考えたこと2

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Songs to Soul
BS-TBSで日曜日の夜にSongs to Soulという番組をやっている。

昔のポップスの1曲にスポットを当て、その作曲者やシンガーの話を聞きながら、その曲を振り返るというもの。
時々見ていた番組だが、ぼくが生まれる前の曲から、若い頃によく聞いた曲まで、守備範囲が広い。
1950年代、60年代、70年代、80年代…。

今週は、ペトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」だった。
1964年の曲だから、東京オリンピックの年。
ナンバーワンヒットで、耳にしたことがある。
ペトゥラ・クラーク本人が出てきたが、もう85歳。
でも、しっかりしていた。

作曲者のトニー・ハッチがこの曲のサビの部分を思いついたのは、ニューヨークだった。
当時、キャロル・キングやニール・セダカが流行っていて、着想を得ようと一人でアメリカ旅行をしたという。
帰国して、メロディを作ってペトゥラ・クラークに聞かせたら、「この曲を歌いたい」と言った。
歌詞もできてないのに、気に入ったということだ。

レコーディングして、手応えがあった。
当時のアメリカのニール・セダカやキャロル・キングのヒット曲とは一味違う、オリジナルのポップスだ。
それも、イギリスのアクセントで歌っている。
”t”の発音がはっきりしていて、よくわかる。
アメリカ英語なら、あいまいに発音してしまうところだろう。
そして、全米1位を取った。

ちょうどビートルズがI want to hold your handを出した年。
これから、大きく音楽が変わる曲がり角の頃だ。
その直前に、「恋のダウンタウン」がヒットした。

そんなストーリーが毎回語られる。
曲をバックに、ゆかりの土地の風景や人が映る。
今回もロンドンやパリの街並みがきれいだった。

どういうわけか、その時間になると見てしまう。

今週から録画予約した。



| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
就活ルールと大学生の勉強
経団連の会長が就活ルールの廃止を決めた。
それに変わって、政府と大学が協議して新しいルールを決めることになる、とのこと。

この間、いろんなことが取り沙汰された。
「学生が混乱する」
「中小企業が採用しにくくなる」
というような声の中、「学生が勉強しなくなる」という声も出た。

これは、大学側が就活ルールがなくなると、採用活動が超早期化するので就活が長期化するとか、早々と内定してしまうとかいうことになり、学生が勉強をしなくなる、ということだと思う。

しかし、この理屈はおかしい。
勉強をするかしないかは、大学がどれだけやらせようとするかで決まるはず。
それなのに「勉強しなくなる」というのは、大学自身が就活は勉強より大事だ、と考えているということだ。
これはおかしくないか。

その証拠に、私立文系学部では4年次の必修の授業というのはない。
卒論ゼミだけが必修になっている。
さらに、ほとんどの私立文系では3年で120単位は取れるようになっている。
これも、4年生は就活で忙しいから、授業は3年で取れるように、ということの現れだ。
今は、就活に備えて、4回生は週に1日学校に来ればいい、という状況を学校が認めている、ということだ。
学費は週に1日でも同じように取るのにだ。

そのうえ、就活で忙しいのなら、ゼミに来なくていいという先生も多い。
公式には「人事のハンコが必要」という書類もあるが、そこは有名無実になっていたりする。

一方で、企業はもっと大学で勉強してほしいと言っている。
昔は、企業内で訓練すると言っていたが、今やそういう余裕もなくなった。
だから即戦力の学生がほしい、ということだ。
それでいて「全学部全学科」という求人はおかしいだろう。
文章を書く仕事がメインなら文学部とか、経理なら経済学部や、商学部、総務なら法学部、営業なら経営学部とかいうように、専門性を問えばいいのだ。
「こういうことができる学生」というのを具体的に求人票に書くようにしないといけない。
それを、「コミュニケーション能力のある人」、「論理的思考力のある人」とか「熱意がある人」などという言葉でごまかしてはいけない。

ぼくは、文系の大学生は気の毒だと思う。
大学を出ても、なんら専門性は問われない。
求人は「全学部全学科」というのがほぼ100%。
まずはこれを変えなければ、勉強する気にならないだろう。
結局、今の求人形態が、文系の大学生に「勉強しても就職の役に立たない」というメッセージを出している。

それらも含めて、変えていくことを経団連の会長は宣言したのだと思う。
一部の企業と大学は、まだまだ周回遅れなのだ。
昭和の時代、成長していた頃の遺産を引きずっている。

遠い道のりだが、これを変えていかなければ、いけない。


| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
これから始めるならどの楽器?
こないだまで東京で楽器フェアをやっていた。
80年代に2回ほど行ったことがある。
ちょうど関東に出張で、その帰りに寄った。
高度成長の末期だが、どんどん新しい電子楽器やエフェクターが出ていて、月に何冊か楽器関係の雑誌を買っていた頃。

まだまだギターの全盛期だった。
キーボードも手軽なシンセサイザーが出てきて、すごい人気だった。
日本のヤマハ、ローランド、コルグという3社が、世界でも強かった時期。

ちょうどネット上に楽器フェアの写真集が出ていたので、それを見ていたら山野楽器のブースのアンケートの写真があった。
それが「これから始めるならどの楽器?」というもの。
ボードに、鍵盤楽器、ギター、管楽器、弦楽器、打楽器、その他と書いてあり、そこにシールで投票するというもの。
男性は青、女性は赤のシールを貼る。
これを見ると、なかなか面白い。
鍵盤楽器40票、ギター32票、管楽器75票、弦楽器49票、打楽器78票という結果。

山野楽器のホームページを見ると、楽器・楽譜のタブがあり、楽器のところは最初にエレキギター、アコーススティックギターが出てくるから、まあよくあるタイプの楽器屋だろうと思う。
しかし、その店のブースでやったアンケートで、ギターが最下位とは思わなかった。
もちろん、弦楽器とか管楽器とか範囲の広い項目に対して、ギターは一つだけだから不利という事もある。
ぼくらが若い頃、こういうアンケートをやったら、ギターが一番になったはず。

「そんなこと言っても、わからんやろ」という声はあるだろうが、それはマチガイ。
同世代なら、きっと「ギターが1位やろ」ということになる。
それほど、ギターの人気は高かった。

最近はエレキギターを使う音楽がメインになって、ギターをやろうと思うとアンプ、シールドも一緒に買わないといけない、という事もハードルを上げているのかもしれない。
たしかに、テレビなどで最近のバンドを見ても、アコースティックギターが出てくることは少ない。

そういえば、ツイッターでフェンダーがギターの基礎的な弾き方をつぶやいている。
ハンマリング・オンなどのやり方だ。
フェンダーといえば、ギブソンと並ぶギターメーカー。
そういう努力をギターメーカーがしないといけなくなっている。

ギブソンが破産したが、フェンダーはそうならないように頑張っているのか。

そういえば、ヤマハはギターをだいぶ縮小した。
たくさんあったラインナップも今は減った。
モーリスやヤイリ、タカミネというようなアコースティックギターのメーカーもほとんど見なくなった。
最盛期はモーリスも深夜のラジオで「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない」と宣伝していたのだ。

今はブラスバンドの方が人気があるのかもしれない。

いずれにしても、国内は少子化だから、市場は縮小していくのだろう。

日本のギターメーカーは、少量ながら高級品のメーカーになっていくということか‥。

| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
XaaS
SaaSとかMaaSとかいう言葉を見ることが多くなった。
ナントカas a service、サービスとしてのナントカ、ということだ。
それらを総称してXaaSと呼ぶらしい。

コンピューターの世界では、クラウドなどを利用して、ソフトウェアを売るではなくサービスとして使うというような形態。
文字通りSaaS:Software as a Serviceという言葉がそれだ。
その他、Communication as a Serviceとか、Platform as a Serviceとか、いろいろあるらしい。

コンピューター業界以外のところでも、自動車業界ではMaaSという言葉がある。
サービスとしてのモビリティということだ。
クルマというモノを売るのではなく、移動というものをサービスとして売る、ということになる。
タイムズがやっている、ライドシェアなどがこれに当たる。
従来からあるレンタカーという業態も、広い意味ではそれになるのだろう。
しかし、これからのMaaSは移動そのものではなく、それに付加価値をつけるというところになると思われる。

トヨタは自動運転の到来を見越して、病院シャトル(自動運転車内で、行き先の病院の診断を受けるサービス)などをMaaSとして提案している。
自動運転になると運転しなくていいから、その時間をなにかのサービスに当てることができ、可能性は広がるということだ。
そこにはIT技術や通信が不可欠だから、ソフトバンクと提携した。
ホンダは同じような目的で、GMと提携している。

以前フォードが車を売るよりも、売ってからのサービス(保険や修理、点検など)の方が儲かる、ということで、そこに力を入れるということを聞いた覚えがある。
だから、カーナビに通信機能をつけて、点検や故障の時には最寄りのディーラーに呼ぶというサービスをやったはず。
それもクルマに付随するサービスの取り込みということだ。
結局、製造業はサービス業を取り込んでいくということになる。

ぼくのいたタイヤ業界では、ブリヂストンがトラックやバスのタイヤでそういうことをやっている。
トラックやバスの会社と契約を結び、タイヤの供給、メンテナンスを一括して請け負うパッケージを展開しているらしい。
日経の記事によると、継続率は100%という。
他社を寄せ付けない強みになっているとのこと。
名前はTPP(トータルパッケージプラン)というものだ。
これも、「as a service」の一つだろう。
タイヤというモノを売るのではなく、タイヤに付随するサービスをセットで売る、ということだ。
ユーザーはタイヤの管理から開放される、というメリットがある。
当然、プロが定期的に点検するのだから、安全性も上がる。

記事の中ではこの方式のことを「サブスクリプション方式」と言っている。
いろんな言葉が出てきてややこしいが、これはモノを売るのではなく、ソフトならバージョンアップなどの将来的に必要となるコストも込みで「使う」というサービスのことだと思う。
これも「as a Service」の一つだろう。

調べてみると、中古車のガリバーが「月額1万9,800円から900車種以上の車のなかから自由に乗り換えながら利用できるサービス」をやっていたり、音楽のストリーミングサービス(アマゾンミュージックなど)もある。

要はモノを買わないで、サービスとして利用してもらう、というような形態だ。
これらを総称して、XaaS。
Xとは、文字通り何か、ということで、サービスとしてのX、ということになる。

製造業の生き残りを考えると、サービス業の取り込み、というのは必須だろう。
通信インフラなどが発達して、そういうものが可能になった。

ブリヂストンの取り組みにしても、そのうち車の走った距離や加速度頻度のデバイスを付けて、どれくらいの頻度でチェックしたらいいかがリアルタイムでつかめる時代も来るだろう。

何をするにも、ITの時代になるなあ。


| | 考えたこと | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
技術軽視の文科省
日経の記事で、高校生の息子が数学に興味が持てず困っているという「行列すら教えない高校数学に日本の技術軽視の一端を見た」という記事があった。
自分は息子の勉強をほとんど見てこなかった記者は責任を感じ、息子が興味を持っている動画の仕組みから数学を教えようとしてブルーバックスを買ったりする。
そこで、高校の数学課程を調べてみると、自分が高校時代に習った「行列」がなくなっていることに気が付き、それが2012年に起こったことだとわかる。

ちょっと長くなるが、記事を引用する。

「本当に信じられなかった。教育業界では、これからはITだプログラミングだと騒いでいる。それなら、高校のカリキュラムから行列がなくなるのはおかしい。
 例えばコンピュータグラフィックスでは、2次元3次元を問わず行列演算が基本中の基本である。人工知能(AI)としてもてはやされている機械学習にしても、具体的な処理は行列演算だ。せめて行列という概念が存在することだけでも高校のうちに知っておくべきではないか。
 インターネットで調べていくと、大学で数学を教えている先生の中には、このことを問題視している人が多いこともわかった。「それなら、次の学習指導要領の改訂でまた行列が復活するかもしれない」と淡い希望を持った。
 しかし、現実は逆だった。学習指導要領の2022年度の改訂では、高校の文系数学の範囲からさらにベクトルが消えるという。ベクトルも線形代数に必須の重要な概念である。高校の数学から重要な概念がどんどん削られていく方向なのだ。」

こんなことが起こっている。

ぼくは2004年に大学に転職して、その年に大学事務の研修に行った。
もう47歳だったから、ちょっとなあとは思ったが、たしかその年は静岡あたりのホテルで缶詰で行われ、その当時一緒に仕事をしていた人が「一度は行っておいたほうがいいですよ」と言われ、いやいや行くことにした。
2泊3日だったと思う。
幸い、別の大学にも同じような40代の人がいて、その人と2人部屋になって助かった。

その人は、学校法人の高校で数学を教えていた人で、大学の事務部門に転属になったから来たと言っておられた。
主に、大学の事務のIT化をやるということだったと思う。

その人から、高校の数学のことを聞いた。
当時の状況も、あまりいいとは言えなかった。
一度書いたかと思うが、複素数を教えるのに、複素平面は教えないというワケのわからないことが起こっていると言っていた。

ぼくは高校の数学で複素平面を習ったが、その時に一つの数が平面座標を表すことができる、ということを「これはきっとスゴイことだ」と思った。
基本的に、ぼくは数学が苦手だったので、それ以上はわからなかったが、そういう数学の壮大さを感じることはできた。

それは理系の数学(数3)だったが、どんどん高校の数学が縮小されているのはその当時からのことだ。
その延長で、2012年に行列がなくなったということになる。
記事の中にも書いてあるが、元文部科学事務次官の前川喜平氏は「高校中退をなくすには数学の必修を廃止するのがいい」と主張しているらしい。
数学が落ちこぼれを作る元凶だからだ。
この記者が書いているように、「生徒が知らなければならないことを教えるのが教育だ。生徒が理解できないなら、理解できるように工夫するのが筋である。「理解できない人がいるから教えないようにすればいい」というのはもはや教育ではない。単なる教育の放棄だ。」と思う。

2004年当時の高校の数学教師の人の言うことには、文科省は「落ちこぼれ」の問題を解決するために、それまでの「習得主義」から「履修主義」に方針を変えたという。
これは衝撃的だった。

それまでは、その科目で身につけるべきことを、ちゃんと身につけたかどうかで単位を出していた。
それが「習得主義」。アタリマエのことだ。
それを「履修主義」に変えたという。
つまり、どれだけの時間、その科目の授業を受けたかということだ。
だから、わかっても、わからなくても、時間数その授業を受けたらいい、ということになった。

そのせいで、ぼくが大学にいた当時、夏の大学の教室を使って補修が行われた。
系列校の生徒が当時は来ていた(今は高校に冷房が入り、あまり来ないと思う)。
その科目で赤点を取ったら、何時間かの補習授業を受けるということだ。
わかっても、わからなくてもかまわない。
座って聞いていれば(最悪の場合は寝ていても)いいのだ。

まさに、前川氏の言ったことが実践されている。
きっと当時から彼らがこの変更を進めたのだろう。
その考えがあるから、落ちこぼれを防ぐには、必修をやめたらいい、という発想になる。

彼らが、教育行政を歪めたのだと思う。
おそらく、文科省の役人はみんな文系なのだろう。

少なくとも、2004年には高校で数学を教えている教師の中には、そういう問題意識を持った人がいた。
その声を聞かず、文科省はどんどん数学を減らしている。
記事中にも、「そもそも「数学は理系の教科」という考え方が現実にそぐわなくなってきている。文系とされている経済学、社会学、心理学といった分野でも、統計をはじめとした数学の手法が多用されるようになっている。理系はもちろん文系でも、数学の重要性が増すことはあっても減ることはない。」と書いてある。

それはまことにその通り。

だから、中学入試の算数の問題が入社試験でも使われるのだ。
そして、それができない学生がたくさんいる。

いい加減にこの状態をなんとかしないと、日本はダメだと思う。

| | 考えたこと | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
無料の健康ショップ
近所にお年寄りがたくさんあつまる店があった。
中には整形外科にあるような、患部に何かを当てる感じの機械がたくさん並んでいる。
毎朝、たくさんのお年寄りが開店前から並んでいる。

どんな店なのかと思ったら、無料でその機械を使って痛いところを直してくれるという。
たしかに、整形外科のリハビリに行くより安い。
店は中年の女性が運営している。
何となく、新興宗教みたいな感じだった。

タダでやってくれるというのは、いいことだが、テナント料もいるし、電気代も必要だ。
やっぱり、その機械を売るためのものだろうと思う。
何人か、買ったのだろうか‥。
それなら、一箇所でずっとやるわけがなく、いずれ引っ越すだろうと思っていたら、今週のはじめに隣の市に引っ越した。

そういうことだ。
お年寄りは意外とお金を持っているから、きっと何人かはあの機械を買ったのだろう。
もうここでは買う人はいない、と思ったら引っ越す。

1年足らずの期間だったと思う。
調べてみると、その健康機器を販売してるところがやっている。
超短波治療機の体験ができるところ、というふれこみ。
まあ、無料で体験してもらって、よければ買ってもらおうということだろう。

価格コムで調べてみると、その機械は25万円ほど。
不思議な商売だ。

押し売りしていなければ、別に悪いことをやっているわけではない。
無料でその機械を体験できる、というだけだ。

フランチャイズ制で、機械は貸出してくれるのかもしれない。
ホームページにはお店を開いてよかったという体験談も載っている。
なるほど、こういう商売だったのか、と納得。

まあ、ちゃんとした機械のようだった。
それでも、1年足らずで場所を変えて商売するところがなあ。

またお店がなくなって、テナントが空いてしまった。



| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学の会議
学校法人に転職して驚いたことの一つは、大学の会議のやり方だ。
大学には、公式の会議というものがあり、これは会社でやっていた会議とは全く異なる。
公式の会議というのは、定期的に開催するもの。
逆に、問題が発生したり、何かの課題があるからという、会社の「普通の会議」というのはほとんどなかった。

なぜ定期的な会議ばかりになるかというと、いつ誰が学校にいるかわからないからだ。
会社なら、社員ということで、出張でもない限り会社にいる。
それが当たり前だから、いつでも会議ができる。
だから、緊急招集というようなことでも対応できる。

ぼくのいた私学は、週3日だけ出勤という(正規の)教員もいたし、教員には勤務時間というものがなかったから、極論すればその日の授業が終われば帰れる。
だから、いつ誰が出勤しているかはわからなかった。
一応、出勤簿というものはあったが、みんなまとめて月末にはんこを押していたと思う。

もう一つ、部署というものがないということもある。
業務の単位としての部署、というものがないのだ。
教員一人ひとりが個人営業主という感じ。
だから、誰かがいないから、代わりの人を出す、ということもできない。

例えば木曜日を会議日とすると、第一木曜日は学科会議、第二木曜日は各種委員会、第三木曜日は教授会、第四木曜日は学校の運営委員会という具合。
それ以外にも、ナントカ委員会というのがたくさんある。
とにかく、委員会が好きだ。

各会議は学則で定義されており、定足数とか、討議の目的とかが決まっている。
すべからく、事前に決めていないといけない。
新たな会議体や委員会を作るとなると、定例会議で話し合って決めないといけない。
大学というところは、想像以上に官僚的なのだ。
おまけに、議事録は誰が書くかも決まっている。
担当事務が決まっていて、そこしか議事録は作れない。

おまけに、ぼくのいた大学では、教授会の議事録は翌月にならないと発行できなかった。
教務の事務担当が、パソコンで話した内容をほぼ一字一句書いて、それをまとめる。
誰が何を言ったか、というのが後日でもわかるようになっているのだ。
そんなの、会議で決めたら全体の責任、ということにはならない。
それを「決定した」というのか、ということも疑問だった。
そしてそれを翌月の教授会で、何人かのセンセイに回してサインと押印をもらって、初めて議事録ができたということになる。
機動性のかけらもないが、こういうふうに大学は回っているのか、と驚いた。

だから、勝手に会議を開くことができない。
それらは全部、アンダーグラウンドの扱い。
関係者に声をかけて、打ち合わせという形でやることになる。
そこで決まったことは、メモ扱いになる。

何かが起こって、緊急の会議ということになると、大変だ。
そのために、高いレベルの人たちだけの非公式の会議があって、そこで緊急の課題については討議する。
まあ、なんとも面倒くさいものだった。

たいがいのことは、担当者とその関係者で方向性を出して、それを了承してもらうために会議をする。
全くノーアイデアで会議をするというのは、あまりないだろう。
みんなでブレインストーミング、というのは別だが…。

こういう会議だったから、何かを決めるのは大変。
ましてや、何かを変えるのも大変。
営利企業とは180度違う。
競争があるところでは、1ヶ月も待ってられないのは当たり前。
何かが起こったら、すぐに対応しないといけないのだ。

後日知ったが、世の中の公式の会議というものはそういうものだと知った。
国会も同じことだろう。
公務員の世界もそうなっていると思う。

ぼくのように、民間の営利企業から学校法人みたいなところに転職した人は、きっとびっくりしているはず。
でも、たいがいは長いものには巻かれる。

それは、結構ストレスフルなことだが…。




| | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
外国人の買い物
日本に来た外国人は、ドラッグストアで買い物をするという。
ぼくも海外に行ったら、そこのスーパーに行ったりして珍しいものを探したりしたが、ドラッグストアには行ったことがない。
一体どういうものを買っているのかと思っていたら、そういうランキングが出ていた。

TRiP EDiTORというサイトによると、ベストテンは以下のようになっている。

10位:化粧水「ナチュリエ スキンコンディショナー ハトムギ化粧水 500ml」
9位:咳止め「龍角散ダイレクトスティック ピーチ16包」
8位:液体絆創膏「サカムケア10g」
7位:パック「プレミアムプレサ ゴールデンジュレマスク ヒアルロン酸 33g」
6位:温感貼り薬「ロイヒつぼ膏」
5位:キャンディ「ポップキャン」
4位:洗顔料「専科 パーフェクトホイップn 120g」
3位:日焼け止め「アネッサ パーフェクトUVスキンミルク 60ml」
2位:リップクリーム「DHC 薬用リップクリーム 1.5g」
1位:目薬「サンテFX ネオ 12ml」

ほとんど日頃使ったことがないものばかり。
昔は医療系が多かったが、今は化粧品が多くなったとのことだ。

2018年の上半期に1500万人が訪日した。
その73.5%が東アジアからのお客さん。
ほとんどが観光目的という(ビジネスではないのはちょっと寂しい)。
平均支出額が一人あたり平均で約15万円。
ということは、ざっと見ても1兆5千億円以上が日本で使われている。

大きな店では外国語のポップを出していたり、免税カウンターが置かれていたり、多言語が話せるスタッフがいたりするらしい。
うちの近所のドラッグストアではそんなことはないが…。
店によると、数万円単位で買っていく人も結構いるらしい。

安くてもいい化粧水などは日本でも流行っているそうだ。
比較的コストパフォーマンスがいいというのが評判になるとのこと。
ある程度高くても、モノが良くて、自国の製品よりも安いというのが気に入られる。

小林製薬のサカムケアとか熱さまシートとかは、日本語の語呂合わせを使っているのに、人気があるらしい。
見るからにわかりやすいのがいいのかもしれない。

日焼け止めもアジアでは色白志向が強くて、売れるとのこと。
日本製はアジアでは高いので、旅行時に爆買いするらしい。

1位は意外な目薬。
日本は目薬の種類が多く、人気があるとのこと。
その中でも効き目が実感できるものが1位になっている。

総じて、日本の製品は種類が多く、痒いところに手が届くような製品になっているようだ。

日本にはいろんなものが溢れている。

逆に、いいものを教えてもらえるかもしれないなあ。



| | 考えたこと | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIの作った画像
今やAIが学習して生成するイメージは、人間が見て本物かどうかわからないレベルまで来ているらしい。
Forbesの記事で、AI通信というのがあるが、その中に記事があった。
記事の冒頭にいくつかの犬の写真があるが、その中にAIが作った画像があるとは思えない。
スゴイ画像生成能力だ。

AIが発達して、コンピューターができることが増えてきた。
最近の海外ドラマなどの爆発シーンは、ほとんどCGになった。
本物の画像に、炎や煙と散らばる破片などをCGで加工しているのだろう。
ちょっと不自然なところもあるから、CGだとわかるが、ぼやっと見ていたら本物と区別がつかない。
今はまだCGはかろうじてCGだとわかるが、そのうち本物と区別がつかなくなる。

この技術がフェイクニュースに使われたら、テロなどでっち上げ放題だ。
敵対勢力が、ターゲットにしている国の組織がテロを起こした、というニュースを流せる。
それも、本物としか思えない被害映像をつけてだ。
プロが見たら、偽物だとわかるかもしれないが、そういう分析が済む頃にはもう拡散している。
そんなことも考えられるくらいのレベルだ。

記事の中にも書いてある。

「これらの技術は「敵対的生成ネットワーク(GAN: Generative adversarial networks)」をベースにしたものだ。端的に説明するならば、「騙すAI」と「見抜くAI」を競争させ、より本物に近い対象(ここでは画像やイメージ)を生み出す技術である。人工知能関連のさまざまなイシュー中でも、昨今、特に注目が集まる分野である。今年6月、フェイスブックのAI開発者であるYann Lecun氏も、GANは非常に重要な技術と言及したことがある。」

騙すAIの技術がどんどん進むと、人間では真偽がわからなくなる。
要は、写真などを見せられても、それが本物かどうかは「見抜くAI」に頼らないとわからない、ということになる。
動画も、そのうち同じことになる。

長い人間の営みの中で、写真や動画は「本当のもの」だった。
それが揺らぐことになる。

記事の最後に書かれている。

「しかし、GANなど関連技術が発達すれば、写真や動画に真実を求めることは不可能になる。何を持って真実とするか。人工知能時代には、存在を証明する新しい技術やテクノロジーが必要となってくるはずである。」

どちらかというと、「見抜くAI」の技術が大事になると思うが、その技術を開発するには、「騙すAI」の技術が必要になるのだろう。

騙し合いは難しい。



| | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ノーストアロードフェスタ
今日は北野坂でやっている「ノーストアロードフェスタ」に行ってきた。
いつもギターのメンテナンスでお世話になっている、楽器店のマスターが出るからだ。

北野小学校だったところを改装して、「北野工房のまち」というのを作っている。
設立20周年ということだ。
中身は上手に改装してある。
各教室がいろいろな工房になっていて、観光客を招こうという企画。
もとのグラウンドがバスの駐車場になっていて、土産物屋もある。
なかなかうまいことを考えたものだ。

そこの3階に講堂があって、イートインのコーナーが後ろにあって、前20列ほどが客席。
無料だったから、ちょっと早めに行って前から2列めに座った。

マスターは最初の出演。
神戸キングストントリオというバンド。
本家のキングストントリオと同じく、トリオと言っても4人。
マスターは本業がバンジョーで、曲によってはギターと持ち替えて演奏していた。
フォークソングというジャンルになるのか。カントリーになるのか…。
今日はモンキーズのデイドリームビリーバーも演奏。あの曲を作ったのがキングストントリオのメンバーとは思わなかった。

その後、アカペラのグループや、懐かしいフュージョンバンド、昭和歌謡、洋楽のスタンダードなどたくさん出た。
バラエティに富んでいて、なかなかいいコンサートだった。

出演者の平均年齢はかなり高い。
若い人もいたが、たいがいは中年以降。というか、還暦を過ぎた人も多い。
聞きに来ている方も、同じようなもの。
ちょうどタイガースの試合のネット裏席のような感じだった。

まあ、やっている音楽はほとんど昭和だから、聞く方もそうなる。
この場で最近の音楽をやるのは、ちょっと場違いという感じだ。
最近の若い人は、みんなでギターというより、ヒップホップをかけて踊ったり、DJがミキサーを前に音楽を流したり、だいぶ志向が変わってきた。
でも、もう少し若い人も出たらよかったのに、と思う。

しかし、出演した人はみんな声もでているし、若々しい。
好きなことをやっている人は、年をとらないということか。

これなら、70歳まで働けるように、というのも無理はない。
ほんとに日本は高齢化社会だ。

ぼくらはいつまで働けるだろうか…。

そんなことを考えながら帰りの電車に乗った。


| | 考えたこと | 18:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 9回目練習
いよいよ第九の練習も9回目まで来た。
今回も30分弱の発声練習。
えらいもので、毎回やっているとだんだん要領がわかってくる。
しかし、練習でちょっと感覚がわかっても、いざ歌うときにはできないのだが…。

従来は、歌うというのはお腹から声を出すものと教えられたが、先生は違う。
歌ってはダメで、お話するというやり方。
喉は使わずに、高い位置の息を使って、頭で響かせる。
声は後ろに出す感じだという。
真逆と言っていい。

今年も小学生がいるが、彼らは正直だ。
大人は先生の指示にわかったような顔をするが、子どもはちゃんと「わからん」という。
首の後ろから声を出せと言われてもなあ。

それでも、先生の指示に従うと、声が出る。
この調子で、ちょっとでも歌うときにそれを意識できればと思う。

今回は今までのところをちょっと復習して、最後のパートの音取り。
去年のテナーのメロディがまだ頭を離れず、音が取れない。
フーガと同じく譜割りがパートで違う。
だから、難しい。

一難去ってまた一難。
しかし、これが仕上げになる。

できれば大阪城ホールでは自力で歌いたい。

今月あと1回。
来月2回の練習のあと、佐渡裕の練習を残して、あとはリハーサル、本番。

力をいれて頑張ろう。

| | 考えたこと | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポール・マッカートニー
こないだ、ポールのライブ配信をやっていた。
新しいアルバム「Egypt Station」の曲だ。

もう76歳。
お客さんがたくさん入ったホールのステージの上で、リッケンバッカーのバイオリンベースを弾きながら歌うポールの姿は感動的だ。
頭は白くなったし、表情も年老いたが、76歳であの舞台で演っているということ自体がスゴイ。
声も出ている。

以前、テレビで小田和正と吉田拓郎の対談を見たが、70歳を超えてツアーをやるのはシンドいと言っていた。
小田は今年もツアーをやっているが、毎年来年はできるだろうかと思うらしい。
そんな中で、76歳のポールがアルバムを出して、ツアーだ。

今回ポールは日本にも来る予定。
10月、11月の3回公演が予定されている。
昔のビートルズファンで、ドームでやっても一杯なるんだろうなあ。

ジョンとポールはビートルズの楽曲のほとんどを作詞作曲した。
全部が全部共作だったわけでもないらしい。
イエスタディなどは、ポール一人で自作自演だという。

ポールが作った曲の中では、「ペニー・レイン」がいい。
出だしのベースの音から、順番に音階で下がっていくところ。
このベースがなければ、この曲は存在しないと思わせるベースラインだ。

Here, There And Everywheも好きだ。
こちらは、ベースの音が上がっていくパターン。
この2曲はきっとベースラインから作った曲だと思う。

I Willも短い曲だが、印象に残る曲。
12弦ギターのリフがいい。

ポールの曲はメロディがきれいだ。
ベースラインもメロディックだ。

ビートルズの曲は、ポールのベースとリンゴのドラムが支えていた。

その2人がまだ現役。

よかったなあ。


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自動車業界のCASE
去年の4月に自動車業界のキーワードとして、CASEというのがあるという記事があった。

その時はCASEの”E"の電動化(Electric)が大変だということを書いたが「自動車業界のビジネスモデルはどうなる」という記事によると、その後の動きではC:Conectivity、A:Autonomous、S:Sharedも大変らしい。

A:Autonomousは自動運転だが、これはニュースになることも多く、わりとわかりやすい。
要はキーデバイスやソフトのメーカーが強くなるということだ。
カメラやレーダー、それらの入力を処理するCPU、それをフィードバックするソフトウェアなどが大事。
当然最先端のAIも必要になるのだろう。
アップルやグーグルも自動車を作るという。
ただ、これはクルマというモノである程度完結するから、まだマシだ。

しかし、C:Conectivityが自動車メーカーのビジネスモデルを変えるらしい。
そういえば、トヨタもこれを重視していて、「つながるクルマ」とか「コネクティッドカー」などと言っている。
2018年4月から、EUでは新車に「eCall」の装着が義務付けられているとのこと。
これはクルマが事故を起こした時、緊急コールセンターに自動的に知らせる機能で、消防や救急、警察がすぐに駆けつける仕組み。
事故を認識する加速度センサーや、通信デバイスやGPSなどを組み合わせている。
向こうは国単位でやるから強い。
ロシアでも似たようなシステムを導入して、国が変わっても同様の仕組みを実現するらしい。
なんか知らない間に海外は進んでいる。
こういうニュース、どうしてマスコミを通じて流れてこないんだろうか。

日本は国交省がそんな仕組みを義務付ける必要はない、と言っているらしい。
どこでも携帯電話がつながるからとのこと。
でも、田舎で単独事故などの場合、あったほうがいいに決まっている。
自動車メーカーもコストアップが困るのだろうが…。
どうも日本のマスコミは、国内偏重で困る。

そうなると、クルマもインターネットの一部になって、常につながっている(Connected)の状態になる。
その機能を使って、どういうサービスができるかを考えないといけないらしい。
これこそ、クルマを売るというビジネスモデルを変える。
こういうの、大事だと思う。
日本の自動車産業のためにも、国内でやるべきだ。

それと、S:Sharedも大きい。
圧倒的に止まっている時間が長い自家用車など、環境や資源の面から見たら目の敵になる。
そこで出てきたのがカーシェアリング。
これはタイムズなどの駐車場でよく見るようになった。
利用者も増えているらしい。
都会の若い人などの利用は進むだろう。
人口減少で土地も余ってくるし、必然の時代になる。
こっちの方が、自動車メーカーにとっては頭が痛いだろうなあ。
もろにクルマの台数に効いてくる。
いっそのこと、自動車メーカー自体が、参入するという話もあるらしい。
この動きが一番早そうだ。

CASEと並んでMaaSという動きもある。
Mobility as a Serviceのことだ。
トヨタが今年「2018 International CES」で注力すると宣言したらしい。
そういう新しい車もモーターショーで発表したりしている。
自動車メーカーにとっては変革は避けられないし、生き残りを賭けてその分野に進出するということだろう。
ソフトバンクとの提携もその一環だ。

ぼくがいた、タイヤ業界にはどういう影響があるのか。
メインはS:Sharedだろう。
もろに台数が減るからだ。
今後30年ほどのスパンで、少子化とも相まって間違いなく国内市場は縮小する。
若者のクルマ離れは止まらないだろう。
そこにカーシェアリングで台数が減る。
もう国内の工場は増やせない。
トラックや重機用のタイヤは、影響は小さいかもしれないなあ。

欧米の市場も、たとえ人口は増えても縮小するだろう。
ここでもカーシェアリングが発達する。
中国、インドも同じだろうなあ。
これは自動車産業界自体の問題になる。

ということは、タイヤの技術を使って、他に何ができるかということになる。
ちょうど富士フィルムが化粧品に進出したり、サントリーがサプリメントに進出したのと同じこと。
自社のコア技術は何かということだ。

それをこの10年ほどで見つけなければならないということだろう。

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臨床心理士の栄枯盛衰 4
2018年9月9日に第1回目の公認心理師試験があった。
心理関係者念願の国家資格。
ようやく心理関係の国家資格が創設された。
今はなき河合隼雄もそれを望んでいたのだろう。
でも、この状況を聞いたら、がっかりしただろうと思う。
臨床心理士関係者は、臨床心理士が国家資格になることを望んでいたが、うまくいかず、新たな資格が創設されたのが実情だからだ。

公認心理師は主に医療分野で心理検査をするための資格だと思っている。
それは、河合塾KALSのページの「公認心理師と臨床心理士の違い」を見たらわかる。

それによると、両者の違いは、「臨床心理士は医師との「連携」で業務をしますが、公認心理師は医師の「指導」が必要になります」というもの。
結局は「医療現場では医師の指示を受ける」というところが、医療関係団体が譲れないところだった。
そして、臨床心理士(上層部)は医師の指示を受けることは「認めれらない」ところだった。
当初は資格は1本化されると聞いていたが、そうはならなかった原因が、この「指示」か「連携」かというところだったということだ。

ぼくが勤めていた大学の臨床関係の人たちは、臨床心理士は医師と対等、というスタンスだった。
それは、海外でもそうなっているらしい(真偽は不明)。
どちらも、大学に6年行って取る資格だから、それが当然、という感じだった。

ただ、海外で臨床心理士というのは、もっと長い実習期間が必要で、そんなに簡単には取れないという。
河合隼雄は、そういう資格を目指して創設に尽力したが、残念ながら偏差値的にいうと大きな差がついているのが事実。
手っ取り早く数を増やそうという方針で行ったのだろうし、これほど心理バブルが起こるとは思っていなかったのかもしれない。

結局は大学がバカみたいにたくさん臨床心理士になれる、という学部・学科を作った報いだったと思う。
受験生を呼ぶために、どちらかというと新しい大学がそれらを新設して、20年ちょっとの間に、150以上の「第一種指定大学院」ができているのだから、当然だ。
今や心理系では他の勢力をおさえて、最大勢力になっている。
ただ、心理学系の学会で最大派閥になって、臨床系の人たちは浮かれていたのだろう。
結局医療現場のことを理解せず、別の資格を作ってしまった。

ぼくは、医療現場の現実を考えると、責任者というのは必ず必要だし、その責任者の指示に従うのは当然のことだと思う。
生命に関わる場合もあるわけで、責任の所在をはっきりさせるのは当然のことだ。
そして、それが「医師の指示」ということになったのだろう。
それは実際に仕事をしている人たちなら、当たり前のことだし、そうでなければ逆に仕事ができない。
「連携」では責任の所在がわからなくなる。

指示系統をはっきりさせることは、実務に関わる人ならわかっていることだろう。
そして、それが必ずしも資格の価値と結びつかないこともわかっているはずだ。
指示に従うから格下の資格だ、などというのは、実務を知らない人たちの言うこと。
お互いにプロとして意見を言い、それをお互いに尊重するから、チームが成り立つのだ。
臨床心理士の代表たちは、それが指示系統とは別の問題だとわからなかったのだろう。

この「勘違い」が結局は臨床心理士の資格を貶めたのだと思う。

というのは、これら2つの資格は「医師の指示」以外に全く違いがないからだ。
分野も同じで、どちらかというと公認心理師の方が基礎心理を重視しているだけ、範囲は広いかもしれない。
これら2つの資格はどうなっていくのだろう。

順当に考えれば、医療領域は公認心理師になる。
その他の領域はどちらでもいいのだが、公認心理師の方は大学院に行かなくても実務経験を積めば受験できる。
受験生向けのページには、「税金からお給料をもらう仕事は国家資格の公認心理師になる可能性がある」というような事も書いてある。

心理バブルでできた大学も、当面は様子見だろう。
臨床心理士になるためのカリキュラムを持っていれば、ちょっとカリキュラムを変えれば公認心理師に対応することができる。
ぼくのいた大学も、公認心理師の対応をしている。
中には早々と臨床心理士をやめて、公認心理師に鞍替えしたところもあるが…。

やっぱり国家資格が強いんだろうと思う。
まだ活動領域が違うなら、棲み分けもあるが、全く同じなのだ。

きっと河合先生は草葉の陰で「あーあ、やってしもた」と言っているのだと思う。
せっかく、苦労して作った資格だったが、先細りだろうなあ。

これが栄枯盛衰の「衰」にあたる。
残念だが、仕方がない。

これがぼくが見てきた臨床心理士という資格。

4回シリーズはおしまい。




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臨床心理士の栄枯盛衰 3
スクールカウンセラー事業をやっている文科省が、2008年から始めたのがスクールソーシャルワーカーの事業。
深刻化するいじめなどの問題に、文科省も手を打たざるを得なかったのだろう。
スクールカウンセラー事業で、いじめは解決できなかったということだ。

また、経済的な側面をとっても、Wikipediaにも書かれているように、仕事の形態は非常勤で時間数も限られているため、修士号を必要とする資格を取っても収入はワーキングプアレベルという状態。
掛け持ちをしないと食えない。

スクールカウンセラー活用事業は、「近年のいじめの深刻化や不登校児童生徒の増加など、児童生徒の心の在り様と関わる様々な問題が生じていることを背景として、児童生徒や保護者の抱える悩みを受け止め、学校におけるカウンセリング機能の充実を図るため、臨床心理に専門的な知識・経験を有する学校外の専門家を積極的に活用する必要が生じてきた。」のが文科省の文言。

いじめ、不登校がいっこうに減らないことが問題だった。

その事業を2001年から補助を出して実行し、2008年には加えてスクールソーシャルワーカー事業が始まる。

スクールソーシャルワーカー事業の趣旨は次のように書かれている。

「いじめ、不登校、暴力行為、児童虐待など、児童生徒の問題行動等については、極めて憂慮すべき状況にあり、教育上の大きな課題である。こうした児童生徒の問題行動等の状況や背景には、児童生徒の心の問題とともに、家庭、友人関係、地域、学校等の児童生徒が置かれている環境の問題が複雑に絡み合っているものと考えられる。したがって、児童生徒が置かれている様々な環境に着目して働き掛けることができる人材や、学校内あるいは学校の枠を越えて、関係機関等との連携をより一層強化し、問題を抱える児童生徒の課題解決を図るためのコーディネーター的な存在が、教育現場において求められているところである。
 このため、教育分野に関する知識に加えて、社会福祉等の専門的な知識や技術を有するスクールソーシャルワーカーを活用し、問題を抱えた児童生徒に対し、当該児童生徒が置かれた環境へ働き掛けたり、関係機関等とのネットワークを活用したりするなど、多様な支援方法を用いて、課題解決への対応を図っていくこととする。」

スクールカウンセラーを置いて7年経ったが、事態は解決に至らず、スクールソーシャルワーカーが望まれたということだ。
児童、生徒、保護者の悩みを受け止めただけでは、事態は解決しない。
回りに働きかけないといけない、ということになった。
まさに、ソーシャルワークが求められており、そこは臨床心理士の範疇ではなかったということになる。

当時、この話を聞いて、就職支援のぼくらは「やっぱりなあ」と思った。
大学院の就職は支援範囲外だったが、従来から聞いていた現場の不満が爆発して、「臨床心理士と違う人を入れてくれ」となったのだろう。
文科省のアンケートには、役所の意向を忖度して悪い事は書かないが、それなりに現場の意向が伝えられた結果だと思う。

クライアントだけに寄り添う「カウンセラー」では限界がある。

ちなみに、ぼくは学校にスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーを入れて、イジメや不登校がマシになるとは思うが、到底問題がなくなるとは思わない。
それは、教育に携わるものが一般社会から隔離されているからで、そこにメスを入れないとダメだと思う。
これはぼくの私見。

ということで、今や自治体によってはスクールカウンセラーを中止して、スクールソーシャルワーカーのみというところも出てきているのが実情。

だんだんと旗色が悪くなってきたところに、今年新たな資格が出てきた。
それが公認心理師という国家資格。

民間資格の臨床心理士がどうなっていくのか、それは次回に。


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臨床心理士の栄枯盛衰 2
前回はぼくがキャリアの仕事を始めた、2007年までの経緯を書いた。
その続き。

2007年には、臨床心理士の数は1万8千人になっていた。ちなみに現在は3万5千人にも膨れ上がっている。
ぼくはその年からキャリア支援の仕事をし始めた。
そこでは「私のお仕事シリーズ」というようなものを、当時のスタッフがやっていた。
ある業界の関係者を呼んで、仕事をする上で大事なことややりがいなどを話してもらうという企画だ。
「おお、これはいい」と思ったのを覚えている。

実はこの頃、心理系の入学者の半数以上が、入学時点で「将来は臨床心理士になりたい」とアンケートに答えていた。
だから、「私のお仕事シリーズ」では、必ずスクールカウンセラーの関係者を入れていた。
実質的に、スクールカウンセラーしか、臨床心理士の仕事がなかったというのが世の中の状況。
文科省の認定資格だから、文科省のやっている事業で食わそう、ということだ。

ところが、そのスクールカウンセラーがあまり評判がよくない、という。
事情が全くわからなかったので、回りに聞いたりして調べると、なるほど評判がよくない。
中には上手にやっている人もいるのだが、学校側の思惑とカウンセラー側の思惑が違っていたということだ。

学校としては、相談に来た学生のことを先生に伝えてもらいたい、という。
それは当然だろうと思う。
しかし、カウンセラーには守秘義務があり、生徒の相談を職員室で話すなどということはご法度だ、という。
だから、学校にとっては、「カウンセラーが来ているらしいが、ずっと部屋にこもって何をしているのか」というような文句が出ていた。

そういえば、当時ぼくの勤めていた大学でも、学生相談室のカウンセラーが学生の情報を学生課に全く伝えないということで、学生課長が怒っていたのを思い出す。
学校として、連携して問題を抱える学生に接していかないといけないのに…、ということだった。
それが組織のあり方であり、それができるようにカウンセリングをしないと、意味がない。
まことにもっともな指摘だと思う。

そういう学校側の不満が出始めていたのが2007年だったと思う。

臨床心理士になりたい、という人には2種類ある。
まず、学校で臨床心理士に世話になって(個別に相談していたということ)、自分もそういう仕事がしたい、という人。
そして、そうでない人。
そういう分け方をしたとき、当時でも感触では半分以上が何かあって、学校時代に臨床心理士に相談していた人だった。
どちらかというと内省的で、まじめな人。

こういう人たちに、大学院でカウンセラーの基本を教える。
もちろん、カウンセラーの倫理として、守秘義務というのは絶対のものだという。
だから、職員室でクライアントのことを話す人などいない、と聞いた。

ぼくが見たところ、臨床心理の先生に外交的、社交的な人はいなかった。
あまり人との外交的なコミュニケーションが上手くない人が、カウンセラーVSクライアントという1対1の世界に魅力を感じるのかなと思ったりした。

そんなわけで、「職員室に居場所を作れるスクールカウンセラーが、いいカウンセラー」というような「お仕事研究」をやっていた。
そういう人が現実には求められているし、スクールカウンセラーのあり方に問題意識を持って仕事をしている人もいたからだ。

あるいは、児童福祉施設長で、子供との触れ合いややりがいを話してくれる人などが人気があった。
だいたい、臨床心理士を目指している人は聞きに来てくれるから、だいたいこの企画の日は結構な人数が集まった。

でも、今に至っても、勤め先の学校での評判は悪いと聞く。
大学によって差があるのかとも思ったが、そうでもないらしい。
面と向かって文科省のアンケートに文句を書いている学校はないが、仕事としては週に1日、2日程度がよい、というアンケート結果。
評判がよければ、もっと来てほしいというだろう。
殆どが非常勤の仕事で、掛け持ちしないと苦しい。
大学院を出て取る資格の割には、シンドい仕事だ。

臨床心理士の時給は、文科省がスクールカウンセラー事業をやり始めた当初は平均5000円台だったが、今は3000円程度まで下がっている。

2008年くらいに、ハローワークから電話がかかってきて、大学院生が臨床心理士の求人を探しに来たが、向こうでは臨床心理士は専門職だと認識していて、そういう求人はない、と言われた。
もちろん、ぼくもそれは大学院で紹介するので、と言っておいた。

でも、2014年にはハローワークの普通の求人で、臨床心理士のアルバイト、時給1400円というのを発見して、時代は変わったなあ、と思った。

今でもネットで検索すると、時給1500円程度のアルバイトはたくさん出てくる。
需要のわりに、増えすぎたのだろう。
文字通り、心理バブルの結果だ。

というところで、今日はここまで。
次回はスクールソーシャルワーカーのことを。


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臨床心理士の栄枯盛衰 1
ぼくは大学で勤め、臨床心理士という資格を事務の立場で10年間見てきた。
指定を受けた大学院に行って、受験資格が与えられる。
文科省の認定資格。

この資格について、ぼくが10年間見てきたことを書こうと思う。

臨床心理士という資格は、元文化庁長官の河合隼雄が作った資格(こういうと語弊があるかもしれないが)。
もちろん一人で作ったわけではないが、この人がスイスのユング研究所でカウンセリングの訓練を受けて日本に帰ってきて、京都大学の教育学部でカウンセリングを教え、日本臨床心理学会などの会長などを歴任し、臨床心理士の資格整備に尽くした。
彼がいなければ、日本で、臨床心理士という資格はできなかったと思う。

Wikipediaにも、河合隼雄の欄には「日本心理臨床学会を設立し、同理事長に就任。臨床心理士制度や、スクールカウンセラー制度の確立に尽力し、日本臨床心理士会会長も務めた」と書いてある。

1995年にいじめが社会的な問題になり、臨床心理の専門家として、スクールカウンセラーという文科省の事業が開始され、2001年からは国の補助事業となり、そのあたりから臨床心理士は脚光を浴びた。
資格認定した文科省も、資格と仕事を結び付けないといけなかったのだろう。
当時から、日本ではなかなか「心の相談」というのにお金を払うというのは根付かないと言われていた。
だから、せっかく臨床心理士を作ったのだから、「食える資格」にしよう、ということだった。

臨床心理士制度は1996年に現在の養成課程となって、今や35000名以上が資格取得者数。
養成課程というのは、臨床心理士養成大学院指定制度が作られ、大学院卒業の要件が資格に結びついたということだ。
当時、文科省は大学院重点化をやっており、ちょうどよかったのだろう。
ちなみに、昨今の資格と同じく、資格を取っても、更新のために講習を受ける必要がある。
まだ、臨床心理士の講習は安いから良心的だが、キャリアカウンセラーの講習は高い!
これは、ぼくのボヤキ。

ぼくが大学に就職したのは2004年だったから、指定大学院ができて8年目というところだ。

その大学は、1996年開学で、日本初の臨床心理学科があった。
河合隼雄が関係しており、時代を先取りして「心の専門家」を作ろうということで作られたと聞いている。
そのおかげで、開学当初はすごい人気だったらしい。(偏差値は65だったと聞いた)
今は大教室で入試をやっているが、当時はそれでは足りず、体育館に椅子と机を運んでやったというほどだ。
開学当時からいる事務の人たちは、「そんなこともあった」という体で、遠くを見るような目で話していた。
ということは、2004年にはもうその勢いはなかったということだ。

開学当時は全国区で、下宿生も多かったと聞いている。
もちろん、ぼくが行った2004年には下宿してまで来る人はだいぶ減っていたが、それでも今よりは多かった。
それくらい、ブームだったということだ。

人の心というのは、誰でもが、何かを言える。
ボイラーやコンピューターのように、特定の知識がなければ全くわからないというものではない。
それが、心理カウンセラーという資格を増やしたのだろう。

なんたら(心理)カウンセラーという資格は、民間に20以上ある。
たいがいは、講習を受けて、ナントカ協会がやっている試験を受けて、資格を得るというもの。
その中で、臨床心理士は大学院を出て、実習もしないといけないというハードルがあり、文科省が認定した資格ということで、脚光をあびた。

1996年に10校程度だった第1種指定大学院は、2004年に100を超えた。
まさに心理バブルだった。

学校法人にとっては、大学院資格(これは、6年分学費を取れるということ)でもあり、文科省の認定資格ということも相まって、志願者を集められるおいしい資格になった。

昨今は大学選びの時に、「なんの資格が取れるか」というのは大きなファクターになる。
ウソだと思ったら、どこかの大学のパンフレットを見てみればいい。
「卒業後の進路、資格」というような欄に、いろんな資格が書いてある。
いくら大学といっても、親や志願者は実利を気にするのだ。
そこに、心理学関係の学部・学科なら「臨床心理士」というのが加わったということ。

当時はいじめや学級崩壊などの問題もあって、引く手あまただと思われたのもある。
また、大手の学校がやっていない資格ということで、弱小私学でどんどんやるところが増えた。
まさに、心理ブームという感じ。

2015年現在ではなんと163校が第1種指定大学院になっているという。

日本臨床心理士資格認定協会が資格の認定機関。

ホームページによると、「昭和63(1988)年に、16の臨床心理学に関連する心理学関係学会の協賛を得て発足することになった日本臨床心理士資格認定協会は、その2年後に文部科学省が認可する財団法人となり、平成25(2013)年4月1日付で内閣府認可の公益財団法人に移行し、今日の発展をみています。」とある。
臨床関係の学会のフルサポートでやっているということだ。

そんな形で、発足した資格だったが、ぼくがキャリアの仕事をし始めた2007年には陰りがでてきたのが事実。

その経緯はまた次回。



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ピアーズ・ブロズナン
WOWOWの007のシリーズも中盤に入ってきた。
今週は90年代。
ボンドはピアーズ・ブロズナンが演じている。
この人も英国らしくてなかなかいい。

ベルリンの壁が崩れ、冷戦がようやく終わり、結果的にはソ連が崩壊して西側が勝つという格好。
ゴールデン・アイは1995年の作品。
ボンドとCIAの工作員の会話が面白い。

CIAは合言葉を求めるボンドを「古典的なスパイ」とバカにする。
冷戦に勝ったのはアメリカだ、という奢りを描いているのだろう。
相変わらず、英国スパイは古典的だ。
伝統を大事にするイギリスというところかな。

また、95年はコンピューターの年でもある。
IBMが協賛しており、大型コンピューターだけでなく、今でいうパソコンも登場する。
モデムを使って交信して、大型コンピューターを動かすシーンがある。
マウスなどはなく、文字ベースだ。
それでも、システムに入るパスワードなどが出てくる。
ハッキングのシーンだ。

この辺から、007の映画もそんなにレトロな感じはなくなる。
95年くらいから、現代に近づくのだろう。
そういえば、ボンドカーにBMWが出てくるのもこのあたりから。
アストン・マーチンも出てくるのだが‥。
イギリスの自動車産業の斜陽も始まった。

おまけにソ連が具体的な敵国ではなくなってくる。
ソ連は絡むものの、敵は裏切ったMI6のスパイ。
身内だった。

この次の作品がトゥモロー・ネバー・ダイ。
同じくピアーズ・ブロスナン。
これが1997年。
このあたりで、ほとんど現代になる。
悪役は大金持ちのメディア王で、中国の女スパイがパートナー。
そうそう、この頃から持ち物にガラケーが出てくる。
秘密の武器の一つがガラケーだ。

どちらかというと、世界の緊張が薄れて、いい時代だったんだと思う。

この頃はリアルタイムでかなり忙しくて、映画など見る余裕はなかった。
実質的にはバブルは崩壊していたが、まだまだ世の中は浮かれていた。
でも、ぼくら製造業のサラリーマンは蚊帳の外だったなあ。
金融はボロ儲けだったはず。

若い人たち向けに、007でたどる現代史というのをやっても面白いだろう。
戦後の東西緊張の時代から、デタント、ベルリンの壁崩壊、ソ連の崩壊、そして現代という流れがわかる。

1990年代は、冷戦は終わったが、まだスパイという仕事がカッコよかったころ。

とにかく、時間に追われて、忙しい時代だった。

今になると妙に懐かしい。



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ハリケーン
朝のワールドニュースで、アメリカのニュースはここ3日ほどフロリダなどでのハリケーンの被害のことがトップだ。
ハリケーンの最中に、部屋の中から放送した映像はすごかった。
直前に窓の正面にあった家が、土台から離れて流されてきれいさっぱりなくなっている。
2x4の工法で、土の上に乗っているだけなのかもしれないが、それが暴風雨で流れてしまうほどの強さ。
上陸の前から住民は避難していたようだが、あんなのが来たらどうしようもないと思う。

風速70メートルの暴風雨と高潮。
映っていたところは、海岸のすぐ近くだったが、すごい被害だ。

今日は上空から町の様子を映していたが、まともな家が1件もない。
町ごと暴風雨でやられ、上陸したメキシコビーチというところは、本当に瓦礫の町になっている。
大西洋で発達したハリケーンがまともに来るのだから、ほんとに怖い。

今回のハリケーン、マイケルは上陸時の中心気圧が919hPa、最大風速は69メートルで、勢力は上から2番目に強い「カテゴリー4」だったとのこと。
この勢力でハリケーンがフロリダ州北西部に上陸したという記録は過去にないらしい。
919hPaは、史上3番目。
近づいてくると、みるみるうちに海水位が上がったと言っていた。
最大風速69メートルは、映像ではとても外に人間が立ってはいられない。
大きな木が根こそぎ倒れていたし、車も飛ばされる勢いだった。

こないだの台風はすごかったが、それでもあのハリケーンに比べるとマシだった。
しかし、こういうのが続くと、本当に「低気圧による暴風雨を緩和する技術」みたいなものが必要になると思う。
ネットで見ると、台風の予想進路のところに潜水艦で深層の海水を汲み上げて表面に送り、海水温を下げることで台風の勢力を落とすという特許が出ているとのこと。
日本の特許だ。
これは、台風に爆弾を打ち込むとかいう派手さはないが、確実に勢力を落とせる。
台風のエネルギーは海水温の高さに依存しているからだ。
だから、温暖化が進み、台風の威力が増した。

これはいい考えだと思う。

それこそ、もめている南シナ海で、台湾、中国、韓国、日本が協力してやってみたらどうか。

もめるばかりが能ではないのだから。




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一万人の第九 練習8回目
今回は短めの発声練習の後、最初からフーガの次のところまでを入念に練習。
先週宿題を出し忘れたということで、今までの復習になった。

今年は進度が早く、いい感じで練習が進む。
先生が、今年の佐渡裕の練習は3クラスだけの合同になるという。
去年は5クラスくらいが西宮芸術文化センターであったが、今年は都合で3クラスが新神戸の方でやるということになったらしい。
3クラスだから、1クラスあたりの責任は重い。
上手にやらないといけない、ということだ。
事前の歌唱指導を先生がやるとのことで、プレッシャーがかかっているのだろう。

先生も大学の非常勤講師(もちろん声楽)だけでは食えない。
ボイストレーニングの教室を神戸と大阪で週に2回ほどやっているらしい。

コダマ先生は本名を小玉晃という。
ホームページから略歴を確認すると、

「京都市立芸術大学大学院修了後、渡墺。
ヴィ−ン国立音楽大学リート・オラトリオ科卒業。

J.S.G.国際歌曲コンクール第1位。
青山音楽賞、松方ホール音楽賞大賞他多数受賞。


京都混声、兵庫県立芸術文化センター合唱団、一万人の第九、
パナソニック合唱団 他合唱指導。

大阪音楽大学、同志社女子大学講師。

関西二期会会員。日本シューベルト協会会員。
日本ドイツリート協会副会長。
小玉晃の音楽学校主宰」

と書いてあった。

日本でプロの声楽家というのは、どの程度食えるのだろうか。
こういう水商売は、やっぱり東京がメインだと思うが、関西でもニッチで食えるのかもしれない。
どう考えても、クラシックのファンは関東に多そうだが‥。

ギターの先生と同じで、好きなことで食っていくのは楽ではないということだろう。

大学の講師はほんとに給料が安いから、あとの合唱指導と主催している音楽学校がどれくらい儲かるかということだろうなあ。

そう思うと、先生のためにもうちょっと頑張らないといけない。

骨盤底筋を引き締め、肩甲骨を開きながら息を吐いて歌うことを心がけよう。




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市議会議長
橋下徹が書いていたが、地方の議員にとっての「上がり」は地方議会の議長ということだ。
行政の常として「非効率」がまかり通っていると思うが、なぜ地方の議会が効率化されないかと言うと、議長、副議長が任期1年となっているからだという。
なぜ「上がり」かというと、議長になると、立派な議長室、応接室などが与えられ、公用車や秘書がつくからだ。

ふーん、そうなのかと思い、尼崎市はどうなっているか調べてみた。
尼崎市には、例規検索システムというのが開放されていて、規程類を調べることができる。
それを使って、市議会規程等を調べたが、どこにも議長はどう選出されるかということが出ていない。
それがわからないから、待遇などもわからない。
ちなみに、ヒラの議員が月額64万円のところ、議長になると79万7千円、副議長になると71万7千円になる。
これは規程に出ていた。

仕方なく、尼崎市のまちづくり提案箱にメールを出して聞いてみた。
4日ほどして市議会事務局総務課から返事が来た。
どこが返事するべきか、たらい回しにされたのだろう。

それによると、議長の任期は「慣例により1年間」となっております、とのこと。
待遇については、議長、副議長には公務をするために執務室が与えられ、行事に出席する場合等の公務に使用するための公用車も与えられるとのことだ。

地方自治法上は、議長や副議長の任期は原則4年だ。
しかし、全国ほとんどの地方議会で申し合わせ事項として、議長・副議長は任期1年になっている。
1年で、「一身上の都合」で辞任して、次の人に変わるらしい。
今回は「慣例により」と書いてあったが、そういうことかもしれない。
部屋がもらえて、公用車ももらえる。

橋下さんが書いている通りだった。

たった1年の議長任期で、議会改革などできるわけがない。
非効率な会議の進め方が踏襲され、IT化は進まず、情報公開も不十分になっているとのこと。
なるべくして、こうなった、ということだろう。
でも、これではいけないと思う。

ということで、メールをくれた市議会事務局の総務課に質問しようと思う。

内容は以下。

お返事ありがとうございました。
議長、副議長が慣例によって1年で交代とのこと、よくわかりました。

市議会も会議体の運営の効率化やIT化などを図っていく必要があると思われ、そのためには議長の役割は大きいと思うのですが、1年の期間ではなかなかそれは進めることができないと思います。
有為の人材で4年がかりの取り組みが必要かと思いますが、なぜ1年で変る必要があるのでしょうか?
どういう理由の慣例なのでしょうか?

どんな返事が来るだろうか…。


| | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
専門職大学 その2
来年、ようやく新しい形の大学が開学する。
今まで3回ほど、新しい「専門職大学」について書いてきた。
大学教授は教育者専門職大学リスキリングの3つ。

ぼくは、専門職大学の志は正しいものだと思うし、偏差値が下位の大学はそちらに変えていくべきだと思うが、来年の開学予定で設置認可を申請している学校法人を見ると、どうも違うようだ。
ほとんどが、専門学校からの改組になる。
申請したところは工業系、ファッション系、医療福祉系、栄養系などの専門学校と思われる学校法人。
要は2年、3年の専門学校を4年制の大学にしたい、という思惑だ。
大学というネームバリューも手に入るし、少子化で経営難のなか、4年間学生をキープできる。
専門学校を運営する法人にとっては、おいしいから、とりあえず認可申請しておこう、ということだったんだと思う。
ところが、大学になるとハードルも高く、今になって取り下げが相次いでいるという状況。
実習時間の確保とか、教員の4割を実務家教員にするとか、そのあたりがシンドいのだろう。

本来なら、今の大学教育の下半分を専門職大学にしていく、という目的だったと思う。
経済学部では、ミクロ経済学概論やマクロ経済学概論を教えるよりも、簿記の2級や1級を教える方が役に立つ。
法学部では、実際のケースに基づく法解釈を、企業の法務部出身者が教える方が役に立つ。
教養も必要だが、まずはコンピューターリテラシーを徹底的に教える方が役に立つ。
だから、今の下位の大学をそちらに改組して…、ということだったはず。

文科省の思惑は、天下り先の「大学」を増やそうというものだったのかもしれない。
しかし、少子高齢化の今、大学の数を増やしてどうするつもりだろう。

これから必要となる「生涯学習」にしたって、40代や50代で別のフィールドに転職するために「実務知識」が必要なはず。
65歳を過ぎた人たちに、人生の楽しみとしての「学問」を教えるのも必要だが、変化の激しい現代、人生途中での転職をせざるを得ない人たちも増えてくる。
その人たちのための教育機関も必要になるはずだ。
それも、専門職大学が担うべき役割のはず。

専門学校が専門職大学になって、既存の下位の「普通の大学」を駆逐するのを待つのだろうか。
そうかもしれないとも思う。

大学というところは、そう簡単に変わらないからだ。
文科省もそう思っているのかもしれない。

でも、実際に大学で学ぶ学生たちのことを考えると、専門職大学のコンセプトは正解だし、早く実現すべきだと思う。

崇高な「学問」も大事だが、そこに至る前の実務知識から入るほうが絶対に身につくと思うし、モチベーションも上がると思う。

問題は、4割の大学教員が職を失い(実務家教員に転換)、実習先をどう確保するか、ということだ。

教員はともかく、実習先は今各企業が必死で新卒社員をつかまえるためにやっているインターンシップを使えばいいと思う。
そうすれば、日本の新卒採用のシステムを変えることもできるだろう。

今の普通の大学で、いち早く本来の専門職大学の枠組みを作ったところは、きっと勝ち組になれると思う。
もちろん、教員は失業するし、痛みを伴う改組になるだろうが…。




| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学入試共通テスト
センター試験に変わって、新しくできる予定の試験が「大学入学共通テスト」。
それについて、調査した結果があった。

そもそもこの共通テストというのがなぜ採用されたのかというのが、「高校生新聞オンライン」というサイトに出ている。

「1990年に始まったセンター試験は、マークシート式でありながら、「暗記だけでは解けない、考えさせる設問がある」と高校の先生の間での評価が高かった。だが、国は「先行きが予想しづらいこれからの社会では、知識の量だけでなく、自ら問題を発見し、答えや新しい価値を生み出す力が重要になる」という考えから、こうした時代に役立つ力を測る新しいテストに衣替えする方針を決めた。2020年度から新テストを始める。」

これが、国が掲げる大学入試改革の目的と言っていいと思う。

当初は「高等学校基礎学力テスト」というものが入試の代わりに検討されたが、大学入試とは別立てになったようだ。
Between情報サイトによると、以前の高等学校基礎学力テストは、

「高校生に自分の学びの指針にしてもらうという趣旨を明確にするため、名称を「高校生のための学びの基礎診断」に変更。当面、入試での活用は想定せず、本来の目的の下での安定的な運用をめざすことになった。」

と書いてある。

ぼくは大学に勤めていた頃、この「高等学校基礎学力テスト」の話を聞いて、これはいい、と思って「センター試験廃止」という記事を書いた。

文科省はこの10年ほど、一貫して「高等教育の質保障」を求めてきた。
各大学で導入を推奨された3つのポリシー(カリキュラムポリシー、アドミッションポリシー、ディプロマポリシー)など、その最たるものだ。

国公立大はともかく、推薦入試やAO入試を多用し、一般入試で5教科の試験をしないほとんどの私学は、入試の段階で質のチェックはできていない。
質の保障など、論外だ。
そもそも、入試が機能していない学校もある。

大体の私学は2〜3教科の入試。それで高校教育の質がわかるわけがない。
文科省の建前は、「大学で学ぶに足るものを選抜して入学させている」ということだと思う。
しかし、実態はそうではない。
勇気ある日本橋大学が「バカ田大学」と呼ばれながらも、「Be動詞の使い方」「整数の計算」などを正規のカリキュラムに入れていたのが、実態だ。

7割の大学が、高校以下の学び直しが必要だ、と言っているのだ。
だからこそ、入社試験の内容の一部が中学入試の算数になっている。

なんで大学に質保障を求める文科省が、高校の質保障、ひいては義務教育の質保障をやりたがらないのかはよくわかる。
自分たちのクビを締めることになるからだろう。
少中高大というステップを踏んで教育しているのに、なぜ最後の段階だけで質保障を言うのか?
最初から質保障をしたほうがいいに決まっているのに。

