考えたこと2

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読み書き
目玉おやじといえば、「ゲゲゲの鬼太郎」。
故水木しげるの代表作だ。
朝ドラの「ゲゲゲの女房」でもやっていた。

このドラマで知ったのだが、水木しげるは第二次大戦で左腕を失い、悲惨な南方戦線のことをマンガに描いていた。
この人の戦争体験は本当に大変なものだったと思う。

それはともかく、「ゲゲゲの鬼太郎」のお父さんが「目玉おやじ」。
本当の名前は知らない。
お椀を風呂にみたてて、浸かっているような絵をよく見る。
鬼太郎よりも、目玉おやじの方が印象深い。

こないだ、ツイッターで誰かのリツイートが目についた。
アニメの鬼太郎の場面が出ていたからだ。
子どもたちを前に、目玉おやじが聞かせる言葉がテレビ画面のショットとともに、字幕風で出ている。

「世の中には悪い大人がたくさんいる。
国語がわからなければ、文章の嘘が分からない。
だまされた後で、知りませんでしたと言っても、遅いんじゃ。
社会を知らなければ、社会そのものにだまされるぞ。」

いかにも水木しげるらしい言葉。
戦前の体制批判も入っているのだろう。

そういうリテラシーをつけるのが、教育の役割。

LINEなどのチャットが学生の通信手段になって、返事の代わりにスタンプで済ますようなことも多いようだ。
ネットのスラングも増えて、ぼくらにはわからなかったりする。

それらを一概に悪いとは言わないが、正しく論理的な文章を読んだり書いたりする力は、初等中等教育で身につけないといけない。
よけいなものを教え過ぎなのだと思う。

英語に一生懸命になるより、まずは論理的に考えて読むとか書くという能力を身につけないと、日本の社会では生きていけない。
それがまず第一だと思う。

目玉おやじの言うことを聞こう。



| | 考えたこと | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
テレビ離れの功罪
若者のテレビ離れが言われている。
実際にYoutubeやSNSを見る人が増えて、大学生に聞いても「ほとんど見ない」という人もいる。
ひと昔前なら「テレビばっかり見て」と言われていたのに、すごい様変わりだ。

今の民放の番組のほとんどはお金をかけず、ワイドショーでは局アナとコメンテーターが並んで、井戸端会議をする、というようなもの。
コメンテーターを芸人にすると、バラエティになる。
やたら番組の宣伝が多かったり、VTRが多かったりする。
もちろん、VTRは下請け、孫受けをこき使って作っている。
もっとひどいのは、VTRの代わりにYoutube(ネットの動画)を見せるというようなもの。
こうなると、ネットを見たほうがマシだと思うのだが、ネットが見られない人向けの番組なのだろう。
いきおい、高齢者向けの話題ばかりになる。

テレビ局志望の学生たちに、「テレビを見ますか?」と聞いたら、「あまり見ません」という返事が多い。
なんで、テレビ局志望なのかよくわからない。
Youtuberになれるほどの才能がないから、テレビ局に行くのかもしれない。

それほどひどい状況だから、若い人たちがテレビ離れをするのはいいことだと思っていた。
「功罪」の罪の部分が大きいということだ。

しかし、よく考えたらテレビにも「功」の部分があった。
一つは、家族で共通の話題を共有するということだ。

話題のネタが、食事の時間にリビングで見るテレビの番組だったりした。
核家族化しても、80年代、90年代はそうなっていたと思う。
今は食事中でも子どもたちはスマホを気にしている。
ファミレスでちょっと大きめの子供連れなどを見ておたら、家族全員がスマホを見ていたりする。
こういう風景はテレビの時代はなかった。

就職の面では、CMの効果。
今から思うと、CMはいろんなことを教えてくれていた。
世の中にこんな商品があるとか、会社があるとか…。

みんながテレビを見ているときは、クルマに興味がなくても、たくさんの人が自動車会社の名前は知っていたと思う。
クルマの宣伝をして、最後にTOYOTAとかHONDAとか出てきた。
えらいもので、そういう刷り込みは効くのだ。

もしもCMがなかったら、P&Gとか花王などの日用品のメーカー名や化粧品のメーカーなど知らなかったかもしれない。
資生堂やカネボウの名前を知っているのは、ひとえにCMのおかげだと思う。

実際、2014年にいろんな会社を書いて、知っている会社をチェックしてみよう、というテストをやったら、トヨタやホンダ、ANAやJALを知らない学生が続出して驚いた。
今から思うと、あの学生たちはCMを見ていなかったのだろう。
あの時はトヨタやJALを知らないとはどういうことだ、と思っていたが、悪いことをした。
世の中のことを知ろうと思うと、いろんな会社のCMを見ることが効果があったのだ。

テレビの「功」の部分は、民放のCMにあった、という皮肉。
見ている当時は、うっとうしかったり、トイレに行ったりしていたが、あれは世の中にはこんな会社があって、こういう商品やサービスがあるよ、ということを教えてくれていた。
社会勉強だったのだ。

今の学生たちはそういう社会勉強を経ていないから、知らなくて当たり前。

これこそ、教育で何とかしないといけないのではないか…。




| | 考えたこと | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
スタビライザー内蔵スプーン
次男に教えてもらって、Facebookでバウンシーというサイトをフォローしている。
ここでは、いろんな面白い製品などを紹介してくれる。
ちょっと記事が多すぎるのが玉に瑕だが…。

今日見ていたら、スタビライザー内蔵のスプーンという商品を紹介していた。
「Liftware」という製品名。
これは国内に400万人程度いるといわれている、手が震えて食事をうまくできない人のために作られたスプーン。
持つ所が太くなっていて、そのグリップ部分が震えても、その先のスプーンは震えないようになっている。
だから、手が震えてうまく食事ができないという人でも、食事が自分でできるようにするもの。

記事によると、

「Liftware」を実際に使った人たちは食事がしやすくなったことで食べることの自信を取り戻し、人の顔を見ながら友人との食事も楽しめるようになったという。

ということだ。

電池で動き、震えを打ち消すように振動して、手の震えがスプーンに伝わらないようにできる。
考えた人はえらい。

テクノロジーが病気などでハンディキャップを負った人たちを助ける。
グリップの中の加速度センサーが手の震えを感知して、スプーンに逆の振動を与えるのだろう。
スマホで加速度センサーが使われるようになって、それらが安価に手に入るようになり、電池の性能改良もあって、こういう製品ができたと思う。

食べる事は生きていることの基本であり、病気になっても、それを楽しむことを実現するデバイスだ。

老人ホームなどで食事介助を行っているが、こういうものがあれば介助をしなくても食べられるようになる人もいるのではないか。
今はまだ価格が2万円以上だが、売れれば競合品も出るだろうし、価格競争も起きる。

こういうものこそ、高齢化社会のトップランナーである日本で開発してほしいものだ。





| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
割合の割合?
割合がわからない学生が、何とか第一段階をクリアしても、本当にわかっていないと「割合の割合」の問題はわからない。

旅行に行くのに前金を2/15払って、行く直前に前金の2/3を払ったという時に、トータルで全体のどれだけ払ったか?という問題。

まず「2/15の2/3」をどうやって計算するかということだ。

割合は全体に対する部分の比率ということがわかっていれば、全体を2/15とみて、その2/3だから、2/15×2/3=4/45とわかる。
しかし、こういう計算ができるためには、2/3をかける、ということの意味をわかっていないといけない。

分数とは何かということになる。
2/3をかける、ということは3で割って、2倍することであり、かけることでその大きさがわかる、ということだ。

さらに、それと前金の2/15を足さないといけない。
計算で出した4/45と2/15を足して、はじめて全体のいくら払ったかがわかる。
ここで通分をしないといけない。

4/45+2/15=4/45+6/45=10/45

この計算のやり方を覚えている必要がある。
ここが第二のハードルになる。

そして約分をしないといけない。
10/45=2/9
ここまでスッとできる学生はありがたい。
逆に言うと、スッと出来ない学生がたくさんいるということだ。

90年代にすでに「分数が出来ない大学生」という本が出ていたが、2019年になっても状況は変わらない。
もう30年経ったが、状況は悪化している。

これを文科省の失敗と言わずして、何というのか。

教えてほしい。


| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
クロスワードパズル3
クロスワードパズルについて書くのは3回目。
だいたい新聞の日曜版に載っているものがネタになったりしていたが、今回はもうしょっとちゃんとした記事がネタ。
イギリスの研究で、「クロスワードパズルには強力な脳の老化予防効果がある」という研究論文が掲載されたらしい。

それによると、クロスワードパズルをたくさんやる人は、老化による記憶力の低下が防止されるとのこと。
ここでは数字パズル(数独など)のアンチエイジング効果も調べていて、その結果

「50〜93歳の被験者1万9078人を調査したところ、単語パズルや数字パズルをやる人は、14種類の認知テストで良好な成績を収める傾向にあった。
 その結果によると、パズルをよく解く高齢者は、やらない人に比べると、短期記憶が8歳、文法的推論能力が10歳若かった。」

ということだ。

年をとっても働き続けている人や、ボランティアで社会とつながったりしている人は、明らかに余り外に出ない人に比べると、元気そうに見える。
その効果は体力的なことだけでなく、いろんな刺激を受けているからだと思う。
要は、脳に対する刺激なのだろう。
運動が認知症に効果があるのも、外を歩くということが、多くの刺激を脳にインプットするからだろう。

ペットを飼うのも同じこと。
ペットを飼うと、世話をしないといけない。
世話をするということが、脳の刺激になる。
話しかけるのも、大きいだろう。

パズルも同じように効果があるんだと思う。
刺激される場所は違って、短期記憶や文法的推論能力の分野になっているだけだ。
そういう刺激を受け続ける、ということが、脳を若く保つ秘訣だ。

他の研究結果で、すでに認知症になった人が、クロスワードパズルを解くようになると、記憶の喪失がそうでない人に比べて2.54年遅くなった、というものもあるらしい。
数字パズルを頻繁にやる人は、エピソード記憶に優れるということも判明した。

脳梗塞をやったおかげで、クロスワードパズルと数独はよくやっている。
ダイレクトメールでも、そういうものが載っていれば、みつけてやるようにしている。
別に認知症対策でやっているわけではない。
単に好きだからやっているのだ。

しかし、これから認知症の人口がどんどん増えると見込まれている日本。
薬の研究も大事だが、どういう生活習慣が望まれるのかなどについても、もっと研究すべきだ。
さらに、それをもっと伝えていかないといけない。

認知症になってしまう、ということは、その人ではなくなるということだ。

できるだけ減らさないと、大変だぞ。



| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
CDラック
ニトリでCDラックを買った。
組み立て式で2700円ほど。なかなかよくできている。
昔のものよりも、ネジ止めの部分が増えて、強化されている感じだ。

今はもうCDを聞く機会はほとんどなくなった。
買ってきても、パソコンに入れて、ウォークマンで聞くことがメイン。
最近、山下達郎の初期のレコードをCDで買ったが、新しいCDを買うことはほぼない。
洋楽は80年代くらいで終わっているし、邦楽はもう60を過ぎた人ばかり。
そんなにほしいCDをは出ない。

CDを置いている所が5ヶ所くらいにわかれてしまって、いつもあれどこ行った?と探すのが面倒で、今回のラック購入になった。
280枚入るということだったので、十分だろうと思っていたら、いざ組み立てて入れてみると、まだまだ足りなかった。
レコードはかなり持っていると思っていたが、CDもそんなにあったとは…。

一つは、講演のCDが予想外に多かったことがある。
文藝春秋が主催した作家たちのシリーズが20枚ほど、小林秀雄の講演集が2枚組で6つ、田辺聖子の源氏物語のCDがいくつか、それ以外にも半藤一利の戦後史、手塚治虫や河合隼雄、養老孟司などいろいろあった。
これが予想外に多かった。

今生まれた子どもたちは、きっとCDというメディアを知らないで育つような気がする。
生まれたときからネットがあり、音楽はダウンロードして聞くもの、という時代。
ぼくらは、SPレコードこそ知らないが、ドーナツ盤、LPレコードからCDという流れを知っている。
何度も書くが、昔は音楽はかしこまって聞くものだったなあ。
レコードをターンテーブルにのせて、針を落として、おもむろに音楽が始まる。
そんな儀式のような聞き方だった。

ウォークマンが出てきたのは1979年。
その頃から、音楽を持ち歩くということができるようになった。
カセットに音楽を入れて、車で聞くという聞き方も始まった。
ラジカセという言葉もあのころできたと思う。
その後はCD、MD、そしてデーターになった。

それでも、まだ息子の世代まではCDだ。
ぼくが死んだら、いくらかはもらってくれるだろう。
そのためには、CDをまとめて、整理しておかないといけない。

CDラック、一つでは足りなかった。
もう一つで大丈夫だろう。

しかし、レコードは捨てないといけないかな…。

| | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
白物家電
かつては白色の製品ばかりだったということで、白物家電ということが言われた。
冷蔵庫、洗濯機など、家庭で使う電気製品だ。
これも若い人たちにとっては死語だろう。
実際に今はいろんな色のものが出ている。
赤い冷蔵庫や緑の洗濯機など、バリエーションが豊富になった。
あれはボンダイブルーの初代iMacあたりから始まったのだと思う。

去年の白物家電の国内出荷金額は、前年比4.1%増の2兆4452万円で、22年ぶりの高水準だったとのこと。
ただ、この中の3割強はエアコン。
猛暑でエアコンがよく売れたということだ。

次いで洗濯機や冷蔵庫だが、これは単価が高くなったということらしい。
たしかに、冷蔵庫ではエコやチルド、野菜室など、洗濯機では乾燥機付きとか、ドラム式など付加価値の高いものが増えた。
昔は洗濯機はそんなに高いものではなかったが、今は20万円以上のものがいろいろある。

さらに、世帯あたりの家族数が減って、白物家電にかけられるお金が増えたのもあるだろう。
白物家電は必需品だから、常に買い替え需要はある。
共働きで高くても便利なものを使おう、ということもある。

そんなわけで、白物家電は好調だった。
今や「白物」には限らないが…。

しかし、少子高齢化の影響で国内市場の縮小は避けられない。
人口が減るというのは、生産に対しても、消費に対しても効果が大きい。
若い人たちは社会保障の負担で苦しんでいるし、高齢者は残りの人生のために消費を減らす。

日本の家電メーカーは価格競争のために生産をアジアに移した。
一部は日本に回帰しているが、多くは行ったままだ。
もはやMade in Japanにこだわる人も減ってきた。
どのメーカーが作っているかということくらいだ。

日本の家電メーカーは一部は潰れ、残ったメーカーは最終製品というより部品に力を入れ始めた。
パナソニックの電池とか、ソニーの画像デバイスとか…。

いつかは白物家電も日本に戻ってくる日があるだろうか。
80年代から全盛期の、日本の家電メーカーの勢いはもう難しい。

かつて日本がアメリカや欧州を抜いたように、新興国に抜かれたということだろう。

これも歴史の必然なのかもしれない。


| | 考えたこと | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
繁昌亭アゲイン
また繁昌亭に行ってきた。
知らない落語家がたくさん出てきたが、やっぱり面白い。
一人、60歳の落語家が、40年前を振り返って、あの当時はやる場所がなかったという噺をマクラでしていた。
40年前というと、ぼくが落研にいた頃。
あの当時、本当に落語だけをやる定席がなかったから、お寺などで勉強会と称して落語会をやっていたのは事実。

時にはガマン会のような、ほとんど笑えない落語会もあった。
もちろん、値段は安かったが、それでも「金返せ」と言いたくなるような会も経験した。
それに比べると、繁昌亭は本当に面白い。
昼席で2500円出しても、値打ちがある。

今回は東京から浪曲師が来ていたが、演題は「シンデレラ」。
いつまでも「森の石松」なんかをやっていても、生き延びられないと思っているのだろう。
なかなかよかった。

落語の方は古典が多かった。
「道具屋」や「十徳」など。トリは「子は鎹」。
ぼくは新作の方が面白いのだが…。
昼席だったので、年齢層が高く、古典が増えたのかもしれない。

前にも書いたが、繁昌亭を見ていると、まだまだ落語は生き延びられると思う。
高齢化社会の影響で、暇で落語を知っている年寄りが増えている。
繁昌亭の昼席はまさにそういう客の集まりだ。

6月はリニューアルで1ヶ月休館。
ラジオ番組で、現上方落語協会会長の笑福亭仁智が冷房や何やかやで数千万かかる、と言っていた。
でも、連日ほぼ満員でやっているのだから、えらいもの。
今は280人くらいいる、上方落語協会の会員を食わせている。

映画よりちょっと高いが、満足度は高い。

まだまだいけそうだと思う。
| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
1年目の壁
フェンダーのCEOはいろんな取り組みを始めている。
ギター人口を何とかして増やそうとしているのだ。

そのために、いろんな調査をしている。
その結果がウォール・ストリート・ジャーナルに出ていた。
有料記事なので、リード文とちょっとだけしか読めないが、なんでも「私たちが毎年販売するギターの約45%は初心者向けで、その90%は1年目で断念する。」ということらしい。

この90%という数字にはビックリだ。
そんなにギターをやろうと思う人が多いとは思わなかった。
アメリカと日本の違いはあるが、今弾いている人は、少なくとも1年目の壁を超えた1割だということになる。

たしかにぼくがギターを始めた中学生の頃、同じクラスの女子がFのコードが押さえられない、と聞きに来たことがある。
弦は6本、指は(親指がネックの裏側なので)4本しかないから、不可能だ、ということだった。

同じ指で1弦、2弦、6弦の3本の弦を押さえる、ということを説明した。
しかし、その当時女子が持っているギターはだいたいガットギターで、指盤の幅が広くて、手が小さいと1弦から6弦まで力を入れて押さえることは難しい、という感じだった。
案の定、その女子も諦めたクチだ。

ギターにはどうしてもそういうコードが出てくる。
キーがCのときはFが出てくるし、キーがGのときはBmが出てくる。
このFやBmというのは、例の6本とも押さえないといけないコードだ。

しかし、9割が諦めている、ということだから、実際にはギターのポテンシャルはたくさんある、ということだ。

自ら楽器を始めようと思う人達は、たいがい小さい頃から楽器はやっていない。
始めようと思うのはだいたい中学以降だろう。
いわゆるティーンエージャーになって、音楽に興味がわき、やりたいと思う。
その時に、やろうと思うのはやっぱりギターだ。
とりあえず、コードを覚えれば楽譜が読めなくても弾くことができる。

しかし、なんと9割が1年以内に諦めているという実態。
これは何とかしないといけないと思う。

フェンダー社が小さなギターを売り出したのはそういう戦略もあるのだろう。
弦の長さが普通のギターなら640mmほどあるのだが、それが550mm程度。
圧倒的に押さえやすくなる。
女子向けなのだ。
音の大きさは少し小さくなるが、それほど気にならない。
おまけにエレアコ(アンプをつなげる)タイプだから、プリアンプ兼チューニングメーターが付いていたりする。
チューニングも楽になる。

国内でいうと、ギターメーカーはもうあきらめムード。
もともと少子化で、ギター市場は縮小すると思っているのだ。
ヤマハはまだアコギをやっているが、フェンダーのような取り組みはしていない。
ギターの比率が低いから、フェンダーほどの気合が入らないのだろう。
昔はモーリス(モリダイラ楽器)、ヤイリなどのブランドがあったが、今はあまり見ない。

エレキギターもヤマハは製品ラインを絞っている。
ちょっと前に新製品を出したが、フェンダーやギブソンを追いかけよう、という感じではない。
80年代、90年代あたりはまだ頑張っていたのだが…。

ギブソンが会社更生法適用で、今やフェンダーがギターの大手。
ギターを弾こうとして、1年で諦めた9割をどうやって食い止めるか。

その対策の小さなギターは効果があると思う。





| | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
フレットラップ
フレットラップという商品があるらしい。
2015年くらいから発売されている。
ギターのヘッドのところ(ボディと反対側の糸巻きが付いているところ)の振動を抑える器具だ。
そこの振動を抑えるために、糸巻きに行く弦のところに巻きつけて振動を吸収するもの。
値段は1500円程度。
弦に当たる部分はモコモコの布で、巻き付けて止めるためにマジックテープになっている。

そういえば、最近黒い布のようなものをヘッドの弦側に巻いているのを見た覚えはある。
あれがフレットラップだったのか。

要は弦を弾いた時に、弦と一緒にギター自体が振動して音色が作られるわけだが、その倍音を減らそうという道具だ。
普通は倍音が多い音は豊かな響きの音色になるのだが、倍音によっては音色がぼやけたり、音程がくっきりしなくなったりする。
好みの問題だが…。

もともとヘッドレスギターというのもあって、あの糸巻き部分が無いギターもある。
特殊な弦を使うのだが、あのギターの音に近くなるんだろうか。

ネット上でレビューを見ると、あまり音は変わらないというものもある。
まあ、そうかもしれない。

いろんな色のものが出ているので、飾りみたいなものという意味もある。

大音量で鳴らす人や、ミュート(音を消すこと)にとても気を使う人などはいいのだろう。
実際にレコーディングなどで、そういう工夫をすることはあるらしい。
もちろん、プロの仕事だが…。

いろんな商品があるものだ。

ぼくは見送ることにしよう。


| | 考えたこと | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
規制緩和
こないだアップルウォッチの心電図の機能が、日本では使えないということを書いたが、またそういう話。
日刊工業新聞に記事が出ていた。

サイバーダイン社というロボットを作っている日本の会社がある。
自立型のロボットもあると思うが、今回はモビルスーツみたいなものが話題になっている。
身につけることで、体の動きを手助けする、というもの。

以前、見たときからこれは身体能力が落ちた人が身につけたらいい、と思っていた。
そうしたら、案の定、医療リハビリ分野でこのモビルスーツ(正式には身体装着ロボットというらしい)が使えるということだ。
ところが、日本では医療機器の承認にはバカみたいに事務処理と手続きで時間がかかる。
アップルウォッチの心電図と同じだ。

サイバーダイン社はすでにアメリカ、ドイツ、ポーランドで民間保険適用や労災保険適用で先行しており、去年の11月からはイタリアの民間医療機関で脳神経疾患の治療研究向けに展開を始めているとのこと。
脳卒中や脊椎損傷で足を動かせなくなった患者が、このモビルスーツの助けを借りて歩けるようになったり、症状が改善されたりするという。
今後はマレーシア、タイ、フィリピンなどでも積極的に拡販するらしい。

日本の規制は、こういう会社の商売を阻害しているとしか思えない。
いち早く日本で承認して、使えばいいのだ。
そういう実績を積んで、海外に出ていく企業の手伝いをしないといけない。
アベノミクスの第三の矢(規制緩和)こそ一番大事だったのに、尻切れトンボになっている。

先進国では医療機器は一般に認証に時間がかかるというが、欧米は日本よりも早い。
アップルウォッチの心電図計測など、いい例だ。
日本の手続きの面倒を考えると、アップルが日本での販売分はその機能をわざわざ封印しているくらいだ。

こういうものこそ、法律を改正し、サイバーダイン社のような会社を助けるべきだと思う。

こういう事例がきっと山ほどあるのだと思う。

だからこそ、規制緩和をしないといけない。









| | 考えたこと | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
老害
老害の5つのパターンを書いている記事があった。

それによると、

1.相手の話は聞かない(99%は自分の話)
2.価値観の押しつけ
3.永遠に続く武勇伝
4.暴力的である
5.新しいものは否定

ということだ。

商売柄、ぼくは若い人と接する事が多いが、まずは相手の話を聞く。
相談業務をしているのだから、相手の悩みを聞かないと話にならない。
自分のことを話したくなることもあるし、そうしてしまうこともあるが…。
一応は抑えているつもり。
だから、1はクリアすると思う。

2の「価値観の押しつけ」はやっているかもしれない。
アドバイスのつもりなのだが。
年をとると経験が増えて、自分がやってきたことは正しいと思いがちだから、やばいところだろう。
価値観の提示は構わないと思うが、おしつけはヨクナイ。
それでも、相手は押しつけだと取っているかもしれない。
自分のパワーが分からないこともあるからだ。
よほど気をつけないといけない。
記事の中にも、これらは「自分が正しい」という根拠なき自信から出てくる、と書いてある。
そのとおりだと思う。

3の武勇伝(自慢話)も言いたくなるんだろう。
でも、ぼくの周りには、そんな人はいなかった。
それはラッキーなことだったのかもしれない。

暴力的、というのも珍しいと思う。
年をとると、感情のコントロールが効かなくなる、というのは確かだ。
頑固になる。
それでも、暴力的というほどの人には会ったことがない。
酔って同じ話ばかりする人はいるが、あれは仕方がないと思う。

新しいものはダメ、という人はよく見る。
年をとると、自分の知らないものは拒否するバイアスが働くのだろう。
特にIT関係の新しいものを拒否する人が多い。
単に拒否だけならいいのだが、それを押しつけるのがヨクナイ。
これも、そのとおりだと思う。

老害について知ることが、そうならないために必要なことだ。
世の中に年寄りはどんどん増えている。
ということは、老害もそれにつれて多くなっていく。

経済的にも世代間格差が大きくなって、若い人が生きていくのは大変だ。

老害にならないようにしないといけない。




| | 考えたこと | 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
指が痛い
一時ちょっとおさまっていたのだが、また右手の人差指が痛い。
指を曲げたり伸ばしたりすると、引っ掛かりがある。
指の関節に引っかかりがあるのだ。
第2関節のところ。

何も意識せず、楽にした状態から指を伸ばしたり、曲げたりすると、音がする。
何度か曲げ伸ばしをしていると、音はしなくなるのだが…。
それと同時に、痛みを感じることもある。

以前はマウスとキーボードの操作が原因だった。
マウスを変えて、キーボードも変えたらよくなった。
ぼくはだいたい教科書通りのタイピングをしているから、特に右手の人差指だけが痛くなるのは、よくわからない。
姿勢が悪いのかもしれないが…。

また痛くなった事の原因は、マウスの真ん中のホイールの操作が怪しい。
これはもっぱら人差し指を使う。
職場のマウスは手を立てて使う物に変えた。
マウスのボタンやホイールが横に向いてついているようなもの。
手首の曲がりが少なくなり、指の付け根に力がはいるのはマシになる。

マウスのホイールを、右手の人差し指で動かさなければいいのだろう。
使っているマウスが、手の大きさに対して小さいすぎるのかもしれない。
大きいと、中指を真ん中に置いて、ホイールの操作もできる。

ネットによると、ホイール操作に中指を使っている人は少数派。
2割もいないというアンケート結果があった。

マウスのボタンを指の先で押しているのがよくないらしい。
包み込むように持って、指の腹でボタンを押すと、手に無理がかからない。
さらに、ホイールも中指の腹で動かすと、無理はかからない。
それはわかっているのだが、意識をしていないとついついいつもの使い方になる。
それが続くと、ホイールを回している時に指が痛くなったりする。

せめてノートパソコンを使うときは、タッチパッドを使えばいいのだが…。

だんだんひどくなってきたので、真剣に対策を考えないといけない。


| | 考えたこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
学則
学校法人のバイブルというと、学則になると思う。
ぼくの行っていた学校法人では、これは厚さ10センチ弱のB5サイズのもので、毎年改訂がある。
バインダー状になっていて、改定されれば、そのページだけ配布されて差し替えていた。

これを持つのも特権階級の証?で、事務では課長以上、教員では学長、学部長、学科長に配られていたと思う。
学則を知っていることは大事だが、持つのが特権階級というのも時代錯誤だと思ったが…。
ルールはみんなが知っていたほうがいいのだ。
だから、どうして電子化してみんなに閲覧しないのかと思っていた。

総務の人はいつも会議に学則を持って来ていた。
たくさん付箋が貼ってあって、使い込んだ、という感じのもの。
定例の会議等で何か意見が出ると、すぐに学則で調べ、その件は規程ではこうなっています、などと言う。
こういうのが、優秀な官僚というのだろう。

学校法人の前にいた会社は、当時あまり規則に関してうるさくなく(もともと外資系だったこともあるのかもしれない)、そんな場面を見たことがなかった。
それはそうだ。
競争に勝とうと思うと、過去の事例にこだわってはいられない。

規則というのは、過去の経験に基づいて決めたものであり、それを超えることが原則として求められている時に、規則にこだわっていてはダメだろう。
総務などでは、まだそんなこともあったかもしれないが、技術畑ではあまり関係なかった。
「これをやってはダメ」という設計上のルールはあったが、それをやると壊れる、という類のものだったから、仕方がない。

そんな会社から学校法人に来たものだから、ちょっと面食らった。
まあ、それなりの理由があって学則を決めているのだから、従うのは当然だが…。

議論している時に、学則ではこうなってます、というのを言われると議論ができない。
そうかもしれんけど…、ということだ。
たいがい、そこで思考停止になる。

問題になっている、中高の校則も同じようなものだと思う。
何か特殊な事例があって、それを防ぐために校則ができる。
いったん校則になったら、それが既成事実になって意味を考えずに守ろうとする。
そういう人たちが集まっているのが、学校というところなのかもしれない。

だからこそ、教員の雇用を流動的にしていくべきだと思う。

よそから、違うDNAを持った人たちが入ってこないと、学校は変わらない。





| | 考えたこと | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロボット犬
ボストン・ダイナミクスという会社、アメリカの会社だが二足歩行や四足歩行のロボットを作っている。
四足歩行のイヌ型ロボットが、日本の建築会社で働き始めた。
SpotMiniという名前。

ビデオを見て、すごい歩行能力に感心した。
階段であろうが、障害物があろうが、関係なし。
カメラで見て、本当のイヌのように歩く。
キャタピラ型のロボットでも行けないことはないが、床に落ちているものを踏まずに行けるというのは大きいと思う。

ロボット犬の仕事は、建設現場の調査。
いろんな場所に行って、折りたたんでいた首を伸ばして先のカメラで写真を撮ったり、ビデオを撮影したりする。
ボストン・ダイナミクスはこのイヌ型ロボットをパッケージ販売していて、オプションでどういうものを付けるのか、選ぶことができるらしい。
カメラやビデオがこのオプションに当たる。

24時間働く警備ロボットにも使える。
これから人手不足になる日本では、とてもありがたい。
まだまだヒト型ロボットは難しいが、イヌ型は見ていても安心できる。
これなら十分実用になる、という感じ。

少々物が落ちていても、階段があっても、へっちゃらだ。
バックもできる。

もっと他の用途も出てくると思う。

感心したのは、このボストン・ダイナミクスがソフトバンクの傘下であること。
孫さんはエライ。

イヌ型ロボットの未来は明るいと思う。


| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
吉田美奈子
ぼくはコーラスが好きだ。
コーラスといっても、合唱という感じではない。
少人数でハモるというもの。
一万人の第九もいいのはいいのだが…。

昨日の帰りに、久しぶりに山下達郎を聞いていた。
何度か書いたが、山下達郎は初期が好きだ。
何といっても吉田美奈子のコーラスが聴ける。

Let's kiss the sunなど、吉田美奈子のコーラスがなければスカみたいなもの。
特にサビの部分のコーラスは秀逸だ。
あの透き通るような声を積み重ねてメロディを彩る。
吉田美奈子のコーラスは神様の贈り物だと思う。

この2人のコンビが、竹内まりやとの結婚を機に解消したのは本当に残念。
あの職人の達郎のことだから、きっと本人も内心残念だったと思う。

達郎は1人アカペラのアルバムも出しているが、聞いていて華がない。
声が重いのだ。
だから、吉田美奈子のコーラスと合うのかもしれない。

吉田美奈子のコーラスが聞けなくなって、ぼくにとっては達郎の魅力は半分以下になった。
ある時期までLPレコードを買うには買っていたが、今になっても聞くのは初期のものだけだ。

最初にコーラスがいいなあ、と思ったのはビートルズ。
ジョンとポールの声だ。
Please Please meのハーモニカに続く歌い始めのところ。
あれがコーラスに魅力を感じた原点だった。

その後洋楽ではサイモンとガーファンクルやカーペンターズ、5th Dimension。
邦楽ではガロやオフコース。

達郎が竹内まりやと結婚せず、吉田美奈子とのコンビが続いていたら、もっと売れたと思う。
彼の私生活は知らないので、結婚がコンビ解消のきっかけとは限らないが…。
詩が吉田美奈子、曲が山下達郎という作品もあった。
もっと聞きたかったなあ。

それにしても、素晴らしいコーラス。

こういうのが聴けることに感謝。

| | 考えたこと | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
目標管理
定年後、自治体の外郭団体で働く友人がぼやいていた。
彼の職場で、目標管理をやることになったという。
民間に比べると、20年以上は周回遅れだが…。

目標管理は、90年代くらいにぼくが勤めていた会社も取り入れた。
民間企業ではもう一般的に使われている言葉だと思う。
上位の組織(会社、事業部など)の目標があって、それを達成するために部長や課長などの中間管理職の目標があり、それをまたブレイクダウンして個々人の目標を立てる。
その目標を上長とすり合わせ、達成目標にして、その達成度を半期に一度評価する、というような仕組み。
成果主義と相まって、導入されたという経緯がある。

学校法人で勤めていた時、一度それをやろうとして、反対にあって諦めた。
ああいう非営利組織は効率を追求しないし、何より評価制度を嫌う。
そのくせ、学生の評価はきつかったりするから、わけがわからない。

まあ、とにかく、友人の行っている外郭団体でも、遅まきながら目標管理をやろうということになったということだ。
ところが、上から目標が下りてこない。
それなら、やっても仕方がないということになる。
あくまで組織の目指すべき目標があって、それにどう個人が貢献していくかという観点で、個々人の目標を立てないと意味がない。

友人はそのことをだいぶ言ったらしいが、とりあってもらえない。
何でもいいから、個人の目標を立てよう、ということだ。
こういうのを換骨奪胎という。

つくづく、公的部門は人が違う、と言っていた。
要するに、やることになったからやる、ということだ。
その意味や、目指すところなどどうでもいい。

友人は定年までは大企業で、目標管理をちゃんと運営していて、その意味などもわかっている。
要するに、G(Global)企業だ。
実際、日本経済を引っ張ってきたのは、Gの世界の企業であり、国内でぬくぬくとやってきた人たちにも、自分の知っているやり方をやってもらいたいと思っているのだが、もうほとんど諦めている。
諦めてはいるのだが、今回の目標管理のようなことがあると、ついつい口を出してしまうのだ。

どうしようもないとわかっていても、そうしてしまう。

それくらい、彼我の溝は深い。


| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIロボット対人間
NHKのBSで世界のAIロボットの特集をやっていた。
ラスベガスで、ホテルの客室への配達や、飲み屋のカクテルを作るロボットなどが、どんどん人間の仕事を侵食しているのが紹介される。
労働組合が、それらに反対してデモをしていた。

農業分野で、いちごの取り入れをやるロボットもやっていた。
イチゴは熟れ方が個別に違うので、移動しながらカメラでいちごの熟れ具合を見て、一つ一つ判断して採り入れる。
広大なイチゴ畑で、今までキューバからの移民が禁止されたことから、そういう機械をイチゴ農家が作った。
1台で30人分の働きをするという。

企業の面接もAIだ。
AIは話の内容だけでなく、声のトーンや表情など1万以上のポイントをチェックするらしい。
開発者は、人による採用面接は先入観や偏見に満ちている、という。
実際にアナウンサーがやってみていたが、彼は人間と違って、緊張したという。
しかし、開発者によると、AIはそういう仕事をやる上で関係のない緊張は無視するという。
だから、いいとは思わないが…。

次にロンドンを舞台に産業革命の歴史が紹介された。
第一次が蒸気機関、第二次が石油・電気、第三次がコンピューター。
それらによって、たくさんの仕事がなくなったが、新たな仕事ができた。
そういう歴史を人類はたどってきたのだ。

しかし、AIロボットを採用したネット通販の会社の倉庫を見るとそうは思えない。
広いフロアでAIロボットが走り回っている。
人間はそのフロアの下で、商品をディスプレイにしたがって個別包装する。
考えるのがAIで指示通り動くのが人間。
今までの関係とは違う。

続いてフランスだ。
AIベンチャーをやってる若い社長が出てきた。
父親は株式トレーダーをやっていて、リーマンショックのあと仕事をAIに取られたという。
AIは人間がするようなミスはしない。
だから、どんどんAI化しているという。
それを防ぐために、自分たちはAIの倫理を考えていると言っていた。

次はドイツ。
人工知能研究センターが取材されていた。
ドイツは国を挙げてインダストリー4.0に取り組んでいる。
1つのラインで500種類の配線用コネクタを作り分けるところが映っていた。
人の仕事を代替する場合は、教育プログラムで配置転換するということらしい。
それもいつまで続くのか…。

ドイツの労働組合は労働者の再訓練施設を作った。
ロボットのメンテナンスの仕事の訓練をやっている。
結局はタブレットに示される機械の指示によって、機械のネジを締めたり、扉を開けたりするだけなのだが…。
それでも、人間のように動けるロボットがまだいないから、仕事が成り立つ。
ちょうどコピー機がジャムったときに、コピー機のディスプレイに従って紙詰まりを直すようなものだ。
いずれはそれも機械に置き換えられるのかもしれないが…。

次に紹介されたのは中国。
北京の無人レストランが出てきた。
レストランの天井から、螺旋状のレールに乗っていろんなものが運ばれてくる。
ちょうど日本の回転寿司のような感じだ。

今の中国は「無人ブーム」だという。
ここでも通販会社の倉庫が出てきた。
誰もいないフロアをAIロボットが走り回っている。
注文の行き先別に商品を持っていく。

町中でも宅配ロボットが配達している。
目的地についたら、注文者のスマホに電話でパスワードを連絡して渡す。
北京の住宅街の一部で実際に運用されている。

番組の後半では日本の銀行員が、中小企業診断士を取得しようとしている事例とか、カナダのオンタリオでベーシックインカム(働かなくても国がお金をくれる)の取材をしていた。

海外のAIやロボットの利用状況がよくわかった。

人間がしんどい仕事から開放されたり、より正確な仕事ができるようになるのは歓迎だ。
日本の場合は、人口減少対策にもなるだろう。

これからの時代を生きる人たちは大変だ。
そのためにも、自分のキャリアを複線で考えておかないといけない。


| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
私大の理念?
今朝の日経に私立大学の共済事業団の理事長の記事が出ていた。
相も変わらず、日本の教育を支えているのは私立大学であり、それに対する補助が少ない、というご意見を述べている。
大学生の3/4は私立大学なのだから…という論理。

そして、私学はみんな「建学の精神」というものを持っている。
これが民間だと企業理念に相当するところ。
これが社会に対する役割を担う部分だと書いてある。
それはその通りだろう。

しかし、この先生はそれが実現できる慶応大学にいるから、こういうことが言える。
私立大学が500ほどあるが、実際にその理念を云々できる学校は半分もないと思う。
何度も書いているが、下位の大学は志願者を集めるのに汲々としており、理念などそっちのけで受験生を集めているのが実情。
安易な推薦入試やAO入試を多用し、志願者の半分以上は一般入試(1月〜3月)までに決まる。
入試を何度もやり、多様な人材という言葉でごまかして、学業成績が低くても取っているのだ。
そのために、一般入試で入った学生が驚くようなレベルの低い学生がいたりして、早々にやる気をなくしたりする。

試験結果を早く知らせないと、来てくれなかったら困るので、そういう学校の一般入試はマークシート。
次の日には結果が出たりする。

そもそも、大学で勉強するための語彙が不足していたり、小学校の算数が出来なかったりする。
それをわかっていても、学校法人が食うために入学させざるを得ない。
そういう現状をこの理事長は分かっているんだろうか。

初等中等教育のつけが大学に回ってきているといえばそれまでだが、それを当の大学が何も声を上げないから、こうなったという側面もある。

だいぶ自由化されたとはいえ、文科省の許認可権が恐いから、そういう声は上げない。
前にも書いたが、勤めていた大学のトップレベルの会議で、「割合がわからない学生に学士号をだしていいのか」と言ったら、「専門課程に関して学士号を出しているので、かまわない」と言われた。
それはもっともかもしれないが、世間の期待は違う。
実際、中小企業の社長から、消費税の計算ができんとは、どないなっとんねん、と言われたこともある。

そういう声に対して、大学は一切何も言わない。

何が「建学の精神」だ。
立派なことを言っているが、所詮は自分たちが食うためには理念などそっちのけで学生を集めている学校がどれほど多いか…。

東京のある大学が、初年児教育でアルファベットの書き方やBe動詞を教えたり、パーセントや分数のことを教えるのを単位化していたら、文科省に注意された。
学長は「できないから、大学でやっているのだ」と文句は言ったが、それに賛同する人は一人もいない。
その通りだ、と声を上げるべき学校が山ほどあるのに…。

こんな状態で、何が理念だ。

一校ぐらい、こんな初等中等教育の状態では成り立たないから、大学をたたむ、という筋の通った学校が出てきてもいいと思うのだが…。



| | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
銀行の窓口にて
久しぶりに銀行の窓口に行ったら、順番待ちのベンチのところに、黒いスーツの明らかに新入社員という男女がいて、声掛けをしていた。
5月連休明けまでは、社内の研修だったのだろう。
研修を受け、支店の配属が決まり、連休明けから支店勤務という感じ。
あるいは実習かもしれないが…。

順番の紙を出すところで、先輩社員が見守っている。
大学生の就職に関わった人にとっては、まことに初々しい光景。

メガバンクの新入社員だから、彼らが最後の大量採用になる。
今年は採用人数が減っているし、就活生に人気もない。
どちらかというと、将来に不安を持って働いているのだろう。
緊張の面持ちで、来客に対応している。
いざ働きだすと、わからないことだらけで大変だ。

4月は電車も混んでいたが、5月連休明けになって、ちょっと空いた。
大手の配属が決まり、集合研修なども終わって、各地に分散したからかもしれない。

ちょっと行かない間に、銀行の窓口も変わった。
タブレットが置かれ、内容の確認を促される。
こんなのはなかったような気がする。
今まで窓口の銀行員がやっていたことを、客が自分で確認してタブレット上のボタンをタッチする。
ただそれだけのことだが、省力化のためか、それともコンプライアンスか、あるいは高齢化対策か…。
メガバンクが、支店の合理化を図ろうとしているのがよくわかる。

となりにいたお年寄りが、ハンコの代わりにタブレットにサインをしていたのだが、入力が遅すぎて認識されず、やりなおしていた。
しきりに窓口の担当が謝っていたが、なかなか慣れないので、遅くなるのだろう。
いろんなところで、高齢者が増え、手間がかかる世の中になってきた。

こういう事の対策を進めていけば、他の国でも使える技術が増える。
高齢化のトップランナーというのも悪くない。

そのあと、郵便局にハシゴしたのだが、ここも新しい機器が入っていた。
合理化のためなんだろう。
紙をスキャンする装置で、なにかしていた。
こちらは新入社員はいなかったようだ。

銀行も郵便局も財務的な体力があるうちに、少子高齢化に備えようとしている。
まあ、そうだろう。
実際、窓口に並んでいるのは、ほとんど高齢者。
そのうち、こんな仕事はなくなると思わざるを得ない。
電子決済が増えてくるだろう。

あ、そうすると、高齢者対応も必要ないのか…。

困ったものだ。



| | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和歌謡ジャズ
今日は学生時代の友人と大阪にライブを聞きに行った。
昭和歌謡ジャズ。
昭和のヒット曲をジャズ風にアレンジして歌うというもの。
ギラ山ジル子という歌手が歌っている。
変な名前だが、CMの曲を歌っていたり、CDも何枚か出している立派な歌手。

大阪のイタリア料理のライブハウス。
S席はチャージ5000円。
全部で60席位の店。

バックはギター、ピアノ、ウッドベース、ドラムスという標準的なもの。
なかなか上手だった。
ギターの人が昭和歌謡のジャズアレンジをしている。
レスポール風のセミアコを持っていた。

第一部が7時から、第二部が8時45分から。
終わったら10時前だった。

ルビーの指輪、異邦人、渚のシンドバッド、勝手にしやがれ、ライド・オン・タイム、防人の歌など。
キャンディーズもやったなあ。
懐かしかった。
お客さんもほとんどがぼくらの世代より上。
アンコールでやったサザエさんのテーマソングはみんなで歌った。

こういう昭和の歌謡曲は、団塊の世代のニーズがある。
人口ピラミッドの一番膨れたところ。

ギラ山ジル子は50歳。
まだまだこの路線でいけるだろう。

メジャーデビューもあるかもしれない。



| | 考えたこと | 00:09 | comments(2) | trackbacks(0) |
区別か差別か
誰かがニュースをリツイートしていたが、スペインの学校の図書館で性差別的な児童書を図書館から排除する動きが進んでいるらしい。
ある図書館では、幼児向けの蔵書の中から、「赤ずきん」も差別的だということで撤去されたとのこと。
「非常に性差別的でジェンダーに対する固定観念が甚だしく、教育的な価値がない」ということらしい。

赤ずきんというと、おばあさんの家にお使いをして、狼に食べられるが猟師に助けられるという話だったと思う。
狼は男性で、食べられるおばあさんと赤ずきんは女性。
これが、

「悪ふざけ程度ではあっても、暴力的な状況で女の子の意思に反した行動をするのが男の子」だという描写は、「誰が誰に対して暴力を振るってよいかというメッセージを与えてしまっている」

というところに引っかかった。
食べてしまう、というところは悪ふざけでは済まないが、まあそういうふうにもとれる。

しかし、悪者の狼は最後には赤ずきんやおばあさんの代わりに入れられた石が重くて、池にはまって溺れて死ぬのだから、勧善懲悪のストーリーにもなっている。
だから「赤ずきん」を外すことのほどもないと思うのだが…。

委員は「小学校児童であれば、物事を批判的に考える力が大きく伸び、本が学びの機会にもなり得るため、性差別の要素に自分で気付く」と言っている。

この手の「ジェンダー問題」は難しい。
世の中に男女がいる以上、童話の登場人物も男女で構成される。
男女についてステレオタイプの意識を持たずに育つことはムリだろう。
性差を区別するのは、当然だからだ。
幼児が「赤ずきん」からどんなイメージを持つか、わからないが…。

狼(男性)はおばあさんや赤ずきん(女性)を食べてしまうもの、というイメージも持つかもしれないが、猟師(男性)はそれを助けるもの、というイメージもあり得る。
細かいことを言い出したら、キリがない。
これらが「性差別的な固定観念」と言えるのだろうか…。

一方で記事の中に、

「ガーディアン・メディア・グループのオブザーバー紙と調査会社ニールセンが昨年行った調査によると、子ども向けの絵本の主役は男性である傾向が女性の2倍で、ステレオタイプな男性の役回りを務めていることが多い。さらに、せりふがある登場人物の50%以上は男性という傾向が分かった。

 著名な英国人絵本作家のローレン・チャイルド氏は、この調査結果が発表された当時、「(この割合は)社会の見方についてのメッセージになっている」と指摘。「本の中で、善人か悪人かにかかわらず主役を務めるのは男の子で、脇役が女の子であれば、それは世の中の現状と、世の中はこうあるべきだという考えを強めてしまう。そうすると、男女は平等だとはとても思えなくなる」との見解を示している。」

とも書かれている。

そう言われるとこれも、もっともだと思う。

差別か、区別か…、ややこしい問題だ。


| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
失敗はいけないことか
「ゆとり世代は失敗を怖がる」ということが企業の人事などから言われている。
それは、ゆとり教育が「競争をさせない」という方針のもとで育ったからだとも言われている。
もちろん、そういう傾向がある、という程度のことだろう。

さらに、ゆとり世代は少子化の時代でもある。
どんどん子供の数が減ってきて、大学入試などは「落とすため」の入試から「入れるため」の入試になり、推薦入試やAO入試などバリエーションが増えた。

推薦入試でも、指定校推薦、公募推薦があり、AO入試に至ってはいろんなタイプの入試がある。
AO入試は学力というより、人物を選択する、ということになっており、面接が重視される。
学校の成績なども加味されるが、下位校では事実上受けてもらったら入れる、というようなところもある。
要は減っていく18歳人口に対応して、一般入試を受けなくても入学できる道を大学が増やしてきたということだ。

その一般入試ですら、科目数は昔は5教科がメインだったが、今は文系私学では2科目入試も多く、ごく一部を除いて、多くても3科目あたりの入試がメインになっている。
前にも書いたが、配点セレクトなどというギャンブルみたいな入試もあった。
自分が得意な科目の配点を倍にしてもらえるのだ。
いったい何のために入試をやっているのか、わからない。

要は、中下位の大学の一般入試ですら、少子化に伴って科目が減って簡単になっているのだ。
したがって、大学に入るところはごく一部を除いて入りやすくなっているから、当然失敗はしにくい、ということになる。

さらに、小学校では絶対評価で、自分なりに頑張ったらいい成績になる。
極論すれば、試験で80点とった人が、60点とった人よりも成績が悪い、ということも十分ありえる。
先生の主観で決まるのだから、いい加減だ。
ぼくらの時代のように、成績上位何%が「5」というような順位付けはしない。
何故かというと、それが競争のもとになるからだろう。

それが「ゆとり教育」の一環として行われたとのこと。
ゆとり教育、とひとまとめにして言われる(ぼくも言った)が、学習内容の変更と評価方法の変更の2つがほぼ一緒に実施されたらしい。

それらがどう効いているのかわからないが、「挫折経験」をエントリーシートで問われて、「思い当たらない」という学生も多い。
挫折しないように、親や先生の言うことを聞いて生きてきた、ということだろう。

挫折を知らないということは、もちろんいいことだと思う。
それでも、過度に失敗を怖がるようになってしまっては、逆効果でもある。
学校が社会の縮図だとすれば、少しは競争があってもいいのではないか。
実際の社会は食うか食われるかの競争社会なのだから。

失敗してもいいから、チャレンジするというような気持ちを持たせることも大事だと思う。

IIJの鈴木社長も言っている。

「失敗する人は、何もやらない人よりはるかに見込みがある」

そのとおりだと思う。


| | 考えたこと | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
独裁国家の強み
日経によると、中国のAI開発は7つの利点があるという。

1. AIの最新の研究内容はインターネットから容易に入手できる。
2. 中国経済は競争が激しく、起業に向いており、絶え間なく試行錯誤を繰り返すことができる。
3. 都市部は人口密度が高く、サービスの需要が高いから、すぐにAIを応用することができる。
4. 既存サービスがないので、一気に最新のものを使うことができる。
5. ネット利用者が欧米を合わせたよりも多い。
6. 政府の支援がある。AIを国家戦略と位置づけ、その達成を目指している。
7. 国民が欧米に比べてプライバシーの侵害に寛容。

20世紀は自由主義の国が大きく発展したが、これからはどうなるか、わからない。
この記事を見ていると、独裁国家のほうが意思決定が早く、効率がいいのは事実。
政府が転覆されない範囲内では、国民に気を使う必要がないからだ。

特に、このAIの事例などを見ているとそう思う。

だからといって、中国のような社会を認めるかというとぼくは「ノー」だ。
そんな国にはなってほしくないし、自由を価値として認めるべきだと思う。

一方で、ぼくはグーグルやフェイスブックを無料で使っている。
その代償に、個人情報が取られているという。
やっていることは中国と同じようなものかもしれない。

しかし、欧米の国々とぼくらは同じような価値観を持っている。
民主主義はいいものだと思っているのだ。
だから、個人情報を悪用しようとしたら、みんなが「ノー」というだろう。
そう思うから、まあいいだろうと思っている。

でも、それが正しいかどうかはわからない。

長い歴史の中で、民主主義がよかったのはほんの最近の出来事。
ぼくらは物心ついた頃からアメリカの影響下にあったし、アメリカのドラマを見ていたし、洋楽を聞いて育った世代。
これはもう仕方ない。

新しい世代の人たちはどういう選択をするのだろうか。

まあ、その時はぼくらはいないだろうけど。




| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
ツイッター好調
ぼくはツイッターはもっぱら見るだけだが、それでも毎日いろんな人がいろんな事を言っているので、見だしたらやめられなくなる。

ただ、いろんな人とはいうものの、自分が気に入った人(主張が同じ人)をフォローしているわけだから、原則的には自分がフォローした人と、その人たちが拡散しようとした他の人のツイート(つぶやき)だけを見ていることになる。
これがミソなのだろう。
世の中には白黒つけられないことが多い、とわかっていても、自分では自分の意見は正しいと思っている。
そして、ツイッターを見ていると、自分が主張している意見の方向ばかり出てくる。
これが気持ちいいのだ。

一時はツイッターは経営不振に陥っていたが、今年は2ケタ成長らしい。
2019年第1四半期で、売上が880億円で、前年同月比+18%とのこと。
中でもツイッタージャパンの貢献度は大きい。
アメリカについで世界第二のマーケットに成長した。
日本の月間アクティブユーザー数は4500万を超えて、フェイスブックの1.5倍。

もちろんツイッターのアカウントを作るのは無料だが、アクティブユーザーが増えると広告で儲かる。
動画広告やユーザーのタイムラインの上位に出てくる広告枠が売れているとのこと。

企業が提案型の広告を出しやすい。
ツイッターというメディアの特徴を捉えているのだろう。
明治製菓が「きのこの山」と「たけのこの里」を、「きのこ党」と「たけのこ党」の総選挙にみたて、マニフェストも出してツイッターで投票を呼びかけた。
その結果、「たけのこ党」693万1220票、「きのこ党」676万1773票という票が入った。
去年ツイッター上でそんなイベントがあったとは全く知らなかったが…。
それにしても、総数1300万票はすごい宣伝効果だ。

TV番組でも、ツイッターのつぶやきを画面下で流しながらやったりするのも増えた。
こないだの阪神戦でもやっていた。
そういう使い方はツイッターならではのものだ。

不用意なつぶやきで炎上することも多い。
それだけよく見られているということだろう。
拡散力も強い。

日本でも、政治家の利用も増えてきたと思う。
自分の主張を明確に持っていて、自分のファンを増やしたいと思っている政治家にはピッタリのメディアだろう。
橋下さんをはじめ、いろんな人がつぶやいている。

何かの事故のときは、情報収集に役立つ。
よく大阪環状線が遅延するのだが、こういうときはツイッターが早い。
当事者が電車の中からツイートしてくれるからだ。

というわけで、ツイッターは復活した。

問題も多いと思うが、メディアの多様性ということでは、いいことだと思う。


| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
心電図機能
新しいアップルウォッチには、心電図の測定機能がついたらしい。
心臓に問題を抱えている人にとっては、ありがたい機能。
ところが、この機能は日本では使えないらしい。

日本には「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」というのがあって、心電図を計測する機械はその制約を受けるらしい。
そのため、当局の認証を受ける必要があり、ぶっちゃけた話、あまりにも煩雑で実用的でない手続きを強いられるとのこと。
たとえば、販売店に管理医療機器営業管理者に該当する資格を持ったスタッフを常駐させないといけない、というようなことになる。
最終的には年単位の時間が必要になるらしい。
そんなことはやってられないから、アップルウォッチの心電図機能は日本では封印されるとのこと。

アメリカにはそんな規制は存在せず、心電図計測アプリの認可を受けるだけだという。
もちろん、前向きに審査されるらしい。
基本的に市場メカニズムに任すということだ。

実際に使った人の記事によると、不整脈等の問題を抱えている人にとっては、心室細動の傾向の有無が示され、安心できるという。
それだけ使い物になるということなら、日本でも販売すればいいのだ。
それによって、未然に心不全を防ぐこともできるだろう。

こういうことが、規制緩和を進めないといけない、という事例になる。
規制を気にしないでよくなると、新しい技術の開発が進む。

これからの高齢化社会、本当にそういう機能が腕時計につけられるようになると、健康寿命が伸びる。
医療費削減のためにも、役に立つだろう。

今までなら、医院に行かないと心電図は取ることができなかったが、テクノロジーの進歩でいつでも取れるようになる。

それを妨げているのは、ひとえに役人の規制。
こういうビジネスチャンスは、たくさん隠れていると思う。
声を上げてどんどん緩和していかないとダメだ。

それを妨げているのは、規制する側の既得権。
規制が減れば、役人の仕事が減る。
それが嫌なのだ。

もっと自由にするべきだと思う。

もう言わなくなったが、アベノミクスの3本の矢の一つは規制緩和だったはず。
結局は役人の壁で頓挫している。

日本が新しい産業で先んじるには、今こそ規制緩和を進めてほしい。




| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
超時空要塞マクロス
昨日の夜、ツイッターでやけにマクロス(宇宙メカモノのアニメ)のツイートが多い。
なぜかと思ったら、BSでマクロスの特集をやっていた。
シリーズ全体を通して、ファンが投票するという番組だ。
ガンダムと並んで、根強いファンがいる。

ぼくは80年代に映画を1本だけ見た。
それが超時空要塞マクロス。
歌を歌って、宇宙の平和を実現する、という珍しいストーリー。

硬派のガンダムファンから見ると、マクロスなど「こんなメソメソしたもののどこがいい」という感じだったろう。
実際、そういう事を言われたこともある。
ぼくは、80年代にガンダムも見たが、ちょっと暗くて地味な感じがした。
やっぱりマクロス派だ。

昨日のテレビによると、マクロスシリーズはその後いくつも作られたが、「歌」がどのシリーズでもセットでテーマになっているようだ。
アイドル歌手風登場人物も多い。
もちろん、モビルスーツや宇宙船、戦闘機などのメカは出てくるのだが…。
シリーズを通して「軟派」なのだろう。

ぼくが見た超時空要塞マクロスは、リン・ミンメイという歌手が出てきて、「愛・覚えていますか」という歌を歌う。
これが、テレビ投票のマクロス歌部門で1位という結果。
1984年のシリーズ最初の映画だった。
評によると、あの映画はデジタル化の前で、手書きのアニメとしては驚異的な作り込みが絶賛されている。

連休にヤマトシリーズを20時間見て、宇宙アニメづいた。

日本アニメのこの分野は歴史もあり、強いと思う。

超時空要塞マクロス、いい映画だった。
あの手書きのアニメはそのまま残したい気もするが、もう25年経つのだからリメイクしたらどうかと思う。

リメイクしたら、きっとヒットすると思う。

ぼくは見に行くぞ。






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宇宙戦艦ヤマト2202
2199に続いて、2202も見てしまった。
全7作で10時間ほど。
連休がよほど暇だという証みたいなものだ。

2202は新しいストーリー。
前シリーズで戦ったガミラスとは同盟を結んで、平和な地球から始まる。
ヤマトはイスカンダルからもらったコスモクリーナーで地球をきれいにしてほぼ役目を終えている。
地球はどんどん兵器を作り、作らないと約束した波動砲を作りまくり、軍事国家になっている。
新たに、ガトランティスという敵が現れ、戦争が始まっているという状況。

そこで、元乗組員たちに遠い星からメッセージが届き、またヤマトが発進するというストーリー。
ガトランティスはなかなか手強く、またまた地球のために飛び立つといういつものパターン。

ネットで見ると、コアなファンはぼくらのちょっと下の年代らしい。
その子どもたちも親につられてファンになっているということだ。
そうだろうなあ。
この2022は若いファン層に舵を切ったシリーズだろう。

地球の軍事国家化はすさまじく、AIを使って人がほとんどいない戦艦を作ったり、遺伝子を操作して戦うための人間すら作ろうとしている。
主人公の古代進は、使わないと約束した波動砲を使ってしまって、罪悪感にさいなまれる…。

今回のシリーズのテーマは「愛」と「縁」。
キリスト教的な愛と、仏教的な縁が出てくるのが面白い。

最終話の最後20分ほどは、ちょっと説教臭い。
これでは若い人たちはついてこないのではないか。
ぼくが見ていても、ちょっと重い。
これこそ、蛇足という感じだ。
製作者はよほど思い入れがあったのだろう。

この2202の続編が作られるらしい。
ついこないだ決まったみたいだ。

2202は最後に息切れした感じだったが、まだひっぱるのだろうか。

また忘れた頃にWOWOWでやるだろうから、見ると思うが…。
ぼくの感覚では2199で終わっておいたほうがよかったと思う。

さあ、どうなることか。

| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイナミックプライシング
ホテルや旅行、航空運賃は、お盆料金とか正月料金とか、季節によって値段が違うというのは一般的だ。

ホテルについては、ネットでの予約などでは日単位で値段が違ったりする。
設備を遊ばせておくよりも、安い料金でも泊まってもらったほうがいい、ということだろう。

それをもっと幅広くやろう、というのがダイナミックプライシングというもの。
価格というのは需要と供給の関係で決まる、ということだが、その需要をもっと詳細に予測して、価格を変動させようということだ。
ここにAIが使われる。

ホテルでは過去の実績や天気、近所で開催されるイベントなどを収集・分析して、需要を予測するらしい。
従来もそんなことをやっていたのかもしれないが、もっと「ビッグデーター」を活用し始めたということだ。
携帯電話の基地局データー(人の動きがわかる)や、ライブチケット情報なども利用している。
最近は、アーティストのファンクラブの情報や、ファン同士のやり取りも参考にしているという。
それによって、AIがより正確なホテルの需要予測をする。
だから、ジャニーズのドームコンサートなどがあれば、すぐにホテルの値段が上がる。
もちろん、もっと小さなイベントでも、それが価格に影響する。
泊まらないといけない人が増えると、値段が上がるし、逆の場合は値段が下がる。

楽天イーグルスのチケットもダイナミックプライシングで決めているらしい。
チケット販売開始後に売れ行きのいい席は値上げし、売れない席は下げる。
どの程度の幅でやっているのか知らないが、そのおかげで最下位でありながら、それほど動員数が減らなかった。

インターネット上の多くのデーターを使い、一部のデーターは業者から購入したりすることで、AIを併用して効果的な需要予測ができるようになる。
こういうのが、ビッグデーター時代には普通になるのだろう。
世の中の多くのものの価格が変動制になる。
大昔の社会の授業で習った、需要曲線と供給曲線の交わるところで価格が決まる、という理屈。
欲しい人が増えれば価格が上がり、少なくなれば下がる。

最終的に人が決めるとしても、そこまでの資料を出すのはデーターだ。
どのデーターを見るのかを考えるのは、データーサイエンティストの役割。

これからの時代、データーを科学する仕事が重要になるぞ。




| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
宇宙戦艦ヤマトの美学
昨日、WOWOWでやっていた「宇宙戦艦ヤマト2199」を録っておいて一気見した。
全7作で10時間ほど。

宇宙戦艦ヤマトというと、ぼくが大学を卒業する頃のアニメ。
基本的なストーリーは、ガミラスという異星人に地球が攻撃され、それを救うために宇宙戦艦ヤマトが、遥か遠くのイスカンダルという星まで行くというもの。
主人公の古代進と森雪という二人のロマンスもある。
ある意味、とてもセンチメンタルな物語だ。

この映画、できたときから明らかに日本海軍を意識した映画だった。
宇宙戦艦ヤマトという名前も、戦艦大和から来ているし、ガミラスに攻撃されてもうダメだ、というときに出撃する、というシチュエーションも第二次大戦の末期に大和がダメモトで出撃したという事実に似ている。

宇宙を海にたとえて、宇宙船がやられると画面下の方に沈んでいくという模写もある。
宇宙の物理を無視している。
だいたい、あの格好が不合理だ。
ガミラスの宇宙船のほうがモダンで機能的。
ヤマトは艦上に砲塔がいくつもあって、大気中では抵抗が大きい。

操縦時も「取り舵」や「面舵」という言葉が使われているし、上官に対する言葉遣いも軍隊言葉。
艦長の沖田十三も、バルチック艦隊を破った東郷平八郎という感じ。
よく「戦争反対」と言っている人たちが文句を言わないなあ、と思っていた。

この物語の主題は、戦争の中での軍人の絆みたいなものだ。
よくアメリカの映画やドラマで海兵隊が出てくるが、あの忠誠心だろう。
戦時中はお国のためだったが、ヤマトでは地球のために命をかける。
ヤマトが旅立つために、いろんな国から電気が送られてようやく出発する。
登場人物はみんな日本人。
「2199」ではメーターにも漢字が頻出する。
日本の技術が世界を救う、という設定もひそかにウケたのだろう。

3Dを多用して、戦闘シーンは迫力がある。
乗組員のバラエティが増えて、反乱があったり、ガミラスの方でも内乱があったりして、以前のものより人間模様は複雑になった。
ジェンダーバランスも考慮して、女性がすごく増えたのも現代的。

たとえ敵同士であっても、尊敬できる軍人には敬意をもって接するところなどは以前と同じ。
まっとうな軍人賛美という感じだ。

主要な登場人物は死なない。
以前は何人か死んでいたと思う。
そういう意味ではハッピーエンド志向だ。

でも、この映画が何度も作り直されるというのは、やっぱりぼくら昭和の日本人の琴線に触れるところがあるからだろう。
誰かのために、命をかけて戦う、という美学。

今の平和はそういう人たちの犠牲の上に成り立っている。
そういう気持ちが心の中にあるから、いつまでも人気があるのだろう。

次は「2022」を録る。

| | 考えたこと | 09:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
戦争を知らない新天皇
平成天皇は戦争を覚えている世代。
戦争中に若い人たちが「天皇陛下万歳」と叫びながら死んでいったことに、昭和天皇と同じように贖罪の気持ちを持っていたと思う。

うちの父は陸軍だった。
ぼくが小学生の頃まで、天皇のことを天ちゃんと呼んでいた。
騙されたという感覚があったんだろう。
ぼくもその頃は天ちゃんと言っていた。

昭和40年代は、まだまだ天皇制は遅れた制度だという意識があったと思う。
憲法で象徴天皇になってはいるが、心情的に戦争責任は免れないと思うのは当然だろう。
ぼくはずっとそういう意識を持って大人になったが、社会人になってからその関係の本を読んだ。
読めば読むほど、どうも昭和天皇は一貫して戦争反対で、陸軍が一方的に戦争に進んでいったこともわかった。
明治の天皇制というのは、天皇に責任を押し付けて何事も進めるもの、という集団無責任体制だった。

年をとって、天ちゃんよりも天皇という名前がふさわしいと思う。
ユーラシア大陸の両端、イギリスと日本で立憲君主制が取られているのには、歴史の必然があるのかもしれない。

新しい天皇は、ぼくよりも年下で戦争を知らない。
文字通り、戦争を知らない子どもたちだ。
昭和天皇と平成天皇は、戦争を知っているという点で共通点があったと思う。

今回の天皇が初めて戦争を知らない天皇になった。
それを平成天皇は親として、象徴として、心配しているのだろう。
体力の限界もあったかもしれないが、無理を言って退位をしたのは、自分が生きている間に譲位して、その姿を見たいと思ったのではないか。

雅子さんと結婚したあたりから、なんとなく親子関係がうまくいっていないように思う。
戦争を知っている身からすると、本当に息子に任せて大丈夫なのかということだ。

若いと言っても還暦前だが、新天皇はぼくから見てもなんとなく頼りない。
象徴としての覚悟があるのかな、と思う。
発信することはすべてチェックされて、自由にものが言えないのだ。
それをこれからやっていかないといけない。

平成天皇は親として見届けたかったのだと思う。

戦争を知っている世代として。



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