考えたこと2

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Cobol 2
Cobolというと、大昔のプログラミング言語。
1959年生まれというから、人間ならぼくより2つ下の64歳。
古いシステムが多い日本の企業の「2025年の崖」のメインだ。

IT関係の記事などをみると、いまだに金融機関などで使われているという。
いずれも、出来てから手直しを幾度となく経て、ソースコードはぐちゃぐちゃだという。
使い始めて20年以上経って、もう限界というのが「2025年の崖」だ。

Cobolを理解できる人が高齢化してどんどん辞めていく。
それを引き止めて、今はかろうじてメンテしているというのが実情らしい。

ぼくが入社した頃は、よく使われていた。
もう40年以上前の話。
それがいまだに現役とは恐れ入る。

経営者がどこかの時点でモダンな言語に切り替えよう、という判断をすればよかったのだろう。
ところが、日本の経営者はITには疎い。
どこの会社もシステム部というようなものがあるが、そこは肝心な仕事は外部に出す。
それらを受けているのが、SIerと言われるIT業者。
日本のIT業界はそういう構造になっている。

そういえば、もといた会社もそんな状況だった。
ITのことを知ってはいるが、専門的なことは外部に丸投げ。
90年代後半くらいから、少しは改善されたが、それは技術畑だけだった。

しかし、まだCobolのシステムが動いているとはビックリだ。
2019年には、使われている言語で2位だったとのこと。
新規はないが、残っている、ということだろう。
ネットで見ると、アップデートはされているようだが…。

若い人たちはCobolなどやりたくない。
滅びゆく言語だから、当然だろう。
それでも、以前は上司から言われれば、Cobolを覚え、古いシステムのメンテの仕事などもしていたらしいが、今はもうダメだ。
そんな仕事を話したら、転職されるのがオチ。

そうなると、古い技術者にやってもらうしかない。

そういう技術者がいなくなって、始めて本当のDXができるのかもしれない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
スランプ
仕事がスランプだ。
相談をしていても、身が入らないことがある。
身を入れてやっていると思っても、あとから考えると、なんだか違うような気もする。
一言でいうと、気力不足、ということか。

こういうことは時々ある。
でも、何となく今回は深刻なように思う。
年齢もあるのだろうか。

相談の仕事は相手に直接迷惑をかける。
もちろん組織で仕事をしているときも、失敗して迷惑をかけることはあった。
それでも、複数の人間が関わっているだけに、失敗に気づいてくれる人がいたり、フォローしてくれる人がいたりする。

しかし、個人対個人の相談業務だから、どうしようもない。
一期一会の相談なのだ。

でも、今回は明確に失敗したということではない。
本当に何となく不安というか、自信が持てない。
間違ったことは言っていないとは思うが…。

こんなふうにして、だんだん仕事ができなくなっていく、ということかもしれない。
どっちみち、あと数年、ということもある。
今まで、できれば仕事を続けたいとずっと思ってきたが…。

若い人を相手にするから、調子が悪くなるのか。
限られた時間で、成果を出そうとするから、焦りが出るのだろうか。

元気が出ないなあ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダウンタウン
こないだダウンタウン松本の事を書いたが、よほど彼は大物とみえて、ネット上にはいろんな記事が出ている。
ぼくが共感するのは、「他人をイジる芸」が「イジメ芸」になっており、それに慣れた人たちは面白がっているが、そうでない人たちは松本を評価していないというような意見。

素人をイジる芸は、70年代にぼくがよく聞いていた「ヤングタウン」という深夜放送で、電話で番組ファンの若い人たちと電話でパーソナリティが話す、という企画あたりが発祥だと思う。
「ハッピートゥディ」というコーナーがあって、電話でエピソードを話し、それにパーソナリティがツッコミを入れる、という形だ。

それを進化させたのは、鶴瓶だったと思う。
鶴瓶は、素人のお客さんとのやり取りで笑いを取るのがうまかった。
80年代に日曜日の夕方にやっていたラジオ番組はよく聞いた覚えがある。
もちろん、イジメ芸というようなものではなく、彼ら彼女らの出来事や感想を深めたり、「そんなアホな」(これは関西ではイジメ言葉ではない)と突っ込んだりして、面白くするという手法。
出演した素人も、笑いながら話すというようなものだ。

それが90年代にダウンタウンによって、素人ではなく芸人や他のジャンルの有名人へのイジメ芸に変わったのかもしれない。
ぼくはダウンタウンの番組など見たことがないのでわからないが、今でも時々見る浜田のツッコミはそういう感じがある。

この記事には、こう書かれている。

「1991年から97年まで続いた「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)などで、ダウンタウンは日本中の若者、子どもたちに「イジり」という概念を植えつけた。「イジってもらっているんだから、おいしい」というような、本来は芸人の楽屋だけで通用していればよい価値観を、テレビ放送という「表舞台」に提供し続けてきたのがダウンタウンだといえる。天下を取るまではそれでよかったかもしれないが、天下を取ったあとのそれは、弱い者いじめとなる。」

前にも書いた、楽屋落ちの笑いなのだ。
それを表でやってはいけない。
前に書いた、横山やすしが言いたかったことも、そういうことだったのだろう。

それを無視して、やり続けたことが、日本中に拡散されそういう風土ができてしまったとしたら、その罪は重い。

テレビを見ていない、高校生の好感度が高いのは吉本の芸人ではなく、サンドイッチマンだ。
彼らのコントや漫才にはそんな毒の要素はない。
それが人前でやるべきお笑いなのだ。
テレビに毒されていない若い人たちは、そこから距離を置いている。

もう楽屋落ちはやめよう。
健全な笑いではなく、毒の笑いを撒き散らすのはやめよう。

それが今は必要だと思う。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
あきたこまちR
「あきたこまちR」は「あきたこまち」に品種改良をして、カドミウムを吸収しにくくした品種。
秋田県は昔鉱山が多く、カドミウムを吸収しない品種を作る必要があったらしい。

「あきたこまちR」の解説ページを見たが、納得できる説明だ。
この「あきたこまちR」を品種改良の手順として一度放射線を当てているということで、「危険だ」と騒いでいる人たちがいる。

おそらく、福島原発の処理水の問題が片付き、放射能を煽っていた人たちが次の獲物を探しているところに「あきたこまちR」があったのだろう。
時期的にはそうなっているらしい。

