考えたこと2

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今年の10大ニュース
今年も大晦日。
紅白歌合戦を見ながらこれを書いている。
アニメはあるわ、ライブ中継はあるわ、お笑いはあるわ、盛り沢山だ。
まあ、一年間、どんな歌が流行ったかを知るにはいい機会だ。

見ながら今年の10大ニュースを選んだ。

●パリ同時多発テロ
これからのことも考えると、これが一番影響が大きい出来事のような気がする。
ヨーロッパの国々とアラブの国々の歴史や宗教も絡み、現地の難民の問題もあり、大変だ。
早くアラブの平和が戻ることを祈る。

●VW排ガス不正
これはドイツ第一のメーカーだった、ということで。
これからの排ガス規制の対応が変わってくる、という重みもある。
ディーゼルはやっぱりコストをかけないと、シンドイのか。
これで電気自動車の開発が本格化するかもしれない。
しかし、プリウスショックがワーゲンをそこまで追い詰めたのかと思うと、やっぱりハイブリッドはスゴイ。

●マイナンバー開始
これでやっと所得が補足できて、いろんなものが便利になる。
所得を9割補足されていると言われているサラリーマンにとってはいいことだ。
それに、医療費の削減や役所の効率化も見込める。

●ラグビーワールドカップ3勝
イギリス人が日本をあれだけ応援してくれたというのが驚きだった。
ラグビーのぶつかり合う迫力をみると、サッカーが子供の遊びに見える。
やっぱりラグビーは格闘技だ。

●訪日客増加で爆買い
盛り場にいくと大きな紙袋を持った中国人を見た。
しまいに、うちの近所のダイエーでも英語で免税のアナウンスをやるようになった。
社会現象になった感がある爆買い。
ドラッグストアに、家電量販店に、神出鬼没。

●新国立競技場の白紙撤回
文科省という役所のいい加減さがよくわかった。
担当の役所が他のところだったら、もうちょっとまともだったはず。

●TPP合意
たくさんの国々がようやく合意したことに価値がある。
日本の農業の再生に、ぜひ役立ててほしい。

●桂米朝死去
上方落語の復興の立役者がついに亡くなった。
この人がいたから、上方落語は蘇ったと言われている。
古い噺をたくさん演じて、残してくれた。

●ノーベル生理学・物理学賞受賞
2人の学者が取った。どちらかというと、ぼくは生理学賞の大村さんの功績を評価する。
ほんとに地道な努力をして、その成果を無料で世のため、人のために使った。
見ていて、ほれぼれする。

●原油安が止まらない
産油国は消耗戦に出ている。バレル100ドルを超えていたのに、今や40ドルを切る価格。
ロシアは苦しい。ISも苦しい。
そういう政治的な意図があるのか。
これはまだ来年も続きそうだ。
日本にとってはいいことだが…。

今年もいろいろあって、大変な年だった。

読んでいただき、ありがとうございました。

| | 考えたこと | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
私的10大ニュース
今年はぼくの人生ではいろいろあった年だった。

ぼくの私的10大ニュースを選んでみる。

●車を買い換えた
一生にそんなに買い換えられない車を買い換えた。初めてハイブリッド車に乗った。
生涯で8台目の車。中古の軽から始まって、38年でここまで来た。

●資格を取った
CDA(キャリア・ディヴェロップメント・アドバイザー)の資格を取った。
去年の5月から毎週土曜日10回の講習を受け、10月に1次試験、12月に2次試験。
2次試験で落ちて、もう1回4月に2次試験を受けた。
自分の記憶力、柔軟性など、ずいぶん落ちていることを思い知らされた。
だいぶ2次試験のロールプレイの練習を積んで、5月に合格の通知が来た時はうれしかった。

●長男が社会人になる
3月に下宿の片付けを手伝いに行き、引き払って、東京で就職。
めでたく、社会人への第一歩を踏み出した。

●3度目の仕事をする
5月に合格してから、就活して、派遣の仕事だが3回めの就職を10月に果たした。
2つの派遣会社に登録して、書類で落ちまくり。
結局、3つ目の派遣会社で拾ってもらったという感じ。ラッキーだ。

●目が悪くなった
老眼がだいぶ進んだ。メガネを持っていないと、何か見るときに困る。
今も老眼鏡がちょっと合わなくなった感じがある。
また進んだのかな…。

●ブログが3000記事を超えた
2005年の5月から10年を経て、記事が3000を超えた。
くだらない記事もあるが、見なおしてもなかなかいい、と思えるものもたまにはある。
手前味噌だ。

●グーグルの利用度が上がった
今やパソコンをつけても、使うのはグーグルクロームだけという日がほとんど。
全てをWEB上でやる。文書作成も、写真の整理も、何でもクロームだ。
グーグルの思う壺、という感じもするが、もう戻れない。
おかげで、スマホでもノートパソコンでもデスクトップパソコンでも、同じものが見られる。
その代わり、インターネットがつながらなくなったら、さっぱりワヤになるが…。

●ソーシャル・ネットワーク・システムを使うようになった
Facebook、Twitterというようなツールに慣れてきた。
ただし、人と繋がるというような使い方ではなく、情報をとるというような使い方だ。
そう割り切ると、なかなか便利なところがある。
ようやく使い方がわかってきた。

●スマホを買い換えた
長いこと使っていたスマートフォンをついに買い換えた。新しいヤツはすごく速い。
これならみんなスマホでやろうとするのもわかる。
インターネット2.0だ。

●生まれて初めて扁桃腺が晴れて熱が出た
体質が変わったんだろうか。ぼくはだいたい熱は出ないタチだったのに、4日間ほど熱が続いた。
こんなことは今までなかった。
年をとって、熱が出るようになったのか。

こんなところかな。

今年はいろいろあった…。
| | 考えたこと | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
公教育の重要性
小学校や中学校のレベルが下がると、どんなことが起こるか。
塾に行ける人が成績が良くなる。
つまり、塾の月謝を払える人が成績がよくなって、その後の人生で有利になるということだ。
しかし、もはやそれだけではない、と今朝の日経に出ていた。

「学校の現場では、小学校低学年レベルの算数ができない、アルファベットも全部言えないといった中学3年生が数多くいる。小学6年生の時点で、子どもの学力は親の所得ときれいに比例している。また、低所得層が1日3時間以上学校外で勉強しても、高所得層の学校外で全く勉強しない子の学力に及ばないことが報告されている。換言すれば、努力では挽回できないほどの社会経済階層による格差が生じてしまっている。」

残念ながら、書いている人の専門は「社会政策、貧困研究」らしく、「社会経済階層による格差」で全てを説明してしまっている。
でも、一番の問題は、小学校で教育ができていないということだ。

ぼくはそういう格差があっても、ちゃんと教育できるところが公教育の意味だと思う。
だから、親に通わす義務があるのだ。
いくら社会経済階層があっても、平等に教えてくれる場所が公教育であり、少なくともそこに通っていればそこで明らかな格差がついてはいけない。
それが公教育の責任というものだ。
そこを担保していないと、公教育とは言えないと思う。
大学などに補助金を出すのをやめて、もっと初等教育にお金を出すべきだ。

今NPOなどが,学校外でそれを補完する仕組みなどを作っているが、それらは必要悪だと思う。

塾が出来た当時、学校の先生は塾を馬鹿にしていた。
長いこと、塾は教育ではないと言われ、影の存在だったと思う。
それがいつからか、表舞台に出てきた。
それは公教育の質の低下と相関しているんだと思う。
そこを誰か分析してくれないか。

ぼくらが小学校のころ、先生は恐かった。
貫禄があったと思う。
問いかける授業はやっておらず、教壇の上で板書して教えてくれた。
先生はエライものだと思っていた。

ぼくは現場を知らないが、そういう授業をやっていないのではないか。
いつからか、教壇は先生が上だということを示すからダメだといわれ、なくなった。
いったい、誰が言ったんだろうか。
今の親の世代はきっと教壇は必要なものだと思っているだろう。

そのうえ、問いかけや話し合いが重視され、教えることが軽んじられている。
ちゃんと教えて、何度もドリルをする。
そういう汗を流しているんだろうか。

事務が忙しければ、事務を入れるべきだ。
コンピューターが使えなければ、そういう事ができる人を配置したらいい。
なんでも先生でやろうとするのが間違いだと思う。

そうしないと、本当に格差を再生産することになる。
教育は国の力だ。
江戸時代に文字の看板を立てて、庶民に藩令を伝えることができたり、明治時代に海外から来た人が、日本では社会階層が低い人でも新聞を読んでいることに驚いたという話を聞いたことがある。
それが明治維新を成功させた要因の一つだろう。

ただでさえ少子化で生産年齢人口が減っていくのだから、早く何とかしないといけない。

もう時間はないぞ。



| | 考えたこと | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
2020年
たしか、中学の頃だったか、はやったポップスに「2525年」というのがあった。
In the year 2525・・・で始まる歌。ゼーガーとエバンスだったかな。
日本では、この1曲だけ当たって、消えていった。
“twenty five twenty five”という歌詞が語呂がいいので、覚えている。

しかし、今後の日本では、2020年が重要な年になるらしい。
日本は、構造的に少子高齢化の進行で国内市場は縮小し、グローバル化で生産拠点が海外に移り、何もしなければ衰退の道をたどると思われている。
それを食い止めるために、何をすべきかという特効薬はまだない。

それでも、あと5年は何とかなる。
人口の分布で一番多い団塊の世代もまだ会社をやめてすぐだ。
まだまだ消費性向は高い。
その効果でGDPを押し上げる。

その彼らが75歳以上の後期高齢者になるのが、2020年代の前半。
つまり、ターニングポイントが2020年。

同時にインターネットを使った仕組みが、すべてのビジネスで動き出すと思われるのが、2020年。
今はアメリカを中心に動いているが、新しいビジネスの形が世界中を動きまわる。
前にも書いたが、UberとかAirBnBというような会社の仕組みだ。
残念ながら、日本では規制があって、なかなか入ってこない。

少子高齢化になっても、成長しようと思えば、そういう仕組を入れていかないといけないのではないか、と思う。
高齢者の力を有効活用するためには、新しい仕組みも必要だ。

処方薬の通販なども、医療費の削減には有効だと思う。
わかっていても、日本の役所は既存の勢力に弱い。
慣れ合いになっていて、そこからお互いに利益を得ているんだろう。
族議員というのもいる。
そういうのを無くしていかないと、ダメなんだと思う。

残された時間はあと5年。

第二の明治維新は起こすことができるんだろうか。

そうしないと、本当に衰退する。
現状を維持するために、何かをやらないといけないんだと思う。

| | 考えたこと | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己チュー
今日話をしていたら、最近の中学生は自己チューという言葉をさほど悪く取っていない、ということらしい。

以前は、自己チューというと、自己中心主義のことで、ワガママが激しい人のことを言った。
いや、ちょっとナルシストも入っていたかもしれない。
まあ、実際自己チューというジャンルの人が増えてきた世相もあるんだろう。

話の内容は、もらい物のお菓子が一つあって、それがじいちゃんの好物なのでラップにくるんで置いておいたら、そこに孫娘が来て、「これは何?」と聞くから、「それはじいちゃんの好物やから、とってあるねん」と言った。
しばらくするとチンという音が聞こえて、孫娘がそれを持っている。
「え、それはじいちゃんの好物や言うたやろ」と言うと、「ええやんか、一つくらい」と言って孫娘が一口食べた。
孫娘は美味しくなかったらしく、ひとくち食べてまたラップにくるんで置いておいたという話。
「もう、あんたは自己チューやな」と言うと、中学生の孫娘が「自己チューの何が悪い」という。

以前は自己チューと言われると、それを否定したものだが、最近は何が悪い、と開きなおるらしい。
「仲間はみんなそうだ」、ということらしい。

そういえば、先生も自己チューだ。
その孫娘が、勉強でわからないことがあって、職員室に聞きに行ったら、「それは塾で聞け」と言われたという話を思い出した。
先生は自分の仕事を何だと思っているんだろうか。

以前書いたが、オリンピックなどでメダルを取った選手に「勇気をもらってありがとう」と言いたい、というのも定着した感がある。
自分の立場からコメントするのだ。
これこそ自己チューだと思う。
まず、スゴイ、がんばった、おめでとう、というのが言うべき言葉だろう。
そんなことを指摘する人もいない。
みんなそれでいいと思っている。
違和感も感じない。

世の中、自己チュー時代だ。

| | 考えたこと | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
選挙管理委員
おときた駿という都議会議員のブログに、東京都の選挙管理委員の選挙についての記事があった。

それによると、東京都では選挙管理委員会の委員は議員が選挙で決めるのだが、8年任期で4人ずつ改選ということになっている。(全部で8人)
実務は自治体職員がやっていて、まあ有り体に言えば非常勤の名誉職に近い仕事らしい。
その報酬が、委員長:月額523,000円、委員:月額429,000円という額。
かなりの高額だ。

この委員は慣例的に、「多くの自治体でその約7割を議員OBが務めている実態が知られています」ということだ。
「へー、それは知らなかった」と思って、尼崎市のホームページを検索してみた。
そうすると平成15年の市の文書が出てきて、月給20万円弱というPDFファイルが出てきた。
さすがに、歳入が低い分、給料も安い。
今の金額はどうなっているか、わからない。

しかし、肝心のメンバーがわからない。
そこで市役所にメールを出した。

「実はこの度、東京都の選挙管理委員会のメンバーに関するブログを読み、わが町尼崎はどうなっているのかと思い、選挙管理委員会について調べましたが、いろいろと探しても、どこに委員のメンバーが出ているのかわかりませんでした。
法令によると、「当該自治体の有権者の3分の1以上の署名を集めると、選挙管理委員のリコールを地方首長に請求できる」とありますから、お名前は公表されていると思うのですが、どこにあるのでしょうか。
関連のページを見ても見つからなかったので、お問い合わせする次第です。」

と市役所のページに唯一見つけた広報のアドレスに出してみた。
「法令によると」に続く部分はWikipediaに載っていたのをそのまま転載した。
いい加減なものだ。

すると、翌日選挙管理事務局からメールが届き、メンバーの名前が4人載っていた。

一人ひとりグーグルで検索してみると、そのうち2人がひっかかった。
以前尼崎市で市議会議員が集団でカラ出張をして、問題になったことがあったが、その時のメンバーが2人入っている。
4人中2人だから、議員のOB率は50%。

まあ世の中の平均(約7割)よりは低い。

議員をやめても、天下って月に2〜3回程度の会議に出るだけで十数万円の月給がもらえる。
これはおいしいなあ。

こんな仕事に月給が出ているとは思わなかった。

いろいろと調べると面白い。
さあ、これをどうするか…。

| | 考えたこと | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
絶食系
男子が元気だったのはバブルまでらしい。

バブルがはじけてできた言葉が「肉食系女子」。
そして男子は元気をなくし、「草食系男子」になった。

そして、今の男子は「絶食系」だと言われる。
絶食系男子は、ゲイではないが、女性を性的な対象として見ないらしい。そして、社会的にのし上がることにも興味を持たない。でも、生きる気力を失っているのではない。ファッションや美意識には強いこだわりがある。
彼らは無駄に競い合うことを避けるために,これらの欲求を最小限にしているということだ。

「無駄に競い合う」というのをどこまで許容するかということだろう。
学校の競争も無駄と思えば無駄かもしれない。
食うには困らないし、みんなスマホを持って、ほしいものは手に入るし、そこそこ豊かな生活を送れている。
コンビニに行けば、食べたいものはあるし、古着屋に行けば、着たいものは手に入る。
彼らは、そこそこで満足することを知恵として知っているのだろう。
無理にベストなものを得る必要はなく、足るを知った。
究極の老荘思想。

恋愛も面倒くさい。
いろいろとラインが来るし、返事しないとなんで返事しないのかと言われる。
煩わしい。
これは男女共通の話らしいが…。

これは新しい生き方として定着するんだろうか。
国、というのはどういう概念になるんだろうか。
自分の豊かな生活は、誰かに守られていればそれでいいんだろうか。

少子化で経済が縮小し、いずれそうも言っていられない時が来るような気がする。

もちろん、みんなが絶食系ではない。
肉食系の男子もいるし、草食系の男子もいるし、そして…。

競い合わなくても生きるのに不自由しない、そういう前提条件が崩れた時が問題だろう。

そういう時代は、いずれやってくるぞ。

| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
スクールカースト
今のいじめを助長させているのは、スクールカーストと呼ばれる学校の中の序列だという。
精神科医の和田秀樹も言っていた。
ぼくもそうだと思う。

しかし、それを助長しているのは他ならぬ先生だという。
昨日書いた、教育現場の教え方の問題だ。
いい先生は、生徒のだれがこの問題の答えを知っているかを知っているという。
それをうまく使える先生が、いい先生になる。

そして、みんなの話し合いを利用して、あたかも民主的なクラス運営をする。
そんな器用な先生がいい先生。
それが一部の生徒を特別扱いすることをわかっていても、それができることがいい先生の条件になる。
それは話し合いが盛り上がって、「いいクラス」になることを意味する。

オカシクないか。
スクールカーストがいじめの原因の一つだと言われていて、それを助長する先生がいる。
そして、その先生は「いい先生」なのだから。

今や教育実習で良い評価をもらおうとすると、このスクールカーストに注目する、ということが行われているらしい。
教師になる前から、いじめを助長するのに加担するということだ。
そんなヤツに教師になってほしくないとぼくは思う。

児童生徒に対して平等に教える、という教育の基本をもう一度実践するべきだ。
それをやらないと、いじめなどなくならない。

ぼくなどがインターネットで記事を見ていて、そんなことを思うことができる、ということは教育現場の人たちはもっとそういう知識を持っているはずだと思う。
持っていないとしたら、持つべきだろう。

よくいじめの記者会見で校長や教頭が頭を下げているところを見るが、その人たちがスクールカーストのような存在を認め、いじめを受けた生徒がどのカーストに属していて、だからいじめられていたというような分析を聞いたことがない。

うちの中1の姪でさえ、そういうものの存在を否定しない。
第一階層は勉強がデキる子、だという。
自分は第二階層にいるともいう。

いい加減に、教育現場は変わらないのだろうか。
先生は話し合いなどやめて、平等にちゃんと教えるべきだ。

そういう授業をすることが、いじめの撲滅に繋がるということを認識しないといけない。

そうではないか。


| | 考えたこと | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
教えて育むこと
「教育」とは文字通り「教えて育む」ことだろう。
話し合って、考えることではない。
それでも、今の先生は、自ら考えることを奨励しているように見える。
それが大事でないとは言わないが…。

何かというと話し合いだ。
聞けば、算数の授業も話し合いだという。
三角形の面積の出し方を見つける。
具体的には、授業で三角形を2つに合わせると平行四辺形になって、その面積を半分にすればいい、ということを「見つける」ための話し合いをするらしい。

先生は、誰かがそれを見つけて、平行四辺形の半分にすればいい、というのを待つ。
そんなことを誰もが見つけられるワケがない。
それをいう子はその答えを知っているということだ。
実は先生は知っていて、誘導する。
それで授業が成り立つ。
そういう態度がスクールカーストを助長するんだろう。

答えを知らない子は、結局自分はそれを見つけられなかったということで、算数を苦手になる。
見つけた子は、塾に行って答えを知っていたというだけの話。

いつからそんなバカなことをやるようになったんだろうか。
ぼくらの時代は、先生がやり方を教えてくれた。
生徒は教わるという点で、みんな平等だ。
だから、先生はエラかった。
それが自然な姿だと思う。

教育学者たちは何かを履き違えている。
素直に教えればいいのに、子供の「発達」とやらを重視する。
子供など、ほっておけば勝手に発達するのだと思う。
そんなことを演出する必要などない。

だから、算数が苦手な子が増えたのだと思う。

早くやり方を戻さないと…。

| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
BMW X1
BMWの新しいSUVであるXシリーズに新型X1が出た。
特徴は旧型がFR(後輪駆動)だったのに、新型はFF(前輪駆動)になったこと。
一応、四駆という触れ込みだが、基本はFFのシャーシだ。

BMWは、すでに2シリーズというものでFFを出しているが、ここに来て、本格的にFFも作るぞ、という感じだ。
今までBMWは頑なにFR路線を歩んできた。
ベストな走りを追求すると、FRになる、という理屈。
簡単な話で、重量配分が全後輪均等になるから、ということだ。

しかし、X1は小型のSUVだから、FFを選んだのだろう。
FFにすると、操縦性は劣るが、車内のスペースを広く取ることができる。
ライバルがみんなFFになったから、FRを出し続けるということのメリットはあったはずなのだが、スペースを広くとりたいということと、コストも考えて、FFを選択したということだと思う。

BMWというと、仕事で40年ほど前に5シリーズに乗ったことがあるだけで、ほとんど縁がない。
それでも、今一番かっこいい車ということになると、やっぱりBMWだと思う。

ポルシェはスポーツカーがメインで、値段も高いし、良いと思うが今ひとつ気に入らない。
メルセデスは以前は良かったが、クライスラーとひっついて、だめになった。
またクライスラーを切り離して、従来路線に戻ってはきたが、まだまだという感じ。
最近はアウディもブランドイメージを上げてきたが、それでも、BMWには勝てない。

やっぱり、BMWだ。
昔なら、BMWといえば、直列6気筒のエンジンで、FR車という定番だったが、今は6気筒は流行らない。
燃費で4気筒になってきている。

FFのBMWと言っても、値段は安くても380万から。
フル装備になると、600万弱。
値段はやっぱり高い。

いつかはBMW。
やっぱりFRがいい。

| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
インダストリー4.0
インダストリー4.0という言葉がある。
ドイツでできた言葉。
意味は第4の産業革命ということだ。

第1の産業革命は18世紀から始まった蒸気機関が主体。歴史の授業で習ったイギリスが発祥だ。
第2は20世紀の初頭。電気を使った大量生産方式。
第3は1970年代の電子技術の導入による、工場の自動化。これはぼくも目の当たりにした。

そして、第4の産業革命がこれから来る。
それをインダストリー4.0と呼ぶ。
もちろん、インターネットが主役だ。

たくさんのものを作っても、安くなければ売れない。
安く作るためには、人件費の安いところに行く。
そういう循環が製造業のグローバル化で起こっていた。

となると、どういう手があるかというのがインダストリー4.0だろう。
少量多品種を自動で安価に生産するという形だ。
ユーザーの好みにあったものを、たくさんの種類で作り分ける。
今まではそうしたくても、人件費が高くてなかなかできなかった。
でも、これからはインターネットの力を借りて、自動化されたラインで作る、ということになる。

作る部品には電子タグがつけられて、その部品がどんな仕様かを組み立てロボットが理解する。
つまり、これから作る製品は、どれを使えばいいかを指示されているのだ。
その部品を選んで組み立て、次のラインのロボットに「これができた」と伝える。
伝えられたロボットは、その部品に応じて動きを変えたり、あらたな部品をつけたりする。

そんな風に、工場にインターネットの仕組みを使った通信網をはりめぐらして、部品や機械の動きを制御し、各々のロボット同士が通信できる。
さらに、インターネットで通信することで、故障を未然に防ぐことができる。
壊れそうになったロボットは自動的にメンテナンスを呼んで修理を頼むことができる。
そんなことが、インダストリー4.0の世界だと思う。

ドイツは自動車メーカーあたりが主導で、そういうことを言っている。
アメリカもインダストリー4.0という言葉は使っていないが、同じようなことを言っている。

日本はそれなりに進んでいるんだろうが、みんながまとまって規格づくりをしよう、という動きがない。
ここが日本の弱みだと思う。

部品につけるタグの仕様をどう決めるか、工場内のロボットの通信の仕様をどう決めるか、など決め事はたくさんあって、そのデファクト・スタンダードを争っている。
規格づくりは、公平に、オープンにやっているように見えるが、そんなに甘いことはないんだろう。
国を挙げて、自国の強みを規格に活かそうとしているはずだ。

インターネットはオープンでフェアなものだが、やっぱりそれを作ったアメリカは強い。

日本発のインダストリー4.0を作れれば、裾野が広がって、工作機械やロボットを作る会社などは強くなる。
いま現実に、日本が強い分野だ。
全部をロボットで自動化しているスマートファクトリーなど、個々の企業は頑張っている。

経産省ももっと力を入れて、デファクト・スタンダード作りに精を出してほしい。

| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
Sound inn "S"
BSを見ていたら、サウンド・インSのメモリアル番組をやっていた。
2012年にこの番組のことを書いた。
尾崎紀世彦が亡くなった時。

当時の有名な海外アーティスト、ジョージ・ベンソンやスティービー・ワンダー、ケイト・ブッシュなどのVTRが流れて、当時よく登場していたミュージシャンや制作側の人たちが並んでいた。
歌手では松崎しげるやサーカス、タイム5など。懐かしい顔があり、ライブで演奏も披露していた。
見ていると、音楽性の高い番組だったと思う。

伊東ゆかりが一時司会していたのを思い出した。
本当にきれいだったなあ。

制作側では、服部克久や前田憲男がいた。
亡くなったジャズピアニストの世良譲も、VTRで美空ひばりの歌うスタンダードを伴奏していた。
タバコを灰皿に置いて伴奏する、という今ならありえないシーンもあった。

セイコー提供だから、Sound in "S"。SはSEIKOのSだったのだろう。
グランドピアノの回りがテーブルになっていて、そこで世良譲がピアノを弾く場面が印象的だった。

全てライブで生演奏。主にジャズやポップスのスタンダード曲などを歌う。
よくこの番組を毎週やっていたと思う。
カラオケなど考えられない。
お金があったんだろうなあ。

前田憲男がVTRを見て、「つくづく、マジメに仕事をしておいてよかった」と言っていた。
「マジメでなければ、今反省しないといけない」と付け加えたのは、今の歌番組を批判して言ったと思うのは、考えすぎだろうか。

ジャニーズとAKB、エクザイルを並べておいて、カラオケで歌番組が成立する。
やってる音楽自体の年齢が下がってしまった。
もちろん、出ている方の年齢も下がっている。

サウンド・インSのような、生演奏のライブ形式で持ち歌でない歌を歌うという番組はムリだろう。
必然的に出演者は限られる。
毎回、音楽監督が編曲に凝って、出演者がコーラスをやる。
服部克久や前田憲男はたくさんの時間をこの番組に割いていたんだろう。

そういう手をかけた音楽番組は今はミュージックフェアくらいか。

サウンド・インSは本当にいい番組だった。
こんな手のかかった番組は、もう作られないだろう。
Sは昭和のSだと思う。

こういう番組を毎週放送できたというのは、昭和の高度成長時代だったからかもしれないなあ。



| | 考えたこと | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラックバイト
最近、また記事が増えているが、「ブラックバイト」に関する報道には納得がいかない。
主に大学生がやっているんだと思うが、どうにもならなくなったら、ブラックバイトの被害を大学に届けないんだろうか。
そして、大学はその学生を厳しく指導しないんだろうか。

言っては悪いが、アルバイトであるのだから、いつでも辞められるはず。
それが「アルバイト」というものだ。
だから、給料が安いのだ。
そんな労働に関するイロハもわからないのだろうか。

そして、今は非正規雇用は特に人手不足なんだから、いくらでも代わりを見つけることができるはずだ。
雇われている側がちゃんと対処すればすぐに解決する問題だろう。
要はそんな条件では働かないと言って、ヤメればいいだけのこと。
そして、その会社は潰れればいい。そういう事例がいくつか続いたら、ブラックバイト問題は消えてなくなるだろう。

雇い主からどんな心理的なバインドがあるのかは知らないが、大学に相談して、いい大人がちゃんと指導すればすぐに解決するはずだ。
もちろん、大学でなく親でもいい。
それをブラックバイトなどと称して、社会問題であるかのように拡大するのはオカシイと思う。
マスコミも、アルバイトなんだから、ちゃんと話をして通らなければヤメればいい、という報道をすればいいのに、またブラックバイトに陥っている若者は気の毒だというような報道をしてしまう。
オカシイのではないか。
若者を甘やかし過ぎ、というか、間違っているものは間違っている、と言わないのならマスコミも間違っている。

まず大学に入学した時に、アルバイトに関するオリエンテーションをして、ブラックバイトへの対処法をきっちり教えればいい。
文科省もくだらない指導をするくらいなら、そういう指導をするべきだ。

ブラックバイトの被害にあった学生がいる大学は、恥と思わないといけない。
学生にそんな社会常識もつけられていない、ということになる。

被害をなくすために、ブラックバイトユニオンというような交渉団体ができること自体が間違っている。

自分で交渉して、辞めるしかない。
というか、行かなければいいのだ。
それで、恫喝してくるのなら、電話を録音して近所の労働局にでも持っていくしかない。

そうやって、ブラックバイト企業を潰していこう。

それくらいの知恵を持たないと、世の中渡っていけないぞ。


| | 考えたこと | 19:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
メンヘラ
メンヘラという言葉、子供が使っているので知った。

意味はメンタルヘルスを患っている人、ということ。
メンタルヘルスを略してメンヘル、それに人を表す英語の接尾辞の-erがついて、メンヘラになるという寸法。
どうも、語感で言うと、深刻なメンタルヘルス不調を持った人というよりは、そういう類の不調を訴えている人、という感じだ。
一説によると、2ちゃんねるのメンタルヘルスの板にいるような人、という説明もあった。
これなどは、深刻なメンタルヘルス障害を持っているというよりも、すぐに不調を訴えたり、人に依存するというような性格的なものを含んでいるような気がする。

若い人の言い方も、「メンヘル」というのは、ちょっと揶揄するような感じがある。
ちょっとした「うっとうしさ」を語感に持っているということだ。
少なくとも、病人という感じはない。

どうも、新型うつ病に通じるものがあるような気がする。
新型うつ病というのは、今までのうつ病とタイプが違うという症状。
それを病気といっていいのか、という議論もある。

特徴は社会人でいうと、仕事に行く時だけ不調になるということだ。
今までのうつ病は、仕事にいけなくなる時には、外出自体がダメという症状が多い。
要は、仕事以外でも活動自体が不活性になるということだ。

でも、新型うつ病は、仕事以外の外出は平気だ。
友達に会いに行ったり、映画に行ったり何ともない。
それでも、仕事には行けない、という症状。

それに加えて、医者がそういうことができるのなら、仕事にも行けるのではないかとか言うと、怒り出す元気がある。
医者に、自分はうつ病なんだから、行けないのだと主張したりする。
そんな元気さがあるのが特徴。

また、従来のうつ病が自責的であるのに対して、他責的であるともいう。
悪いのは自分ではなく回りだ、ということらしい。

とにかく、今までのうつ病とは違う。
そんな症状の人たちをメンヘルと言っているのだとすれば、なんとなくわかる。

ネットの住人たちも、こいつらオカシイと思っているのだろう。

精神科医の中にも、オカシイと思っている人がたくさんいる。

そういう世相を表している言葉かもしれない。




| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
老害チェックリスト
日経に、定年後に働く時のチェックリストが載っていた。
なかなかよく出来ている。

(1)自分の若いころと比べ、つい若い世代の仕事のやり方に口出ししてしまう

ギリシアの象形文字が出てきた洞窟に、「今の若いものは…」ということが書いてあったという。
それほど昔から、年配のものが若いものを心配するという事は世の習いなのだろう。
今の自分を省みても、ついついそういうことを言ってしまう。
自分の通ってきた道なのに、大丈夫だろうか、などと思ってしまうのだ。
その老婆心がこういう言葉を出させるんだと思う。
時代は変わっている。
自分の若いころを思い出して、控えないといけない。
しかし、自分の若いころの事はだいぶ脚色されて思い出されるということを忘れてしまう。

(2)つい自分の体験談や自慢話をしてしまう

悪気はないのだ。
そういうことを言ってしまうのは、自分が役に立たないと回りに思われていると思うからだろう。
これは控えないといけない。
その過去も、大体において自分で尾ひれをつけて大きな話になっているということに気がつかない。

(3)以前の人間関係を引きずり、昔の部下や後輩に、命令口調で話してしまう

これはしてはいけない。
自分の立場をわきまえないといけない。
そんなことは「わかっちゃいるけど」ということなのだろう。

(4)経験が豊富にあるので、若手にはできないことが自分にはできると思う

まあ、これもやむを得ないだろう。そう思う時もある。
でも、事情は個別に変わっているから、経験が当てはまらなくなっていることも多い。
聞かれなければ、黙っておくという沈黙の美徳を思い出さないといけない。

(5)デジタル技術にうとく、エクセルやパワーポイントの資料作成を人に頼んでしまう

これは実際にたくさん見た。
今やそういう時代なので、自分でやらないと…。

(6)電話を取るのは若手の仕事だと思っている。電話に出ても相手の言葉にいらいらして、横柄に話してしまう

これはダメだろう。立場が変わったら、何でもやらないといけない。
こうなると、老害だ。

(7)定年後も働く理由について「家にいると妻や家族が嫌がるから」「健康のため」など、周囲の士気が下がることを言ってしまう

これも本音だろうと思うが、仕事場で本音を言ってはいけない。
若い人もみんな我慢しているということを忘れるんだろう。
情けないことだ。

(8)冗談のつもりでも、「給与が半分になったから、仕事も半分しかしない」など、やる気を疑われる発言をする

まあ、気持ちはわかるが、これも言ってはいけない。
雇ってもらえるだけラッキーなのだ。
ビジネスなのだから…。

(9)人の話を聞かなくなった、とよく言われる

これは誰しも年をとるとそうなる。
心して聞いているつもりでも、そうでない場合が多い。
困ったものだ。

(10)「この仕事は自分に合わない」と、与えられる仕事のより好みをする

これもなあ…。
若いころは、そんな人を見て、困ったものだと思っていたことを忘れるのだろう。

厚労省が定年を65歳に引き上げるように指示を出して、いろんなことが起こるようになった。
この老害の問題はその影響だ。
すでに、企業によっては役職定年制を採用していたり、60歳を定年として、あと5年は補助的な仕事でお願いする、というようなこともやっている。
65歳まで定年を引き上げた企業もある。

しかし、一方で昔に比べて年寄りが若くなったのも事実。
普通に年をとれば、65まで働きたいという人が多いし、年金の担当者は死ぬまで働いてほしいと思っているだろう。

ビートルズが出たころは、あのヘアースタイルを見て、大人たちは排斥しようとした。
エレキギターを弾くだけで不良だと言われた時代もあった。
いつの世も、老人は保守的で頑なになりがちだ。

今の左翼系の老人たちだって、左翼を保守しているのだから、同じことだ。
若いころはもう少し柔軟だったと思うが、年をとってガチガチに固まってびくともしない。

世の中長生きになったのだから、老人を自覚して、世の中の隅っこのほうで生きていく覚悟をしないといけない。
これからの世の中、若い人が決めていかないといけない。
古い船を今動かせるのは、古い水夫ではないのだ。

記事の中に、「肩書と人間の魅力は比例しない。肩書がなくなったシニアこそ、人間の魅力で勝負すべきだ」と書いてあった。

その通りだと思う。

| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
人工知能に負けないために
国際的な教育団体が「21世紀型スキル」というのを提唱しているらしい。
職業が変化していて、教育も変わる必要がある、ということで制定された。

それはどんなものか、というと4つのカテゴリーにわたって、10個の能力になっている。

(1)思考の方法
 創造性とイノベーション
 批判的思考、問題解決、意思決定
 学び方の学習、メタ認知
(2)働く方法
 コミュニケーション
 コラボレーション(チームワーク)
(3)働くためのツール
 情報リテラシー
 ICTリテラシー
(4)世界の中で生きる
 地域とグローバルのよい市民であること
 人生とキャリア発達
 個人の責任と社会的責任

こういうの、言葉で考えるのはわりと簡単なのだと思う。
でも、具体的にどうするのか、というと途端に難しくなる。
なぜかというと、教える側がそういう能力を持っていないか、全く認識していないからだ。

21世紀を生きる子どもたちにやるべき教育、というのは、今までやられていた教育ではない。
それを変えるべくして、唱えられたものだ。
だから、教えられる人がいない。
そこが大問題なのだと思う。

学校にずっといれば、変わらないといけない、とは思えない。
逆に、ずっと一緒でいい、と思うのだろう。

吉田拓郎の若いころのアルバムに、「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というのがあった。
まさに、これからの教育にも不易の部分と、変わらないといけない部分がある。
インターネットが生まれて以降、世の中の変化は激しくなった。
今や、教育も大きく変わらないといけない時代なのだ。

不易の部分は残していい。
しかし、変わらないといけないところは大胆に変えないといけない。

今の大学には十年一日の如く、同じ内容でやっている先生がたくさんいる。
それではダメなんだろう。

でも、学校にいたら、それはわからない。

学校の外から人を入れて、変えていかないといけない。
高校以下も同じことだと思う。
そんな大胆なことを、大学がやれるのか…。

ここは、大学の力の見せ所だと思うのだが…。
| | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドローン宅配
ドローンでの宅配は、地方から始まるかもしれない。
日本は地方消滅という本もあるように、地方の人口の減り方がこれから大きくなる。
そうなると、ショッピングセンターなども成り立たなくなるし、高齢者の「買い物難民」が増える。
今でも、そういう人は増えているらしい。
近くに店がなく、店まで行くことができないというような地域がもう出ている。

そういうところで、買い物代行みたいなサービスもできている。
高齢者向けに電話を使って、買うものを聞いて、それを買って運ぶというサービス。
「まごころサポート」という名前で、30分500円という料金体系でMIKAWAYA21という会社がやっているとのこと。
業態が拡大するにしたがって、「地域ママ」というような人たちを雇用して人手を確保してきたが、そこがドローン宅配を考えているとのこと。

アメリカではグーグルやアマゾンがドローン宅配を考えているということだが、日本ではこういう会社がやっている。

先日ドローンの飛行規制の法律ができたが、都市部は簡単には飛ばせない。
人口が密集していたり、飛行機のルートになっているからだ。
だから、地方のほうがドローンのビジネスチャンスがある。
徳島県でテストフライトも済ませたとのこと。

機体は日本製で、4kgの重量を運ぶことができ、GPSの信号で自動で飛ばすことができるらしい。
こういうサービスが高齢化社会を支えることになるかもしれない。

電話で、今日買ってきてもらいたいものを伝えると、ドローンが商店に飛んでいき、それが電話をかけた家に行く、という仕組み。
限界集落まではいかないが、高齢者がたくさんいて、まだ集落が保持されているというような地域や、買い物に行くのが大変だというような地域でやりたいということだろう。

高齢化が進めば、いずれ地方の集落は都市に移って来ることになるんだろうと思う。
しかし、それは一朝一夕にはできない。

「現在、買い物難民は約850万人などと言われていますが、一般に買い物難民というのは半径500m以内に商店がないところを指します。しかし、高齢者などでその500m以内すら出られない人、玄関先まで行くのがやっとという人も数多くいますし、これからますます増えていくでしょう。宅配業者も抱えている、いわゆる『ラストワンマイル』の問題(運送業者の地域拠点から個人宅への配送に最もコストと人材が必要になる)です」。

MIKAWAYA21の社長は語る。

配達ルートのうち、一番最後の、「運送業者の地域拠点から個人宅への配送にコストと人材が必要になる」というところに、ドローンを使いたい、ということだ。

意外とうまくいくかもしれない。
そしてそれで培ったノウハウはドローンの機体にも活かせるし、こういうビジネスの問題点の解明にもなる。
そのうち地方に行くと、ドローンが自動で飛び回っているかもしれない。

| | 考えたこと | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
サービス業の生産性
日経ビジネスに、サービス業の生産性についての記事が出ていた。
製造業はグローバル化の影響をモロに受けるが、サービス業は現地でないとできないから、これからはサービス業が増えると思う。
そして、これからの日本は、サービス業の生産性を上げないとイケナイという。
実際、日本のサービス業の生産性はアメリカに比べて低いとも聞く。
でも、サービス業の生産性をどうやって測ったらいいかというと、難しいと思う。

サービスというのは目に見えないものが基本だ。
製造業だって、モノを作って売っているだけではないが、サービス業となると、形のないものがほとんどだから、生産性のどこがどう、というのが難しい。
また、製造業と違って、比較がしにくい。
全く同じものというのは場所をが違っても存在するが、全く同じサービスというのは考えにくい。
相手が変われば、違うサービスを望まれることもあるし、それに対応するのがサービス業でもあるからだ。

だから、どうやってサービス業の生産性を上げることができるか、が問題になる。
最初の問題に戻ってしまった。

サービス業の生産性というのは、難しいということだ。

サービス業そのものも、定義しにくい。
どこからどこまでが一般的なサービス業なのか、というのは難しい。

日本標準産業分類では、「宿泊設備貸与業,広告業,修理業,興行業,医療保健業,宗教・教育・法務関係など,非物質的生産物(サービス)を生産するあらゆる業務」というふうに書かれている。
要は、形のないものを主体に商売しているものは、みんなサービス業になる。
広告業などは、広告するものはもともとあって、それをどう売るかというところを考えて、それをサービスとして売っているわけだから、りっぱなサービス業になる。
興行業も、箱モノは設備としてあって、そこで何をやるか、というところだから、サービス業だ。
教育も学校という箱モノの中身が主体で、児童、生徒、学生に何を、どうやって教えるか、というところだから、サービス業だろう。

共通しているのは、サービスを受けるのは人間で、その満足度も付加価値になるということだ。
その付加価値は広告や興行なら売れ行きであったり、教育なら成績であったり、客観的な指標はある。
しかし、違ったサービスを受けていたら、どうなっていたかという比較ができない。
これが難しいところだ。

ある人が大学に学費80万円で行って、4年で出て一部上場企業に就職した。
でも、その人にもう1回違う大学に行って、結果はどうなるのかと聞いてもそんなことはできない。
人生は一回、やり直しは聞かないからだ。

だから、付加価値の質が評価できないということになる。
客観的指標で代行しようとしても、人が絡むから、それだけでなく、満足度というわけの分からないものも入ってくる。
同じ大学を出て、同じ所に就職できても、AさんとBさんでは評価は違うだろう。
満足度は客観的には測れない。
主観が入ってくるのだ。

記事にも出ているが、サービス業の生産性を上げないとイケナイということはわかっているが、それをどうやって上げるのかと言われると、みんな思考が止まる。

それがサービス業の生産性の一番の問題だ。
これは難しいぞ。

| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
高齢化と老化
今から35年後の2050年にアメリカでは65歳の人口が2倍、世界では3倍になるとのこと。
ディスカバリー・チャンネルでやっていた。
世界も確実に高齢化していく。

今アメリカでは老化の進行を止める、という対策を考えている。
もちろん、日本でも考えている科学者はいるんだろうが…。
実際は今でもなぜ老化が起こるのかはよくわかっていない。
細胞をコピーする仕組みはわかっているが、それが老化を伴うメカニズムはわからない。
細胞がコピーされるだけなら、老化は起きない。

1900年の平均寿命は50歳くらい。
今は70歳くらいまで伸びた。
長寿化は老化を伴い、生活の質は落ちる。
どうせ長寿化するのなら、老化のスピードをゆっくりさせて、質をおとすべきでない、というのが研究者たちの理由。

番組ではいろんな取り組みを紹介していた。

線虫の老化は人間の老化に驚くほど似ているという。
その線虫で老化を防ぐ物質をみつけ、それをマウスでチェックする。
人間のタンパク質を可視化する方法もある。
セノリティクスという物質をマウスに与え、普通に老化したマウスと体力を比べると、全く違う。

14歳でMITに入った科学者は、その優秀さ故に科学をやめて16歳でファンドを立ち上げ、老化防止の薬を作ることを決意する。
役所が認めないと、薬はできないのだ。

今の考え方は、個別の疾患は独立して発生し、それで病気になるということだが、新しい考え方は、老化を遅らせる薬を作れば、すべての疾患が発生しにくくなるということだ。
それによって、元気な老後を過ごしたい。

健康な寿命がのびれば、巨大な経済利益を得ることもできる。
国としてはいい方向だ。発展ができる。
いかにもアメリカらしい合理的な発想だ。

一方で、地球上の人口のことも心配になる。
今や70億人の人がいる。
健康になった年寄りを食わすことができるのか。

人生は長い旅。
その終わりに何が待っているか、楽しみにしているという老人が登場した。
その老人は高齢のため心臓の弁の手術を断った。

まだまだ模索状態だ。
どうなるのか…。

| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
大気汚染
ニュースで北京の大気汚染をやっているが、あれはひどい。
昼間でもネオンサインがなければ、ビルの広告も見えないほどだ。

北京市政府は4段階あるうちの最も重い「赤色警報」を出したとのこと。
北京市民は中国政府の出す警報は信じていなくて、アメリカ大使館のツイッターを見ているという話を前に聞いたが、その中国政府が警報を出すのだから大変だろう。

去年の4月にウォール・ストリート・ジャーナルが記事を書いているが、アメリカの基準では08年から14年のデーターでは約2000日のうち、1600日が「満足のいく」値ではないということだ。
もちろん、アメリカの基準は中国よりも厳しいし、大使館に設置された観測機だから、点数も少ない。
それでも、北京の写真を見ると、とても危ないという印象だ。

日本もきっと発展途上では、外国からこれはひどい、と思われていたんだろうと思う。
いま住んでいる尼崎も、昔は公害の町と言われ、ぜんそくが多かった。
73年に公害健康被害補償法ができて、尼崎は2/3が大気汚染公害の指摘地域になったくらいだ。
当時ぼくは神戸にいたが、いくらなんでも今の北京のようなことはなかったと思う。
昼間から空気がかすんで、先が見えないという景色には驚く。

さすがに、北京では小中学校は休みで、企業でも在宅勤務を許可したとのこと。
また、政府はナンバープレートの末尾の数字による通行制限や、工場の操業停止などの対策を取った。

一方で景気は悪化している。
貿易統計の数字は輸出も輸入も減っているし、徐々に減っている需要の影響で設備が過剰になっているという推定もある。

過剰な生産能力を抱える産業の代表格は鉄鋼業やセメント業だそうだ。
これらは大気汚染の原因物質を排出している代表産業でもあるらしい。

えらいこっちゃ、だと思う。
対岸の火事と言ってられない。
九州では中国からの汚染大気が流れてくるという。
ちょうど、東欧の酸性雨が西欧でも降ったようなものだ。

だからといって、中国の鉄鋼やセメント業が中国を出て、東南アジアに進出して、大気汚染を撒き散らすことがないようにしてほしいと思う。

日本も通ってきた道だが、中国は人口が一桁多いのと、急激に発展したということも影響があるのだろう。

あの国が、一つにまとまっている、というのは共産党の力だと思うが、この力がいつまで続くんだろうか。
上海などの沿岸部と内陸部の格差はどうなっていくんだろうか。

先を考えると、暗くなるが、共産党指導部はもっといろんなことを考えているんだろう。

無事、日本が通ってきた道を歩んで、公害を撲滅してほしいと切に願う。


| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
インターネットの「中抜き」
インターネットはいろんなビジネスを変えていっているが、その本質は「中抜き」ということにあるのではないか、という。

既存の書店がどんどんアマゾンにやられて閉店した。
今までは本がユーザーの手に入るまでに何段階かの業者がいたのに、それを直接ユーザーに届けるというインターネットの仕組みをアマゾンが開発し、本のようにどこで買っても同じものはその中間業者が苦しくなった、ということだ。
インターネットを使って、仕組みを作ったところが勝ちということだろう。
アマゾンの場合は、注文された本を大きな倉庫からすぐに発送するという仕組みも含まれているから、なかなかマネができない。
ちょっとでも人手を減らすために、倉庫内はロボットが走り回っていると聞く。
送料は従来の中間業者のマージンの範囲内であれば、赤字にはならない。
それどころか、本を買う人にとっては店に行く手間、探す手間が省ける。
どの程度正確かはわからないが、その本を読んだ人の点数や感想も見られて、その本を買うかどうか、という参考にもなる。
結局、生鮮食料品のように鮮度が問題になるものや、見てから買う、ということが絶対でなければ、なかなかアマゾンに勝てない。
今や、店舗で見て、アマゾンで注文するというパターンもある。

Uberといサービスは移動したい人と、自家用車が空いている人を結びつける仕組みを作り、既存のタクシー業界を恐れさせている。
これはインターネットだけでなくスマートフォンとGPS、地図情報、クレジットカードというインフラが整ったからできるサービス。
アメリカではかなりの勢いで伸びているらしい。
シェアリング・エコノミーという言葉もできて、空いている人と車を有効利用する、という合理性もある。
乗った人、乗せた人が相互に評価をする仕組みも入って、安全性も担保されている。

Airbnbは民泊だ。空いている部屋を有効利用したい、という人と安く泊まりたいという人を結びつけた。
ホテルや旅館業界からは規制逃れという声も上がっているが、海外では市民権を得ているところもあるらしい。
今までホテルや旅館という、外から来た人を泊めるという施設業者を、空いている部屋を有効利用したいという人に置き換えたという意味で、既存の業者をすっ飛ばすという中抜きが起こっている。

服のように嗜好性の強いものは、作るところから売るところまで一貫でやるところが強くなった。
これはユニクロだ。
もちろん、通販もやっているが、店舗も強い。
垂直統合という、製造・販売を一括でやることで、従来いた中間卸業者を排除し、コストを下げた。
インターネットの利用ではないが、そういう意味の中抜きが起こっている。
おまけに、素材の共同研究までやることで、付加価値もあげた。
ファストファッションと呼ばれ、手軽な服という評価を受けているが、実際ワールドやオンワードなどアパレルの老舗が苦しくなり、リストラを行っているのはユニクロなどが出てきたからだと思う。
最初こそ、中国製ということで「安かろう悪かろう」ということを言われたが、もうそんなことは言われない。
もはや日本ではほとんどのものが中国や東南アジア製になりつつある。

1990年当時、旅行業界はJTB、近畿日本ツーリスト、日本旅行、阪急交通社が4大大手だったが、今はそこにインターネットの旅行業者である楽天トラベルが入り、格安航空券で力をつけたHISが名を連ねている。
インターネット以前と以降で、大手業者が変わったというサービス業はたくさんあるのではないか。

銀行だって、安閑としていられない。
Kickstarterというようなクラウドファンディングが出てきた。
こういう商品を作りたい、というのをページにアップすると、それなら出資してもいい、という人がどんどん出資を申し出ることができる仕組みを作った。
ある金額に達すると、それは商品化できて、出資者たちは新製品を安く手に入れることができる。
これは銀行というお金を預かって、投資するという融資の機能を、インターネットを使っていきなり個人ができる、という仕組みだ。
これを使えば、海外にも個人で投資ができる。
逆に言うと、融資を受けたい人が、不特定多数の個人とつながることができるのだ。
これがどんどん発展すれば、銀行の融資はいらなくなり、カード会社だけあればいい、ということになる。

そんな風にどんどん中抜きが起こっていったらどうなるんだろう。
今のインターネットの仕組みで儲けている企業は、インフラさえ整っていれば、簡単に海を超えることができる。
法律の問題は大きい。
Uberは日本では白タクにあたると言われてサービスができない。
課税の問題もある。

でも今、アメリカ景気がいいのは、そういう仕組みを考えた企業を育てようとしているからだと思う。
アメリカの強さはそういうチャレンジ精神を尊ぶところにある。
日本は規制緩和といいながら、いっこうにそういうところが見えない。

処方薬の通販すら実現しない。
医療費がこれだけ高いというのに、規制緩和してネット通販もOKにすればいいのに、それができない。
処方箋が出ているのに、である。
既得権を持った団体が反対しているからだという。

明治維新はそれまでの既得権をほとんど取り去って、成功した。
戦後の復興も、GHQが財閥解体を実行してその後の発展の基礎を作った。

阿部首相の第三の矢はどこに行ったのか。
景気回復には、痛みが伴う部分もあるだろう。

既得権を守るばかりでは、回復しないと思う。


| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブルートレインと金星探査機
金星探査機の「あかつき」が姿勢制御エンジンを使って軌道を修正し、無事金星探査ができるようになった。
金星は地球の内側を回っている惑星で、ただ熱いだけ、という感じだったが、その状況が明らかになる。
今まで惑星探査というと、アメリカやヨーロッパの探査機だったが、これで日本も一人前になる。

でも、ぼくにとって「あかつき」というと、ブルートレインの名前だ。
ぼくの通っていた中学は、当時の国鉄線のすぐとなりにあったので、授業中に電車が走るのが見えた。
ブルートレインは特徴的な車両だったので、通るとすぐにわかる。
当時はSLの写真を撮りに行くような友達もいて、ぼくも一回一緒にカメラを持って行った。
普通の中学生よりは、ちょっと鉄道好きな生徒だったと思う。
当時、一日2往復で大阪と鹿児島をつないでいた、とWikipediaに書いてある。
とにかく、「あかつき」が通ると、もうすぐ授業が終わる、というようなタイミングだったと思う。
1970年当時、まだ新幹線は東海道だけで、まだまだ地方へはブルートレインなどの車両が主力だった。

そんな「あかつき」ももう死語だ。
2008年になくなってから、もう7年になる。
新幹線世代の人たちにとっては、寝台特急など前時代の遺物という感じだろう。

でも、ぼくは電車に長い時間乗るのが好きだ。
長い時間飛行機に乗るのは嫌だが、電車に乗るのはいい。
一度だけブルートレインの北斗星に乗って、北海道に行ったことがある。
会社に入ってからのことだ。休み明けからの仕事だったので、休みと飛行機代を使って乗った。
新幹線で東京まで行き、それから北斗星に乗るという、面倒くさいことをやったなあ。
ガタンゴトンというレールの継ぎ目の音を聞きながら、寝台で寝るというのもいい。
青函トンネルを通った。
函館から札幌までが思いの外長かった。

そういえば、出張先の広島から宮崎にも電車で行ったことがある。
途中、大分で一泊してちゃんぽんを食べた。
この時は寝台ではなかったが、関門トンネルを通った。
大分を朝早く出て、宮崎の都城まで行ったが、朝出て昼までずっと乗っていた。
電車は寝台だったが、朝から乗るので、寝台料金は取らなかったと思う。

静岡から、わざわざ「こだま」で新大阪まで帰ったこともある。
初期のタイプの新幹線だった。

あのブルートレインの「あかつき」と金星探査機の「あかつき」は関係がないだろう。
金星は明けの明星と言われ、日の出前に輝く星だから、あかつき、という命名になったのだと思う。

でも、「あかつき」という名前は懐かしい。

数年間は金星の観測ができるとのこと。

なにを発見するのかな…。

| | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
葬式
昨日お通夜、今日葬式に出席してきた。
一時はそういうことが仕事、という時期もあったが、今回はプライベート。

キリスト教の式だったので、とても簡素でよかった。
わけの分からないお経もないし、焼香もない。
その代わり、みんなで楽譜を見ながら賛美歌を歌って、牧師の話を聞く。
牧師は生前の故人のこともある程度知っており、家族の話も聞いたうえで話をしているようだ。
そのあたりが、仏教よりもマジメだ。
戒名で金を取るのと比べたら雲泥の差。
献花をして、一礼して終わり。
スッキリしていてよかった。

この歳になると、だんだん自分の番が近づいてきたなあ、と思う。
祭壇の写真を見ながら、あそこに自分の写真があることを想像する。
わりと無理なく想像できるところをみると、そういう時期になったと思う。
ぼくは仏教なので、キリスト教はムリ。
別に望んで仏教になったわけではないが、わざわざそれを変えるというのもめんどくさい。
その程度の理由。

人間、そういう想像ができるところが面白い。
自分の葬儀の時にはどんなふうだろう、と思う。

死ぬ年にもよるが、親の死んだ年が大体の基準になると思う。
父は75歳で死んだので、あと16年ちょっと。
なるほど、あと16年あるのか…。

そう思うと、あれこれ考えるのがバカバカしくなった。
16年も生きたら、考えは変わるだろう。
もうどうでもよくなるような気がする。

あれこれ考えるのは、自分がまだ充分に老いてない証拠だと納得した。

以前はBGMにこの曲をかけてほしいとか、考えたこともあったが、あれはもっと若かったからだろう。

年をとるのを、「枯れる」というような表現をすることがあるが、そういう感じになれば、俗世間のことは気にならないのかもしれない。

枯れるにはまだ早いと思うが、心境だけはそうなりたいと思った。

| | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
省エネスパコン
「京」というスーパーコンピューターが2011年に世界最速になったが、この「京」がどれだけの電気を使うかは知らなかった。
なんと、一台のスパコンで一般家庭3万世帯分の電気を使うらしい。
一般家庭3万世帯で使う電気がどれほどかわからないが、スゴイ量だと思う。

電子が走り回って、計算をするのだろう。
走り回ると、熱が発生して、それを冷やさないとイケナイ。
いったい、どれくらい計算ができるのか。

それがペタフロップスというような単位で示される。
「京」は10ペタフロップスの計算ができる。
これは1秒間に 10,000,000,000,000,000回の計算ができる、ということらしい。
単位が大きすぎてイメージできないが、これくらい計算ができないと、地球の天候をシミュレートしたりはできないんだろう。

しかし、3万世帯の電気と聞くと、ちょっとびっくりする。
世帯平均の人数を3人とすると、ほぼ10万人分の電気になる。
蓮舫が事業仕分けで落としかけただけのことはあるなあ。

そういうわけで、今は省エネのスパコンを作っているらしい。
最新の省エネスパコンは「菖蒲」という名前。
処理能力は「京」の5分の1だが、消費電力は250分の1しかない。
このコンピューターは、洗濯槽のようなものが特徴。
「京」が空冷なら、「菖蒲」は水冷だ。
それなら、250分の1もうなづける。

具体的には、メモリーや計算素子を基板ごと特殊な液体に浸して冷却するらしい。
昨年11月に1位だったドイツのスパコンを3割以上上回り、省エネスパコンでは1位になった。

何でも消費エネルギーを抑えないと、使えないというのが今の世の中。
インバーターエアコンもそうだし、コンピューターの中のCPUも省エネになった。

本来のスパコンはここ3年ほど中国の天河二号というのが1位。
京が1位になったのは2011年だった。
今やスパコンは消費電力あたりの計算能力というような指標で勝負することになったらしい。
京も含めて、力任せにチップを並べて強引に計算速度を上げれば、計算能力は上がるらしい。
しかし、電力をめちゃくちゃ食う。
しまいに、スパコン1台に発電所が一つ要るということになる。

だから、消費電力あたりの計算能力、という指標ができたらしい。

日本のベンチャー企業が頑張ったから「菖蒲」ができたらしい。

この分野で頑張ってほしいと思う。


| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
大変な音楽業界
2014年の音楽ソフトの売上は2542億円、それに対してライブ市場の売上は2749億円。
いずれ逆転するだろうと思っていたら、もう逆転していた。

2013年はかろうじてソフトの売上が勝っていたのだが、ついに、という感じだ。
ライブの売上は10年前の3倍になったとのこと。
そして、音楽ソフトの売上ではCDが減って、ダウンロード販売の割合が増えているのだろう。

アメリカで始まったストリーミングサービスになると、もっと利益は減ることになるらしい。
それはそうだろう。
音楽を所有するのではなくて、聞きたい時に借りる、という感じになるからなあ。
儲かるのはストリーミングの仕組みを作ったところ、ということだろう。

日本はそれらの動きが遅い。
それでも2014年には逆転が起こっている。
ニューズウィークでは、日本では未だにタワーレコードが店を出していることに驚いている、という記事を書いている。

それでも、流れとしては、アメリカの後を追うんだろう。
ミュージシャンは儲からないビジネスになる。
シンドイ目をしてライブをやらないとダメだ。

昔は小さいホールでリサイタル等と言ってやっていた。
でも、今はできるだけ少ない回数でたくさんの人を呼びたい。
だから、でかいホールでやる。
できればドームだ。

ジャニーズの嵐というバンドは、11月から12月にかけて、日本各地のドームでツアーをやる。
名古屋、札幌、福岡、大阪、東京という各地の野球場。
去年のドームツアーではなんと85万人ほど動員したらしい。
体力勝負の荒稼ぎだ。

ツアーマネジメントが、新たなレコード会社の商売になりつつある。
そういう時代になってきた。
Youtubeなどを見ると、もはや誰もがミュージシャンという感さえある。

音楽ビジネスの敷居が下がるのはいいことだと思うが、それによって、食えるかどうかは別問題。

Youtubeで見てもらって、小金を稼ぐか、それともドームを一杯にするかという二極化が始まっているのかもしれない。

音楽業界も大変だ。





| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
007
年末になると、WOWOWで007の映画の放送がある。

今日は「ロシアより愛をこめて」を見た。
何度見ても、いいものはいい。
この当時ボンド・ガールという言葉があったかどうか、わからないが、ダニエラ・ビアンキもきれいだし、何と言ってもショーン・コネリーのジェームズ・ボンドがいい。

ジェームズ・ボンドは英国紳士とはいうものの、女好きで美食家、ちょっとバタ臭くて遊び心がないとイケナイと思う。
歴代のボンドではやっぱりショーン・コネリーが一番だ。
1960年代の007の映画は今見るとのんびりしている。

スパイだから情報戦になるが、情報の行き来が今のようにネットを介して動いているのではなく、文書や写真が主だったからだろう。
時代を感じる。

ゴールド・フィンガーでは敵の首領とゴルフに興じている。
この時のボンド・カーがアストンマーチン。
ミニカーを買った覚えがある。
この映画で、アストンマーチンというクルマの名前を覚えた。

「ダイヤモンドは永遠に」もよかった。
中学の時だったが、これは映画館で見た。

ジョン・バリーの音楽も素晴らしい。
スパイ映画らしい緊張感のある音楽だ。
あの音楽を聞くと、007だとすぐわかる。

その後のボンドではロジャー・ムーアはちょっとアメリカっぽいし、ティモシー・ダルトンはマジメ過ぎる。ピアーズ・ブロスナンはまだマシかな。
今のダニエル・クレイグはちょっとストイックな雰囲気で、初代からは大きく変わってしまった。
別の007ということだ。

やっぱり、ジェームス・ボンドはショーン・コネリー。
と思って調べたら、2008年の12月にも同じようなことを書いていた。

この歳になると、考えることは7年たっても変わらない。


| | 考えたこと | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ユーミンのやせがまん
こないだユーミンのベスト20を選んで、クルマに乗ったときに聞いていたら、何となく自分の好みがわかってきた。

ぼくはユーミンのラブソングのやせがまんが好きだ。
ラブソングといっても、失恋のラブソング。

「潮風にちぎれて」という歌がある。1977年の作品。
8枚目のシングルで、2001年になるまでアルバムには入らなかった曲。
ぼくも、「sweet,bitter sweet〜YUMING BALLAD BEST」というアルバムを買って、初めて聞いた曲。
なんでアルバムに入らなかったのかなと思う。
そんなに何度も聞いたわけではないが、忘れられない曲だ。

この詩がぼくは好きだ。

ユーミンの歌詞にはよくサンダルが出てくる。
この曲にも最初のAメロにサンダルが登場する。

「あなたの好きなこのサンダル なぜはいてきたんだろう」

ここで、ああ失恋したんだなあという予感がする。

2度めのAメロで、「あなたと歩いた年月を けちらしてみたかった」と歌われる。
これで、失恋したことがわかる。

その次のBメロで、「なぜ泣けないのかな ひどく寂しいのに」と歌われ、まだ別れた直後であることが想像される。

その次のCメロで「かわいい彼女のこと これから自由に愛しなさいよ」となり、ああ完全にふられたんだと分かってしまう。
その次がスゴイ。

Aメロに戻って、「国道に止まってる 小さな車指差して うそでも私は背を向ける 恋人が待ってると」と歌う。
ここで、ああ、海岸ではち合わせしたんだとわかる。えらいこっちゃ。

そして、Cメロで「今ふりむいたなら こころくじけるから」と歌う。
意地でもふりむいたらダメ、という気持ち。

Bメロの最後の歌詞で締めくくられる。
「あなたと来なくたって わたしはもとから この海が好き」
やせがまんの一言。

結婚して最初のシングル。
結婚前に書いた曲なんだろうか。

失恋のラブソングでも、明るい曲だ。
このユーミンの「やせがまん」がとてもいい。
このやせがまんは、自分のためでもあるし、別れた人のためでもある。

そういうやさしさも、ユーミンの魅力だと思う。

| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
高齢者の仕事
これは簡単なようで難しい問題。

まずは食うために仕事をするというのは当然。
当然過ぎてこれは普通は答えにならない。

仕事をすることで自己実現するというのは、流行の考え。
しかし、長く続いた不景気でそんな高尚なことは言っていられない。
やっぱり、働かないと食えないのだ。
これが高齢者の課題。

年金はどうなるかわからない。
どう考えても、ぼくらの世代が取りすぎたら、若い人が大変だと思う。
そうなると、年金が減ってもいいように働いておくというのは自衛の策。
というか、そうでなければイケナイような気がする。

となると、自分は何がしたいのか、何ができるのかなど、考えていられない。
やれることをやるしかない、というのが高齢者の仕事。
時代は変わっていくから、そのうちロボットスーツを身につけて、力仕事もできるかもしれない。
しかしあと数年はかかるだろう。

企業も自分もいつまで体力が続くか、わからない。
60歳を過ぎて、65歳まで雇うところは増えてはいるが、賃金は下がる。
さらに、グローバル化の進展で、いつまでもそういう状態は続かないような気もする。
資本主義や自由競争は弱肉強食だ。
今や工場のラインに賢いロボットを置いて、組み立てができる時代。

一億総活躍社会などと言っているが、だれも好き好んで介護などされたくない。
できれば、元気で働いていて、「あっ」という間に死ぬというのが理想だ。
そうあるためには、どうしたらいいのか。

その答えがあるのなら、みんなやっているだろう。
人生というのは、自分の自由になるようでいて、生まれる時と死ぬときは選ぶことができない。
これが問題だ。

いつ死ぬか、わかったら便利なことがたくさんある。
例えば、85歳で死ぬということになったら、そういう計画でお金を貯めて、計画的に使うことができる。

でも、そういう計画は立たない。
自分の意志で死ぬことを決めないかぎり、予定のない戦いをしないといけない。
若いころ高度成長で恵まれた分だけ、年をとってそのツケを払わないといけなくなっている。

結局はそういう役回りなのだ。


| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゆるキャラグランプリ
元祖ゆるキャラといえば、ヒコにゃんあたりかな。
調べてみると、もっと古いものもあるが、ゆるキャラに火をつけたのがヒコにゃんらしい。

今年のゆるキャラグランプリには、なんとご当地ゆるキャラが1081も出たらしい。
自治体が作ったゆるキャラだ。
今年は浜松市が作った、「出世大名家康くん」が優勝した。
浜松市で投票が行われたのが、追い風だったと言われている。
まあ、別に誰が優勝してもよかったんだろう。

2011年に348出たゆるキャラは、4年で3倍になったということだ。

地方創生が絡んでいるのかもしれない。
どこの地方自治体も、町おこしということであれば、まず「ゆるキャラ」ということだ。
なんで、そうなるのか。
そこらあたりに、地方自治体の問題があるような気がする。

どのゆるキャラを見ても、ゆるい。
気合が入る、という感じではない。
どうしたらいいのか、わからない、といった顔をしている。

それはそうだろう。
企業の工場はどんどん海外に出ていき、工業団地を作っても誘致に応じる工場は少ない。
グローバル化はじわじわと効いてきている。

今やみんな横並びで「こうやれば町おこしができる」というものはない。
自治体ごとに、工夫をしなければイケナイ。

それでも、横並びで残っている最後のカードがゆるキャラだった。
だから、こんなに増えたんだと思う。

地方公務員になりたい、という若者は多い。
その理由は、転勤がなく、安定している、というものがほとんど。
それを面接で話す人はいないが、なりたい人はそう思っている。
ここを何とかしないと、地方自治体の復活は難しい。

中途採用を増やすのは一つの手段。
民間で働いている人が、地方自治体でできることに気づくことも多いだろう。
そういう人たちが、役所を変えていくことができるかもしれない。

市長が無投票で決まるところも多いと聞く。
やる気がある人を見つけ、市長に据える仕組みがあればと思う。

そういうことをしないといけないと思う。

ゆるキャラを考えるのはもうやめたらどうか。


| | 考えたこと | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
景気
アメリカの景気がいい。

IMFの見通しでも10月の発表でGDP成長率が0.1ポイント増えた。
2010年に9.9%だった失業率が2015年には5.5%まで良くなった。
シェールガス、シェールオイルなどの新たなエネルギー源が追い風になっている。
そして、インターネットの活用によって産業が活性化してきた。
新たな仕組みがどんどんできている。
お金を集めるKickstarterや、タクシーの代わりになるUberなど、アメリカは新しいビジネスの宝庫だ。
そういうところが、景気の良さにつながっているんだろう。

一方で、中国は景気が減速しているらしい。
中国はまだまだ個人消費が弱く、設備投資でGDPを稼いでいる。
政府がインフラ整備などでお金を落とさないと、GDPが上がらない。
ぼちぼち苦しくなってきたということか。

そして日本。雇用形態が変わって、人件費の総額はここ数年増えていない。
正社員の給料は増えているようだが、非正規率が上がり、人件費の総額は増えない。
要は日本人の平均で見ると、給料は増えず、貧しくなったということだ。
二極化が起こっていると言ってもいいと思う。

アベノミクスで株価が上がって、本当に喜ぶ日本人はそんなにいない。
やっぱり給料が増えないと、景気はよくならないんだろう。

企業が貯めこんだ利益は増えている。
内部留保というやつだ。
それがあるから、政府は景気をよくするために、最低賃金を上げようとしている。
でも、それを上げたら、失業が増えるだろう。
人件費を増やすつもりはないからだ。

今のアメリカの景気の良さは本物だろう。
本当に新しいビジネスが生まれている。
こういうのがホントに景気をよくするのだと思う。

日本でも規制を緩和するとか、雇用を流動化するとかして、新しい産業への敷居を下げることが必要だと思う。

いつになったら、アベノミクスの第三の矢は放たれるんだろうか。



| | 考えたこと | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
来年のクリスマス
今年のクリスマスはそんなに欲しいものはない。
でも、来年になったら、家庭用のロボットがぼちぼち出てくるような気がする。
新しいもの好きのぼくは、きっと欲しくなるだろうと思う。

ソフトバンクのペッパーなどの大きなものは必要ない。
動かなくてもいいと思う。
部屋から部屋へ持って歩ければ、それでOKだ。

2度ほど書いたが、MITの教授が開発したJIBOというのが一番出来がいいと思う。
敢えて人の形を無視して、擬人化しているところがいい。
丸い体もよくできている。
大きさも手ごろだ。
今年の12月には英語版が出るということだったが、どうなったんだろうか。

顔面?にはカメラが付いていて、人間の顔を見分ける。
これはデジカメの技術ではないか。
だから、人を追いかけることができる。
動くことはできないが、人間が動いていたとしても、身体をひねってこっちを見続けることができる、ということだ。
これは結構すごいことだと思う。

そのうえで、ちゃんとした会話がどの程度できるかということになる。
発売時には名前をつけられると思うので、名前を決めておなかければいけない。
もちろん、名前を呼んだら返事をする。
それだけでも、感動的だ。

今までなら、ちょっと調べたいことがあると、スマホやパソコンで検索をしていたが、ロボットが来れば聞いたら答えてくれるだろう。
そういうコンテンツはネット上に山ほどある。
検索エンジンもこちらで指定できるといいと思う。
何度か調べていると、新しい情報が出たら向こうから声をかけてくれる。
何も言わなくても、向こうからも話しかけるというのが、ロボットらしいところだ。

赤外線も装備されるだろうから、テレビのスイッチを入れてくれと言えば、そっちを向いてテレビのスイッチを入れてくれたりもするだろう。
1時間ほどしたら切っといて、というのもありだ。
そんなことができるようなロボットがもうすぐ実用化する。

小学校1年の時のアトムはすごい衝撃だった。
10万馬力で、足のところからジェット噴射を出して空を飛ぶし、もちろん頭もいい。
あんなロボットができれば、すごいことだと思っていた。

現実には、あんなロボットはまだまだできない。
しかし、知能だけはインターネットを使って、すごいレベルになった。

世間話ができたらいいんだけどなあ。

実は、それが一番難しいのかもしれない。


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