考えたこと2

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人ネコ関係
前にも書いたが、イギリスのブラッドショー博士というネコ好きの学者が本を書いている。
ネコは人間のことを同族だと思っている、ということだ。

「猫的感覚:動物行動学が教えるネコの心理」という本を出しているそうだが、この本が2376円もする。電子版なら、1980円。
中古も高い。
紙の本はもう在庫がないとのこと。
本当に欲しい人しか買ってないんだろう。
なかなか増刷はしない。

博士によると、ネコが人間の手や足にすり寄ってくるのは、ネコが人間をネコと思って、親愛の情を示すためにやっているとのこと。
ネコは人間と主従関係を結ぶことはできないが、友情で結びついている、という。

なるほど。
ネコと人の関係は、友情である。
そう思うと、ネコの気ままなところも何となくわかる。
友情と言っても、べったりしたものではない。
必要なときに寄ってくるというものだ。
残念なのは、人が必要と思っても、ネコが必要と思わなければ、寄ってこないことだろう。

イヌは違う。
理想の人とイヌの関係は、人が主人でイヌが家来。
常に言うことを聞く相手がほしいなら、イヌだろう。
イヌは飼い主に忠実だ。

こういうペットの特性を考えた上で、ペットを選ぶべきだ。

そのうち、ペット選びのコンサルタントというのも、流行るかもしれないなあ。

村上春樹が書いていたが、当たりのネコは3匹〜4匹に1匹ということらしい。
でも、ネコと人を結びつけるのは友情なんだから、相性はあるだろう。
誰とでも、友情を結ぶことはできないからだ。
となると、ネコの方から見ても、あたりの人は3人〜4人に1人ということになる。
あくまで、これはランダムな場合であるから、ここにコンサルタントの入る余地がある。

私に相談していただければ、当たりのネコを見つける確率を上げます、などというと商売になるだろう。

まあ、何が当たりで、何が外れかわからないのだから、何ともいえないが…。






| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジャニーズのお家騒動
会社の後継者問題は難しい。
特に、創業者が一代でなした会社の場合は余計に難しい。

ジャニーズ事務所の現状は、そういう状況にあるらしい。
週刊誌の見出しに出ていた。

今の社長の姉の娘とSMAPのマネージャーの戦い。

どこかのサイトに出ていたが、有望な新人が、違う会社から出てくると潰しにかかるらしい。
たしかに、潰せるだけの力を持っている。
いま出ているタレントを引き上げる、といえば、今や言うことを聞かないテレビ局はないだろう。
かつての渡辺プロと同じだ。
大きくなりすぎて、弊害が出てきている。(あくまでテレビベースの話だが)
テレビ局の側も、ちょっと分散してほしいと思っているのではないか。

また、大きくなると、相乗効果がある。
売り出したいタレントを有力タレントとセットにして露出度を上げたりできる。
そうなると、タレントになりたい人も、ジャニーズに入ろうということになる。
あまりいい話ではないが…。

SMAPのマネージャーの女性は、実力があって、業界に対する営業もうまいらしい。
対する社長の姉の娘は、そのへんは劣る。

なんか、普通の同族会社の二代目騒動と同じだ。
しかし、社長本人ならまだしも、社長の姻戚関係者が出てくるとややこしい。
絵に描いたような騒動。

今まで他の新人を潰してきた実績があればあるほど、ジャニーズ事務所を飛び出すのは勇気がいるだろう。
SMAPがついてきてくれれば、それもあるかもしれないが…。

一番の実力者が社長の姉で88歳、社長が83歳。
まだまだ元気だとのこと。
創業者には定年はない。

この世界、過去には渡辺プロ、ホリプロがトップの座にいたが、凋落して今はジャニーズの天下。
因果はめぐって、次のトップが出てくるんだろうか。

SMAPのマネージャーはどうするのだろう。

これはなかなか面白い。


| | 考えたこと | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
メール便の廃止
ヤマト運輸がメール便を廃止することになった。

当局が(郵便局を守るために)「信書」という基準を明確にせず、このままいくと送り主が刑事罰に科せられる懸念がある、というのが主な理由とのこと。

ヤマト運輸といえば、宅急便を作り、長いこと国と争った会社。
その中心人物の小倉社長は会社をやめてからも、福祉に力を入れ、障害者の雇用環境を改善しようと頑張った人。
「福祉を変える経営」という本は本当に興味深かった。
福祉の給料が安い、ということに関して講演会で「まず、社員にちゃんと給料を払ってから、残りのお金で経営しなさい」と言ったという。
福祉法人の中には、耳が痛いところもあるだろう。

この人が運輸省、郵政省と戦って、宅急便を立ち上げていなかったら、アマゾンの通販などは日本ではできなかっただろうと思う。
より便利でみんなが使いたいサービスを追い求めて、みんなのために戦った会社がヤマト運輸だ。

今、安部総理は岩盤規制を破ると言っている。
でも、最初はこの「信書」の規制緩和もリストに入っていたのだが、なぜか途中で無くなったらしい。
この規制をなくす、あるいはもっとわかりやすいものに変えれば、メール便などのサービスは継続できる。
それが、うまくいかない。
ヤマト運輸側も、当初は「信書」の郵便局独占は廃止すべきという意見だったのだが譲歩して、あるサイズ以下は信書扱い、という基準を作ろう、という意見に修正したのだが、それも蹴られたらしい。

この秋に日本郵政グループが上場して、民間企業になるという。
今でも郵政事業は不調のはずだが、「信書」を独占しないと危ないということになったのか。
郵政族が活躍したことは想像に難くない。

ヤマト運輸はメール便の廃止に伴って、新しいサービスを始めるとのこと。

今まで新しいサービスを始めたら、顧客の側から新しい利用法がでてきたとのこと。

クール宅急便は今では精密機器の輸送もやっているらしい。
なるほど。
こういう形で、新しい商売ができていくのか。

安部首相も岩盤規制を突き崩すというのなら、まず民間から提案されているものをやるべきだ。
それができないなら、選挙目当てのプロバガンダと言われても仕方がない。

ヤマト運輸は頑張ってほしい。


| | 考えたこと | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
国立社会保障・人口問題研究所所長の意見
国立社会保障・人口問題研究所の所長、森田氏の記事があった。

それによると、社会保障費の総額が約120兆円。
そのうち半分の60兆円が年金の支出。1/3の40兆円が医療費、残り1/6の20兆円が介護や児童手当などになっている。

長生きすると医療費が増え、介護費が増え、年金が増える。
高齢化というのは、昔よりも長生きできるようになった、ということだ。
ずーっと健康でいて、コロッと死ねればいいが、そういうわけにもいかない。
長く生きると、体調が悪くなり、介護が必要になる。

知らなかったが、1947年の男性の平均寿命は50歳だったらしい。
1960年で65歳。このへんで今の年金制度などの制度設計ができた。
今が80歳だから、それから15年長生きになったということだ。
少子化でなくても、そら、足らんようになるわなあ。

こないだの総選挙の時に、非正規雇用が増えたことが問題になっていたが、増えた非正規雇用の半分は団塊の世代の定年後再雇用だったらしい。
冷静に考えれば、そうだろうと思う。
若い世代は、一時期に比べると正社員が10万人増えたとのこと。
そもそも、若い年齢層は人口そのものが減少しているから、正規/非正規雇用の問題を絶対数で過去と比較することの意味は疑問だという。
しかし、地域差は大きくて、東京は求人が多い。
そうだろうなあ。

森田氏は地方創生にも有効策はないのではないか、という。

昔のように工場を誘致しても、工場で働く人が大幅に減っている。
それはそうだ。実際、ぼくが見た70年代の工場と、2000年代の工場では人の数が減った。
それなら観光で、ということになるが、これも景気の変動で大きく影響を受ける産業であり、それだけで、どこもかしこも観光というわけにはいかない。

さらに、地方にもいろいろな自治体がある。
人口が数千人で、高齢化率が5割以上の自治体もあれば、人口30万人で産業が発展している都市もあり、それらを同列では扱えないということだ。

今の地方創生の一番の問題は、自治体の再編にまで踏み込んでいない、ということ。

たしかに景気のいいことを言ってぶち上げているが、2040年にはたくさんの自治体が消える(住民サービスができなくなる)という本が出ているのに、その部分は避けている。
選挙で勝って、長期政権も可能なんだから、再編の話も出せばいいと思う。

本当に過疎が進んでいる小さな村の活性化は策がない。
そもそも人口自体が減っていくのに、すべての市町村を保っていくのは無理だという。
頑張ってなんとかなる問題と、なんともならない問題がある。その後者なんだろう。
人口そのものが減るんだから…。

そして、人口が増えない中で、どの地方都市を盛り上げていくかは国家の設計の問題だ、という。
どこが残って、どこが消えていくかという基準が決まっていない。
意欲だけではどうにもならない。
このあたりは、さすが、人口問題研究所の所長らしい発言。
実際、98年ごろに人口トレンドを見て、行政サービスを保てない市町村が出てくるのはある程度わかっていたので、合併してサービスを維持しましょうという提案をしたのに、猛反発を受けたらしい。
でも、今は小さな自治体では、災害対応もできなくなってきているというのが現実。

人口問題というのは、今からがんばっても、今を変えることができない。
移民でも入れない限り、これから先しか変えることができないのだ。
今の20歳を増やすことはもうできない。
当たり前だが、これがみんなわからない。
人口ピラミッドはあとから追加で増やすことはできないからだ。

だから、少子化を止めるために子育て世代に補助をしようとしている。
でも、高齢者が多くて、年金や医療でお金がない。
選挙は、生まれていない子供は参加できないからなあ。
年寄りが、それらの子供のことを考えればいいのだが、自分たちのことしか考えない人が多いのも事実。

ここは高度な政治判断があってもいいと思うのだが…。
まことに正論だと思った。
数字をつかんでいる人は強い。

でも、ぼくは方丈記のファンだから、朽ち果てるようになくなっていく、というのもありだと思う。
日本には、そういう伝統?もあるし、またそんなに優秀な政治家は出てこないからだ。

ゆく川の流れは絶えずして…




| | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
STAP細胞の真相
3月号の日経サイエンスに、STAP細胞は最初から存在しなかったという事実の詳細な報告記事が出るらしい。

ことの発端は、横浜にある理研の統合生命医科学研究センターの上級研究員が、2014年の6月に、論文の共著者の若山山梨大教授から届けられたSTAP幹細胞の遺伝子配列のデーターを見て、おかしな事に気づいた、ということ。
それをこの研究者が、論文の共著者の若山氏にすぐに報告した。
6月30日に、理研が「論文は撤回するので新たな調査はしない」と言っていたが、一転して論文の予備調査に入ると発表したのは、この報告と関係があるらしい。

3つのグループが、この疑問を究明したが、12月末までに同じ結論にたどり着いたとのこと。
STAP細胞と言っていたのは、もともとあったES細胞だった。
これは元理研にいた研究者が、2010年に理研を出る時に「置き忘れたのかもしれない」と言っているものだ。
でもこの細胞が入っていたチューブのラベルは、その研究者が書いたものではなく、どうして小保方さんの冷蔵庫に入ったかもわかっていないとのこと。

結局、限りなくクロに近いグレーということだ。
時代劇なら、お奉行さんが「正直に白状いたせ」と言って、犯人がへへー、というところ。

理研が小保方さんを免職できなかったのは、きっと理研のサイドの問題もあからさまになるからだろう。
これは、もちろん間違った判断だと思う。
これだけ世界を驚かせ、結果的に迷惑をかけたんだから、徹底的に原因を追求し、なんで起こったのかということを解明しないといけない。

そうでないと、また同じことが起こる。
組織に自浄作用がないのだから。

一般には、そういう処置をしても、再発するのだから、理研はもっと再発の可能性が高いということだ。
必ず起こる、と言ってもいい。

何度も言うが、研究者というのは、研究以外のことはできない。
よほど優れた研究者なら、研究も管理もできるのだろうが、そんな人はほとんどいないと思う。

管理体制を見直し、管理の事務ができる人を入れて、権限を持たさないとダメだ。
そんなの、当たり前の話。

情けないなあ。

1月26日の日経の記事によると、「STAP細胞問題に絡み、論文作成に使用した胚性幹細胞(ES細胞)を盗んだとして、理化学研究所元上級研究員でNPO法人理事長の石川智久氏(60)が26日、窃盗の疑いで理研元研究員、小保方晴子氏(31)に対する告発状を兵庫県警神戸水上署に提出した。県警は受理したかどうかを明らかにしていない。
 告発状などによると、小保方氏は2011〜13年ごろ、若山照彦・山梨大教授の研究室からES細胞を窃取。このES細胞が混入された細胞サンプルを若山氏に渡して実験を行わせ、STAP細胞に関する論文を英科学誌ネイチャーに発表したとしている。」となっている。

この告発が受け入れられたら、実際に盗んだかどうか、警察が調査するのだろうか。
そうすれば、この問題に白黒がつくのだろうか。

そうなるべきだろう。

| | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
検索エンジンの勝ち
東洋経済の記事によると、エデルマンという世界最大のPR代理店が、トラスト・バロメーターという、政府やNGO、ビジネス、メディアに対する信頼度というのを発表したらしい。

対象は27カ国、27000人へのアンケート。
その結果、2015年の1位はUAE。信頼度が84%もある。続いてインド。79%だ。

アメリカは1年前の49%から52%に上がり、フランスも46%から52%に上がった。
逆に、イギリスは52%から46%に減っている。
日本だが、去年44%だったのが、37%でなんと最下位になっている。

たしかに日本ではNGOは存在感が無く、ビジネスは情報発信が少ない。これは監督官庁のせいもあるだろう。
政府は投票率の低さが、政治の信頼度が低いことを物語っている。
日本の代表的なメディアである新聞は、署名記事はないし、記者クラブ制度で上からの情報は垂れ流しだし、取材力はないし、これで信頼度が上がるワケがない。
テレビは新聞の右へならえで、ワイドショーなど見るに耐えない。

しかし、世界で一番国民が政府やNGO、ビジネス、メディアを、信頼していない国になっているとは思わなかった。

その一方で、何を信頼しているかというと、インターネットの検索エンジンだという。

ぼくも、重要なニュースはインターネットの記事で見る。
いくつかのサイトで翻訳された海外のニュースも見る。
ロイターやウォール・ストリート・ジャーナルも日本語版を見る。

そんなふうにして、ニュースを見る人が増えているということだ。
だから、相対的に既存の情報発信源に対する信頼度が下がっているのだと思う。
日経ビジネスや東洋経済や週刊ダイヤモンドのオンライン記事にも、データーを示して、論点を明確にするものがある。
それらの情報をとるために、ツイッターやフェイスブックでフォローする。

そういう時代なのだろう。

もう過去には戻らない。




| | 考えたこと | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
カラオケは古い曲
東洋経済の記事によると、最近のカラオケでは新しい曲よりも、古い曲の方が人気があるらしい。

2004年のカラオケベストヒットの上位5曲は、涙そうそう(2001)、世界に一つだけの花(2003)、さくら(2003)、ハナミズキ(2004)、雪の華(2004)となっていた。
2004年のカラオケベストヒットだから、上位5位の発表された年と2004の差をとって、平均すると1になる。
これで、2004年にカラオケで歌われた曲のベスト5の古さは1、とカウントする。

この考え方で2004年からベスト5の古さを計算していくと、2008年あたりからどんどん上がっており、2013年に9近くになる。
つまり、2013年のカラオケで歌われた曲のベスト5を平均すると、9年前の曲だった、ということだ。
2014年はアナ雪やAKBの影響でちょっと新曲が復権したが、それでも古さの平均は5である。
つまり、5年前の曲がベスト5の平均。
このまま下がるのか、それともまた増えていくのかはわからない。

この、古い曲がカラオケで歌われる要因は3つあると思う。

一つは少子高齢化が進んできて、新しい曲を知らない世代が増えてきていることだろう。
ぼくらはほとんど歌番組を見ないし、ジャニーズやAKBなども知らない。
ぼくらより上の人たちは、もっとその傾向が強いと思う。

もう一つは、音楽の作り手のバリエーションが増えたこと。
作る方の裾野もだいぶ広がった。
一昔前なら、数百万したような機材がパソコン1台でできる。
録音機材も安価になった。
おまけに、ボーカロイドを使えば、自分で歌うこともいらない。
以前なら、レコード会社が契約した歌手しかレコードは出せなかったが、今やYouTubeにアップして流行ればCDになる時代。
歌いたい歌を見つけた時、カラオケで歌う歌になるのではないか。

さらに、カラオケの容量が増え、検索が簡単になったこと。
これが案外一番大きいのではないか。
いろいろな探し方ができる。
歌手ごととか、曲名とか、何年ごろ流行った曲とか、歴代レコード大賞関連の曲とか、デュエットの曲とか…。
曲はサーバーに入っているのだから、いくらでも増やせる。
必然的に、古い曲の数がどんどん増える。

いずれにせよ、カラオケでは新しい曲が減って、古い曲が増える傾向だ。
いい曲はそんなに作られない。
その時代の人がみんな歌いたいと思えるような曲は、なかなか作れない。

そうなると、カラオケでは古い曲が増えるのは当然だと思う。

| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
宮内シニアチェアマンの言葉
オリックスの宮内シニアチェアマンが、「遺言 日本の未来へ」という日経ビジネスの特集記事に絡んでこんなことを書いている。

『「公徳心とか公共の利益を教育すべき」なんて言うと政治問題化しますけど、それは政治問題じゃなくて社会教育の基礎だと思うんですよね。やはり明示的に教育した方がいいように思います。社会が成り立つためには「権利を主張しなさい、その代わりあなたには義務がありますよ」と。両方ないと社会は成り立たないのですから。戦後70年もたって権利、権利と言っているのではいけない。義務は果たさないといけないんです。
 社会は1人ひとりでは成り立たない。だからみんなで成り立つようにしないといけないはずです。でも日本人はどこか、「公共」は「官」の役割で、官以外の「私」は、徹底して私欲を追求していく存在だと思っているように感じます。これは戦後教育の間違いじゃないでしょうか。』

これには100%賛成。

宮内氏は1935年生まれで、戦前の教育と、敗戦後すぐの教育を受けた。
一夜にして、先生の言うことが変わったという経験をしている。
たしかに、戦後の日本はそれまでの明治憲法の精神を捨て、アメリカ型の民主主義の理想を実現しようとして、それまで認められていなかった国民の権利をうたった新憲法を作った。
アメリカ主導で作ったと言われているが、結局は日本政府が認め、国民はみんな喜んだと思う。
でも、それが70年経って、おかしくなってしまった。

何かあれば、責任者を追求する。
それ自体は悪いことではないのだが、その前に考えるべきことがあると思う。
「自分」はどう関わるのかということだ。
それを考えたら、そんなに一方的に責めることはできないだろう。

いい加減な責任者もいるのは事実。
大津のいじめ事件の教育現場など、まさにそうだ。
それでも、関係者一人ひとりが自分のこととして考え、行動を起こしていれば、もっと違う結果もあったはずだと思いたい。

宮内氏は「戦後教育の間違い」と言っているが、まさにその通りだと思う。
でも、それを、教育関係者だけを責めるのではなく、国民みんながもう一度この国の教育を作りなおすくらいのことをやらないといけないのだと思う。
それが必要な時期だろう。

宮内氏も記事の最後で言っている。

『私は今、若い人がなぜ黙っているのかわかりません。この国には1000兆円もの借金があるんですよ。とんでもない話です。昨年末の選挙でも財政は主たるテーマになりませんでしたが、これは借金を背負うことになる若い人が、なめられているということですよ。
 こういうことをじいさんが言うのも変な話ですけど、若者が怒らないのはおかしい。若者が現状に対して不満を言わないというのは、社会が停滞している証拠ではないでしょうか。若い人にパワーを感じないから、“遺言”をと言われても、「残す値打ちがあるかな」と(笑)。若者には自分たちが新しい社会をつくるんだという、覇気が欲しいです。やる気のある人にはいろいろとお伝えしたいですね。そんな若者が増えることを期待しています。』

ぼくも、若い人たちに「これがイギリスやったら暴動起こってるで」と言い続けてきた。
それでも、選挙に行かない若い人たち。

諦めているのかもしれないが…。



| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
いぬのきもち
今日ネットを見ていたら、上の方に宣伝があって、それに目が止まった。

「いぬのきもち」というイヌの教育の本。
ベネッセがやっている。
ベネッセというと、子供向けの赤ペン先生が有名。今や少子化で多角化をしている。
ダイレクトメールの情報漏えいで有名になったが、そこが子供の次はペットという戦略をとっていたのか。

小学生の赤ペン先生から上に市場を伸ばしていったのが、高校受験、大学受験という方向。
下に伸ばしていったのが、「ひよこくらぶ」とか「たまごくらぶ」という生まれる前から捕まえるという方向。
こういう雑誌があるのは知っていたが、ペットとは思わなかった。

たしかに、少子高齢化で何が起こるかというと、ペットの増加。
今や15歳未満の子供の数よりもはるかに多くなった。
そこに目をつけたのが「いぬのきもち」「ねこのきもち」という雑誌。
すごい多角化だ。

「ベネッセグループは「Benesse=よく生きる」を企業理念とし、教育、介護の領域を中心に事業展開しています。」ということだ。

「教育、介護の領域」にペットが入るのはちょっと苦しいので、そのうちこの文言は変えるかもしれないなあ。
まあ、「しつけ」というキーワードでくくれば、教育分野と言えないこともないが…。

「いぬのきもち」のホームページを見ると、いろんなことが書いてある。

吠えぐせが直らない、ひっぱりグセ、トイレそそう、噛みグセなどの悩みを解決してくれて、読者のうれしい声も届いている。
イヌのおもちゃも付録で付いてくるし、専門家への電話相談もできるなど、充実した内容。
そして、値段も年間一括購読で12216円。結構高い。
月刊誌で一冊1000円か…。

「ねこのきもち」は事例が、関係づくり、困った解決、お手入れ、健康というところ。
やっぱりイヌとネコはだいぶ違う。
こちらも値段は同じだ。

GDPが上がるのにしたがって、ペットの数も増えてきた。
それにともなって、家の中で飼う人が増え、人間とペットの距離も近くなった。
以前は番犬として家の外にいたが、今や家族の一員として家の中にいる。
改正ペット法も施行され、売る方も飼う(買う)方も、責任強化された。

「いぬのきもち」はマーケティングとしては、正解だろう。
売り上げを見てみると、いぬが13万部、ねこが10万部という数字。
23万部だから、27億6000万円くらいの売り上げか…。
この手の雑誌は半分以上が通販のような気がする。

ペットの時代だなあ。

イヌの飼育数、1153万匹、ネコは974万匹、合わせると2000万を超え、日本の15歳未満の人口1649万人をはるかに上回るという事実。

そのうち、獣医も小児科、成人科、老年科に別れて病院になったりするかもしれない。

ひょっとしたらと思って調べたら、もうペットの医療保険があった。
見積もりができるので、2歳の中型犬でやってみると、100%補償で年間3万5千円になった。
ねこはちょっと安くて、3万円ほど。

すごい時代だ。
ペットも家族の時代。
そう思ってお金を払う人たちは、どちらかというと年齢の高い人で、お金がある人だろう。
ものを言わないペットたちは、何を望んでいるのだろうか。

これからは多死社会。
どうやって死んでいくのかを人間も考えないといけない時期だろう。

なんかちょっと複雑になってしまう。


| | 考えたこと | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
人物評価
中央教育審議会が入試制度の改革をやっていて、今の小学校6年から新制度になることは決まっている。
新聞によると、その改革のポイントは以下の5点。

1.センター試験を廃止し「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を2021年度入試から導入
2.思考力を重視し教科の枠組みを超えた問題を出題
3.英語は4技能をバランスよく評価し、外部試験の活用も検討
4.各大学の個別試験は小論文や面接、集団討論などで多面的に評価する
5.高校生の基礎学力をみる「高校基礎学力テスト(仮称)」を新設する

ぼくは1,2,3,5については賛成。
ただ、1と5を別々にするのはどうかと思う。
要は、高校卒業程度の基礎学力を測ればいいのだから、一つのテストで充分だ。
今はそれができていないから、入試の科目にない科目をやらない、という不見識な高校がたくさん出てきた。
自分の担当の科目の勉強の意味がわからない教師がいる。
数学の教師が、実社会では高校の数学は要らんから…などと、堂々と話す。
教育がモノ扱いされ、損得で評価されている。
世界史の履修漏れなど氷山の一角だ。
その状況を変えるためには、これまた不見識な大学の入試に頼らず、高校卒業程度の全科目の知識を問う試験をすべきだ。

英語もTOEICでもTOEFLでも英検でも何でも活用すればいい。
その方が客観的な評価ができる。

ただ、問題は4だ。
各大学の個別試験を、小論文や面接、集団討論にして、多面的に評価する、というもの。
要はペーパーテストをやめて、主観評価に変える、ということだ。
これは絶対反対。
中教審の人たちは、1点に泣く今のシステムに反対しているのだが、それなら主観評価に変えて、受験生の満足度が上がるのかということだ。
1点に泣くほうが、面接や集団討論という試験で落ちるより、よっぽど納得性が高い。
集団討論など、回りの人に左右されてしまう。

人間の主観ほどいい加減なものはない。
人が人を評価するのは、本当に難しい。
本気でそういうことをやったことがない人が、中教審には集まっているのだろう。
会社勤めをして、管理職になったら、定期的に部下を評価しないといけない。
目標管理とか、人事考課とかいうやつだ。
それは昇進もかかるし、昇給もかかる。
いい加減にはできない。
そんなことをやってみればいいのだ。
人が人を評価するのは、難しいと本気で思う。
できることなら、定期的に業務に関するテストをやって、点数化してほしいと思う管理職も多いだろう。
目標管理にしても、結局はチームプレーだから、一人ひとりの頑張りをどう評価するのがいいのか、難しい。
それは本当にそう思う。

「人物評価」という言葉に騙されてはいけない。
各大学で1人の人がすべての受験生を評価できるのなら、まだいい。
そんなことはできないから、複数の担当でレベル合わせをして、質問内容も決めて、どういう答えの時はどう評価するということも決めて運用しないといけない。
でも、いくらそんなことを決めても、実際にはそれを厳格に実施するのは不可能だ。
こんなことをしたら、今よりももっと「あの面接官に落とされた」という不公平感が増すだけだ。
人物評価を入れるというのなら、内申書を見ればいい。

小論文や面接、集団討論などの多面的な評価というのは、聞こえはいいが恣意的な評価をする、ということだ。
客観評価ではそんなことは起こらない。

ぼくは大学に勤めていて、大学でやっている面接試験についても見たことがあるが、どうやってもフェアにはできない。
人の好みが入り、面接官ごとにそれは変わる。
面接官が好きな人のタイプというのは、抜き難くある。
いくらレベルをすりあわせても、絶対にそれは入るのだ。

それを人物評価をやるプロがやるのならまだしも、普段研究をやっている大学の先生が、そんなことをできるわけがない。

だから、面接を用いた試験をするのは構わないが、2次試験でペーパーテストをやめてしまうのは反対。
主観的評価は、ペーパーテストでは拾えないユニークな人を取るためか、こういう人だけは取りたくないという足切りに使うべきだ。
要は、両極端を選別する手段にする、ということだ。それしかないと思う。

1点に泣くほうが、わけの分からない面接官の主観で落とされるよりよっぽどマシだ。
そんなことは当たり前だと思う。
そのほうが、受験生も納得できる。

中教審のエライ人は何を考えているんだろうか。

| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
大正生まれ
こないだ、ジムのプールでジャグジーに入っていたら、急におばあさんが話しかけてきた。

ちょっと要領を得なかったが、話をよく聞くと終戦前に満州にいたが、ソ連が急に攻めてきて、自分たち一般人は山の方に逃げて大変だった、という話。
おそらく1945年の8月のことだと思う。
日本の終戦間際にソ連が突然参戦し、当時の関東軍が支配していた満州は大変だったらしい。

おばあさんは大正13年生まれの90歳ということで、当時は20歳だったと思う。
平和なら一番楽しいはずのティーンエージャーの頃、満州で終戦を迎え、ロシア兵に追われて逃げまわったということだ。

自分では当時17歳と言っていたが、きっと間違えていたんだろう。
とても元気なおばあさんだった。

あのおばあさんたちの苦労があったから、今の日本がある。

日本の陸軍が中国に「進出」して勝手に戦線を拡大し、それを歴代の内閣が承認し、結局は海軍も一緒になって太平洋戦争に突入した。
朝日や毎日といった当時のマスコミは、新聞を売るために戦争を煽った。
それによって、国民もみんな戦争をやる気になっていった。
マスコミは当然勝てると報道したからだ。
結局は、軍もマスコミも国民もみんな悪かったんだと思う。

でも、おばあさんは戦争の犠牲者でもある。
おばあさんは、日本の軍人は、当時全く頼りにならなかったと言っていた。
守ってくれるものもない土地で、大変な苦労をされたんだろう。

日本の内部で言えば、戦線拡大を許し、天皇の意に反して無茶な日米戦に突っ込んでいった軍部や内閣に対して、日本国民は反省をしていない。
東京裁判で連合国が裁いたことになってしまったからだ。
敗戦を境に、マスコミも手のひらを返したように軍国主義を批判した。
自分たちが戦争を煽った事に関する反省をちゃんとしたのだろうか。

結局日本人は、連合軍に裁いてもらって、自分たちで第二次大戦を総括していないのだと思う。
そのまま戦後70年を今年迎える。
靖国の問題も、解決しないままだ。

アメリカに与えてもらった民主主義だから、なかなか根付かない。
自分たちに勝ち取ったという経験がない。
そんな歴史があるんだろう。

もうすぐ大正生まれの人たちも、鬼籍に入る。

ぼくら昭和生まれが生きている間に、何とかできればいいのだが…。

| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
鬼平犯科帳2015
こないだやっていた鬼平犯科帳を録画で見た。

鬼平こと長谷川平蔵、密偵の伊三次、おまさ、五郎蔵、家来の木村忠吾…、みんな年をとった。
昔、レギュラーでやっていた頃の役者の何人かはもう亡くなった。
ケーブルテレビで1990年代のをやっているが、それと比べると、「ああ、人間は年をとるんだなあ」という感慨は否めない。
役者だから化粧をしているが、今年の作品を見ると、やっぱり年を感じるのだ。

ぼくにとって、鬼平犯科帳の主人公長谷川平蔵役は、何といっても、二代目中村吉右衛門だ。
実際、一番長いこと続いた。
007がショーン・コネリーであるように、車寅次郎が渥美清であるように、やっぱり長谷川平蔵は吉右衛門でないといけない。

時代劇にしては、勧善懲悪ではないところが斬新だった。
一度書いたが、もと盗賊でこれと目をつけたやつを密偵にする。
そのあたりのグレーなところが、すごくいい。
本当に、日本のハードボイルドと言っていいと思う。
長谷川平蔵と密偵の関係など、双方とも言葉にしない感情がお互いに伝わって、泣かせる。

実はぼくはリアルタイムでは鬼平犯科帳はほとんど見ていない。
ちょうど仕事が一番忙しい時期だったから、その頃のテレビドラマはほとんど見ていないのだ。
でも、数年前からケーブルテレビの時代劇チャンネルで二代目吉右衛門の鬼平犯科帳を見て、すっかりファンになってしまった。
池波正太郎の原作も全部読んだ。
時代劇の名作、というか、日本のハードボイルドの名作だろう。

時代劇にしては珍しく、ジプシー・キングスのフラメンコ風のインストをエンディングテーマに使った。
エンディングに冬の江戸の場面が出てきて、寒くて、厳しい感じと、あの哀愁のあるガットギターがよく合う。
そのエンディングもいい。

こういうのを読んでいたり、見たりすると、日本人に生まれてよかったなあと思う。

アメリカ人がウエスタンを見ても、そう思うのだろうか…。



| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
標識アート
フランス人のアーティストが、交通標識に自作のシールを貼って勝手に書き換えていた。
最近のニュースで見る。

一方通行の矢印の先がぐちゃぐちゃに折れていたり、進入禁止の標識の白い部分を道路に見立てて、それを割っている人を描き加えたり…。
正直に言うと、これを個展でやっているのなら、なかなか面白いと思う。
勝手に道路標識を変えてしまうのはいけないのだが。

今日、テレビで道行く人にそのことを聞いていた。

「見たら、一方通行の標識が魚の骨になっていて、ギョッとしました。」

テレビではこのコメントをスルーしたのだが、ぼくは面白かった。

インタビューをした現場は、このコメントはなかなか面白いから、使おうと思ったに違いない。
でも、このコメントにツッコミを入れると、きっと文句が出るだろうという上層部の判断だったんだろう。

実際、法律を破ってやっていることに対して、それを面白がるのはいけないことだ。
そういうことはあってはならない。

でも、ちょっと面白い部分もある。

そういうことの線引きが難しい。

ぼくは、やっていることが法を破っていることはイケナイとしたうえで、ちょっとは面白がる余裕もあっていいのではないかと思う。
その方法は難しいが…。

きっとそう思うスタッフがそのインタビューを番組に入れたんだと思う。

そのささやかな抵抗に賛成一票。




| | 考えたこと | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
風刺マンガ
フランスの新聞社をイスラム過激派が襲った事件は、風刺マンガがきっかけ。

特にマホメッドを風刺画に描くというのが、偶像禁止の宗教であるイスラム教を刺激したらしい。
文化の違いといえばそれまでだが、イスラムの人たちには、異教徒がマホメッドをマンガで描くという行為が許せなかったのだろう。
もちろん、だからといって小銃で人を撃ち殺すということは許されることではない。
今回のテロでは、4人の風刺マンガ家も殺されたとのこと。

風刺マンガを見ると、結構きつい。
日本人の目から見ると、ちょっと「シャレにならない」という気もする。
きついマンガも文化の違いなのかもしれない。

欧米人はきつい風刺マンガを許している。
それは何故かというと、歴史的に権力者から「自由」を勝ち取ってきたからだと思う。
権力者を笑い飛ばし、また、権力者も笑い飛ばされるだけの懐の深さがあるのだろう。
批判は批判として受け止める。
そして、批判には批判をもって返す。
そうでなければ、前のブッシュ大統領やクリントン大統領などはマンガやジョークのネタにならなかったろう。
2代目のブッシュを扱ったジョークは強烈なものも多い。
そういう意味では、風刺は民主主義のバロメーターだとも言える。

しかし、イスラムの国々や中国などでは、それは反逆とみなされるのかもしれない。
日本も怪しい。
戦前の日本なら、許せないと思う人も多かっただろう。
戦後の民主主義教育を受けたぼくらは、そんなことで小銃をぶっ放すなどということはしないと思う。

でも、いくら欧米の国々の首相が「自由を守る」と言っても、イスラムの国々にはなかなか通じないのではないか。
欧米人にとって自明のことが、自明ではないからだ。
中東や中国の人たちにとって、「自由」を勝ち取ってきた歴史はないと思う。
だから、自由を守るための風刺という伝統もないのだろう。

風刺マンガを描いていた人たちは、自国の指導者たちの風刺もしていた。
批判すべきものは、どんな相手でも批判するというのが風刺。
風刺される方も、それを笑い飛ばすくらいの余裕がないといけない。

だから、この問題はすれ違うんだろうと思う。
歴史と文化が違う。

でも、テロリズムはいけない。
テロをやめるためには、欧米のメディアも少し歩み寄らないといけないのではないかと思う。

難しいのだが…。


| | 考えたこと | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
友達のリセット
幼なじみという言葉があるが、本当に幼稚園時代からの友達というのはどれくらいいるんだろうか。
自分の経験からいうと、1人しかいない。

小学校の友達は、その1人を除くと、1人だけ年賀状を出している。
中学校の友達は、今はいない。
高校の友達は、数人。
大学の友達は、毎年年末に会う2人、時々電話がかかってくる1人。
大学のクラブは数枚年賀状を出しているが、ここ数年会ってない。
やっぱり、就職してからの同期、先輩、後輩の中から、これは友人と決めた人が数人。これは濃い。ただし、向こうがどう思っているかはわからないが…。
近所の関係で、また数人。

思ったより友達は少ない。
属している組織が変わると、リセットされてしまう。
そういうもんだと思う。
いつまでも古い友達を引っ張ってはいかれない。
そんな風にして、人は一人になって、オトナになっていく。

最近の若い人を見ていると、ラインやらフェイスブックやらを使いこなしていて、素晴らしいと思う反面、逆にそれらに使われている人もいるのではないかと思う。
ああいうSNS(ソーシャルネットワーキングシステム)を使っていると、友達のリセットが難しいのではないか。
要は、古い友だちを捨てられない。
それはいいことなんだろうか。

絆とか、仲間とかを大事にする風潮だ。
友達、というものに至上の価値があるという価値観。
大学に入って5月に面談をやるときも、最初に聞くのは「友達はできた?」だ。
友達ができないと、学校に来なくなったりする。

ボッチという言葉は嫌な言葉になる。
ひとりぼっちのボッチだ。
ボッチ飯というのは、一緒に食べる仲間がいなくて、一人で食堂などで食べているということ。
ボッチ飯がイヤだから、トイレで食べる学生もいると聞く。

それほど友達が大事なんだろうか。

ぼくらの世代にはボッチ飯という言葉もなかったし、食堂で一人で食べることに抵抗はなかった。
一人で何かをするということに慣れるのが、大学時代と言ってもいいかもしれない。
もちろん、友達は大事だったが、四六時中一緒にいたいとは思わなかったし、そういうものだという共通認識があった。

小学校、中学校、高校、大学、勤め先と所属する組織が変わるごとに人は成長していき、友達も変わっていく。
それが発達というものだ。

気の合う友達はずっといてもいい。
しかし、自ずと新しい仲間の中で友達は淘汰される。
それが自然な姿だと思う。

もしも、SNSがそのジャマをしていると思うなら、やめたほうがいい。
そうでないと、オトナになれなくなる。


| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
数珠ブレスレット2
昨日書いたところだが、今日のニュースで相撲の解説をしていた元大関のナントカも数珠ブレスレットをしていた。
腕時計もして、両手に2つの数珠だ。

やっぱり数珠ブレスレットはかなり市民権を得ているようだ。

家族に聞いても、最近よく見るという。
これは仏教由来の数珠だが、仏教とは関係ないのではないか、というのが結論。
でも、これが仏教由来というところが、普及の理由かもしれない。

数珠というのは仏教宗派によって、形が異なる。
正式の持ち方もあるらしい。
だから、ブレスレットになっているものは正式のものではないと思う。

でも、数珠は宗教に関係している。
数珠ブレスレットはファッションでつけているのだが、それでも、宗教色があるのだ。
だから、仕事中にこんなものをつけているのはどんなものか、と言いにくい。
もしも本人が、これは私の信教の自由を犯すなどと言われると、どうしようもない。
だから言いにくい。
そういう力で、徐々に広がっているのだろう。

若い人よりは30代以上あたりに多いと思う。
女性より男性に多いような気がする。
女性には別のアクセサリーが十分あるからだ。

なんとなく、うさんくさいとぼくは思う。
そういうアクセサリーをしている人は警戒する。

そういう意味では、数珠ブレスレットをしているということは、怪しいシグナルになるから、流行るのはいいことかもしれないなあ。



| | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
数珠ブレスレット
ぼくは10年間京都で勤めたが、京都には特有のファッションがある。
数珠の形をしたブレスレットだ。
これをしている人が多い。

ぼくが勤めていた大学の事務は仏教系だったので、当然たくさんいた。
でも、営業で回ってくる普通の会社の人もしていた。
女性でもしている人がいる。

ぼくがその前に勤めていた会社は神戸にあったのだが、そこではあり得ないファッションだった。
どちらかというと、そんなものをしていたら、うさんくさい、という感じ。
おそらく、上司からなぜそんなものをしているのか、と聞かれるだろう。
でも、この10年で意識も変わったのかもしれない。
たまにテレビに出ている人でも、している人がいる。
さすがに、NHKのアナウンサーがしている、というのは見たことがないが…。

あれは何なんだろうか。
宗教的なものなんだろうか。
それとも、パワーストーンみたいなものなんだろうか。

たまに複数している人がいるが、そうなると単に信心でつけているのではなく、ファッションなんだろう。

仏教が、キリスト教の十字架(ロザリオ)に対抗して、身につけられるものとして開発したというのが、一番信じられる説。
昔はそんなものはなかったと思う。
いつ頃からだろうか。
ここ10年だと思うんだが…。
信心でやっているなら、阿弥陀様のネックレスなどの方が見えないからいいと思う。

京都ではなんとなく市民権を得ているような気がする。
だれも、それについて話そうとしない。
だからぼくも話さなかった。

誰か知っていたら教えてほしい。

あれは何なんだろう。

あんなものでご利益があるとは思えないが…。




| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
新型プリウス
今年はプリウスがモデルチェンジするらしい。
全面的なモデルチェンジだ。
つまり、トヨタのハイブリッドのシステムをすべて見直す(かもしれない)らしい。

以前からプリウスのシステムは高速に弱いと言われていた。
高速走行ばかりなら、ホンダがやめてしまったシステムの方が燃費がいい。

おまけに欧州ではディーゼルが主流になっていて、ディーゼルは高速では燃費がいい。
欧州メーカーは既存のエンジンの排気量を減らしてターボを付けたり、変速機を細かく制御したり、車両の軽量化を図ったりして低燃費にしている。
今のゴルフをみればわかる。
実際に走ると、ハイブリッドでなくても燃費はそこそこいくらしい。
もちろん、ハイブリッドの特性を理解し、それに合わせた走りをすれば、ハイブリッドの燃費はいい。
また、燃料コストという面ではディーゼルエンジンは軽油だからガソリンよりも安く、アドバンテージがある。

それらの要因を蹴散らして、あたらしいハイブリッドのシステムを設計して発売するというのがとトヨタの計画らしい。

ぼくはわけあってトヨタの車は買わないが、そういう車を出すのはいいことだと思う。

日本は戦後航空機を作るのをやめた。というか、連合軍にやめさされた。
優秀な技術者がゼロ戦を作ったが、その技術はもう飛行機には使えなくなった。
それらの技術者が自動車や新幹線を作った。

ドイツは第二次大戦中にV型ロケットを作っていたが、この技術者たちは東西に分かれてアメリカとソ連に連れて行かれた。
彼らがスプートニクやアポロを産んだということも言えるかもしれない。

ドイツと日本はどちらも車で世界的に有名になった。
それは航空機をやめたことと関係があるのだと思う。

ハイブリッドか、PHVか、電気自動車か、燃料電池車か…。
最終的には電気で走る時代は来るんだろうが、まだまだ難しい。
そこにいきつくまでのつなぎになる。

燃費がよくて、走っていて楽しいクルマを日本で作ってほしい。

今年はどうなるのか、楽しみだ。


| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
地方議員
野々村元議員の号泣会見で有名?になった、地方議員の記事があった。

今や地方議員の成り手は絶滅危惧種だという。
2011年の4月に実施された統一地方選挙のデータ。
市区町村議員選挙の投票率は49.86%、41道府県議員選挙は48.15%。
その上、41都道府県議会の想定数2330のうち、410人が無投票当選。これは全国的な傾向で無投票当選者がいなかった道府県はない。
最も無投票当選が多かったのは島根県で、県議定数37のうち26議席が無投票とのこと。
市区町村議員選挙では、立候補者の数が当選数+1人という競争の低いところが全体の約1/4とのこと。
無投票よりはマシだが、これでは選挙に行く気にならないのも事実。

議員になろうという人がいないのだ。
記事によると、新人にとっての壁が高いとか、報酬が低いとか、書いてある。
でも、記事を書いた人が最大の理由と思っているのは、

「要は、現職議員の姿を見て、議員の仕事に魅力を感じられないということである。
 それも無理からぬことであろう。ほとんどの議員が本来の議員の役割を果たさずに、ただただ議員であり続けているのが実態であるからだ。現職議員の多くが次の選挙に勝つことを最大の使命と考え、議員活動ではなく選挙活動に日常的に血道をあげている。特定の住民のために口利きしたり、媚びを売ったりと懸命に票固めに汗を流す姿を目にすれば、「自分もああなりたい」と思う人は少ないはずだ。」

ぼくもそう思う。

これでは、地方創生などとても無理。
地方にお金をばらまいても、また何か要らないものを作ってしまう。

地方創生でつぎ込むお金のいくらかを、地方議員の仕事の説明や立候補の仕方、やりがいなどの宣伝に使ったほうがいい。
今のまま予算を投入しても、なにも考えてない痴呆議員がワケのわからないことに使ってしまって、パーになるだろう。(パーになるというのも死語かな)

というか、そもそも議会はそんなことを考える機関だと思っていないのかもしれない。
行政で決めたらいいくらいのことを思っているような気がする。

せっかく野々村議員が号泣して教えてくれたことを、もうちょっとぼくらは考えたほうがいいと思う。


| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
人工知能2
正月にやっていたNHKスペシャルの録画を見た。
NEXT Worldというもの。
2050年の世界を予想するものだ。

そこでは人工知能のことをやっていた。

アメリカの警察では、すでにパトロールすべき地点を犯罪予測システムで決めているところがあるという。
人工知能が予測した場所だ。
そこをパトロールしていると、ドラッグをやって窃盗をしてきた犯人を捕まえた。
これが進むと、誰がいつ、どこで犯罪を犯すかということも予測できるという。
ということは、犯罪を犯しそうだから、逮捕する、ということもありか。

エンターテインメントでも人工知能が活躍する。
無名のアーティストの曲がいきなりヒットしたりする。
特定のサイトに曲を送ると、そこの人工知能がこれは流行るという曲を選ぶらしい。
過去のヒット曲を人工知能が解析すると、いくつかのクラスターができて、その中に入ってくる曲はヒットするということだ。
その曲を音楽プロデューサーに紹介するという段取り。
大手のレコーディング会社も、このヒット曲予測システムを使っている。
人間の感性よりも確からしい。

グーグルがメールシステムを無料で開放しているのも、そこから膨大な情報を得るためだ。
そのビッグデーターを量子コンピューターで解析している。
2045年には、全人類の知能を合わせたよりも賢い人工知能ができるという、シンギュラリティという事象が起こるという。
前に書いたが、シンギュラリティというのは「技術的特異点」という意味。
どこかで技術が人間の知能を超える。

NHKスペシャルでは、人間が人工知能に使われる未来をやっていた。
人工知能が予測した未来を実現してしまう人間だ。
自分の意志で生きているのではないと思う人間。
確かに起こりえる未来だけに、なんとも言えない。

だからといって、今のコンピューターの進歩を止めるのか。
それは難しいだろう。

今はメールや文書などの一次情報が電子化されていて、それが人工知能の発達を助けている。
しかし、全てモノがインターネットに接続される未来。
人の行動や会話も記録される。
30年後には250兆個のセンサーがモノとインターネットをつなぐらしい。

アメリカのユタ州にNSA(アメリカ安全保障局)のデーターセンターが作られている。
そこでは膨大な数の電話やメール、クレジットカードなどの利用履歴がずっと蓄積されているとのこと。
何のためにどんなことをやっているか、わからない。
アメリカのことだから、何年か後には公開されるんだろうが…。

自由の国アメリカで、そんなことをするのを許しているんだろうか。

アメリカでは弁護士が人工知能が選んだ書類を読んでチェックしていた。
ごく一部の上級弁護士だけが人工知能に命令できる。
下位の弁護士は人工知能に査定されて、最悪の場合辞めさせられる。
えらいことだ。

前に書いたオックスフォード大の人工知能に取って代わられる職業、ということそのままの状況が起こっている。

NHKスペシャルで描かれた未来は、不愉快なものだった。

2050年の人工知能は、歴史は巻き戻すことができない、と言っていた。
今ならまだやり直すことができる、というか、まだ来ていない。

人間はどうするのか、という問いかけで番組は終わっていた。

ほんとにどうするんだろうか。
そんなことを今、真剣に考える人がどれだけいるんだろうか。

人間にしかできないことは何だろう。



| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホンダ ストリーム
ホンダのストリームが生産中止になり、次期モデルがやっと発表された。
おおかたの予想通り、上海のモーターショーでジェイド(JADE)という名前で出ていたクルマだ。
2月に発売という。

ストリームという名前、なぜやめたんだろうか。
ジェイドはホンダのバイクで使っていた名前でもあり、まあ同じメーカーだから商標上の問題はないのだが、ぼくはストリームという名前の方が好きだ。

ジェイドというのは、「翡翠(ひすい)」という意味で、モノである。
ストリームは「流れ」という意味で、無生物だ。
どうも無生物の名前というのは、ダメなのか。
フィットは海外ではジャズという名前だが、ジャズは一応モノなのかな。

ホンダはリコールで出る予定だった新型車が軒並み出ていないらしい。
アメリカで制裁金は取られるし、一連の騒ぎでだいぶ弱っている。

まあ、しかしようやく出た新車。

カメラとミリ波レーダーで自動追尾も自動ブレーキも、自動車線維持もできる。
おそらく、1.5リッターのエンジンとモーターのハイブリッドで、カタログ上の燃費は30km/l近いと思う。

フィットであれだけリコールを出したのだから、もうハイブリッドはトラブルを起こさないだろう。

ディーラーから電話がかかってきて、まだカタログもできてないのに、明日行ってみることにした。

6人乗りというのが、ちょっとなあ。

待っていたら7人乗りが出ると思うのだが…。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
レーザー光線
光線銃というと、昔のマンガにはよく出てきた。

特に、手塚治虫や石森章太郎のSFマンガには欠かせない。
引き金を引くと、ビビビ…という音とともに光線が出る。
光線に当たると、相手は倒れる。
当たって、死ぬかどうかは描いてなかったと思う。
スーパージェッターにはパラライザーという光線銃が出てきて、これは当たると一時的に麻痺するという説明があったと思う。

しかし、今や昔の光線銃が現実のものになった。
アメリカの海軍などでは、レーザー兵器としていろいろと開発されているらしい。
何がメリットかというと、弾を打つのには弾のコストがかかるが、レーザーは光線なのでコストが安い。
ミサイルなら一発あたり数十万ドルから数百万ドルかかるのが、一発1ドル以下という安さ。
これは大きい。
兵器のランニングコストを考えると、画期的だろう。

さらに、物理的に弾がなくなることがないので、撃ちまくることができる。
また、弾が早い。光の速さで届くというか、エネルギーを持った光なのだから、当たり前だ。
そして、落ちてくる心配をしなくていい。外れても地上の別のところに被害が及ぶということはない。
ただ、宇宙衛星や飛行機に当たることはあるが…。

そういえば、007の「ダイヤモンドは永遠に」という映画は宇宙衛星にダイヤモンドを載せたレーザー銃が出てきて、世界のいろんなところを攻撃するというストーリーだった。
あれがもう実用化に近いということだろう。
いずれ各国がそういうレーザー砲衛星を打ち上げれば、お互いに抑止力になって、核兵器の代わりになるかもしれない。

どれほど強力なレーザー光線が出せるようになっているのかはわからない。
しかし、アメリカの議会報告の中で言われているのだから、びっくりする。

アトムの世界は21世紀だったと思う。
手塚の未来予想は、光線銃に関してはあたっていると思う。
今は兵器の段階だが、今世紀中には武器も開発されるだろう。
拳銃は文字通り光線銃になる。

思えば、レーザーポインターが出てきたのは十数年前か。
あれがいつかは武器になるということだ。

世の中の変化は早い。

1960年代のマンガは現実になろうとしている。


| | 考えたこと | 00:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
インダストリー4.0
製造業が日本で生き残っていくのは難しいと言われている。
人件費が安い、市場が縮小するというような理由で、海外に出て行ったほうがよいということもある。
新興国の追い上げが厳しいということもある。
それでも、オンリーワンの技術で生き残っている会社もある。
これから一体どうなっていくのだろうか。

ドイツで「インダストリー4.0」ということが言われているらしい。
日経によると、「第1次は、18世紀から19世紀にかけて起きた、水力や蒸気機関による工場の機械化。第2次は、19世紀後半に進んだ電力の活用。第3次は、20世紀後半に生まれた「プログラマブル・ロジック・コントローラ(PLC)」(工場などで自動制御に使われる装置)による生産工程の自動化だ。Industry 4.0は、これらに比肩する技術革新として位置付けているのだ。」とのこと。

ここでもインターネットがキーワードだ。
工場の生産設備同士が情報交換し、工程を運営していく。
それによって、同じものの大量生産ではなく、カスタマイズされた個別大量生産などが可能になるという。
もちろん、どんなものを作るのかという情報はインターネットを通じてやってくる。

すべてのものがインターネットにつながって、インターネットの上に膨大なデーターが蓄積され、それを使うことによって、新しい物を作っていくようなイメージだろう。

今の日本にはものを作ってきた土壌がある。
そして、通信インフラがあり、製造機械を作る技術もある。
コンピューターの技術者もいる。
他の国よりも有利さはあるだろう。

あとはそれらを統合することだ。
ここで知恵がいる。

ドイツのメーカーは仲がいい。
いざとなったらドイツでまとまることができると思う。
インダストリー4.0に関しても、産官学でいろんな研究がなされているらしい。
さすがドイツだ。

日本もここはまとまって、残ることができる製造業を増やしてほしいと思う。

| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
人工知能
こないだ人工知能のことを書いたが、新年の日経を見ていると連載があった。

人工知能はどんどん応用範囲を広げているらしい。
ノバルティスファーマという製薬会社が起こした臨床研究への不正関与問題では、人工知能が、A4用紙で5000万枚分の電子データを読んで、1ヶ月で解決した。
人間がやっていたら、数年かかる量。

AP通信のロボット記者は企業の決算原稿を自動で書く。
人間がやっていたら、1四半期に300社程度をカバーしていただけだが、人工知能に変わって3000社を記事にできる。
AP通信は、データー中心のマイナースポーツの記事も、人工知能に書かせようと考えているらしい。

これらは、元になるデーターがすでに電子化されているのが強み。
そういう仕事は人工知能に向いている。
ノバルティスファーマの場合は、キーワードを探して抜き出し、文脈を読んで怪しい物を抜き出すという仕事だろう。
膨大な文章から、指定した言葉を見つけるというのはコンピューターの得意とするところ。
人間にできる早さではない。
しかし、これも構文を解析したり、同義語を見つけたりする技術が発達したからだろう。

AP通信の方は、定形の文書を解析して記事にするというもの。
これもプログラムしてしまえば、できるような気がする。

いったん、一次情報が電子化されれば、データーを打ち込む必要はないし、いきなり人工知能に任せることができる。
ここでもインターネットの力が発揮される。
全ての情報がインターネットを通じて電子的に出されることが、人工知能の活躍を生む。

こないだ載っていた、銀行のコールセンターの仕事もそのうち自動化されるだろう。
また人間の仕事が減る。

その分、人間は「おもてなし」の仕事ができる。
要は、考えるのは機械がやって、対面の仕事は人間の仕事になる。

つまり、叙述的な仕事は人工知能がやれるようになる。
でも、叙情的な仕事は、人間でなければいけない。

スポーツ記事でも、某が逆転ホームランを打ったとか、タッチダウンパスを投げたとかというのは、物語が必要だ。
単にその事実だけを書くわけではない。

そういう棲み分けができるのだろう。


| | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガラホ
携帯電話はスマートフォンに取って代わられると思っていたが、意外に根強い携帯電話ユーザーがいる。
実際、メールと通話なら、値段も安くて、慣れていれば使いやすい。
いろいろなアプリを使って、インターネットで何かするのでなければ、普通の携帯電話で十分。

実際、日本の携帯電話は高機能だから、ガラパゴスと言われた。
テレビも見れるし、インターネットに繋がるし、おサイフケータイの機能もある。
テザリングといって、タブレットやパソコンをインターネットにつなぐ機能もある。
だからこそ、日本では他国よりスマートフォンの比率が低いらしい。

目的をはっきりさせて選ぶなら、携帯電話のチョイスはまだまだ十分にある。
よく考えたら、画面だけというのは不便。
物理的なスイッチがないと、画面を見ていないと使えない。
いくつかのスマホでは物理スイッチがあるが、それでも携帯電話ほどではない。
携帯はスイッチが半分の面積を占めている。
だから、使いやすいともいえる。

そんなこんなで、まだまだスマホに移行しないユーザーがたくさんいる。
スマホはインターネットだけで、通話は携帯という2台持ちの人もいる。

ドコモやau、ソフトバンクなどのキャリアはスマホに移行させたいと考えていた。
でも、必要十分な性能であれば、移行する必要はない。

そこで、ガラホというのが出てくるらしい。
携帯電話の顔をしたスマホというようなもの。
もちろん、二つ折りボディで、スイッチがたくさんある。
でも、画面はスマートフォン、というものらしい。
それにどんな意味があるのかわからないが…。

今、メーカーは作っている最中とのこと。

通信の値段はどうなるんだろうか。
安くなければ、売れないと思う。

さて、どんな料金体系で、どんな携帯電話が出てくるのか、楽しみだ。


| | 考えたこと | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
昆虫の写真
ショウワノートが作っているのだが、ジャポニカ学習帳というノートに昆虫の写真があったらしい。
そういうカラーの写真が入ったノートを見たことがある人も多いと思う。

それがなくなっている。

保護者から、クレームがあったらしい。

気持ちが悪い、子供が昆虫が嫌いでノートが持てないと言っているとか言うもの。
ぼくも昆虫は苦手だが、同じように地球上に生きているので、それが学習帳のノートに出ていても仕方ないと思う。
クレームをつけようという親が信じられない。
嫌なら使わなければいいのだ。

しかし驚いたのは、ショウワノートの話によると、学校の先生からもクレームがあったとのこと。
虫が気持ち悪い、と言っているだけならともかく、だからやめてくれ、という教師はいいんだろうか。

たかが写真である。
しかし、地球上で一番成功している生物といえば、昆虫類。
どれだけ種類があるか、わからないくらいの繁栄である。
いろんな形の昆虫がいるし、気持ちが悪いものもいるだろう。
しかし、平等の好きな学校の「世界に一つだけの花」の思想からいえば、いろんな形の昆虫がいて構わないし、同じ生きものだから、気持ちが悪くても大事にしないといけない、くらいの事を言ってもおかしくない。
そういう立場の職業だ。

先生が学習ノートの昆虫の写真が気持ち悪いという。
あるいは気持ち悪いという生徒がいるから、載せないでくれという。

何かおかしい。

| | 考えたこと | 00:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
立場
前に書いたことだが、若い頃は結婚式に出ても、新郎新婦の立場で見ていた。

ところが、あるとき突然、それが親の立場になった。
そういう立場になってしまったら、そういう見方に自然になるのだろう。
それに気づいた時は、自分でもびっくりして感心した。

時は流れて、ぼちぼち介護をする年代になった。
だから、そういう話を聞いても、介護する側の立場で聞いてしまう。
それが自然だ。

しかし、若い頃のことを考えると、もう一回立場は変わる。
今度は介護される側の立場になって、そういう話を聞かないといけないのだろう。
まだまだ、そういう時期にはならないが、いずれ来る。
その前に死ねばいいのだが…。

つまり、生まれてずっと子供の立場で生きているが、どこかで親の立場になり、そして、年寄りの立場に変わるということだ。
それが、現代の人間の役割の変化というものだろう。
しかし、これはつい最近のものだ。

長らく人間は子供と親の立場だけだった。
そんなに長生きしなかったからだ。
人類が進歩し、環境がよくなり、食べ物もよくなって、医療や福祉がいきわたり、新たな立場が追加された。
それが年寄りの立場。

この新たな役割をどう演じていくか、まだ答えは出ていない。
ずーっと死ぬまで元気でいれればいいのだが、そうもいかないだろう。
そんな風に死ねる人はラッキーだ。

この問題を遺伝子工学は解決できるのだろうか。
単に寿命を伸ばす遺伝子を見つけるだけではいけない。
若くいられる遺伝子を見つけないといけない。
身体中の細胞の老化を食い止める遺伝子だ。

しかし、そういう遺伝子が見つかって、人間の寿命が伸びて、若くいられるようになっても、それはそれで問題だろう。
人口が増えすぎるのと、仕事が減るからだ。

ぶっちゃけた話、平均寿命が100歳になって、定年が80歳まで延長されたら、日本はちょうど労働人口を維持するためにはいいが、世界で見たら問題だ。
人口が増えすぎてしまう。

どうも、どこかで個人にとっていいことと、人類にとっていいことが食い違ってくる。
そういう矛盾を遺伝子工学は持っているのだろう。

ややこしい話だ。


| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
詰め込み教育
「教育のポルポト派」という記事を読んだ。

ぼくはこの記事を書いた純丘先生のことは知らないが、まことに正論だと思う。
こないだの入試改革の時にも書いたが、今の入試が「知識偏重」だとは思わないし、知識をつけないからこそ、中堅以下の大学の学生のレベルが落ちているのだと思う。

この人がいう、「本当の意味での「勉強」をやってみたことのない連中には、丸暗記のオウム返しと、記憶や知識、発想力の重要な繋がりがわからないのかもしれない。オウム返しは、短期記憶で、言ってみればデスクトップ。これに対して、知識は、複雑にハイパーリンクしており、何かをデスクトップの俎上に上げると、そこから、とめどなくずるずるとさまざまな連想が引き出されてくる。そうやって引き出されたものは、短期記憶上でさらに新たに相互に結びついて、また仕舞い込まれる。この、記憶を織って知識を編む作業が「勉強」。
だから、むしろ丸暗記のオウム返しのような短期記憶の反復の中でこそ、我々は、勉強として、知識を編む。書取だの、暗記だの、ろくに集中もせず、上の空でやっていてもムダ、と、学校の先生は叱るが、まさにろくに集中もせずに上の空でやっているからこそ、いろいろなくだらない語呂合わせだの、イメージの妄想だの、いたずら書きだのが湧いてくる。こんなつまんない授業、早く終わんないかなぁ、なんていうぼやきの中で、科目さえも飛び越えて、大きな教養、将来の自分の夢が作られてくる。このぼんやりした世界の教養の中で、自分を含めて、日常や人生を考えるとき、それが生きる哲学になる。」ということは、イメージとしてわかる。

あー、こんなことやってどうなるんやろうとか、何でこんなこと覚えなあかんのかとか、無理やり覚えさせられた経験が、学校を出て役に立っていると思う。
残念ながらそんなことを考えるのは、今頃になってからだが、確かにそういう詰め込みは必要だと思うのだ。

インターネットの上に知識はいくらでもあるから、というのは本当だ。
でも、それをどうやって引き出すかということだ。
ある程度の知識を持っていないと、そこにたどり着けない。
知りたいことに関連していることをどれだけ覚えているか、ということだ。
その知識を詰め込まないと、知識の幅は広がらない。
想像の翼は、知識の量に比例する。

今の教育界の上層部の人たちの考えはわからない。
教育とは知識を詰め込むことだと思う。
それを偏重することは、教育そのものだ。

日本の代表的な河川の名前を覚えさせられたから、最上川の名前を知っている。
それが代表的な川だと覚えた。
それを知っているか、知らないかで、芭蕉の「五月雨をあつめてはやし最上川」という句を聞いた時の印象は違う。

勉強というのは、知識を詰め込むことだろう。
そうしておいたら、何かの時に、詰め込んだ知識がつながって、「あ、そうだったのか」という化学変化が起こる。
できるだけ広く、多くの知識を詰め込んだ人は、その化学変化もたくさん起こる。
その化学変化こそが勉強の目的ではないか。

その始まりは詰め込み教育だ。

それを否定したところに教育などというものはないと思う。

純丘先生バンザイ。


| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
豊かな国
2015年が始まった。

今の世界の人口が70億人。
ぼくが生まれた時には30億人程度だったから、約60年で倍以上になった。

12月にアメリカのサイエンス誌に発表された記事によると、2100年には120億人程度になるという。
あと85年かけても、倍にはならないから、少し人口増加のペースが落ちるのか。

今の世界で「先進国」と言われる国の人口をOECD加盟国の総人口とすると、13億人程度。
だから、現状で豊かな国に住んでいる人たちは全体の2割程度である。
中国とインドが入るとだいぶ半分を超えるのだが、この2つの国が入るのはまだまだ先だろう。

日本はGDPで中国に抜かれたとはいえ、一人あたりにすると桁違いだ。
世界で有数の豊かな国だと言えるだろう。

街を歩いて自動販売機がそこここにあるというのがその証拠。
あれは、お金と商品を取ってくれと言っているようなものだから、それが無事だということだけで豊かであることがわかる。
そんな国は世界にはない。

コンビニは情報技術を駆使して、あの狭い店内にみんながほしい物を置いている。
どれがどれだけ売れたかという情報だけでなく、どんな人が買ったかも収集している。
それによって、どういう店舗はどんな商品を置くべきかということもわかる。
そのコンビニが5万店を超えたという。
人口2400人あたりで1店。
今や銀行の決済機能を備え、ATMやFAXもあり、チケットも買える。
そんな国はなかなかない。

私鉄の数も多いし、都市部では街のインフラも整っている。
今はちょっとコストは高いが、それでもエネルギーは潤沢にある。
やっぱり日本は豊かな国なのだ。

昭和30年代生まれのぼくらは、戦後の焼け跡は知らないが、まだ貧しかった頃をかろうじて知っている世代。
欧米の国々に追いつかないといけない、という時代だった。
そして、90年代、追いついて追い越し、Japan as No.1とまで言われるまでになった。
その後バブルがはじけ、低成長の時代に入ってきたのだが…。

でも、こんなに豊かな国なのに、昨日書いたように若者が自信が持てず、未来に希望が持てない人が多い。
自信を持っていいにも関わらず、まだまだ明るい未来を想像できるにも関わらずだ。

もっと海の向こうのことを知らないといけないのかなあ。



| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の若者
日経に、日本の若者の考えの国際的な位置づけが出ていた。

質問は5つ。対象は13〜29歳の男女。

・自分自身に満足しているか?
・40歳になったとき幸せになっている?
・自分の参加で社会現象が変えられる?
・友人関係に「安心感」を覚える?
・自国人であることに誇りを持っている?

比較している国はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン、韓国の6つ。

大体の予想通り、この5つの質問に対して4つの項目で日本は最下位。
最初の4つだ。

まずは自分自身に満足しているか?という項目。下から2番目の韓国でも70%は超えているのに、日本は50%を切っている。
自分自身に満足しているかという質問は、自己効力感(自分に対する自信)を問うているのだと思う。
これがないのは、過去からの成功体験の積み重ねが少ないと言われている。

40歳になった時に幸せになっている?という項目は、その他の国が85%程度なのに、日本は65%くらい。日本は今十分に豊かだと思うが、若者は精神的には不安を抱えているのだろう。
未来に希望が持てないのだろう。
たしかに、生まれた時から右肩下がりの時代を送ってきたら、そうなるかもしれない。
でも、絶対的には豊かな社会なのだが…。

自分の参加で社会現象が変えられるか?という質問は、どの国の若者も、他の質問よりもYesの率が低くなっている。アメリカとドイツだけが50%を超えているが、その他の国は40%台。日本は30%程度になっている。どこの国も社会に対する閉塞感があるんだろうが、民主主義の国なら若者の社会参加で、体制は変えられると学んでいるはずだ。それが失敗しているのが日本だろう。

友人関係に安心感を覚える?というのも他の5カ国よりも低い。他の国が70%台なのに対して、日本は60%台。
どの国もインターネットやスマホ、SNSなどが行き渡っているが、そういう電子的かつ恒常的なつながりの手段ができるほど、不安が増すのかもしれない。
日本は個人主義の国ではないのが、それを増長させているのかと思う。

最後の質問、自国人であることに誇りを持っている?は日本は4位で70%程度。最下位は韓国で60%くらいになっている。トップはやっぱり米国だ。

高度成長が終わったからといって、まだまだ世界でいえば有数の豊かな国。なかなか小学生がスマホを持っている国などない。
その国で、自分に自信が持てないというのは、悲しいことだ。
自分に自信が持てれば、もう少し未来に期待もできるだろうし、社会を変えることもできると思えるし、友人関係もうまくやれるだろう。

自分に自信を持つためには、学校などで成功体験を積むことしかない。
そのためには、目標を持つことだと思う。

そういう教育ができてないんだろう。
学校だけでなく、家庭も地域も含めてだが。

もう学校に頼っていてはいけないのかもしれない。


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