考えたこと2

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夏の終わり
今日で8月も終わり。子供たちは、いよいよ夏休みも終わり、学校が始まる。

仕事をしはじめてから、40日もの休みを取ったことがないので、夏休みがどんなものだったか、時間的な感覚はもうない。
でも、40日は長かっただろう・・と思う。

絶対に最後までスタンプが押せなかったラジオ体操。これが夏休みの始めにあったりした。

どういうわけか、夏休みになると、午前中に子供番組の再放送がある。
小学校の頃は、実写の鉄腕アトムや、七色仮面、海底人ハヤブサ(8823←わかる人にはわかるはず)などを見ていた。

そのうち、高校野球が始まり、暑い盛りになる。
お盆の墓参りに行って、従姉妹と遊んだり、親戚が集まってご飯を食べたりした。あの頃は、亡くなった祖父の墓参りに行っていた。

そして、高校野球も終わり、ぼちぼち夏の終わりが来る。
今年はあまりツクツクホウシが鳴かなかったような気がするが、あの声を聞くと、夏の終わりが来た、という感じがする。

その頃になると地蔵盆というのがあった。近所のお地蔵さんのところに、ござをひいて、テントをはって、町会の人がいて、その地区の子供が行くとお菓子をくれる。グリコやカルミンなどが入っていた。お菓子の袋をもらって、喜んで家に帰ったことを思い出す。

絵を描くとか、感想文とか、後回しになっていた宿題をする。
毎日の天気をつけてなくて、思い出さないといけなくなったりもした。
今みたいにインターネットの検索などないから、大変だ。

暑い中でも、友達と外で遊んでいた。ボール遊びをしたり、野球をしたり、近所の川で遊んだり・・・。

・・・そんな思い出話を書くのではなかった。

今年は、次男が読書感想文を書く本がないというので、本屋に行って、「誰も知らない小さな国」という佐藤さとるの本を買った。
この本は、こびとが出てくる話。コロボックルというこびとだった。僕も小学校の時、この本を母が買ってきて、感想文を書いた。
1959年に書かれた本だ。おもしろかったことを覚えている。

古いので、おもしろくない・・・と言うのかなと思っていたら、おもしろかったので、次のヤツも読みたいという。
そうか。おもしろいものは、おもしろい。時間を越えているのか。これは名作なんだ。
今年の夏の終わりには、それがわかったのが、一つの収穫だった。

このこびとの物語は、彼の子供にまで、引き継がれるのだろうか。

それにしても、夏の終わりというのは、何となくせつないですよね。
夏休みがなくなっても、何となくその気持ちだけは残っている。

なんでだろう?


| | 考えたこと | 00:15 | comments(2) | trackbacks(0) |
きっと忘れない(with Honors)
TSUTAYAで面白そうだったので、借りた。1994年の作品。
期待通りの映画だった。

ジョー・ペシがホームレス、ブレンダン・ブレイザーがハーバードの大学生の役で出ている。

卒論間近の大学生がホームレスの男と知り合う。

最初はホームレスを嫌っているが、次第に彼の過去を知り、考えを知り、そして彼の人生を知ることになる。
ルームメイトの大学生も加え、最後には5人の学生がホームレスと心を通わせる。

ストーリー展開としては、よくあるパターンという感じだが、バックの音楽もいいし、二人の役者がよくて、引き込まれる。

ラストシーンが近づくとともに、大学生たちとホームレスの友情が高まり、ハーバードという、権威のかたまりのようなところの学生が、事情があってホームレスにならざるを得なかった男の考えに共感し、権威よりも自分に素直になること、という選択をしていくところがこの映画の主題。
ちょっと過激な意見もあるが、要は権威を信じ込まず、自分の考えを持て、ということを学んでいく。
with Honors、誇りをもって生きろ、ということか。
卒論で賞を取ることよりも、もっと大切なことがある。

青春の一途さ、仲間との友情、人生の悲哀、人間の温かさ、そして死・・・この映画のようなことは、映画の中にしかないだろうが、だからこそ映画にする価値がある。

涙もろい人は、ラスト近くでは、絶対にタオルが必要です。

| | 映画・舞台 | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカが標準でない
日頃使っている単位を変えるのは大変なことだと思う。

日本は変えましたよね。
長さや重さをを尺貫法からメートル/キログラムに・・調べてみたら、尺貫法の禁止は1966年だった。
もっと早かったのかと思った。
僕が小学校の4年までは寸や尺を使っていた(使ってもよかった)ということだ。
そういえば、その頃にテレビで、和裁をやるための物差しが作れなくなる、というようなことを言っていたような気がする。
最近は、もっと進んで、力や圧力も変えている。台風の中心気圧がいつの間にかミリバールからヘクトパスカルというわけのわからない単位になっているでしょう?

ところで、野球のピッチャーとキャッチャーの距離を知っていますか? これが18.44m。
ベース間の距離が27.43m。

中途半端だと思いません?

あまり気にとめていなかったが、以前アメリカから図面のデーターをもらったら、すごいミニチュア図面になったことがある。何でやねん、と思ったら、単位がインチで描いてあった。だから、小さくなったのだ。
世界中図面はミリで・・と思っていたらそんなことはないのだ。

3年ほど前、機会があって、アメリカの技術者に、世界中がメートル法になっているのに、いい加減に変えたら?と言ったことがある。
そしたら、そんなことをしたら、直感的にわからなくなるから、困る、との返事。

「僕らも、困ったけど、変えたんや。」
「俺らは、変えられへん。そんなことしたら、仕事にならん。お前ら、野球のピッチャーとキャッチャーの距離すぐ言えるか?」
「なんか、ややこしい数字やった・・。」
「そうやろ、あれはフィートやったら、きれいな数字になってるんや。だから、メートルなんかに変えられへん。」
「でも、国際標準化機構の方針は、みんなメートル法にすることになってるハズや」
「そんなことは知らん。いくら言うても、変わらんやろな・・・」