しかし、今までの品種改良でも使われており、実績もある手法だし、カドミウムの方がよほど怖いと思うのに、ただただ放射線というだけで飛びついたのだろう。
こういう運動を政党をあげてやっている人たちがいる。
どういうことなのだろうか。

そもそも国会議員の人数が一人とか二人とかの政党だ。
なんでこんな活動ができるかというと、政党助成金があるからだろう。

社民党など、国会議員数の人数では政党と認められないが、前回の参議院全国区で2%の得票をかろうじて得たので、2億円以上の政党助成金が出ている。
たった2%で政党などというのは、おかしいと思う。

比例代表区などやめればいいのだ。
もともと2大政党制を狙って選挙制度を改革したのではなかったのか。

なぜそんな少数政党に気を使っているのだろうか。
バラけたほうが、政権与党には都合がいいからだろうか。

それでなくても、今の民主主義はSNSなどの影響でノイズが多くなり、世論が形成されにくくなっていると思う。
だから、全体主義国家の方が効率がよくなってしまうのだろう。

こんな政党に公費を使わせるのはあんまりだと思う。
もともと、政権を取る気もなく、一部の急進的な人や情報弱者だけを相手にして、得票数2%を狙っているような政党だ。
責任を持って政治活動をする気などないと思う。

こんな放射能ネタをいつまで続けるつもりなのだろう…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハーツの賭け
ハーツというと、アメリカのレンタカー会社だ。
WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)に面白い有料記事があった。

ハーツは2021年にテスラ車10万台を購入する計画を発表した。
フォードのCEOなどが、ハーツの発表を称賛したという。
曰く「EVは今や主流であり、世界的な需要と関心が高まっている」という具合。

その後、ハーツはさらに他のカーメーカーからもEVを購入する計画を出し、著名なスポーツ選手を使って広告を出した。
そこでも、自社がEVを採用することで環境や社会を意識している、と訴えた。

ところが、今年1月にハーツは世界で所有するEVの1/3を売却し、代わりにガソリン車を買うと発表。
理由はEV需要の少なさと修理費用の高さとのことだ。
EVがちょっとした事故でも、電池の交換が必要になる場合があり、それには2万ドルかかるとのこと。
また修理期間も長期になる。

それ以外の大きな要因は、充電ステーションの問題。
充電ステーションがあるかどうかで、行き先を決める人などいないということだ。
その他、アプリのダウンロードなども面倒らしい。

また、グローバル自動車消費者意識調査で、アメリカの消費者の67%が次回購入時はガソリン車と答え、そこでEVと答えた人はわずか6%ということもある。

結局、「地球温暖化」という、煽られた危機に踊らされ、「脱炭素」というまともに取り組むのなら膨大な費用がかかるようなことを、理念先行でやってしまって失敗したということだろう。
理念は美しく、それが実現すれば素晴らしいものだが、それをやるためにはどれだけの犠牲を強いられるか、ということが全くカウントされなかった。

冷静に負担を考えれば、性急なEV化などムリだとわかる。
だからこそ、イギリスのスナク首相http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/?eid=243862は「今後は議会は脱炭素に関わる予算を承認する際には、それを達成するための計画を同時に精査すべきだ」と演説したのだろう。

記事の最後の方に、こう書かれている。

「EVを巡る状況の反転は、企業経営幹部とウォール街にまん延していた「集団思考」の危険性を示す顕著な例だ。それは大学キャンパスでの状況と似ている。理念の同一化は、米産業界のESG(環境・社会・企業統治)、DEI(多様性、公平性、包括性)重視の流れを加速させた。こうした動きは高コストで混乱をもたらすものであることが明らかになっている。」

EVは主にESG(環境・社会・企業統治)のためだが、単にEVだけでなく、DEI(多様性、公平性、包括性)も見直さないといけない。
その筋の活動家は、何が何でも多様であればいいとか、公平であればいいなどというが、LGBTの問題をみても、それは社会で無用な混乱を招くのだ。

欧州やアメリカではそういう見直しの意見も出ているが、日本はトヨタの例をみても、いまだにバッシングにあう。

マスコミの不見識を何とかしてほしいものだと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
フランスの農民デモ
朝のワールドニュースはフランスのニュースから始まる。
フランスの農民のデモが連日報道されている。
トラクターで高速道路に乗り入れて、わざとゆっくり走り、事実上高速道路は使えない。
国道でもトラクターで閉鎖して、農民が集まっている。

ぼくはあまり詳しくないのだが、農民の不満はコストアップにあるらしい。
エネルギーコストなどが上がり、農作物を作っても収入が入らないということだ。
それに対する政府の補助も不満ということらしい。
さらに、南米との農畜産物の関税廃止などの要因もある。

お隣のドイツでも、農家に対する助成の削減などで同様のデモが起こっている。
こちらは、ウクライナとロシアで戦争が起こっていから、どうもおかしくなったようだ。
ドイツはロシアの天然ガスを一番たくさん使っていたから、影響は大きい。

ニュースでは、農民を指示する声と、そうでない声の両方を紹介していた。
さすがフランスの国営テレビだ。
ちゃんと両方の意見を吸い上げている。
NHKも見習えばいいと思う。
それでも、国民の9割近くが農民のデモを支持しているという結果。

農業はフランスの主要産業だけあって、デモは力強い。
トラクターが高速道路を占拠している写真は圧巻だ。

もうすぐパリにトラクターの集団がいろんな地域から到着する。

EUが決めたことでは、各国の利害が対立する問題があるが、こういうことが頻発するとEUの結束力も落ちてくるんだろう。
デモのプラカードに、EUのテクノクラートという文字があった。

EUと加盟国の利害の調整は難しい。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 08:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
仕事にならない
月曜日は勤め先の学校で朝から事務局のサーバーがダウンして、修理に来るのが夕方になるということで、全く仕事にならなかった。
ほとんど全ての書類はサーバー上にあるし、学務システムもネットが使えないとお手上げ状態になる。

普通の会社なら、システムの保守要員は内部にいるとか、すぐに修理に来るような契約をしているとか、そもそもサーバー上ではなくクラウド上にデーターを持つなどの対策をしているので、すぐに復旧するのだが、小規模な学校法人はそういうところが手薄になっているのだろう。
これがネットサービスの会社なら、1日業務が止まって大損害だ。

今やネットワークは社会のインフラだ。
水道や電気と同じくらい大事な存在だと思う。
企業のトップレベルになると、海外の支社があったりするので、その重要性を理解しているが、どこまで国や行政、非営利法人がそれを理解しているのか、わからない。

大規模な大学は個人情報流出対策で、ネットの管理をしていて、お金もかけているから、こんなことにはならないだろう。
でも、募集が厳しい小規模校には難しい。
本来はそうであってはいけないのだが…。

近い将来、何十万人のIT技術者が足りなくなる、と言われているが、これは由々しき問題だ。
水道や電気と同じレベルで、メンテナンスをしないといけないのに、そういうことをする人が圧倒的に足りない。

ぼくはよくいうのだが、将来何十万人も足りないと言われているのなら、その仕事を今からやれば、食いっぱぐれはないということだ。

そういう養成機関をもっと作るとか、理系教育に力を入れるとか、そういうことは教育学者は考えないのだろうか。
情報関係の勉強は、中学は申しわけ程度に技術家庭科の中でやっているだけだし、高校はかなり高度なことまでカリキュラムにはあるが、履修漏れしていたりして、とても危機感を持って真面目にやっているとは思えない。
小学校に至っては、何をやっているのかわからない。
やる必要があるのか、とも思う。

本当に危機感を持って、ITの技術を習うためには、何が必要なのかをもっと真剣に考えてやるべきだと思う。

「そういう人材を育てないと、国が滅ぶ」くらいの気概で考えられないのか。

最近の戦争は、まずサイバーアタックでネットの機能を止めるところからと聞いている。

こんな状態では戦う前に負ける。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダウンタウン松本
松本人志が引退するらしい。
きっかけは文春のスキャンダル。
いろんな記事が溢れているが、ぼくには何が真偽かわからない。

ダウンタウンの漫才は出始めの頃わりと面白かった。
それも、浜田のツッコミが秀逸だったからだと思う。

一連のダウンタウンのやっていたテレビ番組は全く見ていない。
あの頃は仕事も忙しかったし、一番テレビを見る暇がなかった頃だ。

前にも書いたが、当時の紳助がやっていた番組は、今までになくひどかった。
潔く引退した紳助はそれなりに反省したのかもしれない。
時代の流れだったのかもしれないが…。

昔、ひょうきん族についても書いたことがある。
でも、あれは笑いの質が問題だっただけで、社会に対して悪いというわけではない。

松本について書かれたものを見ると、やっぱりそういうことか、と思い当たる。
横山やすしが芸人として説教したというのももっともだ。

時々、見かける松本は、なんだか大物扱いになって、まるで文化人というような感じだった。
あの尊大さは地だったのだろう。

浜田と漫才をしていない松本は、面白くもなんともない。
一度引退前の紳助と対談している番組を見たが、全く記憶にも残らない。
芸人という感じではなかった。
関西ローカルの罪なんだろう。

もう賞味期限は切れているのだから、引退すればいいと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
縁の下の力持ち
大きな大学には、学園祭の実行委員会という組織がある。
そういう学校は昔はタレントを呼んだり、かなり大がかりなイベントをやっていた。
今でもそういうところもあるが、学校法人としては少子化で減った受験生を呼ぶ機会でもある。
だから、わりと大きな予算で模擬店の数も多く、サークルの発表会などもやって、学校紹介の側面もあるのだと思う。

すべてを学生で運営するのは難しい。
ステージ設営などは外注するのだが…。
それでも、学園祭の実行委員会は大組織になる。

しかし、みんながみんなステージの企画等といった表舞台に立てるわけではない。
地味な役割にあたる人もいる。
それが机や椅子を運ぶような係だったりする。

先日面談した学生は、そういう係だった。
実行委員会に入りたかったのは、やっぱり企画などの花形の仕事がやりたかったからだが、当たったのはものの運搬をやる係だった。
残念だったが、役割を頑張ろうと思ったという。

ところが、30人ほどのメンバーのモチベーションが上がらず、なかなか準備が進まない。
自分はリーダーとかではなかったが、もっと役割をちゃんと振って、一人ひとりに責任を持たせてやることで、まとまったという。
一番印象に残っている言葉は何か?と聞くと、メンバーの一人が言った「資材係がいなかったら、学園祭はできへんねんなあ」という言葉だったという。

そういう縁の下の力持ちの仕事が大事だ、ということを知っていることはすごくいいことだ。

その学生には、それを伝えた。
中高年が面接をするときには、きっと感心されるだろうと思う。

こういう学生と会った日は気持ちがいい。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
すずめの戸締まり
正月にWOWOWでやっていたアニメ。
新海監督の2022年の作品。

まあ、面白いといえば面白いのだが、何だか見ていてしんどくなる。
この監督、よほど地震や天災をテーマにしたいのだろう。

地震が地中にいる悪いものによる、というのは日本人の理解しやすい伝承だ。
それをおさめるために、扉をしめる、何らかのくさびを打つ、というのもわかりやすい。

地震で母を失った高校生が主人公。
自分の忘れていた過去を思い出し、生きていくというようなテーマだ。

前半はその戸締まりの閉じ師との出会いと、各地の地震をおさめていくというストーリー。
後半は地震が起こった故郷への旅。
全体を通じて、九州から東北へのロードムービーとなっている。

各地で助けてくれる人と出会い、成長していくというお決まりのストーリー。

新海監督の得意な時間の巻き戻しも出てくるし、ロマンスもある。

でも、天災をテーマにするというのが、しんどい。

新海監督の他のアニメを見ていなければ、純粋に楽しめたかもしれないけど…。



| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 20:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
Youtuber戦略
アメリカのYoutuberの戦略が変わってきた、という記事
なかなか面白い。
Tiktokが勢力を広げる中、Youtuberの視聴者獲得争いが激化している。
アメリカではテレビの勢いが日本ほどないため、Youtubeの存在価値は大きいのかもしれない。

YoutubeでTiktokに対抗するためには、短くて中毒性のある要素を入れて、刺激的なコンテンツ作りをしないといけない。
そのために、「1ドル対1万ドルの…」というようなコンテンツや、短い時間で大量のものを一気に見せるなどの工夫があるという。
なんと、そのためにトップクラスのYoutuberは100人の制作スタッフを雇っている。
やはり、個人の力ではショート動画の強い中毒性に対抗できないのだろう。

Youtubeをビジネスにしようと思うと、そういう金のかけ方をしないといけない。
誰もが動画コンテンツを配信できる、というのがYoutubeのコンセプトだったと思うが、それで儲けようとするとそれなりに金がかかるということか。

一部のYoutuberは、仲間集めに使っている。
無料コンテンツで会員を募って、会費を取り、それでビジネスにするというものだ。
ギターYoutuberなど、そういう人が増えている。
あくまで個人でやるのなら、そういう手しかないとも思う。

記事はアメリカではこれまでのYoutubeのスタイルを変えるクリエイターには、チャンスがあるということで締めくくっている。

今の日本では、小中学生はもうTiktokやインスタに取られているような感じだ。
短い動画がいくらでもあるから、面白くなければ飛ばせばいい。
面白くても、30秒や1分で終わる。
だから、いくらでも消費できるのだろう。

動画をアップする人は、バズりたいと思ってとりあえず動画を作るのだから、モチベーション高い投稿者はいくらでもタダで手に入る。
基本的に、コンテンツはタダで、プラットフォーマーが儲かるというのがSNSの世界。
ショート動画はコンテンツを吟味する暇がないから、いくらでも儲かるという仕組みだと思う。

インターネットはアテンション(関心)を惹くビジネスだというが、アテンションさえ惹ければそれでいい。
そうなると、論理よりも感情が早い。
速い思考に訴えるだけでいいのだ。
これがTiktokなどのショート動画が流行る理屈だと思う。

したがって、知識などを得る必要はない。
感情だけで進んでいく。
そういうことまで考えて、Tiktokは開発されたのかもしれない。

いずれ、Youtubeのようなプラットフォームは教育にも大きく役立つだろう。
だから、ぼくはYoutuberに頑張ってほしいと願う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
外国人への態度
笑いに関する英語の表現のページを見たら、「笑う門には福来たる」ということわざは英語ではどう言うかが書いてあった。
それは「Fortune comes in by a cheerful home.」ということで、明るい家には幸運が来る、という表現になる。

慣用句として使うらしいが、何となく日本語とニュアンスが違う。
日本のことわざは家庭に限ったものではないからだ。
どちらかというと、日本では個人単位の話だろう。

笑いにはいろんなメリットがあるが、日本に比べると、欧米の文化のほうが笑顔を意識していると思う。
見知らぬ人に会ったら、ニッコリする、という常識めいた気持ちは欧米の方が強い。
ぼくの経験の範囲での話だが…。

ところが、Youtubeで来日した欧米人に日本食を紹介するチャンネルを見ると、彼らが口を揃えて言うのは「日本人は礼儀正しい」「日本人は優しい、親切」というものだ。
それを聞くと、何だか自分が褒められたようで嬉しくなるが、あくまで相手が欧米人の時ではないかと思う。
外見で識別がつきにくいアジアの外国人の場合でも、同じリアクションになるだろうか。

日本はアジアの端っこで、島国。
同質性が高い。
日本に住んでいる人どうしなら、以心伝心という言葉が使える。
だから、別ににっこりしなくても気持ちはわかるのだ。
日本人が欧米人に親切なのは、よそ者だから、ということの裏返しの部分もあると思う。

ぼくが会社員時代に付き合った欧米人は、みんな笑顔で接してくれたと思う。
その分、普段にっこりしない日本人でも、欧米人には愛想がよかったとも思う。

日本人がパッと見て外国人だとわかる人が相手だと、スイッチが切り替わって、親切になるのだろう。
ある意味、アジア人以外に対する逆差別ということかもしれない。

それはあまり嬉しいことではないが、意識はしておく方がいいと思う。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
そんなことより幸せになろう
2014年に出た小田和正のアルバム、「小田日和」の中の曲。
Wikipediaによると、年齢的なものも会って「最も苦労したアルバム」ということだ。

この曲、アルバム発売された当時、なんだか違和感があった曲。
小田和正は上昇志向が強く、一時アメリカに進出しようとしたり、そういう感じがわかる曲が多い印象だった。

でも、なんとなく東北の大震災の後からは、どちらかというとこの曲のような、人の希望を与える曲が増えてきた。
この曲は題名からして違和感があった。

それまでの小田なら「幸せになるためには、そんなことを頑張ろう」と言っていたと思う。
その曲をアルバムの1曲めに持ってきたというのは、イメージチェンジを示したかったのかもしれない。

いきなり「そんなことより幸せになろう」で始まる曲。
もう年齢もそこそこになったし、野心もあったが、これからは歌を聞いてくれる人のために歌おう、という気持ちだったんだろう。

当時「あと何枚アルバムを出せるだろうか」という気持ちだったという。

若い人にはわからないかもしれない。

「誰かと比べるなんて ほんとうに馬鹿げている」という歌詞があるが、それまでの小田は「誰かを抜いて1番になること」が目標だったのではないか。
そういう呪縛から吹っ切れて、これからは変わるぞ、という感じだ。

実際、その後の曲は肩の力が抜けているように思う。

当時はこの曲は変だと思っていたが、今になるとわかる。

いい曲だ。


| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
新・鬼平犯科帳
正月に全く新しいキャストで鬼平犯科帳をやっていた。
新しい鬼平は松本幸四郎。
先代の鬼平、中村吉右衛門の甥になる。
江戸家猫八が扮していた相模の彦十は、火野正平。
こちらは年齢が気にかかる。

吉右衛門と猫八のコンビはなんとも言えずよかった。
シリアスな場面でも、どこかにユーモアがあったのだ。

吉右衛門の鬼平犯科帳の核になるのがこの2人。
火付盗賊改方のお頭とその密偵。
盗賊には容赦ない鬼平だが、情がある。

まだ初回だが、新しい鬼平はそのあたりをどうやるんだろうか。
あの濃い顔がどうもひっかかる。
なんというか、「遊び」がないように見える。
まだまだ緊張があるのだろうか。

吉右衛門の鬼平犯科帳は何年も続いて、役者のほうが自然にそうなっていったのかもしれない。
何せ毎週やっていたのだからなあ。
はじめからその呼吸を求めるのは、望み過ぎか…。

次は5月らしい。

それを楽しみにしよう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
声が出にくい
過去にも何回か書いたが、一日家で喋らずにいると声が出にくくなる。
最近は学生も少なく、面談も少ないので、話さない時間が多い。

若い頃はそんなことはなかったと思うが、そもそも話さない日などなかった。
電話も多かったし、無駄話も多かった。

最近はオフィスの環境も変わり、電話も減って、話さない時間が多い。
というか、話さなくても仕事ができる。
それもあまり良くないのだろう。

ネットで調べると、加齢で声帯が弱ると書いてあるページもある。
その対策の体操も書いてあった。

腕を組んで息を大きく吸い、息を止めて、組んだ腕を左右に引っ張るように力を入れる。
この息止めの時間を伸ばしていくといいらしい。
これを何セットか決めてやる。

落研のころ、休み明けなどで久しぶりに練習すると声がかれた。
あの時と似たような感じだと思う。

何だかいろんなところが弱ってきた。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴァイオレット・エヴァーガーデン その2
前に地上波でやっていた劇場版のアニメを見た。
今回、Wowowでシリーズ3本ともやっていたので、特別編、外伝編もやっと見ることができた。

このアニメ、無国籍で時代背景も創作なのだが、イメージとしてはヨーロッパの第一次大戦後あたりの感じ。
手紙の配達人のバイクや、手回し式の電話、タイプライターなどがそれを思わせる。
でも、あくまで創作でぼんやりしている。

劇場版が完結編なので、逆の順番で見たことになる。
それでも、一つ一つのアニメの完成度は高く、さすが京アニという出来栄え。

手紙の代筆をする、という商売。
これが魅力的だ。
手紙には力がある。

これぞ世界で通用するアニメだ。
アニメの世界にガラパゴスはない。

それぞれのエピソードは、思いを届けるという「手紙」を通して、人と人との結びつきを描いたもの。
もともと、戦争のために育てられたヴァイオレットが、戦後手紙の代筆を通して、人として成長していくドラマ。

ディズニーの3Dアニメはどちらかというと子供向けだが、これは大人向けだ。
少なくとも中学生くらいなら楽しめるが、メインは大人がターゲットだろう。
そういう2Dのアニメは日本の独壇場だと思う。

できれば特別編、外伝、劇場版の順で見るのが正解。

海外で日本のアニメが称賛されているが、それはこういう作品があるからだと思う。



| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIの文章
こないだ学生がLineのAIにチェックしてもらったというエントリーシートの文章を持ってきた。

400字程度の文章なのだが、とにかく繰り返しが多い。
代名詞で置き換えられるところを、もとの言葉で書いている。

ChatGPTはどんどん賢くなっているというが、あくまで意味をわかって書いているのではなく、確率処理でその単語の次に来ると思われる単語を選んでいる。
そのせいで、エントリーシートなどの個人的な体験を主に書くというような文章は、大の不得意だ。

なんか、同じようなことばっかり書いてるなあ、というと、「私もそう思います」という執筆者の返事。
「ChatGPTに考えてもらったんですけどね〜」と続いた。
なるほど、と納得。
ChatGPTをLineで使えるようにしたもので見てもらったらしい。

150字程度のものを、400字で指定してChatGPTに仕上げてもらったという。
それはさすがに無理だろう。
同じようなことの繰り返しになるのは仕方ない。

ChatGPTはいろんなところに書いてある一般論をまとめるのは得意だが、個人的な経験などは不得意。
不得意というか、エントリーシートに書いて、面接で話そうと思うのなら、その経験を書かないとダメだ。
それを書いたうえで、その内容を膨らますのならまだマシ。
それを書かずに、こういう強みで書いてほしい、という事をすると、全く中身のないものができる。
ちゃんとした質問(プロンプト)を作って頼まないと…、と伝える。

法律や判例のようなものなら得意だが、個人的経験は手が出ない。

よくわからないが、そこが限界のように思える。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
メルクリン
メルクリンというと、知る人ぞ知るドイツの玩具メーカー。
鉄道模型がメインだと思う。

中学のころ、当時としては珍しく父がデュッセルドルフに出張し、向こうの駐在員にメルクリンを勧められたことが、ぼくに伝わった。
当時の父は経済の本を読むこと以外にはこれといった趣味はなく、ドイツ駐在員の方にメルクリンの素晴らしさを吹き込まれ、10日ほどの滞在でドイツと言えばメルクリンという状態に近かったのだと思う。

思い出してみれば、ちょうどそのころ転校生がいて、彼もどういうわけかメルクリンのファンだった。
それが後押しして、3つほどメルクリンのHOゲージを買った。
1つはレールと機関車のセット、あとはドイツの電気機関車と操車場にあるようなクレーン。

当時のメルクリンは交流モーターで動いていた。
なぜかというと、ポイントなどを使って複雑な線路をひくことが自由にできるからだ。
直流のモーターなら、プラスマイナスを切り替えるギャップが必要になるので、ややこしい。
今のメルクリンはパルスモーターのデジタル制御になってしまったが…。

母が屋根裏に取っておいてくれたそのメルクリンを、実家払いの時に持って帰った。
ずっと置いてあったのだが、正月に線路を組んで動かしてみた。
もう50年前の玩具。

会社の先輩がもっと小さなメルクリンを持っていて、それを修理したとのこと。
グリスなどが固化していて、大変だったという。
その話を聞いて、動かしてみる気になった。
おそらく動かないだろうと思っていたら、楕円の線路の上を機関車が走り出した時は驚いた。

さすがMade in West Germanyだ。
当時はベルリンの壁が崩壊する20年以上前だったので、Westの文字が入っている。

残念ながら、電気機関車は電灯がつくだけで動かず、クレーンは配線のつなぎ方がわからず、適当につないだが動かずだった。

実はメルクリンに興味があった頃にギターを始め、そっちの方が面白くなり、ほったらかしになってしまったのが事実。
それを母が取っておいてくれた。
母に感謝だ。

50年の時間を経て、まだ現役のおもちゃだ。

さすがメルクリン。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
会社員のやる気
「日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか」という本の作者の記事を読んだ。
要するに本の宣伝記事なのだが、日本の会社の問題点が書かれている。

20歳から49歳の会社員150名にインターネットで調査した結果が出ている。

「あなたの会社・職場には『無駄に思える仕事』『意味のない仕事』がありますか?」という質問に「はい」と回答した人は79人で52.67%で過半数だった。
母集団の属性がわからないから、150人の結果が正しいかどうかはわからないが、ぼくの会社員時代にもそういう類の仕事があったのは事実。

その「無駄な仕事」の内容を聞いた結果は、

 「無駄な会議・打ち合わせ」 51人、64.56%
 「無意味な書類提出」 35人、44.30%
 「無意味な社内ルールの順守」 32人、40.51%
 「意義が不明な慣例となっている業務」 24人、30.38%
 「過剰な上司などへの報告」 23人、29.11%
 「煩雑な手続き」 22人、27.85%
 「直接関わりのない部署・役職への根回しや調整」 21人、26.58%
 「上司や経営陣による思い付きの指示」 20人、25.32%

となっている。

内容を見ると、思い当たることも多い。
以前「無駄な仕事」というのも書いたなあ。

2000年以降、組織が大きくなって、そういう仕事が増えたのだと思う。
ちょうど日本企業がバブル崩壊を乗り越え、グローバル化した結果だろう。
その時に、もう少し考えて仕事のやり方を変えないといけなかったのに、それを変えずに来たからかもしれない。

一日のどれくらいの時間、無駄な仕事に費やしているか?という質問には、

 「1時間未満」 24人、36.36%
 「1時間以上、2時間未満」 31人、46.97%
 「2時間以上、3時間未満」 6人、9.09%
 「3時間以上、4時間未満」 1人、1.52%
 「4時間以上、5時間未満」 1人、1.52%
 「5時間以上」 1人、1.52%
 「わからない」 3.03%

という回答。

さすがに、毎日1時間〜2時間以上無駄な仕事をしている人が半分以上いるとは思わなかった。
これでは、やる気も無くなる。

作者によると、中間管理職の過剰なマネジメントで、要は文句を言うのが仕事という人が多いということだ。
プロジェクト・マネージャーに任せるべきなのに、細かい報告を求め、その度に文句をつける、というような上司は要らない。
そういう人が「無駄な仕事」をどんどん生産しているのだ。

何度か書いたが、日本のサラリーマンの「やる気」は低い。
熱意ある社員がたった6%とか、やる気のない社員が7割とか…。
どこかでこの状態を断ち切らないといけない。
そのために、メンバーシップ型からジョブ型、という動きがある。
キャッチアップのときはまだ終身雇用、年功序列という日本型雇用が幸いしたが、今となってはそれが足かせになっているのだと思う。

早くなんとかしたいものだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
もの忘れ
ワイヤレスのイヤフォンを使っているのだが、昨日の夜電池がなくなって、LEDが点滅した。
家の前でイヤフォンを外して、充電しないといけないと思って、わざわざコートのポケットに入れた。

今朝通勤の時にコートのポケットを探ると、そのイヤフォンがそのまま入っている。
昨夜家の前で充電しようと思って、忘れたからだ。

最近こういうことが増えた。
俗にいうもの忘れ。
昔はそんなことはしなかったのになあ、と思う。

まあ、学校法人に勤めている時も、ちょっと無駄話をしてコピー機のところまでいったものの、何がしたいのか忘れて止まるということも思い出した。

日本神経学会のHPによると「誰でも歳をとってくると「もの忘れ」をするようになります。たとえば、友人の名前を思い出せない、1分ぐらいしてからやっと思い出した、といったような場合です。こうした「もの忘れ」はいわゆる「度忘れ」で、歳相応の「もの忘れ」です。日常生活・社会生活に支障はありません。」ということだ。

だから、かまわないとは思えない。
やっぱり年をとったということを認識する。

亡くなった母も、実家で暮らしている最後の時期に、生協の宅配を頼む時に同じものを何度も頼んでしまっていた。
2週間後に配達なので、頼んだことを忘れてしまうのだ。
今思えば、もっとぼくにもできることがあったように思うが、後の祭りだ。

あのとき母は、80代の後半だった。

「あの時君は若かった…」というスパイダースの歌を思い出す。
歌っていた人たちの何人かは鬼籍に入った。

まさかこの歌が、認知症を思い出す歌になるとは思わなかった。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
マツダのEV
マツダの社長が、Forbes Japanのインタビューに答えている記事
「右へならえには従わない、EVはマツダの意志でいく」というものだ。
実際の発言は、

「今後、バッテリーEVが世界的に有力になるとしても、電動化への移行期については、各国の政策、電池の調達コストからお客さまの需要まで、変動要因がたくさんあります。そんななかで、方向性を一つに絞ってそこに賭けるのは、リスクが大きすぎると思います。

我々がもっているクルマづくりの資産は非常にバラエティに富んでいますし、EVシフトに関しては、技術的な準備はしておくけれど、実需を見ながら展開スピードを決めていきます、と。これが『意志あるフォロワー』の考え方です」

というもの。

トヨタの元社長と同じような意見だ。

欧州のカーメーカーはみんなEVシフトをした。
ガソリン車はもう売れなくなる、というEUの方針に従った。
さすがにドイツはガソリンエンジンを延命させる方針を出したが…。

アメリカも、一応EVシフトをするような格好だ。
環境保護の団体が怖いのかもしれない。
そんな中、トヨタの元社長はHVやPHVは依然として必要だと話して、バッシングを浴びた。
日本でも、そういう感じだ。
「進歩的」なマスコミはやみくもにEV化を進めたいらしい。

マツダは当初から、EV一辺倒ではなかった。
企業城下町を作り、下請けのメーカーの事を考えれば、そう簡単にEV化とは言えないのは当然だろう。
系列が弱い海外の会社とは、ちょっと違う。
長期的関係の中で車を作ってきたから、日本車の品質が保たれている、という強みがあるからだ。

EV化すると、部品点数が減ってたくさんの下請け、孫受けが潰れる。
雇用慣行的にも、それは死活問題になる。

でも、そういう国内事情だけでなく、資源の効率性や希少金属、インフラの問題など、フィジビリティの面から見ても、たくさん問題がある。
だからこそ、過剰なEV化は進められないのだと思う。

今のところ、日産とホンダはエンジンを捨てるつもりのようだ。
でも、正直なところ、様子を見ているのだと思う。
アメリカのメーカーだって、結局は同じことだろう。

いくつかの技術的な課題と社会的な課題を解決して、初めてエンジンを捨てられるのだと思う。
それがいつかはわからないが…。

いずれ、化石燃料は尽きる。
だから、全EV化は絶対にやらないといけない。

でも、今ではないだろうとぼくは思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
君を愛した一人の僕へ
2022年のアニメ。
この作品は「僕が愛したすべての君へ」と対になっている。

SFではおなじみの、パラレルワールドの物語。
未来の話だ。

パラレルワールドの研究者の息子が、親の離婚でどちらについていくかというところが分かれ目となる。
すでにこれを書いてしまうということがネタバレになるのだが…。

片方の世界では少年は一人の症状を救おうとする。
もう片方の世界では、その少女は出てこない。
別の研究者の同僚と結婚する。

物語はその少年の一生を描くのだが、2つとも見ないと腑に落ちない。

Tiktokで評判になったらしい。
2016年に発表された、乙野四方字の2つの小説を映画化した。

2つのプロダクションで制作し、同時に公開した。
パラレルワールドものだけあって、どっちから見てもわかると思う。
ぼくはWOWOWの番組の順番で、君→僕の順番で見た。
そちらの順番で見るのが正解だと思う。

細かいところでいろいろ疑問はあるのだが、それは無視しよう。

結局、こんなパラレルワールドを認めてしまうと、何が真実かは世界の数だけあって、ややこしくなると思う。

話としては面白いが、そこをどう考えるかだろう。

単純にフィクションとして楽しめればいいのだが。

| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
屈託
「屈託とは、年を取らないとわからない、鬱々とした思いのことだ」と剣客商売の主人公、北大路欣也が扮する秋山小兵衛が言っていた。
池波正太郎のオリジナルとはちょっと違うが…。

そういえば、ぼくもそういう年齢になって、屈託がわかるようになった。
思うように身体が動かないとか、どこが痛いとかそういう物理的な苦労もある。
夜中に何度も起きて、トイレに行くのも歳をとった証拠。
時には若いときにした失敗を思い出して、くよくよしたりする。

昔は先のことなど考えなかった。
無限の時間があると、大きな勘違いをしていた。
だから、いつかはなんとかなると思えた。

もう今は思えない。
あと何年生きられるかわからないが、終わりを意識させられる。
そういう年になった。

特に去年手術をして、それはひどくなった。
鬱々とした思いがよくわかる。
調子のいいときはそんなに思わないが、やっぱり年をとるということは嬉しいことではないのだ。

あと何年、この屈託と付き合っていかないといけないのだろうか。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
エヴァンゲリオン
いつか見ようと思っていたエヴァゲリオンの映画を4本見た。
Wowowで年末やっていたのを録画した。
エヴァンゲリオンの「序」、「破」、「Q」と「シン・エヴァンゲリオン」の4本。

一言でいうと、疲れるアニメだった。
メカものかと思っていたが、そうでもない。
「序」はまだそうでもないが、だいたい敵がわけの分からない「使徒」というもの。
いきなり人類の半分が一度滅んだセカンドインパクトの後の世界で始まる。

中学生の男子が主人公。
普通に2年A組に通っている。
一方で、すごい兵器が出てくる。
このアンバランスがなんとも言えず違和感がある。
居酒屋や自販機も普通に出てくる。

「破」を見ると、主人公の父親(エヴァンゲリオンを作った科学者)との関係が主題だと見えてくる。
親子のコンプレックスに悩む中二病、という感じだ。
昭和の時代の「今日の日はさようなら」とか「翼をください」とか少年少女合唱団の歌が挿入される。

「Q」は2012年作。
だいぶ絵もきれいになった。
14年後の世界が描かれる。
ここでは完全に親子コンプレックスが主題だとわかる。
父親が悪役で、人類補完計画というのが出てくる。
ムダに長い戦闘シーンを経て、主人公が自らサードインパクトを起こし、大量の人が死ぬ。

最後は「シン・エヴァンゲリオン」。
2021年作だけあって、3DのCGも入ってくる。
2時間以上で長い。
主人公の葛藤がすごい。
人類を一度は助け、一度は滅ぼすということをやってしまっている。

不思議なのはこのエヴァンゲリオンがどうして人気があったのだろう、ということだ。
親子のコンプレックスのために世界を2回滅ぼすというのは、コンプレックスの強さとしてはすごすぎる。
そこまでいかんでも、と思う。

また、そういうテーマだから、小学生や中学生にはわからないのではないかと思う。

今見てみて、なぜエヴァンゲリオンが流行ったのかは、ぼくにとっては謎だった。


| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャリアレインボー
キャリアレインボーとはドナルド・E・スーパーが提唱したキャリアの考え方。
2014年にCDA(Career Development Adviser)の講座で習った。

仕事だけでなく、「人生における役割」という考え方がしっくり来て覚えている。
キャリアとは轍(わだち)のことであり、それは仕事だけのことではない。
自分が過ごしてきた人生の結果として、いまの状態がある。
キャリアを仕事だけと捉えず、人生の要素の一つと捉えている。

ここにその説明があるが、細かいことはどうでもいい。
人生の役割、というのが肝だと思う。

まず、生まれたときの役割は子供だ。
学校に行くと、学生という役割が増える。
就職すると、職業人という役割が、結婚すると配偶者という役割が増える。
その代わり、卒業すると学生という役割は終わる。
こんなふうに人生を役割別に虹のように書いて考えていく。

ぼくは学生という役割を22歳で終えたし、子供という役割を今年終えた。
職業人という役割はかろうじて続いている。
子供はもう独立したから、家庭人という役割は終えた。
親という役割は残っているが…。
あとは配偶者、余暇人、市民というところだろう。

職業人を終えると、対外的には市民と余暇を楽しむ人しか残らない。
もうその頃にはそんなに楽しむこともないかもしれない。

だいたい、楽しくない事があるからこそ、楽しい事がある。
ずーっと楽しいことなどない。
それはただのんべんだらりとした時間があるだけだろう。

虹の両端は見えないものだが、生まれたときと死ぬときは、役割が自分でもはっきりしないということだろうか。

スーパーはそこまで考えて、人生を虹に例えたのだろうか。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
シン・ウルトラマン
WOWOWでやっていた。
2022年の作品。

「シン・ナントカ」というと、シン・ゴジラが思い浮かぶ。
その二番煎じという感じ。
出来はやはりシン・ゴジラがだいぶいいと思う。

政府のドタバタ感も、特撮へのお金のかけ方も、シン・ゴジラが上だ。
シン・ゴジラが大人だとすると、シン・ウルトラマンは子供という位置づけ。

だから、見る価値がないかというとそんなことはない。

シン・ウルトラマンの「シン」は信頼の「信」だろう。
わりと少年ジャンプの世界感に近いのだが、「友情・努力・勝利」というとちょっと違う。
テーマは「バディ」。
「仲間への信頼」ということだ。

シン・ゴジラと違って、ハッピーエンドというところも救われる。

映画は「子供」でもいいのだ。

斎藤工という俳優、たいがい使い所がわからないのだが、今回は珍しくハマっていた。

そういう意味でも珍しい。

| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 14:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスコミの劣化2
羽田の日航機と海保の衝突事故について、日本のマスコミの報道はどうかと思う。
原因はどこにあるのか、まだ調査中だが、だれが犯人か、ということに終止している。
それは自分たちが正義だという意識の現れだろう。
悪者を見つけて、それを叩くのが仕事だと思っているのだ。
記者の頭の中にはそれしかないように見える。

ぼくもテレビを見ていて思ったが、あの火が出ている中、どこの出口から乗客を脱出させるのか、その判断を誤ると大変なことになるが、乗務員はその判断を冷静にしたということだ。
また、脱出時は90秒で全員を避難させないといけない、という。
その訓練をJALは毎年やっているらしい。
そういう事を報道するのも、マスコミの仕事だし、それが読者の意識を上げることにつながる。
そんな考えは毛頭ないらしい。

海保の飛行機だって、被災地への物資の輸送で滑走路で待機していたはずだった。
乗務員は焦っていたんだろうと想像する。
一刻も早く、荷物を届けないといけないのだ。
それも元旦の日に。

ニューヨークタイムズも、CNNもBBCも日航の乗務員を賞賛していた。
一方、朝日新聞は「早く出してください」。子どもや女性が口々に叫ぶ中…」という報道。
まるで乗務員の指示が遅れているような印象操作だ。
そんな子供の声を無視して、対応したからこそ全員脱出できた。
「奇跡」という海外の報道もあったようだ。

事実を報道するならば、あの機体が燃えている中で、安全な経路を誘導して脱出させたのは「奇跡」と言っていいだろうと思う。

ネット上で死んだペットのことについて書いている人がいるが、ペットが貨物室で死んだのは仕方ない。
それが嫌なら、ペットを飛行機に乗せなければいいのだ。

悪者を吊るし上げる、という間違ったマスコミの「正義」が恐ろしい。
正義というのは、相対的なものだ。
絶対正義などという考えは危険だと思わないといけない。
そんなこともわからない記者がたくさんいるのが、日本のマスコミ。
今のテレビや新聞は、見ている人たちをバカにしてしまう。

年明け早々、気分が悪くなった。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
紅白視聴率
去年の紅白史上最低の視聴率だったとのこと。
旧ジャニーズファンからは、勝利宣言が上がっていたり、そもそもずっと視聴率は下がってきたのだから、その傾向が続いただけという意見もある。
高齢者があまり興味のないK-Popの歌手が出てきたからだという意見もある。

結局、テレビを見ない若い人が増えたということか。
いくら頑張っても、もう視聴率は上がらないのかもしれない。

今回は若い人に照準を当てて、Tiktokなどの動画サイトで出てきた若い人を多用したと思う。
ジャニーズ枠がなくなったから、白組の話だが…。

NHKとしては、ネット世代の若者を獲得したかったのだろう。
でも、しょせんテレビという語彙のない若者たちには通じなかったようだ。
紅白ってなんですか?という世代だから、いくら頑張っても無理だったのだろう。

そもそも、テレビがない家もある。
あっても、Youtubeなどをキャストして見ていたり、最初からネットにつながっているテレビもある。

結局、テレビはもうオワコン(終わったコンテンツ)なのだろう。

ぼくらの世代が死に絶える頃には、もうテレビという端末はなくなっているかもしれない。

インターネットの世界は否応なくグローバル化を進め、国民という共同体はどんどん緩くなっている。
その証拠に、若い世代はK-Popが大好きだ。
Yoasobiのアジアでの人気も高い。
他のアジア国々のコンテンツも、存在感を増してくるだろう。

それにしても、紅白がなくなり、インスタやTiktok、Youtubeがその代わりになる世界は一体どんな世界になっているのだろう。

楽しみではあるが…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 12:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
能登半島地震
昨日の夜から地震のニュースだったが、2日の朝は駅伝の放送もあるし、昨日放送されなかった番組を放送する局もある。
そんな2024年の幕開けとなった。

倒壊しているビルや火事、地割れなどを見ると、阪神大震災を思い出す。
それにつけても、思うのは地震予知などできないということだ。

大昔は大陸は一つで、それが分かれてユーラシアとアメリカ、アフリカ、オーストラリアになったという。
2億年以上前の話。
それが徐々に分かれていったという。
人間の寿命などとはオーダーが違う。

前にも書いたが、大規模地震対策特別措置法は、大規模な地震は3日以内に地震発生を予測できるということを根拠にしているのだが、その前提が「科学的根拠は皆無」、ということだ。
1978年に制定されたらしいが、法律ができると、予算がつく。
今までの地震を3日前までに予測できたこともない。

地震が起きてから、いろいろ言っても仕方がない。
地震が起こってからの警報や注意報、速報体制などにお金をかけるのはまだいい。
年間350億ほどの予算を使っているというが、そのうち「予測」にいくら使っているのだろうか。
本当にムダなお金だ。
文科省のガバナンスが全く無いと言っていい。

人間が地震の発生を日単位で予測できるなど、自然に対する驕りだと思う。
そんなことにかける金があるのなら、若い人の負担を減らす方がよほど大事。

そんなことはきっとやっている人たちもわかっていると思う。

予想屋は、こんなことが起こって、虚しくないのだろうか…。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 13:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
1月1日
昨日は紅白を見た。
テーマは「ボーダーレス」。

レコ大よりは出場者が丁寧に解説され、昨日はワケがわからんなあと思っていた人たちも、何となくわかった。
とにかく、今は歌だけでは難しい。
ダンスとセットでやるとか、アニメとセットにするとか、バズるような動画づくりが必要だ。

でも、ジャニーズがなくなって、やっぱり変わった。
紅組が勝つようになった。
毎年不思議だったが、ジャニーズのファンがいなくなったら大差で紅が勝つ。
順当だろう。

年に一度しか見ないが、馴染んだ顔が出てこないと何となく寂しい。
それにしても、BBCの力はすごい。
BBCが児童虐待を指摘したら、マスコミは一斉に動いて、ジャニーズは潰れた。

LGBTQやカーボンニュートラルなんかも、BBCかアメリカのメディアあたりが、なにか言ってくれたら、変わるんだろう。

しかし、ボーダーレスというのは何でもごちゃまぜにしたらOKというものでもない。
ボーダーをちゃんと意識して、お互いを尊重して初めて実現できるものだ。
やるのなら、もうちょっと真面目にやってほしいものだ。

と思っていたら、能登半島で地震。
卒業生に安否を確認したが、金沢で無事だった。
能登の方は火事も出ていて、大変だ。

何だか不吉な出だしとなった2024年。

被害がどうなっているかもわからないが、被害が小さいことを祈る。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |