代、少なくとも日本では難しい。

自動車メーカーもそのあたりはわかっていつつ、打つ手が見つからないのだ。
電動化、シェアリングなど、大変な事態にも対応しないといけない。

これからの自動車メーカーは本当に大変だ。

若い世代をどう取り込んでいくか…。




| | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
サイバー大学
ソフトバンクが作った通信制大学の宣伝を見た。
2007年に開学しており、もう10年以上経つ。

今回リニューアルしたらしいが、スマホで受講できて、通学は一切なし。
最短で2年で卒業でき、大卒資格を取得できる。

ビジネスコース、テクノロジーコース、ITコミュニケーションコースの3つのコースがある。
講義の一部が紹介されている。

「AI(人工知能)入門 人工知能学会前会長 松原仁 客員教授
今後私たちの生活や仕事を大きく変えていくAIについて、その歴史やディープラーニングなどの最新テクノロジー、社会がどう変わっていくのかを学びます。

プレゼンテーション入門 ベストセラー「社内プレゼンの資料作成術」著者 前田鎌利 客員教授
ソフトバンク株式会社で孫正義氏のプレゼン資料作りを数多く担当した前田氏が、すぐ使える実践的なプレゼンスキルを伝授します。

情報端末とネットサービス入門 日経BP社技術者塾講師 伊本貴士 講師
今や、生活と密着しているスマホなどの情報端末。IoTにより今後更に普及する情報端末を理解、有効活用できるスキルを身につけます。」

卒業に必要なのは、普通の大学と同じ124単位。
1単位が21000円だから、卒業までに260万ほどかかる。
しかし、一般の大学なら1年約100万円だから、だいぶ安い。
各学期最低8単位を取らないといけないとのこと。

働きながら学べ、卒業率80%。
パソコンなどの環境があれば、入試は要らない。

入学案内を見てみたが、このサイバー大学に行けばAI人材に近づくのではないか。
スマホで申し込み、スマホで授業を受けられるのだから、ぴったりだ。
今から新しいものを作るより、今あるものを利用してはどうかと思う。
サイバー大学側でも、AI人材コースを作るとか、工夫すればいい。

しょうもない大学に行くくらいなら、働きながらサイバー大学に行くほうが何倍かマシ。

高校を卒業して、社会に出て、社会人として力をつけながら、何年かして余裕ができればサイバー大学に入って、働きながら勉強する。
補助金などを出して会社側も個人もインセンティブを持たせる。
成績上位なら、学費を免除するとか、工夫もする。

一度社会人になる、というところがミソ。

サイバー大学、なかなかいいと思う。



| | 考えたこと | 20:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の凋落
今の日本に12年間勤めて、役職づきでアラフォーになって手取りが14万円という人がいる。
去年、Web上の掲示板に書き込まれて話題になった。

実際、新卒で額面16万という求人がたくさんあるし、その場合は手取りが13万ということもある。
今は同じ仕事をしていて、給料が上がっていくという会社も減っていると思う。
だから、そういう事態もあり得ると思う。

書き込んだ人は「日本終わってる」と書いた。
それに対して、ホリエモンが「日本がおわってんじゃなくて、『お前』が終わってんだよ」と書き込んだ。
要は、12年間勤めて手取り14万円というのは企業(国)の責任か、それとも個人の責任か、ということだ。

ぼくは、手取り14万円で働き続けた個人にも責任があると思う。
手取り14万円は、自ら選択した結果だからだ。
給料を上げてくれと交渉したり、もっと給料の良いところに転職することもできたはず。
12年間、役職もついていて給料が上がらないというのは、仕事内容が変わっていない可能性もある。
年功で役職はついたが、やってることは変わらないから給料は据え置きというやつだ。
日本はこの30年低成長で、ほとんどの企業は自分を守ることだけを考えて、リスクをとった投資をしなくなったと思う。
このことが日本からイノベーションが生まれなくなった原因ではないか。
話がそれた。

一方で「転職」に対するハードルが高いのも事実。
だから日本では失業率と自殺者数の相関が高い。
同じように失業率が高くても、イタリアなどはそんなことはないのだ。
これは終身雇用制度の弊害だと思う。
長期間雇わないといけない、という仕組みは転職を難しくするし、給料を下げる効果がある。
だから、そこから外れることは将来にわたって失職することになり、人生に絶望してしまう。
これを解決しようとすると、解雇規制を緩和して、辞めやすく勤めやすい環境を作るしかない。

おまけに、今の制度なら、企業に依存する人も出てくる。
掲示板への投稿者のように、いつかは上げてくれるだろう、と思うのだ。
そうなると自分のスキルについても考えなくなる。
ぼちぼち、そういうことに対して警鐘を鳴らし始めた会社もある。

何より、給料を上げたければ、よそに変わるという常識が必要になる。
そのためには、「職を変わるリスク」を下げないといけない。
それが解雇規制を緩和する、という政策になる。

今の社会は昔の高度成長時代のシステムを引きずっている。
もっと個人が強くならないといけない。

早くここを脱しないと、いけないと思う。





| | 考えたこと | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウォルマートの復活
ウォルマートといえば、アメリカの小売の王者。
アマゾンなどの通販に押されて、店舗を持つ形態は「時代遅れの企業」と言われていた。
日経ビジネスによると、そのウォルマートが復活したという。

アマゾンに代表されるネットの電子取引(EC)を使って、商品を注文してもらい、それを店舗で駐車場まで運んで渡すという、オンライン・グローサリー・ピックアップ(OGP)が急成長したからだ。
去年の決算は、純利益前年同期比92%も増えている。

お客さんは店舗に行く前にネット上で買うものを注文し、取りに行く時間を設定する。
そうすると、店舗に行ったら、駐車場まで選んだ商品を運んできてくれるという仕組み。
選んだ商品は、店舗で担当者が棚から集めてカートに詰める。
もちろん、オンラインで決済するから、お金をその場で払う必要はない。
やはり生鮮食料品は通販で買うにはハードルが高いのだ。
行きなれた店舗なら生鮮食料品も安心というところがミソ。

棚から商品を集めて、カートに詰める係を「パーソナルショッパー」と呼んでいる。
パーソナルショッパーは、実際に商品を渡す時に、お客さんが好みを言ったら、それを記録しておき、次に活かすということもやっている。
そうやって、アマゾンと差別化を図っているのだ。

全米に4700店ある店舗は、人口の95%をカバーしている。
それらの店舗を負の遺産にせず、電子取引と組み合わせて強みに変えた。
生鮮食料品の特徴を生かした形だ。

去年の11月からは、OGPの発展形として「インホーム・デリバリー」というのも始めた。
まだ3都市のサービスだが、店舗の担当者が家の中まで入り、冷蔵庫の中に商品を配達する、というコンセプト。
家に入る様子は担当者が身につけたビデオカメラで撮っている。
顧客はそれを確認できる、というシステム。
店舗を利用すれば、ここまでできる、ということだろう。

ECで注文した商品を店舗で受取るためのピックアップタワーというのも作っている。
ECで送られたバーコードをかざすと、商品が出てくる仕組みだ。

アマゾンも食品大手のスーパーと提携を発表し、注文した商品の受け取りができるロッカーを作る、という。
どちらも主導権を握ろうと必死なのだろう。

生きていくためには必須の生鮮食品。
その特徴を生かして、ウォルマートは復活した。

アメリカの小売業の覇権争いはどうなるのか。
日本はどうなるのか。

一消費者として、見ていると面白い。
業界の人たちは大変だろうが…。



| | 考えたこと | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本人の給料
諸外国の給料はここ何十年かでだいぶ上がったらしい。
それに対して、日本は下がり続けているという。
城繁幸という人事コンサルタントの人がその理由を書いている。
それによると、日本人の給料が下がった原因は3つある。

1つ目は、日本では一旦上げた給料を下げることに対して、非常に抵抗が大きいこと。
そのため、バブル崩壊後の90年代に、当時の若い人たち(20代から30代)の昇給を抑制した。
2000年代に入って、抑制されなかった50代が退職して、その結果全体の賃金カーブが下がった。

2つ目は、定年がどんどん伸びたから。
80年代までは55歳、90年代は60歳、今は65歳というように、年金財政が厳しいから払う期間を増やし、もらう期間を減らしてきた。
一般的に、長く雇うほど給料は下がる。将来のリスクをカウントするからだ。
全く同じスキルの人が2人いたとして、片方の人は毎年契約更新で雇い、もう片方の人は20年雇用する、ということになると、この2人は1000万と600万くらいの年収になるという。
差の400万が将来どうなるかわからない、というリスク分。
あくまで城氏の感覚だが、そんなものだろう。
諸外国では終身雇用制度などないから、給料は高いということだ。

3つ目は、社会保険料が上がり続けたから。
平成元年は社会保険料が17%だったが、現在は30%近くまで上がった。
これには会社負担分も入っているが、会社から見れば同じ人件費になるので、給料を圧迫する。
高齢化で医療費と年金が増大するから、当然といえば当然。
サラリーマンは消費税値上げに反対するが、社会保険料が上がっても文句は言わない。

給料が下がるのには、こういう要因があるという。
要は終身雇用という縛りの中で、一方的に定年を伸ばしたり、社会保障給付のツケを保険料という形で働く人たちに押し付けてきた結果、日本人の賃金は一人負け状態になった、ということだ。

この状態を脱するには、解雇規制を緩和して定年制度を廃止し、消費税を20%に引き上げ、社会保険料を下げる、ということになる。
働く人たちは、たくさんいる高齢者の医療費と年金を負担しているのだから、高齢化が進めば給料が減るのは当然。

75歳以上の人の医療費負担は22年から一部2割になる。
やることを見ていると、抜本的な改革を先送りして、なんとかやり過ごそうとしているように見える。

でも、構造的にやり過ごすのは難しいと思う。

年功序列、終身雇用はもう無理だろう。


| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスク狂想曲
今朝のニュースで、ある人が電車でマスクをせずに咳をして、隣りにいた人が非常停止のボタンを押して電車を止めて、「降りろ」と怒ったということを言っていた。
乗務員が揉めている二人を降ろして、和解したということだ。
エライ時代だ。
うっかり咳もできない。

もちろん、咳をするときは口を覆うとかのエチケットはある。
でも、両手がふさがっていたりして、それができないこともある。
おまけに、マスクをするしないは本人の自由。
自分がマスクをしているからと言って、人に強要はできない。

最近、本当におかしいと思う。
朝から晩までコロナウィルスのニュースをやっている。
感染を止めないといけないのは事実。
それはやったらいいと思う。
しかし、何でもかんでも報道して、専門家と称する人がいろいろコメントするのはどうなんだろうか。
そんなことをするから、非常停止のボタンを押して電車を止める輩が出てくる。

クルーズ船だって、専門家が中に入って感染対策をやっていたのだろう。
何千人という人がいて、狭い船内で生活しながら対策するのだから、どうしようもないことだってあると思う。
それを、自分は専門家だからと入れてもらって、自撮りで「ここがダメ、恐ろしい」などと動画をネットに上げて拡散する人がいる。
あとから来て事情も聞かず、言いたいことだけ言うのはホントに簡単だ。
ご丁寧に海外メディアにまで宣伝している。

まずなぜそんなことになっているか、聞けばいいのだ。
よくわからないが、現場はそんなことはわかっていても、できなかったのではないか。
削除してごめんなさいでは済まない。
社会人としての常識が疑われる。

マスコミだって、感染を食い止めるためにはこうして下さい、疑わしいときはこうして下さい、こういうことはやめましょう、だけでいい。
そこから先はそれこそ専門家に任せたらいいのだ。

今日通勤の時に見ていたら、マスクをしている人が3割くらいいた。
買いに行ってもないから、減っているという効果もあるかもしれない。
使い捨てではなく、昔ながらのガーゼのマスクでもいいと思うのだが…。

マスクをするのが当然、と思う人は思えばいい。
それでも、マスクをしない自由だって保証されている。
しないといけない、と思ったらするのも自由。

それが法治国家というものだ。




| | 考えたこと | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
野球と車好き
ちょっと古い記事だが、オートサロンという改造車のフェアの記事があった。
東京モーターショーとは違って、もともとシャコタン(極端に車高を下げた車)などの展示会だ。
動員数が前回比101.6%で、過去最高だったという。

でも、バブル崩壊後改造車市場は縮小し、カーメーカーがそういう交換部品をディーラーを通じてオプション販売し始めた。
超扁平タイヤや大径のアルミホイールなどが装着されたり、オプションになったのもこの頃だと思う。
タイヤメーカーにとっては、ドル箱のサイズが、正規サイズで装着されたり、オプションで選べるようになった。
要は部品メーカーの儲けをカーメーカーが横取りしたような格好。

ということで、2010年代に入って、東京オートサロンは改造車というよりも、一般的なクルマ好きが集まるようになったとのこと。
カーメーカーも、こっちにも力を入れたということだろう。

それにしても、本家のモーターショーは入場者数が減り続けている。
海外メーカーの出展も減り、東京よりは上海を重視し始めた。
日本のマーケットの10倍以上の人口がいるのだから、そうなるのは当然だ。

携帯電話が出てきてから、若い人たちの可処分所得は減った。
通信費に1万円弱を取られるからだ。
昔は食費を削っても、クルマを手に入れることが大事だったが、今の若い人は違う。
新しいクルマより、新型のスマホが求められる時代。

ぼくが会社をやめるちょっと前から、クルマ関係の雑誌が減った。
一時は本屋の棚を一つ全部クルマ関係が占めていたが、バブル崩壊とともに減り始めたのだ。
今は見る影もない。

若い人たちが、クルマにカリスマ性を見いだせなくなった。
今やクルマはカーシェアか、中古か軽で十分。というか、都市部ではなくてもいい。
自家用車の稼働率は低く、資源の無駄遣いだと思われている。

結局オートサロンに集まったクルマ好きは、昔のクルマ好きだったということだ。

それはちょうどプロ野球ファンに似ている。
タイガースを見に来ている甲子園球場も年寄りばかり。

昭和を席巻したクルマ文化とプロ野球。
どちらも、尻すぼみの状況だ。
あと20年もしたらほとんどファンがいなくなる。

その運命をどう変えられるか…。




| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
石炭火力
70年代は日本のエネルギーは原子力と言われていたが、3.11以降原発は危険ということになって、もう日本では無理だろうということらしい。
原子力の技術自体は進めるべきだと思うし、それが人類の助けになるとは思うが、人気がなく、なり手がなくなれば仕方がない。
鉄腕アトムの夢は諦めるしかない。

今は原子力よりも石炭火力だ、という記事を見た。
石炭というと、CO2を出す悪者、という意識があるが、一方で石油と並ぶエネルギー源であるのは間違いない。
現に日本をはじめ、アメリカやオーストラリアがこないだ「化石賞」をもらったくらい、石炭を燃やしているのは事実。

エネルギー源の有効利用という観点では、石炭の利用はいいことだ。
おまけに、石炭は中東に依存しておらず、世界中にある。
これもエネルギー安全保障上はよいことだ。
石油も石炭も限りあるエネルギー源だから、大事に使わせてもらわないといけない。

知らなかったが日本の石炭火力のシステムは効率が高く、石炭を使わざるを得ないところでは、CO2削減の効果があるという。
いわば、石炭火力の中ではクリーンなのだ。

再エネは理想だが、まだまだ超えるべき技術的ハードルは高い。
太陽光は昼間しか発電しないし、風が止まると風力発電もできない。
安価に蓄電する技術ができないと、再エネには頼れない。
原子力も、政治的、感情的なハードルは高い。
そういうことを考えると、日本の石炭火力は強みがあるということだ。

資源の少ない日本にも石炭ならある。
コストが合わないから、採掘はされていないが、品質の高いものが3年分あるらしい。

2015年のデーターでは、1kWhあたりの発電コストは原子力が10.1円、水力11.0円、石炭12.3円、LNG13.7円、石油30.6〜43.4円となっている。
石炭火力は値段も安いのだ。

また日本の石炭火力発電は石炭をガス化して燃やすという技術を使っている。
燃焼効率がよく、大気汚染対策もできている。
当然、CO2の排出量も少ない。

だから、中国やアメリカ、インド、ロシアなどの石炭火力発電を置き換えれば、非常にクリーンになる。
もちろん、石油やLNGに比べるとCO2の排出量は多いが、現状をよりよくするための選択肢になるのだ。

再エネ、再エネと一気に理想に走るのではなく、現実的に考えれば、日本の石炭火力発電はすごい技術。

見直すべきだ。




| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
生活習慣
海外の最新の認知症治療のドキュメントをBSで見た。
ずっとアミロイドβという脳内の物質に着目して、薬の開発をしていたが、それも行き詰まった。
それに関わっていたアメリカの医師が、患者を調べて、認知症の原因がたった一つの物質である、ということに疑問を持った。
そして、多くの患者を調べたら、複合的な要因があると思われた。
それらを改善するのがリコード法という名前で呼ばれている。

これでだいたい7割の患者は改善するという。
残念ながら、現時点では3割の人たちはよくならないが、7割が改善するというのは大きい。

この療法は、主に生活習慣を変えるということが主眼。
実際の患者の一人は、これを続けて読めなかった楽譜が読めるようになり、ピアノが弾けるようになった。
同時にジムに行って、常連の人たちの顔と名前が覚えられた。

彼女は食生活を変え、運動に励み、希望を持ってもとの仕事に戻ろうとしているとのこと。
すごい変化だった。

リコード法が推奨する生活習慣はこんなものだ。

1. 炭水化物や甘いものを減らす
2. 毒素を排せつさせる食材を選ぶ(ニンニク、ショウガなど)
3. 夕食から朝食まで8〜12時間は絶食
4. 油はココナッツオイル、オリーブオイルを
5. 1週間で150分以上の運動をする
6. 睡眠時間は1日7〜8時間はとる
7. 歯磨きは食後20分後に念入りに(歯周病はよくない)
8. 自宅や車からカビをしっかり除去

どれを、どの程度やるかは検査で決まる。
日本人で検査をした人は40万円ほどかかったとのこと。
今は保険が適用されず、専用のサプリメント等も高い。

しかし、この方法で、若くして発症したアルツハイマーの人たちも回復していた。

実際、薬で進行を遅らせるよりも、効果は大きい。
もちろん、すべての患者に効くわけではないが、7割は改善する。

たいていの患者は宣告を受けて、絶望する。
でも、生活習慣を変えて、治るのなら努力するだろう。

ようやく2020年に入って、アメリカでこの療法の治験が認められたとのこと。

生活習慣は大事だぞ。



| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
外国人が驚いたこと
ちょっと古いが、外国人が日本に来て驚いたこと、という記事があった。
だいたいは、よく聞くものだ。
箇条書きにすると、

・無料の公衆トイレと自動販売機が多い(マレーシア人)
・時間通り会社に出勤する(ネパール人)
・列車ダイヤが正確(多数)
・どんな宗教にも寛容(インドネシア人)
・治安がいい(カナダ人)
・シャイで物静か(ロシア人)
・飲み会では饒舌(イギリス人)

というようなこと。

公衆トイレが増えたのは、ぼくも思う。
これは高齢化と関係があるんだろう。
ということは、これからまだ増える。

自動販売機は治安がいいから多い、ということだろう。
こんなに自動販売機が多い国はないらしい。
タバコの自動販売機は減ったが、飲み物の自動販売機は本当にたくさんある。

会社に行く時間が正確な国は、他にもたくさんあると思う。
ネパール人がびっくりしたのは、自国との比較だろう。

列車ダイヤが正確で驚いたというのはよく聞く。
日本に住んでいれば、当たり前だと思ってしまうのだが…。
いろんな国の人が正確だというくらいだから、やっぱりそうなんだろう。

治安がいいのも、そうだと思う。
忘れ物も出てくるし、電車で寝込んでしまっても大丈夫だ。

しかし、どんな宗教にも寛容、というのは初めて聞いた。
そういえば、世界の大虐殺は宗教が原因のものがほとんど。
現在でも宗教で揉めているところはたくさんある。
そう思うと、日本人は寛容だ。
でも、それは島国で、長い鎖国もあり、極めて同一性の高い民族の国家であるという要因が大きいのだと思う。
これからグローバル化がもっと進み、移民の問題などが出てきたら、そんなに寛容とは思えない。
そんなことを気にしなくても、生きていける環境だった、ということだろう。
個人的には、日本人はそんなに寛容ではないと思っている。

最後に、「酒の上のこと」というのが通用するのは、日本だけだと聞いたことがある。
前後不覚になるまで酔う、というのを許容するのは珍しい文化だ。
普段はあまり話さないが、酒が入ると話せる、というのはあまりいいことではないと思う。
全く話せないよりはマシだが…。

外国の人たちは、日本に来て驚く。
でも、ぼくらも、海外に行ったら驚くことがあるのが当たり前だ。

ぼくもフランスの工場やオーストラリアの食事、インドネシアの工業団地、アメリカのトイレなど、海外で驚くことはたくさんあった。
それが普通なのだ。

それでも、いいように驚いてくれると、嬉しい。

これも島国根性なのか…。

| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
FFのBMW
ずっと後輪駆動(FR)にこだわってきたBMWが、コンパクトカーの1シリーズを前輪駆動(FF)にした。
いつかはそうなるとは思っていたが、その「いつか」が来たということだ。
FFで大丈夫かという記事もあった。

BMWがFRにこだわっていた原因は、主に前後の重量配分だと思う。
FFにすると、前にエンジンと駆動、操舵装置が集まるので、前が重くなる。
理想的な配分50:50にならないのだ。

さらにFRは部品の数も多い。
エンジンが前で、駆動輪が後ろになるから、エンジンの回転を伝えるためにドライブシャフトが必要になる。
FFにするとそれが要らなくなる。

一方で、前後輪で操舵と駆動を分担するFRと違って、FFでは前輪で両方を受け持つので、余計な問題が出てくる。
一つは摩耗。前輪の摩耗が大きくなること。
もう一つは、駆動をかけると、ステアリングに影響がある(トルクステアという)があること。
一番大きいのは、重量配分によるステア特性だ。
普通に走っているときはあまりわからなくても、キツイ操作をすると違いがわかる。
四足の動物が走るとき、前足は方向を変え、後ろ足は地面を蹴って駆動力を与える。
それが合理的なのだ。
だからこそ、BMWは頑なにFRにこだわってきた。

BMWのマーケティングでは、1シリーズの購買層は駆動方式にはこだわらないということらしい。
本当だろうか。

1シリーズは他の対抗車と比べても値段は高い。
現在のBMWはミニを作っているから、それなりに完成したFF車を作れると思う。
しかし、いくら完成したFFであったとしても、所詮FFだ。
1シリーズの上のグレードはFRなのだから、BMWのマーケティングは失敗するような気がする。

FRの駆動形式をDNAとしてきたBMWがそれを捨てるのは、いかにも惜しい。
高くてもいいから、そういうメーカーが残ってもいいのではないか。

将来のEV化とか、自動運転車とか、いろいろと思惑もあるのだろう。
電池を積むことを考えると、FFのように駆動、操舵をコンパクトにまとめておいたほうがいいのかもしれない。

それでも、BMWにはFR車を貫いてほしいとぼくも思う。

せめてBMWくらいは、車のロマンを追求してもらってもいいのではないか。


| | 考えたこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
掛け算の順序
以前、ツイッターを見ていたら、掛け算の順序のことが話題になっていた。
ぼくは掛け算の順序は入れ替え可能で、どっちかが先でなければならない、というのは「オカシイと思っている派」だ。

前から小学校の算数でおかしなことがある、とは書いてきたが、これもその一つ。
なんでかける数とかけられる数に、厳密に分けないといけないのかと思う。

理由は、「塊×いくつ分」と指導要領に書いてあるから。
だから、りんご3つのかごが5つあれば、3×5と書かないとダメだという理屈。
テストで5×3と書いたら、バツがつくらしい。
なんで「いくつ分×塊」ではいけないのだろう。

「順序は絶対派」の人はこういう。

「小2でこれを許すと「かけ算のテストだから見えてる数字を掛けて終わり!」とゆー何も考えない、そして数式をことばに、ことばを数式にできない子どもの出来上がり。
大人と、色んな部分が成長過程の子供の「正しさ・学びは別」なんだよ。それが分からん人は「黙ってろ」なんだわ。」

おそらく、教育関係者なのだろう。

それに対して、「オカシイと思っている派」の人はこう言う。

「僕たちが言ってるのは、「2×3と3×2は同じものなので、どんな文章題であろうとどちらを書いても構わない」ということだけです。文章題だから一方だけが正しいという主張は間違っています。どんな状況であれ、2×3と3×2は厳密に同じものです。同じものなのだから、どちらでも構いません」

ぼくはオカシイと思っている派なので、どう考えても後者の言っていることが正しいと思う。

百歩譲って、もしも順序は絶対派の人の言う、「成長過程の子供の正しさ、学びは別」だというのなら、それはいつ「別」でなくなるのだろうか。
もしそういう教育をしたのなら、いつか「掛け算の順番は本当はどうでもよくて、あれは君たちが成長過程だからああやって教えていたのだ」と伝えるのだろうか。

「順序は絶対派」の人だって、掛け算の交換法則が成り立つのは知っているはず。

それを教えずに、成長過程だからこっちが正しい、と教えているのは問題だろう。
それをしないのなら、逆に書いてもバツにしてはいけないと思う。

小学校の不思議や、小学校の算数で書いてきたが、これもオトナの都合だと思う。

いつからこんなことになったのだろう。

指導要領はいつ書き換えられるのだろうか…。



| | 考えたこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
TuneCore
サブスクリプションというと、一定の使用料をはらって、そのサービスを利用できる、というもの。
月にいくらか払って、音楽が聴き放題、というのが一般的なものだ。
YoutubePremiumとか、アマゾンのプライムなど。

でも、音楽を配信する側のサービスもできていた。
Facebookを見ていると、宣伝が入っている。
TuneCoreというもの。

「誰でも自分の曲を世界185カ国以上の配信ストアで配信販売できるサービスです。
楽曲ファイルとジャケット画像があれば、誰でも簡単に配信ができます。」

ということだ。
要は自分で楽曲を作り、それをジャケット写真とともに登録すると、それをいろんなところで聞けるようにしてくれる、というもの。
配信の代行サービスという感じだ。

もちろん、Youtubeやアマゾンも配信先に入っている。
値段は、シングル ¥1,410(税抜)/年〜、アルバム ¥4,750(税抜)/年〜となっている。
ここに登録されたアーティストのリストがあるが、知ってる名前は一つもない。

路上ライブを演っている人たちが、こういうサービスを使って、「音楽販売中」のビラを撒いてファンに購入してもらう、というようなことだろうか。
意外とニーズがあるのかもしれない。

2018年の1年間でアーティストへの還元額が22億円、前年比で168%とのこと。
22億円というのはすごい額だ。

インターネットの発達で、どんどん世の中の共通言語がなくなっていく、ということをこないだ書いたが、こういうのもその一つだろう。
昔は流行りの歌はみんな知っていた。
ラジオやテレビで流れていたし、レコードやCDを売っていたからだ。
でも、今は音楽を作ってこういうサービスを利用すると、好きな人だけがそれをストリーミングできる。
定額サービスに入っている人たちが聴くのだ。
完全にデーターで流通する。
モノではないから、いくらでも作れる。
そうして、みんなが自分の好みのものを聴く時代。

1億総アーティストの時代だ。

なんならカラオケに行って、録音してもいい。
著作権が切れているなら、それをカバーとして販売もできる。

これからの時代、世の中がどんどん個別化していく。

この先に何が待っているのか、想像もつかない。





| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
過渡期の時代
ぼくらの時代は過渡期の時代だった。
一番大きいのは、インターネットの過渡期。
2000年代の始めくらいから、パソコンの普及とともに、インターネットが広まった。
それまで電話とFAXだったが、メールになり、オフィスから会話が消えた。
固定電話をなくした会社もあるらしい。

手書きもなくなって、全てワープロになった。
もう20年ほどほとんどペンで字を書かない。
読めるけど書けない漢字が増えた。
西洋人はタイプを打つから、字が下手だと思っていたが、自分もそうなった。

製図板もなくなった。
みんなCADになって、2004年には液晶画面に3次元のモデルが見えていた。
2次元の図面で表せないところまで、データーを作らないといけなくなった。
あれからさぞかし進んだのだろう。
最初から3次元CADでモノづくりができた途上国はラッキーだと思った。

記録メディアも変わった。
音楽は、レコードがCD、MDを経てコンピューターやネット上のファイルになった。
カセットのウォークマンがMDに変わり、iPodになった。ソニーの時代が終わった。
映像は、VHS、8mmビデオになり、HDDレコーダーになって、今はストリーミングのデーターだ。
デジタルカメラも、デジタルビデオもスマホになった。

そういえば、20代の頃にカラオケができたときは、演歌が半分くらいだった。
あの頃はスナックがあった。ひょっとしたら、スナックという言葉ももう死語かもしれない。
今はカラオケボックスの時代。
カラオケは世界に輸出された。日本の文化だ。
歌謡曲というジャンルもなくなった。
流行歌さえなくなろうとしている。

ぼくが生きている間に、お金もなくなるかもしれない。
電子マネーに変わるのだろう。

そういう過渡期の時代を生きられて、変化を見られたのはよかったと思う。
アナログからデジタルへの変化は、きっと今まで人類が経験した変化のうち、最も早くて大きな変化だったと思う。

経済的には日本は高度成長し、一時は世界を制したかに見えたが、そこからバブルの時代に入って、凋落した。
今は失われた30年と言われている。
高度成長から、バブルの浮かれ騒ぎ、そして崩壊、低成長という時代を過ごしている。

アナログの時代はよかった。
それはアナログがよかったのか、それとも若いからよかったのか、あるいは日本が成長していたからか…、今となってはわからない。

でも、平和な時代を過ごせたことは、本当によかったと思う。

これは憲法9条のおかげだろうか、それとも在日アメリカ基地のおかげだろうか…。




| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
道は遠い
ギターの練習。
最初はCやG、Amなどのコードを開放弦を使ったオープンコードで弾く。
そこが入り口。

その後、右手は、コードストローク、アルペジオ、フィンガービッキングなど、いろんな弾き方を覚える。
左手は、ハンマリング、プリング、スライド、チョーキングなど、音のコントロールを覚える。
ここまで来たら、もうギター弾き。

その次に大事なのは、指板上の音を覚えること。
どこの音は何、というのがわからないと話にならない。
ここでスケールというのが出てくる。

ペンタトニックとか、メジャー、マイナーのスケールがある。
これらの構成音を覚える。
それも、ドレミの階名で覚えるのではなく、ルート音(最初の音)からの度数で覚えるとよい。
例えば、メジャースケールは1,2,3,4,5,6,7度となる。
マイナーなら、1,2,b3,4,5,b6,b7になる。
これを覚えると、どのキーでも弾けるようになる。
もちろん、メジャー、マイナーだけでなく、たくさんのスケールを覚えないといけない。

それだけではダメだ。
実践的に弾くにはコードトーンを覚えないといけない。
コードトーンというのは、コードの構成音。
コードの構成音を理解して、それを覚える。
メジャーセブンスコードは、1,3,5,7という具合。

もちろん、覚えるということは、身体で覚えるということ。
最終的にはコード譜を見たら、そこで弾くべきスケール、そのコードのコードトーンを即座に弾けるようにならないといけない。

以上のことは、Youtubeのギター講座を色々見て、わかった結論。
ぼくは理屈はわかったが、それを身体で覚えないといけない、という状態。
まだまだ道は遠い。

もうすぐ63歳だが、死ぬまでにこのレベルまで近づけるだろうか…。




| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
訃報 野村監督
野村監督が亡くなった。84歳。

ずっと前に監督業も辞めていたが、それでもぼくらは選手野村もさることながら、監督の野村のほうが耳に馴染む。
名監督だったと思う。

現役時代は長嶋、王の影に隠れた存在。
当時のパ・リーグはセ・リーグほどの人気もなく、気の毒だった。
キャッチャーというポジションで、バッターと心理戦をするのが上手だったと聞く。

外から来て阪神の監督をやって、だいぶ苦労した。
いくら招聘されたと言っても、OBが強く、選手も言うことを聞かなかったと後日ぼやいていた。
それでも、野村が去った後、星野が監督をやって優勝した。
あれは野村が育てた選手がいたからだ、という声もあった。
残念ながら、今の阪神に野村が掲げたID野球は根付いているとは思えないが…。

解説でも投手の配球を、画面のストライクゾーンの絵を使って説明していた。
ああいうことができるのは、野村だけだった。

長嶋も同じだが、息子は大したことがなかった。
実力社会の野球では、芸能界のような七光は通用しなかったのだろう。

嫌われてこそのリーダーとか、リーダーに大事なのは尊敬とか、名言も多い。

晩年は口述筆記で本を出していた。

こういう立派な組織論を持った人がなくなったのは惜しい。

合掌。




| | 考えたこと | 11:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ノートが取れない
最近、いろんな所で「ノートが取れない」という記事が出ている。
小学生、中高生、大学生、新入社員など、対象は様々だ。
ぼくは大学生を見ているが、びっくりするのは「自分で話せる内容が書けない」ということ。

一度「文章がかけますか」で書いたが、話すことと書くことが全く別のことになっている。
話すことと聞くことはつながっているから、聞いたことが書けなくてノートが取れないのだろう。
黒板に書いたものを写すことはできるが、それを要約してノートに書くことはできない。

今の学校の授業は、科目が増えて教えることが多いために、先生も板書が追いつかず、プリントを渡してしまうということもあるのかもしれない。
実際ぼくもキャリアの授業ではプリントを渡していた。
板書が面倒なこともあるが、板書をしてもノートを取らない学生ばかりだったことが大きい理由。
課外のガイダンスでは、プリントを穴埋め式にして、書かせることもよくやった。
そうしないと、何も書かないからだ。
「ここにこれを書いてください」というと、始めて手が動く。
ラインマーカーを持っていても、「ここにマーカーでチェック」と言わないと、なかなか手は動かない。

大事なところにマーカーを引こうというと、文章全部にマーカーを引く学生もいる。
全部引いたら、全く引いていないのと同じだ。
大事なポイントに引いてこそのマーカーなのに、もったいない。

「AIvs教科書が読めない子どもたち」の著者の新井紀子が、インタビューで答えてこんなことを言っている。

「実は、今の子どもの多くが、中学生になってもノートが取れません。ノートの取り方自体がわからない。成績下位の生徒だけでなく、中の上の生徒でもそうなんです。板書を写させると、写すことに「認知負荷」がかかりすぎるので、先生の話が聞けなくなります。板書に認知負荷が全て持っていかれてしまい、先生の話が聞けない状態なのです。本来ならば小学校3、4年生くらいまでに、先生の話を聞きながらノートが取れるようになってほしいのですが、それが難しい状況になっています。」

その状況が大学生になっても、続いているということだ。

ぼくも、自分がガイダンスをやるときは、プリントを渡す。
プリントを作るのは面倒なのだが、ノートが取れないから、せめて何か残さないと、復習もできない。
話している時に「ここは大事」と言っても手を動かす様子がない。
そう言うより、「ここにマーカーを引いて」という方がいいのだ。
しかし、そう言われて引いたマーカーを、後で大事だと思って見るかどうかはわからない。

机の上にノートも出ていない学生もいる。
そんなふうにして、授業を受けているのかと思う。
高校まで、いったい何をしてきたのだろう。

新井紀子は「読解力」について危機感を持ってこんなことを言っている。

「私たち世代(40代以上)は主に家庭の会話とテレビとラジオから語彙を獲得してきました。例えば「水戸黄門」を見ていたから、印籠とかお代官をある程度共通認識として知っていた。「まんが日本昔話」の視聴率は30%程度でしたから、就学援助を受けている家庭も含めてほとんどの子どもが見ていました。ラジオとテレビには、階層に依らずに語彙量を揃える上では、メリットがあるんですね。

ラジオとテレビ離れがここ10年で一気に進み、みんなが同じ語彙を持っているという前提は、瓦解したと言っていいと思います。

かつてはラジオやテレビの天気予報が「今日は雨が降りそうだから傘を持って行きましょう」とか、「今日は10度下がりそうだから、1枚多く着ましょう」と言うのを聞いて、共通の行動につながっていたと思うんです。

今おそらく多くのお母さんは天気予報をスマホで見て判断をする。それを子どもは共有できない。常識による推論、という共通認識を持つことがとても難しい時代になっています。」

就職についても、テレビ離れの影響は大きい。
ぼくらはCMを見て世の中にどんな会社があって、何をしているかを学んできた。
今はそれがなくなって、トヨタが何をしている会社かがわからない学生もいる。
そういう常識が通用しなくなっている。

インターネットは知らず知らずの間に、世の中を変えているのだ。

「ノートが取れない」問題の根は深い。

新井紀子、頑張れ。


| | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
プログラミング教育3
ぼくが大学で使ったプログラミング言語はFORTRAN(フォートラン)。
もともとのコンピューターの役割は数値計算だった。
その数値計算用の言語がFORTRANだった。

会社に入ってから、アナログ電圧の信号をデジタル化した波形を、プロッタに描かせるというプログラムを作ったが、これもFORTRANだった。
テレタイプ(めちゃうるさかった)でFORTRANで書いた言語を紙テープにして、それをコンパイラを通して機械が読める機械語に変換して使った。
ミニコンというパソコンの前の時代のコンピューターだった。

今のように、パソコンでアプリを作って、みんなで使うという便利な時代ではなかった。
ちょうど、一つずつのプログラムを走らせる時代から、みんなでコンピューターをシェアして使うという時代に変わる手前の時期。
当時はTSS(タイムシェアリングシステム)室というのがあって、そこでメインのコンピューターを使った時間だけお金を払う、という仕組みも利用していた。
たしか、電通がサービスしていたはず。
緑の文字の端末があったなあ。

それから比べると、今のプログラミング言語は進んだと思う。

いろんな会社や団体がプログラミング言語を開発して、公開している。
各々の言語に得意分野があって、Webに強いものや言語処理に強いものなどいろいろある。
なかでも、AIの開発に向いているのがPythonという言語。
AI用のライブラリが揃っている。
特に機械学習(AI自身が学習する方式)関係のライブラリが豊富で、これがPythonが開発者に人気がある理由。
AIブームもあって、Python関係のセミナーは多いようだ。

今小学校でプログラミング教育、と言っているが、それは意味があるのだろうか。
どんなカリキュラムでやるのかわからないが、プログラミングの基礎をやるのだろう。
プログラミングの基礎というと、フローチャートを考えることになる。
そういう授業が、今の教員にできるのだろうか。
要は物事を論理的に考える、ということなのだが…。

やるのなら、中学以降でやったらいい。
ただでさえ、うまくいっていない小学校課程にそんなものを詰め込むのは無理だと思う。

どんどん新しい言語ができて、新しい流行ができる。
小学生に今のトレンドで教育しても、彼らが大人になるのは10年ほど先なのだ。

何だかやってることがちぐはぐだ。

| | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
孔子はエライ
今までオレサマ化とか、キレる高齢男性とか、書いてきたが、高齢者が増え、寿命が伸びるに従って、こういう人が増えてくる。

実際、そういう人を街中でも見かけることがある。
怒っているオジサンを見ると、哀れな気分になる。

日経ビジネスに高齢の客のクレームの話が出ていた。
電話で説教をする高齢者が、最後は詫び状を持ってこさせて、それを額に入れていくつも飾っている、ということだ。
数十枚の詫び状が表彰状にように飾られていたとのこと。
謝りに行った人は「多分、他にやることがなく暇で、人を謝らせることが趣味になっているのではないか」と思ったとのこと。
本当にこういう老人がいるらしい。

第二の人生をうまくスタートできなかった高齢者が、こういう道を歩みやすいということだ。
再就職もうまくいかず、趣味を始めても疎外感があってやめる…というような状況。
もちろん、こういうことができるくらいだから、経済的にはそこそこ余裕がある。
現役時代に高い役職や地位にあった人に、その傾向が強いと思われる。
有り得る話だ。

中には若めのシニアで、ネットクレームのメールを出すのを趣味にする人もいるらしい。
これが生きがいになっているとのこと。
徹底的にマニュアルなどを読んで、理論武装して、問い合わせのメールを出すという作業が癖になる。
消費者の権利を行使している、ということで法的には問題ない。
しかし、そういう行為が世の中の無駄な仕事を増やして、ただでさえ低い生産性を下げて、経済的にマイナスだということをわかっていないのだろう。

高齢者の犯罪も、人口の高齢化率を上回って増えている。
原因は経済的なものもあるが、何もすることがないから犯罪を犯すということもある。
鉄道の駅で暴力行為をした加害者の25%が60代以上で、最も高かったらしい。

こうなると、人生が100年と言って喜んでいられない。
何もすることがないと、人間ロクなことをしないのだろう。
記事の中の医師の話によると、

「趣味を持たず、働きもせず、体や頭を使わずにいると、『相手の立場に立って人の話を正確に最後まで理解する力』を脳が失っていく。理解できないことがあると、人間の脳は血流を増やし、血圧を上げて無理やり働かせようとするため興奮状態に陥る。これが、『キレる』ということ」

ということらしい。

孔子の時代、70歳まで生きたら十分長生きだった。
彼が残した言葉によると、60歳では「六十にして耳順がう」(何を聞いても素直に受け入れることができるようになる)、70歳では、「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」(心の思うままに行動しても、人としての道理を外れない)とある。

エラい人は老境でも立派だということだ。
人生の終わりかけになって、クレーマーや犯罪者にはなりたくない。
孔子のようにエラくもない普通の人間が70歳を遥かに超える人生を、まともに生ききるにはどうしたらいいんだろうか。

まずは仕事を長く続けることだろう。
といっても、周りの足を引っ張るようになっては、働けない。
世の中の役に立てる間は仕事をしたいのだが…。
とにかく、健康に留意して、長く働くことは大事だ。

趣味も、そんなに長く続けられないような気がする。
歳を取ると、意欲も減退して、何かを続けるということ自体が難しくなる。
それを予防しようとすると、一人でやるのではなく、グループでやらないといけないと思う。

聞くところによると、人間の脳の機能の大部分は人間関係を維持する、ということのようだから、人間関係がなくなると、脳の大部分の機能は使われず、脳がダメになる。
だからこそ、人とつながっている、ということが大事になる。

そうなると、外に出ないといけない。
ぼくは寝るのが好きだから、ちょっと身体が動けなくなると、寝たきりになるような気がする。
困った話だ。

こんなことを考えていると気が滅入る。

散歩に行くことにする。


| | 考えたこと | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
高等専門学校
ぼくが会社にいたとき、不満だったことの一つが高専卒の人たちの扱い。
そんなに多くなかったが、高専(高等専門学校)を出て、会社に入った人たちが技術部にもいた。
高専卒は優秀、という記事があったが、ぼくも下手な大卒技術者よりもよほど優秀だと思う。

ところが、人事の頭が古く、なかなか昇進できなかったりした。
当時の人事としては、「大学院卒」「大学卒」「高専卒」というラインを崩したくなかったのだろう。
工場にいた高専卒の人は、組合専従を何年かやらせて、昇進させる、という手を使っていた。

どういうわけか、組合専従をやると、戻ってきて出世できるというルートがあった。
どこの会社もそうなのかどうかはわからないが、ぼくの会社は専従として、ストもやらず、人事と仲良くする、という条件を満たせば出世できた。
前にも書いたことがあるが、労働組合が出世の道具になってしまったら、本末転倒だ。

当時、技術部は組合の専従はいなかったから、高専出身者の昇進には人事がなかなか首を縦に振らなかった。
だから、本当に真面目でやる気もあり、リーダーシップもあるのに、管理職になれなかった。
それはぼくが辞めてから、ちょっとは改善されたらしいが…。

高専生が優秀なのは、今でもそうらしい。
大学の教授が、今の大学生より高専生の方が優秀だということを公言している。
入学直後から専門科目を配置して、専門分野を学べるというシステムがいいかもしれない。
相次ぐカリキュラムの変更で、高等学校のレベルが下がったのかもしれない。
理由はどうあれ、優秀なのは間違いない。

以前から高専のロボコンをやっていたが、今は高専生のディープラーニングコンテスト(DCON)も開催されている。
最新の分野の人材を育成しているのだ。

こういう人たちの昇進が阻まれるのは、学歴と処遇、給与が結びついているからだ。
年功賃金の制度を無理やり運用しようとするから、そうなってしまう。
みんなが管理職になれた高度成長の時代は、それでもよかった。

しかし、低成長の今はそういう制度では無理だ。
仕事の実績をちゃんと評価し、目標をちゃんと設定、評価しないといけない。
成果主義をちゃんと運用しないといけないのだ。

もはや年功序列ではやっていけない。

高専生の昇進問題は、そういう事例なんだと思う。


| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロボット税
WSJ(Wall Street Journal)によると、ビル・ゲイツは「ロボット税」を呼びかけているとのこと。

「ロボット税は複数の目的に役立つと考えられる。雇用を奪う自動化を遅らせる一方、集めた税収で人間の労働者が支払う税金の減少分を埋め合わせることができる。他の方法で徴収することも可能だ。議会で人間をロボットに置き換える企業の税控除を制限するような法案を通してもよい。あるいは雇用主や従業員が支払う給与税に相当する課徴金を企業に払わせる方法もある。」

たしかに、ロボットがどんどん増えると、資本家は人件費を払わなくなって、所得税が徴収できない。
税収が減るということになる。
それでも、儲けは従来どおりあるから、資本家は儲かる。
だからロボット税、ということだ。
冗談ではなく、アメリカでは税金や法律の専門家が「ロボット税」について真剣に検討しているらしい。

すでに、パソコンやネットワークの普及で、自動化は大きく進んだ。
経理で計算するために何人もいた人たちは、パソコンの会計ソフトのおかげで職を失った。
各種センサーとの組み合わせで、人が検査していた工程が自動になり、職を失った。
そういう事例はたくさんある。

それでも、パソコンを管理したりセンサーをメンテナンスしたりする仕事が増えた。
その分、職が生まれたことになる。
いろんな会社にシステム部ができて、それが大きくなったのも、その影響だ。
つまり減った仕事もあれば、増えた仕事もあり、トータルではそんなに影響がなかったのだろう。

全体で見たら、ソフトウェアやネットワークの会社ができて、雇用は維持されたといえるかもしれない。
今回もロボット関連の会社ができて、そうなるんだろうか。

そうでない、という意見もあるし、いや、今までと違って雇用を生み出さないという意見もあるらしい。
エコノミストにもいろいろある。
でも、どんどん富が少ない人々に集中している今を見ていると、そういうことも起こり得るような気がする。

マッキンゼーの調査によると、世界の雇用の15%が2030年までに自動化される可能性があるとのこと。
あと10年。どうなるのかな。

ぼくらの常識はすぐに通用しなくなる。
それほど世の中の仕組みの変化は早い。

やはり老兵は去りゆくのみか。



| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
昆虫食
日本人は当たり前のように食べている食べ物だが、他の国の人から見たら驚くこともある。
スリランカから来ている留学生と日本人の学生と、セミナー前に話をしていた。

ぼくが食糧危機で昆虫食の話をしたら、虫を食べるのは気持ち悪い、という。
スリランカの学生も、うなずいていたが、ぼくは「日本に来てビックリした食べ物はあるか?」と聞いた。
そうすると、「イクラや明太子は気持ち悪くて食べられない」という。
日本人学生は「えー、あんな美味しいのに」という反応。
そんなものだ。

日本人は他国人から見るとゲテモノ食いたと思う。
まず刺し身。
これは海外では食べるところは少ないはず。
今でこそ寿司ブームで広まったが、食べられない人も多いと思う。
イカ、タコ、ナマコなども、最初に食べた人はエライ。

ああいうものは、大人が食べているから、食べ物だと認識できる。
小さい頃から当たり前のように食べていたら、それは食べ物になる。
ベジタリアンの子どもが、肉を気持ち悪くて食べられない、というのは当然だ。

イナゴの佃煮を食べたことがあるが、あれは甲殻類みたいな味だった。
小エビに近い。
飲み屋に行ったら「食べないか」と言われて食べた。
エビもイナゴも同じようなものだ。
見慣れているか、見慣れていないかの違いだろう。

ヨーロッパのチーズの類も同じようなもの。
臭いチーズはたくさんある。
慣れないととても食べられない。

結局、それを食べ物と思うかどうかのことだろう。

食糧危機で昆虫食が現実になるかもしれない。
それはとてもダメ、とみんな言うが、意外とすんなり食べられるようになるのではないか。
要は慣れればいいのだ。

昆虫食の未来は意外と明るいと思う。


| | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
高卒人材は「金の卵」
高校卒業の人材に関する日経ビジネスの記事があった。
「採用戦線で人気急上昇中、高卒人材は「金の卵」」という見出し。
ここにも何度か書いたが、周りに流されず、家の事情などはあるにせよ、本気で就職する高校生は優秀だと思う。

実際、いい加減な就活大学生の付き添いで訪れた、高校卒業の社会人の方がよほどしっかりしていた。

「ここにたくさん本があるやん。これを読んで書いたらええねん。」

キャリアの部署にある本棚をの就活本を見ながら、その付き添いの子が言った言葉。
本当にその通りだ。
付き添われて来た大学生が「あの子はエライから高校出て働いてるねん」と言う。
大学生は本を読んでも書けないから、休みの日に相談に来ているのだ。
中下位以下の大学にはそんな風景があるのだと思う。

もちろん彼らが悪いわけではない。
就職させるより進学させるほうが楽、という高校の進路指導や、定員割れを防ぐためにあの手この手の入試制度で入学させる大学、そして入学後数か月でモチベーションをなくさせるようなカリキュラム、旧態依然とした大学教員、それを変えることができないガバナンス体制など、いろんな要因がある。

企業もようやく「大卒」のレッテルのウソに気が付き始めた。
国も高卒就職に対する見方を変え始めた。
気が付いていないのは文科省と教育機関だけだ。

10年間下位の大学で働いてみて、正直に言えば「大学に入らず、社会に出ておいたほうがよかった」と思う学生が本当にたくさんいた。
実際、ぼくを呼んでくれた事務局長も同じことを言っていた。

そういう学生を入れているのに、それにマッチしたカリキュラムや体制ができていない大学がたくさんある。
それを変えようとしても、本気で取り組む事務や教員はほとんどいない。
あまりにも抵抗が大きいからだ。

今、年功序列をやめようという動きがあるが、それが進めば学歴も関係なくなる。
その時に、本当に行く価値がある大学が生き残ることになる。

「大卒」のレッテルが通用しなくなったとき、中下位の大学のどれだけが生き残るのだろう。




| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
D2C企業
個人向けビジネス(B2C)、法人向けビジネス(B2B)という言葉はあるが、D2Cというのは聞いたことがなかった。
日経に出ていた、アマゾンキラーの記事だ。
Dはダイレクト、Cはコンシューマーで、D2CとはDirect to Consumerのことらしい。
これは通販で売っている業者のことを言う言葉。
直接消費者に届ける、ということだろう。

そのD2Cの企業が増えてきており、アマゾンや楽天を利用しているが、それをもっと便利にしたのが、この記事で紹介されている「ショピファイ」。
月額29ドルで利用できる。
内容はWebサイトの作成から、在庫管理、決済、配送まで多岐にわたるらしい。
すでに100万社が導入している。
まだまだアマゾンには太刀打ちできないが、「アマゾンキラー」と言われている。

アマゾンよりも楽なのだろう。
ニューヨークの小さな衣料品店では、ネット通販のシステムを丸投げしているとのこと。
全くWebサイトの知識がなくても、通販できるようになっているのだ。
時価総額も5年で28倍に増えたとのこと。

日本では、ゴーゴーカレーグループが活用しているとのこと。
本家アメリカでも、ナイキがアマゾンでの販売をやめるという動きもあり、ブランドに自信がある企業は自前のネット販売を志向している。
アマゾンや楽天といった通販形態はまだまだ変わる。

なくなることはないだろうが、いつか「昔はアマゾンが強かった」などと言われる日が来る。
それが2025年か、それとも2030年かはわからないが、ネットの破壊力は底知れない。
滅びかけていたような少量生産の伝統工芸品などは、ネットの宣伝で一気に市場が広がる可能性がある。
ショピファイなどという企業が出てくると、そういうOne and Onlyの商品が売れたりする。

田舎で誰も知らない逸品などにもチャンスがある。
何と言っても、相手は世界なのだ。

ぼくが地方創生の担当者なら、このスポティファイをチェックする。

アマゾンの次はショピファイだ。


| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
店舗レス
アメリカのBoseという音響家電の会社が、直営店を閉鎖すると発表した。
北米、欧州、日本、オーストラリアの119店舗。
中国、アラブ首長国連邦、インド、東南アジア、韓国は引き続き営業するらしい。

直営店というのは、消費者の動向をみるために必要だということで、直接メーカーが運営する店だ。
ネットと通信販売のインフラがあれば、直営店はいらない、ということなんだろう。
Boseはどちらかというと「高いブランド」だ。
実際、価格は高い。

スピーカーやヘッドフォン、CDステレオなどを作っている。
どちらかというと、マニアックな商品。
Boseという名前があれば、品質は問題ない、と思う人も多い。

そういう会社だからこそ、直営店を廃止する。
実店舗がなくなる、というのはマーケティング上は大きな決断だと思う。
同じような会社で、ソニーやアップルがあるが、今は両方とも直営店を持っている。
そこから得られる情報は多いのだろうが…。

直営店を閉めるのは、ネットの直販が増えているからだ。
ブランドが強いから、量販店等に置いてもらえる。
そこで見たり、聞いたりして購入を決める。
そして、ネットで注文する、ということだろう。
もちろん、Boseだからネットのレビュー等を見て、いきなりネットで注文する人もいるだろう。

こういう動きが出てくると、店舗レスのメーカーも増えてくると思う。
だからソニーもネットの販売に力を入れている。
一度ソニー製品を買って、ネットでユーザー登録して、メルマガを取り始めるといろんなクーポンを送ってくる。
ソニーのネットショップで買うと安くなる、というやつ。
そういうふうにして、直販を増やして利益率を上げるのだろう。

また、Boseとは逆のパターンだが、アマゾンにあるたくさんの中国製の製品は、ほとんど店舗では売っていないと思う。
どちらかというと、安い商品だ。
そのために、フェイクレビューが増えている。
中国製を買う人は、レビューをチェックして買うことが多いとわかっているのだろう。
メーカーの名前もよくわからない。
同じ製品が、違うメーカーの名前で売られていることもある(と思う)。

そうなると、Boseのような有力メーカーはブランド力があるから店舗を持たないし、値段で勝負するような中国の小さなメーカーもコストダウンのために店舗を持たない、という時代が予想される。

小売業の未来はどうなるのだろうか…。


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危ない自転車
最近歩道を歩いていて、自転車に抜かされてヒヤっとすることが増えた。
抜かすスピードが速いからだ。
たいがいは、電動自転車。

電動自転車は2008年にアシスト率が上がった。
時速10キロまではこぐ力の2倍までアシストできる。
平成30年で販売台数比率は8%程度というデーターはあるが、子供を乗せて走る人が多い都市部はもっと高いような気がする。

電動自転車を持ったことがある人ならわかると思うが、あれは普通の自転車よりもかなり重い。
モーター、電池の分が増えたというよりも、フレーム自体が重いのだと思う。
速度が出る分と自重が重い分、強化されている。
安くするために、軽量化素材が使えないのもあるだろう。
あの自転車とぶつかったら、かなりのダメージだと思う。

おまけに子供を乗せていたりすると、総重量が100キロを超えるときもあるらしい。
だから、フレームを強化しているのだ。

統計によると「2018年に起きた自転車関連事故は8万5641件と10年前に比べてほぼ半減。しかし電動アシスト関連は2243件と2倍に増えている。死亡事故の割合も高い。」とのこと。
自転車事故が半減しているのに、電動自転車の事故は倍になったということだ。
あの重量に当たったら、当然死亡事故もあるだろう。

衝突エネルギーは重量と速度に比例して大きくなる。
つまり、重く、速くなったらエネルギーは大きい。
時速10キロまではこぐ力の2倍のアシスト量だから、すぐにスピードが出るのだ。

歩く速さはせいぜい時速数キロで、それに時速10キロを超えるスピードで重い自転車が衝突するのだから、人が吹っ飛ぶのもうなづける。
さらに、今の歩道は年寄りが多いから、流れが悪い。
日本人の平均年齢が若かった昔とは違うのだ。

便利なものができると、厄介なことも増える。

しばらくは気をつけていこう。


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