それは義務教育が国の責任だ、ということだと思う。
文部科学省はその責任を負っている。
もしも初等教育の質の保障をチェックしたら、どうなるかわかっているのだ。
それを棚に上げて、最後の段階で質の保障を言うのはちゃんちゃらおかしいと思う。
もちろん、大学教育を学ぶに足らない学生を、推薦やAO、機能していない一般入試などで、自らの経営のために入れている学校法人も悪い。
自分たちの経営資金と補助金目当てで、学生を確保している状況は責められるべきだ。

しかし、それらの根源は初等・中等教育にあると思う。

話が大きくそれたが、新しい「大学入学共通テスト」についての調査結果で、複数の大学が問題にしているのが、「難しすぎる」ということ。
自学の学生の選抜に適さない、ということだ。

朝日新聞と河合塾の調査結果によると、「国語で完全正答率が0・7%にとどまる問題があり、数学も全3問の正答率が1割未満になるなど、難易度が課題となっている」とのこと。
どんな問題かはわからないが、入試の担当が問題を見て、これでは選抜できないと判断しているのだろう。

ぼくは共通テストをやるのなら、学習指導要領に基づいた高校卒業資格試験のようなものをやるべきだと思う。
入試は各大学に作らせればいいのだ。
ちゃんと、高校卒業時に、それなりの成績であれば大学入試はもっと大学のカラーを出してもいいと思う。

それが、国主導でやるべきテストだと思う。

まずやるべきは、初等教育の質保証だ。

それなしに、英語の導入やプログラミングの導入などやっても仕方ない。


| | 考えたこと | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
今が幸せ
ちょっと前に、34歳の貧困男性の記事を読んだ。

インタビューによると、父親が国家公務員で裕福な家庭だったが、母親との関係が悪かったことが原因(本人談)で仕事が続かず、ホームレス状態になったりして、今はマンションの清掃員として働いているとのこと。
なんとか生活保護を受けずに働いているのだが、ホームレス時代の税金の滞納分を徴収されて、実質的に生活保護を受けたほうが豊か、という感じのインタビュー内容だった。

実際、杓子定規に規則どおりに、滞納分の徴収をする役所の対応を読むと腹が立つが、どうしようもない。
生活保護をめぐるいろんな矛盾は、早く解消してほしいと思う。
保護を受けずに働いている人たちが、少しでも楽になるようにしてほしい。

記事の最後の方に、本人の話がある。

「プロ野球の(横浜DeNA)ベイスターズのファンなんです。深夜まで働いていた頃は、野球は結果を見るだけでした。でも、今は家で野球中継を見ることができる。こんな生活、社会人になってから初めてなんです。夕食も、モヤシを(中華調味料の)ウェイパーと一緒に煮るとおいしいし、時々、それに豚バラを乗っければ十分。貧乏だし、10年後も今の仕事ができているかどうかはわからないけど、今すごく幸せだなって感じる自分がいるんです」


書いているように、これまでの状態に比べて、「今が幸せ」だという。

今の日本の社会は、人手不足で若者がどんどん減っていく時代になっている。
高齢者が多くの票を持っているおがげで厚遇され、若者にしわ寄せがいっている状態。
収入がいくら増えても、社会保障に持っていかれる。

2008年に高齢者医療制度が施行され、この10年間でさらに若者の負担が増えた。
健康保険組合は増え続ける負担で、苦しい状態。
この国はどうなっていくのだろうか。

この記事の若者が、「今は幸せだ」と思うのは、過去と比較しているからだ。
貧乏でも、なんとか生活できている、という実感があるのだろう。
なんとも切ない記事だ。

内定式の季節になると、その年の就活の波に乗れなかった学生が目立つようになる。
その人たちがみんなこの若者のようになるということではない。
でも、何らかの挫折感を味わって、それでも社会に出ていこうという学生を見ていると、彼らを育てていかないと、未来はないと思わせられる。

それはぼくら大人の責任だと思う。

膨張する医療費をどうしていくのか…。

今まで放置したツケをどうしたらいいのだろう。



| | 考えたこと | 20:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
パソコン遍歴 2
昨日の続き。

会社では、1995年にWindows95が出て、ようやく使い物になるものがでてきたという状況。
アップルは値段が高かったから一貫してWindowsだった。
アップルはパソコンのフェラーリ(贅沢品のこと)と言われたりもした。
出版業界や芸術家、医者にユーザーが多かったのもあるだろう。

そういえば、95年にマックのPowerbook180cというのを買って、初めてパソコン同士をつないで、2台のパソコンをつなぐことの難しさを知った。
あの頃のPCは遅かったなあ。
この当時のノートPCは持ち運べるような重さではなく、3キロ以上あった。
この頃は、まだまだモデムを使って通信していたから、持って出ても使うのが不便だったのだ。
今のWifiの環境は、この当時は夢の世界だった。
たった20年ほど前だ。

95年当時はまだ一人一台の時代ではなかったから、部署のパソコンを使おうと思うと夜になった。
家ではアップル、会社ではWindowsを使っていた。
使い勝手ではアップルがまだまだ勝っていた。
ようやく追いついたのは、98年にWindows98になってからだ。
それでも、まだアップルがマシだったか…。
そこから、Windowsが徐々に逆転していった。

そうこうするうちに、会社のメールが家でも見れるようになった。
ただ、Windowsのパソコンでないとダメだったので、仕方なくWindowsのノートPCを買った。
2000年くらいだったと思う。
マイクロソフトが賢かったのは、仕事で使うパソコンに、家のパソコンは引っ張られるということを知っていたことだと思う。
この頃から、仕事絡みでパソコンを使うことが増えて、Windowsと逆転した。
もうスティーブ・ジョブズはアップルに復帰していたが、まだまだ冬の時代だった。
ぼくは、そこから先、去年仕事絡みでiPadを買うまで、アップルのコンピューターからは足を洗った。

そこから、IBMのデスクトップPC(WindowsXP)、HPのデスクトップPC(Windows7)と乗り換えてきた。
IBMのデスクトップは、2000年代のはじめだったが、このときから液晶ディスプレイになった。
ディスプレイがすごくきれいになったのが印象的。
HDDがクラッシュして、2008年にHPに変わった。
HPにしたのは単に安かったから。
この頃には、もうパソコンは贅沢品ではなく、汎用消費財になっていた。
ここから、家族みんなのユーザーを作って使い始めた。
このころ、今までパソコンにつぎ込んだ金額を計算して、何か形になるものをと思い、初級システムアドミニストレーターという資格を取った。
その甲斐あって、一発合格だった。

ようやくノートPCが軽くなってきたので、AcerのノートPC(Windows7)を買い、メインのデスクトップをソニーのVAIO(Windows8)に乗り換えた。
次男が大学に入った時に、Acerを実家に持っていって、パナソニックのレッツノートを買った。
息子の生協で安かったからだ。
これは途中でSSDに変えて、就職する長男に譲った。

番外になるが、Asusのクロームブックを3万円で数年前に買った。
クロームブックはアメリカで大きなシェアを持っているというが、これは本当にいい。
なぜ日本で売れないのかわからない。
安い、早い、丈夫、安心と4拍子揃っている。
ただ、ソフトの互換性等の問題もあって、仕事の関係でレノボのSSDノートを買った。
時代はSSDだ。

ついこないだ、VAIOのHDDがが壊れて、SSDに変えた。
やはり、劇的に速くなった。

当初はスタンドアローンだったパソコンは、モデムでネットにつながり、それがプロバイダになってインターネットにつながるようになった。
今やウチは光ファイバーで世界とつながっている。
家の中ではWifiでどこでもパソコンが使える。
そんな時代になった。

ぼくが20代前半で買った、シャープのMZ-80から40年。
時代がこれほど進むとは、思ってなかった。
特に最近の進み方はスゴイ。

これらのパソコン関係の金額は、全部で130万円くらいだった。
これだけ買い替えて、130万は安いと言えるのだろうか…。
最初に買ってから、35年程度。
年間にすると、4万円程度。
それらから得たパソコンの知識などを考えると、まあ安かったと思う。

そのおかげで、パソコンの設置や設定については一切誰の手も借りずに済んだし、家のWifiの設定等も自分でやる。
大昔、モデムの設定がうまく行かず、なかなかニフティにつながらなかったりしたが、今となってはそれらも勉強だったのだと思う。
考えたら、会社でデーターベースの仕事ができたのも、図面システムの仕事ができたのも、学校法人でパソコンの仕事ができたのも、そのおかげだった。

結局は無駄遣いにはならなかったのだと思う。

まあ、道楽といえば、言えるかもしれないけど…。


| | 考えたこと | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
パソコン遍歴 1
ぼくのパソコンの使用歴を書いておく。

最初に買ったのはシャープのMZ-80というやつ。
まだ、パソコンという言葉がなく、ホビーコンピューターと書いてあった。
もちろん、今のWindowsとは大違いで、白黒(緑の文字だったか)の10インチディスプレイと記憶装置としてカセットテープが一体になったものだった。
まだマウスというようなものは、お目にかかったことがなかった。
BASICというプログラム言語でプログラムができる。
当時シャープに友達がいて、社内販売で入手してもらったような気がする。
買った時期は80年代初頭。
結局、これでBASICの基礎を覚えただけで、ホビーに使うというようなことはできなかった。
使わなくなって、長いこと置いてあったが、いつ大ゴミに出したかなあ。

その次が、ヤマハのミュージックコンピューターというもの。
MSXという規格のコンピューター。家電メーカーなどが合同で作った規格だ。
ソフトウェアはファミコンのようなカートリッジで供給されて、これはヤマハから音楽専用のハードとソフトがついていたと思う。
この当時のぼくの興味は、今で言うDTM(デスクトップミュージック)だった。
当時は音の強さ、長さ、実際に鳴っている時間、高さを数値化して打ち込んで、鳴らすというもの。
1小節の長さを数値で128にしていたと思う。
ディスプレイは家庭用テレビでもOK。さすが家電メーカーの規格だ。

これで「踊るポンポコリン」を打ち込んだ。
結局、打ち込みは面倒くさいということを知った。
高い授業料だった。
これが80年代の中盤だったと思う。
これも長いこと本体が置いてあったが、荒ゴミに消えた。
でも、音楽というものが、人間臭いものであることが逆にわかった。
数字で打ち込むの時に、ある程度ランダムにしないと、それらしく聞こえないのだ。
これは発見だった。

ここからはやっと今のコンピューターの流れになる。
続いて、初代のNECのノートPCを買った。
当時NECはPC9801シリーズというものを作っており、その流れでできたノートPC。
当然、白黒のディスプレイで、今でいうMS-DOSが動いていた。
このとき、初めてフロッピーディスクというのを使った。
これを使って、当時の日本のパソコン通信の出始めだった、ニフティサーブに入った。
これが1990年くらいだった。
電話回線にモデムをつないで、通信プロトコルを確立して、ニフティに入るというのが、わりとオタク的なことだったと思う。
まだ現代のパソコンのネットワークには程遠かったが、パソコンでネットワークに入るということを経験できたのは面白かった。
フォーラムというのが、ネット上の会議室みたいなもので、いろんなものがあったなあ。
ここまでは、完全に趣味の世界だった。

次はようやく仕事絡みになる。
当時は、日本中でコポレートアイデンティティ(CI)が流行った。
バブルでお金が余っていたのだろう。
ぼくもその活動に取り込まれて、それまでほとんど技術部だけの付き合いだったが、この時に他部署の人と知り合ったりした。
その中の一人が、アメリカのビジネススクールからの留学帰りで、事務所にマッキントッシュを持ち込んでいた。
マッキントッシュ(通称マック)はアップルのコンピューターで、当時としては先進的なものだった。
技術部にはWindows3.1のデスクトップコンピューターが数台ある、という時代。
まだまだ使いづらいコンピューターだった。
ディスプレイ一体のマックはとてもカッコよく、彼が自慢げに見せてくれた画面は「これしかない」と思わせるに十分だった。

1994年に迷ったあげく、アップルのPerforma575というパソコンを買った。
14インチのカラーディスプレイ、外部記憶がフロッピーディスク、ROMが1MB、RAMが4MB、HDDが320MBというスペック。
今なら動画ファイル一つでHDDが終わってしまう。
このマシンは漢字Talkという日本語OSで、よくできていた。
これで、ファイルの種類とか、フォルダの構造とか、テキスト検索とか、ソフトの関連付けとか、メモリの意味とか、どうやってファイルを小さくするかとか、いろんなことを知った。
今になっても、その知識は生きている。
毎月、マック関係のパソコン雑誌を何冊か買っていた。

これで初めてインターネットにもつないだ。
ニフティ経由だったのか、覚えていないが、ケンブリッジ大学のコーヒーサーバーを見ることができたときは感激した。
ついに、自宅ご世界がつながったのだ。
このパソコンは、後日イラストを書いていた親戚に譲った。

この続きは明日。

| | 考えたこと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 7回目練習
今週の練習は、コダマ先生も余裕が出てきて、発声練習がちょっと長かった。
フーガまで来て、仕上がる目処が付いたからだろう。

肩甲骨を開き、身体を前にかがめるようにして、骨盤底筋を締めて息を吐く。
その上で、鼻よりも高い位置で声を出すという感じ。
ちょっとわかってきたような気がする。

今回もソプラノの指導の時間が長かった。
だいぶ人数も減ったような気がする。
また少しアルトに移ったようだ。

フーガのメロディは難しい。
それを完璧に歌うのは至難の技。
今回はフーガの歌詞の指導があった。

歌詞の中で、Seid umschlungen(ザイトオムシュルンゲン)というところがあるのだが、ここを歌う時に、ザイトオム・シュルンゲンと歌うのはダメで、ザイト・オムシュルンゲンと歌うように、ということだ。
ザイト、で単語が切れていて、ネィティブは必ずそう歌う。
さらに、ザイトの最後の[t]をちゃんと発音することが大事。
ドイツ語に忠実に歌わないと、第九は歌えない。

日本語の感覚でいうと、ザイトオム・シュルンゲンになってしまいがち。
たしかに、先生のいうように歌うと、メロディの上がるところも歌いやすい。

本番の3日後の打ち上げは、100人ほどが定員。
一緒に参加する人と2人で申し込んでOKでだったが、早くもキャンセル待ちとのこと。
ぼくらのような年寄りが行っても、浮くのではないかと思ったが、とりあえず行くことにする。

今年はぼくらの教室の男性はアリーナ席で歌えるとのこと。
一部はスタンドになるらしいが、できればアリーナでオーケストラと一緒に歌いたい。
おそらく、女性がかなり多いので、男性をオケの近くに置きたいのだろう。
佐渡裕の要望らしい。

アリーナだと回りのスタンドのコーラスも聞こえるかもしれない。
期待しよう。


| | 考えたこと | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネットの弊害
インターネット上では自由にものが言える。
だから、玉石混交だ。
正しいこともあるが、ウソもある。
自然科学の世界では、正解は一つというのが多いが、そういうウソは淘汰される。
正しいサイトはいろんな人から参照され、リンクを張られるから、ページランクが高くなる。
グーグルの仕組みだ。

しかし、社会科学や人文科学のように、正解が決まっていないものは難しい。
それでも、インターネット以前は、そう簡単に意見公開できなかったから、害はなかった。
ところが、ネットの時代になると、誰もが意見公開できるし、中には意図的に間違ったことを流して、誘導しようというような輩も出てくるから、難しくなる。
だから、ネットリテラシーが重要になる。
簡単にインターネット上の意見を信じてはいけない、ということだ。

ロシアや北朝鮮はそういうものを流しているという。
中国もサイバー部隊が強いというし、本気になったらアメリカも恐いだろう。

そもそも、何が正しいのか、何が正義なのか、立場が変われば変わるのだから困ってしまう。

インターネットが発達して、どんどん便利になり、誰もが発信までできるようになったことが、こんな事態を招いた。

ホームページしかなかった頃は、ホームページが作れる人しか発信できなかったが、簡単にホームページが作れるようになり、SNSというようなものもできて、発信するハードルはどんどん下がっている。
今や誰もが、全世界に対して意見表明できるようになった。

特にSNSと呼ばれるものは、誰かの意見を「いいね」したり、「リツイート」したりして、どんどん加速度的に広げることができる。
主に、そういうのがフェイクニュースになるのだろう。

人は自分が信じたいと思うものを信じる、ということだ。

結局、自分が好きなものをフォローするから、自分にとって好ましいものしか流れてこない。
そういうところで、「こんなウソを流しているやつがいる」ということになると、炎上ということになる。
中には嫌いなものをウォッチしている人がいるのだ。

インターネットはあらゆる権威を蹴散らしていく。

21世紀はどんな世紀になるのだろうか。
まだ始まったばかりだが…。

なんとなく、不安になる。

| | 考えたこと | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIアナウンサー 荒木ゆい
AIの学習能力はスゴイ。
荒木ゆいという女性アナウンサーが話すのだが、これがAIの合成音とは思えない。
こちらでサンプルを聞くことができる。
これは人間ではないと分かる人はほとんどいないだろう。

実際にアナウンサーが読んでいるニュース音声10万件を、Spectee AIで機械学習して、原稿の読み上げができるようになったという。
すでに活躍しているらしい。

もちろん、男性のアナウンサーも音色を変えるだけだから簡単だ。
聞き取りやすさ、ということで女性の声が適しているということだと思う。
ここまでくると、自分の声の特徴を学習して、自分の声で話すAIも簡単に作れるだろう。
将来は自分の声で勝手に応答する電話などもできるかもしれない。

テキストのファイルがあれば、音声ファイルを作るのは数分とのこと。

アマゾンのスマートスピーカーのスキル(拡張機能)としても販売している。
このスキルをアレクサ(アマゾンの人工知能)に覚えさせると、アレクサが「荒木ゆい」になる、ということだ。
これだけ流暢に話すと、聞きやすいし、スマートスピーカーが人に近くなる。
ネットのインフラがあればこそのものだが、機械学習の威力はスゴイ。

上方落語を10万件機械学習させれば、関西弁で話すこともできるのだろうか。
よしもと新喜劇の音声を10万件機械学習すれば、関西弁でボケたり、ツッコんだりできるようになるのだろうか。
そんな応用はもう検討しているだろう。

しかし、荒木ゆいの声でベタベタの関西弁を話されても、と思うが‥。

この調子なら、あと数年でペットロボットのaiboも人間の言葉を話すようになるかもしれない。

もっと言えば、コールセンターなどの仕事は、ほとんどコンピューターで置き換えられるだろう。
クレーマーの対策なども完璧にプログラムされて、いくら相手が怒っていても人間よりうまいこと対応できる。
あ、だから最近その手の電話をかけたら「お客様とのお電話は録音させていただいております」ということになっているのかもしれない。
学習させるためには、サンプルが必要だからなあ。

エライ時代が来たものだ。
もうちょっと若かったら、そういうものを作る仕事をやってみたかったと思う。

今流行りのボーカロイドも、もっとスムースに歌えるようになるだろう。
そうなると、ポップスの中には、AIが作詞作曲して、AIが歌うというジャンルが出てくるぞ。
その方が、人間が作るよりいいかもしれない。

古今東西のヒット曲を学習させたら、スゴイのができるかもしれない。

もうやっていたりして‥。


| | 考えたこと | 09:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライン離れ
通信のインフラとして定着した感があるLINEだが、若者の間では「ライン離れ」が起きているという。
1月の記事だが読売オンラインに載っていた。

調査結果の信憑性はわからないが、「調査会社・マクロミルの17年7月のインターネット調査(15歳以上のユーザーが対象)によると、LINEユーザーのうち、40代が22.5%、50代以上が23.8%。一方、15〜19歳は10.3%、20代が20.7%だ。全年齢層に広く浸透しているものの、意外にも中年以上の層が半分近くを占める一方、20代以下は3割強にとどまる。」ということらしい。
2016年の調査結果では、40代が17.4%、50代以上が18.4%だったのに対し、15〜19歳が11.6%、20代が24.8%とのことだから、たしかにトレンドとしては1年間で20代以下が減り、40代以上が増えたという結果になっている。

ちょっと意外な結果だ。
LINE鬱とか、既読スルーとかいう言葉が出てきたと思ったら、もうLINEが減少しているとは…。

しかし、大学生を見ていると、たいがいはLINEを使っている。
ゼミの連絡などはLINEがメインと2013年に聞いた覚えがある。
だから、先生もLINEのアカウントを取ってほしい、と学生から要望がある、ということだった。
小学校のクラスの連絡などもLINEを使うと聞いたことがある。
グループ化しておけば、同報がスマホから簡単にできるからだ。

こないだ非常勤をやったときも、学校のアカウントでメールを使わせようとしたら、どうしても使えない学生が何人かいた。
メールというものを使ったことがない、ということだ。
使っている人も、To・Cc・Bccという区別がわからなかった。
こういうのは、社会人の常識だから覚えておこう、と言ったがどれだけ通じたか…。

しかし、今LINEが減っているというのはどういうことなんだろう。
この記事の分析によると、「LINEグループが増えすぎて面倒」とか、「プッシュ通知が貯まっても気にしない」、「未読スルーや既読スルーは当たり前」、「文章でのやり取りが面倒くさい」、「会話が終わらないのが面倒」というような声もあるという。
なんであんなチャットの文章が面倒なのか、情けなくなるが…。

また、スタンプが無料でダウンロードできる企業アカウントが増えすぎて、広告の通知が頻繁に来るのもウザい、という。

結局、LINEが収入を増やそうとしていろいろな外部からの使い方も増やしていくことで、却ってユーザーが不便になったということかもしれない。
たしかにLINEのアプリは最近重くなって、立ち上がりに時間がかかる。

電車の中で、高校生らしい生徒がラインを返答しているのを見ていても、たくさんのアカウントから、たくさんのメッセージが来ており、それを選んでは返答しているところを見ると、大変だなあと思った。
多くなりすぎて、管理できなくなるのだろう。

LINEが減って、どこに行ったかというと、ツイッターやインスタグラムではないかという。
ある調査結果によると、18歳以上の女子学生の49%がインスタグラムを利用しているらしい。
そういえば、そのへんのアプリにもダイレクトメッセージの機能がついた。
結局、LINEの関係が多くなって、嫌になった若い人が使わなくなったのだと思う。
インスタグラムは写真がメインだから、楽なのだろう。

結局、アプリはスマホにあって、時々使うというやり方をしているのだ。
いろんなSNSが増えて、選択的に使っているというのが実情だと思う。

記事の最後には、「大人があまりいない場所」ではなくなった、とも書かれており、それはそうかもしれない。

若者をつかまえておくのは、難しい。




| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |