考えたこと2

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エライお医者さん
エライお医者さんを発見した。
今回のコロナの件で、あまりにも医者の人たちのレベルの低さに驚いたが、この人はエライ。
世の中には本当にエラい人がいるものだ。

萬田緑平という癌患者専門の在宅緩和ケア医師。

この人が書いている「新型コロナウイルスに対する私見 part 11 6/24投稿」。

今日はこのリンクを紹介して終わる。

リンクを読んでほしい。




| | 考えたこと | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
エアライン業界
エアラインや観光の業界はコロナウィルスの影響で大不況だ。
ルフトハンザが国の支援を受けたり、ANAやJALが来年度の採用をストップしたりしている。
観光も、この状況では今年中の回復は難しいと思う。
ワクチンや特効薬でもできないと、人々にマスコミや専門家が植え付けた恐怖心はなくならないだろう。
日本は幸い感染症の規模はインフルエンザ以下で大したことはなかったのだが、それでもこんな状況。

欧米は状況はもっとひどく、死者が日本よりも2桁多い。
だから、エアラインや観光業以外も大きな打撃だろう。
早く回復するのを祈るのみだ。

エアライン、観光、ホテルなどは学生が憧れる業界でもある。
特にCA(キャビン・アテンダント)は一部の女子の憧れの職業でもある。
CAの専門学校もあり、そこにダブルスクールで通っている人までいる。
たいがいはANAやJALの元CAや、元社員が先生をやっていたりする。

今年は早々にANAが採用中止、ちょっと遅れてJALが採用中止を宣言した。
エアライン関係の学校に行っていた学生などは、ショックだったろうと思う。
ANA、JALが採用を中止しても、まだ通っている学生もいる。

しかし、大方の学生はエアラインの業界を(いったん)諦めて、他の業界に振り替えている。
そういう学生と面談すると、やはりモチベーションが上がらないという。
それはそうだろう。
大学に入る前からCAになりたい、という夢をもって、大学に入ってもダブルスクールでやっていたのだ。
そう簡単に諦めきれない。

彼女らは、まだANAやJALを受けて落ちたのなら諦めもつく、という。
ぶっちゃけた話、たいがい落ちるのだ。
憧れている人数が多く、なれる人が少ないのだから、当たり前。
ANA系列のエアラインスクールでは、ANAの1次面接が免除されたりする。
ANAにとっては、いいサイドビジネスだろう。

調べてみると、たくさんの専門学校がエアライン学科を設けていたりするので、CAになりたい人が本当にたくさんいることがわかる。
それだけの需要があるのだ。
夢を売る商売と言ってしまえばそれまでだが…。

実際、CAの離職率は高く、しんどい仕事であることがわかる。
それだけの苦労をしてなっても、やめる人が多いのだ。
とにかく体力が必要だし、女社会でやっていくことも必要。
なおかつ、保安要員なので、ニコニコしているだけではダメということもある。
そういう人たちが、CAスクールの先生になるのかもしれない。

このコロナウィルスの影響で、インターネットを使ったテレビ会議なども爆発的に普及した。
もしウィルスの問題が解決しても、確実に国内、海外の出張は減るだろう。
観光は元に戻るだろうが、旅客量やホテルの宿泊数は元には戻らないと思う。

これまでは、ネットの影響は中間業者を飛ばして、直接事業者と顧客がつながる「中抜き」だったが、この状況がもっと広がって、人の「移動」自体がなくなる、ということだ。
人と人が会うのに、「移動」がいらない、というのは大きな革命だろう。

エアラインスクールも淘汰の時代だろう。

交通インフラの業界はどうなっていくんだろうか。


| | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
枯れた技術
古河電工と古河電池がバイポーラ型蓄電池の開発に成功したらしい。
バイポーラとは一つの電極基板の表と裏にプラスとマイナスの電極を持つ、という構造。
実用化が難しいと言われていたが、鉛蓄電池でそれを実現したとのこと。
リチウムイオン電池よりも低コストで、安全性に優れる蓄電池ということだ。

これによって、発電所の電力を蓄えておくことができるので、夏の昼間の電力の総需要が増える時に夜間に蓄えた電力を供給できる。
なんとリチウムイオン電池の半分のコストということだ。
鉛蓄電池だから、リサイクルも可能だし、安全性も高い。

また、再生可能エネルギー(再エネ)は太陽光や風力といった変動性の高い電力なので、蓄電の技術がセットになる。
この電池を使えば、メガワット級の蓄電システムも可能だとのこと。

枯れた技術、という言葉がある。
鉛蓄電池というと、まさに枯れた技術。
リチウムという希少金属を使わなくても、新しい技術と組み合わせて、枯れた技術がまだまだ使える。

リチウムイオン電池は、大規模になると離しておかないといけなかったり、排熱対策が必要だったりする。
エネルギー密度が高すぎるからだ。
それが要らなくなるために、面積あたりのエネルギー量が上がるとか、コストが安いというメリットもある。

新しいものがいいとは限らない。
まだまだ使える枯れた技術もある。

それを活かすための技術も開発して、ハイブリッドな製品を作ることもできる。

どんどんそういう技術を開発してほしい。



| | 考えたこと | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
宮口精二
いかにも文学者という感じ。
何となく太宰治を彷彿とさせる。
芥川龍之介もこんな感じだったのかもしれない。
和服の似合うおじさんだ。

「男はつらいよ」の第13作「寅次郎恋やつれ」に出てくる。
吉永小百合の小説家の父親役。
台詞は少ないが、この作品は宮口精二で見せる。

ぼくにとっては、この作品以外で見たことはあまりない。
1974年の作品。
一度見たら忘れられない存在感の役だ。

出演した映画は山ほどあった。
ただ、彼が出ていた頃(主に1960年代)の邦画は、ぼくはほとんど見なかった。
淀川長治の日曜洋画劇場ばかり見ていた。

黒澤明の「七人の侍」にも出ていたらしい。

彼が柴又のとらやに、娘の歌子(吉永小百合)を迎えに来るシーンは、数ある「男はつらいよ」の中でも名シーンだろう。
ずっと喧嘩状態だった父娘が和解する場面。
「何も君が謝ることではない。謝るのは多分私の方だろう」と、訥々と話す。
とらやのみんなが涙する。

昭和の名優だろう。
1985年に72歳で亡くなった。

この映画は何度見てもいいと思う。



| | 考えたこと | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
70歳を超えても働く
少し古いが、去年の秋の郵送世論調査によると、70歳以上まで働くつもりだと答えた人が60歳代の54%だったとのこと。
18年秋の調査に比べて9ポイント増えたということだ。

やっぱり、「人生100年時代」というのが効いているらしい。
同じ調査で、何歳まで働くつもりかという質問には、75歳以上が全体の16%、70〜74歳は21%だった。
逆に60歳代という回答は減ったらしい。
全体の平均を出すと、67.5歳という結果。
まあそうだろう。

前にも書いたが、人はいつ死ぬかわからない。
それが不安の元だ。
長く生きるリスクを考えると、できるだけ働いておこうということになる。
回りの人に迷惑をかけないためには、自分で自分の生活を支弁する必要がある。
それが最も大きい理由だろうと思う。

若い人だけでなく、高齢者もすでに年金のことが心配なのだ。
健康でいれば、そんなにお金はかからないが、病気になるとお金がかかる。
病気にならなくても、足腰が弱って歩けなくなったり、ボケたりするとお金がかかる。

日本人で一番一般的な道徳といえば「人に迷惑をかけない」ということだろう。
その「人」が身内になると、よけいに心理的負担になる。
ぶっちゃけた話、親類縁者に頼って生きるというのが嫌なのだ。

そうならないためには、長く働くしかない。
年金はどうなるかわからないが、自分で働いていればお金は入ってくる。
健康のことを考えても、働くほうがいい。
社会と繋がっていれば、ボケにくい。

もうそんなに長い時間が残っているわけではないが、それでも長い間働きたいと思う。

そう思っている高齢者は多いだろうなあ。




| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
小型風力発電
大掛かりな風力発電ではなく、小型の発電機も開発されている。
秒速1メートルの微風で回転して、秒速2メートルになると電気を発電できる。
マイクロ風車というカテゴリーで、軽くて丈夫な羽を使っている。

360度どこからの風でも発電可能だという。
風力発電にはつきものの音の問題もクリアしている。
音の問題もないので、街中に設置して、停電時の電源インフラとしての使い方もできるという。

こういうのを再生可能エネルギーとして、太陽電池と共に家庭でも使えばいいと思う。
太陽エネルギーは日が照らないと発電しないが、風力エネルギーは夜でも風さえ吹けば使えるという利点がある。

ぼくはメガソーラーというような大規模な再生可能エネルギーの使い方よりも、自給自足の考え方が好きだ。
大規模発電はどちらかというとベースの部分を支えるということで、再エネは向いていないからだ。

以前マイクロ水車について書いたことがあるが、同じような発想だ。
ベースロードを担えない発電は小規模でいいし、それなら再エネが向いている。

太陽光パネルのコストが下がって、再エネでも大規模な電力を供給できるというものの、昼間しか発電できない、というのは致命的だ。
夏はともかく、夜に電気がいるのだからなあ。
大量の電気を貯める技術ができないと、再エネだけでは苦しいのは明らか。
それには、まだまだ時間がかかるだろう。

クリーンコール(石炭)や原子力が当分はベースロードを支えるのがいいんだろう。
オランダみたいに、風車の国なら、風量発電でなんとかなるだろうが、風が吹かないと何ともならない。

小型風力発電は望みがあると思うのだが…。





| | 考えたこと | 21:50 | comments(2) | trackbacks(0) |
コロナ超過死亡
ツイッターにこんなツイートが出ていた。

「厚労省が、死因を問わず、新型コロナの感染がわかったあとに亡くなったひとは、「新型コロナで死亡した感染者」にするよう連絡とのこと。癌など別の病気が死因のひともコロナの死者数に含めるように、と。こんな水増し的なことをすれば、致死率も歪んでくるのでは、と思います。」

これはおそらく超過死亡に関することだと思う。
超過死亡というのは、感染症の流行の度合いを測るためのもので、WHOが推奨しているデーター。
毎年の平均的な死亡者の数に対して、増えたり減ったりした死亡者数だ。
これが大きいほど、その感染症が大規模だった、という数。

この統計もご多分に漏れず日本はだいぶ遅れている。
現在明らかになっているのが3月の死亡者についての数。
ニューヨークでは死亡者数をリアルタイムで表しているらしい。
しかし、感染症の対策にも使うためにデーターが、3ヶ月以上遅れでしか発表できないというのはどういうことなのか。
各医療機関、保健所、厚労省がよほど意識が低いか、やる気がない、ということだろう。
これもFAXで送って、手で書いているのだろうか。

5月24日の日経によると、

現時点の公表データによると、超過死亡は2月17日の週から3月下旬まで5週連続で発生。流行がなかった場合を50〜60人上回り、計200人を超える。感染研が定義する「統計的な誤差を上回った死者数」という超過死亡数でも5週連続で20〜30人程度に上る。実数は公表していない。

ということだ。
国際比較をしているサイトがあったので、抜き出してみると、

国名         期間       COVID-19死者数   その他の超過死者数
日本       3月01日 - 3月30日       51         301
アメリカ     2月16日 - 5月02日     70266        26986
イギリス     3月07日 - 6月05日     51804        12729
韓国 2月01日 - 3月30日   163  2215
インドネシア 3月01日 - 5月31日   517   4214
タイ 3月01日 - 5月31日    57   2316
スウェーデン 3月09日 - 5月17日    3981    190
ブラジル 3月01日 - 5月31日   15830    3486
ベルギー 3月09日 - 5月17日    9115   特になし
デンマーク 3月16日 - 5月10日    519   特になし
フランス 3月02日 - 5月10日    26380    1989
ドイツ 3月09日 - 5月10日    7792   特になし
イタリア 2月24日 - 4月26日    26644    16278
スペイン 3月02日 - 5月17日  27709  15158

やはり欧米は被害が大きい。
アメリカが5月までで7万人、イギリスが6月までで5万人を超えている。
アジアの国は日本を含めて、かなり少ない。
日本がいかに統計が遅いかよくわかる。
クラスターを追いかけている暇があったら、統計に力を入れたほうがマシということだ。

ここで邪推だが、冒頭の厚労省が「死因を問わず、新型コロナの感染がわかったあとに亡くなったひとは、「新型コロナで死亡した感染者」にする」というのは、明らかにコロナに医療資源を使いすぎて、その他の死亡者を超過させてしまったという失敗を隠そうと思っているのだろう。

実際、コロナ感染が危ないから、手術を中止したり、ワイドショーが煽ったせいで病院にすら行けなくなって持病を悪化させたりした人も多いのだと思う。

最初のうちは仕方ない。
未知のウィルスだから、安全サイドに振ったのだろう。
でも、もしもこういう統計がリアルタイムで出ていれば、もっと早く正常化できたのではないか。

今回のコロナでこういう現状がわかったのは数少ない収穫だろう。
行政がいかにIT化が遅れているか。

この惨状を早くなんとかしないといけない。
もっと統計を速くすること、それが第二波に備えることになるのだと思う。

| | 考えたこと | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
VWの格安EV
「ID.3」はガソリン車を超える、というふれこみの電気自動車。
VWがもうすぐ出す予定の格安EVだ。

ピュアEVというと、まだまだ価格が高く、1回の充電での航続距離が短いという位置づけ。
さらにガソリン車に比べると高価格。
しかし、VWによると新型のピュアEV「ID.3」は一番安いグレードでも、満充電で330km走れる。

上のグレードならバッテリーの容量が増えて、航続距離は550km。
これならガソリン車並だ。

ID.3はリア駆動。モーターがギアボックスとともにリアアクスルに組み込まれている。
バッテリーはフロントとリアの間に敷き詰められているから、重量配分もいいところかもしれない。
充電は交流でも直流でもOKとのことだ。

気になる値段だが、一番下のグレードで3万ユーロ以下。だいたい、350万円以下になる。
先進装備は全部ついての値段。
レーンアシストや車両周辺のモニタリングシステムなども装備する。

VWはディーゼルエンジンの虚偽の燃費騒動で大きな路線変更を強いられた。
電気自動車までのつなぎは、ディーゼル+ダウンサイジング+過給器、というような対応の予定だったが、いきなり電気自動車に行かざるを得なくなったのだ。
中国市場を見ていることもある。
電気自動車で早めにシェアを取ってしまおうということもあるのかもしれない。
カリフォルニア対応ということもあるだろう。

ドイツでは部品メーカーのコンチネンタルも、脱内燃機関で動いている。
国をあげて、電気自動車に向かっているという感じだ。

対する日本は現実路線。
ハイブリッドや、電池の代わりにエンジンで発電するような電気自動車を考えている。
水素もまだやってはいるが…。

さて、どちらに軍配が上がるのだろうか。


| | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
AO入試
AO入試は大学、高校が真面目にやればいい入試だ。
しかし、ほとんどの大学、高校で、現実は違う。
中下位の大学では、単に入学者を集めるためのイベントになっている。
高校側は推薦できない学生で、一般入試を受けたくない学生の出口として活用していることも多いと思う。

4年制大学では、文科省に推薦入試の枠は50%までと決められている。
しかし、AO入試は一般入試扱いになっているので、その枠から外れる。
だから、しんどい大学は推薦枠で半分取って、残りの半分のうちほとんどをAOで取ることになる。
最近はAO入試も併願ができるので、歩留まりを読み違えるとたくさん入ってしまう。
そうなると、一般入試の合格人数を減らさざるを得ず、結果的にやけに高い偏差値になったりする。
だから、偏差値を見るときは、受験生のうち何人がその試験を受けているかを見ないといけない。

話がそれたが、そのAO入試を増やそうとしているのが、やる予定だった入試改革。
学力成績だけでなく、学校での活動も見よう、というやつだ。
だから、冒頭にいったように高校の成績をちゃんと真面目につけて、そのうえボランティア等の課外活動もちゃんとやっていれば、高校の評価が上がり、AOを受けられるようになる、というのが本来の仕組み。

しかし、中下位の大学では推薦を受けられなかった学生で一般入試を受けても危ない学生の逃げ道になってしまっている。
高校の進路指導の先生がそういうふうに誘導するのだろう。

したがって、AOはいい入試だというのは、あくまでも関係者が真面目にやる場合の話。
現状を見ていると、とてもそうは思えない。
高校も大学も、学校法人はそんなに真面目ではないのだ。

そうなると、やっぱり主観を排して、客観テストで判断するしかないと思う。

現状ですでに私大の半数がAO、推薦で入学している。
推薦入試も、結局は青田刈りの手段であり、中下位の大学にとっては志願者を集める手段でしかない。

おまけに、プレジデントの記事によると、AOや推薦で入学した学生は、一般入試に比べて年収が70万円近く低いという調査結果が出ている。
記事によると、

「つまり、AO、推薦入学組の卒業生は実務能力が低く、社会であまり評価されていないことを暗示しています」

ということらしい。

また、メーカーの技術者1200名の調査で、基礎的な数学の学力について、AO、推薦組の評点は一般入試に対して低いという結果も出た。
基礎学力の不足は2007年にぼくが勤めていた大学で驚いたことだが、ご多分にもれず、ぼくの勤めていた大学も多くの学生をAO、推薦入試で取っていた。

もちろん、難関大のAOや推薦入学の学生はそれなりに優秀だという。
それはそれでいいのだ。

入試改革をやるのなら、まずはAO入試を一般入試から外すべきだろう。
やれることから始めよう。


| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい生活様式?
こないだ、アメリカの「コロナ後の世界」についての記事を紹介したが、日本の厚労省のページで、「新しい生活様式」の実践例を示している。
読んでびっくりした。

それによると、まず一人ひとりの基本的感染対策として、
・人との距離は2m以上空ける
・会話をする際は可能な限り真正面を避ける
・外出時や屋内でも会話をするとき、人との間隔が取れないときは症状がなくてもマスク着用
・家に帰ったら手や顔を洗う
・人混みの多い場所に行った後は、できるだけすぐに着替える、シャワーを浴びる
・手洗いは30秒かけて、水と石鹸で丁寧に洗う

移動に関する感染対策として、
・感染が流行している地域への移動や、他の地域への移動を控える
・発症したときのため、誰とどこで会ったかメモをつける
・地域の感染状況に注意する

日常生活を営む上での基本的生活様式として
・まめに手洗い、手指消毒、咳エチケットの徹底
・こまめに換気、身体的距離の確保
・3密の回避(密集、密接、密閉)
・一人ひとりの健康状態に応じた運動や食事、禁煙等、適切な生活習慣の理解、実行
・毎朝の体温測定、健康チェック、発熱または風邪の症状があるときは無理せず自宅で休養

日常生活の各場面での生活様式として、
 買い物・通販も利用 ・1人で空いた時間に ・電子決済の利用
 公共交通機関では ・会話は控えめに ・混んでいる時間帯は避けて ・徒歩や自転車利用
 娯楽・スポーツでは ・公園は空いた時間、場所を選ぶ ・筋トレやヨガは距離をとってなど
 食事 ・持ち帰りや出前、デリバリー ・対面ではなく横並び ・料理に集中おしゃべりは控えめに
 
働き方の新しいスタイルとして
 ・テレワークやローテーション勤務 ・時差通勤 ・オフィスは広々と ・会議はオンライン
 ・対面での打ち合わせは換気とマスク

写していて、バカバカしくなる。
本気でこういうことをやれと言っているのか?
他の役所は止めなかったのか?

みんなが距離を2mとったら、今までの授業は成り立たないし、飲食店をはじめ小売業者も成り立たない。
じゃあ、どうなったら、この「新しい生活様式」とやらを止めるのか?
これからずっと続けるのか?
日本で就業人口が一番多い、サービス業を壊滅させる気なのだろうか。

個人の生活に政府が口をだすのも甚だしい。
何度も書くが、インフルエンザよりも規模の小さい感染症で、なぜそこまでしないといけないのか。

飛沫感染対策でマスクをしろというが、実際に定量的に効果を検証したのか。
今まで、風邪のウィルスに対して、マスクが効果があったという定量的なデーターはあるのか。
気休め程度のものではないのか。
どうして、もっと死者がたくさんいるインフルエンザの時にこういうことをしないのか。

それはみんなが感染症に罹らないことよりも、生活を優先しているからだろう。
言うに事欠いて、外食時には料理に集中しておしゃべりは控えめに、とは驚く。
おしゃべりをするために、食事をするという側面もあるのだ。

こんな生活様式ならお断りだ。

もう嘘つきの専門バカ会議など信用できない。
何もしなければ、48万人死ぬなどとデマを流し、みんなの生活を無茶苦茶にした。

誰か何とかしてほしい。

| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
青春ブタ野郎は夢見る少女の夢を見ない
不思議なアニメ映画を見た。
未来と過去を行き来する量子論的な少年と少女。
わけがわからないのだが、なんとなくわかったような気にさせる。

鴨志田一という人の原作。
映画はなんとなくハッピーエンド。

これはライトノベルのシリーズで、10巻出ている。
この話は第6巻。
ずっと続いているようなので、とても長い物語になる。

普通の高校生と女優のラブストーリーがメインの話。
よくできた青春ライトノベルというところか。

シリーズはアニメ番組で放映されていた。
どこまで放送していたのかはわからないが、その延長で映画ができた。

2014年に1巻目が出ているから、もう6年も経つ。
10巻目は今年の2月に出たところ。
主人公は高校生から大学生になっている。

まだまだ続きそうだ。

「ブタ野郎」というタイトルだけ見たら、そんなにいい話だとは思わないが、わりといい話だった。
累計100万部も売れているらしい。

若い人たちの支持を得ているのだろう。

一つ読んでみようかな。



| | 映画・舞台 | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
睡眠時間
在宅勤務で寝る時間が遅くなった。
通勤時間が無くなるので、変な余裕ができる。
だから、どうしても夜ふかししてしまう。
そのせいで、通常勤務になって、睡眠不足になった。

ぼくはもともと夜型だったが、最近はだんだんと夜が苦手になってきた。
時々無性に眠くなる。これはやっぱり体力が落ちたということだろうか。

夜は弱くなるのだが、朝はやっぱり強くはならない。
これが難しいところ。
年をとったら、朝早く目が覚めるというのは本当だが、目が覚めても起きようという気にならない。

会社の先輩で、宵っ張りだった人が9時には寝て、朝は4時には起きる、というのを聞いてびっくりした。
若い頃は夜の9時でもまだまだ仕事をしていたのに、すごい変わりようだ。
人間、年とともにだんだん変わっていく。

「老い先が短い」というが、そういう変化がバロメーターなのだろう。
若い頃は深夜になっても仕事をしていて、眠くなるというようなことはなかった。
今では考えられないが、毎晩終電がなくなり、タクシーで帰っていたのだ。
夜中にご飯を食べ、朝は9時前に会社に行く。
すごい時代だった。

それが今は夜の10時過ぎにテレビを見ていて、居眠りしたりする。
だんだんと眠る時間が長くなって、いつか永久の眠りにつくのかもしれない。

以前は眠りにつくまで、まず本を読んで、それから落語や漫才を聞いて眠っていた。
しかし老眼が出て、本を読むのが面倒になった。
困ったものだ。

最近はなにか思いきらないと、本が読めない。

年をとって、だんだんと馬鹿になっていくように思う。

なんとかしないといけない。


| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
感染、感染、感染…
朝7時のニュースを見ると、たいがいコロナの感染者数の話題が出る。
マスコミはそればかり報道しているが、感染者が増えることはそんなに悪いことなんだろうか。

もう今や、抗体検査で抗体を持っている人が非常に少ないこと、それでもコロナによる死者が欧米に比べて2桁少ないことなどが明らかになっている。
また、感染者の大半が軽症で、要は普通の風邪のようなものであること、そういう人たちを「感染症2類」ということで入院させなければ、ベッドは空いていることなどもわかっている。
いい加減に「感染者数」だけにこだわるのはやめたほうがいい。

何人感染したのか、そのうちの何人が軽症なのか、重篤な症状の人がいるのか、などの情報も一緒に報道しないと、ミスリードになる。
今の日本では、感染することは悪いことではない。
感染症というくらいだから、感染が広がらないと収まらない。
また感染したから危ない、というわけでもない。

大阪の会議は緊急事態宣言など意味がなかったと言っているくらいだ。
それはそうだろう。
イタリアのように都市をロックアウトして、法的に行動制限をかけたところに比べると、日本の自粛はユルユルだ。
スマホの位置データーでみても、そうなっている。
それでも、重篤者、死者は欧米と2桁違うのだ。
いい加減に、そういう事実をまともに報道すべきだと思う。

感染者が少ないから、第二波が心配だという人もいる。
しかし、行動制限を厳しくして感染してないわけではなく、ユルユルでも感染していないということは、日本(アジア)人は感染しにくい、ということではないのか。
なぜ、そういうふうに考えないのか、まったくもって不思議だ。
日本人は清潔好きだから、などとよく言えたものだ。

みんなバカみたいにマスクしているが、そんなものはほとんど関係ない。
やらないより、やったほうがいい、ということは定性的には言えるが、定量的には過去の事例からはほとんど出てこないのだ。

結果的に、日本のコロナは感染症としては、インフルエンザ以下のものだ。
昨シーズンはインフルエンザで3000人死んでいるのだ。
その1/3の規模でしかない。

道理を言えば、インフルエンザでやらないことは、コロナではもっとやる必要がない。
マスクも、手洗いも、消毒も、フェイスシールドも、アクリル板もみんな必要ないのだ。
千歩譲って、それが必要なら、どうして昨シーズンのインフルエンザでそうしなかったのか。
インフルエンザは薬も、ワクチンもあって、それでも3000人死んでいるのだから。

人間は未知のものを恐れる。
それは本能だから仕方がないが、一方で理性というものもある。

今回の件で、医者がいかに理性的でないか、よくわかった。
いまだに、そういう声がでないのは情けない。
もういい加減に理性的に考えてはどうかと思う。

バカバカしくて、付き合ってられないぞ。




| | 考えたこと | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
小学校教員の現状
小学校の教員という仕事、大変な仕事だが、いい仕事だとも思う。
それなりに、やりがいもあるだろう。
でも、今はなり手が減っているらしい。

2014年の2月頃、大学のキャリアで勤めていた時に教育委員会の人が来た。
採用の話だった。
ぼくの勤めていた大学は、小学校教員の養成はしていなかったが、小学校の先生の数が足りないから、なんとかならないか、という。
どういうことですか?と聞いたら、中学校の教員免許を持っている人がいれば、臨時教員で雇いたいということだった。
今は小中一貫の学校もあるから、それでも何とかなる、ということだった。
そんないい加減なことでいいのかなと思いつつ、丁重にお断りした覚えがある。

今は産休代替などの臨時教諭もなり手が全くいないということらしい。
ちょっと古いが、いつもこの手の記事を引用する中沢氏のブログの記事があった。

それによると、今の小学校教員は管理職からかつてないほど管理されているらしい。

「たとえば、プログラミングの授業。来年度からやりたくもないし、やれもしない授業を教員たちはやらされるわけだが、ある教員がやる気を出して今年のうちからプログラミングの授業をやろうとする。もちろん、子供たちを思ってのことだ。すると、校長は「「いま」の指導要領のどこに載っているんだ」といって警告をしてくるのだ。
これからやることが決まっていることでも、自分の想像力の範囲を超えることをしようとすると、「なにかあったらどうしよう」と禁止にするのが学校管理職である。」

神戸市の東須磨小学校の事件でも、うやむやになったが、管理職が関与していたようだった。

今の校長は、60歳近くなっても、再雇用されないといけないので、トラブルを起こすことを心配しているらしい。
さらに、不祥事やクレームを恐れる管理職と教育委員会によって、ガチガチの管理体制に移行してしまったとのこと。
それが教師個人の決定権を減らしている。

そういう状態だから、このコロナ明けの近所の小学校で初めて登校した1年生が外で縄跳びを1時間半やって帰ってくる、という事態になる。
教室に入ったら危ないからだそうだ。
思考停止も甚だしい。
いったい何のために学校があると思っているのだろう。

ガチガチに管理されているから、バカバカしくなっても、やめられない。
学校はブラック職場だからだそうだ。

「学校の教員は、圧倒的に「生きる力」が弱い。転職という最大の選択肢がないからだ。つまり、教員は自分の人生を自分で切り開けないということだ。
それで「キャリア教育を充実させる」と言っているのだから、笑ってしまう。教員も転職エージェントに査定してもらえば、もうちょっと謙虚になると思うのに。」

それに耐えていかないといけない、ということらしい。
これなら、小学校4年生で習うはずの割合をわからない大学生がたくさんいるのもうなずける。

それはすなわち、

「たしかに、学校の正規教員は保証された人生だ。ただ、人生の大きな部分を占める仕事を徹底的に管理されて、教員たちは幸せなのだろうか。幸せでない人間が、子供たちに幸せな人生をおくる手ほどきができるのだろうか。教員はめったなことでは解雇されない。一見よい制度のように見えるが、それはまともな教員からみると、ふつうの組織なら首になっているような同僚と人生を共にし続けなくてはならないということだ。
教育はほんらいクリエイティブな仕事のはずだった。けれども、創造性は徹底的に削がれて、管理だけが残った。
この傾向は、保育園の教諭から大学の教授に至るまで、現在のベクトルは同じではないだろうか。年ばかりとった小さな組織・社会は管理に向かう。」

コロナの対応が下は保育園から上は大学まで、みんな同じような反応になるのはそういうことなのかもしれない。
中沢氏はこう結んでいる。

「教員採用試験は低倍率が常識になりつつあり、ふつうの人は聞いたことがない大学の卒業生ばかりになってしまった。中堅私大の出身者でもかなりエリートである。つまり、民間企業から内定がもらえない人ばかりになってしまったということだ。
このような職場で人生の大半を過ごしたいという若者は、そう多くはないだろう。ただ、すべてを決めてほしいという若い教員が、さいきん増えている気がするのは、気のせいだろうか。」

本来クリエイティブな仕事である教師がどんどん魅力をなくし、誰もなりたがらない職業に成り下がってしまったのは、いったい誰のせいなんだろうか。



| | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学生の政治離れ
大学生の政治離れが進んでいるらしい。
大学生協の学生生活実態調査でわかったとのこと。

具体的には、2019年10〜11月、全国の国公私立大学2万1,846人から83の大学生協がウェブ調査で聞き取り、このうち30大学、1万832人分の回答を集計した結果、19年7月の参院選に「投票した」学生は44.7%で、2,016年比6.7ポイント低いという。

下宿生は行きたくても、実家に帰らないと行けないので仕方ないのだが、自宅生、下宿生とも低下したという。
おまけに、日本の未来について明るいと考えている学生は23.3%で15年比9.9ポイント減。
これはどちらかというと、政治離れというより、関心があるからこそではないか。

モーニング娘が出てきて、「ニッポンの未来は世界がうらやむ」と歌った「LOVEマシーン」が発売されたのが、1999年。
あの頃はバブルだった。
おそらく、大学生は政治に関心など持ってなかったと思う。
何の根拠もなく、日本の未来は明るいと思っていただろう。

当時サラリーマンだったぼくは、仕事がバカみたいにしんどかった。
毎日、午前0時を過ぎて帰っていた。
当然、日本の未来など考えなかった。
ただただ日本中が浮かれていた時代。

それからバブルが崩壊して、低成長の時代に入って、今でもほとんど経済成長はない。
正規の仕事をしている間は、やっぱりそんなに政治のことや社会のことなど気にならなかった。
目の前の仕事があったからだ。

2014年に非正規になって、やっと暇になり、だんだんと社会のことにも目が行くようになってきた。
結局、年をとって、暇になったから、政治や社会のことに関心を持つ。

仕事をしていて、みんなが政治や社会のことに関心など持てるわけがない。
最近、政治のことや社会のことにうるさくなったのは、きっと年寄りが増えて暇人が増えたからだろう。
高齢化社会というのは、そういう社会なのだ。

高齢化社会というのは多死社会でもある。
人がどんどん死んで、あまり生まれない。
そんな世の中になると、どうしても先が暗いと思う。
そんなの当たり前だ。

今の高齢者たちがどんどん鬼籍に入っていったら、また明るいことを考えるようになるのではないか。

そんな気がする。

| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
レッスン再開
ギターのレッスンがやっと再開した。
3ヶ月のお休み。
こういう仕事をしている人は、本当に大変だと思う。

スクールの母体はジャズのフルバンド。
そこの人たちが先生になって、教えているのがメイン。
ギターはついででやっている。

久しぶりに受付の人と会って、大変でしたねえ、と声をかけた。
「ほんとに大変でした」という返事。
そうだろう。

教室は一部の電気を消して、ちょっと暗い。
どうしたのか聞いたら、まだコロナが怖くてこられない人もいるらしい。
使っていない教室の廊下は電気を消していた。
だいぶ経営が苦しいのだろうか…、と思う。

月謝を払って、先生と再開。
聞くと、先生のところも大変だったようだ。
奥さんはシンガー、お母さんは夜はスナック、昼は軽食の店をやっていて、週に2日ほどその店で歌を教えているらしい。
それらも休業。
店の前でお弁当を売っていた。

先生はやっと昨日ライブをやったらしい。
マスクしていると、眼鏡が曇って楽譜が見えなくなる、というアクシデントがあったとのこと。
お客さんはフェイスシールドをして見ている。
なんだか、気の毒になる。
それでも、ないよりはあった方がマシ。

自粛のスタート時にすでに感染はピークアウトしていたという。
この自粛は何だったんだろうか。

ため息が出た。



| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
甲鉄城のカバネリ
久しぶりに撮りだめしたアニメを3本見た。
甲鉄城のカバネリというシリーズ。
総集編の前編、後編と海門決戦。
5時間ほどかかってしまった。

前編、後編は2016年のテレビのアニメ(12話)をまとめたもの。
海門決戦は2019年に作られた。

アメリカのホラー映画シリーズにあるゾンビが出てくる。
ゾンビというと、イメージが強いので、それをカバネという名前にしている。
カバネというと「屍」のことで死体のことだ。

カバネは心臓が鋼鉄の被膜で覆われている。
心臓を撃たないと死なない。
世界中でカバネは増殖して、人間はカバネと戦っている。
日本のような国が舞台。日ノ本という。

時代は近世ということで「幕府」が出てくる。
「将軍様」も出てくるし、「侍」も出てくる。
服装は洋装。銃もあるし、刀もある。
蒸気機関車で主人公たちは移動している。
この蒸気機関車の名前が「甲鉄城」。
わけがわからないが、何となく戦国時代のエキゾチックな日本風という感じ。

ヒーローのイコマは「生駒」のこと。
カバネに噛まれて、カバネになりそうになるが、ウィルスが脳にまわる前に処置をしてならずに済む。
カバネと人間の間の「カバネリ」になる。
ヒロインは同じカバネリのムメイ。「無名」のことだ。

イコマとムメイは人間の仲間で、カバネを倒しまくる、という役割。
何とも言えない世界観の中で映画は続く。
複雑なムメイの過去のしがらみを総集編は描く。

海門決戦はその続編。
見だしたら、結構面白くてハマる。

ゾンビよりもカバネの方が日本人には馴染みがある。

何とも言えない世界観の中で、物語は進んでいく。
物語はまだまだ進行中だから、続編もあるだろう。
スマホゲームにもなっているらしい。

こういう変わった世界観がテーマのアニメは、日本が得意な分野だと思う。

次にも期待。

| | 映画・舞台 | 20:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナ後の世界
マスコミではコロナ後の世界ということが話題になっているが、一体どんな世界なのだろうと思う。

WSJに記事があったが、James Mackintoshというコラムニストがこんなことを書いている。
あくまで、アメリカの話だが…。

1.政府による直接的救済に依存するようになり、集団主義者の傾向を強める?

ロックダウン(日本では自粛)の影響で企業、労働者が疲弊し、国に支援を仰いでいる。
この図式は日本も同じ。ただ、日本の場合は正社員は簡単に解雇しない(できない)ので、アメリカよりはマシだ。
でも、政府に依存する、という側面は大きくなるかもしれない。
日本では、憲法の制約でロックダウンができない、ということが今回は良い方向に働いたのだと思う。

筆者は、アメリカでは医療保険分野で皆保険の議論が起きるだろうが、それは実現しないだろう、という予測。そうかもしれない。

2.モラルハザードは死ぬ

これは金融政策の問題。
国がどんどん借金をして、企業を救うということをし始めるということだ。
その際、経営者の責任やそもそも生き残るべき企業なのか、といこうことが問われなくなる、ということだろう。

これも筆者は100年に一度の救済、という政府と中央銀行のスタンスを信じて、大丈夫だろうと思っているとのこと。
でも、これがずっと続くとモラルハザードが起こってしまう。

3.消費者の行動はどう変わるか

「一部の人々は飛行機での移動、社会的交流、オフィスへの出勤を長期にわたって避けるべきだと主張するであろうことは、分かっている」とちょっと批判的な書き方。
これは、ワクチンや治療薬が開発されれば、通常の生活に戻るスピードが早まるのは確実。

筆者はこれも変化が大きくなることも、長期に渡るものにもならない、という意見。
そうであってほしいと願う。

4.企業に利益創出以上の行動を求めるか?

今回の、マスクや消毒液の品不足に乗じた「あこぎな商売」への反発から、企業に環境・社会・企業統治(ESG)を求める動きになる、ということ。
地球温暖化対策等に対して前向きになるのではないかと筆者は言う。
ただ、もう一つあり得るのは低所得者層が今まで以上にCO2削減の負担を受け入れるのに後ろ向きになる、ということだ。

まあ、ありうると思う。
でも、コロナ対策でロックダウン等によって経済的にダメージをかなり受けたけど、CO2はかなり減ったらしい。
ということはCO2削減には、やはり経済活動の縮小を伴うことになる。
これが明確になると、経済的にダメージを受けた層もCO2削減については後ろ向きになるだろう。
そこは難しいところだと思う。

5.地政学的な影響

これはグローバリゼーションの終焉ということや、米中の全面的な冷戦、ということらしい。
ポピュリスト的経済政策の復活と成長の損失、ということもある。
民主主義はろくでもない制度だが、他に選択肢がない、ということだ。
中国が取っている国家資本主義よりはマシだと思う。

でも、アメリカ、ロシア、中国という3つの覇権志向の国家がどうなるかはこれからの世界を動かすのだろう。
民主主義のアメリカは不利な気がする。
国内の意思統一ができないからだ。
インターネットが発達した今、それを妨害できるだけの自由さがある。
中国やロシアはそれを使って、世論操作を自由にできる。
日本でもやっているのかもしれない。

1つ確実なことは、大阪の老舗フグ料理店「づぼらや」のような店でも、閉店してしまうということ。

あのフグの提灯はどうなるのだろう。

| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
まぶしい貴方
時々無性に聞きたくなる音楽がある。
その中の一つがハイ・ファイ・セット。
何度かブログにも出てきたが、赤い鳥が分裂してできた片方のこのコーラスグループはよく聞いた。

「まぶしい貴方」はイントロのギターが好きだ。
この曲はバンドっぽい構成ではなく、バックは弦と管。
ストリングスとホーンセクションがないと映えない。

誰が作ったのかな、と思って調べたら、もとは洋楽だった。
海外の曲に歌詞をつけて歌っている。
あまり洋楽という感じがしない。

今日は最後の在宅勤務。
You TubeでBGMを流していたら、ハイ・ファイ・セットがかかった。

「まぶしい貴方」を検索して流したら、20代を思い出した。
レコードを買って、カセットに入れて、カーステレオでよく聞いた。
この頃の山本潤子の声は本当に素晴らしい。

もう今はレコードもカセットも時代遅れ。
音楽はデーターで持ち歩く時代。

そんな時代になっても、いい曲はいいのだ。
リフレインの歌詞が何とも言えない。

私を変えた愛を抱いて
あなたについていきたい
ただその気持さえいえないまま
出さない手紙書き続けるわ

忘れられない曲の一つだなあ。
来週からは通常出勤だ。


| | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
小中学校のICT教育
今の先生では、ICT教育など無理だと思う。
学校のICT化が遅れているなどという状況ではない。
今の先生が教育のやり方を変えようとしていないのが問題なのだと思う。

ぼくが勤めていた学校法人は小中高等学校もやっていたが、キャンパスは大学から離れていた。
法人の本部は大学にあって、ぼくが入職した2004年に財務システムが入れられた。
経費の伝票を電子化したのだ。

ところが、高校以下の学校は伝票は手書きのままだという。
何でか聞いたら、パソコンの数が少ないのと、LANが繋がっていないから、という返事。
そんなアホな、と思ったが、本当だった。
小中高から毎月送られてくる手書きの伝票を、法人の職員が手で新しいシステムに入力していた。
そのために、財務部の人は増えたとのこと。

2004年に、そんなことが起こっていたのが、学校法人の現状。
法人の財務部長の液晶ディスプレイはポストイットのメモを貼る板になっていた。
まさに、コンピューターを使って合理化するということを全く理解していない、という状況。

あれから16年経つが、そんなに状況は変わっていないと思う。
その証拠に、小学校でのプログラミング教育など、問題だらけだ。
小学校では言語能力と並んで、情報活用能力を上げていくという目標を立てている。
問題点として、パソコンの台数が足りないとかいうハードの問題はある。
しかし、どういう指導を先生がするか、ということが一番の問題。

小学校でのプログラミング教育は、新たに科目がつくられるわけではなく、既存の科目内で学ぶことになるという。
どう学ぶか自体がいい加減になっている。
何を教えるのかも決まっていない。
この方針を決めた文科省自体が、遅れているのだろう。
役所のICT化が遅れているのは、一連のコロナ騒ぎでよくわかった。

当初は小中学校の一部の教員が動画を撮ったり、ZOOMを使ったりしてオンライン授業をやったが、結局は使い物にならなかったので、リクルートの問い合わせが増えたとのこと。
知り合いに聞いた話では、尼崎の小学校では登校しても1時間半縄跳びして帰ってくるという。
なんで勉強しないのかと聞いたら、集まるのは危ないということだ。
もっとたくさん死者が出た国でも、10代以下はほとんど感染しないので学校は普通にやっているところもあるというのに、一体何を考えているのかわからない。
話がそれた。

教える現場でICTが活用できないのは、リクルートがやっているスタディサプリ(学習支援のアプリ)が今回のコロナで利用され始めたことが、物語っていると思う。
もちろん、Wifiや4Gというインフラが各家庭に普及したということは大きい。

スタディサプリの契約数は2次関数で伸びているという。
これが成功すると、東進衛星予備校がやったようなことが起こるだろう。
カリスマ予備校教師の授業を録画して日本中で見られるようにして、学力の向上を図ったのだ。
普通の教員がやるよりも、スタディサプリの先生が教えるほうが数段上だ。
演習問題も付いているから、実際に習ったことを使うこともできる。
わからなければ、何度でも見直すことができる。

生徒の習熟レベルに合わせて、一人ひとり違った授業を受けることさえできる。
極論すれば、わかるところまで戻ることもできるのだ。

勉強はリクルートに任せ、小学校の役割を考え直した方がいいのではないか。

本当にそう思う。



| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
語学の危機
グーグル翻訳ができて、ポケトークのような商品が売り出され、語学を使った仕事というものもだんだんと要らなくなってくる。
文章翻訳のツールは飛躍的に進歩した。
2018年にも英語を学ぶ意味について記事を書いた。
実際にポケトークを使っている土産物屋も出てきている。

ぼくが会社にいる頃は、パソコンで使える翻訳は、全く反対の意味になったりして使い物にならなかったが、グーグルがAIを使った翻訳をやり始めて、あれよあれよという間に良くなったと思う。
英語から日本語に関しては、今や下手に自分で訳すより、グーグル翻訳の方が圧倒的に賢い。
下訳としてグーグル翻訳で、前後の関係から、日本語のおかしなところのみ原文を確認するというやり方で仕事に使う英語なら十分だと思う。

以前も書いたが、英語教育に関わる人達が、この事をあまり議論してないのはオカシイ。
自分たちの仕事がなくなるから、議論しない、ということなのだろうか。
本来なら、その人達がまず議論してそれを世に問わなければならないのだが…。

文科省は英語教育に熱心だが、本当にその価値があるのだろうか。
小学校で英語を習うとか、大学入試で市販のテストを使うとか、いろいろなことが言われているが、自動翻訳の技術が進めば実際上は必要ないのだ。

実際、翻訳の専門家もGoogle翻訳が普及して、English Onlineの記事でこう言っている。

「これは、もはや「考える」という工程を丸々機械にやってもらうということです。そして困ったことに、われわれ外国語の専門家にはその行為を批判するだけの根拠がない。少なくとも、電卓を使って請求書を作成し、国税庁の自動計算フォームに頼って確定申告を行う私にあるとは思えません。この原稿だって、Pagesに漢字変換してもらいながら書いているのですから。」

さらに、ポケトークが通訳の仕事も奪う、ということになる。

「悲しいかな、やがてそんな思惑も「ポケトーク」という怪物によって粉砕されることになります。「翻訳機」ならぬ「通訳機」を自負するポケトークが変換にかけるインターバルの、その戦慄(せんりつ)するほどの短さ。もちろん雄弁なフランス人アーティストと芸術論を戦わせるのはまだ無理ですが、海外旅行や知人とのちょっとしたやりとりであれば十二分に役目を果たす代物です。
ようやく私は、「外国語学習」の、ひいては「翻訳家」や「通訳者」の絶滅をはっきりと意識し、向き合うようになりました。」

この記事の著者はコロナの影響で、人々が自分の言葉で海外の人にメールを打ちたいというような要望が出てきて、かろうじて語学は生き延びたと書いているが、そんなニーズはしれていると思う。
その人たちも、そのうちGoogle翻訳を使って出すようになるだろう。

ぼくは亡くなった英語学者の渡部昇一が、過去に英語教育について論争した文庫本が忘れられない。
彼は英語を学ぶ意味は、構造の違う言語を学ぶ努力をすることで、頭を鍛えることだ、という。
それはその通りだと思う。

しかし、これだけ自動翻訳が発達すると、さすがに学ぶ価値があるのか、という議論になると思う。

英語を仕事にしている人たちは、まさにそれと向き合っていると思うが、肝心の教育界や英語学会の保守性はどうしようもない。

なぜそういう議論が出てこないのか。
じっとしていたら、余計にひどくなるのはわかっていないのだろうか…。

いや、自分が生きている間は大丈夫、と思っているのだろう。

これぞ無責任。

| | 考えたこと | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
テレビCM不振
電通の業績が悪い、という記事を見た。
おまけに、爆破予告の書き込みまであったとのこと。
これは経産省からの委託のことだろう。

民間の「サービスデザイン推進協議会」というところが経産省から委託を受けた事業を、ほとんど丸投げで電通に再委託していた、という。
これは問題視されても仕方ない。

それだけではなく、広告業界もコロナで大打撃を受けているとのこと。
たしかに、民放のCMがどんどん減っている。
若い人向けの化粧品などは、完全にネットに移行したようだ。
若い人たちがテレビを見ないから、どうしようもない。

民放の内容自体が高齢化している。
ワイドショーやバラエティに出てくる人たちも、よく見たら中高年ばかり。
さんまも、たけしも、一昔前なら老人。
ダウンタウンももうすぐ60歳。
ナインティナインは50歳手前。
結局、若い人たちはネットに移行しているから、若い世代はテレビに出ないのか。
それとも、作る方も見る方も高齢化しているので、そういう人しか使わないのか。

そういうわけで、電通の伝統的な顧客も離れ始めた。
2012年の業績予想は撤回されて、「未定」となった。
4月の売上は国内、海外ともに20%近く落ち込んだとのこと。

結局、このコロナ騒ぎで、ずっと隠れていた「広告代理店」というビジネスの限界が出てきたのだと思う。
ネットの広告は、代理店など必要としない。
自分でターゲットを決めて、どういう広告を打つか決めて、それを作る。
時によっては、フォロアーが多いYoutuberを使ったりする。
それらは全て数字で出ているから、「代理店」を通さなくても可能だ。

企業イメージはフェイスブックやインスタグラムのページで、「代理店」を通さず、自社の社員が生の声を発信して作ることができる。
今までのように、芸能人を使って作らなくてもよくなった。
大衆に個別にアクセスする手段ができてしまったので、テレビCMに拘る必要がなくなったのだ。

惰性でやってきた広告を、コロナが見直すきっかけをくれたのだと思う。
高い広告費を払ってきたが、この際やめよう、ということだ。
電通の立場でいうと、今までのテレビに依存したビジネスを脱しないと未来はない、ということになる。

以前新入社員が自殺して話題になったが、あの社員はインターネットの広告の仕事をしていたという。
その結果が理屈に合わないというクレームに対応していて、飛び降り自殺になった。
これから伸びる仕事を、新入社員にやらせていたのだから、気の毒だ。

そういう体質を変えないと、生き残れないと思う。




| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
プロのプレイヤー
プロのプレイヤーは、コロナで3ヶ月ほどライブはできなかったと思う。
ぼちぼちそれができるようになってきた。

ツイッターを見ていると、そういうツイートを見るようになった。

「昨日ほぼ3カ月ぶりに人前で演奏をした。20年以上ジャズで生きてきてこんなに長い間演奏しなかったのは初めて。生きているミュージシャンの生音に飢えていた。こんなにブランクあって不安もあった。実際、感覚、反応速度の錆付きはあり、共演者のエネルギーに助けられた。演奏できるって本当幸せ。」

こういう気持ちなんだろうなあ。
20年以上ステージで楽器を演奏してきて、初めて3ヶ月のブランク。
音楽をやる上で、身体を使って楽器をコントロールするのには、練習が必要だ。
それも、機械的な練習だけではなく、実地練習も必要なのだと思う。
だから、「生きているミュージシャンの生音に飢える」のだろう。
その音楽を聞きながら、自分の身体が反応して、楽器を鳴らす。
そういう感覚が鈍ってしまうのだと思う。
3ヶ月は長かっただろう。

プロの身体の使い方など、本当に微妙なものだと思う。
理屈や感覚でわかっていても、身体が動くとは限らないのだ。

音楽のステージなど、不要不急だろう。
なくても、生活には困らない。
舞台でやるものなど、みんな同じだ。
音楽だけでなく、演劇も、演芸もみんな不要不急。

枝雀が、落語のマクラで「落語家」という商売を、宇宙人が来て、役に立つ人間を連れて行く、というシチュエーションで、
「あれは何ですか?」
「落語家です。」
「それは何をする人ですか?」
「しょうもないことを言って、人を笑わせます」
「それは要りません」
というようなことを言っていた。

しかし、それらを全て不要不急と言ってしまうと、人生は味気ない。

またいろいろな舞台が見られるようになると、いいと思う。



| | 考えたこと | 20:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
オンラインの力
コロナのおかげで、日本の役所がいかに遅れているかよくわかった。
政治家がいかにマクロの数字を読めないかもよくわかった。
テレビの影響がまだまだ大きいこともわかった。
そのテレビ局が、視聴率のためならまともな報道をしないことよくわかった。

しかし、一番大きかったのはオンラインの力をみんなが知ったこと。
曲がりなりにも、一部の人たちがリモートで働けたのはオンラインの力だ。
今やインターネットは大きなインフラになった。

リモートで書類が作れたり、それを共有できたり、打ち合わせができたりするのは、すべてインターネットのおかげ。
これはコロナ後も続くだろう。

出張は減って、オンラインミーティングが増える。
これではリニア計画など飛んでしまう。
出張するより、オンラインの会議の方が早い。

飛行機産業も辛いだろう。
国を越えてオンラインの会議が増えていくだろう。
ビジネスの全てとは言わないが、半分くらいはオンラインになるかもしれない。

日本は労働人口も減るし、ビジネスの規模も小さくなるだろうから、効率を上げないといけない。
オンラインの利用はそれにぴったりだ。
そのあおりで、交通機関は打撃を受けるだろうが、生産性は上がる。

オンラインの力を活用しないと、日本の未来は暗い。

そのためには、まず役所の仕事の効率化が第一だろう。

今時、紙とファックスでやりとりしているんだから、どうしようもない。
人が減ったように見えているが、非正規雇用でごまかしている。
まずはここからだろうなあ。

効率化すれば、公務員は今の半分で十分だろうと思う。


| | 考えたこと | 01:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
誹謗中傷への対応
少し前に女子プロレスラーがリアリティ番組の内容で、SNSで誹謗中傷を受け、それが原因で自殺したということが報じられた。
ここでのリアリティー番組というのは、脚本なしで流れでそのままの姿を見せるというものらしい。
具体的には「テラスハウス」という6人の男女の共同生活の番組で、世界190カ国に配信されているとのこと。
2018年にはアメリカのTIME誌が、ベスト10の番組の1つに選んだほどだ。

そういうわけで、彼女の死は海外でメディアでも話題になったらしい。
ちょうど今深刻化しているネット被害なども絡んだのだろう。

ぼくは基本的にSNSでは実名で登録して、主に情報収集に使っている。
めったに発言をすることはないが、するときは実名だから実社会で言えないことは言わない。
そういうふうにSNSを使うべきだとは思う。

しかし、匿名のアカウントで言われていることで、興味深いものもあるので、一概に否定はできない。
匿名のアカウントを全部禁止にすれば、SNSは面白くなくなるとも思う。
これを言うと、具合悪いだろうけど、言いたい、と思うようなことが面白かったりする。
それがネットメディアの面白いところでもあるから、難しい。

でも、一部の本当に悪意のあるとしか思えない誹謗中傷は許せない。
こういうのは、たいがい実名のアカウントに対して、匿名で誹謗中傷をしているもので、自分は安全な所でただ文句を言うというものだ。
見る価値もないと思って、ブロックしてしまえばいいのだが、彼女はそういう思い切りができなかったのだろう。

韓国では有名人の自殺者が相次ぎ、法律ができた。
サイトの運営者が悪意あるコメントは事前に削除でき、書き込んだ人の利用を中止し、今後そのIPアドレスからの接続を遮断することを可能にした。
こうすると、アカウントを消去しても、プロバイダを変えないとIPアドレスが変わらないから、だいぶ抑止になると思う。

有名人の側も、告訴する例も増えているらしい。
事務所が訴えることもあるという。
それは妥当なことだと思う。

アメリカでは、逆に誹謗嘲笑のコメントをテレビでさらして、笑いものにするという番組もあるらしい。
さすがアメリカだと思う。

日本では菅官房長官がネットリテラシーを教育しないといけない、という発表を行った。
まことにそのとおりだと思う。

韓国のように、運営業者に消す権利を与えるのか、アメリカのように個人がもっと強くなるのか、日本はどう進んでいくのだろう。


| | 考えたこと | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
SDGs
SDGsという言葉は、持続可能な成長目標(Sustainable Development Goals)という意味だ。
この言葉を聞いたのは数年前だったと思う。
その時は、持続可能ということで、資源を減らさない再生エネルギーや、ものをリサイクルする、というようなことだったと思う。

ところが、こないだ見ていると、SDGsは17項目もあるという。
17は多いなあと思って詳細を調べると、アイコンができていて、中身を見てちょっとビックリした。

項目を列挙すると、貧困をなくす、飢餓をゼロにする、すべての人に健康と福祉をもたらす、質の高い教育の普及、ジェンダー平等を実現する、安全な水とトイレの普及、手ごろな価格のクリーン・エネルギーの普及、ディーセント・ワークと経済成長を両立させること、産業と技術革新の基盤をつくること、人や国の不平等をなくすこと、住み続けられるまちづくり、責任ある消費と生産、気候変動に具体的な対策を取ること、海の豊かさを守ること、陸の豊かさを守ること、平和、正義と充実した制度機構、パートナーシップで目標を達成すること、という17個。

国連で2015年に採択された。

さらに、この17個の目標の下に169個のターゲットがあるという。
最近、WHOは言うに及ばず、国連の活動にアメリカは愛想が尽きている、という感じがする。
その原因がちょっとわかった。

第二次大戦が終わった後、戦勝国を中心に国際連合ができて、当初は戦勝国が常任理事国になって機能していたのだと思う。
加盟国数を見てみると、1945年は51カ国、60年に99カ国、70年に127カ国、80年に154カ国、2000年に189カ国、2011年に193カ国という数字が国連の広報センターに出ている。
できて50年以上の間に、3倍になってしまった。
世界の国々が、第二次大戦後、冷戦を経て平和になり、どんどん独立して国連に加盟した。
その結果が今の国連。

アメリカから見れば、国が増えすぎたということなのだろう。
冷戦が終わり、いろいろと他国のことに首を突っ込んできたが、もう疲れてきたので「世界の警察官」はもうやめる、という状況。
相対的にアメリカの力が落ちると、ロシアが出てくるというのが従来の常識だが、ロシアもアメリカのシェールオイルが出てきてからは苦しい。
代わりに力をつけてきたのが中国。

WHOの様子を見ているとわかるように、アメリカが見放した国連を着々と支配しているように見える。
一帯一路もその一環だし、アフリカへの投資も同じだろう。
そんな状態で出てきたのが、このSDGs。

多くの途上国の要望があったのだろう。
非常に網羅的な要求になっている。
しかし、これらは現実にはならないと思う。

自由市場は「差異」の経済だから、みんな一緒に、というのはどう考えても無理なのだ。
「差異」があるから、優位性が成り立ち、儲かる、という循環が成り立つ。

だから、世界の国々がそれぞれ17個の項目の実現を目指すことはいいことだが、それが実現するとは思えない。

おまけに、機関投資家が投資をするときにはSDGsを考慮している会社に投資しよう、という動きまであるという。
SDGsが本気で実現したら、どうやって経済を回し、儲かるところを見つけていくのか、わからない。
本気なのだろうか。

日本は、2018年にニューヨークの国連本部で開かれたSDGsに関する政治フォーラムで、2030年に向けて民間企業および市民団体へのSDGsの取り組みを普及・拡大を促進しながら、“オール・ジャパン”でSDGsに取り組むことを表明したという。

なんだか、キレイ事に振り回されているような気がする。
そんなに世界は理想的なものではない。

難しい問題だ。




| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐野元春
一時期ハマったのが佐野元春。
彼は日本でもラップに早く注目したアーティストだったと思う。

いちばんよく聴いたのは、1986年のYoung Bloods。
調べてみると彼は1956年の3月生まれ。
ぼくと1年違いだ。

今晩WOWOWでコンサートをやっているのを見たが、まだまだ現役のロッカーという格好で、ギターをかき鳴らしていた。
小坂忠も参加していて、ちょっと上の年代の人もいれば、若いミュージシャンも出ていて、いい感じだった。

86年のYoung Bloodsはラップ風の歌い方の走りだったと思う。
ベースのビートの刻み方も、今のヒップホップに通じるもの。
あのビートが気持ち良くて、カセットに入れて何度も聞いた。
当時はレンタルレコードが流行で、借りて録音したから、レコードは持ってない。
何となくCDも買いそびれて、ないままだ。
今日のコンサートでは、あの曲の時はエピフォンのセミアコを弾いていた。

一時期DJっぽい音楽を一人でやっていた。
Somedayが流行った後か。
みんなに知られるようになった反動だったのかもしれない。

当時よく聞いたハイファイセットはベスト盤のCDを買ったりして、揃えたものだが、今はもう音楽を所有しない時代になろうとしている。
どうも、それにはなじめないが…。

30代に入るころ。
レコードの時代の終わりで、CDの時代が始まろうとしていた。

懐かしい。




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ズーム疲れ
Webでの面談が増えた。
オンライン飲み会というのもある。
それらをやっていると、時間は短いのに、疲れる、というのも事実。
単純に慣れていないということもあるのだが、「ズーム疲れ」という見出しがあったので、見てみた。

記事によると、ズーム疲れは

「社会科学者によれば、人間はこれまでに本能的で微調整のきくコミュニケーション方法を身につけたが、それを混乱させるテクノロジーを突然一気に採り入れた結果だ」

ということらしい。

人間の脳は、人間関係をどう維持していくかというところに大きな役割を果たしている、ということは脳科学者が言っていることだ。
その脳の働きによって、表情、目の動きや口調、態度などを見て、話す内容を聞いて、それらを総合的に判断して相手を理解する。

今言ったことは、本気なのか、冗談なのかというような問は、人間には簡単に答えられるが、AIには難しい。
それらは目つきや表情、仕草などからは明らかだが、話した内容からは決まらないからだ。
こういうコミュニケーションは、コンピューターが目を持たないとできない。

Webを使ったコミュニケーションでは、表情や仕草などと話す内容が微妙にずれる、というのはよくある。
声が遅れるとか、動くと画素が一瞬荒くなって、見えなくなるとか、そういう形。
人間はそれらの情報が一致することで決断しているのだろう。
それらの情報が時間的にずれることによって、脳が疲労するというのがズーム疲れの仮説らしい。

なるほど、と思う。
そういう情報が一瞬でもズレると、イライラするのは事実。
一瞬どういうことかわからない、という時間がある。

目線がズレるのも気になることだ。
どちらも、画面をみているので、目線が微妙にずれる。
カメラを見たときに、初めて画面越しにこちらに目線が合う。

そういうズレに付き合いながら1日Webでの面談をやっていると、やっぱり疲れる。
リアルでやっている方がいいと思う。

Webは便利だが、いろんな所で人間に苦痛を強いる。

これが続くと、新しい病気ができるかもしれない。


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小惑星の衝突回避
恐竜が絶滅したのは小惑星の衝突による気候変動が原因だ。
もしも小惑星が衝突しなければ、今も哺乳類は恐竜の餌になっていたかもしれない。
そのおかげで、今の人類は繁栄を享受している。

今から6600万年前、小惑星が衝突したときには、マグニチュード10.1の地震が起こり、最大305メートルの津波が襲ったという。
衝突地点(メキシコ湾)の1000キロ以内の生物は、熱によって即死だった。
その後数ヶ月は降り注ぐ灰で光合成ができず、植物が枯れ、食物連鎖の元が絶たれ、生物の80%が死んだらしい。
現在ユカタン半島の沖で調査をしている研究チームの推定だ。

そんな恐ろしい小惑星の大きさがどれくらいだったかというと、直径10キロだったという。

ついこないだの4月29日、直径2キロの小惑星が地球から630万kmのところをかすめていった。
これでも、衝突すればかなりの被害だろう。
人類が絶滅するかどうかはわからないが…。

観測技術も上がり、一つの大陸に壊滅的なダメージを与える程度の大きさの小惑星も、平均すると年に1,2個は通過している。
広い宇宙で、そういうものがぶつかる確率はかなり低いのだろうが、当たるときは当たる。
現在、NASAが考えているのは、そういうぶつかりそうな小惑星に、十分遠いところにあるうちに宇宙船を衝突させて、軌道を変えるという作戦。
2021年に宇宙船を打ち上げる計画らしい。

本気でそういうことに取り組むのは、人類初ではないか。
太陽系には無数の小惑星があって、潜在的に危険な惑星は2000個くらいあるらしい。

どれが当たるか、わからない。
当たりそうになったら、宇宙船をぶつけられるように、練習するというミッション。

十分に練習を積んで、本番に備えてほしいと願う。

しかし、その予算はアメリカの国費で出すんだろうから、トランプ大統領は許可するのだろうか…。


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高校野球中止に思う
春に続いて夏も甲子園の大会中止が決まった。
春の時は仕方ない、という感じだったが、夏はいろいろと意見があるようだ。

高校野球に関しては、夏と冬の2回大会がある、というのは見直してもいいと思う。
サッカーもラグビーも駅伝も、年に1回の全国大会だから、という理由。
でも、ぼくは高校野球そのものを見直すべきだと思う。

ここ数年の高校野球を見ていると、真夏の炎天下の試合や何試合も続けて投げるピッチャーの負担など、問題が多い。
まずは投球数の制限をもっと厳しくしないと、結局は選手を潰してしまう。
そのあたりは、もちろん考え直さないといけないだろう。
それは学生の将来を考えたら、指導者が考えなければならない問題だ。

それらの問題以前の問題もある。
ぼくが務めていた学校法人は、中学、高校もやっていたが、ぼくの在職中に女子校から、男女共学にした。
ご多聞にもれず、定員割れで集まらないから、苦肉の策で共学化というパターン。
共学化したとたん、野球をやろうということになったらしい。
初年度こそ、1年生だけで1回戦敗退したが、2年目は結構頑張っていた。
学校法人が野球を強くしたい、と思えばいくらでも手はあるということだ。

野球は歴史があるから、そういうルートができてしまった。
小学生、中学生のチームからの選手のスカウト、指導者を連れてくるなど、学校法人の依頼次第でできるらしい。
そのかわり、寮を準備するとか、本気でやるならかなりお金がかかる。
それでも、学校法人が有名になりたければ、やるんだろう。
そのせいで、最近の甲子園では、名前を聞いたことがない高校が増えた。

これらも少子化の影響だ。
学校法人は志願者が集まっていれば、そんな無駄なことはしない。
集まらないから宣伝のためにやるのだろう。
そういうことも相まって、高校野球が学校の宣伝の場になってしまった。

なかなかそういうことに気がつかない人もいるし、マスコミは気づいていても問題にしない。
野球中継で儲かったり、高校スポーツは神聖なもの、という神話もあるからだ。

数年前にどこかの高校が、その府県出身の選手がほとんどいない、という状況になった。
そこで、野球留学の制約を話し合ったとき、結局他府県からの受け入れをやめると、高校野球が成り立たない、という意見で高野連も日和ってしまった。

成り立たない、というのは勝負が面白くなくなる、ということだ。
田中マー君は伊丹の出身だが、駒澤大学附属苫小牧高等学校に入学した。
関西からの野球留学だ。
こういう学校が、どんどん関西、関東から選手を取ってきて、強くなる。
学校数が少ないところのほうが、甲子園に出られる確率が増えるから、野球少年にとっても魅力があるののだろう。
もちろん、親にとってもだ。

こうなると、もうビジネスであって、神聖なことなどない。

こういう状態をいつまで放置するのだろうか。




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