考えたこと2

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冠詞は難しい
英語の冠詞は難しい。
とりあえず、自分で方針を決めて、それでいくしかないと思う。

久しぶりに、日系のアメリカ人に、講演を依頼するために英語でレターを書いたのだが、気がつくと、ぼくのレターには”a”がほとんどない。
日米のキャリア教育の違い、というような題名でお願いしているのだが、冠詞はほとんどtheで、使えるところではyourを使っている。

例えば、「アメリカの常識では」ということを書くのに、”in US common sense” と書いているのだが、ここに"a"がない。
“common sense”は数えられないから、"a"はいらないだろう、という迷いがある。

続いて、親から独立するのは何歳か、ということを聞くのに、"what age do you think is the independent age from parents?"と書いた。
ここは、independent ageは特定されるので、theだろう、と思う。

こういうふうに考えていくと、"a"を使う場所がない。

ネイティブの人にとっては、きっと感覚的におかしいということがたくさんあるんだろうと思う。
しかし、日本語にaとかtheがないから、仕方がない。

狩猟民族にとっては、何匹獲れたというのは大事だったのだろう。
だから、数にこだわる。
三人称単数現在形のsや複数形というものがそれを表している。

農耕民族にとっては、数は大体でいいのだ。

そんなことが理由かどうかは知らないが、冠詞は難しいということを、もう一度思いつつレターを書いた。




| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分という他人
関西弁では「あなた」のことを「自分」ということがある。

「自分、あの娘のこと、どう思てんネン?」

朝のドラマのひとこと。
お好み焼き屋のヒロインを思う鰹節会社の社長が、ヒロインと同じ下宿のマラソンランナーに尋ねた言葉。
ぼくは使ったことはないが、小学校のときから、そういうふうに「自分」という言葉を使う友達はいた。
だから、上の文章の意味はわかる。
ただ、これが標準語で書かれると、意味不明だろう。
こんな人称代名詞は珍しい。

自分で自分のことを自分というから、相手の立場に立って、あなたのことを自分と呼ぶ。

不思議な言葉だが、ニュアンスはわかる。
相手のことを「自分」と呼べるのは、精神的な距離が近いことの現われだと思う。

日本語の人称代名詞は、古いものがどんどん下品な言葉になってきたという歴史がある。
貴様とか、御前、手前というような「きさま」「おまえ」「てめえ」というような言葉は、昔は丁寧な言葉だったらしい。
場所をあらわす御前とか手前という言葉の仲間が貴方(あなた)だ。
貴方はまだ新しいのだろう。

しかし、「自分」という「あなた」は異色だろう。

日本語は面白い。


| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカ人の善意
アメリカは移民の国だ。

だから、いろんな問題はあったが、基本的には外来者には優しいと思う。
いろんな問題とは、人種差別や海外での紛争である。

特に海外の紛争は、アメリカの正義の押し売りみたいなところがある。
自由と民主主義を実現する、というのがアメリカの正義。
基本的には善意だと思う。
だからこそ、困ったものだ、というときもあるが…。

しかし、その善意があったからこそ、今のインターネットが生まれた。
インターネットの世界は性善説である。
悪いことをする人もいるが、最後は善意の人たちが勝つ、というようなもの。
それが、グーグルの思想ではないか。

善いものはたくさんの人が見る、という考えがグーグルの検索を飛躍的に進歩させた。
必然的に悪いものは淘汰される。
自由に誰でもが参加できるが、悪ければその存在が見えなくなる。
それがグーグルの検索の方法だ。

アメリカ人の善意がオープンなインターネットを作った。
その上で、オープンソースという、みんなで開発したり、公開されているソフトができた。
インターネットの仕組みがあるからこそ、オープンソースは成り立っている。

時々は困ったことをするなあ、と思うこともあるが、やはりアメリカのない世界があるとしたら、きっと今よりも悪くなっているだろうと思う。


| | 考えたこと | 01:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
電子辞書
電子辞書というといろんなメーカーが出している。

液晶の画面にタッチペンで書くタイプも増えた。
あれは本体が大きくなるので、あまり好きではない。
キーボードに慣れている人は、あれはジャマではないか。
たしかに、わからない読みの漢字を調べるときには便利だが、そんな使い方は頻繁にしない。

それと大事なのはキーボード。
大きくて、押した感じが普通のキーボードと同じようなタイプがよい。

内蔵されている辞書や書物は、好みというよりは買う必要性なので、何ともいえない。

ただ、よく使う辞書はどれなのかをはっきりさせることは大事。
英語系なのか、日本語系なのか、英英系なのか、百科事典か、学習用なのか…。
あると便利というのはことわざとか、病気の事典とか、偉人伝とか…、そんなものだろう。

しかし、最初の液晶が必要かどうか、というポイントは大事だ。

液晶がついている方が便利だと思いがち。
でも、実際に使ってみるとキーボードだけの方がぼくは使いやすい。

そうなると、セイコーインスルツメンツ(SII)のものが一番打ちやすいし、使いやすいと思う。

要は、キーボードの使い方に慣れているかどうかがポイントだ。

もしも慣れているなら、液晶とタッチペンは要らない…と思う。


| | 考えたこと | 01:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイエット
最近、近くの人が2人ほどダイエットを始めた。

昼のご飯をやめて、プチ断食、という粉末を牛乳に混ぜて飲むという方法でやっている。
たいしたものだと思う。

夏に向かって、はじめるのだという。
薄着になるから、今のうちにやせておかないといけない、ということだ。

しかし、時代や土地が変わると、美人の基準も変わる。
アフリカだったか、太っている人の方が美人だという国もある。
そういう国では、ダイエットの宣伝はどうしているのだろうか。

人間の初期値(デフォルトという)は、常に空腹状態だと思う。
つまり、空腹であって、食べ物がなかなか見つからない状態だ。
原始時代、狩猟で生きていた頃の名残。
農耕が始まっても、水害や冷害などで空腹になることも多かっただろう。

そういうの初期値でありながら、ダイエットをしないといけない。
別にダイエットしないといけないほど、太っているわけではないと思うが、ご本人は太っているという自覚があるらしい。
しかし、豊かになったものだ。
食べて、ダイエットをする。
簡単にやろうと思えば、昼を抜けばいい。
しかし、そんなことをすると、夕方になるとおなかが空いて、機嫌が悪くなるらしい。
昨日は家に帰ってから空腹で機嫌が悪く、八つ当たりしたという。

こうなると、ダイエットも罪だ。

ま、早く目標を達成して、元に戻ってほしい。

| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
イオン飲料
ウチの息子は二人とも運動部に入っているが、最近の運動部は運動生理学に詳しい。
運動生理学というと、大層かもしれないが、筋肉のメカニズムやどういう状況の時には水分が必要か、とかいうもの。

最近、プールで泳いでいたら、足の指がつる。
ふくらはぎがつると痛くて泳げないのだが、足の指ならプールの端で止まって、足をストレッチするとしばらくは大丈夫だ。
でも、30分くらい泳ぐと、必ずと言っていいいほどつる。
この原因を聞いてみた。

すると電解質が足りなくなるとそういう状態になる、とのこと。

なるほど、プールサイドにイオン飲料を持ち込んで、時々飲んでいる人がいる。
あれはそういうことか…、と思いあたった。

聞くと、泳ぐ前に500ccほど飲まないといけない、とのこと。
そんなに飲まないといけないのか、というと、それくらいは必要だろう、という。

とりあえず、次回はイオン飲料を持っていって、飲んでから泳いでみよう。



| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
Linux
長男のノートパソコンにはLinux(リナックス)が入っている。
正確にいうと、Ubuntu(ウブントゥ)というものだ。

ぼくも昔、リナックスをノートパソコンに入れたことがある。
あれは10年ほど前だったか…。
その頃はウィンドウズの動くパソコンで、リナックスが動き始めたところだったので、当時のお古のパソコンでは重すぎた。
重すぎたというのは、動作が遅くて使い物にならない、ということだ。

今のリナックスはだいぶ軽くなった。
Ubuntuなら、使えるレベル。
そういえば、最初からUbuntuが入ったノートPCも売っている。
オフィスソフトも無料のOpenoffice(SUNという会社が作っている)があり、たいがいの書類は見ることができる。
ネットとメールだけなら十分だ。

いよいよ、リナックスも使えるようになってきたなあ。

インターネット上で全部やるなら、ネットにつながりさえすればいい。
そうなると、マイクロソフトは苦しいだろうなあ。
Ubuntuはタダだから。

何でもタダの時代になってきた。
こういうのをオープンソースというらしい。
みんなで作りあげるものだ。
世界中の人が開発者である。

みんなの善意に基づいた製品。

ぼくも入れてみよう。


| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
二宮尊徳
今日は生涯学習の関連で講演会を聞いた。

掛川市のことが主題。
二宮尊徳が生まれたところとのこと。

二宮尊徳というと、昔どの学校にも銅像が建っていた。
薪を背負って、本を読みながら歩いている姿。
戦前、二宮尊徳がエラい人だと言われ、たくさん建てられたらしい。

ぼくの小学校にもあった。
その後地震があったから、今はどうなっているかはわからない。

子供の小学校には、建っていなかったとのこと。
二宮尊徳のように、本を読みながら道を歩いては危ない、という理由が言われ、撤去されたという。
それだけではないだろう。
戦前の命令で建てたものは、教育勅語やご真影と同じく、嫌われたのだと思う。

今になって思えば、戦前のものは全て悪いというのはマチガイだとわかる。
もちろん、軍が政治をの実権を握り、天皇制という集団無責任主義でやっていたことがよいというワケではない。

しかし、今日聞いていたら、二宮尊徳という人の思想は立派なものだと思う。

ぼくらは、思想的には、過去を否定するところからスタートした世代だと思う。
戦後の民主主義教育というものだ。
戦前の日本は悪い、ということを習った。
あながちウソではないが、世の中に全て悪いとか全てよいとかいうものはない。
そのよい面も否定してしまったと思う。

もう一度戦前の日本を評価しないといけないのではないか。

そんなことを思いながら、講演を聴いていた。


| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
当たり前のこと
当たり前のことを当たり前のようにできる、というのはすばらしい。
平凡と呼ばれるかもしれないが、それこそプロだろう。

イチローが当たり前のように取るフライ、誰かにとってはファインプレーになるかもしれない。
打った瞬間から走り、着地点に入り、そしてグラブを出して取る。
この一連の動作が、当たり前に行われて、捕球される。
ランナーがいれば、いったん後ろに下がり、前に出ながら取って、取った球を体重をのせ、身体の持つ加速度とともに投げる。

これぞプロだ。

仕事として何かをするとき、それは当たり前にならないといけない。

「そんなん、当たり前やん」というようなことができない人がどれだけたくさんいるか。

自分は何のプロなのか。
この場合のプロというのは、それでお金をもらっている、ということだ。
それで生活しているともいえる。

サラリーマンなら、会社の仕事でプロにならなければいけない。

自分は何のプロなのか、それを考えなければならない。

そのためには、お金をもらうためにやっている、という考えを捨てなければならない。
逆なのだ。
これが当たり前にできるから、お金をくれる、というふうに考えなければならない。

そんなふうに考えていない人が、どれだけたくさんいるか…。

仕事をして20年もたてば、プロだろう。

それが当たり前というものだ。


| | 考えたこと | 02:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
Hall & Oates
ホール・アンド・オーツというと、Private eyesとか、Maneaterとか、Everytime you go awayなどを思い出す。
こないだ、何かの番組で年をとった二人を見て、無性に聞きたくなった。

このデュオはダリル・ホールがボーカルで、これが白人なのに、R&Bの感じがすごく出ていて、80年代当時、好きだった。
ジョン・オーツはテレキャスを持って、横で弾いている場面しか思い出さないが、きっと曲作りとかアレンジとかで、活躍していたのだろう。
もちろん、コーラスをやっているのだが…。
ギターの歌伴がうまい。時々入れるオカズがセンスの良さを感じさせる。

この二人、まだやっているのか(失礼)という感じ。
ダリル・ホールがやけに老けていた。

しかし、声は変わらない。

なんと、もうすぐ来日コンサートがある。
ぼくらと同年代かな…と思ったら、10歳ほど年上だ。

この二人ががんばっているということは、まだまだぼくらもがんばれるということか。

久しぶりに聞いたEverytime you go awayが、とても懐かしい。
でも、古くない。ぼくのエバーグリーンだ。


| | 音楽 | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
確率論
ラスベガスのことをベガスという。

ベガスは人々が夢を見るところ。
ギャンブルが認められている。
スロット、カード、サイコロ、ルーレットなど、よくわからないが、いろいろなゲームがある。

サイコロをふって、6が何回でるか、というような問いから始まったのが、確率論。

これは日常生活でもよく使う。
アメダスの予報がそうだ。午後から雨が降る確率は10%とかいう。
また、マークシートで4択の場合、普通に考えて100点満点で25点は取れるだろう、という予測もそうだ。
これは、4択だから、ランダムに選ぶと25%の確率で正解になる。だから、全くわからなくても25%、つまり100点満点で25点は取れる、という計算になる。

そんなふうにして、できてきた確率論であるが、バクチ打ちに聞くと、計算ではそうなるが、そういうものではない、という人も多いらしい。
それはそうだ。
何回もやれば、必ずこうなる、というのが確率論。
1回の勝負では、それは有利か、不利か、という事しかいえない。

まあ、世の中、サイコロをふって何かを決めることはあまり多くないから、普段は確率などあまり考えずに済むのだろう。
でも、人間の決断はよく間違う。
こんなことなら、サイコロをふって決めたほうがマシ、というような例もよくある。
知識もなく、経験もないのに、これがいい、というようなことを言う。
そんな決断なら、サイコロで決めればよい。
知らないということを知らないということは、一番恐い。

量子論が出てきたときに、不確定性原理というものが発表された。
要は、電子のようなものは、だいたい、ここにあるだろう、ということしか言えないというもの。
天体のように、軌道と位置がわかるようなものではない、というのだ。

アインシュタインは死ぬまでその原理を疑っていたとのこと。
そのとき、彼が言った有名な言葉が、「神はサイコロをふらない」ということらしい。

しかし、今のところアインシュタインが間違っていた、という定説。

神もサイコロをふるのだ。

だから、確率は大事なのだろう。

| | 考えたこと | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
フリクション
消しゴムがついているボールペンが、フリクションシリーズ。
いろんなタイプが出ている。

キャップ式のもの、ノック式のもの、太さは0.7mm、0.5mm、0.4mm、色は黒、赤、青、茶…。
初期のものはインクがちょっと違和感があって、書きにくかったり、色がもうひとつだったりしたが、だいぶ改良された。
熱で透明になるインクを使っており、消しゴムはカスが出ず、熱を与えるだけというもの。

一度、使っていてびっくりしたことがある。

何かの結果をフリクションで書いて、それを裏紙としてコピー機に通したのだ。

別に意味があったわけではないが、感熱ドラムを通すと、きれいに何もなくなった。
びっくりするほどきれいに消える。
消しゴムよりもきれいだ。

あれは画期的だ。

一度レポート用紙としてフリクションで使って、用済みになったら、それをコピー機の感熱ドラムに通す。
そうすると、白紙になる。

そのうちパイロットがドラムだけの簡易な機械を作るのではないか。
それを通すと、真っ白になる。

これはすごい。
フリクションは、大事なもののサインなどには使わないこと、と書いてあるがそれはそのとおり。
簡単に消える。

ぼくらが普通にノートやメモするものは、別にかまわない。
逆に消せるほうが便利である。

それにしても、熱で色が消えるインク、というのはよく考えてある。
だいぶ書き味もよくなったので、どうかな、と思っているが、やっぱりハイテックには勝てない。

あと一歩。
消せるのは魅力なので、がんばってほしい。


| | 考えたこと | 01:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
分数の計算
分数の計算は難しい。

足し算や引き算をするときには、通分をしないといけない。
分母が同じでなければ、足したり引いたりできない。

掛け算をするときには、約分をしないといけないし、割り算をするときには割る数を分子・分母を逆にしないといけない。

まだ分母が同じでなければ足したり引いたりできないのは、理解できる。
掛け算も分子分母をかけあわせるということで、理解できる。
意味がわからないのは割り算だ。
1/2で割るということは、分子・分母を入れ替えた、2/1(=2)をかけるということであり、これの意味はどういうことだろう?
単に割り算は掛け算の反対だから、分子と分母をいえれかえるというのか。
ぼくはそういうふうに覚えた。
1/2で割るということは、2をかけることと同じ。
こういうふうに覚えれば、その後問題なくいける。

しかし、本当に1/2で割るということはどういうことか、と考えると難しくなる。
小数にして、0.5で割るという事にしても同じことだ。
0.5で割るとはどういうことか?

3/4で割ることは4/3をかけることと同じ、というふうに割り切って覚えられるか?ということだ。

何も考えず、逆にしてかける、と覚えられれば何もなく通り過ぎる。
しかし、その意味はどういうことか、と考えると難しい。

このわからなさを我慢してやる、という能力がえらいのか、それとも、意味がわからないことはできない、と考えて、納得のいく答えを求めること(これはなかなか得られない)がえらいのか、これは難しい。

とりあえず、我慢してやる派が世の中では強い。
しかし、納得のいく答えを求める派も、それなりにえらいだろう。

しかし、しかしである。
20歳になっても、納得のいく答えが求められずに、分数がわからない、という人になってはいけない。



| | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
下宿2
下宿暮らしの長男が帰ってくると、どうもリズムが違う。
相手は一人で気ままな生活をしているから、回りに気を使わない。

何をするにも、ワンテンポゆっくりしている。
もともと、そういうヤツだったが…。

下宿して一人暮らしを始めると、ちょっと変わる。

ぼくも下宿してよかったと思う。
一人気ままな暮らしだ。
風呂もキッチンもなく、共同トイレであっても、それでよかった。

四畳半一間。
最初は布団と机と本棚と冷蔵庫だったが、それでも自分の家だと思うとうれしかった。
そのうちギターが増え、レコードプレーヤーが増え、電気釜が増え、ものがいっぱいになった。
10人くらい人が来たこともあった。
下宿の友人は忘れられない。

時代が違うので、比較はできないが、今はバストイレ付きで、キッチンもなければいけないらしい。
ほんの小さなキッチンだが、あるとないでは大違い。
あの長男でも自炊するのだから、恐れ入った。

毎日何をしているのか、わからないが、きっと将来プラスになるだろう。

| | 考えたこと | 01:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
時代がはやい
最近の若い人に聞くと、4〜5年離れたら、考えていることがわからないという。
まあ、それは極端としても、時間が流れるのが早くなったという感じはする。

インターネット以前と以後でだいぶ変わった。
それ以前はワン・ジェネレーションが10年はあった。
10年違うと、世代間で考え方や常識が違うということだ。

インターネットができて、世の中が少しずつ変わり始めた。
それまでも、パソコンで変わっていたが、その比ではなかった。

メールができ、グループウェアができ、企業が変わった。
そして、携帯でメールができ、携帯用のサイトができ、そして、スマートフォンができて直接webにアクセスできるようになった。
掲示板やソーシャルネットワークなど、若い人は使っていく。

それがたかだか20年くらいの間に起こった。
それまでとは全然スピードが違う。
国境がなくなり、どこかで起こったことがすぐに何かに影響を与えるようになった。
今回のチュニジアやエジプトの出来事がその例だろう。

その昔、江戸時代あたりはワンジェネレーションが50年くらいだったと思う。
昭和の時代は10年。
でも、今はワンジェネレーションが4〜5年だという。
まあ、これ以上縮まりようがないところまで来た。

ぼくの職場でも、30代の人はぼくが言うことが時々わからない。
それは昭和の時代を表す言葉だったりして、ああ、これがわからないのか、と思う。
それはそれでかまわない。
もう過去の歴史になったのか…、という感じだ。
ベトナム戦争や学生運動、内ゲバという言葉も過去になった。

これだけ時代が早くなって、あと20年ほど経ったら、どうなるのだろう。
まだまだインターネットは進化するのだろうか。
果たして、これは人類の進歩なのだろうか。
全ては時間がたてばよくなっていく、というのは進化論の考えだが、それは本当だろうか。

その答えは20年後。


| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
雪かき

昨日は雪が降っていた。
クルマの屋根が真っ白にだった。

瀬戸内海に面した地域では、最近はめったに雪は降らない。
昔は年に1度か2度少しだけ雪が積もったりした。
そうなると、珍しいからと言って学校で雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりした。

ウチの子はもう喜ばないが、小学生なら喜ぶだろう。
尼崎は積もらないが、積もったところもあったのか…。

今年は豪雪だという。
雪の多い地域は、すごい雪で、交通が遮断されたり、除雪が間に合わなかったり、雪かきができなかったりするようだ。
お年寄りの一人暮らしで、雪かきをしていて、屋根から落ちて怪我とか、場合によっては死亡とか、そんな事故も増えている。

昨日のニュースで、ボランティアの高校生が屋根の雪下ろしをしている、ということだった。
いいことだ。
そのうち、若者二人で老人一人を支えないといけなくなる。
しかし、二人で一人となると、ボランティアでは続かないだろう。

仕組みを作らないといけない。
世の中に老人が増えると、お金がかかる。

日本中の市役所で、そのシミュレーションをしているのだろうか。

何年後には人口の年齢分布がこうなって…、というようなことだ。

これも、突然出生率が上がるとかいう前提に立ってやっているのではないだろうなあ。



| | 考えたこと | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
終わりのとき
人間の命は有限だ。
必ず終わりがある。

地球にも寿命があるし、太陽にも終わりがある。
銀河系にも終わりがあるらしい。
宇宙にすら始まりがあるというのだから、終わりもあるのだろう。

それでも、エネルギー保存の法則があるから、エネルギーはなくならない。
地球上のエネルギーは形を変えて、最後は熱エネルギーになって、放出される。
全宇宙のエネルギーはビッグバンでできたのだろうか?
最後には宇宙の全てが均一になるのだろうか?

そんなことを考えながら、自分の死を考える。
自分が死ぬときは、どんなことが原因で死ぬのだろうか。
苦しいだろうか、楽だろうか…。
今、もしも神様が自分の死ぬ日を教えてくれる、と言ったら教えてもらうだろうか。

一度、意識を失って、とても苦しそうな状況になって、病院に運ばれた人がいる。
その人が、自分は苦しそうにしていたらしいが、ぜんぜん苦しくなくて、いい気持ちだった、という。
だから、きっと死ぬときは楽だ、と言った。
ぼくはそういう経験をしたことがないので、とりあえずその話を信じている。

それは明日かもしれないし、10年後かもしれないし、20年後かもしれない。

考えても仕方のないことは、考えても仕方がない。

でも、時にはそういうことを考えることも必要だと思う。



| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
びみょい
「微妙」というのは、完全に悪いほうの意味になったらしい。
今の若い人が、「微妙」を使うときは、これは少しよくない、という意味だ。
前にも書いたかな。

それが形容詞化して、「びみょい」という言葉になっている。
漢字で書くと、「微妙い」というところか。

ぼくらは、「微妙」というと、いいか悪いか難しいところ、という意味で使ってきた。
微妙には、いいかもしれない、という意味があったと思う。
しかし、それこそ、微妙なところだ。

「微妙やなあ」、というと「もうひとつやなあ」、というような意味になる。

名詞に「い」をつけて形容詞化するのは、よくある。
「ナウい」「イモい」などがその例。

これらに、「びみょい」も加わったか…。



| | 考えたこと | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
冷戦の時代
第二次大戦のあと、朝鮮戦争があって、その後からベルリンの壁が崩れるまでが冷戦の時代だとすると、ぼくらは冷戦の時代に育った。

アメリカとソ連がその主人公だ。
アメリカを代表とする資本主義と、ソ連を代表とする社会主義がお互いの勢力を広げようとして、世界中を二分してにらみ合った。

ドイツと朝鮮半島が半分に分かれた。
ドイツはベルリンの壁が崩れて、東西が統一された。
西側が東側に勝ったということだ。
朝鮮だけは、いまだに統一されないが…。

冷戦の時代はイデオロギーの時代でもある。
○○主義、という言葉で人やものをくくれる時代だった。
学生運動華やかなりし頃は、「帝国主義」という言葉が立て看に踊っていた。
「マルクス主義」という言葉も、ワケがわからなかったが、よく聞いた。
先進国に対して、後進国という言葉もあった。
いつからか、発展途上国というふうに言い換えていたが…。

世の中も「右」と「左」に分かれていた。
「右」が資本主義で、「左」が社会主義だ。
「右翼」と「左翼」とも言った。
そして、「資本家」と「労働者」という分かれ方もあった。

そういう世の中だったから、自分の立ち位置を決めることができた。
右よりか、左よりか、真ん中か、 マルクス主義か、労働者か…。
日本は冷戦時代にアメリカと安全保障条約を結んで、発展した。

ある意味、高みの見物だったとも言える。

エコノミックアニマルと言われ、輸出を増やし、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるに至った。
そして、ベルリンの壁が崩れ、バブルが崩壊して、高度成長期は終わった。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた頃に誇っていたもの、終身雇用、年功序列、企業内組合などが足かせになって、低成長になっている。

冷戦時代は世界の危機だったが、日本にとってはよい時代だったと思う。

よすぎたとも言える。
それが当たり前だと思っていたら、大きなマチガイだ。

今の状態が普通の状態なんだろう。




| | 考えたこと | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
ぎたお
今日テレビを見ていたら、グレート義太夫というタレントが出てきた。
ドラムをたたいていたのだが、この義太夫という言葉、「ぎだゆう」と読める若い人は少ないのではないか。

ウチの次男は「ぎだゆう」というのか、と驚いていた。

「え、他にどう読むんや」
「ぎたお」
「…」

ぎたお、とは思わなかったが、なるほど、ミュージシャンならギターを想像して「ぎたお」というのもありえるか…、と納得した。
まあ、義太夫を「ぎだゆう」と読むのがおかしいといえば、おかしい。

三省堂の大辞林によると、義太夫とは
(1)竹本義太夫
(2)義太夫節の略
(3)浄瑠璃の異名
となっている。

ぼくは落研にいたので、義太夫と浄瑠璃は同じようなもの、と覚えていた。
もちろん、義太夫とかいて、「ぎだゆう」と読む。
ぼくらの世代では、「ぎだゆう」と読む人の方が多いと思う。

しかし、こういう古典芸能も廃れていくんだろうなあ。
歌舞伎、浄瑠璃、能、狂言…、小学校や中学校の芸術鑑賞以外ではもう見ない。
テレビ中継していても、見ない。
歌舞伎役者や狂言師はテレビに出ている。
もちろん、歌舞伎は興行をやるが、いつまで続くのか…。

刹那的で爆発的な笑いだけが残るとしたら、これはちょっと寂しい。

でも、古典芸能を残す手立てがない。

そのうち、日本の文化といえば、カラオケとアニメになってしまうかもしれない。


| | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
ぼくのギター遍歴
ウチは両親ともにギターを弾くという、当時珍しい家だったので、生まれたときからギターがあった。
それがぼくとギターをつなぐ縁になった。

中学2年の時に「白い色は恋人の色」のメロディを初めて弾いた。
家にあったガットギター。

その次にジョーン・バエズの「ドナドナ」でアルペジオを覚えた。
Am、E7、Dmの3つのコード。

そして、時々新譜ジャーナルやヤングギター、ガッツなどという雑誌を買い、ブラザースフォー、サイモンとガーファンクル、そしてビートルズというような順番だった。
吉田拓郎、井上陽水なども聞いていた。
モーリスのフォーギターを買ってもらったのが、高校に入るときだったか…。
「スカボロー・フェア」や「4月になれば彼女は」、「旅の宿」、「アンジー」、「ミッシェル」…。
懐かしいなあ。
この頃のぼくは、「ギターが弾ける」という事に助けられた。
それが自分の自信になった。

そして、エレキギターを買ったのは19歳のとき。
京都の十字屋という楽器店で、成人式バーゲンに行って、1万5千円くらいだったと思う。
黒のレスポールモデル。グレコという会社が作っていた。
アンプはお金がなくて買えなかったし、下宿で音を出せるような状態ではなかったから、アンプをつながずに弾いていた。
その頃はユーミン、ハイファイセット、山下達郎などが流行っていた。
このギターは会社の後輩がもらってくれた。

そして、ヤマハのSG1000である。
前に書いたが、これには長いことお世話になった。
数年前、アコースティック・ハーモニーという楽器屋さんでリストアしてもらい、いまでも時々弦を変えて弾いている。
この頃は、もっぱらヘッドフォンでレコードをかけ、それに合わせて弾くというスタイル。
仕事で音のテストをやっていたので、エフェクターというものがどういう働きをするか、ということがわかり、いろいろとためになった。
仕事にも、趣味にも役に立ったということだ。

エレアコという言葉が流行りだしたころに、ギルドのエレアコを買った。
ブリッジの下にピエゾピックアップという振動のセンサーが入っていて、アコースティックでありながら、アンプにつないで弾くことができる。
もともと、アンプにつながないといけないような場面などなかったが、モーリスのフォークギターを親戚のおじさんにあげて、これを買った。
会社に入って、5年目くらいだったと思う。
ギルドというと、ポール・サイモンが使っているギター。
しかし、忙しい頃であまり弾くことはなかった。ギターに悪いことをしたと思っている。

30代の後半だったか、ギターシンセを買った。カシオのPGというシリーズ。今はシンセサイザーの音は出なくなった。ネットによると、コンデンサーの部品が悪く、それが原因とのこと。いくらかお金を出せば修理してもらえるらしい。
3年ほど前からどうしようか、迷っている。
これは赤いストラトのモデルだ。

ぼくは酒・ギャンブルはやらなかったし、当時出張続ばかりの生活だったので、いろいろと楽器関係で無駄遣いした。
このころ、サウンド&レコーディングマガジンという雑誌も毎月買っていて、これで得た知識が後で役立った。
何でもやっておくものだ。

そして、震災の後に、白いテレキャスターを買った。
これは、大阪で衝動買いした。
震災の後、悩んだ時期があって、何かを買わずにおれなかった。
このギターもアコースティク・ハーモニーで調整してもらって、弾きやすくなった。
このギターは今長男の下宿にある。

そして、マーチン。
やっぱり、マーチンのギターはすばらしい。
軽くて、鳴る。
自分がうまくなったような気がする。
これは、アコースティッグ・ハーモニーで、ギルドのギターを下取りに出して、中古を買った。
だいぶ、勉強してくれたと思う。ありがとうございました。
小さめのギターで一人でポロポロ弾くためのギター。
この頃になると、もうバンドを組むとか、どこかに出るとか、そんな夢はなかった。
馬齢を重ねて、ギター暦が三十数年というところだ。

次にオベーションである。
これは中古だったが、とてもきれいなギター。
スタンドに立てて、飾ってある。
これも前に書いたが、20世紀を代表する工業デザインだと思う。
このギターもエレアコで、シャロウボウルという薄いギター。
それでも、ブリッジの近くで弾くと、いい音がする。

そして、テレキャスター。
これは先生に習いに行って、やっぱりこれだ、ということで買った。
これも、アコースティック・ハーモニーにお世話になった。
本物のフェンダーだ。
このお店と縁があって、ほんとによかったと思う。

結局、アンプは今でもめったにつないでいない。
つなぐのが面倒なのだ。もっぱらヘッドフォンか生音だ。
レッスンに行ったらアンプにつなぐが、あまり音はいじらない。
ぼくは音を歪ませるのは嫌いなので、クリーンな音で弾いている。
このギターは食堂に置いてあって、いつでも弾けるようになっている。

これがぼくのギター遍歴。
14歳から弾き始めて、40年。
40年でギターに使ったお金が、だいたい軽乗用車1台分より安いか。

うちの息子たちにギターを弾け、弾けと言っている間は弾かなかった。
言うのをやめると、弾き始めた。
彼らがいつまで弾くのだろうか。
一生弾きつづけるのだろうか。
もし、そうなら、ぼくのギターは息子たちに譲ることができる。

まあ、期待をしないで待っておこう。




| | 考えたこと | 14:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学生のアルバイト
大学生のアルバイト率はどれくらいか知っていますか?
大体8割程度だと思っていたら、やっぱりそうだった。

http://www.garbagenews.net/archives/1313326.html
全国の大学生は280万人。
したがって、8割とすると220万人くらいがアルバイトをしている。

さらに、アルバイトの職種はぼくらの時代とは違っている。
上記サイトによると、

・家庭教師の比率は年々減少
・軽労働の比率は年々増加
・事務の比率も少しずつだが減少

前にも書いたが、IT化が進み、今までスキルを要していた仕事が誰でもできる仕事になり、そのおかげで大学生のアルバイトが増えたのだ。
コンビニや外食チェーン、居酒屋など、夜遅い仕事は本来時給が高いのだが、それを大学生が補っている。
人件費を抑えたい小売業などにとっては、大変うれしい労働力だろう。
ピザ屋の配達や実際に調理する人もアルバイトのところが多いらしい。
そういう店は、アルバイトを使うのにも工夫している。
巧みに、彼らのインセンティブを引き出しているのだ。

見習いから普通、そしてチーフなどというように、能力や職歴に応じて地位が上がるようになっている。
マニュアルを覚え、その上でマニュアルに載っていない事への対応もできると、かなり上の地位になる。
もちろん、時給も上がるのだが、店にとってはしれている。しょせん、アルバイトだ。
しかし、アルバイトでありながら、かなりの仕事をこなしてくれるのだから、それはうれしいだろう。
コンビニなら、発注を任されたりするらしい。

もちろん、220万人が全員フルタイムのアルバイトをしているわけではない。
曜日やシフトによって動いている。大学生だから、授業にも出ないといけない。
しかし、少なく見積もっても、50万人分のフルタイムワーカーの仕事はこなしているのではないか。
高校生も入れると、もっとたくさんのフルタイムワーカーの仕事がアルバイトに置き換わっている。

一方で、大学生の就職が危機的状況であるという。
外国人を雇う方が効率がいい、という企業も出てきた。
社内公用語を英語にしたところもある。
どんどんハードルは上がっているのだ。
そして、それに日本の大学生はついていけていない。

しかし、この50万人分の仕事はどうなっているのか。
彼らは自分で自分の首を絞めているのではないか。
自分たちで安い労働力を提供し、就職の機会を減らしている。
将来の年金や保険の危機を生んでいるとも言える。

ぼくは、大学生のアルバイトを禁止する法律を作ったらいいと思う。
もちろん、やらないと困る人はやればいい。
しかし、原則的に禁止すべきだろう。

それによって、彼らは暇になる。
大学時代は暇なものだし、ある意味で、そうでなければいけないものだと思う。
そうすれば、何かをするだろう。
何かをすることで、何かを得ることができる。
その何かが未来に役立つものだと思う。

やりたいことや「自分」など、探して見つかるものではない。
自分で作るものだ。
そして、それはとにかく「何か」をやらないとはじまらない。

それをやることができるのが、大学時代だと思う。

貴重な時間を、自分たちの首を絞めて、アルバイトなどにかまけていては、もったいないぞ…。



| | 考えたこと | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカ化
今、日本の大学はアメリカ化しようとしている。

大学院重点化もそうだし、博士をたくさん作るというのもそうだ。
カリキュラムを明確にして、育てる人物像を明確にして、どういう人を入学させるのかも明確にしないといけない。
昔の万事いい加減な教育体制では、許されない。
大学進学率がアメリカ並みに高くなったのが、その原因だろうと思う。

しかし、日本の社会はアメリカとは正反対だ。
単一民族国家で、説明しなくてもわかることが良しとされる。
いったん就職したら、あまりやめない。(この制度はほころびてきているが…)
中途採用はまだ一般的ではない。(昔よりは増えた)

だから、大学がアメリカ化しても、難しい面がある。

日本の会社では途中でやめることがほぼないので、学びなおすということが少ない。
中には途中で会社をやめて、大学に戻る人もいるが、まだまだ少ない。
だから、大学院など、はやるわけがない。
アメリカのように仕事を変わることが一般的にならないと、はやらないだろう。
もともと、日本では会社に長くいれば、給料は(今のところまだ)上がる。
アメリカでは上がらない。
仕事を変わって、よりスキルの高い仕事につかないと、給料は上がらない。
だから、途中でもやめて、大学や大学院に戻る。
そして、何かを学ぶことで、新しい職場にプロモートされる。(と思う)

社会人の学びなおしということが、日本より一般的だ。

日本では学びなおしというと、60過ぎて定年してから、という感じ。
アメリカではもっと若い。

だから、根本的に社会が違う。
アメリカ化することは悪いことではないし、むしろいいことなのだが、それでもこの社会の違いを考えてもらわないと、変えていくインセンティブ(動機付け)が不足する。
教える側に真剣味が足りないのだ。
給料を上げるために、学費を払って学ぶ人がいれば、やっぱり真剣になる。

そこの差をどうやって埋めるのか。
それが問題だと思う。



| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
一番ベスト
よく使われる日本語。
間違った日本語というべきか、間違った英語というべきか。

こないだサッカーの解説で言っていた。
「この方法が一番ベストですね」
長島監督もよく使っていたと思う。

ベストという英単語は「一番いい」という意味で、一番を含んでいる。
それでも、ベストというのはよいという意味とみなして、一番ベストという言い方をする。

モアベターというのを言っている人もいた。
これもベターがよりよい、という意味でモアを含んでいるのだが、これは重ねて言うというニュアンスである。

good better best という英語の比較級、最大級。

この比較級、最大級は日本語にないので、難しいのかもしれない。



| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
寄る年波には勝てない
今の十代の人は、この言葉を知らない人が多い。
だいたいの意味はわかる。
しかし、どういう意味か?と聞かれたら、ちょっと…というリアクション。

年をとって、今までできていたものが、できなくなった、というような時に使う言葉。

別に習ったわけではないが、いつともなく覚えたと思う。

ということは、みんなこの言葉を使わなくなったのだろう。
周りで使わないから、いつともなく覚えない。
なぜ使わなくなったのだろうか。

それは、年をとることを嫌う時代になったからだろう。
若いことがいいことで、年をとることは悪いこと。
そうなると、必然的に「寄る年波には勝てない」というセリフは出にくい。

いつからか、年をとることは嫌がられることになった。
もちろん、以前との比較でだ。
誰でも老いるのは寂しい。
ある年齢までは年をとりたいと思うが、それ以降はあまりとりたくなくなる。

ぼくは最近思うようになった。

この言葉は使われないほうがいいのか、使われるほうがいいのか…。

人間の本性に従えば、使われる社会の方がいいのだろう。

老いを見つめて、正直に感じることを話すと…、寄る年波には勝てない。


| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |