考えたこと2

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エビデンス
日本はデーターを軽視して、第二次大戦に負けた。「精神論」というやつだ。
一方、アメリカはデーターを重視して勝った。
戦術を分析し、暗号を解読し、ロジスティクスを重視し、科学の力で勝ったと言ってもいい。

その反省ができていないのだろう。
医療費がどれだけかかるか、ということがアメリカで調査されていて、その原因のもっとも大きなものは、「高度技術の開発」だという。
抗がん剤の「オプジーボ」もそうだし、手術用のロボットなどもそれにあたる。
開発費を取り返そうと思えば、高額にならざるを得ない。

日本の場合は高齢化が大きな要因だと言われているが、そういうエビデンス(科学的根拠)に基づいて議論する、という風土がない。
みんな「感じ」で発言する。
それが時には世論をミスリードする。

教育だってそうだ。
今の学力がどんな状況にあるのか、それを改善する方法にどんなものがあるのか、その効果はどの程度かなど、実際にやってみて、そのエビデンスをもとに議論するのがアメリカ流。
みんながみんなそうだとは言わないが、肝心なところでは科学的根拠が重視される。
特に国がお金を使ってやるとなると、そういう調査をしないと納得されない。

厚労省も、文科省も、アメリカにそういう結果があるのに、日本でエビデンスを調査しない。
そこに役所の既得権や、天下りのルートがあるからだ。
実際、そういうところを規制緩和しないと、いつまでたってもよくならない。
学者たちだって、同じ穴のムジナだろう。
ごく少数の学者しか声を大にして言わない。

その風土が敗戦を生んだのに、ちっとも反省されていない。

なんでだろう…。


| | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
義務教育の崩壊
小学校、中学校の内容をネットで学べる「e-learning教材」を大学の入学前学習や、就職筆記試験対策で導入をしている大学がある。
もちろん、そんなことは表には出ていないが、業者は小学校、中学校の教材を作ってきたノウハウがあるから、お勧めします、というようなことを言っているんだろう。
導入しているのは専門学校や下位の大学。
中には国立大学もあるようだが…。

主要5科目だから、算数(数学)、国語、理科、社会、英語。
それを大学入試を通った人たち向けに勧めており、それを導入している大学があるという事実。
これを文科省はどう思うんだろうか。

いったい入試には何の役割があるんだろうか。

この事実一つをとってみても、義務教育が崩壊していることがよくわかる。
小学校高学年で習ったはずの内容を、大学に入ってやらないといけないのだ。
もちろん、全員が小学校で習った内容を全部覚えていないといけないなどとは思わない。
それでも、小学校、中学校で習うことは、これから生きていく上で、マスターしていることが半ば当たり前になっていることが多いのだ。
だから、就職筆記試験でも小中学校までの算数が出る。

リメディアル教育という言葉があるが、これは「学び直し」という意味だ。
それを18歳になっても、大学で、小学校レベルからやらないといけないのだ。

入試科目を減らしてきた私立大学の責任もある。
しかし、知っているべき内容を知らないというのは、それまでの教育の責任。
小中学校の内容ということは、小中学校の責任だ。

文科省が恐いのか、私立大学から文句を言う声は聞こえない。
そうまでして補助金がほしいのか。
自らが養成した教師が教えているからか。

大学に紹介される小中学校向けの「e-learning教材」は確かによくできた教材だと思う。
小中学校でノウハウを積んできたという事も本当だろう。

でも、何となく望みがなくなった。


| | 考えたこと | 21:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
一万人の第九 練習6回目
先々週の練習5回目は、ブログを書き忘れた。
先週1回休みだったので、終わったら脱力したのもあったかもしれない。
テナーのパートは一番少なく、また一番下手なので、頑張らないといけない、という気持ちはあったのだが…。
練習が終わった後、あー、これで来週は練習はない、ということで安心したのは事実。

しかし、2週間の間にだいぶ進歩した。
コーラスのアプリではちょっと旋律がわかりにくいので、Musescoreというコンピューターのフリーウェアで打ち込んでみることにした。
ソフトを立ち上げたら、2.0から2.1にバージョンアップしているということで、ついでにインストールもした。

それでテナーとベースのパートを打ち込んで、ピアノの音で再生したら、全体がよくわかった。
特に、ベースのパートを打ち込むことで、クラシックといえどもポップスと同じような和音構成をしている(当たり前といえば当たり前だが…)ことが判明した。
本当はソプラノとアルトも打ち込んだらいいのだが、それはしんどいからやめた。

歌詞も何度も繰り返されるところは、だいぶ頭に入ってきた。
だんだんと調子が出てきたと思う。

ということで、昨日の練習。
今までよりももっとテナーの人数が減っている。
ベースに移った人もいるのかもしれない。

発声練習はだいぶ板についてきた。
息を吐く時に、尾てい骨を巻くようにお尻を締めて、ノドからお腹をフリーにして、あくびの口で母音を歌う。
アーで歌うなら、コツをつかんで歌えるようになったと思う。
歌詞がつくと、もうダメだが…。

でも、練習では回りの様子をみなくても、歌えるようになった。
だいぶ進歩した。

あとは高い音が苦しいのと、歌詞を覚えることだ。

あと2ヶ月ちょっと。
何とかなるかもしれない。



| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリミナル・マインドの格言
クリミナル・マインドという海外ドラマ。
WOWOWでシーズン12まで放映されている。
何度か書いたが、FBIで犯人のプロファイリングをやっているチームの話。

全米を専用ジェットで飛び回って、シリアル・キラー(連続殺人犯)を逮捕する。
シリアル・キラーは変質者が多いから、犯行からその特徴を推定し、年齢や性別、職業、性格や生育歴などを特定して捜査をする。
ドラマだから当たり前だが、プロファイリングの専門家はスゴイなあと感心する。

このドラマ、毎回格言で締めくくられる。
こないだの格言は「計画どおりの人生をあきらめる覚悟を持て。この先に待つ人生を生きるために。  ジョーゼフ・キャンベル」というもの。

格言の内容は、ドラマの内容とつながっているようでもあり、つながっていないようでもある。

だいたいシリアル・キラーというのは、人間性が壊れている。
その壊れた原因を推定して、プロファイリングをするのだが、たいがいは不幸な過去。
虐待を受けていたり、親が変だったり、病気だったりする。
重たいドラマだ。

その重たさが見ていて中毒になる。
人間誰しもおかしくなったら、こんな風になるかもしれないと思わされる。
見終わって、そういう感慨にふけっている時に、格言が出てくる。
何となく、格言が腑に落ちてしまう。
そういう効果を狙っているんだろう。

しかし、いい言葉ではないか。
「計画通りの人生をあきらめる覚悟を持て」というのは、四十代くらいの人向けの言葉だと思う。
人生、若い時にたてた計画通りにはいかないぞ、ということだろう。
計画から外れたとき、何とか取り返そうと頑張る。
それでも、どこかであきらめるべき時が来る。
その時が来たら、諦めないといけないということだ。
そうしないと、「この先に待つ人生を生きる」ことができない。

人生のキャリアもそういう風に考えた方がいい。
計画を立てることは大事だが、そのとおりに進むとは限らない。
運や縁も関係している。
多くの場合、自分の思い通りに進むことは少ないからだ。
だから、どこかで計画はあきらめて、前に進む方が正解になることが多い。

ほとんどの人にとって、「あきらめる覚悟」は大事だと思う。


| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
宗教の時代
こないだ、仕事先で話をしていたら、40代の人が68歳で死ぬ予定だと言った。
まだ20年以上あるから、そんなことが言えるんだろう。
でも、ぼくは「それは難しいと思う」と答えた。

平均寿命は80歳を超えているし、医療もどんどん進む。
よほど何かないと、68歳では死ねない。
それはわかっているんだが、もうあまり生きたくないという返事が返ってきた。
もちろん冗談だが、全くそう思っていなければ、そんなことは言わない。

いつ死ぬか、ということは、いつまで生きるかということと同じだ。
あと20年生きたら十分、という思いが今はあるのだろう。

生きていればお金もいる。
年金をもらい、医療費を使い、介護も必要になる時が来る。
何も生産活動をしなくても、生きなければならない。

詳しいことは考えてないとしても、そういう思いがある。
人口ピラミッドが逆三角形になっている。
今の40代の世代は、もう年金のシステムが持たないから、そんなにもらえない。
年金は積立をしているのではなく、今いる高齢者の費用を払っているのだ。

でも、根本的な解決策はない。
政治家はみんな臭いものには蓋をして本当のことを言わない。
役所は今のやり方をできるだけ引っ張ろうとしている。
利権があるから、それを簡単には手放さない。
だから、規制緩和が必要なのだろう。

40代というと、昔で言うと働き盛り。
その人が、あと20年ほどで死にたいと言う。

将来に対する漠然とした不安が、長生きをしたいという気持ちに勝つ。
それに対して、ぼくはいいアドバイスを思いつかない。

クレージーキャッツが「そのうちなんとかなるだろう」と歌えたのは、いい時代だったからだ。

これを救うのは宗教かもしれないなあ。



| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
中学校の実情
国語の読み書きはすべての基礎になると思う。
教科書を読んで理解して、初めて学びが成立するからだ。
しかし、先日の報道では国立情報学研究所の調査で、中学生の読解力不足が指摘された。

読売新聞には「新聞や教科書などを読み取る基礎的な読解力を身に付けられないまま中学を卒業する生徒が25%にのぼることが、国立情報学研究所(東京都)・新井紀子教授らの研究チームの初調査で明らかになった」と書いてある。

調べてみると、国立情報学研究所では去年の12月にも、中学生に読解力のテストをやっていた。
その時の問題は以下のようなもの。

-------------
 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

 この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから一つ選びなさい。

 Alexandraの愛称は(  )である。

  中学生の解答
(1)Alex(正答)  38%
(2)Alexander 11%
(3)男性        12%
(4)女性        39%
-------------

以前にも書いたが、問題文に答えが書いてある、というものだ。
別にひねっているわけでもないし、難しいとも思わない。
それが正答率が38%という結果。

実はこれで思い当たることがある。
計算はできるけど、文章題は苦手という大学生がたくさんいる、ということだ。
文章を読んで、未知数を決めて式を立てる、という過程ができない。

この夏に講座をやったが、その時に文章題を解くコツを教えるために、いろんなサイトを見てスライドを作った。
結局、その時には「問題の場面を頭でイメージする、問題文を心の中で声に出して読む、イメージできるまで、何度も読む、出てくる数字の意味を考える、とりあえず、意味と数字を書きだす、手を動かすと、頭も動く、イメージしたものを図にしてみる」ということで説明した。
それでも、2日目にやったことが3日目にできない学生もいた。

図をかくにしても、なかなか図にならない。
具体的には買い物の場面などだから、想像はできると思うのだが…。

大学に勤めているとき、語彙力が問題だと思い、入学後にテストをしたら悲惨な結果だった。
でも語彙が足りないだけではなかったのかもしれない。
簡単な言葉を組み合わせて文章を作っても、意味がわからない学生もいたのだろう。
そういうことなら、こないだの「国語のテキスト」の内容もわからなくもない。
契約書やルールを書いたものが、ちゃんと読めるかということだ。

記事の中には「中学卒業までの読解力が将来に影響する」という事も書いてあった。
発達障害が増えているというが、これが全部発達障害であるわけがない。
もちろん、スマホによる短文のコミュニケーションや、幼少時の家庭での読み聞かせ、読書不足、会話不足などの問題はあるんだろう。
非正規社員の増加や、社会保障費などの増加で、若い人たちの家計はどんどん苦しくなっているという問題もある。

しかし、それを救うのが公的な教育だと思う。

小中学校の義務教育をもっとちゃんとやらないといけない。
中学がブラックな職場だというが、そんなに教師が働いた結果がこれなのか。

これこそ、民主主義の危機だ。
選挙をやるのなら、「義務教育のやりなおし」も公約にしてほしい。


| | 考えたこと | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
AI対AI
AIを使った将棋ソフトを開発した人が書いていた。
今、将棋を強くするための方法は、ある戦術を取った時の判断の変数があって、それをいじることだという。

正しいかどうかはわからないが、角道を空ける、という序盤の手がある。
例えば、その手の価値が90点だったとすると、それを92点に上げるとかいうことだ。
価値が高いほど、手としてはいい、ということになる。
もちろん、現実はもっと複雑だし、考慮するべきことも多いのだと思うが、要は指し手を点数化して、より高い点数を求めて指す、ということだろう。

ある程度AIが完成すると、そこから先はAIがAIを訓練するというフェーズになる。
つまり、AI同志で対局させ、何千回のうち、どっちがたくさん勝ったか?ということだ。
たくさん勝負させるのは、特殊な場合になったりすると間違いが起こるからだろう。
ある程度の数を対戦させると、それらの間違いが減る。
そうやって、強くなっていくらしい。

そういうチューニングの結果、人間に勝ったりするAIが出てきているのだから、プロセスとしては正しいのだろう。
人間なら何千回も対戦すると疲れるし、文句を言うが、コンピューターはそういう仕事には強い。
つまり、AIがAIを鍛えていくということだ。

こんな風になっているから、AIはなぜ強くなったのかという説明を人間はできない。
理屈ではなく、経験という感じだ。
人間もある程度強くなって対戦すると、指し手の説明で「直観的な選択」、ということになる。
それと同じことが、コンピューターでも起こる。

これが今までのAIとは違うところだ。
これまでは理屈で説明できるような状態だったが、機械学習とか深層学習とかいうやつは、人間がそういう指示をしているわけではない。

人間も、コンピューターも、結局は何を考えているかわからないのだ。
ただ、人間は疲れるし、そんなに日夜勉強できない。
でも、コンピューターは電気がある限り、学習を続けることができる。

これが、一部の人たちにとっては恐いことになる。

将棋や碁なら、問題ない。

外交などはややこしいだろう。
ゲーム理論や交渉術、歴史などを学習して、どうやってつき合えば自分たちに有利かを判断する。
こうした方がいい、という結果は出るが、そこに至ったプロセスがわからないと、不安になる。
まあ、人間がやっていても、往々にしてそういうことはあるのだが…。

21世紀はそういうことが出てくる時代になる。

| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
国語のテキスト
高校の国語で習ったテキストは、どんなものがあったか…。
漱石、鴎外、芥川の3名のテキストはあったように思う。
なかでも漱石は70年代当時、「三四郎」「それから」「門」という前期の3つの作品や、「行人」「彼岸過迄」「こころ」という後期の3部作など、入試に出ると言われていた。
ぼくがまともに読んだのは「三四郎」だけだったが…。
芥川龍之介の「鼻」や「トロッコ」「羅生門」は載っていたし、森鴎外の「高瀬舟」もあったと思う。
あれらの作品は、教科書に載っていなかったら、間違いなく読んでいない。

そういう意味で、国語のテキストは大事だ。
今から思えば、文語体の文章はそういうもので親しんだから読めるのだろう。
でも、そういう文章は「文学作品」だから、大体の意味は決まっているものの、最終的には読む人に依存する。

ぼくらの時代、評論家の小林秀雄の文章もよく入試に出た。
小林本人が「それは違う」という答えもあったと聞く。
でも、入試の解答は明示されないから、あくまでも推測だ。

そういうことがあるからか、今回の入試改革でセンター試験に記述式の問題が採用されることになったが、そこから文学作品が消えるという記事があった。
実際に大学入試センターのモデル問題のページを見てみると、平成29年5月16日公表として記述問題の例が出ている。
それが「景観保護ガイドライン」やそれを読んだ父と姉の会話文の問題だ。

選択式の問題は文学作品なのだが、記述式は「景観保護ガイドライン」とは、ビックリした。
それが1番で、2番は駐車場の使用契約書を読んで答えるというもの。
こちらはもっとビックリ。
大学入試の問題に、こういうものが出る時代になったのかと驚いた。

そういう文章を読んで判断する能力が必要なのはわかるが、それは果たして「国語」なんだろうか。

日本人に生まれてよかった、と思えるような言葉の使い方を覚えるのが「国語」の役目だと思う。
そういうテキストに一度は触れる、という役割だ。

こういうことは全く報道されないが、これはみんなが議論すべきことだと思う。

受験生だけの問題ではないぞ。


| | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
存亡の機
今年も「国語に関する世論調査」の結果が発表された。
だんだんと言葉は変わっていくものだが、今年はぼくもビックリする結果だった。

「存亡の機」という言葉があるらしい。
今の今まで知らなかった。
ネットで意味を調べると、「引き続き存在するかここで滅びてしまうかという非常に重大な時」と書いてあった。
これは使ったことがない。

「存亡の危機」をこれと間違えて使っている、ということが報告されているが、間違っているのではない。
「存亡」が残るか、滅びるかという意味だから、そのままの意味だ。
これを誤用と言われたら、ちょっとなあ。

これは、「存亡の機」という言葉を知らないということであり、誤用しているのではないというのが、僕の立場。
多くの人が、そうではないか。

「役不足」のように、誤って異なった意味で使っているというものではないのだ。

この世論調査も回を重ねて重箱の隅をつつくような調査になってきた。

それこそ、存亡の危機だと思う。



| | 考えたこと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
平成の大合併
台風情報を見ていたら、市の名前がいろいろ出てきたが、何となく違和感がある。
聞いたことがない市が増えた。

南九州市、佐伯市、由布市、志布志市、臼杵市…、九州の市だ。
平成の大合併でできた市だろう。
1995年に始まり、2005年〜2006年に合併はピークになったとのこと。
阪神間に住んでいるのであまり意識しなかったが、市町村の数が3229から1727に減るほどの大合併だった。

平成の大合併では、伝統的な市名がなくなり、ひらがなのものが増えた。
身近なのは四国のさぬき市とか、兵庫のたつの市など。
さいたま市もある。小学校の頃、埼玉県の県庁所在地は浦和市だったが…。
南アルプス市というカタカナの市名もある。
市名決定でいろいろとあったんだろう。

そういえば、神戸市もどんどん広くなった。
昔は六甲山の裏側は神戸市ではなかったが、今は北区や西区ができた。
その代わり、灘区と生田区が一緒になって、中央区になった。
地名もどんどん変わっていっている。

しかし、地方公務員の数は94年から2011年で14%しか減っていない。
民間ではこの間、コンピューターの活用等で事務の仕事がなくなったことを考えると、減り方が少ないと思う。
これは日本の生産性が低いことの一因となっている。
地方公務員は税金で贖われているのだから、もっと減らして、実際にGDPを稼ぐ仕事をしてもらわないといけない。

ぼくらは、昔を知っているから、変わってしまったことに郷愁があるが、平成に生まれた人たちはそんな気持ちはないだろう。
古き良きものが失われるなどという話は、年寄りの繰り言だ。
便利になるなら、それでいい。
所詮、長い歴史の中で変わらないものなどない。
明治以前は藩だったし、その前は…何か違うものだったのだろう。
もともと、日本などという国の名前がついたのは7世紀だというが、それがみんなに意識されるようになったのは明治以降だろう。
それまでは、普通の人は世界すら意識していなかったに違いない。

その時代にも人は生きて死んでいった。
世の中は移り変わる。

やっぱり、ゆく川の流れは絶えずして…の世界だ。

この頃とみにそう思うようになった。



| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
世代間格差
ちょっと前にも、キレる老人について書いたと思うが、産経新聞の記事や投稿欄でそのことが話題になった。

発端になった記事によると、65歳以上の高齢者の暴行が10年前の4倍に増え、ささいなトラブルから他人に手を出すケースが急増しているとのこと。
ひどいのは、「タバコのポイ捨てを注意された70代の男が、注意をした当時小学1年の男児の首を絞め逮捕される事件も起こっている」らしい。

この記事に対して、86歳の男性が寄稿。
自分も友達2人と駅で待ち合わせていたが、5分到着が遅れたら先にレストランに行かれて、キレてしまったという体験を書いて、自分もたぶん該当者だ、という。
続けて、その背景は、「社会で冷遇されていると感じるイライラがある」だから、「高齢者にも温かい社会であってほしい」と訴えたとのこと。

これに対しておそらく20代、30代の層から反論があった。
その内容は、自分たちはおそらくもらえない年金や退職金をもらって、医療費を使いまくりの高齢者が何を言っているか、というものだ。
若い人たちの立場に立てば、もっともな意見だと思う。

高度成長期に退職した人たちは、年金制度の恩恵を受けたが、それは日本の企業が成長していたからで、GDPが伸び、お金が儲かっていたからだ。
1960年には生産年齢人口(15歳〜64歳)11人で65歳以上の高齢者一人を支えていたが、1980年には7.4人、2000年には3.9人、2020年には2.2人で1人を支えることになるという計算。
今の大学進学率等を考えると、実際に支える側の人数はもっと減るから、若い人の負担はどんどん大きくなっていく。

少し古いが、どれだけの負担があるかという試算をしているページがある。
それによると、

「年収300万円の自営業の場合、消費税負担が約16万円、所得税・住民税が約10万円、社会保険料(年金+健康保険)が約37万円(39歳以下)です。これをすべて足すと約63万円で、総収入(300万円)に対する負担率は21%。年収300万円のフリーターでも月約5万円を税・社会保険料として支払い、実際に生活費として使えるのは月額20万円弱しかないことになります。」

「負担はサラリーマンの方がさらに重く、健保組合の保険料は9年連続の引き上げで負担増は5万円を超え、2020年にはさらに15万円増えると経団連は試算しています。」

と書いてある。

所得税・住民税よりも社会保険の負担の方が倍以上大きいのだ。
それもこれも、高齢者がどんどん増え、若者が減っているのに、2000年代に入ってからもこの年金制度を変えていないからだ。

さらに、国民年金はこの10年間に17%も上がったとのこと。
それを是正するために消費税を上げようとすると、みんな反対する。
消費税の2%など社会保障負担に比べたら安いものなのに。
政治家がそういう事実を話して、そのうえで消費税を上げようと言えば、結果は違うだろう。

この事実を高齢者は知らないのだろう。
ぼんやりとは知っていても、自分が払ってきたから、もらうのは当たり前だと思っているのかもしれない。
それはもう、当たり前と言えるレベルではないと思う。
今までの人たちがもらっていたという年金は、高度成長の時代の遺物であり、高齢者が増えたら貰えるお金は減らさないとシステム自体がおかしくなる。
それをもっと多くの人たちは知らないといけない。
この状態なら、若い人たちは使えるお金もなく、希望もないから結婚もできないし、子どもも作らない。

高齢者にとっては耳が痛い話だが、それをもっと議論しないといけない。
いつまでこんなことを続けるのだろうか。

これを何とかするのは、政治の責任だと思う。


| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校はブラックか?
ぼくは学校はいわゆる「ブラック企業」ではないと思っている。

ブラックな職場は、上からのしめつけがあり、そうしないといけないように仕向けられる。
でも学校はそういうものではないと思う。
学校には会社でいうような上下関係はないと言っていい。
教員をやっている同級生の結婚式に出た後輩が、その職場の雰囲気に驚いていたくらいだ。
年が違っても、「同僚」なのだ。

中沢良平という人が小学校教員をやっていて、今は辞めている。
その人が自分の体験でブログを書いているが、ぼくはこれがだいたいの正しい考え方だと思う。

長くなるが、引用すると、

「東洋経済の特集「学校が壊れる」の記事は教員に好意的でありがたかったが、あまり共感をしなかった。「過労死ライン」を超えているのは決して教員だけではないし、業務量が多いのも教員だけではないからだ。むしろ給与は悪くないし、仕事がなくなる心配もないし、同業他社との熾烈な価格競争もないし、50代になっても役職定年のように干される心配も、ない。

つまり、学校のブラック化は「ぜいたくな悩み」なのである。

だいたいは現場でコントロールできることなのである。

職場の状況を変える気もなければ、転職できるような職能を形成してこなかったツケなのだ。一般の企業に入れなかった不適格な人物が、選考の手ちがいで、新卒時に教職に就く。10年が経つ。ぜんぜん向いていませんでした。ほかに行くところがない。ここに残るしかない。ふつうの仕事なら10年もやれば多少不向きでも一人前になるだろう。しかし、教職は向いている人は一年目から実力を発揮するし、向かない人は50代になっても一向に進歩がないのである(これは生まれもった資質の問題ではあるが、教員の教育体制の不備もかなり大きい)。しかも居心地がいい。より長くいるだけでなぜか評価される。

これは教員自身のキャリア形成の失敗である。子供の時分から学校しか知らない。挫折を知らない。変革を知らない。

このような人たちが集まれば、それはムラ的なブラック企業になってしまうだろう。部活動などに力を入れている声が大きい人の意見がマジョリティになってしまう。学級崩壊を2年も続けて担任を外されるような学級経営能力がないのに声だけが大きい年配者がのさばってしまうのだ。そんな人間がいちいち小さなミスをあげつらって若手を委縮させ、業務を滞らせ、仕事量を増大させるのである。」

実際に先生をやっていた人が言うのだから、真実味がある。
個別のケースはいろいろあるだろうが、ぼくは学校に「先生」しかいないのが問題だろうと思う。
もちろん先生自身の教育システムができていない(なんでやねん)ことも、問題だとは思うが…。

ぼくは、まともな民間企業出身者を、事務で学校に入れて変革をすべきだと思う。
生徒を教えることと、キャリアを形成することや組織を運営することは全く違う。
そこが文科省にも、先生にもわかっていない。

先生に任せている限り、何も変わらないだろう。



| | 考えたこと | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
風営法施行規則改正
7月に警察庁が風営法施行規則を改正した。
それによって、パチンコのギャンブル性が2/3に下がったらしい。

何度か書いたが、ぼくがパチンコをやっていたのはまだ若い頃。
ちょうどパチンコが、電動化したころだ。
その頃は、まだまだ射幸性は低く、何時間かやって負けても数千円という程度だった。
ぼくがパチンコをやめたのは、台がデジタル化して777が出たらフィーバーで一気に儲かる、というような仕組みができたからだ。
一気に儲かるということは、一気に損をするということでもあり、出張旅費で浮いたお金で暇つぶしできなくなった。

そこからは、どんどん射幸性が上がって、一日に40万勝ったという人もいた。
40万勝てるということは、40万負けることもできるということだ。
1ヶ月の収入を超える額を、1日で負けることができるギャンブルが、普通に街の中で営業しているというのは異常なことだと思う。
そんな国は日本以外、世界中探してもないだろう。

カジノの法案でもめていたが、カジノよりもパチンコの方がよほど問題だと思う。
警察庁のOBがパチンコの業界に関わっているというのも、前から言われていたが…。
まあ、とにかく今回めでたく風営法の施行規則が改正されたということだ。

95年に1万8千店舗あったパチンコ店は今は1万店以下らしい。
今回の改正で半分位なるかもしれないとのこと。
カジノを作って、パチンコは韓国のように換金禁止にすればいいと思う。
それによって、韓国では失業率も減った。

今まで放置していたのがオカシイくらいだ。

東京オリンピックまでに、換金全廃しよう。


| | 考えたこと | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンビニの役割
朝、仕事に行く前にコンビニに寄っていくのだが、最近のコンビニはだいぶ変わってきた。
惣菜等を置くようになったし、納豆などもあったりする。
もちろん、ATMはあるし、公共料金も払えるし、送られてきた書類をもとに決済をする機能もあるし、通販の荷物も受け取れる。
設置されているFAXを使って、住民票などの行政文書も入手できる。

コンビニができたころは24時間営業で、大型店舗のすきまを埋めるような店だったが、今や公的な役割も含めたサービスが提供できる場所になった。

先日も、70歳は超えていると思われるおじいさんとおばあさんがレジに並んでいた。
どちらも、惣菜や弁当の買い物だ。
スーパーまで行くよりも、コンビニで買い物をするんだろう。

ちょっと時間が早いと、学生やサラリーマンらしき人たちが買い物をしているが、遅くなると高齢者が来る。
そのうち、年金も郵便局だけではなく、コンビニでも受け取れるようになると、もっと利用が増えるだろう。
明らかに都会では郵便局よりも店舗数は多い。
そうしようと思えば、きっと出来るはずだ。

コンビニは、都会の高齢者の買い物難民を救っている。
ちょっと値段は高いが、そういうニーズに確実に応えていっているのだ。
これから、どんな分野に進出していくのだろうか。

クロネコヤマトが通販への道を開いたように、コンビニ業界が新たな規制緩和を引き出してほしい。
福祉の領域にも、もっと競争原理を導入すべきだ。

そうしないと、未来は明るくならないぞ。

| | 考えたこと | 19:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
アップルの強み
アップルは宗教だというのが、ぼくの考え。
アップル教に入ると、アップル製品を買わないといけなくなる。
自ら進んで買わないといけない、と思うのだ。

ぼくも昔はアップル信者だった。
Windows95の頃。
アップルが調子が悪くなるちょっと前だ。
ハードを他社にライセンスして、いろんな会社がMacを作っていた。
ジョブズが復帰して、それはなくなったが…。

アップル教から足を洗ったのは、会社がWindowsだったからというのがメインの理由。
値段が高いということや互換性の問題もあった。
ちょうどアップルがどん底の時期で、ろくでもない製品ばかりだったのもある。
あの頃にアップルの株を買っておけばよかったと後悔する。
ちょうどWindows98が出て、ようやく追いついた時期でもあった。

その後ジョブズが復帰して、アップルは復活を遂げた。
どちらかというと、iPodが最初だったかと思う。
インターネットでの音楽配信が大当たりだった。

今や製造工場は持たないファブレス企業だが、部品メーカーをおさえ、出せば売れる、という状態になった。
グーグル、アマゾンやマイクロソフトと並んでアメリカのIT企業のトップだ。

ぼくも仕事の関係でiPadの一番安いやつを買ったが、あれはなかなかよくできている。
ファンが買いたくなる気持ちも、ちょっとわかった。
それでもぼくは、iPadにはグーグルのソフトを入れてグーグル仕様にしているのだが…。

そんな中、iPhone X(テン)が発表された。
予約開始は10月の27日、販売は11月3日だというが、オーストラリアではもうアップルショップに並んでいる人がいるという。
キャンプをしている状態だ。
まだ予約開始まででも1ヶ月以上ある。
その間、仕事はしなくていいんだろうか…。

昔も今も、アップルの強みは、そういうコアなファンがいることだ。
常に新製品が出れば、どんなに高くても買う。
iPhoneだけではない。
iPad、iPod、MacBook、Apple watchなど、一連の商品について、信者は買わないといられない。

欠点は、金がかかること。
その割に、壊れやすいこと。
排他性が強いので、他のものと使うのが難しいこと。

これほど強いブランドはない。
あれがなかったら、どん底の時期を乗り切れなかっただろう。

だからこそ、1ヶ月以上も店頭でキャンプする人がいるのだ。

| | 考えたこと | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
3700キロの射程
今朝はまた北朝鮮のミサイルが発射されて、ニュースはそれ一色だった。
それでも、7時半になったらBSに切り替えて朝ドラ「ひよっこ」を見てしまう。
とりあえず、無事に?日本上空を越えていたので、まあ大丈夫と思ったからだ。

今回は3700キロ離れたところに落ちたとのこと。
完全にグアム島まで届く距離になった。

北朝鮮は日本を狙っているのかというと、難しい。
素人考えでも、日本の方向にしか発射できないと思うからだ。
北に行くとロシアがあるし、南や西に行くと中国がある。

安保理で北朝鮮を擁護に回っている国だから、そちらの方向には発射できない。
今回のコースよりも南に振れると、間違ってどこかの島に落ちると大変だから、それも無理だ。
何もない公海上に落とすとなると、北海道や東北の上空を通過することになる。
それしか選択肢がない。
だから、日本を狙っているのではないと考えるか、それともいつでも日本に落とせるのだという現れだと考えるか、そこが難しい。

今回の発射を受けて、日米の要請で国連安保理の緊急会合が15日に開かれるとのことだ。
北朝鮮は14日、制裁に反発して「日本を沈め」、「アメリカを廃墟にし」、「国連を破壊する」と声明を発しているとのこと。
だから、今日本気だと示すために発射したということだ。

ゲーム理論ではこの状態を「チキンゲーム」という。
チキンゲームとは、向かい合ってクルマを走らせて正面衝突をするというゲーム?だ。
これは先に怖くなってハンドルを切ってよけたほうが負けというもの。
まさにそういう状態で北朝鮮はゲームに挑んでいると思われる。

このゲームには必勝法があって、肝は「考えないこと」。
何も考えずまっすぐ行くという戦略をとることだ。
正面衝突して死んでもいい、というやけっぱち戦略。

でも、ミサイルの発射方向を見ていると、北朝鮮も考えているように見える。
これが悩むところ。

純粋にゲーム理論のプレイヤーとして考えると、日本も害のないところにミサイルを発射して見せて、対抗するというのが、最善の策であろうと思われるが、そんなことはできない。

しかし、いくら国連安保理で制裁を話し合っても、無駄な気がする。
相手はハンドルを切る気はないようだ。

自分が生きている間に、こんなことが起こるとは思っていなかった。

そういう弱みをついて、チキンゲームをされているのかもしれない。

| | 考えたこと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 練習5回目
だんだんと第九のコーラスも佳境に入ってきた。
発声法の指導も、腑に落ちてきたように思う。

先生曰く、昭和の声楽の発声法の指導とは、現在は違うとのこと。
昔はお腹に力を入れて、という指導だったが、今は頭からお腹までをリラックスさせて「ゼロ」にするというもの。
足の指で床をつかむ、息を吸う時にお尻を意識する、横隔膜を張って吐く息で叩くイメージ、いつも肺に空気をいっぱいにして歌う、口はあくびの状態でアゴを緩める、口の中は常にドーム状で、鼻腔を意識して響かせる、頭の上で引っ張られる感じで、音程は頭の上で意識する、アゴの力を抜くと音域が広がるということ…など。
一つ一つ、できるとは言わないが、何となくわかってきたような気がする。
いつもはカラオケなどで高い声で歌うと、ノドがしんどくなるのだが、この練習の後は実際そんな感じはない。

今日の名言は、歌はため息で歌う、というもの。
息が身体から離れていく感じで歌うとよい、という。
積極的に息を吐くのではなく、自然と身体から出ていくように吐くということだろう。
歌うのではなく、おしゃべりするようにということも言っていた。
声を出そうとする邪悪な心をやめる、という表現もあった。
自然に声が出てくるのだ。
ポップスの歌い方とはまるで違うと思う。

今日の練習でややこしかったのは、595小節目からのゆっくりしたところ。
アンダンテ・マエストーソ「堂々と歩く速さ」と書いてある。
2分音符が1分間に72ビートだから、かなりゆっくりだ。
おまけに、2分の3拍子というややこしい拍子。
アプリで歌を聴いても、どう拍子をとっているのか、わからない。
まるで御詠歌という感じ。
最初は男声のユニゾンで、女声が途中から入ってきて、おまけに歌い出しが微妙にズレている。
ちゃんとパートが歌わないと成立しないところ。

練習の時、いきなり途中のメロディーから伴奏なしで始まるのはつらい。
出だしの音はもらわないと…。
みなさん、そんなに音感があるのだろうか。

また今回もテナーは一番下手だったと思う。
ぼくも含めてあまりメロディーを覚えて来ておらず、ちゃんと歌える人が極端に少ない。
おまけに、人数が一番少なく、下手さが際立つ。
何せ、パート練習で歌うとコーラスになるという状態。
オクターブ違いどころではない。
あまりのひどさに、先生もこの時間では指導はムリと諦めたというところ。
「上手です」という言葉が虚ろに響いた。
これで本当に12月にちゃんと歌えるようになるのだろうか。

コダマ先生はいい先生だと思うが、生徒がついていっていない。
もうちょっと練習しないと…。

ベテランによると、初めての人は今ごろが落ち込む時とのこと。
なるほど。
みんなまだ学習途上なのかもしれない。

来週は休みなので、ちゃんと歌詞とメロディを覚えていこうと思う。

| | 考えたこと | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
高卒採用は宝の山
高卒採用は宝の山」という本が日経から出ている。
書いたのはベンチャー企業の顧問として活躍している人。
銀行で22年働き、証券会社、小売業を経て眼鏡の会社を作り、広告会社の社長等を経験して、経営指導の仕事をしている。

成長している企業は、高卒社員を上手に使い、中には業務のほとんどを高卒社員が支えている企業もあるという。
紹介文によると「サッポロ、ライオン、西武鉄道、イーストボーイ、菓匠三全、東京鋪装工業、北日本石油、敷島製パン、ヤマト運輸など、成長企業21社の高校新卒者の採用実態、さらにそれぞれの企業で働く高卒社員に直接インタビュー、彼らの仕事に対する誇りや希望も収録しています」と書いてある。

こないだ書いた、教育困難大学の話の中で、大卒と高卒に一緒の採用試験をすると、高卒の方が成績がよく、「いったい4年間何をしているのか」という企業の声があった。
それを実績として出しているのがこの本だろう。

結局、4年間を大学で浪費した形で過ごすよりも、高校を出て働き、社会での教育を受けたほうがいい、ということの表れだと思う。
「学生時代に力を注いだこと」が「アルバイト」というような学生が、結局は高卒で働いた方がよかった、ということになることが多い。
特に、下位の文系の単科大学の多くはまさにそういうことになっている。

「成長企業には高卒社員を積極採用しているところが多く、業務のほとんどを高卒社員が支えている企業、実力次第で学歴に関係なく同様の業務を担当させている企業、若いうちから就業させることで風土になじませたいと考える企業など様々。学歴構成だけでなく、業種や人事戦略により、高卒社員の活躍する姿は多彩であることがわかったのです」

だんだんと、企業も気がついてきたということだ。

90年代から大学が増え、20年以上が経った。
それ以降にできた大学は、例外もあるが、だいたい92年以降の18歳人口減少局面からできた学校は、おしなべてシンドイ大学だと思う。
その覚悟をもって、入った学生をちゃんと教育する、という観点で入試をやり、ちゃんと教育できる学生を入れて、カリキュラムを作り指導している大学はまだいい。
2000年くらいから18歳人口がピークだった1992年(205万人)から50万人ほど減り、定員未充足の大学が増えた。
このあたりから、入試が成立しない大学が増え、私学では一般入試の入試科目が減り、推薦やAOで入る学生が増えた。
その流れのまま今に至っている。

最も苦しい大学では、入試の期間を決めて、その時期に来た学生は入試を受けられる、というようなところもある。
事実上、名前が書けたら入れるということだ。
推薦やAOでも志願者を集められず、定員はもちろん未充足。

一方で、大学教員になるルートは一向に変わらない。
大学の博士課程に行き、博士論文を書くというようなルートだ。
そこでは研究者になることが求められる。
教育の方法など、ほとんど教えない。

往々にして、いい研究者はいい教育者になるのは事実だと思う。
しかし、下位の大学に行く教員は、残念ながらいい研究者ではない。
学会での論文実績など、ほとんどない人が多い。
そういう人は上位の大学に取られてしまう。
だから、必然的に、下位の大学には研究も教育もできない教員が多くなる。

そういう状態だから、高卒採用は宝の山、ということになるんだろう。
実際、高校を出て就職の道を選ぶ若者はしっかりしているんだろう。
だからこそ、誇りと希望を持って働いているのだと思う。

文科省の高等教育局は読むべきだ。

| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIで生産性2倍!
こういう風に人工知能を使うのか、という事例が出てきた。
キューピーの工場で、食品製造ラインの不良品検知の効率が人工知能の活用で上がったらしい。

Googleが「TensorFlow」という人工知能の学習をするためのツールを公開している。
日経に載っていた。
それを使って、不良品を見つけるという仕事を機械学習したとのこと。

対象はダイスポテトという、サイコロ状に切られたジャガイモ。
それをカメラで見て、不良品を取り除くという仕事だ。
従来は人間が目で見て、異物や不良を見つけて取り除いていた。
それを、まず機械で大まかにやって、あとは人間が見て不良を取り除くとのこと。
これで生産性が2倍、ということだ。

そのために、1万8千枚の画像を学習させた。
良品のデーターを1万8千枚。それによって、どんな形ならOKかを学習する。
学習できたAIを使って、不良品を取り除くということだ。
なるほど、こういう風に使うのか。

グーグルがネコの顔を識別できるようになった、ということには、こういう意味だ。
何か対象になるものの画像を学習させることで、それを認識できるようになる。
その判断で何かができるようになる、ということ。

何といっても、人間と違って疲れないから強い。
こういう仕事ができるようになると、今まで目で検査をしないといけなかった工程で機械化ができる。
もちろんこれによって、目の代わりになるセンサーも必要になる。
これは、デジカメ等で大幅に進んだ。

検査業務などは自動化から取り残されている分野。
最終チェックは人間がやるにしても、事前のチェックを目のついたAIがやる。

こういうのは、進むだろうなあ。

また工場から人が減る…。

| | 考えたこと | 20:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
科学の衰退
9月に入って、日本学術会議臨床医学委員会というところが、「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題」という報告書を出した。

ぼくは要旨だけしか読んでいないが、子どもの放射線被ばくと健康への影響については、最初に国連科学委員会という団体の発表を引用している。
そこでは、「将来のがん統計に おいて事故による放射線被ばくに起因し得る有意な変化がみられるとは予測されない、 また先天性異常や遺伝性影響はみられない」という見解。
また、甲状腺がんについては、「最も高い被ばくを受けたと推定される子どもの集団については理論上 そのリスクが増加する可能性があるが、チェルノブイリ事故後のような放射線誘発甲状 腺がん発生の可能性を考慮しなくともよい」という指摘とのこと。
要は、放射線の影響は大きくないということだ。

報告書の冒頭が引用という、まことに格好の悪いことだが、ではこの報告書の結論はどうかというと、それは甚だわかりにくい。
結局は、いろんな要因があり、まだ考え方が確立していなかったり、冒頭の国際機関の発表とは異なる意見もあるから、共通認識に至っていないということらしい。
締めくくりには、全ての関係者を入れた協議の場が必要だ、と書いてある。

事故から6年もたって、まだ共通認識に至らないというのは、困ったものだ。
実際、ネット上で検索すると、福島の子どもの甲状腺がんは異常に多く発生している、という事を言っている記事の方が多い。
国際機関や学術会議とは180度違う意見だ。

どうも、今まで小児甲状腺がんを大規模に調べた調査結果がなく、福島の結果はそれを調べたから出ただけであって、「異常に」多いとは言えないということらしい。
さらに、甲状腺がんは進行が遅いということもあって、「過剰診断」や「知らない権利への配慮」に関して医療倫理面からの議論を深めるべき、という意見も書かれている。
実際、甲状腺がんは亡くなってからの解剖で見つかることも多く、他のガンとは比較できない部分もあるとのこと。

ぼくはよくわからないが、この問題については、ちゃんと科学的に解決して今後の放射能事故の事例にするべきだと思う。
人間の体のこととはいえ、検査結果を統計的に処理すれば話はできるはず。
福島ではないところで検査をやって、そことの比較で話をすればよい。

今までもそういう事はやってきているのだが、福島での放射能を問題視している人たちはそれに納得していない。
それなら、どういう調査をすればいいのか、話し合おう、というようなことがこの報告書の主旨であるように思える。
話し合う気がないのだろうか…。

いつまでも結論が出ないと、不毛な論争が永遠に続くだけだ。

早く不毛な議論に終止符を打ってほしい。​​

| | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ソニー銀行
ソニー銀行に口座開設を申し込んでいたら、郵便が来た。
本人確認郵便というやつで、本人の証明書を出さないと受け取れない。

郵便局に取りに行ってみると、キャッシュカードだった。
口座と言っても通帳もないから、カードだけが頼りということか。
手続きは簡単だった。
口座番号はカードに書いてある。

何といっても、実店舗がなく、通帳などのアナログな書類がないから、運営コストが安い。
コンビニのATMが使えるから、現金の扱いもできるようになったのが大きい。
こういう風に、ネットの力で既存の銀行は苦しくなっていくんだろう。
インターネットは暴力的に仕組みを変えていく。
これまでは店舗や人、設備などを持っていることが強みだったが、それが全部デジタルで置き換わる。
今まで持っていることが強みだったが、それが弱みに変わる。
余分なコストになるからだ。

でも、リスクはある。
ネットが使えなくなったら、保証するものは何もない。
ソニー銀行が保管している記録しかないだろう。
そのリスクを取って、安価なサービスを利用するか、それとも安全を取って、今までの銀行を利用するか、ということだ。

今までは安全を取っていたが、ソニー銀行も新たなサービスを出してきたから、初めてネット銀行に口座を開いた。
こないだ書いた、個人による融資、クラウドファンディングだ。

ネットでの決済等の技術が進み、ビットコインなどの電子マネーが進んでくると、伝統的な金融機関は苦しいだろう。
お金を動かしたり、使ったりするインターネットというインフラでどんどん安くなる。
国が発行しない電子マネーの普及で、それは一気に加速しそうな気がする。

国はよけいな規制などせず、自由にするべきだと思う。
流れは止められない。

アベノミクスの第三の矢は、規制緩和だったと思うが、どうなったんだろうか。

ちょっと遅かったが、ようやくネットバンクを使うことになった。

よけいな規制をしないでほしいと願う。



| | 考えたこと | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
今の地上波ドラマ
「日本のドラマがこの10年で急速につまらなくなった、本当の理由」という記事があった。
その中に、あるプロデューサーの自嘲として「今、テレビドラマなんて観るのは馬鹿だけ。話が面白いかどうかとか、どうでもいいんだ。自分の好きなタレントが出ていたら、キャーと言って喜ぶ人、そういう人だけが観ている」と書いてあった。

その原因は日本のドラマが内容を充実していいものを作ろうとしておらず、その原因は局のビジョンのなさや、キャスティングの主導権が大手のタレントの所属会社にあるということだという。

局のビジョンのなさというのは、ドラマをもっと金をかけて作って、それを全世界に売って儲けよう、という戦略が欠けているということ。
韓国を例に出して、もっと海外に売り込んでいくような努力が足りないということだ。
でも、それはテレビ局自体の問題であり、それができないのはドラマ制作者自身の努力不足と言われても仕方がないだろう。
社内でそういうプレゼンをして、だからキャスティングはこうやるというような努力をしたのかと思う。
そうやって、ワールドマーケットで通用するドラマ作りをしないといけない。
だからと言って、見る方がバカだというのはお門違いだ。

キャスティングの主導権の問題も、以前から言われている。
ジャニーズが一番顕著な例だろう。
番組作りにまで入ってきて、現場を牛耳るということらしい。
しかし、これもテレビ局が「ジャニタレを出しておけば、視聴率が取れる」という安易なやり方をした結果、事務所側が増長したのではないか。
結局それを許したのは自分たちなのだ。

たまに地上波の番組を見ても、あまりにも安い作りにびっくりする。
アポなしの食レポなど、司会とゲストのギャラがほとんどだろう。めちゃ安い番組だ。
ワイドショーはわちゃわちゃくだらないことを言っているだけだし。
こないだ書いたクイズ番組でも、マジメにやっているとは思えない。
昔のように、ちゃんとしたクイズを、もう一度視聴者参加でやればいいのだ。
お金がかかるからやらないのではなく、面倒くさいし、知恵を出さないから、できないのだと思う。

アメリカのドラマでは当たり前のようにやっている、犯罪ドラマでのコンピューターの使用もほとんどない。
製作陣にそれに関する知識がないのか、世界のトレンドを知らないのか、機材をそろえるのに金がかかるからか、いったい何なんだろうと思う。
普通にやっている現代劇のドラマでも、エキストラがほとんどいない。
こんな会社があるはずがないとか、こんな病院があるはずがない、と思ってしまうほど、人がいない。
キャスト以外は使えないのだろうか。
エキストラにそんなにお金がかかるとは思えないが…。
深夜に撮影でもしているのかと思う。たった3か月程度のドラマでもだ。

それらを棚に上げて、見る方がバカだというのか。
金があればいいものが作れるのは事実。
しかし、今の日本の地上波は金があってもいいものは作れないだろうと思う。
志が低いのだ。

まだまだ地上波は悪くなる。


| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハリケーンの被害報道
今朝のBSワールドニュースでは、いろんな国がカリブ海の「アンティグアバーブーダ」という小さな島国の事をやっていた。
ハリケーンで壊滅状態になったということだ。
実際に映像が写っていたが、ほとんどの建物がまともな姿ではなかった。

これから上陸が予想されるフロリダでは、建設中のビルの上のクレーンが落ちるのではないかなど、心配している。
非常事態宣言が出ているとのこと。
放送は同時通訳が話の内容を訳して流している。

温暖化に伴って海水の気温が上がり、発生する低気圧の威力が上がっている。
それは日本も同じだが、カリブ海とは緯度が違うのでまだマシなんだろう。
しかし、今回のハリケーンはすごい威力だ。

BSのワールドニュースを見ていると、世界ではいろんなことが起こっていることがわかる。
各国のニュースのヘッドラインを順々に放送するのがこの番組。
8時台はイギリス、韓国、スペイン、アメリカ、フランスのニュースが流れる。
時間帯によって、放送する国が変わる。

その時間、地上波のNHKでやっているのは「朝イチ」という番組。
まるで民放かという番組だ。
とにかくわちゃわちゃ言う。
あんなものに時間を使うくらいなら、世界のニュースを流せばいいと思う。

ガラパゴス何とか、という言葉が流行っているが、これは日本独自のもの、という意味だ。
世界標準から離れて、日本独自でやっているもの、ということ。
「ガラケー」はガラパゴス携帯という意味で、日本が独自に作ったものがいろいろ入っていて、世界標準の安いものとは競争できなくて、減っている。

ガラパゴス化する原因の一つは、マスコミにもあると思う。
午前、午後、夕方とワイドショーというのを流している。
今は「情報番組」というらしい。
その「情報」とやらを、安いタレントたちがコメンテーターと称して、井戸端会議風にわちゃわちゃ話す。
それだけの番組だ。
こないだネットで「暴れん坊将軍」の再放送をやったら、それがワイドショーよりも見られたという記事があった。
今の情報番組は、その程度の価値なんだと思う。

その情報がガラパゴス化している。
国内のもので、政治、経済、社会、芸能、スポーツなど何でもあり。
1次情報ではなく他のメディアで報道したものを素材にするから、取材費もいらない。
これぞ、時間のムダという感じの番組だ。

わちゃわちゃ言わずに、その国でやっているニュースを流せばいいのだ。
それこそが情報だ。
こんなことをしていたら、世界から取り残される。
それでいいんだろうか。

BSワールドニュースのような番組を、地上波でもやるべきだと思う。


| | 考えたこと | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
一万人の第九 練習4回目
今週で4回目の練習。

発声練習からスタート。やっぱりコダマ先生の方がいい。
いつも通り、足の指で床をつかみ、骨盤の上に頭蓋骨を載せ、肺にいっぱい空気を入れ、口の中にたこ焼きをいれた感じで、あくびをした状態で声を出す。
鼻を意識して、鼻腔を響かせるようにする。

独特の表現で歌う姿勢をレクチャーしてくれる。
それを意識していると、そういう声を出せるが、実際にメロディーがついて、歌詞まで歌うとなるとなかなかそんなことはできない。

もう出せないという音域に入ると、喉で声を出すのではなく、身体に出してもらえとの指示。
人間は昔大きな声を出す方法を知っていたが、現代人は忘れてしまったとのこと。
たしかに、先生が声を出すとムチャクチャ大きい。
4パート、300人の声よりも大きい感じだ。

基本的にポップスの世界は、電気の力を使って声を大きくする。
それが現代音楽だ。

クラシックはそれがなかった時代の音楽。
それが声楽の技術を生んだんだろう。
先生は、歌は母音でできているという。
子音は先取りして発声し、基本的には母音で歌うということだ。
だから声楽では歌は母音でできている。

でも、マイクを使うと必然的に歌い方は変わる。
声を電気で大きくできるから、ささやくように歌ったり、シャウトしたり、いろんなことができる。
クラシックの時代から、現代になって歌が変わったのだと思う。
それはクラシックの声楽とは別のものだ。
それが実感を持ってわかった。

あれだけ大きな声を出して、喉を痛めない。
大した技術だ。

それにしても、記憶力が悪くなった。
高校生の時に音楽をとっていたが、あの頃はメロディーや歌詞はすぐ覚えられたと思う。
今は、メロディーも歌詞もなかなか覚えられない。

暗譜しないと指揮者の方を見て歌えないし、ぼちぼちそうしないといけない雰囲気になってきた。
練習の前日と当日だけ頑張るのは限界かもしれない。

ということで来週に備えよう。


| | 考えたこと | 14:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
認知症とロボット
認知症がなかなか対策出来ないのは、本人も知らない間に病状がゆっくり進むことが原因だと言われている。
完全に認知症になってからの状態は、ある程度解明されているが、なり始めの部分がわからない。
本人も気づかないし、周りも気づかないからだ。
何がきっかけで認知症になるのか、そこがはっきりしていないんだろう。
しかし、コミュニケーションロボットでそれが分かるかもしれないという。

ぼくは、年をとって家族が独立し、仕事を辞めてだんだんと社会との付き合いも薄れ、コミュニケーションの量が減ることそのものが、認知症にはよくないんだと思う。
年をとっても、何らかの社会活動をしている人や、会社の経営者などは元気だ(元気な人しか続けられないということもあるが)。
ペットを飼うのも、話し相手ができたり、運動をするきっかけになったりするので効果があるんだと思う。

コミュニケーションロボットは、その状態を把握することができる。
技術が進んで、ロボットが顔を見分けられるようになり、今までどんな会話をしたか記録できるようになった。
毎日、ロボットの方から誰かを認識して、声をかけることができる。
その反応を記録することもできる。
そこから、認知症の兆候を見つけることもできるようになるだろう。

急速に高齢化が進む日本。
高齢者のサンプルにはこと欠かない。
世界に先駆けて、認知症の対策ができれば、人類への貢献にもなる。

ぼくは、これは医学のテーマではあるけれど、社会学のテーマでもあると思う。
人間の社会的側面がなくなっていくと、認知症になる、という仮説だ。
卵が先か、ニワトリが先か、という議論ではあるが…。

そういう研究をしてくれないかなあ。

| | 考えたこと | 01:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
原爆と水爆
ぼくらの小学校の頃は冷戦の真っ只中で、少年マガジンにも特集で「日本に水爆が落ちたら」というようなものも載っていた。
今でも覚えているのは、日本には水爆が5発落ちれば壊滅状態という解説。
北海道と東京、仙台、名古屋、大阪、福岡あたりに円が書いてあって、その5つの円で日本列島がほとんど隠れる、というような絵だ。
その時から、水爆は原爆の比ではないという意識が刷り込まれた。

水爆を作るためには、原爆が完成しないといけない、と書いてある。
水素(重水素や三重水素)を核融合するときに発生するエネルギーが爆弾になる。
その核融合を起こすためには、原爆で発生する熱と中性子などが必要、ということだ。
1960年代に米ソが開発した。
子供心に、スゴイ爆弾だと思ったものだ。

それから50年ほど経って、北朝鮮が水爆実験に成功したらしい。
どんな技術が要るのか、詳しくは知らないが、原爆ができれば水爆もできるというものなのかもしれない。

人類の歴史は戦いの歴史という人もいるが、本当にそうだと思う。
この70年、日本は平和だったが、世界のどこかで紛争はずっと続いている。
民族や宗教がそのもとになることが多いから、ヨーロッパが政教分離をした。
近代的な国民の概念も作った。
しかし、それらがどんどん綻んできたように思える。

第二次大戦後70年。
対戦の記憶を持つ人が世界的に減ってきて、人類はまた新たな戦争のフェーズに入ったのだろうか。

核という自らを滅ぼしかねない兵器を手に入れて、人類は否応なく全面戦争を回避するしかなくなった。
超大国同士の争いは見かけ上はない。
でも、だんだんと核保有国は増えている。

なんだかきな臭い時代になってきた。

平和がいい、というのは全員が思っているのだろう。

ただ、どんな平和がいいのか、というところが違う。

国家というのは難しい。

| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
クロスワードパズル
ぼくはクロスワードパズルが好きだ。
新聞の日曜版や、たまにダイレクトメールに載っているものがあれば、やる。
数独と並んで、楽しみの一つ。
脳梗塞をやってから、経験者に勧められて始めた。

その人はぼくよりもだいぶひどかったようで、漢字が読めなくなったらしい。
ドリルをやって、回復したとのこと。
脳梗塞の怖いところは、どこがやられたかわからないことだ。
ぼくの場合は軽かったが、でも言葉が出ないとかいろいろあった。
その時から、パズルのお世話になっている。
もともと、クロスワードパズルは好きだったのだが…。

海外の映画やドラマを見ていると、クロスワードパズルは知的な遊びになっている。
今のコンピューターの元を作ったアラン・チューリングが、暗号解読のメンバーを決めるためにやったテストはクロスワードパズルだったし、探偵ものなどで出てくる人がクロスワードの愛好家であることも多い。

意外と歴史は浅く、Wikipediaによると「1913年12月21日、「ニューヨークワールド」紙にイギリス生まれの記者アーサー・ウィンが制作した物が掲載されたのが最初と言われる」とある。
まだ生まれて100年ちょっとということだ。

最近日経の日曜版のNikkei Styleという紙面に、クロスワードパズルが出ている。
これが、ものすごく難しく、今まで1回しか全部解けたことがない。
パソコンで縦横のカギを調べれば、答えは出るのだが、そんなことはしない。
潔く、諦める。

とにかく、いろんな分野のことを知っていないとできない。
日経を取っている人は、一度やってみてほしい。
あれは最近ちょっと難易度を下げたが、それでも難しい。

それでも、どんどん記憶がなくなっていく。
知っていたはずなのに、出てこないものもある。

年のせいにしてはいけないのだが、年のせいだろうと思う。
いつまで楽しめるのだろうか。

| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
クラウドファンディング
今日ソニー銀行のネットの宣伝を見ていたら、投資型クラウドファンディングという言葉があった。
以前から、クラウドファンディングについては、実際に作りたい製品をネット上で見せて、その出資者を募るという形でやっているものもあり、興味があった。
何より、そこに銀行が絡むというのは、銀行本来の機能である融資を、個人レベルでできるのかなと思って見てみた。

ソニー銀行はリアルな店舗も通帳もない、ネットバンクだ。
従来の銀行業務を大幅に省力化して手数料等を安くしている。
調べてみると、手数料関係は確かに安い。

・ATM出金手数料が月4回まで条件なしで0円
・他行宛振込手数料が月1〜11回まで無料
・おまかせ入金サービスで他の銀行から手数料無料で資金移動できる

どうやってお金をおろすのか?というと、以下のところでATMが利用できる。

セブン銀行、イオン銀行、イーネット銀行、ローソン、ゆうちょ銀行、三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行。
セブン銀行とイオン銀行なら、何度おろしても手数料は無料になる!

それ以外の銀行でも、月に4回まで無料でおろせるとのこと。
海外でお金を使うことが多いなら、VISAデビットカードのSony Bank WALLETを作ると、外貨口座を作っておけば手数料無料でいくらでも現地で使えるらしい。
おまかせ入金サービスというのは、毎月決まった額を指定して他行からソニー銀行に振り込むのなら、手数料無料になる、という仕組み。
給与口座からいくらか毎月貯金したいという場合など便利だ。

それに加えて、今回の投資型クラウドファンディングができるということになる。
これは、ソニー銀行でお金を集めて何かを始めたいという人が申し込んで、資金を募るというもの。
要するに銀行から融資を受けたいが、なかなかできないので、事業計画をソニー銀行に公開して預金者から投資をしてもらおう、ということだ。
ソニー銀行に貯金している人は、そのサービスを利用することができる。
Sony Bank GATEという名称。ここのWebサイトで挑戦企業の新規事業内容や経営者の思い、成立後のプロジェクトの進捗状況などが開示されるらしい。

さっそく見てみたが、株式会社リンクジャパンというところが一口5万円で募集している。
家電をスマホでコントロールできる製品の計画が載っていた。
このアイデアはいいと思えば、出資するということになる。
もちろん、5万円以上貯金していないといけないだろうが…。

こういう仕組みはいいと思う。
今の銀行はリスクをとった融資ができない。
本来の銀行の業務ができていないのだ。
だから、それを個人レベルでやろう、というのがこの仕組み。

これはいいと思う。
ソニー銀行のSony Bank GATE。
これぞネット時代の銀行だ。

口座を作ろう。

| | 考えたこと | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本人口の歴史
日本の人口の推移をグラフでみるとスゴイことになっている。
西暦1600年、関ヶ原の合戦の年の推定人口が1227万人。この日本に今の1/10しか人が住んでいなかった。
1872年、明治5年が3481万人。江戸時代に2000万人ほど増えた。
稲作が進歩し、耕作地も増えて、食料がそれだけ増えたということか。
それが2010年には1億2008万人になった。
150年ほどで人口が3倍以上だ。これはすごい。
国内で作る食料以上に食料が輸入できるようになり、戦争をするために子供を増やすという国策もあった。
人の数は力だから、この時期に日本は戦争もできたし、経済発展もできた、ということだ。
高度成長は人口だけの力ではないと思うが、少なくとも人口が増えないとできなかったのだと思う。

それがぼちぼちピークを迎え、現状のフェーズに入る。
その先は高齢化社会だ(今もそうだが)。
生産年齢人口(15歳から65歳)は1995年がピークだったとのこと。
そこから今も減り続けている。

何と2060年に一番多いのは、86歳だという。
ほんまかいな。
今から43年後だから、ウチの子どもらが70歳前後だ。
その頃は、70歳まで働かないといけない時代になっているだろう。
そうしないと、生産が追いつかないだろうし、年金も終わっている。
生まれてくる赤ちゃんは20万人ちょっとだが、86歳の女性が70万人もいることになる。
あまり見たくない未来だ。

そうならないためには、少子化対策をしないといけない。
税制や社会保障を変え、移民を入れることも検討しないといけないだろう。

その頃の86歳は今より元気なんだろうか…。
さすがに、86歳だから、元気といっても限度がある。
やっぱり、今の制度を抜本的に変えないと、無理だろうと思う。

このままの状況が続くと、西暦3000年〜3500年には、最後の日本人がいなくなるらしい。

ぼくらも含め、団塊の世代の人たちは、頑張ってまだまだ働いてもらわないといけない。
高度成長の時代に制度設計したシステムを、変えないといけない。
それこそが、一番の政治の問題だと思う。

80年代までは、戦争で苦労した人たちに手厚く年金をふるまっても、十分働き手がいたのだ。
でも、今はもらう人が多く、社会保障のお金は2000兆円ほどの将来世代の借金になっている。
こんな国は他にない。

みんな早く気がついて、何とかしないといけないぞ。
そうしないと、長生きすればするほど、若い人たちに恨まれる。

そうならないために、今何とかしないと。


| | 考えたこと | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
一万人の第九 練習3回目
今回の練習はいつもの講師がドイツに行っていて、大阪の森ノ宮教室をやっている女性の講師がピンチヒッターだった。
先週、次回の講師は体育会系で…と言っていたので、どんなんかなと思っていたら、普通の講師。

今までの講師は、首の後ろから声を出す感じで…と言っていたが、今回の講師は声を前に出さないと聞こえない、ということだった。
いつもの先生よりもちょっといい意味でフレンドリー、悪く言うと馴れ馴れしい感じ。
さすが、大阪の教室で鍛えられている。

しかし、前回の話とは違って、今まで全くやっていなかったところの練習が始まったのにはびっくりした。
Mというパートで、歌詞の大部分は最初のパートの繰り返しだから楽だったが、それでもみんなちゃんと歌うのにビックリ。
ソプラノ、アルトの女性陣は歌いなれている感じだったが、コーラス部出身者が多いんだろうか。
テナー、バスの男性陣はさすがに練習不足感が溢れていた。

両パートとも、パート練習で音程が2つ聞こえる。
他のパートを歌っている人がいたり、オクターブ違いで歌っている人がいた。
男性陣は人数も少ないので、ばれやすい。
どちらも、オクターブで音が飛ぶところは音程が取りにくい。
100%の声で歌っていると、音程のコントロールが難しくなる。
だから、楽に歌わないとダメなのかと思った。

やはり大阪と違って、西宮教室は声の出し方が上品や、とピンチヒッターの講師は言っていた。
そういうハナシになって笑いが取れる。
関西では定番のギャグだ。

今までの練習を見ていると、テナーのパートが一番下手だと思うのだが、あまり厳しいことも言われない。
そこで一緒に歌っているから、下手に聞こえるのかもしれないが…。
ふと、諦められているのかとも思う。

本番になったら舞い上がってハズレまくりの人もいると聞く。
この調子で12月になったら、どうなるのだろうか。

ちょっと不安になってきたが、また来週も練習がある。

とにかく、歌詞をカタカナで書いておかないと…。


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