考えたこと2

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梅田ロフト
今日は梅田の茶屋町に行ってきた。
ここ十年ほどで、だいぶこのあたりは変わり、にぎやかになった。

ロフトで次男の買い物につきあったが、こんなに若い人がたくさんいるところに行ったのは久しぶりだ。
ハロウィンの格好をした女の子もいる。

ボディバッグというものがあるとは知らなかった。
要は、ウエストポーチと似たようなものだが、肩からかけるように作ってある。
気をつけて見ていると、けっこうそういうバッグを持っている若い人もいる。

なかなか合理的なスタイルだ。
両肩にかける取りり出しにくいが、片方だけなら、くるっと回して前に持ってきて中のものをとることができる。
ウエストポーチほどはじゃまにならない。

なるほど、と思ってぼくも買おうとしたが、「メタボには似合わない」と言われ、断念した。
メタボの人はショルダーバッグのほうがよいらしい。

しかし、梅田のロフトにはいろいろなものがある。
文房具もちょっと見たが、今度は一人でじっくり見にこないといけない。

さすが梅田のロフト。



| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
読書
最近、本が読めるようになった。
なぜかというと、数独の中級レベルが終わったからだ。

以前、会社に行っていた頃は電車の中が読書タイムだった。
たいがい、帰りの電車は寝るか本を読むかしていた。
しかし、クルマ通勤になって、それができなくなった。

そのうえ、2年前の10月に脳梗塞をやった。

後遺症はないというものの、自分には自覚症状がある。
計算は遅くなったし、言葉は出なくなったと思う。
それで、数独をやり始めた。
1〜9の数字を9セット入れる。
どの列も重複があってはいけない。
それを毎晩寝る前にやった。
ようやく、中級が終わり、もういいかな、という感覚になった。
子どもに数学は教えられなくなったが…。

たくさん読みたい本が本棚にある。
それを読んでいこうと思うのだが、今度は無性に眠い。
今はローレンツの「ヒト、イヌに会う」を読んでいるのだが、一日に何ページも進まない。

ローレンツは有名な動物学者。
イヌに関する知識は半端なものではない。
ずっと枕もとに置いてあったが、数独のせいで読めなかった。

イヌが死んでしまってから読むというのは、残念だ…。

2年ほどのブランクだったが、これからは読書して寝よう。




| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の土地
日本の土地が、中国に買われているらしい。

海外のお金が日本に入ってくるのはいいことだ。

そういえば、バブルのときに日本もアメリカの土地をたくさん買った。
アメリカの会社も買った。
ソニーピクチャーズとかはそのときの名残だろう。

エンパイアステートビルもあの頃日本の不動産会社が買ったのだが、あれはどうなったのだろう。

日本の土地が買われていることを、心配している人がいる。
当時、アメリカにもそういう心配をするアメリカ人がいる、という記事が出ていた。

もしも北海道の土地を半分以上中国の人が買い、そこに日本人が住めなくなったらどうなるだろう。
まあ、半分以上の土地が売られるということは、そんなに住む人はいないということだから、とりあえず買ってもらってよかったということだろう。
しかし、そこに住んでいる人は帰化しない限り、日本の選挙権はない。
ビザも要るだろう。

ということは、土地を買われても、それだけのことではないか。

仕方がない。
中国にはたくさんのお金がある。

飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

次の次の時代を待とう。

それが日本の番かどうかはわからないが…。



| | 考えたこと | 02:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
Googleの作戦
Googleという会社はほんとにすごい会社だ。

ググるという動詞にもなっているように、検索するということはグーグルで調べるという意味になってきた。

そのGoogleの次の作戦は、クラウドというやつ。
データーをネット上においておく、というのが第一歩。
ネット上においておくと、何がよいのか。
誰でも見ることができる、というメリットがある。
特に会社のデーターなどは、データーを作る時点で、みんなが入れることができるので、効率が上がる。

このブログも去年からグーグルDocsで書いている。
毎日Googleに入り、ドキュメントというサイトで、ワープロのように書く。
いつでも、どこでも、加筆、修正できる。
ぼく一人で使っているので、そんなに便利ではないが、これが何人かで執筆するという場合は大幅に便利になる。

同じように、表計算のソフトもある。
Googleスプレッドシートというやつだ。

こちらは、データーを共有するのにぴったり。
出先でデーターを入力して、ファイル共有すれば、ファックスなどいらない。
書き込んだというメールを送れば、そこからスプレッドシートにアクセスして、データーを評価することもできる。

インターネットの使い方がたんなる通信ではなくなってきた。

セキュリティはまだ問題があるが、とりあえずデーターの共有や検索はクラウドにすることで、すぐにできる。

そのツールをGoogleがタダで提供している。

スケジュールの共有のためには、Googleカレンダーを共有すればOK。
会議のメンバーで共有しておけば、場所が決まったら、メールをいっせいに出すことも簡単だ。
これが、Gmailにとどく。

これらが全部タダ。

いったいどうなっているんだろう。


| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
Fのブルース
こないだギターのレッスンに行って、Fのブルースをやった。
Fのブルースというのは、キーがFのブルースである。当たり前か。

コード進行が、F7 Bb7/Bdim F7 F7/F7-9 Bbmaj7 Bdim Fmaj7/Bbmaj7 Am7-5/D7-9 Gm7 C7-9 Am7/Ab7 Gm7/C7-9というもの。
本来のブルースのコード進行をジャズ風にしている。
12小節のセット。

最後の2小節がターンアラウンドと呼ばれる部分。
最初に戻るところで、転回する。

こういうのは楽しい。
そんなに複雑なメロディではない。
一小節に8部音符が8つ。
コードの音と経過音、スケールの特徴的な音をつないでソロを作る。

どうして音がつながっていくのか。
不思議だ。
何の変哲もない音が、コードの中では不思議な響きになる。
また、明らかにこんな音はオカシイと思うようなものも、ちゃんと聞こえる。

こういうのが、瞬時にできれば、プロになれる。

もちろん、それだけではダメなのだが…。

やっぱり先生はスゴイ。



| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ATOM
3次元のCGで作られたアトムの映画。

アトムが作られたストーリーを再現している。
アトムは天馬博士の息子、トビオが亡くなって、代わりに作られた。
しかし、博士はロボットは人間の代わりにはならないと知って、アトムを捨てていく。

これがアトムの誕生のお話。
手塚治虫らしい、葛藤のストーリーだ。

捨てられたアトムは、自分の存在の意義を探す。
人間型ロボットという、人間でもなく、ただのロボットでもない不思議な存在。

それが、色々な出来事を経て、人間とロボットの架け橋になるという居場所を見つける。

ここからのストーリーはテレビでおなじみだが、ここまでの部分はあまり知られていない。

なぜ、3次元のCGが必要だったのか、それは難しい。
2次元でも充分表現できたと思う。

それでも、3次元CGにして、手塚アニメとは違うものにしたかったのかもしれない。

この出来映えを、手塚は草場の陰でどう思っているだろうか。

自分が生きている時には、ここまでのCGができるとは思っていなかっただろう。
技術は進歩した。

しかし、大事なのはマインドだ。

ロボットとしてのアトムが、ロボットと人間のために戦うというところから、正義のために戦うというところまでいってほしかった。

マイケル・サンデルによると、正義が何かは難しい問題だが、やっぱりアトムは正義の味方でないといけないとぼくは思う。


| | 映画・舞台 | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
豚まん
今は「肉まん」というらしいが、ぼくらの若い頃は「豚まん」と言った。
もちろん、コンビニなどはなかったから、豚まん屋に行って買った。
中華料理屋が豚まんを売っていたのだ。

店によって、具の入り方や皮の厚さなどが違い、特徴があった。
皮が厚くて、具が少ししか入っていないものはダメ。
今のコンビニで売っているものは、ちょっと具が少ない。

今でもあるかどうかわからないが、甲南市場に豚まんを売っている店があった。
甲南市場というのは、2号線の本山駅の南の方にある商店街。
当時はめずらしくアーケードだった(と思う)。
一番奥(南側)にコープがあった。
あの頃は、「組合さん」と呼んでいた。

その市場の真ん中へんのところの店だったと思う。
最後に食べたのは、昭和60年代だった。
シナチクが入っていて、だいぶニンニクがきいていた。
皮が薄くて、具がたくさん入っていて、ちょっと具の油が皮の表面に出ている。
そんな豚まんだった。

からしを塗って、しょうゆをつけて食べる。
おいしかった。
一ついくらだったのだろう。

今でもあの店はあるのだろうか。

地震のあと、どうなったかわからない。

昭和は遠くなりにけり。





| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
飛ぶように毎日が過ぎていく
毎日、毎日、あっという間に過ぎていく。

もう今年も秒読み段階に入った。
10月が終わると、11月。
文化の日、勤労感謝の日があって、12月。
12月はバタバタと過ぎていく。
あっという間に今年も終わる。

以前は決算など関係なかったから、一年は1月から12月だったが、仕事を変わってから、年度の意識が強くなったので、4月から3月という感じになってきた。
役所に近づいたということか。

でも、年が変わると、また一つ歳をとる。

そんなふうに考えると、あっという間に歳をとっていく。

今まで何度も同じようなことを書いてきた。
数えていないが、ここ数年、本当に早くなったと思う。

なぜ時間がたつのが早くなるのか。

古くて新しい疑問だ。

定量的には変わらないが、定性的には時間が短くなる。
そういう意味では、時間は相対的だ。

元々は、時間などなかった。
母親の胎内にいるときは、時間も空間もない。
全知全能の神という状態であったのだと思う。
それが、生まれてきて、何にもできない赤ん坊になる。
その時点でも時間はない。
寝て、起きて、食べて、泣くだけ。
それからだんだんと時間を意識するようになる。

そして、物心がついて、そこからは時間に縛られる。
高校生くらいになると、時計を持って、自分の時間をすごし始める。

なぜ、時間が生まれたのか。
どこかに、人間に欲望があるから、時間が生まれたと書いてあった。
人間の欲望には限りがない。
何かをあきらめる代わりに、時間を発明して、先送りすることにしたのだ。

だから、動物には時間がない。
意識する必要がないというべきか。

ということは、時間が早くなるというのは、過去に積み残した欲望が増えていくということかもしれない。

こうなれたかもしれない、という自分が、どんどんそうでない自分になっていく。
人生とは、自分をあきらめるための時間、と言ってもいいのかもしれない。

積み残しが増えるほど、早くなるというリクツがあるなら、年を経て時間が早くなるということは説明できる。

ということは、後悔が少ない人は、人生が長いということになる。
たとえ、早く死んでも、長いということだ。、

うーん、生きるのは難しい。



| | 考えたこと | 21:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
Can we start over?
start overというのはやり直すという意味。
このoverがつく表現は難しい。

このoverはなんとなくぐるっと回ってはじめに戻るというイメージがある。
終わりのことをIt is overというのも、終わりというより、すごろくでいうとはじめに戻る、という感じではないか。
それが転じて、終わりという意味になるような気がする。

start over もぐるっと回って、はじめに戻るということだろう。
だから、やり直すということになる。

ドラマのせりふでは、たいがい終わりに言う。

答えはnoだったり、yesだったり、そのときによる。

しかし、このせりふが出るときは、たいがいハッピーエンド。

そうでなくてはいけない。

現実の世界は難しいが、ドラマの世界はハッピーエンドであるべきだ。

だからこそ、ドラマなのだ。

| | 考えたこと | 01:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
Jane Doe
身元不明の死体のことを、女性の場合はJane Doe、男性の場合はJohn Doeという。

なぜそんなことがわかったかというと、字幕のドラマで身元不明のところに、ジェーン・ドゥというふり仮名がふってあったからだ。

どうしてJaneなのかはわからない。
話している側も、わからないのだろう。

調べてみると、被告人は、女性はJane Roe, 男性の場合はRichard Roeというらしい。
なぜRichardなのか、なぜRoeなのか、これもわからない。

なぜそういうのか?と聞かれても、そういうから、そういうのだ、としか答えられない類の事なのだろう。

そういうから、そういうのだ、というのはトートロジー。

これをぼくは"total"から来ている言葉だと思っていた。
全体を表すtotalである。主語と述語が同じであり、これは全体を言っている、というような意味合い。
AはAである、というときには、Aは全てであるから、totalだろう。
ずっとそう思ってきたが、今日トートロジーを引いたら、"tautology"と出ており、どうもtotalとは別の言葉らしい。

変に意味をこじつけして、納得してしまっていた。

こういうのはめずらしい。

以前読んだ内田樹の本に、矛盾を無純と書く大学生の話が出ていた。
矛盾という言葉の意味は、相反する二つの事ととらえ、それは純粋ではないから、無純という言葉になる、という説明。
むじゅん、という言葉の意味から想像して、無純になるという。

なるほどなあ、と思っていたが、自分も同じような間違いをしていた。

トートロジーはトータルから来た言葉ではない。

Jane Doeから変な結論になってしまった…。




| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
スーパー堤防
ネーミングが面白い。スーパー堤防。

全く知らなかったが、これは普通の堤防よりも大きなもので、3万2千年に一度の大雨に耐えられるというものらしい。
これはすごい。

3万2先年前というと、石器時代である。
中国3千年の歴史というが、これは壮大な計画だ。
一桁違う。

したがって、作るのにも時間がかかり、今のペースで行くと淀川の場合は400年かかるらしい。
これもすごい。
日本人が400年も先のことを考えるような国民だったのか。

もちろん、お金もかかる。
だから事業仕分けで引っかかった。

それにしても、お役所仕事というのはここまですごいとは思わなかった。

何年か前に、バルセロナで何かの建物を建てており、その完成年度が何十年か先というので、たいしたものだ、という議論があった。
しかし、そんなものはたいしたことがない、というレベル。

何せ3万2千年に一度の大雨にそなえて、400年かけて堤防を作る、という事業である。
スケールが違う。

ただ、バルセロナの場合は、みんながそれを作っていることを知っており、生きている間に完成しないとしても、これが文化だと思っている。
日本の場合は、みんながそんなものを作っているとは知らず、生きている間に完成しようが、しよまいが、喜んでいるのは役所と請け負い業者だけ、という状況。

この差はとてつもなく大きい。

本気で作る気だったのだろうか。
石器時代から今までで一度の確率の大雨。
たしかに、そういう雨も降るときがある。
それが明日かもしれないし、3万年先かもわからない。

その対策が400年かけて作るスーパー堤防。

あまりのスケールの大きさに、驚くしかない。

本気だったとしたら、これはすごい。






| | 考えたこと | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
歳をとるから笑わなくなるのではない
今日はなかなか興味深い英語のことわざを教えてもらった。

You don't stop laughing because you grow old.
You grow old because you stop laughing.

歳をとるから笑わなくなるのではない。
笑わなくなるから歳をとるのだ。

なかなか言えていると思う。

心理学に認知行動療法というものがある。
これは、心に問題があるから、行動がおかしくなるということだから、行動を直せば、心も治る、という考え方。
行動と心はつながっている。
逆も真なり、というやつだ。
会社に行くのがいやだから、電車に乗れないという症状を、まず電車に一駅会社に向かって乗ってみよう、という療法。
それなりに説得力があるので、海外では主流らしい。

笑わなくなるから、歳をとる。
それはそうだと思う。
笑うということは、誰かと、何かと関わることからしか生まれない。
人やものに興味を持つことが必要だ。

そういうことが、心の若さを保つ。

歳をとるということは、人や事から関心がなくなることだろう。
それはだんだんと起こってくる。
知らぬ間にいろんなことに興味がなくなる。

ぼくは、もともといろんなものに興味がないから、得なのか損なのか…。

損得の問題ではないけれど…。


| | 考えたこと | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
「はりこむ」と「チキる」
こないだ、次男が冷蔵庫を開けたら、ハーゲンダッツのアイスクリームがあり、「おお」と驚いた。

それを見て、「今日はアイスはりこんだな」と言った。
次男には、この「はりこむ」がわからなかったらしい。
それはどういう意味か?と聞くから、金をかけたという意味だと答えた。

どうも、金をかけるという意味の「はりこむ」は死語らしい。
一度回りの友達に聞いてみろ、と言ったが、聞かなくてもわかるという。

次男が言うには、コンビニの前で、アイスを買う人を見張るというような事が出てくるだろうとのこと。

ま、それだけ確信を持って死語というのだから、もう使われないのだろう。

そういう話をしていると、そしたら「チキる」がわからないだろう、という。
これは、びびるという意味。

語源は何かと聞くと、英語で臆病なことをチキンということから来ている、という。

なるほど。「チキン」だから、「チキる」か。

言葉は生まれて、死んでいく。

そのサイクルがだんだん早くなっていくような気がする。


| | 考えたこと | 01:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
時々…
生きているのがシンドイことがある。
そういう時間がだんだんなくなっていくと、ぼけてしまうのかもしれない。
そういう意味では、シンドイのも必要だ。

一方で、生きているのがハッピーという時はあまりない。
ハッピーには、はっきりとした理由がある。
何かがあったときだ。
望みがかなったり、人から認められたり、誰かの役に立てたり…。
いいことには、それなりの理由がある。

シンドイにはあまりはっきりした理由はない。
あれも、これも…、と小さなことが重なって、あーシンドイ、となる。
つらいとか苦しいとか、そういうものなら、はっきりした理由があるだろう。
でも、シンドイには明確な理由はない。
それが「シンドイ」だ。

そういうときは、どうしたらいいか。

まず、寝る。
とにかく寝る。
ひたすら寝る。

そして、食べる。
とにかく食べる。
ひたすら食べる。

寝ると食べる、これを満たすと少しはマシになる。

その上で、面白い本を読む。

人によっては、運動することもよいだろう。

それから…

何かに熱中する。
ぼくの場合はギターを弾くことだ。

しかし、それすらする気にならないときがある。

そのときが難しい。


| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
Fitハイブリッド
Fitのハイブリッドが出た。

数日前、ホンダのディーラーに12ヶ月点検で行ったら、待ち時間に試乗させてくれた。

燃費がインサイトと一緒というのはなんでかと聞いたら、空力の差だという。
そんなに違うかなあ、とは思ったが、そうなのだろう。

インサイトと同じ、1.3リッターのエンジンで、真横にモーターがついている。
常にエンジンは動く。
IMA方式のハイブリッド。

乗ってみたら、やっぱりブレーキに違和感がある。
減速すると、すぐにエンジンブレーキがかかり、今までのオートマチックに慣れていると、どうもおかしい。
早めにエンジンブレーキをかけ、電気を回収するのだろう。
元々ハイブリッド用に設計したインサイトとは異なり、Fitに入れるときにバッテリーを小さくしたのかもしれない。
そのために、減速時に充電しなければいけないのか。

加速はなかなかのものだ。
モーターの力強さがある。

しかし、元々1.3リッターのエンジンで走っている車だから、それをハイブリッドにしても、もったいない。
できれば1リッターくらいのエンジンにしておいて、モーターをつける、ということができなかったのか。
予想以上にプリウスに大差をつけられて、困った末に出したのかもしれない。

本当はハイブリッド専用のエンジンをつけたかったのかもしれない。
それが間に合わなかったのか。

できれば、もう少し燃費を上げて、出してほしかった。
リッター35kmはほしい。

今回のハイブリッドは見送り。
次回に期待する。




| | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
形がないものに弱い
ウォークマンがIpodに負けて数年。

形のあるものでは、日本が強かった。
だから、ウォークマンはMDまで、ソニーが強かった。

しかし、そこから先はアップル。
ipodにぼろ負けした。

日本市場ではウォークマンがシェアを取り返したようだが、iphoneなども入れると、やっぱりアップルだろう。

ウォークマンの強みは、壊れないこと、音質、コンパクトさなど。
形のあるものには強い。
ネット上での仕組みを作ることで負けた。

なぜだろう。
ネットの時代になって、日本はぼろ負け状態だ。
今まで欧米にキャッチアップしてきたのに、ネットになって突然できなくなった。

品質では圧倒的にアップルは負けていると思う。
ウチには2台あるが、1台は潰れてウォークマンに代わってしまった。

しかし、itunesを含めた仕組みはソニーが追随できるものではなかった。
その時点でソフトの技術者が足りていなかったということはあるだろう。

その後ipodはipodタッチになって、アプリストアなどというものができ、どんどん拡大していった。
今やiphone、ipadという最強のトリオで世界を席巻している。
もはや日本企業は敵ではない。
敵はグーグルだろう。

何でソニーが負けたのか。

インターネットを甘く見たのかもしれない。
コンテンツ産業を傘下に入れたのが、裏目に出たともいえるだろう。

ソニーが負け始めると同時に、不況になった。

ソニーの前身の東京通信工業を興すときに、井深大氏が書いた趣意書がある。

「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由豁達にして愉快なる理想工場の建設」

この「愉快なる」というところが失われたのではないか。

愉快でなければ、新しいものは生まれてこない。

形のないものを作るときにはよけいにそうだと思う。
面白い、という言葉、それが復活のキーワードではないか。

ぼくらは小学校の頃、ソニーに力づけられた。
だから、ソニーには恩があると思っている。

がんばれ、ソニー。




| | 考えたこと | 02:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
I was underestimating you
君を見くびっていたという言葉。

"estimate"は見積もるという意味で、それに"under"がついて、下に見積もるという意味になる。
過小評価する、という辞書の意味。

ドラマの中で話している時は、たいがい、いい意味に使われる。

どちらかよく聞き取れないが、過去形だろう。
現在形では良い意味にはならない。

そうなると、おそらく"overestimate"というのは、買いかぶるという意味になる。
これも、過去形で"I was overestimating you"というと、口ほどにもないヤツ、というような意味になる。

こういう言葉は、訳が難しい。

同じ、underestimateでも、場面によって、君を見くびっていたよ(ありがとう)という意味になったり、なかなかやるな(感心)となったりする。

こういう言葉を使えるようになると、英語自体を楽しめるようになるのだろう。
そういう言葉の使い方はなかなか教えることができない。

言葉は難しい。


| | 英語 | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワケがわからない
長いこと生きていると、いろんなことがある。

同じ会議に出ていた人間が、あることを聞いていたり、聞いていなかったりする。
同じ時間を共有して会議をしても、それが伝わったり伝わらなかったりする。
驚くのを通り越して、面白くなって笑ってしまった。

普通そういうことがあると、国交断絶してしまう。
信用できないということで、 もう二度と一緒には働けないと思うのが当然。

しかし、それでも、表面上は仲良くできるというのが、あきれる。

どういう心理かわからないが、そういう人たちが一握り世の中には存在する。
一握りと書いたが、もっと多いかもしれない。
ぼくが知っている限りは一握りだが…。
それが当たり前という世界もあるのかもしれない。

前に根回しという言葉が嫌いと書いた。
根回しなどせず、是々非々でそのとき決めればよい。
根回ししないことで時間がかかるのなら、時間をかければよい。
卑怯なのは根回ししていないから、といって反対することだ。

大概のことは一握りの人しか知らない。
そういうものだ。
その他の人は、それら一握りの人たちを信用できるかどうか、そこを判断する。
もちろん、決められる人は決めればよい。
でも、物事が複雑になっていけばいくほど、そう簡単に決められない。
その人が信用できるかどうか、その一点にかかってくる。

そこが崩れている組織は組織ではない。
これを称して烏合の衆という。

またその組織といえない組織に権限がある。

これは非常に危うい状況だ。

そんな組織もある。

あってはならないと思うのだが…。




| | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
掛け算、割り算の効用
算数は何の役に立つのだろうか。

第一義には、計算をするということが、日常生活で不可欠だから…ということになるのだろう。

だから、そういう程度には教えているのだと思う。
ぼくらの頃は、足し算、引き算、掛け算、割り算は日常的に使っていた。

しかし、掛け算、割り算は日常生活を送る上では、使わずにすむ場面が増えた。

昔は何割引というときに掛け算を使った。

正札の3割引と書いてあると、値段は正札の0.7倍だ。

逆に赤札で全品3割引と書いてあると、実際の値段はいくらかな、というときに割り算を使う。
赤札で700円と書いてあって、3割引なら正札は1000円だ。

ところが、今は3割引と書いてあっても、もう一度3割引の値札をつけているところが増えた。
黒い値札と、赤い割引後の値札がついているのだ。

考えるに、これは3割引がいくらかわからない人が増えたからではないか。
お店の人がどうしてそんなことをするのか、わからない。
手間がかかるだけだ。
しかし、儲かる、儲からないがそこにかかっているのなら、もう一度値札を赤い字で貼るのが経済原理。

あるいは、レジを打つ人が、3割引をわからないということもあるかもしれない。
アルバイトを使っているなら、そういうことも起こりえる。
電卓があれば、すぐにできるではないか、という人もいるかもしれないが、それは理屈がわかっていて、計算が面倒くさい場合のハナシ。
理屈がわかっていないと、電卓は使えない。

事実、分数ができない大学生という本がだいぶ前に話題になった。
国立大の経済学部の学生が、分数の計算ができないという。
その後、それが改善されたというハナシも聞かない。
どうなっているのだろうか。

分数ができないということは、割合や比率がわからないということに近い。

むかし、アメリカ人は引き算の暗算ができない、ということを聞いた。
おつりの計算ができないという。
元の値段に足していって、おつりを払う。
むかしのテレビドラマで、790円のものを買ったときに、800、900、1000という手渡しをやっているような場面をよく見た。

今はスーパーやコンビニではレジが計算してくれる。
商品についたバーコードを読めば、それでOK。
人間は考えることが要らない。
だから、少ないレジで、たくさんの買い物客を通すことが可能になったし、計算ができない人でもレジが打てる。

むかしは、レジというのは、ベテランの社員がやっていたが、今は学生バイトでOK。
勝手におつりがチャランと出てくるレジもある。

こうやって、掛け算、割り算が不要になってくると、小学校の先生も教える気合が減るのだろう。

今や分数ができないどころではない。
パーセントの計算ができないまま、大学を卒業する人さえいる。
中学校や高等学校でどうやって過ごしてきたのだろうか。

彼らが悪いわけではない。
大人が悪いのだ。

これを時代が進んだから、くだらない計算から開放されたと見るか、人間が馬鹿になったと見るか…。

ことは単なる計算の問題ではないと思う。

国の一大事だと見るべきだと思うのだが…。





| | 考えたこと | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
長引く風邪
風邪がなかなか治らない。
だいぶよくなったのだが、鼻水が出てすっきりしない日が3日ほど続く。

のどはようやく良くなった。
こういうちょっとした病気が長引くというのが、年をとった証拠だろう。

ぼくはもともと風邪には強かった。
風邪をひいても、熱が出ることがほとんどなかった。
それが、数年前からは熱が出るようになった。
やっぱり弱ってきたのだろう。
それに加えて、のどと鼻も長引くようになった。

こんな風にして、ちょっとした事で年を感じる。

この土日は寝ていたので、月曜日は本屋をうろついた。

そういえば、昨日のかくれた名曲、水の影。
あれは元々失恋の歌だが、一方で過ぎ去る時を惜しむ歌でもある。
ユーミンが発表したのが1999年だから、ちょうど45歳。
レコーディングしたときはまだ失恋の歌だったかもしれない。

でも、この曲に光を当てたNHKの世界遺産の番組が始まったのが2007年だから、53歳。

そうか…。

ユーミンも年を感じて、この曲の意味合いが変わってきたのかもしれない。

過ぎ去った時を惜しむ、そんな時間を持つようになったのだろう。

そう思って歌詞を見ると、

 時は川 昨日は岸辺
 人はみな ゴンドラに乗り
 いつか 離れて
 想い出に手をふるの

やっぱりこのフレーズはジンと来るものがある。

人はみなゴンドラにのり、昨日という岸辺を離れていく。

そして想い出にしないといけないものがある。

50歳を過ぎると、そういう年になる。

ユーミンもそうだったのかもしれない。



| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
かくれた名曲
先日、WOWWOWでやっていた、ユーミンのツアー2009の再放送を録画した。

航海日誌から始まるこのツアーのテーマはトランジット。
飛行機のトランジットとは、給油などで立ち寄った空港で一時待つことだ。
航海日誌とともに船出したライブで、いろいろなところにトランジットして、ターミナル(最終目的地)に送り届けるというような構成。

テーマにあったいろんな曲が流れる。
セットも凝っていた。
アンプラグドでの「海を見ていた午後」もなかなかよかった。

最後のほうは歌って踊って、すごい運動量。
それでも、ユーミンは健在だ。
息も切れない。

「埠頭をわたる風」、「デスティニー」とアンコールに応えて歌う。

そして、かくれた名曲、「水の影」。

シンプルなメロディー 、別れの歌詞。
1999年のアルバム、「時のないホテル」のラストの曲。
ぼくはLPを持っている。
それでも、忘れていた。

NHKが世界遺産のテーマに使ったらしい。
それで、かくれた名曲がよみがえった。

 時は川 昨日は岸辺
 人はみな ゴンドラに乗り
 いつか離れて
 想い出に手をふるの

この歌詞とメロディーは、ユーミンの独壇場。

最後はストリングスのリフレイン。

やっぱりユーミンは、ユーミンだ。

彼女と同世代に生きてよかったと思う。

| | 考えたこと | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
体育の日
10月10日というと、体育の日。
1964年にオリンピックが開幕したのがこの日。

バレーボールは東洋の魔女といわれ、体操や重量挙げも強かった。
何せ金メダルを16個も取ったのだ。
今では考えられない。
ほかの国が強くなったからだろう。

しかし、このオリンピックで印象に残っているのは、実は棒高跳び。
日本人は関係なかったが、金メダルを争って、9時間も戦った。

どういうわけかわからないが、その時ぼくは偶然テレビを見ていた。
外人2人。今調べてみると、アメリカのハンセンとドイツのラインハルトという選手。
東京オリンピックから、ポールがグラスファイバーになって、予想以上に高い記録が出たため、これほど長くなったらしい。

とにかく、テレビを見たときには二人しか残っていなかった。

息詰まる戦い。
バーの高さが少しずつ上がっていく。
片方が飛ぶと、もう片方もクリアーする。

あれが、小学校2年にして、生まれて初めての手に汗握るという体験。
一人2回飛べるというのがすばらしい規則。
自分が1回落として、相手が飛ぶと、サドンデスの状態になる。
追い詰められて、自分の精神力との勝負。

子供心に、国の威信をかけて飛んでいる、というのがわかった。
今と違って、アナウンサーもさほど話さない。
淡々と試合は進む。

最後はハンセンが勝って、アメリカが金メダルだったらしい。

お互いにお互いをたたえる、という気持ちを感じた。

よく、どちらにも勝たせたいというセリフがあるが、そういう感覚を初めて知ったのはあの時だろう。

日本が絡んでいないので、あまりマスコミに取り上げられることはないが、隠れた名勝負だった、



| | 考えたこと | 18:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
クロスカップリング
ノーベル化学賞を日本人の2人の科学者が取った。

クロスカップリングという技術。

液晶や血圧降下剤を作るのに役立っているという。
北大の鈴木さんのインタビューが写されていたが、ブラウン先生という恩師のことを話していた。
2004年に亡くなったらしいが、その先生に報告できないことが残念と言っていた。

資源のない国、日本では若い人たちに理科系でがんばってほしい、というメッセージがあった。
若い人の数が減っていて、これから大変だが、サイエンスやテクノロジーの分野で興味を持ってほしい、とも言っていた。

有機化合物の合成の技術。

それまでは見つかっていなかった、触媒を見つけたということだ。
パラジウムPdというもの。

すごい価値がある発見。
化学だから、実生活に役に立つものである。

幸運が招いた発見だと言っていたが、そういうビジョンがあってこそだと思う。
ご本人は、たくさんの学生や共同研究者のおかげ、と言っていた。

こういうコメントは日本人らしくて、好ましい。

小学校のとき、先生が触媒というものについて、話していた。
自分は変化しないが、まわりを変化させる働きがあるということだ。
へー、すごいなあ、という声がでた。

あの時、言っていたのが、今回のノーベル賞かもしれないなあ。


| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
生きると死ぬ
以前、「生きる」という言葉と「死ぬ」という言葉は反対語だが、「生きいそぐ」と「死にいそぐ」は同じような意味だと書いた。

それと同じで、「生き甲斐」と「死に甲斐」という言葉も 同じような意味になる。

生き甲斐とは、「生きるに値するもの」であり、死に甲斐は(言葉は存在しないが、あるとすれば)「死ぬに値するもの」となる。
どちらも、大変価値があるもの、ということになる。
どちらかというと、死に甲斐の方がより価値が高いような感じだが…。

結局、「生きる」と「死ぬ」とは同じ意味なのかもしれない。
お互いに、相手がなければ成り立たないものだからだ。
生きるという言葉は、いつか死ぬからこそ存在するわけだし、死ぬという言葉も、生きるという状態があるからこそ存在する。
だから、「生き〜」を「死に〜」にしても同じ意味になるのだ。

ぼくの好きな哲学者、故池田晶子は「死は存在しない」といった。
死が何かはわからないからだ。
この世の人は、だれも死んだことがない。
死んだことがある人は誰もいない。
だから、死は存在しない、といって亡くなった。
死ぬ間際まで仕事をしていたらしい。
いつ頃自分の死期を悟ったのか、それはわからない。

ぼくは凡人なので、死は存在しないとまでは言えない。
自分の死は存在すると思うからだ。
ただ、その存在を認識する「ぼく」はもうその時はいない。

しかし、死後の世界を考えるのは、ナンセンスだと思う。
もしもそれが、この世とオーバーラップしているとすると、これだけ長い間人類が生きてきて、誰も見ていないというのはオカシイ。
向こうから見えて、こちらからは見えないというような事は考えない。
そんなことはあり得ない。
だから、そんな世界はないととりあえず思っておく。
こういう態度を科学的というのか、それとも単なる迷いというのか、わからない。

池田さんに言わせると、それは考えているのではなく、ただ迷っているだけという事になるのだろう。

ちゃんと考えれば、自分の死というものは存在しないし、だから、死そのものも存在しないということになる(ハズだ)。

でも、その境地に行くのはまだムリだ。

自分の死はあると思うし、それは今のところ先だが、存在していると思ってしまう。

ここが難しい。

これを乗り越えないといけないのだが…。





| | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
CDレンタル
先日、半額のクーポンが来たということで、次男と一緒にTUTAYAに行った。

CD1枚が120円で借りられる。
半額という言葉につられて、6枚も借りてしまった。

このごろは新しい曲をあまり聞かない。
昔の曲が多い。
そんなわけで、昔の曲のカバーアルバムを主体に借りた。
Essential lifeというシリーズもののアルバム。
全部カバー曲ばかり。
ちょっとけだるい女性ボーカルで、聞き覚えのある曲をやっている。
こういうのが、一番よい。

それと、Canaryというボサノバのシリーズもの。
こちらは、洋楽のカバーだ。
懐かしい曲が、こちらもけだるい女性ボーカルで歌われる。

あと1枚、ジプシーキングスを借りた。
これは鬼平犯科帳の後テーマになっている、Inspirationというインストものが入っているベスト盤。

このジプシーたちのバンドはフランス生まれ。
スペイン語で歌っているのだろうか。
フラメンコ風のガットギターのリズムギターと、ナイロン弦らしい丸い響きのリードギター、しぼるような声…、なんとも哀愁がある。

しかし、その日に返すという借り方なら、1枚120円。
新品のCD1枚がだいたい2400円くらいだから、20枚借りられる。

どないなっとんねんという感じ。

こんな状況なら、音楽も使い捨てになるはずだ。
ipod世代の人たちは、買うCDと借りるCDはどう区別しているのだろう。

1曲いくら、というitunesの利用者たちにとっては、文字通り音楽はデーターだ。

その分、デビューの敷居が低くなった。
誰もが音楽をやり、自分の音楽を発表できる。

でも、ぼくらの世代には、どうもありがたみがない。
音楽はあがめるもの、ありがたいものだった。

LPレコードを買ってきて、ジャケットを眺めながらレコード盤を取り出し、ターンテーブルの上にうやうやしく置いて、針を落とすときの緊張感。

あの感覚がなくなった。

これでいいのか、という気に時々なる。


| | 考えたこと | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
6年目
ギターを習い始めたのが2005年の夏だから、もう丸五年が経つ。
先日月謝を払って「あ、もう押すとこない」とマネージャーに言われて気がついた。
1年分が1枚のカードになっている。
「ああ、もう6年目ですわ」
かなり古株になったと思う。

月に2回先生と会う。

最初は曲を決めてやっていたが、次第にぼくが音源を持っていったりした。
最近はその時に思いついたテーマでやってくれる。

昨日はブルースの進行の変形。
スケールコードに含まれない、Xmaj7はリディアンスケールを使う、ということ。
ほとんど意味不明だが、そうなのだ。

リディアンスケールというのは、ファから始まるスケール。
ファソラシドレミというスケールであり、全全全半全全半という関係。
全は全音(半音二つ)で半は半音。
そういう並び方のスケール。

この話は先生に何度も聞いた。
何度聞いても、理解はできても、わからなかった。
ところが、理解はできても、わからない、という感覚が最近ちょっと変わった。
ちょっとわかる状態になったのだ。
わかる、というのは腑に落ちると言い換えてもよい。


腑に落ちる、というのはどういうことか。
ただ理解するということではなく、それが実際に使えるということかな…。

何度も聞いて、何度も弾いてみて、そして腑に落ちるというステップ。


物覚えが悪い生徒だが、ようやくわかってきた…、と思う今日この頃。


丸五年は長かった。



| | 考えたこと | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
レア・アース
中国の禁輸措置でレア・アースが不足するのではないか、と言われている。
埋蔵量は全体の30%程度だが、値段が安く、世界的にシェアが高いらしい。

レア・アースとは、希土類元素のことで、周期表の3番にあたる。
Sc(スカンジウム)やY(イットリウム)が自然界に存在するものらしく、その酸化物がレア・アースと言われるもの。

レアとはいうものの、実際には地殻にかなり存在する。
エレクトロニクス製品の性能向上に役立つもの、ということだ。

ハイブリッド車の製造には不可欠らしい。
強力な磁石を作るのに必要で、モーター部分に使われるようだ。

しかし、今回の中国の騒ぎで、レア・アースの調達先を変えるとか、代替え材料の研究とか、そういうものが脚光を浴びている。

皮肉なもので、禁輸すると、そういうインセンティブが働く。

あわてて中国側は輸出を再開したようだが…。

しかし、こういう事になると、中国はこわい。
何でもあり、という感じ。
安いからといって、何でもかんでも中国に依存していると、エラい目にあう。

今までは日本から輸出するものがあった。
もちろん、それは今でもあるのだが、中国で作れるものも増えた。
ユニクロは、中国からある日突然撤退を言い渡されたらどうするのだろう。

普通はそんなリスクはカウントしない。
それが市場経済、グローバル化のルールだ。
もちろん、戦争状態になれば別。カントリーリスクというやつがあるが…。

でも、中国については、まだまだそういうカウントが必要な気がする。
そういうプレイヤーだからこそ、通常以上に貿易を通じて弱みを握る必要があるし、もしも…、というケースを想定しておくことが必要なのだと思う。

個人レベルではそれほど思わないが、人は寄り集まると変わるからなあ。
それが民族特性というやつだろう。


| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
言葉狩り
最近のアメリカのドラマで、スチュワーデスという言葉を使っていた。

そこで、「言葉狩りがなかった、古きよき時代」というせりふを言っていた。
以前書いた、ポリティカリー・コレクトというやつだ。

今は客室乗務員という言い換えになる。
英語では、キャビン・アテンダントだろう。

性別で職業を決めてはいけない、という政治の流れ。

日本でも看護婦が看護師、保母が保育士になった。

これがうるさく言われる前の、古きよき時代。

アメリカ人もポリティカリー・コレクトが言葉狩りだと思っているということだ。

よい意味で、女性は女性らしく、男性は男性らしく、という時代。
偏見で言っているわけではない。
ただ、そういう時代だった。
1960年代。

今の若い人にとっては、ビジネスマンがビジネスパーソンとなり、チェアマンがチェアパーソン。
言い換え以前の言葉を知らない人が多くなれば、もう死語になる。

計算してみるともう50年前になる。

英語では順番が逆になるが、「Good old days」だ。

ほんとなら、良き古き時代なのだが、日本語では「古き良き時代」。

Word hunting は続く。


| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
Sleep like a log.
ビートルズのA hard days nightという名曲がある。
その中に出てくるフレーズ。

Sleep like a log.

疲れて、死んだように眠るということを、英語では丸太のように眠るという表現をする。

今日はよく寝た。
久しぶりに、死んだように寝た。

40歳を超えて、50歳も過ぎて、もう無理がきかない年代になった。
このところ、毎日11時だったが、そういう生活をすると、むかしほど眠れない。
どうしても、遅く帰ったら、遅く眠る。
以前はすぐに眠ることができたが、そういうわけにはいかない。


バブルというと30代半ばから後半。
あの頃は、むちゃくちゃしていた。
毎日終電を過ぎて、タクシーで帰っていた。

仕事があった。

でも、そのときはぼくにつき合って当時の部長も遅くまで残ってくれていた。
あのころ、部長の年はいくつくらいだったのだろう。

当時、自分のことしか考えていなかったと思う。
会社のためとか、技術のためとか、言い訳はあったが、結局自分がやりたかったのだ。

実際にやる必要はあったと思う。
仕事はあったのだから。

それでも、やりすぎた。
ぼくはよかったが、上司には悪いことをしたと思う。

今でもぼくは感謝している。

| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
つかみ
朝のドラマのネタが多くて恐縮だが、今は東京と大阪が半年ごとに交代で制作している。

ゲゲゲの女房は東京制作だったので、今回のてっぱんは大阪の番。

1週目から、ヒロインがトランペットを海に投げ込むおばあさんを見て、2回も海に飛び込む。
それが、本人が聞かされていなかった、生みの母親のお母さんだった…、という展開。

まあ、いきなりこんな事あらへんわなあ…というスジだ。

それでも、さすが大阪制作。
ちゃんと「つかみ」をやっている。

「つかみ」というのは、漫才などで舞台に上がり、最初に笑いをとることだ。
お客さんをつかむ、ということから「つかみ」という。
大阪人は、じわじわとクライマックスにいくというドラマ作りができない。
最初がつまらないと、見てくれないという恐怖感があり、それに勝てないのだ。

最近の大阪制作のドラマは、ウェルかめ、だんだん、ちりとてちん、芋たこなんきん、風のハルカというようなラインナップ。
全てが最初につかみがあるか、というと忘れてしまったが、大阪人にはそういう感覚がある。
じわじわといって、それでだんだんと視聴率が上がり、クライマックスを迎えるというような展開ではないと思う。
ウェルかめ、だんだん、ちりとてちんというのは、どちらかというと最後は尻すぼみという印象。
ちりとてちんは落語の話だが、突然終わった感じだった。

ゲゲゲの女房は、良くできたドラマだった。
ヒロインの少女時代から、40代くらいまで。
各々の場面に山があるが、いわゆる「つかみ」というのはなかった。
それでいて、視聴率が高い。

そこに東京人と大阪人の違いが表れている。

てっぱんの始まりは唐突だが、面白い。
まあ、許したろか…、という感じ。

江戸落語は粋という感覚を尊び、とにかく笑わせるという事ではなく、感心させるというような味わいもある。
上方落語はとにかく笑いを取ろうという感覚。
お客さんがしっかり聞いていても、笑いがないとこわくなるのだ。

だから、プレゼンでも関西人がやると、小ネタを入れて笑いを取ろうとする。
これがよくスベる。
真面目にプレゼンしているのだから、聴衆は真面目に聞いている。
そんなところに突然笑いのネタを入れても笑えない。
こころの準備ができていないと、笑えないのだ。
ほとんど、大阪人にとっては脅迫的になっている。
それほど、笑いを取るということに執着する。

特に今回はゲゲゲの女房の後だけに、つかみにいったのだろう。
その前のウェルかめは、かなり悪かったらしいから、よけいだ。

大阪制作らしいドラマ、てっぱん、楽しみだ。

| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
電気自動車
先日車で43号線を走っていると、前をアイミーブが走っていた。
三菱の軽乗用車サイズの電気自動車だ。

走っている最中なので、音はわからないが、普通に走っていた。
モーターだけで走る。
三菱というと、重工もあるし、モーターも三菱製なのだろう…、と思ったら明電舎だった。

しかし、後ろを走っていると違和感がある。
ブレーキランプがなかなかつかないのだ。
回生ブレーキを使っているときは、ランプがつかないのだろう。
当然、減速のエネルギーを充電に使うために、普通のブレーキはなかなか使わない。
本当に止まるときだけ使うようになっているのか。

そのために、減速しているのが後ろの車にわからない。

昔、マニュアル車が多かったときには、エンジンブレーキを使い、減速することが多かったが、今はATになってめっきり減った。
エンジンブレーキの頃はブレーキランプが遅かったのかもしれない。
みんなマニュアル車だったから、違和感がなかったのか…。

しかし、知らぬ間に車間距離が詰まっていく。
あれはちょっと具合悪いと思う。

航続距離を上げるため、仕方ないのかもしれないが、事故を考えるとLEDを半分だけつけるとか、考えてほしい。
真ん中のハイマウントストップライトだけつけてもよい。

とにかく、減速しているということを後続車に知らせることが必要だ。

ハイブリッド車はどうなっているのだろうか…。
あまり違和感はない。

これは早めに対策したほうがいいと思う。





| | 考えたこと | 01:20 | comments(2) | trackbacks(0) |
It is Greek to me.
英語で「チンプンカンプンだ」という意味。

ギリシア語は難しい、ということからきているのだろう。

ギリシア語というと、アルファベットも特殊だ。
アルファ、ベータ、ガンマ…、というやつ。
当然、あまり日本ではプラスアルファという言葉くらいしか、なじみがない。

しかし、数をあらわす言葉はまだ身近だ。
化学ではよく使う。

モノマーとか、ジメチル酸とか、トリニトロトルエンとか…、これは1のモノ、2のジ、3のトリという数を表す言葉が使われている。

4のテトラは、埋め立てに使うテトラポッド。
5のペンタは、ギター弾きにはおなじみのペンタトニック(ドレミソラ)という5つの音。アメリカのペンタゴン(五角形)もある。
6のヘキサは、テレビ番組のヘキサゴン(六角形)。なぜ、あの番組がヘキサゴンというかは知らないが…。
7のヘプタは聞いたことがないなあ。七角形というのが書きにくいからかもしれない。
8のオクタはたこのオクトパス(足が8本)。ハイオクのオクもオクタンという化学式。
9のノナも聞かない。
10のデカは、…これも聞かないなあ。デカメロンなど、そんな感じがするが…。

メガとかギガというのもギリシア語。

そういえば、数学でも使われている。

シグマとか、シーターとか、デルタとか、知っていると役に立つかもしれない。

意外なところで使われているギリシア語。

国は潰れかけているが、言葉は健在だ。


| | 考えたこと | 01:30 | comments(0) | trackbacks(0) |