考えたこと2

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アマチュア無線
中学の時、一時物象部に入っていた。
正式メンバーだったのかは定かでない。

物象部というのは、たぶん物理気象部の略で、物理や気象について調べる部だったんだろう。
過去形で言うのは、その当時物象部はアマチュア無線をやっている先輩の集まりだったからだ。
要は、アマチュア無線クラブだった、ということだ。

当時アマチュア無線というと、わりと盛んだった。
家電量販店に行くと、無線機が売られていた。
理科好きの中学生が喜んで試験を受けて、資格を取ったりしていた。

アマチュア無線は、何度か法令改正されているが、出せる電波の強さによって1級、2級、3級と分かれていて、その3級が電話級と電信級に分かれていた。(今は違う)
中学生で取っていたのは、たいがい3級の電話級。
要は話をするのが電話級で、電信級はモールス信号だ。

「モールス信号」といっても、死語に近い。

短点と長点の組み合わせで文字を表す、という信号だ。
日本語では、短い方を「トン」、長い方を「ツー」と言うので、「トンツー」と呼ばれていた。

有名なのはSOS。
トン・トン・トン ツー・ツー・ツー トン・トン・トンという信号になる。
トン・トン・トンがS、ツー・ツー・ツーがOを表す。

ドラマを見ていると、時々壁をたたく音が聞こえるシーンが出てきて、「SOSだ」という場面がある。
このときのたたき方が、モールス信号。

アメリカではまだ一般的なのだ。

おそらく、第二次大戦の時は、日本軍も使っていたはず。
電鍵という機器を押す間隔を変えて、文字を送る。
すごいアナログ機器だが、今でも非常時には役に立つ。

物象部に入っていた名残で、そういうものがある、ということは知っているし、SOSのコードだけは覚えている。
電信級の試験はこのコードがあった。
電話級の試験は、コイルのインダクタンスの知識やインピーダンスの計算問題もあった。
中学校では習わない知識だったと思う。
でも、先輩たちは講習を受けて、試験に受かったと言っていたと思う。
ぼくは腰掛け部員だったから、そこまでの熱意はなく、やめてしまったが…。
ちょっと、今で言う、「無線オタク」みたいな感じがあったのだ。

試験に合格すると、アマチュア無線のコールサイン(名前みたいなもの)がもらえる。
当時のコールサインはアルファベット3文字と数字の組み合わせだったと思う。
昔はクルマの後ろにコールサインのシールを貼っている人がいたが、もうほとんど見ない。
調べてみると、コールサインの制度もいろいろ変わって、今はややこしい。

まあ、今はアマチュア無線はなくても、携帯電話やインターネットがあるから、そういうものを取りたい、という人自体が減ったのだろう。
ツイッターやフェイスブックというようなSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)もある。
世界とつながる、ということに関するハードルはすごく下がった。

でも、昭和40年代には、中学生がアマチュア無線をやっていた、ということだ。
中には無線機を作ったという強者もいた。
たしか、アマチュア無線に関する月刊誌もあって、無線機のキット(これも死語かな?)もあったと思う。

あの当時、ちょっとがんばってアマチュア無線の免許を取って「無線オタク」の仲間入りしていたら、人生変わっていたかもしれない…、などと思っても仕方がない。

そんなことを言い出したら、無限に選択肢はある。



| | 考えたこと | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
テロリズム
アルジェリアでのテロは悲惨だった。

日揮という会社、天然ガスのプラント事業を受注していて、アルジェリアに行っていたとのこと。
日経新聞によると、「アルジェリアの人質事件で多くの社員を失った日揮は「国境なき技術者集団」を標榜してきた。治安が悪く自然環境が過酷な場所で大型プラントの建設を相次ぎ成功させ、国内屈指のグローバル企業として事業を拡大してきた。」と書いてある。
すごい企業だ。

事業の主体はイギリスのBP(British Petroliam)で、テロはBPや日揮の首脳陣が集まる日を狙って行われたらしい。
要は内通者がいたらしい、ということになる。

テロリズムは許せない。
テロの被害に遭われたみなさんには本当にお気の毒だと思う。
アルジェリアの砂漠の中で、どんな思いで仕事をしてきたのだろうか。
使命感なしにはできない仕事だと思う。

でも、テロリストの立場で言えば、強い国が軍事力で介入するのは許されるのか、ということになるのだろう。
その軍事介入はテロではないのか、ということだ。

アルカイダのテロリストはもともとアメリカが育てた。
冷戦の遺物と言えるだろう。

正義はどちら側にあるのか。

神の側にある。

その神が二人いる。

それが問題だ。

| | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
全体は部分を合わせたものに勝る
西洋にあって、日本にないことわざがある。
その一つが「全体は部分を合わせたものに勝る」というもの。
アリストテレスが言ったらしい。

1+1=3のような感じだろう。
よくスポーツでチームプレーについて語るときに同じような事を言う。
みんなの力を合わせれば、120%の力が出せる…。

組織の力というものがあるとすれば、こういうことだろう。
でも、全ての組織にそういう機能が備わっているわけではない。
よくできた組織にはそんな力がある。

総合力、という考え方もある。
個々の選手の力量は負けていても、組み合わせ、戦術や戦略の妙で勝つ、というような場合。
この場合は、優れた指導者がいて、作戦を立て、それを理解し実行できるメンバーが必要だ。
ヨーロッパのサッカーはそんな感じ。

アリストテレスがどういう意図でこの言葉を残したのか、知らないが…。

でも、こういう考え方が今の日本には足りないのかもしれないなあ。

| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
笑える小説
何かを書いて泣かせること、これはわりと簡単だ。
泣きのつぼはわりと口が広い。
いわば、広口の花瓶のような感じだ。

でも、何かを書いて笑わせること、これは難しい。
笑いのつぼはかなり口が狭い。
試験管のようなもの。
よほど場面を共有していることでも、書いたもので笑わせるのはかなり高度だと思う。

映画でも、メロドラマの方が簡単、といっては語弊があるが、一般的にはそうだと思う。
以前、「鉄道員(ぽっぽ屋)」という映画を見たが、途中から「ああ、これはこういうストーリーで泣かせるんだろう」とわかる。
結局、予想通りの結末で、泣かされる。
音楽を使うのも手だ。そういう曲をバックで流せばいい。
人間、悲しいと思うシチュエーションはわりと類型化されていて、「泣きのスイッチ」を入れればいいのだ。
だから、書いたものでも、そのスイッチを入れるようなストーリーにすればいい。

しかし、コメディは難しい。
それも、ストーリーで笑わせるというのは非常に高度だと思う。

映画などでは現実を誇張して見せることで、大きな笑いを取ることができる。
ある意味、特撮という手法を使っている。
また、コントのような掛け合いを使って笑わせる方法もある。
これは漫才を映画の中でやるようなものだ。
これは掛け合いの内容、スピード、間で決まる。

しかし、純粋に「書いたもの」で笑わせる、というのは難しい。

ぼくが初めて小説を読んで笑ったのは、20歳前後。
筒井康隆の一連の短編集だったと思う。
「笑うな」という短編集はたしかに笑った記憶がある。
笑う、といっても、にやっとするというレベルではない。
声を出して笑うというレベル。

それ以外にあっただろうか…。

なかなか声を出して笑う、という小説はないと思う。

それほど、文字が伝える情報量は少ない。

マンガのように、絵を使えばわりと簡単なのだが…。
落語のネタを書いた本があるが、これは全く面白くない。

文字だけで笑わせるコツ、というのはあるのだろうか。

これがわかれば、かなりの発見だと思う。


| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
老眼鏡
ここ2年ほど、本が読めなくなった。

メガネをかけて読むのだが、なかなか読めない。
読む気にならないのだ。
ネット上の文章を読む量はだいぶ増えたのだが…。

ひょっとしたら、と思い立ってメガネを作りに行った。
ぼくは寝る前に本を読むことがほとんどなのだが、よく考えたら寝床においてある老眼鏡はだいぶ古く、もう7,8年前に作ったものだった。
だから、何となく見えはするのだが、細かい字が読みにくい。

読書用、ということで、きっちり合わせて作ってもらった。
あと7,8年使うのだから、ちゃんと作っておこうと思ったのだ。
寝ころんで読むから、丈夫なものがいい。
フレームもそれで選んだ。

こないだ、出来たという連絡があり、取りに行った。
それをかけると、なんと、本が読める。
普通に30センチくらい離して本を見たら、全部文字が見えて頭に入ってくる。
こんな事なら、もっと早く作ればよかった、と思った。

やっぱり、今までは見えているようで、ぼんやりしていたということがわかった。

そうなると、読む気になる。

手始めに、青空文庫の半七捕物帳やむっつり右門捕物帖。
ソニーのリーダーを買って、たくさんダウンロードしてあったものを出してきて読んでいる。
タダで読めるのが青空文庫のいいところ。
今ならアマゾンのKindleの方がいいかもしれない。

目が弱る、というのはこういうことかと思った。

見えていても、無理をしていると気分的にダメだ。
それが読書ができなかった原因だと思う。
無理をしている、という自覚がない。
見えているからだ。
だから、ちゃんと目に合った老眼鏡が必要だ。

もう読めなくなったらどうしよう、とちょっと思っていた。
でも、メガネを変えたら、読めるようになった。

いい世の中になったものだ。

メガネを発明した人はエライ。
| | 考えたこと | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
太陰暦
「月の石」という言葉、万博の世代は耳になれている。

アメリカ館に一つ置いてあった。
アポロが持って帰ってきた月の石。
その、月の石を見るために真夏に4時間も5時間も並んだ人もいた。

なぜ、月の石を見たかったのか。
それは月から持って帰ってきたものだからだろう。
人類が地球の外から持ってきたものといえば、それくらいしかない。
月は唯一、有人宇宙飛行で人類が行って帰ってきた天体。

月は人類にとって、不思議な天体でもあったと思う。
満ち欠けがあるからだ。
満月、上弦、半月、下弦、新月という変化がある。

太陽暦以前には太陰暦といって、月の満ち欠けが基準で暦を決めていた。
月の公転周期は29日ちょっとなので、だいたい太陽暦と近いが、時々1年間が13ヶ月になる。
うるう月があったのだ。

だから、太陰暦の時代の暦の表示は難しい。
そのまま表示していると、今の季節感で見てしまうが、それが事実と異なる場合がある。

1600年の1月25日は今の暦でどうなるか?というと3月8日になるという。
でも、1601年の今日は2月27日。1602年は3月16日らしい。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~yochicaz/hash6_4_2.html より

だいぶ季節感が変わる。
1月25日というと、これからまだまだ寒くなる、という時期だが、3月ならもう寒さは終わって、梅が咲くという時期。
ちなみに赤穂浪士の討ち入りの日は元禄15年12月14日だが、これは西暦1703年1月30日らしい。
でも、12月14日という日を読み替えず、今の暦で12月14日に義士祭は執り行われる。

明治の改革で、たくさんのものが変わった。
たぶん、明治の人たちは面食らったことも多いだろう。
暦などはまさにそうだ。

でも、明治政府は列強に侵略されるという危機感があったので、強引に今までの文化を断ち切ったのだろう。
それによって、アジアで唯一の先進国になったのは事実。

今でも香港や中国では旧暦の正月を祝っている。
だから、2月に正月がある。
本当は日本もそうだったのだが…。

これからは日本はアジアの一員として振る舞うことが多くなる。
今さら難しいとは思うが、旧暦も大事にした方がいいかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
神様仏様キリスト様
日本人が困って祈るとき、神様仏様キリスト様という。
この言葉、とてもよく日本人の宗教観を表していると思う。

神様は神社にいて、寝ている。
それを鈴で起こして、賽銭を出して、お願いをする。

仏様はお寺にいる。
これも賽銭を払って、お願いをする。
場合によっては、お経をあげるが、たいがいは題目を唱えるだけでOKだ。

キリスト様は西洋の神様だが、助けてもらえるなら、普段なじみがなくてもお願いはしておこう、という感じで順番も3番目だ。
教会に行ったことがなく、聖書も見たことがなくても、キリスト様、という。

日本人のだれでもがこういう言い方をするわけではないが、昭和生まれにとってはこの言い方はなじみがある。

日本人にとって、表面的な宗教は「助けてくれれば何でもいい」、というものだ。

御利益(ごりやく)が第一。
一般的な日本人にとって、なぜ宗教があるかというと、御利益を求めるからということになる。
日本人は功利的なのだ。

だからといって、日本人が信仰心がないというわけではない。

いろんな国の人が、地震の後の被災者の行動を賞賛している。
略奪があるわけでもなく、整然と避難所で過ごしている。

これは日本人にも何らかの神がいることを示していると思う。

誰も見ていなくても、ちゃんとしないといけない、という共同体の神だ。
何と名付けるかはその人次第。
それは御利益のためではない。
神を恐れるからだろう。

だから、世に言う宗教には御利益を求める。

そのうち、神様仏様キリスト様アラー様というようになるかもしれない。

| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
向かない仕事
誰しも得意、不得意がある。

ぼくが不得意なのは、人が絡む仕事だ。
つまり、営業、人事というところのカテゴリー。

まず人の顔と名前が覚えられない。
これは営業では致命的だ。
一度会っただけで名前を覚える人がいるが、信じられない能力に思える。
もちろん、その努力はしているのだろうが…。

それと人事である。
文字通り、人の事をやる。
誰をどこに持って行くかとか、誰を昇進させるかとか…。

この2つの仕事はこの年になって本当に不得意であると痛感する。

いいわけではないが、向かないというのは、若い頃の仕事が原因だと思う。
会社に入って、実験、設計という仕事を30年ほどやった。
モノが対象だった。

それなりに仲間と一緒に考えたり、チームワークで働いたりした。
チームで働くということには何の違和感もない。
というか、一人で働くよりもチームで働く方が好きだ。

でも、それと人が絡んだ仕事とは違う。
頭を使う方向が違うのだ。

人に向かない仕事をさせてはいけない。

好きこそものの上手なれというではないか。
| | 考えたこと | 01:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
芸せい
飲酒は20歳からということだが、18歳から飲んでいた。
昔の大学生はみんなそんなものだった。
回りも寛容だったと思う。

ただ、ウチは遺伝的にアルコールに弱いので、そんなに飲めない。
父は奈良漬けを2,3切れ食べたら顔が真っ赤になって、寝るというタイプだった。

ぼくはまだマシだったが、最初は苦労した。
落研の飲み会はたいがい二級酒で、下宿していなかったので、飲んだ後は2時間ほどかけて帰っていた。
9時くらいが最終になる。
それを超えると、誰かの下宿にやっかいになる。

一度は帰りの電車で吐きそうになりながら帰った。
駅から歩いて帰ったのだが、頭痛と吐き気をガマンしながらだった。
あのときの事は鮮明に覚えている。
「何でやねん」と言いながら帰った。

よく、記憶が飛ぶという人がいるが、ぼくはそれはできない。
それだけ飲む前に吐くからだ。
記憶が飛ぶためには、ある程度強くないといけない。

何度か飲み会が終わった後、トイレにこもって吐いた。
慣れてくると、自分でこれは吐いた方がいい、というのがわかる。
そうなると、自分で吐けるようになった。

あの当時、イッキ飲みなどなかったし、落研ではそれほど下級生に酒を勧めるというような伝統もなかった。
吐くくらいなら飲むな、というのが不文律。なぜかというと、もったいないからだ。
そういう感覚はとてもマトモだったと思う。
アルコールを無理矢理飲ませる、という感覚はわからない。

ただ、先輩が「芸せい」というのには困った。
何より、「芸」が大事だったのだ。

懐かしいなあ。


| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
FBI入局の誓い
知らなかったが、FBIには入局時に誓いの言葉がある。

「私は、アメリカ合衆国の憲法を全面的に支持し、国外および国内のあらゆる敵から守りぬきます。また憲法に忠誠を捧げ、義務の遂行を惜しまず、疑問を抱くことも、逃れようとすることもなく、これから職場となる連邦捜査局の勤めを忠実にまっとうすることを神に誓います」

何と宗教的な言葉だろうか。
最後の「神に誓います」の神は、当然キリスト教の神だ。

こんな誓いを立てるというのはいかにもアメリカらしい。
アメリカは世界で唯一、民族に基づかない国家である。
だから、民族の血というものは関係ない。
アメリカの根本は「憲法」である。
アメリカ人になろうと思えば、アメリカの憲法に手を置いて、星条旗に忠誠を誓えばいい。
そういう国だ。

だから、こういう誓いの言葉がある。
誓わないと、危なくて雇えない。
日本のように、暗黙の了解事項などないのだ。

おそらく、至る所にこういう誓いの言葉があるのだろう。

クリミナル・マインドというドラマではFBIのプロファイラーの組織が描かれるが、その存続の危機に際して、この言葉が語られる。
ルールや手続きを無視していろいろなことをしたチームだが、結局この誓いの言葉にしたがっていたのだ、という弁明がチームのみんなを救うというストーリー。

日本もだんだん常識が通じなくなってきたから、こういうのを取り入れないといけないような気がする。

手始めに警察と先生か。

もめるやろなあ。


| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
キディランド2
前にも書いたが、昔よく阪急三番街に行った。

1970年代の後半。
ぼくは三宮がホームグラウンドだったが、阪急梅田の三番街はよく行った。
なかでも、キディランドはプラモデルや、ちょっとした雑貨もあって、お気に入りだった。
この頃はもう言わなくなったが、当時は川が流れる地下街、という宣伝で実際に川が流れていた。
その名残が残っているのが、キディランドの下の地下二階。
水が生き物のように飛び回っている。
昨日久しぶりに三番街付近をうろうろした。

キディランドがあるのは、南館というところなのだが、久しぶりに行ったらだいぶ変わっていた。
電気屋がなくなり、文房具屋が入っていたし、キディランドの一部が雑貨屋のヴィレッジバンガードになったりしていた。
スヌーピーショップはまだあったが、どちらかというと関西限定グッズを売っているおみやげ屋みたいになっている。
中では中国語らしい言葉が飛び交っていた。

減ったのは、プラモデルとかゲームソフト。
一時はゲームソフト全盛だったが、ああいうのは専門店で買うのか、それともアマゾンで買うのか…、とにかくキディランドのゲームソフトは大幅に縮小された。
プラモデルも、もう作る人がほとんどいなくなったか。
マニア向けのショップに任せるということだろう。

それに対して増えたのが雑貨類。
雑貨類とは何かと言われても、雑貨類としか言いようがない。
文房具、小物類、面白そうなものなど。
キティグッズやディズニーグッズなどが多くなった。

この並びに梅田ナカイ楽器という店がある。
アコースティック楽器ばかり置いている。
キディランドに行ったら、ここにも顔を出す。

今回の新装開店はわりといいと思う。
キディランドの面積は減ったが、何となくこれからが楽しみになった。

ここに来ると、何かいいことがある。



| | 考えたこと | 01:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
14歳の時何になりたかった?
ドラマの中のセリフ。
少年の死体を目の前に検死をしている二人の男性。
そこでの会話だった。

「14歳の時、何になりたかった?」
「たぶん、この子と同じ」
「?」
「15歳」

そういうものだ、と思う。

世の中にキャリア教育というものがあって、アメリカでは盛んに行われている。
ドラマの中のこの会話は、それを皮肉ったものかもしれない。

何になりたいか、というのは夢としてはあっただろう。
自分が好きなものとつながっていたり、親の希望が入っていたりする。
ぼくはマンガ家が最初になりたかったものだ。
手塚治虫や石森章太郎が好きだった。

中学くらいになると、プロ野球選手になりたいというヤツが多かった。
野球は当時日本の唯一のプロスポーツだったし、少年野球もすでにあったから、親の期待もあったのだろうと想像する。

でも14歳という年齢は微妙な年齢だ。

小学生の頃持っていた夢がぼちぼち実現不可能だ、と分かる頃。
そういう年齢だ。
遅かれ早かれ、実力がわかる。
少年野球でエースなら、ひょっとしたらプロの選手になれるかもしれない。
でも、中学の部活に入れば実力がわかる。
14歳なら、すでに無理なものは無理、と分かる時期だ。

そういう風にして人は大人になる。
ほとんどの人は、いろんな夢を見て、それらを諦める。

それが遅いか早いかの違いだ。

18歳になったら、ほとんどの人はもう夢は語れない。

そこから、実際のキャリアみたいなものを考える。

15歳、といった男性は、早く見切りをつけて、「大人」になりたいと思ったのだろう。

いずこも大人になるのは大変だ。






| | 考えたこと | 01:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
男はつらいよ 寅次郎物語
毎度おなじみ、男はつらいよ「寅次郎物語」を見た。
秋吉久美子がマドンナ。
いつもながら、昭和の女優はきれいだ。
ちょっと影のある役が多かった人だ。

「生きててよかった」きっとそう思えるようなことがある。
「今度会うときは、きっと幸せになっているんだよ。」
寅次郎が秋吉久美子が演じる、化粧品の販売員に奈良の吉野で言うセリフ。
この作品、珍しく「生きててよかった」というセリフがモチーフになっている。

この映画は、寅次郎が亡くなった同業者の息子を、母親に引き合わす、というストーリー。
小学生の秀吉という子どもを、別れた母親のところへ連れて行く。
この別れのシーンも泣かせる。

「おじさんはろくでなしの親父の仲間なんだ。おまえは母さんの面倒をここで見ろ」と言って子どもを泣かせて別れる。
引きとめる回りを振り切って、「自分の役目はこれで終わり」だと言って別れる。
男はつらいよの中では珍しく厳しいシーン。

「仏様は愚者を愛しておられる、仏様は寅の方が好きかもしれん」と帝釈天の御前様は一部始終を話したさくらに語る。

いつものように柴又を去る寅次郎を、甥の満夫が柴又駅まで送っていって尋ねる。
「おじさん、人間は何のために生きているのか?」
「ああ、生まれてきてよかったな、と思うことがなんべんかあるだろう、そのために生きているんじゃないか」…という寅次郎。

寅次郎が旅に出た後、お母さんから、子どもと一緒に正月を過ごせて、「生きていてよかった」という年賀状が届く。

1987年の第39作。

この頃から、寅次郎は何となく哲学的になった。

| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
成人の日
自分の成人の日は集会にも行かず、スーツも着ず、何もしなかった。
36年前になる。

成人の日に集まって、近所の体育館で誰かエライ人の話を聞くなどということは全く興味がなかった。ぼくは、そういう類いのちょっと左がかった学生だった。権威嫌いだった。今から思うと、鼻持ちならない生意気な学生だったと思う。穴があったら入りたい。
しかし、人生で一番生意気なのは20歳近辺だから、仕方ない。

小さい頃は、ずっと成人の日というと、「NHK青年の主張」という番組を見ていた。
今朝の新聞でテレビ欄を見たが、もうやっていない。
1965年から1988年までやっていたらしい。
その後、NHK青春メッセージという名前になって1989年から2003年まで実施されたが、その頃から成人式が荒れたりして、やめてしまったらしい。

祖母がこの番組が好きで、毎年これを見ていた。
青年の主張では、この日に全国コンクールを中継していて、何人かの新成人が出るのだが、みんな夢や抱負を語って審査を受け、賞を競った。
おそらく地方の若者だろう。訛りの強いしゃべり方で「看護婦になって病気の人を助けたい」とか「親の稼業を継ぎたくなかったが、病気になった親と話をして継ぐ事にした」とか、そんな話が賞をもらっていた記憶がある。
このころ、日本はまだ貧しかった。
今のように生まれたときから何でもある、という時代ではなかった。
自分の将来について、成人の頃に考えざるを得なかった時代。
働かざる者食うべからずだったと思う。

その番組が1988年に青春メッセージという名前に変わった頃、日本はバブルの真っ最中だった。
金さえあれば何でも買えたし、その金はあった。
一部のサラリーマンが600万のクルマが買えた時代。
潰れた山一証券に代表される証券会社や銀行の天下だった。
そんな中で、青年の主張などちゃんちゃらおかしい、とみんなが思ったか…。
「金さえ儲かれば何でもいい」「その気になれば、適当な大学に行って、適当な会社に誰でも入れる」
事実そうだった。

バブルが残した負の遺産だ。
バブルは消えても、そういう気持ちは残った。
そういう環境でなくなっても、心の底ではそう思っている人もいる。

ぼくが小学校の頃、青年は立派だったと思う。
みんな苦学生だった。美化しすぎかもしれない。
ぼくらはそんな番組を見て、自分もそんなふうになるのかな、と思っていた。

でも、そこから高度成長してしまった。
豊かになったものは仕方がない。
豊かになる事で失うものもあったということだ。
青年の夢みたいなものがなくなったのだろう。

あの頃の青年が、ニートやフリーターを見てどう思うのだろう…。
というか、今の65歳くらいの人はどう思うのだろうか。

| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
コクリコ坂から
ジブリの映画。
昭和30年代の高校生の話。

カルチェ・ラタンという古いクラブハウスを取り壊す、という騒ぎに絡めて当時の高校生活を描く。
コクリコ坂の上の下宿屋の娘と、学校新聞の主筆の少年の恋のお話。
きりっとした目の高校2年生の少女が主人公。

ネタバレするから多くは書けない。

東京オリンピックが開催されることが決まっているという時期。
日本が戦後立ち直った頃だ。

この頃の高校生の生態が描かれる。

たくさんの文化部があった。
数学部、哲学部、天文部、新聞部、物理部、美術部、討論部…。
現在の高校とはだいぶ違うだろう。

今はそんなに文化部があるだろうか。
今の高校は、運動部が主で文化部は付け足しみたいになっていないか。
指導する先生がいるだろうか。

運動部の価値は認める。
しかし、そればかりでは片手落ちだ。
脳みそが筋肉になってしまう。

よく、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」というが、これは実は反語であって、「健全なる精神が健全なる肉体に宿ればよかったのに…(宿っていない)」ということだと聞いた。
運動ばかりして健全な肉体を作ると、そこには健全な精神は宿らないということだろう。
健全な精神のためには、身体を動かす事よりも、静かに本を読んだり、だべったりすることが大事だ。

あの当時の文化部。
哲学談義をしているやつ、ガリ版を切って新聞を発行するやつ、実験着を着て実験をしているやつ…、いろいろいた。
それが、カルチェ・ラタン(解放区)というちょっと政治的な、学生運動の香りのするクラブハウスの建物を絡めて描かれている。
あの時代は、そういう時代だった。
高校生も政治や文化に関心を持っていた。
だから、映画の中でカルチェ・ラタンの取り壊しをやめてもらうために、理事長に直訴に行く。
理事長に、「学校はエスケープしてきた」という。
理事長はそんな生徒をおもしろがる。

多少デフォルメされているが、今の大学生よりもよほど文化的だ。
それをわかってほしいと願う。

あの頃の文化部を取り戻してほしい。
もう少し政治にも関心を持ってほしい。
バラエティを見てバカみたいに笑っている場合ではないのだ。

そういうカルチャーが高校生にあった。
それを思い出させる映画だった。


| | 考えたこと | 19:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
新聞記事
インターネットの東京新聞の記事(1月12日付け)。

「脱原発デモ 参加者増の兆し 自民政権に危機感」という内容。
この記事の最後に「主催者発表で、この日の参加者は約一万三千人。警察関係者は八百人ほどとみている。」と書いてある。

主催者がどう言おうと、警察関係者がどう言おうと、この記事を書くのなら何人くらい来ているのか取材したらいいと思う。
永田町でやっているのだ。
毎日記者が行っているところだ。
その参加人数が13000人か、800人か、さすがに2桁違えば見たら分かるはず。
それが新聞というメディアの役割ではないか。
真実の報道、というヤツだ。

こんな記事を書いているから、新聞は信用がなくなる。
ネットの記事には勝てない。

日本で起こっていることが、日本の新聞ではわからない。

これでは民主主義など無理だ。

| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
マンガ・アニメ
日経のランキングの記事の続き。

どんなジャンルの人の名言を選んだか、ということが記事に出ていた。

全体では1位経営者、2位作家、3位スポーツ選手、4位科学者、5位映画・ドラマの登場人物、6位タレント、7位マンガ・アニメの登場人物、8位政治家、9位お笑いタレント、10位歌手。
20代の人は1位マンガ・アニメの登場人物、2位作家、3位スポーツ選手、4位映画・ドラマの登場人物、5位タレント、6位経営者、7位歌手、8位科学者、9位お笑いタレント、10位政治家。

20代で特徴的なのは、1位がマンガ・アニメの登場人物、というところだろう。
その代わり、経営者の順位が低い。

マンガ・アニメというのは、若い人の間では地位が高いのだろう。
だからこそ、クール・ジャパンとか言われて、海外でもてはやされている。
スラムダンクやドラえもんが選ばれている。
どちらもマンガでもあり、アニメでもあり、どちらの影響が強いのかわからない。

ドラえもんは知っているが、スラムダンクは全く知らない。
「2006年に文化庁が実施した文化庁メディア芸術祭「日本のメディア芸術100選」にてマンガ部門で1位を獲得。」とWikipediaに書いてあった。
さすがに、「名言」に選ばれるだけの実績はある。

昭和30年代生まれにとっては、マンガやアニメの登場人物の言葉が「名言」になって選ばれる、というのは考えられないことだろう。

当時、マンガやアニメは子供のもの、という認識だった。

大人の鑑賞にたえるものは、かろうじて昭和の終わりに劇画がでてきて、それからだ。
ゴルゴ13はぼくも大学時代に見た。
冷戦の時代だったから、東西のシチュエーションだったなあ。
手塚治虫がブラックジャックを書いたのもこの頃だ。
こちらも大人がターゲットのマンガだった。

その頃から、大人もマンガを読むようになってきたのだろう。
ぼくは、全くダメだった。
読む気がしない。
アニメは見るのだが…。

ましてや、その主人公の言葉を座右の銘にするとかいう感覚はない。

時代は変わった。

これも日本の産業の生きる道かもしれない。


| | 考えたこと | 13:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
何でもランキング
「何でもランキング」というのが日経の土曜版に出ている。
1月12日版では、「現代の名言」のランキングが出ていた。
3つの分野で出ている。
なかなか面白いから、引用する。

20代から60代1030人の男女に戦後生まれの人物、戦後に発表された作品の名言を対象にして、名言を選んでもらった結果とのこと。
あくまで、すでにセレクトされた名言を選ぶ、ということだ。
普段からそれを思っているわけではない。

しかし、だいぶ様変わりした。
戦後ということで、やはり新しい。
ぼくらが名言と思っているものは、ほとんどが戦前、あるいはもっと大昔の人が言ったものなんだろう。

「座右の銘にしたいのは」
1位 強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ。 フランツ・ベッケンバウアー
2位 自分が分かっていないことがわかるということが一番賢いんです。 鷲田清一
3位 一度地獄を見ると、世の中につらい仕事はなくなるんです。苦しい経験も若いうちにするからこそ、得られるものもある。 池上彰
4位 成功の反対は失敗ではなく、「やらないこと」だ。 佐々木則夫
5位 自分が幸せかどうかは、自分で決めるしかないのよ マツコ・デラックス
6位 何かを捨てないと前に進めない。 スティーブ・ジョブズ
7位 家をきれいにする、約束を守る、お礼の手紙を書く、そういう基本をきっちり続けることが、自分の型の基本をつくってくれたと思っています。 笑福亭鶴瓶
8位 あきらめたらそこで試合終了だよ。 マンガ Slam Dunk
9位 この世に生を受けたこと。それ自体がチャンスではないか。 アイルトン・セナ
10位 いちばんいけないのはじぶんなんかだめだとおもいこむことだよ。 ドラえもん

座右の銘というと、1位のベッケンバウアーの言葉はそれらしい。2位の鷲田清一の言葉はソクラテスの言葉を言い換えたもので、本人もそっちを選んでほしいと思っているだろう。
しかし、10位まで見ても、座右の銘にしては何だかなあ、という感じがする。

「落ち込んだとき元気になるには」
1位 人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている。 伊集院静
2位 ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ スティーブ・ジョブズ
3位 ろくな晩じゃねぇや。寝ちまえ寝ちまえ寝て起きりゃあ別の日だ。 マンガ「百日紅」
4位 世の中ってオレより頭のいい人の方が多いんだ。 高田純次
5位 いつか、必ず、チャンスの順番が来ると信じなさい。 秋本康
6位 前向きにもがき苦しむ経験は、すぐに結果に結びつかなくても、必ず自分の生きる力になっていく。 落合博允
6位 「ゴールは遠いなぁ」と、がっかりするのも道のりです。 糸井重里
8位 「負けたことがある」というのがいつか大きな財産になる。 マンガ Slam Dunk
9位 反省することは反省する。でも一度寝たら忘れる。 古田敦也
9位 きみはこれからも何度もつまづく。でもそのたびに立ち直る強さも持ってるんだよ。 ドラえもん

これも、10位まで見てもぼくはあまり元気になれるとは思えない。
マンガの言葉はその場面を知らないと、わからない。しかし、マンガも変わったと思う。
大人向きのマンガが増えたという事だろう。

「仕事にやる気が湧いてくるのは」
1位 前進できぬ駒はない。 中原誠
2位 「仕事はナメてかかって、真面目にやれ」と思っている。俺は、どの仕事もそうしてきているんです。 テリー伊藤
3位 自分を少し抑えて、肩の力を抜けば、仕事は長続きする。 関根勤
4位 常に今日は明日の準備ですからね。今日やったことは必ず明日に返ってくるんです。 水谷豊
5位 一人一人が自分の仕事をきちっとこなすこと。この個人プレーの連携が、真のチームプレーなのだ。 松尾雄治
6位 小さなことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。 イチロー
7位 一歩踏み出せるなら、もう一歩も踏み出せる。 トッド・スキナー
8位 あたしは仕事したなーって思って死にたい。 マンガ「働きマン」
9位 モチベーションという概念は、希望につながっていなければならない。 村上龍
10位 弱気は最大の敵。 津田恒美

やる気がわく、というのも、人それぞれだという事か。
中原名人、イチローの言葉はぼくも共感する。それ以外はピンとこない。

今週の特集は面白かった。



| | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
空気を読む
KYという言葉が「空気を読め」という言葉の頭文字だ、ということを聞いて7,8年ほど経つか…。

それ以降も、若者の間で「空気を読む」ということは大変重要な特性になりつつあると思う。

今日、若い人たちが「どんな人と一緒に働きたいか」、ということを話し合っていて、この「空気を読む」ということが重視されていることを再認識した。
たくさんの若者が、一緒に働く人には「空気を読んで」ほしいと思っている。

この言葉が出てきたのは、2000年代の初頭。
インターネットの掲示板で使われていた言葉が、口語でも使われるようになったらしい。
どうも、「空気を読め」という意味は「その場の雰囲気をわきまえて(理解して)行動せよ」というような事になるのだろう。

なぜそれほど「空気を読む」ということが大事になったのか。

ぼくらの若い頃は全く言われていなかった。
だからといって、「空気を読めない」人がいなかったわけではない。
たしかに、いた。
自分も含めて思い当たることはある。
でも、それはそんなに悪いことではなかったと思う。
空気を読めなくても当たり前の「場」もあるからだ。

初対面の人がたくさんいる「場」など、空気が読めるわけがない。
そういう時、「空気」はみんなで作るものだ。
それが当たり前だろう。

当時は「場」は2種類あった。
みんなで作っていく「場」と、仲の良い友達だけで共有された「場」だ。
それが、今はどんな「場」も仲の良い友達だけで共有された「場」だけになったかのように見える。
だから、「空気を読む」ということの価値が上がったのだろう。
価値が上がったから、逆に「空気が読めない」とそれが致命的になる。
今や「空気を読む」というのは、若者にとっては必須の能力になっている。

空気を読むことの価値が上がった、ということは、結局仲間内だけの世界で生きる若者が増えたということだろう。
だから、仲間はずれになると恐い。
これがイジメになる。

全く関係ないように見えるが、これは日本の「笑い」に関係している。
「場」の共有が必須である笑い、これを「楽屋落ち」という。
「オレたちひょうきん族」以降、バラエティが全盛期を迎えているが、この笑いはほとんど「楽屋落ち」である。
全くその番組を見たことがなく、タレントを知らない人が見た今のバラエティ番組は、きっと気持ちが悪いだろう。
なにが面白いか、全くわからないと思う。

要は知っている人、知っている番組、知っているシチュエーションだから、ややこしいことはすっ飛ばして笑えるのだ。
これが「楽屋落ち」の特徴だ。
簡単で、爆発的に面白い。
中毒的な笑いになる。

落研でいえば、クラブの部室の笑いと、実際に落語を演じた時の笑いの差だろう。
部室の笑いは「楽屋落ち」になる。

どちらが先かは分からない。
日本中に楽屋落ちの笑いが蔓延したのが先か、それとも「場」が一つになったのが先か…。

でも、それが遠因となってイジメが生まれたのだと思う。

お笑いの罪は深い…。



| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
目が覚めたら損
最近6時台に目が覚める。

昔は目が覚めたら損だと思って、また眠っていた。
その時代は、また眠ることができた。

しかし、最近は一度目が覚めると、もう眠れない。
たかだか目覚ましが鳴るまでの何十分かの時間。
昔は「年をとると、早く目が覚める」などという言葉を聞いても、信じられなかった。
今ならわかる。
人間には、そういう時代が来るのだ。

いずれ永い眠りが来るのだから、今は眠らなくてもいい、と言われているような気がする。

こういうのは、否応なく年を感じる。

もう一度寝ないとなると、何かをしないといけない。
最近は無線LANが便利になったので、Webにつないで、メールの確認をする。
確認といっても、要らないメールを捨てるだけだ。

そして、Webのニュースを確認する。
朝配達されるニュースよりも、まともなニュースがWeb上にある。
それをいくつか読む。

そうこうしているうちに、7時になる。

以前、意地になってもう一度寝ていたのが嘘のようだ。

時々、二度寝してしまう。
それも、また良い。

あまりこだわらない。

それが年か…。


| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
2-6-2の法則
世の中の組織を概観すると、だいたい2-6-2の法則で動いているということらしい。

この2-6-2というのは、2割が組織を引っ張っていて、6割がそれについて行っていて、残りの2割が寄生虫のように組織にひっついていて何もしない、ということだ。

これはどこでも言えることで、どんな学校でもトップ層は2割、それについて行っているのが6割、どうにもならないのが2割、ということになる。

昆虫の世界でも、働きアリでありながら、なにもしないのが2割いるらしい。

そして、おもしろいのは、上か下の2割を排除すると、残りの中からまた2割が現れるということらしい。
がんばっている2割を取ると、残りの8割の中からがんばるのが2割出てくる、というのはわかるのだが、寄生している2割を取ったら、残りの8割の中から2割が何もしなくなる、というのがオカシイ。

まあ、これは経験則で、そうなる必然性はわかっていないし、すべての組織がこの法則が成り立つとはいえないようだが…。
でも、さすがに経験則だけあって、何となく当たっているような気がすることが多いのも確か。

実際に統計を取ったわけではないので、細かい比率はわからないが、たしかに3つのタイプの人がいる、というのは納得できる。

ぼくが興味深いのは、何もしない人の方だ。
この人たちは組織に寄生して生きている。
彼らに悪気があるのかないのか、定かではないが、普通に作られた組織は2割の何もしない人を含むようになっているのかもしれない。
いざというときに彼らが力を発揮するとは到底思えないが、本当に潰れそうになったときにはちょっとは働けるだろう。

この2割の何もしない人を存在させないようにしようと思うと、よほど注意深く組織を作らないといけない。
軍隊などは、この2割の存在を許さないようにできているような気がする。
その工夫はどうなっているのか、それはわからないが…。

| | 考えたこと | 01:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
Charlie Mike
昨日に続いてまた英語の話。
ドラマを見ていたら、また新しいスラングが出てきた。

アメリカの軍隊では、アルファベットを、Alfa, Bravo, Charlie, Delta, Echo, Foxtrot, Golf, Hotel, India, Juliet, Kilo, Lima, Mike, November, Oscar, Papa, Quebec, Romeo, Sierra, Tango, Uniform,Victor,Whiskey, X-Ray, Yankee, Zulu というふうに言う。

今回の言葉はCharlie Mike。
これはContinue Missionの頭文字CMのこと。
任務遂行中、という意味になる。

このセリフに、チャーリーとマイクという字幕が出た。
これは軍隊用語で、任務継続中という意味だ、という。

軍隊というのは、いろいろな符丁があるものだ。
閉じた集団だし、その中だけで通用する言葉はあった方が便利だし、外部の人にわからない言葉がある方がよいとも言える。

きっとネットで調べると、もっといろいろあるんだろう。

海兵隊でも書いたが、アメリカの社会には軍隊を退役した人がたくさんいる。
その彼らが使う言葉は、ドラマに出てきてもおかしくはない。

それだけ軍隊というものが、日常生活に近い国ではあるのだろう。

しかし、この手のスラングはいくらでもできそうな気がする…。

| | 考えたこと | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
Copy that
「了解」という字幕が出るとき、Copy that.と言っている。

イメージとしては、「復唱する」という感じだと思う。
言ったことをコピーするのだから、日本語では「了解」という意味になるのだろう。

よく勘違いするのだが、だからと言って、英語ネイティブの人たちがCopy thatと「了解」をイコールだと思っているわけではない。
あくまでも、copy thatはcopy thatだ。
他の言語に訳す義理はない。

当たり前だが、「了解」という言葉は彼らの語彙にはない。
了には、過去完了の意味がある。
つまり、解ってしまった、という意味だ。
それが転じて(というより、そのままだが)、了解という意味になる。

言葉というものは面白い。
持っている意味で、世界を切り取ることができる。
そういうふうに切り取った総和が、その言語を話している人の世界になっている。

だから、英語を話す人と、日本語を話す人では厳密にいうと、世界が違う。
前に書いたが、秋の虫の音色は日本語では細かく分かれているが、英語ではみんな一緒だ。
思いつかないが、逆もあるだろう。

難しくいうと、日本人の世界観は独特のもので、それは日本語によって規定されている。
これは、どうしようもない。
日本に生まれて日本で育っているからだ。

言語の制約は思ったより強い。
同じ世界でも、言葉が違えば切り取り方が違う。

全く同じ現象を見ていても、意味の世界は違っている。

通常はそんなことは問題にならない。
だからこそ、同時通訳というような商売が存在する。

しかし、実際には微妙に違っているのだろう。

そういうことを意識した上で、Copy thatは「了解」という意味だと覚えておかないといけない。

| | 考えたこと | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
正月四日の客
池波正太郎が食通だったのは知られている。
その関係の書籍もたくさん出ている。

珍しいものや値段の高いものではなく、わりとありふれた素材を生かして、おいしさを追求するという感じの人だったと思う。
もともと季節の食べ物と結びつけて短編を作るのはこの人の得意とするところ。
この「正月四日の客」というのも、そういう話だった。

原作も読んだ。
今回テレビドラマも見た。
何とも言えない情趣がある。

演じたのは柄本明と松平健の二人。
市毛良枝が花を添えた。
時代劇というと、若い人には人気がないが、池波正太郎の作品はもっと評価されてもいいと思う。
これぞ日本のハードボイルドである。

ハードボイルドの意味は難しいが、イメージとしては短文である。
短文をつないでいく。
複文で表されるような、複雑な考えや概念は使わない。
見る側、読む側の人間も、言葉にしなくてもわかっている。
そんな乾いた厳しさがある。
そこで、語られるストーリー。

ああ、これが日本のハードボイルドだ、と言えるものになっている。

いいドラマを見た。
| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
ABC(Auto Base Chord)
コルグという会社は、日本の楽器メーカー。
シンセサイザー、電子楽器、チューナーなどを作っている。

ヤマハは誰でも知っているが、ローランド、コルグという名前になると知名度がだいぶ落ちる。
シンセサイザーというものが一般的になってきた70年代後半、これらのメーカーは一気に伸びたと思う。

このころ、ヤマハは伝統的な楽器と区別して、新たな電子楽器の一群をライトミュージックと名付けて、売り場を分けていた。
ここにエレキギターやエレキベース、リズムマシンやシーケンサーといった電子楽器も含まれていた。
今までの音楽好きな層と明らかに違う若い人たちが、新たな楽器に魅了されたのだ。
元町のヤマハでは、地下に売り場を移していた時期がある。
とにかく、いろんなものがあった。
毎年楽器フェアで新製品が出て、楽しみだった。
ちょうどバブルの頃だったなあ。

最初はアナログだったものが、デジタルに変わり、音源も色々と工夫され、ヤマハが一世を風靡したFM変調方式のシンセサイザーを出した。DX-7という機種だ。
ちょうどこの頃からコルグの調子が悪くなる。
なかなかヒット商品が出なかった。
80年代の半ばくらいだろう。
ヤマハの資本参加で助かった。
そして今は連結対象ではないが、ヤマハの関連会社になっている。
ライトミュージックはコルグに任せるという戦略を取ったようだ。
そういえば、コルグブランドのメトロノームと全く同じものがヤマハブランドで出ていた。
一部ヤマハのOEMもやっているようだ。

したがって、ポータトーンやポータサウンドなど、たくさんのキーボードを出していたヤマハだが、それも今は激減している。
カシオなどが安価なキーボードを作って出しているから、価格競争に負けたのだろう。
それと、ピアノと同じで一家に二台は要らないし、それほど壊れるものでもないので、入れ替えの需要が少ないのではないか。
マクロで見ると、少子化と相まって市場が縮小してしまった。

さらに、今の音源チップは実際の楽器の音を入れたもので、そのクオリティによって違いはあるが、安価なゾーンで言ってしまえば、どれも同じようなものになる。
要は、安いキーボードは音源チップにキーボードというスイッチを付けて、音を出すオーディオ機器みたいになってしまった。
したがって、日本製は撤退せざるを得ない。
中国製に価格で勝てないからだ。

おそらくそういうわけで、ヤマハが得意としていた分野がだいぶ食われてしまった。

今はポータトーンシリーズを高価格帯だけで出している。
ポータサウンド(これは小型鍵盤のシリーズだと思う)というのはなくなった。

ぼくは母がヤマハのエレクトーンを習ったときに、ちょっとエレクトーンをいじった。
その時に、ヤマハのABCというものを知った。
Auto Base Chordというシステム。
これは鍵盤が弾けない人のために、簡単にコードを指定して伴奏をさせるというシステムだ。

基本はコードのルートの音を押さえて、和音を指定する。
一つだけ押さえると、メジャーのコードになる。
どこでもいいからルートの音の下の白鍵を一緒に押さえると、7thコードになる。
これが黒鍵だとマイナーコードになり、白鍵と黒鍵を同時に押さえるとm7thのコードになる。
したがって、メジャー、マイナー、7th、m7thの4種類のコードが簡単に鳴らせる。
簡単な仕組みだが、当時のぼくには画期的だった。
ギターをやっていて、コードはわかるが鍵盤が弾けないという人には、これはよく分かると思う。

ルートの音と、和音の形を決めて、伴奏のスタイルを8ビートとか、ソウルとかロックとか、決めてやれば音楽の形は決まる。
これが昔のエレクトーン、それに続くポータトーンにはついていた。
それがどこに消えてしまったのか…、残念ながらなくなったと思っていた。

ところが、ふとしたことから、ヤマハからコルグに引き継がれていたことがわかった。
きっとABCを作った技術者が、意地になってコルグの製品に残したのだと思う。

コルグのマイクロアレンジャーという、小型鍵盤のキーボード。
ここにあった。
ABCという名前ではないが、One Fingerというモードがある。
大々的に書かれているわけでもなく、マニュアルの重箱をつつくようなところに書いてあるが、これがABCの生き残りだ。

やっと見つけた。

この技術、コードのことを知っているギタリストが鍵盤を弾く時くらいしか役に立たないのだが、もっと宣伝してもいいと思う。




| | 考えたこと | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカの苦悩
スパイダーマン2,3をもう一度見た。

バットマンもそうだが、子供の頃に見たものとだいぶ変わっている。
全体にダークになった。
子供向けではない。
元々、昔アメコミを見ていた大人向けに作られているのだろう。

映画の中で、「勇敢で自己犠牲も厭わないヒーローは子供のよいお手本」という言葉が出てくる。
こういう台詞があるという事自体、この映画が大人向けの映画だとわかるだろう。

正義の味方も悩む。

正義とはいったい何か。
悪とはいったい何か。
真実とは?友情とは?愛とは?

ヒーローであるだけに、人一倍悩む。

この姿は今のアメリカのようだ。
70年代、アメリカはアメリカの正義を信じて疑わなかった。
しかし、最近は悩んでいる。
アメリカの正義は他国の悪かもしれない。
大きな力を持ちながら、それを使うことを悩む。
最近はアメリカの中にもいろんな意見がある。

その悩みがそのまま出ている映画だった。

あの陽気でバカ騒ぎが好きなヤンキー気質はどこに行ったのだろうか。

ハリウッドは少しはヤンキー気質でいてほしいとも思う。

| | 考えたこと | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
ピンクのクラウン
クラウンがモデルチェンジした。

トヨタも若者のクルマ離れに悩んでいるように見える。
もちろん、トヨタブランドの最高級車だから、安全性や操縦性などは最高レベルのものを目指しているんだろう。
メインの売れ筋はハイブリッドになるはずだ。

「いつかはクラウン」という宣伝は、吉永小百合と山村聡がやっていたはず。
しかし、今回は北野武とジャン・レノで、チョイワルオヤジというのが新しいキーワード。
「権力より愛だ」というメッセージもある。

値段からして、このクルマを買えるのは高額所得者になるから、どうしてもオヤジということになるのか。
デザインからしても、若い人の乗るクルマではない。

だが、ピンクのクラウンというのはびっくりした。
儲かっている会社だから、やれるんだろう。
2013年夏くらいに販売するそうだが、どれくらいの注文があるのだろう。
今から注文生産になって、1回切りの生産になるかもしれない。

ReBornという言葉を使うために、イメージカラーとしてピンクというのも作ってみました、という感じだろう。
しかし、いくらチョイワルオヤジでも、ピンクはちょっと…、という気がする。
まあ、今までの常識を覆すという意味ではよかったかもしれないが、せめて黄色くらいにした方がよかったのではないか、などと素人が言っても仕方ないけど。

儲かるというのは、いいことだ。
こういう遊びができる。
賛否両論あるだろうが、トヨタにしてはよくやったのではないか。

あり得ない組み合わせを実現してみせたのだから。



| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
悩みを超えた時間
正月の2日。
だいぶマシになった。

地球にどこかから彗星が近づいて衝突するという地球滅亡のシナリオは、わりと可能性が高いように思われる。

何せ恐竜が滅亡したのも、彗星が衝突したからだと言われている。

直径10数キロの彗星が衝突した瞬間、衝突のエネルギーが熱エネルギーに変わって、周囲何千キロのものを焼き尽くす。
そして電磁パルスが発生して、世界中の電気が使えなくなる。
次に粉塵の雨が降り注ぐ。
そして津波だ。
海中に衝突すると、数十メートルの津波が来る。
だいぶ離れたところでも、数メートルの規模らしい。
そして、世界中で温度が100度くらいまで上がるらしい。
次には大火災が起こる。それはそうだろう。何百度になった粉塵が降ってくるのだから。
この時点で生き残ろうと思えば、地下に逃げるしかない。
地表は400度にもなるという。

数日のうちに、地表の生物は死に絶えるらしい。

えらいことだ。

ただ、この衝突は一度実際に起こっている。
それを乗り越えて、今の生物は生き残ったということだろう。

人間という種が生き残るかどうかはわからない.

しかし、あと何千万年かの間に起こらないとは限らない。

こんなことは考えても仕方ないか…。

でも、そういう時間感覚も持っておいてもいいとは思う。

そしたら、今悩んでいることどうでも良くなったりしないか。


| | 考えたこと | 00:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
ノロウィルス?
昨日の朝から何となくおかしいと思っていた。
体調がすぐれない。
身体が重い。
今から考えると、そういうことだったのだ。

元旦の朝から嘔吐、下痢、発熱。
おまけに、大掃除で腰・腕・肩の筋肉痛。
正月から踏んだり蹴ったりだ。
もちろん、一日なにも食べず、布団の中。

38.5度まで熱が上がった。
まず、3日間は外出禁止。

熱のせいか、頭が痛くて本も読めない。

人間はこういう風に死んでいくのかと思ったが、いや、死ぬときはこれほどしんどくないはずだ、とも思う。

それにしても、久しぶりに吐いた。
前に吐いたのがいつだったか、思い出せないくらい久しぶりだ。
危ないところだった。
トイレに走って、ギリギリ間に合った。
吐くときはどうして涙が出るのだろうか、と変なことを考えながら吐いた。
吐くと、涙腺が刺激されて、涙で目の前がぼやける。
老眼と相まって、何を吐いたかわからない。
なるほど、吐いたものを見なくて済むように身体ができているのか、と思った。

というわけで、今年は初日からさっぱりワヤ。

そういえば、「さっぱりワヤ」という言葉も平成の死語ではないか、と思い当たる。

これを、転んでもただでは起きない、という。

熱で頭がおかしいので、これくらいにしておこう。

| | 考えたこと | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
大晦日に思う
大晦日恒例の紅白歌合戦が終わり、カウントダウンTVの年越しライブが始まった。

相変わらず、どこがいいのかわからない中居君が滑舌の悪い司会をしている。
あれだけ歌が下手なのだから、司会くらいまともにやれと思うが、人気があるらしくみんな喜んでいる。
ワケがわからない。

飛ばし飛ばしながら、紅白歌合戦を見て、今の日本の音楽マーケットを考えてみた。

とにかく、数は力という感じが強い。
メンバーの数だ。
AKB48、EXILE、SKE48など、これらを合わせると昔の紅白の出場者の総数を軽く超えるのではないか。

音響の人も大変だろう。
ワイヤレスマイクの数が限界に来ているのではないか。
おそらく、歌う人と、ダミーマイクの人がいると思う。

それにしても、ジャニーズ事務所は強い。
レベルは上がったが、それにしても数が多い。
ジャニーズ事務所抜きに今の音楽番組は成り立たない。
嵐、TOKIO、関ジャニ8、SMAP。
全部併せて24人も出ている。
これも数は力。

しかし、あれらのグループのギャラはどうなっているのだろう。
まさか、一人あたりの値段が決まっているワケでもあるまい。
AKB48はどういうギャラの決め方をしているのか。
もらう方は、月給制で月に10万くらいらしい。
AKB全体でのCM収入は5000万くらいあったという。

その中で、石川さゆり、北島三郎、森進一、細川たかしなどの面々は懐かしい。
このメンバーは年々浮いている感じがあるだろう。
ぼちぼち、出場をやめようと思っている人もいるのではないか。
そういえば、小林幸子は今年は出なかった。
その代わり、ドレスの足の部分が数メートルになった人がいたなあ。

アニメソングの歌手もいた。
これもその世界では有名なのだろう。

若い人は歌がうまくなった。
けど、みんなそつなく歌う。
もうちょっとこだわり感のある歌手はいないのか。

しかし、SMAPの歌はどないかならんのか…。
ユニゾンで歌っている間はよいが、ソロになったら聞けない。
これが紅白のトリの歌手だからなあ…。

| | 考えたこと | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |