考えたこと2

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アマゾンのサザエさん
サザエさんのスポンサーにアマゾンが名前を連ねるらしい。
今日の日経に書いてあった。

サザエさんといえば、ぼくが中学の頃からやっている長寿番組。
最近の若い人は浪平やノリスケの批判もあるそうだが、批判するということは、見ているという事でもある。
ずっと東芝がやっていたが、家電事業を売却したのであまり意味がなくなって、3月に降板が決まった。

しかし、アマゾンジャパンもいいところに目をつけたと思う。
大人から子供まで、なんでも売っているのだから、まさにターゲット層になる。
若者のテレビ離れは深刻だが、それでもある程度の視聴率は稼いでいるのだろう。

関西の8チャンネルなどほとんど見ないが、これだけは日曜日にいたらつける。
日本の看板企業が降りて、アマゾンジャパンが入るのも、世の趨勢を表している。

アマゾンは赤字体質らしい。
それでも、ネット通販では右に出るものがいない。
日本でも、圧倒的な強さを誇っている。

町の本屋はアマゾンができて、どんどん潰れたし、今や毎日使う消耗品などもアマゾンで注文する方が楽だったりする。
アマゾンエコーというスマートスピーカーも調子がよさそうだ。
人工知能のアレクサも、いい線をいっているという記事も多い。
さらに、いろんなものにアレクサが搭載されて、出てくるという。
そういう連携が上手なのだ。

プライムサービスも値段の割にいいと思う。
アマゾンミュージックは聞き放題になるし、プライムビデオも見放題だ。
アマゾンスチューデントで学生の囲い込みもうまい。

しかし、このままいくと、小売店がどんどん潰れて、アマゾンの天下になるんだろうか。
そうなった時に、どーんと値上げされても困る。
卸、小売りを中抜きして、送料は無料になったりするが、競争相手がいなくなると、じわじわと上げるのかもしれない。
やっぱり競争相手がいないとイケナイ。

そういう意味では楽天か。
楽天も頑張っているのだが、やっぱりアマゾンの方が便利なことが多い。

そのうち、サザエさんのスポンサーも。アマゾンジャパン1社になるかもしれないなあ。

あのオープニングアニメーションで、アマゾンの文字が出てくるところを想像すると、ちょっと恐ろしい。
その日が来るかもしれないぞ。


| | 考えたこと | 20:35 | comments(1) | trackbacks(0) |
テロメア
生物が老化する原因は細胞が老化することが原因だ。
最近言われているのは、細胞が分裂して増えていく回数に制約があるということ。
もう分裂できなくなると、それらが「老化細胞」になって、老化が起こる。

その「老化」も遺伝子でコントロールされているようだ。
遺伝子は細胞分裂のたびにコピーされるのだが、構造が螺旋状の紐みたいなものなので、「ほつれ」が起きないように染色体の末端部に、「DNAのほつれを防ぐ“キャップ”のような役割をするテロメア」という部分がある。
この「テロメア」が分裂を繰り返すと、だんだんと短くなっていくらしい。
記事によると、

「われわれの細胞のなかにあるDNAは分裂のたびに複製されるが、テロメアに限ってはすべてが複製されず、分裂のたびに少しずつ短くなっていく。最終的にテロメアが限界まで短くなると、それ以上の細胞分裂は不可能となる。つまり、短いテロメアをもつ細胞は、“年老いた”細胞なのだ。」

ということらしい。

それをコントロールしているのが「スプライシング因子」という遺伝子。
これが元気になれば、またテロメアが長くなり、細胞が分裂できるようになる。

今回、イギリスの大学の研究グループが、「スプライシング因子」を活性化させるためには、「レスベラトロール類似体」と呼ばれる化学物質を使えばいい、ということを発見した。
これは赤ブドウ、赤ワイン、ダークチョコレートなどに含まれるらしい。
本当に細胞が若返るのだ。

記事の最後には「古い細胞の機能を回復させることで人々が老化による影響を受けずに、健康的に寿命をまっとうできる可能性を示している」と書いてある。

老化とは別に寿命というものがある…。
本当だろうか。
論理的には細胞が老化しなければ、身体は老化しないのではないか、と素人のぼくは思う。

それはともかく、この分野は遺伝子工学とか、分子生物学とか言うのだろうけど、だんだんとヤバイ領域に入ってきている。
老化と寿命が別のものだとしても、人類がみんな寿命をまっとうするようになると、いろんな問題が起こるだろう。
日本では、人生が100年になって大変だという昨今だが、世界中が人間の寿命(115歳と言われている)まで生きるようになる世界が来るということだ。

地球上に人が増えて、食べ物が足らず、戦争が起こるだろう。

そうならないためには、どうしたらいいのか。

自然科学が進歩しすぎると、社会科学が追いつかなくなる。
だからこそ、社会科学は必要なのだと思う。



| | 考えたこと | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
痴呆議会
ネットで香川県議会の議員が海外視察をした内容が書かれている。
目的は海外視察となっているが、9日間の日程で「視察」はたった4時間程度という。
それ以外は何をしていたかというと、観光三昧。ビールを飲んで、観光地を見て歩いたとのこと。

フジテレビの取材班が勝手に彼らについて回って、取材した結果だ。
直撃取材に対して、彼らは「行ってもいないBMWのイベントに行ったと答えた(その後訂正したが)」上に、書面で「スイスの視察は香川の四国巡礼、お遍路の観光産業の参考になる」と書いてきたという。
この視察費用は議員たちのポケットマネーではなく、税金で払われている。

国会議員の政治資金規正法にはいろいろと抜け道や穴があり、ザル法と言われているが、地方議員にはそれすらないという現状。
「市民オンブズマンやマスコミの情報公開請求により、一部の不正事案が発覚しているのが現状」らしい。

そういう意味では、野々村議員の号泣会見は兵庫県議会の情報公開に一役買ったとも言える。

こういうことでもあれば別だが、地方の政治に関する関心度は全く上がらない。
だいぶ前に尼崎市でもカラ出張の事件が明るみ出て、結局党派にかかわらずみんなやっていた、ということだったが、どこでもそんなものなんだろうと市民は思っているのでないか。
最近の市会議員や市長選挙などの投票率も40%前後だ。

たいがいの自治体の議会は行政と緊張関係にはない。
ナアナアでやっているように見える。
尼崎市長選挙を見ても、共産党がおざなりな対立候補を出すだけで、対立候補も立たない。
市政に対して批判がないのだ。
それでは選挙の盛り上がりようがない。

集まった税金をどこに使うのか。
どういう政策を取るべきなのか。
近隣の市に対して、どういう施策が有効なのか。
そういう問題意識を話している議員も見たことがない。

時々駅前で演説をしている人を見るが、やっているのはモリカケ問題や憲法改正の話しくらいだ。
市政についての話など聞いたことがない。

国政であれだけもめている政党が、市政では仲良しになっている。
みんなで市長と仲良くやろう、という感じだ。
これでは投票率も上がらない。

ぼくは投票率というのは、民主主義に対する信任だと思っている。
それが低いということは、民主主義を信頼していないということだ。
その意味で、議員の責任は大きいと思う。

地方政治が活性化しないと、民主主義はよくならない。
民間企業でも副業が認められてきているのだから、議会も平日の夕方や休日に開催することにして、議員の負荷を減らしてはどうか。

それによって、職業議員ではなく、本当にいい人が議員になってほしいと切望する。

| | 考えたこと | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
おばちゃんの決まり文句
「男はつらいよ」にはいろいろと決まったセリフがある。
最初の頃は、おいちゃんと寅次郎が喧嘩をして、「出て行け」というおいちゃんのセリフに、「それをいっちゃあおしまいよ」と返すやり取りがあった。

あのドラマの中で、寅次郎が毎回言うセリフ。
「労働者諸君!」と裏の印刷工場の工員に呼びかけるセリフ。
「そこが渡世人のつれえところよ」というテキ屋らしいセリフ。
「結構毛だらけ ネコはいだらけ お尻のまわりは…」という売り口上…。

でも、そういう有名なやり取りの他に、地味な一言もある。
それが、おばちゃんのいつものセリフ。

「あとで美味しいもの作ったげるからね」

どんなときでも、おばちゃんは優しい。
ドラえもんみたいなおばちゃんだが、寅次郎が帰ってきた時、ほぼ間違いなく声をかける。
寅次郎が沈んでいる時、疲れている時、そういう時に声をかける。
寅次郎の関係者が来ても、落ち込んでいたら必ず声をかける。

「あとで美味しいもの作ったげるからね」

たいがいは「芋の煮っころがし」だ。
おふくろの味、というやつ。
ハンバーグとか、ステーキとかいうものではない。

あの言葉を聞くと、いつものとら屋だと思う。

山田洋次監督の思いが、きっとあの言葉には入っているのだろう。
昭和のおふくろさんという感じ。

そういう声をかけられたら、嬉しいと監督は思っているはずだ。

「あとで美味しいもの作ったげるからね」

「男はつらいよ」に欠くことができない名セリフだ。


| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
士農工商
今の歴史の教科書には「士農工商」という身分制度は載っていないらしい。
研究の結果、そういう厳しい身分制度はなかった、というのがその理由。
ビックリした。
あれは、間違いだったのか…。

ウチの息子たちに聞いたら、どっちも習っていた。
今は載っていないらしい、と言ったが、それほどの感慨はないらしい。

一応、武士は一段上ということだが、農工商は対等だったというのが、教科書会社の弁。
それが最新の研究結果とのこと。

士農工商が消えたということは、明治になってからの「四民平等」も消えたということだ。
もともと武士を除けば、上下の区別がなかったということだから、最初から平等だったということになる。

その関連でWebを見ていたら、鎌倉幕府も1192年ではなく、1185年になっているらしい。
いい国作ろう鎌倉幕府だったが、今はいい箱作ろうだ。
意味が通らないが…。

江戸時代の身分制度をあげて、暗黒の時代のようにいうのは、封建制度が悪だという史観に基いていたから、という気がする。
時代はそういう時代だった。
戦後70年近く経って、普通に戻ったということか…。

歴史は生き物だ。
そんなことになっているとは思わなかった。

日本だけでなく、教科書に載っているアメリカのことも変わっている。
奴隷解放で有名なリンカーン大統領は、今はリンカン大統領という表記らしい。
リンカンというと、林間学校しか思い出さない。
リンカン大統領とはなあ…。

時代は変わる。

独立して、歴史というものは存在しないのだろう。
その時代の見方というものがある。

だから、いろんなところで争いが起こる。

困ったものだ…。


| | 考えたこと | 16:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
コカ・コーラ ピーチ
ピーチ味のコーラが出たということで、今日の帰りに買った。
色は完全にコーラだ。
もうちょっと薄い色になっているのかと思ったが…。

ピンクと赤を基調にしたペットボトル。
ひと目見てピーチ味というのはわかる。

晩御飯のあと楽しみにして飲んだが、飲んだ瞬間ピーチの味はするものの、コーラとは合わない。
これはダメというのが、ぼくの評価。

2006年にペプシがしそ味を出した。
ペプシソhttp://suzy.blog.bai.ne.jp/?eid=157803だ。
あれも今ひとつだった。

取り合わせとしては、コーラから離れないと、味が明確にならないから、しそやピーチになるだろうと思う。
でも、そうなると、コーラの味と離れすぎて、飲んだ時に違和感だらけになる。
それほどコーラの味は濃いのだろう。

ペプシネックスはわりと成功だったと思うが、あれはレモンを入れたらしい。
もともとコーラを頼むと、レモンスライスが入っていたりして、レモンとコーラはよく合う。
だから成功したのだと思う。

しかし、コーラと馴染みすぎて、レモンコーラというほどにはならない。
そこに難しさがある。

ペプシソといい、コカ・コーラピーチといい、失敗が続く。
コカ・コーラピーチもおそらくすぐに消えるだろう。

コーラのバリエーションを成功させるのは、何だろうか。

しそとピーチはダメとわかった。
意外とオレンジあたりではどうだろう。
やっぱり柑橘系かもしれない。

そうなると、ファンタとどう違うのか、という問題も出てくる。

難しい問題だ。

ペプシソが出たのが2009年。
2018年になって、コカ・コーラピーチ。
メーカーは違うものの、その間8年もあいている。

8年かかっても、今までのコーラを変えられない。

新しいコーラは、どんなものになるのだろうか…。



| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIの読解力
中国はAIの開発に力を入れている。
その中国で、アリババという会社のAIが読書や理解力のテストで人間のスコアを超えたという。

スタンフォード大学のテストに挑戦して、10000問以上の質問に対して正確な答えを返すという課題で、82.44点を出したという。
対する人間のスコアは、82.304点。
どんな試験か知らないが、10000問以上の文章を読んで、答えを出すということだから、大したものだ。
中国に遅れて、マイクロソフトも82.650点を出したらしい。
記事によると、

「学会などAIの研究分野では、すでに中国勢が圧倒的多数。年々、論文数の割合も増え始めています。特に商業面や軍事において論文数の増加傾向は顕著です」(日本のAI研究者)

ということだ。

文章を理解するAIの能力が上がると、コンピューターが本を読めるということだろう。
これはスゴイことだ。
見たものが何かということの理解どころではない。
どんな形でそれを覚えることができるのか、果たして人間のように記憶ができるのか、それが気になる。

24時間、365日延々と本を読むことができれば、すごい勢いで賢くなるだろう。
それこそ、世界一の天才になるはず。
すでにそういうプロジェクトが発足しているのかもしれない。

そういうAIがターミネーターのような世界を招かないとも限らない。
もちろん、今すぐにではない。
それでも、何年か経てば、そこまでいくのかもしれない。

多くの人が仕事の形を変えないといけなくなるだろう。
知識が必要な仕事のはAIに聞けばよい。
その時、人間は何をやるのか。

困ったことだが、考えておかないといけないだろう。

エライ時代になったものだ。


| | 考えたこと | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
スーツにリュック
前にも一度書いたが、とにかく若い人はリュックが多い。
ショルダーバッグや普通のバッグは流行らない。
スーツでもリュック姿だ。

ぼくの若い頃はアタッシュケースが流行ったが、そんな人はもういない。
あの、パチンと開ける金具の音がとっても魅力的だったのだが…。

大学の入学式から、スーツにリュックだから仕方がないのかもしれない。
名古屋大学の教授も、ノーベル賞の授賞式に行くのにリュックだったからなあ。

しかし、電車の中で見ていると、やっぱりスマホの影響が大きいと思う。
両手が空いていないとスマホが使いにくいのだ。
だからリュックだという分析結果はないのだろうか。

最近はスマホでゲームをやっている人も多い。
ゲームは片手ではやりにくく、両手で持ってやっている。
空いていて座席が空いていれば、座ってできるのだが、立ってやろうと思うとショルダーバッグではやりにくく、やっぱりリュックになると思う。
スマホの地図を見ながらどこかに行く、という時にも便利だ。

最近は四角いタイプのリュックも増え、ショルダーバッグにもなるし、手でも持てるというタイプも増えた。
ビジネスリュック、というタイプだ。
四角いと書類が折れずに済む。

それと、フォーマルなスーツが求められない職場が増えたり、クールビスが当たり前になり6月から10月くらいまでネクタイが要らないということもあるだろう。
そういうスタイルの変化も手伝って、リュックが増えているのだ。

また、クラウドの利用も増えてきて、PCの持ち出し禁止の会社が減ったということもあるとのこと。
なるほど。
だから、パソコンも持つとなると、ショルダーバッグなら重いからリュックになるのか。

スーツも最近の若い人のは格好がいい。
ストレッチスーツというのが流行っているらしい。
細身だが、身体は楽なタイプがいいとのこと。
そういう服装なら、リュックもいいかもしれない。

実はぼくの今使っているバッグも手持ち、ショルダー、リュックになるタイプ。
でも、リュックとしては使ったことがない。
だいいち、背負うには不細工なのだ。

しかし、そういうタイプの格好のいいバッグも増えてくるのだろう。

新しいトレンドだ。


| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
チャット
進んだ会社では、メールをどう脱却するかという時代になっているらしい。
ラインのようなチャットがその解決策であるらしい。

ぼくが会社をやめた時は、FAXからメールへの転換が終わって、メールが通信手段の主体になっていた。
当時の課題はどうメールを活用するか、ということだった。
たしかに毎日たくさんのメールが届いて、仕事にならない、という声もあるにはあった。
部下や関係部署が増え、とりあえず送っておこう、ということで送られるメールが急増していたころだ。

メールを出すということの敷居が低く、紙やお金がかからないということで、そういう状態になるのは、必然といえば必然だった。
2004年に学校法人に転職したが、そこではまだメールなど使えない人がたくさんいる職場だった。
学校法人は未だにそうだろう。
だから、ぼくのメール体験はその当時のものが最新になる。

その後、企業では増え続けるメールをどうするかという課題が深刻になった。
いろんなツールができたようだ。
そういえば、グループウェアというのが流行った時期があった。
学校法人などの通信量では入れても仕方がない、という感じだったが…。
それが2000年代の初頭。

今はいろんなツールが検討されているらしい。
中にはLINEのようなチャットツールもある。
ブログのようなシステムを利用したものもあるらしい。
どうやって仕事上のコミュニケーションをとるか、ということだ。

メールができた時は、便利だと思ったが、今やそれが仕事を阻害している。
みんなが使うようになると、そういうことも起こる。
今や組織では、単なる通信手段を超えて、どうやって効率的に情報共有するかということが求められている。

グーグルの社内ではメールは使われていないという。

メールに振り回されるようになったら、やめることを考えたほうがいいということか。

これからは、メールはもっぱら個人で使うことになり、組織ではその仕事に合ったものが使われるようになるのかもしれない。

さあ、どうなるか。


| | 考えたこと | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 西部邁
西部邁が自殺とのこと。
多摩川で亡くなった。

この人は東大の紛争のころは左翼で、その後右に変わったという経歴の持ち主。
朝から生テレビによく出ていた。

北海道生まれらしく、大陸的な豪快さがあった。
難しい思想は知らないが、朝まで生テレビでは言っていることは歯切れが良かった。
一度腹を立てて、テレビ収録の途中で帰ったこともあったと思う。
そういうところも、認められるキャラクターだった。

東大をやめて、論壇誌の主幹をやりだしてからはあまり知らない。
何冊か本は読んだと思う。
「生の周囲への貢献がそれへの迷惑を下回ること確実となるなら、死すべき時期がやってきたということ」と本に書いて、本当に自殺した。

奥さんを亡くしてから、そういう言動が多かったようだが、信念の人だったのだろう。

78歳。
50代半ばから、周囲に迷惑をかけず、意識的に死にたいと公言していたらしい。

すごい精神力だ。
エライ人だと思う。

合掌。


| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
月刊誌
紙の月刊誌は読者層の年齢が高くなっているらしい。
月刊文芸春秋は、読者の平均年齢が80代になっているらしく、その人たちのために書かないと仕方がない状況ということだ。
エライことだ、と一応ぼくは思う。

確かに月刊の文芸春秋は、ぼくらの世代ですら買っている人はいなかった。
何かイベントがあれば、その号は売れるかもしれないが、月間の文芸雑誌を買うという習慣はもうなかった。

若いころ、会社にいるときに出入りの本屋さんが持っているのを見たことはある。
ちょうど、ぼくらより10歳以上上の人が購読していたのを思い出す。
阪神大震災の前だ。

でも、ネット上にはいろんな記事があって、月刊誌や週刊誌の記事で無料で見せているものもあるし、そういう専門サイトもある。
だから、月に1回の文芸誌を取らなくても、他から情報を取ればいいわけで、それができない人たちが買い続けているから、高齢化したということにもなる。
文芸春秋は80代の読者と心中せざるを得ない、ともネットには書いてあった。
多かれ少なかれ、紙のメディアはそういう運命をたどると思う。
紙からネットへの転換が必要だろう。

出版事業というものを考え直さないといけないのだと思う。
だからと言って、紙の本がなくなるとはまだ思わない。
やっぱりアナログな良さはある。
ぼくが古いだけかもしれないが…。

でも、週刊誌や月刊誌といった使い捨ての情報を伝えるものは、時代とともになくなっていくように思う。
大きく言えば、テレビやラジオも含めて既存のメディアは変わっていかないといけないのだろう。
月刊文芸春秋はこのままならあと10年は続かない。
他の月刊誌や週刊誌も長い目で見れば同じことだろう。

問題はその高齢者のゾーンが日本ではボリュームゾーンであることだ。
だから、既存のメディアは変わろうとせず、高齢者に合わせていっている。
それが余計に若い人たちのメディア離れを招いているのではないか。

仕事で若い人と接していると、本当にテレビ離れ、メディア離れを感じる。
世の中に共有できる話題がなくなってきて、どんどん個別化している。

だから、自分の知っている人としか話さなくなるのかもしれない。

メディアの人たちはこの危機感を感じているんだろうか…。


| | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
エドテック
エドテックと言っても、江戸時代のテクノロジーではない。
エデュケーション・テクノロジーの略だ。

タブレットやパソコンを使って、習熟度に合わせて勉強を教えてくれるようなシステムができつつある。
学生の家庭教師も、もう不要になるかもしれない。
24時間いつでも利用できるし、わからないところは何度でも繰り返し学習できる。
おまけにその授業をやるのが非常に優秀な講師だとしたら、学校の存在意義すら薄れてくるだろう。
ブロードバンド化が進み、動画が簡単に送れるようになった今、本当に現実味を持ってエドテックを語る時代が来たと思う。
予備校業界では、もうすでにそういう時代になっている。
東進衛星予備校というところでは、教えるのが上手な講師の授業を各教室に配信している。
教えるのが下手な講師は要らない。
トップクラスの講師が一人いればいいというわけだ。

公教育では、リクルートがやっている「学習サプリ」というアプリを、実際に東京の小学校で使った実例がある。
実験の結果は以下のようになっている。

「本実証実験の特徴として、学習履歴から人工知能で生徒個人ごとの「苦手ポイント」を特定し、「苦手克服レコメンド」として「今、復習すべき講義」を生徒1人ひとりに提供するアダプティブラーニングの機能を両校で活用したことが挙げられます。これにより、生徒は自分専用の学習プランに取り組むことができ、対象の児童・生徒において全体の学力向上がみられました。」

今年度から、渋谷区の小学校には一人一台のタブレットが導入されるらしい。
きっと効果が上がると思う。

ちなみに、学習サプリの中学英語の授業を聞いてみたが、よくわかるものだった。
塾よりも安いし、効果も大きいと思う。

これからの時代、学校の役割とは何なのか、考え直す必要がある。
特にITから遅れている教員組織は見直すべきだ。

エドテックはその起爆剤になると思う。
| | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
地球温暖化の原因
今朝のBSワールドニュースを見ていたら、科学者たちは地球温暖化は人類が化石燃料を燃やしてきたのが原因だと言っている、というイギリスのニュースがあった。
NASAの地球の平均気温のレポートも、そういう結論になっている。

科学的には、完全に証明されたわけではないのだと思う。
その結論に反対している人もいる。
地球規模の気象変動は長期間の活動の結果であって、そんなに簡単に結論づけられない。

しかし、90年代に比べて賛同する科学者が増えたことは事実。
92年に「人類への警告」というアメリカの科学者団体が出した本では、署名した科学者は1700名だったが、昨年11月に出た最新版では世界規模に広がり、15000人に増えているという。
90年台からの20数年を見れば、どうも人間の影響がある程度は寄与しているのは確からしい、ということだ。

シェールオイルなどの影響で、アメリカは世界一の産油国になった。
その産業を守るという意味でも、トランプ大統領は地球温暖化には懐疑的だ。
折から、アメリカの厳しい寒波で、温暖化を揶揄するツイートをしている。

「東部では史上『最も寒い』大みそかになるようだ。たぶんわれわれは、古き良き地球温暖化をもうちょっと活用してもいいんじゃないか。わが国は他の国々とは違い、温暖化対策に『何十兆ドルも』つぎこむ予定だったのだから。暖かい格好をしよう!」

地球温暖化の影響が、気候の変動を大きくしているから、寒波になるのだ、というようなツッコミが出ている。
まだまだ、この手の議論は続くだろう。

ヨーロッパは石油が採れないから、脱石油の動きは大きい。
ドイツは再生可能エネルギーだし、フランスは原発だ。
いずれにしても、石炭や石油を燃やすのはやめよう、ということだ。
これはエネルギー安全保障にもなる。

しかし、NASAの地球の平均気温のアニメーションを見せられると、これはヤバイなあと思う。
ぼくらの世代は大変なことになる前にいなくなるだろうが、子どもや孫の世代はどうなるんだろう。
こういう形で種の絶滅が起こるんだろうか。

一方で、脱石油の動きが大きくなって、中東の産油国が苦しくなり、紛争が起こったりしている。
いろんなことがつながっているのだ。

ぼくは詳しいことはわからないが、ぼちぼち脱石油に舵を切るべきだと思う。
それが安全保障にもつながる。

だから、原発を動かすほうがいいと思うのだが…。


| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
猫用全自動トイレ
ペットの飼育数でネコがイヌを抜いた。
ペットグッズの売り場面積でも、ネコの商品が増えているように思う。
時代はネコ人気だ。

今日歩いていたら、ネコ病院というのもあった。
イヌ・ネコではなくて、ネコ病院。
ネコ専門でやっているのだろう。
この調子なら、獣医科も動物ごとに専門化するかもしれない。

ネコが人気があるのは、手がかからないからと理由。
散歩をさせないでいいのが一番だろう。
となると、次にややこしいのは排泄だ。
ずっと家にいるので、ウンチやオシッコの世話をどうするか、ということだ。
そこで猫用全自動トイレの登場だ。

固まるタイプの砂を使わないといけないが、それさえ入れておけば自動で排泄物を片付けてくれる。
ドーム型をしていて、ネコが丸い出入り口から入るとセンサーが検知する。
排泄が終わって設定した時間が経つと、ドームの底が回って下にかたまった排泄物を落とす。
ドームの下のトレーに排泄物が落ち、そこが一杯になるとLEDで知らせるという仕組み。
トレーにはゴミ袋が入っていて、一杯になったら捨てるだけだ。

7万〜8万円するらしい。
アメリカでは前から売っている。
これがあれば、飼い主はだいぶ楽になる。

ネコはどうだかわからない。
しかし、ネコはきれい好きだというから、全自動トイレはいいかもしれない。
買ってもネコが気に入ってくれなくて、使わないというケースはあり得るなあ。

その時は飼い主はネコ様の機嫌を損ねたと諦めるしかない。
ネコは気ままだ。
でも、それがいいところでもある。

ややリスクが大きい商品だが…。

そのうち、ダイソンが作り始めるかもしれないぞ。



| | 考えたこと | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIアプリ
AIを使ったアプリが増えてきた。
画像認識の能力が上がったのが大きい。

見たものを何かわかる、というのは人にとってはアタリマエのことだが、それをコンピューターがやる、というのはスゴイことだ。
グーグルがネコの顔を識別できるようになった、と発表した時にはそれが何を意味するのかよくわからなかったが、応用されてくるとそのスゴさがわかる。

仕上がり検査などは、人間の目視でやっていたものが機械に変わるし、何かを人間が判断して文字で入力する代わりに画像を使うことができる。
見えているものが何かを理解することは、それだけのインパクトがある。

ソニーが画像センサーに力を入れているのも、そういうことができるようになったからだ。
単に写すだけでなく、写したものが何かわかるのだから、応用が効く。
自動運転にもそういう技術が使われる。
2019年にはGMがハンドルがない車を出そうとしているらしい。
そんなレベルになっているということだ。

スマホのAIアプリにも応用されている。
食べるものを写真に撮れば、それが何かを理解してカロリー計算をしてくれるというアプリがあるらしい。
カロミル、という名前。

日経トレンディの記事を引用すると、

「食事や体重を管理するアプリの最先端は、ディープラーニングによる画像認識の有効活用だ。ダイエット管理アプリの「カロミル」(ライフログテクノロジー)が17年9月から食事画像認識AIを実装。スマホで撮影した食事の画像から料理の種類をAIが判別し、カロリーや脂質・糖質量などを自動判定。識別率は約82%だという。1日の栄養素がレーダーチャートで表示されるなど、ほぼ「ほったらかし」で食事内容が見える化できる。」

写真を撮ったら、カロリー計算ができるとなると、利用度は上がるだろう。
ダイエットは大きなマーケットだ。
今までなら唐揚げ定食をリストから選んで、そのカロリーを入力していたのだが、その手間が写真を撮ることで終わる。
「ディープラーニングを使った食事画像認識AI」というのが可能にした。

このAIが画像認識するために、どれだけの料理の写真を学習させたのかはわからない。
でも、インターネット上に掃いて捨てるほど料理の画像があるから、そういうのを使えばいいのかもしれない。
「どういうものを撮っているか」がわかれば、わりと学習しやすいだろう。
この場合は「料理」を撮っているのだから、判断しやすいのかもしれない。

こんな風にコンピューターは賢くなっていく。
インターネットというインフラが、それを可能にする。

作った人間も、どうやって判断しているのかわからないが、できるようになる。
そういうところが、何となく怖いのだろう。

でも、便利になるのは間違いないぞ。


| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
認知症と刑罰
こないだの新聞に高齢受刑者の記事があった。
なんでも60歳以上の受刑者の1割が認知症だという。

検査をすれば認知症、という軽いものならいいが、出所しても自立が難しい認知症の人もいるらしい。
それはそうだろう。
受刑者だからといって、認知症にならないとは限らない。

しかし、人生が長くなった昨今、認知症になって全てを忘れてしまったら、刑罰の意味はどうなるんだろうか。
家族も忘れ、過去の記憶も忘れたら、罪を犯したことも忘れてしまう。
よくすべてを忘れて別人のようになった、などということを聞くが、そういう場合のことだ。

Wikipediaによると、刑罰の意味としては、絶対主義と相対主義があるとのこと。
絶対主義というのは、正義を回復するために犯罪を犯したものは罰しないといけない、という考え方。
相対主義というのは、一般の人や犯罪者本人に、将来犯罪を行わせないために罰するという考え方だ。

絶対主義の場合は、受刑者がどうあろうと、刑罰は与えないといけないことになる。
ややこしいのは相対主義の考え方。
将来犯罪を行わせないためということの前提は、その人が犯罪を犯したという記憶があるからで、それが認知症で失われたらどうなるのか。

記憶はその人そのものだから、それを失ったら刑罰の意味がなくなるのではないか。
認知症という病気は難しい。
人間の一番大事な「記憶」という部分を扱うものだ。

自分がなぜ刑務所にいるのか、ということすらわからなくなった受刑者をどうするのか。

ややこしい問題だと思う。


| | 考えたこと | 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコの格言
ネコにちなんだ人生指南の本はたくさん出ている。
最近フランスで発行され、22カ国で翻訳された本が「猫はためらわずにノンと言う」。
それを紹介しているページを見た。

なかなか良さそうな本だが、値段が高いので古本になるのを待つことにする。
その紹介記事の中に、ネコについて書かれた格言がある。
ネコ好きはネコに哲学を感じているのがよくわかる。

「猫と犬との違い。
犬は人に食べさせてもらい保護してもらっているから、人を神だと考える。
猫は人に食べさせてもらい保護してもらっているから、自分を神だと考える。(アイラ・ルイス/俳優)」

「犬には主人がいて、猫には下僕がいる。(デイヴ・バリー/作家、コラムニスト)」

「私たちは猫を飼っているのではなく、猫に飼われているのだ。(フランソワーズ・ジルー/ジャーナリスト、作家)」

これらはよくわかる。

人間に飼われていても、媚びないところがいいのだろう。
ネコ好きの人はだいたいそういう感じだと思う。
ある意味、独立しているところがいいのだ。

だからといって、全く独立しているはずがない。
ペットとしてのネコだからだ。
でも、飼い主に依存はしているが、その関係も微妙なところだ、ということも格言になっている。

「猫はとりあえず欲しいものを要求するのはタダだと思っている。(ジョセフ・ウッド・クラッチ/作家、批評家)」

「もしあなたが猫の愛情にふさわしいなら、猫は友人にはなるが、奴隷にはならない。(テオフィル・ゴーチエ/詩人、小説家、劇作家、評論家)」

それでも、結局は飼い主のことを理解してくれる、と思っているのだ。
そうでなくては、ペットにならない。

「この世で唯一私を理解してくれるのは、うちの猫だ。(ディアヌ・ゴンチエ/作家)」

こういう人が増えたから、ネコの飼育数がイヌを超えたのだろう。
イヌには人生哲学をそれほど感じないが、ネコには感じることが多い。

その仕草や態度が人間をして思わせる。

早く古本が出回らないかな。


| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
宅配ボックス
国土交通省が、宅配の再配送によるロスを計算したらしい。
それによると、再配達は全体の2割あり、年間9万人分の労働力が消費され、CO2の増加は42万トンに相当するとのこと。
通販がどんどん増えていくと、ロスはどんどん大きくなる。
困った話だ。

だから、コンビニで受け取るとか、配送日時を指定するとか、いろんな事がやられている。
一方で、昼間に誰もいない家が増えている。
単身世帯や共働き世帯が増えているのだ。

ぼくもネット通販をよく利用するが、クロネコが再配達で困っていると聞いてちょっと気が引ける。
だから、クロネコクラブに入って、配達時間を指定できるようにした。
再配達をしなくてもいいようになるのだ。

再配達の対策として、福井県で宅配ボックスの設置による実証実験が行われた。
その結果、再宅配率が49%から8%にまで下がった。
宅配ボックスとは、共働きの世帯などに設置していつでも宅配便の受取が出来るようにするものだ。
数万円で設置できる。
配達して、箱に入れたら機械的にハンコを押せるようになっている。

これなら時間を気にせず注文できる。
ワンルームの学生マンションなどに設置するのはいい考えだ。
遠慮なくネット通販を使うことができる。
実証実験では宅配ボックスを設置するための補助金が出たらしい。
実験が有効だと分かったら、どんどん拡大すればいいのだ。
既得権を守るような補助金を削り、宅配ボックスに補助をすればいい。

新築のマンションなどは最初から設置すればいいのだ。

どうだろうか。
| | 考えたこと | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
2番めに嫌なこと
嫌なことをやるためには、もっと嫌なことをやろうとすることだ。

常日頃、時間があればジムに行こうと思っているが、いつも行こうとすると面倒くさくなる。
生来の無精者の性格が出てしまう。

今年は、年末年始の休みに入ったら、4月からの仕事の準備をしないといけないと思っていた。
思っていたというより、やらないといけないのだ。
それでも、なんとなく手がつかない。

ジムに行くのと、仕事をするのとどっちが嫌かというと、仕事の方。
だから、年末はジムに行った。
なるほど。
ジムに行くのが面倒くさいのだが、それよりも仕事をするのが嫌だから、ジムに行ける。
つまり、嫌なことをするためには、もっと嫌なことをしようとするといい。

これはいい考えだ。
人間は思っていることと行動が一致しない、厄介な生き物だ。
やらなければいけないとわかっていても、それをやるとは限らない。

書店には、嫌なことをやるための本がたくさん並んでいたりするが、決定的なものがないから、あの棚の本がなくならない。
「やらなければならないことをやる」、これは人類の一大テーマだ。
その答えが「もっと嫌なことをやろうとする」ことだ、というのは意外と正解かもしれない。

しかし、これは自己啓発本にはなりにくいだろうなあ。


| | 考えたこと | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生の逆算
人生100年時代というが、長くなった老後で一番の問題は「いつ死ぬか」ということだと思う。
それさえわかれば、そこから逆算していろんなことが決められる。

はっきり決まるのが重荷なら、5年単位でもいい。
だいたいいつ頃死ぬか、ということでも情報としては大きい。
75歳くらいとか、90歳くらいとか、そういうことだ。
それがはっきりすると、残りの時間が決まるから、どれくらい資金に余裕があるとか、逆に足りないから今のうちに始末するとか、もっと稼ぐとか、そういう計画がたつ。
今の状態なら、長生きのリスクを考えざるを得ないから、ひたすら節約するだけだ。

ほとんどの人が80歳を超える今となっては、長生きはリスク以外の何物でもない。
経済的な問題をどうするのか。
生きる目的をどうするのか。

最近のネット記事でも、どうやって人生の終盤を生きるかというようなものが増えている。
どうも結論としては、なるべく長く働くこと、副業などを持つこと、趣味を持つこと、社会とつながることなどがあがっている。
どれもそうだと思う。
でも、全ての悩みの元は「いつ死ぬか」ということがわからないことだ。

人類が生まれてからこっち、「いつ死ぬか」が問題になったことなどないだろう。
そんなぜいたくな悩みは持ちようがなかった。
「死」は忌避すべきものであり、「どうやって長生きするか」が問題だったと思う。

ところが医療と社会保障が進んだ日本では、そうではなくなってきたということだ。
もちろん、めでたいことではある。
しかし、そういう人がどんどん増えているというのが、少子高齢化社会。
このままでは、社会がたちいかなくなる。

遺伝子工学が発達すれば、ある程度わかるようになるかもしれない。

日本は、この分野では世界のトップランナーだ。
そのうち日本のようになる国々の見本を作らないといけない。

この30年ほど失敗しているが、今からでも取り返したい。

みんなで知恵を出そう。


| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
若い頃
最近、若い頃仕事をしていた時のことを思い出す。

新車用のタイヤを開発していた。
80年代から90年代にかけてのバブルの時代。
日本の自動車産業が世界を制覇した頃だ。

とにかく忙しかった。
レクサスやシーマといった高級車の開発が始まり、どのメーカーも競って車種を増やしていた。
だから、70年代に比べ、開発するサイズの数が倍増した。
まだパソコンが普及する前。
Faxの全盛期だった。

毎日夕方まで出先の技術営業から、開発資料を山のように送ってきた。
目標とする性能や諸元が書いてある。
今はもう何を考えて仕事をしていたのか、想像もつかない。

週に3日も4日も日帰り出張したり、土日も出勤して仕事をした。
毎日家に帰るのは夜の11時を過ぎていた。
バブルの絶頂期には終電がなくなり、毎日タクシーで帰っていた。
今のようにコンピューターが進んで、データーベースが当たり前の時代なら、もっと効率的に仕事ができただろう。
とにかく、電話とFaxに追われた。

工場と試作の打ち合わせをやり、テストコースに行き、ラボに依頼してデーターを取った。
自動車メーカーの部品コンペで承認を取るのは大変だ。
まだ出来てもいないクルマの部品を作るのだから。

自分でも何をやっているのか、よくわからなくなることもあった。
でも、そういう思いは忙しさが消してしまう。
80年代後半から、日米自動車摩擦を解決するために、日本メーカーは現地生産を増やした。

アメリカで主だったメーカーがクルマを作り始め、現地生産部品の比率を上げるために、日系メーカーに現地生産製のタイヤ開発の依頼を出した。
アメリカ人の技術者と交流が始まり、日本の夜中でも彼らと仕事ができた。

そういう歴史の一端を担ったのだ。
がむしゃらに働いたと思う。
睡眠時間は毎日5時間くらいだった。
あんな働き方はもうできないし、今はそういう時代ではない。
1日8時間でやるのが仕事。
法令遵守というヤツだ。

結果的には効率が悪い仕事をしていたと思う。
でも、ああやるしかなかったはず。
そんな風にして、80年代、90年代を過ごしてきた。

あれは日本の黄金期だった。
Japan as No.1と言われ、終身雇用、年功序列というシステムが素晴らしいと言われ、そしてバカみたいに忙しかった。

今からは想像できない。


| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
アストロズ2
日経のメジャーレポートという記事で、今季のワールドシリーズの覇者であるアストロズのコーチの記事があった。

前にも書いたが、アストロズは野球のデーター化で強くなったチーム。
バッターの打球のデーター解析が進み、野手が極端なシフトをひいて、ゴロではヒットが狙えないという状況から、とにかく打者はボールを上げるという「フライボール」狙いを進めた。
この戦略が大成功した。

データーからも長打率や得点など、フライを打ったほうが高い。
そして、どうやったら飛距離の長いフライを打てるかということを、バッターに説明して意識させたということだ。
そのために、1月に物理学者やデータの専門家からコーチ陣がレクチャーを受けたとのこと。
それを春のキャンプで選手に示して、課題を与える。
データーを信じて実践するかどうかは選手に任されているという。
よく言われるが、フライを狙って大振りすると三振が増えるというリスクがある。
それはアストロズもよくわかっていて、三振の多い選手を放出したり、選手がやみくもに振り回さなくなったりしたことで対策し、今季は三振の数はリーグ最少になったらしい。
それも優勝の要因になった。

でも、総合的にアストロズを優勝に導いたのは、チームづくりだったと書かれている。
統計学やコンピューター科学の学位を持つ人や、数学者、物理学者を雇い、精神面でのトレーニングをする人も加えたとのこと。
これを断行したチームのジェネラルマネージャーは経営コンサルタントをやっていた人だ。
いかに畑違いの人間を呼んできたかということだろう。
そういう開かれたチームづくりが強いチームを作ったということだ。

以前マネーボールという小説で、アスレチックスというチームのジェネラルマネージャーの事が書かれていたが、これも統計学者をチームに入れてその指示で選手を選ばせた。
その時にも、ずっと野球をやってきたスカウトやコーチなどからすごい反発があったと書いてあった。
どうしても、その道でずっとやってきた人たちには受け入れられないこともあるんだろう。
しかし、アメリカのスゴイところは球団のフロントが実行することだ。
やってみなければわからない、という姿勢。
それこそアメリカのフロンティアスピリットだと思う。

それに比べて日本の野球界は旧態依然としている。
少年野球の指導者が頭が固くて、子どもが野球から離れているという状況。
さらに、子供の頃に投げすぎて、プロに入ってしばらくしたら肩を壊すピッチャーが多い。
アメリカではリトルリーグは投げる球数が決まっているらしいが、日本には規則はない。

吉田拓郎が若い時に歌った「イメージの詩」というのがある。
そこで拓郎は「古い船を今動かせるのは、古い水夫じゃないだろう」と歌っている。
「古い水夫は知っているのさ 新しい海のこわさを」ということだ。

新しいことは恐いことだ。
自分のやってきたことや常識を捨てないといけない。
でも、それをやらないといけないのだ。

今の日本全体に言えることかもしれないなあ。
| | 考えたこと | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
知性は大事
アメリカでトランプ大統領の事を書いた本が出版され、話題になっている。
「炎と怒り」という本だ。

ヤフーニュースの記事によると「同著によれば、側近の多くが、トランプ氏のことを「まぬけ」と言い、大統領として適任ではないと考えているという。トランプ氏は同著を“フェイク・ニュース”ならぬ“フェイク・ブック”と呼んで反撃しているが、ツイッターで反撃するほど売れ行きは伸び、トランプ氏に“負の効果”をもたらしている。」とのこと。

彼の言動が報道されるのを見ていると、そういう感じもあるのは事実。
とにかく、何か言われたら言い返さないと気がすまない。
ツイッターというツールができたこともあるが、そこが今までの大統領とは違うところだと思う。

普通は大きな影響力を持つアメリカ大統領だから、軽はずみな発言は自重するものだと思うのだが、そんなことは気にしない。
そういうところが、トランプ支持者にも受けているんだろう。
でも、今回の一連の大統領のツイートの記事を見て、日本人なら謙虚さに欠ける、と思うのではないか。

自分で自分のことを「安定した天才」と言っている。
「天才」とはある意味破天荒なものだが、いったい「安定した天才」とはどんな人なんだろう。
自分でそう言ってしまうところが何とも言えない。

ブッシュ・ジュニアもいろんなジョークのネタにされ、かなりバカにされた面があるが、それでもここまで露骨に反応しなかったと思う。
ちゃんと側近の言うことを聞いたのだろう。
言いたいやつには言わせておけ、ということだ。
いちいちかまっていたら、相手の思う壺だということもある。

トランプ大統領の場合は、本当に歯止めがない。
核のボタンについても、北朝鮮に対して「俺のボタンのほうが大きい」などと言っている。
アメリカでは、上院外交委員会が「核兵器を使用する大統領権限」について公聴会を開催したとのこと。
今は大統領の一存で核攻撃をすることができるが、それに議会の承認という歯止めをかけよう、ということらしい。
やっぱりみんな心配しているのだ。

こういうことを言うと、いやいやそれは彼の深謀遠慮で、支持率を上げるためにわざとそういうことをしているのだ、という人もいる。
そうかもしれない。
しかし、去年1年間の彼の言動を見ていると、本当に心配になる。

そういう意味では、タイムリーな出版だった。
| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
アトムの影響
日本のコミュニケーションロボットは、どういうわけか男の子の声を使っている。
シャープのロボホンもそうだし、トヨタのキロボミニも、ペッパーもそうだ。
ただし、男性と言っても子どもの声で、音程は高めだ。

対して、アメリカのアマゾンのアレクサ、グーグルアシスタント、アップルのシリ、マイクロソフトのコルタナなどは女性の声。
これには理由があって、ネットによると「男女ともに女性の声の方が受け入れやすく、温かみを感じるから」ということらしい。

聞き取りやすさということでは、きっと大人の男性の声は低めでダメなんだろうと思う。
だから、アメリカの各社は女性の声を使っている。

でも、日本のロボットは子どもの男性の声。
これはきっとアトムの影響だと思う。
日本が人間型のロボットにこだわるのも、同じ理由だろう。

アトムは天馬博士が亡くなった子どもの代わりに作ったロボット。
小学生くらいの大きさだったと思う。
それが刷り込まれているのだ。
だから、大人というより子どものイメージで作られている。
ロボホンやキロボミニなどは完全に子どもだ。

コンセプトとして、人間と会話しながら成長するということだから、最初は子どもという設定なのかもしれないが、なんで男性なのかなと思っていた。

ぼくらの世代の人たちは、小学校の頃にアトムの洗礼を受けている。
ぼくが小学校の1年の時に、アニメが始まった。
アトムはぼくらのヒーローだった。
今見たら、モノクロのかなりクオリティの低いアニメだが、その当時は画期的だった。

ロボットという言葉を知ったのもアトムだし、馬力やエネルギーという言葉を知ったのもアトムだった。
ぼくがSF好きになったきっかけもアトムだったし、大げさにいえば、科学というものが素晴らしいものだという事を植え付けたのもアトムだったと思う。

ウチの長男が小学生になった時、見ていたのが戦隊モノだった。
ジェットマンやジュウレンジャーというような名前を覚えている。
あれにはアトムにはあった「科学の子」というような側面はなかった。
スポンサーがおもちゃ屋で、自身の玩具を売るために番組だった。

そういうことをしているから、「科学」を重要視しない風潮がひどくなったのだと思う。
原発をめぐる報道を見ていて、本当にそう思う。

手塚は偉大だった。
そういう作品を見て育ったぼくらは、つくづくラッキーだった。


| | 考えたこと | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己実現
ぼくが入社した時代は、まだまだ高度成長で終身雇用、年功序列という制度が盤石だった頃。
実質的に就職というのは就社だった。
余程のことがなければ会社が定年まで面倒を見てくれる。
そういうことを意識すらなかった。それが当たり前だったからだ。

ぼくの同期も20人いたが、途中退社はぼくを含めて4人ほど。
あくまで少数派だ。
会社はどんどん大きくなったし、つくべきポストも増えた。
だから、ほとんどの同期は課長になり、部長になることができた。
今や古き良き時代だろう。

そんなわけで、自己実現するということは、すなわち入った会社で自己実現するということだった。
ともすれば会社を大きくすることや、上の地位を目指すことが自己実現になった時代だ。

しかし、90年代後半以降成長が低下して、だんだんと維持が苦しくなってきた。
グローバル化の波に揉まれ、人件費の安い仕事は海外に出ていった。
また、ITの発達で中間管理職というものが不要になってきた。
当時求められたのはジェネラルスキルだったが、今は専門的なスキルが求められる時代。
業界や会社の規模によって早い遅いはあるが、製造業はそんな時代になりつつある。
今になって、社員に副業を解禁するのも、会社に頼れなくなったことの現れだ。
確実に終身雇用、年功序列という制度はほころんできている。

それを続けたいのは、仕事がなくなる人事部員と、古い頭の役員たち、それから正社員を守って厚生年金制度を続けたい厚労省の役人くらいだ。

そんな中で、中高年のサラリーマンは大きな変化に対応していかないといけない。
若い人たちからは不当に高い給料をもらっていると思われているし、一方で自分たちも若い頃は年寄りたちを支えてきたのに…という思いもある。
複雑な心境だ。

政府が言わずとも、働き方が変わってきている。
中高年は、若い頃は会社と一心同体の自己実現願望を持ち、今になってそういうわけにはいかない、という現実に向き合っているのではないか。
そういうメンタリティが、失業率と自殺率の高い相関を産んでいるような気がする。
世界レベルで見たら、失業率と自殺率はそんなに相関はないらしい。

正社員であることを前提にして、社会保障を含めたいろんな仕組みが構築されている。
それは将来は維持できないことは明白だ。
もう非正規社員が半分近くいるのだから。

若い人たちは、どちらかというと会社でエラくなることを自己実現だとは思っていないだろう。
それが普通なのだ。
自分のスキルを磨いて、それで食っていく方向に舵を切っている。

中高年の悩みは、方向転換できるかどうか。
今から仕事に対する価値観を見直して、仕事のやり方を変えていかないといけない。
どっちにしたって、定年後の人生はどんどん長くなっている。
ぼくらの世代は、何とか逃げ切ったような感じだが、それでもこれからどう生きていくのか。
そういうことが問題になってくるんだろう。

悩ましい。

| | 考えたこと | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
寅次郎の共感
ためていた「男はつらいよ」の録画を見た。

志穂美悦子がマドンナ。
筑豊に住んでいて、旅回りの役者の娘。
父親が座長をやっていたが、引退して、1年前に亡くなった。
袖すり合うも他生の縁で、寅次郎が何度か会った。

寅次郎は筑豊の実家を尋ね、父親の消息を聞いて、娘と話をする。
ボケてしまった父親は亡くなる前、夜いきなり起きて、芝居の見栄を切ったりしたらしい。

そこで娘がぼそっと話す。

「男手一つで育ててくれたんやけん、大事にしてあげにゃいかんのやけど…。時々、もう早よ死んでくれんかな、思うたりしてね…」

そこで寅次郎が、こう言う。

「苦労したんだな、あんたも」

こういうのが、寅次郎のエライところだ。
娘の話したことではなく、娘の気持ちに共感する。

昔のぼくなら、「長い介護生活をしていると、そう思うのも仕方ない…」とか言っているところ。

今なら寅次郎の気遣いがわかる。

さすがだ。



| | 考えたこと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ABC予想2
2012年にABC予想という数学の問題を解決したという論文を出した、という記事がでた。
その時にぼくもブログに書いた。

なんとあまりにも難解な論文なので、5年がかりで検証をしたらしい。
それがどうも正しいのではないか、ということだ。
日本人(といっても、アメリカの大学で博士を取った)がそういう論文を出したというのは、めでたいことだ。
また、それが難しくて、他の人たちにわからないほどスゴイものだ、というのが誇らしい。
600ページもある論文。
さぞかし読むのは大変だったろう(書くほうが大変だが…)。

もちろん、それを見てもチンプンカンプンだ。
理解できるわけがない。
数学のプロが見ても5年かかったのだ。

なんでも、ABC予想は数論では非常に重要な予想らしく、これが証明されるとフェルマーの定理などは簡単に証明できるらしい。

しかし、問題自体は簡単に書けるのに、それを証明しようとすると今までに誰も考えつかなかったような概念を導入して、600ページもの難解な論文が必要になるとは、数の世界は奥が深い。

望月教授という人、どんな頭脳をしているのだろう。

早く誰かわかりやすく解説してくれないだろうか。

5年前にも同じことを書いたのだが…。


| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
Free WiFi
店に入ったら、WiFiのポスターを貼っているところが増えてきた。
無料のWiFiだ。
ノートPCだけでなく、スマホも増えたから使えるところが増えたんだろう。
WiFiならデーター量を気にせず使える。

東京ではオリンピックに向けて、そのへんの整備もするのだろう。

海外では、無線LANは今や社会インフラになりつつある。
いろんなものがインターネットにつながる時代。
これからもどんどん増えてくる。

しかし、無料のWiFiは提供しているところの設定がどうなっているかで、危ないところも多いと聞く。
その気になったら、悪意のあるハッカーが内部を見放題というところもある。
そういうセキュリティの甘いところを探して、クルマで走り回るヤツもいるらしい。

出始めの無線LANの仕様で「WEP」というのがあったが、それを使っているとハッキングされやすかったり、そもそも無線信号を暗号化していないところもあったりする。
そういうところで、会社にメールを送って情報が漏洩した事例もあるらしい。

無料のWiFiを使ってネットバンキングをしたり、画面でパスワードを入れるようなことは絶対にやらないほうがいい。
どうしてもやらないといけない場合は、自分のスマホのテザリングを使う。
君子危うきに近寄らずだ。

無料のものは、危険だという認識を持たないと。

しかし、それだと社会インフラにはなり得ない。

規制に頼らず、知恵で何とかならないものか…と思う。

| | 考えたこと | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
正月の営業
元旦の営業をしていないスーパーが出てきた。
24時間営業の見直しも進んでいる。
だんだんと世の中が昔に戻っているような気がする。

昔は正月はおせちを食べるしかなかった。
店が3日まで開いていないからだ。
その頃は、お年玉をもらっても、欲しいものが買えず、店があくまで待っていた。

今年がそのターニングポイントかもしれない。
人手不足もあるだろうし、働き方改革もあるだろう。
経済的に店を開けていて儲かる金額よりも、夜間の人件費の方が大きかったりするんだろう。
そういう状態だから、どうしても正月や夜間は店を締める。
それでいいのだと思う。

今は知らないが、80年代のヨーロッパでは日曜日は店は開いていなかった。
多分今も多くは開いていないはず。
慣れたらそんなものなんだろう。
特に不便は感じていないという。

ぼくらは限りなく便利さを求めてきて、実際に便利さを手に入れてきた。
簡単だ。休みをなくせばいいのだ。
それを続けてきたら、だんだんと当たり前になった。
夜中でも店は開いていて当たり前。
そんな国がどれくらいあるんだろうか。

働き方改革をやるのなら、深夜や日曜日の夜の営業を禁じたらいいのだ。
夜に行くところがなくなれば、犯罪も減る。
警察は喜ぶだろう。

1965年にエコノミックアニマルと言われた日本人は、70年にビューティフルに変わろうとしたが、変われなかった。
ぼくらは変わろうとも思わなかった。

今なら変わってもいいと思う。

今度こそ、モーレツからビューティフルに。

| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
実家
去年、母が高齢者向けサービス付きのマンションに入居して、今まで住んでいた実家から引っ越しした。
築55年という古い木造の家だ。
ぼくが小学校に上る前に、すぐ近くの祖母の家から引っ越してきた。
そこでぼくは小学校からずっと過ごした。

ぼくと弟が独立して、十数年前に父が亡くなり、その後リフォームして今に至っている。
阪神大震災にも耐えて、瓦が落ちる程度ですんだ。
それが、去年の10月に住む人がいなくなった、ということだ。

母が引っ越しをすると同時に、電話がなくなり、ケーブルテレビも解約し、ホットカーペットもなくなった。
でも、少しお金をかけて、テレビが見られるようにして、ホットカーペットも安いのを買って、今年の正月は母と弟の家族、ぼくの家族で実家で集まることにした。
もうこの家に集まれることも、そんなにないだろう。
だからこそ、正月は実家に集まりたかったということだ。

家というものがどんどん小さくなって、核家族化してきた。
ウチの家もそうだ。
そうなると、実家を物理的に継ぐものがいない。
元の実家はどうなるのかということになる。

何と言っても、築55年。
回りの家もみんな建て替わった。
ウチの実家が、近所では一番古くなった。

やはり「ゆく川の流れはたえずして…」の世界だ。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し、と方丈記にある通り。
「無常」こそが人生。

そうは思っているものの、いざ無くなりそうになるといろいろ考える。

人生も終盤に来て、新しい経験はなくなるものだと思っていたが、生まれ育った家が空き家になったというのは結構大きな経験だった。

来年の正月はどうなるのか…。



| | 考えたこと | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
昨日の紅白
紅白歌合戦という年末の風物詩、だんだんと廃れてきたんだと思う。
先日女子大生に聞いたら、ほとんど紅白を見る人はいなかった。
家庭でもそういう昔ながらの過ごし方をしなくなっているのかもしれない。

だいたい、始まる直前まで、その番組の解説や見どころを宣伝する番組まで流しているのはどういうことなんだろう。
よほど自信がないとしか思えない。
作り手の人たちも、不安なんだろう。

それを反映してか、内容はとっ散らかっていた。
流行歌がなくなったのも、どうしていいかわからなくなった原因だろう。
30日にレコード大賞をやっていたらしいが、31日の新聞の扱いも小さくなった。
乃木坂46が「インフルエンサー」で取ったらしい。
これも聞いたことがない。

流行歌とか、歌謡曲とか、そういう社会の共有価値がなくなって、どこを目指したらいいのかわからなくなったのが、今の紅白なのかもしれない。
出てきた歌手も、2017年のテーマの「夢を歌おう」と言われてもなあ、という感じだった。
審査員も人数が減って小粒になったし。

エグザイルはもう出ず、三代目J-Soul Brothersが出ていた。
この「三代目」と聞くと、春団治しか思い出さない。

ジャニーズの枠は5つ。
TOKIOが一番好感が持てた。
さすがに農業で鍛えているだけのことはある。
でも、SMAPが出ないと、なんとなく締まらないのは事実。
嵐はちょっと雑だった。

渡辺直美は太り過ぎだ。
それなりの衣装でやるのならまだ見られるが、あの衣装はNGだろう。
文句を言いだしたらもっといろいろあるが…。

どう考えても、番組のコンセプトがはっきりしない。
やっぱりとっ散らかっているのだ。

このままいったら、どうなるんだろう。
いつか、もう紅白はやめる、という日が来るんだろうか。

もうすでに、紅白など見たことがないという家庭があるだろう。
今の子供達は、それを見ずに育っていく。
文化が変わっていくのに、抗っても勝ち目はないような気がする。

それでも、NHKには戦ってほしい。

2018年はもう少しマシになることを祈ろう。


| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
大晦日雑感
今年は何といっても、トランプ大統領の誕生が世界のトップニュースだろう。
アメリカ第一、Make America great againと言って当選した。

世界で民主主義の先進国と思われていたイギリスとアメリカが、かたや去年EU離脱し、かたや自国第一主義を唱えたのは印象的。
民主主義が進むと、ポピュリズムになるのかとも思う。
しかし、それが多数の選出だから、それでいいのだと言ってしまうとちょっと不安になる。

SNS等を通じて、フェイクニュースが流されたのも去年から今年にかけてだ。
だれでもが世界に対して発信できるという、インターネットの逆手を取って、雰囲気を作り出す効果を狙っているのだろう。
ロシアや北朝鮮が犯人だと言われているが、どうなんだろうか。
サイバー戦争が起こっても、不思議ではないと思わされた今年だった。

国内では、何といっても民進党の崩壊。
もともと雑居ビルみたいな党だったが、ついに衆院選をきっかけに崩壊した。
結果的には希望の党と立憲民主党、無所属の3つに別れたが、いまだにどうなるかわからない。
民進党の国会議員たちが、いかに主義主張がない人たちかがよくわかった。
また性懲りもなく一緒になろうとしているが、そんなことはやめてほしい。
それこそ、民意だからなあ。

個人的には、還暦になったこと。
60歳というのは、なってみないとわからない。
なると、どこかが違う。

年末には風邪をひくし、なんとなく身体が弱くなったような気がする。

と言っている間に2018年になってしまった。

今年もよろしくお願いします。


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