考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< December 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
日本の資産
日本の金融資産は60歳以上が6割を持っている、ということだが、それを確認してみた。

ぼくのXのタイムラインで表示されたのはこういう情報。

「NHKで日本の世帯主の年齢別の資産残高という資料を見た。
それによると、金融資産は60代が最大で1896万円。
70代は1734万円、80代以上は1619万円ということで、上位3位になる。
金融以外の不動産なども含んだ総資産残高は、80代以上が最大で4386万円でトップ。
続いて、70代の4090万円、60代の4015万円でこちらも上位3位。
持ち家比率も60代以上が高く、ほぼ80%となっている。」

今検索しても、出てこない。
そこで、Googleで検索し、Search LabsというAIの要約を見ると、

「日本の世帯主の年齢別の資産残高は、次のとおりです。
世帯主の年齢が65歳以上の世帯では、4,000万円以上の貯蓄を有する世帯が17.7%と、全世帯(12.8%)と比べて高い水準となっています。
年代別の平均貯蓄金額は、40〜49歳で652万7千円、50〜59歳で1,051万2千円、60〜69歳で1,339万4千円、70歳以上で1,263万5千円です。
2024年6月末時点の家計金融資産(2,212兆円)のうち、6割にあたる約1,400兆円を60歳以上が占めています。」

この、最後の6割を60歳以上というところのリンクを見ると、日本総研の資料だった。
そこを見ると、こういう資料

たしかに、「(1)家計金融資産における高齢者の保有が増加。試算によると、2024年6月末時点の家計金融資産(2,212兆円)のうち、6割にあたる約1,400兆円を60歳以上が占める状況(図表1)。」と書いてある。

グラフが出ているが、そこには「(資料)日本銀行「資金循環統計」、総務省「国勢調査」、「全国家計構造調査」などを基に日本総研作成」とある。

金融資産は把握しにくく、だから課税対象になっていないのだが、でも数字はほぼ確からしいと思う。

日本の高齢者は、死ぬときに最もお金が貯まるということも聞いたことがある。
それらのお金が市場に出回らない、ということが課題なのだろう。

よく、住民税非課税世帯に給付という言葉を聞く。
住民税非課税世帯とは、所得が少ない世帯のことだが、持ち家とか資産は関係ない。
そして、ほとんどが年金生活者ということだ。

結局、住民税非課税世帯に給付というのは、資産があろうが無かろうが、老人に給付をする、ということだ。
こんなことをやっていて、大丈夫なのだろうか。

年寄りの政治家は年寄りのことしか考えていないのではないか…。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
今も昔も
こないだのギター教室で中学生が40分のレッスン終わりに、「今度の期末テストの順位がよかったら、新しいギターを買ってあげる」と言われたとのこと。

ぼくも、同じようなことを言われた。
きっと彼女の親の世代も同じようなことを言われていたのだろう。

そういうことがあって、最近は苦手な数学をやる気になっているらしい。
深夜に勉強をして頑張っているとのこと。

そういう時期がぼくにもあった。
中学生や高校生の頃に、親とそういう会話をした人は多いと思う。

前にも書いたが、最初の自分の楽器はバンジョーだった。
フォギー・マウンテン・ブレイクダウンというカントリーの曲が弾きたかった。
バンジョーは2年ほどで諦め、ギターに変わったが、まだクローゼットの奥に置いてある。

今も昔も、変わらないこともある。

そういうことに気がついて、ちょっと嬉しくなった。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
月の石
月の石といえば、ぼくらの年代なら「万博」と答えるだろう。
それくらい評判になった。

70年の万博の目玉だった。
ぼくは並んでまで見る気はなかったが、みんな並んでいた。
アポロで月に行って、持って帰ってきた石をアメリカ館で展示していた。
7時間、8時間の行列ができていたはず。

だから、月の石といえば「万博」だった。

こないだ、ハンドリフレに行って手のマッサージをしてもらっているときに、施術してくれている40歳過ぎの女性に「月の石」って知ってますか?と聞いたら、無反応だった。
「なんのことですか?」と聞くので、1970年の万博のときに、アメリカ館で展示していた石のことだと言うと、「それがどうしたんですか?」という返事。
それはそうだろう。
生まれる前のことだ。

ぼくらの年代は「月の石」というと反射的に万博を思い出すが、今の40代以下は全く違う。
当たり前といえば、当たり前だが…。

当時は7時間も8時間も並んで、月の石を見たいという人がいた、というと「信じられない」という反応。
あの狂騒は、経験したものでないとわからないのだ。

アポロが月に行って、その中継を見た年代だ。
地球上では重い宇宙服を着て、1/6の月の重力で飛び跳ねていた。
この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩とかなんとか、アームストロング船長が言ったはず。
そのときに拾った石が間近で見られる、という興奮状態だったのだろう。

2000年くらいに、カウスボタンが漫才で、その話をして「あの頃はアホが多かった」と言ってみんなが笑っていた。
今になって思えば、そういう感じだ。
笑っている人は、月の石騒動を知っている人だろう。

ぼくらは刷り込まれたから、死ぬまで「月の石」というと「万博」と反射的に思う。

なんせ、「人類の進歩と調和」やったからなあ。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 10:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
参政党のエネルギー政策
脱炭素と電気代について参政党の北野裕子議員が国会で質問をしていた。
Youtubeにその10分ほどのやりとりが出ている。
ぼくは参政党の成り立ちは詳しくないが、このやり取りをみて、エネルギー政策には大賛成だ。

北野議員が言っていることは、正論だと思う。
欧州に引っ張られて、脱炭素と言っているが、日本で脱炭素をするよりも、もっとCO2排出量の多い国の排出量削減の技術を供与することが、最も効果があると思う。
途上国ではまだまだ石炭火力が主力であり、その発電所を日本のクリーンコール技術でCO2の少ないものにするのが、最も効果があるはず。

日本の政府は、自国の国民のことを考えていない。
トランプ次期大統領は、バイデン政権がやっていた脱炭素への取り組みを大幅に揺り戻すと言っている。
温暖化は起こっているが、その要因が温暖化ガスだけであり、その他の要因を一切排除している現状の仮説が間違っていると考えているからだ。
もちろん、化石燃料は限りがあるし、大事に使わなければならないが、それがあるのに全部廃止するというのは間違っている、というのがアメリカ共和党の考えだろう。

だいいち、温暖化は寒冷化を食い止め、気候による死者を減らし、農業生産を活性化させる。
そういうメリットも考えないといけない。

エネ庁の言っている、アンモニアや水素は作るときにCO2が出たり、エネルギーの無駄遣いをしている。CCSなどというのは、地中にCO2を閉じ込めるということで、そんなことをやっても地殻変動が起きればどうするのかと思う。

ホッキョクグマは増えているし、サンゴ礁も減ってはいない。
生物は気候に対応するのだろう。
だいいち、CO2を目の敵にするのなら、動物はみんな悪だ。
地球を守るためには、人類はいなくならないといけない。

ぼくは、化石燃料の早急な廃止には反対だ。
それらを大事に使い、効率よく燃やす技術は開発すべきだろう。
そこにお金を書けるのは無駄とは言わない。
しかし、CO2を出さない安定したエネルギー源は、原発や核融合しかないと思う。
再エネは蓄電の技術が整わないと、主力電源にはなり得ない。
送電コストや、電気が足りないときのバックアップなどを考えれば、再エネはそんなに増やせない。

それは原発を廃止し、再エネをたくさん使っているドイツを見ればわかる。
フランスの原発で作った電気を買って、需要をしのいでいる。
安定した電源が減り、電気代はどんどん上がっている。
再エネは電気を作るのは安いが、それを電力システムの中で送電したり、バックアップしたりする費用が高い。
だから、再エネを増やすと、電気代が上がる。
メガソーラーなど、日本の国土を潰し、人権問題のあるウィグルなどで作った中国製の太陽光パネルを敷き詰め、国民の負担を増やし、廃棄のことは考えてないという、バカげた施設だと思う。

それが今の日本の状況だ。

衰退途上国と言われる日本で、産業の基礎である電気代を上げてどうするのだ。
衰退を加速させているとしか言えない。

参政党の考えは正しいと思うし、北野裕子議員の指摘は重要であり、もっとマスコミが報道すべきものだと思う。
しかし、不適切報道のマスコミは、そういうことは一切報道しない。
どこか、間違っているのではないか。

以下、文字起こしの答弁を掲載する。
エネ庁や環境大臣の答弁がいかにいい加減か、よくわかる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
北野裕子議員の国会質問

私は1985年、昭和60年生まれです。
子供の頃から今日に至るまでいわゆる失われた30年の中で成長をし、結婚をして子育てを経験しました。経済的に豊かだった時期を実感したことのない世代としても、ここで質問をさせていただきます。
現在日本は物価の高騰に関わらず、給料は増えず消費税と社会保険料が上がり続けております。
国民の生活はとても厳しい状況にあります。
社会保険料と税金負担割合、いわゆる国民負担率は、現在45.1%に達しております。

さらに家計の負担となっているのが光熱費です。
特に電気代の値上がりは顕著で、2010年東日本大震災の前と比較しますと、2020年の家庭向け電気代は約6割、産業向けは約9割も高騰をしています。
企業向けの電気代が上がれば、市場での価格も上がり、それがさらに家計を圧迫しております。

ここまで電気代が高くなった要因は、再エネ賦課金、燃料費の高騰、そして為替の影響などがあったと認識していますが、東日本大震災前の2010年以降、電気代上昇の主な理由について詳しく説明をお願いいたします。

資源エネルギー庁電力ガス事業部長の答弁。

電気料金は様々な要因を総合的に勘案し、電気事業者が設定するものでございます。
従って過去の料金からの変動要因を特定することは困難でございます。
その上で一般論として申し上げますと、東日本大震災以前と比較いたしまして、例えばロシアによるウクライナ侵略等による世界的な燃料価格の高騰や、為替の影響によりまして、LNGや石炭等の輸入価格が高騰しており、これらが電気料金の上昇要因として寄与しているという風に承知しております。

またあの再エネ賦課金につきましては。2012年度、平成24年度に再エネ電気の買取り費用等を賄うということを目的に新たに導入したものでございますので、東日本大震災以前には電気料金に含まれておらず、震災前と比較した場合には料金の上昇要因となっているということだと承知してございます。

北野裕子委員

ご答弁ありがとうございます。
燃料の高騰、為替等については日本単体では決めれないと思うのですが、再エネ賦課金を下げるということは、私たちの話し合いでできると思います。
ご答弁の中にありました要因の1つである再エネ賦課金ですが、政府が発表しています内容によりますと、家庭向けに請求される電気は、世帯あたりで年間1万6752円の増加となっています。

再エネ賦課金は毎年上昇を続けており、2024年度にはこれまでで最も高い3.49円/Kwhにまで達しており、どこまで上がり続けるか分からない状態です。
そのような中、政府は引き続き脱炭素政策を押し進め、CO2排出目標を2030年度46%削減、2050年までにカーボンニュートラルを目指すとされていますが、中期目標の2030年、長期目標の2050年、それぞれの目標を達成した時の電気代はいくらになることを想定していらっしゃるでしょうか。
金額のお示しをお願います

資源エネルギー庁電力ガス事業部長

お答え申し上げます。
将来の電気料金につきましては、CCSやアンモニア、水素混焼、次世代太陽電池など、発電にかかる新たな技術の開発導入の状況、燃料価格の変動、人件費や発電設備の維持管理に必要な資材等のコスト変動といった、様々なコストの増減による影響等を受けることに加えまして、需要家が負担する料金の水準は事業者が決定するものであるため、予断を持ってお答えすることは困難であるという風に考えてございます。

その上でエネルギーの安定供給と、脱炭素の両立に向けた取り組みをしっかりと進めながら、エネルギーコストにも十分配慮することが重要だという風に考えておりまして、そうした観点も踏まえ引き続きエネルギー政策を進めてまいりたいとと考えております。

北野裕子委員

ありがとうございます。
CO2削減の目標を立てれるのであれば、電気代を下げる目標も立てれるのではないでしょうか。
そもそも各家庭での光熱費は固定費として捉えられており、この固定費の上昇は家計に大変な負担をもたらします。
一方で給料がいつ上がるのか、また確実に実現するかも不透明な状況です。

国民の生活が厳しくなってから、政府が電気料金の軽減負担の支援を行っても、その場場当たり的で遅すぎると言わざるを得ません。
私たち賛成党は再生可能エネルギー自体を否定しているわけではありません。
国民に過度な負担を強いる、行き過ぎた再エネ推進政策に反対を訴えております。

そこで次の質問をいたします
2050年に日本のCO2排出が0になった場合、地球の気温はどれだけ下がるのでしょうか。
専門家の試算によりますと、日本がCO2排出を0にしても気温はわずか0.006度しか下がらないとされています。
この点について政府の分析に基づく正確なデータをお示しください。

環協局長
お答えいたします。
気候変動に関する政府間パネル、いわゆるIPCCの第6次評価報告書におきまして、一定の期間に排出された世界全体のCO2の累積排出量と、世界平均気温の間には一定の関係があるということが報告されております。

しかしながらこの報告におきます世界全体の累積排出量と、平均気温との関係には大きな幅があり。また日本が将来的に廃止する二酸化炭素の累積量をどの程度と仮定するかについては、予断を持つことができないなどのため、ご指摘の気温の変化についてはお答えが困難だという風に考えております。

いずれにいたしましてもIPCCの報告では、世界の気温上昇を特定の水準に抑えるためには、世界全体のCO2の累積排出量を一定の範囲内に抑える必要があるということを示唆しておりまして、そのためには世界全体で新たな排出量を正味0にする必要があるという風に考えております。

北野裕子委員

ご答弁ありがとうございます。
そもそも日本のCO2排出量は少ないため、気温上昇に関する予測が誤差の範囲とも言える不確かな数字を根拠に、CO2削減目標を立てていると言わざるを得ません。
2050年に向けて、このような根拠が不確かな目標に向かって、巨額な予算を割くのであれば、その予算で減税を実現し、国民の手取りを増やすことが可能だと思います。

そこで大臣に質問をいたします。
この不確かな数値をもとに、政府が野心的なCO2削減目標を設定するのであれば、同時に国民が豊かに暮らせる野心的で安価な電気料金の目標設定をすべきです。
また過度なCO2削減計画には適切なキャップをはめるべきだと強く提案いたします。
この提案について大臣の所見をお聞かせください

長麻生環境大臣

エネルギーの基本計画や電気料金制度については、経済産業省が所掌していることから委員のご提案について、私からお答えすることは差し控えさせていただきます。
その上で温室効果ガスについては、世界全体で1.5度目標の実現に向け、野心的な目標を掲げ、可能な限り削減を進めると同時に、GXを通じて脱炭素とエネルギー安定供給と、経済成長を同時実現することが極めて重要と考えております。

関係省としては省エネ性能の高い住宅の新築や、省回収自家消費型の太陽光導入の支援、地域脱炭素の推進などを通じ、国際的なエネルギー市場の影響を受けやすい化石エネへの過度な依存からの脱却にも貢献しつつ、温室効果ガスの排出削減を着実に進めてまいりたいと考えております。

北野裕子委員
ありがとうございます。
我が国の2021年でのCO2排出量は世界全体で見るとわずか3%に過ぎません。
そして2030年の予測ではCO2排出量は2.2%となっております。
その差は0.8ポイントに過ぎません。
この不確かな気温上昇を抑えるため、さらに世界全体でわずか0.8ポイントのCO2削減量を減らすために、国民に厳しい生活を強いることになります。

私たち産政党は国民生活を犠牲にしてまで進める、行き過ぎた脱炭素計画には反対でございます。
重要なことは石破総理が初心表明質疑応答で、実現実効性のある地球温暖化対策のためには、我が国に比べても排出量の多い国々の取り組みが重要であり、その国のその取り組み強化に向けて対話を進めてまいります、と答弁されているように、まずCO2排出量の多い国が積極的に取り組むことが重要だと思います。
中国は日本の10倍に当たるCO2を排出しており、その排出量は未だに増えております。
日本が削減する以上のCO2を新たに排出しているのが現状です。

本当に地球全体のことを考えるならば、わずか3%と言われる日本のCO2を減らす努力をするよりも、世界全体で排出量の多い国々のCO2削減に取り組むことこそが、地球温暖化を止める最も効果的な近道だと考えます。
CO2排出量が多い国々に対して、外国製の太陽光のように好天の昼間にしか発電できない技術ではなく、我が国が誇る、より優れた発電技術を提供することで経済発展をお互いに実現しながら、地球全体で効果的なCO2削減を進める取り組みを望みます。

そして安定的なエネルギー供給を通じて、私たち国民生活が豊かになるような政策について、この環境委員会で議論できることを私は望みます。
次の世代によりよい日本を残すために参政党はこれからも国民の声を代弁してまいりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
私からの質問は以上とさせていただきます。本日はありがとうございました。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
おむすび
朝ドラの話。

前回の「虎に翼」は主役がもう一つだったのと、少年法改正とかナントカいうややこしいことを言っていて、全く見る気がしなかった。

今回の「おむすび」はずっと見ている。
ギャルという生き方が主題で、ヒロインの橋本環奈がいろいろ言われているが、そんなものどうでもいい。
役者は役をすればいいのだ。

半年間続く朝ドラは、いろんなテーマがあったが、「虎に翼」には嫌悪感を感じた。
なぜなのか、はっきりしないが、朝からややこしいことをうだうだ聞くのはまっぴら、という感じだった。

一部の評論家はあれは素晴らしい等と言っているが、あんなもの半年かけて朝ドラでやるようなものではないとぼくは思う。
まあ、最初しかまともに見ていないので、あまり偉そうなことは言えないが…。

ポール・マッカートニーが”Silly Love Songs”という曲を歌っていた。
あの「君は世の中には、バカなラブソングであふれかえっている…と思っている。でも、中にはそんなラブソングで世の中を埋めつくしたいと思う人もいる。君も恋したらわかる。それは、バカなことじゃない…」というメッセージ。

そういうメッセージを「虎に翼」のあとの「おむすび」を見て感じる。

視聴率が低いとか言われているが、そんなことはどうでもいい。
テーマがギャルなど、「意識高い」人たちから見たらくだらないドラマと言われるかもしれない。

でも、ドラマの中での「ギャルの掟」は単純にいいのだ。

掟その1
仲間が呼んだらすぐ駆けつける

掟その2
他人の目は気にしない 自分が好きなことは貫け

掟その3
ダサいことは死んでもするな

ぼくは「おむすび」推しだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
何が当たり前か
ギターを習っていて、教えている。
両方やって、初めて気づくことがある。

当たり前というか、無意識にやっていることは、意識していないから教えることもできないということだ。
もちろん、それを指摘されれば、どうやっているのかを説明して教えることができる。
でも、そう言われなければ教えよと思えないのだろう。

コードのストリークで、ある程度ギターが弾けるようになると、一人で演奏するときにはギターの低音側と、高音側の弾き分けるようになる。
ぼくの場合はそういうのを教えてくれるような場所がなかったので、自然とそうやってきた。
常にストロークで、均等にギターを弾くのはオシャレではないのだ。
それはずっと無意識にやってきた。
当たり前だったのだ。

こないだ、教室で課題曲をやっていたら、それを意識した。

一応弾き語り教室なので、ギター1本でメリハリをつけないといけない。
1曲通して、同じように弾いてしまうと、一本調子になる。
それをできるだけ避けないと、聞いていて飽きる。

だから、弾き方を途中で変えたり、アクセントをつけるようにしよう、と言っている。
リズムを、ずっと1小節8部音符で弾くのではなく、途中で全音符にしたり、4部音符にしたりという工夫をするのだ。

その一環で、同じように弾いていても、高音側を強調したり、低音側を強調したり、弾き分けをするというのが、無意識にやっていたことだ。
それで、リズムのビート感を出す。

そういうふうに弾いてくださいというと、それはなかなか難しいことのようだった。
そんなに難しいのかと思うが、本人が言っているから、きっとそうなのだろう。

もう何十年もやっていると、自然にやってしまうことが増える。
それを意識するのが難しい。

そうやって、当たり前を増やしていくことが、上達への道なのだと思う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 01:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマス
12月25日はクリスマス。
と言っても、この年になると普通の日だ。

子供の頃はクリスマスはうれしかった。
何かプレゼントがもらえるからだ。

忘れられないプレゼントのことは以前に書いた。
それをくれた母ももうあの世に逝ってしまった。

今は日本も豊かになって、ハロウィンだのバレンタインだのたくさんのハレの日ができた。
バレンタインはぼくが中学の頃、ハロウィンは最近だ。
当初、バレンタインは女性が男性に告白する日、とか言っていて、チョコレートは関係なかったと思う。

当時、友人と一緒に学校から帰るときに、女生徒が手紙を渡しに走ってきた。
もちろん、友人が手紙をもらったのだが…。

なぜ手紙がチョコレートに変わったんだろうと思う。
手紙など書く機会がほとんどなくなったしまったが、そういうのは残してほしかった。
日本のチョコレートの会社が仕掛けたのか。
アメリカのドラマなど見ていると、チョコレートなど関係ないことがよくわかる。

そういえば、日本のどこかの街で、LEDで飾ったクリスマスツリーをぶち壊しているイスラム系の人たちの動画がXで流れてきたなあ。
日本人は何でも取り入れて日本風にしてしまう。
その文化が認められないのなら、日本に来なければいいとぼくは思う。

アメリカナイズされた日本風のクリスマスだが、こんな日があってもいい。
ぼくの勤めた学校法人は仏教系だったが、大学の学生課に1メートルくらいのクリスマスツリーを飾ったら、法人から文句を言われたという話もあった。

学生課長が、強行して撤去はしなかった。
だいたい、学生が仏教系だと思っていない学校だったから、それでいいと思った。

なんだか宗教がらみに話ばかりになってしまった。
そういう側面もクリスマスにはある。

西洋のドラマは、このシーズンになるとクリスマスにちなんだエピソードを作る。
ハズレは少ない。
何だかホロッとさせるストーリーが多い。

ぼくらは物心ついた頃からクリスマスがあったし、それはいいことだと思っている。

それはプレゼントとかから無縁になった今でも同じだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
所得税納税者
日本では、国民の6割が所得税を納めていないということだ。
今回、そういう事実を初めて知った。
自民党の小野寺五典政調会長が、国民民主党が基礎控除や給与控除を増やそうと言ったことに対しての発言。

「国民の6割は納税をしていないんですから、4割の納税をしている人の手取りを増やすのは良くない」

いったいどういうことだと思う。

納税しているのは、特権か何かだと思っているのだろうか。
真面目に働いている人から税金を取って、残りの6割の人の分に使っているのは当然、ということだろうか。

実際には他の税もあるし、払っていない人は生活が苦しいということを言いたいのかもしれないが、
逆にこの国の資産の6割は高齢者が持っている、という事実はどうなるのだろう。
年金生活者がみんな生活が苦しいわけではない。

結局は高齢者の票が欲しいのだろう。
そんなことをしていると、若い人が疲弊して国が滅ぶ。
自分たちが生きている間は持つだろうが…。

政治家のレベルが低いのだ。

日本株に投資しているピーター・タスカ氏はこう言っている。

「日本には、人材があり、技術もある。問題なのは政治だ。政治家の質がよくない。」

つくづくそう思う。
マスコミもひどいが、政治家は本当にレベルが低い。
2世、3世などの議員は初代よりもだいぶ落ちる。

兵庫県議会もひどい。
昨日年寄ばかり集まった「兵庫県知事選挙に異議あり」という大会があったらしいが、その席で県議の上野議員が、百条委員会の設置にあたっては、反斎藤の議員で構成した」という意味のことを言っていて、わけがわからない。
百条委員会は公平な会ではないのか。

こういうことを公的な場で平気で言ってしまう議員は、本当に頭は大丈夫なのか。
だいたい、県民の投票で再選された知事だというのに、県民をバカにしているのか。
よほど既得権がオイシイのか。

それでも、ぼくらは生きていかないといけないのだ。

この世に生きているのがアホらしくなってきた。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 14:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
授業
先週は久々の授業だった。
適性検査の対策授業というやつ。
ここ数年、同じネタでやっているので、もう慣れてきた。

学生にとっては初めてなのだが、もうずっと同じ資料でやっている。
変わらないものは変わらない。
それでも、聞いている方はだいぶ変わった。

留学生が増えたので、ちょっと易しめに説明する。
それでも、わからない人もいるのだが、仕方ない。

去年までは、例題をやらせていると静かになったのだが、今年はもう静かにはならない。
全く問題が読めない留学生がいるのだろう。

日本語を聞く、話すことの難易度よりも、書く、読むほうが難易度が高い。
文字が3種類、中国語と違って漢字の読み方は何種類もある。
文法のルールは無いに等しく、いろんな用例を覚えるしかない。
英語の世界から持ってきた品詞分類をしているが、きっと合っていないのだろう。
日本人向けの文法と、外国人向けの文法は教え方が違う。
何度も書いているが、要は日本語は難しいのだ。

留学生が増えると、プリントを読むことができない人が増える。
ぼくはあくまでも日本人向けの授業をやらないといけない。

これは難しい。
というか、もう日本人と留学生を分けないといけないのではないか…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己ベスト3
小田和正の自己ベスト3のCDを買った。

彼ももう77歳。
ぼくより10歳上だ。
今年で「クリスマスの約束」という特番も最後だという。
番組自体は過去のアーカイブが多いみたいだ。

2024年に作った曲は2曲だけ。
最初と最後の曲だ。

最初の曲は「すべて去りがたき日々」。
歌詞の終わりは、

 「明日 きっと それを 君に伝えよう
  心込めて ありがとう ありがとう」

これはファンに対するメッセージだろう。
こういう曲が、震災以降増えたと思う。

否応なく、77歳にもなると「死」を意識せざるを得ない。
今までの人生は、「すべて去りがたき日々」だったということだろう。

最後の曲は「その先にあるもの」。
歌詞の終わりは、

 「今 この時も 闘う人がいる
  ずっと そんな風に 生きて行きたい」

小田の若い頃は、日米安保の学生運動が盛んだった。
そういう色が出ている。
何と闘うのかはわからないが、内向きにはそういう生き方でこれからも生きていくということだ。

2024年の発表曲は2曲だけというが、77歳で2曲も発表しているのはたいしたものだ。

このアルバムが最後になるのだろうか…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
JLPT
JLPTというのは日本語能力試験のこと。
Japanese Language Proficiency Testの略。
日本に来る技能実習生の人たちは、この少なくともこのテストでN5(5級)以上は取らないといけない。
英語の英検やTOEICみたいなものだ。

留学生たちの場合、母国で日本語を習い始め、少しは日本語が話せるようになってから、来日する人が多い。
そして、日本で専門学校で半年から1年半くらいの間、日本語の勉強をする。
大学に入学する場合(当然、国費留学生のような人は除いて)、最低でもN3レベルは求められる。
いくら、定員が割れていても、最低限ということだ。

中にはひどい専門学校もあり、N3レベル、という触れ込みで専門学校から入学してくる留学生もいる。
そういう学生はだいたいN4のレベルだ。
日本語での授業はほとんどわからないと言っていい。

JLPTのレベルの位置づけは下記。

N1:上級レベル
・専門的な内容の文書の読解や、ビジネスの場での高度なコミュニケーションが可能。
・難解な新聞記事や専門書、映画やニュースの内容を理解できる。
N2:中上級レベル
・一般的な内容の文書の読解や、日常生活・学習・仕事上の会話がスムーズに行える。
・複雑な内容や抽象的なテーマに関する文章の理解が可能。
N3:中級レベル
・日常的なシーンでの会話や、一般的な内容の文書の読解ができる。
・N2とN4の中間的な難易度。
N4:中初級レベル
・日常生活の中での基本的な会話や、簡単な文章の読解ができる。
・基本的な文法や語彙、日常的な会話の理解が求められる。
N5:初級レベル
・シンプルな日常会話や、非常に簡単な文章の読解ができる。
・日本語の基礎的な文法や語彙の理解が求められる。

最近N1を取った学生に聞くと、過去問に比べて、最近のN1は易しくなっているという。
たしかに、N1の漢字の出題範囲を見ると「笏」や「彭」のような、普通の日本人には読めない漢字もたくさん含まれていて、ちょっと難しすぎると思う。

国際教育支援協会の役員名簿をみると、会社役員の兼任や、学校関係が多い。
社員数は60名。

実施母体は公益財団法人日本国際教育支援協会と 独立行政法人国際交流基金。
常勤理事長の井上氏は、元文部官僚で今年76歳で亡くなっており、池田氏が代理で名簿に載っている。
76歳でも務まる程度の名誉職で、報酬をたくさんもらう天下りなのだろう。
池田氏は平成19年度の文科省の課長として名前が出ている。
奥村氏もおそらく文科省の天下りだと思われる。

なんだかJLPTについて調べていると、アホらしくなってきた。

社員60人の団体はなんのためにあるのか。
まるで天下りを食わせるためにあるようなものだ。

こんなことをしているから、無駄な金が発生する。
文科省が直接外部に委託して実施したらいいと思う。







| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
入試の数学
大学に関係した仕事を初めて20年経つ。
就職支援の仕事を初めてからは17年目だが、17年前に入学生の基礎学力の低さに驚いた。
いったい、義務教育で何をやっていたのかと思った。

その後教職科目を取って、教員採用試験を受けたいという学生の相談にも乗った。
初等教育がやりたいということで、通信制の課程とダブルスクールでやっていた学生だが、採用試験の問題を見せると2次関数のグラフを見て驚いたという話もあった。
小学校の算数がわかれば、教えられると思っていたのだ。

そんな小学校の先生が増えたのか、ぼくが勤めていた大学では、中学高校の6年間の数学の授業がほとんど理解できず、単位分数の「1」と自然数の「1」の違いもわからない(つまり、割合の概念がわかっていない)学生がたくさんいた。

もちろん、義務教育が崩壊しているというのはあると思うが、当の大学も罪が重い。
90年代に志願者を増やそうとして、文系の学部の一部が入試の科目から数学を外したのだ。
その効果は大きく、数学を外すと志願者が増えた。
それを見た他の文系私立大学はみんな右へ倣えで数学を外したのだ。

いかに私立大学というところが、志が低く、定員を埋めることを最優先で考えているか、よくわかるだろう。

大学入試がそうなると、高校の勉強でも私立文系コースの数学は高1で終わる。
だから、日本人の数に対するリテラシーはかなり下がったのだと思う。
入試で数学のない教育学部を出た先生が教えることになると、よけいに状況はひどくなる。
教えるほうがわかっていないのだから、どうしようもない。

だから、算数や数学は手順を覚えるものになった。
速度の問題は「はじき」という有名な絵を書いてやることになる。
速さ、時間、距離という絵を書いて、それに数字を当てはめていく。
速さは単位時間に進む距離だ、ということがわかれば「はじき」など必要ないのだが、それを理解しない先生が増えたのだろう。

割合は世の中に出ても、大変重要な概念だが、それもわからない。
%や歩合の概念がわからないから、いろんな間違いが起こる。

割合の定義は「「もとにする量(大きさ)を1とみたとき、比べられる量(大きさ)がどれだけにあたるかを表した数を割合という。」ことになるのだが、「〜の」と書いてあったら、それが元にする量だ、というふうに言葉遣いで教えるのだ。
例えば、4センチは8センチの何%か?という問題なら、「の」をみつけて、8センチが元の量だということになる。
だから、4センチは8センチに対してとか聞かれると、「の」がないから、もうわからない。

だから、日本人が数に弱くなったのは、私立大学のせいでもある。
それを止めなかった文科省も同罪だが…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
退職代行
退職代行の会社というのがある。
「退職希望者に代わり会社に退職の意思を伝えるサービス」だという。
利用者は20代が一番多く、30代、40代も利用している。

今年10月の日経の記事では、「退職代行モームリ」という会社が紹介されていた。

「相談や依頼は深夜や早朝が多く、「夜中も寝られずに悩み、出勤の支度はしたものの、家から出られない」と疲れ切った声で助けを求める依頼者も少なくないという」

マイナビの調査では、「利用者8割超が20〜30代、勤続年数「1年以内」75%」という。

こういう記事を見ると、本当に日本の会社はどうなっているんだろうと思う。
退職代行の会社は、本人に代わって退職の意思を伝えるだけでなく、人事関係の書類の転送なども行うのだろう。
そんなに多くの書類を書いた覚えはないが、結構手続きはあったと思う。
それらすべてを代行してもらって、料金は1万〜5万。
どこで料金が変わるのかはわからないが、結構幅は大きい。

退職者の意見がすべて正しいとは限らないが、それでも、退職理由は会社が言っていたことと実体は違う、ということや、イジメやパワハラなどの人間関係だという。
ぼくらが新入社員だった1980年代は、高度成長で日本が世界を席巻していた頃。
そのせいか、退職者も少なかったし、そういうサービスなど考えられなかった。

結局、若い人たちから社会保障と称してお金をふんだくり、老人にばらまくというシルバー民主主義が限界に来ているのだろう。
国民民主の支持率が立憲民主党を抜いたらしいが、それが手取りが増えない働き手の声なのだと思う。

財源がないと言うが、くだらない男女共同参画事業や、子ども家庭庁を潰したり、SDGs関連の予算をなくしたり、無駄な国や自治体の外郭団体を見直したり、いくらでも手はあるはずだ。

衆院選であれだけ裏金裏金と騒いだのだから、政治献金やパーティを禁止するのかと思ったら、その時だけだった。
今頃になって、立憲民主党はやっぱり企業献金はOKなどと言っている。
そういう政治家ばかりになってしまったのだ。

カナダの大学の経済学で取り上げられたというツイートがあった。

「日本の貧困者は薬物のやらず、犯罪者の家庭でもなく、移民でもない。教育水準が低いわけでもなく、勤勉で労働時間も長く、スキルが低いわけでもない。世界的にも類のない、完全な「政策のミス」による貧困だ」

本当かどうかは知らないが、日本の政治家のレベルが低いというのは、最近つくづく思う。
恩着せがましい「給付」「バラマキ」をやらずに、減税すればいいのだ。

なぜ、働く人たちから年金を集めて、それが老人の「支援金」やこども家庭庁に使われないといけないのか。

そんなことをやっているから、若い人たちがやる気を持って働けないのだと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
身体のねじれ
ギターという楽器、椅子に座って弾くとどうしても片側を持ち上げるために足を組む。
その状態でずっと弾いていると、身体がゆがむ。
ぼくと同い年のギターの先生も、最近は身体がゆがむので足置きを使っていると言っていた。
若い頃はそうでもなかったが、やっぱりだんだんと加齢で身体に不調が出るようになっているのだ。

ぼくも最近右の肩が上がらなくなったり、腰の手術跡が痛くなったりするのは、そういうこともあるのかと思った。
それで、足置きをアマゾンで1000円ほどで買った。
だいたい20cmほどの高さに右足を上げる。
そうすると、いつもの感じになる。

足を組んで座る時間が長いと、身体がねじれて腰痛の原因になったり、猫背になったり、血流がわるくなったりという悪影響があるらしい。
こないだ、右足の内側がしびれて、ちょっと感覚が薄くなったが、そのせいかもしれないと思った。

足を組むことを意識して避けるようにしたら、右足の感じは良くなった。
やっぱり身体のねじれが関係しているのだろう。

だんだんと運動量も減り、身体が固くなって、無理ができない身体になってきた。

毎晩遅くまで仕事をして、帰って12時過ぎにご飯を食べ、朝起きてまた会社に行って働く。
そんな生活をしていたことが信じられない。

若い頃のそういう生活が祟っているのかもしれないなあ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
引退
数年間一緒にやってきたカウンセラーの方が、今月で引退するとのこと。
ちょっと体調を崩しておられたらしい。
来年の2月、70歳でもう辞めるという事だったが、そこまでいかずに引退となった。
その方もぼくと同じく、長いことやった仕事を辞めた後、始めた仕事だった。
最近は曜日とキャンパスの関係で、ほとんど会わない日々が続いていた。

会社員時代に最後にやった図面管理の仕事でお世話になった会社の人で、ぼくらがお世話になった人も知っていた。
そういう縁があって、懇意になった。

がんの手術もされて、復帰され元気にしていて、クルーザーの免許を取って、海の上を走っている動画を見せてもらったこともある。
ぼくと違って、活動的な人だ。

同じ職場のカウンセラーで定期的に宴会をやっている。
仕事の関係で、ぼくはいつも遅れて参加だが、送別会もできそうにないということらしい。

この年になると、生きていくのが大変だ。
どんどん終わりが来て、仕事に限らずいろんなことをやめないといけない。
あと2か月だったが、きっといろいろ考えてやめられたのだろう。

引き際は難しい。

もう一度会って話がしたいと願う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
好きなことを仕事にする?
「好きなことを仕事にする」は二流の考えだ、という養老孟司の記事があった。
二流かどうかはわからないが、ぼくも「好きなことを仕事にする」のは勧めない。

もちろん、ぼくの対象は若い人たちだ。

高校時代からなにかに打ち込んで、それしか考えられない、という人もいるだろう。
そういう人はもともと「これが好きだから、仕事にしたい」などと相談には来ない。
逆にそういう人は、好きなことをやるのに精一杯で、勝手に道を見つけるのだろう。
自分でプロになる道を見つけて、その道を突き進む。

そういうタイプの人は、そもそも仕事という概念がない。
「それ」をやりたいのだ。
お金がなければ、アルバイトをしてでも、お金を作って「それ」をやるのだ。
だから、就職という言葉とはあまり縁がないと思う。

女性なら、アパレルが好きとか、化粧品が好きとかいう人もいる。
そういう人はそれに関係した仕事を探そう、というのが基本。
あくまで単に「興味がある」という程度。
それは、仕事を見つけるときのきっかけになる。

それでも、もしもそこで全敗したら困るから、プランBを考えておこうという。
プランBは、自分ができそうな仕事で考えてもらう。
アルバイトで接客が得意とか、パソコンが得意とか、じっとしているのが好きか、それとも外に出るのが好きかとか、土日休みでないとダメかとか、平日でもOKかとか、いろんな側面で考えてもらう。

そこに自分の強みとか経験を絡めて考えてもらう。

どうしても、これがやりたい、という人は止めたらもう来なくなるので、それをやるための方法を考える。
芸能人のマネージャーがやりたいという人には、芸能プロのホームページを見せる。
いくつか見て、この世界は新卒は難しいという。
でも、トライしないと絶対にチャンスはないから、どこかを受けようと伝える。
まずは彼らの要望を受け入れないと、二度と来なくなる。
相談を継続することが大事なのだ。

最初に戻ると、「好きなことを仕事にしたい」という人は、世の中にそんなに多くないと思っている。
本気でそう思っている人は、ぼくらのところに相談になど来ない。

養老孟司の記事とはだいぶ違うが、今書いたような意味で、「好きなことを仕事にする」というような相談をするような人は、ちょっとしんどいということだ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
一安心
以前気がかりで書いた学生が、こないだ報告に来てくれた。
コロナやら休学やらで苦労したようだが、早期内定を2つ取ったとのこと。

本当によかった。
ぼくは毎年契約の請負の身だから、来年度の保証はない。
だから、3回生を卒業まで見届けられるのかどうかはわからない。
でも、一応内定を取ったから、一安心だ。

もうぼちぼち仕事人生も終わりに来ている。
あと何年できるかな、という感じだ。

いつもエスカレーターには乗らず、階段を歩いているのだが、1段飛ばしや早足で上っていく若い人たちに抜かれる。
その回数がだんだん増えてきた。
歩くのも遅くなったし、物忘れも多くなった。

でも、仕事はできるだけ続けたいと思う。

そう言えば、こないだ学校法人に勤めていた時代の人たちと会った。
85歳の方が、出てきてくれたのだ。
本当に懐かしかった。
足がだいぶ弱ったようだったが、話もできるし、昔の話ができた。

ぼくは、大学経営についてはいろいろぼやいたが、学校法人で学生と接するのは楽しかった。
大学のキャリアで勤めた7年間は、本当に楽しく仕事ができたと思う。

先週、会社の先輩と飲んだときには、もうすぐ冥土に行くという話も出た。
そういう年なのだ。

ぼくは神道びいきで、極楽と地獄というイメージはある。
冥土という言葉は仏教からできたものだが、何となく神道のものだと思っていた。

人はいいことも悪いこともする。
どっちが多いかということだ。
いいことが多いと、極楽に行くし、悪いことが多いと地獄に落ちる。
それを決めるのは閻魔大王だ。

今回の安心はいいことの方に数えてほしいものだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
政府効率化省
トランプ政権では、イーロン・マスクが「政府効率化省」の担当になるという。
英語では「Department of Government Efficiency、DOGE」。
WSJでは、「最大の難題は、広範な任務を担うことになるが、予算削減には議員の抵抗も」と描かれている。
そうだろう。
効率化をするということは、要するに仕事を減らすということで、アメリカなら「首を切る」ということになるからだ。

マスク氏は宇宙事業や通信事業をやっているが、いろいろと新しい事業をしようとすると、省庁から横槍が入ったりしたという経験があるとのこと。
だから、こういう役目を希望したのだ。

記事の出だしはこうなっている。

「200万人余りを雇用し、年間6兆ドル(約930兆円)超を支出する米連邦政府に無駄や非効率な点があるということは、ほぼ誰もが認めている。ただ、何が無駄で、それをどうやってなくすかについて合意を得るのは別の話だ。」

雇用が日本よりも流動的なアメリカでも、仕事がなくなると困る役所や人々、そしてその人達に支えられている議員がいる。
だからこそ、DOGEは制作決定の権限は持たないということだ。
いくら効率化とはいえ、やりまくっても困る。

「とはいえ首都ワシントンには、疑わしい支出について詳細に記した監察総監の報告書や政府監査院(GAO)の調査結果があふれている。重複する政策プログラムを減らし、非効率を排除し、政府職員を削減するためのアイデアや余地は十分にあるだろう。」

そういう見方もあるから、ある程度マスク氏のDOGEは成果を上げると思う。

日本で言えば、まずは厚労省だろう。
年金、医療の改革だ。
消費税を上げることに抵抗があり、金が足りなくなるから、取りやすい天引きのサラリーマンからぼったくっている。

それも、だんだん化けの皮が剥がれてきたから、日本版DOGEを作って複雑な年金制度などは効率化すべきだろう。
国民年金の埋め合わせや後期高齢者の医療保険など、メスを入れて効率化すべきだと思う。
そうすれば、自治体や国の関連の仕事が一気に減る。
今やらないと、増え続ける高齢者に働く世代がどんどん食われていく。

そういう政策を国民民主みたいなまともな野党が出していけばいいのだ。

そうすれば、若い人の可処分所得が増え、少子化も好転すると思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
地方公務員
兵庫県の公務員について、YoutubeやXで見ることが増えた。
知事選でいろいろ取り沙汰されているからだ。

これを見ていると、どうも兵庫県の公務員がひどくなっていると思われる。
知事や県議会議員も県民が選挙で選ぶことができるが、県庁で働く人たちは県民は選べない。
だからこそ、地方公務員法というのがあって、民間企業よりも厳しい制約がある。

県民の意識としては、現職の知事派と反知事派に分かれているが、斎藤氏が再選されたということから、多くの県民は今回の騒動は議会が起こした反知事派のクーデターだと見て、それに反対しているのだろう。
それにしても、選挙で選ばれた知事が人事権を発動するのを咎めたり、県庁舎の1000億円もの建て替えを拒んだりしたことに反対し、県議会と組んでそれを助けるために動いた県の要職者がいるということは、普通では考えられない。

もちろん、ボヤいたり、反対を表明はする。
また、そういう案件は役員会で紛糾はするだろうが、最終的には上の意向に沿う。
それがガバナンスというものであり、組織人として当然のことだ。

よほど、20年続いた井戸県政の居心地がよかったのだろう。
名誉職として80歳以上の人たちに、出勤数も少ないのにバカ高い給料を払っていた。
そんなのは、税金の無駄遣いだと思うのが当たり前だ。

前にも書いたが、長くなると権力は腐敗するのだ。
今まで居心地良く過ごしてきた要職者たちは、文句が多いと想像される。
それは民間企業でも同じことだ。
社長が変わって、方針が変わると文句は出るが、従わざるを得ない。

そういうことに気づいた人たちが、現知事派として投票したのだろう。
延々とやっていたパワハラやおねだりと言ったマスコミは間違っている、と思ったのだ。

前述のとおり、知事や議員は県民が落とすことができるが、職員は別になっている。
だからこそ、地方公務員法がある。
税金を使って仕事をする人たちは、多かれ少なかれ公的な仕事なのだから、身分に責任を持つべきだろう。

それが嫌なら辞めたらいいのだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
名詞+する?
日本語では「名詞+する」でサ変動詞になる。
「徹夜する」とか、「勤務する」とか、名詞に「する」をつけるとそういう動詞になるということだ。

ベトナムの留学生とこないだ話していたら、日本語の授業で作文を直されたとのこと。
聞くと「夢中すればするほど」というのを、「夢中になればなるほど」と赤を入れられたらしい。
学生が言うには「夢中」は名詞だから、それに「する」をつけてサ変動詞になるのではないのか?ということだ。

確かに「夢中すればするほど」というのはオカシイ。
やはり「夢中になればなるほど」という表現が正しいのだ。
でも、「夢中」は名詞で、なぜ「する」がつけられないのか、ということだ。

ネットで調べると、サ変動詞になる名詞は何らかの動作の意味を持っているもの、と書いてあった。
「徹夜する」「勤務する」というが、たしかに徹夜は夜を徹する、という意味で、勤務は務めるという意味。
どちらも動作を伴っている。

ところが「夢中」は「夢の中」だから、動作を伴っておらず、状態を表している。
だから、「夢中する」とは言わないのだろう。
同じように静寂するとも言わないし、真面目するとも言わない。
日本語ネイティブからすれば、当たり前のことだが、なぜ「夢中」には「する」がつけられないのか、と聞かれたらすぐには答えられない。

やはり、日本語は難しい。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
ナントカの方
こないだ仕事の帰りに、環状線が15分ほど止まった。
福島駅でお客さんが線路に落下という事故があったらしい。
用事があったので急いでいて、ちょっとイライラしたが、それ自体は仕方のないことだと思う。

そのイライラの原因の大きな部分は、アナウンスだ。
やたら、「〜の方」という車掌だった。

こんな感じだ。

「何時何分頃、福島駅の方で、転落事故の方があり、ただいま安全確認の方をおこなっておりますため、お客様にはご迷惑の方をおかけしますが、もうしばらく車内の方でお待ちいただきますよう、お願いいたします。」

何でも「方」をつけたらいいというわけではない。

「消防署の方から来ました」という消火器の詐欺が昔あったらしいが、あの頃から「方」は使われ始めたのだろうか。

若い車掌の声だったので、バイト敬語が残っているのかもしれない。

例に出した事故の文章は「の方」を全部取っても全く問題ない。
というか、取ったほうが正しい日本語だ。

なぜ「方」をつけるのだろうか。
転落事故、というより、転落事故の方と言ったほうが丁寧だと思うのだろうか。

まあ、「方」をつけると、婉曲表現になるというから、なんとなく丁寧になったような気になるといえば、そうかもしれない。
しかし、これだけ多用されると、本当にイライラする。
だいたい、間違った言い方なのだ。

「よろしかったですか」とか「千円からお預かりします」などにも違和感を感じるが、急いでいるときにあのアナウンスを聞くと、ほんとにイライラする。

でも、あと何十年か経ったら、あれが丁寧な表現になるのかもしれない。

言葉は変わっていくからなあ…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
関西フォーク
日経でなぜか関西フォークの特集をやっていた。
関西フォークと言うとぼくの中高生時代。

高石ともやの「受験生ブルース」は小学生の終わりだったか。
1968年だから、小学校の6年だ。
「おいでみなさんきいとくれ」という最初のところは耳に残っている。

ぼくらの頃は受験地獄とか受験戦争とかいう言葉があった。
あれも、もう死語だろうなあ。

それと、割とメジャーになった西岡たかし。
五つの赤い風船というバンドで活躍していた。
「遠い世界に旅に出ようか」という歌い出し。
これはよく聞いた。
なぜか知らないけど、みんなで集まった時に歌ったような気がする。

小学校の時に、給食の時間に校内放送で「帰って来たヨッパライ」がかかった。
「おらは死んじまっただ」という歌を、テープの早回しかなにかで声を高くして作った歌だ。
これはみんなよく聞いた。
あれがフォーク・クルセダーズ。
はしだのりひこ、加藤和彦、北山修の3人だった。

はしだのりひこはシューベルツとかクライマックスとかいうバンドを作って、活躍していた。
「花嫁」は今でもいい曲だと思う。

加藤和彦はサディスティックミカバンドを作って、ロックをやっていた時期もあった。
背が高くて、かっこよかった。

残念ながら2人とも鬼籍に入った。

杉田二郎やアリスが出てきた頃は、もう関西フォークという感じではなかった。
一般名詞でフォークソングという感じだったと思う。

関西フォークは、ベトナム戦争や学生運動の影響で、政治がかった歌が多かった。
それは時代の影響で仕方ないと思う。

あの時代を経て、日本は高度成長になり、どんどん豊かになっていった。
豊かになって、アメリカの核の傘の下で平和が続いて、バブルで踊り、それが崩壊して今に至っている。

ただただ、懐かしい。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
消えた国富26兆円
日経の記事。
エネルギー新秩序ということで、日本が原発を止めて、再エネを重視しているが、相変わらず化石燃料をたくさん使っているため、26兆円も天然ガスなどのエネルギー源を輸入して国富を失っているという。
これが予告編で、特集が始まるらしい。

「エネルギーの自給率が低い日本で、国富の流出が止まらない。化石燃料を巡る2023年の貿易収支額は26兆円の赤字になった。輸入する燃料の価格高止まりや為替の円安傾向が拍車をかけている。再生可能エネルギーの導入拡大や原子力発電所の再稼働を通じた輸入依存の低減が課題となっている」

バカな首相がお願いして、震災後に日本中の原発を止めた。
もう死に体になっていた民主党の自分の政権をにしがみついて、人気取りをしたかったのだろう。
法的にはなんの効力もないのに、電力会社はそれに従って原発を止めた。

バカな政権は反原発派のメンバーで原子力規制委員会を立ち上げ、原発の多くは止まったままになった。
1日に5000億円の天然ガスを輸入していたという。

おまけに再エネを普及させようと再エネ賦課金の制度を作った。
こないだ再エネ議連の議員が逮捕されたが、あの事実に見るように、バカみたいに再エネ業者に利益を与え、日本中にメガソーラーができた。
おかげで、毎月の電気代が上がり、今年1年で2兆7000億が再エネ業者のポケットに入る。

賦課金は作ってしまえば、毎月固定価格で20年買い取るという制度。
太陽光など、いくら設備の最大電力が高くても、太陽が照っている間だけしか発電しないので、だいたい3割程度。
そんないい加減なものに、インフラである電力を任せられない。
その証拠に、いくら太陽光を増やしても、夜間や雨の日の電力を担保するためには別の発電が必要だ。
だから、いくら太陽光を増やしても、火力発電は必要。

だいたい、日本がCO2をゼロにしても、もともと世界のCO2の3%しか排出していないから、100年後の気温は0.01度しか下がらないという。

ドイツなどの再エネ先進国の電気代は明らかに高い。
原発の電力比率が8割のフランスから高い電気を買っている。
風力だって、風が吹かなければ電気は起こさない。
そんな自然任せでやっていると、イギリスみたいに電気代が上がる。

再エネ推しの日経だから、どんな特集になるのか知らないが、本当に国富を守るような記事を書くべきだ。
50%の電力を再エネで、などというバカなことを言わないでほしい。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
大先生の言葉
今週の月曜日に学校法人に勤めていたときに、懇意にしてもらった先生と飲んだ。
4時間ほど飲み屋で話したが、話は尽きなかった。
有名な大学で新しい学部を作ったエライ先生だ。

当時の学長が引っ張ってきてくれて、ぼくが勤めていた学校法人に新しい学部を作って、定員割れで沈みかけていた大学を救ってくれた人だ。
専門は社会学。

ぼくが大学でキャリアの仕事をして、就職できなかった学生がいるゼミのアンケートを取ったときに、この先生だけが「教師として」という言葉を書いていた。
ぼくの勤めていた大学では、「教師」という言葉を使う人はほとんどいなかった。
ぼくはその言葉を見て、こういう人もいるんだと救われた気がしたことを覚えている。

その先生と久しぶりに2人で飲んだ。
話はいろんなところに飛んだが、先生に本は今何冊くらいあるんですか?と聞いたら、3000冊くらいかなあ、という。
やっぱり、社会学の関係の本が多いのかと重ねて尋ねたら、この言葉が帰ってきた。

「社会学みたいなしょうもないもんより、究極はラブストーリーやで」

けだし、名言だと思った。

藤沢周平の「蝉時雨」やケン・フォレットの「針の目」という小説を勧められて読んだ。
かたや日本の時代小説、かたやヨーロッパのスパイ小説。
どちらも、ラブストーリーと言えばラブストーリーだ。

先生はそれが究極だと言った。
社会学という学問よりも、人間の営みが大事だということだ。

人生にどっちが大事か、ということだ。

学校法人に勤めて、一番良かったことは先生を知れたことだった。

まだまだお元気でいてほしい。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
やる気が出ない
こないだギターをやる気がなくなる時を書いたが、それが続いている。

やる気が出ない一つは身体の不調。
ギターを弾くと、左手がやっぱり痛い。
おまけに、右の肩も痛くなって、手を上げたり、肩を回すと痛い。

もう一つは、精神的なものだ。
全体にスランプというか、なんかしんどい。

疲れたのではなく、しんどいのだ。
やる気を出そうとすると、その気持ちと摩擦が起こって、心がしんどいという感じ。
年齢からくるものかもしれない。

ついつい練習したって、もう若くないのだから先が見えているなどと思ってしまう。
こういうのはよくないと思うが、なかなかなあ。

エックス(旧ツイッター)も良くないと思う。
長くやっていると、タイムラインのコメントが似通ったようなものになる。
そんなのを見ていると、だんだん世の中がろくなものになっていない、と思う。

偏った意見だとは思うが、自分が偏っているから仕方がない。
もう止めてもいいかなと思うのだが、それも踏ん切りがつかない。

残りの人生をどうやって生きていくのか、難しい。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
博士を増やす?
日経に「文部科学省は研究力が高い大学について、学部の定員を縮小し、大学院への振り向けを促す方針を固めた」という記事があった。
大学院を増やすというのだが、過去の失敗はちゃんとレビューしているのだろうか。

前にも何度か書いたが、法科大学院はバカみたいにたくさんできて、その後実質的に大学院に進学しても法律の専門家になれないようなところは全部募集停止にした。
教職大学院も失敗だ。

その都度海外並みとかレベルを上げるなどと文科省が宣伝した。

実体はきっと少子化で大学が減り、天下り先が減るのが嫌なのだろう。
あまりにも動機が不純だ。

現在の大学院の進学率は理系が6割、それ以外が4割という。
理系の院生は普通に新卒で応募できる。
そういう人を企業は求めているからだ。

文系の進学率はもっと減らしてもいいと思う。
なぜなら、博士が欲しいというニーズがないからだ。
大体、大学院の教員が就職させようという意識がない。
アカデミックな職業しか考えられないからだ。
普通は大学院というと、専門職になるので、先生がそういう先を紹介しないといけないのだ。

ましてや今回は博士を強化するという。
一度、博士課程に進んだが、その学問に興味がなくなったという学生の相談に乗ったことがある。
大学院修士課程2年、博士課程3年、それからはオーバードクターになる。
博士論文も書いていない。
年齢ももう30歳近くなっている。
結局はモラトリアム。

学生もだいぶ賢くなって、ちゃんと就職先があるところ、という選び形をするようになってきたから、今回はさすがにのせられる学生は少ないとは思うが…。

ちゃんと記事の中にも、「国内では大学院修了後の就職などが困難で、進学をためらう学生が多い。高度な専門性を生かして活躍できるように、キャリア形成の支援が欠かせない。」と書いてある。

大学院でのキャリア形成は、まず第一に教員だと思う。
特に博士などは専門性が高いから、普通のキャリアコンサルタントには難しい。
それで行きたい先が決まってから、そこからならキャリアをどう考えて作っていくかなどの相談はできると思う。

海外と比べて博士号の取得者数が少ないというが、それは企業の研究所などに入ったほうがいいと思うからだ。
海外ではAIなどの実務的な研究が多いという。
それは教える側が実務的な考えを持っているからだろう。

だから、まず大学院の教員の意識を変えないといけない。
ぼくが昔勤務していた大学にも大学院があり、資格を与えていたが、就職先はほとんど非常勤だった。
親にしたら、なんで大学院まで出て非常勤と思っていただろう。
それでも、教員はそれが問題だとは思っていない。

博士になるために、論文を出版していたが、そういう助成のお金も出る。
そのために、40部とか専門的に出版してくれる出版社もある。
紙の無駄だと思う。
おそらく、PDFで充分なものが無駄にたくさん刷られている。

出版社も調子が悪いから、出してくれるのは助かるのだろう。

少子化だから、学校が減るのは当たり前だ。
大学院や博士にお金をかけるよりも、義務教育に金をかけるべきだ。
小中学校の問題はひどくなる一方で、不登校も増え続けている。
教員の質も担保できているとは言えない。

そっちの方がよほど問題だと思う。

考えたらわかるだろう。
基礎がわかっていない学生にいくらお金をかけても、優秀にはならないのだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年も師走
日曜日の1万人の第九で、今年も終わりが来たという感じ。
毎年規則正しく12月が来る。

年頭の能登の地震から、いろいろあった。
年を取るとだんだん馬鹿になっていくというが、ぼくもそうだと思う。
人の言うことを聞かない。
なるべく柔軟でいようと思うが、やっぱり譲れないことが増えているような気がする。

それが元で人間関係が悪くなったりする。
表面上は何ともなく振る舞っているが、内心では罵っていたりする。
これが老害だろう。
人間が素直でなくなるのだ。

孔子は「七十にして矩を踰えず」と言った。
意味は、「どんなに立派な人でも、自分の行動を完全にコントロールできるようになるのは、七十歳くらいになってからだ」ということ。
この言葉だけなら、七十歳になれば、表面上のコントロールができるようになって、エゴを出さないというふうにも解釈できる。
もちろん、孔子はそんな意味では言っていないが…。

だんだんと人間がひねくれてくる。
ぼくも含めて、世の中の年寄りを見ていると、孔子の言葉はそのままの意味に取れなくなる。
もう年の暮だから、そういうことを反省して、孔子の言葉が実質的になるようにしないといけない。

しかし、あと3年でそんな状態になれるのだろうか…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本語の難しさ
日本語の文型は、述語で3つに分ける考え方が通説になっている。
述語が名詞である文を「名詞文」、形容詞の文を「形容詞文」、動詞の文を「動詞文」と呼んで分ける方式だ。

「私はサラリーマンだ」というのは名詞文。
「私はきれいだ」というのは形容詞文。
「私は働く」というのは動詞文ということになる。

しかし、こんな文型を出されても、外国人が日本語の構造を理解するうえで、あまり意味がないと思う。
丸山有彦という人のページに、こんな記載がある。

「主述関係がない文は、どうしても論理的な基礎が弱くなります。日本語の場合、論理的な文構造を持っているにもかかわらず、その点の説明が十分にできていなかった、と私は考えています。具体的な例文で見てみましょう。引用は、山崎正和の文です。

1994年の夏、日本の広島市で「アジア・スポーツ大会」が開かれたが、そこには旧ソ連からキルギスタン人やタジキスタン人が参加したのに、ハワイやシベリアはもとより、オーストラリアからもニュージーランドからも選手は招かれなかった。

『文明の構図』の「東アジア文明の誕生」からです。この論文は、日本語、英語、ドイツ語にされ、そののち筆者が「補筆した決定稿」とのことです。翻訳に堪える内容を持った文です。」

この「1994年の…」の文には、主語がない。
あくまで、一般的に「…は」や「…が」で表される主語だ。

この文章をGoogle翻訳で英語にすると、

「In the summer of 1994, the ''Asian Sports Games'' was held in Hiroshima, Japan, and although Kyrgyzstan and Tajikistan from the former Soviet Union participated, there were participants from Hawaii and Siberia, as well as Australia and New Zealand. No players were invited.」

とAIが訳してくれる。
そしてこの文をもう一度Google翻訳で、日本語に訳すと、こうなった。

「1994年夏、日本の広島で「アジアスポーツゲームズ」が開催され、旧ソ連のキルギスとタジキスタンが参加したほか、ハワイやシベリア、オーストラリアやニュージーランドからも参加者があった。選手は招待されていなかった。」

完全に、元の文章の「ハワイやシベリアはもとより、オーストラリアからもニュージーランドからも選手は招かれなかった。」という部分が誤訳されている。
やはり元の文章の構造がわからず、だいぶ賢くなったAIでも翻訳できなかったということだ。

こういう部分が、日本語が論理的でないということが言われる原因なのだと思う。

丸山氏はこの文章には主語はないが、主体の概念が重要だという。
そういう考え方で、この文章を読んでいけば、正しく意味がとれるようになるのかもしれない。
しかし、日本語初心者がそんな難しいことができるとは思えない。

普通の日本人であれば、この文章が一番言いたいことである、「アジア・スポーツ大会なのに、オーストラリア、ニュージーランドからの選手は招かれなかった」ということは、ニュアンスで分かるのではないかと思う。
何となく、それが言いたのだろう、と思えるのだ。
もちろん、前後の文脈によるのだが…。

こういう部分が日本語の難しさの本質なのかもしれない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本のポピュリズム
プレジデントオンラインに東洋大学の教授が書いている記事があった。
この人の書いていることは一般的には正しいと思うが、今回の兵庫県知事選挙ではちょっと違うと思う。

結びのところに、

「こうした変化を手放しで歓迎することはできない。商業主義に徹するプラットフォームの作ったシステムの中で国民が踊らされていることは間違いない。

しかも、流される情報はフェイクニュースと呼ばれるような信頼性の低いものも少なくないし、アルゴリズムによって偏ったものになっている。多様な意見や議論を前提とする民主主義の観点から言えば、極めて不健全で不健康なものだ。」

と書かれているが、今回の場合「商業主義に徹するプラットフォーム」とは既存のマスコミだと県民が判断したからだ。
ワイドショーでずっと斎藤知事たたきをそろってやっていた大手メディア。
そこで違和感を持った視聴者も多いと思う。

その証拠に、70代以上の高齢者のインタビューで「大手メディアはおかしい」ということが、そのワイドショーで報道されていた。
よほどそういう意見が多かったから、商業主義のワイドショーでも流さざるを得なかったのだろう。
テレビのメイン視聴者である高齢者から見ても、おかしいと思う「異常事態」だった。

5期20年間の井戸県政の既得権に手を付けたのが斎藤知事。
県の外郭団体の80歳以上の役員に、月に10日以下の出勤で何十万もの報酬を払っていたり、県庁舎の建て替えで1000億というような費用を計上したり…、という無駄遣いを切ることは、県民の血税の無駄遣いをやめるという意味で評価できる。

そういうことは一切言わず、県庁の記者クラブと県議会、一部の県職員が既得権を守ろうとして一致団結したのが今回の選挙だったと思う。
結局フェイクニュースを一致団結して流していたのはマスコミだった。
それに気づいた県民が、ネットでマシな情報を見つけ、判断して投票したということだ。

日本の放送局は政治的に中立ということになっている。
しかし、全くそんなことはない。
今回の選挙を見ていてもよくわかる。
あれだけ斎藤たたきをやっておいて、何が中立だというのだろう。

アメリカでは放送局は政治的立ち位置を明確にしている。
日本もそうすればいいのだ。
あんな気持ちの悪い斎藤たたきの画面を見せられるくらいなら、このテレビ局はこういう姿勢で報道しています、ということを言えばいいのだ。

放送法だなんだと言っているが、報道しない自由を行使しまくって、自分たちが主張したいイシューだけ報道する。
だから「報道の自由度はG7で最下位」になってしまう。

記事を書いた学者も全くわかっていない。
そんなマスコミなら要らない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
2024年の第九
何度かレッスンのことを書いたが、今日は本番だった。
いつも一緒に行っている人がリタイアして、今回はぼく一人で参加。

今年はWebだけの練習もOKになって、時間が自由になり、特に勤め人風の若い女性が増えた。
それでも、十分平均年齢は高いが…。

今年の歌のゲストは綾香。
この人は歌がうまい。
「にじいろ」を合唱団と一緒に歌った。
去年のエクザイルのノリとはだいぶ違ったが、また別の良さがある。

今年はMCの松岡茉優がよかった。
力が入らず、普段のしゃべりで、MCを楽しんでいた。
今までのMCにはないタイプだ。

第九を歌い終わって、蛍の光をハミングで歌っているときに、素直に感想を言った。
その言葉を覚えていないところが情けない。

その言葉を聞いているときに、大阪城ホールのビジョンに映った映像は、大泣きしているお母さんや、小学生など、若い人たち。
カメラで撮られて、喜んでいる。
そんな映像を見ながらハミングしていると、ちょっと涙が出た。

どうも最近は涙もろくなって困る。

しかし、朝の9時から夕方の6時過ぎまで、ずっと座っているのはしんどい。
立つのは、歌のときだけ。
トイレは大混雑だし、階段は多いし…。

80歳を超えて参加している人たちは、エライと思う。

ぼくは無理そうだ。







| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |