考えたこと2

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会社
2004年に会社をやめて、もう8年。
その間に新しい建物ができ、ぼくがいた部署はそちらに移って、社長がかわり、いろんな社内キャンペーンをやっているらしい。

ぼくの方はやめて畑違いの非営利のところに行って、いろいろと大変だった。
だいぶ慣れたが、それでも考え方の違いや、データーの扱いや、規範が違ったりして、いまだに面食らうことも多い。
時々絶望的になるが、一般企業と非営利団体とは全く違うということだ。

この8年は激動の時代ではなかったが、日本のいろいろな制度がどんどんほころびて、すこしずつ変わっていった時代だったと思う。
世の中に希望がなくなってきた。それとともに余裕がなくなった。2008年以降は特にそうだ。

今では年に何回か、会社であいさつ運動をやっている由。
荷物を持つのも左手というキャンペーンもやっているらしい。
いろいろと事情はあるのだろうが、各種の規則ができているらしい。

ふーん、と思う。

規則には抜け道があるし、規則を作ってしまうと、抜け道はやってもいいことになる。
規則など作らないにこしたことはない。
どうしても作らないといけないとしたら、ごくごく基本的なものだけに留めておくのが正解だろう。
守らせたいと思うようなことがあるなら、それを自主的に守るようにしないといけない。
それがオトナの姿だ。

みんな理想を捨ててしまった。

もったいない。





| | 考えたこと | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しいスマホ
スマートフォンを機種変更した。

前の機種はauが初めて出したスマートフォンだったので、ちょっと高かった。
しかし、2年経たずに機種変更したら、残りの機種代をサービスしてくれるという手紙が来た。

新しい機種は、HTC製。
HTCというと、台湾のメーカー。
他のメーカーのものは触っていないが、このHTC製はすばらしい。
画面が大きく、字がくっきり出るので、老眼でも読みやすい。
画面にタッチして動かすのも、スムースだ。
WEBの表示も早いし、これならパソコンの代わりになる。

Googleのアプリを使っているなら、第一世代のスマートフォンは買い換える価値がある。
GoogleカレンダーやGoogleドライブの表示も早いしきれい。
ツイッターも使える。

おまけに電池の持ちもよいし、カメラもきれいに写る。

今まで画面の反応が悪いのは、指先が老化しているからかと思っていが、それは全く思わない。
だいぶ進歩した。
前にもレンズがついていて、見ているところの明るさによって画面の明るさを調節するのだが、これがまたよくできている。

これは素晴らしい。
| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
のべつまくなし
長男と話をしていて、飲酒の話になり、「のべつ飲んでいるのか?」という話になった。

ところが、この「のべつ」がわからないという。
のべつまくなし、という言葉なら知っているか、と聞くと知らないという。
当然、横にいた次男も知らないという。

そうか、「のべつまくなし」という言葉はわからない言葉になっていたのか。
他にも若い人に聞いてみると知らないという。
こういう言葉がいつの間にか死語になっている。

調べてみると、「のべつ」と「まくなし」は同じような意味。
「のべつ」というのは「述べる」に助詞の「つ」がついたもの。
要はしゃべりっぱなし、ということだろう。
「まくなし」は「幕なし」ということで、こちらも切れ目がないということだ。
両方重ねると、「切れ目なく」という意味になる。
「のべつ」だけでも同じ意味だ。

しかし、のべつまくなしに何かをする、というのはどこで覚えたのだろうか。
何かの本に出てきたのか、昔のテレビ番組で使われたのか…。

いつどんなふうにして覚えたかもわからない。

そういう言葉がいつの間にか死語になる。

こういうのが本物の死語かもしれないなあ。

| | 考えたこと | 22:04 | comments(2) | trackbacks(0) |
宇宙戦艦ヤマトのセンチメンタリズム
宇宙戦艦ヤマトの実写版の映画を見た。
だいぶ古い。
キムタクが主演。

日本人の美意識が過剰に出ている映画だと思う。
スケールは違うが、ブルースウィリスのアルマゲドンも同じように地球を救うストーリー。
この2つを見ると、日米の違いがよく分かる。

地球を救うために、ヤマトは犠牲になって神風特攻隊のような状態になるのだが、そのシーンが長い。延々と別れのシーンが続く。もうわかっているから、早く一人だけ残して退去しないと…、と思わせる。
ベタなシーンが続く。

対して、アルマゲドンの方は地球に衝突する小惑星に核爆弾を埋め込んで、誰かがそれを起爆しないといけない。
起爆場所に行く人をくじ引きで選ぶ。
当たりくじを引いた若者を連れて行く途中で、年配の方が代わって行くことになる。
時間は短い。これでもか、という長さはない。

今生の別れに、心理的に永遠の時間がかかる、というのはわかる。
しかし、事態は迫っているのだ。
そんなに別れの時間などない。

どちらがドラマチックか。
ぼくはアルマゲドンだと思う。

アルマゲドンには安易なセンチメンタリズムはない。
すべてお膳立てして、みんな揃って別れの場面をゆっくり悲しむ場面などいらない。
時間がないのだ。

何となく割り切れないものが残る映画だった。





| | 映画・舞台 | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
メッセンジャーとボイジャー
水星は太陽に一番近い惑星だから、すごく熱いだろう。

昼間は400度にもなる。
ところが大気がほとんどないため、夜はマイナス165度らしい。
その惑星に、2004年に探査機が飛び立った。
探査機の名前はメッセンジャーという。
そのメッセンジャーが水星の表面のクレーターの姿を送ってきている。

http://www.cnn.co.jp/video/9654.html

これを見ると、本当にクレーターがミッキーマウスによく似ていることがわかる。
面白い。

また、もう一つのニュース。
ボイジャー1号がまだ交信可能な状態でもうすぐ太陽系を抜ける。
このボイジャー1号は、人間が作ったもので、一番遠くまで行ったものになる。
1977年に打ち上げられて、もう35年。
地球から、17800000000kmのところにいるらしい。
電波が16時間もかかって到着する。
まだ交信可能というのは、大したものだ。

宇宙というのは本当に不思議なものだ。
なぜそれがあるのか。
いくら人間がかしこくなっても、これはわからない。
宇宙の存在意義はなにか。
どうしてぼくらは存在するのか。
そんなことを考えていると、普段の悩みなどどうでもよくなってくる。

答えのない問いを発し続ける力。
これは天文学者のためにある言葉かもしれない。



| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
NPO
土曜日の朝NHKを見ていたら、就活の問題点をやっていた。

パネラーはNHKの記者、リクルートの人、就活問題を扱っているNPOの人というメンバー。
アナウンサーが模型を使ってプレゼンをやって、それに対する意見をパネラーたちが言う。

記者とリクルートの人はいいのだが、NPOの人が見苦しい。

自分の意見がない。
他の人が何を言っても文句を言う。
ほんの一部の企業がやっていることを、まるで全部の企業がやっているように言う。
いったいどうするべきなのか、全くわからない。
単なる文句言いになっている。

NPOは非営利の市民活動団体、という感じだが、非営利であるがゆえに無責任であることが多い。
きっと彼もそういう組織の一員なんだろう。
世の中を恨んでいる。
真面目さがない。
通り一遍の情報に惑わされている。

確かに現状の就活というのは問題が多い。
企業の側にも問題はある。
就職斡旋の企業にも問題がある。
学生の側にも問題がある。
学校にも問題がある。
教育のシステムにも問題がある。

それらの問題をシンプルには語れない。
複雑な問題だからだ。

世の中に対する恨みをいつ持ったのか。
気の毒な若者だと思う。

でも、文句を言っているばかりで、解決できるような問題ではないということを知るべきだ。

完全にミスキャストだったと思う。



| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
キリギリス
ぼくらの世代は、期せずして高度成長の波に乗った世代だった。

「期せずして」と書いたのは、昭和ヒトケタの人たちのように、戦後の焼け跡を見て、強く高度成長を望んだわけではないからだ。
焼け跡から立ち直った人々、都市部に住んでいた人たち、戦争に行って幸いにも帰ってこれた人たちは、絶望の時代を過ごし、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるほどにした。
カタコトの英語で、海を渡ってアメリカに商売に行った人たちは、エラかったと思う。

ぼくらは、明日は今日より豊かであるのが、当たり前だと思ってきた。
部署が増えて、ポストが増えるのも当たり前だった。
サラリーマンは税金を天引きされているが、その使途もおかまいなしで、のほほんとしていた。

エコノミックアニマルなどと言われ、うさぎ小屋に住んでいると言われたが、それでも平気だった。
明日は今日より豊かだったからだ。

昭和ヒトケタの人たちが、焼け跡から復興した。
世界の国々が、復興には50年はかかるだろうと思っていたのに、わずか20年で復興を成し遂げた。
アメリカの助けはあったが、それでも子供心に日本はすごい国だと思われた。
ソニーやホンダが誇らしかった。

しかし、2000年以降は様子が変わってきた。
21世紀はアジアの世紀だというが、日本はどちらかというと存在感が薄れてきた。
どこで間違ったのだろうか。

ぼくらは、決してサボっていたわけではない。
一生懸命働いたと思う。
でも、やり方がどこかで間違っていたのだろう。

自分ではアリのつもりでいたが、今の若い人たちからみると、キリギリスに見えるだろう。
今の若い人たちは、アリのように頑張らないといけない。

キリギリスは夏の間、歌を歌って過ごした。
まさに高度成長を謳歌して、バブルにうかれていたぼくらのことだろう。

冬になって、キリギリスはアリに助けを求めるが、冷たく断られ死んでしまう。

今、団塊の世代が定年して年金をもらう。
しかし、アリの時代がいつかやってくる。
ぼくらの時代は、アリに冷たく断られ、冬の時代に死んでいくのかもしれない。

そうならないように、最後のご奉公をしたいと思うが、それをどうやったらいいのかがわからない。

キリギリスはそれなりに幸せだったのだと思う。

アリさん、頑張ってくれ。

| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
規則作り
ちょっと前に小学生の姪が来たとき、いろいろと話を聞いた。

彼女はしっかりしていて、学校のことを話してくれたのだが、なかなか興味深いことがあった。
高学年になると代表委員会というのがあって、その委員をクラスから出すことになる。
ちょっと興味があって、手をあげたらその委員になったらしい。

その代表委員会で何を話し合っているのか、と聞いたら答えが面白かった。
「廊下を走る人がいる」「これはいけない」
「下駄箱にちゃんと靴を入れていない人がいる」「これはいけない」
「横断歩道でないところを渡っている人がいた」「これはいけない」
「・・・なひとがいる」「これはいけない」

結局、何かがいけない、ということを上げているだけなのか?と聞くと、「そうだ」という。

「いけない」というのは簡単だ。
まあ、小学生だから仕方がないということはあるかもしれない。
でも、「いけない」と言って、それではどうやって禁止すればいいかを話し合うということになると、規則を作るだけになる。
だから、一時問題になった校則のように、たくさんバカみたいなものができてしまう。
ところが中にいると、どれほどバカバカしいかわからなくなってしまう。
当時の先生がみんなバカなわけではない。
でも、それを作り始めると、止められなかったのだろう。

おかしな校則、で検索すると山のように出てくる。

授業中ヘラヘラしてはいけないが、大声で笑うのはいい。
男子は学校内では必ずヘルメットをかぶること。
家から電信柱3本以上の外出は、すべて制服とする。
人の話を横取りしない。横取った場合は心から謝る。
夏休みに髪を切らない。切るときは先生の許可を得る。
学校のトレーニングウェアは許可がない限り、L以上のサイズは着てはいけない。
キーホルダーは握りこぶしまでの大きさとする。
通学時は男子は奇数車両、女子は偶数車両とする。
廊下を走っている時に、他の人に見つかり「反省」を示された場合、その場で正座し60数えること。
休み時間はトイレに行ったりする。
指定の革カバンのほか、風呂敷包み以外の携帯は禁ず。
天然パーマはそれを証明できる写真を届ける。

すべて、事情があったんだろうが、見ているとバカバカしい。
でも、内部にずっといる先生には全くバカバカしくなかったのだろう。

禁止するのは、規則を作る権限があれば簡単だ。
規則を作ればいい。
これが姪の出た代表委員会というヤツだろう。
しかし、規則を作るとその時点で思考停止する。
人間、バカになってしまうのだ。

しまいに、「廊下を走っている時に、他の人に見つかり「反省」を示された場合、その場で正座し60数えること。」などという規則ができる。
他の人に見つからなければ、走ってもかまわない、ということだ。
いくら規則を作っても、原則となる規範がなければ、いくら作ってもバカになるだけだと思う。

廊下は走ってはいけない、ということは絶対ではない。
なるべく走らないようにしよう、というのが正しいと思う。
急いでいる場合は、注意して人にぶつかったりしないようにする、というのが常識だろう。
規則を作ることによって、どんどん常識が失われている。

最近の若者が常識がない、というのは学校のせいか…。


| | 考えたこと | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
スカイツリーより通天閣
スカイツリーが開業して、東京の名所が増えた。

何とかと煙は高いところへ登るというが、人間には空に対するあこがれがある。
どこかに飛んでいく、という自由に憧れるんだろう。

しかし、スカイツリーという名前はどうもピンとこない。

Sky-treeというと、ネイティブはどういう感じなのだろうか。

これからは、アジアの観光客が増えてくるのだから、漢字の名前の方がよいのではないか。
そう思うと、通天閣というのはいい名前だと思う。
天に通じる楼閣、という意味だ。
スカイツリーよりも、「天に通じる」という雄大な感じがいい。

しかしながら、漢字を使っているの今や中国と台湾、日本になっている。
韓国や北朝鮮はハングルにしてしまって、漢字はもう若い人はわからない。
ベトナムも漢字を廃止した。
タイやラオス、カンボジア、ビルマはインド系の文字を使っているらしい。

以前、香港に行った時、漢字がお互いの共通言語だった。
あの時は、漢文を習っておいてよかった、と思った。
中国語の単語の並びは英語に似ている。
漢文というのは、日本語であって、返り点などで中国語を読み下すために作られたものだ。
日本人の知恵が漢文という言葉を作ったと思う。

今は中国本土は漢字がかなり変わっていて、ぼくらには読めない。

ということは、今は台湾と日本、香港が似た漢字を使っているということか。

日本語は漢字だけでなく、ひらかな、カタカナを使って、うまく海外の文化を取り込んできた。
仏教、儒教なども元は中国のものだ。
仏教は鎌倉時代に日本風に変えてしまい、儒教は伝統は残っているとはいえ、韓国に比べるとかなり薄まっているが…。

これからはアジアが世界の中心になっていくだろう。

だからといって、漢字の文化が広がるとは思えないが、スカイツリーよりは通天閣の方が雄大な感じがするのはぼくだけだろうか。


| | 考えたこと | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
サーフェス
やっと役者が揃った。

何のことかというと、タブレットのことだ。
iPadが最初に出た。アップルのタブレット。iPhoneに続いて出たと思う。
その次がGoogle。AndroidというOSで、いくつかの会社から出ている。スマートフォンもある。
そして、Microsoftだ。サーフェスという名前の端末を出した。
マイクロソフトは、今までほとんどハードウェアは作っていなかったが、今回はどこに委託するのだろうか。
ニュースではそのあたりが話題になっている。

とにかく、これでアップル、グーグル、マイクロソフトという選択肢が揃った。

ただ当面はiPodが強いだろう。
個人ベースでいけるところまでいく、というのがアップルの得意分野だからだ。

パソコンでなぜウィンドウズがMacを駆逐したかというと、会社で使うからだ。
とにかく、安い。
いろんなソフトが出ている。
どんどん性能が良くなった。
そんなこんなで、パソコンはほとんどがマイクロソフトのOSになっている。

携帯電話では、Androidが健闘していると思う。
ただ、アップルもなかなか強い。

一番差がついているのが、タブレットだ。
iPodが強い。
Android陣営も苦しいようだ。

ここに新たに参入したのがサーフェス。
マイクロソフトが満を持して出したタブレット。
どうなるんだろうか。
まずはアメリカ市場でどうなるか…。

マイクロソフトのお手並み拝見といこう。



| | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
無生物主語
Sometimes life surprises you.

「生きていれば、チャンスがある」という字幕が出た。

ドラマの中のセリフ。
直訳すると、時には人生があなたを驚かす、ということになる。

なるほどなあ、と思う字幕だった。

無生物主語というやつだ。
lifeがあなたを驚かす、という文章。
こういう発想ができるようになると、英語も一人前なんだろう。
ぼくらは日本語の頭で考えているから、なかなかlifeを主語にできない。

日本語的頭で考えると、どうしてもyouが主語になる。
あなたは驚かされるだろう、という文章。
それでもいいのだが、やっぱりlifeを主語にすると英語らしい。

天気なども無生物主語になりやすい。
天気が悪いので、行くことができなかった、というような文章はBad weatherを主語にすると、英語らしい作文ができる。
こういう文章が書けるだけでなく、話せるようになると、もっといい。

どうしても、人を主語にしたがるのは、日本語のクセだろうか。

わざわざ、無生物主語という言葉があるくらいだから、日本語には珍しいのかもしれない。

英語は奥が深い。




| | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
神戸生まれ
ぼくは神戸生まれの神戸育ちだ。(今は尼崎に住んでいるが…)

今日はWSJのニュースを見て、喜んだことがある。
神戸がアジアで住みやすい都市の第2位になったということだ。
1位はシンガポール、2位が神戸、3位が香港、4位が東京、5位が横浜となっている。

なぜ神戸が2位になったのかはわからないが、東京、横浜を抑えての2位だ。
アジアで2位というのは、値打ちがある。

神戸のいいところは、まず海と山が近いということ。
ちょっと南に行けば瀬戸内海だし、ちょっと北に行けば六甲山。
自然が豊かである。
ドライブウェイを登って、六甲山から望む夜景は、すごくきれいだ。

そして、三宮というダウンタウンがいい。
大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいいサイズだと思う。
買い物、映画、音楽、飲み物、食べ物…、なんでもある。
中突堤に行けば、船も見られるし、ポートタワーもある。
垂水まで行けば、海水浴もできるし、しゃれた海沿いの喫茶店もある。
神戸駅の南側には、モザイクができたし、ポートアイランドもある。

今は神戸市は六甲山の裏側まで広がったが、昔はそんなことはなかった。

山は北で、海は南。
坂の上が北で、坂を下ると南。
山に向かって、右が東で左が西。
神戸に住んでいれば、方位はすぐにわかる。

いいところだ。





| | 考えたこと | 19:39 | comments(2) | trackbacks(0) |
よろしくお願いします
英語でレターを書いていると、どうしても日本語から英語に訳せない言葉が出てくる。

その典型が、「よろしくお願いします」というもの。
いくら考えても、訳すのは難しい。

時には「一生懸命やります」だし、時には「ご検討ください」だし…。

日本語としては便利な言葉だ。
つまり、ほとんど意味がないのだ。

でも、よろしくお願いします、と書くと何となくへりくだっているような気もするし、丁寧な気もする。
まさに格好がつくのだ。

考えてみると、こんないい加減な言葉もない。
でも、そういうことに気がつくのは、英語でレターを書く時になる。
「よろしくお願いします」と書きたいのだが、いったいどう書けばいいのか、という事になる。
その時に初めて、真剣に意味を考える。

そこで、結論は「よろしくお願いします」という言葉は英語にはない、ということになる。
いったい、主語は何か。
私がよろしくお願いします、と言っているのか。
どうも、そんな気がするが、それでは私を主語にして、どう書くのかわからない。

どうも、よろしくお願いします、というのは、まあ、みんな飲み込んでもらって、何となくうまいことやりましょうや、という感じではないか。

この言葉を説明するのは難しい。

しかし、毎日数え切れない「よろしくお願いします」がとびかっている。

不思議な日本語だ。



| | 考えたこと | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター
ギターについては、何度か書いた。

でも、時々書かないといけないという気になる。
ぼくは昭和32年生まれだが、ものごころついた時には、家にはギターがあった。
珍しい家だったと思う。

初めて見たのは、スチール弦のギターだった。
それが壊れて、父が小学校の頃にクラシックギターを買った。
それが最初のギターだった。

ギターは小さなオーケストラ、というのが父の口癖だった。
会社の後輩の結婚式で、ギターを弾いたこともあったと思う。
昭和ヒトケタでギターを弾くのは結構珍しい。

家にマンドリンもあったから、父がマンドリンオーケストラもやっていたのかもしれない。
今はフォークで使われるフラットマンドリンをよく見るが、当時のマンドリンはボディの背面がラッキョウのような形でふくれているのが特徴だった。
昭和ヒトケタの時代は、ギター・マンドリンオーケストラの起こった時代だった。
今でも大きな大学にはあるが、それほどポピュラーではなくなった。

エレキギターが出てきたのが、ぼくらが小学校の頃。
勝ち抜きバンド合戦というような番組もあった。
ベンチャーズのパイプラインやダイヤモンド・ヘッドという名曲が出て、日本ではグループ・サウンズが出てきた。
タイガース、テンプターズ、スパイダース…、今の沢田研二や岸部シロー、岸部一徳、堺正章、井上順、かまやつひろし、萩原健一などは、当時のバンド出身だ。

そういえば、ぼくらが小学校から中学校のころは、エレキギターを弾くと不良になるとか言われていた。
今では、そんなことを言う人はいないが…。

それくらい、エレキギターが音楽にとってなくてはならないものになったのが、1970年代だと思う。
エフェクターもアンプも70年代に進歩した。
シンセサイザーも含めて、今の音楽のポピュラーミュージックのいろいろな演奏や録音のスタイルを確立したのが、その時代だと思う。

クリーンな音から、ディストーションといって歪んだ音、ワウワウ、トーキングモジュレーターなど、ひとつの楽器と言ってもいいほどのエフェクターも現れた。
エレキギターの歴史は、ポピュラーミュージックの歴史といっても過言ではない(と思う)。

ぼくはエレキギターを大学生の時に買った。
70年代の後半、もう不良と言われないころ。

あれから三十数年か。

人生は長いようで、短い。




| | 考えたこと | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
4つの力
宇宙には4つの力がある。

おなじみの重力、電磁気力、そして強い力と弱い力である。
重力はリンゴが落ちるのを見て、ニュートンの頭の中にひらめいた。
電磁気力はマックスウェルが理論化したらしい。原子と原子を結びつけて分子を作ったり、原子核と電子を結びつける力。
強い力と弱い力は普段なじみのないもの。
ぼくらが習ったときは、まだこれらの力は理論化されていなかった(と思う)。
強い力はクォークを結合させる力で、弱い力は放射能に関係するらしい。
量子力学の本を何冊か読んだが、いまだによくわからない。

これらの力を仲介する粒子があるという。
ゲージ粒子という種類で、重力のゲージ粒子はまだ見つかっていない。

ここまで来るのに、人類が生まれてから今までかかった。

しかし、これらの力はずっと存在していたと思われる。
思われる、というのはビッグバンの直後はひとつの力だったと言われているからだ。
今の時間にして、10のマイナス11乗秒というすごく短い時間だが…。

時々、日常から離れて、宇宙のことを考える。

ほとんど、というか、全く日常とは関係ない。
どの力がどうであろうと、毎日は過ぎていく。
だいたい、ビッグバンだの、宇宙の歴史だのということは、時間のスケールが違う。

そんなことを考えていると、人間の存在などないに等しい。

4つの力はいずれ統合されるという。

いったいどういう理論で統一されるのか。

ぼくが生きている間には無理だろう。

ここでまたいつも思う。

人類がいなくなっても、そのリクツは存在するのだろうか。

これには答えがない。



| | 考えたこと | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
アルバイト
ニートやフリーターの問題は深刻だ。

不幸にも就職氷河期でそういう状態に陥った人たちが、ずっとその状態を保っている。
最初は、新卒時に職がなかった、というだけだったんだろう。
しかし、1年、2年と続けていると、もう苦しくなる。
職歴がないからだ。

卒業して2年も3年も経つと、新卒ではなくなる。
つまり、職歴を問われるのだ。
卒業してから、現在まで何をしていたか、ということを問われるのだが、それを説明できないといけない。
アルバイトは、ものにもよるが、ほとんど評価されないのが実情。
要は、景気の悪い今となっては、ネコの手も借りたいという会社は少ない。
だから、正社員にはなれない。

おまけに、IT化が誰でもできる簡単な仕事をなくした。
伝票などの集計や勤怠管理など、従来人がやっていた仕事がコンピューターに置き換わる。
それだけならよかったのだが、レジや注文の仕事もコンピューターで熟練度がなくてもできるようになった。
サービス業も、IT化されたのだ。
したがって、人間に求められるのはコミュニケーション能力だけになった。
それ以外のことは、コンピューターがやってしまう。

昨今、コミュニケーション能力という言葉がよく出てくるが、これはその能力が重視されるようになったということではなく、消去法でそれだけが残ったのだ。
それまでは、計算力とか暗記力とか正確さとかも評価されていた。
しかし、そんなものは必要なくなり、コミュニケーション能力だけしか要らなくなった。
だから、アルバイトでもできるようになった。

2010年の統計によると、ニートが60万人、フリーターが183万人いる。
これは15歳〜34歳だが、35歳以上もたくさんいるだろう。

これを一挙に解決する方法がある。

大学生や高校生のアルバイトを禁止すればいい。
現在大学には290万人在籍している。そのうち7割がアルバイトをしているとして、約200万人の雇用が新規に発生することになる。
これに高校生をプラスすると、かるく250万人にはなるだろう。
これで、ほぼニート・フリーター問題は解決する。

いい考えだと思うのだが…。

| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
喫煙率
日本人の喫煙率は22%。
男性は33%らしい。

かなり減ったなあ、というのが正直な印象。

古い映画を見ると、洋画でも邦画でも、ところかまわず煙草を吸っていて、驚く。
西部劇でもそうだ。
くわえタバコで、のべつ吸いまくりの役もある。

最近のハリウッド映画では、煙草は出てこない。
出てくるときは、煙草がテーマの時で、小道具としてはまず出ない。
以前はギャングも刑事も吸っていたが、最近はみんな健康的。

邦画でも、ほとんど見ない。

レストランも禁煙席が普通で、喫煙席が少ない。

シカゴの空港で喫煙所を探しまわったのが懐かしい。
まだ、あの時はバーに入れば吸えた。
今はもう建物内では吸えないだろう。

ヨーロッパはまだ寛容だったが、今はどうなっているのだろうか。
日本に比べて女性がたくさん吸っていたが…。

しかし、1980年頃は男性の喫煙率が60%以上あったのではないか。

それが今は33%だから、80年代の半分。
50%を切ったのが、2002年らしい。

喫煙場所もそれにつれて減った。

今や煙草を吸う人は、だいぶ肩身が狭い。
まるで犯罪人扱いだ。

若い世代は確実に喫煙率が減っている。
煙草の値段も上がった。

いずれ、なくなる日が来るんだろうが、それもどうなんだろうか。

ぼくは脳梗塞で、やめてしまったが…。



| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
He’s a likeable guy.
こんな言い方があるとは、知らなかった。

刑事が殺された男性の部屋に行き、大家にどんなやつだった?と聞く。
He’s a likable guy. 彼は、好くことができる男だ。

likeableという言葉を辞書で引くと、「好ましい、感じのよい」という意味。

単語を知らなくても、like+ableということで、好くことができるという意味だとわかる。
しかし、likeという動詞にableをつけて、好ましいという単語があるとは思わなかった。

ableというのは、可能だ、という接尾辞だが、likeableという言葉があるなら、hateableという単語もあるのかと思って、辞書を引いていみると、これもあるようだ。
嫌うことができる、という意味らしい。

He's a hateable guy. 彼は感じの悪いやつだ。

わかってしまうと、当たり前の事なのだが、こんな言葉があるとは…。


| | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
コーチングセミナー
今日はコーチングのセミナーに行ってきた。

女性の講師で、なかなか元気のいい方だった。
最初に4チームに分けられて、グループワークがあった。
自分はどんな人間か?という質問があり、選択肢が12個あった。
そのどれを選んだか、なぜそうか、という理由を説明し、ついでに自己紹介する、というもの。
そして、話した後、チームの残りのメンバーで、その人についてうわさ話をしなさい、ということだった。

うわさ話をする時には、とにかく褒めるということ、がルール。

ぼくのチームは、幸い最初の方が元気な女性の方で、雰囲気を作ってくれたので、後が楽になった。

しかし、見ず知らずの人を褒めるというのは難しい。
でも、褒める。みんな褒める。とにかく、褒める。
褒められると、それが的外れなものでも、うれしいものだ。
これで場が和んだ。

たった90分。
メンバーは6人。
しかし、うまくまとまったと思う。

何でも、「私」を主語にして伝えなさい、ということだ。

あなたがこの仕事をうまくできて、私はうれしい。
あなたはこの危機をうまく乗り切れたので、私は感謝している。
そういうことだ。

相手が、いや、そんなことはない、と言っても、私が思うのだから、それでいい。
それがコーチングの極意らしい。

また、自分に対してOKを出せない人は、コーチングは出来ないとのこと。
まず自分を認めないと、他人は認められない、ということらしい。

当たり前の事をするのが難しい。

人の話を聞かない人には、人は話さない、ということらしい。
これも当たり前だが、自分が人の話を聞いていない、という自覚はなかなか持てないだろう。
だから、相手が黙ってしまった時は、自分が聞いていないからだ、というのが理屈。

なかなか面白かった。


| | 考えたこと | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
数独
脳梗塞をやってから、どうも頭の働きが鈍くなったような気がして、クロスワードパズルと数独をやり始めた。

頭の働きが鈍くなったのは、梗塞のせいか、加齢のせいか、それはわからないのだが、気休めにやっている。
しかし、この数独というパズルはやりだしたらやめられない。
1から9の数字を3x3のマス目に入れていくだけなのだが、初級、中級、上級と本が出ていて、いつの間にか上級をやっている。

上になればなるほど、空白が多くて、埋めるのが難しい。

寝る前にやるのだが、何日も考えて前に進まないこともよくある。
しかし、いつかはそれが「あ、そうか」というような事で前に進み、最後のマスを埋めるのが楽しくて、ついつい毎晩やってしまう。

これをやりだしてから、本が読めない。

中毒症状のような気がする。

数独ならぬ、数毒だ。

全部で100ちょっとの問題があって、今は54。
レベル8まできた。最高がレベル9だから、あと1.

これが終わったら、本を読もうと思っているが、中毒を脱することができるか…。






| | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の学校教育
日本の学校は修得主義ではなく、履修主義になっている。

そうではないか、と思っていたが、やはりそうなっている。
今週号のニューズウィークのコラムに、冷泉彰彦という人が書いている。

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/06/post-442.php

 「日本の場合は高校の単位というのは「授業時間」で決まっているのです。高校の学習指導要領においては、1コマ50分の授業を35回受けると1単位になります。多くの科目では、標準単位というのがあって2から4に設定されている他、卒業に必要な単位は最低で74だそうです。
 指導要領では、一応各科目の目標には達していることが要求されていますが、その定義はされていません。つまり、日本の高卒資格を得るには35掛ける74の2590時間の授業を受けなくてはならないのです。数年前に一部の私立高校などで世界史の授業の履修漏れが指摘され、慌てた学校側が臨時に授業をして対応していましたが、あれも要するに所定の時間数だけの授業をすれば良かったのです。」

逆に言うと、高校を卒業するには、2590時間の授業を受ければいい、ということだ。
小学校、中学校も、時間数は違えど同じ事だろう。
履修漏れがあったら、その時間数だけ授業を受ければOK。
休みが多く、卒業できないと思われる者には、補習授業を受けさせたらいい。
極端な話、その時間を居眠りしていてもかまわない。
要は授業に「出席」すればいいのだ。
だから、世界史の履修漏れが問題になった時でも、時間だけが問題だった。
何を習得したか、というのは問題になっていない。
だから、分数ができない大学生や、太陽が地球の回りを回っていると思っている人や、サウジアラビアがアフリカ大陸にある、というような人が出てくる。

アメリカ人も日本がどこにあるかわからない人ばかりだし、暗算もできないではないか、という反論をする人がいたが、アメリカと日本は違う。
ぼくらが教えられたのは、日本は資源がなく、海外と貿易して生きていくということだった。
だから、人の能力は大事だと先生は言っていた。

履修主義は大事だが、もっと大事なのはその教科で教えた内容がわかっているか、ということだろう。
その到達目標が、指導要領では定義されていない、ときた。

あまりにもいい加減だ。

高度情報化社会とか、グローバル化とか言っているが、こんな大事なことを手抜きしていいのか。
文科省が日本をダメにするぞ。

コラムはこう結ばれている。

 「もしかして、文科省は公立の小中高校の現状は「ポスト産業化のグローバルな社会」に適合する人材を育てるところでは「ない」と諦めているのでしょうか? 例えば文科省の初等中等教育局は「子どもたちに自ら学び自ら考える力や豊かな心、たくましさなどの『生きる力』をはぐくむ教育を目指しています。」などという意味不明のスローガンを今でも掲げているわけで、真剣に心配になります。」

その通りだ。



| | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
宝くじ
アメリカの話。ドラマでやっていた。

スクラッチのくじだ。
コインで削って、500万ドルを当てる。
お手軽なくじだ。500万ドルというと、約4億くらいか。

統計によると、高額の当たりくじをひいた人は、5年以内に75%が破産すると言っていた。
ドラマの中の話だが、事実かもしれない。

そういう人専用のセラピーもあるらしい。
当たったおかげで、精神的にまいってしまうという例も多い。
回りにいろいろとたかられることもある。

くじに賛成、反対の人で議論をしていた。
片方は、夢を買うといい、片方はくじは「愚か者が払う税金」という。
しかし、競馬などと違い、宝くじの売上は有益な用途に使われるとも言っていた。
確率を計算すると、買わないほうがいいのは当然だ。

日本の感覚とはちょっと違うのかもしれない。

どれくらいの頻度で発売するのか、それもあるだろう。

学生時代に、死ぬまでにやりたいことを書いていたのを出してきて、じっと見ていた老人が、宝くじでも当たらないと実現できないという。

夢は夢の金で、ということだ。

必ず買う人、時々買う人、買わない人、いろいろいるだろう。

ぼくは、時々買う。
つきあいで買うだけで、自分で買いに行かない。

しかし、買ったら当たりを楽しみにする。
いろいろと想像をして楽しむ。

こういう人は当たらない。



| | 考えたこと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
気候変動
ニューズウィークによると、地球の気候変動が臨界点に近づいているらしい。

国連が発表した報告書で、525ページに及ぶとのこと。

これもいろんな意見がある。
そんなことはない、という意見もあれば、今回の記事のように、「北極などの氷床の融解、アフリカの砂漠化、熱帯雨林の森林破壊が、私たちが想像しているよりはるかに急速に進行している」という人もいる。
今回の報告書には600人の専門家が関わったらしいから、やっぱりこちらが公式見解なのかもしれない。

となると、この報告書がまとめているように、何もしなければ、今世紀の終わりまでに地球の環境は今とはだいぶ異なったものになるかもしれない。

これから、アジアが近代化される。
自動車に乗り、エアコンをつけ、エネルギーを大量消費する社会が出現する。
何せ、アジアには中国とインドがある。
地球の人口の1/3が住んでいるのだ。
さすがに、人類の営みが、地球の自然に目に見える影響を与え始めるのかもしれない。

これを信じるとしたら、人類は生き方を変えなければならない、と書かれている。
来るべき世紀末に備えて、省エネルギーの社会を作らないといけない。

しかし、簡単にそんなことはできないだろう。

過去に戻るとしたら、だいぶ過去に戻らないといけない。

一つややこしいことは、食料の問題だ。
気候変動によって、食物の量が変わる。
暖かくなって、増えるところもあれば、水が枯渇して減るところもある。
それこそ、地球コンピューターでシミュレーションしてもらわないといけない。

こういう時代になってくると、少子化というのはいいことだ。
食い扶持が減る。
少ない人口で、効率的に生きることができる。

江戸時代なら、日本は自給自足できた。
ということは、日本の人口が3000万人くらいなら、なんとかなる。

ということは、今の推定で22世紀には4100万人らしいから、ちょうどいいのかもしれない。
江戸時代よりは食料は多いだろう。

しかし、そんなにうまくいくかどうか…。


| | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
総選挙
AKB48の「総選挙」が昨日実施された。

去年も実施されたが、その時はこれほど大きな取り上げられかたはしなかった。
一般紙でも、わりと大きく載っていた。
こうなると、国民的な行事という感じがする。

しかし、このイベント、「総選挙」と名付けたのは誰なんだろうか。
このネーミングが秀逸だ。

単なる人気投票なんだが、これを「総選挙」というと、否応なく耳や目がそちらに行く。

人気を金で買う、ということだ。
CDを買って、投票権を1票分買う。
それでたくさん得票した人が1位、という単にそれだけのこと。
中には100枚単位でCDを買った人もいるらしい。
それも、いい大人がCDをたくさん買う。
それで投票して、楽しいらしい。

こうなると、コンプガチャといい勝負だ。
ひょっとしたら、コンプガチャの方がましかもしれない。

そんなCDだから、投票してしまったら、捨てるらしい。
世の中に溢れかえっているCDだから、100枚もまとめて買ってくれる中古屋もない。
置いておいても場所をとる。
物理的には1枚あれば十分だから、捨てるしかないらしい。

もったいない話だ。
世の中エコエコと言っているのだから、モノではなく、何か考えたらどうか。

ファンの数に応じて決まるものでもない。
一人で何票も投票できるからだ。
ぶっちゃけた話、CDを売りたいだけ、という気もする。
ミリオンセラーになるわなあ。

しかしこれも「総選挙」、ということだからだろう。

これを、AKB48の「人気投票」と言ってしまえば、ちょっとは騒ぎもマシになるのではないか。

まあ、政治も「こんなことに総選挙という言葉を使ってもらっては困る」と言えるほどマトモではないからなあ。

こんなことをしていると、AKB48も長くはないのではないか。

テレビ局も大変だろう。
何十人も出てきて、みんなにマイクを持たさないといけないのだから…。

どうにかしてくれ、というPA担当の声が聞こえるぞ。


| | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
エネルギー問題
エネルギーは文化的生活になくてはならない。
また、これだけコンピューターが発達した社会では、なくてはならない。
もちろん、何かを生産するにはエネルギーが必要だ。

一方で、石油は有限だと言われていた。
毎年毎年埋蔵量がなくなると言いながら、なくならない。
今ではマグマの中の生物が作り出している、という説もある。
しかし、いくらなんでも中国やインドが、石油をじゃんじゃん消費しだしたら、足りなくなるような気がする。

となると、どうやってエネルギーを調達するか、というのがエネルギー問題だ。

天然ガスや地中のメタンガスなど、使えるエネルギー源はある。
しかしこれも有限だろう。
温室効果ガスの問題もある。

そうなるとエネルギー源は、太陽光、地熱、波、風等の自然エネルギーになる。

今のところ、太陽光は効率が悪く、ダメらしい。
ドイツは失敗しているとのこと。
しかし、太陽電池自体は、充電池とセットで個人使用できないのかと思う。
今は補助金頼みだが、何とか安くて性能がよくならないか。

地熱が有望、という記事をみた。
特に他のエネルギー源と違って、24時間一定の発電ができる、というメリットがある。
その他の自然エネルギーは太陽光は昼間だけだし、波や風は自然の状況によって変化する。
世界にはもうすでに稼働している設備もある。
日本は火山国だし、地政学的にも向いている。

今のうちに、代替エネルギーを開発して、将来に備えなければならない。

原子力を減らしていくために、早くしないといけないと思う。


| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
創造性
茂木健一郎が、「創造性 = 体験 X 意欲」と言っていた。

何かあたらしいモノを作り出す時に、何が大事かということだ。
過去の体験が多いほど、新しいものを創りだせる。
また、意欲が多いほど、新しいものを創りだせる。

となると、年齢が高いのは有利だ。
体験を積んでいる。
しかし、意欲の衰えも激しいらしい。
そうなると、創造性が最大値になるのは、人によって違うが、だいたい30代か40代くらいになるのだろうか。
数学者などは20代が一番創造性がありそうな気がするが、一般的には30代という気がする。

よほど意欲が大きければ、若いときに最大になるし、体験が豊富なら、ちょっと遅れて最大になる、ということだろう。

しかし、自分をふりかえっても、さほど創造性が高かった時期があるわけではない。
だいたい、創造性を試されるような場面など、会社生活ではほとんどない。

新しい考えを思いつくとか、何か困ったことを解決したとか、その程度の事だろう。
全く新しい何かを発見した、というようなことは本当にない。
そんなに新しい発見があるはずがない。

ふりかえって考えると、30代の頃は今より元気だった。
今より、しんどかったが、楽しかったような気がする。

創造性があったはずだが、他の多くの人と同じように、特に何も発見や発明をしなかった。

そんなものだ。

だが、今よりも脳は動いていたような気がする。



| | 考えたこと | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
Facebook 本社
Facebookの本社の写真を見た。

去年の12月に移転したらしい。
カリフォルニア州のメロンパークというところ。
青空がすごくきれいで、まさにカリフォルニアという感じだ。

建物の間の通りには「ハッカー通り」などという名前がついている。
ハッカーと書かれた広場もある。
スモークドチキンを出す食堂があり、社員はもちろんタダ。
食堂やカフェのインテリアはもちろん有名なデザイナーがデザインしている。
日本の会社では考えられないリラックススペースも、カフェの中にある。
もちろん、シャレたバーもある。
社内のそこここに、オープンなスペースがあり、そこで打ち合わせができるようになっている。

とても会社とは思えない。

創造的なスペースという感じだ。

こういうところで働く、というイメージが持てない。
だからといって、こういうところで遊ぶというイメージも持てない。

人間は慣れるから、そのうち働けるようになるのかもしれないが…。

株式会社フェイスブックはどんな仕事をするのだろうか。

ぼくは仕組みがわからないから、どんな仕事をするのかわからない。
プログラムをコーディングする人は、もちろんいるだろう。
サーバーのメンテナンスをする人や、ユーザーのデーターをバックアップしたり、セキュリティを保ったりする人もいるだろう。
しかし、広告取りの営業とか、交渉事はそんなに要りそうにない。
全部ネットでできるのではないか。

いったい、どんな仕事をしているのだろう。

若い人たちが集まって、自由な雰囲気の中で何かをしている。

一度見学してみたい。

| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
コウモリ
WebでCNNのニュースを見ていたら、アメリカでコウモリが大変なことになっているらしい。

http://www.cnn.co.jp/fringe/30006808.html

「空飛ぶ哺乳類のコウモリは、昆虫を餌にして植物の種や花粉を運んでくれる生態学的に貴重な存在。しかし北米では真菌を原因とする「白い鼻症候群」のために推定550万匹以上が死に、個体数が激減している。」とのこと。

このニュースはイギリス発で、「英国ではまだ真菌感染は確認されていないが、生息地の破壊により生存が脅かされる状況が続く。政府は保護対策を強化するため、たとえその時点でコウモリがすんでいなくても、すみかに対する干渉を禁止する法律を制定した。」という内容。

コウモリというと、都会の町中でも飛び回っているのを見ることがある。
日没前後が多い。20センチくらいの小さなもの。
いったいどこから来るのか、よくわからないが、都会でもどこかに住んでいるのだろう。

コウモリというと、洞窟のなか、というイメージがあるが、そうでもないらしい。
日本のコウモリは建物のなかとか、森林に住んでいるとのこと。

映画などでは洞窟と決まったものだが…。

コウモリは鳥類ではない。
哺乳類だが、目が退化していて、音波で見ている。
そのため、夜でも飛び回ることができる。
レーダーの原理だ。
飛び回りながら、蚊などの昆虫を捕まえて食べるのだから、かなり高性能のレーダーだろう。

鳥たちが鳥目で夜間は行動できないので、コウモリとは共生できているのか。

夜行性であることと、黒い姿で、あまりよいイメージはない。
バットマンも、正義の味方ではあるが、夜のイメージだ。
だから、何となく気味が悪い存在であるが、コウモリからしたらいい迷惑だろう。

空中を音波を発して、飛び回る、目が退化した哺乳類。
こう書くと気味が悪い存在だが、生態系の中では貴重な存在らしい。

日本には病気が来ないことを祈る。



| | 考えたこと | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
サウンド・イン”S”
今朝、訃報が載っていた尾崎紀世彦は、1971年にレコード大賞をとった。

「また逢う日まで」という曲。今では知らない人も増えた。
この曲は今でも時々カラオケで歌うが、いい曲だ。
ちょうどトム・ジョーンズが流行っていた頃で、アレンジも何となくそれ風だった。
和製トム・ジョーンズと言われていた、というのは亡くなったというニュースを聞いて、初めて知った。

尾崎というと、尾崎紀世彦。尾崎豊ではない。
歌謡曲というより、和製ポップス、という感じだった。

当時、サウンド・イン”S”という番組があって、尾崎紀世彦というと思い出す。
ポップス好きを狙った番組で、ジャズピアニストの世良譲がレギュラーで出ていた。

グランドピアノの回りを囲むようなカウンターがあって、その回りにゲストが座り、真ん中で世良譲がピアノを弾く、という姿がかっこよくて、憧れた。

調べてみると、あまり尾崎は出ていなかったようだが、どういうわけか、ぼくの中では尾崎というとサウンド・イン”S"だ。

普段は歌謡曲で出ている人が、ポップスを歌う、というところが斬新だった。
というか、本当は洋楽のポップスの歌い手だが、歌謡曲を歌わないと食えないという歌手が、本当に歌いたい歌をうたう、という番組だったと思う。

尾崎紀世彦や欧陽菲菲、しばたはつみなどが、生き生きと歌っていた。

今よりも洋楽が輝いていた時期。

夢があったなあ。

| | 考えたこと | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヤンキー
関西ではこれを「やんキぃ」という風に「キぃ」にアクセントを置いて発音する。

特異な格好をした、若い人のことだ。
ジャージを着て、ラメのサンダルを履いて、コンビニの前で座っている、というイメージ。
もうだいぶ古いイメージだ。

昨今の若い人は、ヤンキーを不良の代名詞みたいに考えているらしい。
聞いてみると、そんな感じだった。

20年ほど前は、ヤンキーにはいろいろな特徴があるが、総じて不良ではない、という認識だったと思う。

ヤンキーはとにかく一人で行動しない。
仲間で行動する。
年代が同じくらいであれば、因縁をつけてくることもあるが、年が離れているとわりと親切だったりする。(これには賛否両論はあるが)

また、ヤンキーはわりとシャイである。
仲間でいても、なかなか口火を切る人がいない。
コンビニの前あたりにたむろしているヤンキーたちに、道を尋ねるとする。
「兄ちゃんら、どこそこへ行くのはどう行ったらいい?」
なかなか返事がなく、みんな顔を見合わせている。
こちらが立ち去りかけると、一人が「この道右やで」などという。

仲間意識が強すぎて、口火を切って発言するということがしにくいらしい。

まあ、これは20年前の話。
いまはどうなっているか、わからない。

でも、当時、暴走族と違って、自転車や歩きのヤンキーたちは、チョイワルという感じだった。

ヤンキーと言えばコンビニ。
コンビニが生まれたのは諸説あるようだが、70年代くらい。
それが今のように隆盛し始めたのが80年代後半くらいか。
ネットが進み、ATMができ、商品の宅配サービスなども始めたのが90年代半ば。

90年代くらいまでは、コンビニは「普通の店」ではなかった。
ちょっと特別な、夜間の店というイメージだったと思う。
今のように、スーパーの代わりという感じではない。(値段は高いが…)

今のヤンキーが不良の代名詞だとすると、コンビニの隆盛に伴って、彼らの不良化が起こったのかもしれない。

誰か、研究してほしい。


| | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |