考えたこと2

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若者は幸せらしい
日経BPのコラムを見ていたら、「絶食系男子、草食系を通り越して出現」というのがあった。

これによると、今の若い人たちは自分たちが幸せだと感じているらしい。

「内閣府が20代から70代以上の男女に調査した「国民生活に関する世論調査」によると、 「現在の生活に満足を感じている」人の割合は20代が一番多く75.4%(平成24年度版)。なんと4人に3人は「今が幸せ」系だということがわかる。ちなみにこの調査で、一番「満足を感じている」人の割合が少なかったのは、50代の60.6%。また1970年代の20代(約50%が満足)と比べても、今の20代の「幸せ」感は、ごっそり増えている感じはある。」

今の20代は3/4が「今が幸せ」と思っているということだ。

一般的に若者は反体制で、現状に不満を感じているというのが通例。
ジェームス・ディーンに代表される、「怒れる若者」という感じ。
とにかく、常に物足りない感じがあって、大人に対して不満を持っている。
それが何かは彼ら自身もわからない。
でも、不満なのだ、というのが、ぼくの持っているステレオタイプ。

ところが、50代に比べて、20代の方が現状肯定だという。

この筆者は男子中学生に、将来の夢を聞いてみたとのこと。

「昼間はときどき勉強して、夕方から部活するような仕事って、どっかにないかな」

それが答え。
結局、今の生活を大人になっても続けたい、ということらしい。

思春期というのは、難しいもので、矛盾した考えが同居していた。
早く大人になりたい、という考えと、ずっとこのままでいたい、という考えだ。
それが、現状肯定と否定の間を行ったり来たりする。
そういう難しい時期が、思春期だと思っていたが…。

実際、55歳になったぼくは、今の若い人たちは気の毒だと思っていた。
生まれたときから、右肩下がり。
高度成長の時代を謳歌したぼくらとは違う。
グローバル化によって、日本国内にとどまっておれない。
いつの間にか、家電量販店のテーマソングは中国語や韓国語になった。
ミスタードーナツでアルバイトしている人は中国人。もちろん、日本語は堪能だ。
IT化でマジメに、コツコツという仕事はなくなった。
そんなのは、みんなバーコードリーダーとコンピューターがやる。
店が何を仕入れるべきかというのは、本部から指示があるから、考えなくてもよい。
少子高齢化で、国内市場は縮小だし、期待が持てるのはシルバー産業。
いったい、若い人の未来はどうなるのか、と思っていたのだ。

でも、現実はそんなことはない。
20代の人たちは、今が幸せなのだ。

たしかに、彼らが育ってきた日本は豊かだったし、今でも世界中でも一番豊かな部類。
しかし、その豊かさを当たり前と思ってしまうと、気の毒だと思う。
まして、今が幸せだと思っているとすると、ほんとうに複雑だ。

元記事はこちら。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20121122/331540/?ST=manabi&P=1

| | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
脳の10%しか使っていない?
ウォール・ストリート・ジャーナルに抜き打ちテストがあった。

以下の文章のうち、間違っているのはどれか。 
 1.われわれは脳の10%しか使っていない。 
 2.刺激の多い環境が未就学児の脳の発達を良くする。 
 3.個人の好みの学習スタイルで教えられた方が学習効果が高い。それは聴覚、視覚、ないし運動感覚の別を問わない。

2,3はともかく、1の我々は脳の10%しか使ってない、というのは聞いたことがあったし、自分でもそうだ、と思って信じていたが、これは間違いらしい。

記事は以下のように続く。

「1.が間違いだと思った方、おめでとうございます。われわれが脳の10%しか使っていないというのは明らかに間違いだ。これはあまりにも多くの人々に信じられているため、心理学者や神経学者の間で「10%神話」と呼ばれている。一般的に信じられているのとは対照的に、脳は全体が使われている。使われない神経細胞は死滅し、使われない神経回路は退化する。10%神話の永続化につながっているのは、もしかしたら神経画像研究の各種リポートのせいかもしれない。脳のスキャン画像では、脳のごく一部の領域しか「光って」表示されないからだ。しかし、これらの部分は活動レベルが基準ラインより高いだけであって、暗く表示される部分が活動していない、または使われていないというわけではない。」

どうも、そうらしい。
長いこと、人間の脳は無限の能力があるのだが、それをぼくらは使いこなしていない、と思ってきた。

信じるというか、信じたいと思わされるのが「10%神話」。

アインシュタインも自分も同じ脳を持っていて、アインシュタインはちょっとたくさん使っただけで、自分もひょっとしたらアインシュタインのようになっていたかもしれない、などと思いたいのが人間だ。

実際には脳の全体を使っているらしい。

よく考えたら、それはそうだ。
脳梗塞になったら、脳のどこかで組織がやられる。
やられたら、どこかが不具合を起こす。
もしも10%神話が本当だとしたら、多くの場合は何ともない、ということになるだろう。
使っているのは1割なのだから。

でも、そんなことはない。
というより、脳梗塞を体験すると、医者が言うよりも影響は大きく感じる。
もちろん、精神的なものもあるのだろうが、脳梗塞の直後は何ともなくても、しばらくしたらどこかに違和感が出てくる。
それが普通だと思う。

だから、確かにぼくらは脳の全体を使っているのだろう。

ちなみに、残りの二つの質問も間違いらしい。

だいぶ長いこと10%神話を信じていたが、最初にいつ聞いたんだろうか…。



| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
青空文庫ビューアー
青空文庫というのは、著作権が切れた作家の作品を読めるようにしているサイト。
ボランティアで成り立っている。

ここには古い作家たちの本がたくさんある。

夏目漱石、森鴎外は言うに及ばず、菊池寛や芥川竜之介、太宰治、幸田露伴、坂口安吾、寺田寅彦、紫式部や稗田阿礼などもいる。
これらを読むためには、作品をダウンロードして、読書用の端末で読むということだったが、最近はタブレットもできて、便利になった。

そのひとつが、青空文庫ビューアーというもの。
これは便利だ。
青空文庫のデーターをそのまま本の形で読める。
よくできている。

これがあれば、専用の端末は不要だろう。
普通のタブレットで見ることができる。

もちろん、本格的な読書というのはちょっとシンドイかもしれないが、短いものなら、充分本気になることができる。

7インチのタブレットで寺田寅彦を読んでみた。

読みやすい。
字の大きさも変えられるから、老眼には便利。

読みたい本はたくさんたまっているが、この青空文庫もいい。

ビューアーができて便利になった。

こういうのが発達すると、本当に電子書籍というのもあっという間に広がるかもしれないと思う。
出版業界は地殻変動が起こってしまうが、エコではあるし、スペースの問題もないので、いいことだろう。

紙の本はなくならないだろうが、だいぶ減る。
それが運命。

| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
死への旅
なぜ自分が生まれたのか、これには答えがない。

自分が生まれるべくして生まれたのか、それとも偶然か、これにも答えがない。
広大な宇宙の百億年以上の歴史の中で、ほんの一瞬だけ存在する命。
それが自分だ。

生まれてしまったら、いろんなことがあるが、一つ決まっているのは死ぬことだ。
生まれるから死ぬとも言える。
つまり、人生は死への旅である。

生きることは死ぬための準備とも言えるかもしれない。
どう生きるかは、どう死ぬかとも言える。

良い死を迎えるために、良い生を過ごさないといけない。

この頃そんなことを考える。
自分の人生でいうと、終盤戦が始まったというところだろう。
子どもも大きくなったし、まだすねはかじっているが、手は離れた。

だから、自分のやりたいことをやる。
もう出世など、どうでもいい。
自分の人生の価値は自分が決めるものだ。

自分にとって価値のあるものに使っていきたい。

ぼちぼちそういう時期になった。


| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
時をかける少女
初めて「時をかける少女」のアニメ版の映画を見た。
筒井康隆の原作とは違う。

原作を読んだのはもう何十年も前だが、なんかおかしいなあと思って見ていた。

タイムリープという、時間を飛び越える能力を身に付けた少女の物語。
Time waits for no one.
時間は誰も待ってくれない。
これを越えることができる。

最後に1回だけ残ったタイムリープを使って、過去に戻り、全てをリセットしてしまう。

未来から来た少年と知り合い、出会いと別れがある。

少年は「未来で待ってる」と言って去っていく。

何度も時間を行き来して、わけがわからないところあるが、いい青春ものになっている。

タイムリープするのは、結局タイムリープできなかった普通の自分に戻るためだった。

少女は普通の少女に戻る。

そんなストーリー。

いいアニメだった。

| | 映画・舞台 | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ZEBRA SARASA
最近、ゼブラのSARASAというボールペンを使うことが増えた。

誰かが使っていて、ペン立ての中にあったのを偶然使ったのが最初。
あれ、これ書きやすいなあ、と思った。

元々、ぼくはPILOTのHI-TECが好きで、愛用しているのだが、このSARASAも捨てがたい。
ペン先の太さが0.3、0.4、0.5、0.7、1.0とある。
HI-TECでは0.4を使っているが、どうもSARASAは0.5の方が書きやすい。

このSARASA0.5は本当にさらさらとした書き味で気持ちが良い。
それが0.4になると、ちょっと悪くなる。
細さよりも、書き味重視で0.5に軍配が上がる。

しかし、日本の文具はすごいと思う。
昔は油性インクのボールペンしかなかったが、今は水性インクもあるし、顔料インクもある。
多色ペンの種類も増えて、3色、4色は当たり前。
おまけに消せるインクも出て、これが便利だ。
今はPILOTのフリクションの一人舞台だが、これは熱で消えるタイプ。
三菱鉛筆から、市販の消しゴムで消えるというペンも出た。

こういう、かゆいところに手が届くという感じのものは、日本の得意とするところ。
しかし、油断しているとすぐに海外で作られる。
すでに日本のメーカーもアジアで作って、輸入しているのかもしれない。

SARASAの他色ペンもある。
一度見てみようと思う。

ぼちぼち、HI-TECの時代が変わっていくのかな…。




| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
リクルートのノリ
昨日は昼から出張して、自治体主催の会議に出た。

いつも思うが、補助金で運営しているだけあって、豪華だ。
講演があり、リクルート出身の人材関係の人が話をした。

話の内容は、まあまあ、それなりのものだったのだが、講演者はリクルート出身の人。
人材関係の業界はリクルートの出身者が多い。
しかし、どうもリクルート出身者の話はうさんくさい。

何でかな。
なんか話の内容に知性が感じられない。それなりに正しいのだが…。
何となく、ノリでやっている、という感じになる。
それがリクルートの仕事の仕方だったのだろう。

ああ、この人たち、モノは作れないだろうなあ、と思う。
人材とか、サービスという業界ならこれでもやっていけるのだろうが…。

軽い、という表現ではない。
とにかく、ノリなのだ。

リクルートの人たちは、それなりに頑張ったのだと思う。
長時間労働で、大変だったろう。

それらを、ノリでやっていたのではないか。

静かにじっと考える、というタイプの人は少ないと思う。
そういう人ではたぶんつとまらない。
頭の回転は速い。

とにかく、仕事はノリなのだ。

偏見かもしれないが、ぼくにはそう見える。

それが悪いとは言わないが…。


| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
すきま風
すきま風という曲がある。

大昔のオフコースの曲。
まだ小田と鈴木の2人でやっていた頃。
この曲は鈴木の曲。
この頃のオフコースが一番好きだった。
初めて二人のコーラスを聴いたときは、スゴイと思った。

 君に聞こえますか 風の通り過ぎる声が
 今君にあげた 優しさと同じものは
 もう二度と運ぶことはできないと
 いつもそんなふうにそよぐのです

 君は風の中を 追いかけて道を走ると
 きっと思い出すよ 過ぎたときの懐かしさを

 でも今はすきま風が二人に
 もう一度あの優しさを

 そよぐよ 優しさは風に そよぐよ
 優しさは風に そよぐよ

これだけの短い曲。
この歌は1974年に発表された。

短い曲だが、この曲はとてもいい。
ドラムのフィルインと、エレクトリックピアノの伴奏が、シンプルだがこの曲の雰囲気を作っている。

こういう歌は、もうなくなった。
70年代の歌だ。

この曲、もう一度小田と鈴木のコンビで聞きたいなあ。


| | 考えたこと | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
できることしか書かない
今日の自民党の政権公約。

民主党がマニフェストと言っていたので、自民党は安倍カラーを出して、政権公約という日本語にしたらしい。

その政権公約には、「できることしか書かない」という。
できることしか書かないのなら、そんなものを公約と言ってほしくない。

政権公約というものに対する考え方はいろいろあるだろう。
しかし、できることしか公約しない、というのは何となくやりきれない。
できないかもしれないことこそ、公約して実行してほしい。

100兆か200兆か知らないが、公共投資して、ばらまきをするという。
また、20円かけて1万円札をたくさん刷ればデフレは解消するともいう。
馬鹿ではないか。
そんなことをして、デフレが解消するのなら、苦労はしない。
デフレを脱却するためには、経済を成長させないといけないと思う。
新たな成長分野が生まれるような土壌を作ることしか政治にはできない。

そのためには、あらゆる既得権を見直し、規制を緩和するしかない。
それこそ、できないかもしれないことだ。

1000兆の借金があるのだ。
そこにまだばらまきをする金はあるのか。

もうちょっと真剣に考えてほしい。
| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカの51番目の州
今の日本の政治を見ていると、どうもならんなあ、と思う。

民主党は日本をむちゃくちゃにしてこれで終わりだろう。
自民党も安倍の言っていることを聞いていると、どうにもならないと思う。
今さら、200兆円の公共投資をするとは、いったいどういうことか。
馬鹿ではないか。
1000兆もの借金があるのに、まだお金を使うとは…、それも公共投資に。

今の状況を見ていると、ハワイのように、アメリカの州にしてもらった方がいいのではないか。
何年かかかって、併合されればいいと思う。
アメリカの51番目の州だ。

今の総理大臣は州知事になる。
アメリカは自治が強いから、州知事の権限はそこそこあるので、普通のことは日本州で決めればいい。
言葉の問題も、今やフロリダ州ではスペイン語の方がメジャーだという。
日本州では日本語を公用語にすればいい。

でも、大統領の言うことは聞かないといけない。
今の民主党が、アメリカの民主党になって、自民党が共和党になるのだ。
そうすれば、安保もクソもない。
ここはアメリカになるから、中国も一目置くだろう。
これから先、どうなるかはわからないが、中国は脅威だ。
このままの体制が維持できるとは思わないが、日本は早めにアメリカになった方がいい。

経済界の再編も進むし、教育制度も変わるだろう。

要は、今の日本は変化を恐れる人間が増えすぎた。
年寄りにすり寄る政治家ばかりだ。
若い人が報われない。

いっそ、変化するなら、国民投票して、アメリカになったらいいのだ。

受け入れてくれるかどうかはわからないが…。

そういう政策の政党が出たら面白いと思う。

今の50代は、まだゴールデンタイムにアメリカのドラマがあって、洋楽を聴き、海外に憧れた世代だから、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。

我ながら、いい考えだと思う。


| | 考えたこと | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホンダの逆襲
最近のホンダは軽自動車で忙しい。

昨年N-BOXを出して、N-BOX+、そしてN-ONEというラインナップを完成させた。
N-ONEにはターボ仕様も出して、N-ONE Premiumと名付けた。

軽自動車というカテゴリーは日本独特のもの。
今年の10月の新車販売台数を見ると、全部で36万台のうち、軽以外が22万5千台、軽が13万4千台となっている。
国内のトータルの新車のうち、3割以上が軽自動車。

だから、ホンダが軽自動車に力をいれるのはわかる。

しかし、そうこうするうちに、プリウスやアクアに負けてしまった。
実際、トヨタもプリウスやアクアが売れて儲かっているわけではないと思うが…。

ぼくはストリームに乗っているが、このデザインは気に入っている。
いまだに5ナンバーのミニバンでは、このデザインを超えるものは出ていないと思う。

しかし、ガソリン代が上がっていて、これは痛い。
燃費が20を超えると聞くと、買い換えを考えてしまう。

買い換えるとしたら、ディーゼルか、ハイブリッドだろう。
クリーンディーゼルは欧州では普通に売られている。
まだ日本ではマツダが出しているだけだが、増えてくるだろう。

ハイブリッドは来年フィットベースのものが出るらしい。
先日記者発表があった。
エンジンとモーターを、走行状況に応じてクラッチで切り離すというシステムらしい。
従来のハイブリッドより30%の燃費向上が見込まれるとのこと。

実際は1モーター、2モーター、3モーターの3種類のハイブリッドシステムがあり、大型車になると複数モーターになるというプレスリリース。

来年以降、順次搭載していくということらしい。

ようやくホンダの逆襲が始まるのか…。

楽しみだ。

| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
Donation
Wikipedeiaを愛用している。
毎日何かで何回かはこのサイトを訪れる。
今まで3回寄付をしたが、もう一度寄付の案内が来たので、4回目の寄付をした。

西洋人がエライなあ、と思うのはこういう時だ。
誰かのためにやっているのではない。

世界のためにやっているのだ。
自由を担保するためには、特定の企業からの広告や寄付はもらわない。
あくまで個人の自由意志の寄付でやっていこうということだ。

自由のコストはそんなに安くない。
守るためには、意思が必要だ。

そのために、寄付をする。

これは意義があることだと思う。

たかがWikipedia、されどWikipedia。

| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
パナソニックの危機
パナソニックは二期連続で7000億円ほどの赤字を出したとのこと。
大変な額だ。
7000億というのは置くとどれくらいの高さになるのだろうか。

100万円がだいたい1センチの厚らしい。
したがって、7000億というと、100万の700000倍だから、700000センチ=7000メートル=7キロメートルになるのか…。

100万円の束を積むと、7キロメートルになるのが、7000億円。

パナソニックほどの会社が、こんなに赤字を出すとは、昭和の時代には考えられない。

プラズマテレビで失敗したのか。

会社が生き残るためには、中身を変える必要があるだろう。

富士フイルムがサプリメントや化粧品をやっているのは、好きでやっているのではない。
フィルムなどもう誰も使わないからだ。
そのうち、フィルムという文字もなくなるだろう。
アメリカの同業のコダックは、変わりきれずに潰れた。
生き残るためには、変わらなければならない。

パナソニックは何を残して、何を捨て、何を始めるのだろうか。
松下幸之助が生きていたら、なんと言っただろうか。

白物家電、オーディオ、パソコン、デジカメ、美容、自転車、住宅機材、電池…。

今の日本は曲がり角に来ている。
戦後の経済成長が終わり、成熟した産業をどうするのか、考えなければいけない。

まだまだ試練は続く。

| | 考えたこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
認知バイアス
昨日の続き。

今往き帰りの車の中で日本史の勉強をしているが、ちょうどラストの昭和の第二次大戦のところをやっている。
先生が日本の軍部の間違いを指摘していた。

要は、ミッドウェイ海戦で日本の空母を含む機動部隊が全滅したのに、まだ大和や武蔵といった戦艦にこだわっていたということだ。
これを大艦巨砲主義という。

これが昨日カーネマンが言っていた「認知バイアス」というやつ。
過去の成功体験に引っ張られて、現在の問題に対する判断を間違えたということだ。

日本海軍は日露戦争でバルチック艦隊を破った成功体験がある。
それがこれからの戦争では、海を抑えてもダメだということ、空を抑えないといけない、ということの認知を難しくした。
空を制するものが国を制するということだ。
いくら海を抑えても、空を飛んで攻撃されればひとたまりもない。
だから、航空母艦が大事だし、大艦巨砲主義ではダメなのだ。
それが先生の説明だった。

今ではミッドウェイで負けて、日本は制空権を失い、それが敗戦への道をつけたという認識は間違いない。

しかし、このときは国のエライ人たちが揃いも揃って、まだまだ戦艦大和や武蔵があれば大丈夫だと思っていた。
少なくとも、思っていなかったとしても、それを口に出すことはできなかった。

一国の首脳陣が「認知のバイアス」に陥ったということだ。

それほど、認知のバイアスの罪は深い。

だからこそ、カーネマンをはじめとする行動経済学者がそれらを理論立て、新しい論を立てた。
そして、ノーベル賞をもらったということだ。

カーネマン万歳。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
システム1 システム2
人間の認知には、「システム1」、「システム2」の2種類があるという。
これはノーベル経済学賞を受賞した、ダニエル・カーネマンという行動経済学者たちが考案した。

Wikipediaによると、「システム1は直観的な思考を、システム2は合理的な思考を支えている。システム1は、我々が日々直面する無数の意思決定の場面で、迅速に判断を下すのに役立つ。しかし一方で、システム1はバイアス(偏見)を生み出し、時に合理的・論理的な思考を妨げてしまう。」とのこと。
「システム1」というのは、対象の事を聞いたときに、直感的に「イヤだ」とか「やめとこ」という心の働きだろう。
これがないと、日々の判断にも困り、物事を決めることができなくなる。

一方で、システム1は直感的であるが故に、気づかないうちに偏見や論理的な偏りを持っている可能性がある、ということだ。
それを「認知バイアス」という。
気づかないうちに、間違いを犯しているかもしれない、ということで、これを見抜くための12個の質問があるという。
「意思決定の行動経済学」という本でそれが紹介されている。

まずは意思決定者が自問すべき質問として、
(1)提案チームが「私利私欲にかられて意図的に誤りを犯したのではないか」と疑われる理由はないか?
(2)提案者たち自身が、その提案にほれ込んでいるか?
(3)提案チームのなかに反対意見があったか?
という3つがある。

要は、意志決定に関して、「私的なものが絡んでいるのか」「惚れ込んでいるあまり、楽観的な結論を出していないか」「全員賛成というのは、オカシイ」ということだ。
特に、(3)は日本では問題にされないことが多い。
全員一致を旨としている会議も多いくらいだ。
でも、それはおかしなことである、というところがアメリカらしい。

次に提案者に問うべき質問として、
(4)顕著な類似性が、状況の分析に大きく影響するおそれはないか?
(5)信頼できる代替案が検討されたか?
(6)一年後に、同じ意思決定を繰り返さなければならないとしたら、どのような情報が必要になるか?それをいま入手できるか?
(7)数字の出所を承知しているか?
(8)「ハロー効果」が見られないか?
の5つがある。

(4)は非常に多い事例。「よそではこうやっています」というやつ。組織によってはほとんどこういう理屈で物事が決まっていくところも多い。しかし、落とし穴がある。「よそ」と「うち」では事情が異なっているということだ。そこがどの程度考慮されているか、ということになる。
代替案の検討というのは、上の(3)と絡んでいる。
全会一致で決まりました、というのは怪しいということだ。

(8)のハロー効果とは、ある対象を評価をする時に、いいところに目がいって、悪いところが見えなくなるという現象らしい。ハローというのは挨拶ではなくハレーションとかのハロー。光り輝くというような意味。
全会一致で決まった場合は、ハロー効果があると疑った方がいいと思う。

そして、最後に提案を評価するための質問というのがある。
(9)提案者たちは過去の意思決定にこだわりすぎていないか?
(10)基本となるケースは楽観的すぎないか?
(11)最悪のケースは、本当に最悪なのだろうか?
(12)提案チームは慎重すぎないか?

(9)の意味は、過去の失敗を取り返さないといけない、というような場合を言っているらしい。
あまり過去にこだわりすぎると、大きなリスクを冒してしまう、ということだ。
そして最後の3つの質問は、どれくらいの可能性を追求して答えを出したかという事を聞くのが目的。
いろいろなケースがあって、最悪の場合はこうなる、とか、普通にいったらこれくらいにはなる、とかいうケースを検討したのか、ということ。
慎重すぎるのも、大胆すぎるのと同じくらいヨクナイということらしい。

行動経済学というのは、面白い。
認知のバイアス、などというものをカウントして、人間はどういう間違いを犯しやすい存在か、という事を研究している。
ノーベル賞の受賞者がこの分野に多いのも納得できる。
人間は合理的な行動を取る、という前提でできていた経済学というものが、どうして現実と合わないのか、ということを突き詰めると、こういう結果になるということだろう。

この分野、日本は不得意だ。

どうしてだろうか…。




| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
多すぎる仕事への対処法
CNNニュースのサイトに載っていた記事。

「研究によると、週60時間労働では生産性は25%低下する。疲労が、判断力やパフォーマンスを着実に悪化させるためだ」とのこと。

前いた会社では、ぼく含めて、週60時間労働の人はいくらでもいたが、いくら生産性が悪くなっても、週40時間労働よりはこなせる仕事量が多かったから、やっていた。
今はコンプライアンス遵守ということで、少なくなっただろうが…。

対処法としては4つが挙げられている。

一つ目は「断る」。
まず、「ノー」と言おう、ということ。
しかし、納期があって、商売がかかっていたら、なかなか断れないだろう。

次に「交渉する」。
要は納期を延ばしてもらうとか、他の人にやってもらうとか、そういう方法だ。
これも、仕事が担当に分かれていたら、難しそうだ。

そして、「優先順位をつける」。
他に伸ばせる仕事があるか、ということ。
これもどの仕事もぎりぎりで平行で動いているなら、難しい。

最後は「集中する」。
より少ない時間で仕事をやってしまえば、余暇が増える。

どれも、あの頃の状況を考えると、できないだろうなあ。

これは、アメリカが終身雇用ではないからだろう。
個人はいつでもクビにできる。
その代わり、会社はルールを守らないといけない。
単身赴任などあり得ない。
家族の価値はすごく高い。

社会が違うのだろう。

こんなので対処できるなら、簡単だ。

| | 考えたこと | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
シリアル・キラーとコピー・キャット
海外の刑事ドラマを見ていて、よく出てくるのがシリアル・キラー。

シリアルと言っても、朝ご飯のシリアルではない。
serial killerというのは、連続殺人犯のことだ。
serialというのは、一連のという意味。

ちなみに、朝食の方は、cerealで穀物という意味だ。

シリアル・キラーは連続殺人犯とも言われ、殺す手口が一定しており、ターゲットもだいたいにている。
要は動機などなく、殺したいから殺す、という類いの犯人。
だから、捕まりにくい。
何ヶ月か、あるいは何年かごとに犯行をしていたりして、見つけるのも難しかったりする。
シャーロック・ホームズに出てくる、ベイカー・ストリートの切り裂きジャックなどはそれに当たる。

シリアル・キラーとつきものなのが、コピー・キャット。
copycatとは、本家本元の殺人方法をまねて犯行を行う、模倣犯のこと。

ドラマでは大概シリアル・キラーが出てくると、コピー・キャットも出てくる。
区別が難しいが、些細な手がかりから、これは本人ではない、コピー・キャットだ、ということも多い。

最近の日本の警察ドラマで、シリアル・キラーが出てくることは珍しい。
したがって、コピー・キャットも出てこない。
なぜか。

一つは火曜サスペンス劇場のように、殺人に至る人間関係を描いていると、シリアル・キラーなどが出てこれない。
日本ではやっぱり、動機が最重要なのだろう。
それを描いていると、シリアル・キラーは無理。

続き物の刑事ドラマでも、日本でシリアル・キラーの分析方法や対処方法が決まっていないということもあるのだろう。
だいたい、よけいな模写が多く、純粋に殺人を扱うことができない。

だから、コピー・キャットが出る幕がない。

洋の東西でだいぶ刑事ドラマの作り方が違う。

どちらがよいとは言えないが…。

| | 英語 | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
奨学金問題
奨学金という制度、ぼくらが学生の頃は厳しいものだった。

一部は返さなくてもいいとか、条件を満たせば全額返さなくてもいいとか、そういうものだったと思う。
これが普通の奨学金というものだったし、それしかなかった。

しかし、今はそうではない。
学資ローンになっている。
それを運営しているのが、学生支援機構。

第一種の奨学金というのが従来に近い奨学金。
第二種というのが、学資ローンである。

もちろん、借りたら、返さないといけない。
月に5万借りたら年間60万。
4年で240万円。
これを15年かけて返していく。
利率によって変わるが、月額1万5千円くらい。
現状では就職難でもあり、そのせいか取り立ても厳しくなって、3ヶ月以上滞納すると債権回収会社に回される。
それで返せないと、いわゆるブラックリストに載ってしまう。
ローンも組めないし、カードも作れなくなる。

もちろん、借りた方に責任がある。
それは明らかだ。
借りたら返さないといけない。

しかし、貸す方にも問題はないのか。
おそらく返すのは大変だという人にも貸す。

学校も、学生に来てもらいたいから手続きする。

学校に来ることで、それだけの付加価値が付けられればいいが、とても無理だと分かっていても借りさせてしまう。

よってたかって、若い人の将来を食い物にしている。

老人たちが、自分たちの儲けを守ろうとしているのだ。

こういう風にして、世代間格差が大きくなっていく。




| | 考えたこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロムニー候補
オバマ大統領に惜敗した共和党のロムニー候補。

人種別の得票率では、ロムニー候補の得票の88%が白人票だったらしい。

日本版ニューズウィークによると、「ロムニー敗北の最大の原因は、アメリカの現実である黒人やラテン系、アジア系を軽視した政治姿勢にある」ということだ。

一方オバマ候補は「白人が56%、黒人が24%、ラテン系が14%、アジア系は4%。その他の人種は2%だった」とのこと。
結局圧倒的な黒人、ヒスパニックの得票でオバマは勝った、ということだろう。

アメリカという国は、人種のるつぼと言われているが、民族には関係のない国。
アメリカにたいして忠誠を誓えば、国民になれる。
歴史的に、アフリカから連れてこられた黒人が市民権を得て今やたくさんいる。
また、フロリダのあたりは、ヒスパニックの人たち(ラテン系)がたくさんいて、学校でスペイン語を教えるべきか、という議論もあった。
ロスアンジェルスに行ったときも、4ドルのことを「フォルダラ」という人がいて、わけが分からなかったということもある。ただ、今から30年ほど前になるが…。

しかし、アメリカの保守層はWASPという図式が崩れてきたのは事実。
長らく、White, Anglo-Saxon, Protesutantという白人で、アングロサクソン民族で、プロテスタント教徒、というのが大統領だったが、4年前のオバマ以来、崩れてきた。

今回それが加速化したということだろう。

共和党も次期大統領に向けて、戦略の立て直しが必要だ。
フォックスのキャスターは共和党びいきだが、悔しまぎれにこう言っている。

「アメリカはもはや伝統的なアメリカではない。50%のアメリカの有権者は、とにかく物をほしがっている。物がほしいのだ。彼らに物を与えるのは誰か? オバマだ。オバマはそれ分かっていて、乗じたのだ。
 20年前なら、オバマはロムニーのような立派な候補者によって完全に打ち負かされていただろう。白人の権力者層は今や少数派になってしまった。そして有権者の多くが今の経済システムは自分たちにとって不公平で、とにかく物をほしいと感じている。」

どこまでが真実かはわからない。

しかし、全くウソでもないだろう。

どの国も、景気が悪くなったら、内向きになってくる。

仕方のないことだろうが…。
| | 考えたこと | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
田中大臣は正しい
田中真紀子文部科学大臣の、新設大学認可騒ぎ。

紆余曲折を経て、認可に落ち着いたが、大臣が投じた問題意識は全くもって正しいと思う。

一部の大学を除いて、「人材の育成」ということに熱心な大学がどれだけあるのか、ということになると甚だ心許ない。
大学の目的が、その組織そのものの存続にあるのではないか、と思わざるを得ない出来事が多すぎる。
入試制度などはその最たるものだ。
どんどん入試が早くなり、今や半分の高校生が秋には入学を決めるという状況。

「推薦入試」「AO入試」というものがある。
これらの意義は正しいとは思うが、実質的には早期に入学者を確保するための手段にしかなっていない。
なぜそんなことが起こるのか。
一般入試を増やすと、大学の過当競争の今、入学者数が読めないからだろう。
それが、大学経営を不安定にする。

大学経営を安定させるために入試制度を決めているのか。
残念ながら、現状は「Yes」としか言いようがない。

高校では、そんな大学への進学率で親や世間の評価が決まる。
そうなると、入試に有利か不利かで科目の指導が始まる。
それが履修漏れの原因。

世界史は入試で不利だから、教えるのはやめよう、ということだ。
世界はグローバル化していくのに、世界の歴史は習わない。
別に、学校で教えることなどしれているが…。

国は補助金を出すのなら、大学にもっと口を出すべきだ。
入試は高校3年生の1月以前にやってはいけないとか、科目数は5科目にしなければならないとか、入試の日を統一していくつも併願するのをやめさすとか…。

そうでないなら、補助はやめるべきだろう。
大学経営を安定させるために、補助をしているのではないからだ。
そもそも、補助がないと不安定になるような法人は淘汰すべきなのだ。

一人も大学生がいなくても、何年も持つという学校法人もあるらしい。
そんなところに補助が必要なのか。

もっと淘汰をしないといけない。
それに一石を投じた田中大臣はエライと思う。

このままでは、文部官僚の天下り先を作るために補助ををしていると言われても仕方がないぞ。




| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
雇用の流動化
大学生と雇用の流動化の話をした。

学生は、雇用の流動化が起こるのもわかるし、それと同時に終身雇用制度もなくなっていくのもわかる、という意見。
でも、それによって、雇用不安が起こるのは好ましくない、ということを言う人が多い。

それは、確かに好ましくないのだが、雇用の流動化が起こって、もう潰れないといけない産業から、これから興ってくるであろう産業にスムースに労働力が動いていかないと、よけいに雇用不安が起こる、というのも事実。

戦前の石炭産業や、生糸などの繊維産業などが潰れていき、そこから労働力が重工業などに動いていったというのが昭和の歴史。そういうことをまた起こさないと(移っていく新産業を作ることが大事だが)、日本は落ち込む一方ということになる。

今、日本の家電業界で起こっていることは、その兆候だろう。
白物家電は高付加価値品しか日本で作れないし、スマートフォンやタブレットも海外勢のシェアが圧倒的だ。
その家電業界で働いている人たちを、スムースに移行する産業を育てないといけない。
そうしないと、よけいに雇用不安が起こる。

大きな目で見ると、社会にとって、雇用の流動化自体は悪いことではないとも言える。

ただ、それが個人にとってはよくない、という気持ちはわかるが…。

若者が3年で辞める、ということも言われているが、これは会社側にも本人にも問題があるだろう。
俗に言うミスマッチというやつ。

しかし、少なくとも会社は若者が入った当初は、早く会社の役に立てるように教育しているはずだ。
それがオン・ザ・ジョブであれ、オフ・ザ・ジョブであれ、トレーニングしない会社はない。
せっかく雇った人だから、有効に活用しないと人事は上から怒られる。
トレーニング中にミスマッチを起こしてしまうというのが、今多く起こっている問題だろう。

その問題を解決するのは難しい。

なぜなら、雇用の流動化が起こると同時に、仕事の持つ意味が変わってきたからだ。
昭和50年代は、仕事はしないといけないものだった。
選り好みなどしていられない。
働かない、という選択肢はなかった。
景気も良かったし、社会がそういう風にできていたのだろう。

しかし、今は働かないという選択肢もある。
雇用の流動化によって、働き方も選べる。
派遣、パート、アルバイト、契約社員、エリア社員、そしてニート…。
だから、会社に入るときには、「なぜこの仕事をしたいのか?」ということが問われる。
いわゆる志望動機というやつだ。

今の若い人たちは、なぜ、なぜ、なぜ、と問われて入社する。
そのために、やったこともない仕事について考えさされて、答えを用意しないといけない。
もともと、学生にはその仕事がやりたいかどうかなどわからない。
それを人事も知っているのだが、それでも志望動機を聞く。
お互いに不毛なことをやっている。

だから、入ってミスマッチが起きるのだろう。

自分はこんな仕事を望んでいない、というような気になる。

もともと、どんな仕事かわからなかったはずなのに、それを問われて、考えてしまった。

起こるべくして、ミスマッチが起こる。

そんなことが起こっているような気がする。


| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
鬼籍
人が亡くなると「鬼籍に入る」、というような言い方をする。
これは、どういう意味かというと、閻魔大王の持っている閻魔帳に載ること、という意味らしい。

ぼくは大学時代落語研究会に入っていたが、ぼくが創部10年目の部員だった。
昭和51年のことだ。
だから、先輩はぼくより10年以上は上になる。
今年ぼくは55歳だから、OB会の上の方になると、65歳以上という勘定になる。

最近、鬼籍に入った人がいる。
創立当時のOBだ。

創部当時のOBの皆さんはエライと思う。
何もないところから、落研を作った。
最初は教室でやっていたが、そのうち、部室を確保して、機材をそろえて、部になった。
いろいろとご苦労されたと思う。

そんな人たちがぼちぼち鬼籍に入る。

関西の学校だったが、東から来ている人もいて、上方、江戸の両方の人がいた。
名人、と呼ばれる人もいて、その名前は代々襲名されている。

ぼくは最近はOB会には出ていないが、聞くところによると何度か部員が減って、存続の危機があったらしい。
幸い、それでも部は続いている。
いつまで落語研究会が存続できるだろうか。
見通しは暗いような気がする。

上方落語には「地獄八景亡者の戯れ」という演題がある。

鯖の毒に当たって死んだ男が、近くで死んだ隠居と会って、いろいろな人を見ながら冥土を旅する。
最後は三途の川を渡って、閻魔の庁について…、という話。

この噺を聞くと、死ぬのも楽しいなあ、と思う。

まさに、鬼籍に入る、という表現はこの噺のストーリー。

ぼくは創部当時のOBは名前しか知らないが、だんだんと自分の順番が近づいてきたのだと思う。

いつかぼくも鬼籍に入る。
それがいつかはわからない。



| | 考えたこと | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
オバマ再選
今日はアメリカの大統領選挙。

中盤までは、共和党のロムニー候補がそこそこいい調子だと言っていた。
でも、終盤に来て、オバマが盛り返したところにハリケーンが来た。
オバマ大統領は選挙運動などやっている場合ではない、と被災地に行って陣頭指揮をしたらしい。
その結果、オバマが逆転して、そのまま投票になって今日を迎えた。

共和党にとっては、ハリケーンはそれこそ災難だったろう。

しかし、民主党にとっては、カミカゼが吹いたようなもの。
あのカミカゼが凶と出るか、吉と出るか、これは誰にもわからない。
歴史にIFはない。

今回の大統領選では、Japanという言葉がほとんど出なかったらしい。
貿易摩擦の頃とはえらい違いだ。
アメリカ人にとって、Japanはどんどん小さな存在になっているのだろう。

ソニーもパナソニックも青息吐息。

昔は経済は一流、政治は三流と言われていたが、今は政治の三流だけが残っている。

在日米軍の問題も片付かないし、日本の安全保障はどうするつもりなのだろうか。

日本人は、侵略されたときは侵略されたとき、と割り切っているのだろうか。
みんながそう思っているのなら、それでもいいとは思う。

でも、いつも日本にもカミカゼが吹くとは限らない。

今後4年間、どうなるのだろうか。

楽しみだ。


| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
Square one
Square oneというのは、どういう意味か?

英辞郎で調べると、「出発点、始点、始まり」と書いてあった。
スクエアとは四角のことだろう。
四角1のことだ。

これは、スゴロクから出た言葉らしい。
Square oneというセリフの字幕に、「ふりだし」という言葉が出た。
海外にもスゴロクがあるのだろう。
サイコロをふって、ゲームをする。

きっと、ふりだしに戻る、というのもあって、Back to square 1とか書いてある。

日本人の感覚なら、「スタート」と書いてありそうな気がする。
でも、Startとは言わない。

これが言葉の面白いところ。

簡単な言葉がかえってややこしい。



| | 英語 | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
一部上場
昨日の話の続き。

「一部上場」という言葉を知っているか、知らないかという問題はたしかにある。
だが、知らなければ、覚えたらいいだけだ。
そんなに大したことではない。

そういえば、自分を振り返っても、「一部上場」という言葉の意味について、正しい理解をいつしたか、ということになると甚だ心もとない。
今の大学生を笑っていられないような気がする。

しかし、これはそういうことを物語っているのではないと思う。
今の学生の常識が、社会の常識と大きくずれている、ということの例だろう。

ぼくらの時代は、まだ東西冷戦の時代で、世の中の理解が楽だった。
資本主義、社会主義という分け方があった。
それと同時に、保守、革新という分け方もあった。
また、先進国と発展途上国という分け方もあった。
世の中を大きく二つに分ける「分け方」があった時代だ。
だから、1970年代〜80年代はまだ「学生の常識」と「社会人の常識」はそんなに大きく違わなかった。
共通言語があったのだ。

しかし、ベルリンの壁が崩壊して以来、「東西」という分け方ができなくなった。
世の中から社会主義がなくなってしまった(厳密にはまだ残っているが)。
だから、みんな一色になって、どう理解していいのかわからなくなった。
社会学では、世の中はどんどん個人化していっているらしい。
それを「ポストモダン(近代の次)」という。

そうこうする間に、パーソナルコンピューターが出てきて、インターネットができ、ネットワーク・通信が発達した。
これは人類が経験したことがないほどの、地殻変動と言っていいと思う。

この技術の発達のおかげで、世の中の中間的な仕事がなくなった。
まじめにコツコツ、という仕事がなくなったのだ。

給与計算、旅費伝票や残業の計算はコンピューターがやるのは当然。
レジ打ちは学生アルバイトでもできるようになった。
コンビニにいつ、どんな商品を置くかは、過去のデーターでわかるようになり、本部で考えることができる。
今やカードで買えば、誰が買ったかまでわかる。
TSUTAYAはブロードバンドの発達で、レンタル事業はあまり調子がよくないが、Tカード事業は好調だ。
あらゆる所でTカードを出してポイントを貯めることができる。
その代わり、Tカードで得られた購買データーを売っている。

生活も大きく変わった。
電話をかける、という行為も昔のように、友達の家に電話して、家の人が出たら「○○さんのお宅でしょうか。同級生の○○ですが、××君いますか?」というような敬語を練習する場ではなくなった。
携帯にかければ、いきなり本人が出るからだ。
だから、敬語を使えない若者が増えた。

携帯メールが発達し、誰が誰に出したかはわかるので、いきなり用件から書く。
電話でも、いきなり用件を言う。
今や封筒の宛名書きなど、レトロな仕事になった。
若い人でまともに書ける人は少ない。
しかし、社会人の常識として、大人は「封筒の宛名書き」はできて当たり前だと思っている。

今の若い人は気の毒だと思う。
世の中の進歩(といっていいかどうかわからないが)が早すぎる。
ジェネレーション・ギャップというのは、10年だったが、今や大学4年が1年を見てジェネレーション・ギャップを感じるという。
そんな時代に、年齢が20も離れた大人の常識に合わせないといけない。
もう共通言語がないのだろう。

そのギャップを埋めていくのが、就活というヤツだ。
これは、一筋縄ではいかない。


| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
東京に行く
最近の大学生の話題。

「東京に行く」の過去形は何か。
「東京に行った」が通常の答え。

最近は「江戸に行く」という答えもあるらしい。

なかなか面白い答えだ。
これは答えた方もまじめに答えている。

過去形の意味が分からなかったらしい。
「行く」の過去形が「行った」というのは中学の知識。

別に過去形の意味を知らなくても、生きていける。
しかし、「過去形」の意味を知らない人は、他に何を知らないかわからない。

ぼくが入社7年目くらいの時、課長にかかってきた電話を取り次ごうとしたら、当時の課長に「今おらん言うとけ」と言われ、「今おらん、言うてます」と答えた新人がいた。

こういうのはまだ笑えるのだが…。

しかし、個人情報がわかるから、名刺を作るのはイヤだと言った新人がいるとか、本当なのかと疑うような話もある。

説明会に出たら質問をするように、と言われた学生が、一部上場企業の説明会に行って質問をしたらしい。
「御社は一部上場ということですが、なぜ全部上場しないんですか?」

知らなければ、そう思うのだろう。

世の中、どうなっていくのだろうか。


| | 考えたこと | 19:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
軋轢
軋轢は「あつれき」と読む。

あまり使わない漢字。
読めるけど、書けないという類いのもの。

意味はWeblioによると「〔車輪のきしる意から〕仲が悪くなること。不和。葛藤。」と書いてある。

要は、人間関係が不和になることだ。

アメリカのドラマを見ていると、よく警察内部の犯罪が出てくる。
内部調査というような部署もおなじみだ。
警察内部の腐敗というのも、テーマになる。
警察の内部にまでマフィアが入り込んでいる、というような話も多い。

日本ではそういうのは少ない。
内部調査というのもあまりない。
警察のメンバーはみんな正義、という暗黙の了解があるからか。
それ以上に、日本ではいったん不和になったら、戻らないという意識があるのだと思う。

アメリカでは、組織の不和は解消できると思っているのだろう。
もともと、個人単位で仕事をしていて、組織といっても日本ほどタイトなものではない。

だから、少々の軋轢は解消できる。
警察で内部調査が入り、仲間同士なのに疑われたり、疑ったりしても、真実が判明すれば元の関係に戻る。(必ずしも現実はそうでないかもしれないが…)

日本では、こういうことがあると骨肉の争いになる。
あの時、あいつらは俺らを疑った、と根に持つ。
複数になるのが特徴だ。

そうやって、なかなか恨みが消えない。

このあたりも、西洋と東洋の違いだろうなあ。

こういう違いはなかなか理解し合えないだろう。

文化の違いだ。


| | 考えたこと | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
書くこと
頭の中で考えていることというのは、たくさんある。
無意識的なものも入れると、すごい量だろう。
脳学者に言わせると、生まれてからの記憶はみんな脳内にあるのだが、それを思い出さないようにしているだけ、という説もある。

あることについて、考えていることを書くとする。
そのとき、いったい考えていることのどれくらいを、書き表すことができるのだろうか。

映画監督の川島雄三という人が、普通の人が100のことを頭で考えているときに、書いて表せるのは1だという。
天才はそれを2や3にできる人らしい。

そう考えると、書くことについてのハードルが下がったような気がする。
凡才が1のところが、天才でもたかだか2か3なのだ。

書かないと、考えをまとめることはできない。
要は、考えている100とは何なのか、ということだ。
自分でもわかっていない頭の中の考えを引っ張り出して、つなげるために書く。
思わぬことを考えていることがわかったり、全く別のことだと思っていたことがひっついたり、書いているときには化学変化が起こる。

それが大事なのだと思う。
そういう時に、1が1.2や1.3になるのだろう。

そもそも頭の中で考えていることは何なのか、そして、それをどうやって増やしていくか、それが書くことの意義だと思う。

考えることは人間にしかできない。
コンピューターには化学変化を起こすことはできないと思う。

これから就職できる人は、考える人でなければコンピューターに置き換えられてしまう。

だからこそ、書かないといけないのだろう。


| | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
藤本義一
藤本義一、というと読売テレビで、イレブンPMの司会をしていた作家。
平成生まれの人は知らないだろう。
ダンディーな人だった。
いつもブレザーを着て、アスコット・タイをつけていたような印象。

作品は残念ながら、読んだことがない。
ラジオ、テレビ、映画、舞台などの脚本を数多く手がけたと思う。

話術も巧みで、まるで落語家の枕を聞いているかのような話もできる。
笑いについても一家言あり、明石家さんまや島田紳助、松本人志といった芸人は酷評された。
今の日本の笑いを考えると、この藤本義一の評価は正しかったと思う。
笑の会という、漫才師や漫才作家の会の代表を務めていたこともあった。

たしかに、今の日本では、明石家さんまや、今はもういない島田紳助は人気がある。
藤本義一が酷評した芸人は売れる、というジンクスまでできたらしい。

しかし、藤本義一が言いたかったのは、文化としての笑いの質、だと思う。
そんな笑いで、笑っていていいのか、ということだ。
さんまや紳助の笑いは、彼らを知っている人には面白いが、知らない人が聞いても全く面白くない、という笑いだ、ということを藤本義一は見抜いていたのではないか。
きっとそうだと思う。

その背景を知っている人だけが面白い、という笑いを「楽屋落ち」という。
今や日本中「楽屋落ち」だらけだ。
日本中が楽屋になってしまったのが、今の状態だろう。
それを日本人が選択するのなら、仕方がない。
ぼくには止める力もないし、義理もない。
きっと草葉の陰で藤本義一もそう思っているに違いない。

ぼくにとっては、作家というより「タレント兼笑の会の代表」という存在。

関西がメインで活動していたが、ぼくらの世代以上なら確実に知っている人だ。

その藤本義一が亡くなった。
10月30日。
79歳。

田辺聖子や桂米朝らが死を悼んでいる。

白髪のダンディー。

合掌。


| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |