考えたこと2

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大晦日に思う
今年もまた暮れる。
毎年暮れるのが早くなる。
紅白歌合戦を身ながら、これを書いている。
Pafumeという女性3人組が歌っている。

何をしたのかわからない間に年をとる。
ただバタバタしているだけ。
そんな一年だった。

昨夜は梅田に行ってきたが、人が少なかった。
30日だから少なかったのか…。
やっぱり不景気なんだろう。

一体この不景気はいつまで続くんだろうか。
それとも、これが普通で、今までがよすぎたんだろうか。

去年10万人ほどの新卒が職に就けなかった。
今年はその人たちも活動しているから、15万人ほど職に就けないかもしれない。
来年はもっと多くの人が活動するから…。
あと何年かで、この新卒一括採用というシステムは崩壊するのではないか。

一方では、国が毎年収入よりもたくさんの借金を積み重ねていく。
普通の家庭なら、とうに破産しているのだが、まだかろうじてもっている。
しかし、これとていつまでも続かないだろう。
どこかで破局を迎えるか、それとも予算を削るか…。

また、その一方では高齢化が進む。
総理大臣は福祉や医療は成長分野というが、これらは税金でやっているものなのに、何を言っているのだろうか。
成長するとして、そのお金はどこからくるのだろうか。
民間企業が儲けないとムリだろう。

おまけに、年金のシステムはもう崩壊しかかっている。
たくさんの若い人が、もう支払い拒否をし始めるのではないか。
どこをどうやったら、今の若い人たちが、今の高齢者のような金額がもらえるのか。

どう考えても、何かしないと、立ち行かないことはわかっているはず。
その何かとは何だろう。

それを来年は考えることにするか…。



| | 考えたこと | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
冬休み
昨日あたりから、会社も休みのところが多いだろう。

冬休み、ということになる。
だいたい、29日から4日あたりが多いのかな。
約1週間の休みである。

1週間だが、間に正月が入る。
年が暮れて、明けるという儀式。
初詣や年賀状、お雑煮、おせち、お年玉など、子供の頃は楽しみだった。

おそらく、正月がなければ、冬休みはなかっただろう。

実際、西洋ではクリスマス休みはあるが、新年は元旦だけが休日というところも多いと聞く。

東洋では、年が明けるということがめでたいこと、という思想があるのだろう。
しかし、なぜ、年が明けることがめでたいのか。
神道にそんな考え方はないと思う。

では逆に、もしも正月がなかったら、どうしていただろう。

日本のように四季がはっきりしているところでは、どうしても1年が繰り返されるという意識ができる。
桜は1年に一度しか咲かない。
蝉も1年に一度地中から出てきて鳴く。
ツバメが飛んできて、また南に帰ってゆく。
稲が実り、収穫がある。

そうなると人間は節目が必要になってくる。

時間がただ、のんべんだらりと一直線に過ぎていくというのは、耐えられないのではないか。

だから、暦ができ、農作業を休める時期を正月にした。

そんな風に考えると、納得がいく。

旧暦と新暦で2ヶ月ほどの誤差があるとはいえ、北半球ではだいたいこの冬の時期が新年ということだ。

南半球の人たちには悪いが、多数決でこの時期になったのではないか。


| | 考えたこと | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
夢を追うこと
就職難の時代である。
大学生の二人に一人が職がない。
もう少し状況は改善されるだろうが、頑張っても7割程度だろう。
55万人の3割があぶれることになる。

一に雇用、二に雇用、三に雇用、と総理大臣が言ったが、公約倒れも甚だしい。
新卒で10万人以上が職に就けない状態が2年も続くことになる。

ただ、企業の方にも事情がある。
たくさんの中高年を抱えて、若い人を雇う余裕がない。
多くの企業が業績回復したと言っているが、それらの企業は雇用を増やしたわけではない。
以前のように、業績を回復させるために、生産を増やすという事ではなくなっている。
どちらかというと、アジアに拠点を構えたとか、本社機能を分けたとか、海外に打って出たとか、中国人社員をたくさん採用したとか、そんな状態だ。
だから、そう簡単に雇用は増えない。

しかし、今の若い人は昔とは違う。
夢を追いかけているような気がする。
この会社でこれがしたい、などという。
何か実現したいことや関わりたいことがあるのは、いいことだ。
それを糧に働ければ、それはそれで言うことがない。

でも、それがダメだったらどうするのか。
それらは、往々にして、ダメなことが多いのだ。

最初から夢を追いかけてどうするのか。
夢はとっておくものではなかったか。
とっておいて、時々見直して、それでもやりたいかどうか、判断するというようなプロセスはないのか。

夢をかなえるのに、性急すぎはしないか。
たった数年でかなう夢など、たかが知れている。
一生かかってもかないそうにない夢こそ、夢といえるのではないか。

ぼくの夢は、マンガ家になること、小説家になること、シンガーソングライターになること…、もともと会社で夢をかなえようなんて思っていなかった。
もちろん、すべてかなわなかったが…。

それに、夢は変わっていくのだ。
年を経るとともに、自分のできそうなことに近づいていく。

それでいいのだ。



| | 考えたこと | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
尊厳死
これからの社会福祉を考えるときに、避けては通れないのが、尊厳死の問題だと思う。

高齢化が進むと同時に少子化が訪れる。
2020年には65歳以上の人口は3334万人、高齢化率27%になると予想されている。
つまり、10年後には、ほぼ三人に一人は65歳以上ということだ。

そうなると、死ぬ人が多くなる。
若い人が減って、高齢者が増えるから、仕方がない。

必然的に、医療費は増えるだろう。
二人で一人を養うのだから、医療にかかるお金は大変だ。

ぼくらの世代の死はきっと難しい。
今からそのことを考えておく必要がある。

尊厳死をネットで調べてみると、尊厳死協会がリビングウィルといって、生きている間に尊厳死を宣言するという方法が書いてある。
一方、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」というのがあって、賛否両論あるようだ。

安楽死・尊厳死法制化を阻止する会は、何を言っているのかというと、「生きようとする人間の意思と願いを、気兼ねなく全うできる医療体制や社会体制が不備のまま、「尊厳死」を法制化することは、病に苦しむ人や高齢者に「死の選択を迫る」圧力になりかねない。」ということだ。
「法制化」はよくない、と言っている。

安楽死と尊厳死の違いもわかっていなかったぼくには、だいぶ勉強になった。

しかし、こんなデーターもあった。

http://allabout.co.jp/r_health/gc/300891/3/
このページによると、「良い意味でも悪い意味でもなく、ただ客観的な事実として、『医療技術の進歩』つまり『今までだったら死んでしまうひとも助けられる技術』にお金が一番かかるという事実、つまり『医療技術が進歩し続ける限り、必ず医療費は増大する』という意外と知られていない事実があるということ(考えてみれば当然ですが)は知っておいて損はないと思います。」と書いてある。

何でも「病院で死亡する直前1ヶ月にかかった医療費が1兆円弱」、という試算が出ているそうだ。

そういうこともあるのか。

難しい問題だが、医療が成長分野ということは、海外から病人を受け入れて、高度先進医療を施すということも視野に入っているだろう。
もちろん、外貨を儲ける手段になる。

尊厳死から話がそれたが、医療の問題はお金の問題でもある。

| | 考えたこと | 00:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
言葉にすることの意味
人の頭の中はカオスの状態だ。

秩序だってはいない。
いろんな事が同時にわいて出て、また消える。
その回路がどうなっているか、わからない。

ひとつの事を考えているようでも、実際にはそれに関係したことも、関係していないことも考えている。
思い浮かぶことも一通りではない。
何も考えていないようでも、頭の中はいろんなことを考えている。
意識しようが、しようまいが、脳は休まない。

そういう中で、一つの考えをまとめるにはどうすればよいか。

それが書くことだろう。

書かなければ、まとまらない。
浮かんでは消えていく思いの断片をつなぎ合わせ、そして記録すること。
それが言葉にすることの意味だ。

経験上、何度も、あれ?という状況を迎えたことがある。
これについて、何か考えていたのだが、それは何だったか?ということだ。
たしかに、考えていたことは明確に覚えている。
しかし、何を考えていたのかが思い出せない。

そんなこと、どうせしょうもない事だったんだろう、と思っていると、ふと思い出してこれは大事だ、と思ったりもする。

また、書いているうちに、それを思い出すこともある。

人間の頭の中は、同時並行でいろんな事を考えることができる。
そう意識していなくても、実際にはそうだ。

その思いを記録するために、言葉にする。

言葉にすること以外の方法では、それは無理だ。

それが言葉にすることの意味だろう。


| | 考えたこと | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマスの約束
今年もクリスマス・イブに、小田和正の番組をやっていた。

去年は二十人以上のミュージシャンで、みんなの歌をメドレーにして歌うというプロジェクトで、メイキングビデオが中心だった。
今年はうってかわって、彼の地元神奈川のライブハウスで演奏。
メンバーは9人ほど。
去年から続けてでているのは、スタレビの根本要、スキマスイッチの二人、松たか子くらいかな。

山本潤子がでていた。
冷たい雨、懐かしかった。
小田君と呼べるのは、潤子さんだけ、と根本が言っていた。

根本要と一緒に作った歌もよかった。

突然、小田がスタレビのライブに参加することになって、リハーサルの時に歌詞を持ってきたという。
それで、根本が2時間で曲をつけて、ライブで歌った。

「思い出はうたになった」という曲。

 気がつけば こんなに 時が流れていて
 そして 僕はまだここで 歌っている
 歌ってさえいれば ただそれだけで
 幸せなんだと 思っていた

 振り返れば どの場所にも それぞれの歌があって
 そして そこには いつも 君たちがいた…

こんな曲だ。

歌い終わって、根本はステージで大泣きしたという。

 歌は思い出になって 思い出は歌になった…

歌い続けてきた人が歌うと、ジンとくるだろう。

今年の一番はこれだった。


| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
これからの時代
これからの時代は大変だ。

低成長の時代。
デフレというよりも、成長率が低いということらしい。

ぼくらは、結果的に高度成長期に生まれてよかったと思う。
しんどいこともあったが、報われた。
明日は確実に今日より豊かになる、ということをみんなが暗黙の了解としていた。

その時期に設計された、国民皆保険や年金のシステムがもう成り立たない。

人口は減り、若い人にぶら下がる人が増える。

歳入は減り、国のかたちを考え直さないといけない。

年金をどうするのか。
医療保険をどうするのか。
農業をどうするのか。
雇用をどうするのか。
福祉をどうするのか。
900億もある国債をどうするのか。

どれも真剣に考えているとは思えない。

実際に若い人に任せていかないと、年寄りは真剣に考えないだろう。
残された時間が少ないからだ。

政治家は票のことしか考えていないように見える。
そうなると、圧倒的に老人が強い。
少子高齢化で若い人が少ないからだ。

だから、年金や福祉の問題は解決しない。
それに関連して、国債も減らない。
若い人にツケを回している。

若い人たち、君たちが頑張らないと、日本はダメになるぞ。



| | 考えたこと | 02:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
Merry Christmas
今年もまたクリスマスがやってきた。

毎年、派手になっていくような気がする。
クリスマスカードの売り場は、たくさんの人がいた(ほとんどが女性だが…)。

宗教色はない。
この機会に、キリスト教に改宗しようという人もいない。
キリストが生まれた日、ということだが、その言葉の意味もわからない人が多いのではないか。
何となく、西洋のお祭り、という認識だろう。

不景気だから、よけいにクリスマスということなのかもしれない。
アメリカでは、年間の小売業の売り上げの1/4が、この季節に集中するらしい。

誰かが書いていたが、「キリスト教とイスラム教は砂漠で生まれたのだが、ああいう厳しい気候の中でこそ一神教が出てくる」という。
日本の神道や仏教は、一神教ではない。

一神教は厳しい宗教だ。
だから、逆にお祭りも派手にやる。

キリスト教はたくさんの人を救ったが、宗教戦争も起こした。
そして、科学を弾圧した。

よい面も悪い面もある…。
そういう考え方をするのは、よくないのだろう。
宗教は絶対的だから。

そんなことを忘れて、キリストの生誕を祝う。

今日はそういう日だ。



| | 考えたこと | 02:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカ
アメリカは、ぼくにとっては、憧れの国であり、やっかいものでもある。

世界一豊かな国であり、ひょっとしたら、世界一害をなす国でもあるかもしれない。
そして、今のところ、かろうじて世界の覇権を握っている国。

アメリカ人というのは、星条旗に忠誠を誓ったら、一応誰でもなれる(最近はちょっと難しいらしいが)。
アメリカに住んでいる人がアメリカ人である。
だから、あらゆる民族、あらゆる人種がいる。

イタリア系アメリカ人やポーランド系アメリカ人、アイルランド系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人、アラブ系アメリカ人、アジア系アメリカ人…。
皮肉な言い方だが、アメリカ系アメリカ人というのは、俗にいうインディアンの事になる。

その中で力を持っているのが、WASPと呼ばれる人たち。
White, AngloSaxon, Protestantの頭文字をとったもの。

白人でアングロサクソン系、そして宗教はプロテスタントということ。
この人たちがアメリカを牛耳ってきた。

しかし、ぼちぼち限界だろう。
すでに、オバマのように、アフリカ系アメリカ人が大統領になったりしている。

アメリカの特徴は、異民族との共生によって生まれたものだと思う。

生まれながらにして、外国に住んでいるようなものだ。
文化の違い、習慣の違い、宗教の違いなどの中で暮らしている。

自分というものを決めるときに、他人を基準にしているが、その他人の幅が広い。

それは、自分というものを測るモノサシが長いということだ。
アジア、ヨーロッパ、アフリカ、中近東などの文化の中で、自分を位置づけるということ。
これはすごいことだ。

ある意味では、すごいストレスの中で暮らしているともいえる。

だから、言葉に敏感なのだろう。
同じ言葉を話していても、民族が違うのだから、約束事は書いておかなければならない。
何でも言葉にして、記録する。
だから、契約社会にならざるを得ない。

ぼくはアメリカという国は、何だかんだ言っても、やっぱりえらいと思う。
賛否両論あるかもしれないが、誰かが言った「壮大な実験」という言葉が当てはまると思う。
人類の実験をしているのが、アメリカだ。

もし世界にアメリカがなかったら、きっと今より住みにくいところになっていただろうと思う。




| | 考えたこと | 01:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
クニマス
山梨県の西湖でクニマスが見つかった。

もともと田沢湖に住んでいたのだが、環境が人為的に悪化して、国のレッドリストに載った。
絶滅した、ということだ。

ところが、西湖で生きていたのだ。
以前、田沢湖からもらって、クニマスの卵を10万個を放したらしい。
たった、10万個で生きているのは珍しい、と専門家が言っていた。

クニマスのような淡水魚はさほど種類は多くないだろう。

それが絶滅したと思っていたら、残っていたというのはめでたいことだ。

しかし、いったい地球上に生物の種はいくつくらいいるのだろう。
何千万だろうか、何億だろうか…。

生物多様性という言葉が一般的になった。

この言葉では、多様な生物が生きている状態が、よい状態という事になる。

結果的には、それが人にとっても生きやすいということだ。

クニマス一種類でどうなるわけでもないと思うが、生きていたということはよいことだろう。

人間は、生きるために、他の生き物を殺さざるを得ない。
ひとつの種が生きるために、他の種を食べるのは仕方がない。
しかし、人間が生きるために殺す生き物が多くなりすぎた。
意図的なものと、意図しないものがあるが、人間という種が60億人もいる状況は、自然ではない。

ヒューマニズムという言葉がある。
人間中心主義と言ってもいいかもしれない。
これは人間は自分勝手、といふうにも読める。

砂漠に住んでいる人が水を運ばないといけないから、海水を蒸留してまき、砂漠を作物が作れる土地に変える。、
砂漠を住み家にしている生き物にとっては、迷惑なことだろう。

そういう怪しさも含めて、生物多様性という言葉を考えると、難しい。

しょせん、遺伝子は利己的だということだ。

でも、やりすぎはよくないから、時々見直そうというのが人間のエラいところかもしれない。


| | 考えたこと | 09:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
小説を読む時期
小説をよく読んだのは、16歳から25歳くらいまでか。
人によるだろうが、小説を読む時期というのがあると思う。

読むころあいがあるということだ。

ぼくは太宰治、石川達三、武者小路実篤、吉行淳之介、ドストエフスキー、トルストイなどの文学と呼ばれるものから、筒井康隆、豊田有恒、光瀬龍などのSF、司馬遼太郎、柴田錬三郎、池波正太郎などの時代小説、クリスティやパレツキーなどのミステリーやハードボイルド、田辺聖子、佐藤愛子、曽野綾子などの女流作家、そして40歳を過ぎて高杉良のサラリーマン小説などを読んできた。
それから先は、岸田秀、山本七平などの評論や新書、翻訳もののビジネス本、池田晶子の哲学エッセイ、数学や物理の読み物が主になった。

ふりかえってみると、小説は圧倒的に若い頃に読んだものが多い。
いつでも読めるといえばそれまでだが、若い頃になじみになった作家を作っておくことはいいことだと思う。
このうちの何人かは、若い頃に読まないと、もう読めないと思う。
そういう小説がある、ということだ。

今でも、時々小説を読むことはあるが、若い頃に比べたらかなり少ない。
ノンフィクションや新書が多くなった。

年をとって、また小説を読む時期が来るのだろう。
ぼちぼち、そういう時期になるかな。

それでも、若者よ小説を読もう、と言いたい今日この頃。

何でもいいのだ。

とにかく、読むことだ。

若い時期に、メールやパソコンや携帯で時間を潰してしまって、本を読まないというのはもったいない。

老いの繰言かもしれないが…。


| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
すぐに役立つこと
すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる、とどこかの新聞に書いてあった。

なかなか言い得て妙な言葉。
わかる、わかると言いたくなる。

逆にいうと、すぐに役立たないことが、長く役立つということになる。

小説を読むことは、一般的にはすぐに役に立たない。
しかし、ずっと役に立つような気もする。
心を豊かにするのだ。
知識の幅も増える。

学校で習う、歴史や地理、化学や物理や数学も、すぐに役に立たないことだろう。
役に立った、という人は珍しい。

大化の改新がいつのことか、わからなくても困らない。
フィリピンがどこにあるか、わからなくても困らない。
過酸化水素がH2O2であることも、わからなくても困らない。
振り子の等時性がわからなくても困らない。
二次関数の根の公式がわからなくても困らない。

それぞれ、ひとつのことは別にわからなくてもかまわない。

でも、歴史や地理の体系的な考え方を知ることは大事だと思う。
知ったからどうなのか、といわれると難しい。
でも、そういうことを知っていることは大事なことだ。

だからこそ、学校で教えているのではないか。

すぐに役に立たないからこそ、ずっと役に立つ。

学校の先生もそう思っているのだろうか。

もしも、そう思っていたのなら、履修漏れなど起こっていないだろう。

| | 考えたこと | 01:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ばっくれる
最近、よくわからない言葉がある。

「ばっくれる」という言葉。
どうも、学校をサボる、というような意味で使われているらしい。

ネットで調べると、

1.そ知らぬ顔をする
2.逃げる・サボる

と書いてあり、goo辞書によると、「しらばっくれる」が変化したらしい。

ウチの息子もサボるの意味で使うので、最近の若い人の言葉かと思うが、ぼくらの若い頃には聞いたことがない。
もともと、しらばっくれるという言葉自体が、演劇言葉のような感じで日常的に使われているものではなかった。
警察内の隠語が、外でも使われるようになったとの説もある。

何となく関西弁っぽくない言葉だ。
しかし、しらばっくれる、という言葉が元とはしらなかった。

しかし、そもそも「しらばっくれる」という言葉を知っているのだろうか。
記憶では、警察の関係のドラマくらいでしか使っていなかったような気もする。
最近の刑事ドラマでは使われていないかもしれない。

しらを切る、というのはもう少し一般的か…。

もとは白なんだろう。
この白は「お白州」の白という説もあるし、「白々しい」という説もある。
結局はわからないのだが…。

「ブッチする」という同義語もあるらしい。
授業をブッチする、というように使う。
こちらの方は、まったく不明である。

今の若い人は、どちらも使うようなので、要注意だ(何が要注意かわからないが…)。


| | 考えたこと | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
量子コンピューターとは何か ハヤカワ文庫NF ジョージ・ジョンソン
量子力学というものはどうも腑に落ちない。
いくら本を読んでも、わかった気がしないのだ。

それは、普通の世界とは全く異なるからであり、どういうわけかそれが正しいらしいから、困る。

普通ならありえない性質を量子は持っている。
同時に二つの状態を持つことができるのだ。
0と1の状態を同時に取れるということだ。

この性質を使って、コンピューターを作ったらどうなるか、ということだ。
膨大な計算量が必要なものがある。

500桁くらいある数字の約数を計算する、というようなことがすぐにできるようになる(らしい)。

しかし、途中で計算を見ようとしてはいけない。
観測することで、量子はひとつの状態になる。
だから、観測してはいけない。

しかし、観測せずに量子をどうやってコントロールするのか、そこのあたりが難しい。
難しい、というのはぼくにとって難しいという意味で、そこらあたりがワケがわからない部分だ。
同時に違う状態を取ることができるが、観測するとひとつになる、という性質。

これが開発されると、今のクレジットカード番号などの転送に使っている暗号が解けるようになる。
大きな数(といっても、億や兆どころではない)の因数分解がすぐにできるようになるからだ。

気がつくと、ぼくらの暮らしはそんなものに支えられている。

それが根底から覆されるから、量子コンピューターはできないほうがよいのかもしれない。

でも、可能性がある限り、挑戦する人がいる。

それが科学の進歩というものだ。

しかし、量子力学というものが実用的なものであるとは、思わなかった。
きっと、いろんなところで、量子の考え方は使われているのだろう。

アナログではない、デジタルな粒子。
連続値をとらず、離散値をとる。
つまり、間の値がないのだ。

世の中はアナログだと思っていたら、最後の最後はデジタルになる。

面白い。
21世紀は量子に時代になるのかもしれない。






| | | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
目的と結果
目的というのは、何のためにそれをやるか、ということ。
結果というのは、それをやって何が得られたかということ。
この2つは全く別のものだ。

難しいのは、何年も仕事を続けてきた人が、自分の結果をもって、まるで目的のように言うことだろう。

何かの仕事を考えてみるといい。
自分がやり始めた時のことなど忘れている。
きっとイヤなことも多かったはず。
やりたくて選んだ仕事だ、ということはまずないだろう。

でも、それをやり始めて、十年、二十年経つうちに、面白さがわかってくる。
そして、まるで最初から目的があったような気になってくる。
その目的を、やりがいとか、価値とかいう。

それは仕事を続けた結果である。
大事なのは面白さがわかるまで仕事を続けることだ。

最初から、面白さなどわからない。

だから、最初から目的などわからない。

わからないことをやり続ける力が必要だ。

それが結果を生み、そして目的を明確にする。


| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョン・レノン
ジョン・レノンが亡くなって30年経つらしい。

先週の8日が命日だった。
亡くなった時は、彼がいなくなると、もうビートルズは再結成できないなあ、と思った。
レノン&マッカートニーでたくさんの曲を作った。
ビートルズのメロディメーカーの一人。

昔はポールが好きだった。
あのベースラインがすばらしい。
ゲット・バック、ペニーレインやオブラディ・オブラダはベースラインが光る。
音楽的にはポールの方すごいのではないか、と思っていた。
でも、ソロになってからのポールは何となくさえない。

年をとると、ジョンのすごさが何となくわかってきた。
ビートルズのマインドはジョンに負うところが大きい。
それはソロになってからの活動でわかった。

なぜ、犯人はジョンを撃ったのか。
ジョンの反戦運動が原因だという暗殺説もあった。

そういえばHappy Christmasという反戦歌もあったなあ。
繰り返し、War is overと歌うリフレインは子供の合唱も伴って、印象的だった。

30年前の1980年というと、ぼくは23歳。
そんなに若かったのか…。

かろうじて、ビートルズをリアルタイムで経験できてよかったと思う。

これは幸せなことだ。



| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
フランス人の朝食
おわんのような容器に、粉っぽいコーヒーを入れて、そしてフランスパンを漬けて食べる。

それがドラマの中のフランス人の朝食。
なぜ、おわんのような容器にコーヒーを入れるのかはわからない。

25年ほど前にフランスに長期出張した時も、おわんのような容器にコーヒーを入れていた。
たぶん、変わっていないのだろう。

フランスといえば、食べることが好きというイメージだが、朝食はシンプルだ。

バゲットという塩が入った棒状のパンが主流だった。
焼きたてが美味しいので、パン屋で前日の夜買ってはだかで持って歩いている人もいた。
袋になど入れるというサービスはなかったと思う。

ホテルでも、コンチネンタル・ブレックファストというと、質素なものだった。
日本のホテルでは、洋式の朝食というと、卵料理やベーコンなどがトーストと共にでてくるが、これはイギリスやアメリカのものらしい。
大陸(コンチネンタル)では、朝からそんなにカロリーは摂らない。
一説には、夕食が遅いから朝が食べられないということもあるらしい。

しかし、フランスで食べた、焼きたてのフランスパンは本当に美味しかった。
帰ってきてから、しばらくはフランスパンを探して買ったが、やっぱり本家のものには勝てない。

何が違うのかわからないが、一番フランスで美味しかった。

しかし、あのおわんに入れたコーヒーはいただけない。

何でコーヒーカップではないのか…。






| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
Carbon-copy
メールを出すとき、宛名は"To"だ。

写しは"Cc"と書いてある。
これは、Carbon copyの略。
昔はカーボン紙をひいて、写しをとったから、その名残か。

Toで送る人と同じ内容を写しでその人にも送る。

こないだドラマを見ていたら、They are carbon-copies each other と言っていた。

字幕は「彼らは口裏を合わせた」というもの。

Carbon copyが動詞になっている。

同じ事を繰り返すという意味だろう。

訳すと、口裏あわせという意味になる。

まだ英辞郎には出ていなかった。

電子メールが一般化して、よく使われるようになり、動詞になったのか…。



| | 英語 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
Audi
最近、高速道路でAudiをよく見る。

ドイツのAudi社は、短期間でブランドイメージを上げた会社として紹介される。
今やBMWやベンツと変わらないブランド・イメージらしい。
20年前はそうではなかった。
Audiといえば、クワトロ。常に四駆で走る車。一時はラリーで勝ちまくっていたと思う。
それでも、そんなにブランドイメージは高くなかった。

しかし、最近は何となく見てくれもよくなったし、あのオリンピックみたいな4つの輪が光っている。

そういえば、Audiのクルマはよくわかる。

LEDランプが特徴的だからだ。
ヘッドライトのところが一番特徴的。
ライトに沿って、波のように白いLEDが光る。
リアもLEDで、破線でブレーキランプを囲むように点灯する。

たしかに値段も高い。
1.4Lのガソリン直噴インタークーラーターボエンジンで300万以上する。
ミッションは7速Sトロニックというやつ。
ハイテクのイメージがある。

今や排気量が大きいことがいいことではない。

排気量を小さくするのは、燃費をよくするため。

直噴インタークーラーターボは、馬力を出すため。

一昔前に比べると、小さく、軽くなって、燃費もよくなった。

イメージ戦略が成功したのだろう。
もちろん、それを裏付ける技術やデザインの力があってこそ。

ハイブリッドや電気自動車も出すのだろうか…?

楽しみである。


| | 考えたこと | 00:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
アラン・ドロンのように
前にも書いたが、アラン・ドロンは渋い俳優になった。

フランスのマルセイユを舞台にした、刑事物語というドラマ。
なぜかこのドラマは空気が乾いている。
ヨーロッパの空気が乾いているということか…。

アラン・ドロンは若い頃は、ジェームス・ディーンのようなとんがった感じだったが、 年をとるほどに渋くなった。

スタイルがくずれ、しわも増える。
足腰も弱くなるし、目も悪くなる。

それでも、そこまで人生を生きてきた重みができる。
経験や知恵や知識、そういうものが顔に出る。
角がとれて、丸くなる。
それでも、自分が譲れないものには頑固だ。

アラン・ドロンはそんなふうに見える。

同じことばかり書いているような気がするが…。

そんなふうに年をとりたい。


| | 考えたこと | 20:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
月曜日の高速道路
毎日名神高速を使っていると、気がつくことがある。
通行量が少ない日があるのだ。

月曜日の朝の高速道路は空いている。
明らかに少ない、というか、トラックがほとんど走っていない。

何か、走りやすいなあと思っていたら、気がついた。

いつごろからかはわからない。
ETCの休日割引と関係があるのかもしれない。
高速道路が安くなるから、日曜に運んでしまうのは合理的だ。
そういうインセンティブが運輸業者に働く。

土日の割引は、休みの日にクルマを使う気にさせるためのものだが、その制度が運輸業者のシステムを変える。
月曜日の荷物を、割引がある間に運んでしまおう、という事になる。

きっとそういうことが起こって、月曜日の朝の高速が空いたのだろう。

だから、きっと日曜の夜の高速はトラックがたくさん走っている。

そうでなければ、おかしい。



| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
電話今昔
若い人と話をしていて、どうも通じないことがあった。

「昔は携帯電話なんかないから、誰か華族に聞かれたくないことを電話で話したいときには、外の電話ボックスに行ってかけたものだ。」
「え、何でですか?」
「家の電話は固定電話だから、そばにいる人に聞かれるやろ。」
「あの、ダイアルがついているようなやつですか?」
「そうそう」
「はあ、でも何で電話ボックスなんですか?」
「だから…」
「子機はなかったんですか?」
「はあ……」

そういうことだ。

この人たちは、生まれたときから子機があったのか。
しかし、ダイアルの電話を見たことがないから、ダイアルつきの子機があるなどと思ってしまうんだろうなあ。

ボタン電話というのは、いつごろから出てきたのだろうか。

Webによると、第一号が80年代らしい。

本格的に普及したのが90年代としても、今の20歳は知らないかもしれない。

彼らはポケベルも「そんなものがあったらしい」ということしか知らない。

時代の移り変わりは早い。

こういうふうにジェネレーションギャップは生まれていく。






| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
涙をふいて
三好鉄生の曲。
調べてみると、1982年にリリースされている。

この曲は、カラオケで他の人が歌っているのを聞いて覚えた。

この人の曲はこれしか知らない。

でも、一時はぼくの十八番だった。

ドレミソラドという定番のイントロから始まる。
ペンタトニックという5音階。
聞くと、誰でもああ、あれか、というようなイントロだ。

 あの日 夢を探して…

歌いだしは今でも覚えている。

この曲のサビの部分、「涙を拭いて 抱きしめあえたら…」というところは、調子がいい。

80年代、よくカラオケに行ったが、最後のリフレインのところをみんなで一緒に歌っていた。

日本人がバブルに浮かれていた時代。

サラリーマンが600万のシーマを買えた、バカバカしくて、忙しかった時代。

今の若い人に教えてあげたい。



| | 音楽 | 00:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
あかつき
「あかつき」、というと今は金星の探査機のことらしい。

「あかつき」というと、ブルートレインを思い出すのは古い人間か…。

中学の頃、窓の外に山陽本線が走っており、そのため、「あかつき」が通るのが見えた。
学校に行っている間に通るのだから、朝早くでもないし、夜遅くでもない。
誰かが、「あかつき」が通ると、その授業がもうすぐ終わる、という事を言いはじめ、それでみんなが窓の外を気にするようになった。
あの頃、学校にはお金がなかったから、教室に時計がついていなかったと思う。
2年11組のときだったような気がする。

そんな「あかつき」 の印象があって、ブルートレインのことをよく覚えている。

その「あかつき」が金星の探査機になっている。
単に同じ名前だというだけのことだが、なじみがある名前だ。

何せ、6500万キロも離れたところである。
電波が届くのに、3分半もかかる。
秒速3万メートルで210秒。

えらいものだ。

残念ながら、金星の周回軌道に乗るのには失敗したらしい。
また6年後に金星のそばを通るので、その時にもう一度トライする、ということらしい。

宇宙に関わるプロジェクトは、息が長い。
計画段階から、実行、そして完遂までかなりの時間が必要だろう。

今回の件も、やり直すというだけで、6年かかる。

きっとその6年の間に入れ替わる人もいるだろう。
途中で定年してしまった人は、どんな気持ちだろうか。
途中で亡くなる人もいるだろう。

あかつきが写真を送ってくるのを、楽しみにしていただろう。

今回は残念だったが、電池をケチりながら6年後を目指してほしい。




| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
極細万年筆
ペン先が0.3mmのボールペンを買った。
かなり細い。

小さな手帳専用のものだ。
0.4mmではちょっと太い。

小さなところに書こうとすると、極細のペンが便利だ。

海外の万年筆では、この極細というものがなかなかない。

EFという表示が極細用のペン先。Extra Fineの略だ。
でも、海外製の万年筆は往々にして、それでも太い。
漢字を書くということがわかっていないのだろう。

アルファベットを書くには、この程度でも使えるが、漢字を書くとなると、難しい。
かなりの細さでないと、字が潰れて何かわからない。

口のところが、口か日か田か…、わからなくなる。

そうなると、やっぱり日本製になる。
日本製は極細は極細だ。
画数の多い字も書ける。

海外製で望みの太さのものは珍しい。

これは、選ぶのが難しい。

万が一、めぐり合ったら、買っておくべきだ。

それは、その人のためにある、そんな万年筆だろう。


| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
スマホ
スマートフォンとは、電話というよりもインターネットの端末という感じのもの。
WebメールやWeb上のスケジュールを自由に見ることができたりする。

したがって、リンクをたどるために、指先で触るというやり方をする。

画面はページのようになっており、指で操作してめくったり、戻ったりできる。
だから、ハードウェアのボタン類は最小限になっている。

フォン、とはいうものの、電話はついでの機能になっている。

そこが問題になる。
片手で電話をかけるというのが難しい。
以前なら、ワンタッチダイアルというのもあったし、アドレス帳から一人を選んで、電話をするというのは片手でできたことだ。
それが、両手でないとできない。(まあ、なれれば片手でもできるとは思うが…)

間違いが多いのだ。
画面を指先でタッチする、というところが難しい。
あかさたな…、と出ているところでサ行を選ぼうとすると、間違ってカ行を選んでいたり、手が乾いていて反応しなかったり、難しい。
だから、簡単にはいかないのだ。

もはや、スマートフォンの略語ができている。
スマホという。

若い人なら、便利というかもしれないが…。

ということで、スマホは電話の部分のインターフェースが、携帯に比べると、いまいちである。

特に、50代以上の方は、それをわかっておいた方がよいと思う。

何でもスマホは便利ということではないのだ。




| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
リズム感
世界にはいろいろなリズムがある。
8ビートのロック、2ビートのマーチ、3ビートのワルツ、4ビートのジャズ…。

レゲエやボサノバも特徴的なリズムだ。
タンゴやチャチャチャ、マンボなどもある。

たくさんのリズムがあり、そのビートがある。

アラビアやインドの音楽にも、リズムらしきものはあるが、ちょっと難しい。
中国や日本の伝統音楽には、リズムらしきものはない。
西洋では小太鼓はリズム楽器だが、雅楽の鼓はリズム楽器という感じではない。

アジア人には、あまり明確なリズムという概念がないのか…。

そういえば、日本の都都逸や小唄などは、歌詞がメインだ。

リズム感というのは、難しい。
黒人のラップなど、すごいと思う。

しかし、今の若い人たちは、リズム感がいいと思う。
生まれたときから、複雑なリズムを聞いているからか。

ぼくらのころと、今の子供ではだいぶ違う。

幼稚園のリズム体操などもだいぶ難しい。
小学校でも、むかしとは違って、だいぶ複雑だ。

明治以降、日本の西洋化が進んできたが、リズム感に関していえば、もうほぼ西洋化は達成したのではないか。

これ以上は血の問題だ。





| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
師走と宇宙
12月になった。

早いものだ。
あっという間に12月。ついこないだ正月だと思っていたら、もう12月。

忙しい。毎日何かある。毎年同じことを書いているような気もするが…。

12月は忘年会もあるし、クリスマスはあるし、年賀状は作らないといけないし…、何かと気ぜわしい。

昔は先生も忙しくて走り回る月、ということで師走という名前がついた。
今は先生は元々忙しいから、意味がわからない若い人も多いのではないか。

たまたま地球の公転周期が365日だったから、一年は365日になっている。

考えてみたら、一日が24時間なのも、たまたま地球の自転周期がそうだっただけだ。
1メートルというのも、地球の大きさから来ている。

時間と空間の単位は、すべて地球の成り立ちを基準にしており、たまたまの値だ。

そのたまたまの結果で、ぼくらは生きている。

そう思うと、バタバタしている自分があほらしくなる。
宇宙の歴史からみると、ほんの一瞬だが、人間にとっては悠久の時間を過ごしてきた。

12月だからといって、気ぜわしくなるのは…。

そんなふうに考えると、どうでもいいかと思う。

宇宙の時間でいうと、人間の一生など屁のようなもの。
人類の時間も(まだ終わっていないが)、それに近いだろう。

いつか地球がなくなるときが来るし、太陽がなくなることが来るし、銀河系が他の系と衝突することもあるらしい。

そう考えて、自分の人生を見直してみよう。




| | 考えたこと | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
アイドル
生まれた時代によって、アイドルというのは異なる。

ぼくらの頃は、天地真理にはじまって、キャンディーズ、山口百恵、松田聖子あたりで終わりかな。
男性では、郷ひろみ、近藤正彦…、よくわからない。

中学の頃に出てきた天地真理は、ファンだった。

中2の美術の授業で、レコードジャケットを作れ、といわれたときには、天知真理の「虹の向こうに」を題材にしたのを覚えている。

あのころは、南沙織派と天知真理派に分かれていたような気がする。
小柳ルミ子は歌はうまかったが、もう一つだったような…。

そのあと、高校に入って、キャンディーズの時代が来た。
ぼくはもうその頃はアイドルには興味がなかったが、キャンディーズの中で誰が一番好きか、という質問はよく出た。
ラン、スー、ミキという3人組。
会社に入ってから、本物のキャンディーズファンは誰が好きというものではなく、みんな好きなのだ、ということを聞いた。

そして、ピンクレディ。
キャンディーズよりも人気が出て、一躍トップになった。

そして、山口百恵。
この人はすごいと思った。
ロックンロールウィドウはびっくりした。

その後が松田聖子か。
彼女の歌は本物だと思う。

そこから先はわからない。
今はAKB48だろう。
このグループをアイドルと呼ぶかどうかはわからない。

一度アイドルの変遷を調べてみようかな…。

時代を表すアイコンがアイドルである。
その時代に売れたというのは、それなりの理由があったのだろう。
歌がよかったとか、容姿がきれいだとか。

もちろん、運もある。
運がなければ、アイドルにはなれない。

もともと、なろうとしてなれるものではないのだ。

その時代の雰囲気や状況を表すもの、その何かがあったのだろう。

なれる人はほんの一握りだが、なってしまえば、あまり面白いものではない。
アイドルの生活を想像するに、シンドイ生活だろうと思う。
睡眠時間は少ないし、覚えることは多いし…。

それでも、一度はなりたいのが、アイドル。

みなさん、どうですか?


| | 考えたこと | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
英語教育
日本の英語教育はうまくいっていないという。

少なくとも、その点ではみんなの意見は一致するようにみえる。

果たして日本人の英語の学習能力は低いのだろうか。

ぼくは能力は低くないと思う。
必要に迫られていないだけだ。

必要に迫られれば、今よりずっと悪い環境でも英語はできていた。
高度成長でアメリカに市場を求めて出て行った人たちは、今よりも環境は悪かったが、それでも何とかした。
ブロークンでも話をして、文書を読み、商売をした。

そのときに比べると、今はネイティブの英会話学校も増えたし、英語を聞く機会は飛躍的に増加した。
ケーブルテレビや衛星放送で、英語の字幕のドラマを いくらでも見ることができる。
ポッドキャストやデジタル機器で英会話番組をいくらでも無料でとることができる。
むかし、高いお金を出して「リンガフォン」などを買って勉強していたものが、簡単にできる。
環境は、はるかに整っている。

日本には1億以上の人口がある。

そこに市場が成り立つ。
一部の人はどうしても海外に出て行かなければならないが、残りの人は日本にとどまっていれた。
1億は世界全体の人口から見たら少ないが、GDPがある水準を超えて、豊かな1億だった。
そこに市場が成り立つ。
だから、輸出に関係ない人は、英語は関係なかった。
入ってきたものを買うだけ。
必要に迫られないのだ。

教育の問題ではない。
必要に迫られないからだ。
先生も、しんそこ必要だとは思っていない人がほとんどだろう。
英語など読めず、話せず、聞けなくても、生活には困らない。

しかし、これからは違う。
韓国や中国のGDPはそのうち日本を抜くだろう。
他のアジアの国々も購買力が増えていく。
日本を訪れる外国人も増えるし、そのときに必要なのは、英語だろう。
もちろん、韓国語や中国語も必要とされる。
しかし、現状のところ英語が共通語。
日本に住んでいて、英語ができると仕事の可能性が広がるということだ。

そして、今までは製造業が輸出をしているとい状況だったが、サービス業も出て行っている。
楽天の社内文書が英語になるという。
そこからしても、英語ができると有利だ。
必要性が高まっている。

やっと「必要」という環境が整ってきた。

だが、これから本当の英語教育が必要とされる。
必要性は生徒のほうには理解されている。

問題はそれを教える側に、どれだけその意識があるかだと思う。

本気で教えないと、どんどん海外の日本語を理解する人に置き換わっていく。
そんな状況が起こり始めている。

ことは緊急を要すると思う。



| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラウン管
Wikipediaによると、ドイツの物理学者であるブラウン博士が発明したのが「ブラウン管」。

ノーベル物理学賞ももらっている。

これは、本当にたくさん使われている。
世界中でどれくらいのブラウン管が製造されただろうか。
日本でもテレビだけで一家に一台以上ある。
国民の72%という普及率だから、尋常ではない。
世帯ではなく、国民の72%だ。
一億いたら、7200万台。

ブラウン管は真空管の一種でもあるので、当然中は真空である。
だから、割れたらすごいことになる。
一種の爆発と言っていい。

100年ほどかけて、ブラウン管は進歩してきた。
最初はモノクロだったが、カラー化され、いろんな技術がつぎ込まれた。
曲面のブラウン管が平面になったのが、トリニトロン管。

真空管で、底が平面というのはすごい技術だ。
これが最後のブラウン管になって、2007年に生産終了した。
薄型テレビが主流になったからだ。

また、一般的にはブラウン管には高い電圧がかかり、電子線も扱うことから、いろいろなノウハウや特許もあった。
電子線の漏れを防ぐために、鉛が使われているらしい。
部品には、今話題のレア・アースも使われている。

今の日本中のブラウン管はどうなるのだろうか。
リサイクルの手順は決まっているようだが、膨大な量のブラウン管はどうなるのだろうか。

本気でリサイクルについて考えなけれいけないだろうなあ。
それが儲けになるようなビジネスにならないと…。




| | 考えたこと | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ありがとう
最近、朝のドラマで広島が出てくる。
そのせいで、広島弁をよく聞く。

「ありがとう」という言葉のアクセント。

標準語だと、「アりがとう」というふうに「ア」に少しだけアクセントがある。
大阪弁は「ありがトウ」というふうに、後にくる。 (おおきに、というのが本来の言葉だが)
それに対して、広島弁は「アりガとう」というふうに「ア」と「ガ」にくる。

特徴があるアクセントだ。

ウチの実家は広島だが、ぼくは住んだことはない。
親父の田舎だ。
そこから毎冬祖母が来ていた。
その祖母の言葉で、広島弁を覚えた。

そのときの「ありがとう」というのは、まさに「アりガとう」というものだった。

最近、毎朝その広島弁を聞く。
「アりガとう」
懐かしいアクセントだ。

広島の言葉は、何となくのんびりしていて、聞いていて好ましい。

第二の故郷という感じは今でもある。
もうぼくの代で終わりだろう。
ウチの子供たちは、そんなことは知らない。

はなしはそれるが、日本の農業を建てなおさないと、地方の活力は出てこないと思う。
農業も、もの作りだ。
過度な保護を続けているから、工夫もできないのではないか。
農家は悪くない。
補助金付けにした政治と、それをいいことに使わせた農協が悪いのだと思う。
もう補助金で食わせていくだけの金もないし、思い切って何か手を打つべきだ。

なんだかわからない話になったが、「ありがとう」は懐かしい。



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