考えたこと2

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文字
文字というのは、不思議なモノだ。

特に漢字は文字自体が意味を持っているので、じっと見ていると変な感じがする。

こんな経験ないですか?

紙に書かれた、自分の名前をじっと見ていると、「何でこれが自分の名前なんだろう…?」という気になって、それでもじっと見つづけると、単に紙の上に書かれた線の集まりが、「自分」というものを表すということに驚いてしまう。
さらに見ていると、「これは何だろう…?」という疑問に襲われる…。
どうして、これが「自分」なんだろう?と思う。

言葉も不思議なものだが、書かれた文字も同じように不思議なモノである。

書いたとたんに、それ自体が意味を持ち、書いた本人の手から離れて、そのもの自身が歩きはじめる…という不思議。

どんなに頑張っても、思いの100%を書くことは不可能だ。言葉にして、文字にしたとたん、思いのどこかが欠落する。
それでも、人間は、ほとんどの場合、そのやり方でしか思いを伝えることはできないのだが…。

今日、久しぶりに自分の名前を見ていて、そんな気持ちになった。

時々、そんな瞬間がある。

何なんだろうか。

仕事で頭を使いすぎたのか…。



| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
オルガン教室
以前、ちょっと書いたが、小学校1年の時に、近所のヤマハオルガン教室に行かされた。
きっと、ウチの母はピアノが弾けるとよい、と思ったんだろう。

昭和40年当時、ピアノはまだまだ普及しておらず、オルガンだった。
足でペダルを踏んで、音を鳴らす、というものだ。

どういうわけか、家にオルガンがあった。
誰が弾くわけでもないのに、オルガンがあったということは、きっと子供に弾かせたかったのだ。
実際、足踏みペダルを踏んで、ネコ踏んじゃったをよく弾いたのは覚えている。(出だしの4小節程度だが)

しかし、1回行って、どうしてもイヤだといってやめた。

親の心、子知らずである。

せっかくオルガンがあったのに…。

今になって、鍵盤楽器が弾けたらいいなあ、と思う。
残念、ちゃんと行っておけばよかった。

自分でやめたのだから、仕方がない。
失敗だったが、後悔は先に立たずである。

そのオルガンは、5歳下の弟がオルガン教室にちゃんと通ったために、全くのムダにならずに済んだ。
母の望みは弟がかなえたのだ。

たぶん、弟は今でも両手でピアノが弾けると思う。

ウチの子供は二人とも1回でやめるというようなことはなかった。
エライ。

せっかくオルガンがあったのに、1回でやめると行った子供を懐柔して行かせなかった親はえらいと思う。しかし、1回でやめた自分はなさけない。

ピアノを弾ける人を見るたびに、そのことを思う。



| | 考えたこと | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
CDのまとめ借り
最近、TSUTAYAに行くと、CDを10枚くらい一度にカゴに入れてレジに持っていっている人をよく見る。
一度にそんなに借りて、どうするのか…と思っていたが、そういう人はおそらくipodなどのデジタルプレーヤーにどんどん曲を突っこんでいるんだと思う。
とりあえず、入れておいて、後で聞こう…ということだ。

パソコンにCDを入れると、勝手にハードディスクに録音が始まり、あとでプレーヤーをつなぐと、プレーヤーに曲のデーターが転送される。
テープもCDもMDも何も要らない。
だから、ヨクナイと思えば、その音楽ファイルを削除すればいいだけだ。

こうなると、音楽は完全に「データー」になる。

CD1枚借りて300円とすると、10曲入っていたとして、1曲が30円である。
昔なら、LPレコード1枚が2000円くらいで10曲とすると、1曲が200円。何と1/6以下の値段である。

モノの品質というのは、そのモノの価格がある程度以下に下がると、低下しても問題にならない、という傾向がある。
安いモノは品質が悪くて壊れても、ユーザーはそんなに文句を言わなくなる…ということだ。

音楽も、そうなってきているのではないか…。
どんな音楽でも、作ればよい。
品質は問われないから。

もちろん、本当に売れるためには、いい曲でなければならないし、真剣に作っているだろう。

しかし、粗製濫造の音楽が出てきても、今の時代、問題にならないと思う。

作り手のレベルが下がっても、容認されるだけの状況ができてしまった。

アメリカでは、大きなレコード会社が潰れたという。
原因は、音楽のダウンロード販売らしい。
もう、アメリカでは音楽は「データー」になってしまったようだ。

たしかに、流通コストも下がるし、ジャケットの紙も、入れ物のプラスチックも要らないので、安くできるのはもっともだが…。

古い時代の人間になってしまったのか…音楽が「データー」になることには、どうにもイヤな感じが残る。

ほんとにこんな状態になって、いい音楽が出てくるのだろうか。


| | 考えたこと | 23:50 | comments(4) | trackbacks(0) |
水金地火木
惑星の数が減ったということで、ニュースでいろいろやっていた。

中に海外の反応という話題もあり、英語での惑星の覚え方を紹介していた。
日本では「水金地火木土天海冥」と、惑星の頭一文字をとって、つなげている。
英語は、各惑星のあたま一文字を取って、文章にするらしい。

My Very Elegant Mother Just Served Us New Pickles.
(My Very Elegant Mother Just Served Us Nine Pizzas.)

惑星の名前は…

My 水星 Mercury
Very 金星 Venus
Elegant 地球 Earth
Mother 火星 Mars
Just 木星 Jupiter
Served 土星 Saturn
Us 天王星 Uranus
New 海王星 Neptune
Pickles 冥王星 Pluto

なかなか面白い。
こんな暗記用の文章がたくさんあるんだろう。

それにしても、ニュースでは冥王星が惑星でなくなった…ということをしきりに言っていて、まるで冥王星が無くなったみたいだった。
今回は、惑星というものの定義をハッキリして、その定義に基づいて太陽系の惑星を再定義したということなのだが…。
たしかに、月より小さいということなら、惑星とは言いにくいような気もする。
地球の暦で言うと、250年もかけて太陽のまわりを一週するのだ。

この、冥王星の調査の計画があるとのこと。
探査機は既に地球を出発しており、10年かけて冥王星に到達する予定。
10年後なら、順調にいけば生きている時間なので、楽しみだ。
この探査機には、冥王星の発見者(クライド・トンボーさん)の遺灰が積まれているとのこと。
そこには、この計画の主席研究員がこう書いている。

"Interned herein are remains of American Clyde W. Tombaugh, discoverer of Pluto and the solar system's "third zone." Adelle and Muron's boy, Patricia's husband, Annette and Alden's father, astronomer, teacher, punster, and friend: Clyde W. Tombaugh (1906-1997). "

ふ〜ん、NASAも粋なはからいをするものだ。
合理性の追求(名目とはいえ)がアメリカという国の国是だと思うが、こういうところはエライ。日本の官僚なら無理だろう。

ケッサクだったのが、占星術の人のコメント。

「無くなっても、余韻が残っていますから、すぐには運勢は変わらない…。」

さすがに、アナウンサーも反応に困って、「余韻ときましたか…」と突っこんでいた。

別に星が無くなるわけではないのだから、それを惑星と呼ぼうが矮小惑星と呼ぼうが、占星術は変わらないような気がするのだが…(実際、そういうコメントしていた占い師もいた)。

国際天文学会の人たちは、ふだんこれほどニュースになることがないからだろうか、何となくうれしそうだった。
採決にのぞむ前日に、「エキサイティングだ」と言っている人がいた。
天文学をやっているような人たちは、そんな浮き世の注目など、無関心なのかと思っていたが、そうでもない。

それにしても、ふだん話題になることがない冥王星が数日間でも話題になったというのは、いいことだと思う。


| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ものには終わりがある
何でも、これで最後というものがある。

さくらの季節になると、さくらの花を見られるが、いつかは見られなくなる。
100回もさくらを見られる人は、ほとんどいない。
そういう「最後」だ。

最後の晩餐、というのもあるし、定年になると、最後の出勤日というのもある。
卒業式が最後の登校日になるし、その日を最後に一生会わない人もいる。

もしも、自分の最後の日がわかれば、最後のXXをいろいろと済ますことができるだろう。

最後のご飯はお茶漬けにしようとか、最後に読む本はこれにしようとか、最後にこのレコードを聴いておこうとか…。

しかし、最後の日がわかったらわかったで、ややこしいことも出てくるだろう。
最後のXXを考えるより、これだけは最後にやっておきたい…というようなことも出てくる。
最後にここに行っておきたいとか、最後にこの人に会っておきたいとか…。

もし、最後の日がわかったら、それから逆算して、何もやる気がなくなったり、逆にムチャをしたりするということもある。

なるほど。

やっぱり、最後の日はわからない方がいいのだろう。

しかし、できれば、最後の時には、「あ、しもた。あれ忘れとったがな…」というようなことが無いようにしたい。

ということは、毎日最後だと思って、心残りがないように…ということになる。

これが、一期一会というヤツか。

最後のXX、何が一番気にかかるか、考えておかないといけない。(考えておく、ということが既に手遅れか)

もし、最後のご飯はお茶漬けが…ということになったら、いざというときに備えて、毎日お茶漬けを食べるのか?
それもオカシイ。

う〜ん、結局は何か積み残す荷物が出てくるんだろうし、もしも最後のXXがお茶漬け程度のことだったら、それは幸せなことだと思わないといけないということか。

ま、とにかく、ものには終わりがある、ということだけ心の中に置いておくことが大事ということにしておこう。

考え始めると、ややこしい。



| | 考えたこと | 01:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動販売機
自動販売機で何か買って、お釣りが出てきたら、必ずお釣りを先に取る…ということに今日気づいた。

たぶん、いつもそうしていると思う。

200円入れて150円のものを買っても、1000円入れて150円のものを買っても、お釣りが先だ。
金額の問題ではない。

乗車券、たばこ、ジュースなど…自動販売機で買うものはそんなものか。
どれでも同じだ。

乗車券など、お釣りが出てくるところと、モノが出てくるところはほぼ同じ位置であるが、お釣りが先だ。だから、位置の問題でもないような気がする。

何気なくしているそんな行動に、理由があるのだろうか…。

しかし、あれこれ考えていたら、一つ思い当たった。

お釣りを先に取らないと、手がふさがって、お釣りを財布に入れにくいのだ。
だから、お釣りが先なのではないか…。

下らないことだが、明日から意識してみようと思う。

答えがわかるか…。




| | 考えたこと | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
リンゴ飴
小学校の5年くらいの時だったか、神戸駅の近所に住んでいた従姉に連れられて湊川神社の縁日に行った。
それまで、家の近所の小さい神社の縁日しか知らず、華やかさに驚いたことを覚えている。

従姉が、リンゴ飴、リンゴ飴というので、何のことかな…と思っていたら、本物のリンゴに飴をかけたものが並んでいるではないか!
その時初めてリンゴ飴というものをみた。
最近は、姫リンゴとか、イチゴとか、ミカンとか、巨峰とか、色々な種類があるが、当時はリンゴ飴一色だった。

わりばしを刺してある、赤いリンゴ飴を買った。
生まれて初めて、リンゴ飴を食べた。

新鮮な感動だった。
誰しも、生まれて初めて食べて感激した食べものというものがあるだろうが、僕にとってはこの時のリンゴ飴はその一つだった。

飴の甘さとリンゴの酸っぱさがうまく合わさって、すごくおいしかった。

リンゴ飴はなぜかお祭りの縁日などでしか売っていない。
なぜだろう…。
作りおきができないのか…。

それ以来、縁日というとリンゴ飴を探す。
売っていたら、買わないといけない。

飴が厚いものはダメだ。
薄くて、パリッとしたものが良い。
本当においしいリンゴ飴にはなかなかめぐり逢えない。

今年も近所のダイエーでお祭りがあって、リンゴ飴も出ていたが、行かなかった。
子供に頼んで買おうと思えば、買えたのだが…。
去年あたりから、リンゴ飴をかじることに不安が出てきたのだ。
歯に不安がある。

こうして、だんだんあきらめるものが増えてくるのか。

少し残念だ。

やっぱり来年はリンゴ飴を買おう。


| | 考えたこと | 23:53 | comments(3) | trackbacks(0) |
歩くぞ
ここ数ヶ月、体重が増加傾向である。
どうも、夜更かし、不規則な食事、運動不足、ストレスによる食欲などが悪さをしているらしい。

肩こりもひどいし、すぐ疲れる。

以前からの持病も出てきた…。

まずは、運動をすることだ。人間はもともと動くようにできているが、あまり動かなくても生活できるようになってしまった。これが現代人の病気の元凶だと思われる。
過度の運動は良くないが、適度な運動は必要なのだ。(本当は運動は嫌いだが、仕方ないので、そう思うことにした。)

だから、運動する。運動といえば、何といってもウォーキングである。運動とは、ウォーキングに始まり、ウォーキングに終わるのだ。

去年の健康診断がボロボロだったので、ウォーキングマシンを買ってしばらく頑張って歩いたが、最近サボっていたので、再開する。

毎日30分、時速6kmで3km歩く。

たった30分である。なぜそれができなかったのか…。

一日のうち、たった1/48である。30分など、ボーッとしていたらすぐにたってしまう時間だ。それくらい、できるに決まっている。

今日、ちゃんと準備もした。何もせずに時計を見ながら歩くから、やる気にならないのだ。30分が長い。CDプレーヤーを持ってきて、古いヘッドフォンを付けて、小田和正のCDをセットした。曲は「正義は勝つ」である。これを聞きながら歩くと、テンポもいいし、すぐに時間がたつ。音楽の力は素晴らしい。

よし、これで毎日できそうだ。

小田和正に飽きたら、スターダスト・レビューや竹内まりや、山下達郎、HiFi-set、Shakatak、なんでもある。

汗をいっぱいかいても大丈夫なヘッドフォンはないのか。
水洗い可能なヤツがいい。

これ、売れると思いますよ。
何せ、人間には運動が不可欠であり、運動すると汗をかきますからね。
運動には、音楽がつきもので、日本の住宅事情では、ヘッドフォンが必要です。

話がおかしくなったが、とにかく、頑張って歩くのだ。

効果がでたら、ご報告します。


| | 考えたこと | 23:36 | comments(4) | trackbacks(0) |
JazzのCD
今日は宣伝です。

私のギターの先生がバックで演奏しているジャズボーカルのCDが出ました。

これです。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000G7P7VY

Jazz Coverというアルバムで、女性二人のボーカルです。

曲はジャズのスタンダード曲がメインです。
ライブの演奏を集めたもので、今どきめずらしい、しっとりしたアルバムでした。

サマータイムや枯葉などの名曲、More〜Fly me to the moon〜Moon Riverのメドレーなど、夜に一人で聞くにはいい感じです。

個人的には、6曲目に入っている、 Do You Wanna Dance? がすごく良かったです。

月の光の下で、ダンスを踊りましょう…という曲で、むかしビーチボーイズが派手にやっているのは聞いたことがありましたが、この曲をゆっくりやると、すごくいいなあ、と思わされました。

森田葉月&森川七月というボーカリストは初めて聞きましたが、なかなか上手です。

今日は、少し標準語になりましたが、よかったら、一度聞いてみて下さい。

それにしても、先生はうまい…。


| | 音楽 | 02:12 | comments(2) | trackbacks(0) |
蓄熱器
二酸化炭素の温暖化効果が進んできたのか、冷房の排出熱による温室効果なのか、アスファルト舗装のせいなのか、緑が減ったからなのか、何だかわからないが、外が暑すぎる。

とにかく暑いのだ。

昔は夏休みは、午前中の涼しい間に勉強して…ということで、昼から外で遊ぼうということだったと思う。
事実、外で遊んでいたのだ。
帽子もかぶらず、公園で走り回っていたと思う。

しかし、この暑さなら、昼間に外で遊ぶのは危険行為になるだろう。

外で遊ぶなら、朝の6時頃からでないとダメだ。午前10時くらいになると暑くて外で遊べない。
学校の部活など、昼間は大変だろう…。

熱中症など、昔はなかった。
日射病と言ったが、ちょっと横になって頭を冷やしたら大丈夫…というようなことだったと思う。
死人が出るようなことはめったになかったと思う。この暑さで、死人が出るような状態になってしまった。

たしかに、昔は近所に緑があったし、舗装率も低かった。

それにしても、ここ30年ほどで暑くなりすぎである。
一番大きな違いは、冷房の普及だ。
一台一台のエアコンから出る廃熱…これが要因だと思うのだが。

だからといって、みんなが冷房を入れている以上、一軒だけ切ってもたかがしれているし、効果もほとんどない。
せーの、で一斉に冷房を切ったら、どうなるのだろうか。
かなりの効果が出るような気がする。

冷房は使うけど、一方でお湯は沸かすのだから、冷房の廃熱を利用してお湯を沸かすようなシステムを作り(もうあるが)、それでないと売ってはダメ、というようなことにすればどうだろうか。

技術を進めて、夏の間に蓄熱し、それを冬の暖房に使う、というようなシステムを作れたら素晴らしい。
小さいもので、熱をたくさんためることができるようなものは作れないか?
コンパクト蓄熱器である。
夏の熱を溜めて、冬に使い、ついでに冬の廃熱(これは冷たい)も溜めるのだ。
これは夢の機械である。地軸の傾きを補正する蓄熱器だ。

まちがいなく、ノーベル賞をもらえると思う。

| | 考えたこと | 16:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
気持ちはわかる
今日、近所を歩いていたら、不動産屋さんの店頭にラジカセが置いてあり、宣伝を流していた。

そのラジカセを見たら、本体に注意書きが貼ってある。

「壊れそうなので、触らないで下さい」

気持ちはわかる。
通行人が触ったら、きっと壊れるだろうから、触らないで…ということだろう。
マトモなラジカセであるのに…。

しかし、おかしな日本語である。

壊れそうなラジカセなら、宣伝用に店頭に置くのがおかしい。
ちゃんとしたラジカセが置いてあるなら、「触らないで下さい」と書いておけばよいのだ。
どうしても、理由が必要なら、「壊れますので、触らないで下さい」でいいだろう。

店頭に置いてあるものに勝手に触るのが、悪いことだという常識はなくなったのだろうか。

日本語もおかしいが、日本人もおかしいのだ。

暑さのせいだけではないと思う。


| | 考えたこと | 04:25 | comments(2) | trackbacks(0) |
人口は力
日本は少子化だという。

少子化自体は、悪いことばかりではなく、良いこともあるような気がするし、難しい。
今の子供たちが大きくなる頃には、家の値段も安くなるだろう。
人口密度が低くなるから、大きな家も手に入れやすくなるのではないだろうか。

学校を選びさえしなければ、教育も長いこと受けることができる。

ずっと護送船団で来ていた教育業界にもようやく淘汰の時代がきて、良いものが残っていくはずである。

でも、世界を見ると、人口は力である。

今注目を浴びている、中国で12億人くらい、インドで7億人くらい人がいる。
それだけで、大きな市場になるし、人手を使う事には有利になることは間違いない。

世界の人口のうち、約3割が2カ国にいるのだ。
これはすごいことだ。
日本、アメリカ、西欧を合わせても、6億くらいだったと思う。
その3倍くらいいる、ということだ。

そのうちに、中国語が世界の共通語になったり、どこに行っても中国語のサインボードがあるような事になるかもしれない。

そんなに遠い将来の事ではないような気がする。

やっぱり、人口は力であり、多いものは強いという部分がある。

そうなっても、日本という国が存在感を持っているためには何が必要なのだろうか…。

尊敬される国でないといけないと思う。

優れたものを作る国、勤勉な国、悪いことをしない国…。
いずれも、戦後すぐの人たちが頑張って、そういう国だと思われるようになったと思う。

いつまでも、これが続くのだろうか。

もう、少し苦しいような気もする。

少なくとも、これを挽回するための策が、小学生に英語を教える、ということではないと思う。

では、代わりに何が必要のなのか…。

真剣に考えないといけないとは思うのだが、先は暗いと思う。

人口の力に勝つ…できるんだろうか?



| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
月とウサギ
久しぶりに満月をじっくり見た。

実際には、完全な満月ではなく、荒井由美のいう「14番目の月」だが…。
もうすぐ満月になる、手前の月だ。

誰がそういう風に見たのかわからないが、本当にきれいな月を見ると、月の影が、たしかにウサギが餅つきをしているように見える。

ウサギの耳のところなど、本当に「そやなあ」と思ってしまう。

杵で餅つきをしているというところは、ちょっと苦しいような気もするが、それでも、昔からそういう風に聞いてきていると、そう見えてくるから不思議だ。

それにしても、月と地球の自転周期が同じ、というのは誰も疑問に思わないのだろうか…。
疑問に思っても、実際そうなっているから仕方ないのだが、いつ見ても、月は地球に同じ面を見せている、ということだ。

いつから月が地球の周りを回っているのか知らないが、かなりの長時間だと思う。

ちょっとずつ、ずれてきたりしないのだろうか、と素人考えでは思ってしまう。
そんなにぴったり一緒というのも、何かおかしい。

人間がわからない程度に、ずれているのかもしれない。

たかだか数千年程度、同じ顔を見せているだけなのではないか。

となると、人類が長生きすると、ちょっとずつウサギの杵が見えなくなってきたりする事になる。
もちろん、国によっていろんな解釈があるはずだが…。

それはやっぱり、さびしい。

夜行性だから、月夜に活動するウサギと、月で餅つきをしているウサギはセットないと、ダメだ。

できれば、いつまでも月にウサギがいてほしいし、地球上にもウサギはいてほしいと思う。

人類は、いなくなっても、かまわないかもしれないが…。




| | 考えたこと | 00:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
夏休み
子供が夏休みに入っている。

毎年、7月の20日過ぎから、8月末までが夏休みだった。

途中、1回くらい、登校日があったと思う。
これは小学校だけだったか…。

休みに入ってすぐの頃に、ラジオ体操があった。
近所の公園(まだある)に出欠表を持って朝早く行って、ハンコをもらう、という事になっていた…と思う。
記憶が定かでないのは、ほとんど行かなかったからである。
休みはゆっくり寝るもの、というのはその頃から変わっていない。

そうこうしているうちに、高校野球が始まる。
朝からセミの声を聞きながら、何となく見てしまう。

お盆の墓参りがあって、20日をすぎた頃になると、地蔵盆である。
このころには、アブラゼミの声が、ツクツク法師に負けるようになる。
こうなると、夏休みももう終わりに近い。

小学校の低学年の頃には、絵日記の宿題とかがあって、その日の天気がわからなくなったりした。
今はインターネットがあるので、何でもすぐにわかる。便利になったものだ。

そんなにたくさん宿題があった、という記憶はない。
読書感想文は必ず書かされたかな。
課題図書というのが何冊かあって、それを読んで感想文を書いた。

吉田拓郎の「夏休み」という曲がある。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/natsuyasumi.html

シンプルな歌詞だが、この曲を聴くと夏休みの終わりの寂しさを感じる。
夏休みというと、楽しいというイメージだが、この曲は短調で、哀愁がある。
それは、この曲が大人になってから夏休みを思い出している、という曲だからだろう。

夏休みというのは、過ぎてしまえば、哀しいものなのかもしれない。



| | 考えたこと | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
スカッとさわやか
日本中で最もよく知られた宣伝のコピーの一つが「スカッとさわやか」ではないか。

コーラの宣伝である。
ただ、これも昭和50年代生まれくらいから、知らない人も増えているんだろう。
平成生まれの子供たちはあまり知らないかもしれない…。

僕らが子供の頃は、テレビをつけるとよく聞こえてきた。
何かの番組のスポンサーで流れるというよりも、番組と番組の間のスポットのCMが多かったと思う。
子ども心にも、コーラはアメリカ生まれのもの、ということはわかっていて、ハイカラな雰囲気があったものだ。

しかし、いつ頃からだろうか、コーラの宣伝が減ったのは?

まず、イオン飲料やスポーツドリンクというようなものが出てきた。
最初は、何となく白く濁った水みたいなもので、炭酸も入ってないし、「スカッとさわやか」という感じはみじんもなく、こんなものが売れるんだろうか?と思った。
しかし、宣伝の効果があってか、徐々に増えてきたと思う。

それから数年して、ペットボトルのお茶という、清涼飲料水キラーが出てきた。

出てきたときは、誰がお金を出してお茶を買うねん…と思っていたが、あれよあれよという間に自動販売機を席巻してしまった。
今や炭酸系の清涼飲料水を見つける方が、お茶を見つけるより難しいという時代になった。

カロリーが高いとか、歯が溶けるとか、健康指向が高まってきて、コーラが減ったんだろうと思う。

http://www.drink-shop.jp/drink-q&a.htmをみると、清涼飲料水の売り上げ順位が書いてあった。

コーヒーが1位でシェア約30%、2位が日本茶で約15%、3位が果汁で約13%、4位が炭酸で、約12%であり、コーラはここに入る。
5位がウーロン茶で約6%、6位がスポーツドリンクで同じく約6%…と続く。

そうか、コーヒーが1位なのか…。
僕はあまりコーヒーを飲まないので、そんな事になっているとは思わなかった。
30年前はきっとコーラが3位以内だったのではないかと思う。
それくらい「スカッとさわやか」は認知されていた。

お茶は、家で沸かして飲むものだったのだが…いまや自動販売機で買うものになってしまった。

自分自身、コーラを飲む機会は減った。カロリーが高いというのが自動販売機の前で躊躇する原因だ。
それでも、時々飲むことがある。ピザを食べるときは、コーラを飲むとか…。

やっぱり、飲むと「スカッとさわやか」だと思ってしまう。
子供の頃からすり込まれたコピーは死ぬまで消えないだろう。

身体に良いコーラというのはできないものか…。


| | 考えたこと | 21:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラインマーカー
ラインマーカー

文房具屋によく行くが、最近ラインマーカーをよく使うようになったので、ペンの売り場でみることが多い。

いつの間にか、ラインマーカーは、「蛍光ペン」という名前になっていた。

いつから蛍光ペンと呼び出したのか…。

もともと、ラインマーカーは1970年代の中盤くらいから出てきたと思う。

最初は黄色しかなかった。
そのうち、緑が出てきて、ピンクが出てきて…今は青や紫やオレンジなど、たくさんの色がある。

ラインマーカーはやはり黄色である。
これが黒インクの活字と相まって、すごくわかりやすくなるからだ。

それと、黄色で引いたものは、色がコピーに写らないというメリットがある。
オレンジや青、ピンクなどはコピーをとると写ってしまうので、もとが見えなくなるのだ。

調べてみると、ラインマーカーはドイツ生まれだった。
ドイツのスタビロという会社が作ったらしい。

引いた場所をハイライトさせるので、「ハイライター」という名前だったようだ。

あっという間に日本でも広がったということか。
特許は取ってなかったのだろうか…。

最近のものは、ペン先の細いものと太いものが付いていて、その分インクの量が少なくなっているのがほとんどだ。
しかし、細いペン先は必要なのか?実際、使ったことがない。

探してみると、通常のペン先だけで、反対側に細いペン先が付いていないタイプもあった。
これ、細いペン先を多用する人、いるんですかね。
これで字を書くわけでなし…。

インクの量を増やして、ペン先は普通のマーカーだけにする方が、便利だと思う。
ドイツ製のオリジナルはペン先は一つしかない。ムダがないのだ。

ラインマーカーは一度に出るインクの量が多く、ボールペンなどに比べてインクが減りやすいので、インクの量は増やしてほしい。

反対側のペン、使います?



| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |