考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< September 2009 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
カネモ
カネモは新語。
若い人のあいだではだいたい通じる。

さて、何のことかわかるだろうか?
これだけはわからなくても、使われている場面で聞くと、ははんとわかる。

「あいつ、5連休ずっと沖縄やったらしいデ」
「カネモやな」

要するに、金持ちのこと。

カネモチの最後の一字を発音しない。それだけのこと。
でも、だいぶ印象が違う。

カネモチは「カネモ ↓チ」と最後の「チ」のところでイントネーションが下がる。
しかし、カネモはどちらかというと、「ネ」のところにアクセントがあり、「カ ↑ネ ↓モ」と発音する。

ちょうど、マクド(マクドナルドの大阪式略語)と同じイントネーション。

この3文字の言葉は他にもありそうだ。

気をつけて、探してみよう。


| | 考えたこと | 01:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
Show and tell
アメリカのコラムニストにロバート・フルガムという人がいる。

「気がついたときには、火のついたベッドに寝ていた」という変わったタイトルの本を書いている。
あたたかく、示唆に富むエッセイ集。

その本の中で、学生時代の「ショウ・アンド・テル」の話をする。
持ち物紹介らしい。文字通り、「見せて、語る」だ。
生徒が自分の大切なものを学校に持ってきて、それにまつわる話をする。
週に1回そういう時間があったらしい。

へー、と驚いてしまった。
日本の学校では、そんな時間はない、というかぼくらの頃はなかった。
今はあるのかどうか…、たぶんないと思う。

そういう時間を持つことは大事だと思う。

好きなものを持ってきて、それについて語る。
いい時間だと思う。

そう思いませんか?



| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
幸せの1ページ
幸せの1ページという映画を見た。
去年封切られた映画。

外出恐怖症の女性作家が、孤島に住む少女を助けに行くという映画。

海洋科学者の父と娘が住む南海の孤島。
平和な暮らしをしていたが、一人で海へ出た父親が嵐に遭遇。
一人になった娘は、冒険小説の主人公にメールを出す。
実は、その作家は外出恐怖症で、女性だった。
その、彼女が一大決心をして、少女を助けに行く…。

ジョディ・フォスターが作家の役で好演している。
年をとっても、キレイだ。
サンフランシスコから南の島までの道中が面白い。

しかし、何といっても子役の娘がすばらしい。
アビゲイル・プレスリンという女の子。
崖からすべり落ちたり、一人で海賊と戦ったり、大活躍だった。

そして、トカゲ、アザラシ、コウノトリなどの動物たち。
ロケはオーストラリアのゴールドコーストとのこと。

よくできたコメディだ。
こんなことは、あり得ないというシチュエーション。
でも、それを感じさせず、最後のハッピーエンドまで進んでいく。

こういうコメディはやっぱりハリウッドの独壇場だと思う。



| | 映画・舞台 | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
パーソナル・モビリティ
24日にホンダから発表があった。
奇妙な乗り物。
持ち運びができる、一人乗りの一輪車。
一輪車でも前後・左右に動く。

体験したアナウンサーによると、直立しているときは細かく動いているが、上に乗るとしっかりと支えてくれるとのこと。
細かく動くのは自立するためだ。自転車でじっとしているときを考えてみればいい。
ハンドルを動かしたり、ペダルの足を動かしたりして重心をとる。
それを細かい動きで実現している。
二足歩行のロボットの技術らしい。

そして、重心を前によせると前に進み、右に寄せると右に進む。
単に倒れないようにするという動作が動きを生むのだろう。

どこで使うのか?それが問題だ。
階段以外はどこでも使える。
最高時速は6km/h。ちょうど小学校の遠足のときの足の速さ。

テレビでは介護分野かな、と言っていたが、それはユーザーが考えることだ。
まだ試作機の段階だが、値段にこだわらなければ、きっと実用も近いだろう。

関西弁でいうと、「こんなんできましたけど…」という感じ。

二足歩行のロボットは日本しかマジメに取り組んでいないと思う。
その技術を使った製品だ。

これからに期待しよう!




| | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
夜歩く悪者
警察署に行った。
つかまったわけではない。仕事で行ったのだ。

そこで話を聞いた。

現在は夜歩いていると、アブナイことが色々ある。
悪い人が増えたのか?そうではないと署長はいう。

昔は夜中に歩いている人は10人。
そして、その中に悪い人は2人くらいいた。
今は夜中に歩いている人が100人。
そして、悪いことをする人が20人いる。

比率は変わらないのだが、今は夜中にウロウロする人が多い。

昔と何が変わったのか?
今はコンビニが終夜営業している。
スーパーも夜遅くまでやっている。
だから、夜ウロウロする人が増えた。

夜に電気をつけて、エアコンを動かし、どれだけの儲けがあるのか…。

とにかく、コンビニに代表される夜の営業店が夜中にウロウロする人を増やし、それで夜の犯罪が増えているとのこと。

なるほど…。
そうかもしれない。

夜中に店が開いていると便利だ。
しかし、その便利さの裏で犠牲になっているものを考えると、そのコストは社会的にみあうのか?

何事もいいことばかりではない。



| | 考えたこと | 03:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
Have a hunch
またまた、ドラマで出てきた英語。
何度か聞き覚えがあった。

何かあって、どうもおかしい、というときに何か思いついて、"I have a hunch"とか、"I got a hunch"とかいう。

hunchというのは、虫の知らせとか、直感という意味。

"I have a hunch"で「なんだか予感がする」というような意味になる。

どうして、そうするのか?と聞かれたときに、"Got a hunch"と答えたりする。
字幕では、「直感だ」と訳されることが多い。

しかし、「虫の知らせ」という単語が英語でもあるのか。
日本語では虫の+知らせで二語だが、hunchは一語だ。
まあ、虫の知らせという言葉が英語でそのままあるわけもないし、語数に関係はないのだが、でも日本語でいうと虫の知らせになるというのが面白い。

日本では虫が知らせるが、アメリカではhunchのひとこと。

そういえば、日本には虫が知らせるだけでなく、虫が好かないとか、虫の居所が悪いとか、虫が出てくる言葉は多い。
でも、これらの言い方を英語に直すと、虫はなくなる。
英語には、日本語の虫に相当するものはないらしい。

これはなかなか面白い。

でも、虫の知らせはhunchだ。

覚えておこう。



| | 英語 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生50年
墓参りに行って、ちょっと考えた。

人生50年。

最初の二十数年は親と暮らす。
それから家を出て、結婚して、子どもができる。
子どもの人数にもよるが、一人について二十数年。
二十数年したら、子どもが出ていく。
50年はだいたいその合計になる。

核家族で言えば、親と一緒に暮らし、その後子どもと一緒に暮らす。
その後が残された時間。

親から受け継ぎ、子へと渡す。

昔は人生50年だった。
それが今は60年から70年、80年となっている。
だから、残りの人生というものができた。
ひと言で言えば、オマケのようなものだ。

人間は、遺伝子の運び手だといった人がいる。
大事なのは遺伝子であって、それを残すのが人間の務め。
だから、子孫を残した時点で、もうその人間の役割は終わっている。

そこから、オマケの時間が始まる。

できれば、意味のあるオマケにしたいところだが、どうしたら意味があるのか、意味とは何なのかがむずかしい。

まあ神さまがくれたオマケだから、ありがたい時間だ。

ありがたい時間…、それがキーワードかな。


| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
墓参り2009
昨日は母と墓参りに行った。

ウチの父は広島生まれで、長男だったが、戦後はずっと神戸で暮らした。

一時東京に単身赴任したり、パキスタンに行っていたりしたが、基本的には大阪の本町で働いていた。

昭和40年代には、会社を家族が訪問するというような事はなかった。
どんな職場だったか、想像がつかない。

コンピューターも電卓もコピー機もない職場。
カーボン紙やソロバンが大活躍していた時代だろう。
必要なものは、みんなで見て、所定の場所に入れる。
働く女性はOLではなく、BGと呼ばれていた時代。
クーラーもなかったので、部屋は暑かっただろう。
もちろん、窓は開いたのだろう…。
土曜日は半ドンで、休みは今の半分以下だった。
国民の祝日というようなワケのわからない日はない。

そう思うと、40年ひと昔だ。

父は神戸に墓を作った。
戦死した父の父と、幼くして死んだ弟は広島に墓があったが、神戸に持ってきた。
祖母も入っている。

そんなワケで、うちの墓には祖父と祖母と伯父と父が入っている。
いつも父の墓としてまいっているが、よく考えたら先祖代々(と言っても明治までだが)の墓なのだ。

その墓に線香をあげてきた。

また、来年も…。



| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
時間
時間というのは、不思議なものだ。
それが何なのか、わからない。
人間で言えば、生まれた時からあって、死ぬまで変わらず流れているもの。
時間を時間として意識するから、時間がある、ということだろうか。
イヌに時間があるのか、というと難しい問題だ。

1日は地球の自転の周期。
1年365日は地球の公転の周期。

1日を24時間にして、1時間を60分、1分を60秒にしたのは単に便宜上のことだろう。
別に1日を10時間にして、1時間を100分、1分を100秒にしてもかまわない。
それを不便だと思うのは、ぼくらがそれに慣れていないからという理由しかない。

それでも、1日は地球の自転を基準にし、1年は地球の公転周期にするのは、地球にいるかぎり当然だろう。

その、時間というのも相対的なものだという。

光速に近い速度で動く、ロケットの中の時間は、地球上よりも遅くなる。
もしそんなものができて、宇宙飛行士になってどこかに行って返ってきたら、浦島太郎のような状況になる。
自分の子供が年を追い越している、という事が起こる。

そうなってくると、いよいよ時間というものがわからない。

ビッグバンが起こってから、10の34乗分の1秒でそれが広がったという。
10の34乗分の1秒という時間は、とても短い時間だが、それは地球にいるぼくらを基準にして考えるからだろう。
時間は相対的なものであり、何ともいえない。

それから約150億年たって、今の状態になったという。
今度は想像を絶する長い時間。

日常生活の中で使う時間は、普通に過ぎていく。
何の疑問もなく、一日が終わる。

しかし、その時間について考えていると、本当に不思議な気分になる。



| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
高速道路無料化
民主党が勝って、高速道路を無料化するという。
今日も仕事で京都まで行ったが、すごい渋滞だ。(これでも、予想よりは短かったらしい)
これが毎日続くのかと思うと、イヤになる。
一方では、通勤の値段が安くなってうれしいという気持ちもある。

高速道路は欧州やアメリカではほとんど無料だ。
アウトバーンでは料金は取られない。
フリーウェイは文字通りタダの道路だ。

だから、日本でも無料でいい、ということになるのだろう。

これ以上、ムダな道路を造らないためにも、償却の済んだ高速道路は無料にしたらいいとは思う。
ガソリンの課税で、修理代くらいは出るのだろう。
しかし、その高速道路がいつも渋滞では、意味がない。
とはいうものの、お金を払わないのだから、渋滞に文句をいう筋合いはないとも言える。
高禄道路とは言わずに、普通の道だと思えばいいのか…。

要は、現状からの変化が問題なのだ。
最初からタダなら問題はない。
渋滞が当たり前だからだ。
あまりに渋滞すれば、料金を取ろうということになって、高速道路有料化という事が言われたかもしれない。

どうなるのかわからないが、無料化と渋滞の防止を両立するような知恵を出してくれることを望む。

お手並み拝見…。



| | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼロックス
コピー機は、単なる便利な機械ではないと思う。
それが登場する前とあとでは、仕事のやり方が全く変わってしまった。
文化を変えたのだ。

ゼロックスはオフィスでのコピー機の代名詞だった。
その当時、まだ値段が高く、コピー機はなかなか使えなかった。
その代わり、青焼きと呼ばれるジアゾコピー機を使っていた。

しかし、ゼロックスの特許が切れると、キャノンやリコーが作りだした。

もしもコピー機がなかったら、どうなっていただろう。

ぼくは会社に入ったときから、青焼きがあったので、わからない。
もっと前の人…、高度成長の始まりのときは、コピー機などなかったはずだ。

必要な書類は書きうつす事が必要だっただろう。
どんなふうに仕事をしていたのか、想像もつかない。

大変な苦労だったろう。

今はコピー機のおかげで必要な書類はコピーがとれる。
今すぐは必要ないが、あとで見ることができたり、何枚もコピーをとって配ることもできる。
膨大な情報を簡単にストックしておくことができるのだ。

こんなすごい変化も今や当たり前になった。

インターネットはそれ以上の変化を生み出している。
まだまだこれは、終わらない。


| | 考えたこと | 01:25 | comments(4) | trackbacks(0) |
根回し
嫌いな言葉の筆頭がこの「根回し」という言葉。

だいたい、何で「根回し」というようなものが必要なのか。

「聞いてなかった」というだけで、反対するヤツがいる。
自分の特権として、先に聞いておかないとダメなのだ。
「実は、こんどの会議でこれこれを討議したいんですが、これこれの事情があって、どうしても通さないと困るんです。そこで、先にお耳にいれておきますが…」というようなセリフが典型的な根回し。
なぜこんな事をしないといけないか、よくわからない。

もしも、そういうタイプの人に根回しをしなかったら、どうなるか。
「何だそれは…、聞いてないぞ」という反応が最初に来る。
聞いているか、聞いていないかは関係ない。
その意見が正しいかどうかだ。
それを、話し合いをして、決めたいのだ。

もう一度いう。
正しいか、正しくないか、それが問題だ。
聞いているかどうかが問題ではない。

人より先に知っていたかどうかというようなくだらない事よりも、その問題について考えてほしい。
なぜ、人より先に聞いていたかどうかが問題なのか。
ワケがわからない。

そのうえ、聞いてない…という事が起こると、ちゃんと根回ししたか?という人がいる。
なんで根回ししないといけないのか?
知っていたか、知っていなかったか、そんなことは関係ない。
関係があるから、会議に呼んでいるのだ。
そこで判断すればいいだろう。

「根回し」この言葉が横行する組織は先が長くない。

滅ぶべき組織だろう。



| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
仕える
すまじきものは宮仕え、という言葉がある。

ことわざデーターバンクによると、「他人に仕えることはいろいろと気苦労が多く辛いものだから、できればやらないほうがよいということ」とある。
勤め人と呼ばれる人は、一生のうちに何度か、このことわざの意味を思い知るようなことがあるものだ。

運が悪いと、一月の間に何度かという事もあり得る。
宮仕えというのは昔の話。官僚はまだマシだろう。
税金で給料をもらっているという意識があるから、上司を上司と思わないようなクチを聞いても、平気だ、という人もいる。

つらいのは、長い間サラリーマンだった。
営業なら、稼ぎが悪いと、上司から怒られる。
それ以外の人もたくさんの目標を立てさせられる。
その目標を達成できないと、やっぱり怒られたり、昇給しなかったりする。

でも、今は一番それを感じているのは、非正規社員だろう。
極論だが、正規社員が守られすぎているから、若い人が非正規になる。
早いもの勝ちだ。
いつか、若い人の暴動が起きて、その壁が崩れるか、それとも自ら壁を崩すエルダーを待つか…。

それはさておき、ぼくもそれを感じたことは、何度かある。
その中で、最大のものは、3年前だったか…。

言われた通りの事をやって、他の人に会議でボロクソに言われた。
その時、言った当人は黙っていた。
あの時は、腹が立つのを通り越して、あきれてしまった。
何を言われても、「はあ…」としか言えず、(それは言った人に聞いてくれと言いたかったが)ただただ通り過ぎるのを待つばかり…。

この時はさすがに、上司を見放した。
何か作戦があって、黙っていたのではない。ただ、黙っていたのだ。
それからは、適当にやった。やらなかったわけではない。こういう時にする仕事こそ、「すまじきものは宮仕え」だ。

その時に、尊敬できる上司がいる、ということは運がいいことだとわかった。

今から思うと、ぼくは上司運がよかった。
部下でいる時にそう思った人と、あとから思った人、いろんなタイプがあるが、ほとんどの上司は尊敬できる人だった。
それには、感謝しないといけないと思う。

本当に、尊敬できる上司と一緒に仕事ができる、というのは素晴らしいことだし、それはラッキーなのだ。

小さい頃から、お菓子を買ってシールを集めて送ったり、福引きをしたり、少年雑誌の懸賞に応募したりしたが、当たったことは一度もない。

でも、そこで運を使わないでよかったと思う。

その運が、上司に回ったのだろう。

神様に感謝。


| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
Timeless quesiton
timelessという単語、あまり馴染みがないが、意味はわかる。

時間がlessということは、時間の意味がない、ということで、永遠のとか永久のという意味。
CMで使われている、pricelessと同じlessの使い方だろう。

したがって、timeless questionは、永遠の疑問というような意味。
ドラマの中で、"Timeless question!"という場面があった。
ふーん、timelessという単語があるのか…、と思った次第。

英辞郎で調べてみると、永遠のという単語はたくさんある。

 aeonian
 ageless
 endless
 eternal〔物事一般の永遠性について使われる。〕
 everlasting
 perdurable
 perpetual
 sempiternal
 timeless
 undying
 unending

ABC順だが、こんなにたくさんあるとは思わなかった。
日本語ではどうだろうか。
永遠、不朽、とわ、とこしえ、不死…、11種類もあるとは思えない。

日本人に比べて、アメリカ人は「永遠」ということに関心があるのかもしれない。(アメリカのドラマだった)
しかし、おかしいなあ…。
キリスト教では時間は永遠ではなくて、どこかで終わるのではなかったか。

日本では輪廻の思想がある。
何度も生まれ変わるということだ。
魂は永遠に生きつづける。

どこかで終わるからこそ、永遠性にこだわるのかもしれない。

本当かな…?

| | 英語 | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
思い
人それぞれ、思いは違う。

落語をやるということは、大変だと思う。
セリフを忘れて30秒もだまったら、聞いている方は、果てしなく続く静寂のように思える。
それがわかっているから、何があっても続けなくてはならない。
下げのセリフが終わって、トントンという締太鼓の音が聞こえて、そして舞台を去る。
そこまでは、何があってもつとめなければならない。

次男が文化祭のステージに出た。
練習の時に、真っ白になってフレーズを忘れたという。
本番で大丈夫だろうか、と心配していた。
そこで、父としては、バンドは4人で一緒に出るのだし、自分が少し間違えても音楽は影響なく流れているから大丈夫、と言った。
落語は、一人で話すから、大変や、というわけだ。

ところが、次男が、落語はシャベリやろ、という。
しゃべるのはいつもやっている事やから、慣れているが、それに比べてギターを弾くという事はいつもやっていない事だから、もっと大変だという。
なるほど…。

たしかにシャベリはいつもやっている。
ギターを弾くというのは、それに比べると頻度は低い。

リクツやなあ…と感心した。

人間、自分がやっていることが、一番大変だと思うものだ、という教訓。

まあ、落語もギターも、人様に聞いていただくのは、大変だということか…。



| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
通信教育
むかし、少年マガジンや少年サンデーを読んでいたら、いろいろな通販があった。
怪しげなピストルや盗聴器、だれでも記憶力がつくというような機械、筋力をつけるというふれこみの機器…。
そういえば、切手も多かった。
どうでもいいが、今どき、切手を集めている少年などいるのだろうか?
速記もあったなあ。早稲田式というやつだ。

ヘンなやつは、特に裏表紙に多かったと思う。
何となくうさんくさい通販広告、なつかしい。妙に子供心をくすぐるのだ。
もちろん買うお金などないから、何度もそこを開いては見ていた。
これがあったら…、という思い。

通信教育もあった。
これは吉本のギャグにもなっているが、「空手の通信教育」というヤツ。
こんなのを実際にやる人はいない、と思っていたら、いたのだ。
会社時代の後輩。何かの話をしていて、偶然出てきた。

「ぼくも通信教育やってましたよ」
「何の?」
「空手」
「………」

という会話だったと思う。
実際には○○空手というのだが、名誉のために伏せ字にしておく。

「それは興味深い!」ということで、いろいろと聞いた。

毎月来るのか?というと、まとめて一回で済まされるとのこと。
それでは、通信教育にならんがな、というと、なんと回数分「とじ込み」になっているとのこと。
1回目だけ最初から開いており、それ以後は1回ずつとじられている。
さすが…、やった事のある人しかわからんなあ、と感心した。
それなら、面倒くさい毎月の送付はやらずに済む。1回送るだけだ。

それで、どうやってやるネン?と聞くと、第1回は砂場で砂を拳でたたく、という課題らしい。
ずっと砂をたたき続け、それでどうかなったら(忘れた)、次に進めるとのこと。

「へー、それで、ずっと砂をたたいたンか?」
「いい加減なとこでやめたんです」
「それでどうしたん?」
「とじ込みを全部開いて、見ました」

どうも、それで終わりになったらしい。

もともと、通信教育で空手が習えるハズがない…というのはオトナの考え。
かわいそうだが、大笑いした。

その後、彼がそれをネタにしたかどうかは定かではない。


| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
湯屋番
文化祭の演劇で思い出した。
落研時代、月例寄席というのをやっていた。

知り合いやファンではなく、素人落語を聞きに来てくれていた人もいた。
特に月例寄席は小さな会場でやるので、常連さんもいた。
ちょうど演劇を見ているぼくと同じように、こいつは前回よりうまくなったとか、相変わらずヘタだとか、言っていたのだろうか。

休み期間と、5月と11月をのけて、年に6回くらいだったかな。
この寄席でネタおろしをすることもあった。
ネタおろしというと、初めてのネタをやること。
そのネタで初舞台ということだ。

忘れられないのは、湯屋番というネタをおろしたとき。
練習のときに先輩がいろんなアイデアを出して、ここはこうしよう、ここの仕草はこうやったらいい…、とかなり斬新な湯屋番になった。
ぼくにしては、なかなかの名作。

しかし、前の人が終わったときに、録音テープ交換をしないと、途中で切れるということになった。(一応、寄席は記録に残していた)
当時、オープンリール(これも死語かもしれない)を使っていて、テープをひっくり返すのに時間がかかるけど、どうしよう…という場面。
ぼくはトリで、最後に時間が空くとせっかくの寄席の雰囲気が台無しになるので、「このまま行こう」と高座に上がった。

そのために、このネタは途中までしか残っていない。
ほんのさわりだけだ。
幻の湯屋番になった。

勘当された若旦那が、番台に座ってみないかと言われ、いそいそと出かける。
おんなゆ、おんなゆ…と言いながら、自然に手をふって飛んで歩く…そんな演出だった。
自分では受けたと思っていても、そうでもなかったかもしれない。

常連さんは、どう思って聞いてくれただろうか。

こいつ、オモロイなあ、と思ってくれたかどうか…。
テープがなくて、わからないからよかったのかもしれない。



| | 考えたこと | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
文化祭 その2
今日は子どもの文化祭に行ってきた。

本当は明日行きたかったのだが、仕事の都合でどうしても行けない。
毎年見る演劇や音楽は、今年は見ることができない。

毎年見ていると、面白い。
演劇部はどんどん大きくなっている。
初めて見たときは部員が二人しかおらず、助っ人と先生も出演してようやく劇になっていた。
その時に舞台が終わったあと、挨拶で部長がこれからもがんばってほしい、といったのが印象に残っている。

その次の年は大勢の新入部員が入って、素人っぽい劇だったが、なかなか面白かった。

去年は女子高とタイアップして、一緒にやっていた。
すごい進歩だ。
舞台も派手になって、裏方も増えた。
最後に出演者と裏方が手をつないで、みんなで挨拶をした。
ほー、やるなあ…、と驚いた。

今年は見られないが、どんな劇をするのだろう?
数年前には部員不足で潰れかけていたのに、よく持ち直したなあ。

音楽部も毎年やる曲の雰囲気が違う。
最初の年はジャズだった。ビッグバンドでアルトサックスのソロがうまかった。
次の年はクラシックだった。イングリッシュホルンが部長だ。
その次はポップスだった。
毎年上級生の好みが優先されるようだ。
それでも、上手だと思う。

毎年古本市に行く。
今年も行った。
去年は「物理学とは何であるか」という朝永振一郎の本を上下で買った。
100円だったと思う。

今日も古本市に行った。
新書と文庫を一冊ずつ買った。
「大人の条件」と「クルーグマン教授の経済入門」の2冊。
小浜逸郎とP.クルーグマン。
またこれを1年以内に読もう。



| | 考えたこと | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロイヤルホスト
昨日の帰りにロイヤルホストに行った。

時々会って話をする若い研究者と、久しぶりにハナシをしようということになったからだ。
久しぶりと言っても、1ヶ月ちょっとかな。
30代と50代の男二人でロイヤルホストというのも、たまにはいいものだ。

気のあった人と会って話すというのは、本当に楽しい。

次から次へと話題は変わる。
仕事のこと、本のこと、映画のこと、テレビのこと…、時間を忘れる。
気がついたら、紅茶シフォンケーキとドリンクバーで4時間話していた。

そういう人がいるというのは幸せだ。

まだ話したりないと思いつつ帰ることにした。

そんな日が月に一度あることが、人生の彩りになる。



| | 考えたこと | 01:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
科学研究費
科学研究費というのがある。
科研と略されるのだが、これが実際にどんなものか知っている人は少ない。

毎年応募して、採択されれば何年間か研究費がもらえる。
その使途はかなり細かく指定される。
人件費、備品、出張費、…。

どうやって審査するか。
このあたりはいい加減に見える。
実績のある組織、実績のある人、そういうのが効くようだ。

2年ほど前に調べ物をしていた時に、ある機関が科研費をとって、海外から何人も呼んで、大シンポジウムを行ったという記事が見つかった。
おお、これはちょうどよい…、とその報告書を探したが見つからない。
もう1年も前に行われているのだ。
なぜないのか…、オカシイ。
さっそく記載されている機関の電話番号を回して問い合わせた。
すると、それはWebのどこそこに出ているとのこと。
見ると、数行のコメントが書いてあるだけだった。

ある機関というのは、有名国立大学の付置機関である。

科研というのは、税金だ。
私企業が儲けた金でやっているのではない。
皆さんが稼いだオカネを使ってやっている。
ところが、やっている方にその自覚が全くない。
だから、1年も前の報告書が出ていない。

こんな事が許されるのか…、と不思議な気がした。

科研について詳しい人に聞くと、報告書を科研に出さなくてもよい、ということらしい。
どこかの学会誌に出してくれたらいい、ということになっている。
そのフォローはしない。
それが通常になっている。
なぜか?…それはフォローするのが大変なのと、それをフォローしたら科研の予算がはけないからだ。

平成21年の予算は1970億円。
採択数は5万件。1件当たり約250万円。それ以外に基盤研究とか、若手研究とかいろいろメニューがある。

それをいいことに、大シンポジウムが行われ、その成果は何も残っていないのだ。

独立行政法人日本学術振興会がやっている。
ホームページを見ると、こう書いてある。

科研費は、人文・社会科学から自然科学まで全ての分野にわたり、基礎から応用までのあらゆる独創的・先駆的な「学術研究」(研究者の自由な発想に基づく研究)を対象とする「競争的資金」であり、科学技術・学術審議会科学研究費補助金審査会及び(独)日本学術振興会科学研究費委員会の審査を経て、その配分を決定するものです。

本当に成果がちゃんとあったかどうか、確認作業すらしない。
そんなことをしたら、手がかかって大変だからだ。
それでお金を払う。
確認をしないくらいだから、申請書類の審査もいい加減なものだろう。

これがバラマキでなくて何なのか…。

全部が全部とは言わないが、もうちょっとちゃんとやるべきだ。


| | 考えたこと | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロックンロール
ロックとは、ロックンロールを略していうという意味と、それ以外にロックンロールから生まれた新ジャンルの音楽という意味があるらしい。

音楽のジャンルというのは難しいが、とにかく、ロックンロールというのは1950年代のアメリカが発祥の地。
そのロックンロールの定番の曲が"Johnny B.Goode”という曲。
チャック・ベリーという人がギターを弾きながら歌った。
ギターを持って片足で動く、あのステージ上でのパフォーマンスは有名だ。(何の説明にもならないが…)

この曲のサビの、"Go go Go Johnny go, go"というところがかっこよくて、いろんなバンドがカバーしている。
ここに来ると、手拍子をして、Go goと歌わざるをえない。

しかし、サビの部分しか知らなかったので、歌詞を調べてみた。
この曲は、ギターがうまいJohnny B. Goodeという少年の事をうたった歌。
一番の歌詞の最後の部分で、

 He never ever learned to read or write so well
 But he could play the guitar like ringing a bell

と歌われる。

読み書きはまるでダメだが、ギターをまるでベルが鳴るように弾ける…、そんな少年がJohnny。

ふーん、そういう歌詞だったのか…と感心した。

このチャック・ベリーという人が生み出した、ロックンロールの定番中の定番の伴奏パターン(リフという)がある。

スリーコードのブルース進行で、知っている人は知っている。(何の説明にもならないが…)

昨日はレッスンでこれをやった。

先生はよろこんで、こういうのはいいですなあ、という。

本当にこういうのはいいなあ。


| | 音楽 | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
水の中の音
アクアビートという水の中で聞けるMP3プレーヤーがある。
7500円ほどでアマゾンで買った。
こないだ届いたので、ファイルを入れて聞いてみたら、スカスカの音がする。
ちょうど電話で音楽を聞いているような感じ。
どうなっているのかと思ったが、水の中で聞くために作っているということで、プールで使ってみようと持っていった。

エライものだ。
ゴーグルの後ろに本体をつけて、イヤホンをつける。
すると、水の中ではふつうに聞こえる。

空気中で聞くと中音が目だって聞こえ、低音と高音が弱い。
それでスカスカの音に聞こえる。
しかし、水の中では低音と高音がちゃんと聞こえる。

水の中では音が変わるのか。
初めての経験だ。

それにしても、水の中で聞く音楽はなぜ低音と高音が出るのだろう?
水の中に入ったとたん、ベースの音やハイハットの音が聞こえる。
耳の中に水が入って、それで音質が変わるのか?
ということは普通のMP3プレーヤーだと、中音域が低くなるのか。
疑問はつきない。

まあ、それはさておき、今まで水の中の音を聞いていたが、音楽を聞くのはまた別の楽しみになる。

プールに行く楽しみが一つ増えた。


| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとはネコで
ずっと前のメモが偶然発見された。

「あとはネコで」と書いてあった。
その下に、「残りの人生はネコのように生きたい」とある。

何のことか、覚えていないが、「あとはネコで」というフレーズは覚えがある。

イヌとネコはどちらも人間の仲間として、長い間飼われてきた。
イヌは人間を仲間として認識する。
そして、今は人間と友だちになった。
あの忠誠心はスゴイ。
人間は裏切ることがあるが、イヌは裏切らない。

一方猫はこんなに長い間飼われているのにもかかわらず、全く変わらない。
人間を仲間としては認識しない。
子猫の時に世話をした人を、親だと思うということだ。
だから、自分が必要な時しか関わらない。
イヌが人間に進んでかかわろうとするのとエライ違いだ。

イヌとネコ、どちらを選ぶか…。
その答えが、「あとはネコで」ということ。

別にイヌが嫌いなわけではない。
ネコが好きなのだ。

あの優雅な姿(太ったネコはダメだ)。
身の軽さ。
獲物を狙う時の鋭い目。

でも、残りの人生を生きるのなら、ネコ時々イヌというのが正解かな…。



| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
コラムニスト
コラムニストという商売がアメリカにはある。
日本にもいるとは思うが、コラムニストというよりも、小説家や学者が余技で書いているのが多いと思う。
実際、小説よりもエッセイが面白い人は(ぼくにとっては)いるのだが、そういう人は新聞に定期的に書いているのではなく、週刊誌が多い。
そういう人たちは、あくまで余技である。

アメリカのコラムニストは、本当に新聞のコラムがほとんどだと思う。
マイク・ロイコ、ボブ・グリーンは有名だが、実際にはもっとたくさんの人がやっているらしい。
昨日調べてみたが、カルヴィン・トリリン、ポール・セロー、アンナ・クィンドレン、ラッセル・ベイカーなどという名前が出てきた。

もちろん、もっとたくさんいるのだろうが、日本ではあまり紹介されていない。
実際、昨日出てきた人たちの本は、すべて中古でしか手に入らない。
もともと、新聞のコラムだから、その時の出来事を書いたものが多いだろうし、そのために翻訳に適さないという事情もあるのだろう。
しかし、マイク・ロイコは人生の普遍的な出来事や、一見大したことがない出来事をペーソスの効いた語り口で書いており、本当に素晴らしい読み物だと思う。
翻訳者にも感謝しないといけない。

いくつかの本を中古で探すことにした。

それと、アメリカにはスポーツ・ライティングというジャンルがある。
マイク・ルピカという人や、ロジャー・エンジェル、ジミー・プレズリンといった人たちがそのジャンルに属する人らしい。
アメリカの国技ともいえる野球やフットボール、バスケットなどのスポーツを題材にしてコラムを書く人たちだ。
何気ないプレーが、この人たちの目を通すと違って見える。

この分野は日本ではそのスポーツをやっていたOBが、解説者の余技で書くことが多い。
しかし、アメリカではどちらかというと書く方が本職の人が、それをやる。
スポーツを通して、何か普遍的なことを語る。
さすが、本場の国アメリカだ。

これも、中古で探すことにした。

そんな本が中古でしか手に入らないというのは残念だ。
原書が読めればいいのだが…。

もう一度がんばってみるか。


| | 考えたこと | 19:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
オトナコドモ
年をとったからオトナになれるとは限らない…、という言葉をこないだ紹介したが、「限らない」人は、では何になるのだろうか。

コドモのままでいるということか。

ただ、物理的には年をとるし、見た目はオトナになるし、回りもオトナとして扱う。
地位がついたりして、えらくもなる。
こういう人が一見オトナだが中味はコドモという、ある意味やっかいな存在になる。

ある意味というのは、そういう面があった方がよい場面もある、ということだ。
創造力とか、発想力という部分は、コドモでいた方が豊かだったりする。

しかし、たいていの場合、すごい創造力だ、という人は少なく、どちらかというと迷惑な人が多い。
ピーターパンがそのままオトナになったら、きっと迷惑なことをたくさん起こすだろう。

特に社会的にコドモの人が近所にいると、迷惑になることが多い。
コドモの定義は、「自分より大切な何か」がない人である。
したがって、普段は隠していても、自分の利害が絡むと急にそわそわし、最悪の場合は文句を言いはじめる。

それがコドモなら、簡単に論破できるような事を言うので、オトナがたしなめられるのだが、オトナコドモの場合はこれまたややこしい。
持って回ってリクツをこねたり、たった一度のことをいつもあるように言ったり、正論をまくし立てたりする。

正論、というのもくせ者で、オトナは、それが正論でも「この場合は仕方ない、長いものには巻かれておこう、別に実害はないし…」というふうに思うものでも、オトナコドモは鬼の首でも取ったようにまくし立てる。

こういうオトナコドモが一番やっかいだ。

オトナは酸いも甘いもかみ分けるものだ。
たとえ正論であっても、諸般の事情でどうしようもない事もある。
それを理解せず、自分のことを言う。

何とかならないか…。



| | 考えたこと | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
お買い回りください
このごろ、スーパーをうろうろしていると、聞き慣れないアナウンスが増えた。

「ごゆっくりお買い回り下さい」というもの。

気がついている人、いますか?
「買い回る」という動詞、ぼくが知っているかぎりなかったと思う。

「買い回る」とは買って、回るということだから、店の中を回って買い物をしてはまた回るというような意味か。
だいたい、回るというのがよくわからない。
歩き回って…というニュアンスなのか。

と思っていろいろ調べてみたら、http://oshiete.gogaku-ryugaku.net/qa4749085.html←ここの質問の答えに英語から来ている、という事が書いてある。
"shop around"という言葉があるらしい。
これを直訳したのが、買い回るという動詞になったのではないか、ということ。
”shop around"は、結局はひやかしして何も買わなくてもいいですよ、という意味になるらしい。
なるほど、と理解はしたが、ちゃんと訳してほしい。
買い回るなどというわけの分からない言葉にせず、"shop around"は「ご遠慮なく店内をご覧下さい」あたりでよいのではないか。

しかし、もう「買い回る」というのは、多くのスーパーでもデパートでもアナウンスに使われている。

今さら変わるだろうか?

そのうち、英文和訳の問題で、"shop around"が出てきて、それを「買い回る」と訳さないといけなくなるのかもしれない。

なんか、オカシイ。


| | 考えたこと | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
ユニクロ
ユニクロはこの不況下でも伸びている。
知らない間に、ネットで見ると、通販でも膨大な品数。
こんなにいろんなものを作っているのか…。
とにかく、色がたくさんある。
一つのものに赤、黄色、緑、青、黒、ベージュ…。

中国で作るというのが、ユニクロの強み。
品質がそこそこで、中国の製品。これがユニクロだ。
しかし、フリースからジーンズ、Tシャツ、スーツやカバン、靴下、インナーまで何でもある。
ユニクロUSAというのもあって、USA向けのものもあるようだ。

ちょっと前まで、値段で選択という感じだったが、今はちがう。

積極的にユニクロで買おうという客が増えたと思う。

しかし、どういうワケかみんな細身だ。
布の面積を小さくしようというのはわかるが、もうちょっと中年のことも考えてほしい…。

ユニクロではなくもう少し値段の高いところに行くと、中年でも使える服がある。

若くて、スタイルのいい人が着れば、値段など関係ない。
かっこいいのだ。

年をとって、ちょっと太った人が着るなら、値段は関係あるのか。

年をとって、スタイルがいい人になれば、ユニクロで服を買えるのだが…。

そこが難しい。

| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
万華鏡
万華鏡は数年前から変わった。

筒の横の部分に穴があいていて、そこに透明な棒をさす。
その棒の中には、オイルのような粘性の高い液体と、色の付いた粉、キラキラした破片などが入っている。
棒が1本のものもあれば、2本のものもある。

この透明な棒の中を、重力に従って、ゆっくり移動する粉や破片を覗くのだ。
液体の粘性がある程度必要なのは、ゆっくりと動く方がキレイに見えるため。
よく考えてある。

イギリスで発明されたらしいが、たった3枚の鏡を使うだけで、こんなにきれいなものが見える。

対称性はきれいだ、ということか。

小学校の時に工作で作った(と思う)。
ひょっとしたら、何かの付録だったかもしれない。

万華鏡のすごいところは、どんなにしょうもない(と思える)ものを入れても、それなりにキレイに見えることだ。

色紙を切ったものを入れたり、何かの破片みたいなものを入れたりした。
正三角形の合わせ鏡に映し出される幾何学模様。

不思議なものだ。

時々、思い出したように万華鏡を見る。

これを発明した人はエライと思う。


| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
みたく
「みたく」という言い方、口語でかなり一般的になってきた。
テレビでもよく聞く。

「女優みたくキレイ」そんなふうに使う。
関西では、あまり使われないような気がする。
少なくとも、ぼくの回りでは聞いたことがない。

〜みたいに、という意味だがそれを短縮して「みたく」という。
活用はしない。みたかない、みたきます…ということはなく、「みたく」だけ。
「みたいに」という意味だけに使う。

数年前から使われていたと思うが、最近はテレビでも使うようになった。
もちろんアナウンサーが使うのではない。出演者が使うのだ。
こないだNHKでも、街頭インタビューで「みたく」を使っている人を出していたから、もう半分は認めたということか。

しかし、「みたいに」という代わりに「みたく」というのはなぜだろう。

単に「みたいに」が言いにくいのだろうか。
たしかに、「イアイイ」という母音の並びは言いにくい。
「イアウ」の方が言いやすい。
それだけのことで、「みたく」という言葉ができたのだろうか。

使っているのを聞くと、何となくすわりが悪いのだが、もちろん本人は普通なんだろう。

どうも気持ちが悪い。
この言葉は慣れないだろうなあ。


| | 考えたこと | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) |