考えたこと2

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ちょっとした工夫
いつの頃からか、つめきりの横の部分につめが飛ばないようにケースのようなものがつき始めた。

ぼくが20代の頃だと思う。
もう30年ほど前になるのか。

ちょっとした工夫だ。

この工夫が便利。
つめが飛ばないから、どこででもつめきりができる。

それまでのように、新聞紙を広げてつめ切りをしなくてもよくなったのだ。

「新聞紙を広げてつめきりをする」というのも、昭和の景色になった。

月に一度は新聞紙を広げ、畳の上でつめ切りをする。
昭和の風物詩?だ。

時々飛んだつめを捜す。
そんな時代は過ぎた。

そんなちょっとした工夫が景色を変えていく。

他にもきっとあるだろう。

ちょっとした思いつき、ちょっとした工夫が変えたもの。

思いつかないなあ…。




| | 考えたこと | 00:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
Peanutsの手帳
スヌーピーが出てくる漫画、Peanutsの60周年記念手帳を買った。

モレスキンとい会社の手帳で、なかなかしっかりしている。

60周年だから、特別にということはなく、表紙とその裏にスヌーピーの絵と、裏表紙の裏側に登場人物の絵が出ているだけのもの。

でも、この手帳は日ごろ気づいたことを書き込もうと思って、末永く使う予定。

単なる手帳なので、スケジュールがあるわけでもなく、単に横罫のページが続くだけ。
そこにはじめに何を書くか、これが問題。

そんなにたいそうな事が書けるわけでもないのだが…、やっぱり後で見てさすが、と思えるようなことを書きたいと思ってしまう。

結局そんなことを思いながら、かばんの中に入っていて、いたずらに時を過ごしていた。

11月13日に東京に行った帰り、新幹線の中で暇だったのでついに1ページ目を書いた。

 電車に乗っていると、いろいろとできることがある。
 しかし、電車で通っている間はそれに気づかない。
 難しい。

2004年までは電車で通っていた。
それから、クルマ通勤になった。

電車の中で本を読んだり、何かを書いたり、もっと有効に利用すればよかった。

あとの祭りである。

そんな1ページ目を飾った。

文房具屋に行くと、このシーズンは手帳売り場がにぎやかだ。
スケジュール帳がいろいろ置いてある。

いろいろと誘惑に駆られるが、それには手を出さない。

Peanutsの手帳があるからだ。



| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
かっこいい
「かっこいい」というのは、もう日本語になって何十年も経つ。

1960年代の流行語。
ぼくらが中学校の頃には、まだ流行語という感覚があった。
70年以降に生まれた人には、普通の日本語という感覚になっているのだろう。

ぼくらが使うときには、少し遠慮がある。
流行語という感覚が残っているのだろう。
日本語の正規メンバーではない、という感じ。
いまどき、「ナウい」という言葉を使うと、年寄りだと思われるのと同じように、「かっこいい」も年寄りの感じがするのだ。

「かっこ悪い」も同じことだ。
「かっこいい」の反対語としてできた。

もちろん、「かっこいい」とは、「格好好い」ということだ。
これが合成語だという意識は、今の若い人にもきっとあるだろう…、と思う。

しかし、話し言葉として日本語の新参者という意識はないだろう。
生まれたときから、使われているのだから。

ぼくらの親の世代は、「かっこいい」という言葉はあまり使わない。

やばい、という言葉がもしも生き残るとしたら、今頃生まれた人は普通の日本語として使うだろう。
(生き残らなさそうだが…)

そんなふうに、言葉は生まれ死んでいく。

面白い。




| | 考えたこと | 02:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界の車窓から
どこかのテレビ局で5分ほどの番組をやっている。
電車(汽車)の窓から、外の景色を見るという番組だ。

見ていると、楽しい。
いろいろな景色が見れて、世界は広いなあと思わせる。

アメリカやオーストラリアの広大な景色。
あの大きな岩山やサボテンの生えた砂漠の景色はすごい。

スイスやオーストリアの景色は雄大ではあるけれど、アメリカ大陸やオーストラリア大陸の景色とはちょっと違う。
何が違うのか…、日差しが違うような気がする。
アルプスの景色は日差しがゆるい。

中国はあまり紹介されないが、雄大な景色があるのだろう。
揚子江の河口など、瀬戸内海より広いのではないか。
中国人が瀬戸内海を見ると、日本にも広い川があるのか、と思うらしい。
それくらいスケールが違う。

オリエント急行という映画があった。A.クリスティの名作。
007のロシアより愛をこめて、という映画でも、オリエント急行が出てくる。
今はもう運行されていないらしいが、これには一度乗ってみたかった。

昔は電車の出張が多かった。
飛行機で行けるところを、わざわざ電車で行ったこともある。
新幹線ではない、普通の特急や急行で行く。
もちろん、休日の出張などで、早く出られる場合だったが…。
あんなことはもうないだろう。

わざわざ新幹線で東京まで行って、寝台特急で北海道に行ったこともある。
1泊するが、飛行機と料金は変わらない。
もちろん、フランス料理は食べられないので、駅弁ですます。
懐かしいなあ。

一緒に北海道に行ったM君は、今頃どうしているのだろう…。




| | 考えたこと | 00:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
緊張する瞬間
生きていると、緊張する瞬間というのがある。
長いこと生きているほど、その瞬間は少なくなる傾向があるだろう。

だいたい、人前で何かするときには緊張する。
うまくやろうとするからだ。

誰かの代表として何かする時にも緊張する。
代表だという責任感も手伝って、より緊張が高まる。

チームプレーで何かするというときにも、緊張感はある。
自分の失敗はチームの失敗になるという責任感がある。

どうも、自分だけではなく、他の誰かが絡むと、緊張するものらしい。
結局自分の背負っているものの大きさと、緊張の度合いは比例する。

今までで一番緊張したのは、会社の80周年の集会で社員代表で宣誓をしたとき。
あれは緊張した。
あの時は、自分が好きなように言うことができなかった。
人事に、「こんなんでいいですか?」とお伺いを出した。
本番で、あんなに短いセリフだったのに、忘れそうになって、一瞬黙ってしまった。
あの時の光景は今でも覚えている。
あれ…、という感じで、あの一瞬が一分にも思えた。
あれは、社員代表というプレッシャーだったのだろう。

自分だけのことになると、緊張の種類が違う。
入試のときは、そんなに勉強したわけでもないのに、直前2日間くらいは緊張した。
これは「もしダメだったら…」、ということを考えるから不安になるのだ。

前にも書いたが、落語研究会のときに分不相応なネタをやって、寄席前の1ヶ月ほど緊張した。
意識はしていなかったが、病院に行って診断も受けた。すい臓がんだと思ったのだ。がんノイローゼである。
必死で練習したが、本番は悲惨だった。
これは自らプレッシャーに負けた一番の出来事。

誰しも、緊張した瞬間はあるだろう。

年をとると、それは少し懐かしく、少し恥ずかしい。

もうあんな緊張は残りの人生でないかもしれない。
何かにトライしなければ、緊張は生まれない。

少し寂しいような気もする…。


| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
月の引力
月は地球の回りを回っている衛星だ。

生まれたときから月があるし、月がない地球は考えられない。

しかし、月は単なる飾り物ではないということがわかった。
地球と月は相互に作用している。
テレビの科学番組の知識。

もしも月がなければ、地球の自転は今の3倍ほど。
一日は8時間程度になる。
また、海は今よりかなり荒れて、風も強くなり、少なくとも地表の生物は今のような形ではないだろうとのこと。
もっと平べったい形だろう。

知らなかった。

そんな影響があったのか。

単に潮の満ち引きだけではない。

物理的には当たり前のことだが、月がなかったら、という仮定が難しい。
なかったら、地表はえらいことになるということだ。

今の地表の平均気温や、水が氷や水蒸気にならずに済む状態というのは、惑星としてはきわめて珍しいことらしい。
ほとんど奇跡的と言っていい。

この状態がどれだけ続くのか、わからない。

太陽エネルギーとそこからの距離、軌道の形、自転の速度、そして今言った地表の状況…、これらが重なって、生命が誕生した。

もしも他の条件であったなら、他の形の生物ができていたかもしれない。
実際にそんな星もあるかもしれない。

いずれにせよ、人間は奇跡的な確率で生まれた。

その「意味」はなんだろう。

果たして「意味」はあるのだろうか?


| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビット化できないもの
IT技術の進歩はすごい。
スマートフォンの出荷が96%増、とちょっと前の新聞に出ていた。

来年は板状のPCがたくさん発売されるだろう。

音楽のデーター化に続いて、書籍のデーター化が進む。
本の内容もデーターになる。
考えてみれば、音楽よりもデーター化に適しているのは文字だろうから、それも必然だろうと思う。

動画はもうすでにデーターになり、ユーチューブやビデオオンデマンドというよう名前になった。

全てのものはビット化されていく。
それで便利になるのは、いいことだろう。

聴覚と視覚はもうビット化された。
視覚の3次元かも進んでいる。

あとは味覚、触覚、嗅覚の3つ。
これは難しい。

結局、食べたり、触れたりするという情報が一番難しい。
逆にいうと、そういう情報は人間らしいとも言える。

ということは、とても個人的なものでもある。

その中でも嗅覚はまだ可能性があるが、できたとしても、腐乱死体が見つかったシーンで、リアルなニオイがしたら、飯は食えないだろう。

なるほど、だからビット化の意味もないのか…。

| | 考えたこと | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
イオンの葬式
知らなかったが、今年の7月にニュースになっていた。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100731/trd1007310741000-n1.htm

イオンが葬式の宣伝を行っている。
そこで、「お布施」の料金を明示したのが始まり。

それに対して、仏教会がお布施の目安の取り下げを迫ったようだ。

結局今は目安はホームページには出ていない。
ただ、コールセンターで目安は教えますというようなことになっている。

お布施という宗教的なものに対して、営業するという行為を疑問視するというのが仏教会側の言い分らしい。

イオンはそれに配慮して、以下のような文言を載せている。

 お布施は本来「喜捨」であり「標準化」や「統一」すべきものではありません。
 しかし、「目安が分からなくて困っています」というご意見が多くのお客さまからイオンに寄せられています。

以前はここに目安価格が載せられていたらしい。

仏教は日本に伝来したが、現存するものは2種類に分けられると思う。
ひとつは平安仏教、もうひとつは鎌倉仏教だ。
平安仏教は文字通り平安時代に伝わり、今も続いている。
臨済宗とか曹洞宗とか…、教科書に出ていた鑑真とか弘法大師という名前が出てくる。

それに対して、鎌倉仏教というのは、法然、親鸞という名前。
浄土宗や浄土真宗が有名。
とにかく念仏を唱えれば、救われるという教義になっている。
本来はそんなに簡単なものではないだろうが、一応そういう事になっている。
これが有名な「南無阿弥陀仏」。
阿弥陀様におすがりすれば、成仏できるという。
難しい教義が不況をさまたげており、庶民は救われなくてよいのかという
それによって、爆発的に仏教は広まった。

しかし、現在、世間の批判として、日本の仏教は「葬式仏教」と言われている。
葬式が主体の宗教ということだ。
言外に「堕落」という批判がこめられている。

最近では直葬といって、いきなり火葬するという葬儀もあるという。

宗教的儀式をスキップするということか。

ここに来て、葬式をシステム化してお金をとる、ということに反対するという人が出始めたということだ。

ぼくの意見は差し控えるが、この動きは広がるだろうなあ。


| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
Tomorrow
涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように…

この曲が出たのは1995年。
バブルが崩壊して、どん底だったころ。

今日クルマの中で聞いて、やっぱりいい曲だと思った。

1995年のヒット曲を見てみたが、ほとんど知らない。
スピッツや福山雅治、Dreams come true、B'z、globe、trf…、馴染みのない名前が並んでいる。

でも、なぜかこの曲は覚えている。
曲の中に題名が出てこない歌だ。

明日は来るよ 君のために

だから、Tomorrowという題名になっているのか。

残念ながら、1995年よりも今のほうが状況は悪いと思う。

先に望みが見えない。
どうやって、今の状況を打開するのか。

バブルが崩壊したときは、自分も若かったし、なんとなくいつかはまた…という気がした。
とにかく不良債権がなくなればよい、という目標があった。

しかし、今は何をどうしたらよいのか。
先が見えないことだらけ。
高齢化は進むし、人口は減るし、歳入は減るし、医療保険は増えるし、産業は出ていくし、若い人には仕事がないし…。
環太平洋パートナーシップはどうなるのだろうか。
年金問題はどうなるのだろうか。
農業はどうなるのだろうか。

何かがおかしい。

ぼくらはまだよかった。
明日は今日より豊かだった。

これからどうなっていくのだろう。

本来なら、ここで解決策のことを書くところだが…。

残念ながら、ぼくにはわからない。

だからこそ、今Tomorrowが求められている。

| | 音楽 | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
はやぶさの快挙
ニュースで、はやぶさが3億キロ離れた小惑星イトカワの物質を持って帰る、という快挙を成し遂げたと言っていた。

これはすごいことだ。
打ち上げてから7年。
7年間とりあえず壊れずに飛びつづけた、ということ。
これはすごい。

イトカワの大きさは、長さ540メートル、直径は最大約300メートルという。
行って帰って7年だから、まあ、片道3年半かかったとしよう。
もちろん、その間に、イトカワは動いている。
そんなところに着陸したということがすごい。

たった540メートルしかない大きさ。
道のりの3億キロで割ると、0.0000000018という値。
要は、ピンポイントで着陸したということ。

それで、そこから帰ってきたというのもすごいことだ。
もちろん、今度は地球が動いている。
動いているものから動いているものへの移動。
計算で場所を予測しながら飛んできたということか。

そして、オーストラリアの砂漠にカプセルが下りた。
快挙である。

えらいもんやなあ。

また、そのカプセルの中身を分析すると、イトカワのものだ、という。

持って帰ってきた、ということもすごいが、どうしてそれがイトカワのものだということが、わかるのか?ということもすごい。

これで、太陽系の誕生のなぞがわかるかもしれないという。
なぜ、これで太陽系誕生のなぞがわかるのか?ということもすごい。

すごいづくしのはやぶさ帰還。

しかし、財政危機が続いており、予算は苦しく、多くの若い人に職がない状況の日本。
国家予算の全部をつぎ込んでも、何年もかかるほどの借金がある。
それでも、はやぶさ2号を飛ばすことができるのか。

宇宙はロマンだ。
ロマンは金にならない。
太陽系の起源がわかったところで何の役に立つのか、という意見はもっともだ。
まあ、衛星ビジネスの役に立つというメリットはあるが…。
そういうものがあるから、やるのだ、というリクツはロマンではない。

一方、ロマンであるからこそ、たくさんの人たちに夢と希望を与えることができる。
これを見て新たなノーベル賞受賞者が出てくるかもしれない。
そんなことを考える。

ま、とにかく、めでたい。




| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
脳天気にもホドがある 大矢博子著 東洋経済新聞社
テレビを見ていて、突然脳出血し、右半身不随、失語症になった夫を持つ妻の日記という形式の本。

最初はどうなることかと思ったが、趣味である野球(ドラゴンズの大ファン)、友達、病院などに恵まれた。
また、夫が自分自身の趣味(自転車、電車、ドラゴンズ)のおかげで、回復が早く、1年後に杖をついて歩き、普通に話せるようになった、という実話。
えらいものである。

いくら失語症になっても、好きなものは覚えているし、話せるらしい。
パソコンが得意な夫は、話すよりもパソコンをつかって、変換するほうが言葉を思い出しやすいとか、興味深かった。

作者は書評のライター。
この本は、あまりシリアスな書き方ではなく、ユーモアたっぷりで書いている。

ぼくにも経験がある。
脳梗塞をした後、1年くらいは言葉が出にくかった。
あくまで自分の感触である。
しかし、本当に自分では感じる。
今も少し残っているが、あれ、あの…、という感じで、いいたい言葉が出ない。

脳の左側は言語野がある。
失語症はこわい。

最初は平仮名がわからず、漢字はわかったらしい。
漢字には意味があるので、思い出しやすいが、平仮名は音のみ表すので、思い出しにくい。
ほー、という感じ。

一気に全部読んでしまった。

障害を持つということは、大変なことだ。
家族も本当に大変だ。

しかし、それでも生活はしないといけない。

とにかく、前向きに生きていく夫婦を見ていると、そんなことを苦もなくやっているようにみえる。

実際には、親、姉妹、友達に助けられたのだが、それを面白おかしく書いている。
それは、面白くもなく、おかしくもない、どちらかというと悲惨なことだが、 気の持ちようだ。
しかし、実際はもっと苦しかったはず。

それを面白おかしくかけるというのは、才能だろう。


| | | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
藤純子
朝のドラマの話。

「てっぱん」というタイトル。
富士純子がヒロインの祖母役で出ている。

しかし、富士純子というと、やっぱり「藤純子」だ。
旧芸名の方がなじみがある。

今回のドラマでは、広島から大阪へ孫娘が尋ねてくるという役。

話し声にけっこうドスが効いていて、はまり役だ。
関西弁も堂に入っている。

見ていると、「緋牡丹博徒」シリーズを思い出す。
賽子を指に2つはさんで、「入ります」といって、賭場で壺をふる。
片肌脱いだ姿がかっこよかった。
その面影が、今回の役に出ている。

引退してから、寺島純子になり、テレビの司会をしていたようだ。
あまりおぼえがない。

その後、富士純子になって、もう一度映画に出演したらしい。

ぼくの中では、やっぱり「藤純子」である。

あの「緋牡丹お竜」も年をとったなあ。

「フラガール」に出ていたらしいが、やっぱりおぼえがない。

ぼくの中では、いきなり「緋牡丹お竜」から、てっぱんの「田中のおばちゃん」になった。

明日が楽しみだ。




| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
Z会
Z会というと、大学入試、というのが昭和50年の高校生の常識だったと思う。
特に数学が難易度が高くて、有名だった。
通信教育の会社。

しかし、今日テレビのCMで驚いた。
なんと、Z会の幼児教育というコースがあるらしい。

調べてみると、Z会のホームページには確かに幼児教育と書いてある。
それだけではなく、小学生も中高生もある。
大学受験だけではない。

これも、少子化の影響だ。
大学受験を扱っていた会社が、いつの間にか幼児教育をやる。
その逆で、赤ペン先生をやっていたところが、大学受験もやる。
今や大学受験だけではない。
大学生・社会人向けの教材もある。

子どもが少なくなって、教育産業が食い合いをしている。
どこも守備範囲を広げて、もとの人数を確保しようとしているのだ。

ベネッセは赤ペン先生で小、中がメインだったが、高校、大学もやっている。
上から下へ、下から上へ、という状況。

えらいもんやなあ、と思う。

自動車を作っていた会社が、バイク、自転車、三輪車を作るようなものだ。

その過程で、いろいろな吸収・合併もあったようだが、面白い。

業界の人には「面白い」のひと言で片付けるな、と言われそうだが、あのZ会が幼児教育をやっているとは…。

世の中変わったと思う。


| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年もクリスマスシーズン
去年は11月1日にクリスマスの飾り付けをやっているのを見て、おお、もうクリスマスか…、という事を書いた。

今年は11月の10日過ぎだった。
店に入ると、クリスマスソングが流れていた。
来年のスケジュール帳を売っている店だ。

今年が特に遅いわけではないだろう。
余裕がないから、気づかないだけだ。
これだけ不景気だと、ちょっとでもクリスマスの飾り付けを早くやろうという方が合理的。
なんとなく浮かれて、財布のひもも緩みやすい。

毎年この季節になると、BGMのクリスマスソングを聞いて、ああ、こんな曲もあるのか、と思う。

一昨年にクリスマスソングのアルバムをTSUTAYAで借りた。
でも、ふと入った店で聞く曲が見つからない。

あれは、店でBGMとして聞くからよく感じるのだろうか。

シンプルなメロディーに、シンプルな歌詞というのが、だいたいのクリスマスソングの特徴。

今年は真剣に探してみよう。


| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
UNOS
UNOSというのは、アメリカの臓器分配ネットワーク。
United Network for Organ Sharingを略している。

この臓器分配ネットワークというのは全米の組織で、病院で登録された臓器を見つけるという役割を果たす。
アメリカの病院のドラマでは、このUNOSで臓器を探す場面が出てくる。
人工肺を入れて、2〜3週間しかもたない、という患者のために肺を探してくれ、という場面。
必死で探すのだが、患者の既往症が多く、探すのはムリだということになる。
結局はドナーをつのることになった。

このようなネットワークがなければ、移植医療は成り立たないと思う。

しかし、移植医療が一般的になれば、いろいろと苦しむことも増えるだろう。

どれほど悪くなっていて、もうダメだという状況でも、臓器を取り替えてしまうのだから、治ってしまう。
それほど単純ではないと思うが、とにかくドラスティックな変化がある。

だから、ドナーを待つことになる。
ドナーを待つということは、臓器によっては誰かの死を待つということにもなる。

自分のプライオリティ(優先順位)は、病状や年齢や家族構成などに応じて決まるのだろう。
たぶん、厳格な基準が作られているはず。
医師だけの判断で決まるのではないだろう。

移植医療をやっていくためには、UNOSのような組織をつくり、コーディネーターを育て、その基準に対してみんなのコンセンサスを得ていくことが必要だ。

そのハードルは高いと思う。

日本人は命に優先順位をつけるということに違和感があるだろう。
ハイジャックされた飛行機に、人質が亡くなっても、突入するということができず、超法規的措置をとる国民性だ。

AさんとBさんを比べて、どちらに優先権を与えるか、という問題に答えを出さないといけない。
恣意的に決めるのではなく、ある一定の基準を作り、作ったなら厳格に運用することが必要だ。

果たして、そんなことができるのか。
ぼくらがそれを真剣に考えないと、移植医療は進まないだろう。

医療ではなく、倫理、宗教、哲学の問題である。




| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐川急便の自動受付
今日佐川急便の自動受付に電話をかけた。
一度届け物をしたが、本人不在だったので、いつ届けたらいいのかというものだ。

自動受付に電話したのは久しぶりだが、これはすごいと思う。

まるで誰かが話しているようなクリアな音声。
以前は機械が応答している、ということ丸出しのものだったが、すごく自然で、ストレスがない。
要は電話番号と、営業店番号、荷物番号、そして希望時間をダイアルするだけのことなのだが…。

ほんとに人が要らなくなったなあ、ということを思う。

昔は各営業所に受付をする人がいただろう。
もちろん、そればかりやっているわけではない。

そのうち、一括でやろう、ということになりフリーダイアルで設定し、地域でひとつ、というようなことになった。

そうこうするうちに、自動応答のシステムができ、ロボットみたいな話し方のものが導入される。
そして、今は自然な音声で、簡単に指定できるシステムになった。

もう人は一人も要らない。

自動で荷物番号にひも付けされたドライバーの端末に連絡され、希望時間が伝わる。
そして、希望時間に配達される。

以前なら、電話受付とドライバーへの連絡をアナログでやっていた。
少なくとも一人、ひょっとしたら二人の人が関わっていたはずだ。

それが、ITの進歩でゼロになる。
そういうことがいろんなところで起こっている。

チャップリンが、1936年にモダンタイムスで風刺した機械化を越えてしまった。

単純労働から解放されるということでは、人が必要でなくなるのは、いいことだろう。

でも、それは他に働くことができる場合だ。

本当に人が要らなくなる世の中がくるとは思っていなかった。

これが、情報化社会と言われていたもの。

難しい。



| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
秋の夜長
秋の夜長というと、読書。

小さい頃、夜寝る前に本を読むということを覚えた。
だから、いまだに本を読むのは布団の中が多い。
昼間でも本を読もうとすると、横になって読む。

シートン動物記は何度も読んだ。
狼王ロボが最初の巻に出ていて、これは何度も読み返した。
それと、日本名作全集の大岡裁き。
何が面白かったのか、わからない。
子供の手を両方から引っ張って、先に放したほうが本物の母親だ、という話。

あれほど 何度もよく同じ本を読めたものだ。

ストーリーはわかっているし、どこにどんな挿絵が描いてあるかもわかっていた。
それでも何度も読めるのだから、子供はすごい。

わかっているから、安心して読めるということか。

今は何度も読み返せるような本はない。
一度買った本を、忘れてもう一度買うくらいだ。
情けない。

このごろ眠くてなかなか本が読めない。

秋の夜長、虫の声を聞きながら、本を読もう。


| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
広島みかん
寒くなって、ぼちぼちみかんのシーズンがやってきた。

うちは父の実家が広島だったので、昔は広島からみかんを送ってくれていた。
冬はいつも段ボールにみかんがいっぱい入っていて、それは暖房の入っていない部屋に置いてあった。

広島以外にも愛媛や和歌山、静岡といったところが産地として有名だ。
それを知ったのは学校の地理の時間。
それまでは、広島がみかんの産地だった。

しかし、今は広島みかんというのはあまり聞かない。
和歌山、愛媛、静岡、熊本、長崎、佐賀というのが平成21年の出荷量の上位6位。

広島は抜かれてしまったらしい。

それと、板わかめ。
これはわかめを水洗いして乾燥したもの。
板状になっているから、板わかめという。
これをあぶって、くだいて、ビンに入れてふりかけにする。

亡くなった父の好物だった。

時々くだいたわかめの角がとがっていて、口の中が痛かったが、あついご飯にかけると、ちょっとやわらかくなっておいしかった。

今食べ方のページを見ると、あついご飯を包んでおにぎりにして食べるのがおいしい、と書いてあった。
なるほど。それはおいしいかもしれない。
しかし、割れずにごはんに巻けるのだろうか…。

以前広島によく出張していた頃、一度だけ買ってきたことがあった。
それももう10年以上前のはなし。

あの板わかめも、みかんと一緒に送ってきた。
食べると、もうすぐ正月だなあ、という気分になる。

母がガスコンロの上であぶって、くだいて、空いたジャムのビンに入れていた。

我が家の冬の風物詩だったなあ。

みかんと板わかめ。

なつかしい。



| | 考えたこと | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和の常識
若い人のバンド演奏を聞いた。

1980年代の懐メロを演奏するという。

なんと、その中に「木綿のハンカチーフ」があった。

その曲は、椎名林檎の曲だという。

椎名林檎とは一体何者か。
聞いたことがない。
webで調べてみると、2002年にこの曲のカバーを出したらしい。

元の曲は1975年。
ぼくらのティーンエージャーのころ。
webではこの曲の歌詞は「昭和的風景」と紹介されていた。
「昭和的風景」とはよくいう。

男性は都会に出て行き、だんだん都会に染まって、田舎にいる女性と心が離れていく。
そういうストーリーの歌詞だ。

それは昭和といえば昭和だろう。
集団就職という言葉があった。
ぼくらがまだ小さい頃。
農村から都会へと若い人が出て行く。
第一次産業から、第二次産業への労働人口の移行だ。

平成の今ではもう死語だ。
次男は集団就職とは何のことか、という。

高度成長をもたらしたもののひとつ。
若い、そして安い労働力。
映画の「三丁目の夕日」にも出てきた。

1975年には、もうピークは過ぎていたと思うが、そういう背景もあったのだろう。
そういう時代をひっくるめて、木綿のハンカチーフが歌われた。

それは、太田裕美。

この歌は、彼女の甘くて、舌足らずで、それでいて切ない声で歌わないと昭和のぼくらにはピンと来ない。

椎名林檎には悪いが…。


| | 考えたこと | 23:42 | comments(2) | trackbacks(0) |
頭痛
頭痛がとれない。

頭の左半分が痛い。
首からきていて、疲れがたまっているらしい。

そういえば、最近帰るのが遅い。

以前なら、11時、12時はへっちゃらだったが、それがダメになってきたということだろう。

年をとるということはつらいことだ。

何度も書くが、今までできていたことができなくなる。

首のすじにシップを貼って、暖める。
痛み止めを飲む。

最近姿勢が悪くなったのが原因かもしれない。
背中が丸くなって、首が前に出ている。
その姿勢でずっと座っているから、首が痛くなったのかもしれない。

姿勢は大事だ。

だんだん年寄りじみてくるなあ。


| | 考えたこと | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンテキスト
「焼酎は水だ」というのはおかしな日本語だ。

焼酎は飲み物だとか、焼酎はお酒だとかいうのなら、それは意味が通る。
しかし、焼酎は水だというのはおかしい。
焼酎は水ではない。

しかし、いい焼酎を造るためには、いい水が必要だ、ということが背景にあって、それで「焼酎は水だ」というのならわかる。

これがコンテキストというもの。

よく新聞で書かれたことに対して、「そういう意味でないことは、コンテキストの中でとらえてほしい」という。
自分に都合のよいことだけを取り出して、記事にするのはよくあることだ。

そういうときには、話した全文を見て判断してくれ、という意味。

日本語でいうと、コンテキストは文脈とか背景ということになる。

このコンテキストを理解できない人が増えてきているような気がする。
理解できないというのは、自分がわかっていることは他人もわかっている、というのも含む。

昨日の張り紙もそのひとつ。

「0時を過ぎると住宅地です」というのは言いたいことはわかるが、正しくない。

コンテキストを補って読まないとわからない。

そういうコンテキストなのだ。


 


| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
言いたいことはわかる
近くのスナックの前に貼ってあった。
きっと夜中に帰る人が大声を出したりして騒ぐのだろう。
それで、近所から苦情が来たのかもしれない。

「0時を過ぎると住宅街です。静かにしてください」というような張り紙。

言いたいことはわかるのだが、ちょっとおかしい。

住宅街の中にある店なので、帰りは回りに気遣って静かにしてほしい、という気持ちだろう。

最近気がついたのだが、話す能力と書く能力は違うらしい。
話せるのだが、書けない人がいる。
逆はまだ知らない。

流暢に話せるから、それをまとめて書けばよいというのだが、書けないという。
なぜ、書けないのか、わからないが、書けないらしい。

それで、話す能力と書く能力は別だろうと思ったのだが…。

たぶん、書きなれていないのだろう。
書く経験をつまないと、話せても書けないということか。

ということは、書く訓練は大事だということだ。

場所とお店のことを考えれば、言いたいことはわかるのだが、正確に書かないといけない。

というか、正確に書いた方がいいと思うのだが…。



| | 考えたこと | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
本当に必要なこと
本当に必要なことは意外と実施されない。

本当に必要なことの回りでいろいろなことが実施される。
それはなぜか。

本当に必要なことは、それが必要になる理由がある。
ひとことで言うと、ほったらかしにされたからだ。
もっと早く手を打っていれば、必要にはならない。
手を打てないから、必要になる。

だから、本当に必要になってからも、結局ほったらかしだ。

それを何とかするために、税金が使われる。

あの手この手で、本当に必要なことには使わない。
それが、回りでいろいろなことが実施されるということ。

なぜ本当に必要なことをやらないのか。

それはきっと役人の仕事が減るからだろうと思う。

文部科学省、経済産業省、厚生労働省…、役人の数を減らして、よけいな仕事を減らせばよい。

税金の無駄遣いをやめて、本当に必要なことにお金を回そう。

それが今の就職問題には必要だと思う。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
印税
生まれて初めて、印税をもらった。

何人かで書いた本が売れて、その10%が印税で、そのまた10%がぼくの配分率になっている。
それでお金が入った。
税金は10%。ちゃんと引かれている。

印税はもらうもので、税金ではないとこないだテレビで言っていたが…。

こんなふうに、なっているのか、という感じで、実感がない。

出版社の封筒が送られてきて、その中に支払い案内が入っている。

もっと売れたら、もっと入るのだろうか?
どんな契約になっているかも聞いてもいないので、どうでもいいのだが…。

しかし、大したことは書いていないのだが、それでも本になるというのはすごい。
えらいものだ。

電子出版になったら、もっと簡単に本が出せる。
印税も多くなる。
ただし、値段も安くなる。

それは、著者にとってはいいことだが、出版社にとっては難しくなる。
どれが売れるかわからないからだ。
編集者の腕が問われる。
よい著者よりも、よい編集者を見つけることが出版社にとって必須だろう。

音楽と一緒で、形のあるものから、形のないデーターに変わると、需要が増える。
しかし、その分、より個別的なものが増えてくる。
今までなら、こんなものは出せない、と言っていたものまで作品になる。
そうやって、裾野が広がることがいいことか、悪いことか…。
まあ、いいことなんだろう。

そうなると、買うほうのリスクも増える。
なんやこれ、というような本が増えていくからだ。
出版業界は大変だ。

そんなことを考えながら、印税の明細をながめた。



| | 考えたこと | 01:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
学園祭
11月は学園祭の季節。

文化の日の前後と、勤労感謝の日の前後にあるのが多い。

落語研究会の頃は面白かった。
教室をひとつ借り切って、一日中寄席をやる。
10時くらいから始まって、夕方までずっとやっていた。
今はどうやっているのか、知らないが…。

2日間だったか、3日間だったか。
日程は忘れてしまった。

たしか、出番の順番を書いて、ネタを書いて、順番が来たら演じる。
この日だけは、たくさんの人が来て、たくさん笑ってくれた。
普段はお客さん集めに苦労するのだが、この日だけはほっておいてもいっぱいになった。

落語ブームは終わっていたが、まだその残りの勢いがあった。

一番楽しいイベントだった。

この席で漫才もやったし、歌謡ショー(前に書いたと思う)もやった。
懐かしい。
演者も楽しんでできるし、お客さんも楽しめる。
出入り自由で、ふらっと入って、好きなときに出ていける。
そんな席だった。

子供二人は時代もあって落語には全く興味がない。
どこが面白いネン、という感じ。

ムリに面白さを強弁しようとは思わない。
時代がそうだからだ。

また落語ブームが来るとは思わないが、楽しかった学園祭のシーズンがやってくる。

楽しんでほしい。




| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
いつか
屋根のないクルマがオープンカー。

最近は屋根が自動で閉まったり、開いたりするタイプが増えた。
オープンカーといえば、2シーター。
いつかは、オープンカーがほしい、という気もする。

ベンツやBMWも出しているが、値段が高すぎる。
マツダのロードスターはねらい目だ。

しかし、今はまだ無理。
子どももいるし、荷物も積まないといけない。

よくアメリカのドラマを見ていると、「もうミニバンにした」というセリフを聞く。
これは、結婚して子どもができた、というシチュエーション。
いつまでも、子どもではない、もう大人だという状況。
男性がこのセリフをいう場合、残念というニュアンスがこもる。

クルマは男のおもちゃという側面がある。
その代表が2シーターのオープンカー。
それがおもちゃの象徴。

クルマは道具だという考え方に賛同する。
でも、やっぱりクルマには夢を求めてしまう。

いつかはオープンカー。いつかは2シーター。

その「いつか」は来ないかもしれないが、それでも「いつか」なのだ。



| | 考えたこと | 02:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
臓器移植
臓器の移植が進んでいるらしい。、

法律が改正され、「2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となる。これにより15歳未満の者から脳死下での臓器提供も可能になる」ということになったからだ。

アメリカの病院のドラマをみると、最新鋭の病院はすごいIT化だ。
カンファレンスルームに大きなボードがあって、コンピューターでの検査結果やカルテが、画面に指でジェスチャーすることによって出てくる。

移植のネットワークも整っている。
リストの優先順位も指定され、見つかるとすぐに連絡がある。
コーディネーターがいて、移植についての会議もある。
移植専門の連絡員もいる。
どの行政単位でやっているのかわからないが、ヘリポートもあって、遠いところまででも飛んでいく。

もちろん、国民皆保険の国ではないので、加入している保険によって、移植の条件も違うのだろう。

そういう意味では日本よりもややこしい。
それをコンピューターで管理している。

テレビドラマだから、誇張や作ったところもあるかもしれないが、しかし移植大国アメリカの現状の一端はそんなものだろうと思う。

移植というのは、そのシステムを維持するのにお金がかかるのだ。
ネットワークの構築、移植のための倫理コードの作成、優先順位のつけ方、専門家の養成…。
この専門家は医者ではない。
移植に関しては、医者以外の人をどう育て、どんなシステムを作るのか、ということが肝心だろう。

臓器の移植自体は技術の問題であり、 技術が進めば解決可能だろう。

しかし、移植の条件や順位の決め方、運用のしかた、ネットワークの構築については人の問題だ。

人間の臓器を取り出すということは、殺人と紙一重の行為。
完全に死んでから、取り出せるものはよい。
完全な死とは、どういう状態か、という点がすでに問題になるが…。

生きている間に取り出さないと意味がないものもあるだろう。

そういうものが、日本人にハンドリングできるのだろうか。

これは医学の問題ではなく、倫理学や哲学の問題になる。
宗教も絡むだろう。
死とは何か、というところで国民の合意を得なければならない。

また、移植医療が進むと、患者が他人の死を望むようになる、という問題もある。
あと数日でもう死ぬというときに、移植用の臓器が見つかるだろうか…、それが見つかってほしいと思うのは人情だ。
それはいいことだろうか。

移植に関わる人たちには高い倫理観が必要だ。
特に順位をきめる診断を下す医師はそうだろう。

今の医師にそのような教育ができるのだろうか。

移植のドラマを見ていて、そう思う。
これは難しい問題だ。


| | 考えたこと | 22:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
何のために勉強するのか
長男が中学に入った頃だったと思う。
「勉強は宇宙のためにするねんで」という。
担任の先生がそういったらしい。

ふーん…、それはすばらしい。

宇宙のために、というのはどういうことか。
全存在のためにということだろう。
あるものすべてのために、ということだ。

勉強は、あるものすべてのためにする。

そういうことになる。

いい学校にいくためとか、将来のためとか、そんなもののためにするのではない。
自分のためでもない。

あるものすべてのためにする、というのは、そもそも、何かのためにするものではない、ということだろう。

それは、「善く生きる」ということだと思う。

勉強することは、善く生きることだ。

善く生きるために勉強するのではない。
ただ、勉強するのは、善く生きることなのだ。

担任の先生はそういうことを言おうとしていたのだと思う。

長男が自慢げに「宇宙のためにするねんで」と言ったのは、先生のひと言が何となくわかったからかもしれない。

そういう先生に出会えて、よかったと思う。



| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
スケジュール管理
会社に入ってしばらくは、業者にもらったノートを使っていた。
そんなに書くことはない。
当時の仕事である実験のメモくらいだった。

入社して10年たつと、色々な会議や予定が入り始める。
そのころ、能率協会の能率手帳を買った。
それでスケジュール管理をしていた。
10冊以上たまったころ、PDAに変えた。

PDAというのは、Personal Data Assistantというやつ。
最初はIBMのワークパッドというもの。
その後、ソニーのクリエというやつに変えた。

それを2005年くらいまで使っていた。
そこから、少し休んで(さほどスケジュール管理が必要なかった)、グーグルカレンダーを使いはじめた。
これは、部署のメンバーで共有できるカレンダー。
流行のクラウドというやつだ。

これは想像以上に便利だ。
みんなで共有することで、情報量が増える。
誰もが、予定を入れることができ、予定をクリックするとその詳細を見ることもできる。

ところが、これがインターネット上にあることから、持ち出すことが難しい。

もうPDAの時代ではなくなった。

ブラウザがあれば、何でもできる。

そうなると、ブラウザが入った端末がほしくなる。

これが世に言うスマートフォン。

auからもようやく発売される。

果たして使い物になるのか…。

楽しみだ。


| | 考えたこと | 02:08 | comments(0) | trackbacks(0) |