考えたこと2

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廃棄太陽光パネル
太陽光パネルは再生可能な電気を生み出すパネルだが、それ自体は今のところ再生可能とはほど遠いという記事。

再エネを推進している業者は、太陽光パネルの廃棄については「心配しなくてもそのうちリサイクル技術が確立される」と楽観的なことを言っているらしい。
太陽光発電そのものは再生可能だが、パネルは今のところ90%が再生不可能だという。
だいたい、20年から30年の耐用年数らしいから、早ければあと10年ちょっとで廃棄することになる。

現状では埋立地に廃棄するのが一番安いという。
記事の筆者はPCBの廃棄に携わった人。

PCBという言葉、懐かしい。
公害問題が華やかなりし頃、問題になったものだ。

「PCB廃棄物の保管・処理に携わった経験がある方ならその大変さをご存知のはずです。」

PCBは人工的に作られた物質で、脂肪に溶けやすく体内で蓄積され、様々な症状を引き起こすということが明らかになり、1972年に製造中止された。
PCBが問題になった「カネミ油症事件」というのも、今やぼくらの年代でないと知らないだろう。

PCBは製造中止になっても、反対運動などで廃棄が進まず、

「1972年にPCBは製造中止になり、全国の企業や自治体、学校などで使い終えたPCB含有機器は処理困難物として各所有者が保管してきました。2001年にPCB特措法ができて2004年に中間貯蔵・環境安全事業株式会社(略称JESCO)が設立されようやく廃棄物としての処理が始まります。製造中止になってから処理開始まで30年以上もかかりました。」

ということになった。
製造中止から実際の廃棄の開始まで、30年もかかったということだ。

今のところ、環境省の試算では太陽光パネルはその90%がリサイクルされる予定で、10%のみが埋め立てになるという。
これが、本当にそうなればまだいいが、そんなに簡単になるだろうか。
過去30年間放置された実績がPCBであるのだから、難しいのではないか。

記事の最後では、こう締めくくられている。

「PCBを利用していた50年以上前の世代の方々は後の世で公害や環境問題を引き起こし、処理に莫大な時間とコストがかかるなんて考えてもいなかったことでしょう。筆者は保管と処理だけを担当した世代ですが、当時の皆さんを恨むことはありません。分かっていなかったのですから。

一方で、現世代の我々は太陽光パネルが将来世代に対して大きな負の遺産になることを予見できています。いま太陽光パネルを設置すると意思決定した経営者や役職者の多くが現役を退くであろう2035年以降の未来の後輩たちに膨大な処理困難物を遺してもよいのでしょうか。よく「脱炭素は子や孫など将来世代のため」と聞きますが、実は現世代の自己満足になってしまってはいないでしょうか。

自然を破壊して日本の国土に敷き詰めた太陽光パネルは、廃棄段階でも深刻な環境リスクを招き、将来世代にとって大きな負の遺産となる可能性があります。」

ぼくは今の再エネ推進の人たちや、原発反対の人たちを見ていると、本当に「自己満足」だと思ってしまう。

本気で日本の産業のことを考え、未来の世代のことを考えたら、少なくとも今の原発を動かすことは必須だと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
友人と幸福
作家のエリック・バーカー氏は「人間の幸福度が最も高いのは、友達と過ごす時間だという研究結果がある。たとえば、職場に親しい友人が3人いれば、人生に幸せを感じる可能性が96%高くなる」という。
「残酷すぎる人間法則 9割まちがえる「対人関係のウソ」を科学する」という本のレビューに書いてあった。

相談していて、学生に「親友は何人いる?」と聞くことがある。
親友の定義は「誰かの悪口をどんなに言っても、絶対にその人には伝わらない」と思えること。
だいたい、5人までの人数だ。

友達は多いという学生でも、少ないという学生でも、親友の数はあまり違わない。
アメリカ人は平均4人と親しく、そのうち2人が親友だという。

ダニエル・カーネマンは行動経済学でノーベル賞を取った人だが、元は心理学者だ。
その彼が、人々のその時どきの幸福度を調査すると、友だちと過ごしているときが最も高いことを発見したとのこと。
職場に親友が3人いたら、人生に幸せを感じる可能性が96%高くなるという。
仕事を満足するだけでなく、人生の満足するということになるからだ。

なんとなく頷ける結果だと思う。

逆の調査結果では、友だちがいなくて孤独感を感じることによる健康への悪影響は、1日15本のタバコに匹敵するという。
独居老人が認知症になっていくのは、孤独だからだろう。
やはり、社会的なつながりは大切なのだと思う。

この記事ではデール・カーネギーの「人を動かす」にも触れている。
この本は実家の本棚にもあった。
今でも毎年25万部売れているとのこと。

そのカーネギーが「人を動かす」ために勧めているのは「人の話を聞くこと、相手に興味を持つこと、相手の立場に立って話すこと、心から褒めること、相手との類似性を探すこと、衝突を避けること」など。

これは研究が進んだ今でも、いろんな実験で検証され、ほとんど正しいらしい。
こういう実験をするのが、アメリカ的だ。

ただ、「相手の立場に立って見ること」ということについては、効果がないだけでなく相手との関係も悪くしてしまうらしい。
よく自己PRで「相手の立場に立って考えることができる」と書いたりするが、これはビジネスでは正しいが、友だち関係ではいいとは言えないのか。

それでは、友だちを作るにはどうしたらいいか。
それは、この記事にも書かれているが、尊敬する若新雄純も言っていたことだが、「時間を割いて一緒に過ごす」ことだという。
それは100%そうだと思う。

親友のもう一つの定義は「自分のために喜んで時間を作ってくれる友だち」ということだ。
この記事にも、友達になるには100時間、親友になるには200時間以上かかる、と書いてある。

そういう時間を経て親友はできるもの。
だからこそ、貴重であり、幸福の源泉なのだろう。

年をとって、だんだん幸せでなくなるのは、そういう人を失っていくという側面もある。

人生の終わりは難しい。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
告別式
今日は朝から母の告別式。
10時30分に開式で、11時30分に出棺。
初七日の法要も一緒にやってしまう。

母の妹のおばさんとその息子、従兄弟のおじさんも参加してくれて、昨日より増えた。
考えてみれば、実家からサ高住に移ってちょっと幻覚が見えはじめ、さらにホームに移って認知症になるところまで、ずっと見てきた。
どういう経緯でどうなるか、だいたいわかったと思う。
そういうことを教えてくれたのは、本当にこれから先役に立つ。
それが親のつとめということなのだ。

最後の花束を孫3人で棺桶の上に置いた。
これで永のお別れだ。

斎場に行って、火葬にして、帰って昼ごはん。
親族だけで和気あいあいと食べる。
こういう時を過ごせるのも、母のおかげだろう。

小さな骨壷に骨を詰めて、終了。
2時すぎに斎場で解散して帰った。

その後、葬儀屋さんが家に来て、四十九日までの道具をセットしてくれた。

本当に今までお疲れさまでした。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
お通夜
今日は朝から病院で入院前の検査と検診。
10時半から12時で終わると思っていたら、腰のコルセットを作る採寸や、入院の説明があり、結局夕方の4時までかかった。

急いでお通夜に間に合うように帰って、長男を拾って式場に行く。

いいお通夜だった。

今日はこれまで。
| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
老人ホームの施設長
認知症になった母はサービス付き高齢者向け住宅から、同じ系列の老人ホームに移った。
直前に外帯骨頭骨折で入院していたこともあまり覚えていない状態だったが、とにかく歩行器でよく歩いていた。
そのせいでこけて病院通いをしたことも、今となっては思い出だ。
考えてみれば、最後にこけて口の中を切って、病院に施設長が連れて行ってくれて、夜に病院で合流して、帰りはタクシーで一緒に帰ったのだが、あれが母との最後の外出になった。
車を買い替えたら、来年は車の中から花見に連れて行ってやりたかったが、それはもうかなわない。

施設長は途中で変わったが、どちらも親切な人だった。
どちらも勤務時間外にケガをした母に付き添ってくれた。
認知症の母は無愛想だったが、親切に接してくれていたと思う。
サ高住の施設長もいい人だった。
退所後だいぶ経って、食堂の棚の裏から母のカバンが出てきた時にも連絡してくれた。

ミステリー小説が好きだった母は、認知症になって、モノを隠したりした。
あれは、ミステリー小説の幻覚のせいではないかと思っている。

認知症になってしまうと、とにかくものがなくなる。
大事なものは、そうなる前に母が自ら渡して預かっておいてほしい、と言ったのでことなきを得たが…。

前置きが長くなったが、今日は母の死後の年金の関係で書類を書いてもらった。
それを持って年金事務所に行き、長いこと待って手続きを済ませた。

それから遺品整理の業者を探したら、実家の撤去の時の業者を見つけ、夕方ホームで待ち合わせして見積もりを取ってもらった。
31日に退去の予定で進める。

明日はお通夜。

いよいよお別れだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
年金事務所はまだマスク
朝から年金事務所に行ってきた。
入り口でびっくりした。
当面の間、マスク着用と張り紙している。
法律で5類に格下げしたのに、どういうことだと思ったが、一人文句を言っても仕方ないので、カバンの中にずっと前から入りっぱなしのマスクがあったので、それを着けて入った。
こんなことをしていたら、いつまで経っても元には戻らない。

そういえば、大塚製薬のポカリのCMのことがTwitterに出ていた。
「ポカリ“声の出番だ”CMに賛否 マスク外す演出に「青春を謳歌してほしい」「コロナは終わってない」」というもの。
CMはYoutubeで見てもらえばと思うが、高校生たちがコロナ騒動が終わって、みんなでマスクなしでスポーツするというもの。
いろんなことを我慢してきた生徒たちへの応援だ。
音楽をやっているバージョンもあれば、CMではないドキュメンタリーもある。

「応援コメントにはコロナ禍でたくさんの青春をあきらめざるを得なかった10代の声があふれていた」

このポカリのCMを見ても、「コロナは終わってない」などという医者がいるのが信じられない。
どれだけ10代の人生を壊したら気が済むのだろう。
一生に一度しかない学生生活を、友だちの素顔も見ずに過ごして、歌も歌えず、運動もできず、我慢を強いてきたのだ。
もう5類になったのだから、普通の風邪として扱うべきなのだ。
増えたら、増えたで普通に対処すればいい。
ツイートを引用すると

「今や球場も国技館も居酒屋もノーマスクの高齢者だらけだがそこに批判の声は向かない。なぜか批判されるのはいつも、いつまでも子供たちなのだ。政治的に反撃できない年齢層を狙い撃ちにした一方的な社会的イジメ。それが日本のコロナ対策だったと証明されたようなもの。」

「ポカリのCMに切れているマスク信者はワールドカップやらWBCやらその他色んなスポーツでマスクなどしていない現実を許せないと思っていて、子供が権力を持たない事をいい事にゴリ押ししようとしている。
この国はすべて弱い者にしわ寄せが行くシステムなんだ。だからマスクは外さないといけないのだ。」

「例のポカリスエットのCMに群がるコロナ脳達。あまりにも異常な光景
皆「マスクさえすれば感染しないし大声出せるし青春を楽しめる」「感染したら高確率で後遺症を発症し人生を疎かにする」と信じて疑わない。医クラの情報に騙されたらこんな悲惨な人間になってしまうのかと改めて実感。怖い…」

「ポカリのCMに発狂してるみっともない大人を見てると青春の楽しい思い出がないコンプレックスは人格を歪めると感じる。
こんな大人を増やしてはいけない。
若者は会いたい人に会ってやりたいことをやって楽しく過ごしてください。
青春は密でいいんだよ。誰に文句言われる筋合いもない。」

「若者の青春を奪ったのは新型コロナウイルスです。しかし、コロナは若者にとって何ら新たなリスクではなかったにも関わらず、人のためとか思いやり、気の緩み、などという言葉で煽り、3年以上若者の青春を奪いました。
今なおコロナを煽る人達に、この若者達の声を届けたい。」

たしかに、ぼくは偏っているが…。

でも、これだけ固執する医師がいるということは、いったいどれだけ儲かったのだろうか。
日本中の公立?病院が黒字になったという記事もたしかあったはず。
医は算術になってしまった。

昨日葬儀屋さんに聞いたが、コロナで認知症になって亡くなったという人は多いと言っていた。
やっぱり、感染症の対策もあるが、人との繋がりの方が人間には大切なのだ。
それを杓子定規にやってしまうのがバカとしか言いようがない。
話がそれた。

その後、銀行口座を閉じるために3つの銀行を回った。
りそな銀行はテレビ会議で東京の相続オフィスにつないで、丁寧に説明してくれた。
ここは職員もマスクオフの人もいて、好感が持てた。

三井住友信託と三井住友銀行は職員はみんなマスク。
別にマスクをする必要はないが、なんとなく居心地が悪い。

それから、生協に行って、コープこうべの脱退申込書をもらってきた。

そして、介護保険をもらっていた神戸市の介護の窓口に行って、保険証を返納してきた。
ついでに戸籍謄本も取っておいた。

一日バタバタしたが、いろいろと片付いた。

最後にもう一度ホームに行って、お棺の中に中に入れられそうなものを見繕って安置室に持っていき、線香をあげてきた。

明日もいろいろやらないといけない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
葬儀屋
今日は朝から整形外科に行って、昼から葬儀屋さんと打ち合わせ。
家族葬で、10人以下という人数も決まっているので、そんなに高くならないだろうと思っていたら、何やかや説明されて、あまり高くならないようにしたはずなのに、高くなった。
まあ、値段が決まっていて、値切ることはできないので、どれにするかという選択だったからなあ。

安置室で線香をあげた。
まだ、ホームで来ていたパジャマのままだった。
白い装束を選んで、着せてあげることにした。
母のお金だから、使ってあげようと思ったら、気が大きくなった。

この数年間のことが思い出される。
救急車に乗ったことや、実家の片付けをしたこと、まだ認知症になる前のことなど。
実家の時は、土日に晩ご飯を作ってくれた。
生協の宅配で買いすぎて、同じものがいくつも冷蔵庫に入っていたりしたこともあった。

数独のパズルが解けなくなった、というボヤキも聞いた。
日経の日曜版に出ているパズルだった。

だんだん年を取ってパーキンソンが出て、老いた。

あれらは、親の最後の役目だったのだろう。

母が亡くなった今、今度はぼくらがそういう立場になる。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
母の命日
今日母が亡くなった。
91歳。
先週の金曜日、日曜日と顔を見に行ったが、かろうじて金曜日は目を見て手を握る力があった。
昨日の日曜日は、もう意識も殆どなく、呼吸も苦しそうだった。
どれだけ持つのかと思っていたら、今日の月曜日にもう力尽きた。
昼過ぎに電話があって、早引きして行った。

8月の終わりで92歳だったが、そこまで生きられなかった。
苦しそうだった息も絶えて、休んでいるような死に顔だった。

長いことありがとうございました。

戦争を体験して、女学校に行くときに空襲の穴ぼこをよけて通ったと言っていた。
戦後になって、共学になって神戸高校の2回生。
ぼくの25年先輩だ。

高校を卒業後、洋裁学校に行き、結局勤めることなく商社マンだった父と結婚。
祖父が建ててくれた家に長いこと住んだ。
3人姉妹の真ん中。

不器用でメカ音痴だった父を尻目に、わりとメカに強かった。
何でも、取扱説明書を読んで使っていた。
パソコンも父よりも上手に使っていた。
連句の会の会報も、縦書きでワープロしていた。

うちの子どもたちの幼稚園のときは、ポケモンの柄の手さげなどを作ってもらっていた。
ぼくが小さい頃はよく毛糸を解くのを手伝った
毛糸玉を作って、それでまた編み物をしていた。

洋裁は一時家で教えていた。
型紙を作って、その通りに切って、縫合わすというようなことだったと思う。
竹の70センチくらいある定規を使っていた。

70歳でパーキンソンになったのが痛かった。
あれで、洋裁も編み物もできなくなった。

自分でもう実家には住めないと決断して、サービス付き高齢者向け住宅に移った。
実家に荷物を置いていて、時々取りに帰る生活。
まだいつかは実家に戻ろうと思っていたのかもしれない。

こけて、足の大腿骨頭骨折を両方ともやった。
特に2回目はコロナの真っ只中で、手術やリハビリの間もほとんど会えず、認知症が進んだ。
それ以外にも、何度か道でこけて起き上がれず、救急車のお世話になった。
ぼくも2,3度一緒に乗った。

ぼくは2014年に会社をやめて時間が出来て、その頃から月に何度かは実家に行き、サ高住に行き、最後のホームに行った。

それでも、行くと「この頃来ない」と言っていた。
あんなふうに、記憶をなくしていくのは、本人も辛かったのだと思う。

でも、ようやく楽になれた。

いつも施設から帰るときに、私も帰るわ、とよく言われた。
どこに帰るん?と聞くと考え込んでいたが…。

でも、やっと今日はホームを出て、旅路についた。

もうすぐ父のところに行ける。

本当に長いことありがとう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 11:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本人のツイッター好き
イーロン・マスクが「「(日本の)1人当たりの利用量は米国の約3倍だ」とも述べ、日本のツイッター利用が世界で突出している」と発表した。
なぜ日本人はツイッターが好きなのだろうか。

実名でなくてもいいというのは大きいだろう。
以前の2チャンネルみたいに、根拠があろうがなかろうが言いっぱなしができる。
炎上すればツイートを消してアカウントを削除したらいい。

これは本当に日本人の嫌なところだと思う。
匿名になると急にボロクソに言えるようになる。
しょせん、おもてなしや礼儀を重んじるというような国民性ではないのだろう。

また、一人でいくつもアカウントを持っていて、表と裏を使い分けたりする。
そういうことがやりやすいという利点?がある。

さらに、漢字は表意文字なので140文字の制約があっても内容が多い。
ぼくはもっぱら読むだけだが、欧米諸国に比べて言いたいことを言いやすいのだろう。

ツイッターを原則実名で、一人のアカウントは1つと決めて運用したら、スッキリするだろうが面白くなくなるのかもしれない。

最近、ツイッターの改革でユーザーが逃げているという。
でも、いい改革もある。
コミュニティノートという機能。
このおかげで、原発の処理水に文句を言っているツイートに、ちゃんとした科学的根拠がないことが一緒に表示されるようになった。

共産党の小池氏が、紙の保険証でなりすましなど聞いたことがない、という意味のことをリツイートをしたら、ちゃんとコミュニティノートがついて、紙の保険証のなりすましの実態を教えてくれる。
こういう機能ができると、もっといい言論空間になると思う。
ちなみに、小池氏はツイートを削除して逃亡したらしい。

アメリカでは不調のツイッターだが、日本ではどうなるのだろう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 Tony Bennett
トニー・ベネットが亡くなった。
96歳。2016年からアルツハイマーだったらしい。
それでも、2021年にレディー・ガガとデュエットアルバムをリリースした。
記憶も失われがちだったが、歌は歌えたということだ。

いかにもイタリア系という顔をしている。
ぼくが唯一持っているDuetsというアルバムでも、この曲だけはソロで歌っている。

シナトラと並んでアメリカの代表的なシンガーだ。
本国ではどのジャンルに入るのだろう。
いわゆるポピュラーシンガーということになるのだろうか。
ここでも、何度か書いた
For once in my lifeのデュエットもいい曲だ。

厳しいショービズの世界を生き抜いてきたとは思えない柔和な笑顔が印象的。
Youtubeに75歳の時のサンフランシスコでのライブ映像があるが、ほんとに元気だった。

今夜は「 I Left My Heart in San Francisco」を聴くことにする。

Rest in peace.



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
ニュージーランド英語
こないだ、ニュージーランドの警察ドラマを見た。
最初は、何語で話しているのかわからないほど、英語とは思えなかったが、見ているうちにだいぶ分かるようになった。

わかりにくい原因の一つは話すスピードが早いということらしい。
なぜかニュージーランドの英語は、平均すると他の地域の英語よりも早口だ。
え、なんか言った?という間に終わってしまったりする。

その他、「thank you」が「ta」になるとか、「ei」の発音がオーストラリアのように「ai」なるとかいうのはあるが、何となく響きがドラマなどで聞き慣れたアメリカの英語とは違う。
最初は英語とは思えない。

会社勤めしていた頃は、ニュージーランドには馴染みがあった。
なぜかと言うと、夏にスノータイヤやオールシーズンタイヤのテストができるからだ。
ぼくは一度も行かなかったが、行っていた人たちはニュージーランド好きになったようだ。

日本と同じように島国で、親切だったらしい。
また、ちょうどバブルの終わり頃で、日本は経済的にも強かったから、何もできないニュージーランドの農場の冬の場所貸しの商売としてはよかったのかもしれない。
行ったメンバーは、先方にすごく良くしてもらったと言っていた。

こないだ仕事をやめたら英会話を習いたいと書いたが、仕事で英語を使っていた頃はもっと聞き取れたと思うのだが、最近は本当にダメになった。
こういう能力はまた復活するのだろうか。

英検の準1級のレベルはもう脳に定着しているレベル、と大昔に言われたので、そこまで戻ったらいいと思う。
会社時代の終わり頃にはアメリカに出張して、先方と会議をしている時に、日本語で考えるより英語で考えたほうが早いなあ、と思っていたのに、さすがに20年使わないと衰えるものだ。

アプリでもやってみようかな…。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
記号設置問題
昨日紹介した、認知科学の専門家である今井むつみ教授の新しい記事

記号設置問題、というのはAIが学習している大規模言語モデルを「意味」として学習しているのではなく、どの言葉が出てきたら、どの言葉が次に来るかという統計を利用しているだけであり、本当の意味や意図を理解していない、という問題のことらしい。

記事の中から引用すると、

「AIは一見、ことばの意味が分かり、人間が言語で言わんとすることを理解しているように見えても、実は一つ一つのことば(記号)の意味を理解しているわけではない。意味を理解しない記号を別の、やはり意味を理解しない記号で置き換えているだけで、どこまで行っても、結局、人間が言語で伝えようとする本当の「意味と意図」は理解できない、というのが「記号接地問題」です。」

つまり、言葉が意味にひっついておらず、単に記号としての言葉を並べているだけ、ということなのだろう。
AIには経験や感覚というものがないから、身体感覚に「接地」していないということだ。
でも、ChatGPTはかなり上手に言葉の意味を理解しているフリができるようになった、ということだ。

ここからが難しいのだが、言葉を並べるだけで、「意味」を理解していないChatGPTには「直感」がないという。
それがないから、分数の問題を間違える。

でも、ここまで正確な答えを返せるChatGPTを「学習」させたエンジニアは、非常に有能な専門家であり、「どの会社にとっても、今、喉から手が出るほど欲しい人材」だ。
それこそ、「直感的な試行錯誤を繰り返して、柔軟に調整してくしかない」らしい。

そうなると、人間はどうして直感を持てるのか、ということになってくる。
ある意味、脳の構造がChatGPTのやっているようなことに近い、というのはきっとそうだろうと思う。
そうでないと、あれだけちゃんと答えは返ってこないはずだ。

そこから先は人間の「思考」の構造の問題であり、それは「熟達」が必要だと研究者は言っているらしい。
そして、文章題が解けない子どもたちの話が出てくる。
ぼくが興味があるのはそこだ。

文章題が解けない子どもたちは、「「数」という概念そのものにも、足し算、引き算、かけ算、わり算にも直観的な理解を持っていない」という。
それは概念が経験にひもづけられていないからだという。

そして、それは教えられないという。

「では、第三者が無理やりにでも記憶を整理し、直観を教えることはできるでしょうか? 残念ながらできません。先生は生徒に「この答えはおかしい」と指摘することはできます。でも、教える側にできるのはある意味、そこまでです。ミスの指摘から、学び手が自分で記憶を整理し、知識の使い方を意識して改善し、習慣化する。直観は、そのような経験をたくさん積んでいくことで、自らつくっていくしかないのです。」

ということは、文章題ができない学生に打つ手はない、ということになる。

そこで記事は終わっていて、「次回に続く」となっている。

それを待つことにしよう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ChatGPTの間違い
ChatGPTは平気で嘘をつく。
もともと、ChatGPTに嘘をつこうとかいう意思もないし、膨大な言葉のデーターベースから、ある言葉が手てきたら、次にこういう言葉が来る可能性が高い、というような理屈で動いているからだろう。

ChatGPTは、分数の問題が苦手だという記事があった。

99/100、101/100、100を小さい順に並べるという問題。
99/100は1より小さく、101/100は1より大きい、という問題には正解したが、100を入れた3つの数を小さい順に並べるということになると、99/100<100<101/100と間違ってしまう。
これはおそらく ChatGPTが学習している大規模言語のなかに「99,100,101」という並びが多いからだろう、と筆者は推定している。
そうなのだろう。

もう一つの問題である、「12/13−11/12」は「−1,0,1」のどれに近いか、という問題も面白い。
ChatGPTは「12/13−11/12」はちゃんと計算して合っているが、どれに近いかということになると「−1」を選んでしまう。
分数をよく理解した人間なら、12/13も11/12もほとんど1だから、「12/13−11/12」は1−1のようなもののだと考えて、計算せずに「0」を選ぶ。
そういう感覚は大規模言語モデルを学習してもできない、ということだろう。

さらに興味深いのは、公立中学の2年生159人にこういう問題をさせると、正解したのが68人で、ChatGPTと同じように間違えた生徒が68人いた、ということだ。
その生徒たちは、ChatGPTと同じく、分数の意味を理解していない、ということになる。

実は、こういう大学生は本当に多い。
極論すると、半分という言葉と1/2が一緒であることを理解していない、ということだ。
小学校、中学校で何をどう教えてきたのかと思う。
学ぶ方の責任ではない。
教える方の責任だと思う。

この記事の筆者、慶応義塾大学環境情報学部の今井 むつみ教授は認知科学の専門家らしいが、エライ人だと思う。
彼女は、小学校でこういう分数の大きさなどの直感を身につけることは、中学、高校で数学を学習していくために不可欠な要素だという。
そのための「たつじんテスト」というテストも作ったらしい。

この数の直感について「分数や整数をはじめとした「数」の意味を理解し、直観で操作できないと、いくら丁寧に文章題の解き方を教えられても、文章題を解くことができない」という。

計算はできても、文章題ができない、というのはそういう直感ができていないのかもしれない。
割合の概念も同じことだろう。

「これらの実験結果が示しているのは、ChatGPTは、うまく聞けばどんな質問にも回答を示してくれますが、どんなにChatGPTに質問を重ねても、「意味」と「直観」に触れることはできない、ということ。そして、人間の学びに真に必要なのは、まさにこの「意味」と「直観」なのです。とすれば、ChatGPTの活用が人間の認知能力に与える影響は、認知科学を研究する者として、決して見過ごすことはできません。」

「私たちの仕事でも同じです。分厚い書類をざっと見たときに、すぐに「この数字は確かめたほうがいい」と直観的に思うことがありませんか? 限られた時間の中で膨大な量の書類の内容をすべて詳細に確認することは人間には不可能です。そのとき、経験豊富で、いわゆる「デキる人」は、この内容はおかしいのではないか、この数字はチェックしなければならないのではないか、ということが直観的に分かります。」

本当に、そういうことなのだ。

「このAIの限界に無自覚なまま、AIを活用すれば、人間の知性に大きな悪影響を及ぼしかねません。私たちの学びにとって必要不可欠な「意味」と「直観」に触れる機会が、日常生活にAIを取り入れた分だけ、減ってしまうのではないか。小さいころからAIに頼り、AIに「答えを教えてもらう」ことに慣れてしまうと、本来人間が持っていた意味の理解が失われ、直観を働かせて新しい知識を創造していくことができなくなるのではないか。対話型AIの登場によって、こうした危機感が、認知科学を研究する私の中で急速に高まっているのです。」

最後は引用ばかりになったが、この認識は正しいと思う。
しかし、残念ながらAIを使わなくても、数の直感を持たない学生はできてしまっているのだ。

それはもっと大きな問題だと思う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:55 | - | - |
エンジムシ
CSIはアメリカのドラマシリーズだ。
Crime Scene Investigationのことで、日本で言う鑑識だ。
ベガス、ニューヨーク、マイアミという3つのシリーズがあった。

民間の陪審員に、科学捜査の知識をつけるために役立ったと言われている。
DNA分析や弾道検査、顔認証、繊維や昆虫、土壌などのデーターベースや検査など、当時の最新の科学捜査の手法を盛り込んだものだった。

最初のCSIはラスベガスが舞台で、2000年から2015年までやっていた。
ぼくは3つのシリーズとCSIサイバー(これは新しくサイバー犯罪が加わったもの)をだいたい見た。
各々特徴があって、面白かった。

そのラスベガスの新シリーズがWOWOWで始まっている。
古いメンバーが捜査をするために戻ってくるという設定。

今日のエピソードに出てきたのはエンジムシ。
ゴッホの時代の絵画の贋作に関する話だ。

絵の具の色は自然のものから作られるのだが、エンジムシと聞いてなかなか色の臙脂(エンジ)と繋がらなかった。
ネットで見ると、絵の具は岩石や植物から作ったりするのだが、昆虫も使われている。

臙脂色の虫を踏んで靴の裏に付いていたというのが証拠の一つになった。
それは、中南米のサボテンにつくエンジムシというのだが、それから絵の具の臙脂色ができている。
エンジムシをすりつぶして、絵の具を作る場面が出てきた。
ゴッホの絵にそんなものが絡んでいるとはビックリ。

今まで絵の具は何気なく見ていたが、そんなふうに材料のことまで考えると興味深い。

学校で使った12色の絵の具など、そんなに希少な材料は使われていないだろうが、珍しい虫を使った絵の具などきっと高いのだろうと思う。

コンピューターグラフィックスなら、ディスプレイに16万色を表すことができるらしい。
でも、それをアナログで描くためには、大変な努力がいるのだろう。

臙脂色を表すために、エンジムシを使う。

そういう努力の上にゴッホの絵が描かれている。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
山下達郎とジャニーズ
山下達郎が自身のFMの番組で、ジャニーズ事務所との関係のことを話して、炎上しているらしい。

亡くなったジャニー喜多川氏が、所属タレントたちに性加害をしていたという、ぶっちゃけて言えばほとんどの人が知っていたことについての話。
そんなこと、テレビを含めたマスコミの関係者はみんな知っていて、知らんぷりをしていたことだろう。
なんでそれについて、話したのかよくわからない。

それほどジャニーズ事務所と山下達郎は関係が深かったのだろうか。
そういえば、竹内まりやの局にキムタクのセリフが出てくるのがあった。
「今夜はHappy Party」という曲だ。
ネットで調べると、キムタクはコーラスにも参加したらしい。

ぼくは吉田美奈子のコーラスがなくなってからの山下達郎は聞かないが、その後Kinki kidsや木村拓哉、嵐などに曲を提供していた。

なんだか似合わないことをするなあ、という感想しかない。
彼がやりたかった音楽は、きっと吉田美奈子とのコンビで終わっているのだ。
そこから先の山下達郎は何だかよくわからない。
歌謡曲っぽい達郎など、聞く気もしない。

何でそんなにミーハーになったのだろう。

ぼくが好きだった頃の達郎は、知る人ぞ知る存在だった。
売れようと思うより、自分の音楽をやったという感じ。

残念ながら当時のそういうファンは今は離れているのではないか。
あっちに行ってしまった彼はもう戻れる年ではないか…。

でも、彼の80年代の音楽は素晴らしい。
何で変わってしまったのだろう。

炎上しているトークの最後に言った言葉は、

「このような私の姿勢を忖度、あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。」

何だか気の毒になってしまう。

心の底ではやっぱり達郎ファンなのかもしれない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
戸籍法改正
いろいろ問題があるマイナンバーだが、それに絡んで戸籍法が改正されるらしい。
保険証や免許証をマイナカードに変えよう、ということだ。
ついでに、マイナカードに銀行口座などを紐づけして(そのために2万円もらった)、公金受け取り口座にしたりした。

あとは運用するだけだと思っていたら、いろいろ問題が出た。
なぜかというと、マイナンバーの登録は漢字のみでふりがなはないが、銀行口座の氏名はカタカナで書かれているかららしい。
たしかに、普通は読み方を入れないと、漢字だけでは識別できない。
あいうえお順に並べることもできないのだ。
どうして、ふりがなを入れなかったのか、不思議だ。

政府は6月の国会で戸籍法の改正を行い、戸籍に読みがなを入れることにした。
まあ、そうするしかない。
施行後、1年以内に役所に行って、読みがなを申請しないといけないらしい。
マイナポータルで登録できるようにしてもらえれば行かずに済むのだが…。

もともと住民基本台帳というのがあって、そこにはふりがなが入っている。
届け出なかった人は、住民基本台帳のふりがなを了承したものとみなす、ということになるらしい。
それが合っている保証もないし、だいたい戸籍の人口と住民基本台帳の人口も大きく違うらしい。
どうなっているのだろうか。

どうも、役所や制度によって個人を本人と特定する仕組みが違っており、まずそれを揃えるのが必要だったということらしい。
そんなことはシステム化を考える時の「イロハのイ」だと思うのだが、役所の縦割りの弊害か、仕事のやり方を変えるのが嫌なのか、それをせずに一気にマイナンバーでやろうとした結果、こうなってしまったということだ。

デジタル化する、ということは業務の効率化であり、仕事のやり方を変えて人を減らすということだ。
それで初めてデジタル化する予算が正当化される。
そういう検証もしてなかったということになる。

なんで役所はこんなバカなことをやるのだろうか。
「公務員」というと、首を切られないということになっているようだが、DX化するなら、それは避けて通れない。
各々が自分のやっている仕事がずっと同じようにある、と思っていることが間違いなのだ。

民間では90年代から2000年代にかけて、単なる転記作業や計算作業などを仕事にする人はいなくなった。
それがDX化する、ということだ。

まず役所に対して、この仕事に関わっている人を何人減らす、という目標を出させ、それを積み上げてどういう仕組みにするかを決めないといけないのだが、それを肝心のデジタル庁がやっていないからこういうことになる。

きっとシステムに関わる人はわかっていたのだろうが…。
遅まきながらやるのはいいが、こんなバカな国が生き残れるのだろうか。

心配になる。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九当選
昨日メールが来て、今年も1万人の第九に当選した。
事前のメールで、男性がだいぶ足りないような情報だったが、最終的にどうなったのだろう。
最終結果がどうなっているかは12月にならないとわからない。

でも、もともと女性の方がだいぶ多かった。
大阪城ホールの3階の席はほとんど女性だったように思う。
感触では女性7、男性3という感じだった。

それよりも少ないということなら、男性は全体の3割以下ということだろう。
そのせいか、第1希望で申し込んでいた京橋の教室はハズレて、日曜の高槻になった。
9月の下旬から行かないといけない。
ひょっとしたら、全体の人数を減らして練習場所も減らしたのかもしれない。

4部の混声だから、パートがそろわないと練習にならない(わけではないが、やってても面白くない)。
そのせいで練習場所が限定されたのだろうか。

きっとコロナがまだまだ怖いと思っている人たちもいて、その人たちが今回は応募しなかったのだろう。
ということは、ちょっと若返ったのかもしれない。

いつも、80代、90代の人がたくさんいるのだが、今年はどうだろうか。

12月の本番を楽しみに、参加費11000円(これも高くなった)をコンビニに払いに行こう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
丸の内サディスティック
椎名林檎の「丸の内サディスティック」がやりたいというリクエストがあり、ある意味で有名なこの曲を練習してみた。
「有名」というのは、この曲のコード進行が「丸サ進行」と言われ、J-Popでよく使われると言われているからだ。

ジャズの人たちは、「Just the two of us」進行と言ったりする。
どちらも同じような進行なのだが、「Just the two of us」の方が先だからだろう。

キーがCで「丸の内サディステック」を見ると、FM7ーE7ーAm7ーC7というのが基本になる。
ちょっとミステリアスでダークな感じもあるし、明るい感じもあって、「おっ」と思わせる。
そんな雰囲気がいいので、意識をしているかどうかは難しいが、使っているのだろう。

「丸の内サディスティック」ではイントロからこの進行が繰り返される。
だから「丸サ進行」という名前がついたのかもしれない。

この進行の最後のC7の手前にGm7を入れると、さらにおしゃれな感じになる。
キーがCでGm7ーFM7が出てくる曲は多い。
一瞬転調した感じも出て、J-Popにはよく使われる。

また、この曲の歌詞もミステリアスで、ギターを知らないと何のことかわからない部分もある。

ギターの名前の「リッケン620」、楽器屋が多い「御茶ノ水」、アンプのブランド「マーシャル」、ギターのブランド「グレッチ」、エフェクターの「ラット」など、知っている人は知っている言葉が散りばめられている。
内容も、ちょっとアナーキーで退廃的な感じ。
「将来僧になって結婚してほしい」とか、「国境は越えても盛者必衰」など、どういうセンスで言葉を選んでいるのかと思う。

それでも、椎名林檎の代表曲らしい。
たしか、紅白でも歌っていたはず。

なんとも言えない不思議な曲だが、たしかに耳の残る曲だ。

J-Popのスタンダードになるのかもしれない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
骨挫傷
左の膝の痛みがなかなかよくならないので、大きな病院でMRIを撮ってもらった。
その画像を持って、整形外科に行ったら、見た先生が「骨挫傷や」とのこと。

レントゲンでは何ともないと言っていたのだが、骨挫傷というのは骨に細かいヒビが入っている状態らしく、「骨折みたいなもの」ということらしい。
たしかに、内側の骨だけ白くなっていた。

左足が脊柱菅狭窄症で痛いので庇って歩いていたとはいえ、20センチ程度の凹みに足をついただけでそんなになるとは…、と絶句。
痛いのは収まらないので、わかってよかったということか。

左足にできるだけ負荷をかけないように、ということで松葉杖をもう1本借りることになった。
さすがに両方に松葉杖ということになると、見てくれが悪い。
ということで、片方の大学は1ヶ月お休みすることにした。
もう片方の大学は車で通勤させてもらうことに。

ということで、水曜日から車通勤。
これは楽だ。
足を使わないから、痛いのもマシになった。

やはり骨に異常があったのだ。

左足にできるだけ負荷をかけないようにして、1ヶ月程度で治るだろうとのこと。
歩く距離を減らすと、良くなるだろうと思う。

まだまだ自分で歩きたい。

痛くなくなったら、弱った筋肉を直さないといけないぞ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学の同級生
ここのところ、大学の同級生から連絡が相次いだ。
一人は鉄鋼関係に就職した同級生。
一緒に第二言語のロシア語の単位を落として、先生のところに頼みに行った。

ぼくはまともに学校に行っていない学生だった。
心配して下宿に来てくれたりした友人。
前立腺がんになり、会社を辞めるタイミングで手術をして全摘したとのことだ。
いろいろ大変だっただろうと思う。
でも、今は元気で関東在住。
また京都に帰ることもあるので、会おうということになった。

もう一人は下宿も近く、九州出身でけっこう一緒に遊んだ友人。
商社のシステム部門に就職し、別会社に出向して定年を迎えた。
その後は同期の友人がやっていた会社で仕事をして、いったん仕事を辞めた。
しばらくはプータローをしていたが、周りの勧めもあって今は期限付きの国家公務員。
あと1年くらいはやる、と言っていた。

彼は若い時から分厚いメガネをかけていたが、今は緑内障になっているとのこと。
視力が両目でも0.2程度で、片方の目は明るさしかわからないという。
これ以上悪くなるのを防ぐために、手術も考えているとのこと。
ぜひ10月くらいに会おうということになった。

二人とも大変だ。
ぼくなど、マシな方だと思った。

二人とも結局は生まれ故郷には帰らず、東京にいる。
うちの親父もそうだった。
生まれ故郷は広島だったが、帰らずこちらに墓を作って亡くなった。

20代から60代まで40年住めば、もうそこの人になるのだろう。
東京ならたいがい子供もそちらで生活しているからなあ。

ちょっと寂しい気もするが、それが人生。

もうあまり会える機会もないだろうが、みんな頑張って生きている。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
人はなぜ笑うのか?
笑いの世界的な専門家、ロンドンの認知神経科、ソフィー・スポット氏の笑いについての記事を見た。

それによると、人が笑う理由は4つあるという。
理由の1つ目は「社会とのつながりのため」で、2つ目は「感情を隠すため」、3つ目は「体の反応」、4つ目は「面白いものを見つけたとき」だという。
まあ、そういう理屈は分からなくもないが、どうも腹にストンと落ちない。
もっとプリミティブな理由があるはずだ。

ぼくは桂枝雀の言っていた、「緊張と緩和」の方が納得できる。
人が笑うのは、直前の緊張が緩和したときだ、という理屈。

そして、それはなぜ人間だけが笑うのか?ということにつながり、その先は心理学者の岸田秀の「人間は本能が壊れているから」というところにつながるのだと思う。
動物が笑わないのは、本能に従って生きているからで、それが壊れている人間は社会を作り、文化を作って生きてきた。
本能が壊れているから、人間同士の関係に動物にはない緊張が生じる。
それを緩和させるのが笑いの働きだ。

人は擬人化したペットに対して笑うことがあるが、自然を見て笑うことはない。
結局は人間関係の中で笑う。
笑うことで緊張を緩和している。

漫才でいうと、ボケのセリフに「?」と思って、ツッコミにセリフでそれが解決するときに、笑いは生じるということだ。
そういう意味で、「社会とのつながりのため」、というのは笑うことで緊張を緩和し、人間関係を円滑にしている、ということだろう。

「感情を隠すため」というのは照れ笑いというやつだ。
笑ってごまかすことで、余計な緊張を取り除く。

「体の反応」というのは、くすぐられたときに笑うことで、これは物理的な反応。

「面白いものを見つけたとき」、の「面白い」はコメディーなどのことらしい。
それこそ緊張の緩和だ。

記事の後半では笑うことのメリットが紹介されている。

緊張を緩和してリラックスできるのが笑いの効用。
笑うとキラーT細胞が増えて、ガンにもいいと聞いたことがある。

笑って生きることは大事なことだと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
席を譲られる
こないだバスで生まれて始めて席を譲られた。
松葉杖をついて乗っていたから、譲ってくれたのだろう。
50代くらいの女性だった。
「いいです」と言って断ったのだが、座っている人にしたら、目の前に松葉杖で立たれたら譲らざるを得ない。
短い時間だから、立っていれるのに、気の毒なことをしたと思う。

脊柱菅狭窄症になって、優先座席に座ることにも慣れたが、席を譲られることはなかった。
でも、膝を痛めて松葉杖を使い始めたから、だいぶ印象は変わったのだろう。

強がってみても、所詮は年を取っているのだから仕方ない。
若い人たちに世話になって生きる場面が増えてくるのだ。
そうでなくても、年金をもらっていること自体が、若い人たちの大きな負担になっている。
ぼくらの若い頃は10人で1人を支えていたが、今や3人で1人支えなければいけない。
そんな制度を維持している事自体が、迷惑だろう。

本来なら高度成長からバブル崩壊を経て低成長の時代に入り、そのケリを付けないといけないのだ。
そうしないと、この国は疲弊する一方だ。

寿命が伸びたということは不健康寿命も伸びている。
その期間は寝たきりだったり、薬漬けだったりして、それで儲けているのは医療介護の業界だけだ。
こんなことをしていていいのだろうか。

もっと疑問の声が上がってもいいのに、全く出ない。

これでは年をとると生きるのが嫌になってくる。

席を譲られて、そんなことを考えた。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハーバード・ビジネス・レビューのAI記事
「生成AIは仕事を奪い去るのではなく、人間の力を拡張する」というハーバード・ビジネス・レビューの記事があった。

冒頭に「チャットGPTなどの生成AI(人工知能)は、人間とコンピュータの関わり方に破壊的変化をもたらし、情報検索のあり方を変え、さまざまな産業で仕事を変容させる可能性がある。この事態に多くの企業リーダーは困惑している。」と書いてある。

いろんな記事を見るが、進んで取り入れる企業もあれば、慎重な企業もあるようだ。
それが「困惑」ということなのだろう。
記事では、人間の仕事を自動化によってなくそうとすべきではなく、効果的な活用ができる分野で、より戦略的な方針を取るべき、ということだ。

顧客サービスを例にとって、その仕事を13のタスクに分け、AIの影響を分析すると、今までと変わらないタスクが4つで、完全に自動化できるタスクが4つ、残りの5つは人間の仕事を効率化するために活用できる、という。

変わらないタスクは、顧客対応環境の整備や、組織の運営、活動、手順の指揮など。
これは人間がやるべき仕事だろう。

自動化できるタスクは、製品やサービスの価格決定、支払金の回収といった、反復的で体系化された業務など。
直接の顧客との対話などではなく、どちらかというとその前や、その後にやらないといけないことが主に自動化の対象となるということか。

5つのAIを活用できるタスクは、顧客が抱える問題や問い合わせへの対応、利用者やクライアントや顧客への情報提供、製品やサービスのプロモーションなど。
これは人間が対象の業務であり、人間が実施する必要がある。

たとえ電話対応でも、自動音声でAIにやらせられない業務という認識。
今のAIは人間の感情などわからないから、任せるのは難しい。
だいいち、もっともらしいウソを言われたら困る。

まあ、そのウソもちゃんとやり取りを学習すればなくなるというが、完璧にはなれないだろう。
いくら賢いとはいえ、意味はわかっていないのだから。

一番可能性があるのは、手順が決まっていることだ。
そういう意味で、法律や行政の対応は(前にも書いたが)置き換えられるだろう。
本来、誰もができることを、わざわざ資格を作って仕事を作っているのだから。

結局、もう少し時間をかけて見ていく必要がある、ということになる。
この記事の最後に「今後進むべき道筋」という見出しでこう書かれている。

「顧客サービスはわかりやすい例ではあるが、これは生成AIが組織全体にまもなく及ぼすことになる影響のごく一部にすぎない。ほかの主要なイノベーションに際しては、企業が導入し始めた時点でテクノロジーは比較的安定した「製品」となっていた。生成AIと大規模言語モデルはそうではなく、導入と進化が同時に進むことになる。なぜなら、ブレークスルーの度合いが非常に大きいからだ。

 企業は待っている場合ではない。仕事を再構築し、人間のタスク、自動化されるタスク、強化されるタスク、新たに生まれるタスクを、企業特有の事業の状況、文脈に照らして最も効果的に組み合わせるべきであり、この困難な仕事に、リーダーはいまから着手しなくてはならない。

 生成AIのテクノロジーは導入と進化がほぼ並行して進むため、継続的に破壊的変化をもたらすことになる。だが同時に、人間の創造性を引き出し、これまで解決不可能だった問題を解決する力を人々に与える。」

とにかく、活用していくことが生成AIについていくことであり、その中で模索していくことが必要だと思う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
フランスの暴動
あまり報道されないが、フランスの暴動はすごいことになっているらしい。
前にも紹介したRIKAママの「パリのカフェテラスから」というブログに「度を越えている暴動と信じられないほどの穏やかさが共存しているフランス」というエントリーがあった。
こういう人のブログは生の声だと思って信頼している。

それによると、今回の暴動は、検問拒否で警察官が未成年を射殺した事件に端を発しているのだが、それが全国的に広がっているという。

「当初は警察への抗議行動と思われていたこの暴動は、あっという間にフランス全土に飛び火し、事件の起こったナンテールやパリ近郊だけにはとどまらず、あっという間に、マルセイユ、リヨン、ストラスブール、ニースなどなど被害を受けている場所は数えきれず、ゴミ箱や車を燃やすだけでは飽き足らず、バスやトラムに火をつけ、一般の商店なども、お店を破壊し、商品を略奪し、挙句の果てには火を放つという、地域によっては、コマーシャルセンターをまるまる全焼させてしまったりする残虐的な行為にまで及び、現在は、フランス全土にわたり、バスやトラムは21時以降は運行停止、地域によっては、夜間外出禁止、まさかのロックダウン状態になっています。」

これが市民の見た現状だ。

警官が4万5千人動員されて、特殊部隊なども動員されているという。
RIKAママ自身も、サマーセール目当てで買い物に行って、暴徒が押し寄せて店のシャッターが閉まり、店内に閉じ込められて、店内が大パニックになる、ということにも遭遇したとのこと。
今は厳戒態勢らしい。

この暴動で毎日900人とか1300人の逮捕者が出ているのだが、逮捕者の平均年齢が17歳らしく、12歳〜14歳の少年少女も混じっていて、いつもの暴動とは違う。
SNSが広めた暴動ということだ。

「彼らは、Snapchat(スナップチャット)やTikTokなどの機能を巧に使いこなし、暴動の人集めの呼びかけとして利用するだけでなく、破壊行為、略奪行為などをライブで、また録画動画を公開することで、それを模倣しあい、競いあうという最悪の連鎖になっています。不謹慎ではありますが、日本のネットでのスシロー事件とはケタ違いの狂暴さで、彼らが拡散している動画などを見ると、「殺せ!殺せ!燃やせ!燃やせ!」などと、大声で笑いながら暴れているので、もう言葉もありません。」

Snapchatはあまり聞いたことがないSNSだが、アメリカでは10代でインスタグラムを抜く勢いのツールらしい。
これは投稿した動画が投稿者が指定した時間で消える、というのが特徴。
そのSnapchatにはSnapmapという、自分がどこでこの動画を撮ったかという機能もあって、それでいまどこでどんなことが起こっているかを知らせることができる。
それらを駆使して、若者たちはどこが「ホットスポット」でそこ何が起こっているかを知らせている。

Tiktokも同様にショート動画の拡散に役立っている。
さすがに政府もこの事態に対応しているらしい。

「このSnapchatとTikTokは、多くのメディアなども新しいニュースの映像収集などにも利用しているもので、通常ならば、必ずしも悪用されるばかりではないものの、今回ばかりは、フランス政府もこの運用会社に対して、「危険なコンテンツ」を削除するように呼び掛け、「責任の精神を期待する」と要請を出しています。これらの会社はフランスにとっては外国企業、フランス政府として強制措置をとることはできないものの、今回の事態を重く見たこれらの運営会社は、「フランス当局と連携をとりながら、特別監視部隊を設置し、この種のコンテンツは削除し、適切な措置を講じる」と発表しています。しかし、現在のところは、あまりに対象となるものが多すぎて、一つ一つのコンテンツを公開した者を完全に追跡するのは、非常に困難な事態です。」

「ここ数日では、いくつかの市町村の市長が襲撃を受け、有刺鉄線が張られている市庁舎もあります。市庁舎が襲撃不可能と見たのか?夜中に市長の個人宅に押し入り、家族が怪我を負いながら、家から脱出、その後、家に火をつけられ自宅が全焼するという事件まで起こりました。彼らの怒りは警察だけではなく、社会へ向いているのです。」

どんどんエスカレートしている暴動だが、暴徒の多くはフランスで生まれ、育ち、教育を受けた移民の2世、3世だといわれている。
日ごろから、社会から虐げられているという感情が爆発したのだろう。
これらの若い子供たちが、フランスの格差社会に憤っているということかもしれない。

ただ、暴動は夜なので、昼間のパリは穏やかだという。

「ヴァンドーム広場のルイヴィトンのお店などは、ショーウィンドーにバリケードが張られたりしていましたが、それでさえ、一般の商店がべニア板などで、応急処置で張っているバリアとは違って、妙に洗練されていて、さすがにバリケードすら違うな・・などと妙に感心してしまいます。」

ということらしい。

当初はいろんな憶測が乱れ飛んだりしていたが、今は少し落ち着いたということだ。
それでも、この問題は根が深い。

移民2世、3世に対する差別意識も問題だが、いったん事が始まったら、SNSの連鎖は恐ろしいということだろう。

今回はそれが悪いほうに出たということだと思う。
移民の問題は難しい。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:50 | - | - |
松葉杖
今週の水曜日から松葉杖で通勤している。
脊柱菅狭窄症で左足が痛いので、庇って歩いていたら、左の膝を炒めてしまったからだ。
火曜日に整形外科に行って、診てもらったら、とりあえず1週間松葉杖を使うように言われた。

左膝が痛いときは、松葉杖を右で持つ。
左足と同じように動かして、左足の負担が減るようにするのだ。

松葉杖は右の脇で支えるのかと思っていたが、脇で支えるのはダメらしい。
脇に圧力をかけるとよくないからだ。
それは知らなかった。

水曜日に朝、学校にメールして、今日から松葉杖で出勤すると伝えておいた。
通勤で道を歩いていても、電車に乗っていても、特に回りを気にしなくてもいい。
そんなに松葉杖で歩いているだけでは、気を使われない。

いつもより、ちょっと回りの人が空くという程度。
もっと回りから見られるかと思って気にしていたが、そんなことはなかった。
そんなものなのかもしれない。
自意識過剰というやつだ。

でも、3日目になると右の腕が痛くなる。
結局右腕で膝の負担を軽減しているのだから、当然だろう。

駅までは自転車に松葉杖を積んで、乗って行っている。
自転車置き場のおじさんも、別に気にしていないように見える。

来週の月曜日の朝には、確認のためにMRIを撮ることになった。
朝早く病院に行かないといけない。

松葉杖で膝の負担が減ったらちょっと痛みがマシになった。

1週間使ったらどれくらい良くなるだろうか。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己啓発本
自己啓発という言葉は、あまり馴染みがない。
あまり自己啓発本(昔はハウツー本などと言っていた)は買ってないと思う。

と思って、アマゾンの自己啓発本のベストセラーを見たら、「夢をかなえるゾウ」が入っていて、これはだいぶ前に読んだ覚えがある。
でも、今は本屋に並んでいる自己啓発本はすごい量だ。
古いところではカーネギーの「道は開ける」とか「人を動かす」とか。
たしか、1冊は実家にあったと思う。

昔は功成り名を遂げた人が書いたものだが、最近は知らない人が書く。
よく見る「人は話し方が9割」という本は永松茂久という人が書いている。
「9割」はシリーズで3冊出ていて、ビジネス本ではベストセラー。
ビジネス本は自己啓発本と読み替えてもいいと思う。

永松茂久氏は株式会社人財育成JAPAN代表取締役という肩書で、実業家としてもいろんな顔を持つから、一応成功者ということなのだろう。
松下幸之助や本田宗一郎とはだいぶスケールが違うが、今の売れ線らしい。

全部で131冊書いている。
「人は話し方が9割」という本はレビューに「2時間くらいでちゃっちゃと読めて、参考になる。ただし、プレゼンのハウツーではない。円滑なコミュニケーションの築き方の本。広く捉えれば、人生を楽しく生きるための指南書とも言えるだろう。」と書いてある。
ビジネス本というより、生き方指南の本なのかもしれない。

タイムパフォーマンスの時代だから、すぐに読めることも大事なのだろう。
読破するのに3日かかる、というようなものは避けられるのか。
そういえば、「夢をかなえるゾウ」も読みやすかった。

こんな時代、あまり内容が重たい本は売れないのかもしれない。

ぼくらの若いころは自己啓発本、ハウツー本などはどちらかというとバカにされていたと思う。

賞を取った作家とか、文壇の大物、入試対策で読まされた夏目漱石や森鴎外、わけのわからなかった小林秀雄などは読まされた本だったか。
それでも、当時の本は小説でも、短編でもお手軽に読める、という感じではなかった。
そういう編集方針というか、書き手の意識が違ったのだろう。

ヤフーの質問に「昭和のころ、現代国語の入試問題で小林秀雄が好まれた理由は何ですか?当時の大学の先生は、高校生が小林秀雄を理解できると思っていたのですか?」というのがあった。

回答は、

「小林秀雄や小林と同様の逆説的、反語的発想を得意とする批評家の文章が好んで入試の素材分に採用されてきたのは、より優れた思考力、理解力を備えた学生を選抜するには、世間で幅を利かせている常識(俗説、因襲等)に囚われがちな受験生をふるい落とすことのできる問題を出題するしかないからです。
もちろん、現代文の問題作成におけるこういう基本方針は、今後も変わることはありません。
言い換えますと、小林秀雄を読解できる程度の思考力、理解力を備えている受験生ほど、どんな現代文の問題が出ても恐れるに足りないということになります。」

と書いてあるが、小林秀雄の批評文は全くわからなかった。

でも、当時の若者は背伸びして、難しい本を読んでいたのは事実。
何の役にも立たなかったが、わからなくても活字を読むという習慣はできたのかもしれない。

お手軽な自己啓発本が流行る時代。
それだけ生きることが大変になって、必要とされているのかもしれない。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
USBメモリ
学校で学生のためにクラウドの仕組みを入れているところがある。
ぼくの行っているところもそうなのだが、そういうところの学生はUSBメモリを持たない。
USBメモリがなぜ必要なのか?という意識。

そういう学生に、尼崎のUSBメモリ紛失事件の説明をすると、びっくりする。
アホちゃうん?というリアクション。
USBメモリにそんな大事なものを入れて、持って歩くということが理解できないのだ。

いやいや、日本の公的機関はIT化が遅れているし、職員のリテラシーがないから、孫請けのIT企業の社員が家でデーターを加工するためにはUSBに入れるしかないのだ、という説明をする。
3次下請けが1次下請けを装っていた、ということよりも、USBメモリを使ったことが問題だと言う。
ふーん、そういうことなのかと思った。

ぼくがパソコン教室の担当だったころ、前職の人が学生には常に最新の設備を使わせることが大事、と言っていたが、本当にその通りだと思う。
知らず知らずのうちに、そういうものを使って、これが当たり前、という感覚を持つことが大事なのだろう。
そういう人が増えていくと、世の中は自然に変わっていく。

残念ながら、そういう大学がどの程度あるのかは知らない。

ぼくも含めて、今の年寄りが現役でいるのは良くないことだ。

老兵は去りゆくのみ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
訃報
訃報が続く。

会社時代に一番お世話になった先輩が亡くなった。
去年の11月にお目にかかったのが最後になった。
その時はまだまだお元気そうだった。
抗がん剤をやっていて、そのクールの合間で1週間空くときなら、ということで先輩の家の近所の喫茶店で馬鹿話をした。

バブルの絶頂期には、給料は上がらなかったが、仕事が増えた。
OEMの開発がどんどん増えた時期だ。
毎日膨大なFAXが来て、それにコメントを付けて配るだけで定時が過ぎた。
そこからが、自分の仕事という感じだった。

当時ぼくは10人ほどのグループのリーダーだったが、その時の部長がその先輩だった。
毎日終電がなくなるまで、付き合ってくれた。
もちろん、部長の仕事も山のようにあった。

ぼくの相談を聞いてくれたり、一緒に今後の方針を決めたりした。
ぼくが部署を変わってしばらくして部長も変わった。
一番しんどい時期を一緒に乗り切った。

会社を辞める時も相談に乗ってくれた。
温厚な人で、ぼくの思いを聞いてくれた。

最初の部署の上司でもあった。
理学部物理学科で、ぼくのように思いつきでは行動しない。
ちゃんと筋道を立てて考える人だった。

そういう考えが染み付いているのか、いろんなことを分析するのが得意だった。

お世話になった人がどんどん他界していく。

本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
向こうでまたお会いしましょう。

ご冥福をお祈りします。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
無知は罪
社民党の大椿ゆうこという参議院議員が、いまだに福島原発の処理水についてわけのわからない文句を言っている。

「ALPS処理水はトリチウム以外の核種についても調べられており、データは公表され、IAEAが持つ複数の研究所のほか、フランス、韓国、スイス、米国の独立した研究施設がそれぞれサンプルを分析しても問題無い結果が示されています。」

というのが事実。

それに対して、「通常運転による冷却水と、メルトダウンしたデプリを冷却した冷却水とを、なぜ同じように語れるのか。福島は、トリチウム以外の核種については調べている最中とのこと。」というツイートを流している。

それ以外にもずっと処理水の危険性を煽っている。
こういう国会議員が風評加害者になる。

朝日新聞も散々そういう記事を流した。
そして、そんな記事がもてはやされた。
避難しなくてもいい人が避難し、取り返しのつかないことになった。

こんな犯罪的なことが行われても、なんの反省もない。
あろうことか、こんなふうに未だに処理水の放出に反対している国会議員がいる。

わかってやっているのか、それとも単なるバカなのか。

どれだけの損害を与えたら気が済むのだろうか。

空から降ってくる雨をためてどうするのか。
無限にできると思っているのだろうか。

彼らは社会の害だと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
バンド練習
昨日はバンドの練習日。
今回は"And I love her"と”Ticket to ride”というビートルズの初期の曲をやった。

バンドではベース担当なので、歌いながら弾くということが難しい。
でも、この2曲はもともと歌詞を知っているから、歌いながら弾ける。

高校の時に、ビートルズの赤と青のベスト盤を聞き倒した。
ぼくらの世代は、残念ながら解散してからビートルズを知った人も多いと思う。

解散してから、映画館でビートルズの3本立ての映画などを見て、かっこいいと思った。
特に、アップル・レコードの屋上でやったライブ。
"Don't let me down"や”Get Back”など、なんだか神がかっていた。

これが事実上のビートルズの最後のライブになったという。

そんな思い入れのあるビートルズ。
さすがにビートルズの後期の曲は音が重なっていたりして難しいが、前期の曲はわりとやりやすい。
バンドの音だ。

バンド譜もなく、歌詞とコードだけで適当に合わすバンドで、ドラムもいないから、ビートルズの原曲をかけて練習する。
それでも、何とかなるのが面白い。

久しぶりに声を出して歌って、気持ちよかった。

10代で覚えた歌は忘れないなあ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスクしてたら出来ない経済活動
何度か紹介した「内科医の端くれ」のアカウントのツイート

マスクを外すな、という医師への返答だ。
もうこれ以上付き合ってられないから、最後にするとのこと。
その内容を紹介する。

「引用リツイートで他の方々が言及して下さっていたから良いかと思いましたが、「マスクしてたら出来ない経済活動」の具体例を挙げろとのことで。
これで終わりにします。

たとえばあらゆる形態の飲食店は全部そうですよね。食事の時だけ外すとか何も意味がないし、それはマスクしてたら成り立たないということですよね。

スポーツやジムもそうでしょう。入浴施設、楽器の演奏、合唱団やボイスレッスン、化粧品店、エステやマッサージなどもですね。そのあたりはわかりやすい。

あとは耳の不自由な方にとってはあらゆる場面においてマスクは本当に困ります。外国語学校など、言語の習得にもマスクは大きな支障があります。
養護学校や支援が必要な子どもたちの施設でも、マスクは大きは障害になっていると聞きます。
床屋や美容室だって、マスクがあったらうまくいかないでしょう。

酷暑での作業が必要な仕事も厳しいですね。建設業、警察官、消防士など。
被写体となる結婚式やモデル、芸能関係の仕事も。
登山なども「屋外でも人との距離が保てず会話するなら推奨」などと言ってたら成り立ちません。

そしてそもそもサービス業全般は「マスクありでもできる」のでしょうか。本当にできているのでしょうか。
今までの接遇研修、笑顔や表情を作る練習、コミュニケーションの重要性は何だったのでしょうか。

あとは「マスクがあるから○○には行かない」という人もたくさんいます。
コンサートやライブ、娯楽イベント、習い事。そこで経済活動が制限されます。

まあ結局何をもって「できない」とするかは人によりますし、どこまでが経済活動かということはありますが、明らかに成り立たないもの、支障が大きいものを挙げればキリがないと私は思います。

これでも「お前の判断でしかないだろ」と言われればそれまでですが、それじゃあむしろ「スポーツ以外のあらゆる経済活動はマスクしててもできる」と言って良いんでしょうか?
できる/できないの基準は個々人で違うにしても、さすがにそれはあまりにもマスクを受け入れすぎというか、何も感じなさすぎというか、想像力が足りなさすぎなんじゃないかと思います。

というか、コロナ前だったらこんな当たり前のことで議論にならなかったはずです。マスクありきにしたいあまりに、認知が歪んでしまったとしか思えません。
「弊害があるけど推奨」ではなく、「弊害なんてないから推奨」になってしまっています。」

この人が本当にエライと思うのは、こんなふうにちゃんと反論することだ。

熱くなってきて、ぼちぼちマスクをしない人が増えた。
電車の中でも、大学でも、結構見るようになった。

諸外国ではコロナのニュース自体がないらしい。

早くそうなってほしいものだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |