考えたこと2

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訃報 坂田利夫
「アホの坂田」で関西では一世を風靡した。
ぼくはコメディNO1(コメワン)が、ラジオ大阪で深夜放送をやっていた時代に知った。
わりと早かったと思う。

あっちこっち丁稚でも、アホの丁稚の役で活躍した。
深夜放送で、坂田の通知簿を前田五郎が紹介していたが、本当にアホだという成績。
どこまで脚色していたのかはわからない。

ディスクジョッキーはアホでは出来ないから、深夜放送はすぐ終わった。
正統派の漫才がしたかっただろう、前田五郎は結局コメワンを解散した。
吉本の経営陣への批判の問題もあったのだろうが…。
その前田は2年前に亡くなった。

その深夜放送をやっていた頃から、何も変わらない芸風。
というか、地でアホをやっていたのだと思う。

82歳で、施設で亡くなった。

晩年は愛すべきキャラだったと思う。

合掌。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 11:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
レコード大賞
2006年から、レコード大賞(レコ大)は30日にやるものになった。
昔は31日にやっていた。

昨日大体見たが、新人賞、優秀賞などで聞いたことがあるのはYoasobiのアイドルくらい。
昔は受賞すると、関係者も出てきて涙、涙だったが、見ているとほとんどそんなことはない。

流行ったルートはTiktokが多かった。
新しい学校のリーダーズ、などというグループがいて、Youtubeアワードなどを取っている。
Wikipediaによると、「コンセプトの通り、一見すると色物的な振る舞いを多く見せるが、実際はキッズダンサーやダンススクールを出自とするメンバーが揃った実力派ユニットであり、楽曲やその歌唱が昭和テイストを漂わせる一方で、ダンスやステージングはキレのある現代的なもの、という時代を超える総合パフォーマンスが高い評価を得ている。」という。

これはビックリだった。
上手いのか、下手なのかもわからない。
なんとなく、Youtubeのフォロアー数が多いだけのように見えるのは、もう時代についていけないからか。
毎年感じることだが、「何がいいのかわからない。上手いか下手かもわからない」アーティストが増えている。
特にTiktokというようなショート動画が増え、その再生数が評価に入った頃からその傾向が大きくなったような気がする。

年寄り枠として何人か演歌や歌謡曲を歌う人がいたが、あれはいずれ絶滅種になるだろう。

それにしても、ジャニーズがいないとなんとなくいつもの番組の感じがしない。
昭和生まれの人間にとっては、けっこうジャニーズロスは大きいのかもしれない。

それがどういう意味を持つかはわからないが…。

バンドのメンバーに送った今年最後のメールをコピペして貼っておく。

−−−−−−−−−−
私は昨日、レコード大賞をほぼ全部見ました。
2006年から30日になったんですね。
聞いたことがあったのはYoasobiのアイドルくらいで、他の曲はまともに聞いたこともありませんでした。
「新しい学校のリーダーズ」などという昭和の時代なら「お笑い」と「音楽」の間のようなダンスグループも出てきて、その曲が「いいのか、悪いのか、上手いのか、下手なのか」もわからなくなりました。
Tiktokなどのショート動画の再生回数なども考慮されているようで、どんどん音楽が刹那化、消費財化しているような気がします。
毎年紅白は見るのですが、今年はレコ大でその思いを強くしました。
ジャニーズの崩壊は、細々と続いてきた昭和の音楽の終焉だったような気がします。
あんなのを見るくらいなら、まだジャニーズのほうがマシだというのが私の感想でした。

おそらく、みなさんはレコード大賞などフルで見ないと思いますが、感想のみご連絡です。
ギターを習っている中学生女子は、レコード大賞?それ何?というリアクションでした。
もう彼女らにはレコード大賞は存在していないことにもビックリ。
彼女らのテレビ視聴時間はゼロになっています。
こんな時代が来るとは思いませんでした。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
原発はクリーン
スウェーデン議会が原子力発電の拡大を可決したとのこと。
稼働中の原発に対する規制が撤廃され、新設も可能になった。
こういう国が増えていくと思う。

なぜなら、原発はCO2を出さないクリーンエネルギーだからだ。
温暖化もさることながら、化石燃料はいつかは枯渇する。
バッテリーによほどの技術革新がない限り、蓄電コストは大きく、再エネは主力電源になどなれない。
ベースロードとして使うのなら、原子力しかないと思う。

ヨーロッパはロシアの天然ガスを使わなくなって、再エネなどと言っていたが、ようやくまともな路線に戻る国が出てきたということだ。
スウェーデンでは原発をクリーンな投資対象とするとのこと。

何やかや言っても、ロシアが経済的に困っていないのは化石燃料が必要な国がたくさんあるからだ。
経済封鎖と言っても、エネルギーがなければ生活できないのだ。
ウクライナ支援もいつまでもは続けられない。
だから、EUに加盟させて、ロシアを威嚇しようということだろう。

EUの理想はほとんど過激思想だと思う。

日本は東北の震災が起こるまで、原子力大国だった。
原子力発電所を作る技術が国内でまかなわれる、世界のトップレベルの国。
それがもう危ないレベルになっているという。
原子力を学ぶ学科がどんどんなくなって、技術者不足。
もう継承できないレベルが近づいている。

それらは東北の大震災の時の原発事故が原因だろう。
あのとき、わけもなく全国の原発を止めた元首相の責任は大きい。
まあ、単なる「お願い」で法的拘束力はなく、止めた電力会社の方も悪いのだが…。
まさかこんなに長引くとは思っていなかったのだろう。

まともな神経で考えれば、再エネの状況や石油の枯渇、発電コストなどを考えると原発が今のところ唯一の解だろうと思う。
現実に原発の稼働率が高い九州と関西は電気代が安い。
それは日本の産業の競争力にもつながるのだ。

原子力発電所は技術がなければ作れない。

新世代の原発も日本で開発できればと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画のネタバレ
Z世代とは90年代後半から2000年代に生まれた若い人たちのこと。
Googleに聞くと、

「Z世代は、生まれたときからインターネットが普及しているデジタルネイティブ世代で、SNSネイティブとも呼ばれます。タイパ(タイムパフォーマンス)重視の効率主義、強い仲間志向、仕事よりプライベート重視、多様性を重んじるなどの特徴的な価値観を持っています。」

ということだ。

タイムパフォーマンスを重視するということで、映画館は嫌われるらしい。
Z世代の4割以上が、視聴前にネタバレを好む、という調査結果がある。
その理由は下記のようなものだ。

・映画料金を払う余裕がない(他のコトに使いたい)
・おもしろいかわからない映画に時間もお金もかけたくない
・鑑賞中、他のことができないことに対するストレス(マルチタスクで情報を消費したい)
・予期しない感情の起伏を得ることがストレス(だからネタバレを好む)
・テレビでもリアルタイム視聴以外にTVerやサブスクがあり、時間のコントロールは消費者側にイニシアティブがあるのに、映画館の上映時間に予定を合わせたり、途中で止めたり飛ばすことができないといったように、コンテンツ側に時間のイニシアティブがあることが不便
・劇場公開から配信までの期間が短くなっている昨今、わざわざ足を運んで映画館で視聴する動機がない

いくつかの理由は分からなくもないが、4つ目に書かれている「予期しない感情の起伏を得ることがストレス」というのには驚いた。
映画館に行ってでも見たい映画というのは、まさにそれを求めるためのものだと思っていたからだ。

20代の学生の中にも、ストレス解消のためには映画館で大泣きすること、という人もいたから、全部が全部「予期せぬ感情の起伏」を嫌っているわけではないとは思う。
それにしても、予期せぬ感情の起伏を嫌うとは、どういうことなんだろうか。

予期せぬ感情の起伏、というのは「感動」とか「感激」の類だろう。
時には「怒り」ということもあるが、そんな映画はまず見ようとは思わない映画だろう。
少なくとも見たいと思う映画は、たとえメロドラマであっても、ポジティブな「感激」を与えてくれるものだ。

まれに期待値を下回って、お金を払って見て損をした、ということもあるかもしれない。
それは「自分が悪い」とは思えないのだろうか。

常にコンテンツを早送りしたり、スキップしたりしてコントロールできているのに、映画館ではそれができない、ということもありそうだ。
それがタイパが悪い、ということになる。

30秒や1分のショート動画と、90分の映画が同じように扱われている。
消費する情報が増えすぎて、その中でもがいているのかもしれない。

なんとなく、人生を損しているように思うのは、世代の違いなのだろうか。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 16:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
Amazonの超音波洗浄機
Amazonに出している超音波洗浄機が詐欺という記事があった。
読めばわかるのだが、実際に超音波洗浄機ではなかったということだ。

超音波洗浄機というのは、高い周波数(超音波)の気泡を発生して、それでメガネや腕時計を洗浄するという機械。
問題の製品は実際に分解するとモーターに偏芯した重りをつけて、振動を起こしているだけだった、ということだ。
とても何万ヘルツという振動ではないし、実際に洗浄してもきれいにならないとのこと。

実際に作っている会社は詐欺をしようと思っていたかどうかはわからない。
箱には超音波も振動数も書いていなかったからだ。
しかし、アマゾンに出品した業者は明らかに嘘の宣伝をしている。
それが同一かどうかはわからないが…。

最近は、中国の悪質な商品が多くて、その種の製品はAmazonで買うのを躊躇する。

悪いレビューを書くと、メールで「取り消していいことを書いてくれたらお金をくれる」というような話も聞いた。
なんでも、中国ではそんな依頼は当たり前だという。
ホントかなと思うが、そういう商品にいいレビューが書かれていたりすると、そう思わざるを得ない。

ぼくも書いたかもしれないが、レーザーポインターで失敗した。
買ってすぐに光が弱くなり、そのうちつかなくなった。

ChatGPTが出てきたから、そのうちレビューも高度な嘘を書くようになるだろう。
生成AIには用途がわからないからだ。

実際、日本のメーカーの製品も今や中国製が多く、必ずしも中国製が悪いとは思わないのだが、こういうのを見るとどうかと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
チェキ
レコードの売上が増えているという。
ジャケットを飾ったり、実際にプレイヤーで聞いたりする。
古き良きアナログへの回帰だ。

一方で、富士フィルムのチェキが売れている。
業績の押し上げができるほどの売れ行き。
欧州が多いらしい。
なんと1500億円の売上だ。

今や写真はスマホで撮って、SNSなどでシェアする時代。
富士フィルムはいつ社名を変えるのだろうと思っていたが、しばらくは変えないでもいい。
チェキのフィルムも売上に貢献している。

チェキを担当するイメージング事業部は売上高は4事業の中で最も小さいが、最大の営業利益を稼いでいる。
海外の若い人たち(Z世代)にチェキがバカ売れしているらしい。

最新のチェキはスマホのアプリも連携し、スマホ内の写真をプリントアウトすることもできる。
手軽にスマホ連携できるようになったのも、人気が出た要因かもしれない。
サイズも3種類になっている。

インクジェットとは違って、アナログ感のある写真が支持されているらしい。
動画を見ると、撮影後にカメラから印画紙が出てくる仕組みもなかなか良くできている。

デジタルの冷たさよりも、アナログの暖かさを求める若い人が多いのだろう。

この人気がいつまで続くのか、ということだ。
アナログとデジタルのハイブリッドという感じかもしれない。
撮る時の特別感があるのだろう。

そういうニッチの商品がどこまで求められるか…。

バリエーションも増やして、アジアで海外生産している。

どこまで伸ばせるか、楽しみだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校での合理的配慮
学校で、合理的配慮が来年の4月から義務付けられる。
「合理的配慮」の定義は内閣府のパンフレットによると、

「障害のある方々の人権が障害のない方々と同じように保障されるとともに、教育や就業、その他社会生活において平等に参加できるよう、それぞれの障害特性や困りごとに合わせておこなわれる配慮のことです。2016年4月に施行された「障害者差別解消法 (正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」により、この合理的配慮を可能な限り提供することが、行政・学校・企業などの事業者に求められるようになります。」

と書かれている。

要は、障害のある人が、障害のない人と同じようにできるように、合理的に配慮しようということだ。

「学校生活においては授業やテスト、成績評価、行事、さらには食事や排泄、友だちとの関わりなど、さまざまな場面での困りごとが想定されます。また、その困りごとに対する合理的配慮の方法もいろいろな手段が考えられます。合理的配慮について検討する際は、お子さまに関わる人々が1つのチームとなって話し合うことが重要であり、お子さま自身が抱える困難についての理解や受容を深めるためにも、本人を交えてしっかりと話し合い、共に認識することがとても大事です。」

大学も対応しないといけない。
この対応は、大学の入試状況で左右される。
苦しい大学は一人でも合格者を増やしたい。
定員割れしている大学は、少々問題があっても、入学させたいのだ。
定員割れしているくらいだから、そういう学校では入試が成立していない。
ということは、よほどの事がないと、受けた学生は入学させるということだ。

学校法人が現場の苦労を知っていれば、当然そういう受験生は不合格にするのだが、とにかく金がほしい、ということになるといろんな学生が入ってくる。
とにかく定員を確保せよということが至上命題になると、入学者を決める教授会も、自分たちの給料のためには背に腹は変えられない。
ということで、教授会は形骸化し、「多様な」学生が入ってくる。
こうなると、もう大学の体をなさなくなる。

結局、大学が決めたカリキュラムを理解して、履修できる学生が大幅に減少することになる。
そういう学生のために、初年次教育というものが必要とされた。
それについては、小学13年生や日本の初年次教育その2教育劣化などの記事を書いてきた。

昔は初年次教育というような科目はなかった。
受験戦争と言われた時代がよかったとは言わないが、それでも今よりはマシだったのかもしれない。

そんな状況の大学では、合理的配慮は難しい。
もともと、カリキュラムを理解することができない学生がたくさん入ってきているからだ。
障害を持っていなくても、カリキュラムについていけない、という学生には合理的配慮をするべきであり、それは入学を許可した大学の責任になる。

その上に、今回の合理的配慮の義務化。

定員割れしても、合理的配慮ができない学生の入学を拒むことができるかどうかが焦点だと思う。
多様化にも限度があるのだ。

定員割れした大学は、より厳しい状況になるだろうと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIで宣伝
パルコや伊藤園が、広告に生成AIが作ったタレントを起用するとのこと。
いよいよモデルの仕事もAIに取って代わられることになる。

今までのように、モデルで撮影するという手間がなくなる。
モデルがAIになると、グラフィックムービーもAIになる。
実在しないのだから、当然だ。

今年のパルコのクリスマスキャンペーンは生成AI。
担当者は省力化、コストダウンが目的ではないと言うが、結果的にそうなっている。
撮影しなくていいし、モデル代も不要だ。
結果的に試行錯誤の幅が増えるので、今までとあまり変わらなかったというが、習熟すれば確実にコストも期間も短縮できる。

生成AIで作ったモデルにも肖像権や著作権があるのだろうか。
そこは気になるところ。
すでにパルコでは、広告代理店ではなく、自社でクリエイターを要請しているとのこと。

お茶の伊藤園も、9月から生成AIのタレントの起用をしている。
カテキン緑茶のCMを見たが、歩いていると同時に年を取っていくというイメージ。
これはAIタレントだからこそできる。

これからの時代、広告主が広告のイメージを生成AIで作る時代になってきた。
言葉よりもイメージのほうが正確に伝わる。
生成AIのクリエイターがどこの会社でも必要になる時代。

電通や博報堂も大変だ。
物理的に撮影するとなると大変だが、グラフィックで全て出来てしまうから、制作時間は短縮する。
変更も簡単だ。

そのうち、広告「代理店」はなくなるか、ビジネスの幅は小さくなるだろう。
グラフィックで、ネットで広告するのなら「代理」するものなどなくなるからだ。

全てがビジネスの主体に戻っていく。
それがネットの力なのだろう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
神在月のこども
WOWOWでやっていた、2021年のアニメ映画。
11月は出雲に日本中の神様が集まっていなくなるから、日本語では神無月という。
でも、出雲では逆に神在月になる。

走るのが得意な母と一緒に走っていたヒロイン。
その母が急死して、走ることが怖くなる。

そこに現れたウサギの姿をした神様と、緑の髪をした鬼。
その2人と一緒に出雲の神の祭りに、各地の神に頼んでごちそうを集め持っていくというロードムービーがこのアニメ。

例によって、ごちそうを集めに回ったり、鬼に走り方を教えてもらったり、亡くなった母に会ったりという道中のイベントがある。
これも2次元アニメならではの映画だろう。

母の死を乗り越えるイニシエーションがテーマだ。

エンディングのmiwaの歌もよく合っている。

日本の神道について、興味を持ってもらうことも目的かもしれない。
だから、文化庁が絡んでいるのかも…。

でも、なかなかいい映画だった。




| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
COP28閉幕
Wall Street Journalの記事
今回のCOP28が閉幕したが、その総括だ。

全ての参加者が納得するような合意には達しなかった、というのが事実。
一応、化石燃焼からの脱却、ということで合意したが、「廃止」という文言からは後退した。
WSJの社説では、「合意の要点は、気候変動対策が何かを成し遂げているという西側諸国の幻想を壊さないことだった」と書いている。

中国と産油国は、化石燃料の段階的廃止に取り組むという文書への署名を拒否したとのこと。
中国は石炭火力をまだまだ増設しないといけないし、産油国は石油を輸出しないと経済が成り立たない。
もともと、そんなことができるはずもない、ということだ。
石油輸出機構(OPEC)は石油の需要は増えると予想している。

おそらく、その通りになるだろう。
先進諸国は化石燃料を燃やしまくって、経済発展を遂げてきたからだ。
発展途上国にそれをやめさせる権利はない。

いくら再生可能エネルギーの設備容量を増やしても、蓄電コストが下がらない限り、バックアップのための化石燃料は必要だ。
もともと、再エネは設備容量の3割程度しか発電できない。
自然任せだからだ。
したがって、再エネの設備容量を3倍にしても、発電量はそれほど増えない。
もしもそんなことができるのなら、中国が石炭火力発電所を作る必要はない。

WSJの社説はこう締めくくっている。

「 気候変動対策を訴えるロビー団体は、民主主義諸国の有権者がネットゼロ(温室効果ガス排出の実質ゼロ)のコストとライフスタイルへの影響に気付く前に、国際的合意による威嚇を用いて、これら諸国にネットゼロへの移行を約束させる計画だった。だが、その計画は失敗した。欧州の人々は、燃料価格、電力料金が高騰する中で気候変動対策に反旗を翻し、それを受けて欧大陸諸国と英国はガソリン車をなくす計画を後退させた。

 COP28の合意は弱いものではあるが、有権者が負担をいとわないと考えるコスト水準を無視した、世界各国のエリート層の傲慢(ごうまん)さを反映している。エリートたちは、政府による義務化と巨額の補助金、要するに、強要することに頼ってきた。CO2排出量削減のメリットによってその社会的・経済的コストが正当化されるとの主張について、彼らが有権者を納得させられないからだ。

 中国と開発途上諸国が、こうした主張を信じないのは間違いない。これらの国々は、左派勢力が唱える気候変動の世界的メリットのために経済を犠牲にすることを拒否している。それなのに、バイデン大統領はなぜ、米国民に犠牲を強いるのだろうか。」

折しも、ドイツでは財政的理由からEVの補助金が突然打ち切られたらしい。

アメリカにはこういうまともな意見を言うメディアがある。

日本にはなぜ無いのだろう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
Gemini
GoogleがChatGPTに対抗して、新しく大規模言語モデルを発表した。
リリースのビデオを見ると、タブレットの書いたものに反応してコメントが返っている。
スマホでは最新のPixel8以降ということだが、来年初頭から古いPixelでも使えるらしい。
これはリアルタイムでなされたものではなく、編集したものらしいが、とにかくスゴイということはわかる。

言語モデルの大きさによって、3つのモデルがある。
Gemini Ultra 、Gemini Pro、Gemini Nanoの3つ。
NanoがPixel8に対応するとのこと。

どんどんAIは賢くなる。
Googleのリリースによると「数学、物理学、歴史、法律、医学、倫理など57科目を組み合わせて知識と問題解決能力をテストするMMLUというベンチマークで90%をスコアした」らしい。
ChatGPTとの比較もやっていて、32のテストのうち、30で勝っている。
当然、普通の人間よりはだいぶ賢いだろう。

そのうち、Googleの検索窓でチャットのように会話できるようになるかもしれない。
エライ世の中になってきた。

ぼくらはもう仕事人生の終わりに来ているから、そんなに影響は受けないだろうが、まだまだ働く世代にとっては気になるところ。
前にも書いたが、法律や会計の規則などの知識を売っている士業の人たちにとっては死活問題だ。
おそらく数年以内にWebでAIを使ったサービスが出てくるだろう。

ホワイトカラーの仕事も、議事録の作成などの仕事はなくなる。
会議を録音しておいて、AIに要約させればOK。

7時のニュースでAIが何の違和感もなく、読み上げているところを見ると、アナウンサーの仕事も「伝える」部分はだいぶ減るんだろう。

Suno AIという作曲AIのサイトで、AIが作った音楽を聞いたが、これももう実用化レベルだった。
歌詞まで作るのがすごい。

フェイク画像は作り放題だし、モデルや写真家の仕事も大幅に減りそうだ。

一体どうなっていくのだろう…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマスソング
ここ数年、年の最終のレッスンではクリスマスソングをやる。
今年は先生も仕事が戻り、年末は忙しい様子。
何をやることが多いんですか?と聞くと、一番は「All I want for Christmas is you」という。
マライヤ・キャリーの歌だ。

パーカッションで鈴が入って、アップテンポの調子がいい歌。
この曲もサブドミマイナーがいい感じだ。
キーがGでCm7/Ebがよく出てくる。
Cから短三度上がりで、Ebに行くところが気持ちいい。

1-6-2-5という黄金の循環進行もいいところで使われている。
これぞポップスという曲だ。
もうクリスマスのスタンダードになっている。

もう1曲は毎年やるWhite Christmas。
メロディーをコードで弾くといい感じになる。
レファラシはディミニッシュで決める。

今年は新しく、「もろびとこぞりて」をやった。
なんちゃってだ、と先生は言うが、十分聞ける。
ドシラソファミレドで始まるが、ドシラソはCコードで単音、ファミレドのところは2音、3音重ねてコード感を出す。
うまいことやるなあ、と感心する。

最後は「クリスマス・イブ」。
山下達郎の曲だが、これも定番。
ただ、この曲はギター1本で、コード弾きでやるとあまり聞かせどころがない。
低音を効かせて、リズムをきざむくらいだ。

でも、さすが先生は#11を使って半音上がりを聞かせたり、DとE/Dを使ったりして原曲のアレンジを出すのがうまい。
コードも1つの形だけではなく、いろいろ使い分ける。
やっぱりプロは違うなあ、と思う。

どうやってコードのポジションを使い分けているのか?と聞くと、その時に聞かせたい音によって直感的に変えているという。
エライものだ。

来年もよろしくお願いします、と挨拶して今年は終了。

来年の8月でまる19年。
続けてきてよかったと思う。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
哲学の教科書
フランス人は理屈が好きだ。
フランス語を聞いていると、やたらパとプの発音が聞こえる。
これはぼくが唯一3ヶ月間滞在した海外での感想。

これは「プルコワ」と「パスク」が多いからだと思っている。
プルコワは「Pourquoi」と書いて、なぜ?という意味。
パスクは「Parce que」と書いて、なぜなら、といういみだ。

つまり、会話の中でなぜ、どうして?と聞いて、なぜなら…、と答えているということになる。
理屈が好きな民族だなあと思っていたら、彼らは高校生で「哲学」を習うという。
「哲学の教科書」という記事には、「死に備えるには」ということも書いてあるらしい。

ぼくらは何となく、「死」を言葉にするのを控えるという言霊信仰があるが、彼らは言葉にしてこそ、それを哲学できると思っているのだろう。
その教科書の著者は「死」についてこんなことを書いている。

「モンテーニュより前にプラトンが「哲学とは死に方を学ぶことだ」と言っている。死はプラトンにとって、永遠の真理を再発見する機会だった。私たちは生まれる前、その真理に浸っていたはずなのだ。

「死に備える」とは、「肉体の死」、あらゆる本質的ではないものを終わらせ、永遠という視点からものを眺める天上の精神のみにて生きる存在、すなわち賢者になることである。」

やはり哲学は「死」とは切り離せない。
ただ、「死に備える」という言葉は正しくないという。
日本の哲学者、池田晶子が言っていたように、死は誰も経験したことがないからだ。
わからないものに対して備えることはできない。

「だからといって、死への疑問を封印することはない。人生に悔いのある者、落伍者を自認する者ほど、死への恐怖は強い。充実した人生を送った者は、より穏やかな気持ちで死を覚悟する。もちろん、いつ死んでもいいというわけではないだろうし、誰だって死は怖い。

だが、それでもなすべきことをしたと思えれば死への恐怖は弱まる。たぶん、それが死を考えるヒントであり、生きるためのヒントでもあるのだ。」

高校生たちに、死を考えることは自分がなすべきことを考えるということだ、というふうに教えているのだろう。
自分がなぜ生まれてきたかということに対する答えはない。
なぜか分からず生まれてきて、自分で何をなすべきかを考えるのだろう。
それが「生きがい」というようなものにつながる。

そんなことをフランス人は高校で学ぶ。

だから理屈っぽいのかもしれない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
全赤時間
全赤時間というのは、交差点で信号が全部赤になっている時間のこと。
右折待ち等で交差点内に取り残された車両や、渡りきれていない人のために設けられている。

ぼくが子供の頃はそんなことはなかった。
Googleに聞くと、70年代に導入されたとのこと。

たしかに、小学校の頃は信号の数も少なかったが、全赤時間などなかった。
世の中が忙しく、せわしなかった時代。

その後交通戦争という言葉ができたりして、全赤信号になった。

全赤信号になってからは、渡る方向と違う方向の信号が赤になったら、1,2,3と数えて3秒後に渡り始めるとちょうど青になる、というタイミングだった。
でも、最近は3秒では変わらない信号もある。
ぼくがいつも渡る大阪の大きな交差点では、どう考えても4秒か5秒間全部の信号が赤になる。
高齢化で歩く速度が遅くなり、そういう対応になっているのかもしれない。

社会の高齢化はいろんなものを変えていく。

エスカレーターの速度は遅くなるし、昼間からカラオケは一杯になって文句は増えるし、大人用の紙おむつは子供用よりよく売れるし、ペットは大流行。

でも、その中でも一番大きいたのは社会保障だろう。
政治家の怠慢で、ずっと増え続ける若い人の社会保障をほったらかしにしている。
どう考えても、11人で一人を支える状態から、3人で一人を支えているのだから負担は増えて当たり前だ。

この国は30年間も老人医療を無料でやっていたのだ。
最初の頃は豊かだし、老人の数も少ないから良かったのだろうが、それを続けるのはどう考えてもおかしい。
今は1割負担になったが、人口の分布から見ても3割が妥当だろう。
それで若い人たちも少しは豊かになって、結婚もできるようになるかもしれない。

全赤信号から話題が逸れたが、高齢化はこれからが本番。

それまでに何とかしないといけないぞ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 18:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
国際人?
東京都では、都立高校の入試に英語スピーキングテストに7万人の受験生が参加したらしい。
主体は東京都教育委員会とベネッセだった。
でも、ベネッセは1回限りで降りたらしい。

慶応の認知科学の先生は、「致命的な愚策」と言っている。

「スピーキングを入試に導入しさえすれば国際人が育つというのはあまりに短絡的。受験生、保護者、都民、あらゆる関係者にとってコストは高く、犠牲は大きく、教育的なゲインはほとんど期待できない」

ということだ。

この人は「英語独習法」という本を書いている。

推進側は「スピーキングテストを入試に加えれば、子どもたちのスピーキング力がアップし、国際人になれる」という意見。

今回のテストは、タブレットに向かって話をして、それを採点するというやり方。
先生はタブレットに向かってミスなく話すことが、国際人になるためのスピーキング能力ではない、と言っている。

第2言語の習得は「スキーマ」の習得であり、このスキーマというのは「知識の枠組み」のこと。
これは言葉を操るためのシステムであって、言語を習得するということは、このシステムを作ることだという。
日本人は生まれてから日本語を話せるように、日本語のスキーマを作っている。

第2言語の場合は、母語のスキーマを参照しながらスキーマを作っていくというのが認知科学的な考え。
それを上手にやっているのはフィンランドらしい。
ポイントは、「語彙の学習を重視する」「同じ単語を様々な文脈で使う練習をする」「ライティングに力を入れる」の3つ。

語彙の学習、といっても、ただ暗記しても意味がない。
「wear」を例にとって説明している。

「 日本語の「着る」は、「上着を着る」というように、上衣を着用するときに使いますが、英語ではズボンや靴、ネックレス、メガネを着用するときにも、「wear」を使います。
 また、「制服を着なさい!」と言いたいときには、「wear」は使えません。「wear」は、「着ている」という「状態」を表す単語で、「着る」という「動作」を表すときに使われるのは、例えば「put on」です。
 ですから、「すぐに制服を着なさい!」を英訳するならば、「Put your uniform on now!」であり、「Wear your uniform now!」とは言いません。
 英語が母語の話者であれば、この2つの単語を取り違えることは、絶対にありません。けれど、日本語を母語とする人は、大学生でも当たり前のように、「Wear your uniform!」と、誤った英文をつくってしまいます。それは日本語のスキーマは、「着る」を、状態(wear)と動作(put on)で区別していないからです。
 このように単語ひとつをとっても、英語のスキーマを獲得しなければ、正しく運用できません。」

状態と動作の違い、というのがスキーマなのだろう。

また、スピーキングよりもライティングということについても、

「 英語は覚えることより使う練習をすること、すなわち「アウトプットの練習」を繰り返すことが大事です。言語のアウトプットには、スピーキングとライティングがありますが、小学校高学年以上の初学者は、スピーキングよりライティングに注力するほうがいいでしょう。
 なぜなら、スピーキングはリアルタイムで進行するので、時間を自分でコントロールすることができません。録音をしてそれを聞き直すのはよいですが、とても手間がかかります。また、タイムプレッシャーから、わかっていることでも思わず間違えてしまうこともよくあります。ライティングであれば、時間を自分でコントロールできますし、何度でも見直すことができます。先生に直してもらうことも簡単にできます。ですから、自分がどこで何を間違えたのかに気づきやすく、学びを深めやすいのです。
 このようにして生きた語彙の知識が育ち、それらを使ってある程度自由に英作文ができるようになれば、スピーキング力は飛躍的に伸びていきます。それまではライティングでアウトプットの練習をたくさんするほうが合理的です。」

要はリアルタイムで進むスピーキングよりも、ライティングの方が学びやすいということだ。
そういう努力が、第2言語のスキーマを習得するのに役立つ。

帰国子女にありがちなのが、英語のスキーマができていないけど、日常会話レベルの英語は流暢に話すというタイプ。
一方、日本にずっといても、英語のスキーマができている日本人の方が彼らよりも英語力が高い、という評価。

そこで先生が憂慮しているのは、タブレットに向かって話すスピーキングテストは、英語のスキーマの評価になっていないということが第一。

さらに、発音がいい人が高得点になりやすい、ということにも懸念を示している。
たしかに、発音が上手なことも大事なのだが、これは経済格差に影響されやすく、要は子ども英会話などに通わせられる家庭が有利ということだ。
そもそも、流暢に話すことが大事なのか、ということだ。

「 ネイティブのような発音で英語を流暢に話すことに憧れる人は多いと思います。けれど、社会に出て英語を使うときに、ネイティブ並みの発音や流暢さは、さほど重要ではありません。国際的な学会において、英語の発音で発表に対する評価が変わることはありませんし、それはビジネスや外交の場面でも同様でしょう。世界各国の人たちが、それぞれの「お国なまりの英語」でコミュニケーションを交わす今日、何よりも大事なのは、英語を使って話す内容と論理性。次いで語彙や文法の適切な運用でしょう。

 第2言語を学ぶ目的は、中身の乏しい内容を流暢に話せるようになることではありません。自分の母語のスキーマが規定する世界が「世界のすべてではない」と知り、他者、他文化の人の考えを考慮しながら自分の主張を論理的に、的確に伝えることにあると思います。それを理解する人こそが、国際人ではないでしょうか。外国語を学ぶということは、新たな「思考の枠組み」を、手に入れることでもあります。この視点が都教委の「ESAT-J」導入の決定には、まったく欠落しています。」

ぼくはこういう話を聞くと、いつも会社時代の上司を思い出す。
いつも、In japanではねぇ、と言って英語で話していた。
時々日本語が交じるのだが、そんなことは別に外国の人たちは気にしなかった。
日本人なのだから、当たり前だ。
それよりも、話す内容が圧倒的に重要だ。

ぼくらも外国人が日本語を話す時に、本当に流暢に話すことを期待しているだろうか。
おそらく、多くの人は流暢に話したということよりも、どういうことを話したのか、ということが大事だと思うはず。

上司は「In Japanではねぇ…」と言って話し始めていた。
それが興味深い内容であれば、外国人は聞く態度を示す。
いくら流暢に話しても、中身がなければ聞き流すのだ。

だからぼくは、流暢に話すことに力を入れる必要はないと思う。
かっこいい、ということはあるかもしれないが、そんなことは英語話者は期待していない。

やっぱり中身なのだ。
そちらを充実させることに時間をかける方がよほどマシだと思う。

ブロークンでもいいから、伝えたい内容がある方がかっこいいのだ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国の教養教育
職場で回覧されていた「大学新聞」というのを見ていたら、中国の教養教育について書いてあるコラムがあった。
早稲田大学の日本人の教授が書いている。

それによると、中国では大学の教養教育は「通識教育」と呼ばれ、政府が全国共通で必修としているのは政治・道徳、軍事理論、体育、英語、ITの5つとのこと。
必修に軍事理論が入っているのがスゴイ。

平和ボケの日本では、政府が大学の教養教育に「軍事理論」を必修で入れろと言おうものなら、安保反対くらいの規模の運動が起こりそうだが、お隣の中国では違う。
当該のコラムでは、早稲田の先生は「軍事理論」について何もコメントしていなかったが、それに驚いたのが感想。

軍事理論を必修にしている、というのはどういう意味なのか。
18世紀までは世界一の経済規模で、大国だった中国が植民地化された反省なのだろうか。
いずれにしても、どんなことを教えているのか気になる。

中国の通識教育については日本の大学で主に教育分野での論文が出ている。
ところが、そこには「軍事理論」という項目はあるが、内容がない。
必修で習わせているくらいだから、何を教えているのかと思うのだが…。

70年代の日本の学生運動では、ソ連と中国を偶像化し、社会主義は素晴らしいということになっていた。
当時はぼくもそう思っていた。
でも、スターリンが自国民を何千万人も殺したり、中国も毛沢東が同じようなことをやって、結局社会主義とは名ばかりで、共産党やその書記長の独裁だとわかった。
そして、1989年にベルリンの壁が崩壊し、やっぱり自由主義が勝ったと思った。

でも、いまだに中国を偶像化している人たちが多いと思う。
中国共産党や習近平の独裁体制は良くないと思わないのだろうか。
領土問題も、福島の汚染のプロバガンダも、酷い話だ。

ぼくは中国の人たちについてはよくわからない。
どちらかというと、親近感を感じる。
上海で会ったキムさんや、香港の人たちもいい人だった。

でも、共産党のやり方はおかしいだろう。

それでも、大学のセンセイなどは、中国はいい国だと思っているのだろうか。

中国の通識教育のコラムを読んで、そう思わされた。

あの人たちは、アメリカの大学で教養教育として「軍事理論」を必修化しても同じ態度なのだろうか…。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
藤井八冠
将棋の藤井聡太は8つのタイトルを総ナメした。
藤井八冠、という呼び名になった。

10月に最後のタイトルを失った永瀬拓矢氏が、その戦いの後でのインタビューで語った言葉が、「藤井八冠は、人間をやめている」。
なぜ「人間をやめている」かというと、藤井八冠は「将棋の勉強の邪魔ともいえるイベント出演といった対局以外の仕事を断って、ベストを尽くしているのではなく、頼まれたら全部やる」というところだという。

これには賛否があると思うが、ぼくは藤井八冠が人間をやめているとは思わない。
逆に、人間らしいと思う。

道を極めるためには、そのことを一生懸命やるのはもちろん必要だが、それ以外のこともやらないといけない。
俗にいう専門バカというやつになるのを防ぐためだ。

コロナ禍で世の中にいかに専門バカが多いかよくわかった。
「感染症」の専門家はたくさんいたが、それを国外と比較して、日本の位置を相対化できる人はほとんどいなかった。
要するに感染症しか知らないのだ。

免疫とか、地政学的な従来のコロナウィルスの元々の広がりとか、従来からのワクチンの接種状況とか、それらを総合的に考えて対処することができなかった。
そういう人が不必要に人の流れを制限し、飲食店や宿泊業を苦しめ、いまだにマスクが必要とか言っている。

脳の中にいろんな回路を作っておかないと、本当に強くはなれないのだと思う。
藤井八冠は、その回路を将棋以外の仕事をすることで作っているのだと思う。

永瀬氏は早くそれに気づいた方がいいと思う。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
喪中欠礼
母の喪中欠礼のハガキを出したら、以前洋裁を教えていたという人から返事が来た。
半世紀の付き合いだったというから、ちょうど母が40代の頃に家で洋裁の教室をやっていた頃に習った人だと思う。
ちょうどその頃ぼくは大学生で、下宿から帰ってきたら教室をやっていたりしたことを覚えている。

とても丁寧な文章で、コロナが明けたからぼちぼちお会いしようと思っていたのに…、という内容だった。
コロナ禍が始まってしばらくして、大腿骨頭骨折で3ヶ月の入院で認知症が進み、サービス付き高齢者住宅に移った時期から会っていなかったということだ。

おそらく今は60代の後半か、70代の方だろう。
昨日ハガキが来て、どういう返事を出そうか迷っている。
きっと、母の最後の数年間はどうだったのかということを知りたいと思っているのだろう。
とても残念という気持ちが伝わってくる文面だ。

その喪中欠礼のハガキを出したのは、最後まで母がこの人には年賀状を出しておいてくれ、と頼まれたからだった。
誰かと尋ねたら、友人だと言っていた。
だから、一昨年までぼくが代わりに年賀状を出していた。

洋裁の生徒だったのか、と初めてわかった。

「いくつか、先生の作品もあるので、大事に使わせていただきます」

という一文もあった。
よほど母のことを慕ってくれていたのだろう。
返事を出そうと思う。

でも、認知症のことはあまり書かずにおこうと思う。
そういう人がいた、ということはありがたいことだ。

それが人生の果実かもしれない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 17:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年の紅白
今年の紅白はジャニーズ枠がゼロで、代わりにK-Popの人たちが入るとのこと。
実際に出場者を見たわけではないが、ちゃんとマーケティングしたのだろうか。
ジャニーズのタレントなら、ドラマやバラエティなどテレビに出ていることが多いが、K-popの人たちは歌番組以外のものに出ていないだろうから、高齢者の知名度が低いと思う。
おまけに旧ジャニーズファンはもう見ないだろうから、ダブルでしんどいだろう。

それでなくても、演歌の枠がなくなり、石川さゆり、天童よしみ、坂本冬美あたりしかわからない人もいるだろう。
全てのテレビ番組がそうだが、今の紅白の視聴率を支えているのは、高齢者たちだろう。
うちはまだ毎年見るが、若い人はそもそもそういう習慣がない。
下手をすると、親が見ないのだろう。

習慣的に見る人もいるだろうから、そんなに視聴率は落ちないとは思うが、確実に減るだろう。
ぼくが学生の頃は70%以上の視聴率だったが、今は30%台。
最盛期の半分以下だ。

民放の方もほとんど諦めている感じ。
そんなに対抗できるような企画は見当たらない。
くだらないバラエティか、高齢者の野球ファンを見越してWBCがらみの番組。
気合が入ってない。

あるテレビ関連のサイトには「大晦日は見るものがない」と書いてあったが、若い人たちはもともと「テレビは見ない」のだ。

大晦日だからといって、特別なことをするだろうか。
レコード大賞も大晦日の放送はなくなったし。

いまサイトを見てみると、賞が発表されているが、特別賞12名のうち、7名は死んでいる。
死んでもらえる賞などありがたくもなんともないだろう。

知り合いの娘は、引っ越しを機に、テレビを片付けたらしい。
学校での会話から、「昨日のアレみた?」がなくなっているのだ。

ぼくらの小学校時代、鉄腕アトムやエイトマン、鉄人28号、スーパージェッターなどは見て当たり前の番組だったと思う。
あの時代を今のテレビマンは忘れられないのだろう。

今年の紅白の視聴率は劇的に下がるかもしれないぞ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
手遅れ?
最近ようやく社会保障の負担の話が出てくるようになった。
働く人たちから高齢者への所得移転の話だ。
今や給与の3割が社会保障になっており、これからますます老人医療が増え続け、財政が持たない。

現在70代の人が40代の頃(90年代)は、社会保障は20%足らずであり、ボーナスもほぼ全額もらえていた。
しかし、今のサラリーマンはその後できた介護保険、厚生年金の料率引き上げで、給与所得の1/3が天引きされている。
さらに、子育ての支援金という名目でさらに天引きしようという案すらある。

今の若い人は本当に気の毒だと思う。
1983年に32兆円だった社会保障費はその後高齢化とともに増え続け、1993年に53兆円、2023年に134.3兆円になっている。
負担する若い人が減って、受益者の高齢者がまだまだ増える状況で、今やGDPの1/4にまで膨れ上がっているのだ。

週刊現代のネット記事によると、

「言うまでもなく、その使い道の大部分は医療、年金、そして介護―大半が高齢者向けの社会保障である。国の財政に詳しい、関東学院大学教授の島澤諭氏が言う。

「いまの日本の財政は、まさに『戦時中』というべき状態です。太平洋戦争の開戦前夜、1940年には国の予算の50・3%が軍事費に使われていました。それが、いまでは歳出の3割+国債費の約6割+地方交付税交付金の3割、あわせて国家予算の50%以上が社会保障費に充てられている。私たちは国の存亡をかけて『社会保障と戦争している』と言っても過言ではありません」」

ということだ。

「社会保障と戦争している」という、これはショッキングな事実。

医療、年金、介護というこのシステムが、現状ではどう考えても維持できない。
削れるところは削り、合理化していかないと、国が滅びるということだろう。

現役世代の負担を減らすためにやれることは今からでもやらないといけない。

ようやく、一部の政党がそういうことを言い始めた。

いいことだと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
言ったもん勝ち
アメリカで評判になったLGBTQの本があった。
KADOKAWAがそれに目をつけて、『あの子もトランスジェンダーになった  SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』という訳本を出版しようとしたら、LGBTQの団体からクレームがついた。

BuzzFeedの記事によると「翻訳書はAmazonで予約が始まり、サイト上では「幼少期に性別違和がなかった少女たちが、思春期に突然“性転換”する奇妙なブーム。学校、インフルエンサー、セラピスト、医療、政府までもが推進し、異論を唱えれば医学・科学界の国際的権威さえキャンセルされ失職。これは日本の近未来?」などと内容紹介が書かれていました。」とのこと。

KADOKAWAが言論の自由を主張して(クレームを無視して)出版するのかと思いきや、「ジェンダーに関する欧米での事象等を通じて国内読者で議論を深めていくきっかけになればと刊行を予定しておりましたが、タイトルやキャッチコピーの内容により結果的に当事者の方を傷つけることとなり、誠に申し訳ございません」と公式サイトに謝罪文を掲載。刊行を中止することを発表」した。

アメリカはさすがに自由の国だ。
日本にはことLGBTQに関しては自由ではないことがよくわかる。
どうしてジェンダーの問題はこうなるのだろうか。

こないだのLGBTQの法制化についても、法制化してないのは日本だけなどというデマを流して、ろくに議論もなく性自認についての法律を通してしまった。
ネット上では、あとからいろんなところで文句が出ている。
実際トイレで事故が起こったりした。
そういう事実もありながら、どうしてKADOKAWAは出版を止めたのだろうか。

この前キャンセルカルチャーについての記事を書いたが、なぜこの問題になるとこう躍起になるのか、意味がわからない。

おそらくサイレントマジョリティーは呆れていると思うが、そんなことをおかまいなくクレームをつける。
今回も出版がキャンセルされ、実害が出た。

ChatGPTに、この原題「Irreversible Damage」の評判を聞くと、

「『Irreversible Damage』(不可逆な損傷)は、Abigail Shrierによって書かれた書籍で、トランスジェンダーの若者たちが性別遷移を経ることに関するテーマを扱っています。この本は議論の的となり、賛否両論があります。
一部の人々は、書籍がトランスジェンダーのコミュニティを不正確に描写し、偏見を助長すると主張しています。一方で、他の人々は、本が子供たちの性別遷移に関する懸念を取り上げていると評価しています。
この書籍に関する評判は分かれており、感じ方は読者や評論家によって異なります。一般的な評判については、個々の意見やレビューを確認することがおすすめです。」

という返答。

やはりアメリカでも賛否両論あるのだ。
気になって、アメリカのAmazonで「Irreversible Damage Review」と検索してみると、トップレビュアーの表題がこれ。

ポジティブなレビュー
「5つ星のうち5.0  私はLGBTです。もしあなたに娘がいるなら、あるいは女の子のことが気になるなら、この本を読んでください。」

ネガティブなレビュー
「5つ星のうち1.0  思いやりに欠け、攻撃的な口調で、よく言っても不完全な印象を与えます。」

この本が出版され、いろんなレビューがされている。
なんと8083件のレビューがあり、それらの平均は5点中4.8になっている。
レビューの点の高さは、必ずしも賛否を表しているのではないと思う。
この本のおかげで議論がされたという啓発的なポイントも評価されているのだ。

KADOKAWAがこの本の出版を取りやめたのは、商売上の敵を作りたくないということでは仕方ない事だ。
でも、日本のLGBTQの人たちの心の狭さをよく表していると思う。

共産党の世田谷青年部のツイートでは「ヘイト本で飯を食うな 活字で人を殺すな」というのもあった。
こうなると、堂々とした言論統制だ。
今日になって、表現が不適切でしたと謝罪している。
謝罪するなら、Kadokawaにぜひ出版してください、くらい言うべきだろう。
結局彼らは言論の自由など認めないファシストなのだ。

LGBTQの方たちは「内容に事実誤認、誤りがある本が絶版回収や出版取りやめになることは当然であり、争点は「表現の自由」ではなく内容が絶版に値するものがどうかという点に過ぎない。」などと言っている。
自分たちの主張が絶対的に正しいという前提に立つのは、この人たちの特徴。
現に世の中に事実誤認や誤りがある本は、いくらでも出版されている。

本当に困ったものだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
転旋
最近の曲は転調が多い。
「夜に駆ける」など上がる転調だけでなく、下がる転調も使っている。
あの曲は転調が曲の盛り上げに上手に使われている。

先週の日曜日に大阪城ホールで歌った、Choo Choo Trainは最後のギターソロの間奏が特徴的な曲だ。
今週のレッスンで、この間奏について先生に聞いた。

実際はC#のキーなのだが、例によって移動ドでCで考える。
間奏のところで、突然G7からEbM7に行く。
これは、CからCmに転旋したということらしい。
キーの主音が変わるのは転調というが、メジャーからマイナーに(その反対も)変わるのは転旋という。
一瞬マイナーに転旋するのだが、Cmの平行調のEbを弾いている、ということだ。

この転旋も最近多いように思う。
何でCからEbに行くのかな、と思っていたが、そういうことだったのかと腑に落ちた。
ルートの音は変わらず、マイナーに行って、戻っているという感じ。

だから、ソロはザックリいうと、Ebペンタに行って、またCペンタに戻るということだ。
聞いてみると、実際そうなっていた。
エライものだ。

いつも音楽理論を聞いていて思うのだが、最初にやった人は感覚でやっている。
それを後から理論付けして、今に至っている。
すごい理論体系があるのだろうが、それを作った人がエライのか、それともそのやり方を感覚的にプレイした人がエライのか、ということだ。

まあ、本来はそれを感覚的に演奏した人をスゴイと言うのだろう。
それでも、それをこういう理屈でやっている、と説明した人たちもやっぱりエライと思う。
凡人は理論付けないと前に進めない。
天才とは違うのだ。

どちらにも感謝。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヤングタイマー車
ヤングタイマー車というのは、1980年代から90年代の車のことだ。
本格的なクラッシックカー(オールドタイマー車)よりも、比較的新しく、「ちょっと古い車」として、実質的に今でも使える車という位置づけ。
そういう車が若者に人気があるとのこと。

1980年代というと、もうかなり古いと思うが、走る車は走る。
会社の先輩にも、80年代のBMWを持っている人がいるが、主にエンジン回りと足回りにお金がかかる。
まあ、老後の楽しみとしてその人はやっているのだが…。

そういう車を専門に扱っている中古車の個人売買仲介事業を手掛けている人もいるようで、その人は91年製のVWゴルフに乗っている。
オールドタイマー車よりは、価格や維持費も低めになる。
とはいえ、それなりにかかるとは思うが、昔は高かった車が安く買えるというメリットもある。

そういえば、友人が古いポルシェに凝っていた時期もあり、窓が開かないとか、時速100キロ出せないとかいう状況だったが、喜んで乗っていたのを思い出した。
よくそんな不便な車に乗るなあ、と思うが本人の思い入れが十分あればいいのだろう。

若い人たちが、そういう車に興味を持って買ってくれるのはいいことだと思う。
リユースというやつだ。
新しい車を1台作るのに出るCO2に比べたら、古い車を乗り続けるのにもメリットはあると思う。
おそらく、走行中のCO2はかなり多いだろうが…。

そういう人気もあって、トヨタはランクル70を再販することにした。
中古市場では、40代以下の人たちに人気があるという。

ヤングタイマーは30年から40年前の車だから、わりとシンプルな構造だ。
今のような電子制御も少ない。
当然、モーターなどないし、自動ブレーキもない。
でも、リストアする部品がなかったりする。

欧州ではそういう車の部品を扱っているところも多いというが、日本ではまだまだ少ないだろう。
高価な外国車(ポルシェ、BMW、メルセデス)や、大量に売られた車(VWゴルフ)などはまだマシだろうが、日本車はよほどの事がないとメンテできないと思う。

日本のメーカーでは、マツダがロードスターについてはメーカー主導で古い車のレストアもやっている。
1989年に出た車だから、ヤングタイマー車になる。
初代モデルに、あと20年くらい乗り続けたら、オールドタイマーになる。

そういう車は例外で、ほとんどの車は製造中止になって何年か経ったら、もうメンテできない。
今の車は、故障の部位によっては、街の自動車修理工場では修理も出来ない。
そのために、どんどん街の自動車修理工場は潰れてしまった。
三丁目の夕日に出てくるような工場はもう見当たらないのだ。

日本にどれだけクラシックカーのリストア文化が根付くか…。

若い人たちに期待するしかない。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
南米の新油田
南米のガイアナの沖に油田が発見された。
アメリカの石油会社、エクソンなどがガイアナに進出しているという、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事があった。

ガイアナというのは、ぼくの小学校の頃はギアナという日本語だった。
国名と首都を覚えるのが流行ったとき、ジョージタウンという洒落た首都名が何となく記憶に残っている。
元はイギリスの植民地で、イギリス連邦に属している。
公用語が英語という南米で唯一の国らしい。

ブラジルとベネズエラに接している、人口80万の非常に小さな国。
どういうわけか、この国の沖合に110億バレル超の油田が発見された。
南米の最貧国から、オイルマネーで潤う国になろうとしているらしい。

「「これは世界で類を見ないものだ」。シェブロンのマイク・ワース最高経営責任者(CEO)はインタビューでそう語った。「過去10年で最大の発見となる高品質の資源であり(中略)、比類なき成長の可能性を秘めている」

110億バレルというのがどれくらいか、想像するのが難しいが、サウジアラビアの油田の推定埋蔵量が約3000億バレルというから、そんなに大きくない。
でも、貧しいガイアナにとってはビックリする発見だったのだろう。

この国、先住民は1割で、残りはインド系4割、アフリカ系3割、混血2割という構成。
イギリス領だった関係で、インドからたくさん入ってきたらしい。
ガイアナ政府の収入は、2017年以降3倍になり、経済規模も3倍になった。

OPEC(石油輸出国機構)は加盟を呼びかけているが、今のところ加盟していない。
好きなだけ生産したいという。
エクソンは港湾開発や女性の地位向上、環境保護団体にも資金を注ぎ込んでいるとのこと。
隣のベネズエラは、領土問題を持ち出して、油田の一部は自国の領土だと主張しているらしい。

こういうのを見ていると、化石燃料をゼロにする、というような話はお題目だけという気がする。

ただ、確実なのはいつかは石油がなくなるということだ。
どんなに潤沢なものでも、終りがある。
石油は宇宙からの贈り物で、無限にはないのだ。
それがいつ来るかというのは、いろんな予想があるが結局はわからない。

でも、その日は確実に来るので、脱化石燃料ということは長い目で進めないといけない。

そのためには、やっぱり核のエネルギーは危険ではあるが進めるべきだと思う。
安定したエネルギーを確保するためには、進めないといけない。
その技術を開発することが、化石燃料がなくなったときの人類を救うのだと思う。

それまでは、化石燃料に依存することはやむを得ないことだろう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
香港の活動家
2020年に中国の香港国家安全維持法に絡めて、香港の学生の活動家たちが気の毒だと思い、消えた香港という記事を書いた。

久しぶりに彼ら民主化の活動家たちの記事を見た。
周庭(アグネス・チョウ)氏はカナダに留学しているらしい。
「多分、一生香港には戻らない」ということで、事実上の亡命ということになる。

彼女は2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行後、20年8月に国安法違反容疑で逮捕された。
そこからほとんど情報がなかったが、今回26歳最後の日にカナダ・トロントでインスタを更新し、留学(亡命)を発表した。
国を捨てるというのは苦渋の決断だと思う。
当然、親も家庭も捨てるということになる。

留学にあたっては、当局の厳しい指導があったらしい。
行く前には、当局の担当者と一緒に中国や共産党の発展について学習し、「祖国の偉大な発展を理解させてくれた警察の案内に感謝します」という内容の文章を書くよう要求されたという。
それを経て、ようやく留学が実現したということだ。

そういう中国を好きな人もたくさんいるようだが、なぜこういうことを批判しないのか理解に苦しむ。
もしも日本政府がそういうことをしたら、おそらく大文句を言ってデモでもするだろう。
でも、中国にはおとなしい。

もうすでに、香港警察の国家安全担当部門が、直近SNS上で警察への定期報告をしないと宣言した人物がいると指摘したうえで「法規へのあからさまな挑戦である無責任な行為を強く非難する」との声明を出したらしい。
いつ何が起こっても不思議ではないと思う。
カナダ政府はある程度はケアするのだろうか。

香港当局は、他の著名な活動家に対しても、1人あたり100万香港ドルの懸賞金をかけて指名手配している。
すでに逮捕状が取られているとのこと。

昔の、なんとなく猥雑で自由な雰囲気の香港。
それがなくなってしまって、数年。

今は民主化運動をしていた学生に、遠く地の果てまで逃げても必ず逮捕する、というところまで堕ちた。

今は彼らに平穏な生活を送ってほしいと願う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカのエネルギー転換
日本のマスコミを見ていて、今の脱炭素とかグリーンなんとかというものの扱いがオカシイのではないかと思う。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)には「グリーンエネルギーへの道、ますます険しく 石油・ガスからの脱却コストさらに高じ、実現は一段と遠のく様相」という記事が出ている。

書き出しは、「エネルギー転換」に現実の厳しさがのしかかっている、というもの。

実際、再生可能エネルギー100%というようなお題目は、現実的には無理だ。
不安定な再生可能エネルギーを100%にするためには、発電した電気を貯めておくことが必須だが、そのコストは発電の何万倍もかかる。
原理的には可能だが、そんな電気代は払いたくない人が多いだろうし、現状ではそれだけの資源もない。
今年は賦課金は値下がりしたが、それでも世帯当たり6700円ほど取られている。
そのお金はずっと再エネ業者に支払われている。
設置したらあとは自然任せの発電なのに、なぜ延々と賦課金が支払われるのか、そんな疑問を呈するマスコミも皆無。

もちろん、再エネ発電業者はそんなことは言わない。
おそらくわかっているのだろうが、再エネは儲けのタネだから言わないのだ。

でも、アメリカは事情が違う。
立場はどうあれ、ちゃんと事実を報道しているマスコミがある。

「「エネルギー転換」に現実の厳しさがのしかかっている。

 複数の洋上風力発電プロジェクトが中止となり、再生可能エネルギー企業の株価は大幅安となっている。米国では電気自動車(EV)需要の低迷を受けて、自動車メーカーがEV計画を縮小している。

 一方、巨額の利益を上げている石油・ガス企業は大型買収に相次いで乗り出し、化石燃料が廃れるのはまだ先という考えを強力に推し進めている。温暖化ガスの排出量は今年、過去最高を記録すると予想する研究者もいる。」

これがアメリカの現実だろう。

日本はGX(グリーン・トランスフォーメーション)というプロジェクトを始めたが、ほとんどの国民の関心はない。
野党も関心があるようにはみえない。
ただ、環境という言葉に飛びついているだけのようにみえる。

ここに来て、エネルギー安全保障という言葉は出始めたが、そのために一番大事だと思われる原子力発電の活用については、あまり聞いたことがない。
いまだに福島原発の処理水を汚染水と言っている風評加害者はいるが…。

こんなことに無駄なお金を使っていると、若い人たちが疲弊してしまう。

本当にナントカならないのかと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 本番
昨日がリハーサルで、今日は本番。
朝の9時から17時すぎまで、大阪城ホールに缶詰。
毎回、当日の朝からのゲネプロから本番までの時間が長くて、しんどい。
特に、第九の3楽章までをじっと聞いているのがつらい。

クラシックの好きな人ならいいのだろうが、リズム楽器の入らない音楽が苦手なぼくには眠たい音楽。
実際にも寝てしまう。
まあ、暗いし、だまって椅子にすわっているだけなので、寝てもわからない。
何と言っても、1万人もいるのだ。

今年はゲストがExileのTakahiroで、Choo Choo TRAINはノリノリだった。
Fun Fun 〜とHeat Heat 〜のところを1万人でコーラスする。
3年ぶりに聞いた1万人の迫力はやっぱりすごかった。

第九はいつも通り。
もう動画投稿を入れて7回目。
今年はゲネプロではセーブして声を出して、本番は思いっきり歌えたので満足。

サプライズゲストのタイガースの大竹投手は、ほんとにサプライズだった。
ゲネプロでもやらない。
ほんとにびっくりした。

大阪城ホールで六甲おろしを1万人で歌えたのは、いい記念になった。

佐渡裕は相当なトラキチなのだろう。
大竹に「あとで写真撮ってな」と地で言っていた。

いつもの折れば光るライトを振って、蛍の光を歌う。
もう今年も終わったなあと思う。
まだ12月3日だが。

つらくてしんどいイベントだが、終わったあとはやっぱりよかったと思える。
1回やったらクセになる、そんな魅力がある。

来年も挑戦するかな…。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
COP28報道の不思議
時々新聞やネットに出てくる「COP」という言葉、締約国会議(Conference of the Parties)の略だ。
よく言われるのは、国連気候変動枠組条約の第28回締約国会議「COP28」という言い方。
国際気候変動枠組条約、というのを省略して、COPだけで通じる感じだ。

COP3というのは1997年の3回目の会合。
これは京都で実施され、京都議定書という言葉を覚えている人も多いだろう。
日本が議長国であり、ここで欧州勢に騙されてCO2の大きな削減を目標として出し、無駄金を使わされてしまった。

中国やロシアから排出権を買わざるを得なくなったからだ。
欧州は東欧の旧社会主義国が西側に入り、苦労しなくても削減できるような目標を設定していた。
後でそれがわかっても、もう遅かった。

今回でCOPも28回目。今朝のニュースでも、新聞でもUAEで開催されることが報道されている。
焦点はLoss and Damage。損失と補償ということ。
先進国は今まで化石燃料を使って経済発展してきた。
それで温暖化が起こっている、と先進国が言っているのだから、発展途上国は先進国に補償を求めている。
それがどうなるか、ということだ。

温暖化が起こるといっても、100年先の話。
発展途上国の人たちにとっては、経済発展の方が大事だ。
だから、先進国が頑張って削減をやればいい、ということになる。

それはそれで、興味があるのだが、日経の記事を読んですごい違和感を感じた。
とにかく、再エネを拡大しないといけないの一点張り。
再エネをそんなに増やせるわけがない。
安くて、便利ならもっと増えているはずだが、実際はその逆で電気代は上がり、供給は不安定になった。
真夏や真冬は大停電の一歩手前までいっている。

なぜ原子力という言葉すら出さないのだろうか。
原子力は放射能の問題はあるが、CO2についてはクリーンだ。
おまけに発電のキャパも大きい。
電気はインフラであり、止まってはならないもの。
今流行の半導体などを作るときには、たくさんの電気が必要になる。
そういう産業の元になっている。

再エネというのはあくまで自然任せのエネルギー。
太陽光など、曇や雨、雪になったら発電量は落ちる。
もちろん夜は発電しない。
風力もそんなに当てにならない。イギリスやドイツの失敗を見ればわかる。
だから、補助的に使うしかないのだ。
何度も書いているような気がするが…。

原子力を使わないと、電気代も安くならないし、安定供給もできない。
それが脱炭素の現実なのだと思う。

それを全く報道しないマスコミは狂っている。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) |