アメリカの技術者が関西弁で話したわけではないが、こんな感じだった(と思う)。

グローバルスタンダード=アメリカというふうに言われているが、単位については彼らはグローバルではないのだ。
でも、きっと彼らはまだまだローカルスタンダードにとどまるような気がする。

あの技術者の彼は、今まだ45歳くらいだと思うから、きっとまだ30年くらいは変わらないだろう。
野球の距離の話をした時の彼の顔が忘れられない。
宴会の席でビールを飲みながら、すごくうれしそうに、「そうやろ・・」と話していた。

ちょっとゆずりそうになかったなあ・・・。

| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダニエル
洋楽は中学の時から聴いているが、最近の歌は知らない。

エルトン・ジョンは、いろんな曲があるが、「ダニエル」だけは別格だ。
この曲は、ある時歌詞が突然わかって、それ以来好きになった。

漠然と聴いていた時は、兄弟の歌だということはわかっていたが、歌詞の意味を理解しているわけではなかった。
ラジオなどで聴いて、まあ、イイ曲やん、という感じだけだった。

ある時、この歌のダニエルはお兄さんで、ケガをしていて、目が見えなくなった・・ということがわかった。
何度か聴いていたが、気がついていない。ぼーっと聴いているとわからないし、歌詞もしっかり見たことがなかったので、知らなかったのだ。

どういう経緯かわからないが、ダニエルは盲目になり、スペインに旅立つ。
その兄を慕って、弟が歌う・・それがダニエルという曲だった。
今回ネットで調べてみたら、これはベトナム帰還兵の兄を慕う弟の歌、と書いてあるサイトがあった。
そうかもしれない。そういう時代だった。

Daniel (ELTON JOHN)

Daniel is travelling tonight on a plane.
I can see the red tail lights heading for Spain
Oh and I can see Daniel waving goodbye.
God, it looks like Daniel. Must be the clouds in my eyes.

They say Spain is pretty though I've never been.
Well, Daniel says it's the best place he's ever seen.
Oh and he should know, he's been there enough.
Load, I miss Daniel. Oh, I miss him so much.

Oh oh oh Daniel, my brother, you are older than me.
Do you still feel the pain of the scars that won't heal?
Your eyes have died, but you see more than I.
Daniel you're star in the face of the sky.

Oh oh oh Daniel, my brother, you are older than me.
Do you still feel the pain of the scars that won't heal?
Your eyes have died, but you see more than I.
Daniel you're star in the face of the sky.

Daniel is travelling tonight on a plane.
I can see the red tail lights heading for Spain
Oh and I can see Daniel waving goodbye.
God, it looks like Daniel. Must be the clouds in my eyes.

Oh
God, it looks like Daniel. Must be the clouds in my eyes.


きっと、こんな意味だろう。

ダニエル(作詞:エルトン・ジョン)

ダニエルは今夜のフライトで旅立つ
赤いテールライトが見える あれがスペイン行きだ
そう、僕にはダニエルがサヨナラと手をふるのが見える
ダニエルに似ているのは、きっと僕の目に映った雲なんだ

スペインには、僕は行ったことがないけど、きれいなところらしい
ダニエルは今まで見た中で一番いいところだと言ってる
そう、知っているハズだ ダニエルは何度も行ったことがあるから
神さま、ダニエルがいないと寂しいんです すごく寂しいんです

ダニエル、君は僕の兄さん
その傷跡はまだ痛いのかな、もう治らないだろうけど
君の目はもう見えないけど、僕なんかよりずっと、よく見えている
ダニエル、君はこの空にちらばった星みたいだ

ダニエルは今夜のフライトで旅立つ
赤いテールライトが見える あれがスペイン行きだ
そう、僕にはダニエルがサヨナラと手をふるのが見える
ダニエルに似ているのは、きっと僕の目に映った雲なんだ
そう、きっと僕の目に映った雲に違いない

この曲を歌うと、「君の目は見えないけど、僕なんかよりずっと、よく見えている」のところで、いつも胸がつまる思いになる。

短くて、淡々と歌われる曲だが、ある日突然自分の名曲になった。

エルトン・ジョンは、マイ・ソングやイエロー・ブリック・ロードなんかもいいけど、やっぱりダニエルだ。

| | 音楽 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
思い出せないだけでね
本を読んでも、当然、覚えていることの方が少ない。時間とともに忘れることがほとんどだ。
だから、読んでもムダ・・ということはないと思っている。
それは、読んでる時に面白ければいいからとか、少しは頭に残るからとか、そういうことではない。

10年以上前になるが、立花隆の本に、「脳はインプットされたことは、すべて覚えている。それを思い出せないだけだ。でも必要な時にはその知識は出てくる」という意味のことが書いてあった。
それ以来、その言葉を信じている。

読んだ本の内容は、読んだ時に理解されているかぎり脳の中には残っていて、何かそれが必要な時には出てくるハズだ。
そのままの形で出てくるのか、それとも何か形を変えて出てくるのか・・・。
必ず何らかのカタチで、役に立つ。だから、本を読んで、たとえ忘れてもそんなにがっかりしなくていい。

本だけに限らない。
誰かと会ったり、どこかに行って見たり聞いたりしたことも同じだと思う。
すべての経験は、残っているんだと思う。

そういう話をしていたら、家内が、それは「千と千尋の神隠し」の映画の中でゼニーバが言っていたセリフだ、と言う。
物語の終わり近く、ゼニーバは千にこう言っている。

一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけでね。

そうなんだ。

きっとそれは真実だろう。

大事なことに気づかずに時間を過ごしても、忘れてはいないのだ。
思い出せないだけだ・・・。

そして、いつかは役に立つ時が来る。たとえ役に立たなくても、いつか思い出せる時がくるような気がする。
でも、マジメに生きていないと、思い出せないのかもしれない。
千が一生懸命がんばったように。
そんな気がする。

思い出せないだけでね・・・


| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
海外のドラマ
昭和40年代の日本の番組についてこないだ書いたので、今回は海外のドラマについて書く。

あの頃は、夜のゴールデンタイムに、海外のドラマが多かった。

古いところでは、サンセット77。これは探偵ものだったと思う。
主題歌がSeventy Seven Sunset・・ここで指を鳴らす音が入っていて、すごく印象的だった。

コンバットは戦争物だったが、親父が好きでいつも見ていた。
舞台はヨーロッパ戦線。サンダース軍曹(ビッグ・モロー)とその部隊の人間ドラマだった。

順番はバラバラだが、ルーシーショーや奥様は魔女、ベン・ケーシー(外科医もの)、鬼警部アイアンサイド、宇宙家族ロビンソン、ペリー・メイスン(弁護士もの)、ローハイド(西部劇)、じゃじゃ馬億万長者、ミスター・エド(馬がしゃべる)、原子力潜水艦シービュー号、ナポレオン・ソロ(スパイもの)、それいけ!スマート、名犬ラッシー、わんぱくフリッパー(イルカ)、グリーン・ホーネット、ザ・モンキーズ、スパイ大作戦、タイム・トンネル、スパイのライセンス・・・数えるときりがない。

懐かしい人は、このサイトで見てみて下さい。年代別にあります。

http://homepage2.nifty.com/retrokan/jnenpu.htm

ホントに面白かった。この頃は為替レートが固定で1ドル360円の頃だったから、テレビ局は結構高いお金で番組を買っていたのではないか。
おそらく、日本にはまだテレビの時間枠を埋めるだけの、ドラマ制作のキャパシティがなかったんだろう。
役者の数も少なかったのかな。

おかげで、僕らの小学校、中学校時代はアメリカのドラマがたくさん見られた。
バカでかい冷蔵庫、1リットルくらい入っている牛乳瓶、高架のハイウェイ、たくさんのクルマ・・日本にはないものばかりだった。
とにかく、かっこよかった。外人コンプレックスはこの時にできたと思う。

最近のものは、女刑事キャグニー&レイシー、ビバリーヒルズ高校(青春)白書、アリー・マイラブ(時々見た)、サンフランシスコの青い空、シカゴ・ホープ、ザ・プラクティス、フレンズ、ダーマ&グレッグ、スピン・シティ(マイケル・J・フォックス)、ボストン・パブリックなど。

でも、今は海外ドラマは深夜にしか放送していない。
ケーブルテレビでないとやってないものも多い。

長いものは、何年もにわたって続き、出演者がだんだんその役になってしまう・・という感じである。
役がその役者なのか、役者がその役なのか・・本当にその人がなりきってしまう。
その回だけのエピソードと、何回かにわたって続くエピソードが入れ子になっていて、すごくよくできた脚本が多い。
(よくできたものしか、日本には来ないのか。)

今は日本のテレビ界は大きくなり、すべての時間枠を日本製の番組で供給できるだけの力がついた。
そのおかげで、くだらないバラエティや、最初から放送回数のわかっているドラマ、短いカットばかりのドラマなどが、粗製濫造されるようになったんだと思う。
たしかに、芸人を何人か集め、適当にしゃべらせる番組なら、作る方も楽だし、脚本も何もいらないし、金もかからない。ロケもないし、セットも毎回同じだったりする。
良質の海外ドラマを買うより安いだろう。

でも、昔のように、海外のドラマをもっとやってほしいと思う。
いいものはいいのだ。
買ってきて、吹き替えて、放送するだけなんだから、安いでしょう。

みなさん、懐かしい番組あるでしょう?

| | 考えたこと | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
本の値段
本の値段は高いのだろうか、安いのだろうか。

印刷という技術が発達して、文字を紙に印刷して、たくさん同じものを作る、ということについてはどんどんコストが安くなっている。
デジタル化も進んだので、早くきれいに作れるようになっている。

でも、本を書く、という事については今も昔もさほど変わっていないだろう。
もちろん、インターネットの普及などで、何かについて調べる、ということに関するコストは圧倒的に安くなってはいる。
でも、逆にいうと、ただ何かを調べただけの本というのは、どんどん価値が下がっているという事になる。誰でもが簡単に調べられるようになってきているんだから。

本の価値は、書いた人が自分の考え(経験)や感性をどれだけ盛り込んであるか・・になるのではないか。
その意味では、今も昔も本を書くのは大変だろう。
ペンがワープロになった程度の便利さなどしれている。

目から鱗が落ちるとか、感動して涙を流すとか、手に汗をにぎって、ページをめくるのがもどかしいとか、もう眠らないといけないのに、どうしてもやめられないとか、頭の中にあるパズルのピースが、「ぱっ」とはまったとか、そういう本に巡り会えたときの喜びは何者にも代え難いものだ。

そういうときは、本を読んでいるというより、本の中に入っている、という感じがする。

中には、あー、ハズレという本もあるが、それとて本になっているわけだから、少なくとも出版社や編集者は価値を認めていて、書かれた内容が誰にとっても無意味というわけではない。

いったい、本を書くのにどれくらいの時間がかかっているんだろう。
書き手にもよるだろうが、少なくとも数ヶ月〜数年はかかると思う。ということは、人件費だけでも少なくとも百万円以上はかかる勘定だ。

また、書くためには作者の経験が必要だ。書かれるテーマに関する経験、あるいは想像力は一朝一夕のものではないはず。それも含めると、もっとかかっているお金は大きい。

そう思うと、本は安い。
僕らが買う本は高くても3000円くらい。文庫で安ければ数百円である。(もちろん、圧倒的に文庫・新書が多い)

こういう風に考えると、読んで良かった、と思える本なら、すごい安い買い物ということになる。
時々は、失敗した・・という本もあるが、それでもまあ、しゃーないなと思える。

たしかに、それでも・・高い!・・と思える時もあります。
| | 考えたこと | 01:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
50億年
4年ほど前だったと思う。
その夜の情景は、なぜかよく覚えている。

僕は残業していた。回りには誰もいなかった。
僕らのオフィスの奥の方に別の部署があり、そこの先輩が帰ろうとして通りかかった。

「何してんねん?」
「いや〜、いろいろやることがあって・・。」

というような会話が始まった。
そこから、僕は将来の会社のことなんかをしゃべったんだと思う。

そうすると、その人がこんな事を言った。
「あのな、50億年ほどしたら、太陽が膨張して、地球は飲み込まれてしまうんやで。地球がなくなることは今から決まってるんや・・・・」

その後、何を話したかは覚えていないが、太陽の膨張の話は記憶に焼きついてしまった。

今回、調べてみると、30億年くらい先には今の火星の軌道あたりまで太陽が膨張する、という記事があった。(ちなみに、人類が誕生してから、100万年とのこと。30億年の1/3000。)
50億年でも、30億年でも大勢に影響はないが、いずれにせよ、地球がなくなる、ということは決まっているということだ。

地球がなくなる以前に、太陽の膨張が始まったら、地球の気温が上がって、人は住めなくなるだろうから、万が一人類が存続していたとしても環境不適応で、先に住めなくなる事になるんだろう。
それ以前に小天体の衝突とかもあるかもしれないが、とにかく、あのスペースシャトルからの映像にあった、青くてきれいな地球はなくなる運命にある。

それを知ってしまって以降、「永遠」というような言葉にひっかかるようになった。

こと、地球に関する限り、「永遠」という言葉は30〜50億年、ということだ。

地球がなくなっても、人間が滅んでも、「永遠」という言葉の意味はあるんだろうか。

意味はあり続ける、と思っている。でも、それが何故かは、まだわからない。


| | 考えたこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
イン・アメリカ 三つの小さな願いごと
とにかく、二人姉妹役の子役がすごく上手で、感動する。
物語は、アイルランドからニューヨークにやってきた一家が、つらい生活を乗り越えて、最後には、アイルランドで亡くした息子の死の悲しみを乗り越えていく、というもの。

この映画を撮った監督の自伝的な作品とのこと。

貧乏で苦しい生活・・・つらい物語だが、子供たちの純真さに救われる。

「三つの小さな願いごと」というのは、長女が天国の弟に願いをかける・・そのお願いである。
この子がけなげで、ラストシーンでは大人びた言葉を、自然に、父親に対して話しかける。
「弟が死んでから1年、私が一家を支えたのよ」
これはすごく感動的な場面だった。

それと、長女がイーグルスのDesperadoを歌う場面がある。
これはいい場面だと思います。
カウボーイハットをかぶって、か細い声だけど、しっかりと歌う・・・。
「困った人だけど、ここに愛している私がいるんだから・・」という歌詞。よかったです。

キャストを調べてみると、この二人姉妹は本当に姉妹だった。
それにしても、子役二人がよかった・・。(何度も言いますが、本当に良かったです。)

興味のある人は、

http://www.foxjapan.com/movies/inamerica/index.html

を見てみて下さい。
| | 映画・舞台 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
くだらない話
くだらない話ができる人・・・そんなにたくさんは、いないようだ。

ここで言う「くだらない話」というのは、要はバカ話である。
ありもしない事を並べたて、いい加減な根拠を付けて、まるで本当のような世界を言葉で作り、単におもしろがる・・そんな話である。

例えば・・・

ゴルフの中継、見ていて眠くないですか?
グリーンの上でパットを打つ時に、中継のアナウンサーが小さな声で話すところにくると、眠くなってしまいます。

その対策はどうすればいいか・・・。

まずは、スピードが必要だ。歩いていてはスピード感がない。だから、キャディなどやめて、選手は自分で必要なクラブを持って、走ることにしよう。タイム・レースである。
1番の選手が「スタート」の号令と同時に、ティーにボールを置いて、すぐに打つ・・そしてボールを追って走る・・3分くらいの間隔をあけて2番手の選手が出発する。
当然、追い越しアリだから、ボールが飛び交うことになるので、選手はヘルメットをかぶる事が必要だ。
故意に相手の選手を狙うのは、ペナルティにしよう。でも、失格ではない。どうしても必要なら、狙うのもアリだ。そうなると格闘技の要素も入ってくる。
クラブを持って走るわけだから、少ない本数の方が、疲れが少なくて有利になる。クラブも変わってくるだろう。十数本のセットなどしんどくて使えない。表が遠距離用で、裏はパター用などというような改造は許す。
もちろん、見て楽しむわけだから、池に入っても、そのまま打つ。濡れてもいいスタイルでないとダメだ。
でも、後の選手にボールをぶつけられたらいけないので、防護具みたいなものも着けないといけないだろう。
タイムと打数の両方が得点になる。たくさん打っても、早くあがれば得になる。

これは面白そうでしょう。
アメラグの防具みたいなのを着けて、背中に忍者の刀のようにクラブを背負い、ボールを打っては走る・・・。そんなヤツらがゴルフ場を走り回るんですよ。
もはや、これはゴルフではない、別のスポーツだ。
スリルと興奮、実況にも熱が入る。「あっ、3番の選手が1番を狙っている・・打った!・・当たった、当たった、痛そうです!・・」「5番の選手は今8ホールですが、ここまで35分40秒で来ています。とにかく速い!さすが元陸上選手です・・」「今、8番が池を泳いでいます・・ゴーグルを着けました、ボールが見つかったようです。あ、水中用の特殊クラブを取り出しました。池の中にもぐった、もぐった、あ、ボールが飛び出てきました。水中からのスーパーショットです!」・・などなど。

おぉ、これこそ、真のスポーツ、神戸生まれのこのスポーツをゴーフルと名付けよう・・。

こんな「くだらない話」だ。

わいわい言いながら、想像をふくらませて、ありもしない世界の言葉遊び・・。
こういう「くだらない話」に価値を見出せる人が好きだ。
そういう人と一緒に仕事ができれば、職場も楽しいかもしれない。

仕事の能率が上がるかどうかは別問題だが・・。

| | 考えたこと | 02:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
これが青春だ
この題名を見て、テレビ番組のタイトルだ、とわかる人は昭和30年代前半生まれまでの人ではないか。

僕の記憶では日曜日だったと思うのだが、ウチは大河ドラマを見る家だったので、日曜日ではなかったのかもしれない。
8時から1時間枠の番組だった。
やっぱり、平日だったんだろう。

最初のシリーズが、「青春とは何だ」(夏木陽介主演)で、その次が「これが青春だ」だったと思う。
竜雷太が主役で出ていた。
だから、僕らは竜雷太というと、先生、という感じだが、もうちょっと若い人になると、「太陽にほえろ」の刑事役がはまり役になっているんだろう。
岡田可愛が生徒役で出ていた。この人は後日「サインはV」で主役となり、それで覚えている人も多いかもしれない。
かわいかったですね、岡田可愛。

このシリーズが、のちのち、村野武範や中村雅俊の出てくる学園もののルーツになる。

数年前に、「これが青春だ」が、ケーブルテレビで再放送され、毎週楽しみに見ていた。(夜中だったが)

当時は小学生だったが、楽しみにしていた記憶がある。
布施明の歌う主題歌、「大きな空に はしごをかけて 真っ赤な太陽 この手でつかもう 誇りひとつを胸に掲げて 恐れ知らない これが若さだ そうともこれが青春だ」(作詞:岩谷時子)というのも、よく覚えている。
「誇り」を胸に掲げる・・・すごい歌詞だと思いません?

このドラマ、中年になって見てみると、びっくりすることがたくさんあった。

まず、舗装された道がほとんどない、ということ。(設定は関東の漁師町。)
自動車がほとんど走っていないこと。
「不良」という役の生徒も、ちゃんと学生服を着て、学校に来ていること。
何かというと、みんな集まって、肩を組んで歌を歌うこと。
まるで道徳番組だ、と思われるようなテーマがあること。
親子の距離が近いこと。
高校生になって、喫茶店(森永ミルクバー)に行くだけで、「不良」と言われること。

そういう時代だったんですね。昭和40年代はじめですよ。(番組は昭和41年〜42年放映)

何度か夕方に再放送されていたので、それも見ていた記憶がある。
懐かしい人、このページを見てみて下さい。(http://homepage1.nifty.com/dorama/koregaseishun.htm)

この、ドラマの中で、竜雷太扮する先生の言葉で印象的だったものをメモしていた。

だまされるのを恐れて、人を信じないような奴は若者ではない。

人に何かをしてもらうときに、迷惑をかけないように断る、という消極的な態度を取るか、恩をいつか返そうという積極的な態度を取るか、若者なら前向きにいくべきだ。

勇気とは自分に厳しいこと。時には格好が悪い事もある。

今が不真面目とは言わないが、このころのテレビ番組を作っていた人たちは、ものすごく真面目だったような気がする。
ヤラセの番組や、わざと間違えているのではないかというような芸能人のクイズ番組なんかを作っている制作者は、一度これを見ればいいと思ってしまう。

古くて良いものはたくさんあると思うが、これもその一つではないか。

こんな事を言いだすということが、年寄りの始まりか・・・。


| | 考えたこと | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
自販機で飲み物を買う意味?
テレビで、携帯電話を自販機にかざして、ジュースを買う、という宣伝?をやっていた。
お財布ケータイなどと宣伝していたものか。

以前にも、ニュースでいずれ携帯電話で、いろんなことができるようになる、という記事の中に出ていたが、本当にやるんですね。
その記事を見たときに、職場の若い人に「ケータイで自販機のジュースが買えるようになるらしいけど、どう思う?」と聞いたら、「それは便利になる」との返事。
「普通に買う方が便利なんとちゃう?」と言うと、「小銭が無いときに買えるから」との返事。

「5000円と10000円紙幣しか持ってないことがどれだけあるん?」と重ねて聞いたら、「そんな時もあるかもしれんでしょう」という。

確かに、そういう時にはケータイでジュースが買えれば便利かもしれない。
そんなときはあきらめるか、両替するか、コンビニで買うか・・どうでもなる世の中だ。

でも、買う方にとって、その程度のメリットしかないのに、どうしてそんなに宣伝するんだろうか。

売る方からみたらどうなんだろう。
お金を集めなくてもよくなる・・これは助かるだろう。自動的に引き落とされてもうかる。
いつ、誰が、何を買ったかわかる・・これは大きい。どんな製品が誰に好まれて、いつ頃買われるのか、何もしなくてもコンピューターに入ってくる。(個人情報は保護されるんだろうか?)

だから、製品の補充も楽だ。いつ何を補充したらいいかわかる。製品の開発にも生かせるだろう。
若い女性はこれが好みとか、中年男性はこんなのを飲むとか、宴会帰りの時間は若い人はスポーツドリンクで中年はコーヒー飲料だ・・などなど。
長い目で見れば、開発経費や商品の配達の経費が下がるんだろうから、自販機でケータイを使えるようになったら、値下げをするんだろうか?
それはないだろう。自販機自体の値段も高くなるし・・。

自販機で飲み物を買う意味・・・のどが渇いたから。それしかないだろう。
でも、それにケータイを使う意味は・・何なんだろう?

技術的にできること、という視点でいえばケータイを自販機につないで、ジュース代を自動的に引き落とすことは可能だろう。
でも、いくら技術的にできるからといって、それをやる意味は考えなくていいんだろうか?

自販機にケータイをかざして、ジュースを買う意味・・・やるべき大事な意味があるんだろうか?

その記事を見た時から、疑問に思っていたら、テレビで実際にやっていたので、またその思いを強くした。
一体、何がうれしくて、わざわざ電話を自販機にかざしてジュースを買うんだろう。

それは、お金の記号化というようなものにつながって、何となく世の中をヨクナイ風に変えるような予感がする。
いずれ避けられないような気はするけど。

僕が間違っているのなら、いいんですけどね。



| | 考えたこと | 12:05 | comments(2) | trackbacks(0) |
メモ帳
数年前から、いつか書きたいことを「ネタ」と称して、メモしていた。

ここに書いていることのいくつかは、その「ネタ」から持ってきている。

その頃は、主に会社の帰りの電車の中で、その日あったことなどを思い出したり、流れていく景色を見ながら、漠然と思いつくものをメモしていた。
今見直すと、あまり面白くないものが多いが、中には自分でも「へー」と思うものもある。

ということは、自分で書いていても、忘れているということだ。

ブックレビューに書いたが、「論理表現のレッスン」という本の中に、「思考はそもそも論理的ではなく、ハチャメチャであるというわけです。」と書いてあったが、そのとおりだと思う。ハチャメチャであるから、忘れやすくて、思い出せない。
だから、メモが必要になる。

休みの日に持ち歩くショルダーバッグの中には、小さなメモ帳が入れてあって、面白いことを思いついたら、すぐにメモできるようにしている。

トイレにも、一つメモが置いてある。
休みの日の朝起きてすぐ、というのは、経験的に思いつきが出やすい。朝起きてすぐに行くところというと、トイレなので、メモが置いてある。
休みの日に、新聞を読んでいて、何か思いついたら、メモするためにトイレに行ったりする。

本当に、「あ、これ面白い」というような考えは消えていく。
何かを思いついたことは、覚えているのだが、内容はきれいさっぱり消える。

よくあるのは、朝歯磨きしながら新聞を読んでいて、何か面白いことを思いつき、よし、これをメモしようと思って、顔を洗い、タオルで顔を拭いたら、それを忘れていたというパターン。
機械的に何かの手順を行う、という事が、脳の中の「面白い考え」が浮かんだ場所と仲が悪いような気がする。
忘れてしまうと、思い出せない。

それでも、何かひと言でもメモしておくと、それを見れば、瞬時に思い出す。
ひと言でいいのだが・・。

実は今日も書くことが既にあったはずだった。
話をしていて、これを書こう、というものがあったのに、その時にメモしなかった。

何かすごく面白いネタだったような気がするのだが、思い出せない。
やっぱり思いついたときに、メモしないと・・・。

| | 考えたこと | 00:10 | comments(2) | trackbacks(0) |
墓参り
時節柄、墓参りのシーズンである。
うちも、今日、2年半ほど前に亡くなった父の墓参りに行ってきた。

お盆というのは、亡くなった人があの世から戻ってきて、家族と一緒に過ごす、という事になっているらしい。

墓に参って掃除をして、花を生け、線香をあげ、手を合わす。
それだけだ。

その後、集まった親戚で食事をしたりする。

その席で、必ずしも亡くなった人の思い出話が出るわけでもない。(不信心なのか・・)

父が亡くなったとき、自分もいつかは死ぬ、ということを意識した。
その時から、きっと一般的には、同性の親が亡くなると、人は死を意識するのではないか?と思っている。

それまでは、誰かの葬式に出ても、自分はこちら側の人、亡くなった人はあちら側の人という事で、「亡くなる」という事は遠い向こうにあったような気がする。
でも、その時以降、あちら側が近くなった。
あちら側も、そんなに遠くない、という気がするようになったのだ。
別に、四六時中そう思っているわけではないが。

ただ、そう思うと、いろんな事が変わってくる。
いつかは・・しよう、と思うのはちょっと苦しいなあ、と思いはじめる。
いつかではなくて、早めにやっとかないといけない、などと思う。
時間には限りはないが、自分の時間には限りがある、ということだ。

墓参りに行くと、また、そのことを思う。
でも、別に暗くなるわけではない。
厭世的になるわけでもない。
ただ、自分の時間には限りがある、という事を意識する。

それは、墓参りの効能なのかもしれない。

| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
主観的価値
今日は学生時代の友達のI君に会った。
I君とは、下宿に入りびたりで、文字通り同じ釜の飯を食った仲間である。
3年間ほどのつき合いだったが、本当に多くの時間を過ごした。

その彼が、色々と事情があって、自分の本を売らなければならなくなったとのこと。
置き場所の問題である。
本の好きなやつなので、きっと、売る本を段ボールに入れる時には、色々な思いがあっただろうな、と想像する。
選別作業は、事務的には行えないだろう。
売る方にいったん入れた本を、戻してみたり・・・そんな事があったハズだ。

その思いが詰まった段ボール箱をいくつか持って、ブックオフに売りに行ったらしい。
彼が言うには、買い取り価格のマニュアルがあって、何年か以上前の本は安くなるのではないかとのこと。

結局彼の段ボール何箱かの本は1冊5円になってしまった。(ほとんどが10年以上前の本だったらしい)

その時一緒に、彼の息子が持っていった、新しいマンガの単行本はなんと1冊400円で買い取りとのこと。

息子には、「お父さんの本80冊で、ボクのマンガ1冊と同じか」と言われたらしい。

「聞いてくれるか?オレの本80冊でマンガ1冊と同じやで・・」ということになった。

彼の複雑な気持ちはよく分かる。
ほこりだらけになっていたり、ちょっとページが茶色になっていたり、折り目がついていたり、少し破れていたり・・・いろんな不具合があったんだろう。
客観的にみれば、古いものは古いし、キタナイものはキタナイのだ。
よほどの希少価値がない限り、時間的な劣化は、モノの価値を下げる・・・これは仕方ないことだ。
新しいマンガは、高くても買い手がつくだろう。だから400円でも買い取れる・・・これも当たり前か。

でも、彼の持っていた主観的な価値は、「そんなアホなことないやろ」と言いたかったんだろう。

自分が読んで、知識を得たり、感動したり、あるいはその本の背表紙を見るだけで、その時代を思い出すような、そんな主観的な価値があった。
悲しいことだが、その価値は、持ち主にしかわからない。主観的な価値だから。

「ふ〜ん、そうやったんか」と話を聞きながら、いつか僕も同じような思いをするんだろうな、と思った。
置き場所の問題だ。
でも、聞いておいて良かった。少しは心の準備ができたから。

持つべきものは友、こんな時に使うと失礼か・・・。


| | 考えたこと | 01:05 | comments(4) | trackbacks(0) |
言われたもん負け
血圧が高いので、血圧を下げる効果のあるアロマオイルを車の中で香らせようとして、レモングラスというアロマオイルを買った。レモングラスは、果物のレモンそのものではなくて、イネ科の草だとのこと。(T&Cさん、ありがとうございました)
レモンのいいにおいがする。

コットンパフを一つ取ってきて、それに1滴垂らして、メーターの下の方にある、小さなポケットに入れるだけですごく香る。
これで、血圧が下がればすごくラッキーと思い、気に入っていた。

いつもは通勤で一人で乗っているが、レモングラスを入れた直後に家族で車に乗ったら、長男がショウガのにおいがする、と言いだし、くさい、くさい、とクレームをつけはじめた。
どう考えても、レモンのにおいだ、と説得しても、ショウガとしか思えない、と言うので、仕方なくコットンパフをごみ箱に入れて、フタをした。

「におい」というものは、すごく主観的なものであり、絵に描いてあるわけでもなく、字で書いてあるわけでもなく、それこそ、そのあたりに「におって」いるものだ。
「ほら、これ」と手に取ることもできず、持って見せるわけにもいかない。

そうなると、結局声の大きなものが勝つ、という事になってしまう。
大きな声で、「ショウガ」と言われてしまうと、さっきまでレモンだったのに、何となくショウガのような気がしてくる。
元々が、果物のレモンではなく、草だ、という知識がなまじあるものだから、よけいに、そういえば土臭い・・などという気になってくる。

せっかく、レモンだと思ってきたのに、何となくレモン+ショウガという気になってしまった。
別にそれだから悪い、というわけでもないのだが・・・。
レモングラスのにおいは「ショウガ」だ、という主張に負けてしまったのだ。

これは「言われたもん負け」状態である。

そういうものが他にもありますよね。

このデザインは素晴らしい、とか、この色づかいは素晴らしいとか・・・。
もちろん、素晴らしい、と言っている人には、ちゃんとした主観の裏づけや主観による説明がある。

そういう主観の問題になると、どうも声が出せないことが多い。
「言われたもん負け」になる。

何でだろう?

| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
宇宙からの帰還 2
無事帰ってきましたね。ディスカバリー。
本当によかったです。

ディスカバリーが無事に着陸したときは、感激しました。
CNNでは着陸の5分くらい前からカメラで機影を捉え、小さな白い点が、だんだん大きくなって、はっきりと主翼が見えて、着陸するところを中継していました。

さすがに機体がかなりの高温になっているので、着陸後しばらくは止まったままでした。
普通の飛行機のように、すぐには降りられないんですね。

コリンズ船長が、地上から支えてくれたチーム全員に感謝する、とのコメントを無線で発表し、無事に帰還できた喜びを控えめに表していました。

前回の事故があるので、きっと、大気圏に入って機体が大気との摩擦で高温になるところでは、クルーは死を覚悟したのではないかと想像します。
それでも、自分たちがディスカバリーのクルーとして宇宙に行ったという事が、彼らの心に、誇りと自信と達成感を与え、それによって冷静に帰還を果たした・・・そんな気がします。

金の使いすぎだ、他に使うべきところがある、というのがNASAに対するアメリカ国内の風当たりでしょうが、やっぱり宇宙に行ってほしい、と個人的には思います。

行ったから、なんぼのもんや、という現実的な損得はあるでしょうけど、宇宙に行く、というのは人類の大きな夢でしょう。

確かにお金の問題もありますけど。

宇宙に行くことの価値は確かにあるとディスカバリーのクルーも思っている・・・そうとちがうかな。

ホントに良かった。

| | 考えたこと | 02:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
習い事は練習が・・・
ラーニング・プラトーのところに書いたが、何とか平地の上を抜け出して、うまくなるために、ギターのレッスンを受けることにした。

50歳のF先生について習うことになった。昨日は第1回目のレッスン。
ちょうど同じ年代で、先生に聞くとやはり中学時代からフォークギターを始めたとのこと。
その後エレキギターに行って、ロックの方に・・・とのことだった。

プロフェッショナルというのは、それでお金を儲けている人、というのが一般的な解釈だろう。
その意味ではF先生はプロフェッショナルである。ギターの演奏で飯を食っている。

ここ3日ほど、夜に気に入ったCDをかけて、それに合わせてギターを弾いて、指が動くように練習してきた。
でも、自分で弾ける範囲で練習しても、それはウォームアップのようなもので、練習ではない、ということがよくわかった。
平地から脱せないのだ。
当たり前だが。

やっぱり、プロはすごい!
先生の演奏を間近で見たが、とても同じギターという楽器を持っているとは思えない。
左手の指が指盤の上を縦横無尽に動く。とても押さえられないようなカタチで指が開いて、コードを押さえる。6本しかない弦から、不思議なほどたくさんの音が出てくる。強く、弱く、右手が動くに連れて、音がリズムに連れて踊っているようである。

どれくらい練習したんですか?と聞いたら、若い頃はほとんど一日ギターを持っていたとのこと。
練習の果てに、持ったまま寝たことも何度もあるそうだ。

弾けるものを弾くのではなくて、弾きたいものを弾くということ。
弾きたいものを、弾けるようになるまで練習した結果、上手になる。カンタンな理屈だ。
中学・高校の頃は、そう思っていたし、毎月ギターの雑誌を買って、弾きたいものを練習していた。それが、コードを覚えて、適当に弾けるようになると・・・適当に弾くようになった。
そこがプロになれる人となれない人の差かな。
すごい練習量だろうと思う。単に好きなだけではできないだろう。意志がないと・・・。

指づかいの練習のパターンを教えてもらったので、これから毎日やらないと。
スクールに行くから、上手になるわけではない。
練習するから上手になるのだ!
その当たり前のことを、なぜわからないかなあ・・。

適当に弾けると、適当に弾く。それで満足する。それがいけない。

練習あるのみ。そういうことだ。

世間の皆さん、何事も習い事は練習ですよ。
そんな当たり前のことは聞かなくてもわかっているかもしれませんけど。

でも、高い月謝を払って、そのことがわかったのは、すごく意義のある事だったと思う。
ぼくがわかってなかったのだ。

| | 考えたこと | 12:55 | comments(2) | trackbacks(0) |
宇宙からの帰還
以前、「宇宙からの帰還」という本を読んだ。
文字通り、宇宙に行って帰ってきた、宇宙飛行士にインタビューしたものをまとめたもの。
宇宙から、地球を見る、という体験は、その後の人生に影響を与える・・・というような内容だった。
宇宙から帰還した飛行士は、その後、神について、人類について、考えはじめるのだ。

スペースシャトル、今日帰ってきますよね。
船外活動で、打ち上げ時の傷を修復していたが・・・。

無重力の宇宙で、シャトルの外に出て、足許で回っている地球を見るという体験はどんなものなんだろう。
実際にやった人でないと語れない体験だろうが、すごい神秘的な体験なんだろうとは想像できる。

その後の人生に影響を与える体験になるだろう、とも思う。

それにしても、シャトルのクルーの今の気持ちはどんなものなのか。
前のシャトルの事故の事はわかっているし、今回も実際に機体には問題があることはわかっている。
修理したとはいえ、それが完璧なものではないだろう。

大気圏に突入して、実際に帰還への途につかないと、機体が熱に耐えられるかどうかはわからない。

宇宙に行って、帰ってくるという、その体験を少しでもたくさんの人に伝えるためにも、無事に帰還してほしいと願う。

キリスト教の場合は、目的別お守りというようなものはないんだろうが、日本のお寺では目的別にお守りがある。
この場合は、交通安全になるのだろうか・・・。

とにかく、無事の帰還を祈ります。
| | 考えたこと | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
子どもの誕生日
今日は次男の12回目の誕生日だった。

「生まれて、もう12年も経つのか・・・」とつい口に出して言ったら、
「当たり前や。」と次男に言われた。

「そら、年とるはずやなあ。」というと、また、
「当たり前や。年とるに決まってる。」

昔は、年をとっても、本当に年をとるとは思っていなかった。
年をとることの意味が分かっていなかった、と言ってもいいだろう。
年齢を重ねても、「老いる」とは思っていなかったのだ。

ある年齢を超えると、老眼が進み、朝寝ができなくなり、人の名前が出てこなくなり、やたら「あれ」が増える。
忘れたものは、「あれ」になる。「あれ取ってきて」「これは、あれやなあ」などと言いはじめる。
テレビに対して怒ってみたり、読んだ本の題名が出てこなくなったり・・。

自分の誕生日は、さしてそんなことを思わないが、子どもの誕生日には、すごくそんなことを思う。

生まれてずっと、成長を見てきたからなんだろうか。

老化する・・・ね。

こないだ、テレビで老眼の説明をしていたが、生まれたときから老化は始まっている、というような言い方だった。
年をとると、それがわかるようになるだけらしい。

ということは、成長=老化ということになる。
そうだ、老化するということは、成長する、ということか。

人間は成長しつづける・・・。
そんなふうに考えて、年をとれたらいいと思う。

少し、むずかしいですけど。
身体は老いていきますからね。

でも、心は成長するんでしょう。

| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
休みの日の楽しみ 7
長らくご無沙汰だったこの話題、一つ書き加えないといけないことがある。

小さい頃はそんなことはなかったが、20代以降、運動というものがおっくうになった。
自分で、運動をすると、かえって身体に悪い、などという屁理屈をこねて、できるだけ遠ざかってきた。
そのバチがあたったのか・・。

最近、肩こりがひどく、マッサージに通うようになった。
ここはいいですよ、と勧めてくれる人がいて、通いだしたらやみつきになった。
休みの日に、予約を入れて、通うのが楽しみだ。

あの、マッサージ用のベッド、いいですね。
間のあいた二つのバーの間に、顔を真下に向けて寝られるようになっている。
普通の状態では、顔を真下にすると息ができないので、家庭ではできない格好。

テレビでは見たことがあったが、実際にそこに顔を下に向けて寝てみると、すごく気持ちがいい。

ゆっくりと背骨のゆがみを矯正してもらうと、帰りには身体が軽くなる。

至福の時間、というのがあるとすると、これはその一つ。
気持ちが良くて、眠ってしまうこともある。

それと、ここではアロマオイルも扱っていて、いろいろな種類のアロマオイルの効能を聞いたり、実際に香ってみることができる。
何と血圧を下げる効果のあるアロマオイルもあるのだ。
さっそく、車の中に、コットンパフに1滴垂らして置いておくことにした。
たった1滴でもすごく香りがする。

ご夫婦でやっておられる店だが、親切で感じも良く気に入っている。

お店のホームページはここです。
http://www.tc-body.com/

もちろん、運動もしかたなく始めました。
健康診断が最悪の結果だったので・・・。
がんばります。
生活習慣病は、生活習慣を変えないと治らないし、8割は自己責任らしいです。
みなさんも、気をつけて・・・。
| | 考えたこと | 01:24 | comments(1) | trackbacks(0) |