考えたこと2

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笑える文章
小学校の頃、ギャグマンガで笑ったことはあるが、小説やエッセイの類で声を出して笑ったことはなかった。

生まれて初めて、本を読んで笑ったというと、筒井康隆の短編集。
ドタバタの短編だった。
小説で声を出して笑うということが、すごく新鮮な感覚だった。

それ以降、田辺聖子の短編や高島俊夫のコラムなどで声を出して笑ったが…。
書いたもので笑う、というのはめったにないことだ。
泣くことよりも、笑うことの方が少ない。

そういえば、東野圭吾という小説家も、笑わすことは一段低く見られているが、泣かすことよりも難しい…というようなことを言っていたと思う。

また、昨日の続きになるが、「笑い」というのは「場」に依存することが多い。
その時のメンバー、その時の雰囲気、そこに行きつくまでの時間…、そんなものが融合して、「すごく面白いこと」につながっていく。

その場にいた人になら、後日そのことを書いて、笑わすことはできても、全くその場を知らない人を笑わすことは難しい。

だから、書いたものではそう簡単には笑えない。
落語や漫才の台本など、読んでも全く面白くない。
台本を読んで笑えるなら、誰がそれを演じても、面白いということになってしまうだろう。実際には演者によって、面白くなったり、そうでなかったりするのだ。

それこそ、行間の間とかセリフのテンポとか、技術的なことも考えないといけないと思う。
(文章で笑わすことに価値を見出さなければ、アホらしくてできないだろう。)

そんなことも、考えさせられた。

また、今日も座談会の記録の校正を続ける…。


| | 考えたこと | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
話を伝えることは…
昨日の続き。

座談会の記録を校正しているが、話されたものを、「読む」ための言葉に書き換えると、結局はたくさんの情報が失われていく。そうしないと、読みやすくはならない。
逆にいうと、それが「話す」ということの価値なのだ。

場の空気というものがある。

白熱した議論、熱い語りや思い…そんなものはほとんど「言葉」ではなくて、表情、しぐさ、声というような、言葉以外のもので伝わっているということか。
話し手だけではない。回りの人の表情や、目線、態度など、それこそ空気の部分が必要になる。

それだけ、会って話すことには意味があるということだ。

いくらネットワークが進んでも、会って話すことの価値は減らない。

メール、テレビ電話などの新しいメディアが増えているが、会いたい人には会って話す方がいい。

百聞は一見に如かず…。

もちろん、読むための文章の価値は変わらない。

書き言葉の方が伝えやすいこともある。
目は脳に近いから、逆に、簡単に伝えることもできる。

会議でも、説明のための文章を作って、それを見ながら話すと、短い時間でわかってもらえる。
チャートにして、イメージも含めて伝えるという手法もある。

それでも、今回座談会のテープを文章にして、話すことの大事さを知った。

まだまだ大幅な校正が必要だが、何とかあの熱気だけは伝えたい…。難しいなあ。



| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
読むことと聞くこと
生まれて初めて、テープ起こしというのをやった。
座談会を録音して、それを文字にするというヤツだ。
ヘッドフォンで、合計3時間半ほどのテープを聞いた。

とりあえず、話しているものをそのまま文字にした。
話している、その臨場感を文章にしたかったのだ。第1稿を作って、読んだ時にはまだヘッドフォンで聴いた事が頭に残っているので、すごくよくわかったし、臨場感もあって、「これはいいなあ」と思えた。
読んでいて、話す声が聞こえてくる…という感じだった。

でも、それを2段組にして、見出しをつけて、本のカタチにしたら、どうもオカシイ。
ぼちぼち自分が聞いた声が頭の中から消えて、文章を読むモードになったらしい。

話し手が6人いるのだが、一人ひとりのくちぐせが、読むジャマになるのだ。
ついこないだは、それが臨場感を伝えている…と思っていたのが、消えてしまったのか。

「そうですね…」で話を始める人、「やっぱり」を連発する人、「〜とか」を多用する人…一人ずつの特徴を表して、その場の雰囲気を伝える「言葉の力」があったのに、時間が経つとそれがジャマになる。
また、話し言葉特有の、語順の入れ替わり…「言ったんです、私は」のような、力の入った話ぶりを伝える部分も、時間が経つとおかしく感じてしまう。

どうも、脳が「聞く」モードから、「読む」モードに切り替わったらしい。
聞いた本人にとっては、その切り替えに時間がかかるのだろう。すごく集中して、何回も聞いたことによって、簡単には「読む」モードには変わらなかったんだと思う。

今日は、それを修正して、第2稿を作った。

でも、持って帰ってじっくり読んだら、まだおかしいところがたくさんある。
直したつもりだったのだが…。

読むという行為は、聞くことよりも、脳に近いようだ。
話し言葉というのは、書くとすごくムダを含んだ文章になる。でも、聞いている時はそうは感じない。ところが、それを読むと…まどろっこしいし、わかりにくくなる。
逆に、書かれたものをそのまま声に出して話すと、ヘンに聞こえる。書かれたものはムダがないからだろう。

読むことは、脳に近いから、ムダな言葉はジャマになる。
目からダイレクトに理解するためには、不要なのだ。

聞いているときには、少々ムダがあっても、声の大きさやトーン、表情やしぐさなど、多くの情報を脳が処理しながら理解しているので、言葉はおかしく感じないし、逆にそれらが「言葉の力」を生み出すのだろう。

これは、面白かった。

実際に、読みやすいものにするためには、あと何度か校正を繰り返さなければならない。

世の中に出ている、対談集などは、かなりムダを切りつめているに違いない。

テープを起こした本人だけが、何度も注意深く話を聞いて、ニュアンスがわかるのだが、その「言葉の力」を文章にするのは至難の業だろうなあ。

もう少しがんばって、やってみよう。

でも、読むことと聞くことの違いが、こんなに大きかったのか…ということが実感できたのは収穫だった。



| | 考えたこと | 01:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
水中モーター
何度かプラモデルについて書いているが、最近はホントに見なくなった。

小学校の頃は、おもちゃ売り場といえばプラモデルだったし、こづかいをもらったら、真っ先にプラモデル屋に走っていた。
今ほど精度も良くなかったので、部品についているバリをきれいにとって、接着剤でひっつけていた。
部品は各々プラスチックのハシゴ状のものにひっついていて、それをきれいに外さないといけない。
部品外しのためには、爪切りが必需品だった。
爪切りでパチンと外した部品をヤスリ部分でこすって、きれいにして、ひっつける。

当時、潜水艦や船の模型が多かった。
イ号潜水艦やUボートといった、第二次大戦中のものや、サブマリン707(だったと思う)というようなマンガの模型もあった。
簡単なものは、ゴムを巻いて、それが戻ろうとする力でスクリューを回して進むのだが、ぼくらが小学生の時に、画期的な新製品が出た。
マブチの水中モーターである。

マブチといっても、今の若い人にはわからないかもしれない。
昔はプラモデルを動かすためのモーターを作っていた会社だが、今やDVDプレーヤーや自動車の中の小型モーター、デジカメ、コピー機、歯ブラシなどの中に組み込まれる小型モーターの大会社になっている。
ホームページで会社の沿革を見ると…載っていた!

1967(昭和42)年3月 模型、玩具の新しい動力として水中モーターを発売する。

そうそう、それである。

単三電池を一つ、キャップの中に入れて、閉める。その電力で直づけのモーターを動かしてスクリューを回すのだ。
水中モーターには吸盤が付いていて、それをプラモデル本体につけるだけで、水の中を走ることができる。
プラモデルはボディがあればよい。
極論すれば、樹脂製の洗面器の底に水中モーターをつければ、それが動くのである。

出た時は、すごいなあ、と感心した。

いくつか、水中モーターをつけれるモデルを作ったと思う。
狭い風呂の中、近所の川などで浮かべたことを覚えている。

何が悪かったのだろうか…。
しばらくしてなくなった。

一つは、水中モーターを使って遊ぶような場所がなくなっていったこと。
もう一つは、やっぱり防水等のために重くなったことではないか。

何かのひょうしに沈んでしまうと、もう終わりだった。

それでも、ぼくが10歳の時に発売された水中モーターは忘れられない。

ネーミングもすばらしい。

「水中モーター」そのままである。

あのマブチモーターが、今やすごい企業になっているのは、隔世の感がある。

でも、そのホームページに、水中モーターのことが書いてあるということは、子供の夢を育ててきた会社という思いがあるに違いない。

水中モーター、覚えていませんか?




| | 考えたこと | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
前向き
前向きという言葉、よく使うが、難しい。

「積極的」とか「建設的」とかいう意味で使うことが多い。

でも、役人の決まり文句のように言われている、「前向きに善処します」というのは、やろうと思うけどやらない、という事だと聞いたことがある。

いつも前向きであろうとするが、必ずしも実行できるとは限らないのは、役人だけのことではないだろう。

自分にとって「前」でも、人にとっては「後ろ」という事もある。
何を前とするかは、その人の理想やおかれた環境で違うだろう。

結局、その人が、「もう、どうしようもない…」と思った時に、「仕方ない」と考えず、あるいは考えたとしても、「それでも…」と「どうしようもないこと」をカバーしてがんばる気持ち、そして実際にその方向に進むことを「前向き」という…、それがぼくのイメージ。

それでも、くじける事もある。

仕事をしていたら、何でやねんと思うことが起こる。そんな日もあるのだ。ためていた気が、抜けてしまうという感じ。

まあ、それでも、何とかリカバリーして、自分がこれだ、と思う方向に進むしかないなあ…と思う。

「前向き」でいくしかない。

奇しくも今日は14番目の月。

夜空に浮かんだ月は、満月と言っていい。
でも、満月ではない。
まだ、満ちようとしている月だ。

その月は、「前向き」の月だろう。

明日から、またがんばりましょう。

| | 考えたこと | 20:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
中秋の名月
暦の上では、今日が中秋の名月。
十五夜というのは、十五日の夜ということで、月齢が15ということではなかった。

今日は月齢13.6で、実際の満月は27日。

となると、明日が満月に向かう14番目の月ということになる。

暦と月齢は必ずしも一致しなかったのか…。

明日が14番目の月だったはずなのに、今日が中秋の名月だというから、どうなっているのかな…と思って調べたら、旧暦の8月15日がお月見の日になっているとのこと。
旧暦では今日が葉月十五日ということだ。

たしかに今日の帰りに見た月は明るかった。
夜を照らす月だ。
ようやく涼しくなってきた夜に、丸い月が本当にぽっかりと浮かんでいた。

明日は14番目の月。

ユーミンが歌った月だ。

まだ半袖で過ごせる夜だが、明日は月を見て、昔のレコードでも聴こう。

長かった夏もようやく終わって、秋がきた。

今夜は、涼しげな月がそれを教えてくれたような気がする。



| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
鉛筆と消しゴム
最近、消せるボールペンというのが出ている。
フリクションボールという名前だ。

これは、インクが無色になる、という効果を使っているとのこと。
ペンの反対側に専用のゴムがついていて、インクが乾いたらそれでこすると、摩擦熱でインクが無色になり、消える…という仕組みとのこと。
いったん高温になって消えると、もう戻らないという不可逆反応らしい。
なるほど。

ワープロになる前は、本当によく消しゴムを使った。
前にも書いたが、報告書などを書いていると、あ、これも書きたいとか、書くのを忘れていたこととか、書いている最中に思い出す。
そのたびに消しゴムで消す。

ぼくは硬い芯が好きで、FかHを使っていたので、消しにくい。
HBだと、筆圧が高くて芯が折れるのと、手が真っ黒になるのだ。
ウチの子どもたちは、小学校でBを使えと推奨されているらしく(たしかに、Bで書くとコピーをしても鮮明だが…)、手が黒くなりながらもBを使っていた。
ぼくらの頃は、HBだったのだが…。

それでも、プラスチック消しゴムができて、きれいに消せるようになった。
昔のゴム消しとか、砂消しだと、何度も消していると、紙が破れてしまう。

図面も、鉛筆で描いていた頃は、電動消しゴム(電消し)をよく使った。
一部分だけをきれいに消すためには、電消しと消し板は必需品だった。
電消しも、当初はコンセントにつなぐタイプでないと、回転数が低くて使いものにならなかったが、10年くらい前から充電電池が良くなって、充電式のものに変わった。
常に充電台に置いておいて、コードレスで使えるもの。これは便利だったなあ。
でも、図面をコンピューターで描くようになって、これも不要になった。

長い報告書を書いていて、途中でどうしても書き足したくなった時など、別の紙に書いて、切り貼りしたこともあった。
これは、ゼロックスができたおかげだ。

ゼロックスの効果はさておき、ワープロができて、消しゴムの需要もだいぶ減ったのではないか。

いいニオイのする消しゴムや、キャラクターの消しゴムなど、本来の用途以外のところで売った消しゴムもあったなあ。

でも、今回、消せるボールペンが出て、また消しゴムの需要が減っていくのかもしれない…。
消せるボールペンを作った会社は、消しゴムも作っているのだが。

学校はまだまだ紙と鉛筆の世界だ。
それは続けるべきだと思う。
手を動かすことで覚える…という効果もある。

それは、ボールペンでもいいのだが…。
やっぱり、鉛筆と消しゴムか。

小学校1年の時に、真新しい筆箱に、とんがったHBの鉛筆(なぜか、ふかみどり色と決まっていた)にキャップをかぶせて、並べて持っていった、あの感覚…ウチの子どもたちも同じだったが、鉛筆はBだった…、あれは続けてほしいなあと思う。

単なる郷愁かもしれないが、あれが消せるボールペンになったら…、何となく寂しいものがある。

やっぱり、鉛筆と消しゴムはなくしてほしくない。

と、思いつつ、ワープロを使って書いているのだが…。

すみません…。






| | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
リズム
音楽の三要素というと、メロディ、ハーモニー、リズムの3つと言われている。

この中で、これが外れるとシンドイ…というのがリズムだと思う。

よくあるバンドの編成が、リードギター、リズムギター、ベース、ドラムス。
目立つのは、リードギターだが、これが下手でも聞くことはできる。
メロディは少しくらい外れても、さほど気にならない。

聞いてられない…というか、ノレないのは、ドラムスとベースが外れるバンドだろう。
手拍子ができない。

バスドラムとシンバルでリズムをキープして、ベースがちゃんとビートに乗って弾いていれば、音楽の基本の部分はOKだと思う。
ここさえちゃんとしていれば、自然と身体が動くし、手拍子もできる。

もちろん、ギターもリズムを刻むのだが、まず低音の部分でちゃんとビートが出ないと、ノレない。

まずはリズムだ。
もちろん、弾き語りのバラードなどは、弾き手が自分のビートでやればいいのだが、何人かで演奏するときには、ベースとドラムスが大事だと思う。

ビートルズも、堅実なリンゴのドラムスと、時にはメロディまで演奏する、ポールのベースが演奏を支えていた。

人類の音楽の始まりは、何かをたたくことだったと思う。
みんなで足を踏みならしたり、手拍子をしたり、そこに心地よいビートが生まれたのだと思う。

サンバ、レゲエ、ボサノバ、カリプソ…そのリズムを生んだ地域の色が感じられる。

日本の音頭のリズムも、心地よいビートがある。

でも、リズムのない音楽もある。
これは難しい。
インドの瞑想音楽や、日本の雅楽もそんな感じだ。

こういうのを聞いていると、眠くなる。
それはそれで、音楽の効用なのだろうが…。

やっぱり、音楽はリズムだと思う。


| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
残せるもの
よくある質問。
無人島に一人でずっと暮らす時に、何を持っていくか?というやつ。

まず思い浮かぶのが、本だ。
できるだけ長い本か、難しい本がいい。
人生の残り時間がどれだけあるかは別として、かなりの時間を1冊の本で過ごさねばならないとしたら、読み応えのある本でないと飽きてしまう。
キリスト教徒なら、聖書というところか。
厚い本というなら、広辞苑とかもあるが…、面白くないか。
フィクションがいいか、ノンフィクションがいいか…これも迷うところ。
小説なら、飽きるのが早いかもしれない。
小林秀雄の評論など、難しすぎる本がちょうどよいかもしれない。

読むのもいいが、書くためのものもほしい。
誰が読むわけでもないが、自分で書き残して、読み返す。

それと…、ギターは持っていきたい。
弦や調整の問題はあるが、これは友達みたいなものだ。
持っていって、弾く。

不思議と、こういうことを考えている時には、どうやって食べるのか、着るものはどうするのか…などは考えない。

そんなことを考えて、無人島に行かず、普通に暮らしている自分を思う。

本もあって、書くものもあって、ギターもある。

それでいいではないか…。

満ち足りた生活だ。

無人島なら、持っていくものだが、ここでは反対に残せるものを考える。

本は好みがあるし、書いたものは…、価値はないだろう。

ギター2本は、好きな人になら、価値があると思う。

しかし、一番価値があることは、残せる相手がいることかな…。

無人島には、それがない。だからこそ無人島だ。

残せる相手を持って行ければいいのだが…それは想定外の答えだろう。


| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
疲れる会議
会議というものに、さかれる時間がある。

いったい、会議は何のためにやるのか…。

何かを決めたいから。
何かを知らせたいから。

会議には目的があるはずだし、それは所定の時間のなかで遂げられないといけない。
それがかなわないなら、時をあらためて、やるべきだ。

もちろん、会議のメンバーには、何のために会議をするのかがわかっていないといけない。
それが暗黙の了解事項ならよいが、そうでないなら、事前に知らせるのは主催者の義務だろう。
意見もなく、会議の目的と決定に自分が全く関係ないなら、会議に出ること自体が損失になる。
少なくとも、議論しようとしていることに対して、自分がどう関係しているのか、わかっていないといけない。

決めるためには、メンバーの意見が必要だし、決めることができるメンバーを選ぶのも、決めたいことを持っている人の、すごく大事な仕事だろう。

会議には、言いたいことを持っていかないといけない…と先輩に聞いた。
自分の言いたいことを、会議の場で説明するのは、もちろん自分の仕事だから、資料は自分で作らないといけない。

情報交換のための会議…というのがある。
「情報交換」という言葉に「人の時間をむだ遣いする」というふりがなをふらないといけないような場合が多い。

こないだから、二つほどそんな会議に出た。

情報交換というのは、便利な言葉だ。
でも、多くの場合、「目的がなく、とにかく集まって、各々の言いたいことを言う」という会議に、そういう名前がふられるのではないか…。


| | 考えたこと | 01:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンマツ現象
その時、ぼくらはある問題について話しあっていた。

その問題とは、あるものが、ある日突然壊れてしまうという問題だった。

なぜそんなことが起こるのか、頭を悩ませていて、何人かが集まって会議をしたのだ。

みんな、真剣だった。理由もなく壊れるハズがない。結果には原因があるはずだ。

誰かが、過去に衝撃を受けていて、その履歴がものの中に隠れていて、ある日突然思い出すのではないか…と言った。

実際、そんな理由しか思い当たらず、誰もが頭の中にそんな考えは持っていたが、そんなことはないだろうと思って、言い出せずにいた…、そんな感じだった。

そうやろか…誰もが口の中で言葉にした時、その会議を仕切っていたFさんが、「それは、コンマツ現象やな」と真顔で言った。

コンマツ現象という言葉を聞いたことがなかったのだが、経験豊富なFさんが言うことだから、「はあ、そうですかね」…
と言いながら、コンマツとはどういうことだろう?どういう字を書くのだろう?何か横文字の略語だろうか…などを考えをぐるぐる巡らせたが、わからない。

どう考えてもわからなかったので、「あのー、コンマツ現象て、何ですか?」と聞いた。

Fさんはぼくより5年ほど年上で、関西出身である。

「コンマツやがな。むかし、大村昆がやってた、「番頭はんと丁稚どん」知らんのか?」という。

よく聞いてみると、むかしテレビでやっていた喜劇で、大村昆が、こん松という丁稚の役をやっていて、「コンマツ」はその「こん松」だという。

こん松は、いつも番頭はんになぐられるのだが、なぐられて、しばらくしてから、「痛い!」というギャグが定番だったらしい。
要は、そのこん松のように、衝撃を受けてから、しばらくして反応するということを、「こん松現象」という名前で呼んだだけ…ということだ。
知っているハズがない。
一同、あきれてしまったが、あまりにもマジメな言い方だったので、「ほー」としか言いようがなかった。

「こん松現象」という言葉、もちろん、グーグルで検索しても出てこない。
あの時の関係者しか知らない言葉だろう。

それにしても、あの時のFさんの言葉は忘れられない。

「それは、コンマツ現象やな…」

ちなみに、その問題は後日解決したのだが、「コンマツ現象」ではなかったということだけ、記しておきます。



| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェイル・セーフ
人間は完璧ではない。
人がやることには、必ずマチガイが起こる。
そんな当たり前のことが、なかなかわからない。

だから、フェイル・セーフという言葉がある。

「人はマチガイを犯すものだから、もしも間違っても、ここまでで止めましょう」という機構だ。

もちろん、機械に対してもフェイル・セーフという考えは適用される。

クルマのブレーキオイルの配管は、1本ではなく2本にしましょう、というのがそうだ。
もしも1本が切れても、もう1本の配管でブレーキに油圧をかけて、最低限止まることはできる。
それを一歩進めて、配管をクロスさせておく。
そうすると、片側だけがブレーキがかかって、危険な状態になることが防げる。
「万が一」というヤツだ。

パソコンで、ファイルを消去する時に、「ホントに消してもいいですか?」と聞くのは、人間へのフェイル・セーフだ。
誤って消去することを防ぐために、もう一度確認のウィンドウを開く。
2回間違えることはないだろう…というヤツだ。
それでも、毎回聞いてくると、いつものように何も考えず、OKのボタンをクリックしてしまう。
もう一段フェイル・セーフがあって、もしもOKをクリックしてファイルを消去してしまっても、「ゴミ箱」という入れ物に入るだけで、その中から出すことができる。
2段階のフェイル・セーフ機能ということになる。

やることが決まっていると、フェイル・セーフできるのだが、何をするのかわからないのが人間である。

規則にのっとって行動していないと、フェイル・セーフはできない…ということだ。

そのためには、経験をつむしかないのだろう。

経験が多いほど、自らにフェイル・セーフの機能が働くようになる。

その意味では、年を取るのも芸のうち…ということになる。

それでも、いつもやっている仕事でも、どうして?…というマチガイを犯してしまう。

そこに、経験だけではない、「センス」とかいうものが顔を出すのだ。

センス…日本語にすると、「感じること」。

それは、天性の才能なのかもしれない。

どうやったら、センスは磨けるのだろうか。

これは、生きていく上で、すごく大事なことだと思うが、難しい。




| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
書くこと
中学の頃から、日記をつけはじめて、一時中断して、また社会人になって書いて、これを書きはじめてからやめてしまった。
高校の頃と、会社に入ってからの一時期はたくさん書いた。

小学校1年の時に、校内の文集に一度だけ作文が載った。
数年前、母がそれを置いておいてくれたのをもらって、思い出した。
書くことはそんなに上手ではなかったと思う。
今でも、上手だとは思わないが…。

読むことは好きだったが、書くことについてはそんなに思い入れはなかったと思う。

会社に入ってから、書くことが増えた。
もちろん、報告書とか、起案書とか…そういうものだ。
残業して、一人で報告書を書いて、何度も読み返して、書き直して…それは今でも好きな仕事だ。

書くことが自分を救うということも、会社に入ってから知った。

一人で外国に3ヶ月いたことがある。
仕事の関係者は親切にしてくれるが、やっぱり外国人だ。
カルチャーショックという言葉を実感した。
その時に、たくさんノートに書いた。
しんどいこと、気遣ったこと、びっくりしたこと、腹が立つこと…。
これはストレス解消になった。

もっぱら散文を書く。
詩は書けない。

書いていると、新しい考えが浮かぶ。
書きながら、書くことを考える。
ワープロが出てきて、便利になった。

鉛筆で書いていた頃は、書きながら新しいことを思いつくと、また消して書き直して…結局一から書き直した方が早いというようなこともあった。

書くことの意味はなんだろう。

自分では気づかなかった考えに気づいたり(おかしな日本語だが)、頭の中や気持ちを整理したり、行きづまった時に道を探したり…。

ぼくにとって、書くことは大事なことだ。

「趣味」というものではないが、書くことなしに生きていくことはできないと思う。


| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
3つのK
3Kというと、労働条件で「きつい、きたない、危険」ということだった。

今は「きつい、給料が安い、帰れない」というふうに言われることもあるという。

どちらもヨクナイことの頭文字をとったものだが、設計の仕事をしていたときに、技術屋の大事なものは…、ということを、「3K」という言葉になぞらえて言っていた。

仕事をしていると、どうしようもなくなる時がある。
行き詰まるというヤツだ。
そんな時、どうやって打開するのか…。
リクツは大事だが、それだけではない。

「経験とカンとくそ度胸」この3つ…これが「技術屋の3K」だと言っていた。

やっぱり、「経験」をふまえないといけない。その部分は大事。ムチャも必要だが、限度もあるだろう。

「カン(勘)」…全部が理詰めでは運ばない。こうなるはず、というような思い込みもないとイケナイ。

「くそ度胸」というのは、むりやり頭文字をKにするために頭に「くそ」をつけたという経緯はあるが、単なる度胸ではダメな時がある。要は「思い切り」だ。いくしかないときは、いくしかないのだ。もちろん、無謀ではいけない。
そこに経験による見極めが必要だろう。

仕事には納期がある。特にもの作りの上流の方で納期が遅れると、そのあと全部が遅れてしまう。
もちろん、確認も大事だが、どこかで「思い切って」いかないといけない。そんなときに、この3つのKが必要になる。

新しいことをやってみる時もそうだ。
経験にもとづいたカンを働かせなくてはいけない。そして、思い切っていかないといけない…ここでも3つのKが要る。

別にマニュアルになったわけではないが、今でもいいセレクションだと思っている。

経験、カン、くそ度胸…これは良い方の3Kです。



| | 考えたこと | 20:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
危機管理

以前、仕事で苦労した時に、危機管理の本を読んだ。
その中に書いてあったのが、どんな逆境の中でも、前を向いて考えること…ということ。

だいぶ前にここに書いた、"Silver lining"のことわざもこの本の中で紹介されていた。

書いた人は佐々淳行という人。
危機管理のノウハウという本で、文庫になっている。

危機管理というのは、悪いことが起こらないようにしていても、起こってしまったことについて、起こった後どうするか?ということを考える事だと知った。

「管理」という言葉がキーだろう。
起こってしまった物事を、ちゃんとコントロールすること、これが「管理」だ。

大変なことが起こってしまうと、普通はあわててしまい、物事がちゃんと見えなくなる。
自分の見たところだけが真実であって、広い目で見ることもできない。
普段なら冷静に判断できることも、そんな状況では、正しい判断が下せなくなる。
要は、コントロール不能になる、ということだ。

だから、一つは常日頃からもしもこんな事が起こったら…と想定しておいて、その時になってもあわてないようにすることだ。消防訓練などは危機管理だといえる。

でも、想定外の事も起こる。これがホントに危機管理が必要な出来事。
たしか、その本には、逆説的だが、「拙速」でもいいから動くこと…と書いてあったと思う。
つたなくてもいいから、早めに何か動いてみる、ということだ。
もちろん、間違っていたら、すぐに別の手をうつという事も入っている。
じっくり考えて行動しようとするよりも、とにかく何かをすること…これも難しい。
これ以上の失敗をおそれて、普通は動けなくなる。

もう一つは「始まったことは必ず終わる」という事を自分に言い聞かせること。
どんなにつらい状況でも、先が見えない状況でも、どうしたらいいのか、全くわからない状況でも、必ずいつかは落ちつく時が来る、ということだ。

この言葉は、作者の経験から出ている言葉だけあって、すごく印象に残っている。

それでも、最も大事なのは、常に自分というものを失わないことだろう。
そのためには、どうしたらいいのか。
いつも、自分が何を大事にするのか…価値観をハッキリと持つことかな。

自分にとって大事なものは何かを考える…意外と難しい。

それができる人はエライと思う。

ぼくはまだまだダメだ。

ムダに年を取ってしまった。




| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
453
前回、今回と数字が並んでいる。

今日の数字は453。

さっき数えてみたら、前回でちょうど452のブログを書いたことになる。
今日で453回目。それで453。

2005年の5月11日が最初だから、855日で453になったことになる。
だいたい、2日に1回くらい書いているのか…。
書いた本人は、もっと書いているような気がするけど、そんなものでした。

ある日、インターネットの接続をしている会社から、ブログのサービスを始めたので、どうですか?というメールが来たのがきっかけ。
とりあえず、やってみようと始めた。

何を書いたらいいのか、よくわからないまま始めて450回書いたのか…。

いろんなことがあって、いろんなことを書いた。

始めたころは、それまで書きためたメモなどもあって、それなりに中味があるのもあったが、最近は身辺雑記と昔のハナシになってしまった。
自分が第一の読者で、気に入ったものが書けた日は、一人でよろこんでしまう。
最近は、書くこと自体が目的になってしまっている面もあり、少し反省しないといけない。

そう言いながら書いている今回も、書くために書くという感じがしないでもない…。

題名だけ見て、内容を思い出せるものもあれば、全く何を書いたのかわからないものもある。

でも、最初の頃に書いたものは、思い出せるものが多い。
フォーチュンクッキーの言葉、何気ないひと言、ラーニング・プラトー、主観的価値、50億年、子供の文化祭、忘れられないプレゼント、マフラーの記憶、17歳の時間…。

時々思い出していたことをここに書いたことで、残せたと思うものもある。

もう一度、書き直したいと思うものもある。

肝心の本のレビューの方は、中途半端になってしまった。
いつか、読んだ本のリストだけでも残しておこう。

自己満足の部分も大いにあります…。

書くことでストレスを解消している部分もある。
いつまで続けられるのだろうか…。

今まで読んでくれた方、ありがとうございました。




| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
1−3−6−5
イチ・サン・ロク・ゴというコード進行がある。
今日レッスンで習った。

三和音で言うと、ドミソ、ミソシ、ラドミ、ソシレというコード。

よくあるコード進行だが、この時にベースの音をド−シ−ラ−ソと順番におとしていくと、すごくつながりのきれいな響きになる。
ビートルズがよくやっていたパターン。

今までベースが思うように弾けず、心にひっかかっていたのだが、今日解決した。

ギターの弦は6本あるが、6本とも弾こうとするから、それができなかったのだ。
間の弦をとばせば(ミュートするという)、楽にベースの音をド−シ−ラ−ソと弾ける。
コードは、できるだけたくさんの音を弾こうと思っていたのが、できない原因だった。

弦があるからといって、全てをコードの音にしようとするからいけないのだ。

鳴らしすぎないこと…これも楽器を弾く上で大事なことなんだろう。

和音の基本はベースの音(一度)があって、三度、五度と音を重ねていくのだが、五度の音を先生はよく省略する。

何でですか?と聞いたら、一度の音の響きの中に、五度の倍音がたくさん含まれているから、五度は省略しても響きとしては成り立つのだとのこと。

そういわれて弾いてみると、たしかに五度を省略して、一度・七度・三度というような組み合わせで弾いても違和感がない。

なるほど。

いかに音を出すかよりも、いかに音を省略して、強調したい音を出すか…これがコツなのだろう。

いつも魔法のように弾いている先生の考え方が、少しわかった気がする。

クラシックでは、一度と五度の二音を重ねるのは、響きが下品とされているという余談も聞いた。

音を鳴らすことよりも、鳴らさないですむ音を鳴らさないこと。

1−3−6−5はそれが大事な組み合わせだった。

音楽は、奥が深い…。




| | 考えたこと | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
時代劇
ウチの子どもたちを見ていて、ぼくの頃と大きく違うことの一つが、時代劇をほとんど見ないことだ。
見ようにも、番組が無い。

ぼくらの子どもの頃は、まだまだ時代劇がたくさんあった。

水戸黄門、遠山の金さん、大岡越前、眠狂四郎、鬼平犯科帳、暴れん坊将軍、桃太郎侍…。
子ども向けの忍者ものもあった。伊賀の影丸、風のフジ丸、サスケ、赤影…。
宮本武蔵、佐々木小次郎、柳生十兵衛、猿飛佐助などの名前は、たくさんの子どもがテレビやマンガを通じて知っていた。

昭和40年代、一週間のうち、3日くらいは時代劇をゴールデンタイムにやっていたのではないか。

今は水戸黄門が続いているだけか。
NHKの大河ドラマも、まだ江戸以前の時代劇がある。

ウェスタンと同じく、勧善懲悪。正義は必ず勝つ、というワンパターンだった。

水戸黄門など、わざわざ太刀回りなどしなくても、印籠をだせばすぐに解決できそうなものだが、一通り太刀回りがあって、「助さん、角さん、もういいでしょう」という声がかかるまで、無用な戦いをする。
見ている方はこれが楽しみで見ているのだから、仕方ない。
「ここにおわすお方をどなたと心得るか、先の副将軍、水戸のご老公にあらせられるぞ、みなのもの頭が高い…」という助さん、角さんの決めぜりふが出たら、一同が「へへー」と土下座する。
「人生 楽ありゃ 苦もあるさ…」というボレロ調のテーマソングが流れて、おしまい。
今でも変わらない、偉大なるワンパターン。

遠山の金さんは、「この桜吹雪が目にへぇらねぇのかい」と肩の入れ墨を見せるのが決め。

みんな、決めぜりふや、決めのパターンがあった。

里見八犬伝の映画など、最近あったが、どちらかというとファンタジー調になっている。
勧善懲悪が流行らなくなって、時代劇も廃れた。

時を同じくして、ヤクザ映画も廃れていったような気がする。これも、ある意味で勧善懲悪のストーリーだった。主人公がガマンにガマンを重ねて、最後に悪いヤクザをやっつけて去っていく…というパターン。

昭和任侠伝という新作落語を、亡くなった桂春蝶がやっていたのが、昭和50年代か。
ぼちぼち、ヤクザ映画が下火になってきた頃に、落語になったのだろう。
今、あの落語をやっても、若い人にはわからないだろうなあ。

アメリカのウェスタンもなくなった。
これは、インディアンという先住民を悪者にするという事への批判があったのだと思う。
決闘ものは残ったが、マカロニウェスタンにおされて、伝統的なウェスタンはなくなっていった。

時代劇やウェスタンがなくなっていったことと、世の中のだれもが「良い」と思うことが分散してしまったことは、根っこの部分でつながっているのではないか。

公害や交通事故、汚職、ベトナム戦争、東西冷戦…。

そんな世相の中で、時代劇は減っていき、経済成長することが良いことなのか、資本主義は良いことなのか…、大臣はエライ人なのか、学校の先生はエライのか、役人はエライのか…わからなくなってしまった。

時代劇が復活することはもうないだろう。
バラエティ番組に駆逐されてしまった。
まるで、バカであることが一つの「売り」とされたり、誰かをいじめて面白がったり、それがもてはやされる…そんな時代になってきたのかな。

それは、いいことなのだろうか。

そうは思えないのだが…。



| | 考えたこと | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
初舞台
初舞台は18歳の時。

落語をした。
京都教育文化センターというところ。
300人以上入る、大きなホール。落語ブームの最後の時期。
チケットを部員20名ほどで一人40枚をノルマにして売った(ただで配った)が、いっぱいになることはなかった。

秋の寄席。

落語というのは一人でやるものだが、寄席は出演者みんなのチームプレーである。

開演前に太鼓を打つ。大太鼓としめ太鼓で、オタフクコイコイ…と打つ。

前座がにぎやかに客席を盛り上げるところから始めて、中入り前の中トリが聞かせて休憩。
中入り後の前座から、大トリ前まで盛り上げて、大トリがお客さんを納得させて終わる。

「おわーりー」の声と同時に、シメの太鼓を打ち始める。

出る順番に各々の役割がある。

当日は朝からみんなでリヤカーに看板やおはやしの道具などを積んで、歩いていく。
ぼくは「ど前座」といって、一番最初にやることになっていた。
「とにかく、元気に、にぎやかにやれ」と先輩の指示。「客を起こす」のが役割だ。
うけなくても、仕方ない。最初はお客さんの出入りもあるし、聞く雰囲気になっていないし、難しい。
とはいえ、元気に声を出していくしかないのだ。

ネタは「七度狐」。中学2年の時から好きな噺だった。夏休みから練習して、覚えた。
それこそ、電車の中でも右向いて、左向いて、もごもご言っていた。ヘンなヤツである。

着物に着替えて、下座で待つ。
帯を締めて、お腹をポンとたたくと、何となく気が落ちつく。
手ぬぐいと扇子を持って、待っていた。

どんちょうが上がって、部長が口上を言う。「すみからすみまで、ずずずぃーっと、乞い願いたてまつりまーす」と頭を下げる。

そこで、いよいよ自分の出囃子が鳴る。

下手から歩いて、座布団の手前に行って、一礼し、座って頭を下げて、顔を上げたら、もうしゃべらないとイケナイ。

「えー、しばらくのあいだ、お付き合いをねがっておきますが…」決まり文句で始まった。

20分弱のネタだった。途中、おはやしが入ったり、お化けが出てきたり…、面白い噺。
ところどころで笑い声が聞こえる程度だった。
テープはあるが、ほとんど聞いたことがない。

中学の頃から落語をやりたくてできず、5年越しの夢が叶った。

ネタは忘れてしまったが、終わった後の気持ちと、顔を上げて見えた客席の様子は今でも覚えている。

初舞台だから緊張するというワケでもないと思う。
何度かやっていると、もっと緊張することがわかった。

あんな経験はもう無いだろうが、楽しかった。

最後にお客さんが出ていくところで、みんなで頭を下げて、「ありがとうございました」と大声で言う。

先輩と一緒に、その列に並んでいることが、誇らしかった。

1975年の秋のこと。ユーミンのコバルトアワーが出た年だった。

若かったなあ。



| | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ユーミン
昨日中央フリーウェイのことを書いて、今日はクルマでユーミンを聞いた。

ユーミンというと、松任谷由実だが、一番よく聞いたのは20代の頃。デビューしたての頃だった。
まだ荒井由美の時代。

最初のシングルが「返事はいらない」だったと思う。
当時毎月買っていた、ギターの雑誌にスコアが出ていたが、すごく難しいコードの曲だった。

ちょっと無機的なトーンで、その頃のシンガー・ソング・ライターたちとは違う雰囲気の人。
生活感がない…という感じ。

ひこうき雲というアルバムを買って、すごい人だと思った。

2枚目のアルバムがミスリム。
「やさしさに包まれたなら」、「12月の雨」は今でも大好きだ。
「12月の雨」のイントロは一度聞いたら忘れられないフレーズ。
松任谷正隆とのコンビはこのアルバムからだった。

3枚目の「コバルトアワー」はホントにすり切れるほど聞いた。
飛行機のプロペラの音で始まる。
このアルバムで、「ユーミンの音楽」のカタチができたと思う。
ポップなアルバムのイラストも懐かしい。

4枚目が「14番目の月」。前にも書いたかもしれないが、このアルバムが一番好きだ。

つぎの夜から 欠ける満月より
14番目の月が いちばん好き

この歌詞は忘れられない。
14番目の月…ほとんど満月だけど十五夜ではない。まだ満ちているから、その月が一番好きというフレーズがユーミンだと思う。

「さみしさのゆくえ」という、悲しいアップテンポの曲もあり、「天気雨」というきれいなメロディラインの曲もあり、「Good luck and Good bye」というアメリカン・ポップ調の曲もあり、「中央フリーウェイ」という不思議なメロディの曲もある。

その後に、「9月には帰らない」「LAUNDRY-GATE の想い出」「埠頭を渡る風」「最後の春休み」…好きな曲がある。

「ジャコビニ彗星の日」…これはすごい歌だ。

「よそゆき顔で」「5センチの向こう側」あたりから、「恋」のユーミンになったと思う。

本当にたくさんのすばらしい曲がある。

水の中のASIAへ、昨晩お会いしましょう、PEARL PIERCE、REINCARNATION、VOYAGER、NO SIDE、DA・DI・DA、ALARM a la mode、ダイアモンドダストが消えぬまに…このあたりまで、ずっとアルバムを持っている。

出たらすぐに買ったアルバムもあるし、あとで買ったアルバムもある。

20代の10年間はユーミンとともに過ごした時代だったかもしれない。
30代になって、少し遠ざかってしまった。

今また、クルマで聞くことが増えた。

無意識に若いころを懐かしんでいるのだろうか…。

まだまだ、ぼくらと一緒にやっていてほしい。

今月は26日が「14番目の月」。忘れずに、夜空を見よう。



| | 考えたこと | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
名神フリーウェイ
昨日書きそびれてしまいました。

夜空のこと。

中央フリーウェイというユーミンの曲がある。
これは、中央高速道のことを歌ったもの。
何度か中央高速道は走ったことがあるが、実際にこの歌に出てくる「右に見える競馬場 左はビール工場 この道はまるで滑走路 夜空に続く」というところはどこだかわからないまま。
もちろん、夜景のことを歌っているのだろう…。

通勤帰りのクルマで名神を走る。
帰り道はいつも夜道になる。

よく渋滞する、高槻のバス停あたりのところは、直線で坂になっていて大きくアップダウンする。

その坂の頂上から前を見ると、オレンジ色のライトがずっとつながって、下から夜空に向かって上っているように見えるのだ。

ふ〜ん、これは、「まるで滑走路」だとユーミンが言った道みたいだ(実際はわからないが…)と気づいた。

坂を上がって、夜空が広がっている。
たくさんのクルマでこんでいるときは、滑走路は見えない。
気持ちに余裕がないと、見えない。

夜遅くなって、クルマが少なくて、のんびりと走っている時…滑走路が現れる。
坂を上って、夜空に向かって吸いこまれていく。

その時に、フロントウィンドウに夜空が広がる。
残念ながら、オレンジ色のライトで照らされて、星はあまり見えないが…。

そして、夜空を見ると、気持ちが落ちつくのだ。

そういう日は、めったにない。

でも、その日は得をしたような気分になれる。




| | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
夜空とありがたいこと
子供がもらってきた元素周期表というきれいなカラーのチャートを、古くなった日本地図の代わりに壁に貼っている。

財団法人科学技術広報財団というところが発売元になっている。発売といっても、ただでもらってきたものだが…。

水素から始まって、ヘリウム、リチウム…と続く表だ。
「水兵リーベぼくの船…」という語呂合わせを化学の時間に習ったのを思い出す。

歴代のノーベル賞受賞者の似顔絵とともに、「元素の存在比」というグラフがでている。

それによると、宇宙にある元素のうち、水素とヘリウムを合わせると、98%になるらしい。
どうやって決めたのかはわからないが、一番単純な(というと語弊があるが)元素である水素と、2番目に単純なヘリウムで宇宙は充ちているということになる。
ところが、地球の外側を被っている地殻の元素では、水素は1%にも満たない。
酸素が約50%と珪素(シリコン)が約25%で、アルミニウム、鉄、カルシウム…と続く。

要は、宇宙にある元素でいうと、「ほとんど無いもの」ばかりで、地球はできているということだ。

野球でいうと、イチローのような選手ばかりのチームであり、学校でいうと、生徒が全員アインシュタイン…というようなことだろう。

ありがたいことだ。

ありがたいというのは、文字通り、「有り難い」ということであり、「めったにない」ことだ。

いまだに、なぜ地球上に生命が誕生したのかはわからないが、その星に今、生まれて生きているということは、さらにありがたいことだと思う。

昔のギリシャの哲学者は、元素周期表も、宇宙にある元素の分布もわかっていなかったのに、「生きているのはありがたいことだから、善く生きなければイケナイ」と思ったらしい。

そのころの夜空は、本当の夜空だったろうから、きれいな月とたくさんの星が出ていただろう。

ギリシャ人はそれを見ていて、ありがたいことだと思ったのではないかと思う。

夜空には、人を謙虚にさせる力がある。
人里離れたところにキャンプなどに行って、真っ暗な中で夜空を見ると、ここに自分がいるという不思議さを感じる。

最近、夜空をよく見るようになったので、そんなことを思うようになった。

なんで最近夜空を見るのか…ということは、また明日。


| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
エヌサン
初めて乗った車は、ホンダのN360という軽自動車だった。
360というのは、当時の軽自動車の規格が360ccだったから。

今は660ccになっているが、あの頃は小さなエンジンだった。
シリンダーの容量が、牛乳瓶2本で、4気筒だったから、一つのシリンダーはコップ半分くらい。

夏はいいのだが、冬場はエンジンをかけるのが一苦労だった。
今は付いているクルマなどないが、チョークというノブがあって、それを引っぱるとガソリンがよけいに流れる。
チョークを引いて、アクセルを何度か踏んでおいて、キーを回す。
慣れると、うまくエンジンが回るのだが、エンジンがかからないからといって、アクセルを踏みすぎるとよけいにかからない。
ガソリンと空気の混合気を着火する、スパークプラグがガソリンで濡れてしまって、かからなくなるのだ。
そうなると、プラグが乾くまで待たなければならない。
ムリにエンジンをかけるために、キーを回してセルモーターを回しすぎると、バッテリーが上がる。
クルマに慣れないと、何かと困る…そんなクルマだった。

下宿が近い友達と3人で一人1万6千円ちょっとずつ出して、5万円でそのまた友達から買ったクルマだった。

N360だから、エヌサンという略称。
Nさんではない。エヌサンビャクロクジュウだから、エヌサンだ。

当然、マニュアルシフトだった。
これまた、慣れないとバックギアが入らなかった。

エアコンもないし、夏場に雨が降ると、ヒーターを入れなければならない。フロントウィンドウが曇るのだ。

窓は手で回して降ろす。
三角形の窓がついていて、その部分だけ開閉できる仕組みだった。
ラジオはAMだけ。よくナイターを聞いた。試合が佳境に入って、クルマの中で友達と聞き続けたこともあった。

きっと今のクルマとは比べものにならないくらい、うるさかったハズだ。
たぶん、バイクのエンジンから作ったのだろう…ビーン、ビーンというエンジン音だった。
回転数もバイクなみに高かったんだと思う。
思う…というのは、回転計はついていなかったからわからないのだ。スピードメーターの横には大きなアナログ時計がついていた。

そのクルマで、よく走った。
夏場、昼間は暑いので、夜中に走ったものだ。

どれくらい乗ったのだろうか…。
半年くらいだったかな。

ある日、エンジンがストンと止まって、それっきり動かなくなった。
整備工場に連絡して、引き取ってもらって、エンジンが壊れたということで、そのまま廃車になった。
エンジンオイルなど、おかまいなしに走り続けたツケがきたのだろう。かわいそうなことをした。
廃車料金が5000円だったと思う。

緑色のエヌサンだった。

短い間だったが、あのクルマにはお世話になった。

仲良くならなければ、ちゃんと動かせない。
今のクルマのように、だれでもすぐにエンジンがかけられて、走れる…というような代物ではなかった。

でも、何か人間味があったなあ。
丸いヘッドランプで、少し古いミニクーパーに似ているデザイン。
ちょっととぼけた顔のかわいらしいクルマだった。

たしか、1枚写真があったハズだ。
でも、白黒だったから、緑色かどうかはわからない。

どんどんクルマは電子化していっているが、エヌサンは機械のかたまりだった。
機嫌が良い日もあれば、悪い日もある…。

今のクルマは便利だが、「不便な楽しさ」を持ったクルマだった。

だから、ストンとエンジンが止まった時のことは忘れられないし、かわいそうなことをしたと今でも思っている。



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