考えたこと2

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永尾美代子
80年代の歌手。
ヤマハの関係だったか。
「芦屋セーリングスポット」という曲がよくて、LPを買った。
時々どういうわけか思い出す。

1980年から81年に出てきて、LP1枚とシングル2枚を出して引退。
2年間の活動だったが、当時の林哲司、安部恭弘などの作曲家に曲を提供してもらって、いい感じだった。
ギターに鈴木茂が参加していたから、買ったのかもしれない。
特に歌がうまいというわけではなかったが、透明感のある声だった。

会社時代の後輩でレコードコレクターがいるのだが、彼が栗田ひろみを聞いている、というメールをくれて、そこから思い出した次第。

知らなかったが、永尾美代子は2014年にすべての音源がCD化されていた。
結構人気があったのかもしれない。

今はYoutubeで検索すればすべて聴ける。

「涙は珊瑚色」というオープニングの曲は出だしがキャッチーな曲。
コーラスも3度下で地味にやっている。
アレンジも当時の余白の多い小編成のもの。
シンセのオルガンっぽい音が使われている。
この頃は、こんな音が多かった。

今の人が聞いたら、低音のビートが足りない昭和の曲だ、と言いそうだ。

「芦屋セーリングスポット」はブラスも入った曲。
実家が芦屋の近所だったから、馴染みがある。
芦屋の地名が入った曲は珍しい。

今聞くと、これから高度成長の本番だ、という感じの明るさがある。

懐かしい音だった。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 17:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
暑さ対策
2021年にニール・スチーブンソンという有名なSF作家が、熱くなった地球で人々は外に出るときには温度を下げる服を着るという本を書いたらしい。
でも、もうこの夏、実際の話になった。

アメリカでは保冷剤を入れた服が、夏の屋外労働用に使われているとのこと。

日本でも、ファン付きの屋外用の上着をよく見るようになった。
長袖なのと、音がするのでよくわかる。
ファンが背中側の2箇所についていて、ベルトにつけたバッテリーから給電する。
おそらく、そういう対策をしないと、熱中症になるのだろう。

実際には気候変動の影響よりも、都市化(ヒートアイランド)の影響のほうが倍以上ある。
ビルなどのコンクリートの蓄熱作用、舗装動労からの照り返し、エアコンの排熱などが原因だ。
暑いから、冷房する、冷房するから排熱が出る、排熱が出るから暑くなる、そういう悪魔のサイクルになっている。

平均気温を比べると、南半球の方が北半球よりも低い。
南半球では都市が少なく、ヒートアイランドの影響が少ないからだと思う。

今週末は台風の影響で、ちょっと暑さはマシだ。
曇っていて太陽が見えない。
九州の方は大変なようだが、まだ関西には影響がない。

暑さ対策は、生活の知恵レベルの適応が進んでいく。

そういえば、ソニーは電気を使って冷やす素子を使って、首筋を冷やす機器を出している。
首の部分は体中の血液を冷やすのにいいところなのだろう。
男性が日傘を使う姿も今年から見るようになった。

そんな民間療法を使って、暑さを乗り切らないといけない。

ベランダの緑化はヒートアイランドに効果がある。

ほんの少しの貢献だが…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい学校のリーダーズ
「新しい学校のリーダーズ」というグループがあることを、去年の紅白歌合戦で知った。
女性4人のユニットで、その時はセーラー服を着てダンスしていた。
Tiktokでダンスで首を動かすのがバズった、ということだった。

こんなのが若い人たちに人気があるのか、と不思議だったものだ。
どちらかというと、古い音楽という印象。
ちょっとメタルっぽい、低音のビートを効かせた、ノレる音楽ではある。

ぼくらが普通に生活していると、全く聞く機会がない。
ネットは自動的に自分の好みにどんどん合わせていくから、出てこないのだ。

今日、日経の関連誌である、日経エンタテインメントの記事で、「タレントパワーランキング」というのを見ていたら、彼女らが急上昇して国内1位になったという記事があり、Youtubeで「オトナブルー」という曲を聞いてみた。
意味深な歌詞で、よく教育関係者からクレームがつかないものだ、と思ったが、そもそも「学校のリーダーズ」が見えていないのだろう。
昔のように「流行歌」があった時代なら、きっとクレームがついていただろうと思う。

記事によると、10代、20代だけでなく、わりとまんべんなく注目されているとのこと。
もちろん、教育関係者などは入ってないだろうが…。

いろいろMVを見てみたが、メタルっぽいビートに乗って、歌って踊るというのがいいのだろう。
テレビにも出ていて、

「個性や自由ではみ出していく、新しい学校のリーダーズでございます」

と話しながら、振りを付けてメンバー紹介をするという、なんとも言えないユニットだ。
コミカルではあるが、笑えない。
変なシリアスさがある。
今の学校の状況を表しているのかもしれない。

さらに驚いたのは、2020年に「オトナブルー」を配信リリースしたあと、アメリカ拠点の音楽レーベル88risingと契約して、アメリカやアジアでも活躍しているという事実。
日本のアーティストの海外での活躍は、Yoasobiだけではないのだ。
アニメやマンガで、日本の文化に興味を持つ人が増えているからかもしれない。

ちなみに、海外でのグループ名は「Atarasii Gakko!」という。
記事には「エレクトロミュージックと昭和歌謡を融合した」と書いてあった。
なるほど、そうかもしれない。

今年も欧州・アジア・北米のワールドツアーを6月からやっているとのこと。

ぼくらの世代は、アメリカの音楽に憧れて、洋楽こそが音楽という感じもあったが、もうそんな時代ではない。
山下達郎や小田和正はアメリカに進出したかったのではなかったか。

そんなハードルをSNSの時代になって、やすやすと乗り越えてワールドツアーをやっている。

やはり、老兵は去りゆくのみなのだろう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
医療費負担
今まで維新以外は高齢者の医療費負担の問題や、社会保障の世代間格差の問題について、全く触れず、まるで存在しないような対応だった。
どう考えても、まずは高齢者の医療費負担を増やすことが、まずは社会保障の改革でやるべきことだろう。

田中角栄が始めた高齢者の医療費の無料化は、平均寿命も短く、まだ若者10人程度で老人を1人支えるという状態だったので、そんなに世代間格差はなかったのだろう。

それが2008年にようやく1割負担になった。
一部の後期高齢者のみ、菅内閣が2割負担にしたが、該当するのは2割の人だけだ。

その間にどんどん少子高齢化は進み、今では若者3人で老人1人を支えているということになった。
さらに来年から団塊の世代が後期高齢者になり、介護費用がどんどん増えていく。
要するに年金や医療にかかるお金はどんどん増えていくのだ。

どの政党も触れていないが、過度の若者の社会保障の負担が重荷になっており、未婚の若者が増えているという側面もあると思う。
子育て支援だけが、少子化対策ではない。
婚外子や未婚対策も必要なのは当然だろう。

昨日の日経で、「総裁の覚悟、高齢者負担が問う 医療費「仕送り」15年で2倍」という記事があった。
新聞というメディアは、高齢者しか読者がいないから、高齢者向けの記事ばかり書いていたが、今回はさすがにこの社会保障負担の問題を俎上にあげた。
総裁選で、これに対する問題意識を各候補者に問うものだ。

ようやく、という感じだが、前に進んだのはいいことだ。
当然のことを早くやって、若い人たちの負担を減らしてほしい。

もちろん、それ以外にもあるが…。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
空冷か水冷か
空冷か、水冷かというのはクルマのエンジンのことではない。
これはすでに決着がついた。
現代のエンジンはほぼ水冷だ。

ぼくが小さい頃、近所にフォルクスワーゲンを持っている家があった。
当時は会社がまだまだ珍しかった頃だ。

黒のワーゲンで、いつもその家のおじさんがガレージの前に出して、手入れをしていた。
クルマなど興味のなかった父が、珍しくあの車は空冷のエンジンだから、水が要らないのだ、と言っていた。
あれは、ドイツ車への誉め言葉だった。
軍隊の学校に行っていた父は、ドイツびいきだったのだろう。

前置きが長くなったが、今の水冷、空冷の議論はコンピューターを冷やす方法のことだ。
今話題のデーターセンターというものは、コンピューターがたくさん置いてあり、それが発熱するので、冷やすのが大変だという。
そのおかげで、電力の将来の需要予測は4割増えた。

以前、日本のメーカーがファンの音がしない、水冷の冷却システムをつけたデスクトップマシンを作ったが、あまり売れなかった。
今でもコンピューターにつけた冷却ファンが主流だ。

しかし、冷却ファンがついていても、雰囲気温度が上がれば冷却効率は下がる。
だから、一般的なサーバー室は気温は真夏でも10℃台だ。

特に生成AIは、常にCPUを回して熱を発しているから、通常のインターネット通信を行っているものよりも発熱が大きい。
だから、冷却効率をさらに上げないとだめなのだ。

グーグルやマイクロソフトが、どこにデーターセンターを置いているのかわからないが、きっと寒いところが多いのだろう。
冷却効率が上がるからだ。

これから、CPUの冷却効率を上げるために、水に限らず液体による冷却が増えてくると思う。
すでに、そういうものがあるのかもしれないが…。

クルマのラジエーターの会社など、大きさは違うが、冷却技術を使ってメリットを出せれば、儲かるだろう。

もうすでにやっているかもしれない。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
日大のロックリー教授
少し前になるが、日大のロックリー教授が、戦国時代に黒人の侍がいて、大名が競って黒人を奴隷として使っていた、という小説があるらしい。
これが現在炎上中の問題だそうだ。

彼は自分でWikipediaを編集し、それを自分の論文に使用して、その上で「日本で黒人奴隷が流行した」というような話をでっち上げて、海外に発信しているとのこと。
また、その論文を業績として、日大法学部に就職したらしい。
英語と日本語で記載内容を変えていることも判明している。

というのが、どうも今までの経緯らしい。
自ら編集したWikipedeiaを根拠に、自分の論文を業績にする、というのは不正というレベル。
まあ、騙された日大も悪いといえば悪いが…。

それよりも、欧米でそれを信じている人が多いというのが問題。
ほんまかいなと思うが、アメリカについては黒人奴隷を使っていたという贖罪意識があり、それを日本にも持ってこようという意識があるのかもしれない。

たしかに、織田信長が黒人の侍を家来にしていたという資料はあるらしい。
歴史は自分たちに都合のいいように作られる、ということだ。

織田信長の家来の話は、アメリカで映画化されるらしい。
それがどんなストーリーになるのか、わからないが、アメリカの贖罪意識を日本人になすりつけられても困る。

1998年にも「アフロサムライ」という映画があったらしいが、初耳だ。
日本にはアメリカがやったような奴隷制度などない。

ちゃんとフィクションとして描いてほしいものだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
猫の効果
スウェーデンの愛猫家兼ジャーナリスト、ウルリカ・ノールベリさんが『にゃんこパワー:科学が教えてくれる猫の癒しの秘密』という本の中で書いている。

ネコは都会の生活に適応でき、多くは望まず、人間を一緒に過ごし、たくさん眠り、エサを食べ、トイレに行けばいい。
あまり文句も言わないし、それほどお金もかからない。
だから、忙しい人のペットに最適だという。

2017年のフロリダ大学の調査では、ペットのイヌとネコに明らかな違いがあったらしい。
猫派は、内向的で一人で楽しむタイプで、かつクリエィティブで独立心旺盛、真面目でセンチメンタルなところがある。
対して犬派は、外交的で社交的、グループで過ごすのが好き、使命感が強く、地に足のついたタイプ。

なんとなくわかる。

飼い主がそれぞれをどう見ているかということでは、イヌは合理的でコミュニケーション能力があり、わかりやすく、従順で飼い主を守ってくれる。
ネコは、非合理的、敏感、セクシー、愛情深い、独立心がある、ナチュラル、優雅、反応が速い、静かで穏やか、清潔、ランニングコストが安いという結果。
ぼくは猫派だから、ネコのほうがバラエティにとんでいると思う。

また、ネコには「ミャオ効果(Meow Factor)」というのがあり、ネコが幸福感を広めるということだ。
Youtubeでネコの動画を見ると、悲しみやイライラ、不安などのネガティブな感情が軽減されることがわかっている。
ネコ動画は中毒性あるというが、その通りで、ぼくのFacebookはいつの間にかネコの動画が増えた。
別にそんなつもりはないのだが、猫グッズの宣伝も増えている。

イギリスの調査によると、イギリス人は1日に380万枚もネコの写真を投稿するという。
人の自撮りは140万枚。
倍以上の開きがある。

ネット上の記事も、イヌよりネコのほうが多い。
それも、ネコ好きの性格がインターネットなどの分野と相性がいいからだろう。
イヌ好きはネットにつながるより、リアルな関係を好んで外に行くのだ。

イヌ好きは外でコミュニティに参加したりしているから、わざわざそれをひけらかす必要はない。
ネコ好きは、内向的で家にいるのが好きだから、つながりを持つために写真を投稿したり、ネットの記事を書いたりする。
それは納得できる。

そんなことが現れていると思う。

このブログもイヌで検索すると96記事だが、ネコは116記事。
今書いているのをいれると、117でやっぱりネコが多い。

イヌもいいが、やっぱりネコが好きだと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
UAP
「空飛ぶ円盤」をUFOと言う。
「Unidentified Flying Object」の略だ。
日本語では「未確認飛行物体」。

その頃、UFOにはファンがいて、アメリカでは常に電波を観察したり、体験談を本にしたりして盛り上がっていた。
UFOフリークというと、オタク扱いという感じのドラマが多い。
何となく、バカにしたような感じだ。

でも、最近は変わってきたらしい。
UFOは古い呼び名になった。

新しいのはUAPという。
「Unidentified Aerial Phenomena」、つまり「未確認空中現象」という呼び名だ。
これはアメリカ国防省が2021年の報告書で使っている。

GoogleのSearch Labs AI によると、UAPとは、

「未確認空中現象(Unidentified Aerial Phenomena)。米国防総省は、2021年6月に公開されたアメリカ合衆国国家情報長官室の報告書で、UFO(未確認飛行物体)に代わる呼称としてUAPを使い始めました。空想の世界の産物と思われがちなUFOのイメージを払拭し、より科学的な目線で捉えるべきとの考えのもとで公式に使用されています。2022年秋には米航空宇宙局(NASA)も科学的な視点からUAPを調査する研究チームを発足させると発表しています。2023年8月31日には、米国防総省がUAPに関する機密解除された情報を集めたウェブサイトも立ち上げました。」

ということだ。

国防相も、目撃情報などが多くて、無視できなくなったのかもしれない。
ただ、確定していないので、「Object(物体)」ではなく、「Pnenomena(現象)」という言葉にしたのだろう。
それで、現象解明のために「科学的な視点から」研究しようとなった。

ぼくらの周りでは、まだまだ知られていない言葉だ。
ピンクレディーがUFOという歌を歌って、当時の日本人はほぼ刷り込まれた。
簡単にはUAPにはならないだろう。

こないだドラマを見て、この言葉を知ったが、ドラマの中でもまだまだUFOがメジャーだった。
アメリカでもまだ広まっていない。

それは、空飛ぶ円盤を信じたい、という人がまだまだいる証拠だろう。

夢というか、宇宙人がいてほしいというロマンもあるんだろう。

だから、なかなかUAPにはならないと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャッシュレス
アメリカのドラマ(お騒がせ探偵!スペンサー・シスターズ)を見ていて、人差し指と親指で紙幣を数える仕草で、お金をくれと要求する場面があった。
よくある、情報屋から情報を得ようとする時にあるシーンだ。

ミステリー作家の母親と元警官の娘のコンビだが、シスターズという名称。
わりと面白い。
母親の方がさっとお札を出して、情報屋から話を聞いた。

娘の方はほとんど現金を使わず、持ち歩かない。
だから、母によく現金を持っていたねぇ、という感想を話す。
やはり、アメリカの30代くらいの年代はもうキャッシュレスなのだとわかる。

さすがに50代の母親は、現金を持ち歩いている。

だから、バッグから札を出して、情報を聞き出す。
アメリカでも日本でも、キャッシュレスに対する態度は同じ。

世代間で違うのだ。

それがわかって、面白かった。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
Wokeカルチャー
Wokeというのは、目覚めるという意味のWakeの過去形。
目覚めているということだ。

そこから派生して、Wokeカルチャーというのは。マイノリティーを尊重するとか、人種差別反対とか、LGBTQを理解するとか、そういうことを推進している人たちのことを指すらしい。
そういう意識が高い、ということで、日本では意識高い系という言葉になるのかもしれない。

そのWokeカルチャーで昔のドラマが批判されるらしい。
ぼくもずっと見ていた”Friends”というドラマだが、これが今では「ヤバい」ドラマのナンバーワンになっているらしい。

ニューヨークが舞台の6人の仲間のドラマ。
コメディなのだが、よくできていて吹き替えで見ても笑えるものだった。
いつもアパートの場面が映るのだが、その場所はある意味名所になっているらしい。
非常に人気があったと思う。

それがなぜ批判の対象になるかというと、白人6人のフレンズだから、ということだ。
多様性が欠如しているという批判。
さらに、ドラマの中でLGBTQ+をジョークにする場面もあり、それも引っかかっているらしい。

日本ではそこまで言う人はいないと思う。
だいたい、作られた時代がそれを許していたのだから、仕方ない。
それでみんな笑っていたのだ。

こういうのをポリティカル・コレクトネスと言うのだろう。
過去の偉人の銅像が倒されたりするのも、今の基準では「正しくない」からだ。

日本ではまだまだWokeな人は少ないが、そのうち増えるのだろうか…。
そのうち、「サザエさん」も封建的だということで、放送できなくなるのだろうか。

ぼくはそれはいいことだとは思えないのだが…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
リチウム電池リサイクル
モバイルバッテリーを使っていたが、過放電でダメになり、近所のジョーシンデンキに持っていった。
カウンターでリサイクルできるか聞くと、リサイクルマークがついていて、国内の家電業界で登録されているメーカーのものなら引き取り可能とのこと。
残念ながら、アマゾンで買ったものは中国製で引取できないとのことだった。

アマゾンで売っているものでも、メジャーなものなら日本の家電業界に登録されているのだが、ぼくが買ったのはCTLというブランドで、リストに載っていない。

市の廃棄ルールで、リチウム電池はリサイクルということになっているので、捨てることはできない。
困って調べていたら、ホームページに市の家電販売店のリストがあって、家の近所のお店に聞いてみた。

持ち込みなら、無料で引き取りますとのことで、今日持っていったら引き取ってくれた。
あまりにもありがたかったので、電池を買って帰った。

リチウムは希少金属だと言われており、リサイクルすべきだと思う。
資源の少ない日本では、リサイクルが大事だ。
今はいろんなものが充電電池に置き換わっているのだが、それらは規格化されておらず作りっぱなしになっている。
そういうものを外してリサイクルをするのか…。

この状態はまだまだだ。

モバイルバッテリーにしても、日本版のアマゾンなら、国内でリサイクルできるのか、そんな表示もするべきだろう。

これは、気候変動の問題よりも深刻で、目の前の問題だ。

国内でリサイクルできないモバイルバッテリーは、販売禁止にしてもいいと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 アラン・ドロン
追悼が続く。
アラン・ドロンも亡くなった。
88歳とのこと。

ぼくが小学生の頃は、まだフランス映画が勢いを保っていた。
もちろん、映画館で見るわけもなく、淀川長治の日曜洋画劇場だった。
太陽がいっぱい、というデビュー作をやっていたはず。

その頃、レナウンのスーツの宣伝も出て、「D'URBAN, c'est l'élégance de l'homme moderne.」というフランス語のセリフを言っていた。
レナウンも2020年に潰れてしまったが、当時は日本の繊維産業はまだ勢いがあった。

地下室のメロディー、という映画はジャン・ギャバンと共演した。
世代的にジャン・ギャバンをよく知っているわけではないが、あの俳優がパンを食べるシーンはよく覚えている。
何の映画だったかは思い出せないが…。

アラン・ドロンは日本では人気があった。
うちの母もアラン・ドロンのファンだったと思う。
日曜洋画劇場でアラン・ドロンが出るときは見ていた。

「日本では」と書いたのは、フランスではジャン=ポール・ベルモンドの方が人気がある、という記事を読んだからだ。
ほんとかな、と思ってフランスに行ったときに周りの人に聞いて回ったが、やはりジャン=ポール・ベルモンドだという。
フランスではアラン・ドロンの端正な顔立ちよりも、野性的な方がいいらしい。

2003年の「刑事フランク・リーヴァ」のシリーズは良かった。
渋く、いい歳を取った顔立ちだった。
あんな感じの老年になれたらいいと思ったものだ。

彼も、岸をわたって向こうに逝ってしまった。

なんとなく残念。

Rest in peace.




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 12:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 高石ともや
高石ともやが亡くなった。
享年82歳。

受験生ブルースが流行ったのは大昔。
ナターシャセブンというグループで、深夜放送もやっていた。
高校の頃よく聞いた覚えがある。

ジャンルでいうと、フォークとも言えるし、ブルーグラスとも言える。
一度だけ、生で見たことがある。
その時は、誤ってすごいオールドのマーチンのギターを持ってきてしまって、大事そうに弾いていた。

そういえば、マラソンランナーでもあった。
また一人、鬼籍に入った。

あちらの世界でも歌っているのだろう。

合掌。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
20億回
生物学的には、だいたい哺乳類の心臓は20億回打ったら終わり、ということだ。
たしか、「ゾウの時間、ネズミの時間」という本にもそんなことが書いてあったと思う。

人間の心拍数の平均はだいたい1分間に60回から70回程度ということだから、65回として心臓の寿命の平均値は307,692,308分になる。
これを60で割って、512,820時間、日に換算するために24で割って、21,367日、年に換算するために365で割ると、58.5歳となる。

哺乳類といっても、人間は別だと言われているらしいが、まあ60歳くらいというのは以前の定年の年齢だから、妥当なのかもしれない。

こないだ見た記事では、遺伝子の修復の能力が高いと良い、というようなことだった。
科学の進歩がどうなるのか、この分野は倫理的なことも絡んでややこしい。

そもそもなぜ細胞の分裂が止まるのかということも謎らしい。

認知症の母の老いを見てきて、老いて生きていくことのしんどさを知った。
母は20億回はるかに超えて生きたが、最晩年はしんどかった。

ぼくは幸い動脈硬化もあるし、脳梗塞もやったことがあるから、血管系の不具合で死ぬと思う。

一番憂慮するのは、中途半端に生きた時。
どこかが麻痺して、動けないとかいう場合だ。

そうならないことを祈るが、そんなに健康的な生活をしているわけでもない。
人間、そんなものだ。
実際に起ってみないと、わからない。

結局、死ぬまで生きないと仕方がない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
横浜市教委
神奈川新聞の記事。

「横浜市教育委員会が教職員による性犯罪事件の公判で第三者の傍聴を妨害した問題を巡り、職員の動員に伴う交通費や給与の返還を求めた2件の住民監査請求で、市監査委員は5日までに、動員の命令には「明白な瑕疵(かし)があるとは言えない」と結論付け、請求を棄却した。一方で、監査に必要な資料の提出を期限間際まで遅らせた市教委に対し、「大いに反省を求める」と異例の批判を展開した。」

どういうことかというと、教職員の性犯罪事件の第三者の傍聴を防ぐために、職員に動員をかけて傍聴券を取ってしまったということだ。
11回の公判に、414人の職員が動員されていたらしい。

これを住民が行政に対して監査請求したところ、「明白な瑕疵(かし)があるとは言えない」という結論が出た。
どう考えても、妨害としか言えないと思うが、住民監査は行政が勝つ確率が高く、なかなか通らない。
今回も住民が負けたということになる。

しかし常識的に考えて、被告の所属する組織が職員の動員をかけて、全部取ってしまうというのは、マトモな組織のすることではないだろう。
要するに、横浜市の教育委員会は「マトモ」ではないということだ。

戦後のGHQが教育が大事だと言い、教育を行政から独立させるために教育委員を公選制にした。
でも、かえって政治が持ち込まれるということで、1956年に廃止され、今のような制度になった。

しかし、今は教育が完全に閉じた世界になっており、外部の人を入れるべきだと思う。
制度をどうするかは考えないといけないが、少なくとも教育委員長は地域住民が選ぶべきだ。

文科省は天下り先を確保するために、大学には金を出しているが、教育の本丸は義務教育だ。
そこで基礎を作るからこそ、高等教育が機能する。
ずっと書いてきたが、今の義務教育はもう破綻していると思う。

教育ギルドを廃し、社会人教員を増やすことが手っ取り早い方法だと思うのだが…。

日本の司法もだいぶ劣化しているのだろう。

教育は国家百年の計というのに、困ったものだ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
巨大地震注意報
今日終了した「巨大地震注意報」。
宮崎で地震があり、南海トラフ大地震が起きる前触れかもしれない、ということだそうだ。

気象庁は、地震への備えの再確認の意味で出したとのこと。
TBSのニュースステーションで、南海トラフ地震の専門家は、1週間で起きる確率は0.5%と言っている。
0.5%というと、5/1000だから、まず起こらないというのが常識だと思うが、テレビのテロップでは「いつ起きても不思議はないところで、確率がさらに高くなった」という。

地震の専門家にとっては、そういうことなのかもしれないが、気象庁は「普通に過ごせばいい」と言っている。
TBSがどんな意図でわざわざ放送したのかは知らないが、みんなが心配だと思ったおかげで、一部で買い占めが起こったり、海水浴場が閉鎖になったり、ホテルの予約が取り消されたりしている。
なんだかなあ、と思う。

年に一度の休暇を楽しみにしていた人もいるだろう。
書き入れ時だと思って、準備した人もいるだろう。

そもそも、地震の予知はムリだと地震学者のほとんどが認めているはず。
今まで起こった地震も、予知などできていない。
地震周期説は、国際的なコミュニティーで否定された。
そんな状態で、いまなぜ「巨大地震注意報」なのだろう。

阪神大震災のあと、地下に断層があるらしいということを知った。
そんなの聞き始めだった。
地震のあと、余震があるのはわかる。
ずれたあとの修正なのだろう。

しかし、宮崎で地震があったからといって、他の地域で大地震が起きるなんて、予測できるわけがないと思う。

日本人は自分で考えない。
周りを見て、周りがするようにする。

コロナのときのマスクと一緒だ。
同調圧力があるんだろう。
だから、TBSのようなマスコミが「大地震が起こるかもしれない」というと、旅行をやめようとか、非常時の買い物をしておこうとかいう人が周りにいたら、同調する。

そんなふうにして、騒ぎが大きくなる。

生きているだけで、リスクはある。
それを心配しだしたら、きりがない。
それを杞憂という。

それが現実だと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
特攻資料館
オリンピックの話題が続く。

卓球の早田ひな選手が帰国後のインタビューで話したことが、FNNプライムオンラインに出ている。

今やりたいことは?と聞かれて、

「「アンパンミュージアムに。ちょっとポーチを作りに行きたいなと思っている」と、地元の福岡にもあるアンパンマンミュージアムを取り上げた。

それに続けて、「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と続けた。」

こんな若い人は何%かはいるんだろうけど、それをマスコミに話すというのは、ある意味勇気が要ったと思う。
「特攻」という言葉には政治的な意味があるからだ。

案の定、TBSで検索してもアンパンマンポーチのことしか出てこない。
意図的にカットされているのだ。

でも、オリンピックで卓球団体銀メダル、シングルス銅メダルを取った24歳の彼女が、そういう発言をするのは素晴らしいことだと思う。
もちろん、終戦記念日が近いことも意識したかもしれない。

特攻という愚かな作戦を立てた軍は避難されるべきだ。

ただ、そういう作戦を実行させられた若者がいたという事実は消えない。
戦後79年間の平和を享受できたのも、そういう犠牲があったからとも言える。

何より、そんな馬鹿な作戦を糾弾する国民がいなかったということだ。
軍の中にも、そう思っていた人は少なからずいたと思う。
それでも、特攻という言葉に酔ったのだと思う。
ぼくらはそんな国民なのだろう。

コロナの時にそれは実感した。

戦争に向き合っていかないと、平和など望めない。

早田ひなの発言は、そういうことを含んでいるのだと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 10:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
身長が低いクライマー
オリンピックでいろんなツイートが流れてくる。
中に、スポーツクライミングについてのものがあった。

壁の出っ張りを手で掴んで体を引き上げて、手と足で登るタイムを競うものだ。
ぼくは別にスポーツクライミングに興味はなかったが、メダル候補の森秋彩選手の記事を読んで、よく頑張ったと思った。

スポーツクライミングには複数の種目があり、オリンピックではスピード、ボルダリング、リードの3つの総合点で競われる。

スピードは「どれだけ速く登れたか」を世界共通のコースでタイムを競う。
決勝はタイムではなく2人で、速いほうが勝つ。

ボルダーは「いくつ登り切れたか」を競う。
高さ4〜5mほどで様々な傾斜がある壁にセットされた複数の課題(ホールドの配置で作られたコース)を登る。課題の最上部にある「TOPホールド」を両手で保持すれば「完登」。また、課題のおよそ中間部には「ゾーン(ZONE)」のマークがついたホールドが設定されていて、そこに到達できたかどうかも「ゾーン獲得数」として成績に反映される。

リードは「どこまで高く登れたか」を競う。
高さ12m以上の壁に設けられた1つの課題を、ロープを支点にかけることで安全を確保しながら登る。手で使用することが想定されたホールドに番号が振られ、上に進むほどその数は大きくなる。

この種目、森が金メダル候補だったらしい。
実際、リードでは1位だった。

ところが、第一課題のボルダーでは、スタートボルダーという最初に掴むところに手が届かなかった。
当然、スタートできていないから0点になる。
それでも、総合4位になった。

出場選手で最も背が低かったのだ。
イギリスのデイリー・メールは、

「「オリンピックのクライミングスターは、身長が壁まで届かなかったため、競技を始めることすらできず、ファンは彼女が『いじめられた』と主張している」と報じるなど、世界中で課題設定をめぐって身長が高い欧米勢に有利との指摘が殺到し、物議を醸している。」

と報道したとのこと。

多様性、多様性と言いながら、身長で差別し、手が届かないボルダーをセットするのはいかがなものか、と言いたいわけではない。

ぼくが感心したのは、森選手がそういう事態に陥っても、毅然としていたという事実。
彼女はパリに限らず、どこでも身長が低いことで不利なこともあったという。

インタビューでは、

「身長は関係ないと思います。リーチ的にも強度的にも、自分には不可能な課題にも挑戦して行けるところまで行こうと取り組んできたのが強くなれたひとつかなと思います」

彼女は高校を卒業して、プロにはならず、2022年に筑波大学に進学した。
その時に、こう話している。

「プロになってそれを仕事にして生活するとなると、やっぱり成績を気にしてしまったりすると思います。成績が直接お金にもかかわってくるから、いい成績を残さないと、と考えてしまいます。そっちが軸になるのが嫌でした」

「ちっちゃい頃から、あまり他人を気にしていなかったです。今もそうです。人にじゃなく、自分に負けるのが悔しいですね。だからクライミングでも、ほんとうに人に対して、というのではなく、試合の勝ち負けよりも壁に向き合うことがいちばんだと思っています」

毅然としていたのは、単なる強がりではない。

ロスでの彼女の活躍が楽しみだ。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
パリ五輪やらかし集
「茶漬け」という方のブログで書かれているパリ五輪のやらかし集
開会式はニュース等でちょろっと見たが、あれはひどかった。

ぼくは開催中はほとんど見ていないが、こんなことがあったのかとびっくりした。
あまりに面白いので、紹介しておく。

結局、ポリティカル・コレクトネスを突き詰めると、こんなことになるということだろう。
もっと常識を大事にしないといけない、と思う。
そんなことを言っても、今や常識自体が異なっているのかもしれないが…。

でも、フランス人の中にも、きっとおかしいと思っている人はいる。
それが大きな声で言い出せないのだろう。

それがポリティカル・コレクトネスの怖いところだ。
「これが政治的に正しい」と言われると、反論しにくくなる。

もちろん反論はできるのだが、声高にポリコレを言われると、それが単なる繰り返しであっても、「もうええわ」ということになるのだろう。
LGBTQの問題に、なにか異論を唱えても「おまえは多様性が大事だと思わないのか」と言われると、「今までの常識はどないなるネン」と思っていても「もうええわ。はいはい、そうですそうです」となって議論を避ける人が多いのだと思う。

それが多くの人の常識というものだからだ。
際限なく議論をしても、仕方がない。
向こうにこちら側の言い分を理解しようという気がないから、言っても仕方がない、ということになる。

たとえ、それが今までの伝統をぶち壊すものであっても、「政治的に正しい」ということが大事なのだろう。

そういう文化が世界からは受け入れられない部分も多い。
ポリコレをなんとかしないといけないと思う。

古き良き時代が懐かしい。

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パリ五輪やらかしまとめ

〜開会式編〜

・開会式ではマリーアントワネットや最後の晩餐を冒涜するかのような演出に批判殺到。
 一部スポンサーが下りてしまい慌ててIOCが謝罪のようなものを発表。(あくまでも謝罪はしない)

・開会式についてバチカンがフランス語で非難発表

・開会式への批判に対してパリのイダルゴ市長は「極右のメッセージを打ち砕いた」 と意味不明の自画自賛

〜運営編〜

・公衆トイレ不足対策に4人同時対面式丸見え仮説トイレ

・床が跳ねすぎるため柔道場の床を競技実施3日前に急遽貼り替え

・五輪旗を上下逆さまで掲揚して笑いものに

・IOC公式SNSでテコンドーを柔道と表記

・警備員がTaiwanと書いてあるTシャツ脱ぐように観客を恫喝し、Taiwanと書いてあるタオルを強引に奪う様子が動画で拡散される

・韓国を北朝鮮と間違えるなど国旗や国名を度々間違える

・スーダンと南スーダンの国歌を間違える

・IOC公式でテコンドーと柔道を間違える

・ロッカールームでも盗難発生

・メダル獲得者が一週間で腐食して汚い金属の塊になったとSNSに写真投稿

・選手の送迎バスの遅刻が当たり前、道を間違えるのも当たり前、練習後の選手の送迎バスが来なかった事例も

・送迎バスは環境のためという理由でエアコン制限、テロ対策のため窓の開放も禁止、バスで熱中症になる選手も

・卓球混合ダブルス優勝の写真を撮影しようと記者達が殺到した際に記者が優勝者の使用ラケットを踏んで破壊(運営側が記者と選手の動線、撮影対応などの管理ができていない)

〜選手村編〜

・選手村にはエアコンを設置せず井戸水を使った床下冷却機構で対応。
 エコを強調するも熱波に勝てず、選手村からの大量エアコン発注で市内の在庫払底

・フランスチームはエアコン付きのホテルに滞在

・動物性タンパク質を大幅に削減して地球環境にも動物福祉にも優しいヘルシーな美味しい料理という選手のことを全く無視したエゴ丸出しで批判殺到、卵や肉を慌てて料理に追加

・ボクシングヘビー級の選手が選手村でミートチョップを頼んだら1人2つまでと断られる

・選手村の料理が質量とも不足している問題から英国が母国から専用のシェフを緊急招集

・「史上初、使い捨てプラスチックのない大会」と強調するも汚れが落ちていない不衛生な選手村の食器

・火の通っていない生肉まで出た

・各所で食中毒発生(プレス関係者にも)

・新型コロナ感染者多数発生

・金メダリストが選手村ではなく公園で野宿

・選手村にカーテンがなく女子選手達が着替えに難儀する

・トイレ、シャワーはユニットバスだが選手5人に対して1つ

・選手村で盗難事件多発(施錠しても盗難される)

〜セーヌ川編〜

・セーヌ川の水質が悪すぎて競技が延期

・インドのメディアに「セーヌ川が汚くて練習ができない」と報じられる

・セーヌ川を使ったトライアスロン競技強行するも参加した選手の一部が嘔吐をくり返す(パリ五輪のために14億ユーロ(約2300億円)も使って水質改善を行ったはずだが……)

・トライアスロン競技参加選手複数に大腸菌、レプトスピラ症などの感染症発症

・マクロン大統領、3月にセーヌ川の水質浄化を強調するため「泳ぐ」と宣言していたが結局泳がず

〜競技編〜

・審判の技術レベルが低いのか疑惑の判定続出

・誤審連発で誤審に疑義を呈する日本に中韓が味方する事態に

・謎のオフサイド判定に本田圭佑「もうサッカーのルールがよく分からん」とこぼす

・選手にも説明できない反則を取られ高山莉加がワーグナーに反則負けとなり
 五輪公式HPにも理由について「Undetermined(不明)」と表示

・公平性が全く担保されていないリネール確定デジタルガチャ

・女子ボルダー&リード、決勝出場選手で最も背が低い森秋彩では手が届かない位置に設定されたボルダー決勝第一課題により0点。リードで圧巻の1位を取るも4位で終わる

・性別適格検査不合格として前年の世界選手権で出場を禁じられたXY染色体持ちのDSD(性分化疾患)の選手が女子ボクシング競技に出場

・DSDの選手と対戦した女子選手が命の危機を感じて競技を棄権。
 ポリコレ圧力により棄権した女子選手が謝罪させられる

・前年に性別適格検査に引っかかった選手等は国際スポーツ司法に訴え負けて控訴、取り下げを行ったため、法的拘束力を持つ出場制限が法的拘束力を持つものとなっているがIOCがこれを無視して出場させたことについてIBAから理由の公表を求められている

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 09:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
Studio one
以前にCakewalkという、無料のDAW(Desktop Audio Workstation)をインストールして少し使ってみたことがあるが、やっぱりハードルが高い。
ギターの先生に聞くと、Studio oneというのがいいというので、それの無料版を入れてみようかと思った。
いろいろ調べると、Studio oneを作っているPresonasという会社が、ハード機器の日本の販売代理店を6月末で変更していた。
それで、流通がややこしくなっているのだろう。
急に値段が上がったりしている。

DAWに楽器や声を録音するためには、インターフェースの機器が必要で、それをStudio oneと同じ会社のものにしておくと、インターフェースを買ったら、ちょっといいバージョンのStudio oneが付いてくる、という仕組みになっている。
それで、Presonasの機器を使おうと思ったのだ。

一番安いのは1万以下で売っており、それでもぼくは十分な気もする。
マイクとギターをつなげることができる。
でも、レベルメーターがないので、それが付いているものにするとなると、以前2万以下で売っていたものが、今は4万円以上になっている。
円安の影響だろうかと思ったら、冒頭の販売代理店の変更があったからかもしれない、ということだ。
いくら何でも倍になるのはおかしい。

Presonasの機器が特に優れているというわけでないが、DAWソフトが付いてくるというのはメリット。
探せばPesonasの安い機材はありそうな気もするが、何となく販売代理店が変わるというのは気がかりだ。

いつかはコンピューターで音楽を作り、自分でギターやベースを弾いてみたいと思っている。
でも、年齢を考えると、もうぼちぼち始めないといけないと思う。

やる気がいつまで続くのだろうか…。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
蜻蛉
昔の2時間ドラマ、BSやCATVの中にはそれ専門か?というようなチャンネルがある。
バブルの頃には、2時間ドラマが本当に多かった。
スタッフを大勢ロケに行けるだけの予算があったということだ。

西村京太郎のシリーズなど、ロケが必須。
まあ、スタッフの楽しみにもなったのだろう。
たいがい、行った先の有名な温泉宿やリゾートホテルで事件が起ったりする。

火曜サスペンス劇場、土曜ワイド劇場など、2時間枠専門の「劇場」があった。
潤沢な制作費があったのだ。
まあ、ストーリーなどはワンパターンとはいえ、今のドラマほどチンケな感じはしない。
ゲストも多いし、セットも多い。

十津川警部シリーズや、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズ、タクシードライバーのシリーズなど、シリーズ化されて続くものもあった。
今のBSのそういうチャンネルを見ていると、会社がバブルで一番忙しかった頃、ちょうどテレビなど全く見ていなかった頃の番組もあり、暇つぶしになる。

そういえば、亡くなった先輩が、「うちの嫁はんが2時間ドラマばっかり見てる」という話も聞いた。
そういうぼくも、地上波の下らない番組を見るよりは、昔のナントカ劇場を見るほうがましだ。

ちょっと前までは海外のドラマをよく見ていた。
もちろん字幕で、こういうときはこういう英語を話すのか、といった発見もあったからだ。
今ではもう面倒になって、吹き替えを見てしまう。
それで、2時間ドラマに戻ってしまったりする。

その2時間ドラマの「赤い霊柩車」シリーズ(リアルでは見たことがない)をこないだ見ていたら、主人公の片平なぎさが、お棺に折り紙で赤とんぼを入れるという納棺師に理由を聞く、という場面があった。
その答えが「日本では蜻蛉という文字は、美しい、ということを表していて…」という話だった。

そんな話は始めてだったので、ネットで調べてみると、こんな記述があった。

「蜻蛉(とんぼ)」という字の、青と令には"美しい"という意味があり、蜻蛉という字は "すべてが美しい"という意味を持っているらしい。
トンボという虫は、昔の人々に、美しい虫だと思われていたのだろうか。」

ということで、まんざら嘘でもないようだ。

蜻蛉の美しさというのは、よくわからない。
今では家の近所ではほとんど見ない。
蝶も飛んでいるのを見るのは珍しい。

でも、小学校のころ、夏の終わりの夕方に、赤トンボが群れになって飛んでいた景色は思い出す。
オニヤンマとか、ギンヤンマとかいたが、やっぱりトンボといえば赤トンボだった。

あの昔の風景が懐かしい、と最近思うようになった。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラッシング
ギターのテクニックで、ブラッシングというのがある。
これは一つの音を出すときに、近くの弦をミュート(消音)して、それと一緒に弾くというやり方。
ブラシでなでるように弾く、という感じでブラッシングというのだろう。

こないだのレッスンでは1弦の人差し指でのブラッシングのやり方をどうするか、という質問をした。
先生は長年やっているので、自然にできるのだが、右手と左手のミュートのコンビネーションができる。
1弦の人差し指で押さえた時のミュートは一番難しい。
押さえた指の後ろ側のミュートは楽だが、手前は鳴らしている弦をミュートせずに他の弦をミュートするので難易度が高いのだ。
結局、どうしても難しければ、2弦にずらして小指で押さえるしかないということになった。
なるほど。
ギターは同じ音がいろんな場所にあるから、そういうことができるのだ。

ブラッシングは特に歪ませた音を出すときによく使われる。
ぼくはあまり歪んだ音を出さないので、今まであまりそういうテクニックは知らなかった。
でも、先生がソロを弾くときに、ソロの入りや、ヤマ場でそういう音を出す。
ブラッシングで弦をはじいて、その音を目立たせるのだ。

ヘビーなロックやメタルなどが好きな人たちは、ギターは歪ませて使う。
歪ませるといっても、ランクがある。
歪みの小さいものから順に、クランチ、オーバードライブ、ディストーション、ファズ、メタルというようなエフェクターがある。
そういうものを使って歪ませたり、アンプによってはボリュームとドライブというのつまみがあって、そのドライブを上げて歪ませるというやり方もある。

歪ませると、音が伸びやすい。
最初は真空管のアンプを使って、歪ませていたらしい。
ぼくはそれには詳しくないが、フェンダーなどの老舗がそういうアンプを出していた。
マーシャルというアンプメーカーは大口径のスピーカーをいくつも積んで、音が出せる。
ドームで演奏するときなど、あんなのを使うのだろう。

先生のお勧めはIbanezのチューブスクリーマーというエフェクターだった。
これはクランチで、ボリュームを下げておいて、かけっぱなしでもいいという。
音が立つ、ということだ。

歪みの世界も、結構深い沼みたいなものだろう。
ジャズギターはクリーントーンだが、クランチからディストーションあたりはポップスでもよく使われる。
だから、一応やってみようかな、という気になった。

おおかたのギターソロは歪んだ音だ。
クリーンな音で弾いておいて、ソロになるとペダルを踏んで歪んだ音にする。
それは見ていてかっこいい。

この年になって、歪みに目覚めた。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学での算数
Facebookのニュース紹介で、大学教授の濱中裕明氏という方のコメント(2023年7月)が紹介されていた。

「実は昔、とある大学で『数学』の授業の非常勤を数年したことがあるのですが、内容はほぼ算数でした。

その初回でプレテストとして(状況把握のために)いくつか問題を出して、そのうちの一つが「1000円の2割引はいくらですか」という問題でした。

そのプレテストの解答の中には、「1000−2=998円」「1000÷2=500円」他にも「2割=0.2である。よって1000÷0.2=5000円」という解答もあった。
楽しい
プレテストを返却するときに言ったんです。「割引き、っていうから、割り算か引き算だと思ってるみたいだけど、掛け算だよ」(どよめき)

そのあと色々ありましたが、割合というものを理解せずに大人になると、こういう風になるんだなぁ、というのを目の当たりにした感じでした。
もちろん、速さなんて理解してなくて「時速4kmで2時間進と、何km進みますか」という問いに対しても、多くの学生が「はじきを忘れたので、解けません」でした。

面白いことに、そんな彼らも、数の計算ができないわけではないのです。
例えば、280×3.2を計算してといえば、計算できます。(もちろんケアレスミスをすることもありますが)しかし、数直線を書いて、100、200、300、という目盛をつけたあと、280はどこ?(これは分かる)を確認したあと、280×3.2はどのあたり?と聞くと、「そんな難しい計算はやってみないと分かりません」というんですね。なるほど、と思いました。

大事なことは計算の練習ではなくて、割合の表現が何を意味しているかの理解なんですね。
そんな彼らに、割合とは何か、速さとは何か、彼らがつまづいてしまったところからきちんと授業しましたよ

授業の最後の感想文には、「これまで買い物の時、割引ってわからなくて、いつも心配でした。でも先生の授業で、安心して買い物できるようになりました。ありがとうございました」と。
ちゃんと、教えれば分かるんですよね。」

これに対するコメントにこういうのがあった。

「なるほど…。 由々しき問題不足しているのは計算能力ではなく、読解力や応用力だったということでょうか。 たくさんの小学生の算数の勉強を見ていると実感出来てしまいます。計算の答えが合っていうことで満足してしまい、その計算が何を表しているのか興味も関心もない子の多いことに。困ったことに文章問題で何が問われているのか理解出来ていないにもかかわらず、それが表面化しづらいという…」

ぼくも全く同じ意見。
計算はできても、割合の意味がわかっていない大学生が本当に多い。
足りないものは「読解力」と言っていいのかどうかはわからない。
要は「概念操作」の力なのだと思う。
自分の手で触れないものに、人生で最初に出会うのが算数の割合なのだと思う。

それは要するに、単位分数の「1」が全体を表す、ということがわかっていないということだ。
だから、「1」には2つあって、一つは1個、2個、3個、…の自然数としての「1」と、全体を表す割合の「1」がある、ということを教えないといけない。

ただ、問題はそれをわかっている小学校の先生がどれだけいるか、ということだと思う。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦争反対?
この時期になると、核廃絶とか戦争反対とかいう活動家が増える。
原爆投下のイベントや終戦記念日と続くからだ。

昔はそんなにひどくなかったようだが、最近は広島の原爆のイベントに集まる人が多いようだ。
大音量でスピーカーを鳴らし、いったい何を言いたいのか、わからない。
核を持っていない国で核廃絶を叫んでも仕方ないだろう。

今の日本があるのは、アメリカの核の傘の下にいたからだ。
冷戦時代も無事に過ごせたのは、そのおかげだと思う。
冷静に考えれば、わかることだ。

Xにはこんな面白いツイートもあった。

「核兵器が地球上から無くなる日は必ず来ますよ。核兵器以上の強力な兵器が普及したときです。
今日、世界のどの軍隊にも投石器はありません。銃が普及したからです。」

戦争反対と唱えていたら、誰も攻めてこないというのは、頭の中がお花畑なのだと思う。
ずっと前に、海外からの留学生に自衛隊についてインタビューしているところを見た。
どこの国だったかわからないが、その学生は「国を守るために武力が必要なのは当然のことだ」と言っていた。
今なら、きっとその発言はカットされると思う。

でも、ただ「戦争反対!」と言っていればいいという人が多いのには驚く。
たいがいは年寄りだが…。

きっと若い頃にベトナム反戦!などと言っていて、大学に入って「安保反対!」と言っていた世代の残党だろう。
転向して会社に入り、無事勤め上げ、若い頃に挫折した思いを遂げようとしている。
迷惑な話だ。

もし、攻められたらどうするのか?と聞くと「それを考えること自体が悪だ」などと言われる。
本物の思考停止だ。

戦争反対とシュプレヒコールを上げることだけが、その人にとっての正義なのだろう。

これを戦後の占領軍がやったWGIP(War Guilt Information Program)の宣伝のせいだという人がいるが、憲法9条の騒動を見ている限り、戦争への罪悪感などではないと思う。
若い頃に考えたことへの執着か何かだろう。

でも、もうしばらくのことだと思う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャリアカウンセラー
2015年から、キャリアカウンセラーの仕事をしている。
対象は大学生だ。
それ以前にも、2007年から大学の事務をしながら、キャリアの学生相談はしていた。
したがって、この道10数年になる。

まあ、10年やればほぼ一人前ということだろうと思う。
仕事の環境から、学校の偏差値は低い方に寄っていて、文系の相談がほとんど。
それをベースに、学生のキャリア相談について書く。

ぼくが相手にしている学生のうち、半分くらいは自分が新卒で働くということについて、就活の時期になっても、「どこで働く」というイメージが持てていない。
就活初期はそういう相談が多くなる。

自分のことを思い出しても、同じだ。
幸い、ぼくは理系だったし、当時の理系の新卒求人は、人事が求める学部学科がある大学を回って求人票を渡していた時期だった。
だから、学校に来ている求人の中から選ぶというのが一般的だったと思う。

ぼくは、25年間タイヤの仕事をしたが、それを選んだのは学科の事務に行って、ここを受けたい、というを伝えて、受けに行ったという経緯だった。
大学院指定の会社もあって、学部卒で行ける会社を選んだ。
そんなに多くのチョイスはなかったと思う。

友達の下宿に、リクルートか何かの電話帳みたいな冊子があって、そこで「就職いややなあ」などと言いながらページをめくっていたら、学校で見た覚えのある会社が出ていて、さらにそれが地元の会社だったので、「ここにしよ」と決めたのだった。
夏休みに受けに行ったら、人事課長が会ってくれて、試験も何もなくOKだった。
3月末に寮に入って、4月1日に入社式。
そのあと、エライさんの講話があったと思う。

早めに終わって、人事課長が入社に際してお世話になった先輩にあいさつに行け、と言われたが、ぼくは誰にもいなかったので、どこにも行かなかった。
当時から、リクルーターとして先輩社員を大学に送りこんで、新入社員を連れてくる、という制度はあったのだ。
多くの同期の社員があいさつに行ったので、ぼくはびっくりした。

クルマは好きだったが、地元の会社というだけで入ったので、この業界とか、この会社とか、そんな思い入れは全くなかった。
先生の紹介で行った人もいたようだが、1970年代後半はまだそんな時代だった。

だから、学生がどの業界がいいのか、どんな会社で勤めたらいいのかなどと聞かれても、難しい。
一般論として、現在の日本の基幹産業である自動車業界とか、これから必須になるITや半導体の有力メーカーなど、さらに海外進出していて、たくさんの現地法人を持っているところなどは、いいと思う。
でも、文系の学生だから、そのへんはちょっと馴染みがない。
どうしても理系でないといけない、と思ってしまうからだろう。
当然、どんなメーカーでも文系の社員は必要なのだが…。

外食業界も、日本の食文化は世界で評価されているし、大手は海外進出に熱心なのでいいと思うのだが、店舗で働くというところはしんどい。
みんなアルバイトで経験していたりするから、社員のぼやきを聞いているからだ。

前にも書いたが、みんな就職するのはうっとうしいのだと思う。
特にぼくらの時代は、学生運動の末期で、まだ学校にヘルメットを被った学生がウロウロしていた頃。

働かないといけないから、仕方なく働く、というのが最初の動機になる。
実際に働いてみないと、社会で働く意味など実感できないのは当たり前。
自分のやっている仕事が、どんな風に世の中の役に立つのかなど、やってみて初めてわかるのだろう。

今は仕事体験とか、インターンシップなどがあるので、そういう「何の仕事をしたらいいかわからない」という人には、ぜひインターンシップに何社か行って、それをもとに考えよう、などと言っている。
今はオンラインで、業界や会社のことを知ってもらうために、Onedayのインターンシップなどもたくさんあり、そういうのは選考もなしだったりするから、そういうところで「働く」ということについてイメージしたらいいのだ。
所詮、仕事なんてやってみないとわからない。
キャリアの学者も言っているのは「仕事は運と縁」だということ。

だから、とりあえずここなら大丈夫だろう、というところに就職して、まず3年は一生懸命やってみる。
それで、どうしても嫌だったら、異動させてもらうか、転職する。
今は転職市場も大きく広がっているし、終身雇用からジョブ型への転換もあるから、最初の職場でつけたスキルを活かす、ということも考えてやればいい。

そういう時代が来たのだと思う。
ぼくらの就職した時代とは隔世の感がある。

またまた、老兵は去りゆくのみだ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
北海道新聞の号外
北海道新聞の号外の写真がぼくのXのタイムラインに出てきた。
今どき号外とは、パリオリンピックか何かかと思ったら、見出しは「新聞にフェイクニュースはありません」というもの。
内容は、インターネットやメール、SNSは「ごまかしいっぱい」などと書いてある。

そのうえで、一番大きな見出しが「新聞にフェイクニュースはありません」というもの。
よほど困っているのだろうか。

北海道新聞を調べてみると、今年の3月のネットの記事で「「北海道新聞」発行部数80万部割れ、ピーク時の3割減」というものがあった。

実際、80万部を切るまでに、値上げや夕刊の廃止等、手を打っていたがどうにもならず80万部を切ったというのが実情のようだ。
まともな新聞なら、自社の新聞に「フェイクニュースはありません」などと書くわけがない。
ないのが前提だからだ。

と思ってネットで調べたら、どうもこのニュース自体が2020年のフェイクニュースだった。
どう考えても、おかしいからなあ。

だれがこんな号外のチラシの写真を作るのだろうか。

しかし、ネットがフェイクで新聞は正しいというのは、どう考えてもおかしい。
新聞こそ、署名記事でもないのに、意見を堂々と書いている。
あれこそ、存在自体がフェイクだ。

手の込んだいたずらだが、気持ちはわかる。

それとも、本当にこんなチラシを作ったのだろうか…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
生きること
こないだ「限界を感じる」でも書いたが、最近本当に年をとったなと思う。
ぼくは歩くのが速い方だったのだが、最近若い人たちに余裕で追い越されるようになった。
階段でも、簡単に1段飛ばしで抜かれる。

若い人たちはスマホやタブレットの操作も、とにかく速い。
考えられないスピードでフリック入力できる。
この調子なら、彼らにはキーボードも要らなくなるのかもしれない。

昔に比べて、みんな歌がうまくなったし、作る曲も難しくなった。
70年代初頭はコードが5つもあれば1曲弾けたが、今は複雑なコードが出てくるし、転調はあるし、歌詞は多くて覚えられないほど。
すごいなあと思う。
ついていくのは大変だ。

若い人たちが作るアニメも素晴らしい。
昔は子供が見るものだったが、今は大人が鑑賞するものだ。
「葬送のフリーレン」は世界で評価されている。
昔の日本は家電だったが、今はアニメ、マンガだ。

素晴らしいと思っていた民主主義だって、どうも老害の影響が大きくなってしまった。
年金生活者は選挙権を半分にするとか、なくすとか、そういうことをしないと、この老害は収まらないだろう。
ぼくらロートルはもう引っ込まないといけない。

年をとったらそれなりの人生があると思っていたが、本当にあるのだろうか。
この1年ほど、母の死を見送って、そういうことを考えるようになった。

ぼくたちはどう生きるか、だ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
飲み屋番組
今やBSの夜10時以降はコストが安い番組のオンパレードだ。
チャンネルが多すぎるのだろう。
まあ、もともとテレビショッピングが番組になっているくらいだから、よほど儲からないのだろう。

なかでも感心するのは、飲み屋で飲んで話すだけの番組。
下手をすると数人分のギャラと撮影隊の人件費とちょっと。
BS11では「太田和彦のぶらり旅 新・居酒屋百選」、BSフジでは「飯島直子の今夜一杯いっちゃう?」、BSテレ東では「和田明日香とゆる宅飲み」、BSTBSの「吉田類の酒場放浪記」「町中華で飲ろうぜ」、BS朝日の「家飲み華大」など。

それ以外は80年代以降の2時間ドラマの再放送、古い映画、時代劇の再放送などがBSの主力だ。

「飯島直子の今夜一杯いっちゃう?」を偶然見たが、彼女ももう56歳。
こんな番組の主役(と呼べるかどうかわからないが)をやるくらいだから、女優業はもう諦めたのか。

「家飲み華大」は時々見るが、こちらは家のセットで、華丸大吉がパジャマで飲んでいる。
芸人の話が出るので、たまに面白いのだが、所詮は飲みながらのボヤキ。
他に見るものがないから、つけている、という感じだ。

そういえば、単にBGMを流しているだけ、という番組もある。
そうまでして、時間を埋めないといけないのか。

その点、ケーブルテレビは一応視聴料を払っているから、まだマシ。
たしかに、再放送だらけだが、まだ見られる。

地上波は安上がりな食べ物場組だが、BSはもっと安い飲み屋番組。

日本は平和だ。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
欽ちゃんの言葉
中村泰士というブロガーが、コメディアンの萩本欽一の言葉をFacebookで紹介していた。
キャリアのことを考えるうえで、いい話なので、引用して紹介する。

------------
「ちょっとだけ、自分の仕事のことを振り返ってみると、わりあいうまくいったことも多かったんじゃないかな。
それはなぜだろうって考えたら、1つ答えが見つかりました。
それは、あんまり好きじゃなかったから。

僕、子どもの頃から映画で見ていた、チャップリンさんは大好きだったけど、コメディ自体が好きで、この世界に入ったわけじゃないんですよね。
華やかな世界というのも、どちらかというと苦手だった。

じゃあなぜこの世界にやってきたかというと、ただただ貧乏から抜けだしたかっただけ。
借金取りに頭を下げている母親が、かわいそうで、家を建ててあげたかっただけ。
「笑い」に心の底から惚れていたわけじゃない。
でもかえってそれがよかったんだと思います。

浅草の劇場でのお芝居も、テレビの仕事も、ラジオの仕事も、最初は「不得意だな〜」という地点から始まったの。
でも、真剣にやっていると、「ぜ〜んぜんいやじゃないな」になってくる。
少しずつ、苦手なことができるようになってくるんですよね。

逆に言うと、人っていやなことをやっていないと進歩がない。
運の神様は、もがき苦しみながら、不得意なものに取り組んでいる人にやさしいみたい。
僕の場合も、苦手なことのなかに、運は落ちていました。
なんの仕事でも同じじゃないかな。

難関を突破して憧れの会社に入っても、始めは会議のための資料コピーとか、お茶の用意を命じられたりしません?
でも、そこで「こんな雑用をするために、この会社に入ったんじゃない」なんて思うと、運の到達は遅れます。
無駄なことをするのをいやがらないかどうか、これでその人の将来がわかっちゃう。

「いやだな」と思う人は、たとえその会社で偉くなっても、「なんでもっと上の地位じゃないんだ」と思うんじゃないかな。
「いやじゃないな」と思う人は、どんなことでもいやがらず、積極的に取り組むので、どんどん仕事ができるようになる。

そのときの損、得じゃなくて、自分の目の前にやってきたことを精いっぱい、こなしていく人に、運は近づいてくるんです。」

萩本欽一さんは、昔、世話をしたことのある、映画監督になりたくてフランスに留学したある若者から相談を受けた。
フランス語もできないのに、何度門前払いを食っても、あきらめずに一週間通い続けた画廊に雇ってもらい10年間、留学を続けたという。
映画の学校に通い、もうすぐ監督になれるところまできた。

ちょうどその時、画廊の社長から「自分のあとを継がないか?」と言われ、迷いに迷って、意見を聞きに来たという。

萩本さんは、

「ばかだな〜、人生っていうのは、自分が何になりたいかじゃない。だれに必要とされているかなんだ。アルバイトで入った画廊の社長さんに、あとを継いでほしいって言われるほど惚れられるやつって、おまえのほかにいる?おまえの監督作品なんて、だれにも必要とされてないし、僕も期待してないよ」

この言葉が決定打だったかは知らないけれど、彼は画商になりました。
彼は画商になってから、女性誌やテレビで紹介される、世界的に活躍する美術商になっちゃった。

何かを決めるとき、それを損得とか、好きとか嫌いとかではなく、その時、その時の運命のような「ご縁」を大切にしたとき、運はたまる。
つまり、目の前にやってきた、大事な「ご縁」をないがしろにせず、ただひたすら精いっぱいやったとき。

鋭い人や、頭のいい理屈に長けた人は、これがなかなかできない。
できるのは、自分の損得に鈍い、少しボーっとしている人であり、自分のことより先に、人の喜びを考える人。

「何になりたいかではなく、だれに必要とされているか」

ご縁を大切に、目の前にやってきたことに、ひたすら取り組む人でありたい。
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「人っていやなことをやっていないと進歩がない」

「そのときの損、得じゃなくて、自分の目の前にやってきたことを精いっぱい、こなしていく人に、運は近づいてくるんです」

「何になりたいかではなく、だれに必要とされているか」

こういうことは、真実だと思うが、今のZ世代については、こんなことが書かれている。

「Z世代が重視するのは、仕事を通じて小さな成功体験を得ることです。Z世代は、多様な自己表現と個人の価値を重んじます。さらに自分にしかないスキルや経験を生かせる職場を好みます。つまり、自分自身がイニシアチブを持って案件をリードすること。すなわち「仕事が自分自身の管理下にあり、指示されてこなしているものではないこと」を感じられたり、「自分にしかないバリューを発揮でき、クリエイティビティーを体現できること」を望んでいたりします。

 Z世代は「失敗したくない思いが強い世代」といわれています。しかし仕事の大小を問わず、自分主導で遂行したという小さな成功体験の積み重ねが、やりがいにつながるのではないでしょうか。」

若いうちから、「自分にしかないスキルやバリュー」があるのだろうか。

ぼくら昭和の世代は、欽ちゃんに惹かれてしまうのだが…。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
Cry Macho
クライ・マッチョというクリント・イーストウッド監督・主演の映画をBSでやっていたのを録画して見た。
彼が90歳の2022年の作品。
90歳で主演というのは、すごい。

年老いた馬の調教師とその雇い主の息子のロードムービー。
ロードムービーというほどでもないが、テキサスからメキシコに行って、帰って来る。
途中、メキシコのギャングや警察に追われ、危ない目にもあうが、さすがに主演が90歳だから、そんなにアクションシーンなどない。

90歳のアメリカ人のカウボーイが、家を出た若者にとつとつと話す。
多くは語らないが、説得力がある。

だんだんと若者が心を開く。

そういう映画だ。

クリント・イーストウッドの名演技というより、自然な演技に見える。

大俳優の秀作だった。

| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライトノベルの勢い
ラノベという言葉を聞いたのは、息子からだったと思う。
もう10年ほど前になるだろうか。
ラノベがライトノベルの略で、それが流行っている、ということだった。

今回小学館が北米で「葬送のフリーレン」をラノベアプリで配信する、というニュースを見た。
AI翻訳を使って、翻訳コストを下げているようだ。
ここでも翻訳家の仕事がAIに取られている。

ラノベアプリはノーベラスというもので、計画では2年で400作品出す予定とのおと。
マンガ、アニメの次はライトノベル、ということになる。
日本でも同じ道をたどったのだが、それを英語圏でもということだ。

「葬送のフリーレン」は非常によくできた作品だと思う。
ハリー・ポッターの日本版と言ってもいいくらいだ。

スマホ画面で縦読み、という下にスクロールする方式。
セリフには登場人物のアイコンをつけて、吹き出しにするとのこと。
翻訳コストを下げることで、作品数を一気に増やす予定だそうだ。

教えてもらった当時、ライトノベルの定義は曖昧だった。
今でも、これがライトノベル、という定義はないと思う。
まあいえば、ファンタジーものとか、異世界もの、という感じの読みやすい小説、といったところか。

児童文学という枠ではなく、大人も子供も楽しめるフュージョン小説だ。
でも、あさのあつこや米沢穂積などは今では十分ライトでないノベル作家だと思う。
もう、ライトかそうでないかなど関係ない。
普通の作家なのだと思う。

なんと今では文庫だけで1500点以上が刊行されているとのこと。
国内では、文庫と単行本、電子書籍を含めて500億円以上の市場になっている。

すでにKADOKAWAは海外展開しており、北米の売上高はマンガの1/5に増えたとのこと。
台湾ではすでにマンガを上回っているらしい。

アニメの人気から派生して、ラノベまで来たのだ。

政府がコンテンツ産業の輸出などと言っているが、クールジャパンで箱物ばかり作って失敗した経験を忘れたのか。
国は何もしないほうがいい。

経産省の産業育成政策もたいがい失敗しているのだ。
国は儲かる話の群がるアリのようなもの。

民間で頑張ればいいと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 14:16 | comments(0) | trackbacks(0) |