考えたこと2

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月曜日の憂鬱
正社員の頃は月曜日が来るのがうっとうしかった。
特に、会社勤めの時。
だいたいサザエさんの時間になると憂鬱になる。
英語でもブルーマンデーという言葉があるくらいだ。

逆に金曜日の夜は最高。
これから休みで会社に行かなくていい。
TGIF(Thank God It's Friday)という言葉もおなじみ。
若い頃は元気だったから、金曜日の夜遅く帰ってきても、夜ふかししていた。
寝るのがもったいない、という感じ。

でも、学校法人に変わって、だいぶ楽になった。
基本的に新しいことをやらなくても、最悪は前例踏襲でいい、という仕事。
実際、ほとんどの部署が前の年と同じことをずっとやっていた。
それで学生が来ている間はハッピーだ。

学生の就職支援の仕事に変わってからは、行くのが楽しみの日もあった。
事務局長時代は、うっとうしい会議など、あったにはあったが…。

学校法人を辞めて、今のフリーに近い働き方になって、月曜日の憂鬱はなくなった。
朝起きるのがめんどくさいとか、通勤がしんどいとか、そういうのはあるが、仕事が嫌だという感覚はない。
これはすごく精神的に楽だ。
今年の夏のお盆など、早く終わってほしいと思ったくらい。

何度も書くが、年とを取るといろいろ変わる。
仕事と自分の距離もだんだんと変わってくる。

会社づとめをしていたときのように、仕事に没頭して時間を過ごしていたらどうなっていたかと思う。
ぼくはかなりのワーカホリックだったから、危なかったように思う。

学校法人では、仕事のストレスと言うより、わけのわからない人たちとの付き合いが大変だった。
考え方が違うのだ。
効率というものを考えないというか…。
学校法人という、税金をもらってやっている意義や意識の問題もあった。

それもこれも、過ぎ去ってしまえば、もう過去のもの。

もっと時間が経てば、別の意味で月曜日の憂鬱があるかもしれない。
普通の人達は仕事に行くのに、自分は行かない、という憂鬱。

それもあるかもしれないなあ。




| | 考えたこと | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロシアの暗殺
プーチン政権に反対する野党の党首が、飛行機の中で毒物を飲んで、昏睡状態になった。
暗殺未遂かと思う。
ロシアは以前元スパイにイギリスで猛毒の放射性物質を飲ませて殺している。
まるで007の世界。
他にもロシア関連の暗殺はいろいろある。

事故に見せかけず公然と暗殺するというのは、ある意味政権に反対するものは殺す、というメッセージにも見える。
ロシア人にはそういう伝統があるという記事もあった。
表には出ないが、大統領が暗殺を承認して、実行したということだ。

そういえば、北朝鮮の金正恩書記長の兄も暗殺された。
肉親まで殺すとは、まるで戦国時代の武将の争いのような話。
それだけ血の影響が大きい体制だということだろう。

007の「00(ダブルオー)」は任務を遂行する上で、人を殺してもいいというライセンスを与えられているという設定。
実際、アメリカのNSAやCIAも、ロシア並みに殺人をしているのかもしれない。
ケネディゃジョン・レノンの死も、謎になっている部分もある。

しかし、さすがに西側は法治国家であり、ロシアのようにあからさまに殺す、という事件は少ない。
あくまでも「謎」だ。
西・東という分類も、冷戦が終わってあまり使わなくなった。
ベルリンの壁がなくなったのが象徴的。
当時の東側の国というと、今はなきソ連が筆頭だった。
「ロシアより愛を込めて」の頃のソ連のスパイ組織、KGBは007の敵だった。
現代の東側というと、イメージとしてはソ連に代わって中国が筆頭になっている。

007に代表されるスパイ映画も冷戦が終わり、作るのが難しくなったと思う。
ぼくが小学校の頃、少年サンデーか何かに「007 サンダーボール作戦」の記事が出ていた。
当時は漫画週刊誌は大人が見るものではなかったので、本当に小学生に007の映画の説明をしていたのだ。

たしかに、映画に毎回出てくるスパイの持ち物は魅力的だった。
アストンマーチンという車を知ったのも007だったし、ナイフの出てくるアタッシュケースとか、腕時計の通信機とか、心躍るものばかり。
腕時計の通信機がもう一般商品になっているのはびっくりだが、当時は本当に「すごいなあ」と思ったものだ。

たしか、007の映画に出てくるアストンマーチンのプラモデルもあった。
リアウインドウの後ろに防弾の板が出てくるようになっていたり、座席が飛び出す仕掛けもあったと思う。

話がだいぶそれたが、冷戦の時代を思い出した。

でも、ロシアはまだその時代にとどまっているようだが…。


| | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
誹謗中傷
松江の高校でサッカー部の部員がコロナに感染して、学校に80件の誹謗中傷の電話がかかってきたとのこと。
「日本から出て行け」「学校をつぶせ」などという内容だったらしい。
ネット上でもバッシングされているとのこと。
テレビの情報番組でも取り上げられて、一般にも拡散した。
そんなことで、80件もの誹謗中傷の電話に至ったということだ。

こういうのを見ると、本当にコロナに感染するのが怖い、と思っている人が多いのに驚く。
どうしたら、コロナだけを恐れるのはおかしいし、少なくともインフルエンザと同じ程度恐れれば十分、ということを伝えられるのだろうか。
隣組と自粛警察でも書いたが、こういうのはどうにかならないのだろうか。

ワクチンや薬がなくても、コロナは先シーズンのインフルエンザの1/3しか死んでいない。
もうそういう事の報道を積極的にしてもいいのではないか。
マスコミはテレビを見てもらうために、怖さを煽る報道ばかりになった。
でも、それはもうやめるべきだ。

相対的に見ないと、感情の壁を超えられない。
コロナだけを見ていると、他の病気でもたくさん死んでいるということすら見えない。
頭の中がコロナだらけになってしまって、国民全員PCR検査などと言っているのだろう。
アホらしくて、嫌になる。

2週間後にはパリみたいになるとか、ニューヨークみたいになるとか、そういう報道をしたマスコミや言った本人は、それが外れても一切謝罪しない。
これを放置しているのもよくないと思う。
政治家がちょっと間違えても、鬼の首を取ったように指摘するマスコミが、全くハズレた人のことを言わないし、自ら報道したことを謝罪もしないのは、どう考えてもオカシイ。
最も謝罪すべきなのは感染者を出したところではなく、間違ったことを報道したマスコミだろう。
そんな無責任がまかり通っていいのだろうか。

中傷をする人は、コロナで自粛しても収入が減らない人だろう。
中傷をするほど積極的ではないが、でもコロナにかかるのは嫌だ、という人もいる。
でも、コロナにかかるのと、インフルエンザにかかるのと、どちらが怖いか、よく考えてほしい。
若い人たちはほぼ何ともないし、60歳以下でもほぼ死なない。
4月19日時点の感染者の年代別死亡率は、80代以上では11.1%、70代では5.2%、60代では1.7%となっている。

70代、80代の人は自粛をしたらいいと思う。
でも、社会活動を再開しないと、本当に産業が潰れ、若い人たちが働けない。
それはみんなの不利益になる。
年金だって、維持など(もともとムリだが)とてもできないのだ。

感染者が増えることは、医療資源さえ圧迫しなければ社会にとってはいいことなのだ。
その人達が壁になって、感染を止めることができる。
これが集団免疫の考え方。

指定感染症を外して、無症状の人たちを入院させず、どの病院でもコロナを診るようにしたら、医療資源など余裕だと思う。

ずっと同じことを書いているが、本当に気の毒なのは社会に出るところで躓いてしまう就活生たちなんだぞ。





| | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
吉本新喜劇
吉本新喜劇といえば、ぼくらの年代は小学校の頃から見ていた。
その頃は、平参平がまだ現役。
かすかに、エンタツ・アチャコの記憶はある。
当時は岡八郎、花紀京が出始めだったか…。
土曜日の昼は学校から帰って新喜劇を見るのが楽しみだった。

その後、間寛平、木村進あたりの時代になって、なんば、梅田、京都の花月劇場の3つを毎週やっていた。
それ以外にも、テレビ用としてあっちこっち丁稚とか、駐在さんシリーズ、爆笑寄席なんかもあって、関西ローカルで、週に何本も吉本の番組が見られた。
あの頃から、関西のテレビ局と吉本興業の相互依存が始まっていたのだろう。
朝日、毎日、関西、読売のどのチャンネルでも、吉本の番組があったなあ。

一時新喜劇も低迷して、辻本茂雄あたりが出てきた頃、「やめよっかな」というキャンペーンもやった。
でも、見事復活して、新喜劇はなくならなかった。
あの当時、何度か花月に行ったのを覚えている。
やはり関西の住人としては、新喜劇は文化だったのだと思う。

静岡出身の会社の後輩を連れて行った時に、前の席におばあちゃんと孫らしき小学校低学年の娘が2人で来ており、その後輩が「関西の子供は、小さいときからこんな笑いに接しているのか」としきりに感心していたことを思い出す。

でも、吉本新喜劇は、当時は伝承とか文化とかは全く考えていなかった。
稽古も読み合わせだけで、舞台稽古などやらない。
1週間で1本だから、そんなことやってられない。
新喜劇は残らなくてもいい、という考え方だったと聞く。

演目が変わった初日は、いろいろあったらしい。
テレビ撮りの日までに完成させる、というようなシステム。
きっと吉本にも、テレビ局にも、映像のアーカイブも残っていないのだと思う。

そのせいか、古い新喜劇のビデオ映像をYoutubeに上げている人がいる。
個人のコレクションを共有してくれているのだ。
画像はビデオの3倍速あたりで録っているので、かなり荒いが小さなタブレットやパソコンで見るのには十分。
やはり、桑原和男、池乃めだかあたりのビデオが普及してからのものが多いが、時折岡八郎、花紀京、船場太郎なんかも見られる。

こんな時代が来るとは思わなかった。

吉本新喜劇は最盛期は年に150本以上作っていたはず。
それが40年続いたとすると、6000本になる。
まだまだ始まったところ、という感じ。

それが草の根でできたとしたら、これこそ関西の文化だと思う。


| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウーバーイーツ
最近、家の近所でもウーバーイーツの自転車やバイクを見るようになった。
自粛以降、特に増えたように思う。

学生もわりと気軽に頼んでいるようだ。
暑いから、キャンパスを出て食べに行かなくても済む。
といっても、頼んでいたのはたこ焼きだったが…。

ウーバーイーツの配達員は個人営業。
オンラインで登録する。
専用のバッグはアマゾンで買える。

身分証明の書類をオンラインで送り、銀行口座の確認をするだけでスタートできるらしい。
もちろん、スマホは必要。
UberDriverというアプリを入れればOK。

店からのリクエストの連絡、GoogleMapでの場所の確認など、スマホで仕事ができるようになったのはすごい革新だ。
店で品物を受け取って、配達を開始すると、直接依頼者との連絡も取れる。
渋滞などで遅れる場合は連絡するといい、とネット上に記事もあった。

報酬は登録しておいた銀行に自動的に入る。
もちろん、店とドライバー、客とドライバー、店と客の相互評価もある。
このピアレビューがこのビジネスの肝だ。
実際に食べてどうだったかという声が聞けるというのは、レストランにとっても有益な情報だろう。
アプリで信用や隠れていた情報を生み出すというのが、素晴らしいアイデアだと思う。

もちろん、ドライバーは報酬の合計によっては確定申告をする必要がある。
個人事業主だからだ。
ウーバーはドライバーを雇わない。
働きたい時に、働けるというところがシェアリングエコノミーの利点だ。
課税の方法には問題もあるようだが…。

タクシーのウーバーの方は日本では規制や圧力団体がいて、都市部ではなかなか進まないが、ウーバーイーツの方は今回の自粛でだいぶ進んだ。

インターネットとスマホというインフラがなければ、シェアリングエコノミーは成り立たない。

新しいビジネスの形だが、日本でどう根付くのかと思う。


| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
同調圧力
同志社大学の社会心理学者が、マスクの着用頻度に最も影響する理由をインターネットで聞いたらしい。
日経に載っていた。

それによると、「断トツは「人が着けているから」で0.44。次は「不安の緩和」で0.16、「自分の感染防止」や本来の効果とされる「他人の感染防止」は0近くでほぼ関係がないとされた。」ということだ。

要するに、ほとんどの人は「自分や他人の感染防止に役立つから」という理由でマスクをしているのではないという結果。

これが同調圧力というものだろう。
回りがそうしているから、というやつ。
みんながしているから、自分もしないと浮いてしまう、ということになる。

トラブルを避けようとすると、自分もそうするしかない、という圧力がかかる。
所詮、勝手にそう考えているだけ、といわれるかもしれないが、実際にトラブルが起こっているというような記事を見たりすると、その圧力が強化される。

マスコミではマスクの着用をしないといけない、という論調。
しかし、ネット上には、それは気休め程度という意見も多い。

日本では「人に迷惑をかけない」という道徳律はランクが高い。
和をもって尊しとなす、という伝統があるからだ。
それがこの同調圧力の源泉となっている。

ネット上でも、マスクは気休めだと思っていても、密になるところではマスクをするという人が多い。

そんなこと、どうでもいいから、したらええやん、と思う。
実際、そうしている。

でも、そういう諦めが戦前の日本を戦争に導いたのだとも思う。

こんなことを考えるようになったのも、歳をとったからか。





| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
あつまれどうぶつの森
任天堂がリリースしたゲーム「あつまれどうぶつの森」が好調。
すごい人気らしい。
今期はそのおかげで、売上2倍、利益が6倍という状況。

この「あつまれどうぶつの森」は今までの常識を覆しているとのこと。
それは何かというと、だいたいのゲームは習熟度を上げてスコアを上げるために、2つあるいは3つの操作を同時にする、ということが必要だった。

なるほど、昔のインベーダーゲームでも弾を打ちながら、レバーで操作するというボタンとレバーの同時操作のタイミングが肝だった。
そうすることで、だんだんとスコアが上がっていく達成感を得る。

しかし、「あつまれどうぶつの森」はそういう同時操作を排除しているらしい。
要は習熟しなくても楽しめる、ということだ。
それが発売4ヶ月で2240万本も売れた主因ではないかという。

ぼくは子供が次男が中学に上がったくらいから、ゲームはご無沙汰だが、彼らが昔ゲームをやっているのを見ていると、レバーとボタンを使って上手にキャラクターを動かしていた。

でも、この「あつまれどうぶつの森」はそんなことはいらない。
そこがこの巣ごもり需要にもマッチしたのだろう。

ゲームを買っても、上手くなれる気がしないと、買わなくなる。
家族で楽しもうとしても、大人はやられてばかりというのも困る。
そういう需要にマッチしたということだ。

任天堂という会社、さすがによく考えている。
無人島でのんびり暮らす、というゲームの設定もピッタリ来たのだろう。

小さな子供から高齢者まで楽しめる、ということを考えると、こうなるということか。

| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホールトーン
ホールトーンスケールというのがある。
これは全部の音の間隔が、全音になっているスケール。

普通のメジャースケールはドレミファソラシド。
これはミとファ、シとドの間が半音になっている。

それに対してホールトーンは全部が全音だから、ドレミファ#ソ#ラ#ドという一音少ないスケール。
ホールトーンを弾くと、なんとも言えない不安定な感じがする。
今日レッスンで先生と話をしていて、ホールトーンスケールはどんな時に使うのか?という質問をした。

先生は「ホールトーンは地に足がついていないという感じ」という表現で、これは「鉄腕アトム」のイントロだという。
空を超えてラララ星の彼方、という歌いだしの手前のところに、なんとも言えない未来感のある、地に足がついていない感じのイントロがあるが、あれがホールトーンという説明。

弾いてみると、ちょうど2オクターブのホールトーンスケールだった。
なんとも言えない、宙に浮いたような感じ。
アトムが空を飛ぶという感じが現れている。

そのイントロのあと、普通のスケールで「空を超えてラララ…」と歌が始まる。
よくできたイントロだと感心した。

ネットで調べたら、作曲した高井達雄という人が書いた記事があって、中に

「ちょっと専門的な話になりますが、『鉄腕アトムのテーマ』には、ドレミファソラシドにない、いわゆるピアノの黒鍵の音が入っているんです。」

「僕はわざと難しいことをしようとしたわけではありません。ただ、リズム感があって、アトムは空を飛ぶから?上がっていくような感じ?がいいと思ったんです。」

と書いてあった。

この「上がっていくような感じ」をホールトーンで表した。

ド レ ミ ファ# ソ# ラ# ド

不思議な音階だ。



| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
シェア率?
最近「シェア率」という言葉を聞くようになった。
ぼくは違和感があるのだが、普通に使っている人もいるし、ネット上に「シェア率」という文字もある。
そういう時代になったのだろうか。

シェアという言葉の意味は「市場占有率」であり、シェアという言葉には「率」が含まれている。
というか、シェアという言葉自体がもともと「率」という概念を持っている。
だから、シェアに率をつけるのはマチガイだと思う。
しかし、言葉というのはみんなが使えば正しいことになるから、「シェア率」もいつかは正しい日本語になるのかもしれない。
どっちにしても、英語を話す人には意味がわからないのだから、それでもかまわない。

この類の言葉に、「よりベター」というものもある。
「ベター」は比較級であり、「より」は含まれているから要らないはず。
これも違和感があるのだが、なんとなく市民権を得ているのが気持ち悪い。
英語教育に力を入れているのなら、こういうのはオカシイ、という声が出てもいいと思うのだが…。

英語がそれだけ身近になった、ということかもしれない。

しかし、個人的にはどう考えても、オカシイ。



| | 考えたこと | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナ鬱
ぼちぼち、コロナの自粛やリモートワークの影響での退職の声が聞かれるようになってきた。
今日久しぶりに学校に行くと、システムをずっと担当していた外部の人が退職したとのこと。
ヘルプデスクみたいなこともやっていたようで、「疲れた」ようだと言っていた。

組織のマネジメント不足、ということかもしれない。
一緒にいたらそれが顕在化するのだが、リモートになるとわからないから、退職まで追い込まれる。
そんな事例も多いのだろうと思う。

それでなくても、コロナで昨年比GDPの25%以上の下落。
外食、観光、航空、鉄道などの業界は惨憺たる状況。
インバウンド需要がなくなり、関空の売店は閉まっているとか、新入社員は自宅待機だとか、心配になる話の種は尽きない。
国内需要は巣ごもりで必要になるもの以外は悲惨な状況。
でも、本当の不況は遅れてやってくるのが通例。
自殺者が増えるのも、3年後だという。

仕事がなくなる、ということは今の日本では大変なことだ。
失業率と自殺率がきれいな相関があるのも日本の特徴。
ぼくも2014年の4月から、学校法人を辞めてキャリアの資格を取るために勉強の期間があったが、この期間はしんどかった。
幸い、計画から半年遅れにはなったが、無事希望の仕事が見つかってホッとした。

こないだの記事で、今年の新入社員が働く気力をなくしている、というものがあった。
入社していきなりリモートワークになり、研修のオンライン化も遅れ、ゲーム三昧になり、モチベーションが下がってしまったという。
最初は肝心だからなあ。

精神科医の和田秀樹がコロナ鬱に関する記事を書いていた。
不安が続くと、セロトニンという神経伝達物質が足りなくなり、不安が増大するらしい。
つまり、コロナに感染したらどうしよう、という不安が鬱を招く。
失業不安もある。
自粛もあまりよくないらしい。

セロトニンは日光にあたると増えるらしく、家に籠もっているとよくない。
オンラインの会議ばかりで、実際に人と会わない生活を送るのも、気持ちを発散する機会が減るからよくないとのこと。
運動が不足するのもまたよくないとのこと。
アルコールが増えると、脳内のセロトニンが減ってしまうという効果もある。
要するに、感染不安、失業不安、自粛という3つの状況が、コロナ鬱の原因になる。

セロトニンの不足はイライラの原因にもなり、自粛警察をする人などはセロトニン不足になっているかもしれないとのこと。

というわけで、日光にあたり、運動をして、肉を食べることが防止策。

気をつけよう。





| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
忘られぬ
歳をとって、いよいよ思うことがある。
池波正太郎の「剣客商売」の主人公、秋山小兵衛の言葉。

「肝心なことはすぐに忘れ、忘れてしまいたいことはいつまでも忘られぬ」

歳をとると、時間の密度が薄くなる。
どうでもいい時間が増える。

そういう時に、どうしていいことは思い出さないのだろうか。
なぜか、思い出すのは、悪いことばかり。

悪いことといっても、まわりに迷惑をかけるようなものではなく、なぜか意に反したことを言ってしまったとか、してしまったとか、まわりの人たちはあまり気にとめないようなものが多いと思う。

時々、そういうことを思い出して、思わず声が出そうになる。

いいこともたくさんしてきたはずなのに、「思い起こせば、恥ずかしきことの数々」という、「男はつらいよ」のエンディングによく出てくる気分になる。

自分の中で、そういう恥ずかしかったり、失敗したと思えたりするエピソードと結びついた記憶は、死ぬまで忘れられないように思える。

いつもいつも思い出すわけではない。
そんなことばかりしていたら、やってられないだろう。

密度が薄くなった時に、ふっと思い出す。
これが厄介だ。

調べたら、冒頭の言葉も過去に1回書いていた。

書いたことも忘れているのだ…






| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
感染者狩り
8月5日の読売オンラインの記事に、「感染者狩り」横行、という記事があった。

「インターネット上では、感染者やその家族らを特定し、中傷や差別的な内容の書き込みが繰り返されている。「感染者狩り」と呼ばれる行為だ。実際に標的となった東海地方に住む40歳代の男性が「目に見えないウイルスより、人の目の方が恐ろしかった」と胸の内を明かした。」

なんとも情けないニュースだ。

以前から、感染したマスコミ関係者が「申し訳ない」と謝ったりしているのが、不思議だった。
何でコロナにかかったら、謝らないといけないのか、ワケがわからない。
感染に対する意識が低いから、かかってしまったということで謝っているのだろうか。
それは、感染に対して考えられる万全の対策をしていたら、コロナにはかからない、という前提があるからだろう。

それは人間の思い上がりであり、ウィルス感染に関してそんな万全の対策などない。
ましてや、勤めに出ているのだから感染リスクはあって当然だ。
テレビの関係者が大事な仕事をしているかどうかは疑問だが、少なくとも何らかの活動をしないと食べていけないのだ。
国民がみんな家に閉じこもって感染しないように生活していたら、経済活動など成り立たないのは当り前。
リモートワークでできることは増えているが、現場の仕事はそう簡単になくならない。

だいいち社会生活を営まないと、現代では都市で生活などできない。
日本が豊かになれたのは、大勢がそういう生活をして、モノやサービスを作り、それを国内だけでなく海外にも輸出したからだ。
それによってGDPが増えて、今の年金制度や健康保険制度も可能になった。
結局、戦後の日本が繁栄できたのは、都市で生産活動をする人が増えて、余剰生産能力を持ったからだ。

「感染者狩り」のように非難する人たちは、社会活動をしなくても生きていけるひとたちなのだろう。
全くもって迷惑としか言いようがない。

現在のコロナの死者数を考えると、感染することと、社会活動を普通にすることを天秤にかけると、社会活動を普通にする方が重い。
本当に経済が沈んでしまったら、年金や福祉などどうにもならないことがわかっているのだろうか。
PCR検査だって、タダではないのだ。

コロナが感染症に指定されているから、回りに迷惑がかかるのは事実。
初期対応としてはもっともだったが、今の死者の状況なら、早急に指定を外すべきだ。
そうしないと、「感染者狩り」が起こってしまう。

こんな馬鹿なことをやっていてはいけないと思う。



| | 考えたこと | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
モスキート音
ネコよけ用の中国製のデバイスがある。
家の裏がネコの糞害を受けて、アマゾンで買った。
ネコの顔の形をしていて、目の周りが光り、何種類かの高周波の音が出る。

今日充電をして、スイッチを入れてみたら帰ってきていた長男が「うるさい」という。
ぼくは全くうるさくなかったが、とても高い音(聴力検査で鳴るような音)がかすかに出ていて、それがうるさく感じるとのこと。
若い人は耳がいいというが、本当にそうだった。

コンビニの駐車場などに若い人がたむろするのを防ぐために、モスキート音を出すということを聞いたことがある。
年寄りは聞こえなくても、若い人たちには聞こえるのだ。

今はスマホのアプリでも音が出せるらしい。

しかし、スイッチを入れるなり、うるさいということだったから、本当に差は大きい。
高周波が聞こえなくなる、ということは鼓膜の張力が下がっている、ということだろう。
要は年をとって鼓膜の感度が下がったのだ。

こういう風にして、年をとっていく。

近くが見えなくなったり、膝が痛くなったり、頻尿になったり、夜ふかしができなくなったり…。

今回はめちゃ実感した。





| | 考えたこと | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
DAWその2
CakeworkというDAW(デスクトップ・オーディオ・ワークステーション)のソフトをノートPCにインストールした。
このソフトはもともと数万円で売っていたものだが、どういうわけか今は無料になっている。
入れてみてわかったのだが、あまりにも機能が多く、画面のどこを触ったらどうなるのかわからないので、敷居が高いからなかなか利用が進まないのだろう。

USBオーディオインターフェースというものをつないで、音や電子楽器のデーター(MIDI)をやりとりする。
5年ほど前に、漫才や落語のビデオテープをデジタル化するために安いUSBオーディオインターフェースを買ったが、その時にも専門用語が多く、ややこしかったのを覚えている。

どのDAWソフトにも、機能を絞った無料版や、関連品を買った時に付いてくるオマケ版があって、それらが入門編ということになっているようだ。
しかし、意外とCPU性能が必要になることと、メモリも食うことから、なかなかちゃんと動かなかったり、動いたとしてもどう使うのかがわからなかったりして、使う人が増えないのだろう。
便利なように言われるが、そんなこんなでハードルが高いのだ。

でも、Youtubeで解説動画などが出てきて、だいぶ使いやすくなった。
動画では、懇切丁寧に説明してくれている。

実際に使ってみると、ノートPCでは苦しいことがわかる。
本当に機能が多く、いろんなウィンドウを立ち上げないといけないので、画面が狭いとうまく使えない。
動画で見せている画面も20インチ以上のもので、それくらいの広さは必要だ。
ましてや老眼ではつらい。

今のデスクトップの場所は、何かと制約が多く、使えない。
でも、長い目で見たら、DAWは面白いものになると思う。
オーディオデーターや電子楽器のMIDIデーターを可視化して、それをつないで音楽を作る。
加工はいったん録音した後から自由自在にできる。
夢のようなマシンだ。

それだけに、使おうとすると機材が必要になる。

こうなると、どこまでついて行くかが問題だぞ。





| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
山中教授の発言
山中教授がテレビで20代、30代の若者のコロナの致死率のことを話していたらしい。

テレビのキャプチャー画面がネットに出ている。

「20代、30代であっても、0.2%の致死率じゃないかと言われています
これは500人に一人感染して発症すると500人に1人は20代であっても亡くなってしまう
例えば乗り物があって、この乗り物は500回に1回死亡事故を起こしますと
そういう乗り物があったら乗れますか」

ということだ。
紛らわしい表現だと思う。

よくわからないが、20代、30代の人が、500人に一人感染して発症して、その致死率が0.2%ということだから、全体の致死率は1/500✕0.002という式になる。
これは0.002✕0.002だから、0.000004、つまり0.0004%になる。
だから、後半の500回に1回の死亡事故を起こす乗り物、というのは正しくない。
25万回に1回事故を起こす乗り物、という表現が正しい。
おそらく、そういう意味だろう。

山中氏はIPS細胞の専門家であっても、感染症の専門家ではない。
ノーベル賞の名誉を汚すような発言はやめてほしい。

日本の専門家と言われる人たちが、いかに狭い世界で生きているかということがよくわかった。







| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
終戦記念日2
うちの父は8月15日は終戦記念日ではなく、敗戦記念日にしないといけないと言っていた。
コンバットというアメリカの戦争ドラマが好きで、ずっと見ていた。
ヨーロッパ戦線のドラマで、ドイツとアメリカの戦争。
ぼくも付き合って見ていたが、戦争の中の人間ドラマという感じだった。

主役のサンダース軍曹が持っているのが、トミーガンというマシンガン。
父は日本陸軍の軍曹は、あんなものは持てなかったと言っていた。
普通の銃と、トミーガンでは殺傷能力が全く違う。
あんな国と戦うとは、日本の陸軍はアホだったということだ。

朝からニュースで戦争の記憶の風化を言っている。
最近だんだん違和感が強くなってきた。

何回か書いたが、今戦争の記憶を語っている人たちは、実際に戦場に行った人ではなく、空襲にあったとかいう人ばかり。
少なくともテレビに映るのは、そういう人たちだ。

戦争の悲惨さを伝えるということだろうが、戦争が悲惨なことは物心ついた人ならわかるだろう。
世界各地で起こっている紛争の報道を見ればわかる。
それでも戦いをやめられないのが人間なのだ。

戦争の悲惨さを伝えたいのなら、世界各地の紛争を取材すればいい。
それでリアルな悲惨さを伝えることができる。

でも、日本の特派員を見ることは圧倒的に少ない。
だいたいは、欧米の特派員のレポートを流しているだけ。
日本では所詮戦争は他人事なのだ。
その態度を改めずに、戦争の記憶の風化などちゃんちゃらおかしい。

まず日本で伝えるべきは、なぜあんな無謀な戦争をしたのか、ということだ。
それが、風化させるべきではない、最も大事なことではないか。

なぜ、餓死が実際に戦って戦死した人よりも多いのか。
230万人の戦死者のうち、60%が餓死。
無能な作戦、バカな参謀本部、予算がほしいから戦争を継続するという組織。
そういうことを伝えていかないと、間違いを繰り返す。

核兵器ができて、互いに抑止するから、世界レベルの戦争は75年以上起こっていない。
こんなに平和が続いた時代は珍しいのだと思う。
皮肉にも、広島、長崎に落とされた核爆弾が抑止力になったと思う。
落としたアメリカの罪は重いが、そもそもそういう事態になるまでどうして戦争を終結しなかったのか。

まず反省すべきは、なぜそうなる道を突き進んだのか、ということだ。
戦争は怖い、戦争はいけない、と語ることは誰でもできる。
そう言っている人たちも、国を挙げて戦争に賛成したのはなぜなのか。

マスコミの意識が低すぎる…。




| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
2019年の広告費
電通の発表によると、2019年の広告費はネット広告がテレビを初めて超えたとのこと。
ネット広告は6年連続で2桁増。2兆円を超えた。

なかでも、動画広告が伸びている。
ブロードバンドが一般的になって、重いデーターも問題なくなったからだ。
確かに、昔は静止画だけだったが、今は音付きの動画も多い。
インスタグラムなど、そんな広告が半分くらいある。

ターゲッティングできているから、興味のある人がみるための広告になっている。
イメージだけのものも多いが、もっと商品を限定してピンポイントで攻めてくる。
なかなか上手な戦略だ。

フェイスブックの広告も動画が増えた。
AIを使っているのか、関連するものもよく出てくる。
TVの広告よりも、よほど賢い。

いろんなページを見ていても、広告の出し方のバリエーションが増えた。
ページを送って次のページに行こうとすると、出てくるものもある。
一旦それを見て、消さないと次のページが見れない。
逆効果の面もあるが、広告費は高いのかもしれない。

楽天などは、以前見たことのある商品だけを見せるようになっていたりする。
一度見て、買うのを止めたりしても、もう一度勧めてくるのだ。
成功率は上がるのだろう。

最近はハッシュタグでも検索できるから、若い人は化粧品関係は「#コスメ」で検索するらしい。
動画は静止画と違ってごまかしにくいので、動画を参考にする人が増えるのだろう。
もっともな話だ。

テレビの宣伝なら、放送する時刻と、CMの時間くらいしか選べないが、ネット広告なら利用者の属性(年齢、性別、検索ワードからの嗜好など、検索履歴)をみて、どういう人に対して宣伝をするか、決めることができる。
ネットのほうが圧倒的に訴求率は高い。

相対的に既存のメディアの広告は価値が下がっている。
ネットの利用が低い高齢者を除いて、それは当然なのだ。

TVも新聞も雑誌も、どんどん広告の値段は下がっているはず。
コロナで不況になればなっただけ、TVのCMは減る。

その断末魔が感染を煽る民放の番組かもしれない。


| | 考えたこと | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
COBOL
COBOLというと、ぼくらが大学時代FORTRANを学んだ頃、有名だった事務処理用のコンピューター言語。
もうこのCOBOLでコーディングされたプログラムを、モダンな言語で作り直さないといけない。
以前2025年の崖で書いた。
多くの企業が、これで困っているらしい。

大きなシステムであればあるほど、関連するプログラムの数が多く、書き換えが大変になる。
そして、それらのシステムはたいがい出来てから何十年も経っている。
おまけに、COBOLがわかるエンジニアがほとんどいない。
どんな処理をしているかすら、わからないのだ。
なおかつ、6割を超える企業に古いシステムが存在している、とのこと。
要するにずっとサボってきたツケが回ってきたということだ。

ぼくは昭和54年に入社したが、当時のシステム部は事務系の部署で、COBOLがメインだったと思う。
技術系は扱っていなかった(別の部署)。
どちらかというと、全国の代理店を含む、営業系や経理系のシステムをやっていた。
おそらく、それらの名残がまだまだ残っているのだろう。

ぼくのいた会社は、幸い2000年過ぎに事務系のシステムを刷新していたと思う。
真偽のほどはよくわからないが…。

事務系のシステムは年月を経て、改修に改修を重ねているから、よけいのことシステムは肥大化してわかりにくくなっている。
これがデジタル化の足を引っ張り、日本の生産性を低くしている原因の一つになる。

今でも国民一人あたりのGDPは低いのに、まだまだ下がる爆弾を抱えているということだ。

長い目で見たら、これはきっと教育の失敗だろう。
もっとコンピューターの教育をしてこなければならなかったのだ。
特に事務系の人たち。
自分たちは全くコンピューターなど関係ないと思っている人もいた。
人間関係でやっていく、というタイプ。

しかし、いくらなんでもシステムが動いているからと言って、ずっとほったらかしにするのはダメだった。
そういうことに問題意識がないから、ほっておいたのだろう。

文科省が情報の授業を高校課程に取り入れたのが2003年。
あまりに遅い。
ほとんどの高校にその教科を教えられる人がいなかった。
したがって、勝手に科目を数学や他の講義に読み替えて履修はしていなかった。
その状況をほったらかしにして、今がある。
未だに教員になる人は、常識としてこういうコンピュータースキルが必要、ということは言われていない。
そういうことが、本質的な問題なのだと思う。

小学校でプログラミング教育をやる、と言っているが、まともにできるわけがない。
教員養成課程がそうなっていないからだ。
中学以降はもちろん「情報」に関する要求もない。

残念ながら、日本はIT後進国なのだ。

| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
VAIOドローン
ソニーのパソコンブランドだった子会社VAIOが、ドローンの会社を作ったらしい。

ぼちぼち家電量販店でも、ドローンを売り出したが、ほとんど中国製だ。
以前書いたが、本当に中国製のドローンは性能がよく、国産品は全く太刀打ちできるレベルにはないという。
実際、中国がドローン先進国となっているのが現実。

バブルの時には家電というと日本のお家芸だった。
アナログの時代は本当に強かった。
それがあれよあれよと言う間にどんどん縮小していって、今からドローンをやろうと言うのはVAIOだけだ。

VAIOの社長のインタビューによると、民生用はともかく点検、物流、測量などの用途別の分野では、まだ十分に勝機があるらしい。

2022年にはドローン規制が緩和されて、有人地帯での目視外飛行が解禁される。
そうなると、本格的に産業用ドローンの市場が立ち上がるとのこと。

たしかに、直接見えないところの点検など、ドローンで見ることができそうだし、商品を運ぶこともありそうだし、測量にも使える。
実際、人があまりいないところでは実用化も視野に入っている。
部品では強い分野があるが、それらを総合して作ると段階では負けていると思う。

中国では規制緩和が進み、官民一体でドローンを推進しているらしい。
やはり一党独裁だから、決めたら早い。
軍隊、警察、消防での利用を促進しているとのこと。

日本は官の取り組みがなかなか進まない。
法規制を決めるのに時間がかかる。
いろいろと既得権も絡むのだろう。

ソニーのDNAをドローンに入れてMade in Japanのドローンを作ってほしい。
ロボティクスやコンピューティングのノウハウがVAIOにはあるという。

ウォークマンで培った小型化技術や、得意のイメージセンサーを使い、いいものができればと願う。




| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
感染差別
今のサラリーマンのコロナ感染に対する恐怖は、病気そのものよりも、なった場合の「差別」ではないかと思う。
テレビで、「コロナに感染したのは本人が悪いと思う」というアンケートに「そう思う」と答えた割合が日本は11.5%でトップだという。
その他の国は中国4.83%、イタリア2.51%、イギリス1.49%、アメリカ1%という結果。
大阪大学の研究グループの結果ということだ。

たしかに、濃厚接触ではないオープンエアの場所でも、みんなマスクを着けているのは、半分は同調圧力だろう。
外を歩くときにマスクしても意味はないが(実際していないときも多いが)、何割かは回りの目があるから仕方なく着けているのだろう。

同じウィルスであるインフルエンザでしていないものを何故するのか、ということだ。
おまけに、インフルエンザのほうが怖いのだから。

人々がコロナには特別の感情があるのだと思う。
それは3月以降、マスコミやバカな専門家が煽りまくった結果できたのだろう。
コロナ禍が広がっても、収入が減らない人たちや、余裕がある人たちがそうなりやすい。
自粛期間中に公園で子供らが遊んでいるといって、学校に告げ口をするような人たちだ。

理屈の問題ではない。理屈の問題ならもうほとんど解決している。
日本は欧米に比べて死者数が1/100という事実だけで十分だ。
感染爆発と言っているバカな知事やマスコミは、重症者数や死者数を全く言わない。
わざとなのだろうか…。

ほとんど死んでないのに、何が怖いのだろうか。
自分の存在をアピールするためのスタンドプレーなら、まだわからなくもないが、これだけ国民や経済に大きな打撃を与えているという自覚はないのだろうか。
感染症の研究者は、予算が欲しいからという動機もありそうだが…。
そのおかげで、働き口がなくなる人たちがたくさんいるのだ。

こないだも書いたが、感染者に対する感情的な差別は自粛警察と同じ心理だろう。
病気にかかって差別されるのだから、理不尽この上ない。
だいたい、インフルエンザになって、まだ治りきっていないのに出勤する人を咎めずに、なぜ感染しても9割以上が無症状の感染を怖がらないといけないのか。

会社の人に聞いたら、今どき旅行にでも行ってコロナを持って帰ったら、部署でボコボコにされるから行かないという。
コロナ=穢れなのだろう。
神様の与えるバチみたいなものだ。

コロナに感染したということは、日頃の行いが悪いから、結果としてバチが当たったという感情的理屈。
そういう心理があるから、日本では「コロナに感染したのは本人が悪いと思う」という比率が10%を超えているのだと思う。

ある意味、コロナに感染したら「恥」だと思っているのだろう。
そして、そういう恥さらしな輩は村八分にしてもいい、という感情が古くからあるから、自粛警察や感情的な差別がはびこるのだと思う。

「菊と刀」のルース・ベネディクトは、日本は「恥の文化」だと言った。

それは戦後も全く変わっていない。




| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナの被害者
土曜日に、盆休み前の暑気払いで梅田に行った。
駅前のビルの33階のレストラン。
大学の同級生と3人。

何と、予約で入ったのはぼくらだけ。
途中で1組来ていたが、結局広い店の中は2組だった。
夏なので鱧のコースを頼んだ。

広い店の中に、若い店員は一人もいない。
みんな定年後の再雇用という感じの人ばかり。
よほど経費を抑えているのだろう。

鱧は大阪で食べると旨い。
神戸では夏に鱧を食べる習慣はなかった。
いい鱧は大阪に行くのか、料理法がうまいのか。

しかし、土曜日の夜の飲食店が軒並みそういう状態。
売り上げは悲惨なことになっているのだろう。
店頭に、テイクアウトを始めたとか、弁当をやっているとか、ポスターが出ている。
苦肉の策だ。

日曜日はギターの先生が参加しているスチールパンの無観客ライブを見た。
Youtubeで無料で公開している。
ミュージシャンも同じこと。
一部の有名な人を除いて、観客がいないと飯が食えない。

7月のコロナの死者が36人。
重傷者も死者も減った今、早く自粛をやめないと困る人がどんどん出てくる。

困っている人たちが声を出しにくい雰囲気もある。
自粛警察みたいな人たちがたくさんいるからだ。

彼らを育てたマスコミの罪は重い。
産業界はテレビのCMを一斉に止めればいいのだ。
そうすれば、マスコミもひとたまりもない。

もうそんな雰囲気を吹っ飛ばして、景気対策をしないと、本当に死者が増える一方になるぞ。


| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
TikTok買収
Tiktokについては過去にも書いているが、これが米中の新しい火種になっている。
どういうわけかと思ったら、記事がちらほらと出だした。

ワシントン・ポストが専門家と調査したところによると、

「TikTokのアプリを始めると、最初の9秒間で210件のネットワークリクエストが行われ、500キロバイトのデータ(125ページ分のデータ)が同アプリから送信されることを発見した。その多くはスマホについてのデータである」

ということらしい。

もともと、TikTokが児童オンラインプライバシー保護法(COPPA)に違反して13歳以下の子供から個人情報を収集していると、米連邦取引委員会(FTC)が指摘し、運営企業のバイトダンスが570万ドルの罰金を支払ったということがきっかけだ。

少し前にはインドもTiktokだけでなく、59のアプリをインド国内で使うことを禁止したらしい。
しかし、当の中国はもともとFacebookやTwitterは禁止しているから、エラそうなことは言えない。

それにしても、最初の9秒で210件のネットワークリクエストというのは、どうなんだろうか。
GAFAも、たくさんの情報を集めているとは思うのだが、それに比べても多いのだろうか。
たしかに、公開するプライバシーは自分で記入するものだけで、それ以外にいろんな情報を取ってはいないのかもしれない。

Tiktok自体の内容は15秒の動画、というだけだからそんなに問題になるとは思えない。

パソコンでTiktokのページを見ると、たしかに欧米人の動画ばかりが出ている。
あまり中華風の宣伝ではない。
まあ、なんとなく欧米の企業ではないかな、という感じはあるが…。

中国政府は、2017年に国家情報法を制定し、「個人や企業は政府の情報活動には協力しなければならない」、「情報機関が国民に協力を要請できる」という法律がある。

ということは、今は「端末や個人の情報は政府に渡さない」と言っていても、そんなことは反故にされる、ということになる。

ここが法治国家ではないということだろう。

国家権力も含めて法律に従うのが法治国家。
国民の権利を守る法律が、国家権力よりも強いということだ。
非常時にどうなるかはわからないが…。

Tiktokはマイクロソフトに買収されるという話もある。

どうなるのか…。


| | 考えたこと | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
DAW
DTMはデスクトップミュージックの略。
この言葉は馴染みがある。

大昔、音符を数字で打ち込んだことがあって、それがコンピュターでの音楽の始まりだったと思う。
当時は山下達郎など、いろんなミュージシャンがドラムパターンやシンセサイザーの音を打ち込んで、それがCDになったりしていた。
その頃に音符は、音の高さ、音の長さ、発音時間、音の強さの4つの数字で表されることを知った。
でも、楽譜に記譜されているのは音の長さと高さだけ。
音の強さは補助記号である、FF(フォルテシモ)とかMF(メゾフォルテ)とかいう表現になり、発音時間は楽器の特性でだいたいは決まる、ということを知った。
4分音符といっても、音が始まるタイミングを示しているだけで、実際に音が鳴っている時間は結局は奏者が決める。
スタッカートやテヌートというような補助記号はあるが、弦楽器や管楽器は音符の長さを目一杯鳴らすのか、それとも半分くらい鳴らすのかでだいぶ違う。
それを一人で決めるのが打ち込みという作業だ。
ぼくのギターの先生は、それをやってカラオケを作る仕事を一時やっていたとのこと。
1曲いくら、という仕事だ。

80年代はそういうことが流行った時代だった。
ピコピコ音などがよく使われた時代。

時代は進んで、最近は見慣れない言葉が出てきた。
DAWという言葉。
デジタル・オーディオ・ワークステーションという意味。
よくミュージシャンが写真に写っているとき、後ろにコンピューターのディスプレイがあって、そこにウィンドウが並んでいたりするが、それがDAWに相当する。
打ち込みの時代は用意された音源を鳴らすという感じだったが、今のDAWは実際にその場で弾いた音も一緒に録音できる。

要は自分の演奏を録音できて、それにエフェクターをかけたり、重ねたり、自由自在にできる。
コピーして貼り付けるのも簡単だ。
パソコンの性能さえあれば、いくつでも重ね録りできる。

コロナの自粛機関に、ギターの先生がYoutubeに曲をあげていた。
いくつかギターを重ねて録っている。
こないだ聞いたら、レコーダーで録っているのではなく、DAWでやっているとのこと。
やっぱりそういう時代なのだ。

昔からは考えられない。
生音でデーターにして、あとからエフェクトをかけたりもできる。
アンプやキャビネットも変更できたりする。
すごい仕組みだ。

ぼくには面倒でムリだと思っていたが、一念発起やってみることにする。
無料のソフトもあるようだ。

今から時代についていくぞ。



| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 外山滋比古
96歳になっていたのか。
惜しい人が亡くなったと思う。

外山滋比古は文庫でいくつか読んだ。
有名な「思考の整理学」も面白かった。

このブログでも「思いつき薬」「ブックオフ」「文字が立つ」「50代から始める知的生産術」と4回同じようなことを書いている。
面白いことに、2006年、2009年、2011年、2015年、そして今年の訃報とだいたい3年から5年おきに思い出す。
おそらく、もうこれが最後かもしれない。

渡部昇一もよく読んだが、面白いことに二人とも英語学者だ。
日本語と英語の両方で考えられるから、いろんな面白い発想が出てくるのではないかと思う。
アメリカが強いのも、いろんな文化の人がいるからだろう。
そういう意味では、日本は難しい。
だからこそ、英語を勉強することが大事なのだとも思う。

語学の勉強の目的は、第一にその言葉を習得して読み書き話すことができるようになることだ。
でも、それ以外に母語でない言葉を習うことで、頭の中の思考回路を増やすようなこともあるのだと思う。
これら2人の著作者が、同じようなタイプの事を書いているのは偶然ではないと思う。

もう2人とも鬼籍に入ってしまった。

こういう人たちの本を若い頃に読めたことは幸せだったと思う。

合掌。



| | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスコミの罪
昨今はいろんなメディアができて、若い人たちのテレビ離れが進んでいる。
同じTV放送でも、BSもあるし、ケーブルテレビ、衛星放送もある。
もちろん、今やYoutubeという膨大なコンテンツを持った新しいメディアもある。
SNSも動画に力を入れていて、インスタもフェイスブックも動画どんどんを流している。
今や一番古いメディアになったのが地上波だ。

どんどん競争相手ができてきて、防戦一方の地上波だが、NHKはともかく民放はスポンサーのコマーシャル収入で成り立っていたから、スポンサーが新しいメディアに乗り換えると、必然的に収入が減る。
結局、貧すれば鈍する、というのが今の民放の状況なんだろう。
昔の日本軍みたいなものだ。
過去の成功体験から離れられず、新しい時代にマッチしていない。
残念なことだ。

今やスポンサーは若人向けの広告はネットに移行した。
必然的に、民放の地上波はネットを見ない層を対象にした番組にシフトすることになる。
昔は専業主婦や学校帰りの子供が一定数いて、昼間のテレビを視聴していたと思うが、今はそれも減って本当に年寄りだけになってしまった。

平均寿命が伸びたこともある。
65歳で定年しても、平均寿命でいくと、まだ15年以上は生きなければならない。
仕事をしない年金生活者はどんどん増えているから、その人たちが主な視聴者になる。
特に午前から夕方にかけての時間は、年をとった年金生活者の層だ。
その時間帯で視聴率を取ろうとすると、どういうことになるのだろうか。

その答えが、今のワイドショーのコロナ報道というやつだ。

ネット上にはいろんな情報があり、それを見れば今の状況はどう考えても第二波とは言えない。
そういう意見があっても、テレビでは一切報道しない。
命の危険、という格好のネタがなくなるからだ。

なぜ欧米に比べてアジアが2桁死者数が少ないのかについても、免疫学者等が話していることは一切報道しない。
アジアでの死者数がワースト何番目とかいうくだらない話がでてきたくらいだ。
そんなの欧米に比較したら、五十歩百歩の話だろう。

こないだの高橋教授の自然免疫の話など、どうして報道しないのだろうか。
昨日の日本総研のレポートだって、そういう意見もあるとインタビューしたらいいのだ。

追求好きのワイドショーや週刊誌が、2週間後にはニューヨークみたいになるとか、パリみたいになるとか、挙句の果てには42万人死ぬとか、そういう発言をした人たちに「なぜ間違えたのか?」すら聞かない。
政治家やタレントが間違ったことを言ったら、すぐに食いつくのだが、これはどうなっているのか。
だいたい、死亡者数が2桁違うのだから、アジアと欧米を同じように見ること自体が間違っている。
専門家には、そういう常識はないのだろうか。

感染者のことばかり言って、そのほとんどが無症状や軽症であることをなぜ報道しないのか。
まるで無症状や軽症の人たちが感染を広めているというふうな論調だが、インフルエンザだって無症状(不顕性感染)の人はたくさんいるのだ。
その人たちを気にせず生活してきたのに、どうしてインフルエンザの1/3しか死なないコロナでこんな大騒ぎをするのか。

それによって、経済が崩壊し、働き盛りや若い人たちの働く場所がなくなる。
統計的にはそれによって自殺が増える。
こんな馬鹿なことをやっていていいのだろうか。

実際、3月の超過死亡者数を見ても、コロナ以外の病気で亡くなっている人が多いのだ。
そういう事実も報道されない。
3ヶ月遅れでしか統計が出ない厚労省の体制も悪いのだが…。
おまけに、死後のチェックでコロナウィルスが出てきたら、どんな死因でもコロナで死んだことになるらしい。
そこまでして、コロナの死者を増やしたいのか。

感染が拡大したといっているが、70%の感染者は回復して普通に生活している。
マスコミは累計でしか報道しないから、人数がやたら多いと思ってしまう。
だいたい、累計だから、減りようがない。
毎日累計を報道する意味がわからない。

そうやって、偏ったコロナ報道をするからコロナ狂いが出てきてしまう。
長野では感染者が出た銀行の支店に石が投げられているし、アメリカ人の留学生がウィルスを巻き散らかすと通りがかりに言われている。
京都では院内感染が起こった病院に脅迫電話が相次ぎ、職員は飲食店でバイキンのように扱われ、罵声を浴びせられている。

本当に困ったものだ。

マスコミは自分たちの責任を感じないのだろうか。


| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター 4
ギターシンセは今でもちゃんと音が出る。
珍しい楽器になってしまったが…。

本体はフジゲンという会社が作っていて、それにカシオがシンセユニットを入れている。
弦1本ずつの振動を拾えるように、専用のピックアップも付いている。
ストラトキャスターというバンドでよく見るギターのカタチなので、見たところは普通のギターだ。
変わり種ということで、今も置いてある。

話が前後するが、SG1000を買った頃に、ギルドのエレアコを今はなき元町のロッコーマンという楽器屋さんで買った。
その時に、モーリスを親戚のおじさんにあげたのを思い出した。
20代後半だったと思う。
でも、ギルドのエレアコはあまり弾かなかったのは事実。
子供が小さくて、ケースに入りっぱなしだったり、エレキギターの方が楽しかったりしたからだ。

震災の後、大阪で白いテレキャス(日本製)を衝動買いした。
このギターは長男の下宿に行って、今は東京で使っている。
こないだ東京に行ったときに、弦を交換して掃除をした。
まだまだ現役だ。

続いて、ようやく憧れのマーチンを買う。
あまり弾いてなかったギルドを中古で下取ってもらって、買った。
このギターは軽くて、とてもいい音がする。
ドレッドノートタイプの大きなものではなく、小ぶりのギター。
OM-28というモデル。
ジャカジャカ鳴らすより、爪弾く方が向いているギターだ。

アコースティックハーモニーhttps://acoustic-h.jimdofree.com/というお店にはその時からずっとお世話になっている。
SG1000もここでオーバーホールしてもらった。

会社を辞めて学校法人に勤めてしばらくしてジャズギターを習いに行った。
先生が持っていたのがテレキャスター。
まねをして、ついにアメリカ製のテレキャスターを買う。
48歳のときだ。

アメリカンスタンダードテレキャスターというモダンなモデル。
ネックが白っぽい、メイプルネックの仕様。
ひと目見てフェンダーとわかる
これがぼくの一番気に入っているギター。

そのあと、オベーションの廉価版セレブリティというエレアコのギターを買った。
ピックアップが内蔵されていて、アンプに繋げるものだ。
これは前に一度書いたが、ギターの工芸としては一番優れたものだと思っている。
デザインが素晴らしい。
これは時々ギター教室で使っている。

最後に通販で中古で買ったのが、パーカーのギター。
どうしても軽いギターが欲しくて、3万円ほどで中古を見つけて買った。
これはブリッジのところにピエゾのピックアップが入っていて、アコギ風の音も出る。
ナチュラルカラーで、これもメイプルネックだ。
とにかく、ソリッドギターとしては軽くていい。

番外編として、イバニーズのエレキベースをこないだ買った。
こちらも、通販で中古を手に入れた。
指で弾きたいのだが、やっぱり難しくてピックで弾いている。

おまけとして、カシオのデジタルギターというのがある。
これはギターというより、ナイロン弦を張ったギター型の電子キーボードという感じ。
一応、音は出るが、調整は必要だ。

いろいろ寄り道をしながら、そんなに上手くもないギターを弾いてきた。
この年になって、続けてきてよかったとも思う。

ぼくが中学校の頃、ギターが流行って、近所の大学生の人たちがたくさんギターケースを持って近所を歩いていた。
キャンパスでギターを弾いて歌っている姿も見た。

中学2年から始めたギターだから、今年で49年になる。
ずっと触らないときもあったし、熱心に弾いていた時期もあった。
2005年からは、習いに行くことで月に2回は弾くようになった。

まさに下手の横好き。
不真面目にではあるが、やってきた成果を、今はギター教室で生かしている。

結局今家にあるギターは、アコギがマーチンOM-28、セレブリティ、エレキがヤマハSG1000、カシオPG300、フェンダーTelecaster、パーカーというランナップ。
番外として、50年前のバンジョー、カシオのデジタルギター、イバニーズのエレキベース。

これで終わりです。

ぼちぼち、整理を考えないといけないのだが…。


| | 考えたこと | 08:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
高橋泰教授その2
こないだ紹介した高橋靖教授の記事の続編が、東洋経済に出ていた。
こちらの記事で、新型コロナウィルスの感染メカニズムを説明している。

ウィルスの「暴露力」というのは、人の体内に入り込む力のこと。
コロナはそれが強い。
体内に入った後、人の上気道部の細胞の表面にある「ACE2受容体」との結合を目指す。
結合に成功したら、人は「感染」する。
感染したら、人の細胞はウィルスを取り込み、細胞内で増殖したウィルスが、再度細胞外に放出される。
コロナはインフルエンザに比べて、増殖するウィルス数は少ないという。
だから「増殖力」は弱く「伝染力」も弱い。
また人の細胞を刺激したり、破壊したりする「毒性」もインフルエンザより弱いという。
前回も書いたが、高橋先生の仮説で一番大事なのは、日本人が持っている「自然免疫」で98%は完治するということ。
だから、抗体ができない。日本人にとっては、それほど弱いウィルスということだ。
ウィルスの立場でいうと、うつりやすくて毒性が強いと宿主が死んでしまって生き延びられないが、うつりやすくて、毒性が弱いから生き延びやすいということになる。

一部の感染者で見られる、サイトカイン・ストームに関してはコロナに限らず、それ自体のメカニズムはよく分かっていない。
しかし、生体防衛のシステムが誤作動して、ミサイル10発でいいところを、100発打ってしまう、という現象がおこるという例えで説明している。

日本と欧米の違いは、3つ。
1つは環境面で、リスクの高い高齢者をウィルスから隔離する仕組みが徹底していたこと。
もう一つは自然免疫が何らかの理由で強かったこと。
さらに、サイトカイン・ストームが起こりにくく、重症化しにくかったこと、という説明。

死亡者数が欧米の1/100になるためには、高齢者の暴露率が欧米の1/4、自然免疫で発症率の差が1/10、サイトカインの発生により死亡する率が1/2.5とすると、説明できるという。

このシュミレーションで実際の重症者数、死者数の動向に当てはめると、現状の暴露比率は30〜40%ということらしい。
すでに、国民の3割強が暴露しているということになる。
あくまでも暴露であって、発症ではない。
自然免疫で治る人が98%、発症は2%で、重症化する人は暴露した人の0.01%にも満たない。

クルーズ船や武漢は閉鎖環境が悪さをして、発症率が高くなったと考えている。

現在はPCR検査を増やしているので、陽性者の発見が増えている。
繰り返しになるが、PCR検査陽性者数を重視しても、あまり正確でないという。
当たり前だが、一人の人がずっと陽性とか、ずっと陰性とかいうことはなく、コロナにかかって暴露をして、感染すれば陽性になるし、それが自然免疫で撃退すればPCR陰性になる。
そしてまた次に感染すると、無理もしていたので自然免疫で撃退できず、PCR陽性になるし、それが治ると獲得免疫ができて抗体ができ、抗体検査は陽性、PCR陰性になる。
そしてまた感染したら、抗体ができていて発症はせず、それでもPCR陽性になる。
つまり一人の人がPCR検査でいろんな状況になる。

結局、抗体があってもPCRは陽性になりうるし、PCR陰性と言われても、次の日に暴露して陽性になるかもしれない。
今の検査でPCRの陰性というのは、「検査時の前1週間程度は、新型コロナに感染していない」ということだけを保証することであり、検査直前の感染可能性は全く否定できないということだ。

したがって、企業が「陰性証明」を持ってこいなどというのは意味がない。

無症状者の検査を増やして、陽性者を入院させたり、隔離したりすることは医療資源を消費するし、無症状なのに入院、隔離させられた人の社会・経済活動を制限するので、社会全体の損失だという。

実際、世界的に見ても検査数の拡大で感染者数は伸びているが、死者数はそれほど伸びていない。

無症状者が活動することで、高齢者にうつすことも懸念されるが、それはシミュレーションによると10万人あたりの死者が3人を超えることはなさそうという結果。
一方で、10万人あたり16人が自殺で亡くなっており、経済活動の停滞はそれを急増させる可能性があるという。

まことにもっともな意見だと思う。

同じことばかり書いているが、本当にどんどん企業が倒産する前に何とかしないといけないと思う。

7月31日の日経によると、リストラの失業者数が19万人増えて41万人だという。
何もしないと42万人死ぬといった専門家はどう考えても外れだが、この41万人がこのまま職がない状況が続くと本当に自殺者が増える。
この調子なら、まだまだ求人は減るだろう。

本当にこのままでいいのかと思う。



| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 弘田三枝子
2009年にマイ・タペストリーというアルバムを買って、一時期弘田三枝子を聞いていた。
この人は本当に歌がうまかった。

訃報を聞いて、残念だなと思っていたが、今日レッスンで先生も「弘田三枝子、なくなりましたね」と言っていた。
昔、バックで演奏をしたこともあるらしい。
「人形の家」が有名だが、やっぱり若い頃の「VACATION」なんかがよかった、という話でちょっと盛り上がった。
先生は、「ジャングル大帝」が好きだったという。
エンディングで流れていた「レオのうた」。

ぼくは「渚のうわさ」。
1967年の歌らしい。「人形の家」が出る前の作品だ。

「人形の家」を歌っている映像もYoutubeにあった。
「わたしは貴方に命を預けた」という歌詞のところで「あなた」を「はなた」、「いのち」を「ひのち」と歌っている。
そういえば、小学校のときにそういう歌い方を真似したことを思い出す。

でも、本当に歌はうまかった。

ちょっと遅れたが、先生と話していて、やっぱり書いておこうと思う。

10日以上遅れたが、ご冥福を祈ります。



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マクロ経済スライド
マクロ経済スライドとは、「年金の被保険者(加入者)の減少や平均寿命の延び、更に社会の経済状況を考慮して、年金の給付金額をカットする制度のことをいう。」とWikipediaに書いてある。

つまり国の経済が下降すると、年金給付も下がるということだ。
経済が下降すると、給料も減るので、年金の財源が減り、当然年金支給も減るということだ。
コロナ騒動で、四半期のGDPが25%減だということで、マクロ経済スライドも考えないといけない。

財務省は早急にこれが続くと年金が下がる、という試算をすべきだと思う。
個人的にはまだ日銀の財政出動はありだと思うが、それをする必要がある。
なぜなら、怖い怖いと言うだけの人たちは、いくら経済が止まっても収入が減らない年金生活者が多いと思われるからだ。
そうでもしないと、働き盛りや若い人たちのために経済活動を再開できないと思う。

もちろん、マスコミや専門家、政治家の影響はあると思うが、やっぱり実害がないとリスクは取らないのが人間の常だ。
欧米に習って経済をシュリンクさせてどうするのかと思う。
2週間経ったら、ニューヨークみたいになると言った人たちは、どういうわけか、そうならなくても問題にならない。
マスコミは自分たちの思う方向にある意見は外れても問題にしないからだ。
あんな馬鹿なことが許されていいんだろうかと思う。

なんか何度も同じことばかり書いていると思うが…。


| | 考えたこと | 19:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
響け!ユーフォニアム
京都アニメーションの作品。WOWOWでやっていたので録画して3本見た。
北宇治高校が舞台。
宇治に10年間通ったので、回りの人たちは知っていたが、全く知らないまま過ごした。

勤めていた大学が、近所の中学の吹奏楽部にホールを貸し出していたので、吹奏楽部がほとんど女子であることは知っていた。
スゥイングガールズもあったなあ。
この映画も、男女共学の高校が舞台だが、男女比は9:1くらいで世相を表している。

1本めは最初の作品。
高校で自分をリセットしようと北宇治高校に入った女子が主人公。
なぜリセットしようと思ったのかはあかされない。

ダメダメだった吹部(吹奏楽部のことをこう呼ぶらしい)に入り、新しい先生が来て全国大会を目指すことになる。
1本めは、吹奏楽部で名を上げようとする金持ちの学校のやり方みたいな感じ。
良い楽器を揃え、教室も確保し、いい先生を招き、朝から晩まで練習させればうまくなる。
髪の色はちょっと違うが、顔と声がみんな同じように聞こえるのは年をとったからか…。

ヤマハが全面協力していて、細かいところまでヤマハのロゴが入っている。
走って腹筋と肺活量を鍛えるトレーニングなど、本当にやっているのだろう。
吹部は女子の体育会系という感じだ。
今の中学は男子は野球かサッカー、女子は吹奏楽、というのが内申が高いと聞く。
宇治の高校でありながら、みんな標準語。
この辺は全くリアリズムがない。
ということで、1本めは今ひとつの作品だった。

2本目はその続きで、今度は1年の主人公と、3年の先輩の人間模様が描かれる。
「届けたいメロディー」という副題。
お互いの家庭の問題や、悩みなど俄然青春ものになる。
これは素直に楽しめる作品。
全国大会に出場して、3年が引退するまでの時代。

楽器の精密な表現など、磨きがかかった。
吹奏楽の名曲「宝島」の演奏が流れるのが、個人的にはうれしかった。

3本目は最新作。「誓いのフィナーレ」という副題がついている。
主人公が2年生。目標が全国大会出場から全国大会金賞に変わる。
去年の作品だ。
新入生が入ってきて、主人公の2年生の1年間。
これも、部活のあるある、という感じで、もう一つだった。

吹奏楽を部活でやっていた人は思い入れがあるのだろうか。
丁寧に作られたアニメだとは思うが…。

みんな、高校生活のほとんど全てを犠牲にして、部活に賭ける。
それが報われないこともある。

前にも書いたが、吹奏楽をやっていた女子は多い。
でも、高校でやめてしまう人も多い。
頑張ってきた、とはいうものの、大学でそれをやめてしまうのはなぜなんだろうか。

何となくその理由みたいなものがわかったような気もする。

「響け!ユーフォニアム」3本はきつかった。



| | 映画・舞台 | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
Youtubeの効用
Youtubeの効用については何度か書いてきた。
教えて、収入を得るという効用だ。もちろん、ぼくは習う方。
若い頃にこういうものがあったら…、と思う。

もう一つの効用は教えるほどではないけど、披露するという人の動画を見ること。
ぼくはわりと手が小さい方で、指も短い。
だから、ギターの先生が普通に押さえるような押さえ方ができなかったりする。
ああ、やっぱり肉体的な制約はあるんだなあと思っていた。

しかし、Youtube上ではいろんな人がギターを弾いている動画をあげている。
中に明らかに手が小さい女性もいて、同じレギュラースケールのギターを上手に弾く。
そういうのを見ていると、手の大きさは関係ないのがわかる。
もちろん、物理的に届くか届かないかということはあるのだが、ギターの場合はいろんなところに同じ音があるから、何とかなったりする。
それに、お手本と全く同じに弾く必要もない。

逆に手が小さくて指が短いほうが小回りが効く。
若い女性のギター弾きなど、見ていて気持ちがいい。

ベースはもっと弦長が長く、手が小さいと難しい楽器。
それでも、上手にベースを弾くのを見ると、感心する。
どうしてミディアムスケールのベースを使わないのだろうと思ったりするが、やっぱり音に対するこだわりがあるのだろう。

結局は、自分ができない言い訳にしているということだ。

いろんなプレイヤーがいる、ということを知る意味でも、Youtubeはいい先生になる。

ほんとにいい時代になったと思う。



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