考えたこと2

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マブチモーターのグローバル化
マブチモーターといえば、昭和30年代後半から40年代にプラモデルを作っていた人なら、たいがい知っていると思う。
小型の直流モーターを作る会社で、動くプラモデルは当時はたいがい単3電池(単四などなかった)で、マブチモーターを使っていた。

鉄人28号のようなロボットは、モーターの回転運動をクランクで前後の往復運動に変えて足を動かす、という仕組みだった。
ああいうものを作った体験が、電気エネルギーや機械的な運動変換の仕組みを理解する基になっていたのだと思う。
そういうものが、SFや科学への興味を刺激して、ぼくは理系を選んだ。

そのマブチモーターだが、今や小型直流モーターではすごい会社になっている。
車に入っている電子ロックや電動ドアミラーなど、シェアは世界一らしい。
それをなんと70年代や80年代から続けている。
すごい会社だ。

現代はモーターが普通の車で50個〜100個、高級車では100個以上入っているとのこと。
車はモダンになって、電動化が進み、エンジン車でも内部の稼働する部分はモーターに置き換えられている。
なんでもスイッチ一つで動くのだ。
そういえば、手回しで開けるウィンドウなど、少なくなった。
窓も、シートも、ミラーも、ロックも電動だ。
今や軽自動車でもパワーウィンドウがつく時代。

マブチモーターもともとは教材用のモーターを作っていた会社。
プラモデルは当時の子供の理科教材という面もあったのだろう。
子供のころに作ったプラモデルで知ったマブチモーターだが、その次は子供を通じて知ったミニ四駆だった。
すごい回転数で回るのに驚いた。
時代の進歩を感じたものだ。
さらに、速く回転させるために、ならし運転をするなど、いろんなテクニックを知った。

もっとびっくりしたのは、グローバル化だ。
マブチモーターは研究、開発のみ日本でやっている。
作るのは中国、ベトナムなどのアジアの国々。
当然、自動車部品だから、欧州、アメリカにも拠点がある。

従業員は21477名いて、そのうち日本は851名。
すごいグローバル企業だ。

約2万人を海外で雇用している。
それだけ、日本の製造業から雇用が減ったということでもある。

日本における製造業はどうなっていくのだろうか。



| | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギターの弦交換
エレキギターの弦を交換した。
ぼくは普通の弦を使っているので、だいたい2か月くらいで交換している。
よく弾いた時は、もう少し短かかったり、弾かなかったら長かったりする。

普通の弦、と書いたのは今は弦の劣化を防ぐために、弦の表面にコーティングしているものもあるからだ。
値段は倍ほどするが長持ちする、ということだ。
以前はそれも使っていたが、弦を交換するのが楽しいし、新品になった弦で弾く時の楽しみを味わう頻度を上げたいから、普通の弦にしている。

弦の違いはあまりわからないが、ぼくの使っている弦はダダリオというメーカーのライトゲージ。
一番細い弦が010という太さ。
前にも書いたが、弦の太さはインチで表示されるので、010というのは0.01インチということだ。
ギターを習う前は009だったが、これはちょっと頼りないのではないかということで、010にしている。
もちろん、ギターの先生とアドバイスだ。

弦楽器というのは、弦を変えるたびに新品になったような気がする。
楽器本体はどんどんエイジングしていくのだが、弦は消耗品だから、変えた時に弾くのは気持ちがいい。
弦を変えると、弾いた時のアタックの感じが違う。
それはぼくでもわかる。

最近は弦のさび止めのメンテナンス剤もあり、それを塗っておくと錆びにくくなる。
それでも、ずっと張っていると、何となくアタック感が減って、ダルな感じになる。
そうなると、替え時だ。

ニッパー付きのワインダーで弦を緩め、12フレットあたりで切る。
ちょうど半分くらいになった弦を外し、まとめて燃えないゴミに捨てる。
新しい弦を出して、弦を張る。

昔のフォークシンガーたちは弦を切らず、張って余る弦を丸めて糸巻のところにつけていた。
それがかっこよくて、真似したものだ。
でも、今は巻き代をとって、張る前に切る。
こんなものにも、はやりすたりがあるのだ。

電子楽器やピアノと違って、弦楽器には張替という作業が伴う。
この作業が楽しくなってきたら、だいぶ年季が入ってきたということだろう。

張ってすぐは、弦のピッチが安定しない。
どうしても緩みが出るからだ。

これも慣れてくると、上手になって弦のピッチの安定が早い。

弦の交換は、弦楽器の楽しみでもあるのだ。


| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
小学校のICT化
早い自治体にはもう一人一台のタブレットが配布されているらしい。
本格的に学校のICT化が始まることになる。
しかし、問題は現場の人たちがそれをどう使っていくか、というアイデアがないこと。
文科省も、教育委員会も現場に問題を丸投げしているようだ。

知り合いの学校関係者に聞いたところ、現場の先生も困って、どうやってタブレットの利用をすすめるかということを必死でやっているらしい。
もうタブレットの予算は執行されており、「使わないといけない」状況になっている。

驚いたのが、タブレットに音楽のアプリを入れて、画面に鍵盤を表示させて、鍵盤をタッチして音楽の授業をする、という事を真剣に考えていること。
そのために鍵盤ハーモニカ(今は略してケンハモというらしい)を一人一台すでに持っているのに、それをわざわざタブレットに置き換えて、利用実績を上げよう、ということだ。
こんなバカげたことがICT教育の名のもとに行われている。

まず、現場の教育委員会や教員の教育をしないといけない。
今まで合理化をほったらかしてきた教育現場も悪いし、それを放置どころか助長してきた教育委員会も悪い。
教育界の一端に関わってつくづく思うことだが、ずっと教育に関わってきた人たちは、外の世界のことを知らなさすぎる。
どれだけ民間企業が世界に伍して戦っていくために知恵を絞って合理化を進め、乾いた雑巾を絞るような努力をしてきたかなど、全く知らないし知ろうともしない。
あまつさえ、民間企業は利益ばかりを求めて、公害を巻き散らかしているという時代錯誤の教員までいる始末。
これではよくならないと痛感した。
いくらこういうことをやりましょう、と言っても、誰もついてこようとしない。
まず否定から入るのだ。
民間企業が儲けた税金が投入されている学校なのにと思う。

ケンハモの代わりにタブレットを使うくらいなら、ICT化などやる価値がない。
今日もまた日本中でそんな不毛なことが続いているのだろう。

学校にどんどん関係者以外の人達を入れないと、本当に腐ってしまうぞ。





| | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
薄れゆくメロディー
ハイ・ファイ・セットは時々無性に聞きたくなるグループ。
山本潤子のボーカルがすごくいい。

今日はYoutubeで「薄れゆくメロディー」を聞いた。
79年のアルバム、Quarter restに入っている曲。
もちろんレコードだ。

この年はぼくが大学を卒業した年。
いろいろと想い出深い。

Quarter restはジャズっぽい曲を集めたアルバムだった。
当初はそんなにいい曲だとは思っていなかったこの「薄れゆくメロディー」。
イントロのエレピと、コーラスが秀逸。

「かすかに聞こえるビリーの歌」というのは、ビリー・ジョエルのことだろうか。

大昔に1回同じようなことを書いた覚えがあると思って調べたら、「変わらないモノ」という記事を書いていた。
2006年の記事。

15年経って、同じようなことを書こうとしていた。

「どんな通りを歩いていても 曲がり角さびしくて」

やっぱり、年をとっても「変わらないモノ」があるのだろう。

この曲はいい。


| | 考えたこと | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
卒業生
大学に勤めていた時に、大学院の進学の支援もしていて、その時に面倒をみた学生と10年ぶりに会った。
彼女は外部の大学院に行き、臨床心理士の資格をとって、フリースクールで正職員となって働いている。
面白い学生だったので、よく覚えている。

とにかく、臨床心理士になりたいから、大学院に行かないと…、ということだった。
いろいろと他にやりたいことがあって、あまり大学では勉強しなかったとのこと。
それでも、大学院に行きたい、という必死の思いはよく伝わった。

じゃあ、頑張ろうということになって、よく頑張ったと思う。
見事大学院に合格して、それを伝えに来た時「君みたいな臨床心理士が今求められてるんや」と言った。
内向的で根暗な学生が多かった中、彼女は明るくて、いかにもソーシャルワークができそうな学生だった。
だから、「君みたいな…」という言葉が出た。

晴れて臨床心理士になって、非常勤のスクールカウンセラーもやりながら、NPOのフリースクールの運営もやっている。

今日もう一人、4月からフリースクールの運営にかかわる人と一緒に話を聞きに行ったのだが、しっかりと話しもして、感心した。
地に足をつけて仕事をしている、という感じだった。

10年経って、顔を見てわかるかなあと思っていたが、マスクで半分隠していても顔を見たらすぐに思い出すものだ。
ほんとに懐かしかった。

彼女の仕事は経済的には恵まれない。
NPOは給料は安い。
週に1回のスクールカウンセラーの給料がおおきな足しになっているのだ。

それでも、ずっと続けているのは、志があるからだろう。
本当に立派になった。

今日は嬉しい日になった。




| | 考えたこと | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ステレオタイプの戦前
最近の朝ドラは昭和初期から戦時中を経ることが多い。
この場面を見ると、憂鬱になる。
今朝の朝ドラもそうだった。

今回のコロナ報道でよくわかったが、日本のマスコミは国民を戦争に導いた主犯だろう。
マスコミは売れないと広告収入が入らないから、売れる記事を書く。
そこには何の躊躇もない。
社会的正義のかけらもないと思う。
そのうち、自分たちの正義に酔って、悪魔のサイクルに入ってしまう。

日華事変から戦意高揚に至る時代に、具体的にどんな動きがあったのかわからないが、結局国民が戦争を望んだから、真珠湾攻撃に至ったのだ。
だからこそ、提灯行列でみんな喜んだ。
国が先導して提灯行列をさせたわけではないのだ。

まともな判断能力を持った人なら、アメリカと戦争をして勝てないのは当然だったはず。
それでも、政権が戦争に突入せざるを得なかったのは、マスコミに煽られた国民世論があったからだ。
政治家は所詮政権を維持したいし、維持するためには国民の世論に真っ向から反論などしない。
いたとしても、もうこの流れの中では葬られるしかない。

今、戦前を描くとしたら、マスコミが戦争を煽って国民がそれに乗ったという事を描かないといけない。
でも、当然ながらNHKはそういうドラマは作らない。
あろうことか、ソ連への亡命も美化されている。
本当にマスコミは反省しない。
日本が共産主義になったら良かったとでも思っているのか。

それがステレオタイプになって、何度も再生産されている。
コロナ報道と重なって、見る気がしなくなった。

こうやって、マスコミは自分たちの間違いを隠し、正義の味方のようになっていく。
バカなマスコミに踊らされてはいけないと思う。

これは危ないことだぞ。




| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
音を楽しむ
ギター教室の生徒が2名になって、教室が賑やかになってきた。
やっぱり音楽はみんなで楽しんでやるのがいい。

先月から毎回課題を出して、次の回にそれをみんなで弾くというのをやっている。
前々回は「いい日旅立ち」。
4拍子のアルペジオ。
前回は「少年時代」。
これも4拍子のアルペジオの違うパターン。
アルペジオをやるのは、コードをしっかり押さえていないと音が出ないから、ストロークでジャカジャカ弾いているだけだと、それがわからない。
だから、一弦ずつしっかり押さえて、音を出そうということだ。

今週はスピッツのチェリーが課題曲。
ストロークをリズムに合わせて弾く、というのが課題。
ぼくもメトロノームに合わせて弾くというのは苦手だ。
考えている以上に、一定のリズムで弾くというのは難しい。

どうしても走ってしまう。
走る、というのは早くなりすぎることだ。
その反対はモタる。
こちらは遅れてしまうこと。
今は確実に弾けるように、ゆっくり目のリズムに設定しているから、どうしても走ることになる。
いい日旅立ちのアルペジオを、ゆっくり目のリズムに合わせて弾くのは難しかった。

どうやったらリズムが覚えられるのか、と思ってYoutubeのリズムトレーニングの動画などを見ていたら、やはり言葉にするのがいい、とわかった。
同じような課題で、ギターの上手い講師が、まずは言葉で話せるようにすることが大事と言っていた。

今日はみんなで歌だけ歌って、リズムキープの練習をした。

歌だけならできるのに、ギターを弾きながら歌うと、ずれていく。

難しいが、これも楽しい。



| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
コードがわかる
ギターを弾いて、なんとなくコードがわかるようになったのは、4年ほど経った頃だったと思う。
この、コードがわかるというのは、曲が鳴っているときに、バックのコードが何となくわかる、という意味だ。

ギターというのは、伴奏楽器として、和音を鳴らすのが一番簡単な使い方。
だいたいギターを弾く人はコードから入る。
コードを学ぶのなら、ギターが一番いいと思うくらいだ(他の楽器は習ったことはないのだが…)。

ぼくがギターを始めたのは中学2年の時だから、1970年。
当時は洋楽がメインで、キャロルキングやビートルズ、サイモンとガーファンクルなどをよく聞いた。
だいたい当時のポップスは1625という王道のコード進行が多かった。
1625とは、キーがCの時、C-Am-Dm7-G7という感じ。
これを何となく耳で覚えてしまったと思う。
もちろん、絶対音感はないので、キーがどれかはわからないが、相対的にコードが変わっている度数はわかるということだ。

そうしているうちに、251というコードの動きの特徴に気がついた。
当時は251という数字でわかったのではないが、キーがCの時にDm7/G7-Cという動きだ。
キャロルキングやビートルズの曲では、普通ならG7からCに戻るところのG7がDm7/G7というように、2つに分かれていることが多い。
これがモダンな感じを出していた。
これをツーファイブというのはずっと後になって知った。

高校のころは、受験勉強をしながらでもギターは弾いていた。
この頃にいろんなコード進行を弾いて、大体のところを覚えたのだろう。
手当り次第、弾きまくっていたのは大きいと思う。
ぼくは前にも書いたが、1曲を完璧に仕上げる派ではなく、いい加減でもそこそこ弾けたらいい派だったから、曲の量は多かった。
その蓄積が効いたのかもしれない。

というわけで、普通のドレミファソラシドのコードなら、だいたい聞いたらわかる。
初めて聞いた曲でも、なんとなくわかるのだ。
歌ものなら、初めて聞いた曲でも、2コーラス目からは簡単な伴奏だけならできる。

今週のレッスンの時に先生に聞いたら、先生も同じような事を言っていた。
もちろん、数段上だが、昔はいい加減にでも弾けたらいい派だったらしい。

そんなわけで、今はジャズのアドリブを練習しているのだが、コードがわかるのは大きい。
そのコードの音をたどっていけるからだ。
いい加減でも弾けたらいい派にも、いいことはある。

でも、弊害もある。
音楽を聞いても、自然に和音を追いかけて、メロディーが覚えられないのだ。
失ったものもあるということだ。

やはり凡才だということか…。

| | 考えたこと | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
生きてるか、死んでないだけか
生きているか、死んでないだけか。
先週のFMシアターのテーマだった。
こういう言葉の意味は、この年になるとわかってくる。
重いテーマだ。

まだぼくは64歳で働けているが、完全にリタイアしたらどう思うだろうか。
何も義務がなくなった時、きっと思うことは変わるだろう。
全く生産活動に関わらないというのは、しんどいことだ。
それでも、何か世の中の役に立てることがあればいいとは思う。
それがどんなことかはわからないが…。

どんどん年をとって、知っている人が死んでいった時、また違った思いになるだろう。
知人が死ぬということは、自分を失うことでもある。
その人が知っていた自分が消え去ることだからだ。
ぼくはそんなに長生きするとは思えないのだが、もしも自分の知人がほとんど死んでしまったら、これはつらいだろう。
もう「死んでないだけ」とい状態になると思う。

若い時は、そんなことは考えなくて済む。
生きていることが忙しいからだ。
忙しいということはしんどいことでもあるが、余計なことを考えずに済むという美点もある。
ぼくが会社員になって、学校法人に転職し、仕事を退職するまで、全くそういうことは考える暇がなかった。

22歳で就職し、57歳で辞めるまで、今となってはあっという間だったと思う。
57歳から58歳半ばまで失業。
資格の勉強をした。

58歳の半ばから、今までは気楽な仕事をしている。
それでも、働けているだけ良いと思う。
だから、まだ「死んでないだけ」という感覚はない。

いずれ、そういう日も来る。
できるだけ遠い日になることを祈っている。





| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
復興の偽善
「1ミリシーベルトの呪縛」について書いた震災復興に関する記事を読んだ。
これは、今になっても事実が語られないし、マスコミも全く報道しないことだ。

記事最初にこう書いてある。

「事故から10年を迎え、メディアでは様々な事故関連特集記事や報道を流している。その中で、様々な反省や将来に語り継ぐべき事柄が語られているが、一つ、きわめて重要な反省事項への言及が完全に欠落している。それは、日本社会が、「1ミリシーベルトの呪縛」に支配され、住民の避難解除における合理的判断を放棄してしまい、それが被災地の早期復興を阻んでしまったという問題である。」

初期対応として、8万6千人の強制避難と、周辺地区の8万人程度の自主避難は大成功だった。
しかし、避難解除に関しては、「1ミリシーベルトの呪縛」問題が生じて、国際放射線防護委員会(ICRP)の理念に基づいた避難解除ができず、早期復興を閉ざしてしまったということだ。
実際にはそんな非現実的な放射線量を設定し、それに対する批判そのものを封じてしまったことが、復興を大きく阻んだ。
この反省は全くされていない。

その理由は、日本中のエセ原子力「専門家」やその人達を重用したマスコミが、一致団結して反原子力のキャペーンを張ったからだ。
何度も書くが、もっとも大きな東北の震災の反省はそのことだと思う。
どうしてもっと大きく取り上げられないのか、不思議で仕方がない。

マスコミはお涙頂戴の絵を探して特集を組む。
どんなものでも同じパターンだ。
阪神大震災でも、九州でも、広島でも同じ。
それが悪いとは言わないが、本当の意味で災害対応を反省してこれからはどうすべき、というようなことは全く考えない。
それでいいのかと思う。

今の日本の大きな問題は、マスコミが自分たちが正しいと思うことを、あたかも中立な意見として伝えていることだ。
自分たちと違う意見は存在しない、という立場。

そして、彼らは反省しない。
自分たちの間違いは認めないのだ。

戦前のマスコミの体制と同じだ。
あの時、国民をさんざん開戦に煽り、戦争が始まっても従軍記者が自ら戦意高揚の記事を書き、国民を戦争に追いやった。

それは全く変わっていない。

もっとそれをみんな知るべきだと思う。





| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
石油からできるプラスチック
小泉進次郎が「意外と知られていない」と言ったのが、「プラスチックは石油からできている」ということ。
本当に意外と知られていないのだろうか。
これはどちらかというと、常識の部類だと思っていたが…。

プラスチックは合成樹脂と言われて、石油から作られることは学校で習った。
というか、石油から作られていないのなら、いったい何からできていると思っているのだろうか。
プラスチックという物質があると思っているのだろうか。

プラスチックという英語は、可塑という意味で、形を自由にできるというような意味だ。
自由に成形できるから、プラスチックモデルのように、自由に形を作って組み合わせることができるのだ。
今やこういうことが、当たり前の事実ではなくなっているのか。
本当なのだろうか…。

プラスチックやビニール、ポリウレタンなど、石油からできているものはたくさんある。
ペットボトルもそうだ。
プラスチックが石油からできているのを知らない人は、ペットボトルは何からできていると思っているのだろうか。
こういうのが、理科離れの影響なのだろうか…。
何だか信じられない。

小泉進次郎は、意外と知られていない、と言ったくらいだから環境相になってからその事実を知ったのだろうか。
ニュアンスとしてはそんな感じだ。
それが若い人たちの常識だとしたら、ちょっと信じられない。
そういう人が、環境相になって、レジ袋の有料化をしたのか。

昔は、プラスチックを燃やすと有害物質が出ると言って、プラスチックは燃やせなかった。
しかし、焼却炉の性能が上がり、プラスチックは燃やせることになった。
今は有害物質も出ないし、燃やすことでエネルギーリサイクルができる。
尼崎市はほとんどのゴミを燃やしている。

レジ袋を標的にするくらいなら、ペットボトルを禁止するほうがマシだ。
プラスチック全体の消費におけるレジ袋の消費量などしれている。
日本の石油消費のうちのたったの0.2%であり、レジ袋はゴミ袋としても有効利用されているのだから。

今の小泉進次郎を見ていると、日本の政治家もバカになったと痛感する。
もう少しまともかと思っていた。

早く辞めさせたほうがいいぞ。



| | 考えたこと | 20:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ABC予想3
ABC予想について、京都大学教授の望月新一が論文を発表したというのが2012年。
その次に、どうも正しいのではないかという記事が出たのが、2018年。
そして、こないだの新聞にまた記事が出た。

前にも書いたが、あまりにも難解な論文であり、内容を理解できる人は世界に10人という話もある。
その論文が掲載されたということで、一応認められたということだろう。
それもまだ定かでない。
中には反論を出している人もいるとのこと。

ABC予想というのは、3つの整数の素因数の足し算、掛け算に関する問題。
難しいのは、無限に組み合わせがあるということ。
そのために、全く新しい概念から問題を解いたということだろう。
その新しい概念が「宇宙際タイヒミューラー理論IUT理論」という。
この中にABC予想の証明も含まれている。

何が難しいというと、彼の論文は全く新しい形式で書かれており、多くの新しい用語や定義があるからだという。
それらを一つ一つ理解して、500ページ以上の内容をチェックするのは難しい。

論文が掲載されるまでに9年かかった。

彼の頭の中には整然と「宇宙際タイヒミューラー理論IUT理論」があるのだろう。
この調子なら、それを噛み砕いて、素人でもわかるように説明するにはまだまだかかりそうだ。

ぼくが生きている間に、そういう説明をしてくれるライターが現れるだろうか。

難しいかもしれないなあ。






| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
STEM教育
これからの時代、IT教育は大事。
NewsWeekの記事があった。

STEMという造語、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Math(数学)の頭文字を取った言葉。
これらの教育を、アメリカは国家戦略としているらしい。

これが日本は最低レベルだという。
確かに今のIT人材の状況を見ているとそう思う。
日本はそういう人材が足りない。
セキュリティなど最たるもの。
こないだ書いたとおりだ。
そういえば、昨日近大が情報学部を新設という全面広告が日経に出ていた。

小中学校の教科で言えば、理科と算数、数学がそれらにあたる。
ぼくはそれらの教育がうまくいかないのは、コンピューターなどの機器を使わずに勉強していることばかりとは思わない。
逆に使えばそれらのリテラシーが上がると思うのなら、スマホを使っている小学生がたくさんいるのに、彼らのリテラシーが上がっているのか確かめるべきだ。
記事にあるようにジェンダーバランスだとも思わない。
あるにしても、そんなに大きな影響はないと思っている。

何より、教師の資質だと思う。
教師が科学を信じ、科学的に考え、技術や工学を信頼し、良きものだと考え、数学を理解していれば、今のままでももっと良くなると思える。
教員の養成課程を変えないと、カリキュラムをいくらいじっても、そんなに変わらないと思う。

文科省の間違いは、教育の本質は教員だということをわかっていないことだ。
いや、本当はわかっているのかもしれないが、それを言い出すとややこしいから、だまっているのかもしれない。

ぼくは10年間大学で勤めて、それがわかった。
何年もやっている人たちがわからないはずがない。
同じ教員だから、言えないのかもしれない。

学校は教員で閉じた世界だ。
だから、北須磨小学校のような問題が起きる。
あんなのは氷山の一角だと思う。

少なくとも民間ではあんな子どもじみたバカなことはやらない。
学校は閉じた世界だから、そんなこともわからないのだろう。

だから、教員になる道筋を複線化するのが一番はやいと思う。
30歳や40歳で小学校や中学校の教員になれるような枠を作ればすむ。
簡単だ。
何十年も変わらない教員採用試験はもう意味が薄れている。

それがSTEM教育をする前に、まずやることだろう。





| | 考えたこと | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
重すぎるおちょやん
今回の朝ドラは「おちょやん」。
浪花千栄子の話だという。
彼女を知っている人は今の70代後半の関西人くらいか。
テレビが無かったから、そんなものかもしれない。

ぼくがかろうじて覚えているのはオロナインかなにかの宣伝。
昭和30年代後半あたりにテレビでCMをやっていたと思う。
もうだいぶ年だった。

それにしても、今回の脚本は重すぎる。
もともと不幸な生い立ちだったのだろうが、喜劇の話とは思えない重さ。
朝からこんなのやるか、という気がする。

それでなくても、バカみたいにコロナのニュースをやって、そのあと7時半からBSで朝ドラを見るとさらに暗くなる。
もう少し考えて作れないのかと思う。
いや、計算づくでやっているのかもしれない。

最近の女優の名前はほとんどわからないが、朝ドラに出た女優はわかる。
わかるのだが、逆に面白くない朝ドラに出ると、その女優のイメージ自体が悪くなる。
別に女優が悪いわけではないが、ドラマが面白くないから、悪くなるのは仕方がない。

今まで悪かったのは、「まれ」の土屋太鳳。
仕事をなめとんのか、という脚本だった。
あれほどひどい脚本も珍しい。
この人が出ている映画やドラマは見ない。

「半分青い」の永野芽郁もひどかった。
前半はマシだったが、後半はむちゃくちゃ。
よくこんなの書いたなあ、というひどさ。
この人も見る気がしない。

そういえば、「天花」というのもあった。
あれはひどかった、という記憶だけ残っている。

その3つくらいだったが、4番目に来るのが「おちょやん」かな。
杉咲花には気の毒だが、仕方がない。

全くの個人的意見です。




| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスコミ世論
またまた同じようなことを書く。

「欲しがりませんゼロコロナまでは」という記事があった。
藤原かずえさんというブロガーが書いている。

この人の「テレビ界「バカのクラスター」を一掃せよ」という本も読んだが、今のマスコミの偏向報道がよくわかる本だった。

彼女は今回の緊急事態宣言の発令については、以下のように書いている。

「ここで極めて非論理的であるのが、緊急事態宣言という高度な科学的知識が必要となる判断を専門家でもない国民に聞いて一体どのような意味があるかということです。しかも、新聞・テレビは実効再生産数すら示すことなく、ひたすら根拠もなくゼロコロナの論調一色に染まっていました。明らかに、科学的知識がない国民にとっては、新聞・テレビが主張する緊急事態宣言を肯定する選択肢しかない状況にあり、このような状況下で行われた結論ありきの世論調査は、大衆を悪用した単なる政権攻撃に他なりません。いまや新聞・テレビのモティヴェイションは、社会正義や国民の幸福の実現ではなく、政府という強い悪者と対峙する正義の味方を安易に演じている自分を誇示する自己実現&承認欲求に過ぎないのです。」

これが正論だと思う。

そもそも、世論に問うような問題ではない。
これは完全な世論操作であり、社会正義などかけらもない悪意の行為だと思う。
菅政権も、コロナ対策については事実に基づいて緩和の方向だったが、この世論操作で完全に反転したと思う。

書かれているように、日本国民は過剰にマスコミを信用しているのだろう。
政府への信頼度の倍ほどあるのだから。

今回のコロナ騒動の本質がよく分かる。
コロナを作り出しているのは、マスコミなのだ。

そして80年前も同じことが起こったと、彼女は書いている。
ぼくもそう思う。

それが政治家たちが避けようとしていた日米開戦を後押ししたということだ。
結局マスコミが国民を煽って太平洋戦争が始まった。
そんな反省はマスコミは全くしない。
自分たちが報道の内容を決めているからだ。
原発も、コロナもみんな同じ。

マスコミが招いた災害だ。





| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
まおりんだでぇ!
Youtubeでギターの動画を探していたら、まおりんという鳥取出身のYoutuberに出会った。
まおりんは鳥取で地下アイドルをやっていたという女子。
1年ほど前に鳥取から神戸に出てきて働いている。

どこで働いているかはわからないが、飲食店らしい。
なぜかというと、ワンルームのルームツアーの動画で、冷蔵庫の中を見せてくれたときに、冷凍ご飯がやたらたくさんあり、それは勤め先で余ったご飯をもらって帰っているということだからだ。
食事のほとんどを、まかないで済ませていると言っていた。

見つけた動画は「ギター初心者あるある」という動画。
ギターを始めたまおりんが、初心者が思うことを面白おかしく作っている。
これはよくできていると思う。

飲食店で働くかたわら、ギタースクールにも通っていて、ちょうど神戸に来てから習い始めたという感じ。
わりと上達が早い。
ご本人はシンガーソングライターを目指しているそうで、弾き語りの動画もある。

何より面白いのは鳥取弁の解説動画。
「がいな」という言葉や、「県外ではいじられる鳥取弁」というようなコンテンツはなかなか秀逸。
喋りもうまい。
さすがに地下アイドルをやっていただけのことはある。
iPhoneだけで撮影、編集をやっているとは思えない。

何より神戸に住んでいるということで、すごく親近感があった。
でも、残念ながら去年の4月に神戸を離れ、鳥取の実家に帰った。
帰ってからは、鳥取弁やギターは減って、ヘア化粧品関係の紹介動画が増えた。

でも、6ヶ月前くらいに突如投稿が終わってしまった。
インスタもツイッターも概要欄にアカウントが出ているが、もう削除されている。

チャンネル登録者数2430人。
やっぱり実家に帰ったら、そんなに面白いことはできなくなったのだろう。
知り合いもいるし、その人達にもYoutubeのことは知られていたりする。
自分の過去を知らない、見ず知らずの人ばかりの神戸でならできたコンテンツも、故郷ではやりにくかったりしたのだろう。

せっかく面白いYoutuberを見つけたのに、もう半年も更新がない状態。
なにかあったのかもしれない。
ネットで「まおりん」と入れてみても、なんの情報もない。

まあ、しばらくチャンネル登録しておいて、連絡を待とう。
いつかひょっこり現れてくれるかもしれない。

Youtubeの世界も大変なのだろう。

| | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
便利なインスタ
今日、学生とエントリーシートで大学に入ってからの出来事の棚卸しをやっていたら、「思い出せんから、インスタ見てもいいですか?」と言われた。
キャプションを入れて、写真がアップされている。
なるほど、何かあれば最近の人達は写真を撮っているが、こういう風に使っているのか、と思う。
写真を見れば、その時のことを思い出す。
なるほど、これはいい!ということになった。

インスタでなくても、スマホの写真フォルダでも構わない。
こちらはキャプションはないが、見ると記憶がよみがえる。
iCloudやGoogle Photoでも同じこと。
写真には撮った日付が入っているから、便利だ。

こんなふうにして、世の中は便利になっていく。
今の若い人たちは、ずっとスマホで写真を撮り続けるのだろうか。
いったい、画像のストレージがどれくらい必要になるのだろう。

今はまだGooglePhotoは無料だが、そのうちそうは言っていられなくなるだろう。
そういえば、こないだGoogleからメールが来ていた。
ある容量を過ぎると要らない写真を消すか、有料になるということだ。
たしか、捨ててもいい写真をリコメンドしてくれる機能もあるとか、書いていたはず。

ぼくらはもうすぐいなくなるからいいが、若い人たちの写真の撮り方は半端ではない。
たしかに生活の記録になるだろう、という量だ。

みんなが生きた記録を残していく。
あらゆる画像が溜まっていくから、人工知能の教育用にはぴったりだ。
GooglePhotoには1日に280億の写真や動画のデーターがストレージされていくとのこと。
恐るべき量であり、これを保存できるというのは、とてつもないインフラだ。

いったい、どれくらいの記憶容量があるのだろうか。

昔は日記を書いておくくらいしか、記録はできなかったのだが、今は写真がある。
それくらい写真というメディアは身近になった。
それを支えるインフラだ。

これを一日も休まず、バックアップも取って、運営している。

GoogleもAppleも、すごい会社だと思う。



| | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
巣立ち
13日は勤務している大学の卒業式だった。
ほとんどの学生が袴姿。
昔のように晴れ着の学生はいない。
動きやすさもあるだろうし、かっこいいというのもあるだろう。

式が終わって、何人か事務所に来てくれた。
例の、ぼくに「卒業式の日は来ないんですか?」と言った二人組も、約束通り揃って来た。
握手をして、卒業を祝う。

以前、大学職員としてキャリアの仕事をしてたときには、卒業式は忙しかった。
式の時は舞台袖で進行の確認や音響の操作など、終わってからも夕方に会に出ないといけなかったりして、のんびりできなかった。

学校法人を辞めて、資格を取り、キャリアの仕事をやって、2017年からは就職筆記試験の指導という仕事もやっている。
といっても、今の所は週4日の請け負い業務で、毎年更新があるかないか、という仕事。
幸い、来年も更新で、5年目に入る。

不思議なもので、学校法事の辞めた今のほうが卒業式を素直に祝える。
学校法人を辞めて、初めて卒業式のために学校に行ってみて、それがよくわかった。

いい場面を見ることができたと思う。

これからの時代を支える若い人たちに、頑張ってほしいものだ。






| | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
SEは文系の仕事?
大学のキャリア支援の仕事を始めて、最初の頃はシステムエンジニア(SE)やプログラマの仕事が文系の大学に来ることが不思議だった。
IT企業の人事に聞くと、複数の理由がある。

・理系の学生にはコミュニケーション能力が足りない人もいて、SEに向いてない人も多い。
・そもそも、学校ではプログラミングを勉強していないから。
・プログラミングの言語が多く、いずれにしても研修でやるから。
・理系でITを目指す人が数が足りないから

ということで、IT系の企業ではSPIなどの一般的な筆記試験はやらず、類推する力を問うような、パズルのような試験(CABなど)をやるところが多い。
そこでプログラミングの適性を見ているのだ。
ぼくがキャリアの担当になったときには、すでにそういう状態だった。
4つ目の理系の人数が足りないから、というのは文系の大学のキャリア担当には言わないが、本音の部分では思っているのだと思う。

実際、時々報道されるが、日本のIT人材は不足している。
それがほぼ20年以上続いているのが現実だと思う。
本来ならそういう人材を育成するべく、国家が動くべきだったと思うが、今の「デジタル化」や厚労省の発表などを見ていると、到底そんなレベルではないことがわかる。
今回明らかになったが、国立感染症研究所などひどいものだ。
そもそも数字が読める人がいないのではないかと思う。

そういう人材を輩出すべき大学がこの20年全くと言っていいほど何もしていない。
IT系の専門学校はできているが、工学部や理学部でITの技術を教えようというところは世の中のニーズに全く対応できていない。
だから、会社に入ってから研修で教えているのだ。

本来なら、即戦力に近い人材がほしいはず。
それでも相変わらず、私立大学は文系メインで、役人も文系ばかり。
そういう体制が悪いのだと思う。

結局のところ、ITは80年代以降に発達した分野であり、進歩も早いので、教える人材を確保するのが従来のアカデミックルートに頼っていてはダメなのだと思う。
実際にITの仕事をしている人が教えるしかない。

旧態依然とした学問なら、掃いて捨てるほど博士がいるし、ロートルの教授もいくらでも雇える。
だから、簡単に学部を作れる。

しかし、IT系はそれができないから、これだけ社会のニーズがあっても、大学は対応できないのだ。
結局は日本の大学のアカデミックな人々のワガママが、日本の進路を狂わせたと言っていいと思う。

だが、それもIT系の新入社員に高い給料を払い出す企業が増えたら、変わると思う。

このIT人材の不足、という事態は今の日本の悪いところの膿が出た結果だろう。

もうだいぶ手遅れだが、これからそういう動きが出てくることを祈るのみだ。


| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ソニーが車を作る
ソニーが車を作るという話は出ていたが、いよいよショールームで3月28日から公開するらしい。
ぼくが小学生の頃、父がトランジスタラジオを買ってきて、家族で聞いた。
あの当時、まだテレビは白黒で回すチャンネルが付いていた。
回すチャンネルと言っても、もう死語だろう。
若い人はどうやって回すのか?と思うだろうなあ。

あの小さなラジオを作っていた会社が、約半世紀を経て、車を作るという。
どうやって作っているのかと思ったら、EUに自動車製造受託会社というものがあって、そこに受託しているとのこと。

ソニーは目の代わりになるC-MOSセンサーの大手。
この車はなんと40個のセンサーで360度の認識をするという。
ダッシュボードは先日発売された、ホンダのEVと同じく、幅いっぱいのディスプレイだ。

車内を写すカメラで、乗っている人の状況に合わせてエアコンの温度を変えたり、音声認識や学習機能も付いているということだ。
何度か同じ指示を出したりすると、次から自動でそれを実行したりするのだろう。
こうなると、車はどんどんパソコンに近づいてくる。

車の中の電気製品やセンサーを開発するためには、いっそのこと車を作ったほうが早い、ということだ。
日本にはないが、欧州には車の製造受託を受ける会社があるということに驚く。

電気自動車になったら、部品点数も大幅に減るし、こういう動きが加速してくるだろう。
移動の道具としては、カーシェアリングは有効な手段。
都市部では、シェアして使えば、車の台数は少なくていいということだ。

それでも、車がほしいと思わせるためには、車に移動以外の価値をつけなければならない。
その答えの一つが、車をペットのように家族にすることだろう。
ショールームではソニーのペットロボットaiboと一緒に展示されるらしい。

車がネットと常につながって、いろいろな情報を蓄積して、常時会話できるようになったりする。
そういう未来をソニーは考えているように思える。
つまりは、車をパーソナライズして、シェアリングできないものを作ろうとしているのではないか。

トヨタやホンダはどうしていくのだろうか。

楽しみだ。



| | 考えたこと | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
震災10年
震災10年と言われてもピンとこない。
ぼくにとっては、阪神大震災の方が実害もあったし、身近だからだ。

とはいえ、東日本大震災が起こったときのことを思い出す。
当時はちょうど勤めていた大学で、1学部を2学部に分けて、新しい学部を作り、さらに今の学科を潰して新しい学科を作る、という作業をやっていた。
たしか、会議室でその話をしていて、立っている時に地震が起こったと思う。
最初は地震や、と言って身構えたが、やけに長く横揺れが続いたなあという印象だった。

どこであったんやろ?とは思ったが、地震が収まったあとも、その会議は続けたような気がする。
家に帰っていつ津波のニュースを聞いたのか忘れた。
あの映像はショッキングだったが、それがどれだけ深刻か、まだまだわかっていなかった。

そこから先は原発事故がメインだったと思う。
原子炉の冷却水が停電で回らないということだった。
どう考えても、エライことだ。

驚いたのは菅首相が海水を使って冷却することに反対したこと。
素人考えでも、まず冷やさないといけないだろうと思った。
現場の判断で海水で冷やしはじめて、安心したのを思い出す。

関西のぼくらにとっては、東北の震災は遠い彼方。
ひんしゅくを買うかもしれないが、やっぱり阪神大震災が震災だ。

でも、それからの原発、原子力に対する報道はひどかった。
たしかに東電も、経産省も、原子力村も悪い。
だからといって、いつまでも原子力を悪者にしてもいけない。
福島の事故を教訓に、原子力をどう使っていくのか、という議論をしないといけないのに、菅首相が何の法的根拠もなく日本中の原発を止めて、LPガスを高い金で調達し、毎年何千億もの損をした。

何より、マスコミが今回のコロナと同じく、不安を煽るエセ科学者を使って、どんどん恐怖を煽った。
今朝のテレビでいまだに風評被害が…、と言っていたが、それを作ったのはマスコミだ。
やれ、東京には人が住めないとか、今ならお笑いぐさだ。
マスコミに影響されて、安いガイガーカウンタ−で放射能を測定し、関東の人たちが危険だ危険だと騒いだりしていた。
いまだに雨水をタンクに貯めて放出できないでいる。
「風評被害」が怖いから、と漁協は言う。
いつまで言い続けるのだろうか…。

国連科学委員会(UNSCEAR)などの報告書から、10年経って原発事故の健康被害を総括すると、

・被曝自体を原因とした被害は起こらず、今後も考えられない。遺伝など次世代への影響もない。
・東電原発事故ではそもそも懸念される量の被曝そのもの自体が起こらなかった。
・一方で放射線以外を要因とした健康被害は多発し、震災関連死も福島が突出した。

ということだ。

マスコミは戦争を煽ったという事実も反省しないし、放射能、原発の恐怖を煽ったという事実も反省しない。
エセ学者センセイも全く謝罪もしなければ、反省もしていないのだろう。
原発、放射能で儲けて、逃げてしまった。
当然、マスコミもそれを追求しない。
すれば、自分たちの身が危うくなるからだ。

国連の調査結果も報道されない。
事実を報道するのが、マスコミではなかったのか。

きっと今回のコロナも同様だろう。

なんか毎日同じようなことを書いているが、腹が立つから仕方がない。



| | 考えたこと | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
邪悪になるな
グーグルの企業理念は’Don't be evil’だったはずだが、これは2018年にこっそり消されていたらしい。
今や世界最大のIT企業になってしまったグーグル。
検索の技術で世に出て、そこから検索ワードからその人の情報を得て、広告に利用するというビジネスモデル。

この検索技術をタダで使えるのなら、別に検索ワードなどかまわない、と思っていたら今や世界一の広告会社になってしまった。
そのおかげで、電通は本社ビルを売る始末。
インターネットとテクノロジーに負けたということだろう。
どう考えても、不特定多数にお金をかけて広告するというビジネスはもう無理だ。
今の日本を象徴するような出来事。

グーグルの創始者の一人、ラリー・ペイジはイノベーションを起こすことが大事だと言っていたし、それが世界を良くする、とも思っていた。
インターネットは民主的なことを進めるものだ、とも考えられていた。
その証拠に、中国ではインターネットは規制されている。

しかし、グーグルに代表されるITの巨大企業は大きくなりすぎたのだろう。
グーグルは今や情報インフラの主になっている。
コンマ数秒で世界中の情報が検索できる、というインフラを作り上げている。
もはや検索技術だけの問題ではないのだ。
グーグルのクローラーが情報を集めてネット空間を走り回っている。
今やグーグルは新しい情報を集めなくても、ホームページを作ったら、どうやってグーグルの検索の上位に出てくるかを考えないといけない時代。

グーグルの今の課題は、サーバーを動かす電気だという。
そのサーバー群に支えられて、ぼくらは毎日ネットを使っている。
あまりにもその環境になれすぎて、ネットの情報が全てだと思ってしまう。
だから、グーグルが検索で引っかからないようにしたものは、世の中には存在しないことになる。
実際にそういうことが起こっている。

トランプ元大統領は今は世界に存在していないかのようだ。
Twitter社がアカウントを停止したからだ。
アメリカでは別のSNSを使ってやっているのかもしれないが、日本ではもう存在しないようなものだ。

世論をコントロールしようと思ったら、簡単にできるだろう。
徐々に自分たちが好ましくないと思う情報は、表示されないようにしていけばいい。

今はまだネット以外の情報入手元があるが、それらが全部ネットに駆逐されたら、いったいどうなるのだろうか。

グーグルは神になるのだろうか。

ターミネーターのような未来が来るのかもしれない。


| | 考えたこと | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドリアンのダイアトニックコード
ドレミファソラシドのレから始まるモードをドリアンという。
レミファソラシドレ、というスケールだ。

マイナーセブンスの時に使えるモードだが、この特徴は6番目の音が長6度になっていること。
これはキーがCの時に二番目のコードである、Dm7で普通にCメジャーのスケールを弾けばいいのだと思っていた。

しかし、そういう時ばかりではない。
マイナーだから、移動ドで考えるとラから数えて6番目の音であるファがファ#になるスケール(これがドリアンスケール)の上に和音を積み重ねると、ドリアンスケールのダイアトニックコードができる。
AドリアンのダイアトニックコードはAm7、Bm7、CM7、D7、Em7、F#m7-5、GM7となる。

普通のAm(ナチュラスマイナースケール)のダイアトニックコードはAm7、Bm7-5、CM7、Dm7、Em7、FM7、G7という普通のコードだが、ドリアンスケールではダイアトニックコードが変わるということだ。

そういう風になっているとは思わなかった。
おのおののスケールには、その和音を積み重ねたダイアトニックコードがあるのだ。

だから、Am7一発の時に使えるペンタトニックスケールは、ラから始まるAmペンタトニック以外に
Bmペンタトニック(シレミファ#ラ)とEmペンタトニック(ミソラシレ)の3つになる。
これらのペンタトニックスケールなら、ドリアンスケールを外れないからだ。

こういうことは、ほとんどの人にはチンプンカンプンだと思う。
しかし、ジャズの和音とか、モードというものを知ろうとすると避けては通れない。
というか、実際にはやっていたことが、こういう理屈だったのかと後付けで感心したりする。

そういう喜びも出てきた。
こないだのレッスンは、そういう発見があって、すごく面白かった。

ぼくの先生はもともとはぼくと同じくフォークから入って、そこからロックに行き、いろいろ勉強してジャズもやっているという強者。
自身の昔からやっている「うるさい」ロックのバンドも続けている。
ぼくは聞いたことはないのだが、自分が年齢的には下から2番目で、上は5歳上というから、かなりの高齢バンド。
やるたびに、いつまでできるのかなあ、と言っているらしい。

いつも京都のライブハウスでやっている。

そういう仲間がいるというのは、うれしいことだと思う。





| | 考えたこと | 20:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
さよならクラウン
知らなかったが、クラウンが生産中止になる。
クラウンというと、レクサスができるまではトヨタの最高級車。
吉永小百合が宣伝に出ていて、有名な「いつかはクラウン」というコピーもあった。

ぼくは全くクラウンには思い入れはないが、今の70歳代くらいの人たちの中にはそういうファンもいただろう。
逆に言うと、ファンが70代以上になって、もう買えなくなったから生産中止になったとも言える。
まあ、レクサス(初代はセルシオ)が発売されて、その時点でクラウンの使命は終わっていたとも言えるのだが、やっぱりクラウンは長い間日本のセダンの代表だった。

昔のクラウンはラダーフレームというシャシーの上に、ボディがのっており、とにかくしっかりしていた。
世の中の主流が、シャシーとボディの一体型のモノコック構造というのになっても、クラウンは簡単には採用しなかった。
圧倒的に振動や騒音には強かった。
しかし、コスト圧力やモノコックの性能も上がってきて、いつしかモノコックになった。

遮音材等をだいぶ使って、音の対策はしたのだろう。
やっぱりクラウン、という高級感はあったなあ。

それでも、当時30代から40代のぼくらにはオジサンの車という感じだった。
アスリートというようなスポーツモデルも出て、若者向けというのもアピールしていたが…。

そのうち、初代のセルシオが発売されて、クラウンは一気に色あせてしまった。
ドイツ車対抗ということでできた車。
ぼくも付き合って、本当にえらい目にあった。

最近はハイブリッドも出て、まだまだ続くのかと思っていたが、やっぱり無理だった。

平成の終わりともに去っていく。
そういえば、コロナマーク2と言っていたマーク2もいつしかマークXになって、消えていった。
一時はマーク2、チェイサー、クレスタと3兄弟を誇っていた。
懐かしい。

どんどん昭和は遠くなる。

そのうちチャチな電動車ばかりが走り回る時代が来るのだろうか…。

幸いぼくはその時代は見ないですむと思うけど。




| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
経済破壊担当大臣
こないだニュースに出ていたが、経済再生担当大臣がコロナの自粛を継続して、日本経済を破壊しているのは怒りを通り越して笑ってしまう。
ネット上では経済再生担当大臣の「再生」が「破壊」に置き換えられているのを見て、これも笑ってしまった。
一体自分の役目を何だと思っているのだろう。

国立感染症研究所が出した英文のレポートでも、GOTOを中止したことは感染に対して寄与は認められないと言っているのに、どうして再開しないのだろう。
感染者数と一番相関が高いのは、「気温」である、とそのレポートも認めているのに、どうして自粛を続ける必要があるのだろう。
自分が経済「再生」担当だという自覚はあるのだろうか。

毎日出てくる緑のタヌキ(東京都知事)も、ベッド数をごまかしたりしているのだが、そういうことはマスコミは追求しない。
結局コロナで自粛を続けることが、マスコミの利益になるとわかっているのだろう。
医療資源を確保することが目的だったものが、いつの間にか新規感染者数などというわけのわからないPCR検査の結果に置き換わっている。
これから無症状者も積極的に検査するらしい。
なんともない人を調べる病気など、今までなかった。
バカなことをやっていると思わないのだろうか。

ネットを見ていたら、行きたいところに行きたいし、会いたい人に会いたい、という投稿があった。
まさにその通り。

こないだ近所のオジサンと話をしていたら、道を黙って歩いている時などマスクを外してもええやん、という話になったが、そうすると周りの人が見る、という。
これを同調圧力という。
日本は同調圧力が高い国だと思う。
何より、人の迷惑になるのはイケナイ、という国だからなあ。

散髪屋のご主人は、だれかコロナとインフルエンザを比較して話ししてほしい、と言っていた。
ごもっともな意見だと思う。

でも、今は「人はコロナと思え」という時代。
嫌な時代になったものだ。
オープンエアで黙って歩いていて、どれほどの飛沫がでるのか。
だいいち、コロナ風邪を発症もしていないのに、なんでマスクをしないといけないのか。
早くインフルエンザと同じ扱いにしてほしいものだ。

ぼくは朝の駅までの通勤時はマスクはしていないが、そういう目はたしかにある。
時に、マスクをしていない人とすれ違うと、目を合わせてしまうのも事実。
「その目がマスクをするのはバカらしい」と言っているように思う。

早く経済破壊担当大臣はちゃんと自分の仕事をしてほしい。
モーニングショーのスポンサーのものは買わないぞ。

と言っても、見ないからどこがスポンサーかもわからないが…。

| | 考えたこと | 19:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
小惑星アポフィス
今日の夜、小惑星アポフィスが地球に接近するとのこと。
といっても、衝突の可能性はゼロで、地球から1690万キロ離れたところを通る。
月から地球の距離の44倍もある。

アポフィスは直径350m。
NASAが管理している「潜在的に危険な小惑星」の3位らしい。

この小惑星は何年かおきに接近するのだが、2068年には地球に衝突するかもしれないとのこと。
かもしれない、といっても15万分の1とかいう確率。

恐竜を絶滅させた小惑星は直径16kmだったらしいから、ぶつかってもだいぶマシだ。
とはいうものの、中長期的な影響は免れない。
地球規模で寒冷化が進むという。
この程度の小惑星は8万年に一度は落ちる計算らしい。
誰がどうやって計算したかは知らないが…。

その程度の衝突を経ても、人類が滅びていないのだから、何とか生き延びられるのだろう。
それでも、被害は甚大だ。
まきあがった粉塵で日光が遮られて、寒冷化するのだろうか。

あと47年もあるから、ぼくはその時はいない。
でもぼくらの世代の何人かは100歳を超えて生きているだろう。
まあ、生きていてももうほとんどわからなくなっているだろうが…。

何年後かにアポフィスが接近した時に、小惑星の探査をする計画もあるらしい。

あと47年、地球はどうなっているだろう。
日本は人口が半分くらいになっているはず。
でも、人類の人口は高齢化はするが、増え続けて100億を超えるらしい。

今、炭素を目の方にしてカーボンゼロとか言っているが、一番環境に良くないのは今の人類だろう。

一体どういう世の中になっていくのだろう。

そっちのほうが気になる。



| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
64歳
毎年3月5日が来ると1歳ずつ歳を取る。
今日で64歳。

64は、1,2,4,8,16,32で割れる。
約数を全部足しても63だから、完全数ではない。
64は2の6乗だ。
最近のパソコンのビット数は64。

どうひねくり回しても、結局は64で、生まれてからまる64年経ったということだ。
気になって、このブログで3月5日の記事を見てみたら、前回書いているのが54歳。
ちょうど10年前だ。

だいたい10年おきに、年齢のことが気になるのか。
他に書くことがなかったのか…。

小さい頃は64歳になるなど想像もしていなかった。
まあ、誰でもそうだろう。
でも、不思議なものでなってみると、あっという間だったと思う。
特に後半は飛ぶように過ぎた。

やっぱり一番よかったのは、落研かなあ。
今になって、そう思ったりする。

人生を四季に例えると、春から始まって、今は冬だ。
こないだの萬田医師のノートに、人生が長くなったのは人間が強くなったのではなく、弱くても生かされている人が増えた、と書いてあったが、そのとおりだと思う。
だから、認知症が増えるのだろう。

これからの死ぬまで、あと何年生きるのだろう。
あと何年仕事できるのだろう。

こんな高齢者が増えて、いいのだろうか。

そういうことを考えていると暗くなる。

とりあえず、64歳になった。

次に書くのは74歳だろうか…。



| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスコミの力
マスコミは第4の権力という言葉があったが、今の日本では間違いだ。
マスコミは一番強い。

新聞、テレビしか見ない人たちは、たくさんコロナ脳になっているのだろう。
関東の緊急事態宣言の延長を見てそう思う。

Twitterのぼくのタイムラインでは、大阪のほうが重傷者の数が多いのに(絶対数は少ない)なんで関東4都県は緊急事態なのか?など載っている。
先日紹介した萬田医師のノートも出ているし、東京都のベッド占有率は明らかにおかしいし、まともにいろんな数字をマスコミが読みさえすれば、あんな報道にはならないはず。

日本人は新聞の言うことは正しいと思っている人の比率が高い、というのもあった。
政府への信頼度は40%程度だが、新聞への信頼度は70%もある。
テレビへの信頼度も65%で両方とも中国といい勝負。
両方とも世界トップレベルで、先進国では1位。
アメリカやドイツの倍だ。

2017年に行われた国際比較の結果だ。
このサイトによると、

「2017〜20年に実施された2017年期の世界価値観調査によると、新聞・雑誌(英語ではThe Press、プレス)を「非常に信頼」、及び「やや信頼」している国民は、日本の場合、69.3%にのぼっており、図に掲げた78か国中、ベトナム(79.3%)、フィリピン(71.2%)、バングラデシュ(71.1%)に次ぐ世界第4位の高さとなっており、第5位の中国(68.2%)を上回っている。

 日本の信頼度は、先進国の中では断然1位であり、2位のポルトガル(50.4%)、3位の韓国(49.6%)を大きく凌駕している。」

今回のコロナ騒ぎを見ていると、この統計は本当だと思う。
せめてマスコミが批判的に見て、数字を元に報道していれば、こんなことにはならなかった。
まさに、マスコミが国民を動かした形だ。
こういうことが、負けるとわかっていた第二次大戦に突入したときも起こったのだろう。

もっと学校で情報リテラシーを教えるべきだと痛感した。

目の前のことしか見えない医科大の大学教授が、昨日ニュースで「もうちょっと感染者数を下げた状態で解除したほうがいい」などと言っていたが、これは学者の言う言葉ではない。

こんなのを使うマスコミにこそ、悪意を感じる。
完全に高齢者シフトしている。

クリティカル・シンキングは本当に大事だぞ。




| | 考えたこと | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドラマ作成支援ツール
色々と問題が多い終身雇用のだが、全くメリットがないわけではない。
自動車のような数万点の部品を組み上げて、一つのものを作るというようなケースでは、長期的な関係に基づく信頼関係が重要であり、そういう麺では終身雇用の制度上の強みも出てくると思う。
だからこそ、自動車産業はまだ日本が強いのだろう。
電気自動車になったら、部品点数が大幅に減って、そのメリットもなくなるのだろうか。
このあたりは日本の産業構造を考える上で、悩ましいところだろう。

知らなかったが、ドラマや映画を作るという作業も、そういうすり合わせ型のものらしい。
だから、相変わらず制作会社が強いのだろう。

しかし、Netflixという動画のネット配信会社が、コンテンツの自主制作に力を入れており、そういう作業の非効率を改善するツールを作った。
Prodicleという名前のツール。

紹介の記事によると、脚本から自動的に出演人物や小道具を抽出し、スケジュールの調整や小道具の手配を自動的にやるということだ。
今までこの作業はスタッフが毎回手作業でやっていたという。
予定変更に伴う連絡もFAXがメインらしい。
現場では紙が強いということか。

映画やドラマの撮影に参加する関係者の数はとんでもなく多いらしい。
たいがい撮影のシーンを見ると、周りに一杯の人がいるのは事実。
あれは実際にそうなのだろう。
小道具一つなくても、撮影は成り立たないから、大変だ。
時間も前後して撮影したりするだろうし、直前の場面で身につけていた小道具を忘れたりするとややこしい。
時々、NGシーンで小道具の間違いなどが指摘されたりするから、見ている人は見ているのだ。

「雨のため、明日の撮影は延期」という場合、数百人の関係者の中から影響を受ける人だけにアプリで自動連絡する、という機能もあるという。
こういうのは、できそうで出来なかった自動化。
出来てしまうと、ありがたいと思う。

ぼくは以前、実車テストで3日間の日程で、テストスケジュールを組むのを自動化出来ないかと考えたことがある。
テストカー、タイヤサイズ、担当者、試験項目、テスト順などのパラメータがあって、どのテストは先にやらないといけないとか、これはタイヤが着く日がいついつだとか、このテストが終わったら、違うリムに組んで別のテストをやるとか…。
たった数十セットのテストを担当者十数人でやるだけでも、考えることは多くて、なおかつ突発の事態も多く、結局自動化は諦めた。

そういうことは、一番コンピューターでやりたいのだが、出来ないことだという印象。
天気や渋滞なども考慮しておくとなると、場合の数が多すぎて、できそうに見えるのだが手が出ない類の問題だった。

Prodicleはまさにそういう問題を解決したソフトだろうと思う。
こうなると、映画やドラマの作成の手配の仕事はコンピューターで代替えされる。

こういう類の仕事がコンピューターでできるようになると、本当に人間の仕事が減るだろう。
歴史的には、機械で代替えされても、別の仕事がまたできて人間の仕事はなくなってこなかったが、だんだんとそれも怪しくなってきた。

調整という知的?作業は意外と多い。

Netflixのような新規参入のイノベーターが出てくると、従来のプロダクションは苦しくなると思う。





| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
ソニーの人事改革
ソニーが給与体系を複線にして、優秀な新卒に多くの給与を払うというシステムを2019年に導入した。
記事を見ると、この改革の障壁になっているのは「中高年の嫉妬」ということだ。

「しかしながら、こうした新しい制度に対する最大の障壁となっているのは、中高年社員の感情的な反発である。新卒の一括採用で、年功序列の賃金体系を基本としてきた日本社会においては、新人に対して高額年収を提示することについて抵抗感を持つ人が多い。」

しかし、ソニーはそれと同時に新入社員に対してもジョブグレード制というものを導入した。
2015年に導入された制度だが、新入社員にもすぐに適用するということだろうか。
年功の要素はなくなって、仕事の役割に応じて給与が払われるらしい。

入社後3ヶ月でグレードが決まるのだが、中には数年先輩と同じ職務等級になった人もいるという。
複数のプログラミング言語を使え、開発に寄与したということが評価されたらしい。
同期の間でも、年収で40万プラス。

日本型の雇用システムは入社数年後のほんの少しの給料差でモチベーションを生み出していた。
それが会社の評価であり、新卒から何年かは横並び。
終身雇用、年功序列だから、会社にしがみついて生きる。
それが20年にわたる長期停滞でようやく変わろうとしている。
遅すぎたくらいだ。

一方で、去年の4月にはAIなどで極めて高い技術を持つ人材には年収数千万以上出す「エクセプショナル・リサーチャー制度」を導入している。
GAFAに対抗するためには、こういうこともやらないといけないのだろう。

調子が悪かったころのソニーだから、先述のジョブグレード制も導入できたのだと思う。
潰れるという危機感があった。
当時は全社員の4割が管理職だったというから、相当ひどかったのだろう。
高度成長のテンポで職位を上げていたら、そうなるだろう。
まあ、毎日新聞の「社員の2割が部長」よりはマシだが…。

ソニーのような多国籍企業だからこそ、危機感を醸成してやることができたのだろう。
大企業であればあるほど、難しい。

成果重視の組織に変えていかないと、やる気も出ない。
実際、日本のサラリーマンがモーレツだったのは昔の話。
今はアメリカよりもやる気のある社員が少ない。
ほとんど最下位だ。

会社にぶら下がっている中高年のやる気を出させるためには、荒療治も必要だと思う。
それが労使双方のためになる。

企業が儲けないと、日本は豊かにならない。



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最後の春休み
春休みがなくなって、もう四十数年。
大学に関わるようになってから、春休みがまた巡ってくるようになった。

春休みというと、やはり切ない気分。
別れを告げないといけないからだ。
この季節になると、「最後の春休み」が聞きたくなる。

もうすぐ別の道を歩き 思い出してもくれないの

一番思い出に残るのは、やはり大学4年の最後の春休み。
ぼくは卒業式にも出なかったし、下宿の近所の友だちとも、正式に挨拶を交わしたわけではなかった。

それでも、4年間入り浸った落語研究会の誰もいないBOXに行って、中に入ったこと、そしてその時の空がとても青かったのは覚えている。

入学式もあまり記憶にないし、卒業式にも出なかったような者が、大学に関わる仕事をするとは思わなかった。
まあ、ほとんど授業にも行ってなかったのだから、いい加減な学生だった。
いまだになんで卒業できたのかと思う。

この季節になると、毎年人通りの絶えた廊下を見ていて、そういうことを思い出す。
これも学校に勤めたものの特権かもしれない。

歳を取ると、そういう切ない思いをすることがなくなるから、こういうのは貴重だ。
そういう記憶が、心の老化を防ぐように思う。

だからユーミンのベストワンは「最後の春休み」。
どうということのない曲だ、という人も多いだろう。

今日のレッスンでこの曲のコード進行について聞いた。
メロディーだけ聞いているとそうでもないが、バックのコード進行は結構凝っている。
聞いてみると、サビのところの半音でベースが下がっていくC#m7-5-CM7-Bm7-Bbdim-Am7というところなど、なかなか良くできているとのこと。
そうだったのか。
そんなに凝ったコード進行だとは思わなかった。

ぼくにとっては、春休みの瞬間の思いを切り取った一枚の写真のような曲だ。

「ひっそりとした 長い廊下を 歩いていたら泣きたくなった」

きっとユーミンも最後の春休みに学校に行ったのだとぼくは思う。
そうでないと、この歌詞は書けない。

初めて聞いてからおおかた40年くらい経つ。

学校に関わるようになって、この曲の良さがわかった。






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