考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< July 2011 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
ハイカラ
神戸はハイカラな街だと言われている。

語源由来辞典によると、ハイカラというのは、西洋風なこと、目新しくしゃれていること、そのようなさまや人のことを言うらしい。
語源は、明治時代に西洋帰りや西洋の文化や服装を好む人が、ハイカラーのワイシャツを着ていたことから、転じたらしい。
その当時はハイカルという動詞もあったとのこと。
明治時代の言葉だったのか。

神戸がハイカラなところというのは、そうだと思う。
港町というところが、そういう土地柄を生むのかもしれない。
京都で勤めるようになって、それは痛感した。

神戸人は自由だ。
新しいもの好きで、古いものに囚われない。
楽天的で、人生を肯定している。
まず、やってみる、そして修正すればいいと思っている。

そんな印象をぼくは持っている。

ハイカラという言葉は、すぐに目新しい物にとびつく人を揶揄する意味でも使われる。

たしかに、行き過ぎるとダメだろう。
長所の裏側は短所だから、仕方がない。

神戸の良いところは、ウエットすぎないところだろう。

いい意味でも悪い意味でも、ドライなのだ。

阪神間全体に言えることだと思う。

そういうところから、京都に行くと、だいぶ土地柄が違うのがわかる。

やっぱり、神戸が好きだ。


| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
スーパークールビズの弱点
スーパークールビズになって、ポロシャツを着たら、涼しい。

もう戻れない。

しかし、ひとつ困ったことがある。
胸ポケットがない。
定期入れや免許証、携帯電話を入れるところがない。

こういうことがあるのだ。

煙草をやめて、いつもライターと煙草のパッケージを持ち歩かなくて済むようになった。
あれは結構荷物になる。
そのために、ポーチのようなものを持ち歩いている人は結構いると思う。

それでも、上着にポケットがないというのは、初めてのことだ。

いつも入れているのは、パス入れ、携帯電話、ペン。
持ち歩けばいいではないか、と言われるかもしれないが、長年の習慣でそう簡単に慣れない。
もともと、パス入れは持ち歩かなくてもかまわない。

だからといって、鞄の中でもよいかと言われると、ちょっと具合悪い。
ズボンのポケットはあるが、あまりかさばるのも今ひとつ。

首からかけてもいいのだが、すでにIDカードを吊っているので、難しい。

スーパークールビズが普及すると、ポケットのついたポロシャツが一般的になるかもしれない。


| | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
甲子園球場
久しぶりに昨日はナイターに行った。

甲子園もだいぶきれいになった。
シートもきれいになったし、楽に座れるようになった。

しかし、雨に降られて最悪だった。
3塁側だったが、ベンチのすぐ後ろのシート。

チケットはそのうちの一人が入手したものだ。

0-2で完封負けという最悪の結果。

雨の降る中かさもささず、弁当を食べたというのに…。

ナイターに行くときは、透明のビニール傘を持って行かないといけない。
そうでないと、後ろの人が見えなくなる。

六甲おろしも歌えず、びしょぬれになったが、最後の2回ほどは雨もあがった。

まあ、この次に行くときは勝つだろう。



| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
小松左京
小松左京が亡くなった。

特徴のある名前だから、覚えやすい。
日本のSFの草分け。

この人はぼくらの高校の先輩にあたるらしい。
高校時代にちょうど日本沈没が出て、それで先生が一度母校で講演してほしいと言っていた。

星新一、筒井康隆はよく読んだが、小松左京はあまり読んでいない。
それでも、日本沈没は映画にもなったし、そのせいで名前を覚えた。

とにかく、日本のSFを作った人と言っても過言ではない。

ぼくの中では、作家というよりプロデューサーという感じの人だ。
万博や花博を企画・運営したり、番組を作ったりした人という記憶がある。

改めて、ウィキペディアを見ると、戦争の後共産党に入ったり、ベ平連に入ったり、やはりこの当時の知識人らしく左翼かぶれだったらしい。

田辺聖子とも親交があったらしく、お聖どんアドベンチャーという小説にも出てきたと思う。
関西の人だ。

80歳で亡くなった。

また昭和ヒトケタ生まれの人が逝った、

冥福を祈る。


| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
Parker P-36 その2
月曜日のレッスンにパーカーを持っていったら、先生はすごく興味を示した。

なぜかというと、ブリッジの下のピエゾピックアップがめずらしいからだ。
エレキギターで、ピエゾピックアップを持っているものは少ない。
これは昨日書いた、アルニコ磁石を使うものではなく、圧電素子というのを使う。
要は、弦の振動をそのまま感知して、電気信号にしている。
普通のエレキギターは、振動している弦を磁石とコイルで電気信号に変えるが、これは振動そのものを電気に変える。
ただ、出力が小さいので、増幅しないと音が出せない。
したがって、ギターの中に増幅回路があり、電池も入っている。

このピエゾピックアップ、ぼくも意外だったが、エレキギターの音がする。
もっとアコギに近いのかと思ったら、そうでもない。
この音が何とも言えずいい音で、これがこのギターの特徴である。

先生に、「弾いてみて下さい」というと、「そうですか」と言って弾き始めた。
やっぱり弾き手が違うと、音が違う。
先生が弾くと、音が立っているのだ。
同じギターとは思えない。

もう一つの特徴はネック。
フレットが打ってある、左手の方だ。
これが薄くて、ちょっと広い。
まあ、弾きやすいネックだと思う。
いろいろとピックアップの組み合わせを試したあと、「なかなかいい」というひと言が出た。

先生によると、スタジオで直接音を録る時に、いろいろとバリエーションがつけられていいだろうとのこと。

ぼくには縁がないが、なるほどと思った。

アメリカでは600ドルくらいで売られているギターだから、まあ今のレートなら5万円くらい。
それを中古で4万円足らずで買った。

先生が、最後に「これは弦が009だけど、010のを使うとまた感じが変わるでしょう」と言った。
要は太い弦のセットを使うと、また感じが変わるということだ。
(009とは、一番細い弦が直径0.009インチ=0.23ミリということ)

今は店が張っていた弦がついているが、これが古くなったら010を張ってみようと思う。

ギターを弾かない人にとっては、全くわからない話だろうが、これは本当にうれしい。


| | 考えたこと | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
アルニコ磁石
アルニコという合金がある。
これは磁石に使われ、高性能だという。

エレキギターで弦の振動を電気信号に変えるために、アルニコ磁石が使われる。

アルニコという名前の由来は、Al-Ni-Co、つまりアルミニウムとニッケルとコバルトを混ぜたものということ。
こんなにイージーな名前も珍しい。

アルニコ、という言葉の響きは何ともいい感じに思えるが、3つの金属を並べただけとは…。
もちろん、混ぜる比率によって性能は変わるだろうし、それ以外の金属も入れるのだろう。

高校の時に習った、フレミングの左手の法則というものに基づいて、磁界の中で金属が振動すると、コイルに電気信号が発生する、というのがリクツ。

それをアンプで増幅するのが、エレキギターの原理だ。

テレキャスターもパーカーもヤマハのSGもアルニコ磁石を使っている。

アルミニウムは1円玉に使われている金属。
これは磁石にひっつかない。
それで合金を作ると、磁石ができる。

不思議だが、きっと科学的には解明されたリクツがあるのだろう。

アルニコ、何となく謎の響きがする。


| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
電車を埋める
電車を埋めるというのは、どういう神経だろうか。
それも、事故を起こした電車だ。
それをどう言い訳するのだろう。

もう運転を再開しているが、普通なら原因を明らかにしてから動かすのではないか。
証拠の車両を埋めて、掘り出さないのだろうか。

なんだかわけがわからない。

運転する方もする方だが、乗る方も乗る方である。

それにしても、電車を埋めるというのは、思いつかなかった。

どういう常識を持っているのか。

全くわからない。

土の中に隠したら、なかったことにできるとでも思っているのか。

本当に不思議としか言いようがない。
| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
節電その3
ひと昔前より、夜中に開いているところが多くなった。

コンビニだけでなく、ファミレスも2時頃まで営業している。
カラオケボックスも夜中にやっているところがほどんど。
スーパーも夜の10時頃まで開いている。

節電ということなら、これらの営業をやめればいいのではないか。

遅くとも夜の8時には閉める。
そうすれば、冷房や蛍光灯、冷蔵庫の電気代がかからない。
みんな夜は家に帰って寝ることにしたらいい。

これはあくまで節電のためだ。
ピーク時の電気使用には関係ない。
電気は貯められないから、夜は節電しても停電対策にはならない。
それでも、意識の問題だ。
みんなで節電意識を高めるために、営業を自粛するというのはどうだろうか。

もちろん、その時間に働いている人は、働けなくなる。
失業が増えるが、それは仕方がない。

これによって、家庭の団欒が復活する。
夜の会話が弾むようになる。
何せ、家族が揃うのだ。

宿題をやる時間もできる。

この2次的な効果のほうが大きいかもしれない。

夜中の電気料金を高くして、営業するだけ損、ということもできる。

なかなかいいアイデアだと思う。


| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
あの世
あの世とこの世という言い方がある。

あの世は死んだあとに行く世界。
この世は現在の世界。

死んだあとの世界、というのは死んだあとにも生き続けることが前提の言葉。

その他にも、冥土という表現もある。
しかし、日本人の間では、この世、あの世といういいかたの方が一般的だろう。

つまり、あの世はこの世との比較で存在する。
この世がなければ、あの世もない。
相対的なものとして、この世もあの世も存在する。

西洋のキリスト教では、この世とあの世は明確に別れている。
審判の時が来たら、あの世がこの世になる、というイメージ。

日本ではあまり明確に分かれていない。
この世を去ったら、あの世にいくだけだ。
何となく同じような生活が続く。
ただ、あの世とこの世は通信ができないから、通信したいときはお化けになって出てくる。

彼岸という言葉もある。
これはあちら側の岸辺という意味。
此岸というのが、彼岸に対応する。
こちら側の岸辺。

川が彼岸と此岸を隔てている。
これが三途の川だと思う。

日本人の宗教観では、死は生と近いのだと思う。



| | 考えたこと | 15:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
スーパークールビズ
来訪のお客さんはほとんどノータイになった。
でも、上着は着ているところがほとんど。

営業はやはり上着が必要なのか。
まあ、事務所の手前で上着を着て、出たらすぐに脱ぐということでOKだろう。

中には上着なしのノータイの人もいる。
こちらがそうなのだから、それで十分だ。

でも、さすがにポロシャツに半パン、サンダルの人はいない。
これが許されるのは、官庁くらいだろう。

さすがに、節度あるクールビズということなら、ポロシャツはOKだと思うが、やっぱり革靴にズボンというところ。

しかし、こう暑いと半パンにサンダルというのもありかと思う。
今年15%の節電が言われているが、さらに節電要請があるとのこと。

この調子で暑くなり、電気使用量が増えてくると、節電では無理だ。
もう電気は使わないという体制でないと…。

そうなると、半パンにサンダルというリゾートスタイルも現実性を帯びてくる。

いったん崩れると早いのではないか。
特に節電という錦の御旗があれば、何でもできる。

この夏の終わりにはどうなっているだろうか。

みんなTシャツに半パン、サンダルで通勤ということになっているかもしれない。

| | 考えたこと | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
Parker P-36
我が家に新しいギターが来た。
通販でParker P-36というギターを衝動買いしてしまった。
3万8千円。

2つのシングルコイルのピックアップと、ブリッジの下にピエゾピックアップというものが入っている。
これは圧電型素子というもので、弦の振動をそのまま取り出すというもの。
アコースティックに近い音がする。

以前、日本にも輸入されていたが、最近は全く聞かない。
ところが、先日ネットで検索したら、韓国製のParker P-36が中古で売りに出ていた。
安かったので、ついつい買ってしまった。

今日届いたのを見ると、想像通りのもの。

ボディの形が変わっていて、特徴的だ。

おそらく、ぼくが死ぬまで持っているだろう。
そこからあとはわからない。

でも、なかなか引き心地がいい。

弦をボディの裏から通すタイプで、ブリッジが一番端にあって、そこからまっすぐネックのところまでいく。
テレキャスターと同じ構造。

シンプルな理想型。


| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
DNA検査
科学捜査が進んで、DNAという言葉も一般的になった。

DNA検査とはDNAを検査し、個人を同定することである。
殺された被害者の爪の間に入った皮膚からDNAを検査し、容疑者のDNAを調べ、合致すれば犯人となる。

今までに調べたDNAをデーターベース化し、それを調べて犯人を捜す場合もある。
一致したら、"Match found"などと表示される。
どの程度の信頼性があるのかはわからない。

こないだ、昔の事件ではDNAの鑑定法がいい加減で、もう一度やり直したら結果が変わるというものもあった。

STR法、MLP法、SLP法、ミトコンドリアDNA、Y染色体STR法などがある。
一部は、親子鑑定などに使われるもの。

測定だから、もちろんエラーはつきものである。
測定器のクセなどもあるだろう。
できれば、同一日に同一測定器で測ることが望ましい。

目的によって、いろいろな鑑定法がある。

使う人は、測定器の結果をうのみにせず、何を測っているのか理解し、その上で使う必要があるだろう。

データーベースは便利だが、そんなことを理解した上で使う必要がある。
ドラマのように、簡単には信用できない。

しかし、指紋でなくても、身体のほんの一部の皮膚や髪の毛、唾液などから、個人がわかるようになったのだ。
これはすごい。

検挙率が上がることを望む。


| | 考えたこと | 01:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ひも理論
理論物理学の世界は奥が深い。

現在、宇宙はアインシュタインの相対性理論の世界で説明される。
しかし、それを構成している原子や素粒子の世界は、その力学では説明できない。
それは量子力学という不思議な世界になっていて、人間の感覚では理解できないが、どうも正しいらしい。

しかし、それらを統合する理論ができたらしい。
それが、物質を構成するのは粒子ではなく、ひも状のものが振動している、というひも理論。

ひも理論には11の次元がある。
そして、最新の研究によると、ひも状のものがあるというだけでなく、中には膜状のものもあるという。

この理論は物理学者によると、エレガントな数式になっているという。
だから、捨てられない。
式に魅せられる学者が多いのだろう。

なぜ、重力が小さいのか。
これは一つの謎だったらしい。
電磁気力に比べたら、どうして重力が桁外れに小さいのか、ということになる。

これは、重力をやりとりする粒子(グラビトン)が、閉じたリング状のひもになっているため、次元を自由に行ったり来たりできるからだという。
重力以外の力を構成するひもは、両端がこの次元に固定されていて、次元を行ったり来たりできない。
だから、重力が桁外れに小さいという説明。

よくできた説明だ。

しかし、これはなかなか証明できない。
理論だけで、実際にそうなっているのかはわからない。

物理学者と哲学者の境界がどんどんなくなっていく。

| | 考えたこと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
経験
年をとると、年令について考えさせられることが多くなる。

自分の経験や知識がどんどん普通でなくなるのだ。
十年以上前に、若い人がクレージーキャッツを知らないことに驚いた。
当然、知っていると思っていたら知らないという。

それもそうか。
正式には解散していないが、1970年代になって、ほとんどクレージーキャッツとしては活動していない。
したがって、リアルタイムで知っているのは、少なくとも今40代の人ということか。
ついつい、自分が知っていることは、みんなが知っていて当然という気になる。
ある時までは、実際にそうだったからだ。

世の中の出来事を覚えているというと、まあ10歳くらいか。
20歳の時は、自分が世の中について知っていることは、みんなが知っていると言っていい。
「学生運動」「内ゲバ」などの言葉は、ぼくが20歳当時、みんなが知っていた。
でも、40歳になると、30歳以下の人は、リアルタイムでそれらを知らない。
今54歳になって、それらの言葉を知っているのは、せいぜい40代後半以降だろう。

そういう意味で通じない言葉が増えていく。

別にそれを知らないから困るというものではない。
しかし、困らないかといわれると、ちょっと困るという気もする。

第二次大戦で戦った国は、ドイツとイタリアだという若い人がいる。
それは間違いだが、いくら日本史を習っていないからといって、そんな間違いをするだろうか。
いったい、原爆はどこが落としたというのだろう。
そんなことに意識があれば、第二次大戦は少なくともアメリカを敵としてやったということはわかるだろう。

話がそれた。

どんどん、自分の経験したことが少数派になっていく。

常に新しいことを吸収し、ついていければいいのだろうが、そうはなかなかうまくいかない。
ツイッターの事を長男から聞くが、意味がわからない。
自分でもIDをつくって、やってみたらいいのだが、そんな必要性を感じない。

好奇心が薄れていく。

こうやって、年を取っていくのだろう。

| | 考えたこと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
一時代の終焉
昭和44年、水戸黄門が始まった。
そして、今の放送で終わるらしい。

昔、助さん、格さんをやっていた俳優が、今や水戸黄門をやっているのだから、時代を感じる。

今から42年前。
ほぼ半世紀の歴史がある。
ちょうどカラーテレビがぼくらの家に来た頃。
モノクロテレビの普及率が94.7%、カラーテレビの普及率が13.9%という数字。

この番組をはじめ、時代劇が花盛りの時代だった。
今のような「バラエティ」というジャンルすらなかった頃。
アメリカのドラマを日本のテレビ局が買って、放送していた頃でもある。
今よりは、真面目にテレビ番組を作っていた。

この水戸黄門は番組開始から40分経つと、大団円と決まっている。
悪人に取り囲まれ、助さん格さんが暴れ、黄門様が「もういいでしょう」と制し、そこで印籠が出てきて、種明かしとなる。

このパターン、海外にあるのかどうかわからないが、日本人の琴線に触れたからこれだけ続いたのだろう。
偉い人が身分を隠し、悪事をあばき、最後は身分を明かして悪人一味に頭を下げさせる。

同じようなパターンで、遠山の金さんというのもあった。
これも似たようなもの。
遠山金四郎という南町奉行が、遊び人の格好をして悪事を暴き、最後は奉行に戻りお白州で顔を合わせ、悪人を懲らしめる。

どちらも、偉い人が身分を隠して、旅の商人やまちの遊び人という格好をするところがいいのだろう。

ただ、時代とともに飽きられてきた。
というか、そういうシチュエーションを好んだ世代が、テレビを見なくなったということかもしれない。

二つの番組に共通するのは、絶対的な権威というモノ。
それが最後は悪を懲らしめる。
水戸のご老公であったり、南町奉行であったり、当時の絶対権力だった。
そういうものが、今はなくなったというのも、関係しているのかもしれない。
警察といえど、信用できない。
政治家はもっと信用できない。
そんな不幸の時代の投影かもしれない。

世の中から、絶対的な権威が失われていった結果、水戸黄門が終わる。

これは、世の中にとって、いいことなのか…。


| | 考えたこと | 01:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
日射し
今日のような日は、ついつい一日家で過ごしてしまう。
殺人的な日射しである。
まさに、太陽光線。

うちはさいわい西側に高い建物があるので、太陽が西に傾き始めると直接日光は当たらない。

これが波の打ち寄せる浜辺なら、まだガマンできる。
また、リゾートの街並みや、洒落たカフェが並ぶ通りならマシだ。

普通の日本の町並みには似合わないと思う。
日本は温帯の国なのだ。
小学校の社会で習ったような気がする。
赤外線と紫外線をたっぷり含んだ光線は、温帯にはにあわない。

これなら、北極の氷も溶けるだろう。
南の島の国が、潮位が上がって領土が減っていくというのも納得できる。
台風が勢力を増すというのも、仕方ない。

昼間はできれば外に出るのは遠慮したい。

| | 考えたこと | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
時は金なり
今日は若い人にオークションの話を聞いた。

400件ほどの商売をしているらしい。
何を売るのかと尋ねたら、そんなに高くないブランドもののTシャツとか、CDの初回限定版などだという。

Tシャツなど、どこの店で買うのか?と聞いたらネットで買うのがほとんどとのこと。
てっきり近くの店で買うのかと思ったら、ネットで買うとは驚いた。

だから、ブランドなのか。
売れそうなブランドのものを買って、転売する。
実物を見なくても、ネットで買えるというのがポイント。
それがアパレルの仕入れ方法らしい。

CDの初回限定版は、売れそうなタイトルなら買っておく。
初回限定版が売れてしまった後、オークションに新品で出す。
もちろん、値段は高くしておく。
それで儲けるのだ。

インターネットの発達で、そんなことでもできるようになった。

ちょっとした労力を厭わなければ、どこにでもチャンスはころがっている。

CDの初回限定版は、あっと気づいて、買い忘れた人が買うのだろう。
これはまさに時は金なりということだ。

初回限定版を買い忘れたというだけで、高い値段を払ってくれる。

昔はそんなことをしようと思ったら、それなりの時間と金をかけて、準備が必要だったが、それをネットで買える。
そしてネットで売れるのだ。

えらい時代になってきた…。

| | 考えたこと | 02:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
7月14日
今日はパリ祭。

フランスの革命記念日。

去年もこの話題で書いていた。

もっと前かと思っていたが、2010年。
時間の感覚がおかしくなった。

とにかくこの日、ジェット戦闘機が飛んでいたのが印象に残っている。
テレビでは軍の行進を映していた。

1986年のこと。
その時、ぼくは出張でフランスにいた。
3ヶ月ほどの滞在。
これほど行く前にイヤなこともなかったが、行った後、これほどためになったこともなかった。
自分の不明を恥じるばかり。

書くべきことは去年書いたから、そちらを見てください。

昨年の7月15日です。


| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
猫に鈴
猫の首に鈴をつけるネズミの話があった。

結局、猫のところへ行って、鈴をつけてくるネズミがいなかった、というのがオチだが、現実にもそういうことがある。

上司がどう考えても理不尽な行動をとっている。
それを部下が相談して、これは中止させるべきだ、という話になる。
そして、誰が言いに行くかという話になる。

物語では、だれも行かなかったのだが、現実ではそういうわけにはいかない。
誰かが鈴をつけないと、組織がつぶれてしまう。

こういうときは難しい。

大勢で行った方がいいのか、一人の方がいいのか、これは悩むところ。
大勢で行くと、上司も聞いてくれると思うのだが、却って反発されることもある。
だから、一人がいいかというと、一人なら聞かなかったりする。

もともと、そういう上司がいることが問題なのだが、それをぼやいても仕方がない。
どこにでも、そういう人はいる。
年をとって、判断力がなかったり、変な意地をはっていたり、原因は数々ある。

いずれにしても、できるだけ早く進路変更しないといけない。
そう思う部下を育てておくことが、大事だろう。

我が身を省みて、そう思う。


| | 考えたこと | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
節電 その2
関西電力のページをみると、6月14日に1回目のお願いの文書が出て、2回目は1週間後の21日に出ている。

要は一番大事なのは、11時くらいから3時過ぎまでの時間帯の節電だ。
これは停電にならないためにどうしても必要。
だから、この時間帯で節電するのは社会の要請と言える。

しかし、1週間後に出たお願いは意味がわからない。
今年の経済成長と猛暑を見込んで、15%の節電をお願いするという。
実際には11%の節電が必要だが、守られないこともあるから、それを15%にするということらしい。

どうもよくわからない。
社会的に一番大事なのは、11時から15時の電気使用量を抑えることだ。
それは納得出来る。

しかし、それ以外の時間の節電は、ついでだ。
作った電気をためておけるなら、わかる。

これでは説明不足だと言われても仕方ない。

非常時なのはわかっているが、理不尽なことをやるのはオカシイ。
節電が目的なのではなく、停電しないようにすることが目的ではないのか。

いつの間にか、節電が目的になっていないか。

まあ、どうでもいいが…。


| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
節電原理主義
節電、節電という世の中。

それ自体は今の電気不足の時に、悪いことではない。

ただ、何のために節電するのか、という事を忘れて、節電自体が目的になっているような気がする。
節電は目的だろうか。
一般的な組織にとって、この非常時に、ある程度の節電は社会的な義務でもあろう。
家庭もそうだ。
ただ、どこまでやるのか、というのは、考えなければならない。
それぞれの組織にとって、やれることとやれないことがある。

老人のいるところは、熱中症になるほどエアコンの温度を上げられないだろう。
病院や老人ホームでも同じようなものだ。
節電でCTスキャンやMRIを止めるわけにはいかない。
工場では、節電をしても、モノづくりはやめられない。
もともと、エネルギーの無駄遣いはコストアップになるからやっていない。
余裕はあまりないのではないか。

サービス業は蛍光灯を消したり、エアコンの温度を上げたりできるだろう。
今なら客の納得も得られる。
いつまで続くかは問題だが…。

パチンコなどは昼間の暑いときは止めればいいと思う。
ゲームセンターも止めてもいいのではないかと思う。
しかし、そんな原理主義的なことはできない。
我々は自由経済の中にいるのだ。

だからといって、停電になる、と言われると、自主的に止めざるを得ない。
それがどれくらいの頻度で起こるのか、それがわからない。
それまではギリギリでも使わないといけない。

もともと、ピーク時の11時~3時くらいの電気の使用量を抑えればいいはすだ。
電気はためられないから、夜中に節電しても仕方ないと思う。
だから、電気会社は明確に言わないといけない。
そこがいい加減だから、原理主義的な言動が出てくる。

もともと、そんなことは自主的に考えることだ。
だれも、停電の心配などせずに使ってきた。
それがインフラというものだ。
そのコストがあまり上がるようなら、下げる仕組みを考えないといけない。
発電と送電の分離を行って、誰でも発電できるようにしたらいい。
工場などはたくさんの熱エネルギーが捨てられている。
それを有効に使えば、発電できないのだろうか。

電気代を節約することが電気会社の目的であるはずがない。
停電を防ぐためにピーク時の電気の量を減らすのが目的だろう。
それを明確に言ってくれないと、困る。

それでないと、もともとの組織の目的を曲げてまで、節電しようという輩が出てくる。

そんなヤツが多いのだ…。



| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
外に出る気がしない
こう暑いと、外に出る気がしない。

もろに紫外線、という感じの日光である。
外に出るのには、相当の勇気がいる。

暑いと、眠くなる。
エアコンの冷房の温度を28度にしていると、暑くてボーッとしてくる。
それとともに、眠くなって、眼を閉じる場合が多くなる。
そうなると、もう眠りの世界にはいる。

最近うたた寝が多い。
慢性の睡眠不足もあるが、気温の影響もあるだろう。

去年もそんなことを書いたおぼえがあるが、これ以上暑くなったらどうしようか。

今年は15%の節電をすることになっている。
服の上からかけるスプレーや、アイスノン、制汗剤、ミストファン、扇風機、サーキュレーター…、何でも使ってがんばるしかない。

スーパークールビズというが、さすがに半パン、Tシャツ、サンダルはやめておこうという感じ。

しかし、休みの日は、外に出るのは控えたい。

この日光は、殺人光線だ。


| | 考えたこと | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
解散権
昨今の総理の仕事を見ていると、わざと混乱させているように見える。
これはきっと解散総選挙をやるのではないか。

もちろん、民主党は総意として反対だろう。
今解散したら、負けるのは確実。
少なくとも現状の議員数は激減すると思う。

それでも、総理をやめさせられるくらいなら、解散するというのが菅の考えだとしか思えない。
反原発をテーマにして解散するというのが筋書き。
これは、難しいテーマになる。

それ自体は、やったらいいと思う。
しかし、今の震災の復興の時期に政治の空白があっていいのだろうか。

どっちみち、政策が猫の目のように変わって混乱するのなら、解散したほうがマシという気もする。

しかし、直接選ばれた大統領ではなく、政党で選ばれた総理にそんなことができるのだろうか。
憲法では解散権は総理の権利になっているが…。

今日子供にそのことを言っていたら、もう一度アメリカに占領してもらうしかないという話になった。
なるほど。
アメリカに占領してもらうというのも手かもしれない。
そういえば、アメリカの51番目の州になればいいという話も聞いたことがある。

ま、うちの子供がそう言ったのは、英語ができるようになるから、という実利が目当てだったのだが。

| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
Ready Steady Go!
Ready Steady Go!という英語、これは「位置について、よーい、ドン」という意味。

正確にいうと、意味というよりは、この言葉を使う同じ場面というようなことだろう。

日本語の意味を正確に訳そうとすると、どちらかというとSteady Ready Goという順番になると思う。
位置について、というのは、ReadyよりもSteadyの方が近い。
よーい、というのは用意のことで、Readyになる。
Get readyというのは、用意をする、という意味だ。

意味は近いが、並ぶ順番が違う。

英語では、よーい、位置について、ドンということになる。

つまり、位置につくという行為は、用意した後に行うということになる。
したがって、位置につくという行為は、走るという行為に含まれるということだ。
位置について、走るという一連の行為をドンしているというのが英語の表現。

日本語では位置についてから、用意をする。
走るという行為に、位置につくという行為は含まれない。

どちらの考え方が有利なのだろうか。

やっぱり、走るという行為に含まれる方が強いような気がする。

難しい。



| | 考えたこと | 02:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
節電
節電の話が続く。

この夏15%の節電が言われているが、どんな対策があるだろう。

ひとつは、古いエアコンを買い換えるというもの。
電気代は10年前に比べて約40%減とのこと。
これは賛否両論ある。
資源の面からいうと、まだ動くのに買い換えるというのはどうか、というものだ。
しかし、とりあえず家庭で一番電気消費量が多いエアコンを買い換えるというのは、ひょっとしたら15%の節電になるかもしれない。

知らなかったが、消費電力でいうと2位が冷蔵庫らしい。
これも古いのを買い換えると劇的に消費電力が下がる。
しかし、これも資源面でいうと問題がある。

ただ、資源を無視すれば、エアコンを買い替え、冷蔵庫を買い換えればかなりの節電になるだろう。

水撒きも効果がある。
特にエアコンの室外機に撒くのは効果的だ。
ただ、すぐに乾くのが欠点。

うちはエアコンとサーキュレーター、扇風機で過ごしている。
リビングのエアコンは、一昨年買い換えたところなので、それほど電気はくわない。
冷蔵庫は15年ほど前のものだが、買い替えは難しい。

そう簡単に節電はできないなあ。


| | 考えたこと | 01:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
節電グッズ
最近、節電グッズが流行っている。
節電グッズ=暑さ対策という事で、いろんな製品が出ているのだ。

まずは、サーキュレーター。
扇風機の一種だが、より空気を攪拌することができる、というふれこみ。
これは効果がある。
勤め先で2つ買って、エアコンの下に付けて遠くまで冷気を飛ばすのに使っている。
たしかに、涼しくなった。

ジェルや通気性を上げて、温度が上がらないシーツというのも多い。
昨日もジャパネットたかたで、シーツの中にファンで空気を送り、それで冷やすというモノを売っていた。
17000円だったが、買う人はどれくらいいるのだろう。
効果がないとは言えないが…。

スカーフの類も多い。
冷やして首に巻くもの。
これはぼくも買った。
風呂上りに巻くといい。
たしか、首のところに体温調節の神経があって、そこを冷やすのだと思うのだが…。

服の上からかけるスプレーも出てきた。
マイナス何度という冷気が出るらしい。
これは効果があるかもしれない。

ヒヤッとする汗ふきシートも売っている。
これはなかなかスグレモノだと思う。
とりあえず汗をふくと、しばらくは持つ。

すだれや遮光カーテンなど、日光を防ぐものや、昼間は充電電気を使い、夜に充電するというようなものもある。

今年は新しいものも出てくるだろう。

しばらくは要ウォッチだ。

| | 考えたこと | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
志が低い その2
松本復興担当大臣が辞任した。
当然だと思う。

あの人が国会議員だとは、情けない。
おそらく福岡県民もそう思っているだろう。
祖父が起こしたゼネコンを継いだ孫らしい。

裏にはいろいろと事情があるらしいが、それにしてもあの態度は何なのか。

ああいう人物を選んだ菅直人というのは、いったいどういう品性なのか。
そもそも、ああいう人物が閣僚である、ということ自体が信じられない。

以前、イタリアで酔っぱらった大臣を見たが、これはそれ以下だと思う。
外国に出ないでよかった。

本当に、民主党でこの国の政治はよいのだろうか。

ああいう人物を選ぶ首相が居座って、それでいいのだろうか。

ドラッカーがたしか書いていた。

「リーダーは何にもまして、品性高潔でなければならない」

あまりにもひどすぎる。

これらは、全部ぼくらの責任だ。
あの人達を結果的に選んだのだから…。

次の選挙では、必ず落とそう。
そうでないと、あまりにも志が低すぎる。

| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
志が低い
自分は志が高いとは思わないが、それでも低い人が多すぎる。

自分さえ安泰であればいいとか、自分さえ仕事ができればいいとか、そんなことでどうする。

どうやってアウトプットを出すのか、それさえ考えない。
出し方すらわからない。

これでは、よくない。

世の中は、そんな態度で金をくれるほど甘くない。

結局は淘汰されてしまうのだ。
これは仕方がない。

仕方がないのだ。


| | 考えたこと | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
ファッション用語
最近のファッション用語はわからない。
ファッション用語と言っていいかどうかもわからないが…。

ボトムスとトップスは大体の意味は想定できる。
ボトムスは下半身に着るもので、トップスは上半身に着るもの。
これでだいたい合っているようだ。
ただ、スーツのように上下セットのものはボトムス、トップスとは言わない。
また、下着もそう呼ばないらしい。

わからないのは、レギンス。
英語で足のことをlegというから、そこからでたものと想像できる。
leggingsというのが正式な綴りらしい。

このレギンスはボトムスの一種であり、足の裏の部分にひっかけるタイプのニット風のズボンの総称とのこと。
なるほど、足の裏にひっかけるタイプか。

これとよく似たものにスパッツがある。
これはもっと定義が広く、腰から脚までにぴったりフィットするズボンまたはタイツ状の衣類の総称、というもの。
よく見るのは、膝の上までの伸縮性のある素材のもの。
最近は女性が運動するときに履いているのが多い。

そして、カットソー。
これは一体何か、想像がつかない。
英語ではcut and sewnというもの。
要は切って、縫うという意味だ。
生地を裁断してから、縫い合わせるということらしい。
利点は、デザインの自由度が大きいということになる。
Tシャツやポロシャツがこれに含まれる。
要は、作り方の総称であるらしい。

また、インナーとアウターという言い方もある。
インナーが下着で、アウターが上着。
しかし、スーツの上にコートを着た場合、スーツはインナーなのか?という議論はあるらしい。

これらの言葉は、ぼくは全部ユニクロのカタログで知った。

社内の公用語は英語に、と言っているユニクロだが、社外も英語化していっている。

調べてみて、スッキリした。

ま、年寄りにはあまり関係の無いことだが…。


| | 考えたこと | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう半分過ぎ
はや7月。
今年ももう半分過ぎた。
月日の経つのは早い。
光陰矢のごとし、とはこのことを言う。

これでは、早く年をとるはずだ。

物理的時間と体感時間がだんだん離れていく。

物理的時間は、地球上では決まってる。
アインシュタインが時間も相対的なものだ、といったが、普通に生活していると、1秒は1秒だ。
でも、年とともに1秒が短くなる。
これが体感時間。

どうも、人間の精神の成長と反比例しているような気がする。
精神の成長の早いときは、体感時間が遅く、成長が遅いときは、体感時間が早くなる。
結局、若いときはゆっくりと過ぎ、年をとると早くなる、ということか。

たいがい、もうはや7月という。

しかし、まだまだ7月、という人もいる。

でも、長いこと生きているほど、もうはや…、となるのではないか。

あっという間に2012年が来るなあ。


| | 考えたこと | 01:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケミストリー
英語で化学の意味。

ただ、最近はそれが転じて、チームワークの相乗効果というような意味で使われる。

確かにそれはある。
1+1=2以上になるときがあるということだ。

誰もが何度か経験したことがあるだろう。
誰かと組んだら、自分の力以上の能力が発揮できる、というようなもの。

こういうときに、「ケミストリーがある」というように使う。

まだ、日本ではあまり使われていないが、アメリカのプロスポーツでは監督が使うらしい。

こういう意味の言葉は、日本語にない。
あれば、それを使うのだが…。

日本人には、こういうチームワークというような概念があまりないのかもしれない。
そういえば、チームワークも英語だ。
やっぱり、日本人は個人プレーが好きなのか。

このチームにいれば、普段できないようなプレーができる…、そんなチーム。

そのチームのケミストリーが、そのプレーをさせる、という感じかな。

なかなかいい言葉だと思う。


| | 考えたこと | 02:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
ある日突然
今日、グーグルカレンダーのデザインが変わった。

少し色遣いが上品になって、スケジュールの字が見やすくなった。
しかし、カレンダーの日付の文字はちょっとみにくく、全体に色が薄くなった。

Webのソフトは、こういうことが起こる。
もちろん、古いデザインに戻すこともできるのだが、一長一短で難しい。

自分で何かしなくても、突然バージョンアップしたり、今回のようにデザインが変わったりする。

こういうのは、うれしい。

そういえば、昨日からアドレスバーの下のところが黒くなって、白抜きでGmailなどの文字が入った。

知らぬ間にちょっとずつ変わっている。
そのうち、端末のパソコンには何も入らず、すべてネット上にある、という時代がくる。
ほとんどの人は、それで十分になるだろう。

すでに、グーグルのアンドロイドというOSが入った端末はそんな風になっている。
立ち上げも早いし、終了も早い。
要はネットにつながれば、それでいいわけだから、パソコンは軽装備でOKだ。

見るだけなら、スマートフォンで事足りる。

えらい時代が来たものだ。

これは、インターネットがなくなれば、人間はバカになるという時代。

究極のネット依存社会だろう。

| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |