考えたこと2

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スプリンターネット
日経にスプリンターネットという言葉が出ていた。
これは「インターネットの分断」という意味だ。
記事には、

「世界を1つにつなぐネットは国家のエゴに縛られ、国際社会を揺らす。米国1強のサイバー空間の秩序も崩れ、データエコノミーの勢力図が一変する。豊かさとイノベーションを育む土壌を守れるか。データの世紀は試練に向き合う。」

と書いてあった。

今や中国が世界一のデーター超大国らしい。
2019年のデーターでは、中国には世界をめぐるデーターの23%が集中し、2位のアメリカは12%。
すでに、データのやり取りではアメリカの2倍の情報量を手にしている。

今や人口というより、データー量が経済競争力に影響するという。
AIやITの開発で優位に立てるからだ。

アメリカとのデーターのやり取りは減っている。
2001年には越境データーの45%がアメリカとのやり取りだったが、今はアメリカの規制によって25%まで下がった。
その分、アジアとのやり取りが増えているらしい。

中国政府もその有用性に気づいて、IT産業への統制を強めている。
AI研究に必要な引用論文の回数上位1割のトップ論文中、中国のシェアは20年前は5%未満だったが、今は26.5%になり、1位のアメリカに迫っているとのこと。
これもデーター量が物を言うのだろう。

日本はここでも劣勢。
国をまたいで利用されるデーターは伸び悩んでいて、主要11カ国・地域で最下位。
シンガポールやベトナムの伸びが大きくなっている。
原因は日本のIT企業は国内での展開で留まっていることだという。

中途半端に人口が多く、国内需要で食っていけるからかもしれない。

越境データーが増えた国はいずれも巨大IT企業が育っている。
日本のITスタートアップは、日本国内でとどまり、世界規模にはなっていない。

そういう危機感もあって、デジタル庁を新設し、社会のデジタル化を進めようという状況。

マイナンバーは浸透しないし、個人情報保護法はデーター活用については厳しすぎると思う。

何とかならないのかなあ。




| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 船場太郎
会社の後輩や同僚と一緒に花月に吉本新喜劇を見に行ったことがある。
89年に吉本新喜劇の人気が落ちて、「吉本新喜劇やめよっかなキャンペーン」というのをやった。
その頃だった。

小学校の頃から、土曜日、日曜日は吉本新喜劇の番組があり、はしごをして見ていた。
当時はなんば、梅田、京都の3つの花月の舞台があって、その中継録画が番組になっていた。
あの頃まで活躍していたのが、船場太郎。

二枚目役で、岡八郎や花紀京とは違った役どころだった。
当時のマドンナが亡くなった中山美保あたり。
せん・ばたろう、というギャグもあった。

おそらく、彼の最後のうめだ花月の舞台を生でぼくは見たと思う。
最後に、彼が「笑いのある生活が…」というような意味のことを言った。
当時、ベテランは辞めてもらって、若手を使っていく、という方針だったという。

吉本新喜劇は良くも悪くも関西の大衆文化を築いてきた。
学校では新喜劇を思わせるやり取りが成立した。
取りも直さず、それはみんなが見ていたからだ。

船場太郎は新喜劇を退団したあと、大阪市議会議員になった。
24年間、議員を勤めたらしい。
2019年の写真がWebに出ていたが、面影が残っていた。

退団後すぐなら、まだ新喜劇人気でいけると思うが、なんと24年間当選が続いたということだ。
それだけ、年寄から若い人まで、名前を知っていたということになる。
えらいものだ。
横山ノックは府知事になったし、西川きよしは国会議員になった。
大阪はお笑いの天下だと思った。
結果的に、それが大阪市政を腐敗させたのかもしれないが…。
橋下氏の苦労のもとはそのへんにあるのだろう。

何はともあれ、高度成長時代の大阪の笑いを支えた喜劇人がまた一人亡くなった。

Youtube上には、彼が出ていた頃の新喜劇もたくさんアップされている。
享年81歳。

天国で岡八郎や中山美保と昔ばなしをするのだろうか。

合掌。


| | 考えたこと | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
切手はコンビニ
大学生が、履歴書を送付するのに切手を買うという。
どこで買うのか、聞いたら「コンビニ」という返事。
「それ以外、どこで買うんですか?」と言う。

聞いた方は、コンビニで切手を売っていることを知らなかった。
へー、コンビニで切手を売っているのか、というリアクション。

切手は郵便局で買うものと教えるが、コンビニでも売っているのなら、今後必要なときはコンビニで買おう、と思ったのは事実。
別に売っているのなら、どこでもいい、ということになる。

郵便はこれから廃れていくのだろうなあ。
郵便局はどうなっていくのだろう。

うちの息子たちも、年賀状は出さない。
大学生の途中くらいまでは出していたと思うが、もう止めている。
来たものには返事を書いているようだが…。

すでに郵便局の仕事のうち、郵便業務は委託業務などになっていると思う。
コスト競争があるからだ。
最近は切手がない書類がポストに入っていることも多い。
ヤマトなどが手掛けているからだ。

そう思って、ネットで調べてみたら、2018年に総務省が郵便局の今後について諮問した資料がネット上にあった。
それによると、今後郵便局に期待される役割は5つほど書かれている。
列挙すると、

(1)行政サービスの補完
今後、地方自治体だけで行政需要に対応することが困難となることが見込まれる中、郵便局ネットワークを生かして、郵便局が地方自治体の窓口事務の受託を一層進める等、地方自治体とサービス面での連携を強化し、行政サービスを補完する役割を果たしていくことが適当である。

(2)暮らしの安心・安全のサポート
郵便局が、日々の配達において郵便配達員が得る情報や、ICTを活用することで郵便車両・バイク、郵便ポスト等の配達ネットワークから新たに得ることができる情報を、地方自治体や警察等と共有する等して、これまで以上に暮らしの安心・安全をサポートする役割を果たしていくことが適当である。

(3)住民生活のサポート
今後、高齢化の進展により交通弱者が増加することが見込まれる中、郵便局において、郵便局ネットワークや配達ネットワークを生かし、地方自治体やNPO等と連携して、高齢者の買い物支援、農家の配送支援を進めるとともに、郵便局スペースを提供して、地域金融機関等、地域の他の民間企業が利便性の高いサービスを提供できるようにする等、住民生活をサポートする役割を果たしていくことが適当である。

(4)まちづくりのサポート
郵便局が、郵便局スペースを地域の民間企業、NPO等様々な主体に提供して、これを有効活用してもらい、郵便局において地域活動や情報発信の活発化を促進するとともに、増加する訪日外国人及び在留外国人の利便向上を図る等、まちづくりをサポートする役割を果たしていくことが適当である。

(5)郵便局のサービスの多様化
ICTの普及、訪日外国人等の増加、共働き世帯の増加等の社会環境の変化に対応して、郵便局において、郵便・金融サービス等の提供方法の高度化・デジタル化等、多様で利便性の高いサービスの提供を行っていくことが適当である。

これらの役割が適当らしい。

たしかに、(1)はコンビニがないところでは、行政の出先として郵便局しか思い当たらず、戸籍、住民票、転入、転出などのサービスを補完するのはアリだと思うが、これも高齢者が減って、その地域自体が存続不能になった時にどうするか、という問題がある。
さらに、マイナンバーカードでデジタル化が進めば、ネット上で完結するサービスも出てくる。
ということになると、あまり期待できないだろう。

(2)については自治体や警察と情報共有ということだが、その地域が存続できなければ、不要になると思う。
コンパクトシティということで、人口を1箇所に集める政策をやらないと、すべての自治体が生き残るなど難しいと思う。

(3)、(4)、(5)も結局はどこまで高齢者が生き残るか、ということだ。
その人達が亡くなってしまえば、どうなるのか。
(4)のまちづくりなど、誰もいないのに、何を作るのか、ということになる。
日本人がいないところに、外国人を住まわすことなど無理だろう。

長期的には地方の郵便局が生き残るのは難しいだろうなあ。




| | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
福島の魚を食べよう
福島の魚を食べようというフェアを東京でやっている。
今朝のニュースでやっていた。
感染対策で、デリバリーとテイクアウトでやる。

取材の記者が行って店にインタビューしていたが、途中で「トリチウムが…」という事を言っていた。
この期に及んで、まだ言うか、という気がする。

すでに海洋放出の方針も出たし、海外では普通に放出されているのだ。
それを「汚染水」などと名前をつけて、雨水をタンクに貯めるということを延々と何年間もやった。
それを主導したのは、最初は放射能を恐れた市民だったかもしれないが、途中からは完全にマスコミの報道が原因だろう。
科学的に問題ないということをいくらネット上で言っていても、全く取り上げない。

たしかに漁協も反対はしていたが、これも風評被害が怖いということで、それを生み出すのは風評を立てるマスコミだ。
彼らはいつまでも「放射能で苦しむフクシマ」を取っておきたいのだろう。
ニュースのネタになるからだ。

ぼくはこないだ相馬に行って、あのタンクの近所にも行ったが、本当になんでこんなバカなことをしないといけないのか、と思った。
菅首相に変わって、ようやくケリがつきそうだが、今日のインタビューを見ていると、まだ「放射能に苦しむフクシマ」のステレオタイプが見える。

いい加減に、「福島の魚はおいしいし、なんの問題もないから、みんなで食べよう」と言えないのか。

本当に聞いていて腹が立った。

テレビや新聞、無責任にも「福島には人が住めない」とか言った学者やコメンテーターは、みんな謝罪すべきだと思う。

言いっぱなしで逃げるのなら、人の責任を追求するなどということはやめたらいいのだ。



| | 考えたこと | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
経済小国
就活生には、今の社会の動向を理解しておくこと、と言っている。
それは3つのキーワード。
少子高齢化、IT化、グローバル化だ。
これは10年前くらいから、顕在化してきた。

少子高齢化は言い換えれば「多死化社会」。
たくさんの人が死んで、少ししか生まれない。
だから人口が減る。
人口が減れば、国内でものは売れなくなる。
結局、国内市場は縮小することになる。

それを補うのがIT化。
新たなインフラになったネットを使うことだ。
人が減っても、効率を上げれば生産を保つことはできる。
日本政府の紙やFAXの利用など、とんでもないことだ。
それをやる技術者も足りない。
日本で一番IT化が遅れていると思われるのが、役所と学校。
特に学校の罪は重い。
教える側がIT化の便利さを体験していないからだ。

そして、グローバル化。
日本市場は縮小するが、海外は人口増。
生産を移転したり、減った人口を補うために海外から人が入ってくる。
経済は国境を超えるのだ。

この3つのキーワードを覚えておけば、たいがいの企業の課題は見えてくる、と言っている。

残念なのはそういう事を教える先生が少ないこと。
この話をすると、多くの学生には「?」というマークが浮かぶ。

少子高齢化は反応する学生が多いが、そこから先の「多死社会」というのが出てこない。
IT化はもうスマホやアプリで恩恵を受けているのだが、そこにどんな課題があるのかなど、わからないようだ。
グローバル化は当然、という顔をするが、個々の企業の課題までにはつながらない。

現在の日本は危ない局面に立っていると思う。
もはや経済大国ではなくなりつつあり、貧しい国になろうとしていることを理解していない。
このままのペースで行くと、2100年には人口が1/3になるらしい。

もちろん、変化はゆっくりだ。
でも、何も手を打たなければ確実にやってくる。

IT化を進め、効率を上げることがまず必要。
年寄りは早く引退すべきだろう。

それと、高齢者の方を向いた政治はやめないといけない。
もっと現役を大事にしないと。
コロナでは、余命幾ばくもない人を生かすために、現役の人たちが自死を選んでおり、その数のほうが圧倒的に多くなってきている。
古いマスコミでは問題意識さえ提起されない。
気の毒だと思う。

ぼくらは高度成長の遺産を使って命を全うできるとは思うが…。




| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
radiko
コロナの影響で、ラジオのリスナーが増えているとのこと。
ただし、聞くのはネットになる。

Webで国内のラジオ局を聞けるのが、radiko。
2020年の3月に利用者数が急増し、1000万人に迫った。
日間の実際の利用者数は170万人で、3月以前から30万人も増えた。
自粛、特にリモートワークの影響だ。
そのほとんどがスマホのアプリで聞いている。
スマホがトランジスタラジオの代わりになっている。

聞いている人たちのアンケートを見ると、驚いたことに20代が23.3%、40代が23.2%、50代が20.4%。
若い人たちが聞いているのだ。
なかでも、オールナイトニッポンが人気だという。
深夜放送ラジオ再びと言う感じ。
ジャニーズ系がパーソナリティをやっている番組も人気。

最近のラジオ番組は、番組の中でツイートをするなど、SNSを活用して「リスナーとのエンゲージメントを結べる」ということらしい。
スマホということで、放送が個人と紐づくことからリスナーの数値化も進み、関連ツイートを分析して、広告がどれだけの人に届いたかわかるようになっている。

昨日友人と、昔聞いていたラジオの話をしたところだった。
ぼくらが中学、高校の頃はラジオの深夜放送がブームで、ヤングタウン、ヤングリクエストの時代だった。
無理して関東の放送を聞くために、ラジオのダイヤルをあわせたりしている人もいた。
関東のオールナイトニッポンだ。
メジャーなタレントは東京に進出し、東京のラジオに出ていたから、それを聞こうとすると周波数を合わせるしかない。
夜は比較的電波が届きやすいので、無理したら聞けないことはなかったが、ほとんどが雑音まじり。
それでも、マニアは聞こうとしていた。

関西の深夜放送はお笑いタレントか、関西ローカルのフォークシンガーなどがメイン。
そういう棲み分けができていたのだろう。

今は雑音もなく、ネットで聞ける。
ただ、エリアフリーで聞こうと思うと、月額350円払わないといけない。
このお金は地方のローカル局に配分されるのだろう。
こういうのを見ていると、日本は資本主義ではないように思う。

しかし、ラジオの人気が上がったのは喜ぶべきことだと思う。

ただ、ぼくが聞いているNHKの番組が入っていないのは残念。
FMシアターや新日曜名作座などのドラマ、上方演芸会の演芸、短編小説の朗読、文化講演会など、面白い番組がたくさんあるのに。
もう古い人間になったのか。

今はネットの時代になって、ネットとラジオの融合ということで新規リスナーを開拓している。

いいことだと思う。



| | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
議事録作成マシン
「自動文字起こしボイスレコーダー」というのが出た。
このレコーダーで録音したら、データーはWIFI経由でクラウドに送信され、AIが自動でテキストデーター化するという。
それを専用アプリでスマホで受信できるというものだ。
もちろん、スマホでなくても、パソコンでもいいのだろう。

こういうのを作るのが、日本らしい。
アメリカや中国の会社なら、そういうアプリを作っていきなりスマホでやると思う。
でも、日本人は専用機を作りたいのだ。

ワープロ専用機がそうだった。
オアシスとか、書院とか、パソコンによる文書作成が一般的になる前、日本では一世を風靡した。
ぼくも1台持っていた。
2行だけ、モノクロの液晶で表示できる。
90年代だったかな。

いろいろと進化を遂げて、当時のパソコン並のカラーディスプレイを備えるものも出た。
ネックはネットワークに対応していなかったことだ。
フロッピーでデーターを移動はできたが、結局パソコンの能力が上がって駆逐された。
よくできた電子タイプライターだった。

このボイスレコーダー、スマホで完結できるのに、わざわざ専用機を仕立てた。
どれくらい売れるんだろうか。

ワープロ専用機は、90年代当時まだパソコンの能力が低く、ネットもインフラになっていなかったから、一時は流行ったが、今はネットもあるし、スマホもある。
ガラパゴスというか、意味がわからない。

開発側は、ボイスレコーダーが使いにくいというアンケート結果を出して、それを解決すべく作ったと言っているが…。

中核の機能はスマホのアプリだろう。

本体が19800円でクラウドの利用料が毎月1時間までのテキスト化なら無料だという。
30時間以内なら月額980円。

まあ、端末を売って儲けようということだろうなあ。

ほんとに売れるんだろうか。




| | 考えたこと | 22:40 | comments(2) | trackbacks(0) |
無人カラオケ
昨日は第九のリモート参加の録音に近所のジャンカラに行ったが、昼の2時に最後の1室になっていたのは驚いた。
みんな三連休で近場で楽しんでいるのだ。
見たところ、若い人が多かったが、いいことだ。
カラオケ屋も儲けないといけない。

そういえば、11月の初めにやった19000人のライブは、2週間経っても感染者ゼロということだ。
めでたい。
いい加減、自粛警察を怖がるのはやめて、自由にやったらいいのではないか。
一部のマスコミを含む自粛警察は、経済を破壊し、現役の人たちを自死に追い込んでいるという自覚を持ってほしい。

しかし、今のカラオケ店は受け付け、退店も無人なのにはさらに驚いた。
画面のタッチで入店受付をする。
部屋がいっぱいだと、そういう表示が出て、何分くらい待てばいいかも出る。
人数と部屋タイプを入力すると、部屋番号を書いた紙が出て、それを持って部屋に行く。
原則、電話はなしで、タッチパネルで連絡。
残り何分とか、延長するかとかもタッチパネル。
おそらくアルコールのコースにしたら、それで頼むのだろう。

退店の時は、入店の時に印刷された紙のQRコードをリーダーに読ませて、あとはお金を払う。
札と小銭の入力の装置も付いている。
こういう機器を作っている会社は儲かっているだろうなあ。
そのおかげで、カラオケ屋は大幅に少人化したのだろう。
受付には人はいないし、退店時もいないから、なかには歌うだけ歌って帰る人もいるのではないか。
部屋にはカメラはなさそうだったから、入店時にカメラで確認しているのだと思う。

日本ならではのシステムかと思う。
道端にあれだけ自動販売機があるのは日本だけだというからなあ。
ソフトドリンクはサーバーで飲み放題だが、そこも誰もいないし、椅子はあるから、単に座って飲むこともできなくはない。
誰もいないのだから。

今度行ったら、どれくらい無賃利用の人がいるのか、聞いてみよう。

そうか、聞いてみるにも誰もいなかった…。


| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
Covid-19の論文
ぼちぼちコロナの研究の発表がいろいろ出てきた。
ぼくのツイッターのタイムラインはかなり偏っているが、それを含んでもらって、紹介されていた論文の調査結果を紹介する。

もちろん査読済みの論文だそうだ。

原文は以下。

Results: Higher Covid death rates are observed in the [25/65°] latitude and in the [−35/−125°] longitude ranges. The national criteria most associated with death rate are life expectancy and its slowdown, public health context (metabolic and non-communicable diseases (NCD) burden vs. infectious diseases prevalence), economy (growth national product, financial support), and environment (temperature, ultra-violet index). Stringency of the measures settled to fight pandemia, including lockdown, did not appear to be linked with death rate.

最後の文章を意訳すると、「パンデミックと戦うためにセットされたロックダウンを含む手段は、死亡率とは関係がないように思われる」と書いてある。

各国の位置や、平均寿命、その減速、メタボなどの非伝染性など公衆衛生の状況、経済、環境などとは関係がある。
地理的にいえば、ほとんどがアメリカとヨーロッパ。
統計を見ていたら、誰でもわかることだ。

今回のパンデミックというのは、アメリカとヨーロッパが主戦場。
アリの目で見るとわからない。
国内の問題などアメリカやヨーロッパに比べると、取るに足らないと言っていいレベル。
死者数で1/100なのだ。

鳥の目で世界を見ないとわからない。
日本のマスコミは鳥の目を持っていないか、意図的に無視して恐怖を煽っている。

恐怖を煽って経済活動を潰し、自殺者が実際に増えてもまだやめない。

気の毒なのは現役で働いている人たち、さらにこれから労働市場に入ろうとする人たち。

失業率が上がると自殺が増えるのは日本では既知の事実。
それを無視して煽り続ける。
専門家と称する人たちも同じこと。
専門外のことは関係ないというのなら、そういうふうに発言すべきだ。

マスコミと医師会、感染症学会、一部の首長は、今や現役世代の敵になっている。



| | 考えたこと | 13:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
弱点
パワハラ関連で、部下に言って良い言葉と悪い言葉があると弁護士が書いている。

言って良い言葉は、

「一緒に考えてみようか」
「オレはこうしてくれるとうれしい」
「君にはこんないいところもあるんだから」
「君の得意なところから始めようか」
「どんなことがあっても君の味方だから」

コーチングで言う、"I"メッセージというやつだ。
「私」を主語にして言うと、叱責にはなりにくい。
"You"メッセージと言って、あなたを主語にすると、詰問になる。

パワハラになる言葉は、

「なんでできないんだ」
「やるのが当たり前だろ」
「もうオレは知らん」
「会社に入って何年になるんだ」
「あいつはこんなに営業成績がいいのに」

少なくとも、ぼくが会社にいるときには、こいう言葉は聞いたことがない。
言った覚えもない。
きっといい会社だったのだろう。

パワハラというのは、常識の問題だと思う。
常識が通じるか、通じないかというところだ。
失敗が常識的なものなら、パワハラなど起こらないと思う。
「仕方ない」で済む。

常識はずれの失敗をしたら、それはもうムリだ。
1回、2回は我慢するかもしれないが、3回やらかしたらその部下はその仕事に向いていない。
部下でとどまるのなら、失敗しそうな仕事はアサインしない。
できれば他の部署に異動させる。

そういう意味ではぼくは冷たい人間だ。
八方美人を旨として、人とはうまくやる方針。
部下からは話のわかる上司と思われやすい。

パワハラなどしない。
しない代わりに、失敗するような仕事はさせない。
だから、本当は人を育てられない。
自分でやってしまうのだ。

これがぼくの弱点。



| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学の宣伝
この季節になると、大学の宣伝が増える。
利用者の多い駅にはどこかに大学の宣伝が常設されているが、この時期は電車の中などにも宣伝がある。
もちろん、受験生向きだ。

阪急神戸線をいつも利用するのだが、多いのが京都産業大学の宣伝。
電車のなかに、アニメ風の漫画があって、そこに文字がある、というもの。
「京都産業大学」という表示がなければ、大学の宣伝とは思わない。

サイトで確認してみると、シリーズ物になっている。
「君、むすび花咲く」というシリーズ。
ぼくが見たのは「岩倉結衣」のものだった。
他に、「星野幸生」と「北村雄輝」が出てくる。
きっと、どこかの広告代理店に丸投げしたのだ。

もちろん3人共受験生という設定だ。
比率も、女子1、男子2ということで、京産大の在学者数、女子4800,男子9300人に合わせているんだろう。

電車の中で見たのは「私の努力は私を裏切らない」という絵。
サイズはA2くらいかな。

「努力は報われるか分からないけれど、
頑張ればきっと実を結ぶと信じている。
だから私は絶対に諦めない
これまで積み重ねてきた努力を信じて
夢を叶えてみせるんだ。」

遠くを見ているような女の子の絵で、こういう文章が書いてある。

学びの内容や学部、学科など一切なし。
大胆な宣伝だと思う。
もっと偏差値の低い大学でも、学びの内容を訴えているのに、珍しいパターンだ。

おそらく、学生のコロナ感染で京都での人気が下がったので、神戸線まで宣伝を増やしたのだ。
でも、見方を変えれば、イメージに訴えて動くような受験生にターゲットを絞っているということ。
京産大の偏差値はだいたい50だ。
ちょうど受験生の平均くらい。

ということは、京産大の考えでは、平均的な受験生は大学での学びなど関係なく、イメージで学校を選ぶという位置づけになっているということだ。

京産大の建学の精神を見ると、

「いかなる国家社会においても、大学は最高の研究・教育の機関である。大学の使命は、将来の社会を担って立つ人材の育成にある。
その教育の目標は、高い人格をもち、人倫の道をふみはずすことなく、社会的義務を立派に果たし得る人をつくることであり、しかもその職域が国内であろうと海外であろうと、その如何を問わず、全世界の人々から尊敬される日本人として、全人類の平和と幸福のために寄与する精神をもった人間を育成することである。」

と初代総長の言葉が書いてあった。

これが今の中堅以下の私学の立ち位置を表している。

教員たちは、立派な目標を掲げているが、実際は受験生を集めるためにそんなことは無視してやっていてもおかまいなし。
食うためには、入学者が必要だからだ。

推薦入試、AO入試、一般入試など、秋から入試のオンパレード。
そうまでして、受験生を集めるのか、という感じだ。

当然、入学者のレベルは大きくばらつき、教育は難しくなる。
だから、一生懸命頑張って教育しよう、というほど教員は頑張れない。
そんな方法論などわからないからだ。
アクティブラーニングなどをやっているが、あれは体のいい責任転嫁だ。
それが成り立つためには、知識をつけないといけない。

こうやって、日本の大学は落ちていくのだろう。



| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
時事問題
ツイッターを見ていたら、「鹿児島大という国立大の学生の半数が(連日国会で取り上げられている)学術会議問題を「知らなかった」とアンケートに答えているのが興味深い。」というのがあった。

国立大の学生でも、こういう時事問題は弱いということだ。
自分の大学時代を振り返ると、そうやろなあ、と思う。
今の学生よりもっと関心がなかったかもしれない。

今はスマホもネットもあるし、たとえテレビがなくても、情報に接する機会は多いが、当時はそんなものがほとんどなかったからだ。
唯一、もう下火になっていた学生運動の立て看板には特定の情報はあったが…。

ぼくは下宿していたので、世間とは隔絶されていた。
新聞も取っていないし、テレビもなく、昼夜逆転の生活をしていたら、世間には疎くなる。
ロクな人間ではない。

今から思うと、あの4年間は日常生活とは全く別の4年間だったと思う。
ぼくにとっては、大学というのはそういう場所だった。

尊敬する大学の先生が、大学のキャンパスというのは、なんだかわからないけれど、そこには夢がないといけない、というようなことを言われていた。
何だかわからないけど、このキャンパスに来たら、何かがありそうな気がする、というような夢だ。

こんなことを言っては怒られるが、敢えていえば、大学はそういう人生の中での「寄り道」みたいなものかもしれないと思う。
別に世の中に関心など持たなくてもかまわない。
自分に関わること、興味があることを考えるので精一杯。
そういう時間だった。

それが何を間違えたか、学生に「時事問題に関心を持とう」などと言っている。

人生はわからないものだ。


| | 考えたこと | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
才能は努力に勝る
大学生の中には、何年か寄り道をする学生もいる。
こないだ話をした学生は、音大の短期大学部に2年通ってプロを目指したが、諦めてもう一度大学に入り直して今は就活中。

就活に苦戦しているというので、いろいろ話を聞いたら、音大の短期大学に行ったことは無駄だったと自分で総括していた。
2年間無駄な時間を過ごしたということになる。
その説明が面接で落ちる原因だ、ということに全く気づいていなかった。

キャリアというのは、目の前のことを一生懸命やるということを大事にする。
だから、無駄な時間というのを嫌う。
後から考えて、無駄だったという言い方は好まない。
その時、どれだけ真剣だったのか、ということを重視するのだ。

だから、その寄り道の2年間を、入ったときの気持ちになって思い出してみよう、ということを話した。
そうすると、ボツボツ話しだした。

実は高校の時からポピュラー音楽専攻だったとのこと。
ポピュラー音楽科は譜面が読めないと言われ、それが悔しくてクラシックの先生にお願いしてソルフェージュを特訓してもらった。
自信を持って、音大の短期大学部ポピュラー音楽科を受験し、合格した。
しかし、入ってみたら自分よりすごい人が一杯いた。
短大で有名な先生に習いたい一心で練習に打ち込み、見事先生の教室のメンバーに選ばれる。
卒業コンサートでは、ソロを1曲歌わせてもらった。
コーラスも、メインのパートに選ばれる。
これは本当にすごいことで、嬉しかった。

同級生の嫉妬もひどく、先生の目の前で聞こえるように嫌味を言われたりもした。
プロを目指してやってきたが、高校、短大の5年間を振り返ると、自分は「努力の人だった」と思う。
でも、音楽の神様は私に才能を与えてくれなかった。
結局才能に恵まれた「一番」の人にはなれなかった。
というワケで、プロは潔く諦めた。

もう一度勉強しようと思い、浪人して受験勉強の日々。
そして、2度めの大学に合格して、今ここにいるという。

それなら、その「努力の人だった」ということをそのまま伝えよう、と話した。
それで、内定を取った。

結局、年齢などあまり関係ない。
その人がどういう価値観でどういう生き方をしてきたか、ということだ。
そこがちゃんと伝えられれば、問題ない。

才能は努力に勝る、というのはその通り。
普通の人がいくら努力しても、才能のある人には勝てないことがある。

でも、努力は裏切らない、というのも、その通りなのだ。

頑張ってほしい。


| | 考えたこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己PR
今日面談した学生が、相談が終わった後「今まで自分を出さず、控えめに、謙遜するのが美徳と言われてきたけど、社会に出るときになって、自己PRやれと言われるのは、なんだかなあ…」と言って帰った。

履歴書を持ってきて、自己PRのところをさんざん悩んで書いていた学生だ。
その言葉が重かった。

就活では自己PRというのを必ず聞かれる。
自分の強みは何かということだ。
その学生が言いたかったのは、それが大事なら、子供のころからずっとそういう風に言ってほしかったということだろう。
学生時代の最後の最後になって、そんなどんでん返しがあるとは思わなかった、ということだ。
今まで言ってきたことは嘘だったのか、だまされた…と思っても仕方ない。
大人は嘘つきだ。

日本の社会の美徳である謙譲の精神はどこに行ったのか、と学生が思うのも無理はない。
就活で行う自己分析という言葉は、言い換えると自分の強みを探すことだ。
面接の場面では、能ある鷹は爪を隠してはいけないのだ。
というか、そんなにたくさん能ある鷹はいない。
でも、就活の場面では能ある鷹を演じなければならない。
それが、矛盾だらけの社会なのだ。

でも、実際には本当にそういう社会になろうとしているのが事実。
終身雇用が崩れ、メンバーシップ型の雇用がジョブ型になろうとしている。
それは取りも直さず、「あなたは何ができますか」という形の社会だ。
ジョブディスクリプションに応じて人が雇われ、それができないと解雇される。
その代わり、辞めても自分が何をできるのかさえ分かっていれば、次の仕事を見つけることができる。
そういう流動性の高い社会に変化しようとしている。

まだまだ既存の社会の慣性が大きくて変わらないが、いずれそうなるだろう。
もう大きな会社はそうなってきている。
完全にアメリカ型のジョブ型になるかどうかはわからないが、近いところには行くだろうと思う。
そうならなければ、日本はもっと落ちぶれるだろう。

あとは遅いか早いかの問題。

そうなっても、謙譲の美徳は残るのではないかと思う。
だからこそ、能ある鷹は爪を隠すということわざがあるのだ。

だがしかし、今よりも自己PRが大事な世の中になるのは間違いない。
だから、頑張って自分の強みをアピールしていかないといけない。

そういうことだと思う。

我慢してやるしかない。


| | 考えたこと | 22:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
あなたのその笑顔はいいヒントになる
ちょっと前に植村花菜の事を書いたが、このところ彼女の歌にハマっている。
ぼくは字余り気味の歌が好みで、なぜか言葉数が多い歌に惹かれる。
スキマスイッチの「全力少年」、ドリカムの「眼鏡越しの空」などだ。

植村花菜の「あなたのその笑顔はいいヒントになる」が最近のヘビーローテーション。
「Dig dug」で始まるこの歌は、結構言葉数が多い。
「問題も答えもあるようでないような日々の中で」というフレーズが、曲のリズムにあっていて、とてもいい。

この詩は植村花菜の作ではないが、曲とよく合っている。
シングルバージョンのギターもいいのだが、アルバム「Kana」に入っている、塩谷哲のピアノソロで歌うバージョンがまたいい。
伸びやかな声で、屈託なく歌う。

最近はほんとにマスコミには出てこないが、時々ラジオやライブをやっている。
この人、本当にいい曲を作る。

ちょっと昭和フォークの香りがする「ただいま」という曲も好きだ。
東京に行ってがむしゃらに頑張ってきたが、帰ってきたという歌詞。
関西出身者らしい歌だ。

「ミルクティー」という曲も、歌い出しからのリズムギターがいい。
こういう跳ねたリズムの歌が得意なように思う。

今はニューヨークに住んで、日本と行き来しているらしい。
結婚して子供もいる。

エライものだ。

まだまだ活躍してほしいと思う。





| | 考えたこと | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
生涯学習
ぼくの大学時代は本当に落研と下宿の友達の日々だった。
申し訳ないが、本当に勉強はしていない。
今でこそ学生の就職支援の仕事をしているが、エラそうなことは言えない。
自分のことは棚に上げて言っている。

落語とダベリがほとんどだった。
だからこれ以上こんな事をしていてはいけないと思って、4年で出た。
卒業前に、就職が決まったからぜひ卒業させてほしいと頼んだことを覚えている。
教授も「おっても、しゃーないわなあ」と言って、卒業させてくれたのは温情だった。

その代わり、就職してからは勉強した。
計測のプログラミング、製図、タイヤの工学、SQL、初級シスアド、英検準1級。
業務に必要だったのもあるが、趣味と実益を兼ねたものもある。

ギターの音楽理論を理解するのに、騒音の計測のリクツが役に立った。
波形をどう動かすかという理論が、エフェクターが何をやっているかの理解に役に立った。
これはお金にはならなかった。

パソコンと英語は仕事でやらないといけなかったが、せっかくやったから資格をとった。
なにかの時に役に立つと思ったからだ。
残念ながら、そういうチャンスはなかった。

でも、知識を増やすのはいいことだ。
人生が豊かになる。

結局大学での4年間はその後の仕事のきっかけになっただけだ。
そういうものだと思う。

本も読んだ。
ほとんどが文庫だが、小説を楽しむだけでなく、新書や評論など読んだ。
学校法人に変わってからは、大学関係、キャリア関係、心理関係の本をだいぶ読んだ。
最近は目が悪くなって、読まなくなったが、文系の学問は習わなくてもある程度はできると思う。

渡部昇一、山本七平、岸田秀などは30代、40代あたりでだいぶ読んだ。
勝手にぼくの先生だと思っている。

大学は対象を18歳だけでなく、社会人の学び直しなどと言っているが、それもきっかけを与えるためだけだろう。

生涯学習のきっかけを与えることこそ、大学の役割だと思う。




| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
SNSと分断
ぼくのツイッターのタイムラインは我ながら偏っていると思う。
自分が同調できる人物や組織しかフォローしていないからだ。
でも、ツイッターを利用している人はたいがいそうだろう。

アメリカの研究結果でも、SNSが二極化の分断を加速させているということだ。
解決策として、異なる立場のコンテンツにも触れさせる、という提案をしているが、それは実際には事態を悪化させかねないことがわかったという。

ぼくも一度そう思って、真逆の意見を言う人をフォローしてみたことがあるが、数ヶ月でやめた。
見ていると、腹が立つのだ。
そのため、中立の人をフォローしたらいいとは思うのだが、これを見つけるのは難しい。
そういう人はSNSなど関心ないのかもしれない。

トランプ氏がツイッターを多用するのも、自分のファンを増やすのが目的だろう。
ツイッターは文字数が少ないので、いきなり本音を書かないといけない。
いろんな留保意見など書いていられないのだ。
読む方も読みやすい。
だから、みんな使うのだろう。

バイデン政権はGAFAにメスを入れようとしているらしいが、この問題はなかなか解決できそうにない。

ポピュリストの政治家は「敵」を作る。
そういう人たちが増えているのは、SNSが「敵」を作りやすい装置になっているからかもしれない。

デューク大学のクリストファー・ベイルという社会学の教授の指摘。

「近頃SNSが特に腹立たしく思えるとすれば、それはSNSがいま起きている状況についてわれわれの認識を形作るだけでなく、同胞の米国人の考え方や行動を左右している現実に起因するかもしれない。」

実際に、ある政党の支持者のうち、対立する政党の支持者を嫌っている人がどの程度いるか、という調査結果をみると、過去60年間に大幅に悪化したらしい。
まあ、最近大きくなったのはトランプ氏のパーソナリティによる部分が大きいと思うが…。

一方、これが「人」ではなく、問題となるイシュー(銃規制や人工妊娠中絶など)については、ほとんど変化がないという。
つまり、アメリカ人は対立する人を嫌う傾向が大きくなったが、それは必ずしも意見が違っているからではない、ということだ。

さすが、アメリカではいろんな研究がされていて、ある研究結果によると、「SNS上で自分と異なる考え方に繰り返し触れると、反対意見になびくのではなく、自らの主張を頑として譲らなくなる」というものもある。
これが冒頭に書いた効果のことだ。

二大政党制というアメリカの政治形態も、この状況に拍車をかけているのだろう。

フェイスブックは扇動的なコンテンツや事実に反するニュースを禁止するルールの更新を続けているし、ツイッターはリツイートを抑制して、あらゆるコンテンツの拡散スピードを支えるような仕様変更に取り組んでいるという。
それらがどれほど有効に機能するか、難しいところだ。

時には、GAFAとは一線を画し、政府が完全な情報統制を行っている中国がうまくいっているように見えてしまう。
もちろん、そんなことは断じてないのだが。

ネット時代の民主主義は難しい。

ぼくらはそれを認識しないといけないと思う。




| | 考えたこと | 20:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
今どきの新卒
社会人5年目の卒業生2人に誘われて飲みに行った。
ふたりとも、店長というような肩書き。
二人揃ってぼやいている。

今どきの新卒はどうなっているのか。
社会人としてというより、人間としてどうなのか、ということだ。

曰く、注意しても響かない、無駄にプライド高い、間違っても認めない、謝らない、気遣いもない。
挙句の果てには、鬱になったから休ませてくれ、彼女が東京にいるから東京に行きたい。
妊娠してすぐなのに、つわりが酷いから休ませてくださいとか、頭痛いから休ませてくれとか。
それも電話ではなくLINEで打って終わり。
時には店長が代わりに出勤して、次の日に何の言葉もないとのこと。
ほんまかいな、としか言えない。

ほとんどがズルだとわかっているから、社内の人のSNSは一切フォローしないという。
休んだ本人のインスタに休んだ日の写真が上がっていたりするからだ。
これもほんまかいな、というレベル。

上の方は「辞めさせないように」ということで、なるべくきつく当たらないように、という。
このコロナでようやく人員整理の話が出て、辞めさせてもいいと言われたとか…。

2人共ちょっと変わった学生だった。
そういう学生に懐かれる。

大学教育があかんのちゃう?というのだが、ことは大学教育の問題ではないと思うと言った。
義務教育や家庭教育の問題だろう。
まあその積み残しを大学でやらないといけないとはぼくも思う。
でも、そんなことは大学の先生達はやりたくない。
文科省もそんなことをやられると、ややこしいから嫌がる。

ちょっと前まで「人に迷惑をかけない」ということは当たり前だった。
道徳の授業でやるまでもない。
日本人のコンセンサスだと思っていた。
しかし、それが崩れているのが実情のようだ。

「普通、代わりに出勤してもらったら、次の日なんか言うやろ」とぼやく。
店長が人員不足を埋めているのだ。

人としてお礼とお詫びを言うのは当然だと思う。
話を聞いていて、日本の将来が暗くなった。

なんでこうなったのだろうか…。



| | 考えたこと | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学の情報公開
今の大学は法令で情報公開をしないといけないことになっている。
以前、その情報公開が不十分だという記事があった。
桜美林大学の教授が書いていて、大学と産業界の食い違いについて述べている。

「産業界はしばしば、今の大学は産業界のニーズに合った人材を育成していないと批判する。だが、大学側からすると、産業界の求める人材像は特定の分野・職業を除いて抽象的かつ明確ではなく、わかりにくいとの不満が強い。特に人文社会系の学生に対してその感が強い。」

ということだ。

産業界の求める人材像が抽象的だったり、大学側の説明責任も十分果たせていないということで、最後は「最後に、情報を公開するには大学が一方的に情報を発信するだけではなく、社会と大学の対話による相互理解が必要であることを強調したい。わかってもらえないのは危険だが、わかってもらっていると思い込むのも危険なのだ。」と締めくくっている。

問題提起しただけで、解決策がないという大学教授らしい記事だった。

日経の毎週月曜日の朝刊の教育のページにはこの手のものが載ることが多いが、最近はあまり読む気にならない。
大学の手前味噌な意見が多いからだ。
内部にいたぼくはそう思う。

今の一番の問題は、小中学校の教育が破綻していること。
大学入試を見ていればよくわかる。
何度も書くが、割合は小学校で習うもの。
それが就職試験に出てわからない学生がたくさんいる。

勤めていた大学のネィティブの講師が、ここの大学生はアフリカにアラビアがあると言ってるぞ、という指摘を受けたこともある。
それを習うのは世界地理。
中学でも、高校でも習うのだ。

ぼくは、大学が社会に向けて発信すべきことの第一は、小中高までの教育がちゃんと行われていない、ということだと思う。
それがちゃんとしていたら、もっと大学は大学らしいことができるはず。

「学問の自由」を言うのなら、文科省に忖度するのは辞めて、もっと18歳の学力を問題にするべきなのだ。

それを本当に知っているのは大学しかいないのだから。




| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
真空管
ぼくがまだ小学生の頃、白黒テレビの時代はテレビの中がうっすら光っていた。
ぼんやり黄色がかった真空管の光だ。
放熱用に開けたスリットから、中の光を見ることができた。
ラジオはもうトランジスタになっていたが、テレビやステレオなどの大きな家電は、まだ真空管だった。

今の家電で真空管を使っているものはほとんどない。
嗜好品のオーディオアンプ類くらいだろう。
全てトランジスタになってしまった。

真空管の一種であるブラウン管も液晶ディスプレイに取って代わられた。
ブラウン管テレビが凋落すると同時に、日本の家電も凋落したように思う。

あのぼんやり光る真空管は、小さい頃のぼくらに電気の存在を教えてくれたものだ。
なぜテレビが遠くのものを写すことができるのか。
一度はテレビの裏側をのぞいてみたことがある子どもは多かったはず。
そこで見つかるのは、あのぼんやり光る真空管。

小学校の高学年の頃、捨ててある電気製品の中から真空管を取り出して、壁にぶつけて遊んだ覚えがある。
ボン、という音がして割れるのだが、その音が珍しくて面白かった。
真空管というくらいだから、中は真空になっていて、それが割れる時の破裂音が特徴的なのだ。
迷惑な小学生だったと思う。

でも、あのぼんやりした光が神秘的で、見ることができない電気というものを教えてくれた。
だからどう、という訳ではないが、何となく科学の入り口だったような気がする。

今の機械類にはそういう神秘さを与えるものがあるだろうか。

ぼくらはもう大人になってしまったから、今の子供がどう感じるのかはわからない。

願わくは、そういう「真空管」みたいなものが、今もあることを望む。




| | 考えたこと | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
Withコロナの違和感
Withコロナという言葉が最近いろんな媒体に出てくる。
これはコロナウィルスと共存するということなのだろう。
それをわざわざWithコロナ、という名前をつけて、他のウィルスと差別化する意味があるのだろうか。
インフルエンザよりも死亡数が少なく、すでに感染も広がって、日本ではそれほど危険なウィルスではなくなっているようにも思う。

年によっては今回のコロナよりもはるかに猛威を振るうインフルエンザはどうなのか。
マスコミが煽ったせいで、コロナだけが特別に怖いと思っている人が多い。
Withコロナを言うのであれば、Withインフルエンザも言うべきだし、With肺炎球菌など病気はみな同じだ。
うがった見方だが、マスコミが煽ってコロナウィルスへの恐怖心があるから、それを種に商売をしようと思っているのではないか。

こうなる以前から、ぼくらはウィルスに囲まれて共生しているわけで、現状では一部のウィルスはコロナ以上の死亡者数であり、コロナだけを特別に扱うことには違和感がある。
なんでコロナだけ特別視するのだろうか。

最初は新型ウィルスで怖い存在ということを思っていたが、日本では感染しても軽症や無症状で済んだり、重症化しても医療資源は余裕はあるし、死亡者数に至っては欧米の1/100だ。
ロックダウン(都市封鎖)などということは、法制上できなかったし、もちろんこの感染、発症、死亡状況では必要なかったと思う。
何もしなければ42万人死ぬと言ったセンセイは、間違いを正すこともせず、これでいいのかと思う。
これを見ても、感染症学会というのは機能していないことがよくわかる。

PCR検査を増やせと言っても、検査してもたかだか数日間感染していないことが証明されるだけだし。
意味があるとは思えない。

一方で、自殺者は増え、どんどん景気は悪化し、求人は減っている。
コロナコロナと騒ぐほど、自粛する人が増え、景気は悪化し、若い人たちが働く場が減る。
何がWithコロナだと思う。

実際にロックダウンしなかったスウェーデンとロックダウンしたイギリスを比べると、人口あたりの死者数は変わっていない。
マスクをしないで、ちゃんと学校をやっているスウェーデンに学ぶべきだと思う。

Withコロナなどと言っている輩は、それで儲けようとしているのだ。
マスコミも、まだまだ煽りたいから言っているのだろう。

また不況になるのは本当に残念だ。





| | 考えたこと | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
家の問題
昨今、いろんな専門業者ができており、「ゴミ屋敷」の掃除の専門業者も存在している。
それくらい、一般的になったということだ。

ゴミ屋敷という言葉は聞いたことがあるが、ゴミ袋が散乱して山積みになっているくらいのことしか想像していなかった。
しかし、取材したジャーナリストによると、「究極の3K職場」だという。

ゴミが溜まってくると、部屋の移動も難しくなるのか、ペットボトルに排尿するようになるらしい。
それが1本見つかると、100本はある、というのがベテランの言葉。
ゴミ屋敷の中は「戦場」で、茶色の液体が入ったペットボトルは「爆弾」だ。
みつけたら専用の入れ物に入れて、持ち帰って捨てる(というか、流す)らしい。
最高で1軒から5400本も見つかったこともある。

ゴミを溜める人は、ゴミでシェルターを作っている感覚らしい。
精神科医の解説。

「子供時代なら両親の離婚や虐待、学校でのいじめ、成人してからなら死別や失業、離婚などが引き金になりやすい。私が診療した限りでは、半数以上の人に何かしらのきっかけがあります。いろいろな形で失ってしまった“体験”を代償的に埋め合わせる行為として物をため込むのです」

物をため込むことが何かの代償になるらしい。
しかし、迷惑な話だ。

ネットで「ゴミ屋敷 掃除代」と入れて検索し、出てきた業者のページで見ると、終日2名で2LDKを片付け、13万円ということだった。
もちろん、見積もり次第ということになるのだろう。
相場を書いているページもあって、ワンルームで3万〜8万。
それくらいでやってもらえるのなら、とは思う。
どうしても、関係者が自分では手が付かないというケースが多いと想像する。

ネット上に業者がたくさん出てくるくらいだから、ニーズはある。
実際、ゴミ屋敷ではないが、うちの実家だって、いずれは業者に片付けてもらわないといけなくなると思う。
今でも時々実家に行くと、いろいろ考える。
途中でリフォームしているとはいえ、もう築57年。
祖母の家に住んでいたのだが、近所の今の実家に引っ越した。
その夏に祖父が亡くなった。

一番長く住んでいたのは母だが、もう母も一人では住めなくなった。
ぼくや弟が住んでいたのは、実質18歳までだ。
その後は下宿暮らしだった。
時々帰るとはいえ、その後は就職して、寮を出てちょっと住んだ程度。

そういうこともあって、母が生きている間は置いておこうと思うのだが…。




| | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドイツ事情
こないだドイツから帰ってきた日本人の記事があった。
フランクフルトの空港を出ているのだが、あの大きな空港が深閑としているとのこと。
ぼくも以前行ったことがあるが、ほんとうに大きな空港だった。
人がいないなどと信じられない。
やっぱり欧州は日本と違って、コロナの影響は大きいのだと思った。
空港の近所のホテルのレストランもやっておらず、最後の晩餐はハンバーガーだったとのこと。

羽田に着くと、全員がコロナ検査を受ける。
検査結果が出てからでないと、入国手続もできないらしい。
検査は抗原検査だ。
入国制限対象国は159カ国。ヨーロッパの国はすべて含まれる。

ただ、検査結果が陰性になって、入国できても2週間は飛行機や公共交通機関、タクシーも使えない。
結局知り合いに迎えに来てもらうか、レンタカーを自分で運転するしかない。

国内線の飛行機にも乗れないということは、羽田について、大阪まで行くとなると、政府認定ハイヤーで23万円払わないといけない。
やっぱり知り合いに迎えに来てもらうしかないだろう。
それがないなら、自前でホテルに泊まるしかない。
これでは、観光など無理だ。

でも、この「要請」は拘束力はなく、日本人しか守っていないのではないかとのこと。
実際、数日前に入国したドイツ人2名は、羽田から電車に乗って渋谷に向かったらしい。
その気になれば、なんの問題もなく空港から電車に乗れるし、国内線の飛行機のチケットも買えるという。

ドイツでは大量の警官が街をパトロールして、コロナ規則違反の人を取り締まり、罰金を取ったり、あるいは、揉み合いになったりしているとのこと。
そのため、あちこちで反発が高まり、デモが頻発しているらしい。
ドイツでは今でもコロナのニュースは毎日大本営発表のような緊張度で流され、半分くらいはそのニュースだという。

これらは国会の頭越しに政府が決めており(非常事態条項があるのだろう)、国民の疑問の声が大きくなっているとのこと。
司法が介入して、憲法違反でひっくり返すのではないかとも言われているらしい。

それでも、メルケル首相は「第二次世界大戦後始まって以来の試練」、「できる限り家にいろ」、「クリスマスを祝えるかどうかは、国民の努力次第」などと、檄文のようなビデオメッセージを流しており、他のニュースがすっかり飛んでしまっているとのこと。

10月4日には、オックスフォード、ハーバード、スタンフォードの専門家3人が、ロックダウン批判の政策提言を行い、特に若年層、貧困層に取り返しのつかない被害をもたらすと警告したとのこと。

こんなの日本のニュースになっていないが…。

この記事では、

「とりわけ子供を学校に行かせないことは重篤な間違いで、高齢者や虚弱者がコロナで死亡する確率は、若者に比べて千倍以上も高いことがわかっているのだから、虚弱な人たちを重点的に保護し、他の人たちは普通に生活を続け、なるべく早く集団免疫を獲得することが重要と主張する。

ちなみに、この宣言文には、ネットで賛同者が署名できるようになっており、最初の10日間ですでに50万近い署名が集まっているという。しかし、ドイツでは、それをすぐさま否定し、あたかも陰謀論のように批判する記事が出た。

グレートバリントン宣言は、下記に邦訳があるので、興味のある方は、ご自分で判断していただきたい。

https://gbdeclaration.org/great-barrington-declaration-japanese/

コロナに関しては、まだ答えの出ないことはたくさんあるが、私は、最大の犠牲者は若い人、とくに子供たちだと思っている。

親や周りの大人が不安になったり、イライラしているのを感じながら、あれをしてはいけない、これをしてはいけない。貴重な子供時代の時間をこういう中途半端な状態で過ごさなくてはならないのは、本当に可哀想だ。しかも、それを不幸だと認識することさえ、子供たちはできない。

そろそろコロナ対策は、若い人のためにも、作戦を長期戦用に切り替える時期ではないかと思う。」

と締めくくっている。

本当にそうだと思う。

| | 考えたこと | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヒトラーと民主主義
今朝のBSでヒトラーの番組をやっていた。
彼は悪の代名詞になっているし、実際に彼がやったことは許されないことだ。

でも、彼がなぜナチス党を立ち上げ、ドイツの首相にまでなったのかというと、それは民衆の支持があったからだ。
当時のドイツはワイマール憲法で治められた国家であり、ワイマール憲法は最も民主的な憲法だったという。
つまり、民主主義がヒトラーを生んだということだ。

今朝のテレビでも、ヒトラーが演説して、ドイツ国民が熱狂する姿が映っていた。
当時をリアルタイムで知っている100歳を超えたドイツ人が何人かインタビューされていたが、彼らもヒトラーに熱狂したということだった。

ヒトラーが首相になってからは、マスコミを利用し、国民受信機という当時は高かったラジオを安価に作ったものを販売した。
インタビューでも、当時はみんな家庭でラジオの周りに座って聞くのを楽しみにしていた、と言っている。
ラジオの次は映画だったという。
民主主義はマスコミと結びついていることがよくわかる。

子どもたちがナチス式の敬礼をしている姿も映像に残っている。
彼は国民にとってアイドルだったのだ。
別荘にいるヒトラーを民衆がひと目見ようと取り巻いている写真も出ていた。

幸い、日本にはヒトラーのような人物は現れなかったが、民衆はドイツと同じように戦争に向かって突き進んできたのは事実。
大正デモクラシーという運動が、戦争を生んだのかもしれない。

いくら指導者が戦争をしたくても、民衆が反対すればそんなことはできない。
それは今も昔も同じだ。

そして、指導者はマスコミと一緒になって扇動を始める。
マスコミは自分たちが儲かれば、戦争を煽るのが歴史の事実。
売れてなんぼなのだ。

そういう事実を隠すのもマスコミの戦術だ。
朝ドラを見ていてもわかるが、まるで一般大衆のほとんどは戦争は嫌だったが、無理やり国にやらされた、というのがステレオタイプの描き方。
戦前や戦時中は戦争に賛成だったが、戦後はそれを反省したというような主人公は見たことがない。
マスコミは真実を自分たちのいいように変えていく。
それは大衆がそう思いたいということもある。
やっぱり売れてなんぼなのだ。

インターネットがそれを加速した。
従来のマスコミはネットメディアに取って代わられまいとして、より扇動的になる。
それが一部のワイドショーのコロナ報道だったのだろう。

そういう事実こそもっと伝えていかないといけないと思う。




| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
儲かる副業
副業アカデミーの代表という人が、稼げる副業8選という記事を書いていた。

こないだ、会社時代の後輩に会ったが、彼は週に1日か2日しか出社せず、あとはリモートワークだという。
彼の部署は設備等関係ないので、リモートワークが推奨されているらしい。
一日家で仕事をすると全く歩かないので、朝早く起きて散歩しているとのこと。
ぼくは幸いずっと出勤だが、リモートの人もまだまだ多いのだろう。

そういう状況もあり、また副業を正式に認める会社も出てきたので、リモートワークで浮いた時間を副業に当てる、という選択も出てきた。
町にウーバーイーツの自転車が増えてきたのも、そういう側面もある。

そんな状態で、記事では月に10万を稼ぐ副業というのはどういうのがあるのか紹介している。

まず初期投資が少ない副業が4つ。

・動画編集
 Youtubeで配信する人が増え、この分野は慢性的に人材不足。
 パソコンとソフト20万〜30万で始められる。
 これは動画編集ソフトに精通していないと無理。
 買えば始められるというものではない。
 
・Webライター
 企業や店舗のWeb記事を書く仕事。
 納品実績が上がると、1文字6円というレートでできるらしい。
 400字の原稿用紙5枚で1万2千円になる。
 ネットに繋がったパソコンがあれば投資は不要。
 こんなふうにして、ネット上の宣伝文は作られている。
 才能がなくても、損はしない(仕事がないだけ)というメリットがある。

・インスタグラム運用
 インスタグラムで特定のジャンルの写真を投稿するだけの仕事。
 自分で撮影しなくても、リポストという他人の写真を使って投稿すればいいらしい。
 ただ、フォロアーを増やして、宣伝してほしいという企業からのオファーが来ないとダメ。
 これもネットに繋がっていれば投資は不要。
 儲かる分野を見極め、写真を選ぶセンスは必要だろう。

・ネット物販
 家電や日用品をオークションで買って、アマゾンやメルカリで販売する仕事。
 初期投資は安くても始められる。
 1日30分、商品の相場を確認して、売るだけでいいとのこと。
 ヤフオクで5000円で仕入れた関数電卓が3万円で売れたりするらしい。
 月に30万ほどコンスタントに稼いでいる人もいるらしい。

動画編集やWebライターは仕事を募集しているサイトがあり、そこに登録すれば実績に応じて仕事は入る。
Webライターは手軽に始められ、月収20万円稼ぐ人もいるとのこと。

一方で、初期投資が大きな副業も4つ紹介している。

・不動産
 田舎の空き家を買ってリノベーションして、賃貸で収入を得る。
 
・株式投資
 空売りして、月に3〜5%の利益が出るとのこと。

・ソーシャルレンディング
 個人が企業などに融資するというサイトを利用する。
 1万円から参加できるサイトもあるらしい。

・FX
 これは為替変動で儲けるというもの。
 元手が30万程度でも十分という。

やはり初期投資の大きなものはリスクも大きい。
もちろん、ゲインも大きいのだが…。
なかなか手を出せないのが現実。

クラウドで仕事を募集する仕組みができて、こういう副業も可能になった。
これも、インターネットというインフラがあればこそだ。

ネットは働き方も変えていく。





| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
カプチーノは午前中
イタリアのテレビドラマを見ていたら、カフェの主人がアジアの観光客がカプチーノを注文したのに対して、「カプチーノは午後2時までしか出せない。それが流儀だ。」と答えていた。
調べてみると、カプチーノはイタリアでは午前中の飲み物で、午後や食後には飲まないらしい。

そもそもカプチーノはエスプレッソにスチームミルクとフォームミルクを加えたもの。
エスプレッソはコーヒー豆をドリップせず、圧力をかけて抽出する濃いコーヒー。
つまり濃いコーヒーにスチームしたミルクと泡立てたフォームミルクを入れるのだ。
このミルクに脂肪が多く、胃に重たいため、イタリア人は午後にはカプチーノは飲まないという。

全く知らなかった。
確かに、エスプレッソ系のコーヒーは重いし、胃にこたえる。
あの、ちょっと苦い豆の粉が好きな人は好きなのだろう。

しかし、午後には飲まないというのにはびっくりした。
それだけ生活にしみついた飲み物なのだろう。

日本のイタメシ屋では、普通にいつでも飲める感じだが…。

いい勉強になった。


| | 考えたこと | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
研究不正
日本の研究者の不正が多い、という記事を見た。
ノーベル賞の受賞の未来の見通しは暗いという。
今のノーベル賞の受賞は過去の遺産だからだろう。

一方で、サイエンスとネイチャーという有名な雑誌は日本人研究者の論文不正問題を取り上げている。
2018年のサイエンス誌によると論文撤回数のワースト10のうち、半分は日本研究者で、それも悪質なものだという。
2019年のネイチャー誌は、そもそも論文の不正を監視する制度が不十分という指摘。

論文撤回の1位は183本もの論文を撤回した麻酔科医。
不正発覚後、諭旨退職処分を受けているらしい。

文科省は不正行為に危機感を持って、2006年に「研究活動の不正行為に関する特別委員会」を設置し、報告書を作成・公開した。
当時大学事務局にいたので、聞いた覚えはあるが、下位の文系私学だったのでそれほどの事とは全く思わなかった。

まあ、ぼくのいた文系私学は世界的な学会誌や発表媒体に出すような人は皆無だったし、出してもほとんどが学部紀要という査読などない、内輪のものだったから、もとより関係はなかった。
それはそれで問題なのだが…。

今回の不正は医学や生物系の分野で、この分野はデーターの捏造をしても確認が難しく、比較的捏造が容易な分野だという。
だからといって、捏造をしていいわけではない。

記事の中では日本の研究現場は瀕死の状態にある、という。
下位の大学の文系私学では、瀕死なのは研究をしようとする人がいないことであって、現場は学校から研究費をもらっても使い切れない人が多く、年度末におかしな伝票が沢山でるという状態だった。
だから、瀕死と言われても理解できない。

高度成長の時代のシステムを引きずっているから、苦しいのだと思う。
今国が借金まみれで、カネがないのは周知の事実。
それでも昔のようにしたい、という方が無理なのだ。

「このままでは、ノーベル賞受賞者はおろか、科学者自体が日本から消えてしまいそうな状況なのである。」

と書いてあるが、それはまんべんなく資金を与えようとするからだろう。
国が貧しくなったのだから、みんな同じように資金がもらえないのは当然。
もっと研究の内容を精査して、資金を回すところを減らす必要があると思う。
本来はそういう役目を学術会議がやるべきだと思うが、マトモに機能していないのだろう。
もっとちゃんとした研究内容のチェック機構を作るべきだ。

厳しいようだが、そういうことをしないと、日本の研究は成り立たない。
みんなで一緒に、ではダメなのだ。

そういうことだと思う。
それをどうやって合理的にやるのか。
それを考えるのが大事だと思う。

研究不正を行うような輩は。1回やればアカデミアから排除すればいいのだ。


| | 考えたこと | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラーメンは英語になった
こないだ、LAのドラマを見ていたら、「リトル東京の新選組にラーメンを食べに行く」、というシーンがあった。
もちろん英語だ。

ずっとラーメンはChinese Noodleと言うのだと思っていた。
2000年にアメリカに行ったときは、"ramen"などという言葉はなかったし、通じなかったのが事実。
しかし、普通に”ramen”と言っていた。

ネットによると、ほとんどの英語話者は”ramen”と言われて理解することができる、と書いてある。
ラーメンは”Japanese Noodle”という説明になる。
20年をかけて、日本のラーメンは英語になったのか。

2000年に出張でアメリカに長期滞在した時、アクロンという街のモールにある日本料理屋に行った。
行って初めて中国人がやっている日本料理屋であることがわかった。
そこで頼んだラーメンは、とても日本のラーメンとは違うものだった事を覚えている。

ドラマで言っていた新選組という店は、本当にリトルトーキョーにある。
博多ラーメンらしい。
ネットでメニューを見ると、Ramenという欄に”Spicy Dandan Men Rich spicy sesame miso flavor Tonkotsu Ramen”と書いてある。
やっぱり”ramen”はラーメンなのだ。

日本の食べ物はおいしい。
それは事実。

カレーも、日本風のカレーはインドやネパールのカレーよりもおいしいと思う。
海外で食べる中国人がやっている中華料理よりも、日本で食べる中華料理もおいしいと思う。
唯一美味しかったのは香港の中華料理。
今は知らないが、当時の上海の中華料理はそんなに美味しくなかった。

70年代の末にできた、回転寿司もぼくは好きだ。
あの、工場のような食事は、日本人でないと考えられないだろう。

"udon”も丸亀製麺などの頑張りで、海外でも通じるようになってきたらしい。
カナダでは注目されているとのこと。

いずれ、海外でもシャケや昆布のonigiriが普通に食べられるようになるかもしれないなあ。

頑張れ、日本の外食産業!



| | 考えたこと | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
少子高齢化の民主主義
都構想が僅差で2度否決された。
大阪の北部と南部できれいに可否がわかれている。

まっとうに考えて、国の将来は若い人たちが長く過ごす。
年寄りはもうすぐ鬼籍に入る。
だから、現役の人たちの意見を重くするのが、時間軸も含めた民主主義だと思う。

日本のように長寿になった国では、どうしても政策が高齢者よりになる。
それは政治家の宿命だ。
次の選挙で通ろうと思うと、高齢者に有利な政策をしないと通らない。

最近の国のあり方を見ていて、ぼくは全員が平等な民主主義というのは限界が来ているのではないかと思う。
それが発明された頃は、社会のほとんどの人が現役で、現役を退いた人はほとんどいなかった。
でも、現代の日本は違う。
非常に多くの年金生活者がいて、現役にぶら下がっている人が多いのだ。

もちろん、年金生活者も税金を収めてはいるが、その分以上にもらっている。
若い頃に積立てた分以上にもらっているのだ。

その分、現役世代の社会保障費はどんどん増えている。
年寄りの年金や医療を支えているのだから。
その苦労をどうやって報いるか、ということだ。
それを選挙権で報いてもいいのではないか。

ぼくは今週4日大阪に通っているが、いつも帰りの駅の前で都構想に反対のビラ配りとアジ演説をしている人たちがいる。
ほとんどの人が65歳を超えていると思う。
「大阪市がなくなっていいのか」とアジっていた。

明らかに大阪が良くなったのは、維新の会が頑張ったからだと思う。
府市二重行政がなくなって、今はうまく言っているではないかという人もいたようだが、それは維新の会が府市の両方を取っているからで、それまでは旧態依然とした自治だったと思う。
大阪メトロも民営化したし、無駄な補助金もなくしたのは功績だ。

橋下氏も引退したし、松井氏も次の選挙には出ず引退するという。
ある意味、潔い。

結局、何も変わらない日本。

地方自治こそ、民主主義の砦なのに、ぼくは大阪市民ではないが残念だ。

この国は、明治以降の仕組みをいつまで残すんだろうか…。
もう制度疲労しているのに。





| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼ショーン・コネリー
ショーン・コネリーが亡くなった。
言わずとしれた、初代007だ。
いろんな仕事をして、俳優になって当たり役を得た。

あの、ちょっと遊び人風のスパイを演じさせたら世界一。
7本の007映画に出たが、何といっても「ロシアより愛をこめて」がいい。
ボンドガールも綺麗だし、あの冷戦の真っ只中の状況がよくわかる。
急行列車という舞台も、時代を表していてよかった。
今の若い人が見ても、ピンとこないだろうが…。

ナイフが飛び出るアタッシュケースや、仕掛けのある腕時計、座席が飛び出たり、防弾パネルが出てきたりするアストンマーチンDB5など、スパイの小道具も楽しみだった。
マネーペニーちおう秘書のいる部屋に入って、帽子を投げてコート掛けにかけるシーンがいい。
酒に凝って、「ウォッカマティーニをシェイクで」というのもカッコいい。
一度飲んでみたいものだ。

でも、ショーン・コネリーの映画で一番良かった映画は「アンタッチャブル」。
87年の作品。彼が57歳の時だ。
この作品で、アカデミー助演男優賞を取った。
老警官役を演じて、ほんとにいい演技だった。

イギリス人と話をしていて、ショーン・コネリーの事をジェームス・ボンドと言ってしまって、からかわれたこともある。

ぼくの中では、いつまでも007といえばショーン・コネリー。

いい役者が亡くなった。




| | 考えたこと | 19:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の教育は間違ってる
相談に来た大学生が言った言葉。
なんでも、高校時代は「目標の大学に入れ」と言われて頑張ったとのこと。
自分が望む大学に入れれば、バラ色の未来が開けているように言われる。

そして、3回生から就活を始め1年以上、自分がやりたかったマスコミ系に全部落ちたという。
最終面接に行った会社もあったが、多くは早期に門前払い。
小さい頃から「やりたいことをやれ!」と言われてきたのに、こんな事になってしまった、とぼやいて出てきた言葉。
たしかに「日本の教育は間違ってる」と思う。

中高時代を振り返ってみると、高校でやりたいことを決め、専門学校に行った人がうらやましいという。
美容師や服飾など、イメージできる仕事が多いからだろう。

間違いの一つは高校や大学のキャリア教育。
キャリア教育をやる先生方がサラリーマンのイメージがない。
公務員とか警察、消防、弁護士、会計士などの職業が紹介されることが多い。
先生が平日の昼間にキャリア教育で「仕事している人」を呼ぼう、となったときに、サラリーマンを呼ぶという発想はないのだと思う。

そして、大学のパンフレットで学部を出て将来なることができる職業を見ると、その学部で取れる資格の職業がメインになっている。
法学部なら弁護士、行政書士、経済学部なら会計士、税理士。
もちろん福祉系なら社会保険福祉士、心理系なら精神保健福祉士、文学部なら学芸員、何も資格のないところは中高の教員資格。

パンフレットには「この学部を卒業したらサラリーマンになれます」というところはない。
どこの学部でも、ほとんどの卒業生が「サラリーマン」になるにも関わらずだ。
前にも書いたが、どうも学校というところは、資格志向になっている。

もう一つの間違いは彼ら、彼女らが聞いてきたのまわりの大人の声だろう。
曰く「なりたいものになろう」「やりたいことをやろう」「無限の可能性がある」「頑張れば何でもできる」など。
消極的には「なんでもあなたの好きなことをやりなさい」というものだ。
そんな無責任なことを吹き込む大人がいるのだ。

小学生の頃なら、将来なりたいものを聞いて、夢を叶えたらいいなどと言うだろう。
それを高校生になっても、大学生になっても言う大人がいる。
自分を振り返ってみるといいのだ。

早く自分を客観視し、相対化できた学生は被害が小さい。
そんな大人の声に騙されないからだ。

しかし、そうでなかった学生は、この相談者のようになる。

おっしゃる通り、日本の教育は間違っているぞ。




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