考えたこと2

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年寄り
ぼくも職場では年寄りになった。
もう還暦まで片手で数えることができる。
22歳で会社に入って、もう35年。

入社したころは、定年まで続くだろうかと思っていた。
その予想は当たって、25年で転職した。
ぼくらの世代では少数派ではないか。

でも、会社に入ったときに新入社員の研修があったが、その時に何人かエライ人が出てきて、話をされた。
いい話もあったし、ねむたい話もあった。
だいたい、55歳以上の人ばかりだったが、いつの間にかぼくもその人たちと同じ年代になったとしみじみ思う。
新入社員にとっては、手の届かない存在。

何度か新入社員の研修をしたことがある。
もちろん、技術の現状とか課題とかいうものだった。
ぼくらの入社時はオイルショックの後で、人数は少なかった年。
だから、寝ることなどできなかった。
しかし、ぼくが講習をやったときは、大量採用の時代だったし、会社もおおきくなって研修センターができていたので、大きな部屋だった。
みんなよく寝ていた。
よほどぼくの話が面白くなかったのだろう。

それにしても、人生はあっという間だと思う。

こないだ入社式をやったような感じだ。

光陰矢のごとし…。
| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
火星
キュリオシティはまだ火星で動いている。
一日平均30mほど動くらしい。

動く途中で見つけた石にレーザーを当てて、その時に出る光を分析した結果を送ってきたりしている。
どうも石は玄武岩だったらしい。
光の速度で15分もかかるところの石の成分を分析することができる、ということは、すごいことだ。

10年以上動ける動力も搭載している。
プルトニウムの崩壊熱を使った、原子力電池だ。

その電力でドリルを動かし、火星に穴を開けた。
そこに出てきた土を見て、科学者たちは喜んだらしい。
赤くなかったからだ。
火星の表面には宇宙線が降り注いでおり、それによって活性酸素が生成され、酸化が起こる。
だから、表面が赤くなっている。
酸化されるような状況では、有機物質は分解される。
だから、生命は存在し得ない。
ところが、出てきた土は灰色だった。
つまり、酸化されていないということだ。
こうなると、生命の可能性がある。

途中でコンピューターの異常が起こり、補助のコンピューターで動かすというような事もあったらしい。
3週間がかりで、修復することができた。

関わっている人たちは、みんなけっこう年寄りだ。
ベテランの科学者なのかもしれない。

まだまだいろんなデーターを送ってくれるだろう。

楽しみだ。

| | 考えたこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
科学好き
ぼくは小学校の頃、科学が好きだった。
それは、世の中に「科学に対する憧れ」があったからだと思う。
みんながみんな、そういう憧れを持っていたわけではないが、多くの人は科学は人類を進歩させ、世の中を豊かにするもの、と思っていた。

亡くなった親父は、機械オンチの経理屋だったが、戦争ドラマのコンバットを見ながら、日本は科学を軽視して戦争に負けた、と言っていた。
暗号の解読しかり、レーダーの開発しかり…。
神風特攻隊の攻撃を避けるために、オペレーションズリサーチという数学を使った事も聞いた。

ぼくは、鉄腕アトムの描く未来の世界に憧れ、サイボーグ009で超能力の存在を知り、スーパージェッターでタイムパトロールを知った。
ロボット、エネルギー、原子力、テレポーテーション、サイコキネシス、テレパシーというような言葉も、マンガで覚えた。
全部アニメかマンガだった。

イギリスBBCが制作したサンダーバードや、アメリカの原潜シービュー号、宇宙家族ロビンソンなどの輸入ドラマも見たし、ヴェルヌの海底二万哩の小説も読んだ。

1960年代は、世界がまだまだ科学の力を信じていたと思う。

その後、日本では公害問題が起こり、交通戦争というような言葉もできた。
その頃から、「科学に対する憧れ」がなくなっていったように思う。
ぼくは相変わらずSF小説を読んだり、アニメを見たりしていた。
オーディオや自動車といった機械ものが好きだった。
高校になったら休みの日には三宮に行って、カタログを集めたりした。
いろんなカタログを眺めて、どれがいいか、などとスペックを見て想像していた。

そんな若者がたくさんいたと思う。

今は無国籍で時代もどうなっているかわからないアニメがあったり、メカが出てきてもどこがどうなっているかわからない。
作り手側もそんな説明はスルーする。
教師は理科が苦手で、必然的に生徒は理科が嫌いになる。
これで科学が好きになるはずがない。

これでいいのか。

| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
シュレディンガーの猫
量子力学というのは、とても難しい。
とっつきにくいのだ。

観測することで結果が変わるとか、電子のような小さなものがそこに「ある」のかどうかは、確率的に決まるとか、ワケがわからない。
ニュートンの力学の世界では、観察することで物事は解明されたし、そこにあるものはあるし、そこにないものはない、と判断できた。
でも、それが電子のような小さなものを対象とすると、急に変わる。
今までの常識が通用しない。

だから、アインシュタインも死ぬまで懐疑的だった。

「シュレーディンガーの猫」というのは、量子力学の例え話。
要は猫を殺すことができる装置と猫が一緒に入っていて、その装置を作動させるのは、一緒に入っている、いつ崩壊するか予測できない放射性物質、という状態。

この状態で箱の中の猫はどうなっているか、ということだ。

ニュートン的には、「生きているか、死んでいるか」ということになるのだが、量子力学的にいえば、「生きていて死んでいる」ということになる。
箱を開けるまで、猫が生きているか死んでいるかは知りようがないのだから、生きていると同時に死んでいるということらしい。
まあ、そういわれればそうなのだが…。

このたとえ話の真意がわからなくても大丈夫。
生きていくのには何の問題もない。

しかし、このリクツがなければ、現代の最新機器の中には作ることができなかったものがあるらしい。

もうついていけないと思う。



| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
熱中症
ようやくちょっと涼しくなったが、今年の猛暑は本当にすごかった。
四万十市で41度という最高気温が記録され、尋常な暑さではない。
この気温というのは百葉箱の中の温度計だから、普通においてある温度計ではない。
だから、普通に計ればもっと高くなる。

全国で4万人の人が熱中症で搬送されたらしい。

室内にいても熱中症になるらしい。
死亡が多いのは7月が圧倒的で、次いで8月になる。
高齢者や寝不足の人は注意が必要とのこと。

熱中症がどんどんひどくなるのは、夏が暑いからだ。
なぜ暑いかは諸説あるが、温暖化は間違いなく起こっていると思う。
太陽の活動が活発になったとか、都市部のヒートアイランド現象とか、他にもいろいろあるが、人間の出すCO2が増えていることは間違いない。
発電所では天然ガスや石油の使用も増えているし、何せ1960年代に35億人だった世界の人口が今や70億人もいる。
一方で熱帯雨林などは伐採され、珊瑚礁も減っている。

CO2は増える一方だ。

来年はもっと暑くなるかもしれない。

今や日本も亜熱帯になってきた。

こうなると、スポーツの時間も変えないとシンドイだろう。
少年野球やサッカーなど、とても昼間は無理だ。
そのうち、暑くて、子どもや不要不急の大人の外出禁止、ということになるかもしれない。

甲子園もぼちぼちドームにする方がいいのではないか。

| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
地方ほど国際化
昔は都会に行くと外人(西洋人)がいて、やっぱり都会はすごいと思われていた。
でも今は地方の観光地に行くと、逆に国際化を感じる。

見たところは日本人と変わらない人たちが 、異国の言葉で話す。
よくわからないが、中国語か台湾語、韓国語だろうと思う。

地方でこれといった産業のないところは、観光で食べていくしかない。
とりあえず、手っとり早く役所が考える手段というと、そんなのになる。
いわゆる町おこしというやつだ。

あれは、町に外から人を呼び込んで、お金を落としてもらう、ということだろう。
となると、今ならアジアからの観光客だ。
GNPも上がったし、成長著しい国々から金持ちが日本に来る。
そこで、ホテル、旅館、役所、土産物屋など、アジアの言葉が話せる人がほしい。
それが地方の観光地で起こっている。

日本に、日本語が話せる中国人はわりといるが、都市部に偏在している。
やっぱり中国語や韓国語を話せる日本人がほしい。

もちろん英語は大事だ。
基本は英語だろう。
でも、これからは中国語、韓国語なども学ばないといけない。

地方の私大などは、そういうことを進めていくべきだろう。
それこそ地域のニーズに合った教育ということだ。
北海道、北陸はロシア語でもいいと思う。

実際にそれを学べば仕事に就きやすいということになると、学ぶ方も真剣に学ぶようになる。

こういうのが真の国際化だと思う。

| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
イチロー4000本安打
イチローが日米通算4000本安打を達成した。

その瞬間、ゲームを止めて祝福されるとは思っていなかったようで、ずいぶん感激したようだ。

イチローのすごさは、まるで昔の僧のように野球道を極めようとしている、という態度にあると思う。
普通の人なら、4000本のヒットを打てたということにコメントすると思うのだが、イチローの場合はちょっと違う。

「ヒットを打ってきた数というよりも、こういう記録、2000とか3000とかあったんですけど、こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたことを誇れる自分では別にないんですよね。誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね」

4000本打てたのは、打てなかった8000打席の悔しさがあり、それに自分なりに向き合ってきた、ということを自分の4000本安打達成のコメントで話せる、というすごさ。
これを言おうとして考えていたのだろうとは思うが、それにしても、実際に到達しないとこんなことは考えつかないと思う。

来年40歳。
まだまだ限界ではないと言っている。
これは球団へのアピールでもあるのだろう。
彼くらい身体に気遣って、節制していればまだまだいけるのではないかと思う。

でも、チームにも事情があるだろう。
若手を使っていきたいということもあるかもしれない。

これから野球選手としては最晩年に入ってくる。
どこまでそれに抗って頑張れるか。
45歳、あるいは50歳までやることができるだろうか。

彼が本当に狙っているのは、現役として記録を残しながら、何歳までやれるのか、ということではないか。
試合で使われるためには、どうしても記録に残るような活躍をしないといけない。

イチローは何歳までメジャーで現役でやれるのだろうか。

| | 考えたこと | 01:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
理科離れ
ネットで「理科離れ」を調べていたら、こんな記事が2009年に出ていた。

「子どもの“理科離れ”を克服すべく、今年度から前倒しでスタートした理科の新学習指導要領。授業時間を大幅に増やし、実験も積極的に取り入れられた。しかし今、教師自身の“理科離れ”が深刻で学習内容の強化に対応できるかという不安の声が上がっている。去年実施された調査によれば、小学校教師で勤続10年以下の若手の8割が「観察・実験についての知識・技能が低い」と回答。「塩酸が怖い」「子供に質問されるとオドオドしてしまう」など基本的な知識さえ乏しい実態が明らかになった。その背景には、若手教師が子ども時代に受けた「ゆとり教育」で科学に対する興味を失ってしまったことや、理科を学ばなくても教師になれる仕組みがある。どうすれば教師の“理科離れ”を防げるのか、ヒントを探る。」

ぼくは、子どもの理科離れは、教師の理科離れが原因だと思っている。
そして、その原因は今の教員養成課程にある。
この4年前の記事に書かれているように、教師自身が理科についてわかっていないのだ。
どうして、理科についてわかっていないまま先生になれるのだろうか。
「基本的な知識さえ乏しい」先生がなぜ量産されているのだろうか。

この記事では「若手教師が子ども時代に受けた「ゆとり教育」で科学に対する興味を失ってしまったこと」と書かれているが、何でもかんでも「ゆとり」のせいにするのはオカシイと思う。
「ゆとり」だから、なぜ科学に興味を持たない教員が生まれるのか。

こういう教師が量産されているのが問題だと思うなら、量産されないようにするにはどうしたらいいかということをちゃんと考えないといけない。
今の小学校の教師になるための課程を見直すことだ。

Wikipediaの「理科教育」の項を見ると、

「小学校教員免許を取得する場合は、教育職員免許法施行規則第六条第四欄「各教科の指導法」で「理科」の指導法を履修する必要がある。
また、第三条の「教科に関する科目」に「理科」の単位がふくまれている。この科目は1993年の時点には一種免許状以上で必修であったが、2010年2月現在「一以上の科目について修得」すればよいと規定されている。そのため、2010年現在では、「理科」の科目を履修しないで小学校教員免許を取得する場合もありうる。もし受講している場合も、授業時間や担当教員の専門などの理由から、必ずしも理科に関するすべての分野が取り扱われるわけではない。
小学校教員志望者には理科への苦手意識が強い人・文系出身者が多く、理科の基礎教養が身についていない者もいる。また、現職の小学校教員にも「理科(特に物理・地学)の指導について苦手意識が強い」人が多く、「理科の指導法についての知識・技能を大学時代にもっと学んでおいた方がよかったと思っている」という統計もある。このことなどは、初等教育段階での理科教育において大きな課題を抱えているといえる。」

と書かれている。

もう問題はハッキリしているのだ。
それに対する文科省の改善策としては、小学校高学年での理科専門教員の配置や、理科の観察・実験に使用する設備の準備・調整を行う助手を配置するというもの。

これはこれでやったらいいと思うが、本丸の改革をしないといけないと思う。
モグラたたきではこの問題は解決しない。

そのためには小学校教員の養成課程の改革が必要だと思う。
いろんな利権が絡んでいるのはわかるが、小学校の教師はとても大事な仕事だと思う。
国の将来を決める仕事だといっても、過言ではない。
理科離れだけではなく、イジメなどの社会問題もあり、問題は山積している。
だから、優秀な人を教員にしないといけない。
なぜ養成課程の改革をしようとしないのだろうか。

親の問題も大きいが、その親は教育できない。

だから、小学校が大事なのだ。


| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
体罰問題
文科省から「体罰根絶に向けた取組の徹底について(通知)」
が出た。
まあ、対策が進むことはいいことなのだろう。

ぼくは体育系のクラブに入っていた経験が3ヶ月(中学1年の4月から6月)しかないので、問題になっている指導については全く知らない。
これはきっと他の体罰と別問題なのだと思う。

しかし、昭和40年代に学生時代を過ごして、一度も先生から何らかの体罰を受けたことがなかったり、そんな状況を見たことがない、という人はどれくらいいるのだろうか。
ぼくは小中高とずっと公立だったが、中学の時は受けたことがあるし、見たこともあった。
その中には、宿題を忘れてきたら出席簿で頭を叩かれるというようなものもあったし、授業中にビンタをくらう、という事もあった。
それでも、親が文句を言ってくるとか、そんなことをした先生が糾弾されるとかいうことはなかった。

もちろん、理不尽に叩かれるということもあった。
それでも、やられた人も含めて、みんな仕方ないと納得していた。

昭和40年代には、学園ドラマで先生が生徒を殴る場面もあったと思う。
だからといって、体罰を認めればいいと言っているのではない。
ただ、そういう場面があり、それなりに必然性を持っていたということだ。
世間にはたしかにそういう感じがあった。

これはよくないことだろう。
でも、昭和40年代のことと、今の体罰とは何となく違うことなのだと思う。
上の文書に書かれている、「児童生徒の心身に深刻な悪影響を与え、力による解決の志向を助長し、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがあり、いかなる場合でも決して許されません。」という言葉に違和感を感じるからだ。

この言葉自身は正しい。
しかし、ここに書かれていない前提条件が昭和40年代とは違う。
教師と生徒や親の関係性だ。
昭和40年代には、教師という職業に対する尊敬や教師の自分自身に対する誇りみたいなものがあったと思う。
当時もデモシカ教師という言葉があり、そういう教師もいたと思う。
しかし、そうでない教師も多かったのだろう。
何となく世間に「先生はえらい」という雰囲気があった。
そして、先生も自分の職業に自信を持っていた。
今はその両方がなくなった。
世間が先生をエライと思っていないし、先生も自分に自信がない。

そんな関係がなくなったのが、この体罰問題の一番根が深いところだと思う。
そこにメスを入れないで、この問題を論じてはいけない。

そういう事は文部科学省はわかっているのか。
わかってはいるが、言ってはいけない事なのか。

誰か、それを言ってほしい。

| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
キラキラネーム 2
またWebで記事が出ていたので、見てみると、新作が出ている。

今回ビックリしたのは「凸」。
これを「てとりす」と読む。
みなさんご存じのブロックが落ちてくるゲーム。
確かにテトリスの中に凸の形をしたものも落ちてくるが、それを名前にするとは呆れた。

もう一つは「月下美人」。
これを「キューティーハニー」と読む。
日本人だと思うのだが、田中月下美人と書いて、田中キューティーハニーと読むのもスゴイ。
子どもが気の毒だ。

面白かったのは「明日」。
これを「トモロー」と読む。
鈴木明日と書いて、鈴木トモローという。
もちろん、英語のtomorrowから来ているのだが、トゥモローと読まず、トモローと読むところがみそ。

しかし、どこまでいくのだろうか。
凸に至っては、とても読めたものではない。
連想ゲームみたいなものだ。
これは親の虚栄心というか、目立ちたいという心理からつけているのだろうか。
これで子どもが馬鹿にされないと思っているのだろうか。
ま、必ずしもバカにはされないだろうが…。

しかし、キラキラネームがニュースになるというのは、それが希少であるからであって、それ以外の何物でもない。
単に珍しいのだ。

ひょっとしたら、名前だけでも唯一無二のものをつけたい、という気持ちからかもしれない。

しかし、名前が唯一無二であることは何の価値もない。
どちらかというと、奇妙に思われ、気の毒に思われるのがオチだろう。

それより、中身の勝負を考えた方がいいと思うのだが…。



| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
従業員教育
世間では、若い人がツイッターやフェイスブックなどで自分の情報を発信できるようになり、そのために問題が起こってきた。
携帯電話やスマートフォンにカメラが付いて、誰でもいつでも写真を撮れるようになったことも大きいだろう。
おもしろ半分に写真を撮り、ネット上に上げ、それが常識外れだと指摘される。

「首都圏と東海地方でステーキレストランを展開する「ブロンコビリー」(名古屋市)は7日までに、アルバイト従業員が店の冷凍庫に入った画像をインターネット上に公開していたことを明らかにし、ホームページで謝罪した。
 同社によると、足立梅島店(東京都足立区)で男性アルバイト(18)が冷凍庫に腰から下を入れた姿を別の男性アルバイト(18)が撮影、ツイッターに投稿していた。6日朝、問題を指摘するメールが同社に届き発覚したという。
 同社は店内の消毒や従業員教育のため、6日から当面の間、同店を休業とする。問題のアルバイトについては「厳正に対応する」としている。」
今日の記事では店は閉店で、アルバイトに損害を請求するという話。

こんな騒ぎになるとは、アルバイト本人たちも思っていなかっただろう。
まだ、店に恨みがあるとか、営業停止にしてやろうとか、そんな企みがあってやったのなら対策も可能だろうが、そうではない。
全く悪気なく、単におもしろ半分でやったと思う。
第一アルバイトなのだから、そんな写真が撮れるような状態にした企業側の責任も問われるだろうし…、なぜそこにアルバイトだけしかいなかったのか、ということだ。

でも、それが現実なのだ。

デフレ、デフレと言われているが、その原因は給料が下がっていることだと言われている。
実際、非正規社員が増えて平均給与は下がっているが、なかでも非製造業では2000年以降ずっと下がり続けている。(2000年を100とすると2011年には87になっている。内閣府 平成24年度 年次経済財政報告 より)
そんな中で生き残っていくためには、アルバイトを多用するしか道はないのかもしれない。

だいたい、大学生が420万人くらいいるが、そのうち半分は定期的なアルバイトをしているとすると、210万人。
今の完全失業者数が250万人くらいだから、ほぼイコールの数字だ。
つまり、大学生のアルバイトを禁止すると、計算上は完全失業者はほぼゼロになる(実際にそうはならないだろうが)。

現状では都市部に大学が偏在しているので、結果的に都市部には豊富なアルバイトの労働力があることになる。
結局、都市部ではどうやって大学生のアルバイトをうまく使うか、がその店の収益を決定するような状況になっているのではないか。
実際、アルバイトが組織化され、実質的にアルバイトで運営されているような店がある。
大手(マクドやスタバ)ではさすがにそういうことはないが、居酒屋や焼き肉屋、ラーメン屋など外食系の中小チェーン店などでは、そういうところも多い。
ピザ屋でバイトしていた学生が、自分がリーダーでその下に学生バイトが数人いる、と話していたり、店にはバイトしかいない、という話も聞いた。
それが本当なら、何かが起こっても、責任を取る人がいない状態で営業しているということだ。

だから、この記事の会社は「アルバイトがそんな写真を撮れるようにした弊社の体制を改めます」ということを言わないといけない。
でも、収益上それは言えない。
こういう発言があること自体、アルバイトを補助の労働力ではなく、正規の労働力として扱っている証拠だ。

ひょっとしたら、本気でそう思っているのかもしれない。
この問題は根が深い。

| | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ももクロの歴史観
ももクロというのは、「ももいろクローバーZ」という17歳〜20歳の女性の5人組のグループ。
彼女らに戦争の事を聞いた社会学者がいるらしい。

それによると、戦争が終わったのは1038年で、当時同盟を結んでいたのはアメリカとのこと。
鎌倉時代の前に終戦を迎えているとは、驚きだ。
同盟国はアメリカというのは、わりと多くの若い人たちが思っていることだ。
今の状況を考えると、そう思えるのだろう。

社会学者によると、彼女らは古代史や中世史には詳しいらしい。
ところが近現代になると、とたんに知識がなくなる。
小、中、高と古代史から順に習っていき、近現代史になると時間がなくなるという授業を繰り返してきた。
明治維新のあとくらいから、駆け足になる。
要は習ったことは覚えているが、習っていないことは覚えていないのだ。

古代、中世も大事だが、近現代史はもっと大事だ。
特に中国、韓国が戦争の歴史を自国で教育しているのだから、日本もそういう教育をしないといけない。
中国人、韓国人が知っていて、日本人だけが全く知らないとなると、戦争責任については無責任と思われても仕方がない。

彼女らが悪いのではない。
教育が悪いのだ。

ぼくらの頃も近現代史は学期末で間に合わなかった。
今と同じだ。

しかし、これをちゃんとやらないと、いけないと思う。

せめて、日本とどの国が同盟国で、連合国とはどこなのか、日本が戦前おかれていた環境とアジアの状況くらいは必修にしないとイケナイと思う。
いろいろな意見があるのはわかる。
だからといって、教えないというのはダメだろう。

若い人たちが、中国や韓国の人と話をしていて、戦争の話になったときに、「だって、習ってないんだもん」と言わないですむようにしてあげないと…。

それは大人であるぼくらの義務だと思う。

先生方はそう思わないのか。
特に日本史の先生は…。

| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライフプラン
ぼちぼちライフプランを考える時期になってきた。

あと3年ちょっとで60歳。
プランを立てないといけない。
しかし、年をとってくると、今さら今までと違う生活に入ることが難しくなる。
だからこそ、早めに考えておく必要がある。

わかっちゃいるけど、というところだ。
まだまだ動けるし、毎日の生活は続いていく。

しかし、人の値打ちは引き際で決まる、という言葉もある。
何事も終わりが大事だ。
でも、世の中を見ていると、どうも引き際がきれいな人は珍しい。
年齢が上になるほど、役職が高いほど引き際が難しい傾向がある。

俗な言い方だが、エラくなるとその職を辞めたくなくなるのだろう。
どうしてもその職にしがみついて、とどまろうとする。
でも、本当にエラい人は、自分の引き際を考え、後継者を用意しておくものだ。

話がそれた。
ライフプランのことだ。
これが難しいのはいつ死ぬかがわかっていないこと。
それがわかっていれば、立てるのは簡単だ。
死ぬ年から逆算して、今を考えればいい。
例えば、75歳で死ぬと分かっていれば、74歳で何をしておかないといけない、ということがわかる。
そうすると、そのためには73歳ですることもわかる。
そうすると…。

しかし、よく考えると、かえって難しくなるかもしれない。

いつ死ぬかということがわかってしまうと、どうせ死ぬのだから、という気になるのではないか。
75歳で死ぬのだから、74歳にはこれをまとめて、あれを処分しよう…などと考えるだろうか。
あといくらお金が必要だから、いつまで働いて…、などと考えるだろうか。

人はみなどうせ死ぬのだが、それがいつかはわからないところが、人生のよくできたところかもしれない。

人がいつ死ぬかわかったら、人生は全く違った風景になるだろうなあ。

だから、遺伝子の研究はほどほどにしておかないといけないと思う。

結論が変になったが…。

| | 考えたこと | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和の夏休み
夏休みのことというと、思い出すのが絵日記。
小学校の低学年の頃にやった記憶がある。
あれは大変だった。
絵入りの日記を書くわけだから、1日分書くのにも時間がかかる。
何日分くらい提出しただろうか。
5日分くらいだったか。

小学校当時からぼくは出不精だったので、家族旅行などあまり行きたくなかった。
でも、絵日記があったので、親はどこかへ連れていかないといけないと思ったのだろう。
小学校の時に一度有馬に行ったのは覚えている。
そうそう、会社の保養所が六甲にあって、そこにも行ったなあ。
従兄妹も一緒だった。

親父の会社の保養所は、単なる家で、食べ物は持ち込みだった。
ただで寝床と台所が使えるということだ。
あれでは母や叔母さんは保養できなかっただろうなあ。
昭和40年代の初めはそんな保養所があった。
まだまだ、日本は貧しかったんだと思う。
2泊もしたら帰ったような気がする。
ま、それ以上いたら、大人が疲れたんだろうし、今のようにたくさん休めなかったのだ。

中学に上がると、もう夏は出かけなくなった。
夏は、というより、中学以降、孫ができるまで行っていないと思う。
そんな家だったが、ぼくは何とも思わなかった。
どこかに行きたいとも思わなかったし、ましてや家族でどこかに行くなどということは考えもしなかった。
昭和のサラリーマンの家族というのは、そんなものだったと思うのだが…。
ウチの家が変わっていたのかもしれない。

高校に入ってからは、夏は高校野球を見ていた。
今ほど暑くなかったなあ。
毎年甲子園の外野席に行った。
外野席はタダだった。

ケータイやテレビゲームもなく、ネットもなく、ツイッターやフェイスブックもない夏休みだった。
でも、それなりに楽しい夏休みだった。


| | 考えたこと | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
リスク
ぼくは大学で工学部だった。

別にそんなことを考えて選んだわけではないが、工学は理学と異なり、妥協の技術である、ということを卒業してから知った。
実験、設計に関わった25年の経験から、まさにモノを作るというのは「妥協」の産物である、ということがわかる。
こちらを立てれば、あちらが立たずという状況の中で、如何に高度に妥協するか。
これが設計の基本だと思う。
だから、工学こそ、ポリシーが必要だ。
妥協をするから、ノンポリではない。
どこで、どのように妥協をするか、という決定にはその妥協を支えるポリシーが必要になる。
それ以外の多くの選択肢の中から、なぜそれを選ぶのか、その問いに答えるためのポリシーだ。

そういう意味で今の原発の問題を見ると、脱原発か、原発推進か、という議論は現実的ではないと思う。
ヒステリックに脱原発という人は現実を見ているのか。
原発推進というが、新たに原発を作ろうと言っているわけではない。
原発推進派といわれている人たちは、現状を考えると、今止まっている原発を動かした方がいいのではないですか?と言っているのだ。
何が何でも原発は止めないとイケナイ、という気持ちはわかりますが、それで私たちの生活はどうなるんでしょうか?と聞いていると言ってもいい。

一日100億円ほどのお金が、原子力から振り替えられた火力発電所の天然ガスを買うために使われているが、それは電気代に上乗せされ、結局は利用者の負担になる。
電気を使っていない第三次産業などないから、全ての工業製品の値段が上がることになるか、あるいは値上げできずに倒産するところが出てくる。
今は円高でもっと状況は悪化しているだろう。
その火力発電所が出すCO2はどうするのか。
電気代の上昇によって、それでなくても海外移転が相次いでいる工場移転には拍車がかかる。
それによって、雇用がなくなっていく。

とても長い目でみれば、もともと一つの大陸だったものが分かれて、今の地球の陸地になっている。
ということは、まだまだ動くということだ。
だから、絶対に地震はくる。
この日本が小松左京の言ったように沈没する日が来るかもしれない。
そんなことを考えると、世界中の原子力発電所は危険だ。

そんな日が来るまでに、原子力発電をどうしていくのか。
今止めないといけないのか。
それも、ちょっと前まで動いていた発電所を…、ということだ。
どうしたらいいか考える間、動かしてもいいのではないか、と言っているのだ。

世の中に100%はない。
だから、原発を動かしたときに地震が来るかもしれない。
その上で、原発に事故が起こる可能性もある。
もう作ってしまったのだから、放射性廃棄物はそれなりにあるのだろう。
だから、原発が止まっていても問題は起きるのかもしれない。

しかし、地震は当分来ないかもしれない。
そして来ても事故は起きないかもしれない。
今の財政難の状態で、一日100億は痛い。
雇用が減るのも問題だ。

結局は原発の問題は、リスクを取るかどうか、ということだ。
そこに不確実な要素が入る。
どこでどのような天変地異が起こるか、わからないということだ。

ぼくは基本的に原子力を使うことには反対だ。
人間は原子力を使えるほど賢くないからだ。
でも、今の状況を現実的に考えると、原発は動かすべきだと思う。
この妥協は正しいと思う。

なぜ、そう思わないのか、ぼくには理解できない。

いずれ、やめればいいのだ。

| | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
名古屋駅
会社にいた頃は、多いときは週に3回以上名古屋駅で新幹線を降りて、名鉄に乗り換えていた。

移動時間は、大体は寝ていたが、唯一目が覚めるのが名古屋駅。
乗り換えだから当たり前だ。
往きは急いで乗り換えるので、回りなど見ない。

よく覚えているのが、帰りの新幹線を待つ時のホームの上から見る景色。
ながらく会社ではエコノミーチケットで自由席だったから、前の方だった。
のぞみができた頃から緩和されたが…。

打ち合わせが終わって、夕暮れから夜になる頃の名古屋駅だ。
覚えているのが河合塾。
さすが、名古屋が発祥の地だけあって、大きなビルが建っていた。

あの頃は、物理的に人生で一番忙しかったのではないかと思う。
時期もバブルのピークから、ちょっとあとくらい。
毎日12時を回って帰っていた。
知らぬ間に仕事量か倍近くになって、半分惰性で仕事をこなしていたと思う。
後から振り返ると、日本中が熱にうかれていたと思う。

たくさんの理系出身者が銀行に入った
証券会社の新人の年収がバカみたいに高くなり、上の人たちはシーマやセルシオを買って、ローンを組んで億ションを買っていた。

そんな時代があった。
ぼくの会社はほとんど恩恵を受けなかったが、ただただ忙しかった。
その頃、よく夕方の名古屋駅のホームで赤く染まったビルを見ていたのだ。

ほどなくして、山一証券が潰れ、バブルがはじけた。
はじけてみると、無茶をしていたことがよくわかる。

申し訳程度に銀行も潰れたり、合併したが、ほとんどは税金で助けられた。
大蔵省が財務省になったりもしたが、誰も責任を取らなかった。

あのやり方が悪かったのではないか。

今の日本のモラルの無さは、バブル崩壊から続いているような気がする。

アベノミクスでこのまま財政破綻しても、おなじように誰も責任を取らないだろう。
いったいいつからこんな無責任な国になってしまったのだろう。


| | 考えたこと | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
停職?
今日Webでニュースを見ていたら、愛知県でこんな事件があったらしい。

「愛知県教育委員会は13日、建造物侵入の疑いで5月に現行犯逮捕された東浦町立片葩(かたは)小の男性教諭(41)を停職6か月の懲戒処分にした。6月に罰金10万円の略式命令を受け、即日納付した。体操服が欲しくなり、忍び込んだという。
 県教委によると、男性教諭は5月21日午前9時50分ごろ、通り掛かった県立半田東高の北側のフェンスを乗り越えて侵入した。体育館の隣の女子更衣室に入ろうとしたが、中に人がいたため、近くの女子トイレの個室に隠れたという。だが、トイレから出てきた際に、同校の職員に取り押さえられた。
 事件当時、同校では授業が行われていた。女子更衣室には、生徒はいなかったという。男性教諭は、県教委に対し「ペットショップに行く途中に、体操服のことを思い出して、欲しくなって侵入した」と説明しているという。5月13日から病気の療養のため、休職していた。停職処分は今月11日付からとなる。」

それにしても、小学校の先生の犯罪が目につく。
それも、こんな犯罪だ。

高校の女子更衣室の体操服が欲しくなったという小学校の男性教諭を停職6ヶ月とは…。
普通の会社なら、停職6ヶ月では済まないはずだ。
会社の信用を著しく傷つけたということで、まちがいなく懲戒免職だろう。
事情は調査するとしても、塀を乗り越えて高校に入った時点で間違いなくアウトだ。

小学校の教師が、高校の女子トイレの個室に隠れて、学校の名誉を著しく傷つけていないだろうか。
保護者たちに、校長はどう説明するのだろうか。
今休んでいるから、もういいのだろうか。

どう考えても、これは処分が軽すぎる。

マスコミはおかしいと思わないのだろうか。

| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビジョンを示すリーダー
アポロ計画を成功させ、月に人を送ることができたのは、ケネディ大統領の言葉だといわれている。

「私は我が国が、この10年間(60年代)が終わるまでに人間を月面に到達させ、なおかつ安全に地球に帰還させることを約束する。」

前にも書いたが、アポロ計画のような何万人もの人が関わるプロジェクトの場合、その目的をみんなが共有できることが大事だ。
それを実現したのが、ケネディの言葉だろう。
実際に月に人が行ったのは1969年だったから、ケネディは暗殺されていてその日を見ることはできなかったが、公約は果たされたことになる。

それを同じような言葉が、「ポケットに入るラジオをつくれ」という言葉。
まだラジオが家具のような大きさの頃、持って歩けるラジオを作れ、と言ったのが井深大。
ソニーの創業者だ。

ソニーのWebサイトにこの話が出ているのを見た。

リーダーは明確な目標を示すことと、それを共有させることが大事だ。
自分が全てをやる必要はない。
しかし、明確で形があり、誰もが共有できる目標を示さないといけない。

ポケットに入るラジオ、という明確な目標を技術者に対して示した井深はやはり稀有なリーダーだったと思う。
まだ真空管が主力の時代に、トランジスタの可能性を見出し、そこにビジョンを示した。
もちろん、そんなことは誰も想像していない。

「ラジオが家具だった時代ですから、「ポケットに入るラジオをつくれ」と言われた社員や下請け会社の技術者は驚き、一度は「無理だ」と話を突っぱねました。しかし、ふたりは絶対に引き下がりません。実際に開発してみると、確かにトランジスタの扱いは難しく、井深氏が「何度も中止しようと思った」と漏らすほどでした。」

とWebサイトには書いてある。

頭の中のイメージを形にして伝え、共有させることがリーダーの第一の仕事だ。
もちろん、そうするためには常に理想を追い求めていることが必要だろう。

そんなリーダーが今の日本に必要なのだと思う。

政治家もしかり。

2020年までに、国債の保有残高を半分にするくらいの目標を示し、その手立てを示さないといけない。
公務のIT化、それによる公務員の半減、道州制の導入…、やることはみんながすでに言っている。
それを実際にやり切ることが必要だ。

もう時間はない。

財政破綻する前に、何とかしないと。

| | 考えたこと | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
戸袋注意
昨日久しぶりにJRに乗ったら、扉 のところに「開くドアにご注意」 と書いてあった。

新しい車両だから、今後はこれに なるのだろう。 JR東日本と同じだ。

JR西日本は、昔は戸袋注意と書い てあり、指から血が出ている絵が 描いてあった。 けっこうリアルな絵で、注意喚起 するには充分だった。

世の中親切になった。

戸袋というのは、扉が開いたとき に入るスペースだということを知 らない人がいるから、変えたのだ ろう。

でも、昔も知らない人はいたと思 う。

電車に戸袋注意と書いてあるか ら、それを覚えたのだ。 その機会を失った。

こういう風にして、常識がなく なっていく。

世の中、不親切な方がいいのだ。

そうすれば、ちょっとした親切に 感謝できる。

そして、不親切に文句を言わなく なる。

今は親切が当たり前の時代。

でも、親切が過ぎるのではない か。

| | 考えたこと | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
コーラは瓶
以前は飲み物はみんな瓶に入っていた。
透明なガラス瓶に入っているコーラを飲んだことがある人は、だいぶ少なくなったのではないか。
缶入りの飲物が出てきたのは、いつ頃だろうか…。
ぼくが高校の頃だったか…。

瓶に入れていたのは、再利用できるからだ。
飲み終わった瓶を返すと、いくらかくれたりした。
調べてみると缶入りの飲料ができたのは1955年とのこと。
その後缶コーラが出たのが1965年。
1968年にプルタブの缶になった。
この頃はまだ缶入りと瓶入りが併売されていた。
そして、1970年に缶入り飲料の自動販売機が出た。
なんか、この話書いたことがあるような気がしてきたが…。

今やっているコカコーラの宣伝は瓶のコーラが出てくる。
自動販売機についている栓抜きで、栓を抜く。
場合によっては泡が出てくる。
急いで飲む。

缶でもプルトップを開ければ同じようなことが起こるのだが、やっぱり瓶だろう。

透明なガラス瓶に入ったコーラは缶とは違う。

中学の頃、500ccの瓶をだれが一番に飲めるかという競争をした。

今はペットボトルになったが、あれはあれでちょっと違う。
やっぱりガラス瓶に入ったコーラが一番おいしい。

そういえば、長いこと飲んでいない。



| | 考えたこと | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
狼少年ケン
また一つ思い出したから書く。
アニメ主題歌というと、必ず出てくるのが狼少年ケン。
このアニメは内容よりも音楽で覚えているケースが多いと思う。

「ボバンババンボン、ボンボバンバボバ、ボバンババンボン、ボンバボン」という歌詞?を聞くと、思い出す人も多いだろう。
アフリカ風のリズムに乗って、低い声でのスキャットに不気味さを感じる。
そこから一転して明るくなり、「いつもおいらは泣かない どこまでもえるいのち がっちりつかむぜ太陽 嵐はまた来る」という歌。調べてみると、この歌は小林亜星の作曲だった。

ブリヂストンのCMソング「どこまでもいこう」やアニメの「魔法使いサリー」や「秘密のアッコちゃん」などを手がけ、「北の宿から」でレコード大賞も取った。

内容はほとんど覚えていないが、昭和20年代後半から30年代前半くらいまでに生まれた人なら、ほとんどの人がこの主題歌は覚えているのではないか。

どうもこの作品は、手塚治虫の鉄腕アトムの成功に触発されて、東映動画が作ったものらしい。
アトムが始まった当初は、アニメのレベルが低いという評価で、さほど流行るとは思っていなかったのが、予期に反して大人気になり、東映動画が市場参入したというのが実情。
たしかに、初期の鉄腕アトムは背景やコマ撮りを省力化していたと思う。
でも、子どもの想像力はそれを補うのだろう。
いま改めて見ると、こんなアニメだったのか、と思うが、記憶ではそんなことはない。
アトムの持っている、夢や理想が子供心に働きかけたのだ。
それは手塚治虫の作品全般に言えることだと思う。

おそらく、狼少年ケンの方がアニメの出来はよかったのだろう。
東映動画の方がスタッフがたくさんいたはずだ。
しかし、技術ではないのだ。

というワケで、このアニメはぼくの中では「主題歌」が一押しになる。

虫プロ対東映動画は、虫プロの勝利だったと思う。


| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
泣く話
人によってどういう話に涙腺が弱いのか、決まっている。
当たり前だが、同じ話でも泣く人と泣かない人がいる。

どこを刺激されると弱いのかが違うのだろう。

ぼくの場合は、恋愛ものではあまり泣かない。
どちらかというと、親子や上司と部下などの関係の方が泣ける。
映画でいうと、ぽっぽ屋とか、アンタッチャブルとか、陽だまりのグラウンドとか…。

陽だまりのグラウンドで、キアヌ・リーブスが監督をしているリトルリーグのチームの、黒人の子どもが、ギャングの抗争に巻き込まれて亡くなった時の葬式の場面でやった演説は印象に残っている。

もともと、いやいや引き受けた監督だが、やっているうちにだんだんと本気になってくる。
その矢先に起こった不幸な出来事。
勝った試合で、亡くなった子どもが活躍してくれたことを思い出し、「あの瞬間だけでも、私には価値があった」という。
こういうのに弱い。

弱いと言っても、回りにたくさん人がいればガマンするようにしている。

昭和生まれの男子は、人前で泣いてはいけないと教えられた。

だから、なるべく泣かない。

そのへんが、違うのだろう。
| | 考えたこと | 02:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
悟空の大冒険
しつこいようだが、アニメつながりでもう一つ書く。

手塚アニメで、マンガが出ていないのは珍しい。
「ぼくのそんごくう」という元になったマンガはあるが、「悟空の大冒険」は全く新しいアニメで、アトムの後に放送された。
手塚アニメとしては珍しい、ドタバタコメディの要素を入れたアニメだった。

「悟空の大冒険」という題名から分かるとおり、西遊記を元に作られている。
孫悟空というどうしようもない暴れ者の猿が、インドにお経を取りに行く三蔵法師の手下になって、旅をするという物語。
そこに原作にはない、竜子という女性キャラを入れていた。

キント雲(正式には筋斗雲)という悟空が乗る乗り物や、大きさが自由に変わる如意棒、身体の毛を抜いて吹くと悟空の分身が現れるなど、原作の味は残して、ドタバタギャグを入れたアニメだった。

猪八戒(豚の化け物)や沙悟浄(カッパの化け物)という脇役も原作通りだった。

竜子(たつこ)の役割はよく覚えていないのだが、時にはよいこと、時には悪いことをやる、というような「どっちかわからない」女性だったような気がする。

何といっても、このアニメも主題歌が印象的。

オープニングの「悟空の大冒険マーチ」は、ドタバタのギャグアニメという雰囲気を伝えるものだったし、エンディングテーマの「悟空が好き好き」という歌は「学校が好き好き好き」というフレーズが忘れられない。

これもYoutubeにあったので、リンクを紹介します。
悟空の大冒険マーチ、悟空が好き好き、悟空音頭が入っています。
http://www.youtube.com/watch?v=khpKEdr6dc8

アニメの主題歌というのは、最近の商業主義でCD会社とタイアップしており、3ヶ月や半年で変わる普通の歌になってしまった。
昭和のアニメにはそれぞれの主題歌があり、そのアニメが続く限り変わらない。
今でもサザエさんやちびまる子ちゃんはその伝統を引きついでいる。
イントロが流れると、メロディを思い出すし、歌詞を覚えているものもある。
アニメの作り手の思いや夢が詰まっていた。

そんな歌が商業主義の中に埋没してしまったのが残念だ。

| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメコミ
アメリカのコミックス(アメコミ)のアニメの輸入というのはあまりなかったが、ゼロだったわけではない。

いくつか日本のアニメに混じって放送されていた。
ぼくが覚えているのは、宇宙怪人ゴーストというやつ。

実写ではたくさんあったが、アニメは珍しい。
日本が進んでいたからだ。

宇宙怪人ゴーストというのは1967年に放送されたらしい。
とにかく小学校の時だった。
67年というと、小学校5年かな。

これもなぜ覚えているかというと、主題歌だ。
ゴーストが主人公で、正体不明の怪人。
その手下がアランとケイトとビッキー。
アランとケイトは少年少女だが、ビッキーは猿である。

歌詞のなかに、アランとケイトもついてこい、ビッキー遅れるな、という部分があって、そこが頭に残っている。

詳しいストーリーは全く覚えていない。

でも、こういう下らないところが引っかかって覚えている。

これもYoutubeにあったので、参考までに。

https://www.youtube.com/watch?v=DEFxejz3g18

| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
エイトマン
アニメつながりでいくと、エイトマンを忘れるわけにはいかない。

平井和正の原作で、桑田次郎の絵。
桑田次郎は銃砲等不法所持か何かで問題を起こして、いなくなったはず。
こちらはロボットものになる。

東(あずま)という探偵が主人公。
エイトマンが東に化けている、という設定。
エイトマンは誰にでも化けることができるロボットだった。
元は刑事だったが、殺されて、谷博士という科学者に脳の記憶をエイトマンに移し替えられる。

エイトマンは皮膚や背丈が変わるだけではなく、弾よりも早く走れるし、力も強く、めちゃくちゃ強かった。
新幹線の横を走って追い越すという、当時らしい絵があった。

最終回は超人類(新人類ではない)ミュータントという化け物みたいな能力をもった突然変異の子どもが出てきて、そいつらと戦う。
これがけっこう憎たらしい子供たちだった。
子供心に、憎たらしいガキだと思ったものだ。

結局エイトマンが3人の超人類のうち1人を倒すのだが、残りの2人は逃げてしまう。
しかし、地球は救われる、というような話だったと思う。

このエイトマンは、エネルギーが不足するとベルトのバックルの中からタバコのようなものを出し、それを吸うと回復するような設定だった。
もちろん、人間の食べ物も食べるのだが、後でお腹のあたりを開けて、みんな捨てていた。

少年漫画にしてはちょっと暗めの主人公で、ロボットであることを悩み、隠して生きている、という設定。

主題歌のイントロが印象的で、パパパパンパーンというファンファーレみたいなメロディのあと、エイトマーン、エイトマーンという歌詞で始まる。
エイトマンには鉄腕アトムとはひと味違うオトナっぽさがあり、主人公の東探偵がエネルギーを摂るためにタバコを吸うという、何とも言えない人間くささが哀愁を漂わせた。
小説で言うと、アメリカのハードボイルドものの探偵という感じ。

エイトマンの主題歌のフルバージョンがあったので、興味のある人はこちらを見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=vcTELCKq7bo

いやー、なつかしいなあ。

光る海 光る大空 光る大地
ゆこう無限の地平線
走れエイトマン 弾よりも早く
叫べ胸を張れ鋼鉄の胸を

こういうのが、アニメの主題歌だ。

| | 考えたこと | 23:18 | comments(2) | trackbacks(0) |
スーパージェッター
アニメつながりで、小学校4年の時にやっていたスーパージェッターについて書く。

このアニメは当時SF小説で流行だったタイムパトロールを描いたものだった。
小学生が、時間旅行の概念を理解し、歴史を変えようとしている犯人を捕らえるタイムパトロールという仕事を理解した。

鉄腕アトムが、子供たちにエネルギーという概念を伝えたのと同じようなことだ。

30世紀の未来からやってきたタイムパトロール員がスーパージェッター。
いつもフィットネスの服のようなものを着ていた。
頭にサングラスのようなもの(使ったのを見たことがない)とアンテナのようなもの(どういう働きかはわからない)がついていた。
今から考えると、こんな格好でうろうろしていたら、目立って困るような格好だ。

時間ものは手塚治虫も「不思議な少年」で扱ったが、あれは「時間を止める能力を持った少年」だった。
時期はちょっと早かったが、これはアニメではなく実写だったので止まった人たちは大変だった。

スーパージェッターは流星号というタイムマシンが壊れ、30世紀に戻れなくなってしまった。
流星号は時計型のリモコンでいつでも呼ぶことができる、自動操縦の乗り物だ。
タイヤもなく、地面から浮いている。
空も海もこれ一台でOKだ。
素材は柔らかく、伸び縮みできる。ピストルの弾もはね返し、風防は自動で開く。
要はジェッターの言うことがわかるのだ。
今で言うと、AI機能搭載というところか。

そして、パラライザーという光線銃を持っている。
これは当たってもしびれるだけ、という銃だ。
もちろん、英語のparalyze(しびれる)から来ている。
タイムパトロールは間違えて殺してしまったりしたら歴史が変わるので、しびれるだけにしておくのだろう。

そして、タイムストッパーという武器がある。
これは単に30秒、時間を止めるというものだ。
30秒は大きい。たいがいの攻撃をかわすことができる。

そんなスーパージェッターだった。
これは結構人気があった。

後で調べると、豊田有恒(SF作家)が立案に加わっていたとのこと。

なるほど、本格的なSFの知識がないと、作れない。

これが、1965年の1月から1年間の番組。
けっこうインパクトが強かった。

| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼロ戦はやと
1960年代のアニメ。
この頃のアニメにはまだ戦争物があった。
この「ゼロ戦はやと」というアニメを覚えいてるのは、主題歌がよかったから。

 みよあの空に 遠くひかるもの
 あれはゼロ戦 ぼくらのはやと
 機体に輝く 金色の鷲
 平和守って 今日も飛ぶ
 ゼロ戦 ゼロ戦 今日も飛ぶ

この歌が今でも記憶に残っている。
短調のメロディーにのせて、何かもの悲しい感じがして、忘れられない。
出だしの、「みよあの空」は、「みよあ」の空だと思っていた。
何だかわからないが、「みよあ」という空があるのだろう、ということだ。
しばらくたって、「見よあの空」だとわかった。
金色を「こんじき」と読むのは違和感がなかった。
歌詞がテロップで出ていたのかもしれない。
だから覚えているのかもしれない。

でも、ストーリーは全く覚えていない。
しかし、毎週テレビを見ていたと思う。

もちろん、戦争に負けたのはぼんやりわかっていたが(調べると、小学校2年の時だった)、まだこの頃は戦争物のアニメがあった時代だ。

海外ドラマではコンバットというのがあったし、日曜洋画劇場では史上最大の作戦や大脱走、バルジ大作戦などの戦争映画もあった。

冷戦の時代だったから、まだ戦争が身近なものだったのかもしれない。
ソ連とアメリカの二大強国の時代だった。

ゼロ戦で思い出した。

そんな時のアニメだった。



| | 考えたこと | 23:53 | comments(2) | trackbacks(0) |
トマト栽培
ペットボトルを使って、ミニトマトを育てるというセットを買った。

小さなペットボトルのふたの部分に脱脂綿が入った筒をつける。
そこにトマトの種をまいて、土をかけ、少しの水をかける。
そうすると、種が発芽する。

種といっても、1ミリ程度のもの。
それを3つ蒔いたら、3つとも芽が出た。
双葉が開いている。
あんなに小さな種から、こんなに大きな葉っぱが開く。
大きさでいったら、何十倍になる。
どこにそんなものが入っていたのかと思う。

発芽は種子の中の胚のエネルギーを使っている。
そこから先は水と光と肥料によって育つ。

一緒に植えたワイルドベリーはまだ発芽しない。
どうも失敗したらしい。
もう一度植え直さないといけない。

植物を育てていると、その不思議がわかる。

動物と同じだ。
種子の中に植物になるための全ての情報が入っている。
根も茎も葉も花も実も全てだ。

これはすごいことだ。

これぞ生命の神秘。




| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
幸せのものさし
竹内まりやの曲。
エクスプレッションズというアルバムに入っている。
元々はテレビ番組の主題歌だったらしい。

カーステレオにCDを貯めているのだが、これがいっぱいになって入らなくなった。
それで、古いCDを聞いて要らないのを消そうと思って聞き直していたら、この曲を見つけた。
エクスプレッションズというアルバムに入っている。

2008年の5月にシングル盤が出て、10月にアルバムになった。
恥ずかしながら、このAround40というドラマがアラフォーの起源だと初めて知った。
主演の天美祐希がコーラスをしている。
それで、エフェクトをかけまくってコーラスを録ったのか、とわかった。

なかなかいい曲だ。

 がんばりすぎる自分に疲れてふと泣けてきた
 真夜中のバスルームで まだ手にしたことのない
 幸せがどこかにあるような気がして焦るのは年のせい?
 ひとり楽しく生きてきたの 何ひとつ悔やんでないけど
 曇った鏡のように明日が見えない

竹内まりや自身が53歳の時の曲。
自分の40代を思い出して書いたのだろう。
女性の独身40代というのは、微妙なもの。
男性の場合はもの悲しさが漂うが、女性の場合は「がんばりすぎる」イメージもある。

 自由と孤独はふたつでセット
 気ままなほど寂しさもついてくる
 隣の芝生が青く見えたら この庭に花を植えればいい

まさに、「自由と孤独」は両方手に入れるのは難しい。
孤独に耐えるからこそ、自由が手に入る。
そこはわかっているのだが、だんだん寂しさが勝ってくる。
この微妙な心理こそ、アラフォーではないか。

 いつか胸の奥に抱えたジレンマの迷路抜ければ
 本当に大事なもの 知る日が来るだろう

自由と孤独のジレンマの迷路を抜けたら、本当に大事なものを知る日が来るのだろうか。
世の中はそんなに甘くないと思う。
人は死ぬまで悩むものだ。

 どんな道選んだとしても 悩みの数同じだけついてくる
 私が決める私のプライオリティ 何を取って何を諦めるの
 幸せの基準はかるものさし 自分の心に中にあるのさ
 足りないもの数えるくらいなら 足りてるもの数えてごらんよ!

結局、悩みの数はどの道を行っても同じだけある。
「自由と孤独」のセットの反対は「束縛と安心」だろう。
要は、自分で自分の優先順位を決めるしかない。
幸せの基準は自分で決めないと、共通の尺度があるわけでもないし、みんなで決めるものでもない。

そして、最後に老子が出てくる。
「我唯足ることを知る」
足ることを知れば、幸せになれる。
これは真理だと思う。


| | 考えたこと | 00:26 | comments(3) | trackbacks(0) |
アメリカの学生スポーツ
日本の学生スポーツには体罰がつきものであり、監督やコーチの言うことは絶対で、部員の意思は尊重されない。
野茂の大リーグ挑戦も、そのあたりが原因の一つだった。

では、アメリカはどうなっているのか。
大リーグの状況は野茂の本に書いてあったが、学生スポーツはどうなっているのか、いくつかWebサイトで調べてみた。
そうすると、興味深いことがわかった。

こういう事を書いているサイトがある。
「我々日本人の感覚では、野球が上手ければ、学校の成績が多少悪くとも何とかなる。その考えではアメリカの大学は卒業できません。ましてや、野球の試合すらも出られなくなる可能性があります。アメリカの大学生は常に学生であることを「仕事」として位置づけられています。部活動はあくまでも学生生活の延長と考えられているので、例え将来有望な選手であっても、学校側は成績に関して妥協はしません。つまり学校での成績が最優先されるのです。勉学もでき、スポーツもできる。そんなバイタリティーの有る生徒を育てて社会貢献をする。その為に「文武両道」の教育の元でアメリカの大学は成り立っています。」

もちろん、これはきれい事だろう。
どこの社会にも建前はある。
アメリカのドラマを見ていると、プロのスカウトがらみの殺人事件などがよくある。
それを見ていると、プロになるためにいろいろな歪みがある。
情実もあるし、いかさまもある。

しかし、一方で単位が取れないから、試合に出られないという事もドラマに出てくる。
実際にトップレベルではない人たちは「部活動はあくまでも学生生活の延長と考えられているので、例え将来有望な選手であっても、学校側は成績に関して妥協はしません。」ということはあるのだろう。
文武両道とは古くさい言葉だが、これは英語ではTPP(Total Person Program)という。
スポーツに偏るのではなく、全人格で教育する、ということらしい。

たしかに、日本ではスポーツができれば勉強はできなくてもいい、という感覚がある。
逆に、スポーツを阻害するとしたら、勉強はしなくてもいい、という感じすらある。
高校野球や高校サッカーの選手などには、学校自体がそれを推奨していると思う。
どうやって、最短時間で卒業させるか、当該スポーツに打ち込ませるかという事が第一。
それがいいことだと思っている。

そして監督も選手たちもそれに甘えているように見える。

一番気の毒なのは、選手たちだろう。


| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |