考えたこと2

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日記
長いこと日記をつけていない。

会社に行っているころは、毎日つけていた。
昔はノートだったが、社会人になってからは、パソコンでつけていた。
キーボードを打つのが早くなるように、という気持ちだった。

ブログを書きだしてからは、日記はやめた。

ノートに書いていた頃は、愚にもつかないことを書いていたなあ…。

高校の時は、気に入った言葉を写したりしていた。

武者小路実篤とか、亀井勝一郎とか、太宰治とか…。

あのころは、若かったと思う。

毎日書くことがあった。
今となってはどうでもいいことだが。
それでも、書くというのはいいことだったと思う。

一時はPDAも使った。
会社帰りに、電車の中で書いていた。
阪急電車神戸線。
最終電車に乗って、ソニーのクリエを出しては、書いていた。
3年くらい使っただろうか…。

年をとると、だんだん書くことがなくなってくる。
ぼちぼち、人生も終わりがけに来て、本当なら書き残すべき何かがあるはずだ。
しかし、それも思いつかない。

シンガー・ソングライターが、年をとると曲を書けなくなる、それと同じようなものだろう。

若いころはいくらでも書くことがある。
多分、あったと思う。

それが、あるものは終わり、あるものは諦め、あるものは忘れ、その残りが現在の人生だろう。

その残りが、残りかすなのか、それとも、結晶なのか、それは難しい。

それは、これからの人生で決まるような気がする。


| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
いつか
どんなものでも、いつかは終わる。

ぼくらにとって、何かの終わりだとしても、そんなことはちっぽけなものだ。
世界には60数億の人がいて、彼らの一人ひとりに物語がある。
大きなものも、小さなものも、始まったものは必ず終わりが来る。

そして、人生にも終わりがある。
人生とは何ぞや、と考えている間に終わってしまう。

人類にも終わりがある。
大きな環境変化が起こったら、生きてはいけない。
たった直径数キロの隕石が衝突しただけで、滅亡する。

地球にも終わりがある。
何十億年かしたら、地球は膨張した太陽に飲まれる。

すべてのものは終わる、とみんなわかっているはずだ。

それでも、何かを続けていく。

そう思うと、人間は不思議な生き物だ。

ほとんど無限といっていい時間の中で、ほんの短い時間を過ごす。

なぜ、生まれてきたのだろう。

神はどこかで見ているのか。

むずかしい。

| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
フロイトの功績
どういうわけか年をとると、いつもと違うことをやると、疲れる。
そんなにシンドイ事をしたわけではないが、朝からいつもと違うところに行き、いつもと違うことをすると、てきめんだ。

精神が、新しいことや慣れないことを拒むのかもしれない。

精神が拒めば、身体も拒む。
そういう意味では、精神が病むと身体も病む。
それを発見したのがフロイトだ。

身体の異常があるときに、その原因が生理的なものではない場合がある、ということだ。
それは、特定の「概念」。
その人自身が気付いていない、無意識の中にあるもの。

無意識を発見したという功績は大きいと思う。
それまで、意識にのぼったものだけが、精神の活動だと思われていた。
それが、実は意識が氷山の見えているところみたいなもので、水中に大きなかたまりがある。
エスとか、リビドーとか、スーパーエゴとか、そういう言葉で表した。
これが精神分析学入門という本に書いてあった。

そして、その一つの表れが、夢というもの。
そこで、フロイトは夢判断という本を書いた。
なぜ人は夢を見るのか、夢の意味は何か、その解釈法が面白い。

人の精神には、広大な無意識があって、その上に意識がある。
眠ると、その意識の中に無意識が上がってくる。
その結果が夢。

だから、夢を分析すると、無意識がわかる。

フロイトを境に、人間の精神に対する考え方は大きく変わった。

それがフロイトの功績だ。


| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガイガーカウンター
キキキキ、という引っかくような音が大きくなると、放射能が高い…、それがテレビの中に出てくるガイガーカウンターだった。

それが、ネットのの通販で案内されている。
999.9ミリシーベルトまで測定できるとのこと。

さすがに、値段は69800円だったが…。
生産国は中国。
ボタン類に何のボタンか書いてあるのだが、それが漢字でわけのわからない字が書いてある。

ひと昔前なら、やめとこう、と踏みとどまったはずだが、これは中国製しか通販はない。

それだけ量産しているということだから、中国では使う場所も多いのかもしれない。

しかし、日本でも福島原発の影響で、売れるかもしれない。
そうなると、スイッチ類も日本語表記になるかも。

昔はテレビでガイガーカウンターが出てくると、おお、と思ったものだ。
あれは、地球防衛隊みたいな人たちが持っているものだった。

それが、今や一般の人たちが使う時代になった。

大変な時代が来たものだ。



| | 考えたこと | 01:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライブ
ぼくらが小学校の時に流行った、フォーク・クルセダーズのテープを聴いた。

昔のライブ版だ。

その中で、彼らが「今日はぼくらのリサイタルに来てくれてありがとう」と言っていた。
リサイタル…、懐かしい言葉。

どういうわけか、昔はリサイタルという言い方をしていた。
調べてみると、リサイタルは独演会らしい。
全編、一人または一つのグループで演奏する。

なるほど。
この時代、一人でやるのは大変だった。
だいたい、何組かが出て、一つのプログラムを作る。

だから、リサイタルと言っているのか…。

コンサートは演奏会のこと。
これは、ニュアンスとしては、たくさんの人が大きな場所で聴く、という感じ。

ぼくらの時代は、この2つの言葉がもっぱら使われていた。

しかし、若い人の時代は違う。
コンサートもリサイタルもない。
全て「ライブ」である。
言葉遣いとしては、こちらの方が正しいような気もする。
生演奏であるから、間違いない。

どこかのスタジアムで何万人もが一度に聴くのもライブだし、小さな会場で友達を集めてやる演奏会もライブである。

また、アクセントが違う。
ぼくは「ラいぶ」であり、ラにアクセントがある。
しかし、最近の人は「らいぶ」と平板アクセントである。
B'zと同じアクセント。

リサイタルはたぶん死語になるだろう。
コンサートもそのうち通じなくなるかもしれない。

言葉は変わっていく。

| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビッグバンの前
今の宇宙はどんどん広がっているという。

ということは、時計を逆に回せば、どんどん縮まっているということになる。
その時間をたどっていくと、宇宙の始まりとなり、それがビッグバンということになる。

だいたい130億年前ということになっているらしい。

ここまでは理解できるのだが、そこから先がわからない。

その前は、時間と空間がぐちゃぐちゃに交じっている状態だという。
それがビッグバンによって、時間と空間が分かれたらしい。
ビッグバンというくらいだから、大爆発だったんだろう。

そのときに、今ある水素やヘリウムというような元素ができた。

ビッグバンは最初?の0秒から10の-43乗秒の間に起こったらしい。

まあ、もともとは時間がなかった?のだから、そんなに短い時間でも、無限大みたいなものだろう。

しかし、謎なのは、「その前」の前だ。
ビッグバンの前は、時間がないので、「その前」が存在しない。

もう一つ言えば、このビッグバンの前の状態は、なぜそうなっていたのか。

ここまでが科学の限界だ。

ここから先は、人間にはわからない。

そこから先は、どうしたらいいのか。

これが、現在の神の領域だろう。


| | 考えたこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
計画はムリ
人生の計画を立てることはできるだろうか。

もちろん、計画を立てることはできるだろう。
しかし、実際のところは、計画通りにはいかないと思う。

計画通りにやろうという意思はあるだろうが、それだけでうまくいくとは限らない。
ほとんどの場合、計画通りには進まない。
自分ひとりでコントロールできるものでもないだろう。
他人や運、偶然の要素もある。

というか、ほとんど何か決めようと思わない間に、前に進んでいく。
何かの分かれ道などの、肝心なところは計画通りにはいかない。

自分のことを考えても、やっぱり適当だ。

大学の学科は当時入りやすいところに入った。
一年おきに平均点が下がるのだ。
別にこれがやりたい、と考えたわけではない。

会社を決めたのもいい加減だ。
当時学科の事務所に求人をはりだしていたが、珍しく神戸本社の会社があり、それだけで選んだ。

コンピューター関係の学科だったので、当然そういう部署に行くものだと思っていたが、関係なかった。
実験、設計という部署で、25年働いた。
そこで色々と苦労もしたし、面白かった。
組織のこともわかったと思う。

もしも今ぼくが、会社生活をふり返って、「私の履歴書」を書くとしたら、そんな風には書かないだろう。
こういう仕事をやった、というだけだ。

計画などない。
その場その場でいきあたりばったり。

自分のやりたいことがあって、実際それができる人などほんの一握りだ。
それも、やってみたら、それがやりたいことかどうかなどわからない。

計画的になりようがない。

となると、人生はいきあたりばったり、という事になる。

これが真実だと思う。

| | 考えたこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
問う力
最近、小林秀雄の講演のCDをクルマの中で聞いている。

前にも書いたが、この人は1970年代の受験生にとっては、とにかく難しいものを書く人だった。

しかし、今になって話を聞いてみると、よくわかる。
そして、話が面白い。

「私の書くものは難しいといわれるんだよ。」
「みんな、早くわかりたい。」
「でも、わかるっていうことは、苦労するというのと同じ意味なんだよ。」

なるほど、わかるということは、苦労するということか。

高校時代、全く何を言いたいのか、わからなかった。

その人が、「今の教育は、答えを先生が隠して、そして問題を生徒に出す」という。
それは、実際には「答えをあてる」ということであって、考えたことにはならない。
本当に人間が考えるためには、「正しく問う」ということをしなくてはならない。
「正しく問う」という行為だけが、人間の考える力をつけさせる、というようなことを言っている。

ああ、そうなんや…と聞いていて思う。

「問う力」を鍛えるということには、どんなことをすればよいのだろうか。

これは、何度も自分に問いかけるしかないのだろう。

人は、信頼する人と、心を開いて対話するという行為によって、知恵をつけることができる、とも言っている。
プラトンという人が書いているらしい。

それをつきつめると、自問自答という形式になる。

「諸君は自問自答しているか」

そういうようなお話。

高校のときはわからなかったが、今になってみるとわかる。

それは、うれしいことだ。

54歳まで生きていてよかったと思う。

| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
税金
今日大学生に、今の日本の国の状態を知ってるか?と聞いたら、それはどういうことですか?という。

今の税金や国債の事を考えると、どうなるのか?という風に聞きなおすと、えらいことだ、という返事。
実際にえらいことになる。
えらいことだ、と思ってはいるのだが、そこから先は出てこない。

所得税、法人税、消費税の数字でいうと、1990年に合計50兆円程度あったのが、2010年には30兆円程度。
税別でいうと、所得税が26兆円程度あったのに、今や15兆円程度。
法人税は19兆から6兆程度に、消費税が5兆円から10兆円に、それぞれ変化している。
消費税は3%から5%に上げたので、増加しているが、その他は惨憺たるありさま。

その減少を補うために、赤字国債を発行している。
その累積が1000兆円に迫ろうとしている。
年間の予算は100兆円程度。
今はまだ、国内の資産があるとか、きっと払えるとかいうことで、国債の利回りは低い状態だが、これが信じられなくなった時には、国債は危ないということで利回りが高騰する。

そんな時が来るのではないか。

そして、東北関東大震災はそれを加速させるかもしれない。

そんなことを全く知らない若い人たちに、その状況をどう説明したらいいのか。
途方に暮れた。

ぼくは、大人の一員として、何とかしないといけないと思う。
しかし、今の政権や政府を見ていると、ダメではないかとも思う。

若い人たちは、本気で日本を捨てて、海外で生きるという選択肢を考えた方がよいのかもしれない。

残るのは、大人だけでよいのだ。

右肩上がりの経済状況の時に作った制度を温存し、今やにっちもさっちもいかなくなった。
年金、保険、医療、介護、いずれもたちいかない。

その責任は大人がとらなければいけない。



| | 考えたこと | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
死ぬまでにやりたいこと
「死ぬまでにやりたいこと」を10個あげろと言われたら、何をあげるか。

もう今54歳だから、それほど時間は残されていない。
70歳を過ぎて、何かをやるというのは難しそうだ。
となると、あと16年。

・ 2シーターのオープンカーに乗りたい
・ イギリスとハワイとアラスカへ行きたい
・ カラオケのオールナイトをやりたい
・ 岸本加世子に会いたい
・ 本物のフカヒレスープを食べたい
・ 軽く1000m泳げるようになりたい
・ いろんなコードを使って、ギターのアドリブができるようになりたい
・ 英語がうまくなって、字幕なしで見られるようになりたい
・ 文章がうまくなって、考えたことがすらすら書けるようになりたい
・ 何のために生きているのか、という問いに答えを出したい

これくらいかな。

ここ2日間考えていたが、こういう結果。
意外と出てこないものだ。

人は欲望で生きているというが、いざ具体的に出してみると、考えてしまう。
「死ぬまでにやりたいこと」というのが難しいのかもしれない。

何がほしい?と言われたら、「10億円」と答えればすむが、そういう問いではなく「やりたいこと」だから悩む。

最後の望みはずっと前から思っていること。

これは、きっと死ぬ直前にならないとわからないのだろうと思う。

そんなにうまく死ねるのか、といわれると難しいが、漠然とそう感じている。




| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
COD?
CODという言葉、刑事ドラマで使われる。
こないだ見ていて、COD?という場面があり、字幕を見ていてわかった。
CODとはCause of Death(死因)ということだ。

英語にはこういう3文字や4文字の略語がたくさんある。

有名なのはASAP。
これはAs soon as possible(できるだけ早く)という意味。
近頃は日本のドラマでも使われることがある。
「この書類、ASAPでコピーお願い」などという。

ほかにも、いろんな略語がある。

OMGはOh my God。
PSは追伸であり、post scriptの略。
CEOは最高経営責任者のことで、Chief Executive Officerの略。
LEDは発光ダイオードで、Light Emitting Diodeの略。

コンピューターの世界では、そういうものがあふれている。
IT、CPU、URL、RSS、WYSiWYG、SEO、CGI、CSS、ROM、RAM、FTP…。

英語は表音文字だから、意味を類推するのが難しい。

その点、漢字は表意文字だから、類推できる。

経産省、文科省、経団連、日教組(これは日本教職員組合よりも一般的か)などの固有名詞。
何となくわかる。
日米、日中、日英などの漢字表記の国名もわかる。

変わったところではベ平連というのがあった。
これは「ベトナムに平和を!市民連合」であるが、これも類推可能だ。

ローカルなものでは、京教協(きょうきょうきょう)というのがある。
これは、京都地区大学教職課程協議会という団体。
何となく、京都の教育関係の協議会というのはわかる。

これも、見ているからわかるのであって、読まれるとわからない。
いきなり、きょうきょうきょうと言われても、何のこっちゃ、という感じである。

前後の文脈でわかるものもあるが、略語は難しい。

そういえば、死因という言葉も、もとは死亡原因という言葉の略語だったのかもしれない。
なるほどなあ。

やっぱり、漢字は便利だ。


| | 考えたこと | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和ヒトケタの英語
朝のドラマでは昭和10年代の学校で、英語の授業をしているが、英語の発音はちゃんとしている。

このドラマ、ちょうど昭和ヒトケタの父と同じくらいの年代で、そこも興味深く見ている。

この当時、父の学校ではtheのことを「テヘ」と言っていたらしい。
これは耳にたこができるほど聞かされた話。
おそらく、本当の話だと思う。
父は広島の三次というところにいた。

だから、朝のドラマがおかしい、というわけではない。

当然、英語教師のバラツキもあっただろう。
土地柄もあると思う。

それでも、ぼくが感心するのは、あと1年で大東亜戦争に入るというのに、英語の勉強をちゃんとしていたということだ。

戦争中、英語は適性語として、教えていなかったと言われている。
だから、戦前もそれほど教えていなかったのではないかと勝手に思っていた。
イメージでは英語という科目はあっても、適当にやっていたという感じ。
しかし、ドラマを見るかぎりでは、まじめにやっている。
今よりもまじめと言ってもいいくらいだろう。

もちろんドラマなどいい加減なものという意見はあるだろう。
演出が入っているからだ。
しかし、まったくうそではないだろう。

亡くなった父は、自分たちが英語がうまく話せないのは、教え方が悪かったせいだ、と言いたかった。
その例として、theがテヘという話をした。

たしかに昭和ヒトケタ世代は、英語の発音がよくなかったのかもしれない。
しかし、読んだり、書いたりはできた。

その人たちが、日本が海外に出て行くときに、中心となって働いた。
英語はうまく話せなかったかもしれない。
しかし、アメリカに追いつけ、追い越せという熱意があったと思う。
気合があって、伝えたいことがあれば、英語の発音は悪くてもかまわないと思う。

それよりも、英語の構造を知り、語彙を増やすことが大事だ。
所詮、日本人が完璧な英語を話せることなど、ほとんど無理だ。
社会人の1%もいないだろう。

しかし、ブロークンイングリッシュを話せる人は多い。
中学、高校で6年間も習うのだ。
発音が悪いから、と躊躇してはいけない。
躊躇するのは、話したいことに対する熱意がないからだろう。

今の日本人の英語に一番欠けているのは、熱意ではないか。

大多数の人にとって、英語は手段である。
英語話者との対話のための手段だ。

そこでは、何を伝えたいのかが重要だ。
残念ながら、それは英語教育以前の問題だ。

それが、昭和ヒトケタの人たちにはたくさんあった。
戦争に負けたからだ。
アメリカに追いつけ、追い越せ、というモチベーション。
それが日本の高度成長を生んだ。
少なくとも一つの要因ではあるだろう。

だから、今の英語教育についての論争は不毛だと思う。
ことは英語ではないのだ。

そう思う。



| | 考えたこと | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
着物
落語研究会にいたときは、当然だが、高座に上がるときには着物を着ていた。

それまで着たことはないし、落研をやめてから30数年たつが、数回しか着たことがない。

夏の高座に上がるときは、浴衣を着て出た。
春秋冬はウールの着物だ。
帯は角帯。
足袋は白足袋だった。
ずっと後で、白足袋は特別に芸人がはくものと知った。
普通は黒い足袋だ。

そして、雪駄を履く。
雪駄は安いモノでも裏に金属が付いていた。
減るのを防ぐためだ。
歩くと、チャラチャラという音がする。

当時流行っていた、東映のやくざ映画で、高倉鍵や菅原文太などがはいていて、なじみがあった。

羽織はセットで買ったが(正確には買ってもらったが)、1回生の間は着ることはない。
羽織の紐の結び方も忘れた。
紐を上にひっぱると、紐がほどけ、そして両手で羽織の袖口をひっぱると、いい着物なら羽織がストンと落ちる。
ところが、ウールの安物だと脱ぐのに一苦労だ。
ジャンパーを脱ぐように、手を上げ下げしてやっと脱げる。
だいたい、話が始まってマクラが終わるころまでに脱ぐ、と相場が決まっていた。
高座の上はだいたい暑いものだ。

着物の下には肌襦袢を着る。
ぼくの持っているやつは、鳥獣戯画みたいな絵が描いてあった。
着物は地味なのに、襦袢は派手だ。

そんないでたちで、落語をやっていた。

なんで着物を思い出したかというと、朝のドラマで着ていたからだ。
昭和十年代はまだ着物がポピュラーだったのだろう。
主人公が正月に台所で料理をするのに、着物を着て、上に割烹着を着ていた。

まあ、今の20代の人からみれば、生まれる50年ほど前だから、知らない世界。
ぼくは昭和30年代だが、祖父、祖母は着物を着ていた。

たぶん、今でも着られると思う。
これは、着方がわかっているという意味と、身体が太っても着られるという両方の意味。

懐かしい。



| | 考えたこと | 02:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
人として、はらねばならぬ意地
人として、はらねばならぬ意地、という言葉が出てきた。
日曜日の「仁」というドラマである。
そういう言葉、聞かなくなって久しい。

人として、はらねばならぬ意地をはって、幸せをあきらめた女性が言った言葉。

仁は、未来からタイムスリップして来た医師の話。
幕末の江戸に来ている。
そこで、抗生物質を作ったり、輸血をしたり、麻酔して手術をしたり‥、歴史を変えるようなことをやる。
ところが、何か自分の先祖のことに関わろうとすると、頭痛がする、というストーリー。
坂本龍馬や桂小五郎、西郷隆盛など、幕末の志士も出てくる。
今回はついに医師が女児を治療中に、頭痛がして、消えてしまった。

その医師は未来に恋人がいるのだが、江戸時代に来て、娘と知り合う。
娘は医術を習い、医師の助手になっている。

もう一人、医師の恋人とそっくりの女性が出てくる。
この女性は、花魁であったが、手術を受けて堅気になる。
医師の診療所にいたが、娘の想いを知って、去っていくというストーリー。

この娘も、その花魁の想いを知ってしまう。
だいぶはしょったが、概略のスジはそうなっている。

そこで、娘は「自分だけが幸せにはなれない」という意地をはるのだ。
それを、「人として、はらねばならぬ意地」という。

人には、そういう意地をはらないといけない時もある。

やせ我慢と言ってもいい。

そうしてでも、「人として、はらねばならぬ意地」をはらねばならないのだ。

最近、自分も含めて、こういう人は本当に見ないなあ‥。


| | 考えたこと | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
Ubuntu その3
長男が、家のパソコンにUbuntuをインストールしてくれた。

Windowsとどちらかを選んで立ち上げるという、本格的なものだ。
Ubuntuが動いている時には、Windowsは動いていない。

Ubuntuは半年に1回バージョンアップが約束されているとのこと。
ぼくのノートパソコンに入れた後、もうバージョンアップされていた。
Version11というものになる。
Macのように、使えるソフトウェアが、画面の下や横にアイコンで並ぶという仕様。
関わっている人の数は知らないが、何人かでひとつのプロジェクトを組んで、やっているのだろう。
そういう意味で、オープンであることは強い。
やりたい人がやっている、ということだ。

我が家の10年選手のパソコンでも、動きは早いし、インターネットの接続もすぐだ。
ウィルスのチェックプログラムはないようだが、大丈夫なのかな?
この調子でいくと、オープンソースの時代は意外と早くくるかもしれない。
まだまだ、一部のコンピューター好きの人たちのモノだと思っていたが、Ubuntuの力は強い。

この分だと、マイクロソフトのオフィスも、Ubuntu版がいつか出るだろう。

あと5年くらいでその時がくるのではないか。


| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
銀行ぎらい
亡くなった父は繊維商社に務めていた。

それが、昭和50年代に不動産に手を出して、経営破綻し、銀行から役員が来た。
4つの銀行から人を受け入れたらしい。

その人たちがあまりヨロシクナイ言動が多く、父は銀行ぎらいだった。

その影響でぼくも銀行は好きではない。

日本の資本主義をうまく回していくためには、銀行の役割は大きいのだが、そこがちゃんとできているとは思えない。
貸し渋りや貸しはがしなどという言葉がある。
融資にはかならず担保が必要で、それがなければ貸さないという例が多いという。
だから日本ではベンチャーが育たない。
もちろん、銀行のせいだけではないが‥。

大蔵省のいうとおりにやっていれば、つぶれなかった。
護送船団方式というヤツだ。
人為的に守られたものは、ろくなことがない。

どこの銀行も利率は同じ。
みんな右へ習えの方式。

あまり悪口を言ったら、怒られそうだが、しかたがない。

| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
時間というもの その2
職場の人の娘が、なかなか時間がわからないという。
時計は読めるのだが、ある時点からある時点までの時間の量がわからない、ということらしい。
小学校2年になったところ。

今8時17分です、8時からどれだけ経ったでしょう?というのがわからない。
時刻と時間というものが違うということだろう。

8時17分も、8時も読めるのに、その間でどれだけ時間が経ったかがわからない。

何でわからないかが、わからないという。

なるほど。
時間の概念とは、それほど難しいものなのだろう。

8時17分とは、8時から17分経ったものだから、間の時間は17分というのは、時間というものをわかった人がいう言葉。

時刻と時刻の間が、時間になる。
これが意外と難しいことなのだろう。

一度回路ができてしまえば、簡単なことなのだが、その回路を作るのが一苦労。
ぼくらは忘れてしまっているが、何かを数字に置き換えて表すということに、つまづいたことはないだろうか。

そういえば、ぼくは長さでつまづいた。
鉛筆とその横に定規がかいてあり、鉛筆は何センチでしょう?というのがわからなかった。
いったい、どういうことかがわからないのだ。
ものの長さを測るということが、わからなかったのだと思う。

彼女の場合も、おなじではないか。
時刻と時刻の間を測る、という概念がわからないのだろう。

心配しなくても、いつかわかると言った。

人間はそういうふうにして、動物が持っていない概念を取得してきた。
当たり前に思えていることでも、それに人生をかけた人もいたはずだ。

そういうものの積み重ねが今の人類の文化というものだろう。

ということは、幼児は生まれてから現代に追いつくのに、大変な苦労をしているということかもしれない。

それが脳の働きだとすると、やはり脳の能力は無限大ということだろう。
| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター弾き
ギターという楽器、古代のエジプトが発祥という。

その後、ヨーロッパに伝わり、そこで1800年代にクラシックギターが完成する。
いろんな弦楽器があるが、勝手に分けると、フレットを打つものと、打たないものになる。
前者の代表格がギター、後者はバイオリンだろう。

ギター族にはマンドリンやバラライカ、バンジョー、シタール(ちょっと違うが)などがある。
バイオリン族にはビオラ、チェロ、コントラバス、三味線、二胡などが名を連ねる。

ギター族の特徴は、音感が鈍くても、フレットがあるので弾けるということだろう。
バイオリン族はやはり音感が必要だ。
そういう意味で、ギター族は敷居が低い。
少々音に慣れていなくても、弾くことができる。
ただ、フレットがあるということは、普通に弾くと、半音ずつしか音が変化しないということだ。

しかし、ギター族には、半音階を外れて音を出す工夫がある。
それがチョーキングというもの。
弦を押さえたまま押し上げて(押し下げて)、張力を変え、音の高さを上げるという技だ。
これはピアノやオルガンなどの鍵盤楽器には、ひっくり返ってもまねができない。(シンセサイザーにはできる)

ブルースのやるせないメロディには、半音階ではなく、1/4音階くらいの音が必要だ。
それをギターなら出せる。(もちろん、バイオリン族には簡単に出せるが…)
そんな中から、ギターを選び、弾いているのがギター弾きである。
まあ、そんなめんどくさい理屈はあとづけで、ただ弾きたいから弾くのだろうが…。

ぼくはガットギターから入って、ちょっとクラシックをかじり、それからフォークギター、エレキギターと広げてきた。
所詮、同じギターであり、そんなに変わらない。
このごろの学生は、エレキギターから入るらしい。
押さえるのは楽だし、アンプをつなげばとりあえず音が出る。
フォークギターなら、そうはいかない。

中学のころ、弦が6本あって、指は4本しかない。(親指は指盤の裏側にある)
どうやって、6本一度に押さえるのか?と聞かれたことがある。
最初にぶつかる壁だ。

そんなことを経て、今でも弾いている。

ギターのない人生は考えられない。

| | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
あなたは神を信じますか?
こないだ、道を歩いていたら、外国人が二人話しかけてきた。
20代の男性二人。
なかなか真面目そうないい若者だったので、話をすると、宗教の勧誘だった。

毎週日曜日に教会に来ませんか?ということだ。

いや、ぼくは神道なので、と断ると神道の教えは何ですか?と聞いてくる。

詳しいことはわからないけど、日本の神道はそんなに難しいことは言わない、どこにでも神はいて、それを敬う気持ちがあればいいのだ、と言う。

一神教のキリスト教では、神は一人だけだから、まったく相容れない。

ぼくらは、モルモン教を信じています、と若者は言う。
日曜日に教会に来ませんか?としつこく言うので、面倒くさいからいやだと言うと、一週間に一回いやしの時間が必要です、と言う。

なるほど。
確かに教会に行くと、落ち着くような気もする。
しかし、日曜日の朝起きて、わざわざ教会にいくほどの暇はないので、再度断った。

まあまあ、そう言わずに、また気が変わるかもしれないから‥、と若者は言う。

この二人、本当に自分の利益にまったく関係なく、神を信じているのだろうか。
それとも、一人勧誘したら、いくらかのポイントがついて、それがたまると位が上がるのだろうか。
いずれにせよ、明るく、正しい若者そうに見える。

今の日本のように、豊かな社会では、宗教は必要ないようにみえる。
毎日飢餓で人が亡くなっていったり、紛争でいつ死ぬかわからない、というような社会とは違う。

それでも、自らの信じる宗教を広めようとする若者がいる。
これがビジネスではないとしたら、宗教の力だろう。

日本の神道や仏教にそんな力があるだろうか。
この若者たちが本気になって攻めてきたら、日本の宗教はひとたまりもないような気がする。

そんなことを思った。

| | 考えたこと | 01:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦前の青春
青春という言葉も死語になりそうだが、朝のドラマでは戦前の学生の青春が描かれている。

おひさま、というドラマ。
長野県の安曇野が舞台。
3人兄妹の末っ子の長女が主人公。

今までも芋たこなんきんや純情きらりで描かれてきた。

ぼくらが小学校、中学校の頃は、戦前というと暗いだけのドラマだった。

家族の一人が左翼にかぶれて、特高警察に見つかり、踏み込まれて逮捕されるというようなステレオタイプ。
このパターンばかり見せられると、本当にそんな時代だったのかと思ってしまう。
山本夏彦が「誰か戦前を知らないか」という本を書いて、そんなに暗いことはなかった、とわかるまで、そのステレオタイプを信じていた。

しかし、さすがにこのごろのドラマは、そんなステレオタイプではない。

戦前の学生にも、明るい青春があったということを描いている。
初恋、失恋、受験など、今と同じとは言わないが、それなりに楽しいこともあった。
学校帰りに、店に寄って、友達とおしゃべりする。
松本の中学校に入った兄は、寮でちょっと不良の友達と同室で、それでも楽しそうに暮らしている。
もう満州国ができて、戦争の足音が聞こえている時代。
次男は海軍の予科の入試を受けるという。

母は亡くなり、父と4人の家族。
家での父親に対する言葉遣いが、丁寧語でびっくりする。
本当にそういう言葉遣いで話す家もあったのだろう。
正月は父は着物、男兄弟は学生服で過ごす。

ただ、貧乏な子供は、尋常小学校を出て、奉公に出されるという時代。
やっぱり、今のように豊かではない。
それでも、豊かになった今よりも、心は豊かな気がする。
戦後になって、戦前は全て否定された。
暗く、悪い時代。
しかし、そんなことはないと思う。
少なくとも、ドラマで描かれている学生たちは、今よりも生き生きとしている。

戦前のよいところは、生かすべきだった。
もう手遅れだが…。


| | 考えたこと | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロシア語
昔の大学には、第二外国語というものがあり、必修だった。
たいがいの人は、フランス語、ドイツ語を選んだ。

ところが、ぼくが入った学科は、ロシア語を選ぶようにという指示があった。
当時(1970年代後半)、確率がもっとも進んでいたのがソ連だったからだ。

ロシア語は文字が多い。
キリル文字というヤツで、RやNの鏡像とか、Φみたいなギリシア語のような文字もある。
たしか、Cはエスで、Pはエルだった。
これは難物だった。

最初に習ったのは、エタ・クニーガというもの。
「これは本だ」という意味だ。
1年生の単位は何とか取ったが、2年生はとても無理だった。

ロシア語は、固有名詞も変化するのだ。
「タナカ」は主格、「タナク」が目的格という風に変わる。
これだけでも、英語学習者からみるとビックリだ。
また、フランス語やドイツ語と同じように、名詞には男性・女性・中性がある。
これを週に1回(2回だったかもしれない)の授業でマスターするのは、よほどの意思がないと、無理だと思う。
英語を6年やっても、まだまだ使い物にならないのだ。

結局、2年生のロシア語は落ちかけて、自主レポートを出した。
本を10ページくらい訳した。

何といっても、まったくの初心者レベルのものが、10ページも訳すのだ。
辞書と首っ引きで、ほとんどの単語を引いた。
2日くらい徹夜をした。

レポートを持っていったら、先生が「こんなものを課題にした覚えはない」と言われたが、受け取ってくれて、結局は通してくれた。

今になったら、工学部の学生がロシア語を取らされて、気の毒だと思ってくれたのだろうと想像がつく。

そのおかげで、会社に入ってから、フランス人やドイツ人が来たときに、「私はロシア語ですから」と言って、出迎えを逃げることができた。
まあ、フランス語やドイツ語を話せる人は、ほとんどいなかったのだが…。

結局今頃になって、ロシア語をとっていると、ひょっとしたらモスクワ駐在というような時代になった。
BRICSの一員。

時代が早すぎたのかもしれない。

ぼくは、ラッキーだったが…。


| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
音波砲
昨日尿路結石のことを書いたが、どうしても石が落ちないときに、手術で石を砕く必要がある。

もちろん、それまでに、尿をたくさん出す薬や、尿路を広げる薬を飲んで、水分をたくさんとって出す努力をするのだが、それでもどうしようもないときは手術になる。
十数年前に一度そういう状態になって、入院した。

入院前に麻酔の検査をして、入院初日に脊椎に麻酔薬を入れるための注射を行った。
これは針と管をセットしておくという処置。
別に手術の直前でもよいのだが、麻酔科と泌尿器科の連携の問題だろう。
針がひっついたまま2日ほど過ごすのがうっとうしい。

いよいよ手術当日、部屋に案内される。
背中が空いたいすに腰をかけ、ヘッドフォンをもらう。
背中には液体の入った風船のようなものが膨らんできて、ちょうど当たるようにする。
ヘッドフォンは音が聞こえるわけではなく、防音のためだ。
なぜ防音かというと、石を砕くために音波をつかうのだ。
体内と同じような密度のにするために、液体を入れた風船のようなものを当てる。
密度が変わると、狙いが難しいのだろう。

その状態で麻酔を入れ、医師が室外のコントロール室に出て、そこでスタート。

「ドン」という音とともに、背中をパンチされたような鈍い痛みが走る。
音波というから、それほどでもないと思っていたが、あまりの痛さにびっくりした。
何発か打って、様子を見に医師が入ってくる。
痛みがひどいので、麻酔をお代わりして、それからボーッとしたがそれでもかなり痛かった。

何百発か打って、終わりになった。
麻酔が効いているので、ベッドに乗って帰る。
それから1日、茶漉しで尿をこすという作業をする。
最初の尿は血で真っ赤だった。

翌日検査をすると、音波が石に当たったとたん、砕けたのは砕けたが、腎臓側にとんでしまって完全に粉砕はできなかったとの事。
明日もう一回やりますか?と聞かれて、やめときます、と即答。
石は砕けて小さくなったので、そのうち出るだろうと思った。

あの手術は大変だ。
音波砲でめったやたらと撃つ。
レントゲンでだいたいの位置を確認しておき、そのあたりを撃ちまくるという方法。

今はどうなっているか知らないが、あの手術はちょっと…。

いくらなんでも、もうちょっとマシになっているだろうが…。



| | 考えたこと | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
尿路結石
4月30日に血尿が出たので、今朝泌尿器科に行ってきた。

エコーで見ると、左の膀胱に石があり、これが災いしているのだろうとのこと。
世間には意外と尿路結石の経験者が多く、石仲間になることが多い。
何回なったとか、俺の石は結晶だからX線で写らないとか色々と自慢話になる。

この病気の一つ目の特徴は、初めてなった時に痛みがすごく、これに驚くことである。

痛み、というスケールを通り越しているので、なんと表現してよいのか、わからない。
ぼくが初めてなった時は、とにかく、ズシンとくる、という感じ。
宮崎から帰るフェリーの中だった。
夜中に痛くなり、ベッドの上に座って、呆然としていたら、そのうちおさまった。

この病気の二つ目の特徴は、嘘のようにおさまることである。

表現できないほど痛かったのに、すっとおさまると、何ともない。

これは、石が尿路の中をひっかかりながら動く時に、痛みを感じるということだ。
止まってしまうと、痛みはおさまる。

だから、本人は病院へ行って、痛みを訴えるが、尿路結石とわかったとたん、痛み止めの注射を打ってそれでおしまい。
命に別状はないから、医師も何ともしてくれない。

これが3つめの特徴になる。
石ができているのに、医師が冷たい。

何度かの痛みを経験して、尿路から膀胱に落ち、それで尿と一緒に出ると終わりとなる。

しかし、何といっても、最初が一番痛い。
経験したことのない痛みなので、よけいに怖くなるのだろう。
2回目以降は、自分でも石だとわかっているので、マシだ。

今回は知らぬ間に落ちていた。
血圧を下げる薬を飲んでいるのが奏功したのかな。

というわけで、今日は午前中休んでしまった。

この病気も、4回目くらいか。

この石が動かなくなって、粉砕するとなると、大事だ。

それはまた明日書く。


| | 考えたこと | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
パイナップル
パイナップルという果物、いつごろから一般的になったのだろうか。

調べてみると、沖縄には早く伝わっていたらしいが、戦前は一般的ではなかったような書き方。
戦後にパインの缶詰がフィリピンから輸入され、そのあたりから一般的になってきた。

初めてパイナップルを食べたのは、いつごろだったか。
覚えがないが、おそらく1960年代の中ごろだろう。
パインの缶詰だった。
芯を抜いて、ドーナツ状になったパインがシロップにつかって缶に入っていた。

当時(というか、今でもだが)黄色い果物は珍しく、すごく甘くておいしかった。
パイナップルはながいこと、何か特別なことがなければ、口に入らない食べ物だった。

それが、農産物が自由化され、比較的身近な果物になった。

このごろは、近くのスーパーに行くと、缶詰ではなくブロックに切ったパイナップルも売っている。
ながらく、パイナップルといえば、ドーナツ状のものだと思ってたが、こんなパイナップルもあるのだ。

ぼくはパイナップルのブロックが好きだ。
パイン缶とは違って、生のパイナップルという感じがする。

フィリピンからの輸入だろう。

遠い南の国の、海に沈む夕日。
その光を浴びて、甘くすっぱいパイナップルが育つ。

これは南国からの贈り物だ。


| | 考えたこと | 23:42 | comments(2) | trackbacks(0) |