考えたこと2

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動物の超能力
アメリカでは、超常現象について研究している機関があるという。

嘘か本当かはしらないが、軍事目的でもあるというから、そうかもしれない。

世の中には本当に超常現象というものがあるらしい。(ぼくは経験したことがないので、何とも言えない)
これはその超常現象に入るかどうか、わからないが、一つ面白い話を聞いた。

原子力潜水艦が世界中の海に配置されているが、時にはすごく深いところにいくことがある。
あまりに深くて、そういうところは無線も届かない。
つまり、何かあっても連絡がとれないのだ。
その時に、何を使うか。

そのために、子ウサギが乗っている。
親ウサギはアメリカの海軍本部にいる。
連絡がとれないところで何かあったら、その子ウサギの首をはねる。
そうすると、アメリカにいる親ウサギが突如大騒ぎをする、ということだ。
何かあった、ということがそれでわかる仕組み。

動物の本能というか、直感というか、テレパシーというか、それは何となく信じられる。

もちろん、感受性の強いウサギを選んでいるのだろう。
個体差はあるはずだ。
動物保護団体からクレームが出るかもしれないが、事前に実験もできる。

これは本当かもしれない。

動物が地震の前に騒ぐとか、天変地異を予測するとか、いろんな話がある。
このメカニズムがわかれば、超能力も少し解明できるのではないか。

しかし、それが出来ていたら、もうサイエンス誌に発表されているか。

| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
橋下市長ガンバレ
橋下市長になって、何回かテレビの討論を見たり、Webでの論戦を見たりした。

今までの政治家ではないというのがぼくの感想。
どこが一番違うのか。
現場のことを勉強して知っているということだ。
そして、現場の現実に即して考えていると思う。

政策にはいろいろとあるだろう。
その中で、現実に応じて最適なものを選択していく。
そんなに多くの選択肢があるわけではない。
現状を変えるのか、現状を維持するのか。
変えるならどう変えるのか…。

彼のいいところは、批判している人に、では今はどうなのか、と問うところだ。
今の状況をみて、それでいいと思うのか?と問う。
労組のこと、教育のこと、市政のこと、全てがそうだ。
変え方に反対しているのなら、対案を出すべきという考え方。
変えないほうがいいと思っているなら、現状の問題点を言う。
そんなことが言えるのは、現場を知っているからだと思う。
だてに府知事をやっていたわけではない。
また、彼の言っていることには納得できる。
市と府の行政機構がダブっていて、府がやろうとしても市が反対すればできないとか、大阪市の規模からして市長が一人で見ることはできないとか…。

多くの人は反対のための反対をしているように見える。
既得権の維持というヤツだ。
教育委員会しかり、労組しかり、市会議員しかり。
教育について話すときに彼が言うのは、去年教育委員会の学校視察が1回だけだったこと。
これを言われてはぐうの音も出ない。
どうして1回見て回っただけで、学校の状況がわかるのか、と言う。
それも現状が素晴らしいならまだしも、全国平均から劣っているではないかと問う。

既得権の維持をしたい人にとっては、うるさい存在だろう。

香山リカという精神科の医師が言っていた。
精神疾患の施設の補助が減らされて、大変困っているのはどういうことか。
橋下が答えて、それは申し訳ないが、その分は高校生の方に回させてもらった。
あなたは、自分の関係するところにお金が来ないということだけ文句を言っているんですか?
不満気に香山リカは、そうだ、と応えた。
あれはみっともなかったと思う。

お金が湯水のようにあれば、補助はしたいが、プライオリティというものがある。
それを決めるのが、選挙で選ばれた政治家の役目。
それをしないで、何でも従来通りでずっとやっているのなら、政治家は要らない。
精神疾患の施設への補助は増やしていきたいと思っているが…。
そんなようなことを言っていたと思う。

ぼくは橋下市長の言っていることが正論だと思う。

東北の瓦礫に関して、受け入れすると放射能が…と言っている団体に対して、今まで絆、絆と言っていて、そんな情けないことを言うやつは、子孫として日本に残したくない、とまで言ったらしい。
もちろん橋下市長は瓦礫に含まれる放射能は、人体に影響がないレベルだと理解しているのだろう。

あれだけ、復興、復興と言いながら、復興を阻害している瓦礫の受け入れを拒否するという団体がいる。
原子力の専門家は、問題ないレベルだと言っているのではないか。
少なくとも、橋下市長はそう理解して言っている。

橋下市長はエキセントリックなところはあるが、そこらにいる政治家に比べると、よほど政治家らしい。

物事を決めるのが、行政の役割、とはっきり言っている。
極端に言えば、間違っていてもかまわない。
間違っていたら、直せばいいのだ。
それがリーダーの役割だ。

学者は何も決めない。ごちゃごちゃ言っているだけ、と最近は手厳しい。
しかし、実際見ているとそんな学者ばかりだ。
体制にどっぷり浸かりながら、体制に文句を言う。
まさに卑怯者のやることだと思う。

橋下市長ガンバレ。





| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国雑感
ぼくは1988年に上海に行った。

調査の仕事で行ったのだが、正直言って、生きて中華人民共和国の土が踏めるとは思っていなかったから、ある種の感激があった。
行く前には何冊かの中国関係のビジネス書を読み、同じ漢字を使う国だが、意味が違う場合があるから注意せよとか、当時はまだ突然の停電があるとか、そんなことを覚えている。

中国というと、ぼくらの年代は毛沢東を思い出す。
冷戦の時代の中国の主役だ。
1988年にはもう亡くなっていたが、今の中華人民共和国を作った人。圧倒的な権力で晩年はひどい事をたくさんしたが、そんな批判は今でもできないだろう。彼の取り巻きが悪かったということになっている。本当のことはぼくはわからない。

しかし、70年代に学生時代を過ごしたものにとって、中華人民共和国に行くというのは、それなりに複雑な思いがあった。

往きの飛行機の中で、同行のぼくより5年ほど若い人に、「生きて中華人民共和国の土が踏めるとは思わなかった」と言うと、驚かれた。
それくらい、中国は閉鎖的な共産党の国だった。
ぼくは当時はもう左翼シンパではなかったが、それでも何となく、「生きて土を踏める」という感動があったのだ。

それくらい複雑な気持ちで行った上海だった。

上海にはたくさんのホームレスの人がいた。
赤ちゃんを抱いた女性もいた。
ワイタンリバーの河川敷にはたくさんの人が集まっており、今日は花火大会でもあるのかと思ったら、毎日ホームレスが集まっているとのことだった。

2004年に上海に行ってきた人に聞いたら、もうそんなホームレスはいないとのこと。

ぼくは中国の国民はみんな共産党だと思っていて、通訳の人にそう聞いたら、「そんなことはない。私たちは共産党などではない」と答えたのが印象的だった。
「共産党など」という言葉に、何となく敵意が感じられたからだ。
そんなに無邪気に、共産党政権が成り立っているわけではなかった。

今はもうGDPで日本も抜き、世界2位になった中国。
大したものだ。

孔子、老子、荘氏、孟子、韓非子、荀子、孫氏など、日本の文化に大きな影響を与えた国。
中国の文化がなければ、日本の文化はなかっただろう。
つい江戸時代の中頃まではまともな本といえば、漢文だったのだから。

中国共産党になって、孔子や老子は捨て去られていたから、ひょっとしたら、今の中国の若い人よりもぼくらの方が知っているかもしれない。

前の会社にいた時、中国人の大卒社員を研修したが、その真面目さと能力にはびっくりした。
日本語の研修は上海で受けたとのことだったが、半年の研修でカタコトで話すことができるようになっていたし、英語は話せるし、もちろん中国語も話せるし、大したものだ。
おまけに、2ヶ月ほどたったら、メールを日本語で書いてくる。
もちろん、細かいミスはあるが、充分意味は通じるし、すごいハングリーさだ。

あの若い人達をみたら、日本人は勝てないなあ、と思ってしまった。

もちろん、何人かのグループとはいえ、日本という異国で働くというプレッシャーのおかげという面もあるだろうし、日本人から吸収しようという意気がある。
しかし、そのことを差し引いても、すごい熱意だ。
当時、日本人の新入社員はのんびりしていた。

ぼく自身、22歳で海外の企業に就職して、異国で社会人の第一歩を踏みだすなどという勇気はない。

中国人として、という部分はあるかどうかわからない。彼らがどの程度国(共産党)を信じているか、本当のところは不明だ。
しかし、彼らは故郷を離れて異国に来たという思いはあったと思う。
ちょうど、日本の集団就職のような感じではなかったか。

彼らがその後どうなったのかはわからない。
ぼくが会社をやめてしまったからだ。

でも、あの中国への出張の時の複雑な気分と、負けたなあという思いは忘れられない。
それがどんどん真実になっていく。

それでいいのか。

さらに複雑な気持ちは続く。



| | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学関係の本
大学関係の本で、新書で出ているのはほとんど批判本だ。

「アホ大学のバカ学生」という本を読んだ。
なかなかよく書けていると思う。
取材も頑張ってやったのだろう。

どの本も今の大学の状況を嘆き、学生・教員を含む全体のレベルが下がっていること、いかに大学が遅れているかということなどを書いている。
書いてある事自体は当たっているし、大学は謙虚に受け止めるべきだと思う。

しかし、大事なことを忘れていないか。
なぜ、レベルの低い大学生が入ってくるかについて、疑問を呈した本は少ない。
そして実際の大学生のレベルが、特にばらつきの下の方はどれくらいひどいかについてとりあげた本も少ない。

入れた以上大学には出す責任がある。
そんなにレベルの低い学生は取らなければいい、という批判もあるだろう。
しかし、そんな学生を入れなくてもいいのは、ごく一部の国立大だけだと思う。

もうだいぶ前に分数ができない大学生という本が出たが、分数を習うのは小学校だ。
小学校から、算数の積み残しが始まっている。
要は、小学校で習うことができないまま、高校を卒業している学生が多数いる、ということだ。
これは由々しき事ではないのか。
ああ、そんなこともあるんですか…、と笑っている場合ではない。

小学校での積み残しを、中学でも、高校でも、見過ごして卒業させてきている事実を、どう考えるのか。
それが一番の問題であって、この問題を取り上げないのはおかしいと思う。

約分や通分、帯分数と仮分数などがわからなくて、どうして中学も高校も卒業できたのか。
その時だけ、わかったのだろうか。
中学、高校の数学の先生は、そういうことに気づかなかったのだろうか。
数学の先生でなくても、気づくことはなかったのか。
どうやって、中間考査や期末考査をクリアしてきたのだろうか。
指導要領に、分数の計算を教えろとは書いていなかったとでも言うのだろうか。
結局、定期考査の時は、この問題が出ると教師が言って、覚えさせるようなことをやっているのではないか。

少し前に履修漏れの話があったが、そんなことよりもこちらの事実のほうが問題だと思う。

話は小学校から始まって、中学校、高等学校と続いているのだ。
12年間の間、いったい何をやっていたのか。

土曜日の新聞で、平均の概念がわからない大学生が24%と書いてあったが、国公立と中堅私学の40校程度の学生が対象とのこと。
全国の大学は750校くらいある。
問題を見たが、あれをわかる学生は76%もいるわけがない。
まともな大学の関係者のほとんどは、そんなことはわかっているはずだ。
日本数学会のエライ先生が知らないだけだ。

理科離れなどよりもよほど大きな問題だ。

文科省か教育委員会か知らないが、みんな見てみぬふりをしている。
現場の先生も見て見ぬふりだ。

生徒がかわいそうだと思わないのか。

指導要領など、どうでもいいから、ちゃんとやってくれ。

?育される方より、教育する方を教育することが必要だと思う。



| | 考えたこと | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
いちご白書をもう一度
子どもと大人の違いは何だろう。

酒が飲めるとか、タバコが吸えるとか、参政権があるとか、外面的なものはいくつかある。
しかし、問題は内面的なものだ。

ぼくの年になって、最近の若い大人を見ていると、何となく子供っぽく見えてしまう。
それは、自分が年をとったということもあるが、それを差し引いても子供っぽく見えるような気がする。
というか、一部の人は大人になろうとしていないような気がするし、それが大人になることを拒否しているわけでもなく、単に子どもの延長でいるような気がするのだ。

エラそうな事を言っているような気もするが、まあ、55歳といえば充分にオッサンだし、それくらいのことは言わせてもらってもいいと思う。

もちろん、ぼくらの時代よりももっと真面目に考えている若者もいるし、時代が生きにくくなっているという外部要因もあるし、単純に比較はできない事を断っておきたい。
要は立派な若い人はいるということだ。

一方で、ぼくが思うのは、大人になる、ということの意味だ。

大人になる、という事について、青春時代は考えていない。
自分の問題で手一杯だから。
でも、いざ社会に出るときになって、というか、社会に出る、ということは前提としてあって、その上で大人になることの意味があったと思う。
つまり、ある年齢になったら、社会に出る、ということは自明のことであり、それについては疑問を持たなかった。要は当たり前だったのだ。
それは、青春と別れることであり、自由気ままな生活は終わるということであり、もっと言えば税金を納めて大人になる、ということだったと思う。
もちろん、そんなことは具体的には考えなかったが、要はそんな全てをひっくるめて、社会に出て大人になる、というイベントがあった。

だから、ユーミンが書いた「いちご白書をもう一度」という歌が流行った。

 ぼくは無精髭と髪を伸ばして
 学生集会へも時々でかけた
 就職が決まって髪を切ってきたとき
 もう若くないさと君にいいわけしたね

ちょうどぼくらが社会人になるときに、この歌が出て、ヒットした。
バンバンの唯一といっていい全国ヒット。

この歌の感覚はもう今の若い人にはわからない。
まず、学生集会の意味がわからないだろう。
学生運動というと、中間体操のことを思う世代だから。

そして、就職が決まって髪を切ってきたとき、「もう若くないさ」、と君に「いいわけ」をする。
なんで「いいわけ」をするのか、それがわからないだろう。

大人になることは、一種の「負け戦」だった。
学生集会に時々出かけていた若者はそんなに多くない。
でも、心情的にはそういう思いを持った若者は多かった。
そして、この歌に歌われている「ぼく」は、そういう若者も含んでいる。
そういう若者だから、「いいわけ」したのだ。

もう時が来たから、社会に出て大人になる、それは仕方のないことだ、という気持ちがあった。
それは、会社の歯車の一つになって、上の言うことを聞いて、一生懸命働く、ということをぼくはしてしまう、ということだ。それを「君」に「いいわけ」したのだ。

大人になることの意味、はこの「負け戦」をすることだった。

負け戦をして、あきらめて大人になる。
そういう感覚があった。

それがいいことか、悪いことかはわからない。

でも、時は過ぎて、そういう時代は終わった。
今は「世界で一つだけの花」の時代になった。
社会に出ても、自分は「世界に一つだけの花」だ。

 そうさぼくらは世界に一つだけの花
 一人ひとり違う種を持つ
 その花を咲かせることに
 一生懸命になればいい

だから、「負け戦」をする必要がない。

それがいいことか、悪いことかはわからない。

でも、そんなふうに大人になろうとする人は、「負け戦」をしないから、大人になることを拒否するわけでもなく、単に子どもの延長で大人になってしまう。

どこの文化でも、社会に出るときには心理的な葛藤はあるはずだ。
それを何らかの儀式で乗り越えていく。
でも、今の日本にはそれが見当たらないような気がする。
成人式もだいぶ変わってしまった。(ぼくは出なかったが)
成人の日の、「青年の主張」という番組もあるのかないのかわからない。(毎年見ていた)
そんな社会を作ってきたのはぼくらだから、それが悪いとすると、責められるべきはぼくらだろう。

その答えは簡単にはわからない。

でも、ぼくは何となく若いころの自分たちが「いちご白書をもう一度」で感じた思いは正しかったとしか思えないし、今の「世界に一つだけの花」は間違っているとしか思えない。

これが年をとるということか。


| | 考えたこと | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
人は金のみにて働くにあらず
心理学者エドワード・デシ教授の実験にこんなのがあるらしい。

 大学生に面白いパズルを解かす実験
 ・学生を2つのグループに分ける
 ・一つのグループには一つパズルが解けると1ドルの報酬を与えると約束し、もう片方のグループには何も言わない
 ・実験室に学生を一人ずつ入れ、パズルを解かせる
 ・制限時間13分のパズルを1時間に4問解かせ、それを3回繰り返す
 ・2回目と3回目の間に8分休憩を設け、自由にしてよい、と指示する
 ・自分は用があるからと言って部屋を出て、この休憩時間の行動をこっそり観察する。

アメリカの先生はこの手の実験が好きだ。

さて、何が起こったかというと…。

・ただパズルをやったグループは、休憩時間もパズルを解こうとして頑張った。
・1ドルもらえるグループの学生のほとんどが、雑誌を読んだり、他のことを始めた。

デシ教授は、これを1975年に発表した。
これはえらいことだと思う。

パズルをやる面白さを、報酬のお金が消してしまったということだ。
これを専門用語で言うと、お金をもらうという外発的動機が、パズル自体の面白さという内発的動機を壊してしまった、ということになる。

自分が面白いと思って、自発的にでもやろうと思っている状況が、仕事をやる場合でも理想的な状況といえるだろう。
そこにお金が絡むと、それ自体を壊してしまう…。
それほど、お金というものの動機づけは強い、ということになる。

だから、お金に動機づけられてしまうと、仕事それ自体の楽しみを奪ってしまうということになる。
それほどまでに、お金の力は強いということだ。

そうなると、徹底的にお金で動機づけをして仕事をすればいいではないか、という意見がでる。
それは真実なのだが、お金にはあまりにも強い魅力があるので、中毒になってしまい際限なくお金が必要になる。
だから、お金では動機づけは難しいということだ。

ただ、仕事の面白さ、というものの中には、自分が他人の役に立っているとか、自分の裁量である程度決められる、という感覚も必要になってくる。
そうでないと、動機づけにはなりにくい、ということだ。

こんなことを経営学者はやっているらしい。
これは、高橋信夫という経営学の教授の受け売り。

これらを元に、高橋先生は成果主義や年俸制に反対し、日本型の年功制に戻れ、と言った。

客観評価は大事だが、それは評価者が責任を放棄することにつながりかねないし、上司が部下を評価するということは、上司の責任であり、それは当たり前のことだ、という。

至極まともなリクツだと思う。

こういう事をもっと教えないといけないのではないか。

内発的動機づけというような専門用語ではなく、人間の持っている「性」として。


| | 考えたこと | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
着陸間際
バッタもん、というのはよく似ているけれど安い、うさんくさい品物のこと。

前にも一度書いたが、ぼくらが小さい頃はそんな言葉はなかった。

80年代に香港に仕事で行った。
当時、まだ香港といえばいろんな高級ブランドが安く変える、と言われていた頃だ。
とは言っても、まともな店ではほとんど扱っておらず、いかがわしいところでしか買えないというような時代だった。

1週間くらいだったか。
客先のディーラーに?育をするというプログラムだった。
当時の香港はイギリスの支配下にあり、何となくエキゾチックな雰囲気があった。(その後行っていないので、今は何とも言えないが…)

ホテルのフロントでは、中国語を話しているのかと思ったら、中国訛りの英語だったり、屋台の店のすごい賑わいだったり、香港の漢字は日本人にもわかる漢字だったり、論語が書いて通じたり、いろんな事を思い出す。

とにかく、料理がうまかった。
後日行った上海より、圧倒的にうまい。(これも今はわからない)
接待でいいものを食べさせてもらったと思うが、それ以外にも屋台の朝粥などもおいしかった。

そこで仕事をして、帰路についた。

帰りの飛行機はエコノミーの3席つながったところで、ぼくは通路側だった。
内側の2人は、背広を着たサラリーマンで50代くらい。一人が手荷物でオシロスコープを持っており、一見して香港に何かの仕事で来たという風体。
一人が「社長」と呼び、もう一人が「部長」と呼ばれる人だった。
離陸早々アルコールを頼みまくり、上機嫌だった。
こう言っては失礼だが、エコノミーに社長と部長で乗っているということは、あんまり大きな会社ではないだろう。
当時はバブルだったが…。

食事も終わり、あと1時間くらいで着くという頃、二人はゴソゴソと荷物を出して話し始めた。

「しかし、これ高かったなあ」
「そうでんなあ。こんなん家族に見せたったら、びっくりしよるやろなあ」
「社長のは時間合わせとるんですか」
「合うてたで」
「よし、ぼくも合わせとこ。今何時でっか」

聞いていたら、どうも香港でブランド物の腕時計を買って、だいぶ高いものについたらしい。
もちろん、定価よりはだいぶ安いのだろうが。

チラッと見ると、社長の方が黒いクロノグラフで、部長の方が金のカルチェのような時計だった。
ぼちぼち伊丹が近づいてきて、シートベルト着用のサインが出た。
部長はまだ時計をいじっていて、話している。

「お、さすがに高い時計やなあ。あれ、時間合わそうと思たら、針が逆に回りよる。さすがに舶来もんは違うなあ。」

ぼくは吹き出しそうになったが、こらえた。
ああ、これはバッタもんを買わされたという事だ。

そうこうするうちに、「あ、取れた」と部長が言ったかと思うと、リューズが飛んだ。

もちろん、あんな小さな部品だから、なかなか見つからない。
おまけにシートベルトをしながら、探すのは大変だ。

「そんな、高い時計やのに、どないすんねん」
「こんなん、家で言われへん」

部長は半泣きだった。

「まあ、飛行機が止まってから探させてもらえや」

ぼくも足元を見たが、まったくわからない。
そのうち、空港について、シートベルト着用のサインが消えた。

部長と社長は、飛行機が止まってもリューズを探していた。
もちろん、ぼくは探すののジャマにならないように、早々に席を立った。

絵に描いたような気の毒な話だが、これは本当の話。

まだ香港でブランド品のバッタもんが売られていた時代。
今から思うと、あの頃はよかったと思う。

あの部長には気の毒だったが…。


| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
脳の研究
茂木健一郎によると、脳の研究が進んできて、いろんなことがわかってきたとのこと。

コンピューターが進歩して、記憶に関してはもう勝てなくなった。
これは単なる記憶ではなくて、関連するものを集めるとかそういうことも含む。
また、事務仕事もいろんなソフトができて、コンピューターでできるようになってきた。
だから、ホワイトカラーの仕事が減少した。
そうすると、人間だけに出来る仕事とは何か、ということが脳科学の課題になってきたとのこと。

それは、総括するとコミュニケーションと創造力になる。

居酒屋で2時間も3時間も集まった友人と話す、というのがコンピューターには逆立ちしてもできないことらしい。
これがコミュニケーション。
これは人間の脳にしかできない。
たしかに、別に何も用意するわけでなく、会話できるのは事実。
こういう臨機応変の対応は、コンピューターでは無理らしい。

また、創造力というのも難しいものだ。
これは、過去の経験と意欲に分解される。
つまり、創造力 = 経験 X 意欲 という掛け算になる。
何もないところからは何も生まれないということだ。
今までの積み重ねの経験が99%あって、そこに最後の1%がひらめくと創造力が発揮される、ということらしい。
その際、大事なのは何かをしようとする意欲。
年をとって、経験はいろいろ積んでいるが、意欲がなくなると創造力がなくなる。
逆に、年をとっても意欲が旺盛であれば、創造力は衰えないらしい。

創造力というと、何もないところから、新しいものを生み出す力、というような感じだったが、そうではなく、積み重ねがあって、初めて可能になる、ということだ。

まあ、理屈どおりというか、人間らしい結論。

さあ、それでどうやってそれらを伸ばすのか。

これが問題だ。



| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
卒業
卒業といっても、ダスティン・ホフマンの映画ではない。
歌である。

歌といっても、いろいろあるが、斉藤由貴の「卒業」という歌。
80年代の歌がいろいろ入っているCDを借りてきて聞いていたら、この歌も入っていた。

松本隆作詞、筒美京平作曲。
ゴールデンコンビといって差し支えないだろう。
どちらもヒットメーカーだ。
1985年の斉藤由紀のデビュー曲。

この歌を覚えている人がどれくらいいるだろう。
日清食品のCMソングに使われたらしい。

この歌詞が面白い。

 だけど東京で変わってく
 あなたの未来は縛れない
 ああ卒業式で泣かないと
 冷たい人と言われそう
 でももっと哀しい時間に
 涙はとっておきたいの

この松本隆・筒美京平というコンビは、1975年に「木綿のハンカチーフ」のヒットを作っている。
「木綿のハンカチーフ」は、東京に行った男性のことを女性が慕っている歌だ。
最終的には東京に行った男性は、東京の魅力に負けて、女性が失恋するという失恋の歌。

それからちょうど10年経って、この「卒業」を作った。
「木綿のハンカチーフ」は70年代の時代風景を代表する曲と言われている。
10年経って、だいぶ景色は変わった。

東京に行く、ということはもうお別れだということだ。

「あなたの未来は縛れない」という。

遠くへ去った男性を慕うことは、もう無理だ、ということだろう。

今はどうなっているだろうか。

もし、この曲の続編を作るとしたら、遠くに去るのが女性になっているかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
アウディ
アウディはこの10年ほどですごくイメージアップした。

今やBMWに迫る勢いではないか。
80年代のアウディは欧州製のクルマだが、BMWやベンツにはだいぶ劣る、という評価だったと思う。
フォルクスワーゲンとどっこいどっこいといったところ。

しかし、今はアウディというブランドが確立した。
名前も、A1、A3、A4、A5というような車名をつけ、ラインを明確にして、それぞれのクルマは高性能というイメージ。
フロントグリルのデザインも統一して、一目見てアウディとわかるデザインにした。
また、ヘッドライト、テールライトにLEDの線状のポジションライトを採用し、これがアウディらしさを際立たせている。

高性能、高品質というブランドイメージを確立すると、これは強い。

いいものが作れるようになる。

ブランドイメージがなくても、いいものは作れるではないかという声はあるだろう。
実際、日本のメーカーとドイツのメーカーの技術レベルの差は、得意分野こそ違っているが、昔ほど大きくない。
日本のメーカーでもいいものは作れるだろう。
しかし、値段が上がる。
いいものが高いのは当たり前といえば、当たり前だ。
そこをブレイクスルーするのが技術だ、と言えなくもないが、軽くて強い素材などはどうしようもなく高い。
そういう高い素材を使い、高い精度で作ろうとすると、コストが上がる。
それを高く売れればいい。

そこで、ブランドイメージになる。
アウディなら、1.4リッターの小型車に300万出してもいい、という客はいるだろう。
日本車なら、ホンダのフィットやトヨタのヴィッツと同じクラス。
100万円台で変える車だ。
ホンダやトヨタのスモールカーに300万出すという客はいない。

結局、いいものを高く売る、という当たり前のことが出来るかどうかが、ブランドイメージにかかっている。

ブランドを維持するのには、金がかかる。
そのコストもクルマに転嫁される。
常に、物語が必要なのだ。
「アウディに乗る私とは」という物語を作らないといけない。

アウディは、これからの日本メーカーの生きる道の一つを表していると思う。

少し手垢のついた言葉だが、「ハイテク」なイメージを作っていかないといけない。

Made in Japanということに誇りを持てるような、そんなものづくりもあっていいと思う。





| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
セラピードッグ
東北の震災の報道で、心療内科の医師がイヌを連れて仮設住宅を訪問していた。

毛足の長い白いイヌで、なでると気持ちがいいらしい。
こういうのをセラピードッグという。

もちろん、人なつっこい性格で、吠えないとか、飛びかからないとか訓練はしているのだろう。
なかなかなるのは難しい。

イヌをなでながら話をしてもらうと、悩みを話しやすいという。

動物全般を使う、アニマルセラピーは1800年代から心理的治療に使われたらしい。
意外と長い歴史があるものだ。
驚いたのは、最初に使われた動物は馬だった。
当時は馬が人間の足として使われていたからだろう。

セラピードッグに適しているのは、大型犬。
やはり体力が必要なので、大型犬になるらしい。
まあ、人間に触られることを我慢することも必要だから、小型犬では無理だろう。

一時、ソニーのロボット犬がセラピー効果がある、という記事も見たことがある。
まあ、ないことはないだろうとは思うが、やっぱり「生きている」という感じがないから難しい。

亡くなった池田晶子がコリーを飼っていたが、「大型犬は一番人間に近い動物だ」と書いていた。
初代のペットのコリーの死に際は、本当に大変だったと書いてあったと思う。

これから高齢化社会で、セラピードッグの役割も増えてくる。

しかし、イヌを世話してこそ、セラピーの効果があると思うのだが…。



| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
TSUTAYA
TSUTAYAの会員証が切れてだいぶ経つ。

ちょっとCDを探しに行って、再度会員になった。
ここ2,3年、行っていなかったが、TSUTAYAもここ数年でだいぶ様変わりしたような気がする。

まず、韓流のDVDが多い。
こんなに増えたかとおもうほど多い。
テレビのドラマが何巻も並んでいる。
韓流ドラマが流行るのは、昔の日本のドラマに似ているからだと勝手に思っているのだが、それにしてもやたらと多い。
ファン層が拡大し、中高年から若い人も取り込んでいるらしい。
そういえば、韓流スターというのは、美男美女が多いかもしれない。
今の日本では、たいして「ハンサム」「美人」というような人は少ないと思う。

しかし、TSUTAYAの本当の脅威はインターネットだ。
イオ光やフレッツ、ケーブルテレビなどで映画の配信サービスをやり始めているので、DVDのレンタルが減っているし、iTunesやアマゾン、Moraなどで曲を配信しているので、CDのレンタルも減っているだろう。
もちろん、ニコニコ動画やYoutubeに違法にアップされるドラマもある。
楽曲のクラウドサービスというのも始まった。
これがレンタル事業を直撃するはずだ。

一世を風靡したレンタル業界も、アップルに代表されるネットの利用技術にやられてしまう。
TSUTAYAも、オンライン事業や、DVDを配達するなどの手は打っているが、やはり苦しいと思う。

こういうのを見ていると、今や「モノ」を扱う商売はシンドイのかなと思う。

実際、親会社のカルチャーコンビニエンスクラブは上場廃止し、TSUTAYA事業は赤字だ。
今やTポイント事業が収益の柱。

Tポイント事業というのは、利ざやをかせぐ商売。
貯めたポイントを使うときに、ちょっとお金をもらう。
会員取得のために、TSUTAYAをやっているのかもしれない。
Tポイントがもらえたり、使えたりする店が複数あるというのが、その店だけのポイントと違うところだ。
映画館やコンビニ等でも使える。

しかし、どんどんビジネスが虚業化していくような気がする。
そのうち、Tポイントももっとうまい仕組みが出てきたら、取って代わられる。

ものづくりはもう苦しいということが言われている。
パナソニック、NECやTDKなどの電機メーカーのリストラが言われている。

経営を考えた時、コア・コンピタンスというものが重視される。
コア・コンピタンスとは、本質的な強みのことだ。
日本の強みは、まさにものづくりにあったと思う。
いろんなラッキーが重なったのかもしれない。
ものづくりにかまけて、他のところはダメだったかもしれない。

話がそれたが、もう一度、強みを活かすことを考えてみてはどうだろうか。
ぼくが古いのだろうか。
アップルのように実際には設計だけで、実際のものづくりはしない、というようなビジネスモデルは合理的だと思う。
デジタルになって、細かいすり合わせが不要になったから、日本メーカーのように一貫生産するところは不利だというのもわかる。
しかし、どこかにもう一つ解があるのではないか。

アップルの成功をマネしていたらアップルは超えられない。

アップルがマネしたのはソニーのウォークマンだろう。
しかし、作ったのはiPodだった。
ものとしてのiPodは、さほどびっくりするほどのものでもない。
しかし、それをネットとつなぎ、楽曲をデーターとしてネットで売るという仕組みをつくりあげた。

日本人は楽曲はデーターだと思わなかった。
楽曲はモノであり、作った人、歌った人の魂がこもっている。
だから、アップルのような仕組みを作ることができなかったのだと思う。

そんな気持ちを生かしたものづくりはできないのだろうか。

久しぶりにTSUTAYAに行って、そんなことを考えた。


| | 考えたこと | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
軽自動車
知らなかったが、今年に入って、自動車の売り上げにおける軽自動車の比率が35%を超えたらしい。

1月の販売台数が41万台で、そのうち15万台が軽自動車という結果。
売っているクルマの3台に1台は軽自動車ということだ。

以前から何度も書いているが、クルマという商品のカリスマ性がなくなって、どんどん一般消費財に近くなっている。
携帯代を払うために、クルマは持たないという若い人が増えた。

軽自動車が3台に1台か…。
エコというのもあるだろう。
軽自動車はハイブリッドでなくても、30km/lは達成できるものもある。
主な用途が買い物に行くだけとか、近くに通勤するとか、子どもの送り迎えとか、そんなにヘビーに使わないのなら軽で充分だ。

軽を作っているメーカーはスズキ、ダイハツ、ホンダ、三菱の4社。
スズキは日産とマツダに供給しており、ダイハツはトヨタとスバル供給している。

しかし、こんな時代が来るとは思わなかった。
時代が変われば変わるものだ。
よく考えれば、日本のような国で都市部に住んでいれば、クルマは必要ない人が多い。

そこで、軽自動車を買う人が増えているのか。

これから世の中変わっていくだろうなあ。





| | 考えたこと | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
矛盾
ある音楽家が原発に反対と言っている。

おなじ音楽家が、電気自動車の宣伝に出て、二酸化炭素を出さない、と言っている。

これはオカシイ。
電気自動車で走るのはCO2を出さないが、走るための電気を作るためには発電しないといけない。

その前提は原発で電気を作る、ということではなかったか。
だから、クリーンだと言われていたと思う。

ただし、これも諸説いろいろあるみたいだ。
原発もたくさんのCO2を出すという意見もある。

しかし、どう考えても火力発電よりは少ないような気がする。
どこのサイトでも、原発推進(容認)派と反対派は不毛な言い争いをしているように見える。
とりあえず、定量的に示してくれないか(どこかに書いてあるんだろうけど)。

それでも、この両方の主張をするのは矛盾していると思う。

彼の中では首尾一貫しているのだろう。
どんなリクツで首尾一貫しているのか、わからない。

自分だけがCO2を出さなければ、それでいいと思っているのではないだろうか。

あのCMを見ているとそう思ってしまう。


| | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
金比羅製麺
金比羅製麺といううどんのセルフの店が、目立つようになった。

ロードサイドに大きな駐車場とセットで出店している。
関西を中心に30店くらい出店しているらしい。

中に入ると、「こんぴらふねふね おいてにほかけてしゅらしゅしゅしゅー」という昔小学唱歌で習った歌がテーマソングとしてかかっている。
よく家電量販店でチェーン店独自のテーマソングをかけているが、あれと違って耳障りでないところが日本人だなあと思う。

カウンターに沿って、進んでいくシステムだ。
まず、うどんをメニューから選ぶ。
それをお盆に受け取って、さらに進むと天ぷらやおにぎりが置いてある。
好みに応じてそれを取って、レジでお金を払い、ネギやショウガ、だし汁、お茶、お水などを自分で入れて、席に持って行って食べる。
食べ終わったら、お盆ごと食器を持って返却のところに返して、出口に向かう。

これはよく出来ている。
そのうち蕎麦も出てくるのではないか。

うどんの持っている、ファストフードとしてのポテンシャルを引き出して、一度にたくさんの人にサービスするという事を可能にした。
もともと、うどんはそういうものだ。
温かいうどんなど、だしは自分で入れるシステムになっている。
つまり、早くサービスするという事を追求したのであって、食べ物としては何も犠牲にしていない。

これはすばらしい。

マクドナルドやケンタッキー、吉野家に遅れること数十年。
ついに麺類のファストフードチェーンができた。

これが関西から出てきたというのがうれしい。
関西人の知恵だ。

似たような店がどんどんできるだろう。

新しいジャンルの日本食として、海外にも進出してほしい。




| | 考えたこと | 09:36 | comments(2) | trackbacks(0) |
ニューミュージック
この言葉も、死語になってしまった感がある。

これまでも何度か書いたが、「ニューミュージック」はぼくらの時代を象徴する言葉だと思う。

ニューミュージックと対になるはずの、オールドミュージックが何なのかよくわからないが、それまでのフォークとも歌謡曲とも違う、何となく「新しい」音楽というイメージを表したものだろう。
大げさに言うと、70年代のティーンエージャーが持っていた、夢と希望を表した言葉かもしれない。

Wikipediaによると、ニューミュージックとは、「都会的な情景を織り交ぜたポップ調のサウンドを基調とするシンガーソングライターによる作品群である。主として、1970年代から1980年代にかけての日本のポピュラー音楽の一部に対して使われた名称。」
ということで、具体的には吉田拓郎の「結婚しようよ」、井上陽水の「傘がない」、荒井由実の「返事はいらない」、かぐや姫の「神田川」あたりを始まりとすることが多いと書いてある。

上にあげた4曲の中では、荒井由実の「返事はいらない」が圧倒的にニューミュージックだ。
この曲は他の3曲に比べて、流行らなかったが、新しさが群を抜いていた。
それまでの曲は、以前フォークと呼んでいたものの延長線上にあって、そのメッセージ性が薄まり、より誰もが共感するような曲であったのだが、荒井由実は違う。
突然出てきたデビュー曲が「返事はいらない」:だった。
演奏も当時の日本のロックの最前線にいた、はっぴいえんどのメンバーが加わっていて、1972年当時としてはすごいレベルだったと思う。
でも、このデビュー曲をリアルタイムで聞いた人は少ないだろう。
シングルが300枚しか売れなかったらしい。
ぼくもアルバム「ひこうき雲」で知った。
当時、ギターの月刊誌GUTSに「返事はいらない」のスコアが出ていたが、あのコード進行は今までの日本ではなかったものだ。

他の3人との年代の比較で言えば、吉田拓郎、井上陽水、南こうせつが1946,48,49年生まれ。
それに対して、荒井由実が1954年生まれだから、少し若い。
この差が感性の違いに影響していると思う。

荒井由実の感性は、歌詞のするどさだけではなく、曲もウエスト・コースト風だったと思う。
「返事はいらない」はすごく新しさを意識した曲だが、売れた後も荒井由実の曲は、さりげなく転調が入っていたり、はっとするコードが入っていたりした。

いつ頃からニューミュージックという言葉が使われたかは知らないが、荒井由実は間違いなくその初期を築いたミュージシャンだと思う。

とにかく、新しかった。
「ひこうき雲:」「ミスリム」「コバルトアワー」「The 14th Moon」の4枚のアルバムはこれぞニューミュージックという出来栄えだと思う。

1970年代の前半、荒井由実を筆頭とする日本のニューミュージックが生まれ、それまでの洋楽がだんだんと流行らなくなった。
そういう意味では、ニューミュージックは、歌謡曲もフォークも物足りなくて、洋楽を聞いていた若者を取り込むきっかけになった音楽だったのかもしれない。

そのニューミュージックはいつなくなったか、ということになると、いろいろと説があるらしいが、90年代には間違いなく終わっていただろう。
ちなみに、1990年の邦楽アルバムの売り上げをみると、1位 松任谷由実:『LOVE WARS』、2位 サザンオールスターズ&オールスターズ:『稲村ジェーン』、3位 プリンセス・プリンセス:『LOVERS』、4位 渡辺美里:『tokyo』、5位 杏里:『MIND CRUISIN'』、6位 サザンオールスターズ:『Southern All Stars』、7位 今井美樹:『Ivory』、8位 久保田利伸:『BONGA WANGA』、9位 今井美樹:『retour』、10位 岡村孝子:『Kiss 〜‎à côté de la mer〜‎』となっている。

もうこの時点で従来の「歌謡曲」の歌手はいない。
これだけメジャーになったものを「ニュー」ミュージックとは言わないだろう。

今のJ-POP(この言葉もよくわからないが)の元を作った人たちだ。

それまでの「オールドミュージック」の形を変え、自分たちの曲は自分たちで作る、というビジネスの形を作り、70年代の若者の心を捉え、そして今のJ-POPの基礎を作った音楽…、それがニューミュージックと呼ばれた音楽だろう。

そのトップランナーが荒井由実だった、と後世の音楽評論家が書くかどうか…。


| | 考えたこと | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
光速より速いものはない
年初にニュートリノという粒子が光速より速かった、という実験結果が発表された。

発表した組織も、半信半疑で発表したらしい。
というのは、光速より速いものが出現すると、今の物理学が根本から覆るからだ。
アインシュタインの相対性理論は、光速が定数になっていて、物質とエネルギーの関係や時空というのは歪んでいる、ということを立証した。
この大前提は、光の速度を超えるものは存在しない、ということだ。

しかし、その後の追実験によって、どうもその計測結果はマチガイであった、ということが発表された。

発表した方も、やっぱりそうだったか、と思っているのではないか。

光速を超えるものが存在するということは、理論的には未来に行ける可能性もあったのだが、それは無理だということになった。

ま、タイムマシンというのはSFの世界のものだろう。
未来にタイムマシンが出来ているとしたら、それに乗って人が来ているはずだからだ。

でも、年初の発表はびっくりした。
草場の陰でアインシュタインもびっくりしただろうか。
いや、そんなことはないだろう。

時間と空間を統一した理論は、そう簡単に崩せない。
彼は自信を持っていただろう。

神はサイコロ遊びをしない、と彼は言った。
それは、いい加減なリクツでは世界は作られていないということだ。

今回はそれがほころびかけたが、こんな広い宇宙の片すみの、ちっぽけな惑星の上で、宇宙がどうなっているかという事を解明したアインシュタインはやはり天才だと思う。


| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ツイッター
長男がツイッターをやっているのを見て、ぼくもIDを登録した。

仕組みはいまだによくわからないが、これは情報を共有するツールらしい。
とりあえずIDを登録し、フォローすべき人を選ぶ。
ツイッターに、なるべく多くの人をフォローするように勧められる。
人だけでなく、企業でも登録されている。
検索をして、好きな本の著者やテレビ局など、いくつかを登録する。

登録すると、その人や企業がツイートした言葉が見られるようになる。
ツイートというのは、140文字でつぶやくことらしい。

単なる電子メールの短いもの、と思っていたらマチガイだった。
全てが公開されるのだ。
その人をフォローしていたら、その人が個人的に送ったものも見ることができる。
もちろん、公開する範囲を制限することはできるらしい(がやり方はわからない)。

とりあえず、誰かが携帯やPCを使って、つぶやくと、フォローしている人は見ることができる。
何かのニュースに対して、コメントをすると、ああ、あの人はこのニュースに対してこう思っているのか、とわかる。とりあえず、そういう側面もある。

Webページに反応した場合は、ツイートにその元のページのアドレスを含むことができる。
それ以外にも、ユーザー名に@を付けて、そのユーザーに返事して公開することもできる(らしい)。

こういう情報共有ツールが出てくると、マスコミの役割がどんどん小さくなる。
新聞の署名もないような記事よりも、自分が信頼する識者の意見を直接聞く方がいいし、、マスコミが報道しないような事実も知ることができる。
今の新聞は、記者クラブという組織に与えられるお上の発表しか載せない。

それ以外の効用はまだわからない。

とりあえず、IDを取って、何人かをフォローしているだけだ。
何でもやってみないと、どうなっているかはわからない。

しかし、XXなう(今XXにいる)、というようなつぶやきを公開する意味があるのだろうか。
率直な疑問。
まあ、そんなことを書く人をフォローしなければいいということなのだが…。
技術的にできる、ということとそのサービスをするかどうかは、別のことだ。
どこかで判断しなければいけない。
一応、公の電波を使うことだし。
そのサービスを提供している企業が悪いわけではないのだが、何となくしっくりこない。

もうしばらく、使ってみる予定。





| | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
Commencement
卒業式のことをcommencementという、と次男が言っていた。

それはgraduationではないのか、というと、アメリカではcommencementとも言うのだという。

辞書をみると、commencementとは大学の学位授与式らしい。
しかしアメリカでは、大学以外の卒業式という意味もある、と書いてあった。なるほど。

ただ、この言葉の本来の意味は「始まり」ということだ。
「卒業式=始まり」ということがはっきりとしている。

日本では卒業式というと、別れとか、旅立ちとか、どちらかというと涙がクローズアップされる。
しかし、ドラマで見たことがあるアメリカの高校の卒業式では、生徒は黒いマントに四角い帽子姿で出てくる。
みんな、校長から卒業証書?を一人ずつもらい、首席の人のスピーチがあって、それからみんなで帽子を空に向かって投げ上げるシーンが出てくる。
明るい式だ。
国民性なのか、別れよりも、これから新しいことが始まる、という感じ。
保護者も笑顔だ。

日本でも、門出を祝福するという感じはあるが、やはり蛍の光窓の雪だ。
卒業式の演出は、圧倒的に涙だろう。

何年間かを共にしたクラスメートとは別れ、自分の決めた道に踏みだす。
別れは哀しいが、みんな未来に向かって進んでいくのだ。

卒業式は終わりではなく、始まりだ。

だからこそ、「仰げば尊し 我が師の恩」だろう。


| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
二乗と自乗
美術の先生を思い出したら、数学の先生も思い出した。

S先生という、大きなメガネをかけた、スポーツ刈りの先生だった。
この先生は今なら暴力教師と言われているだろうなあ。

普段はそう暴力的ではないのだが、何かこだわりがあって、べき乗を習ったときに誰かが「2乗」を「自乗」と言ったら、スイッチが入って猛烈に怒られた。
何か悪い思い出でもあったかもしれない、というくらい強烈だった。

この先生の名物は、サンドイッチといって、両手でいっぺんにビンタをするというものだった。
めったにしないのだが、「自乗」でひっかかるとえらいことになる。
ぼくは1年、2年とS先生に習ったのだが、学年で11組もあったから、1年の時はS先生に習ってなくて2年で初めて習うという人もクラスには当然いた。

かわいそうだったのは、Yさんだった。
1年の時は別の先生で、「自乗」と言っていたのだろう。
参考書をみても、2乗については自乗とも言う、と書いてある。
知らないということは、恐ろしいことだ。

何かの拍子に「自乗」と言ってしまった。
1年の時にS先生に習った生徒は、こらあかん、と思った。
「前へ出てこい」とS先生が言う。
Yさんは何だかわからないという顔で前に出る。
そこでS先生が「自乗はあかん。2乗と言え」と言いながら、両手を広げて一度に両方の頬をビンタした。

あの時は、本当にYさんは気の毒だったと思う。
女の子でも容赦はなかった。
でも、気丈なYさんは泣きもせず、席に戻って授業を受けた。

この不条理は何なのだろうか…、という空気だった。
2乗と習っていないのに、サンドイッチをくらうとは、どういうことだ…。

今なら、保護者から電話がかかってきて、先生はクビになること間違いないだろう。
どんな時でも、暴力はいけない、ということになっている。

しかし、ぼくらの中学時代は、こういう不条理なことがあっても、親が出てくることなどなく、生徒も仕方ないとあきらめていた。
これは暴力ではなく、当然先生がやっているから教育なのだろう、と思っていたフシがある。
おかげで、ぼくらは程よい緊張感をもって、授業を受けていた。

そういう経験があるから、ぼくは暴力は絶対ダメとは思わない。
時によっては、先生が生徒に体罰を与えるのは当然だ。
体罰と暴力のちがいなど、わかるわけがない。
そんなものは主観的なものだ。

今の子供にはわからないかもしれない。

とにかく、世の中は不条理なこともある、ということがわかるだけでも意味はあった。

その頃の先生は、きっとよかったのだろう。

それくらいの権威があった、と思う。


| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
美術の先生
中学の時、変わった美術の先生がいた。

もうかなりの年齢で、分厚い眼鏡をかけていて、何かしょうもないことをすると「タンスカ」と言う。
タンスカとは、スカタンをひっくり返したものだ、と先生は言っていた。
いつもスーツ姿だった。
名前は忘れてしまったが、ユニークな先生だった。

ぼくは美術は大の不得意で、小学校の時に2を取ったこともある。
スケッチをするのだが、今から思うと、物を見ずに、物の色を決めていた。
リンゴは赤、みかんは黄、木の葉は緑、枝は茶色…。
だから、何でも一色で塗っていた。
枝は茶色で、葉は緑、土は茶色…、簡単やという調子。
これで成績が良いわけがない。

今ならものの色は、千変万化だとわかるが、そういう概念がなかった。
ぼくは右脳を使うのが苦手だ。
物事をイメージで捉えるというのが難しい。
どちらかというと、言葉で覚えている。
そういう人間には、美術は難しい。
今も色は千変万化だとわかっているが、イメージでわかっているのではない。
言葉でわかっているのだ。

しかし、美術の先生には、そういう人がいることが理解できないのだと思う。
まず、美術の先生が、世の中は言葉で表せるものではなく、自分の目で見て色を決めるものだ、というような事を言ってくれないといけない。

話がそれたが、その先生は右脳が不得意な人にも点をくれる事をしてくれた。
12色を順番に覚えないと試験は通らない、と明言したのだ。

赤、赤みの橙、黄みの橙、黄、黄緑、緑、青緑、緑みの青、青、青紫、紫、赤紫。

こうだったと思う。
いまだにそれを覚えているのは、その先生のおかげだ。

補色というのは、12色をリング状に並べた時に反対側に来る色。
これもその先生の授業で習った。
赤の補色は、赤から6つ先の青緑あたりになる。
この補色同士を組み合わせると、目立つということだ。
この知識は会社に入って、スライドを作るときに文字の色と背景の色を決めるときに役に立った。

よく「タンスカ」と言っていた。
生徒はみんな?がたくさん浮かんだ顔をして、反応しなかったが、それでも「タンスカ」と言っていた。
それでも、当時の生徒は黙って聞いていた。

今なら、授業が崩壊しているかもしれない。

でも、そういう名物先生がいて、生徒がその先生の話を聞いた、ということは大事な事ではないかと思う。



| | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
原子力発電所問題
ツイッターでも、どこかのブログでも、原発の問題となると、「反原発」「原発推進派」というレッテルを貼らないと話ができないように見える。

これはどう考えても、生産的ではない。
お互いに感情的になっているようだ。

なぜ、原発となると、そんなに感情的になるのだろうか。
一時期の右翼と左翼の争いか、左翼のセクト間の争いのようだ。
白と黒の二つに分けられるような問題ではない。
反対か、賛成かという議論ではない。
白と黒の間のグレーの部分に答えがあると思う。少なくともここ数年は。
いろんな要素を考えて、判断することが求められている。

エネルギーをどうやって生み出すのか、代替をどうするのか、長期と短期の対応はどう変わるのか、人体への影響は実際どうなのか、広島、長崎、チェルノブイリなどのデーターはどうなのか…、そんなことを建設的に話しあう場は作ることができないのか。

専門家と言われる人たちは、少なくとも原子力に関わった人だろう。
理論であれ、実際であれ。

実質的に、電気が不足している。
火力発電にシフトするといっても、石油も有限だし、排気の問題もある。
農産物、水産物はどうなるのか。
それで生計を立てていた人はどうするのか。
除染はどうするのか。
エネルギーコストの上昇が商品に転嫁されたり、企業が海外に出て行ったり、廃業したり、雇用が失われたり…、日本が31年ぶりに貿易赤字になったのは、時代の流れだけではないだろう。

なにより、避難している人たちはどうしたらいいのか。

喧嘩をしている場合ではない。
いろんな事を総合的に判断して、決めないといけない。

そういう場を設定して、冷静に話し合うことはできないのか。

被害を受けるのは、国民全員だ。
だから、自業自得なのかもしれない。

しかし、いい加減に何が真実で、何が真実でないか、科学的に議論ができないのか。
科学者というのは、そんなに感情的なものなのか。
情けないとは思わないのか。

一刻も早くそういう場を設定して、統一見解を出してほしい。

原子力発電所問題を政治問題としてではなく、科学的真実に基づいた冷静な議論で解決してほしいと願う。





| | 考えたこと | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
国会中継
ぼくは国会中継をあまり見たことがないが、ちらちら見ていると、あまり生産的なことをしているようには見えない。

いちいち議長が「ナントカ大臣XX君」と言って、それからおもむろに席まで歩いていって、ほんの短い答弁をして、それから質問者が長々と話すという場面が続く。
ひどい時は、質問者が時間を使いきってしまい、肝心の質問に答える時間がなくなり、言いっ放しで終わる。
時には内容を議論するのではなく、形式を延々と議論する。

一体、議場にいる何人の人が本当に国のことを考えているんだろうか…、と思う。
ヤジもひどい。
手短に言えば、1分で済むことを10分ほどかけて話す。
質問者は自分の売名行為しか考えていないように見える。

こんな国会中継を流していて、政治に関心を持てということ自体難しいと思う。
誰が国会中継を見ているのだろうか。
そういえば、視聴率は聞いたことがない。
こんな中継を見たら、だれも政治家や役人になろうとは思わないだろう。
予算委員会というと、予算について議論する場であると思うのだが、実際の予算に関係のない話が延々と続く。

国家予算をどうするか、というのは本当に重要なことである。
今予算委員会をやるのなら、国債をどうするべきか、予算規模はどうするべきか、大きな政府がいいのか、小さな政府がいいのか、雇用促進のためにはどうするのか、年金制度はどうするのか…、大きな問題についての議論など全くない。
しようとする気がないのだ。
誰も本気で解決しようと思っていないからだと思う。
国が潰れても、自分たちが国会議員であり続ければそれでいいと思っているのだろう。

本当に大事な事を議論できないというのは、大変困ったことだ。

残念ながらそういうことは、いたるところで起こっている。
日本人はそういう議論に向いていないのかもしれない。
しかし、これだけ経済がグローバル化してしまった現在、ここで思考停止するといろんなところに迷惑をかけると思う。

どうやって、解決していくのか。

民主主義というものを続けるのなら、国民が政治に関心を持たないといけない。

そのために、どうするのか。

教育だろうなあ…。



| | 考えたこと | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
multiple
ドラマを見ていたら、「何回も電話している」ということに、multiple times という言葉を使っていた。

普通は何回もという時にはmanyを使うのだが、この時はmultipleを使った。
違いがあるのだろう。

翻訳のサイトによると、multipleという言葉には、「複数の」とか「多重の」という意味があるらしい。
「複数回」ということを強調したかったのかもしれない。

別のサイトには、multipleは一応「多くの」という意味を表すのだが、無制限に大きいわけではなく、限定的な時に使う、と書いてあった。

まあ、電話の回数だから、無制限に大きいはずがないから、multipleでいいのだろう。

しかし、manyでも十分通じるような気がする。

この数を表す形容詞は、英語の方が多いような気がする。

manyとmuchの違いもあるし、someとanyの違いもある。
littleとa littleも違うし、fewとa fewも違う。

たくさん、という言葉は、many、much、a lot of、a great deal of、plenty of あたりが中学で習う言葉か。

他にもたくさんという意味を持つ言葉はたくさんあると思う。
その一つひとつが、何らかのニュアンスを持っているのだろう。

どうも、英語の方が数に敏感だ。

それは言葉だけではなくて、西洋と東洋の違いとも思える。


| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
悪筆
ぼくは悪筆を読むのがわりと得意だ。

最近はワープロになって、ほとんどその機会はなくなったが、ワープロが普及するまでは結構あった。

中でも、思い出すのはファックス。
悪筆で字が小さくその上ファックスで送られると、読むのが難しくなる。

一度、どうしても意味がわからない、と持って来られたものがある。
そこには、「イロハ的なお願いですが、できればXXを持ってきてください」と書いてある。
イロハ的という言葉は、意味としてはきっと「ごく初歩的な」という意味だろう。
しかし、イロハ的なお願い、というわりには、XXを持ってきてください、というのはオカシイ。

ファックスを持ってきたヤツは、別に本題ではないのでええと思うんですが…、と言っていた。

悪筆を読むときは、「たぶんこうだと思う」というのを取り去らなくてはならない。
しかし、持ってきたヤツが「イロハ的だと思う」という事を言い、確かに「イロハ的」と書いてある、と思ってしまった。
そう思うと、「イロハ的」としか読めない。
しかし、「イロハ的」という言葉をわざわざ創作して書くというのも、どう考えてもおかしい。

しばらく頭を白紙にしてよく見ると、わかった。
最初の字は「イロ」ではなく一文字で、「個」の略字である。
略字の「個」は、偏がにんべんでつくりが口になるから、カタカナの「イロ」と読める。
続く「ハ」は人の字が離れて書かれているので「ハ」と読める。
したがって、「個人的」が「イロハ的」となってしまったのだ。

説明すると、なるほど!、と納得された。

しかし、「イロハ的」という新しい言葉もなかなか味がある。

おそらく、「個人的」が正解だと思うが、ひょっとしたら「イロハ的」だったのかもしれないなあ。

ワープロ時代になって、こういう楽しみがなくなったのは、残念だ。


| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
左寄り
ぼくらの中学、高校の頃は冷戦の華やかなりし頃で、安全保障条約の改訂があり、ベトナム戦争があり、マスコミは総じて左寄りだった。

左寄り、という言葉も死後になったかもしれない。

左=左翼=共産主義、社会主義ということだ。
つまり、左寄りということは、反保守であり、資本主義は敵だという考え方になる。
そういう対立軸があった。

戦後の知識人はだいたい左寄りだった。
右翼が戦争に導いたという苦い過去を考えれば、それも仕方ないかもしれない。
今でも朝日新聞は左寄りだと思う。

ぼくの中学校の歴史の先生は、アメリカが爆弾をバカスカ落として日本はえらい目にあった、と授業で言った。しかし、その責任は日本にもある、ということは言わなかった。
高校の地理の先生は、ソ連は素晴らしい国だ、と言った。そうでないことは歴史が証明した。
結局、市場主義経済が世界を制し、1989年にベルリンの壁は崩れた。
100%社会主義が悪かったとは思わない。
人間が社会主義に対応できるほど賢くなかったとは思う。

しかし、まだ学校の先生などかわいらしいものだ。
朝日新聞などは中国の手先のような報道をしていた。
まあ、みんながそういう記事を望んだから、朝日は読者におもねっただけなのだが…。
ただ、朝日はその時からぼけてしまって、いまだにおもねっている。

毛沢東の文化大革命も賛美された。
これは、後にワイルドスワンという小説を読んで、そのひどさに驚愕した。
こんなものを賛美していたのか、と驚いた。
おそらく、香港や台湾の人たちは何をやっているか、気づいていたのではないか。
しかし、そのころ高校生だったぼくらは脳天気な日本の新聞に騙されていた。

かくいうぼくもずっと左翼シンパだった。
中学、高校を通じてそういう教育を受け、石川達三の人間の壁に感激し、大杉栄の本を借りた。
太宰治や坂口安吾のニヒリズムもそれに拍車をかけた。
父も祖父を戦争で亡くし、陸軍には批判的だった(年をとって、ちょっと変わったが)。それで当時の習いに従って、反保守になった。

その頃はエデンの東のジェームス・ディーンに代表される、反抗するの若者という気分もあり、多くの若者が左寄りだった。
学生運動もそういう気分で盛り上がっていたのだろう。
フォークソングもアメリカから入ってきたときは、反戦歌が多かった。
ベトナム戦争のころだ。

しかし、就職して何年か経って、吉村昭や阿川弘之、山本七平などの戦争関連の本を読み、日本人をたくさん殺したのは軍の愚行が大きな原因だと知った。
戦後の日本の左翼は教条的なことばかり言って、なんら実際の役に立つことは言っていないと思う。
夢みたいなことばかり言っていた。
「何でも反対」が社会党だった。それをいまだに引きずっているのが福島瑞穂だ。

サラリーマンも、一時サラリーマン新党ができて、みんなそちらに行くかと思ったら、行かず、情けない結果になった。
父も残念がっていた。

徴税の方法を変えれば、政治は劇的に変わると思う。
源泉徴収というやり方で税金を収めていたら、税金の使い道などあまり気にならない。
サラリーマンが税金の使い道に敏感になっていれば、役人が年金を無駄遣いしたり、年度末に工事をしたり、わけのわからない箱物を作ったりはできず、今よりはマシになっていたと思う。
一票の格差にももっと敏感になっていただろう。
徴税に苦労する政府は、税金の使い道にも慎重になるはずだ。
年金や保険のシステムももうちょっと何とかなっていただろう。
これは今でも思う。

というわけで、ぼくは就職してしばらくして左寄りではなくなった。

自分ではいい選択だったと思っている。


| | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
写真
しばらく前にコンパクトデジカメを買った。
ニコンのP300という小さいカメラ。

生活を記録しようと思ったからだ。
そんなに大層な記録ではない。

今の若い人はそういうふうにカメラを使っている。
携帯でも、何かあれば写真をとる。
それは、何も特別なことではなく、普通の生活の中で「おっ」と思ったときにシャッターを切る。
プリントアウトなど、ほとんどしない。
カメラのディスプレイを使って見る。

とにかく写真にかかる費用が安くなった。
昔なら、現像、焼付が必要で、撮ったときにはどんな写真がとれているかはわからず、それなりにお金もかかった。
たくさん撮っても、整理しておかないと散逸してしまう。
APSフィルムというものが出てきて、かなり使いやすくなったが、所詮デジタル化には勝てなかった。

出はじめのデジタルカメラは画素数が少なく、画質はフィルムには全く届かず、単なる記録にしか使えなかったが、すごいスピードで改良された。
芸術写真の分野は知らないが、もうほとんどデジタルではないか。
画素数が増え、メモリが大きくなり、処理が早くなり、きれいになった。
今やおもちゃのカメラでもそこそこの絵が撮れる。

おまけに、デジタルカメラの写真は、日付データーが入っているから、いつ撮ったかは確実にわかる。
カメラの中には時間軸に沿って入っている。
メモリは16GBもあれば、いくらでも写真をとっておける。

カメラの使い方が変わったのだ。
昔なら、身構えてフィルムを使っていたのが、いくらでも撮って、ダメならゴミ箱に捨てればいい。
電池は充電電池だし、長持ちする。

ようやく、ぼくもそういう使い方がわかってきた。

なかなか、若い人のまねはできないが、ちょっとはマシになった。

ニコンP300というカメラ、そういう意味ではなかなかいい。


| | 考えたこと | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
2月
2月になった。
1月は正月で、あっという間だった。

2月は、大和言葉で如月(きさらぎ)という。
語源はいろいろあるようだが、寒いから、重ね着をする、ということで「着更着」というのが有力らしい。
商売では、ニッパチといって2月、8月は商売が振るわない月とされている。

2月は寒いから、8月は暑いから、という当たり前の理由。
実際には、2月は営業日が少ないことも効いているだろう。
8月は盆休みがある。

2月は逃げるともいう。
これも短くて、すぐに終わってしまうからだろう。

2月という月、いろいろと特別なことがある。
うるう年も2月29日。
別に2月でなくても良かったのに、なんで2月なんだろうか。
http://www.ffortune.net/calen/calen/fromqa/qa002.htm
ここに書いてあるが、西洋の暦はもともと3月から始まって、12月で終わっていたらしい。
しかし、暦のない日が60日も続くのはおかしい、ということで1月と2月が加えられた。

つまり、2月は最後にできた月だから、いろいろな調整用に使われ、そのせいで短くなった、ということ。

なるほど、もともとSeptは7、Octは8で、それが2ずれたから、9と10になっているのか。

2月が短いのには理由があった。

そういうことか…。



| | 考えたこと | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
キリギリスの時間
キリギリスというと、イソップの童話を思い出して、あまりよくない印象がある。

ご存知、アリとキリギリス。
キリギリスは夏のあいだ歌って楽しく過ごす。
アリは夏の間ずっと働く。
冬が来て、食べ物がなくなったときに、アリは夏にためた食べ物を食べるが、キリギリスは飢えて死んでしまう、というお話。

キリギリスは夏に楽しんだ分、冬に苦しむ、というか、死んでしまう。
備えよ常に、という教訓だろう。
勤勉を良しとする、という教訓でもある。

しかし、勤勉は常に良いのだろうか。

最近の若い人によると、この話は夏に働きすぎたアリが過労死して、キリギリスは残された食料を食べて冬を過ごす、ということになっているらしい。
新しいバージョンだ。

この話も一理ある。
何事もやりすぎてはイケナイ、ということだ。

実際、働きすぎて過労死する人がいる。
英語には過労死にあたる言葉がなく、”karousi"と表記されることもある。
アメリカやイギリスでは、過労死する人はいないのだろう。
(もちろん、よく働く人はいるが、日本と違って高給取りほどよく働くという傾向があるらしい。)
日本の過労死は、金のためというより、働かないとみんなに迷惑をかけるというような動機が大きい。
追い詰められる、という感じがある。

ぼちぼち、日本でもキリギリスを再評価してもいいのではないか。
実際、若い人のアリとキリギリスは既にそうなっている。

ぼくの感覚では、アリの意見が正しいと思う。
しかし、時にはキリギリスの時間を持つことが、長く働くためには必要だ。

時にはキリギリスのように、歌って、遊んで、楽しく毎日を過ごす…、そういう時間を持つことが必要だと思う。

そうしないと、いきなり定年を迎えて、どうしていいかわからなくなる。
楽しく時間を過ごす術を身につけるためにも、キリギリスの時間はあったほうがいい。

キリギリス万歳。



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