考えたこと2

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外国人が苦手な日本食
日本料理が苦手な外国人は多いが、ネットに苦手な料理のランキングがあった。

まず5位は塩辛やぬか漬け、奈良漬けといった発酵食品。
ぼくらがヨーロッパのいろんなチーズが不得意なのと同じだ。
独特の匂いがあるので、苦手な人は多いらしい。
同じアジアでも、中国人が奈良漬けは苦手などと言っているから、独特なのだろう。

第4位は豆腐。
豆腐はトーフステーキなど、ダイエットの手助けになるレシピもあるので、意外だった。
なんと言っても「味がない」というのが苦手な理由。
フランスで食べた羊の脳みそはちょうどそんな味だった。
あれが食べられるなら、豆腐もOKだろうと思うが…。
バリウムみたいに感じるらしい。
麻婆豆腐みたいに味がしっかりしていたらOKらしい。
日本の豆腐料理は薄味なのだ。

第3位は刺身。
これは苦手な外国人が多い。
寿司ブームなどというが、やはり多くの人たちは刺身を苦手にしている。
食中毒が怖いということもある。
世界の常識では危ないものなのだろう。
イタリアではイカやタコを食べるが、海沿いの国だけ。
気持ちが悪い、ということだ。
活造りや踊り食いなどは信じられない、という感じ。
きっと日本旅行のガイドブックにはいろんなことが書いてあるのだろう。

第2位は生卵。
これは全面的に同意する。
普通の国ではそれこそ食中毒が怖いから、生のタマゴは食べない。
ぼくは単に嫌いなだけだが…。

第1位は納豆。
これはネバネバとニオイなのだろう。
日本人でも苦手な人は多いくらいだ。
ぼくは会社に入って茨城県に出張して食べ始めたが、今では欠かせない。

だいたい想像通りだった。
どこの国でも発酵食品は特徴的だから、敬遠される。
豆腐はちょっと意外だったが…。
刺身や生卵は危ないものなのだ。

それでも、日本は食べ物が美味しいと思う。
お茶漬けやおにぎり、そばやうどんなど、本当に日本に生まれて良かった。

どこに生まれても、そう思うのかもしれないが…。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
70歳
元の会社のメンバーで何度かギターを持って4人でレンタルスタジオに集まったが、コロナで集まれなくなり、オンラインで毎月宴会をやっている。
一番年上の人は、70歳になった。

70歳の先輩は毎日1万3千歩歩き、週に1回テニスをして、週に1日勤めに行っている。
毎日8時に寝て、5時に起きるらしい。

すごく元気だと思うのだが、その人が70歳になって「立ったまま靴下が履けなくなった」という。
毎日1万3千歩も歩いて、テニスもしていて、そうなんですか?と聞いてみたが、よる年波には勝てないらしい。

ぼくは3月の早生まれで現役なので、年齢は若いほうだが、体力にはめっぽう自信がない。
運動は嫌いだし、アウトドアも嫌い。
どちらかというと、インドアでちまちまするのが好きだ。
いまでも、立ったまま靴下を履くのはしんどい。
もとから身体が硬いのだ。

来年の3月が来たら、ぼくは65歳。
高齢者の仲間入りだ。
一足先に65歳になった大学の同級生たちは、65になったらしんどくなる、と言っていた。
60歳とは違う、ということだ。

ぼちぼち、そんな気もしてきた。

70歳になった先輩は、あと10年と言っていた。
80歳で亡くなるだろう、あるいは亡くなりたい、ということか。
でも、70歳まで生きているということは、男性の平均寿命である83歳を超えて生きる確率が高いと思う。
もっと若くて死んでいる人もたくさんいるからだ。

幸い、今の仕事には定年の規定がなく、まだ続けることができそうだ。
しかし、評価が下がったり、体力的に持たなくなったら、続けられない。
人生の末期は持久戦だろう。

いかに自分の力を使い切るか、という感じ。
使い切って、ハイおしまい、というのが理想。

なかなかそういうふうには終われないが…。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
ランニング
ちょっと前にも書いたが、最近「おしゃべりな古典教室」というのを聞いている。
毎週2回。日曜日の夜に再放送をやる。
それをPCで録音する。

今週は歳時記の「夏」がテーマ。
歳時記の話はなかなか面白い。
特に夏の季語は多く、こんなのもあるのか、と思う。

その中で出演者の小芝風花の相槌というか、先生への返しというか、返答が素晴らしい。
この女優、若いのにしゃべりが上手だと思う。
関西出身ということもあるのかもしれない。

その中で聞いててびっくりしたのが「タンクトップ」という言葉。
「ぼ、ぼくはおにぎりが好きなんだなあ」で有名な山下清が着ていたもの、といえば昭和世代にはよくわかる。
あの、夏にはそのままカジュアルな外出着にもなったランニングだ。

「坊主頭の少年がタンクトップを着て…」と話したので違和感があった。
おそらく、彼女の頭の中には白い下着のシャツ姿があったのだろう。

それで「ランニング」という言葉は死語になったのかと思った。
調べてみると、ファッション業界では完全に「タンクトップ」に置き換えられたと書いてあった。
小芝風花は24歳だから、平成の生まれ。
もう彼女の年代では「ランニング」というシャツはないのだろう。

しかし、坊主頭の少年がタンクトップとはどう考えてもおかしい。
ぼくの印象ではタンクトップはおしゃれ着で、坊主頭の少年が着るものではない。
それを苦しまぎれに「タンクトップ」と言ったのではないかと思う。

きっと彼女の母の世代は「ランニング」を知っている。

この調子なら、「半ズボン」も死語の仲間入りをしているかもしれない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハイキュー!!
勤めていた大学の卒業生に勧められて、「ハイキュー!!」というアニメを見た。
1時間40分の総集編の映画4本と、25本のアニメ番組。
全部で15時間ほどだ。

スポーツ根性ものというジャンルのアニメ。
マンガの方はもう連載を終了していて、アニメの方はシーズン4までで未完。
続きがいつ作られるかはわかっていないようだ。

珍しく、バレーボールを扱ったアニメ。
ハイキューは排球のことだ。
昔の「アタックNo.1」「サインはV」を思い出す。
当時はオリンピックでの女子バレーの活躍もあり、バレーボールといえば女子、という感じだった。

「ハイキュー!!」は身長が低い高校生男子が主人公。
入学してバレー部に入る時に、中学の時からセッターとして才能を認められていた準主役と出会い、2人で高校バレーで活躍するという設定。

「巨人の星」を含む昭和のスポ根ものと違うのは、魔球の類が出てこないこと。
さらに、家族関係は一切出てこないし、誰かが死ぬこともない。
「巨人の星」など、星一徹と星飛雄馬の親子関係で始まり、ドロドロした部分も描かれるが、「ハイキュー!!」には清々しい高校生ばかりだ。
人間のドロドロした部分はカットされている。
純粋にバレーをやっている高校生たちの群像ドラマという感じ。
描かれる期間は短く、1年で入って、春高バレーまでがメイン。
マンガの方も、春高バレーのあとは卒業後のことが少し描かれて終わったようだ。

主人公がメインで筋は運ぶのだが、いろんな高校のメインキャラクターもいて、それぞれ特徴的な試合をする。
それらのサブキャラクターが多いのも特徴。
実際にバレーをやっている人たちや、体育会系の人たちにはすごく共感できるのだろうと思う。

1本にかけるピンチサーバーや地味なブロッカーにも見せ場があり、とにかくアタックばかりというようなものではない。
ちゃんと役割分担ごとに日が当たる、というところも好感が持てる。

主人公の日向翔陽(ひなたしょうよう)の、いつもバレーを楽しんで、上手くなりたいというひたむきさが心地よい。
実際にはもっとジメジメして悩む場面もあるはずだが、そんなものは吹っ飛ばす、という感じ。

これが平成、令和のスポ根もの。

アニメで終わりまで作ってほしいと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
議会の録画公開
自治体の議会は本来市民に公開されるべきものだが、時間や場所の関係でなかなか傍聴できないのが事実。
それをYoutubeで公開し、市民に見てもらおうという動きがあるらしい。

「らしい」というのは、ある市の市議会が動画公開しないことについて、書いてある記事を読んだからだ。
その記事中に小田原の市議会が動画公開するのにかかった費用を計上していて、73万円というコストでできる、ということも書いてあった。
民主主義は地方自治からということで、市民に議会についてもっと関心を持ってもらうためには、そういうことをするのが必要だということだ。

インターネットが発達し、民主主義の形を変えていく。
時間と場所の制約を簡単に超えて、希望すればだれでも見ることができるのだ。
これを使わない手はない。

Youtubeを使えばランニングコストは無料。
100万以下の経費で議会がオープンにできるのだから喜ぶべきことだろう。

ところが、費用対効果とかの理由をつけて、議員たちは公開したがらない。
本来は喜ぶべきことなのに、なぜ喜ばないのか。
「あきれ果てて、ものが言えない」とこの記事の著者は書いている。

よくわからないが、公開すべきなのに公開しないのは、議員も役人も市長も公開したくないからだという。
一般市民の傍聴が可能ということなら、それは公開してもいいということであり、民主主義の理念から言っても公開すべきものなのに、それに反対する。

それは三者がなれ合っているからだろう。
ぼくの住んでいる尼崎市など、市長選挙になったら共産党以外は相乗りだ。
どんなに国政でもめていても、そんなの関係ない。
市長は総花的な政策をHPに挙げているが、自らが何をしたいのか、わからない。
このままいけば、次の選挙も通ると思う。

さらに、市民も同様だ。
それは投票率の低さに現れている。
市民からそういう声が出ないと、公開すべきと言っている議員も元気が出ない。
まあ、何人ほどがそれを望んでいるのかわからないが…。
記事の中でも「市民がほとんど無関心であることが、動画公開を推進したい議員の心を折っている」と書かれている。

まずは議会の公開を前提にしないといけない。
そうすれば、少しは投票率も上がるのではないか。

今度尼崎市の市役所に問い合わせしてみようと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカのEV充電スタンド
アメリカでは本音はわからないが、欧州と同じくカーメーカーはEVに熱心。
そのせいもあって、公益企業やスタートアップ企業がEV用急速充電ネットワークの構築を進めているという。

アメリカでは新幹線の代わりは飛行機だが、バカンスなどではドライブでの長距離旅行も多いのだろう。
EVが売れるためには、充電ステーションの整備が急務。
数千ヵ所の充電ステーションを設置するための公益企業の連合が生まれていて、どんどん参加企業が増えているらしい。

充電ステーションは30分くらいでバッテリーを充電できる。
30分でも、ガソリンスタンドより長いが、数時間よりはマシだ。
そこまでEVが増えるかという問題はあるが…。

アメリカの消費者が、安いガソリンをどれだけ捨てることができるか、あるいは政府がどれだけガソリンに追加のCO2排出のペナルティをつけることができるかだろう。
炭素税というやつだ。
シェールオイルによって、今やアメリカは石油の輸出国だし、実際に運用するとなると、そこはなかなか難しいところだろう。

今のバイデン政権は環境保護に力を入れていて、気候変動にも積極的。
前のトランプとは反対だ。
それもあって、政府の補助なども期待しているのだろう。

ただ、現実的に急速充電のステーションを作るとなると、電力の問題も出てくる。
一部の充電ステーションは350キロワット充電器を設置しており、食品スーパー1件分の電力不可だという。
スーパーの数よりも、スタンドの数のほうが多いから、これはより発電能力を上げないとダメだろう。
それも、クリーンな発電でないとダメだから、もし作るのなら再エネか原子力。
あるいは火力発電で、出たCO2を地中に埋めるというような設備を併設しているものか、はたまた燃やす燃料をアンモニアにするなどのもの。
原発以外は供給の安定性なども考えると、電気代は飛躍的に高くなる。
それが容認できるかどうかだろう。

ついでに言えば、車を作る材料が加工過程でどれだけCO2を排出したかも考えると、鉄鋼やアルミの材料を作るのにCO2が少ないものがグリーンだとされるので、材料費も高くなる。
今は国や自治体の補助でEVは安くなっているが、それにも限度があるだろう。
その補助を継続するために、ガソリン車などの税金も上がるかもしれない。
要はCO2を排出しないものをグリーン商品とすると、グリーン商品は高くなるのだ。

第一、世界中を走っている車を全部EVにするだけの電池が作れるのか、それも疑問だ。

話がそれた。
EV充電スタンドを増やさないと、EVは普及しないが、そのEVステーションは今後どうなっていくのだろう。

カリフォルニアでは、EV化は進むと言われている。
しかし、必然的にアメリカ国民の負担は大きくなる。

どうなっていくのだろう…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 01:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
営業トークの品質
いろんな報道関係の無料メールを登録していると、時々宣伝のメールが来る。
今日見たのは営業の電話を分析するソフトだ。

IP電話だから、電話機は必要ない。
ヘッドセットがあればOK。余計な固定費がかからない。

そのうえで、音声解析ができる。
「話速」「Talk:Listen比率」「被り回数」「沈黙回数」などが数値化できる。
営業成績のいい人と、だめな人の比較もすぐにできてしまう。
数値化するから、何を気をつければいいのか、理解も早い。
実際、この電話ソフトを入れて、社内の研修で使ったりしているという。

当該会社の場合は、営業成績のいい人は会話のラリー回数が多く、話速は1秒間に6文字をキープしているという。
1秒間に6文字ということは、1分間で360文字は話している、
キープするということに意味があるのだろう。
相手の言うことに反応してすぐに返しているということだ。

自動録音機能もある。
最近、申込みの電話などをかけると、自動音声で「録音させてもらっております」と言われることが増えたが、あれはこういう機能を使っているのかもしれない。

誰がどこに電話をかけたかという履歴も自動で残るので、リストを共有して順番に何人かでかけることもできる。
また、かけるときはパソコン上で電話番号をクリックするだけなので、かけ間違いがない。
通話の文字起こしもしてくれるとのこと。
いろいろと便利な機能だ。

電話業務もこういう効率化が図られると、成約率をベースにトークの仕方とか、どう話せばいいのかとか、標準化がやりやすくなるだろう。

最終的にはそのトークを学習して、AIがリアルタイムで電話のアシスタントをやってくれるかもしれない。

他にもいろんな機能があるとメールには書いてある。
ぼくが電話業務の担当なら、ぜひ営業に来てもらって説明を聞きたいところ。

AIが発達して、人間の評価ができるようになる。
要するに、今まで工場ではタスクタイムの測定などで効率化を測っていたが、文系の仕事でも効率が測れるようになるということだ。

少子化で労働人口が減る日本だから、効率を上げていくのは必須。

でも、それをされると人間はしんどいだろうなあ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
THE F1RST TAKE
今Youtubeで人気があるのがTHE F1RST TAKE。
ソニーがやっている。
俗に言うスタジオでの「一発録り」の動画だ。

チャンネル登録者数が500万を超えて、DISHの猫などは1億5000万回以上の再生があったらしい。
ぼくもいくつか見たが、緊張感が伝わってくるのがなかなかいい。

これが、国内外の広告賞を取っているとのこと。
今年の3月にシンガポールでやっているアジアの広告コミュニケーションフェスティバルでは3位になった。

しかし、この番組はソニー系の歌手がメインで出ているが、ヘッドフォンがソニー製というだけで、コマーシャルという感じはまったくない。
見る方も、単なる音楽のチャンネルだと思ってみていると思う。
これはどういうことなんだろうか。

今までテレビで流すCMというのを前提として、広告の賞が成り立っていたんだと思う。
昔はサントリーの渡り鳥のとまり木のCMなど、映像作品と言えるようなものもたくさんあった。
でも、そういうものにお金がかけられなくなっているのだろう。
そもそも、大手のテレビCM自体が減っている。

電通や博報堂といった広告代理店も、どんどんネットに移行している。
テレビは年寄りしか見ない。
いずれ滅んでいくのだ。

その証拠に、若い人向けの化粧品など、テレビではCMをやらない。
シニア向けばかり。
車の宣伝も、使われる俳優は中高年。
かろうじて軽だけは若い人も出てくるかな。

広告の主戦場はネットに移りつつある。
いろんなサイトを見た時に、バナーが出てきたり、ポップアップで出てくるものも増えた。
Youtubeはお金を払っているので、宣伝は見ないで済むからどうなっているのかわからないが…。

ネットの時代だから、THE F1RST TAKEが入賞したのだろう。
さりげなく、アーティストがヘッドフォンをつける。
赤いラインが入っているソニー製。
1曲で1億5000万回も見られているということは、1億5000万回ヘッドフォンをつけるところも見ている。
下手なCMをやるより、よほど効果的。

その証拠に、楽天の販売サイトでこういうコメントがあった。
「THE FIRST TAKEで使用しているヘッドホンです。細かい音もキチンと聴こえてます。カッコいいなぁと思ってずっと欲しかった商品をやっと購入出来ました!」

そのヘッドフォンは18000円もする。
これからは、こんな広告が増えてくるのだと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
定期試験
こないだ電車に乗ったら、高校生と思しき生徒たちが参考書やプリントなどを開いていた。
ぼくらの頃にも定期考査はあった。
だいたい、1学期、2学期は中間、期末の2回。3学期は1回だったと思う。
2学期は9月から始まり、12月で終わるから、中間考査は10月という感じだったが、ちょっと早い。

調べてみると、2学期制のところもあるとのこと。
2学期制の場合は9月に1学期の期末考査があるらしい。
だから、今の時期にテストがあるのか。

2学期制は、学校の週休2日で授業時間数を稼ぐために導入されたらしい。
ついでに、先生が試験を作ったり、点数をまとめたり、通知表を書いたりする負担も減らすということだ。
試験期間と他の行事とのぶつかりを減らすという効果もあるらしい。
ただ、試験範囲が広がるなどのデメリットもあるので、3学期制に戻すところもあるとのこと。
いろいろと学校もややこしい。

定期考査というと、よく勉強した覚えがある。
中高の時代は深夜放送が全盛期だったから、それを聞きながら勉強したものだ。
夕方学校から帰ってきてまず寝る。
遅めの晩御飯を食べて、10時から「ヤングタウン」、午前1時から「ヤングリクエスト」、午前3時から「走れ歌謡曲」で朝の5時までやることもあった。
もちろん、深夜放送を聞くのも目的の一つだから、ずっと勉強してたわけではない。

懐かしい。
あんな時代もあったのだ。

ぼくらの時代の経験は今はもう変わっている。
だから、それを元に何か言ってもなかなか通じない。
同じ言葉でも意味が違ったり、そもそも意味が通じなかったりする。

損益算の「定価」みたいに、知らぬ間に死語になっていたりするのだ。
きっと定期試験のやり方も、内容も、ぼくらの頃とはだいぶ変わっているのだろう。

それでも、電車の中の風物詩は変わらない。

みんな頑張れ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
模擬試験
数年前から就活ナビのサイトの模擬試験をやっている。
毎年その年度がオープンする6月から始まって、3月くらいに終わる。
時々やるのを忘れて飛ばしてしまうが、だいたい就活生に混じってやっている。

だいたい毎回2万人程度が受けている。
毎年の就活生はだいたい40万人程度いるから、5%が受けている勘定。
その中で順位がつく。

このテストは言語、非言語、一般常識、時事の4つで各10問、40分。
最初にやったときには、そのままの順番でやって、非言語で時間を取って一般常識、時事の時間が足りなくなった。
2回目以降は非言語を一番最後にやって、時間切れまでやる、というやり方に変えた。
一番考えさせらるのは非言語の問題なので、先に暗記ものをやってしまうのだ。

成績がいいのは言語。
毎回上位10%には入る。
満点のときもたまにある。
まあ、そういう人はたくさんいるのだが…。

一般常識は人文社会系の問題と理系の問題に英語が2問加わる。
こちらもまずまずの成績。

時事問題は最近は地上波のニュースを見ないので、特にスポーツ系の問題ができなくなった。
プロ野球の選手の問題なども出るので、さっぱりわからない。
サッカーはほとんど当てずっぽう。
政治、国際あたりはいいのだが…。
したがって、波がある。

非言語が問題だ。
時間をかければできるのだが、それ以外の30問をやるのにだいたい20分くらいかかる。
長文読解などもあるので、それくらい取ってしまう。

そうすると、20分で全問正解など無理。
とくに、最近は衰えを感じる。
推論がシンドい。

推論の問題はSPI特有のパズルみたいな問題なのだが、問題を読んでそれをわかりやすく書くという段階が大事。
書き方を間違えると、時間を取ってしまう。
解答をみると、ああこうやるのか、とわかるのだが、それを思いつくかどうかというところ。
毎日やっていたら、できるようになるのだが、いくらなんでもそんなに暇はない。
いや、暇はあるのだが、やりたくない。

というわけで、今月の模試は全体成績も上位3割になってしまった。

でも、毎月時間に追われて問題を解く、という時間を持つのは緊張感があっていいと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
ナイトスクープは突然やってくる
今日昼過ぎに家で一人で留守番していたら、探偵ナイトスクープの橋本探偵(銀シャリ)がインターフォンを押して訪ねてきた。
ピンポンが鳴ったので、窓から見るとカメラとマイクのブームも見えて、インターフォンで返事をすると「探偵ナイトスクープですが…」という返事。
びっくりして出ていった。

聞くと近所のマンションに、当時次男の小学校の1年下?の人がいて、その人を探しているとのこと。
残念ながら次男不在のため、後で聞いて連絡するということで終了。
カメラが回っていたからか、銀シャリの橋本はとってもいい感じだった。

今日はそんなことがあって、LINEの友だちみんなに報告した。

しかし、探偵ナイトスクープは突然やってくるものだと実感した。

関西ではおそらくほとんどの人が知っている番組だろう。
関西ローカルでありながら、いろんなところで放送されている。
探偵が視聴者からの依頼を受けて解決するというだけの番組。
関西だからこそ成り立つのだろう。

この歳でそんな番組に関われるとは思っていなかった。

やっぱりナイトスクープは突然やってくるのだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
遅れた日本
コロナ禍は悪いことばかりではなく、日本のいろんな問題点を浮かび上がらせたということは不幸中の幸いだった。
行政データーが全くモダンでないことなど、呆れるばかり。
厚労省の感染者数などの発表が、諸外国に対して何ヶ月も遅れているということもあった。

途中から改善されたようだが、おそらく人を増やしたりしたのだろう。
そう簡単に是正されるような感じではない。
いつまでも手書きとFAXに頼っているなど、時代遅れも甚だしい。
そういうことに疑問も持たず、仕事をしているということ自体が問題だと思う。
これは以前「年金事務所」にも書いた。

国からのお金がなかなか届かないということもあった。
マイナンバーを使って、オンラインで申し込んだほうが遅い、という事例もあったらしい。
これは実質的にマイナンバーが機能していないということもあるのだろう。
一体何のためなのか、意味不明だ。

でも、これは国民も悪い。
これからの人口減少を見込んで、実質的に何かを生み出す労働者を増やすためには、効率化できるところはもっと効率化しないといけない。
そのためには、マイナンバーをもっと活用しないといけない。
政治家がマイナンバーの活用を進めないのは、脱税したいからだとすら思う。
いい加減にマイナンバーアレルギーは卒業してほしい。

医療に関しては、保健所の権限がもっと強くないといけないと思う。
160万床もある病院のベッドのうち、コロナで使えるのはたった3万ということだ。
これだけ騒いで、飲食店やイベント、観光などえらい目にあっているのに、どうして増やさないのか。
国民あたり世界一の病床数の国が、欧米に比べてはるかに小さい被害で、なぜ医療が逼迫するのか。
わけがわからない。

軽症者がベッドを占拠して、病院は毎日何十万もお金をもらう、ということもある。
これは今でも逼迫要因になっているようだ。

さらに、海外ではボランティアの人が注射を打ったりしているのに、日本では全くそんなことはできない。
一体何が違うのだろうか。
結局はそんなに患者数が多くないということなのだろうが。

コロナ対策予算は234兆円にもなっている。

これだけお金をかけたのだから、ここから学ばないといけないぞ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学のガバナンス
日大に東京地検特捜部の強制捜査が入った。
病院の建て替え工事で、資金の流れが不透明ということだ。

こないだの日大のアメフトの危険タックルの件でも、理事長や学校幹部の対応は何となく不透明だったと思う。
こういう学校法人は幹部が「学校は自分のもの」と思っているような気がする。

当然、学校法人と名が付けば、いろんな優遇措置がある。
学校は社会のためにあるということだからだ。
教育に関する事業は非課税だし、それ以外に行う収益事業も法人税が優遇されている。
おまけに、定員を充足すれば国から補助金が出る。

これらの措置は学校法人の性善説に基づいて実施されていると思う。
いやしくも、教育に関わる人は悪いことはしない、ということだ。
しかし、学校法人に勤めていたぼくの感触では、必ずしもそうではない。

日大は一大教育コンツェルンというような法人で、90億円もの私学助成金が交付されている。
そういう団体であるにも関わらず、トップの理事長や理事たちが説明責任を果たそうとしない。
学校の自治という口実を唱えて、馬耳東風という状況。
それを統括官庁である文科省も指導できない。
学校法人のトップに、教育機関は社会の公器だという自覚は全く感じられないのだ。

そこは大小を問わない。
ぼくが勤めていた下位の私立大学も本質的には似たようなもの。
ぼくが疑問に思ったことは、入試が機能していないということだ。

入試が機能していないというのは、まず第一に、推薦入試やAO入試を使って「多様な学生」を取っているということ。
「多様」という言葉はいいが、要するに基礎学力がなく、カリキュラムが成立しない学生、ということだ。
教育できる可能性がないのなら、そういう学生は入学させないということが入試の機能であり、そこができていないと教育が成立しなくなる。

中にはそういう学生を入れて、基礎学力から教育しようという立派な大学もある。
しかし、そういう学校は文科省から「なぜアルファベットから教えるのか」とか「大学にふさわしくないカリキュラムがある」ということで指導が入る。
それが必要な学生が入っているのはオカシイということだ。

でも、現実にはそういう学生が入っている。
そこに文科省は蓋をする。
義務教育が崩壊しているという事実を隠したいからだと思わざるを得ない。

第二にその事実を黙っているということだ。
下位の大学の教授たちは学生の基礎学力が足りないことを知っている。
テキストをまともに読むことさえできない学生がたくさんいるのだ。
ぼくが尊敬する先生は、ゼミではテキストを音読させるということをやっていた。
そうしないと、どこがわからないかがわからないからだ。

でも、そんな手間のかかることをする先生はほんの一握り。
自分の教えたいことを教えて、自己満足に終わってしまう人が多い。
あるいは、カリキュラムとは程遠い授業で、「何でも持ち込み可」の試験で通してしまう。
これでは実業界が大学の学力を信用しないのは当たり前だろう。

ぼくは就職支援の仕事をしていたから、ゼミの学生のことについてアンケートを取ったことがある。
そのときに、正直な先生は「自分はあの学生たちと働きたくない」と答えていた。
何とも言えない気分になったものだ。

ところが文科省から補助金をもらっているのを忖度して、大きな声で「もっと中等教育をちゃんとやってくれ」などとは一言も言わない。

ぼくは会議の席で「小学校の計算もできない学生に学士をだしてもいいのですか?」と聞いたこともあるし、改善を促したこともある。
しかし、結局は何も変わらなかった。

そう思うと、大学を変えるのは至難の業だと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
waneco talk
昨日に続いてAIがらみ。

Makuakeというサイトの会員になっている。
このMakuakeは新しい製品やサービスのクラウドファンディングみたいな仕組み。
面白そうだから時々見ている。

今日はNECがwaneco(ワネコ)というサービスが紹介されていた。
wanekoというくらいだから、イヌとネコに関するサービスというのは何となくわかる。
NECのページによると、

「waneco」は、ペットとの関係性の強化を目指すPet Relationship Management(PRM)という考えに基づき、犬や猫の情報やさまざまなサービス・手続きを、1つのID「waneco ID」で連携し、デジタル化した情報を共有・活用できるプラットフォームサービスです。
本サービスの利用により、ペットサロンでの健康状態の気づきを動物病院と共有し治療や飼育アドバイスに活用するなど、犬や猫それぞれの適正や状態にあったサービスを享受することができます。これにより、人とペットが共に幸せに暮らせるプラットフォームサービスを目指します。

と書いてある。

三軸加速度センサーと気圧センサーが内蔵された首輪をつけて、そのデーターからペットの状態を判断するらしい。
現在、NECグループ内で実証実験をやっているのは、飼っているペットとLINEで話をするというサービス。
もちろんAIでデーター分析するという。
こんなのがたくさん出てくるのだろう。

もちろん、飼い主側から話しかけることもできる。
LINEだから外出中でも使える。
なかなか楽しそうでもある。

加速度センサーはスマホに内蔵されていて、大量に作られているから安価になったのだろう。
気圧センサーは何で選ばれたのかは、わからない。
事前に実験を繰り返してパラメーターとして選ばれたのだろう。

ペットにIDをとって(マイナンバーみたいなものだ)、通院している動物病院に登録しておけば、異変があれば病院から連絡が来たりするというサービスを考えていると思う。
動物病院からも、飼い主からも利用料を取れる。

今や子供の数より多くなったイヌやネコ。
長寿化でペットを飼うインセンティブも上がっている。
近所のスーパーでもペットフードなどの売り場は大きくなった。

こういうサービスも増えていくだろうなあ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
Flow Machines
ソニーCSL(コンピューター・サイエンス・ラボラトリ)がAIを使った自動作曲のアプリを無料で公開した。
Flow Machinesという名称。
アプリ画面は英語で書かれていて、ソニーも人口減少で年寄りが増える日本ではなく、世界で通用する英語でのアプリを出した。

音楽関係はヤマハがアメリカのLine6という会社を買って、コンピューターの関係はそちらがメインで開発しているように思うし、ローランドも北米のチームが活躍していると思う。
やはり、コンピューターの関係はアメリカなのだろう。

意外にもCSLの研究所は東京、京都、パリ。
ホームページには個別の研究員も紹介されているが、なんだか賢そうだ。
パリを選んだのは何か理由があったのだろう。
研究者とスタッフを合わせて100人にも満たない。
少数精鋭の研究所だ。

ぼくもiPadにアプリをインストールしてみたが、画面はわかりやすい。
プリセットの8小節のコード進行で、いろんなジャンルがある。
それらのジャンルごとに、AIがありそうなメロディを生成する。
コードは1拍ごとに変えることができる。
とてもお手軽だ。

ジャンルにはJ-Popというのもある。
何となくコード進行もそれらしい。
セットしてプレイすると、8小節が繰り返される。
繰り返すごとに新しいメロディーが出てくる仕組み。

多少機械的な気もするが、それなりに「あり得るメロディー」が次から次へと出てくる。
歌うにはちょっと音が飛びすぎていたりするが、インストならそのまま使えるものもありそうだ。

AIでいろんな曲を学習させたのだろう。
古今東西の音楽を学習すれば、作曲支援ができるようになる。
結局はその小節の和音、メロディーの音の高さ、音の長さの組み合わせだから、そんなに変数は多くないと思う。

無料のアプリでこれだけできる。

機械学習が進み、こういうこともできるようになった。
やはり学習の重要性は高い。

それは人間も同じことだと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
指板の見え方
最近よくギターのバッキングを流しながら、スケールの音を弾く練習をしている。
不思議なもので、ギターを弾くときは自分の弾いている音階がわかる。
もちろん移動ドでの話。
これは指板の位置関係とセットで覚えているからだろう。
これが、指板が見えるということかもしれない。

ギターYoutuberの動画を見ていると、いろんな見方をしている人がいる。
極論すれば、6弦×22フレット=192音の位置を覚えてしまうということなのだが、なかなかそんな人はいないと思う。
だいたい、今何フレットを弾いている、という感覚はない。
相対的に、どれだけフレット(半音)分、動いたかを見ている。

人差し指の位置が起点で、中指、薬指、小指の4本の指の幅が4フレット、という感じ。
音階は対数なので、上に行くほどフレットの感覚は短くなるが、目安はそうだ。
その上で、例えば今移動ドでみて、2弦のドの音を弾いているから、斜め右上はラだとか、斜め左下はミだとか…、そういうことだ。

昨日みたYoutuberは、指板を今押さえている音を起点にどう見ているかというと、オクターブ違いで同じ音を意識しているということだった。
今弾いている音が5弦のドだとすると、そのオクターブ違いの音は1弦飛ばして3弦の2フレット右、3弦飛ばして2弦の2フレット左という感じ。
オクターブ違いの音(位置)をみて、どの音を弾くか考える、ということなのだろう。

そういう見方ができるようになれば、音を飛ばすことができると思う。
どうしても、音階をなぞっていくと、続きの音ばかりになってしまう。
それでは、今ひとつ面白くない。
ここが難しいところ。

前に書いたオルタードスケールコードトーンも、スケール内の隣り合った音が続かないようにするということもあって、普通のメジャーやマイナーのスケール以外に使うべきという感じ。

まだまだやることはたくさんある。
階名はすぐに出てこなくても、何となくオルタードスケールの定番のリフはわかってきたし、だいぶ指板が見えるようになってきた感じはある。

ここからが遠いのだろうが…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
蔦屋書店
TSUTAYAを運営している会社は、CCC(カルチャー・コンビニエンス・クラブ)という。
ビデオレンタルのショップで伸びた会社。
ビデオからDVDまでは良かったが、オンデマンドになってもうレンタルショップは流行らない。
ビデオ以外にコミックやゲームソフトなどの中古の流通などもやっていたが、店舗はしんどかったと思う。
うちの近所の店も閉店した。

そこを店舗で使っていたTカードを使い、ポイントの商売で盛り返した会社だ。
Tポイントはいろんなところで使えて、顧客情報が手に入ったりするから、一時はいろんなお店が使っていた。
ファミリーマートやドトールも使っていたはず。
しかし、これも電子マネーができて、そちらのポイントに食われた。
どんどん使えるところは減っているはず。
ある意味、CCCはアナログなもの(ビデオ、DVD、コミックなど)とデジタル(オンデマンド、ポイントカード)の間で頑張っていたが、インターネットの専業に客を取られていったということだろう。

そのCCCがシネマコンプレックスみたいなブックコンプレックスというような本屋を開いている。
CCCは2020年に国内書籍・雑誌販売額が過去最高を更新したという。
紙の出版全体の市場規模は16年連続で縮小しているのに、CCCは20年足らずで約4倍に成長して、丸善や紀伊国屋を抜いているとのこと。
アナログへの回帰が成功したという格好だ。

その象徴が渋谷の代官山の蔦屋書店。
書籍やDVDだけでなく、深夜まで営業しているラウンジやスタバ、旅行代理店のカウンターなどを備えたコンプレックスだ。
敷地内に植物をたくさん配置し、居心地のよい作りで、文学、音楽、料理、旅、車などの分野に詳しい「コンシェルジュ」が選別した本が並んでいるらしい。
なんと、できる前は1日あたりの通行料が1500人程度だったのに、今やコロナ前の平日で約1万人が押し寄せる名所になっているらしい。
一度行ってみたいものだ。

そのCCCが函館に作った函館蔦屋書店。
こちらもカフェや本に加えて生活雑貨、コスメショップやヘアサロン、アパレル雑貨の店も入っている。
これからの時代のスタンダードを目指すという触れ込み。

ホームページには函館蔦屋書店とは、

もう、商業施設をつくるだけで、地域がいきいきとする時代ではありません。
買い物だけならネットでもいい。求められているのは、ゆっくりと過ごせる空間でした。
本とおいしいコーヒーがあって、家族や友達とおしゃべりしたり、子どもたちもワイワイできる場所。
学校や職場以外の、いわゆる第三の活動の場としても使える。
働く人たちが、お客さまと名前で呼び合うようないい距離感もできる。
ものを買う場所は、ヒトもコトもつながる場所であるべきだと思います。
函館蔦屋書店がめざすのは、これからの時代のスタンダード。
地域のみなさんが気持ちよく過ごせる”居場所”になります。

と書かれている。

ネットに勝つために、ゆっくり過ごせる空間を作ったということだ。

蔦屋書店が新しい書店を作るのだろうか。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
げてばねこ
Youtubeで損益算の解説を見て勉強している。
どう伝えたらいいかということだ。
さすがに、熟練の講師は上手に話す。

損益算というのは原価、定価、売価、利益(売価ー原価)というのがキモ。
まず、これらの言葉の意味がわからない。

かろうじて、原価と売価はわかるのだが、「定価」というものがわからない。
世の中に定価がなくなって、オープン価格になったからだ。
損益算は昭和の遺物になってしまっている。
それでも、まだしつこく出題される。
それは、この構造が商売の基本になるからだろう。

今は学生に「定価は売りたい値段」、ということで説明している。
原価で商品を仕入れ、売りたい値段が定価、そこから値引きをして、売価が決まる。
利益は売価から原価を引いたものということになる。

これは商品が1個の場合でまだ易しい部類。
難しい問題になると、個数が増える。
たとえば、300個仕入れて、150個は定価で売れ、残りの100個は2割引きで売り、そのまた残りは廃棄したというような場合。
こうなると、多くの学生はお手上げになることが多い。

先生はここで「げてばねこ」を出してくる。
げんか、ていか、ばいか、ねだん、こすうの頭文字。
ぼくが作ったプリントはげんか、ていか、ばいか、こすう、りえき(ばーげ)だったが…。
語呂も考えて、ねだん、こすうということにしたのだろう。
表を作って整理するというアイデアまでは一緒だったのだが…。

たしかに、表の書き方によっては利益を表の外に出したほうがややこしくない。
この「げてばねこ」の解説動画(損益算3)は11万回再生されている。

コメント欄をみていると、

「損益算めっちゃ苦手やったけど解けるようになった(泣)ありがとうございます!!!」

というようなものが並んでいる。

やはりネコは強いということか…。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペンヌ衝突
直径500メートルのペンヌという小惑星が地球に衝突する可能性があるらしい。
NASAの小惑星探査機のデーター。
2300年までに衝突する可能性は1/1750。
衝突する確率の高い日は、2182年9月24日火曜日の午後。
この日の確率は1/2700とのこと。

ナショナル・ジオグラフィックの記事。

恐竜が絶滅した時の小惑星は直径10キロメートルだったらしいから、今回のペンヌはその1/20の直径。
それでも衝突した地域は壊滅するという。
TNT火薬11億トン分以上とのこと。
想像がつかないが、去年ベイルートで起きた大爆発の200万倍らしい。

どこに落ちるかも、だいたいはわかっているのだろうと思うが、それは発表しない。
海に落ちたら、どうなるのだろうか。
大規模な津波が発生するような気がするが…。

軌道の計算には多くの小惑星の重力も関係しているので、大変だったという。
太陽光も関係しているらしい。
計算の結果、ペンヌはブドウ3粒分の重さで押されており、軌道は1年間に285メートルずつずれる。
その結果、2135年に地球の表面から月のほぼ中間を通過することが判明した。
それでも、不確定要素があり、衝突の危険性は排除できないのだろう。

今生きている人はみんな死んでいるだろうが、もしも衝突すれば大惨事になるだろう。
それまでにどれだけ予測技術が進み、小惑星の軌道を変える技術が進むのか。
後者の方では、探査機を小惑星に衝突させて進路を変える、という実験も計画されているらしい。

人間という種が恐竜のように絶滅しないように、という思い。
それは自然な欲望なのだろうか。

どっちみち、太陽が膨張を始めれば、地球は飲み込まれてしまう。
そうなる前に熱で絶滅する。

ノアの箱舟のように、地球以外のところで生きることも模索されるのだろうか。

全くの想像の世界だが、どうなるのかを考えると、面白い。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
お金の教育
日本でも来年から高校の家庭科で「投資信託」の授業がスタートする。
本来なら経済で教えるべきだと思うが、経済は選択科目だから、家庭科で教えるのか。
家庭科は必修だからか。

家庭科の先生というと、あまり投資信託とかを教えるタイプではなかったように思うのだが、ここでも屋上屋を架すようなことが行われているのだろう。
もういい加減、教える方を変えないとダメなのではないかと思うのだが…。

もちろん、大学の教員養成課程で「投資信託」など教える教員はいない。
教育学でも、「投資信託」など扱わない。
プログラミングや英語と同じだ。

マクロ的にいえば、日本の家庭貯蓄率が高いということで、お金を銀行にブタ積みしておくよりも、投資に回してもらわないと、これから高齢者の貯蓄が減り始め、より一層投資不足になるからだろう。
だいぶ前からそんなことは言われていたが、ようやく文科省もその気になったようだ。
結局、役所の縦割りが生んだ弊害なのだろう。
投資など縁もゆかりもない教育分野の人たちが、どうやって教えるのかは心配だ。

ぼくの習った頃は倫理社会と政治経済は1年間だけ、週に1回の授業だったと思う。
社会の分野は変遷がややこしい。
今は公民の中の公共という科目が必修。
この社会系の科目の名称や変遷、単位数などを調べたら、結構面白いと思う。

70年代の入試の選択科目としては地理か歴史が多かったし、授業数も多かったので、そちらが選ばれることが多く、倫社政経はどちらかというと内職の時間だった。
倫理社会はわりと好きだったが…。

ぼくは理系だったので、入試の社会の選択科目は1つでよく、日本史を選んだ。
入試の最終日が社会で、徹夜で暗記をしたのが懐かしい。

中高の教員は初等教育と違って中等教育の教員免許でよく、これはどこの大学でも科目を揃えて申請すれば認可される。
学生は教育実習に行って、課程を修めれば教員免許はもらえる。
ただし、採用試験に通らないと教員にはなれない。
昔の女子大では、教員免許を取得することが、「嫁入り道具」などと言われた時代もあったらしい。

80年代以降、文系の社会科学系の学部が増えて、教員の志願者に社会系の学生が増えるにしたがって、社会の科目が増えて複雑になり、わけがわからなくなったのだと思う。
志願者に合わせて、教育内容を変えるという愚かなことをしたのろう。

確かに山や川の名前や国鉄の線の名前など覚えなくてもいいといえばいいかもしれないが…。

しかし、これでまた新しい内容が教育課程に加わった。

教員養成課程もいい加減に見直さないと、いつかみたいに履修漏れになってしまうぞ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
禁煙
久しぶりに小林秀雄の講演CDを聞いた。
一時は小林秀雄にはまって、何度もCDを聞いたものだ。
全部で16枚。
いずれも味わい深いものばかり。

本居宣長の本を書いていた頃の講演だ。
他愛ない話から始まって、コレステロールの話や漢方の話が続く。
彼は胃が悪かったのだが、タバコを辞めて良くなったという。

医者に診てもらって、タバコをやめろと言われて、その場でタバコとライターを置いて帰ったという。
そしたら、医者が追いかけてきて、タバコとライターを返されて、医者に「いつもタバコとライターを持っている状態でないと、本当にタバコはやめられないぞ」と言われる。
「なるほど」と納得して、持って帰って、それから禁煙した。

そのときに言っていたのが、原稿を書く時の間合いだという。
自分は原稿を30数年書いてきたが、禁煙して数カ月間書けなかった。
これはプロの物書きでないとわからないだろうが、筆が進む間合いがあるらしい。
その時間を、タバコを吸って待つという感じなのだろう。
それがなくなると、書けなくて困った、ということだ。

ぼくは2008年の10月に脳梗塞をやって、その時禁煙した。
6日間入院して、入院中は禁煙して、その延長で今日がある。
もう13年経つ。
その時のことはあまり覚えていないが、どちらかというと話すほうがしんどかった。
書くことに困った記憶はない。

やっぱり小林秀雄はプロなのだ。
間合いが測れないと、書けなくなる。
プロの呼吸というようなものだろう。

講演の中でも、「君たち素人にはわからんだろうが、プロには…」ということを言っていた。
ぼくは入院のおかげで禁煙できたが、そんなことでもなければ難しかったと思う。

医者の一言で禁煙できるというのは、さすがだと思う。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
変わるオフィス
長男が夏休みで東京から帰ってきた。
夏休みの後も、数日間大阪の事務所に出社して仕事をするという。
出勤するところを見たが、Tシャツに半パンでスニーカー。
リュックを背負って出勤。
昭和のおじさんから見れば、どう見てもどこかに遊びに行くというスタイル。

聞けば、オフィスはフリーアドレスだという。
フリーアドレスというのは、ぼくがまだ民間企業にいたころ、そういうのもある、ということで聞いた。
毎日どこに座ってもいい、という方式。
オフィスには机と椅子が並んでいるだけ。
これでコミュニケーションが取りやすくなる、という触れ込みだった。

そのためには、個人の持っている紙をなくさないといけない。
2000年当時は、まだまだ紙が多かったから、個人の席の後ろにはその人用のラックがあって、ファイルをしまえるようになっていた。
引き出しの中もファイルだらけ。
どうしても属人的な仕事になって、個人ファイルが増えていた。

今は法律も整備され、ペーパーレスになってきているから、どんどん紙が減ってディスプレイで見る時代になっているらしい。
個人の持ち物がノートPC1台になると、フリーオフィスは簡単だ。
もともと、リモートワークを増やせる会社は、そういう環境が整っているのだろう。
2000年当時のぼくの勤めていた会社はとても無理だった。

そういう環境で、Tシャツに半パン、スニーカーで、周りがうるさい時にはヘッドフォンで音楽を聞きながら仕事をする。
そんな環境で仕事ができるのはいいことなのだろう。

まだまだ昭和の雰囲気が残っている会社も多いはずだとは思う。
その証拠に、学校法人など全く変わらない。
相変わらず、部署ごとに大部屋があって、毎朝ミーティングをしたりしている。
たしかに、リモートワークは増えたが…。

行く川の流れは絶えずして…の世界。

変わらないのは、人が生まれて死ぬことだけか。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
asnas
阪急の駅ナカにあるコンビニasnasがローソンのフランチャイズになる。
したがって、asnasの名前はなくなるらしい。
うちの近所の駅のasnasも、23日閉店という貼り紙がしてあった。

asnasという名前、なかなかいいネーミングだと思ったのだが、意外と撤退は早い。
たしかに、品揃えはそんなに悪くないのだが、いわゆるコンビニではないのだ。
コンビニは今や商品を売るだけではなく、銀行ATM、各種公的サービスの支払、コピーサービス、各種チケット発行や宅急便のサービスまで請け負っている。
逆に言うと、そういうものができてこそのコンビニだと言える。

asnasを作ったときには、商品の販売ができればOKだったのかもしれないが、その後コンビニ大手はどんどんサービスを広げてきた。
駅ナカで待ち時間にお金をおろしたり、公的サービスの支払いなどができると、大変便利だ。
H2Oリテイリングも、そういう情報化投資をするところまではいかなかったのだろう。

ネット銀行がここまで増えたのも、コンビニATMがあればこそ。
最初は街の情報ステーションなどと言っていたが、公的サービスまで取り込んで日本のデジタル化に大きな功績があると思う。

今やあまり出歩けないお年寄りにとっては、コンビニが生命線だ。
勤務している学校の近所にもコンビニがあるが、客はお年寄りも多い。
そのため、小分けした惣菜などのおかずが増えた。
酒類の販売も、絡んでいるかもしれない。

調剤薬局など、コンビニで申し込みして薬を送ってもらえばいいのだ。
医院でもらった処方箋を持ってコンビニに行き、そこで読み込んでもらう。
3日以内に家に届くというシステムなど簡単だろう。
そうすれば待つ手間もない。ついでに買い物もできる。

今の自粛ができるのも、近くにコンビニがあるからだと思う。
スーパーで買い物できないお年寄りは、コンビニで済ませることができる。
マスクも買えるし、あとは薬だけだろう。

asnasの話からそれてしまったが、今からコンビニに参入するのはシンドいということだ。

ローソンは駅ナカでどういう作戦に出るのだろうか。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
おしゃべりな古典教室
毎週FMシアターを聴いているが、たまに出てくる小芝風花という声優が気に入っている。
そういえば、女優業もやっていて、最近記事を見たこともある。

先週のNHK第二放送のプログラムを見ていたら、「おしゃべりな古典教室」という番組に彼女の名前があって、扱う作家は田辺聖子だった。

田辺聖子はぼくの好きな作家の一人。
本当にたくさんの本を書いている。
ぼくが読んだのは70冊ほど。
おそらく、ぼくが読んだ作家では一番だ。
それでも、ほんの一部。
大阪弁の小説をたくさん書いていて、大阪の良さを伝えている作家だと思う。

おしゃべりな「古典講座」というくらいだから、古典の解説をしている。
日曜の深夜に再放送で2回連続30分をやっていたのを録音して聞いた。

一応解説の人もいるのだが、この小芝風花の喋りや感想がすごくよかった。
この人は関西出身で大阪弁ネイティブだ。
今回は田辺聖子の現代小説や源氏物語の現代語訳だったから、分かりやすかったのかもしれないが…。
解説の人などいらない、一人舞台という感じ。
さすが女優というか、感情移入の解釈が上手。

4月まで毎週文化講演会を聞いていたのだが、それがなくなった。
以前は有名な作家や評論家、その道のプロというような人が月に1回くらいは出ていたのだが、ここ数年、わけのわからない大学の先生とかの講演が増えて、録音しても最初の数分聞いて消すというような状態だった。
視聴者の評価も低かったのだろう。
NHKも予算が厳しくなったのか、やめてしまった。
その代わりに何かないかと探していたのだが、毎週30分のこの番組はちょうどいいかもしれない。

日曜日の深夜に30分、録音して、通勤時間に聞く。
もちろん、パソコンでの録音だ。

しばらく聞いてみよう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
「グリーン成長」再び?
「10年前から言い続けているグリーン成長」という記事を見た。

そういえば、昔そんな事言っていたなあと思う。
2009年に鳩山内閣が出した成長戦略。

内容は、「グリーン・イノベーションによる環境・エネルギー大国戦略」という見出し。
そこには、2020年までの目標として、威勢のいい言葉が並んでいる。

・50兆円超の環境関連新規市場
・140万人の環境分野の新規採用
・日本の民間ベースの技術を活かした世界の温暖化ガス削減量を13億トン以上とすることを目標とする

その後、東北の震災があって、日本中の原発が止まり、太陽光発電のメガソーラーが雨後の竹の子状態になったが、そのブーム以降はあまり進まなかった。
環境関連の新規市場ができて、140万人が採用されたという話も聞かない。
まさに、失われた20年の一部で、成長率は低めで安定し、いくらお金をジャブジャブにしてもインフレも起きないという状況が今に至っても続いている。

一方、再エネ発電のために賦課金が電気代に上乗せされ、電気代は高くなって、潰れた工場もあった。
原発を止めたおかげで、毎月何千億円という高値でLNGを輸入したこともあった。

ぼくが会社に入ったのは1979年で、第二次オイルショックの時。
だから採用人数も少なかった。
工場だけでなく、事務所も節電して、蛍光灯一つずつにスイッチがぶら下がっていた。

結果的にこのときの省エネの努力は、その後の日本産業の強みになったと思う。
省エネは儲かるのだ。

でも、再エネは儲からない。
無理やり不安的な再エネに頼ろうとすると、バックアップの電力が必要になる。
産油国で石油からアンモニアを作って、クリーンな電気を作ろうとしているが、それは産油国にCO2を付け替えているだけだろう。
いずれ、破綻するのは目に見えている。

蓄電の技術が安価にできれば、再エネも使い物になるだろうが、今のままでは不安定で使えない。
だからこそ、賦課金が必要になる。
結局、再エネは補助金なしには使えないのが実情なのだ。

また今年グリーン成長戦略みたいなことを言っている。
過去の過ちをちゃんと振り返れば、おかしいとわかるはずだ。

少なくとも、多額の税金を投入しないと、そんなもの民間ではやれない、ということを明らかにしてほしいものだ。
きれいごとばかり言っていては、議論ができない。

みんな、本気で再エネにお金を払う気があるのだろうか…。
日本の排出量はたった3%。
省エネ技術を輸出をするほうが、よほど貢献できるというのに…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
教員志望者不足
教員採用試験の倍率が低下している。
文科省の調査によると、採用試験の倍率は去年の4.2倍を下回り、ピークの2000年度の13.3倍から右肩下がりで3.9倍まで落ちたという。
中でも小学校は過去最低の2.7倍で、地域によっては1.4倍というところもある。
競争率は3倍を切ると、質の維持が難しいと言われているらしい。
重複合格者が辞退したりするからだ。
下位の大学入試では夢みたいな数字だが…。

小学校の受験者で見ると、新規学卒者はそんなに減っていなくて、既卒者が大きく減少しているとのこと。
採用が好調な民間に流れている、という分析らしい。
また、教員という職業の魅力がなくなっている、という要素も大きいのも現状。
文科省がSNSで教員のやりがいを発信してもらおうとして、「#教師のバトン」というプロジェクトをやっているが、それが不満のはけ口状態になってしまって、ブラックな職場という生の声がわかってしまったということもある。

いい機会だから、民間企業で勤めていた人たちを採用すればいいと思う。
何度も言っているように、教育の世界は閉じている。
世間の常識は教員の非常識だ。

英会話やプログラミング教育など得意な人を集めればいい。
もともと教員の仕事というのはやりがいがある仕事なのだと思う。
特に、人生をある程度生きた人たちにとっては、次の人達を育てるということはやりがいにつながるだろう。

教育は全員が経験したことだから、民間の人たちを雇ってもそんなに問題はない。
逆にそういう人たちを入れて、ブラックな職場を改善すればいい。
初等教育課程など、研修でやったらいいのだ。
そういう制度設計をすることこそ、文科省の仕事だ。

そうすることで、「普通の人たち」が教育を見ることが、学校を改善することになる。

早くしないと、もっと悪くなるぞ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 笑福亭仁鶴
先日亡くなった仁鶴だが、ラジオの落語番組(といってもほとんどないが)で追悼番組をやっていた。
番組でも、仁鶴は上方落語の中興の祖の一人、と言われていた。

中では懐かしい「おばちゃんのブルース」も流された。
「わたしゃビルの おそうじオバチャン〜」で始まる曲。
仁鶴が歌って、最初はB面だったが、ヒットした。
曲を聞くと思い出す。

追悼番組では、仁鶴の全盛期の「初天神」と晩年の「代脈」をやっていた。
「初天神」は仁鶴の得意ネタだった。
今聞いても面白い。
今の若い人が聞いて、笑えるかどうかはわからないが。

若い頃の仁鶴は本当に勢いがあった。
どこがどう面白いのか、今となっては説明が難しいかもしれない。
それまでの上方落語の四天王(松鶴、春団治、米朝、文枝)の功績も大きかったが、当時としては仁鶴のスピーディーな噺ぶりや、ところどころに入れる「くすぐり」の上手さはすごかったと思う。

番組では、仁鶴のめくり(演者の名前を書いた紙)が出ただけで、劇場の底からわきあがるような笑いが出たとかいう当時のエピソードも言っていた。

ぼくは中学の時に仁鶴のことを知った。
一度だけ、本物を見たことがある。
同級生がヤングオーオーの入場券が当たって、ぼくを誘ってくれた。
入場券は2名までで、夕方の4時くらいに整理券と引き換えだった。

SABホールだったか、ビルの周りをぐるっとまわるくらいの人がいたと思う。
そこで何時間か並んで過ごし、座席の指定券をもらった。
ヤングオーオー(正式には Young Oh! Oh! だったと思う)という番組は、当時まだ勢いがあった深夜放送のMBSヤングタウンという番組のTV版というような感じだった。

あの番組で桂三枝(今は文枝)や4人の若手落語家(八方、文珍、きん枝、小染)がテレビに出るようになったのだ。
もうみんな還暦を過ぎたが、ちゃんと劇場でやるライブ感もある番組だった。
ここらへんは死語ばかりだが…。

その時に仁鶴が出てきて、とにかく感激したように思う。
実物を見た、ということだ。

今の50代以下くらいは、あの当時の仁鶴を知らないだろう。
彼の落語は残念ながら残らないと思う。
後半生は前半生とのギャップに、結構苦しんだと思ってしまうのだ。

でも、上方落語の歴史には間違いなく功労者として残ると思う。

改めて冥福を祈る。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
はじめての気象学
今朝、環状線に乗っていたら、前の席に座っている明らかに60歳以上で定年前といったふうの男性が、「はじめての気象学」という本を読んでいた。
ボタンダウンのシャツだが、ボタンを止めていないので、襟が立っていない。
普通に勤めている様子で、黒いかばんをもって、感じとしては昭和のサラリーマン。

きっと朝ドラの影響なのだろう。
水が蒸発して雲になるという常識もなかった娘が、仕事をしながら合間に勉強して取れるくらいだから、きっと簡単だと思ったのか。

会社の先輩で、60歳で退職して勉強して、気象予報士になった人がいた。
けっこう大変だったと聞いた覚えがある。
マナビジョンというサイトによる説明は下記。

「気象予報士になるには、気象予報士試験に合格し、気象庁長官に「気象予報士」として登録をされることが必要だ。だれでも受験できるが、気象庁から提供される気象データを理解し、応用する能力が試されるため、かなりの難関であり、近年の合格率は4.5%台で推移している。」

だいたい100人受けて、5人程度だから、かなり難しい。
難関試験の部類。

実際になった人に聞くと、気象予報士になれたからといって、特に仕事のオファーが来るわけではないという。
そういう仕事をしたい、という人がなるべきという感じだろう。
先程のサイトによると、

「メディアでの活躍をよく見かけるようになった一方で、気象予報士の国家資格を生かせる働き口はあまり多くないのが現状だ。気象庁の「気象予報士現況調査(2013年度実施)」によると、国家資格を取得した後、気象に関係しない業務に就いている人が約70%と非常に多い。気象予報士に登録していても、気象会社で予報を行う人が10%、キャスターとして働く人が5%しかいない現状を考えると、そもそも気象予報士として収入を得ていくのはかなりの狭き門のようだ。」

と書いてある。

その人も、時々児童生徒相手に気象の話をする機会がある程度、ということだった。
まあ、そんなに甘いものではないということか。

環状線のオジサンは何を考えていたのだろうか。
気象予報士になって、新しいビジネスを立ち上げよう、というタイプではなかったが…。

人生が100年とは言わないが、少なくとも60歳まで生きていたら80歳くらいまでは生きる確率は高い。
仕事ができる上限は、まあどう考えても80歳くらいだろう。
そこまで継続できる仕事はあまり多くない。
当然、肉体労働はシンドいし、よほどの得意分野がないと苦しい。

そういう意味では気象予報士というのは、理系の人にとってはいいかもしれない。
ただ、仕事を見つけるのは、難しいだろうなあ。
ネットを見たら、いくらでも情報が取れる時代だから。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう9月
何度か書いたが、ユーミンの「9月には帰らない」と、オフコースの「I LOVE YOU」という曲が、ぼくが9月を思い出す曲。

「9月には帰らない」はガットギターで始まる、ユーミンにしては珍しい曲。
これがなんとも言えない。
9月には帰らない、ということはわかるのだが、なぜ?ということは聞く人に任されている。
作者にしか、本当の意味はわからないのだと思う。

さらにわからないのが、オフコースの「I LOVE YOU」。
もともと、よくわからない歌詞なのだが、これも「ああ早く 9月になれば…」と歌う。
こちらも、なぜ9月になれば…なのかは全くわからない。
聞く人に任せるというより、雰囲気で察してくれ、という感じ。

この2曲の「9月」がなんとなく9月のイメージ曲になった。

学校の時は、9月というと新学期。
夏休みが終わって、学校が始まるというある意味鬱陶しい時期。
でももうそういう時期は遠い昔で、社会人になってからの9月というと、一応夏は終わりかけているがまだまだ暑い季節。
そのせいか、9月というと「けだるい」イメージだ。

学校法人で勤めることになって、余計にそう思う。
今の大学は夏休みが長い。
秋学期が始まるのが9月の終わりくらい。

だから、世間はもうフル稼働しているが、大学はまだお休み中という感じ。
そういうわけで、余計にけだるい。

どうも歌詞と「9月」という言葉の相性がいいみたいに思う。
10月や11月は字数が多い。
くがつ、の3文字が座りがいい。

3文字の月の中ではにがつ、しがつ、ごがつ、くがつの4つが残る。
ごがつは濁音が入るので、除外する。
そうすると、2月、4月、9月の3つが残る。

4月は春で何かとイベントがありそうなので、余計な意味がひっついてくるので除外。
2月はそういうものがなくていい感じだが、寒いから避けるのだろう。
そうすると、けだるい9月しか残らない。

そのけだるい9月がやってきた。
今年ももう9月。
なんとなく、9月は節目の月なのだ。

残り1/3になってしまった。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |