考えたこと2

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ペンギン・ハイウェイ
ペンギン・ハイウェイ 森見登美彦著 角川書店

アマゾンで中古の単行本を買って、今日読み終えた。
こないだ見たアニメの原作だ。

映画を先に見ておいて、よかったのかもしれない。
年をとって、だいぶ想像力が鈍っているから、それを補ってくれたように思う。
かなり忠実に映画化されている。さすがアニメだと思う。
そして、この本の世界をよく表している「絵」だった。

この本は男の本だ。
ぼくは主人公のアオヤマくんが好きだ。
アオヤマくんを好きになれるかどうかで、この物語をわかるかどうかが決まる。

以前、宮部みゆきを読んだ時に、この人は素晴らしいストーリーテラーだと思った。
だいたい、小説というのは女性作家の方が上手だ。
世界最古の長編小説、源氏物語を書いた紫式部も女性だったのだ。

たしかにハードボイルドなどの現実味があふれる小説なら、男の作家もいい。
でも、本当に空想的なストーリーで、ここまで書ける男性作家がいたのは発見だった。

適度に空想科学的なものが出てくる。
空想科学的といっても、ワームホールなどという宇宙科学者たちが真剣に論じているものだ。
作者はそういうものに精通しているのだろう。
それら科学的なものと、ペンギンという生き物をセットしたところにこの本の面白さがある。

そして、不思議な「お姉さん」。
最後まで名前も出てこない。
歯科医の受付という、ごく普通の仕事をしている。
その彼女が持っている不思議な力と、歯科医の受付という仕事をセットしたところにも面白さがある。

でも、この物語の本筋は、主人公のアオヤマくんとお姉さんを含む、彼を取り巻く人達にある。
彼の小学生友だちたち。
家族や海辺のカフェの店長、友だちの家族など、キャラクターとして実在しないような人たちであるにもかかわらず、本を読んでいると存在感がある。

本の帯に「少年には忘れられない夏がある。」と書いてある。
文字通り、そういうことなのだ。

少年の頃の忘れられない夏休み。
子供時代の夏休みの「切なさ」を思い出した。

アオヤマくんやその友だちもいつかは大人になる。
大人になっても、きっと覚えているだろう、そんな思い出。
そういうものを、作者はきっと書きたかったのだろうと思う。

いい物語を読めた。


| | | 11:37 | comments(2) | trackbacks(0) |
ニュースの質
昔、アサヒ芸能という週刊誌があった。
ゴシップ誌という感じで、ぼくは買ったことがない。
喫茶店や食堂などで置いてあったらチラチラ見る、という感じ。
表紙や見出しが派手で、あまり品のいい雑誌ではなかった。
年配の男性向けという感じで、女性はまず買わない(興味があっても)という類の雑誌。

そのアサヒ芸能に載っていたような記事が、今やネット上に溢れている。
特にひどいのは、ニュースアプリ。
ぼくも一つ入れているが、トップニュースのセレクションがひどい。
最初の方はまともなニュースが出ているが、ずっと下に繰っていくと、どうでもいいようなゴシップばかり。
おまけに、時々広告も入っていて、まぎらわしい。
たしかに小さな字で「広告」と書いてあるが…。

もともと、クーポン欲しさにインストールしたのだが、ニュースの通知が頻繁でついつい見てしまう。
本文を見てしまってから、自分で後悔する。
今日はあまりにひどかったから、すべての通知をオフした。

ゴシップというのは、「世間に伝えられる興味本位のうわさ話。」という意味。
そんなものどうでもいい、と思っていても、見出しをみるとついつい記事を見て、改めて「こんなもん、どうでもええやん」と思ってしまう。

誰と誰が離婚の危機とか、ひっついたとか、こんなことを言って炎上したとか、バカバカしいことばかり。
ニュースが暇つぶしになってしまう。

クーポンに釣られて、世間のみんなも、あのゴシップを見ているのだろうか。

紙のメディアの時代なら、まず手に取らなかったものでも、ネットになるとつい見てしまう。
無料というのは恐ろしい。
やっぱり人間はそういうものが本質的に好きなのだ。

今まではお金を払うということが、ハードルになっていたのだろう。

これは、気をつけないとイケナイぞ。


| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
アルプス13度
今日からG20大阪サミット。
そのニュースの後、ワールドニュースを見ていたら、フランスでの猛暑の事をやっていた。
気温45度になるところもあるそうで、学校は休校とのこと。
ヨーロッパが温暖化対策に熱心なのも理解できる。

アルプス地方では、毎年の気温が0度という標高で13度だと言っていた。
瞬間的だとはいえ、すごい上昇だ。
観光地が映っていたが、周りは当然雪だった。あれはどうなるのだろうか。
溶けて流れたら大変だろうと思うが…。

ハリケーンや台風の大型化や多発化など、世界中で起こっている異常気象。
毎年起こるから、異常かどうかわからなくなる。
これから台風シーズンだが、今年も大きいのが来るんだろうか。

地球の変化というのはすごくゆっくりだ。
あとで振り返って、こうだったのか、と理解するという感じ。
人間の経済活動が地球規模で行われるようになって100年以上。
石油を燃やして、CO2を出し続け、100年経ったらこうなった。

2100年の気温予測では、最悪6.4度の上昇があるという。
6.4度も上がったら、南極や北極の氷が溶け、台風は巨大化し、海の水位は上昇して陸地が減り…、とにかく大変なことになるだろう。

最良のシナリオでも1.5度ほど上がる。
2100年というと、今からたった80年後。
ぼくらの孫やひ孫の世代だ。

ぼくが生まれた頃、地球の人口は30億人と習ったが、今は70億人、そして2100年には109億人らしい。
人が増えると、経済活動は活発になって、温暖化は加速する。
人類は自らの手で地球の気温を変え、滅ぼしていくのだろうか。

温暖化の問題はアリとキリギリスの話に似ている。
後のことを考えず、楽しく過ごすキリギリスが今のぼくらだ。
そんなに悪気はないが、なかなか今の生活を変えられない。

なんでも、気温が上がると昆虫は大きくなるらしい。
そういえば、インドネシアで見たゴキブリはすごく大きかった。

科学の力で温暖化を止めることはできるんだろうか。
そう簡単には無理だろうなあ。

でも、暑くなったらエアコンのスイッチを入れてしまう。
日本は原発を止めて、火力をたくさん使っているから、電気はCO2フリーではないのだ。

幸いぼくらは「楽しいキリギリス」の時代でいなくなるが…。
G20のエライ人たちは、ちょっとは真剣になってきたのかもしれない。
| | 考えたこと | 20:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヤマハのミドルギター
ミニというか、ミドルの大きさのギターをヤマハが発売した。
STORIAという商品。
ホームページを見ると、商品を弾いている写真はほとんど女性。
こないだフェンダー社の、女性をターゲットにした戦略の記事を書いたが、ヤマハもそれに追従した形だろう。

あまり小さいギターは子供用と思われるからか、大人向けのサイズ。
薄く小ぶりなサイズで弦長も20ミリほど短いだけ。
ネックは握りやすい形状になっているらしい。

フェイスブックのヤマハの宣伝コピーでは「「ギターを弾いてみたい」という気持ちに寄り添い、ギターをもっと身近なものとして感じられるような演奏性やデザインを兼ね揃えたモデル」ということが書かれていた。
ヤマハもギター人口を増やすには女性だ、とわかったようだ。

中学高校の部活でブラスバンドが流行り、男子は体育系(サッカー、野球)で女子はブラスバンドという図式になって、管楽器は女性が圧倒的に増えた。
どっちが先かはわからないが、アニメや映画(スウィングガールズなど)も後押ししたのだろう。
それまで女性はフルートやクラリネットという先入観があったが、今はサックスもトランペットもトロンボーンもホルンも女性。
男女共学の学校でも、ブラスバンドのほとんどは女子という学校ばかり。
女性の音楽進出はどんどん進んでいる。

ギターもその例外ではない。
最近意識してみているからか、ソフトケースにギターを入れてリュックのように担いでいる女子が増えた。
やっぱりギター人口を増やそうと思うと、女子なのだ。

それは楽器店に行ってもわかる。
ギター売り場のお客さんの半分以上は女性だからだ。
ぼくが行ったときには、若い女性ばかりの時もある。

ギターオタクのような店員は減って、人当たりのいい、やさしい店員が増えている。
店も対策をしているのだろう。

ギター人口は増えているのだろうか…。


| | 考えたこと | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
防人
防人と書いて「さきもり」と読む。
ぼくらの世代なら、半分くらいは読めるだろう。
読めなくても「さきもり」と聞いたら、大昔に九州に派遣された海岸線を守る人や、という人は多いと思う。

勤め先で「難読漢字」というプリントを作っていて、そこに「防人」もある。
漢字の試験を受ける、という学生が来てそのプリントも渡した。
しばらくすると、「この防人というのは国防の人のことですね」というから、まあそうや、と答えた。
「さだまさしを知ってるか?」と聞くと、「知らない」とのこと。
ユーミンに続いて「さだまさし」も死語になっている。
そういえば、最近ヒットがない。

さだが歌った「防人の詩」というのは、当時は結構有名だった。
日露戦争の時の「二百三高地」の映画の主題歌。
当時、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ人は、きっと知っているだろう。
今は「二百三高地」という言葉も知らない人が増えたと思う。

ぼくは祖母や父からだいぶ聞いた。
当時のロシア軍は中国の旅順を占領していて、二百三高地の要塞はマシンガンを装備。
そこに乃木大将が兵士を突撃させて、マシンガンで撃たれ、バタバタと死んでいったという話。
激戦地、ということになっているが、要はマシンガンで一方的にやられたと聞いた。
いくらやられても、突撃命令が出たら、突撃をするのだ。
それが当時の常識だった。

昭和の時代には、そういう映画も作られていたということだ。

そういえば、一時はさだまさしもよく聴いた。
アルバムでいうと「帰去来」「風見鶏」。
1976年、77年だから、大学生の頃だ。
曲では「転宅」「絵葉書坂」「吸い殻の風景」あたりが印象に残っている。
詩にストーリー性があるので覚えやすい。

彼は数少ないフォーク歌手という感じ。
たまにテレビでコンサートを見ることがあるが、アコースティック寄りだ。
ピアノやヴィブラフォンなどが目立っていた。

第二次大戦が風化するのだから、日露戦争も風化するに決まっている。

実際には日露戦争と防人は関係ないのだが…。



| | 考えたこと | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
アマゾンポイント
現金の送金の手数料は銀行だと結構高い。
特に他行に送る場合はすごい手数料だ。
最近は、Webを利用すると無料だとかいうサービスもやり始めたが…。

銀行はお金を貸すところがなくて困っている。
いくらお金を預かっても、金利がゼロだと儲からない。
さらに金利がマイナスになると、預かるだけ損になる。

さすがに、経済が破綻するから、一般の顧客の預金にはマイナス金利はつけられない。
みんな現金をおろして、タンス預金にするからだ。
銀行の信用創造ができなくなる。

だから銀行は手数料の商売になった。
ATMでお金を引き出すと手数料が出ていく。
時間外や休日だとそれが上がる。
あれだけ細かく分けているのも、手数料が収入になっているからだろう。
自分で使う分はデビッドカードにしないと、引き出すたびにお金が出ていく。

ネット銀行ならだいぶ得だ。
ソニー銀行は通帳レスで支店もないけど、いろんな無料特典がある。
今は現金がどうしても必要な時は、コンビニのATMがあるからOKだ。

こないだ、少額の振込を依頼する時は、アマゾンのポイントで、という話を聞いた。
数千円の振込でも他行なら200円以上の手数料。
もったいないと思う。
それなら、依頼する人たちみんながアマゾンの利用者なら、アマゾンポイントで送ってもらうといい、という話。
それならほとんどリアルタイムで届くし、手数料は無料。
銀行振り込みよりも簡単で安い!

宴会のワリカンが面倒なとき、カードで代表者が払い、他の人達はアマゾンポイントで送る。
それなら1円単位で決済できるし、手数料も無料。

こういうのが、銀行の商売を圧迫しているのか、と現実味を感じた。
この類の話が増えてくると思う。
ぼくが知らないだけで、もう当たり前にやっているのかもしれないが…。

そういえば、フリーというクラウドの会計ソフトの会社が、少額の融資審査を会計データーを使ってAIで分析して行うというサービスを始めたと新聞に出ていた。
街の商店主の人が、銀行より早いし、審査の説明にも行かなくていいし、助かったと書いていた。
なるほど。

すでにネットができて、銀行の商売が食われていたが、それがもっと現実味を帯びてきた。
会計ソフトでデーターはあるから、分析は早い。
人間の余計な感情が入らないだけ、正確かもしれない。

いよいよ、銀行はどうなっていくんだろうか…。

| | 考えたこと | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
伊藤蘭
伊藤蘭というと、キャンディーズのメンバー。
5年間活動して、1978年にキャンディーズが解散。引退して以降は女優業。
ぼくはキャンディーズのファンではないが、20代の頃「ランちゃん」のファンは回りにもたくさんいた。

彼女が「男はつらいよ」に出たのは1980年。25歳の時だ。
テキ屋仲間の飲んだくれの娘という役。
父親が亡くなったことを聞き、北海道で寅次郎が実家を尋ねる。
それが縁で東京に出てきて、とらやに住んでコンビニでアルバイトをしながら、定時制の高校に行くという役柄。
2代目おいちゃん役の松村達雄が、定時制高校の教師をやっていい味を出している。

旧国鉄職員の便所掃除の詩を読むシーンが印象に残る。
当時の定時制高校を描くのは、監督の山田洋次の得意分野。

ぼくより2歳上の64歳。
当然、今の若い人たちには「キャンディーズ」というのは死語だ。
でもこの時代、年をとってもファンはまだまだ生きている。
後楽園ホールでやった解散コンサートで、「普通の女の子に…」という言葉は50代後半より上の人なら、半分は知っていると思う。

それもあってか、41年ぶりに音楽活動を再開した。
5月の末にCDもリリース。
井上陽水や宇崎竜童など、そうそうたる作家陣が曲を作っている。
門あさ美の名前もあり、まだ頑張っているのか、とビックリした。

コンサートも東京、大阪でやった。
キャンディーズ時代の歌も唄ったらしい。
予想通り超満員だった。

結婚もして、子育ても終わり、女優としてもまずまずの地位を得て、余裕もできたのだろう。
もう1回、歌ってみようというマーケティング。
昔なら、懐メロになるところだが、今の64歳はまだまだ強い。
人生100年というだけのことはある。

この調子で行くと、今年還暦の山口百恵も出てくるかもしれない。
彼女は40年ぶりに趣味のキルトの写真集を出したとのこと。
こちらは、息子たちが芸能界で今ひとつ調子が悪く、その影響もあるというネットの評判。
ただ、オバサン化していて、却ってマイナスイメージになる可能性もあるから難しい。

現役の伊藤蘭と違って、返り咲きというのは難しいのかもしれない。
大物であればあるほど、イメージダウンは大きい。

でも、人生が長くなると、まだまだ80年代当時のアイドルが再登場するかもしれない。
サラリーマンの定年延長と同じことか…。


| | 考えたこと | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
チューリングテスト
アメリカのAIロボット(と言ってもおもちゃだが)を作っている会社が倒産したらしい。
会社はAnkiという。
作っていたのはCOZMOという製品で、手のひらに乗る大きさのブルドーザー型のAIロボット。
目の表情と音で人間とコミュニケーションする。
日本でもタカラトミーが売っていて、2万6千円程度。
人間とゲームをして遊ぶことで親しくなれる。
おもちゃにしては高いが、アマゾンのイギリスとフランスでは玩具部門のベストセラーになったこともある。

Ankiは今年の5月1日に廃業した。
新たな資金調達のめどが立たなかったのが原因だ。
声明文によると、「多様なAIロボットによる未来を構築するには多額の資金が必要で、そのためのあらゆる財務手段を追及したが、資金調達で投資家との合意に達することができなかった」とある。

Ankiが目指していたのは、何かの役に立つロボットではなく、人間の相手になれるロボット。
そういうものを研究・開発しようとすると、お金が要るんだろう。
また、その価値をなかなか測れないし、お金を出すのには勇気がいる。

第二次大戦中に現在のコンピューターのもとを作った数学者、アラン・チューリングは、人間が会話のテストをして、本物の人間と間違うようなものが、「人工知能」だと言っている。
それが「チューリングテスト」。

人間の役に立たないロボットづくりは難しい。
それを目指したのがAnkiだったということだ。

そういう状況を見ていると、なかなかぼくがほしい「話し合いロボット」は出てこないと思う。

ぼくは若い頃毎日車に乗っていた。
タイヤのテストをしていたのだが、当時はテストコースに車を運ぶという仕事も兼ねていた。
一日一人で運転していると、とにかく眠くなる。
ラジオを聞いたり、ラジカセを持ち込んで音楽をかけたりしても、どうしようもない時がある。
そんな時に一番有効なのが、誰かと話をすることだった。
単調な運転という作業だけでは、脳は退屈する。
だから眠くなるのだと思う。

たまに2人乗りで行くことがあったが、そういう時は眠くならない。
会社の中のことで、話題はつきないから、話すことはたくさんある。
それで脳が起きるのだ。

車に乗った時に、「今日は調子はどうですか」とか、「目的地はどこですか」とか話しかけてくれると、不注意の事故も減ると思う。
もちろん、ただそれだけならダメだ。
会話を続けないと意味がない。

そこからは、人工知能の領域だ。
「ちょっと調子が悪いんやけどなあ」などと言ったら、「どうしたんや」と返す。
そこから先はどうなるかわからない。
そういう会話ができるロボットは、直接人間の役には立たないが、間接的にきっと役に立つ。

でも、それはまだまだ難しいということだろう…。


| | 考えたこと | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本のアニメ
ぼくは日本のアニメが好きだ。
ジブリも好きだし、その他のアニメもいいと思う。
このブログでも、良かったものは書いてきた。

これだけはハリウッドには真似できないと思う。
すでにハリウッドは3Dの方向に行っている。
ピクサーなどのアニメは完全に3D化されて、質感も高いし、現実と見間違うものもある。
この分野は彼らが強いだろう。

でも、2次元のアニメは日本が強い。
マンガの文化が違う。
スパイダーマンやバットマンなどのアメリカのコミックス(アメコミ)など、3D特撮の実写映画で甦ったが、やはり「戦い」がメインだ。

日本アニメは、何気ない日常を叙情的に描き、感動を与えたり、現実にはあり得ないストーリーを自然に描いたり、そういうのが伝統的に得意なんだと思う。
短編でも、長編でも、そういうところで見せる作品も多い。

そう思っていたら、日経によると、動画配信大手のネットフリックスが日本のアニメ制作会社5社と包括提携して、オリジナルアニメの制作体制を整えたとのこと。
ディズニーに対抗できる、日本のアニメがある意味で認められたということだ。

これが2017年に2兆円を超えた規模の、アニメ業界を活性化させてくれる方向に働いてほしいと思う。
2019年のアニメーターの平均年収は440万円で1ヶ月の休日は5.4日とのこと。
これでは、本人のやる気におんぶしているだけだ。
もっといい人材が続けられるような体制にならないと。

大人も楽しめる2Dアニメをもっと世界に広げてほしい。
今や家電製品などよりも、世界での存在感が大きくなってきつつある日本のアニメ。

以前記事を書いたが、文科省の「クールジャパン」などの役所の宣伝などはあてにせず、本当の意味でクールになってほしいと願う。
役所のお金は肝心な人のところには行かず、周辺のどうでもいい天下りなどのところに行ってしまって、どうしようもない。
失敗のオンパレードだ。
結局、最初から食い物にするつもりだったのだろう。
もっと民間にやらさないと…。

本気で頑張っている人が報われるべきだ。
「なつぞら」の主人公のように。



| | 考えたこと | 20:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
小学校の常勤講師
大学でキャリア支援の仕事をしているとき、近所の教育委員会から相談に来られた。
ぼくのいた大学は初等教育の免許などなかったので、何かと思ったら、中学校の教員免許でもいいということだった。
「えー、ほんまかいな」という感じだったが、話を聞くと先生が足りないということで、小中一貫などもやっているから、中学校の免許でも講師という形で…、ということだったと思う。

通信教育で小学校の教員免許を取り、まだ採用試験に受かっていない卒業生が、来年から担任を持つことになりました、と言ってきたこともある。
これも、「えー、ほんまかいな」という話だった。
講師という扱いで、本式の?採用ではないはずだったが、人が足りなかったのだろう。
その後どうなったかはわからないが…。

でも、そんなことをやっていて、教育の質は保たれるのだろうか。
いつも書いている小学校の算数の「割合」の話ではないが、本当にちゃんと教えられているのか心配になる。

と思っていたら、小学校の常勤講師が差別待遇だ、という記事があった。

仕事内容は常勤講師も正規教員も変わらないのに、給与が400万と700万の違いがあるという。
ほぼ倍だ。
ずっと常勤講師を続けてきて、45歳になった人が言っている。

「私は19年間講師として働いてきました。45歳になってようやく正式に教員に採用されましたが、いま改めて感じているのは、常勤講師の制度は差別でしかないということです」

19年間ずっと採用試験を受けていたのかどうかはわからないが、常勤講師を続けた方もすごいと思う。
その間、採用試験に落ち続けたのではないとは思うが…。

小学校ではバカみたいに「公平」が大事だと言って、女の子も騎馬戦をやったり、かけっこで、事前にタイムを測定してわざわざ「差がつかないように」走る組を決めたりしているのに、同じ仕事で倍ほどの差とはおかしな話だ。

待遇もひどいらしい。
1年ごとに転勤で、いきなりクラスを任されたりするそうだ。
荒れているクラスの担任を任されたりもするらしい。
荒れているクラスこそ、正規採用の教員がやるべきだが、どうなっているのか。

取材されている講師だった人は、ようやく正規採用されて、今は教育委員会と常勤講師の待遇を上げるために組合を作り交渉しているとのこと。
それ自体は素晴らしいことだが、何年も採用試験に通ってない人が教員を続けていていいのか、という疑問を持つ。

小学校はその後の勉強の基礎になる時期。
その時期をいい加減に扱っていないか。
本当に何度も書くが、小学校で算数に躓いたら、大学までそのままになる。
一番大事なのは、最初に教える小学校。
何度もいうが、その教員がこんな状態でいいのだろうか。

常勤講師は4万人もいるらしい。
待遇は改善すべきだと思うが、教育の質についても記事を書いてほしいと願う。



| | 考えたこと | 23:03 | comments(2) | trackbacks(0) |
公務員の未来
奈良県生駒市の市長、小紫雅史という人が『10年で激変する!「公務員の未来」予想図』という本を出した。
その宣伝で著者が自分で書いている記事を読んでみた。

彼は公務員の終身雇用は確実に崩壊する、と言っている。
それは民間の状況を見ても、当然のことだろう。

自分の市長としての体験から、こう書いている。

「終身雇用が崩壊するからこそ、公務員は、今まで以上に地域や社会に必要とされる人材となるために経験を積み、成長しなければなりません。
 役所も、職員に対しては社会変化の中で活躍できる公務員に成長できるよう、また、仮に公務員をやめても食べていくことができる人材に成長できるよう、挑戦の機会を与え、成長を促す義務と責任がこれまで以上に大きくなります。」

今の地方公務員法の身分保障規定は2030年から2035年をめどに崩壊していく、という予想。

民間が終身雇用をやめようとしていて、公務員だけが終身雇用ということにはならない。
要はそのために役所が変わらないといけない、ということだ。

彼はその理由を3つ挙げている。
一つは財政的にたくさんの公務員を雇うことは物理的に不可能になること。
人口減少、高齢化などで税収は減り、自治体は今までの公務員を雇い続けられない。

さらに、AIやコンピューターの技術、外部委託などで公務員の仕事が大幅に減ること。
ぼくは日本はこの分野が特に遅れていると思う。
もっとICT化を進めれば、合理的に仕事ができるはず。

最後に、仕事のやり方が変わり、プロジェクトごとに外部から専門家を登用するほうが合理的になること。
このあたりは実際の市長の仕事を経験しているからこそ言えるのだろう。
この時期には雇用も流動化していて、公務員の世界も例外ではなくなると思う。
バカみたいにゆるキャラの着ぐるみを作っている場合ではないのだ。
そうすれば、もっと地方創生も進むかもしれない。

そういえば、地方公務員試験もだいぶ変わってきた。
受験者が減っているのか、民間の試験(SPI)を採用試験に使う自治体もだいぶ増えている。
公務員自体の仕事も、決められた業務をこなすのはコンピューターに任せ、世の中のことを調べ、自分で考えられる人が必要になってきていると思う。
そのために、民間の試験を使っているという側面もある。
あの、暗記物の社会や理科の知識など、それこそググればおしまいだ。あまり意味があると思えない。
社会人採用や中途採用も増えている。

著者は終身雇用が崩壊したあと、どういう公務員が残るかということも書いている。
それは、逆説的だが「公務員をやめても食べていける公務員となること」だという。

生駒市では、そういう人を育てるべく、自治体側も頑張っているとのことだ。

こういう市長が増えてくると、役所も活性化するし、仕事も良くなると思う。

頑張れ生駒市!




| | 考えたこと | 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
文科省のアンケート
文科省が、大学3年生の全員を対象としたアンケートをやると日経にでていた。

先日、経団連と大学が話し合っていたが、きっとその中で出てきたアイデアだろう。
3年生全員という大がかりなアンケート。インターネットでやるらしい。
ほとんど全員スマホを持っているから、こういうこともやりやすくなった。
匿名性も保たれるので、正確な統計がとれると思う。

調査項目は、週に何時間勉強しているか、どんな授業を受けてきたか、留学・インターンシップなどの経験、大学教育の役立ち感など。
上位の大学は、それほど結果の心配をしなくていいと思うが、下位の大学は心配になるだろう。
とりわけ、学生を1人100万円と数えて、志願者を募り、推薦やAOを使って大半をとって、一般入試はほとんどない、というような大学は戦々恐々だと思う。

下位の大学は、入学する学生と入ってからの教育のレベルが乖離しているところが多く、授業などちんぷんかんぷんでも単位をあげたり、ゼミも教員が真面目にやっていない(やろうとしても出来ない)という大学が多い。
教員はあくまでアカデミックルートで採用され、昔の大学教育を正しいものとして教育して、学生とミスマッチを起こす。
ミスマッチを解消しようとしても、解消の仕方を知らないので、その教育を継続する。
単位を落とすと教務から怒られるし、責任が問われるので単位は出す。

学生は何のことかわからなくても、レポートを出せばよかったり、試験前に出るところは教えてもらえたり、教科書・ノート何でも持ち込み可という形でのテストなので、単位は取れてしまう。
結果的に何を習ったのかわからないまま卒業、という寸法。
それで、学校法人には4年分の学費が入る。
めでたし、めでたし、ということになる。
そんなことを毎年繰り返している、というか、どんどんひどくなっている。

心ある大学は、入学者のレベルに合わせた授業をしようとする。
そういう授業をすると、文科省から「こんなレベルの低い授業を単位化するな」と文句を言われる。
だから、ほとんどの大学は旧態依然としたカリキュラムになっている。
そういうことを教える教員しかいないからだ。

それを招いたのは大学自身の原因もある。
どんどん科目を減らして入試を簡単にし、志願者の多様化と称して学力を問わない試験を増やし、入り口の間口をどんどん広げてきた。
だから、それを見て高校は右へ倣えをする。
下位の高校は、大学入試が目的になっているからだ。

さらに、本来なら義務教育で身につけるべき力を、つけないまま学年が進む。
その義務教育のツケを高校も大学も払えない。
結局悪いのは義務教育を統括している上は文科省、下は教育委員会。
極論すれば、それが今の日本の教育だと思う。

もちろん、今も昔も優秀な学生はいるし、いい学校もあるし、ちゃんとやっている人たちも多い。
それでも、確実にレベルは下がっている。

アンケートの実施に際しては、大学側から「結果が予算配分や大学の選別に使われる恐れがある」などという声上がっているという。
教育にはたくさん税金をつぎ込んでいるのだから、そんなの当たり前だ。
大学を評価すればいいのだ。
常に学生を評価している教員たちは、自分が評価されるのを極端に嫌がる。
そんなのわがままだろう。民間で働いたことがないから、そんなことを言えるのだ。

そして、内容が悪い学校は潰れればいい。

どんな結果が出るか…。

実施が楽しみだ。


| | 考えたこと | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
グーグルカレンダー
昨日の夜、新潟、山形の地震のあとグーグルカレンダーが落ちた。
最初はError404、しばらくしてError503が出た。

Error503はサーバーにアクセスが集中して起こるらしいから、カレンダーにアクセスが集中したということだろうか。
こんなことは長いグーグルとの付き合いで初めて。
そのまたちょっとあとにはError404に戻った。

グーグルのサーバーは一体どこにあるのか、わからない。
直後にツイッターをみると、同じように落ちている人がつぶやいていた。
不思議なことに、スマホは問題ない。
スマホとパソコンで違うサーバーを見ているんだろうか?
ただ、更新をしようとすると、同期エラーが出る。
パソコン側が落ちているからだろう。

ツイッターで呟いている人の位置を見ると、宮城、東京、秋田、大阪などいろんな地域。
いったいどうなっているのか、わからない。

グーグルカレンダーはいろんなところで利用されていて、「これがないと仕事にならん」というツイートもあった。
そういう個人や組織もあると思う。

今日はもう寝ることにする。

明日起きたらどうなっているか…。



| | 考えたこと | 00:00 | comments(3) | trackbacks(0) |
年金問題
アメリカには定年がないということで、働ける間は働くことができる。
働ける間、というのは本人の体力や能力の問題でもあるが、雇用情勢の問題でもある。
いくら仕事があっても、もっと適した人がいれば、声はかからないのが現実。
そのあたりのアメリカの事情を書いた記事があった。

ニューヨークタイムズによると、アメリカでは労働者の33%が65歳から69歳の間にリタイヤしようと考えており、34%が70歳以降も働きたいと思っている。
要は100人いたら、67人が60歳を超えても働きたいと思っている。
しかし、現実には予定より早くリタイヤする人が37%もいるらしい。

健康問題と失業が大きな要因。
健康でなければ働けないし、そうでなくても「もう要らない」と言われることもある。
リストラに遭遇してしまえば、働けない。

だからお金が要る、と麻生大臣が言ったのだろう。

「100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか?普通の人はないよ。そういったことを考えて、きちんとしたものを今のうちから考えておかないかんのですよ」

この発言の「今」というのは20代のことかもしれない。

しかし、そんなことを言われて、みんなが資産形成に励めば、どんどん消費が減る。
だから、経済は成長しない。
先進国はみんな同じような状況だろう。

厚生労働省は100年安心だ、とついこないだまで言っていた。
冷静に考えれば、そんなはずはない。
寿命はどんどん伸び、年寄りは増え、労働人口が減れば、年金が苦しいのは当たり前。
「100年安心」と言い出したのは2004年だから、せめてその時に少子高齢化で年金はどんどん減る、と言ったらよかったのだ。

こないだの統計の事といい、年金の事といい、厚労省はおかしい。
どう考えても無理な予想を出して、その場しのぎをしたとしか思えない。

だいたい、騙される方も悪いのだ。
誰が考えても、そんなはずはないと思う。
でも、当時野党の政治家も誰も突っ込まなかった。
今頃文句を言っても、そんなものちゃんと確かめなかったのが悪い。
そして、マスコミも大きな声をあげなかった。
政治家もマスコミも、臭いものにはフタだった。

国民のレベルで政治家もマスコミも決まるのだろう。
結局、年寄りがこの国を支配し、若者からふんだくろうとしている。

それを明らかにしただけだ。

さあ、どうする。


| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
なつぞら その2
昨日、「なつぞら」には「貧しさ」が感じられない、と書いた。
以前やっていた「ひよっこ」は、昭和の貧しさが感じられるのと対比しての話だ。

その原因は「なつぞら」では、主人公やその周りの人たちが、やりたいことをやっている、という点かもしれない。
主人公はやりたかったアニメーター、兄は役者関係、兄の友だちは記者、北海道の妹は当時珍しい大学進学など。

仕事で「やりたいことをやる」というのは、とても現代的なことで、今でもそういう仕事ができる人はほとんどいないと思う。
ほとんどの人にとって、仕事は結果論であり、あとから振り返って、あれが天職だったなどと思うもの。
日経の「私の履歴書」を見ているとよくわかる。
そこがすごく現代的であり、だから「貧しい」という感じられないのだろう。

「ひよっこ」では主人公や周りの人たちは「生きるために働かないといけない」という状況だった。
それはあの時代、当然すぎるほど当然だったと思う。
そのために都会に出てきて頑張る、という「三丁目の夕日」の世界。
今みたいに、「なぜ働くのか」というような問いはなかった。
それだけ、今は豊かになったということだ。

ぼくらの世代でも、「やりたいこと」をやるにはそれなりのリスクを負って、負け組になる覚悟もしないといけなかった。
それは今も変わらないが、それをやるハードルはだいぶ下がった。
Youtuberになるのに、そんなにお金はかからない。
スマホが一台と、ちょっとした機材があれば、だれでもとりあえずなれる。
これはいいことなんだろう。

ユーミンが書いたブレッド&バターの「あの頃のまま」には、サラリーマンにならず、自由に生きている「君」が歌われているが、それが歌になる時代だったのだろう。
「自由に生きる」ことが難しかった時代。
人類が過ごしてきたほとんどの時代はそうだったし、いまでも途上国ではそうだろう。

豊かさの象徴である「やりたいことをやる」という生き方。

主人公たちがそういう生き方をしていることが、貧しさを感じない原因だと思う。


| | 考えたこと | 23:13 | comments(2) | trackbacks(0) |
なつぞら
今回の朝ドラは「なつぞら」。
戦争で孤児になった主人公を、戦友が引き取り、北海道の牧場で家族と一緒に育てる。
ここいるのが、草刈正雄扮する祖父。
自分で開拓してこの牧場を作り、牛を育て、大きくした開拓者という役どころ。
前回の松坂慶子もよかったが、このドラマも北海道編は草刈正雄が締めていた。
年をとって、いい役者になる人もいる。
農業高校に行き、牧場の仕事をしようとしていたが、アニメーションに憧れて、兄妹のいる東京に出ていく主人公を見送る場面はよかった。

でも、この「なつぞら」というドラマ、前にやった「ひよっこ」と同じ昭和の時代を描いているのだが、あまり昭和っぽくない。
戦争直後の場面はあったが、そこからは北海道で60年ほど昔という感じはしない。
ぼくの持っている牧場というイメージが古いままなのかもしれないが…。

主人公が東京に行っても、状況は昭和を表しているが、どういうわけか昭和っぽくない。
「ひよっこ」と何が違うかというと、時代の「貧しさ」という感じだ。
「ひよっこ」は貧しかった。
でも、「なつぞら」は貧しくない。

新宿のムーラン・ルージュという劇場や、アニメの勃興期、彩色をする人たちの昼食がパンをかじるだけ、というような場面もあるのだが、なぜか貧しい感じがしない。
主人公の職場が、かたや田舎から集団就職したトランジスタラジオの工場、かたやアニメのスタジオという違いなのか…。
住んでいるのは、おでん屋の2階の四畳半なのだが、やっぱり見ていて貧しくない印象がある。

戦後は貧しくないといけないというのはぼくの先入観。
でも、事実そうだったのは間違いない。
「ひよっこ」にはあった、集団就職の仲間とか、工場の職場の合唱団とか、工場が潰れてしまうところとか、そういう場面がないからかもしれない。
制作側が意図的にそういう画面を省いているのかもしれない。

ドラマの本筋とは関係ないのだが、なんか気になる。
気のせいだろうか。

いよいよ主人公がアニメーターになって、楽しみではあるのだが…。




| | 考えたこと | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
若い頃に聞いた唄
こないだの昼なんとなくBSをつけたら、懐かしの音楽をやっていて尾崎亜美が出ていた。
彼女ももう62歳。ぼくの2週間あとに生まれている。

それでYoutubeで尾崎亜美を聞いてみた。
「マイ・ピュア・レディ」「瞑想」「オリビアを聴きながら」「春の予感」など70〜80年代の音楽は懐かしい。
いい曲を書いてるなあ、と思いながら聞いた。
そういえば、天使のウインクも尾崎亜美だ。

こないだ山下達郎の古いレコードをCD化したのを買ってから、昔の曲が妙に懐かしくなった。
尊敬している退職した大学の先生は「自分はカーペンターズまでが音楽」と言っていた。
その先生は若い頃留学していて、今でもブラザーズ・フォアやトニー・ベネットなどを愛聴している。
アメリカに行ったら、日曜日に最寄りの黒人教会に行って、ゴスペルを聞くのが楽しみ、という強者だ。
時代のズレはあるけど、その意見はほぼ当たっていると思う。

昔は懐メロと言っていたが、最近は長寿化も相まって懐メロの範囲が広がり、どう名づけるのか難しくなった。
ネットによると、懐メロという言葉はNHKラジオで生まれたらしい。
当初は1930年代〜50年代の曲だったとのこと。
個人的にはまだ祖母が生きている頃に聞いた覚えがあるから、70年代あたりに聞いたはず。
その頃の懐メロは、岡晴夫とか笠置シヅ子とか戦前から戦後にかけての曲だった。

1969年にNHKで「思い出のメロディー」が始まったらしいから、そのころの高齢者が「懐かしい」と思う歌というと、1930年代あたり。
60歳の人が20代の頃だ。
その前になると、音楽メディアの問題になって、みんなが知っているものが小学唱歌とかになるのだろう。
だから、懐メロは1970年代あたりに一般的な言葉になった。

今は60歳になってもまだまだ現役で、ツアーをやっているミュージシャンも多い。
小田和正など70を過ぎても頑張っている。
ユーミンや逹瑯など、本人も昔でいう「懐メロ」ジャンルにはまだまだ入らないと思っているだろう。

しかし、若い人たちが見たら「過去の人」だ。
大学生の授業で一度「ユーミン」って何ですか?と聞かれたことがある。
説明したら、「ああ、そうですか」とのこと。
みんながみんなとは言わないが、今の20代はそんなものかもしれない。

人生が80年、90年になると、懐メロも多様化する。

今はCDというメディアもあるが、ダウンロードもストリーミングもあるし、いろんな音楽との聞き方が出てきた。
ネット世代にとっては、Youtubeやストリーミングサービスが音楽との最初の接点になる人も多いだろう。
そうなると、みんなに共通の音楽がどんどん減っていくような気がする。

これから先、「懐メロ」はどうなっていくのだろう。



| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペンギン・ハイウェイ
WOWOWでやっていた。
ライトSFのアニメ。ファンタジーに近い。2018年の作品。
頭がいい少年の成長と、不思議な出来事を組み合わせたものだ。
小学生アオヤマくんと謎のお姉さんのひと夏の物語。

主人公のアオヤマくんの友だち、これまた頭がいいウチダくんとハマモトさんも出てくる。
要はすごい小学生たちが地球を救うという物語だ。

これに絡むのが謎のお姉さん。
謎があるのだが、普通の歯科受付をやっている。
アオヤマくんとはチェス仲間であり、仲良しだ。

そして、題名にもあるペンギン。
アオヤマくんが住んでいる街に、突如ペンギンが現れ、それを研究するうちにすごいことが起こる。

これ以上書くとネタバレするので止めておくが、こういう映画は日本のアニメが得意とするものだと思う。
謎は謎のまま、不思議は不思議のまま、置いておかないといけない。
こんな構成の物語を映画にするのは、難しいと思う。
逆に言うと、アニメでなければ映画にならないのだろう。

原作は森見登美彦。
人気がある作家らしい。第31回日本SF大賞を受賞した。
ぼくは知らなかった。
今40歳で30歳の時にこの本を書いた。
やはり若い時でないと、こんな小説は書けない。

今でも若い。

この原作の本を読んでみようと思う。


| | 映画・舞台 | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
副業のすすめ
アメリカのミレニアル世代(1987年〜1995年あたりに生まれた人たち)の約半数が副業を持っているという記事があった。
年齢でいうと、20代後半から30代前半の人たち。
労働者全体で言うと、4人に1人が副業を持っているという。
フルタイム、パートタイムを問わず、何らかのかたちでフリーランスの仕事を得ている労働者は5670万人もいるそうだ。

配車サービスのウーバー(Uber)などのインターネットの仕組みができて、フリーランスで働きやすくなっている。
そういう環境も手伝っているのだろう。
カード決済がネットで簡単にできて、報酬を受け取れることも大きい。
運転手が乗り手を評価し、乗り手が運転手を評価するというシステムも効果がある。
ネットの仕組みが個人と企業、仕事を結びつける。

ぼくもCrowdworksという会社に登録だけはしている。
ネットの原稿書きの仕事だ。
得意分野を書いておくと、時々メールで仕事のオファーが来る。
まだ実際にやったことはないが、時間ができたらやってみようと思っている。
ネットの記事のいくらかは、こういう仕組みでフリーランスの人が書いているのだろう。

日本でも2018年に厚労省がモデル就業規則を、原則自由ということで改定している。
しかし、日本で正社員で働いている人たちは、終身雇用制度のために職務範囲が明確でないから、副業はしにくいだろう。
でも、これは雇用制度の流動化が進めば変わってくると思う。
ジョブ型が増えてくるだろう。そうしないと優秀な人材は確保できないからだ。
新卒一括採用の制度が崩れ始めているのも、根っこは同じだろう。

だから、今の若い人たちはそういう時代に備えなくてはいけない。
それでなくても、人生100年と言われているのだから、キャリアのポートフォリオも考えておかなくてはならない。
会社の定年制はいずれなくなるだろうし、間違いなく会社が労働者の生涯にわたって面倒見るなどということはできない。

趣味の延長で小遣い稼ぎができれば、それに越したことはない。
これからは滅私奉公の時代ではないのだから、時間をとって得意なことを伸ばして、それを教えるというのもありだ。

今就職活動をしている人たちも、そういう意識を持って仕事を選んでほしい。




| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
おくすり手帳
年をとると身体のいろんなところが悪くなり、いろんな病院や医院を受診して、たくさんの薬をもらうことが多い。
大きなレジ袋にいっぱい薬を入れてもらって、調剤薬局から出てくる人をよく見る。
本当に全部薬をのんでいるのだろうか。

薬のサイトを見ると、いろんな薬があり、そのそれぞれに副作用が書いてある。
副作用も、どの程度の確率で発症するかわからないが、多岐にわたるものも多い。
おまけに、飲み合わせというのもある。
これとこれをのんだら、調子が悪い、ということだ。

山ほど薬をもらっていたが、全部やめたら調子良くなったという話も聞いたことがある。

ぼくが不思議でならないのは、どうしてそういうチェックを電子的にやらないのか、ということだ。
医療の多様化が進んで、一人の患者が多くの医療機関で薬をもらう。
それを全部患者で紐づけして、一人の患者がのんでいる薬の種類と量を調べる。
これなら人手も要らないし、自動でできるのだ。

薬の名前だけでなく、含まれている成分などでもチェックできる。
こういうことにコンピューターを使わないのは罪だと思う。
AIなど必要なく、薬のテーブルと副作用、飲み合わせのデーターがあれば可能。
もちろん、医療費の大幅削減になる。
もっと真剣に考えてやってもらわないといけない。

第一、歩いて医療機関に行くこともできない高齢者が多いのだ。
薬をもらいに行くのも一苦労。
そんな状態で処方薬のオンライン化をしないのはオカシイ。

去年の5月にようやく特区が設けられ、服薬指導のオンライン化の検討が始まった。
遅いとは思うが、やるだけマシだ。

さらに、こないだマイナンバーを健康保険証にする、ということが出ていたが、これは決め手になる。
マイナンバーで患者と処方箋を結びつけることができる。

年金で騒いでいるが、医療費はもっと増える。

早く手を打つべきだ。



| | 考えたこと | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
B面
B面という言葉も死語だ。CDの世代には通じない。

大滝詠一が「A面で恋をして」という曲を書いたのが、1981年。
Wikipediaによると、その年にドイツでテストCDが製造され、1982年にはCDプレーヤーが発売された。
そして、その年からアナログレコードの販売額が減少に転じた。
奇しくも、大滝詠一はアナログレコードの最後の時期に「A面」という言葉を残したことになる。

A面、B面という言葉はレコードをひっくり返すのが前提の言葉。
ぼくはアナログのドーナツ盤を10枚ほどしか持っていないが、意外とB面の曲がよかったりすると、得をしたような気になった。

しかし、時代がCDになって、ひっくり返すことはなくなった。
今の若い人たちでも、A面、B面という言葉を知っていても、それが何に由来するのかわからない人も多い。
ドーナツ盤、と言ってもわからないだろう。

一方、8センチのシングルCDに従来のA/B面に相当する曲を入れる場合、B面の曲をC/W(Coupling with)というふうに書いてあるらしい。
これは、逆にぼくらの世代にとっては新語になる。
従来のB面は今はC/Wなのだ。
息子がこの曲はカップリング・ウィズだ、と言ったときに、意味がわからなかったことを思い出す。

こないだ大阪のソニーショップに行ったら、アナログレコードプレーヤーの新モデルが出ていた。
最近のネットワーク対応のアンプには、レコードの入力がないものも多い。
そういう機器でも聴けるように、ブルートゥース対応になっていた。
ペアリングして、無線で音を飛ばすという方式。
アナログレコードを聴くというより、その音楽をパソコンに取り込むということが主眼かもしれない。

そういう商品も、レコードを知っている世代が死に絶えたら、なくなるのだろう。
うちにもたくさんレコードがあって、捨てられない。
そういう人たちの断捨離のために、こういうプレーヤーが出ている。

今の、古いアーティストたちの昔のベスト盤のCDは、レコードを持っているけど、プレーヤーがなくて聞けないというような人たちが買っていると思う。
現にこないだぼくも山下達郎のCDを買った。

若い頃に聞いた曲は、忘れられないものだ。

今になって、吉田美奈子のバックコーラスの素晴らしさを知り、尾崎亜美の曲の良さを知り、昔聞いた洋楽のフォークやポップスの歌詞を思い出したりする。

年をとっても、こういう感性はなくしたくないと切に思う。



| | 考えたこと | 19:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 田辺聖子
田辺聖子が亡くなった。
30代の頃だったか、実家で「もと夫婦」という文庫を何気なく借りて、この人の魅力にとりつかれた。
文庫しか持っていないが、相当買った。

「花狩」「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」「私の大阪八景」「甘い関係」「女の食卓」「猫も杓子も」「女の日時計」「貞女の日記」「もと夫婦」「あかん男」「窓を開けますか?」「求婚旅行」「すべってころんで」「おせいさんの落語」「言い寄る」「無常ソング - 小説・冠婚葬祭」「夜あけのさよなら」「ほとけの心は妻ごころ」「うたかた」「夕ごはんたべた?」「愛の風見鶏」「朝ごはんぬき?」「妾宅・本宅 - 小説・人生相談」「私的生活」「隼別王子の叛乱」「浜辺先生町を行く」「お聖どん・アドベンチャー」「中年ちゃらんぽらん」「孤独な夜のココア」「愛してよろしいですか?」「魚は水に女は家に」「スヌー物語 - 浜辺先生ぶーらぶら」「蝶花嬉遊図」「オムライスはお好き?」「姥ざかり」「しんこ細工の猿や雉」「お目にかかれて満足です」「苺をつぶしながら - 新・私的生活 -」「返事はあした」「ダンスと空想」「姥ときめき」「ジョゼと虎と魚たち」「嫌妻権」「姥うかれ」「不倫は家庭の常備薬」「よかった、会えて ユーモア小説集」「おかあさん疲れたよ」「鏡をみてはいけません」「ほどらいの恋 お聖さんの短篇」「女の目くじら」「女の長風呂」「言うたらなんやけど」「女が愛に生きるとき」「続・女の長風呂」「イブのおくれ毛」「籠にりんご テーブルにお茶…」「ラーメン煮えたもご存じない」「ああカモカのおっちゃん」「欲しがりません勝つまでは 私の終戦まで」「大阪弁ちゃらんぽらん」「芋たこ長電話」「おせいカモカの対談集」「女の居酒屋」「苦味を少々 399のアフォリズム」「いっしょにお茶を」「女の口髭」「女の幕ノ内弁当」「大阪弁おもしろ草子」「川柳でんでん太鼓」「乗り換えの多い旅」「ナンギやけれど… わたしの震災記」「楽天少女通ります 私の履歴書」「女のおっさん箴言集」「人生は、だましだまし」「残花亭日歴」「田辺写真館が見た"昭和"」「おせい&カモカの昭和愛惜」「舞え舞え蝸牛 新・落窪物語」「新源氏物語」「絵草紙源氏物語」「私本・源氏物語」「むかし・あけぼの 小説枕草子」「道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代」あたり。

全部で70冊以上。
この人には、小説の楽しみを教えてもらった。
昭和の世相を含んだ恋愛小説の名手。
朝ドラで藤山直美が演じた「芋たこなんきん」も懐かしい。
とにかく読みやすい本を書く。
短編もうまくて、もう一つ、もう一つと読んでいるうちに終りが来る。

「求婚旅行」や「ラーメン煮えたもご存じない」「オムライスはお好き?」「ダンスと空想」などの長編も時間を忘れて読んだ覚えがある。
「おかあさん疲れたよ」で描かれた大阪大空襲や、「楽天少女通ります」の自伝など、昭和史を生き生きと描いている。
こういう小説があるから、歴史は残るのだと思う。

そして、源氏物語。
この人が訳してくれたから、その部分を読んだとも言える。
あの高校時代に習った、誰が喋っているのかわからないような紫式部の文章を、上手に現代文に訳してくれた。
世界最古の長編小説。
日本人として、誇らしい小説だということがよくわかった。

一作家としては、一番たくさん本を持っている。
最近は本屋に行くことも減ったし、「田辺聖子」の文字を見ることもほとんどなくなった。
この5年くらいは著作はお休みだったようだ。

大阪弁の表記法も学ばせてもらった。

昭和の大作家が一人いなくなった。
ほんとに残念。

合掌。




| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
作文下手
一般的なサラリーマンにとって、文章を書くことは仕事の基礎体力に当たると思う。
個人の顧客相手のビジネスはちょっとその比重が軽いかもしれないが、それでも今はメールを書いたり、日報を書いたりする必要がある。
法人相手のビジネスなら、なおさらそうだ。

管理部門はさらに文字の仕事が多くなる。
人間関係の力で社内の調整も必要だが、会社の中にいろんな人が増えてくると、やはりメールや文書での表現が大事になる。

今はチャットなどのコミュニケーションツールも増えているようだが、最後は論理的な構成で文書にできる人が強いと思う。
文章力は、論理的な思考力にもつながるのだ。

今はワープロというツールもあるので、文章を書くハードルはだいぶ下がっていると思う。
とりあえず、書き始めるということができる。
昔のように紙に字を書くというのは、今更ながら大変だったと思う。

ぼくらが小学校の頃は、「作文」の時間があった。
あまり覚えていないが、原稿用紙に何か書いた。
その中からよくできた作文を選んで、学校で文集を出すということもやっていた。
小学校1年の時に1度だけ文集に載ったことがある。

今は作文の時間はなくなったらしい。
国語の授業の中に入っているということだ。
小学校の国語の授業もぼくらの頃は週7時間〜9時間あったが、今は5時間〜8時間になっている。

そのかわり、低学年では「あのね帳」なるものを使って、作文の訓練をしていたりする。
そういえば、家の子どももやっていたような気がする。
先生あのね、で始まる文章。
あれでは400字の原稿用紙は埋まらないだろう。

スマホの普及で、文字によるコミュニケーションは増えていると思うのだが、逆にまとまった文章を書くことは減っているのかもしれない。
エントリーシートでも、言いたいことはわかっているのだが、それをどう文章にしたらいいかがわからない、という相談も多い。
入試でも記述試験が減って、マークシートばかりになった。
センター試験は見直されるようだが…。

そういえば、以前勤めていた大学で卒論を選択制に変えた学科もあった。

今回の学習指導要領の改編でだいぶ国語は変わるのだが、教える方がついて行っているのだろうか。
いくら指導要領を変えても、教員はなかなか変わらない。

前から言っているが、教員養成課程を変えないと、いけないと思う。





| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
ものを捨てる
若い頃は大量生産はいいものだと思っていた。
どんどんモノを作り、どんどん消費し、豊かになったのは事実。
その過程で、公害問題が発生したり、いろんな不具合の兆しはあったが、それは豊かになることで帳消ししてきた。
その不具合がだんだんと分かってきたのが今だ。
若い人たちからは、もう遅いと言われそうだが…。

プラスチックのゴミが海洋汚染をしていたり、フロンガスでオゾン層が破壊されたり、5月というのに39度の気温になったりしている。
人間の活動など、地球にとっては微々たるもので、影響などないと思っていたら、そんなことはなかった。
どうも二酸化炭素などの温暖化ガスの効果は本当らしい。

先進国は今まで排出してきた責任がある。
途上国は今から排出したいが、温暖化の問題が見過ごせなくなってきた。
なかなか両者が折り合えないところに、アメリカのように自国第一というところも出てきた。
このままいくと、海洋の温度が上がって、超大型のハリケーンや台風が発生して、えらいことになりそうだ。

また、故障する前に買い替えるという文化もできた。
スマホなど、高い通信費を払っているからか、2年毎に買い換える方が安くつく。
ほとんどの人が壊れたから買い換える、という状態ではないだろう。
これは見直されるようだが…。

もう二十数年前に買ったヤマハのアンプ、三十数年前に買ったソニーのCDプレーヤーが動かなくなった。
最近はパソコンで音楽を聞くので、全く使ってなかったが、こないだスイッチを入れても電気が入らない。
場所も取るし、動かなくなったら捨てたらいいのだが、何となく捨てがたい。
でも、もうメーカーに部品も置いてないし、捨てるしかないのだ。
ぼくが置いておいたとしても、いつかは捨てることになる。
それなら早い方がいいだろう。

最近何となくものを捨てることに罪悪感が出てきた。
電気製品など、この中に入っている資源はどうなるのだろうなどと思う。

これからは、実体はネット上にあって、それを使う時代になってくるような気がする。
シェアリングエコノミーも増えてくる。
一人ひとりはものを持たず、みんなで使うということだ。

もう時代遅れになってしまった。

またまた老兵は去りゆくのみ…。







| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
公正な入試
医学部で不正な入試が相次ぎ、文科省が対策のための第三者委員会の最終報告を公表したとのこと。
「性別、現役・浪人などの属性で一律の差をつけることは不適切」「同窓生の子供らが対象の特別枠を設ける際は丁寧な説明を」ということだ。

ぼくは、入試をやる学校が事前にそういうものを明示して、要項に示せばいいだけだと思う。
もちろん、国公立は別だ。
でも、私学の場合は、その自由は認められているのだと思う。
そうでないなら、女子大など認められず、共学しかダメだということになる。

入試の点で恣意的に操作するから、問題になる。
ちゃんと採点基準を明確にして、たとえば男子は上から何人、女子は上から何人、というふうに決めたらいい。
それが認められない人は、受けなければいいのだ。
そして、それが社会通念に反しているというのなら、誰も受けないし、その学校は潰れるだけだ。

例えば、地元出身者を優遇するというのは、地方の場合はあってもいいと思う。
どういう人を入れたいか、というのは私立学校の場合は選別できる。
そのことが、私立学校の存在理由にもなる。
文科省のやり方はそれを一律にさせようということだから、オカシイ。

今回問題になった医学部は、それをこっそりやったことが問題で、事前に堂々と示していればかまわないと思う。
こっそりやったのは、後ろ暗い気持ちがあったからだろう。
そんなことはやってはいけない。
多浪生は2浪までとか、要項に書けばいい。
定員も男子は何人、女子は何人というふうにしておけばよかったのだ。
こっそりしたのは、そういう事を言うと社会通念に反すると思ったからだろう。
どうしても必要なら、その理由も要項に書けばいいのだ。

今回の措置は推薦入試やAO入試に対しても適用されるのだろうか。
AO入試など、学校の恣意的な操作がいくらでも可能だと思う。
文科省が入試のルールを決めるのなら、一般入試のことだけやっても全くの片手落ち。
いくらでも抜け穴がある。

入試制度は多様化しているのだから、全部を対象にしないといけない。

AOや推薦についても、選考基準をもっとちゃんとオープンにするようにしないと…。



| | 考えたこと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は何の日?
6月6日は楽器の日らしい。
ツイッターに出ていた。
芸事の稽古は6歳の6月6日から始めるといい、というならわしにちなんでいるとのこと。

6月6日は、指を折って数えると、ちょうど6の時に小指が立つことから、「子が立つ(子供が独立する)」縁起のいい日とされているらしい。
普通に親指を折るところから1つ、2つと数えるとそうなるが、ぼくは癖で指を全部折った状態から小指を伸ばして1つ、2つと数えるので、そうはならない。
しかし、一般的にはそういうことだ。

6歳、というのは、能の大家である世阿弥が言ったこと。
そのころから基本を教えるといい、と「風姿花伝」という本に書いてある。

芸事で大成する人たちは、だいたい小さい頃からやっているのは事実。
歌舞伎の人たちは、初舞台はだいたい6歳くらい。
バイオリンやピアノなら、少なくとも6歳ころから始めていると思う。

絶対音感をつけようと思うと、少なくとも5歳か6歳には始めないと難しいらしい。
ぼくがギターを始めたのは中学2年だから、14歳。
絶対音感など逆立ちしても無理だ。

世阿弥は能を念頭に置いて書いた。
実際に能を見たことはほとんどないが、あの独特の動きを体得するのは難しいと思う。
だから、6歳から始めないといけない。

しかし、666という3つ並びは、どちらかというとホラー映画オーメンのダミアンで有名。
ヨハネの黙示録からきている、縁起の悪い方の数字だ。
習い事を始める日、というのとは程遠い。

今の日本では、6月6日は楽器の日ということだ。
楽器を演奏すると、脳が活性化して、認知症予防にもなるという。
これから高齢者になる人は、ぜひ楽器をやればいい。

こないだ見に行ったブラザーズ・フォアなど、最年長で80歳。
本当に元気だった。
認知症などどこ吹く風、という感じ。

楽器の日は認知症予防の日だ!


| | 考えたこと | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
AI時代に生き残る仕事
AIやロボットなどの新技術ブームで、それらが人間の仕事を奪うというような記事がたくさん出た。
ブームが少し落ち着いて、それほどのインパクトがあるのか、というような本もあった。
しかし、多くの記事で共通しているのは、確実に自動化や省力化が進むということだ。

東洋経済の特集では、人間がどんな仕事をしたらいいかというと、以下の4つの分野だという。

・感情ワーク 人間の感情に寄り添う仕事
・信用ワーク 人間の信頼があるからこそ成り立つ仕事
・創造ワーク ゼロから1を生み出す創造的な仕事
・職人ワーク 五感を活用する、高度な熟練技能が必要な仕事

感情ワークは、丁寧な接客や「おもてなし」のサービスなどで必要とされる。
逆に言うと、それに長けた販売員は生き残るが、そうでない人は機械に置き換えられるかもしれない。
高級レストランの接客サービスなどは、やっぱり特別なものになるのだろう。
一方で、ファミレスやファストフードなどは価格重視だから、そのうちロボットが席に案内して、タブレットで客が注文し、持ってくるのもロボットということになるだろう。
電子決済なら、客が席でタブレットを操作すればいいから、人手は要らない。
外食やホテル業界の人手不足は深刻だから、ロボットは必要だ。

信用ワークは、機械が信用できないという年代がいなくなれば、減るだろうなあ。
金融関係の営業など、人間よりコンピューターの方がマシ、と考える世代がどんどん増える。
弁護士や医師も、上位クラスは残るだろうが、下位の仕事は減るだろうと思う。
判例を調べるだけとか、検査結果を判断するだけというような仕事は、AIが強い。
結局、業務の質が変わり、少ない人数でやっていけるようになるだろう。
特に医療については、そうしないと、医療費が破綻してしまう。

創造ワークの多くは、データーサイエンティストのようなエンジニアの仕事が増えると思う。
何かを創造するための元になるデーターを作ったり、探し出したりする仕事だ。
この分野は本当に人が足りないと思う。

職人ワークは当分なくならないと思う。
人間の感覚は圧倒的に強い。
例として、美容師、理容師、マッサージ師、料理人などが出ているが、これらの仕事は「人」だろう。
身近な仕事で、職人芸が必要なものは強い。
逆に、工場の職人芸も残るとは思うが、ニーズはどんどん減っている。
3次元プリンタやセンサー技術の発達、AIの電子の目などの技術で多くは置き換えられると思う。

AIで人間の仕事が減るというが、減るのは1人分全体であることは少ない。
ある部分が自動化され、なくなるという感じだろう。
減った時に、何をやるかというと、これらの4つの分野の仕事が多くなる、ということだと思う。
対人スキルを磨くことやデーター分析、身体を使う仕事などの中から1つを選んで今からやっておくのも、自分の身を守るためには必要だ。

これからどんどん働く人は減っていき、仕事の質を変えないといけなくなる。

これからの人は大変だ。



| | 考えたこと | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウジ虫ソーセージ
今の世界の人口は70億人。
2050年までに90億人になるという。
それだけ増えると、当然足りなくなるのが食料。
生きることは食べることだ。

そうなると、今の食生活は変わらざるを得ない。
牛や豚、鶏、魚などだけでは足りないのだ。
何度か書いているが、その場合のタンパク源として有望なのは昆虫。
これなら、持続可能という。
国連も推奨しているらしい。

オーストラリアの研究者は、ウジ虫のソーセージを研究している。
イモムシやバッタも試しているらしい。
しかし、そのものを食べるのには抵抗がある。
だから、フェイクしないといけない。

ソーセージの中に入れ込むとか、アイスクリームに入れ込むとか、そういう方法だ。
これは、言われなかったらわからないから、食べやすいような気がする。

さらに、今のニワトリの飼料に昆虫を入れるということも考えられている。
まあ、これはもともと食べていたものだから、問題ない。
それで浮いた穀物を人間が食べるということだろう。

昆虫は従来の食肉に比べ、栄養が豊富で、生産コストが安く、持続可能性が高い優れた食材らしい。
実際にイナゴの佃煮は食べたことがあるが、エビみたいな感じだった。
節足類は甲殻類と似ているのかもしれない。

世界には普通に昆虫を食べている人たちもいる。
慣れればどうということはないのだ。

アメリカではコオロギを使ったチップスやプロテインバーが販売されているらしい。
コオロギは粉末にしているので、見た目は全くわからない。
BugMo Cricket Barという商品で、2本で980円。

アマゾンでは「食べられる昆虫シリーズ」という袋詰めのシリーズもあった。
いろんな虫が入ったミックスバグ塩味というのもある。
内容物は「コオロギ、コオロギ幼虫、ヤシオサゾウムシ幼虫、カイコ、バッタをボイル後乾燥 ノンフライ製法」ということらしい。
タイ製だ。
そのシリーズではカブトムシやタランチュラもあった。

持続可能な社会を目指すと言うのは簡単だが、それを実行しようとすると大変だ。
自然由来のものだけを使って生活をしようとすると、かなり高くつくだろう。
もちろん再生エネルギーだけでは、今の日本では全く需要をまかなえない。

それに比べると、昆虫食はやる気になればできそうな気もする。

ナマコを食べるのなら、昆虫もそんなに変わらない。
ぼちぼち始めないといけないのだろうが…。

ぼくが死んでからにしてほしい、というのが本音。


| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 横山たかし
横山たかしが亡くなった。
たかしひろしで漫才をやっていた。横山やすしの弟子。
金色のスーツを着て「大金持ちのおぼっちゃまじゃ」というホラ吹き漫才で知られている。
ぼくが高校の頃に出てきたはず。
昭和40年代だ。

一時は鳴かず飛ばずだったらしい。
その時に、ワンパターンのホラ吹きネタをやめようかと悩んだという。
それでも、結局はそのネタで通して、もう一度ブレイクした。
偉大なるワンパターン漫才。

赤いハンカチを出してきて、「あーあー」と泣くのが後半の決まりごと。
相方のひろしにホラを指摘されて泣く。
若い頃はこのワンパターンでいいのか、と思ったのはよくわかる。
若手がいろいろ出てきて受けているのに、自分たちはずっと同じ漫才ではダメだと思うだろう。

そういう時を経て、自分たちのパターンを確立した。
数年前から腰を悪くして、車椅子で舞台に出ていた。

わりと調子のいい時期の漫才の録音をいくつか持っている。
いまとなっては、貴重な録音だ。

さすがにたかしひろしはあまりYoutubeにあがっていない。
若い人に人気がないからだろう。

上方漫才史に名前が残るとは思わないが、あの独特のネタは人生幸朗のボヤキ漫才に匹敵する。
ホラ吹き漫才を作ったたかしひろしのコンビも、もう二度と舞台では見られない。

すでに葬式も終わり、生前の希望で密葬されたとのこと。

たかしひろしの漫才を同時代で見られて、本当によかったと思う。

合掌。


| | 考えたこと | 21:50 | comments(2) | trackbacks(0) |
引きこもり問題
日本の「引きこもり」は世界で注目されているらしい。
海外で「Hikikomori」という単語がその意味で通用するとのこと。
厚労省では、「学校にも仕事にもいかず、家にこもって社会的な交流をほとんどせず、こうした状態が6か月以上続いた場合」と定義している。
老人の「寝たきり」に近い状態だ。

2016年の内閣府による調査では、15〜39歳の日本人54万1000人(1.79%)が「引きこもり」らしい。
これから働き手が減るのに、貴重な労働力だ。
だからこそ、内閣府も調査したのだろう。

引きこもりが言われ始めた頃、欧米ではそんなものはない、と聞いた。
特にアメリカでは子どもが大学に行く年齢になったら自活するのが普通で、引きこもってなどいられない、ということだった。
学費の高騰などで事情は変わっているかもしれないが…。

今回秋田大学で引きこもりに関する研究結果が発表された。
調査対象は、日本全国各地の200の自治体から無作為に抽出された15〜39歳の男女3287名。
親に対して、6ヶ月の間に家から(ほとんど)外出をしなかった、という子どもたちを「引きこもり」と判断した。

この結果、回答者の1.8%が引きこもりで、都市もいなかも変わらないとのこと。
3:2で男性のほうが多い。
引きこもりは、商業施設や店舗が多い地域で暮らしているとのこと。
地域や家族の人数、社会階級との関連性は見られなかった。

引きこもりの最も重要な要素は、「人付き合いを非常に苦手としている」ということだった。
こんな当たりまえ過ぎることも、今回の調査で初めて明らかになった。
人とうまくやっていけないから、家に引きこもるのだ。

ただ、見ず知らずの人と会うのはマシらしい。
彼らは、面識のある人やコミュニティを恐れている。
だから、対人恐怖とは違う扱いになる。

研究が示す治療の方向性としては、「コミュニケーションスキルを向上させるような訓練を行い、過度に人目を気にしないようにうまくコントロール」するということだ。
書くのは簡単だが、実際にそうするのは難しい。

引きこもりのきっかけは、高校や大学の中退歴。
だから、学校にとどまれるような支援もいいかもしれないとのこと。
まあそうだろう。
何事も治療より予防のほうが効くのだ。

しかし、本当の問題は40〜64歳の年齢層。
推計で61万人以上の引きこもりがいるらしい。
こっちの方が多い。

1995年から2005年あたりの就職氷河期は厳しい時期だった。
バブルの後処理で、経営者が雇用を抑制していたからだ。
終身雇用制度の日本では、新卒採用を抑制するしか雇用調整ができない。
この時期の人たちは、その時の企業の正社員を守るために犠牲になったようなもの。

その時に就活した人たちが40代くらい。
ロスト・ジェネレーションとか言われたりする。

こっちの方も、調査して助けてあげてほしいと思う。
最終的には、雇用を流動化するしかないとは思うが…。





| | 考えたこと | 19:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
地銀の将来
最近日経やネットメディアを見ていると、地方銀行の将来は大変だという記事が多い。
なかには構造不況業種だというものもある。
預貯金が集まらないからではないだろう。
日銀が大幅な緩和をして、どちらかというと、お金は余っている。
だから、どんどん貯まっていくのだ。

企業の業績はいいらしい。
でも、企業が借りた金には利子はあまりつかない。
預けてもゼロに近い金利だから、貸すときの利率も下がっている。
だから、国内の融資先がベースになっている地方銀行は儲からない。

昨年来、ニュースになっているのが地方銀行の再編。
資金力をつけようということだ。
お金はグローバルに動いているのに、県単位でやっていたらダメに決まっている。
いくら再編しても、メガバンクには勝てないし、焼け石に水というところだろう。

就職でいえば、銀行は安定している、という意識で文系学生の志望は高かった。
ぼくは不思議だったのだが、文系の大学のなかには「金融」が一番の就職先という先入観みたいなものが感じられた。
だから、優秀な学生からまずメガバンク、次いで地銀という感じで就職していく。
下位の大学は地銀か信金だ。

山本夏彦が、銀行員を「金貸し」と言い、人の金を右から左に動かして儲けているやくざな商売ということを言っていたが、ぼくもその通りだと思っていた。
なんで、そんなところに優秀な若者が行くのか、という感じ。
去年からは、それは様変わりしたが…。

まだメガバンクは優秀な人材が行っているが、地銀はそこからランクが落ちるので、どちらかというと安定を求め、ぬくぬくと生きていきたいというタイプの人たちが多いと思う。
そういう姿勢の人が多いのに、これからの地銀はどうやって儲けていくのだろうか。
新たな融資先を求めて、どこかのテレビ番組のようなことをしないといけない。
ぼくはそんなの無理だと思う。

先進国の利率はどんどん下がっている。
それは歴史の必然でもあるのだろう。
地銀は国内という限られたパイの中で、どうやって利益を生む融資先を見つけるか、あるいは育てていくかという戦いをしないといけない。
今までの担保主義ではとても無理だ。

おまけに、クラウドファンディングなどというインターネットを通じた資金調達の仕組みもできてきた。
個人が集まって、アイデアさえあればお金を集めることができる。
銀行など要らないのだ。
ここでもインターネットによる破壊が起こる。
個人と個人を結びつけることで、銀行という仲介の仕事は要らないのだ。

とどめに、マイナス金利でお金を持っているだけなら損をする時代。
そもそも今の銀行が存在する価値があるのか、という問いをつきつけられている。

安定を求めて入った人たちが、これからもっとも不安定になる、という皮肉。

あと10年、20年…、地銀はどうなっているのだろう。


| | 考えたこと | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |